2009年5月19日火曜日

【北朝鮮】 拉致問題・青木理氏の一水会講演

 青木理氏の講演内容が、一水会機関紙(レコンキスタ)に載せられていた。
その講演内容を、レコンキスタから文字起しをしたものです。

家族会の方々の心労も理解ができます。しかし、一歩も進まないのもまた事実で、強攻策だけで果たして進展をみる事ができるのだろうか。安易に「押してもだめなら引いてみろ」とは言いたくはないのだが、どこかで交渉方法の転換が必要なのではないおだろうか。

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今日ここにお集まりの皆さんの中には、
朝鮮半島問題について僕よりも詳しい人がいらっしゃるかもしれませんし、また僕とはずいぶんと立場を異にする方がいらっしゃるかもしれません。
そんな僕の話がどれだけ参考になるかは不安なのですが、お付き合い願いたいと思います。

 僕は一介のフリーの物書きでしかありません。

以前は通信社の記者として韓国に五年ほど居りまして、北朝鮮にも一時期数え切れないくらい入りました。

今日は課題多き朝鮮半島問題とその周辺情勢、または日本との関わりについて、一介のジャーナリストとして、私的な話も含めて話させて頂きたいと思います。

 僕は今はフリーでやっておりますが、三年前までは共同通信社に居り、十五年間ほど社会部で記者をしておりました。

一九九五年(平成七年)頃には公安担当として警察庁記者クラブに居りました。

この時には「警察の犬」のような存在で(笑)、公安の人たちと同じような目線で、鈴木さんや木村さんを取材していましたが、その縁あってお付き合いをさせて頂きました。

 その事件記者がどうして朝鮮半島と関わるようになったのか。

九六年~九七年(平成八~九年)頃、僕は社命で韓国に留学に行きました。

当時は金大中さんが大統領選挙で当選した頃で、その取材もしつつ、韓国語の勉強に励み、午後からは酒を飲んで、韓国内をフラフラと放浪するという幸せな一年間を過ごしました。

 その後帰国した後に、『日本の公安警察』 (講談社現代新書)という本を書きました。これは公安に尻尾を振っているのが嫌になったという事情もありますが(笑)、そのせいか、何か社会部に居づらくなり、
国際ニュースを扱う外信部に異動し、〇二年春~〇六年春(平成十四~十八年)まで特派員としてソウルに暮らしました。

 僕がソウルに派遣された〇二年という年は、十二月の大統領選挙で人権派弁護士と言われた
盧武鉉さんがハンナラ党の李会昌 (イフェチャン) 候補に勝利し、第十六代大統領に当選した年でもありました。

その後の盧武鉉さんの政権運営は迷走し、僕自身も非常にがっかりした事がありましたが、当時、ネットパワーと言われた若い人たちの情熱に支えられ当選した彼は輝かしく見えたものでした。

 そして、この年は日朝関係において前代未聞の激動の年でもありました。
日朝首脳会談で北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致を認め、拉致問題に対する認識が急激に高まります。

社会、メディアは拉致問題一色ムードに染まり、後でも話しますが、これを足がかりにして、当時官房副長官だった安倍さんが一挙に首相の座を射止める事にもなりました。

 僕は当時ソウルに居て、あの九月一七日のピョンヤンでの日朝首脳会談を日本では見ていませんでした。 だから、どのような状況になっていたのか、肌では感じ取れていなかった。

 その後、十月にフジテレビと朝日新聞が訪朝し、横田めぐみさんの娘さん、ヘギョンちゃんにインタビューをします。 十一月には週刊金曜日が訪朝、当時北朝鮮に居たジェンキンスさんにインタビューをしています。

これはご記憶の方も多いかと思われますが、インタビューをした三者には「北朝鮮のプロパガンダに利用されるのか」、「拉致被害者の家族の気持ちも考えろ」というバッシングが浴びせられました。

○反北朝鮮バッシングにおびえる日本メディア

 僕はこれをソウルで見ており、異様な感じを覚えました。

メディアの人間が、焦点の人物に接触し、インタビューするのは当たり前の行為だと僕は思っていました。

もちろん、それによって傷つく人間は出てくるかもしれませんが、交通事故の報道にしても汚職事件の報道にしても、およそ提灯記事か追従記事ではない限りは、書く事で傷つく人間は必ず出てしまう訳です。

これはメディア、報道に携わる人間の宿命、業のようなものです。

それでも伝えなければならないと思ったら、伝えるべきです。

それが報道のあり方ですが、あの時、フジテレビ、朝日新聞、週刊金曜日に浴びせられたバッシングは普通ではなかった。

 もちろん拉致被害者の方々の家族へのインタビューを許す事には、北朝鮮の政治的な意図があっただろうという見方もありますが、背後に政治的意図があろうがなかろうが、あるいは例え相手が犯罪者であったとしても、焦点の人物に接触し、話を聴き、それを広く伝えるというのは、メディアの極めて重要な役目です。

様々な立場の人のナマの声を伝え、それを読者、視聴者が受け止め、判断を下すのです。

 もちろん、一方の言い分だけを垂れ流しにする事は問題であるし、批判された三社の報道が本当に質の高い物であったかは議論がありますが、インタビューをしたメディアが、まるで国賊か、もしくは国益を害した様にバッシングに晒される事は、ちょっと僕には信じがたい出来事だと思っていました。

 この直後、共同通信とTBSがピョンヤンに入りました、目的は北朝鮮の高官から今後の日朝交渉について考えを聞くというものでしたが、当時、ソウルにいた僕も朝鮮語の通訳を兼ねて一緒にピョンヤンに入りました。

そして、僕は初めて、日本メディアがどういう状況にあるかを痛感し、驚く事になります。

 当時、共同通信もTBSも「バッシングを引き寄せるような記事は絶対に書いたらまずい」 と、凄く怯えていました。この時、北朝鮮にはまだ、拉致被害者の息子さん、娘さんが残っていました。北朝鮮側が彼らへのインタビューを許したらどうするか。「そんなインタビューを報道したら、先にバッシングを受けたフジテレビや朝日新聞、週刊金曜日の二の舞になる。断った方がいいじゃないか」というようなことを、真剣に話し合うわけです。

結局、そんな話が出てきても断ろうと、そういうようなことを東京の本社と連絡を取り合って相談していたのを覚えています。

 僕なんかは、向こうがインタビューをさせてやると言っている以上、当然インタビューをするべきだと思っていました。

彼らが北朝鮮に居て自由に物事が話せないという状況を忖度した上で、きちんと伝えるべき事は伝えるべきだと思っていましたが、この時のメディアは皆怯えていました。また、共同通信もTBSもお互い相手がどこまで踏み込むか牽制し合っており、もし共同通信がインタビューを断っても、TBSがインタビューをしてしまうと大恥をかいてしまう。

だから両者が談合のようなことまでした。僕も当事者だから同罪だし、言い訳などできる立場でありませんが、実に馬鹿馬鹿しい行為だと思っていました。

○理性がなくなった北朝鮮報道

 一方で当時、北がらみの報道は何でもOKであり、裏など取る必要はないという風潮もありました。

ソウルに居て痛感したのは、例えば韓国にたくさんいる脱北者の情報です。

これは脱北者の立場によって持っている情報も違って来ます。

元高官なら中枢に近い情報を、一般の人なら生活中心の話を持っている。

 その中に、何度も日本のメディアに登場した元工作員の男性がいました。

彼は拉致された日本人の情報をさかんに発信していましたが、どこまで信用できる話か分からない。彼は既に本を出しておりまして、その本に書いてある話ならば本を引用する形で紹介すればいいと思っていましたが、その後のインタビューでは本に書いていない事まで、実にさまざまなことを喋っている。

話がどんどんオーバーになっていくような感じだったので、僕は信用できないと思っていましたが、
ある時、彼にインタビューをする機会があった。

電話してアポを取ってみると、まず彼が一言目に言ったのは、「活字はいくら、映像はいくら」と、まず値を言ってくるんです。

唖然としましたが、ソウル在住の記者仲間に聞いてみると、「昔は安かったけど、どんどん値上がりしている」と。

 情報の対価としてお金を払うという行為に、僕はすごい抵抗を感じます。

もちろん、学識者にコメントを頂いた場合にはコメント料をお支払いしますが、新聞社ではせいぜい五千円から一万円程度です。

しかし彼らが提示したのはコメント料をはるかに超える金額でした。

僕もどうしようかと思いましたが、結局お金を払ってインタビューをしました。

その話を韓国斧記者や、情報機関関係者に言うと、苦笑いして「最初の頃はともかく、あいつが最近言う事は信用できない」。

つまり日本のメディアが札ビラを切ってインタビューするものだから、どんどん話が大げさになっていっている、だから最近の彼の話はとても信用できない、ということでした。

この元工作員に限らず、同じような話をあちこちで聞きました。

 それだけならまだいいかもしれません。中には脱北者にお金を払って、北朝鮮に再潜入させるようなテレビ局もありました。

もし捕まったら二度と帰って来れないかもしれない。そんな人たちを北に送り込んで、何かあったら誰が責任を取るのかと思います。

 かつて、朝鮮総連や北朝鮮に関する報道は、一種のタブーがあった時代がありました。

ところが日朝ピョンヤン会談以降は、そのタブーが完全に決壊しました。

タブーが破られた事自体を僕は歓迎しますが、その途端に北朝鮮に関する報道、言論は何でもありの無法地帯のようにになってしまう。どんないい加減な情報でも垂れ流しになり、その代わりに北朝鮮側に立つような報道はバッシングされてしまう。
また、今度は拉致被害者家族会、あるいは周辺にいる救う会の人たちがタブー視されるような状態になってしまった。だからこそ、前述の様にメディアは当然するべきインタビューにも萎縮してしまったり、
また北朝鮮がらみの話であれば札ビラを切って何でも許してしまうような報道をしてしまう。

 こうした状況に僕も疑いを持って  『月刊現代』 (平成十五年十月号 )に、問題提起として 「北朝鮮報道に理性を取り戻せ」 というレポートを書きました。

これは一部の朝鮮問題専門の記者や学者から「よく書いた」 と評されましたが、その後、『現代コリア』という月刊誌に「青木理こそ理性を取り戻せ」 という反論記事が載るとは、名誉だと思っていましたが、僕はそんな感性を持ってソウルから日本を眺めていました。

そんな状況下において宰相の座を射止めることになったのは、前述した通り安倍さんでした。日朝首脳会談と拉致問題が起きなければ、彼があれほど若くして首相になる事はなかったはずです。

しかし、安倍さんに代表される対北朝鮮強硬路線者が政権の座に付いて以来、日朝交渉、拉致問題は一歩も前進していません。

 これについては様々な意見があるかと思われます。

もっと圧力が必要だと意見もあるかもしれません。

その一方で、圧力から対話に舵を切って、交渉ルートを探るべきだという意見があります。

僕は後者の方ですが、いずれにしても安倍政権下で拉致問題を最大限に“利用”して栄達した人物 ―安倍さんもそうですが― については、ここできちんと問題提起しておく必要があると思います。

現在、麻生政権で事務担当の官房副長官に就いている漆間巌さんは、その典型的な一人だと思います。

○拉致問題を利用して成り上がったある警察官僚の実態

 この方はご存じの様に警察官僚の出身で、安倍政権時には警察庁長官であり、安倍さんと深い信頼関係を結んでおり、安倍首相が官房副長官として抜擢すると言われていました。彼が何故そこまでの信頼関係を築く事ができたのか。

彼が警視庁長官だった時代を振り帰ると、全国の警察で政治的、恣意的な捜査が連発されていました。ターゲットにされていたのは朝鮮総連、及び北朝鮮でした。

 もちろん、犯罪行為があればきちんと捜査する事に異議を唱えません。

しかし、漆間長官の時代には、事実に基づかない捜査、あるいは事実を相当に誇張、歪曲した捜査が横行しました。

例えば〇六年(平成十八年)、東京在住の在日朝鮮人のおばあさんが薬事法違反に問われた事件がありました。

これは、持ち出しが禁じられている薬品を万景峰号で北朝鮮に持っていこうとした事件、事件と言うより 「事案」ですが、この時に警視庁公安部は総連の東京本部などを大々的に強制捜査しています。

事件と関係があるとは思えない劇団の名簿まで持っていてしまう様なガサでした。

 しかし実態は、このおばあさんがピョンヤンにいる親戚に点滴薬などを持って行こうとしたに過ぎませんでした。

しかし、薬事法が改正された後であり、持ち出しができなかった。

そうだと分かると、おばあさんはすぐに諦めて送り返した。

ただそれだけの事です。

ところが警察リークに基づいてメディアは大々的に報じ、新聞の社説では 「ミサイル開発に関係あるのでは」 や「個人的犯罪である訳がない。国家ぐるみの犯罪だ」と書かれていました。

憶測記事が山の様に量産されていましたが、実態は先述の通りであり、警察は書類送検しましたが、起訴もできずに幕引きしました。

 同じ年には、大阪の在日朝鮮人男性による車庫飛ばし事件が起きています。

犯罪は犯罪ですが、これを理由に滋賀県の朝鮮人学校にガザが入り、保護者名簿まで持っていかれています。いくら犯罪捜査でも、車庫飛ばしで朝鮮学校にまでガサを行うとは、いかにも針小棒大の公安捜査の典型だと思います。

 翌年(平成十九年)には、札幌、神戸で朝鮮商工会に税理士法違反による摘発がありました。こえは厳密には犯罪と問われかねない案件でしたが、そんなに簡単に割り切れる問題ではないと言われています。

商工会は在日系企業の窓口になって税金を納める存在で、税務当局と商工会はある意味 「協力関係」 にありました。

だから税務署が商工会に表彰状を出した事もあったそうです。

また、類似の行為をやっている団体は商工会以外にもある。

ところが長年の 「慣行」 として続いていた行為がある時突然、税理士法違反として摘発されてしまう。

 そんな 「事件」 が連発していたのが、漆間さんが警察庁長官だった時代でした。

ある時、警察幹部にこの頃の様子を聞いてみると、「北朝鮮がらみの事件を徹底的に掘り起こせと警察庁からハッパがかかり、これに基づいて政治的な捜査が頻発した」とおっしゃっていました。

 拉致問題をめぐっては、〇六(平成十八)年から〇七(十九)年にかけて、もっと露骨に捜査が行われました。

ご記憶の方はいらっしゃるかもしれませんが、本名すら不明の 「北朝鮮工作員」 の逮捕状を次々に取って、国際指名手配したのです。この逮捕状を取った時期を調べると、六ケ国協議やASEAN首脳会議にからんだ時期などに集中している。

安倍官邸が描いている政治・外交日程に合わせて警察が動いているのです。

 実際、〇六(平成十八)年十月頃、通称名しか分からない北朝鮮の女性工作員の逮捕状を取った時、漆間さん自身、記者会見でこう述べています。

「北朝鮮が六ケ国協議に復帰する以上、日本が拉致を忘れていないというメッセージだ」「政治的メッセージ」を送るために逮捕状を取ったと警察トップが明言しているんです。しかし、逮捕とは警察にとって最大限の権力行使です。

それを 「メッセージのため」 に行ったというのです。

また、漆間さんはこんなことも会見などで公言しています。

「北朝鮮に対する圧力を担うのが警察だ」、「北朝鮮が困るような事件を摘発するのが拉致問題の解決につながる」、「そのためには資金の問題などで北朝鮮がここまでやられると困るほど事件化するのが有効だ」。商工会の事件はまさに後者の狙いがあったと伺えます。

 しかし、冷静に考えて欲しいのですが、警察の捜査は、あくまでも 「法と事実」 に基づいて行われるものです。

「北朝鮮に対する圧力を担うのが警察だ」と言うのは、あるいは「相手が困る事件を摘発することが拉致事件解決につながる」 などと言い放つのは、まるで「外交圧力のために警察権を行使する」と言っているに等しく、言わば一種の 「政治警察宣言」 です。

 今日いらっしゃっている民族派の方にも、公安警察が極めて政治的に動く事はご承知であると思います。この時は朝鮮総連がターゲットになりましたが、次はどこに向うのか分からない。警察が政治と密着して動くと、ターゲットにされた先は些細な事でも引っ掛けられてしまう。

これは北朝鮮に限った話ではない。この事は忘れてはならないと思います。

○「政体の番犬」公安警察の暴走

さて、そうした捜査をやっている最中、漆間さんは頻繁に官邸に行って安倍首相に会っていました。

安倍政権の一年だけをピックアップしても、少なくとも十一回は官邸を訪れた記録が残っています。歴代の長官でもここまで政権と密着した人はおりません。

 日本の警察は、戦前・戦中の警察が中央集権的な機構の下で暴走した反省の上に立ち、公安委員会制度を導入しています。

また、中央省庁でも警察庁だけは唯一、トップを政治家ではなく官僚が勤める事になっています。そして警察庁は国家公安委員会の管理に服さなければならないと定められており、警察庁トップである長官がしょっちゅう官邸に足を運ぶなどという振る舞いは避けるべきなのです。

警察は政治家を捜査をする事もあるし、暴力装置である機動隊も持っている。

例えば検事総長が首相官邸に頻繁に足を運び、首相と会っていたら大ひんしゅくを買うでしょう。しかし、漆間さんはそれを平気でやってのけた。

 最近の歴代長官が官邸を訪れた回数を調べると、多い人でも在任中に七、八回ほどです。

それが警察庁長官としての振るまいの品位、矜持だったと思いますが、漆間さんはそれを遥かに超えて首相と密着していた。

その挙句の果てに 「北朝鮮への圧力を担うのが警察だ」 と警察の本義を忘れるような事を言い放ち、実行してしまう。それで安倍さんのお気に入りになった訳です。

 知り合いの公安OBに聞くと、「警察と政治が無縁だった事など今まで一度もないが、警察と政治が取るべき距離はおのずとある。

しかし、漆間さんという方はそれが分かっていない」 と嘆いていました。

それほど常軌を逸していたし、一方で政権と蜜月関係を作っていた。

 そもそも漆間さんは長官になるような人物ではないとも言われていました。

彼の同期にはエースと言われた人が他にいましたが、体を壊して早期退職してしまった。漆間さんの長官就任はタナボタ的な面もあったようです。その上、現長官の吉村博人さんまでの「つなぎ役」と見られていたのですが、結果的に三年に渡る長期政権になった。

当時、警察内部では「漆間さんがいつまでも居座るから人事が滞留して困る」と幹部が露骨に愚痴を言っているほどだったそうです。

それもこれも全て安倍さんの言う通りにして、政権の意向におもねった政治的、恣意的な捜査を連発して安倍さんに可愛がられる様になったためです。

 そして警察庁長官退任後、約一年経って麻生政権の官房副長官に抜擢されました。

これも安倍さんの推挙があったためです。

また、もともと 「選挙管理内閣」 と言われた麻生政権は、選挙になった時、警察官僚出身の官房副長官がいれば、民主党に対する牽制にもなるし、また選挙関係の情報も入ってくるのではないか、という打算もあったかもしれません。

 しかし、現在官房副長官としての漆間さんの評判は最悪です。

霞ヶ関、永田町、また各社の記者に聞いても一人として良い評価を言う人はいない。

 言うまでもなく、事務担当の官房副長官は霞ヶ関官僚トップの地位になります。

過去に警察官僚から昇りつめた人は後藤田正晴さん、川島廣守さんがおり、漆間さんは川島さん以来三十二年ぶりの大抜擢でした。

しかし、全然役には立っていない。

例えば、定額給付金の問題などでは各省庁に政策課題がまたがっています。

本来は事務担当の官房副長官が省庁間の調整を行い、首相に対してアドバイスを行わなくてはいけない。

ところが、それが全然機能していない。ある霞ヶ関中堅官僚の話を聞くと、「漆間さんは麻生政権迷走の 『戦犯』 の一人だ」 と言っています。

そういう人間を重用し続けた安倍さんにしても「つくづく人を見る目がない」 という酷評を耳にします。

 この漆間さんの話は今月号の 『世界』 に寄稿しましたので、後は読んで頂ければと思います。

 余談になりますが昨年末、麻生首相が漆間さんに「北朝鮮との対話ルートを探れ」 という指示を出したそうです。

そして漆間さんは内調 (内閣情報調査室) を使って朝鮮総連に打診しますが、総連は「ふざけるな」と言って突っぱねたそうです。

あれだけ過去のでたらめな捜査でいじめられた当事者に「対話を」 と言われても応じる訳がないでしょう、と公安OBは苦笑していました。

 もう一つ、安倍政権時に官邸に立ち上げられた組織に「拉致問題対策本部」 があります。

本部長は首相、事務局長は漆間官房副長官。

また中山恭子拉致問題特別補佐官がおり、人員は四十人程で、外務、法務、文化、国税、公安調査庁、内閣調査室などの寄合い所帯です。

年間に六億円の予算を使っていますが、ご承知の通り現在は日朝交渉の展望が見えない状態です。

 それで 「対策本部」 が何をしているかと言うと、例えば昨年一二月4日~十日の人権週間に「必ず救い出す」 というメッセージを各新聞に広告として出したり、また一台二百万円もかけて宣伝用のトラックを製作し、街を走らせるなどというバカバカしいことをやっている。

先日、蓮池透さんと会う機会がありましたが、「そんなものに金を使うなら、帰ってきた家族のケアに使って欲しいし、もっと本気になって交渉ルートを探って欲しい」と言われていましたが、本当にその通りでしょう。このトラックは拉致問題対策本部の広報担当、制作企画室が外務省からの鶴の一声で制作したものでした。

 内情を聞くと、「拉致問題は完全に膠着状態になっているから、その中で政府が一生懸命やっているとアピールできるのは拉致被害者家族や国民に対してできるのは広報活動しかない」ということのようです。官僚組織というものは、一旦できてしまうと、何とかアピールするための仕事を作りだそうとする。
そんな典型的な状況を見ている感じます。

拉致問題はすべからくこうした状況に陥っています。

○【周辺四大国】に生きる者として日本人は覚醒すべき

 さて、先ほどもお話ししましたが、僕は通信社の特派員として五年近く韓国に暮らしました。日韓両国の歴史認識問題等々において僕は、どちらかというと韓国の立場に近い考えを持っているのですが、
そんな僕でも韓国に居る間には辟易する事がありました。

例えば竹島(韓国名・独島)問題にしても、日韓の間で騒ぎが起こると、韓国の有力テレビ局は竹島上空にヘリコプターを飛ばして、「ご覧下さい。我が独島には太極旗が翻っています。

ここがまごう事なき韓国の土地である証明ではないでしょうか、皆さん!」

なんて事を記者が絶叫調でレポートしている。バカバカしい、と思いつつも、扇情的なナショナリズムなどというものは、どの国でもメディアが煽るものだな、と思いました。

 しかし、日韓両国の間がきくしゃくするのは、両国関係の上に置いても、また地域の安全保障という観点から言っても、決して好ましくない。

かつて日韓関係がおかしくなった時には、これを調整するためにパイプが両国間には今よりも存在していました。

是非は別として、金大中政権まで韓国の大統領は皆日本語を話す事ができ、大統領はいずれも「日本通」でした。

また、韓国が軍事独裁政権の時代には、日本の保守政界、フィクサーと呼ばれるような暗部と太いパイプがあった。

これは「癒着」でもあり、大いに問題を孕んでましたが、それもなくなってしまった。

そして今、問題が起きても落とし所が見つけられないためにお互いに感情的になって亀裂が拡大し、収拾がつかなくなっている部分もある。

日韓両国は何とかして、もっと政治的なパイプを作らねばなりません。

 僕も多くの韓国人の友人、知人を持っています。

また余談かも知れませんが、僕の父は植民地支配下の韓国で幼少期を過ごしました。祖父が農水省の役人で、韓国南部の港町、麗水(ヨス)というところの水産研究所に勤務していたためです。その父が私の韓国駐在中、幼い頃を過ごした研究所や官舎を見たいと言い出し、一緒に現地まで行ったことがあります。

 しかし、「植民地支配した国の役人の息子が、かつて暮らした土地に行きたがっている」などと言えば、韓国の人は良い思いはしないでしょう。

僕は少々憂鬱な気分で、しかし親孝行という気持ちもあり、ダメ元で麗水の市役所に行ったのですが、
市役所の人たちは実に親切に対応してくれ、一生懸命に水産研究所や官舎のあった場所を探してくれました。

最後は車まで出してくれて、目的の土地まで行く事ができました。

幼少期を過ごした官舎や研究所の跡地を見つけ出し、涙ぐんでいた父に対し、市役所の方々もうれしそうに「良かったですね」と言ってくれた。

本当に恐縮すると共に感激しました。そんな思い出があります。

 北朝鮮もそうです。ここであまり詳しい話をすることができないのは残念なのですが、取材で北朝鮮に入ったとき、現地で何人もの温かい人たちに接しました。

当たり前の話ですが、独裁政権の圧政に苦しみながらも、ナマの人間が暮らしているのです。

そんな人々が生を紡ぐ地に、二度と惨禍をもたらすわけにはいかない。

 その朝鮮半島では、金大中と廬武鉉・両大統領期の韓国が南北対話・対北融和政策を取り、日本ではこれを「左翼政権による親北政策」だという見方が罷り通っていました。もちろん、そうした面がないとはいいませんが、韓国に住んでいた僕から見れば、「親北左翼」というよりむしろ、「生活保守」的な色彩が強かったのではないかと思います。

 今や韓国は先進国並みの繁栄を享受しています。その韓国にとって、南北間で有事が起きることは言うまでもなく、北朝鮮が急激に不安定化することすらも絶対に避けたい事態です。

韓国の試算によれば、いま北が崩壊して南北統一することになれば、韓国の経済は完全に破綻するだろうと見られています。

 しかし、いずれ北朝鮮が崩壊するのは避けられないでしょう。

ならば韓国の人にとって選べる手段は限定される。

北朝鮮と対話・交流を続けながら、できるだけ穏やかに改革・開放とへと導き、最終的には何としても軟着陸させたいーー

それが対話路線を支持する韓国世論の根底にあるのではないでしょうか。

逆に日本で勇ましく「北朝鮮に圧力をかけろ」「金正日政権を崩壊させと」と言っている方が、よっぽど「進歩派」といいますが、ひどい「過激派」に見えてくるのです。

 私たちはもっと冷静に、そして複眼的な視座から物事を見るべきだと思います。
例えば『月刊日本』の昨年八月号には、早期に日朝国交正常化を目指すべきだという特集が載っていました。 

 僕も日朝の国交正常化は早期に成し遂げるべきだと思いますし、幣会の木村代表も「戦略的思考としての日朝国交樹立」という優れた論文を寄稿されてましたが、この特集の中で『月刊日本』の山浦嘉久論説委員が「旧宗主国としての覚醒を」という記事を書いています。

僕はこの「旧宗主国」という観点に加えて、「大国としての覚醒」と付け加えたいと思います。

 韓国のメディア報道や論文を読むと、「周辺四大国」という言葉が頻繁に出てきます。

四大国とは即ち日本、中国、アメリカ、ロシアです。

日本側から朝鮮半島側を眺めますと、目の前に韓国、そして北朝鮮があり、背後にロシア、中国が控えているという図式になりますが、一方で朝鮮半島から見るならば、周辺を日・中・米・露という四大国に取り囲まれている絵図になるのです。

 この四大国のパワーゲームの結節点となる位置に朝鮮半島は置かれてきました。そのパワーゲームの当事者として日本か過去に朝鮮半島を植民にし、その後には米ソ冷戦の最前線として半島全土が廃墟となるような戦争まで繰り広げられたわけです。

 現在も朝鮮半島から見れば、日本は間違いなく強大な「大国」です。

周辺を取り囲む「周辺四大国」の一つなのです。

そして、かつて半島を植民支配した「大国」に暮らす我々は、半島の地に暮らす人たち -僕の友人や知人はもちろんですが-に、二度と凄惨な厄災をもたらせたいよう必死で知恵を絞り、真摯に振る舞う責務があるのではないでしょうか。

 日本と韓国の二国間関係を見れば、政治体制や社会的な価値観を同じくする両国は、貿易相手としても切っても切れない仲にある。

「嫌韓」などというバカなことを言っている場合ではないのです。

傲慢な意味でなく、我々は「大国」に暮らす者としもっと鷹揚に、そしてもっと真摯に朝鮮半島に向き合わねばならないと思うのです(了)

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私達は今、冷静に物事を見そして判断をしなければならないのではないだろうか。

by 呑ん兵衛