“粉飾捜査”
ホリエモンこと堀江貴文さん(元ライブドアCEO)は、特異な才能の持ち主である。複雑な事象の本質を的確に捉え、それを誰にも分かるよう噛み砕いて表現する力を持っている。
昨年春、六本木ヒルズでその堀江さんに会ったら、彼はいきなりこう言った。
「検察が捜査から起訴・裁判・刑の執行まですべての権限を持っている制度を変えなきゃいけない。そうして特捜部をなくすべきですよ。そう思いませんか?」
「ウーン。それは……」
私は答えに詰まった。特捜検察システムの解体なんて考えてみたこともなかったからだ。
しかし、言われてみれば、日本の検察ほど強大な権限を持つ国家機関は世界でも例がない。検察本来の役割は警察の捜査をチェックして裁判にかけることだが、日本の特捜部は独自捜査して、外部のチェックも受けずに起訴している。これではサッカーの審判がプレーヤーを兼ねるようなものだ。オフサイドもファウルも何でもありの一方的なゲームになってしまう。
その典型がライブドア事件だろう。堀江さんが証券取引法違反の罪に問われた粉飾決算は、仮に検察の主張通りとしても、会社の資産総額をごまかして株主を欺いたわけではない。儲けた金を「資本」でなく「売り上げ」の部に計上したという会計処理上の技術的な問題にすぎない。それをあたかも悪質な犯罪のように特捜部が“粉飾”したのである。
昨年三月の西松建設の献金事件もそうだった。従来の検察には政治資金規正法違反で強制捜査するのは「一億円以上の裏献金」に限るという暗黙のハードルがあった。ところが、小沢一郎・民主党代表(当時、現幹事長)の大久保隆規・公設秘書の逮捕容疑は政治資金収支報告書にちゃんと記載された「表献金」で、額も二千百万円にすぎなかった。
近年の特捜部は法律を拡大解釈して立件のハードルを下げる“粉飾捜査”を繰り返してきた。私はそれを捜査能力やモラルの低下が原因と考え、特捜の再建は可能だと見ていたのだが、甘かったようだ。
今年一月、特捜部は小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入事件で小沢氏を被疑者として事情聴取しながら起訴できなかった。
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大阪地検特捜部も郵便不正を巡る虚偽公文書作成事件で厚生労働省の村木厚子元局長を起訴したが、一月から始まった公判では呆れるほどズサンな捜査の実態が明るみに出た。
東でも西でも特捜部は醜態をさらした。これは尋常な事態ではない。私は自分の認識不足を恥じるようになった。堀江さんが言うように、特捜検察システムそのものを見直さなければ犠牲者は増えていくばかりだろう。
西松建設の裏金疑惑では〇八年二月、事情聴取を受けていた長野県知事側近が縊死した。ライブドア事件でも関連会社の副社長が自殺した。ここ二十年間、特捜事件絡みで自殺した人は二十数人に上る。
同じ悲劇を繰り返させぬためにも特捜検察システムをどう変えたらいいのか。その答えを見出すのがこのレポートの狙いである。まずは初めて公表される石川知裕衆院議員の「獄中日記」を手がかりに陸山会事件の深層を掘り起こしてみよう。それを足がかりに冤罪の構造を明らかにしていけば、自ずから答えは浮かび上がってくるだろう。
監視システム
私が、作家の佐藤優さんの紹介で石川議員に会ったのは昨年十一月。新聞が三重県のゼネコン・水谷建設から小沢氏側へのヤミ献金疑惑を報じた直後のことだった。
報道によれば、水谷建設の水谷功・元会長(脱税の罪で服役中)らが〇四年十月と〇五年四月の二回にわたり計一億円を小沢氏側に渡したと、特捜部に供述したという。石川議員は〇四年当時、小沢事務所で小沢氏の秘書として献金の事務処理を担当していたから疑惑のど真ん中にいた。私はこう訊いた。
―水谷元会長らは石川さんと大久保さんに五千万円ずつ渡したと供述しているそうです。心当たりはありますか。
石川 まったくありません。なぜ、あんな記事が出るのか驚きです。私はその水谷元会長と会ったことすらないんです。新聞記事を見て、念のため名刺入れを調べてみたんですが、水谷建設の別の元幹部の名刺がありました。でも、その元幹部とどこで会ったのか記憶がありません。懇親会や新年会で大勢の人と名刺交換しますから、そのうちの一人だったんでしょう。
―あなたがもらっていなくとも、大久保さんがもらった可能性はないですか?
石川 ないです。小沢事務所では献金の窓口になる秘書と、口座を管理する秘書が分けられ、悪いことをしないよう互いに監視し合うシステムになっている。当時、私が口座を管理していましたが、そんな入金はありませんでした。
佐藤優さんを交えての石川議員とのやりとりは計二回、約四時間に及んだ。私は彼のプライバシーにも踏み込んだ。不都合なことを隠す人間かどうかを見極めたかったからだ。しかし彼は率直に内情を語った。
やがて私は彼の人間性に信頼感を抱いた。彼がきっぱり否定するヤミ献金は幻だ、少なくも彼が五千万円を受け取った事実はないだろう。
とすれば、水谷元会長側の証言に問題があることになる。服役囚は仮出所の誘惑に駆られて検察に迎合しがちだが、彼には佐藤栄佐久・前福島県知事の汚職事件での“前科”もある。
前知事は親族会社の土地を水谷建設が時価より一億七千万円高く買ったのが賄賂にあたるとして起訴された。その有力根拠となったのが元会長の供述だったが、一審で賄賂額は七千万円に減らされ、二審では「ゼロ」と認定された。実質的な無罪判決である。二審では元会長が「自分の脱税事件で実刑を回避しようと検察の言うままに供述をした」と前知事の弁護人に告白していたことが明らかになった。
アトリウムラウンジ
水谷献金疑惑に関する私の心証は後に確信に変わる。石川議員が五千万円を受け取ったとされる場所が六本木の全日空ホテルの喫茶店アトリウムラウンジと分かったからだ。
アトリウムラウンジには東京中のマスコミや政界関係者が頻繁に出入りする。そのうえロビーやエスカレーターの上からも内部が見渡せる、広々としたオープンスペースだ。日本で最も人目につきやすい場所だと言っても過言ではない。わざわざそんなところで五千万円もの後ろ暗いカネを受け渡す馬鹿はいない。もし全日空ホテルでなければならぬ事情があったとしたら、個室で渡すのが人間の心理というものだろう。
だが、小沢立件を目指す特捜部に常識は通用しない。昨年末、特捜部は石川議員の聴取を始めた。容疑は、〇四年十月に陸山会が世田谷区の土地を約三億四千万円で購入したのに、その支出を〇四年分の政治資金収支報告書に記載しなかったという政治資金規正法違反だった。
この容疑はある種のトリックだ。〇五年分の収支報告書には土地購入の事実が記載されていて、しかも土地の登記は〇五年一月に行われている。登記をもって売買行為の完了とみなすなら、収支報告書の記載は間違っていないことになる。特捜部は単に代金支払いと登記の間の三ヵ月のズレに言いがかりをつけているだけだ。
特捜部の真の狙いは水谷建設からのヤミ献金を立件することだ。その入り口として土地購入と登記のズレが利用されたにすぎない。それを理解していただくため、捜査で判明した土地購入前後の経緯を簡単に説明しておこう。
〇四年九月、秘書寮を建設するための用地取得の話し合いが小沢氏と大久保秘書の間で進められた。大久保秘書から資金繰りの相談を受けた石川氏は「政治資金をかき集めれば何とかなりますが、運転資金が足りなくなるので小沢先生から借りましょう」と答えた。小沢氏に相談すると「ちゃんと返せよ」と言われ、石川氏は小沢氏の個人事務所で四億円を受け取った。
石川氏はそのカネを①陸山会などの関係口座に五千万円、三千万円などに分散して入金したうえで十月二十九日、土地代金として三億四千万円を一括して支払った。②同時期に石川氏は関連政治団体の口座から計四億円を集めて定期預金し、この預金を担保に四億円を借り出した。
巨額の資金が動いているので怪しげに見えるが、石川氏が分散入金した①のカネがすべて小沢氏の個人資産なら、単に陸山会の運転資金が不足せぬよう土地代金を小沢氏に立て替え払いしてもらったにすぎない(実際、四億円は〇七年に小沢氏に返済された)。②のように預金を担保に運転資金を借り出すのは企業では日常的に行われていることだ。何の不思議もない。
政治資金規正法は、政治活動の資金がどんな団体や企業・個人から集められ、どう使われたのかをオープンにする法律だ。一年間の収入と支出が収支報告書にきちんと記載されていればよく、政治家本人が一時的に立て替えたカネや口座の入出金を逐一報告する必要はない。
それでも特捜部が固執するのは・の分散入金された四億円に水谷建設のヤミ献金五千万円が含まれていると見立てているからだ。水谷建設は〇四年秋に胆沢ダム(岩手県)建設工事を下請受注している。五千万円はその謝礼(事実上の賄賂)だったことになり、小沢立件の大義名分を得られる。裏返せば、水谷献金がなければ、この事件の犯罪性は雲散霧消するということだ。
人権派とヤメ検
年明けの一月十三日、特捜部は陸山会事務所などを家宅捜索し、石川議員の二回目の聴取に踏み切った。検事は「明日の調べで故意に虚偽記載したことを認めないと、君が逮捕される可能性は五分五分だ」と石川議員に揺さぶりをかけ、翌日も八時間にわたって聴取した。石川議員は頭が朦朧として時間の感覚もなくなり、「もう政治家をやめてもいい」と口走ったという。
十五日夜から十六日にかけ、石川議員と大久保・池田光智の両秘書に対する逮捕状が執行された。この夜の模様は石川議員が拘置所で大学ノートに綴っているので、それを紹介しよう。以下、引用の( )内は筆者の補足とする。
pm7・00頃に南(裕史)弁護士(小沢事務所側の弁護士)と帝国ホテル3016で落ち合った際に、木村主任検事がどうしても連絡がほしいとのことであったので電話をしてみたところ、どうしても今日会って話を聞きたいとのことだったので逮捕かと考える。昨日まで南弁護士は、どうにかまとめる事が出来そうな話をしていたが、私としては13日の強制捜査の後なので、もう甘い考えは捨てなければと思っていたので覚悟を決めていた。
田代検事がホテルロビーまで迎えに来た。ワゴンに乗車して東京地検9Fへ。そこで受けた取り調べは、水谷建設からの5000万円の受け取りについてのみ確認された。その後、逮捕。弁解録取書にサインした後に、安田(好弘)弁護士と岩井(信)弁護士が接見に来たが、戸惑う。
ここに登場する安田、岩井両氏は佐藤優さんらの要請で石川議員についた人権派の弁護士である。小沢事務所からはヤメ検の木下貴司弁護士らがついた。同じ弁護士でも人権派とヤメ検は水と油の関係だ。これから石川議員は弁護方針の異なる弁護団の板挟みになりながら検事と渡り合うという希有な体験をすることになる。
逮捕翌日の一月十六日、石川議員は勾留尋問のため東京地裁に護送された。
前日の逮捕の時は手じょうをかけられたものの片方を長岡検察事務官、片方が自分にかけられたので両手にかけられた訳ではなかった。しかしこの時は両手にかけられ、腰ヒモまでまわされたので自分が本物の犯罪者なんだと自覚する。
小沢一郎の呪縛
田代検事の本格的な取り調べは逮捕三日目の一月十七日から始まった。石川議員のノートを見ると、彼が徹底抗戦論の安田弁護士らと、特捜部との妥協点を探る小沢事務所側弁護団の間で揺れ動いているのが分かる。
(十九日)午後は野口先生(小沢事務所側)13:00、岩井先生が16:00からそれぞれ接見であった。野口先生からは小沢先生サイドの意向として木下、野口、高木(勉)で弁護団を組みたいとの意向があったので岩井先生に伝えるが承諾得られず。安田先生や岩井先生は頼りになるが小沢先生サイドの意向は尊重しなければならない。(検事が)ゼネコン・サブコンからの裏金をしきりにほのめかしている。しかし全く身に覚えがない、何なのか?
(二十日)水谷建設の件。田代検事とかなり水谷のことで言い合う。アリバイを証明してこの件については断固戦うことを宣言する。
一月二十三日午後二時から小沢幹事長が都内のホテルで特捜部の事情聴取に応じた。聴取の焦点は四億円の原資と、収支報告書の虚偽記載への関与の有無だった。その日のノートに石川議員はこう記している。
(人権派の)安田先生の接見。小沢先生聴取の件について話す。最悪の事を考えて行動すべきとのこと。14:00からの説明が無事に終わる事を願う。
仮にここを出たらどんなことになるのかと思うと不安で一杯だ。政治家を続けられるのか?続けていくのはもう厳しいと承知しているが、その場合には何をしていくべきなのか?しかし応援をしてくれている十勝の有権者の期待を裏切ることになりはしないのか?様々な事が自分の胸に去来する。先日の木下先生の接見の際にはもう自由にして下さいと言った。現実逃避でしかないとわかっていてもそう願わざるを得ない。昼も夜も弁当であった。
疲れた
疲れた
疲れたなあ~~
(二十四日)午前中は取り調べがなかった。いつも刑務官の「チャリ、チャリ」という鍵の音がする度にまた来たのかとうんざりするが、来なければ来ないでなにかあったのかと心配になるものである。まあいつもは「ほれ出番だぞ」と言われて舞台へ上げられる猿回しの猿のような心境だが……夜の取り調べの冒頭に4億のことについて検事から小沢先生の対応について聞かされる。全くわからないとのことだという。検事から佐久間(達哉・特捜)部長から石川への伝言だということで伝言を聞く。
特捜部長からのメッセージは「小沢一郎はあなたを守ってくれない」だった。小沢氏との紐帯を切り離し、石川議員から供述を引き出そうという作戦である。
(二十五日)ここのところの取り調べは、小沢一郎からの呪縛から逃れるべきだという田代検事の説得が一番きつい。自分の人生のうちの大半を小沢一郎とともに過ごしてきた。自分が小沢一郎と縁を絶つというのは自分の半生を否定するのに等しい。私は、小沢一郎に気に入られているとは、決して思っていないし、これからもそうだろう。小沢先生は非情な人だということもよくわかっているので、小沢一郎に切られたとか、捨てられたと言われても何にも思わない。ただし、十勝の有権者は、小沢一郎にではなく石川知裕に期待して投票したといわれるのがつらい。検事も痛いところをついてくるものだ。佐藤優さんからのFAXで田代さんの人間性にひきこまれるなというメッセージを安田先生から見せられたがその通りだと感じる。
夜の調べはきつかった。水谷での再逮捕もほのめかされる。特捜部長と副部長が来たそうだ。正念場だ。
逮捕から十日、特捜部側にも焦りの色が目立ち始める。小沢氏を立件するには最低限二つのポイントをクリアしなければならない。土地代金・約四億円のなかに水谷建設からのヤミ献金五千万円が含まれていたことと、収支報告書への虚偽記載が小沢氏の指示で行われたということだ。だが、石川議員は二つとも認めない。
特捜部は石川議員の周囲に圧力をかけた。標的になったのは石川事務所の女性秘書だ。彼女は三歳と五歳の子供を保育園に預けて働いているのだが、二十六日午後一時から東京地検に呼ばれ、延々十時間にわたり“監禁”された。「必ず戻ってくるから、保育園のお迎えだけは行かせてほしい」という懇願も無視された。
副部長の暗示
(二十六日)U(女性秘書)が呼ばれたと高木勉弁護士から告げられた。彼女に申し訳ない。急に疲れが出てきた。いったいどこまでやれば気がすむのだろう。
昨日から再逮捕が頭をよぎる。やはり検察としては徹底的にやってくる腹なのだろうか。
しかし、もらっていない水谷まで認めさせようというのは納得できない。
安田弁護士の接見。政治の道を続けることを強く言われる。しかしもうこの苦しみから逃れたい。
(二十七日)午後の呼び出しは早く、13:20だった。今日の午後はやけに早いなと思ったら(特捜部の)吉田(正喜)副部長が取り調べに来ていた。現場は混乱の極みだと、世論が納得する説明をしてもらいたいと言われた。水谷についても立証できると言われた。本当にとんでもないことだ。検察は事件を作ると言われているが本当だ。
夜も吉田副部長が18:40~20:20まで取調べ。コストをかけて行った政権交代をつぶしてもいいのかと言われる。帰り際には関西弁で凄まれた。
これ以後、取り調べの主役は吉田副部長に替わり、五千万円受領を認めるよう石川議員を執拗に責め立てた。「証拠は揺るがない。あなたは水谷建設から五千万円を預かったことを、忘れているだけだ。それを思い出せばいいんだ」。
特捜部の拠り所は〇四年十月十五日にアトリウムラウンジで五千万円を渡したという水谷建設側の怪しげな供述と、その直後に陸山会の口座に同額が入金されたという事実だけだ。この前後に石川議員は小沢幹事長から受け取った四億円を五千万円や三千万円などに分けて何回も入金しているから、特定の五千万円だけをヤミ献金だと決めつける証拠にはならない。
見込み捜査の失敗
しかし、身に覚えがないことでも否認を貫くのは容易ではない。石川議員の疲労は極限に達したらしく、ノートにも空白が目立つ。
(一月二十九日)何も書く気がおきない。
(一月三十一日)もう疲れた。副部長はなぜ信じ込んでいるのかわからない。
(二月一日)今日も吉田副部長の登場だ。とにかくせっかくコストをかけて作った政権をつぶしてもいいのかと。小沢事務所が何千万円もゼネコンからもらったと思い込んでいる。何を言っても無理だ。
最後の一週間の苛烈な調べに石川議員が耐えられたのは、毎朝の接見で安田弁護士が見せてくれた十勝の有権者や鈴木宗男衆院議員、佐藤優さんからのファックスに励まされたからだったという。
(二月四日)地獄の20日間がようやく今日で終わる。しかしこれからはもっと地獄なのかもしれない。長い長い20日間であった。昨年の中川(昭一)先生のローマでの会見、西松事件、中川先生の死、そして今回の事件と本当に何が起きるかわからない一年であった。大きな流れの中で生かされているのか。殺されているのか。
二月四日、特捜部は石川議員と大久保秘書を政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で起訴、小沢氏は嫌疑不十分で不起訴とした。小沢氏不起訴の理由を「収支報告書の虚偽記載を具体的に指示した証拠が得られなかった」と説明したが、真の理由は水谷建設のヤミ献金を立証できなかったからだ。
典型的な見込み捜査の失敗である。証拠をきちんと検証し、石川議員の釈明に耳を傾けていれば、幻のヤミ献金話に振り回されずに済んだはずだ。だが、特捜部は証拠不足を石川議員の自白で埋めようとした。なぜ、彼らはそうまでして小沢立件に拘ったのだろうか。その理由を知るには法務省・検察庁の歴史を振り返らなければならない。