2012年4月2日月曜日

飯田 哲也 論文

歪められた「自然エネルギー促進法」

 ― 日本のエネルギー政策決定プロセスの実相と課題― 飯田 哲也( 自然エネルギー促進法推進ネットワーク代表) 1998 年に始まった「自然エネルギー促進法」の法制化を目指す市民運動は、2002 年5 月31日の参議院本会議で政府提案による「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」(以下、「新エネ利用特措法」)が成立したことで、一応の区切りを迎えた。 過去3年間余りに及ぶ「自然エネルギー市民立法」は、超党派の国会議員約250 名からなる自然エネルギー議員連盟と連携しつつ、エネルギー政策ではもちろん、環境政策としても、一時は大きな運動に成長した。 しばしば「鉄の三角形」と形容される政・官・業からなる「旧い政治ネットワーク」が完全に支配してきた日本のエネルギー政策に対して環境NPO が大きな影響力を持ち得たケースとしては、例外的といってもよいと思われる。 その「自然エネルギー市民立法」を通して、何が達成され、残された課題は何か。グリーン電力制度の登場なども視野にいれ、ここ数年間にわたる自然エネルギーを巡る市民運動を、自然エネルギー促進運動の中心的な立場にあった当事者の視点から検証を試みた。 キーワード:市民立法、新エネ利用特措法、政治ネットワーク、官僚政治、「専門家」の政治性 1 .「自然エネルギー促進法」とは 本稿でいう「自然エネルギー促進法」とは、われわれ市民運動が提案した法案、およびそれを原型とする自然エネルギー議員連盟による法案を指している。これは、一定の価格で自然エネルギー( 風力、太陽光、バイオマス、小水力など1)からの電気の買取りを電力会社に義務付けるもので、ドイツが1990 年に導入した「電力供給法」2を参考にしたものである。 ここで簡単に欧州における自然エネルギー政策の展開について触れておく。 1980 年代以来、風力発電の開発と普及ではデンマークが常に先頭に立ってきたが、ドイツの風力発電は、電力供給法を施行するや、風力発電機の技術的な進展も相俟って著しい成長を見せている。「持続可能なエネルギー」としての自然エネルギーそのものへの高い関心と支持に加えて、1990 年代に国際政治の中心的なアジェンダへと浮上した気候変動問題を背景に、デンマーク( 1992 年)やスペイン(1994 年)をはじめとして、ドイツに倣った法や協定が欧州各国で整備されていった。 その結果、普及が停滞していた米国に代わって欧州は風力発電に関する「世界の普及中心」となる一方で、風力発電も欧州の政策に支援されて、1990 年代を通してもっとも成長した電源となり、今日も成長し続けている。 1990 年代後半になって、自然エネルギー普及制度の研究も進み、「クォータ制度」ないしは「R P S 制度」と呼ばれる制度が提案されるようになってきた。これは、電力供給の中で自然エネルギーに一定割合を与えるもので、「自然エネルギーの証書」の流通を用いることで、自然エネルギーの普及にも競争や市場メカニズムを働かせ、費用効率性を達成しようとする制度である。 「固定価格制度」に分類されるドイツ型の制度に対して、「固定枠制度」に分類されるこれらの制度は、その後、欧州で政策選択を巡って激しい争点となった(Haas,2001)。 欧州委員会は、地球温暖化防止京都会議の始まる直前の1997 年11 月に「欧州自然エネルギー白書」を公表し、域内の自然エネルギー供給を倍増させる方針を表明していた。その後、これを「指令」として 発効させる上で、欧州委員会内部では「クォータ制度」への統一が有力であった。欧州域内で の自然エネルギー資源の地域差を越えて、目標値を費用効率的に、しかも確実に達成できる制 度と判断されたからである。この提案はドイツや環境NGO から激しい反発と論争を呼び、結局、 2001 年9 月に発効した「欧州自然エネルギー指令」では、各国ごとに目標値は与えるものの、 それを達成する政策措置は各国に委ねられることとなった。ちなみに、英国、オランダなど現 在7 カ国が「クォータ制度」をすでに導入ないしは導入予定であるが3、風力発電普及量では固 定価格制度を持つドイツ、スペインが累積でも各年でももっとも大きい(AWEA,2002)4。 2 . 自然エネルギー促進法」市民立法前史 「自然エネルギー促進法」へと繋がる市民運動の中で、筆者が直接関わってきたものに「市 民フォーラム2001」がある。同団体は、1992 年6 月の地球サミットに参加した市民団体を中心 に、「対立から対話へ」というテーマを掲げて1993 年に開催したシンポジウムを契機として発 足した。同シンポジウムの「エネルギー分科会」の関係者が中心となって発足した研究会の一 つに「2001 エネルギー研究会」があり、筆者自身もそこへの参加がNGO 活動の出発点となった。 2001 エネルギー研究会は、脱原発をほぼ共通の価値感としながらも、活動の中心は「代替エ ネルギー政策」にあった。その2001 エネルギー研究会が取り組んだもっとも大きな活動が、1996 年春から2 回にわたって開催した「市民によるエネルギー円卓会議」であった。「円卓会議」に は、高木仁三郎原子力資料情報室代表やグリーンピースジャパンなど、反原発に関しては代表 的な市民運動が参加するだけでなく、茅陽一慶応大教授(当時)を筆頭にエネルギー関連審議会 で常連の専門家や、東京電力の取締役や新日鉄等産業界の幹部や通産省(当時)が出席するなど、 原子力やエネルギー政策を巡って鋭く対立していた顔ぶれが揃った。そこで原子力という対立 点をあえて外し、エネルギー政策全体を論点として議論を進めた結果、(1)自然エネルギーの促 進、(2)省エネルギーの促進、(3)エネルギー政策決定プロセスの公開という3 点は一定の合意 を見た。おそらくこの「円卓会議」の意味は、代替エネルギー政策に関わる人的ネットワーク が、従来からの市民運動の枠を越えて広がったことであろう。後の自然エネルギー促進法市民 立法でも、この「円卓会議」の参加者が主要なメンバーとして関わっている。 また、円卓会議の直後、「円卓会議」に参加していた勝俣東京電力取締役(当時)から「円卓会 議」の主催者であった筆者あてに、市民フォーラム2001 と協力して自然エネルギー普及のプロ ジェクトを進めたいとの呼びかけがあり、これがその後3 年間にわたる東京電力とのコラボレ ーションへとつながり、さらにグリーン電力( 基金および証書) に発展する芽となっている。 「円卓会議」の後、筆者は、1996 年から1998 年にかけて欧州に研究滞在し、欧州の自然エ ネルギー政策の発展やドイツを筆頭とする爆発的な自然エネルギー普及の状況を目の当たりに Page 3 して、1998 年に帰国した。その頃ちょうど参議院議員に初当選した福島瑞穂氏のもとに数名の エネルギー・原子力関連の市民団体関係者が集まり、今後のエネルギー政策を検討する会合を 持ち、その中からドイツ型の「自然エネルギー促進法」を進めていく戦略が誕生した。 ただし政治的な広がりを期待して、反原発運動や環境保護主義、あるいや左翼活動といった、 自然エネルギーに対する従来からのバイアスで見られることを避けるために、(1)環境よりも経 済的便益を強調、(2)原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、とい う3 点を運動の基本戦略におくことを合意した。 当時の日本では、米国カリフォルニア州で1980 年代に風力発電が成長するきっかけとなった 1978 年の公益事業規制法やドイツの「アーヘンモデル」5などの情報が散発的に伝えられてい たが、欧州の自然エネルギー政策の急速な発展が日本の専門家にはあまり認知されていなかっ たことが、「自然エネルギー促進法」のキャンペーンを急速に広める追い風となった。後述する ように、いわば、日本のエネルギー政策の空隙を衝くかたちであったと考えられる。 「自然エネルギー促進法」の運動の特徴は、1998 年に活動を開始した当初から議員立法を目 標に据えて、市民運動と政治( 国会議員) が、二人三脚ともいえる緊密なパートナーシップの もとで進められてきたことである。福島瑞穂議員と相談しつつ、まずは各政党で協力してくれ る国会議員に声をかけていった。加藤修一議員( 公明党)、佐藤謙一郎議員( 民主党)、河野太 郎議員( 自民党)、そして愛知和男議員( 自民党)と、ほぼその後のコアメンバーが揃った1999 年1 月からは、超党派の国会議員を対象とする月1 回の勉強会を超党派の国会議員の呼びかけ という形で開催し、われわれ市民運動が講師手配や運営面で協力する形をとった。 市民運動サイドでは、これを目に見える一つの「運動」のかたちとするべく、1999 年1 月頃 から協議を重ね、最終的に1999 年5 月、「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク( GEN)の 設立総会を行い、同日発足した。 このころ北海道電力では、前年に公表した「商業用風力発電用長期購入メニュー」によって 一挙に55 万キロワットもの風力発電の構想が浮上し、これをすべて長期購入メニューで契約す ると100 億円もの費用支出になることが懸念された。そのため1999 年6 月に「系統の制約」を 理由として、合計で15 万キロワットの風力発電に対する導入制限を設けると公表した。この問 題を加藤修一議員が国会で質問し、通産省(当時)として、欧州への調査団の派遣など、真正面 からの対応を余儀なくするきっかけとなった6。 国会議員サイドでも、議員連盟立ち上げの気運が高まっており、1999 年9 月3 日に当時ほぼ 完成していた北海道苫前町の風力発電群の視察を超党派で呼びかけることとなった。「呼びかけ 人」には、愛知和男議員や自民党商工族の実力者である梶山静六議員など自民党の実力者をは じめ、30 名の超党派の国会議員が顔を並べた7。当日の視察には愛知和男議員をはじめ10 名の 国会議員が参加した他、北海道電力や資源エネルギー庁も参加した。視察の後、現地で「自然 エネルギー促進議員連盟設立準備会合」も行われ、引き続いて、GEN 主催による「自然エネル ギー円卓会議」も行われた。その後、11 月24 日には参議院議員会館で「自然エネルギー促進 議員連盟」の設立総会が開催され、当日申し込みを含めて257 名が参加をする最大規模の議員 連盟が誕生した。これには、視察直後の9 月30 日に東海村臨界事故が発生したことも追い風に Page 4 はなったと思われるが、やはり苫前町への風力発電視察の呼びかけ人が実質的に議員連盟への 呼びかけ人となり、与野党の議員に雪崩現象での参加を促したことが大きいものと思われる。 総会で、愛知和男議員を会長に、加藤修一議員を事務局長に選出した議員連盟では、その後、 毎週の勉強会を重ねるとともに、法制化ワーキングチームを発足させ、法案化への検討を重ね ていった。この間GEN は、会合への参加のみならず、勉強会講師の手配から法案に対する技術 的検討まで、全面的に支援する体制を取った。こうして、2000 年4 月★ 日の総会では法案が了 承され、その後は各党での手続きに移ることが確認された。 こうして急速に大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対して、資源エネルギー庁 と自民党原子力族はそれぞれ強い危機感を募らせていた。資源エネルギー庁の危機感は、エネ ルギー政策の主導権を国会に奪われる懸念であり、その後、通産省は1999 年12 月に総合エネ ルギー調査会新エネルギー部会を発足させ、議員連盟に対する中心的なアドバイザーであった 筆者も委員として招聘された。 一方、自民党電源立地族や民主党電力総連族らからなる「原子力族」は、1999 年9 月30 日 に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したうえに、その後、 2000 年2 月24 日に、北川正恭三重県知事が芦浜原発候補地に対する白紙撤回を表明したこと を契機として、新潟県選出の桜井新議員や電力会社出身の加納時男議員が軸となって「原発促 進法」(原発立地地域振興に関する特別措置法)の検討が自民党内部で始まる。これは電源開発 特別会計だけでなく一般会計からも、原発周辺地域にさらなるバラマキを行うもので、「議員立 法」という手法において「自然エネルギー促進法」に追随したものであり、また電源開発特別 会計という財源を巡る対抗策でもあった。 とりわけ「原発促進法」の中心を担った桜井新議員は当時、自民党政策調査会の副会長であ り、「原発促進法」の党内手続きを優先的に進める反面、「自然エネルギー促進法」の党内手続 きを徹底的に拒否した。このため、愛知議員と桜井議員は当時口も訊かない関係となり、両法 案とも行き詰まったまま、2000 年6 月の衆議院解散総選挙を迎えた。そして皮肉なことに、両 氏ともに落選し、両法案の活動はいったん停滞することとなった。 3 .「旧い政治コミュニティ」からの反抗 3 . 1 官僚の玩具にされたグリーン電力 一方、資源エネルギー庁公益事業部が電力会社と謀って進めてきた「自然エネルギー促進法」 への対抗策は、グリーン電力基金と組み合わせた競争入札の導入である。1999 年末頃には、東 京電力と市民フォーラム2001 との3 年間にわたるコラボレーションの終了を目前にして、次の プログラムの議論が始まっていた。そこでは、すでに生活クラブ生協が北海道電力の協力を得 て開始していたグリーン電気料金が有力な選択肢としてあがっており、新聞報道も行われた8。 しかし、その新聞報道を契機に、グリーン電気料金の議論の場は、東京電力と環境NGO から、 電気事業連合会と公益事業部との協議へと全く変わってしまった。 すなわち、公益事業部はグリーン電力を「自然エネルギー促進法」への対抗策に仕立てよう と考え、(1)東京電力1 社ではなく電力会社10 社が一斉に導入すること、(2)その基金の一部を Page 5 「全国運用分」として拠出し、風力発電等の負担の大きな電力会社を支援すること、(3)風力発 電等が過剰に集中しないよう、「枠」と競争入札を導入すること、という指導を行った。これは 電力会社にとっては、買取り義務などの規制ではなく自主的に行えることや、北海道電力が「15 万キロワット枠」を発表してから風力発電が集中し始めていた東北電力に導入制限や競争入札 を導入する大義名分を得られることから、悪い話ではなかった。こうして、2000 年7 月14 日 の新エネルギー部会の場で、電力会社を代表して勝俣恒久委員( 東京電力) が「グリーン電力 基金」とそれに組み合わせて風力発電に対する競争入札の導入を秋から実施すること公表した9。 北海道電力や東北電力に風力発電が集中することによる費用負担は、本来、公共政策として 公平な負担と分配を考えるべきであり、グリーン電力基金として一部の善意の人々が拠出した 費用を充てることは、道義的にも仕組みとしても根本的に間違っており、公共政策とグリーン 電力の両面を歪める懸念がある。事実、2002 年時点でどの電力会社のグリーン電力基金も加入 者は行き詰まっており、東北電力の負担を賄うにはあまりに金額が小さく、明らかに破綻して いる1 0。その後、議員連盟が橋本龍太郎議員を新会長に選出して活動を再開するのを見て、公 益事業部と電力会社の本来の狙いであった「自然エネルギー促進法」への対抗策としても、失 敗であったとの評価がされたという。 ところが新エネルギー部会では、その提案の本質的な問題点である基金の使途や競争入札の 問題を「緑の衣を着た鎧」であると指摘したのは筆者のみであり、他は「グリーン電力基金」 を賞賛する声一色であった。いかに審議会委員が本質的、制度的な議論ができないか( あるい は避けたか) を象徴する会合であった。 なお、7 月15 日の新エネルギー部会で勝俣委員は、もう一つのプログラムである「グリーン 電力証書」も発表している。これは、実質的に東京電力と環境NGO( 市民フォーラム2001) の コラボレーションを後継するプロジェクトとして、環境NGO とのパートナーシップのもとで生 み出された本来のグリーン電力に近い制度である1 1。ところが資源エネルギー庁は、導入を狙 うRPS と類似の「グリーン証書」とのシステム上の競合を嫌い、意図的に無視する姿勢をとっ ている。 3 . 2 再び、原発促進法vs 自然エネルギー促進法 2000 年6 月の総選挙で会長の愛知和男議員が落選した自然エネルギー議員連盟では、8 月★ 日の総会で後任に橋本龍太郎議員を選出し、活動を再開した。事務局は、橋本氏を立てること で通産省や自民党通産族を抑えることができるとの期待があったが、これは見事に裏切られる ことになる。「自然エネルギー促進法議連案」は愛知前会長の下で4 月の総会で確認されていた が、橋本新会長は改めて独自案を検討し始めた。とくに9 月に開催された議連総会以降、法案 の検討は完全に自民党の中に閉じ、野党やGEN にもいっさい状況が聞こえてこない状況が続き、 ようやく10 月末に河野太郎議員のメールマガジンで、買取の規定もランニング補助もない骨抜 きにされた自然エネルギー促進法案の検討状況が明らかとなった(河野,2000)1 2。 その間に原発促進法は、桜井新議員に代わって島根県選出の細田博之衆議員議員が中心とな り、甘利議員と加納議員のもとで再び動き始めた。すでに同法案が自民党内の手続きを終えて Page 6 いることから、与党3 党の合意取り付けが行われ、3 党を共同提案者として衆議院商工委員会 に持ち込まれようとしていた。11 月になると、骨抜きの自然エネルギー促進法と抱き合わせで 原発促進法を通過させる動きが伝えられた。ところが折からの「加藤の乱」が始まり、橋本会 長の下での「自然エネルギー促進法案」の見直し作業は中断するが、すでに政治手続きに乗っ ている原発促進法だけは、11 月末までの臨時国会会期中に成立するぎりぎりのタイミングで成 立に向けて動きだした。途中、新潟県刈羽村の生涯学習センター「ラピカ」建設を巡る不正疑 惑などがあったものの、マスコミの動きも鈍く、最終日の11 月30 日に成立をした。 3 . 3 RPS に追い込んだ新エネルギー部 2000 年の間は、マスコミへのリークを通じてアドバルーン1 3を揚げる他は、公益事業部( 当 時)の影で控えめにしていた石炭・新エネルギー部( 当時)だが、2001 年になるとRPS に向け て新エネルギー部会での議論を急速に集約しはじめた。これには、公益事業部の「対案」であ ったグリーン電力の導入が決まっても、議連対抗策にならないことがはっきりしたことに加え て、省庁再編に伴う人事異動で両部の間でのパワーバランスが微妙に変わったこともある1 4。 新エネルギー部会では、あたかもRPS が政策上優位であるかのような印象を与える、意図的 に混乱した政策の選択肢を提示して1 5、強硬に反対すると見られていた電力会社を囲い込むた めに、筆者を含めて事前に各委員が呼ばれてRPS への意見集約が図られた。 相当強引な意見集約が図られたことは直接体験するだけでなく間接的にも耳にしているが、 ドイツ型の制度を目指すGEN の代表である筆者と、資源エネルギー庁にとって政策上の最大の 協議相手である電力会社がRPS 一本化には強行に反対したため、最終的にまとまった新エネル ギー部会の報告書( 2001 年6 月22 日)では、RPS は選択肢の一つとして例示されるにとどまっ た(経済産業省資源エネルギー庁,2001)。 この間、政治サイドでは3 つの動きがあった。橋本会長の下で身動きの取れない議員連盟は、 再び気運を盛り上げるための勉強会を2 月に再スタートさせたが、法制化は橋本会長が引き取 っていたことと、事務局長の加藤修一議員が自身の参議院選挙(2001 年7 月)のために身動きが 取れず、踏み込んだ検討をするには至らなかった。しかし、野沢太三議員と木村仁議員が中心 となって、自民党内部で6 月までに買取り約款とランニング補助を復活させた「橋本試案プラ ス」の検討が進められていたことが河野太郎議員のメールマガジンで明らかとなり、議連の新 しい統合案への気運が改めて高まった1 6。 他方、森政権( 当時) の不人気に乗じて攻勢をかけたい民主党も、橋本会長の下で身動きの 取れない議員連盟に対して、自然エネルギーを政策の対立軸の一つにするべく2001 年3 月に自 然エネルギー議員の会を開催した。その活動自体は小泉政権の誕生で頓挫したが、民主党の中 で電力総連派の議員と環境派の議員で合意案作成を行う足場になった。その後民主党でも、電 力総連の意向を汲んで競争入札の要素を取り入れ、従来からの固定価格の要素も併せ持った合 意案を6 月までにまとめた。7 月の参議院選挙後、8 月9 日の総会でこれら両案が紹介され、 その後の議連統合案作成のベースとなった。 一方、与党は、2001 年4 月に「与党自然エネルギープロジェクトチーム」( 以下、「与党自然 Page 7 エネPT」) を発足させている。座長には甘利議員が座り、原子力族の加納時男議員から自然エ ネルギー議連の加藤修一議員が座っていた。これは、野党の動きへの対抗であるとともに、RPS に対して与党内での合意形成を作りたい経済産業省の働きかけによるものである。本来、米国 や欧州に見られるRPS は、基本的に環境派や自然エネルギー事業者が支持する政策の一つであ ることを考えれば、原子力族を中心とする自民党の「エネルギー守旧派」が中心を占める与党 自然エネPT の提案がRPS に一本化されたことは一見、奇妙に見える。その裏にあるのは、与党 自然エネPT で草案段階で提案されたNPS( 非化石エネルギー . . . . . . . . ポートフォリオスタンダード)、 すなわち実質的には「原子力ポートフォリオスタンダード」である。これは、RPS( 再生可能エ . . . . . ネルギー . . . . ポートフォリオスタンダード) と同じ仕組みを利用して、一定比率の自然エネルギー ではなく、一定比率の非化石エネルギーもしくは原子力を供給することを電気事業者に義務づ けるという考えである。このNPS を主張する加納時男議員と固定価格買取制度に基づく議連の 法案を主張する加藤修一議員が真正面から対立し、最後の中間報告では本来の「RPS」に落ち着 いた1 7。経済産業省の内部でも、新エネルギー部が公益事業部など資源エネルギー庁内をRPS でまとめるために、同じ論理を利用したことも伝えられている。資源エネルギー庁は、この与 党自然エネPT によって、RPS に関する与党合意を取り付けるとともに、議連事務局長である加 藤修一議員を与党自然エネPT に加えたことで、RPS に対抗する議連の動きをある程度封じるこ とに成功したといえる。 4 . 自然エネルギー促進法から新エネRPS 法へ 4 . 1 RPS 一本化へ 新エネルギー部会でRPS への一本化に失敗した資源エネルギー庁は、8 月9 日の自然エネル ギー議連総会で橋本会長から政府法案の提出を念押しされ、法制化に向けてなりふり構わない 姿勢をとった。直前に、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」)を立ち上げ、7 月31 日から11 月までのわずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報告が取りまとめられた。しか もその間、制度間の比較はおろか、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い等、重要な論点は ほとんど積み残したままの粗雑な検討で、証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲 線を非公開のまま、わずか2 度実施しただけであった。 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が 小委員会委員を兼任するのに対して、筆者は小委員会委員から外され、しかも発言すらさせな いという露骨な「飯田外し」の小委員会運営であった。 これに対してGEN は、「自然エネルギー市民委員会」を立ち上げ、政府案の検証を試みた。と くに焦点となったのは証書取引のシミュレーションであり、費用供給曲線や現実に想定される 廃プラスチック発電事業者を独自調査した結果、経済産業省とはまったく異なる結果が得られ、 「新エネルギー」のほとんどを廃棄物発電が占め、国内の二酸化炭素排出量も「新エネルギー」 対象分だけで最大2 % もの増大をする懸念が予見された(飯田、2002)。 「小委員会報告」を審議するために2001 年12 月18 日に開催された「新エネルギー部会」で は、こうした懸念も含めて異論が続出し、筆者も最後まで承認できないと粘ったが、柏木部会 Page 8 長と事務局は「基本線は了解された」として強引に幕引きをした。もともと小委員会の設置は 「専門的な見地から政策の選択肢を検討する」と説明され、あくまでその判断は「新エネルギ ー部会」にあるはずだが、実態は、小委員会はRPS ありきで議論されただけではなく、対象に 廃棄物を加えるかどうか、証書市場の設計などの本質的な論点も事務局( 資源エネルギー庁) が委員からの異論を捌くだけで終始し、まったくまともな研究も議論も行われていない。その 後、前記の新エネルギー部会も、単に報告書を受け取る「儀式」と化した。すなわち、明らか にこの小委員会は、官僚が思うように運営できなくなった新エネルギー部会をバイパスして、 新しい「自己正当化装置」として設置され、機能したといえる。 4 . 2 新エネRPS 法の成立過程 新エネルギー部会という「儀式」を終えてからは、経済産業省の作業は完全に水面下に入り、 状況がまったく聞こえてこない状態が続いた。その後、新しい法案の概要が明らかになるのは 2 月半ばを過ぎて、経済産業省と各省との協議、ならびに与党への説明が始まってからであっ た。ここで明らかになった法案は、(1)証書取引きの欠落、(2)新エネ事業者の自由な取引行為 が困難であるなどRPS としての基本的な要件を欠き、12 月の新エネルギー部会で強引に引き取 られたときに約束された「基本線」すら満たしていない法案であった。 しかも、経済産業省による本法案の説明は、地球温暖化に関して詐欺的ともいえる対応に終 始した。小泉首相の施政方針演説でも地球温暖化に関連して本法案に触れ、説明資料でも第2 番目の目的に地球温暖化を掲げながら、法案の本文には当初いっさい「環境」の文字はなかっ た。本法案の対象に廃棄物を無制限に加えることで、国内の二酸化炭素の排出量が最大2 パー セントも増大する懸念があった。しかも、バイオマスや廃棄物など他省庁に関わる事項が多い 法案であるにもかかわらず、経済産業省単独で所管をする法案となっていることで、他省庁協 議や与党内の協議でも異論が示され、とりわけ廃棄物発電の扱いを巡ってはぎりぎりまで扱い を巡って協議され、閣議決定も当初日程からは延長されたものの3 月15 日には閣議決定された 1 8。なお、「環境」に関しては目的を微修正して追加されたものの、最後まで「地球温暖化」の 文言は入らず、これには環境省をエネルギー政策に立ち入らせないという、経済産業省の強い 意思が明らかだった。 この間、議員連盟は夏から作業を進めてきた「橋本試案」と「民主党案」とを統合した「議 連統合案」を策定し、公表すべく準備を進めていたが、橋本会長が政府案に対する対抗案とな る「議連統合案」のみを単独で公表することを拒否したために、2001 年中に総会を開催するこ とができなかった。このため議連では、年明けから「RPS 議連案」の対抗案づくりを急ぎ、よ うやく橋本会長の了解の取れた2 月13 日に総会が開催された。総会では、固定価格買取に基づ く新しい「議連統合案」と政府への助言を意図した「RPS 議連案」の2 つが提示され、承認と も報告とも判断の付かない進行であった。しかも橋本会長から直々に、当日出席していた河野 新エネルギー部長に手渡すセレモニーも演出された。ところがこのときはすでに経済産業省は 内閣法制局と綿密に調整した法案を固めた後であり、セレモニーは文字通りセレモニーにすぎ なかった。 Page 9 閣議決定後は衆議院そして参議院での与野党の攻防となるが、国会の日程や与野党の勢力か ら考えて、本法案の場合は成立の可否というよりも、どれだけの修正ないしは答弁が「取れる か」の条件闘争と考えられた。対案提出か、修正案かの選択をまず民主党内で協議した結果、 対案提出の方向でまとまり、共産党も含めて各野党( 民主党、社民党、自由党、共産党) の各 担当および幹事長レベルで確認が取られた。ところが、ここでその後の民主党内での「足並み の乱れ」のために、衆議院は無風通過に近い状況となった。野党対案が形式的にも委員会で審 議されるためには、政府提出法案の「吊しが降りる」1 9前に提出する必要があるが、民主党内 で最終的に対案提出を確認するまえに、政府提出法案の吊しが降りてしまった( 4 月17 日)。 これで野党提出法案は提出しても逆に「吊されたまま」となり、ほとんど意味をなさなくなる ことが決まった。そうすると今度は逆に、「共産党外し」を狙って野党対抗法案の提出へと民主 党が急いだ。翌週の23 日には筆者を含めた参考人招致が行われたが、同日のうちに民主党から 「付帯決議案」が提示され、協議が始まった。「付帯決議案」を出すと言うことは、もはや法案 修正要求もせず、無傷での衆議院通過を確約することを意味していた。本法は、廃棄物などを はじめ追求すべき「穴」は多く、また第154 回通常国会の目玉の一つであった京都議定書批准 の担保法ではないために急ぐ必要はけっしてなかったにもかかわらず、あたかも、連休に入る 前の4 月26 日の本会議で衆議院通過をさせるために、民主党が自ら与党法案の可決を急いでい るかのような印象を受けた。こうした民主党の一連の不思議な行動は、当該国会( 第154 回通 常国会) で見ると、衆議院経済産業委員会の民主党筆頭理事である田中慶秋議員が大きな役割 を果たしたと伝えられている。しかし今回のケースにとどまらず、民主党の構造的な問題でも ある。エネルギー政策や環境政策を巡る考え方で党内が「三つ又」( 環境派、電力総連派、経済 産業派)に分裂し、党内組織でもNC(ネクスト・キャビネット)の経済産業委員会で電力総連派 と経済産業派が優位であり、しかも衆参両院の経済産業委員会の理事を電力総連派と経済産業 派が占めている。こうして最大野党の環境政策やエネルギー政策は、自民党とそれほど変わら ない旧い政治コミュニティの影響下にある。 参議院ではもはや条文修正の可能性もなく、参考人招致すら行われず、わずか1 日の委員会 審議ののち、5 月31 日の参議院本会議で新エネRPS 法は成立した。 5 . 露呈した「エネルギー政治」の実相 5 . 1 自然エネルギー政策という「空白」 最終的には政府( 官僚) 立法に逆転されたとはいえ、市民運動や政治が大きくエネルギー政 策プロセスに食い込むことができた要因の一つに、日本の自然エネルギー政策が、とりわけ電 力分野において、ほとんど「空白」であったことが指摘できる。もちろん日本政府も、住宅用 太陽光発電に対する設置補助に代表される補助金や、主に新産業新エネルギー・産業技術総合 開発機構 (NEDO)を介した研究開発を中心に、一定の自然エネルギー普及政策には取り組んでい た。しかしながら、1990 年代に欧州を中心に大きく発展した経済的手法を活用した自然エネル ギー政策の展開からは、政策面でも研究面でも大きく立ち後れていた。 これにはいくつかの原因が考えられるが、第1 に、経済産業省と電力会社による、政治的駆 Page 10 け引きに基づく共犯関係のもとで自然エネルギー政策が行われてきたことである。つまり、太 陽光発電や風力発電は、政府が補助金を出し、電力会社が「余剰電力購入メニュー」2 0という 自主的な取り組みを行うことでかろうじて一定の普及が進んできた。ここには、( とりわけ経済 産業官僚の姿勢として) 公共目的のために公共政策を改善したり、革新していくという姿勢は なく、むしろ「予想外」に普及の進んだ風力発電に対して、なし崩しにメニューを変えていく 電力会社の姿勢を放任してきた。 第2 に、経済産業省内部の縦割り構造とその間の力学を指摘できる。資源エネルギー庁の中 で、自然エネルギー普及政策は新エネルギー部の所管であり、電力に関わる施策は電力ガスユ ニットの所管である。複数部署にまたがる施策は、ユニット調整会議等を通じて、形式的には 調整が図られる(城山,1999,城山,2002)。とはいえ、予算面や法令面での歪みや矛盾のチェック が中心であり、施策は基本的に「原課」単位で検討、提案されるため、両部署にまたがって機 能する総合的な政策措置は考えにくい。その上、両部署の力学では電力ガスユニットが「上」 であるため、新エネルギー部を原課として電力会社に関わる新たな規制や施策を提案すること はきわめて困難であったことが推察される2 1。これに対して補助金であれば、「原課」単位の裁 量で実施できるだけでなく、官僚個人も組織( 原課) も権限の拡大ないしは維持につながり、 正当化しやすい。その意味において、今回の法案は新エネルギー部にとっては原課の権限を越 える「画期的」な側面もあるが、その理由は後ほど検討したい。 第3 に、政治的なアジェンダや政策のプライオリティから見て、自然エネルギーの位置づけ が極端に低かったことを指摘できる。予算面で見ても、新エネルギー関連予算は、近年急増し ているとはいえ、原子力関係予算に比べると圧倒的な劣位に置かれてきた。政治的に見ても、 原子力や電力、石油などには、立地市町村とそこを基盤とする国会議員のように、その事業を 巡って流通する電源開発促進特別会計など特定財源などを介して形成されている既得権益を持 つ立地地域や原子力族議員、原子力産業界などの関係当事者と経済産業官僚との間に、緊密な 政策コミュニティが築かれている。これに対して、自然エネルギーの政策コミュニティは、あ きらかに貧弱であった。 5 . 2 議員連盟と環境NGO「GEN」の協働 自然エネルギー促進法を巡って、政治と環境NGO であるGEN との協力関係は、公式には自然 エネルギー促進議員連盟を通して行われた。とくに、エネルギー促進法と超党派の議員の参加 により設立された議員連盟は、梶原静六を筆頭に自民党商工族大物の加わった、これまでにあ まり例を見ない政治協力として発足した。このことが、少なくとも設立初期には、通産省( 当 時)が警戒し、「官」の支配するエネルギー政策への対抗力として議員連盟が機能した源泉とな っていたといえる。 一方、環境NGO のネットワークとして成立した「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク は、各党の議員や議員秘書では「党」が壁となって広げにくい状況を補完して、当初から議員 連盟の設立に向けて党派を超えて説明を行うなど、党派性を持たないロビーイング組織として 機能した。また、そのネットワークを生かして議員連盟の勉強会講師を手配したり、自然エネ Page 11 ルギー政策に関する知見を提供するなどの役割も果たした。つまり自然エネルギー促進議員連 盟と環境NGO とは、自然エネルギー政策を巡って成立した、典型的な「イシューネットワーク」 であった(正木,1999:91-110)。 5 . 3 むき出しになった「官僚政治」 自然エネルギー促進法および新エネRPS 法の成立に至る一連のプロセスで、「官僚政治」の実 態も明瞭に露出した。一般に、日本の政治と政策決定過程に関する見方は、官僚主導でなされ ているという見方と、多元的になされているという見方に大別されるが、専門的・体系的な知 識を要求される政策分野ほど、官僚主導の要素が強い(グライムス,2002:32)。とくに、日本の 法令システムの特徴は、国会で審議される法律はきわめておおざっぱであり、実質的に政策を 左右する要素は、政令・省令や通達、さらには口頭などによって、官僚が広範な裁量を有し非 公式な権力を行使している。 原子力施策に代表されるように、日本のエネルギー政策は自民党政治にとっての既得権益そ のものであり、「自分たちの都合のよいように法律や予算を書かせ、代償として官僚支配を許容 する」という共犯関係が長く成立してきた領域である。その意味で長い間、経済産業省は、実 質的にエネルギー政策決定の中心にあった。 自民党商工族も加わった自然エネルギー促進議員連盟が250 名を越える大所帯に拡大するの を懸念した通産省( 当時)は、1999 年秋の臨時国会が終了するのを待つかのようにして、1999 年12 月15 日に総合エネルギー調査会( 当時) のもとに「新エネルギー部会」を新設した。当 時、北畑隆生石炭・新エネルギー部長と近藤★ 公益事業部開発課長が連れ立って、与党を中心 に自然エネルギー促進法を否定的に説明するロビーイングをしていたとの間接情報があり、「新 エネルギー部会」設置の意図の一つは、通産省( 当時) によるエネルギー政策決定に関わる政 治的権限を維持するための「危機管理」であったといえるだろう。このことは、通産省官僚が 語ったと伝えられる「政治家に立法はさせない」という言葉に象徴されている。 その後、公益事業部主導で行われた「競争入札と組み合わせたグリーン電気料金の導入」か ら、新エネルギー部主導の「RPS」へと、資源エネルギー庁内部で力学変化が生じている。実際 に、2000 年末までは、リーク記事を流しながらも公式の場でRPS 否定をしていた通産省(当時) が、年が明けるや、RPS 導入を前面に押し出し始めた。新エネルギー部会委員を務めていた筆 者も、2001 年1 月に後任の新エネルギー部長に呼ばれ、電力会社を追い込むためにRPS で合意 するよう「ご説明」を受けている。 この変化は、第1 に属人的な要素が挙げられる。2000 年末に省庁再編に伴う人事異動で、そ れまで公益事業部で自然エネルギー促進法に対応していた前出の近藤氏が異動し2 2、公益事業 部と新エネルギー部間のパワーバランスに変化が生じた。第2 に、自然エネルギー議員連盟の 活動が「外バネ」として機能したことである。グリーン電気料金という「カード」を公益事業 部が使った後、通常であれば省内で比較劣位にある新エネルギー部主導で、部課を越える要素 を持つRPS の導入に向けて、自然エネルギー議員連盟の活動を「経済産業省の権限への危機」 という「外バネ」に使ったと伝えられている。第3 に、RPS の仕組みを原子力ポートフォリオ Page 12 や非化石燃料ポートフォリオとして、原子力推進に使えるという説明をすることで、省内や自 民党などの原子力族を説得することに成功したことである。こうして、RPS は、きわめて露骨 な「官僚政治」によって成立したのである。 閣議決定前に行われる省庁間の協議が「事実上の国会」として機能していることも「官僚政 治」のほかの要素である。新エネRPS 法では、当初、経済産業省が単独で所管する法案として 提案していたことから、関連する環境省( 地球温暖化および廃棄物発電)、農水省( バイオマス)、 国土交通省( 小水力発電および下水汚泥バイオマス) の各大臣の関心もあり、省庁間協議は熾 烈を極めた。できるだけ多くの質問を投げて答えに窮したところで自らの省益を取ろうとする 各省庁と、それぞれに短く形式的な答弁( 場合によってはひとまとめにして回答している) で 逃げ切ろうとする経済産業省とのやり取りは、本来であれば、国会で国会議員同士が議論すべ き、政策の本質に関わる論点がほとんどである。それが、一般の目にはけっして触れることの ない、省庁間だけに閉じた書面だけのやり取りで終わってしまい、いったん閣議決定すれば、 その後の国会の審議ではその「足並みの乱れ」が表れることは決してない。こうして国会の審 議は形骸化し、あらかじめ落としどころも決まっていることが、日本の政治空間を空疎にし、 民主的な手続きを形骸化している 5 . 4 旧い政策コミュニティの実相 一連の自然エネルギー促進運動は、エネルギー政策を支配する一握りの「旧い政治コミュニ ティ」の姿と、その歪みも明らかにした。エネルギー政策は、前述したように官僚主導の要素 が強いが、「古い政治コミュニティ」を通した多元的な側面もある。すなわち、旧公益事業部長 を日本の電力会社の会長と揶揄する言葉もあるように、経済産業省は、裁量権の大きい規制権 限を背景に、政治力や資金力の大きな電力会社( 電気事業連合会) を旧来からの政策パートナ ーとしてきた。また、自民党とは、経済産業部会とエネルギー問題特別委員会を通して、やは り相互依存関係を維持してきた。専門性と政策の履行を行う経済産業省と、与党としてその政 治権限を容認する見返りに、都合のよい法案や予算を用意させてきた自民党という関係である。 野党民主党も、電力総連を中心とするエネルギー政策を巡る「古い政治コミュニティ」が中心 を占めているために、ことエネルギー問題となると、与野党対決になりにくい状況にある。も ちろん、その周辺を公益法人や原子力産業会議や東京大学原子力工学科( 旧) といった産業界 や「族学者」が幾重にも取り巻いており、審議会などの公式の場や非公式の場で「落としどこ ろ」の仲介者の役割を果たしている。 こうした「旧い政治コミュニティ」は、大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対 してさまざまな形で対抗勢力となったが、それはけっして「鉄の三角形」と形容される一枚岩 ではなく、亀裂や離合集散が見られた。 すでに述べたように、資源エネルギー庁の危機感は、エネルギー政策の主導権を国会に奪わ れる懸念であったが、公益事業部と新エネルギー部の思惑は異なっていた。一方、自民党電源 立地族や民主党電力総連族らからなる「旧い政治コミュニティ」の危機感は、直前の1999 年9 月30 日に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したところ Page 13 に、この「自然エネルギー促進法」の政治活動が大きくなったことに対する警戒感と解釈でき る。その後、北川正恭三重県知事による芦浜原発候補地に対する白紙撤回表明を契機に「原発 促進法」につながったことはすでに述べたとおりである。 こうしたエネルギー政策決定の実相はけっしてマスメディアでは伝えられず、「旧い政治コミ ュニティ」によって実質的な政策決定が終わったあとに、ようやく争点として報道されるか、 あるいは審議会のような「儀式」が終わった事後に報道されることが多い。2000 年秋の臨時国 会での争点であった「原発促進法」も、法案提出ができるかどうかが実質的な政治問題であっ たにもかかわらず、初めて報道されたのはすでに法案が国会に提出された後であった。記者ク ラブ制度の影響もあると思われるが、こうしたメディアの報道姿勢も、官僚による非公式の政 治権力の行使を認めている一因であろう。 5 . 5 政策形成プロセスの変質 こうして、「自然エネルギー促進法」を阻止しようとする「旧い政治コミュニティ」は、 (1) 電力会社と連繋する資源エネルギー庁公益事業部(当時)、(2)新エネルギー部会の場を利用して RPS 導入を睨む資源エネルギー庁石炭・新エネルギー部(当時)、(3) 「原発促進法」を進める 自民党電源立地族という3 つの流れへと向かったがゆえに、「落としどころ」はさまよい続けた。 資源エネルギー庁の中で模索された第1 の落としどころ、すなわち公益事業部主導のグリー ン電力(当時)は、公共政策として十分に練る手続きを経ることもなく、いわば場当たり的な対 応から登場したが、これは近藤開発課長( 当時)による強い指揮のもとでまとめられたもので、 きわめて属人的な要素が強い。その結果、公共政策としては何の機能も果たさないばかりか、 競争入札や全国運用分などを組み合わせた複雑な仕組みによって、グリーン電力の性格も判り にくいものに歪ませてしまい、わずか2 年でほとんどの電力会社でほぼ破綻している。 資源エネルギー庁としての第2 の落としどころ、すなわち新エネルギー部会の場を利用した 石炭・新エネルギー部(当時)主導のRPS 導入も、石炭・新エネルギー部長としては例外的に省 内実力者であった北畑氏のイニシアティブで始まり、終盤の強引な取りまとめは実質的に平工 新エネルギー政策課長の指揮下で進められた2 3。 このように、「国」あるいは「経済産業省」の名の下に、幅広い裁量権を持った官僚が、匿名 に隠れて、きわめて属人的な裁量のもとで公共政策を左右している。 「政」の分野では、自民党電源立地族が中心となって、対抗策としての「原発促進法」を進 め、その後は経済産業省と連繋をして、与党自然エネPT を通してRPS という落としどころに乗 った。ただし、子細に見ると、自然エネルギー促進運動と東京電力出身の加納時男議員の登場 によって「政」と「官」の関係に変化が生じている。従来は専門性を提供する経済産業省にエ ネルギー政策を巡る広範な裁量権を与え、見返りに都合のよい政策や予算を練ってもらうとい う自民党との共犯関係が成立してきたが、エネルギーの専門家を自負する加納議員の登場によ って、その関係に亀裂が生じてきている。「国」が原子力政策にもっと責任を取るべきであると 考える電力会社の意思を受けた加納議員は、その後、エネルギー政策基本法の動きを起こした2 4。 経済産業省の内部では、自民党が中心となって進める原発促進法やエネルギー政策基本法に対 Page 14 して、公然に近い反発の声があった。エネルギー政策基本法そのものは、加納議員の歪んだエ ネルギー政策感覚のために、内容は貧弱であり、とても「基本法」と呼べる理念も質もない。 しかし、石油公団の巨額不良債権とでたらめな経営実態を明らかにした自民党堀内総務会長の ように、政治の側での専門性が高まる一方で、経済産業省では原課で閉じた政策をすることが ますます困難になっている状況から、エネルギー政策の軸足がますます「政」に移りつつある ことは興味深い。 6 . 審議会の役割 6 . 1 官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) としての審議会 広範な裁量権と非公式の政治権力を持つ資源エネルギー庁にとって、今回の一連の審議会( 新 エネルギー部会) は、官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) として露骨な役割を果たした(城 山,1999:)2 5。 第1 に部会委員や小委員会の人選である。筆者が部会委員に選任されたのは、(1)議員連盟へ の対応に加えて、(2)総合部会の場等を通して新エネルギー政策の相対的地位向上の2 つの役割 が期待されたものと思われる。一方、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」) では、 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が小 委員会委員を兼任するのに対して、筆者に対する排除は露骨であった。「親部会委員はオブザー バーでも出席でき、また部会で発言できる」「専門家と当時者の方々に集まっていただく」とい うことが排除の理由だが、親部会を兼務する他の委員との比較において、専門性や当事者性の どちらからも正当化できるとは思えない。しかも、4 回の小委員会を通して発言機会はわずか に1 回、それも1 分に制約され、議事録や提出資料すら記録に残さないという露骨な小委員会 運営であった。他の委員は、事業者と電力会社を除けば、RPS 支持を取り付けられそうな経済 学者や電力取引事業者などで固めていた。 第2 に、部会や小委員会の進行は、実質的に事務局( 経済産業官僚) がほとんどすべてをコ ントロールしている。座席の配置も、部会長の両脇は資源エネルギー庁長官を筆頭に事務局が 固め、部会委員からの質問もほとんどは事務局が回答する構図である。用意される資料も、す べて事務局が用意したもので、明らかな誤字や数字の間違いを除けば、修正はほとんど受け付 けられることもない。たとえば小委員会委員が提起した廃棄物への疑問に対しても、事務局が 自らの「政治的な判断」を明確に述べている2 6。 第3 に、そうして自分たちで舞台回しをした審議会の報告書は、ぎゃくに省庁間の協議や与 党・国会などの説得材料に利用される。やはり廃棄物を巡って、環境省から問われた質問に対 して、新エネルギー部会の報告書を持ち出して、正当化をしている。 6 . 2 「専門家」は専門的だったか? また、一連の審議を通して、審議会に出席をした「専門家」の資質も問われるべき課題とし て浮き上がった。前述の通り、小委員会では、わずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報 告が取りまとめられた。その間、少数ながら現実への影響を懸念した質問も見られたが、とり Page 15 わけRPS の審議を巡って顕著であったのは、固定価格制度か固定枠制度かを巡って、経済学者 を中心にほとんどの委員に共通してみられた「RPS= 証書の市場取引= より望ましい制度」とい う単純かつ乱暴な固定観念である。 反面、制度間の比較はおろか、RPS を選択するとすれば避けることのできない前述のような 本質的に重要な論点である、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い、二酸化炭素の権利の扱 い、ボランタリーなグリーン証書との関係、追加性の定義等、重要な論点はほとんど積み残し たまま、まったく議論されないか、官僚答弁に任せたまま、置き去りにされた。また、わずか 2 度実施しただけの証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲線が非公開であること に対する疑問はいっさいなく、専門家としての検証はなかったと言っても過言ではない。 6 . 3 「専門家」の政治性― 利用し利用される「専門家」 こうして、審議会が官僚の自己正当化装置にすぎない現状からすれば、そこに出席をする有 識者や専門家の果たすべき役割は、否応なく「政治的」である。 このとき、2 種の専門家に分類できる。一方は、過度に「政治的」な専門家であり、もう一 方は政治的な立場に鈍感で都合よく利用される専門家である。とりわけ前者は、官僚の自己正 当化装置であることを了解した上で、円滑な審議運営を最優先する専門家であり、審議会で部 会長や委員長を務めるほとんどの「専門家」がこのタイプであると思われる。 審議会は自己正当化装置にすぎないとしても、委員としてそこに出席する以上、審議会その ものの持つ政治性を理解することが必要であり、「過度に政治的な専門家」はもちろん、「利用 されただけの専門家」であっても結果責任を問われることも避けられない。 7 . まとめ― 新たな市民運動の可能性 すでに述べたように、自然エネルギー促進法の戦略は、(1)環境よりも経済的便益を強調、(2) 原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、という3 点を運動の基本戦 略におくことであり、これは、当初、ある程度は成功したといえる。法案そのものは成立しな かったとはいえ、旧来からの「大きな物語」(左右のイデオロギーや原発への賛否)を越えて、 議員連盟に象徴されるように、自然エネルギーへの支持は確実に広がっている。 一連の自然エネルギー促進運動が明らかにしたものは、強固な「旧い政治コミュニティ」の 中心にある露骨なまでの「官僚政治」であった。エネルギー政策を環境配慮型に転換していく 上で、この「官僚政治」に対するガバナンスを確立していくことが、あらためて大きな課題と して浮かび上がってきたといえよう。 一般に権力の源泉は、法的権限、人事システム、情報管理の3 つであるとされる。とりわけ 当面の課題は、広範な裁量権を持つ官僚の非公式な法的権限を公式かつ透明なものにしていく ことと考えれば、政省令のレベルまで書き込んだ議員立法は、その有効な手段の一つと考えら れる。 また、「鉄の三角形」と形容されてきた「旧い政治コミュニティ」からなる日本の政策形成プ ロセスの中で、自然エネルギー促進法推進ネットワークは、環境NPO と政治との協働が「イシ Page 16 ューネットワーク」として機能することを立証した。ここに「新しい政治亀裂」が出現し、す ぐに「旧い政治コミュニティ」で埋められたとはいえ、新しいエネルギー政策形成への萌芽が 見られたのではないか。 注 ( 1 )本稿では、r e n e w a b l e e n e r g y を指す言葉として「自然エネルギー」を用いている。 ( 2 ) E l e c t r i c i t y F e e d L a w の略。自然エネルギーからの電力を平均的な電気料金の9 0 %の価格で買い取ることを電 力会社に義務づけていた。その後、2 0 0 0 年4 月からは、自然エネルギー法( R E L )に改訂された。 ( 3 )クオータ制度( RP S 制度)が実施ないしは提案されている国・地域としては、欧州では、英国、デンマーク、オ ーストリア、オランダ、ベルギー、イタリア、スウェーデンの7 カ国、米国ではテキサス州など1 0 州、オースト ラリアなどがある(括弧内は施行年月)。 ( 4 ) 2 0 0 1 年末に世界全体の風力発電の累積設置量は2 4 0 0 万キロワットであり、多い国から、ドイツが8 7 5 万キロワ ット( 4 3 % 増)、米国が4 2 6 万キロワット( 6 6 % 増)、スペインが3 3 4 万キロワット( 3 3 % 増)、デンマークが2 4 2 万キロ ワット( 5 % 増)となっている。日本は3 0 万キロワット( 5 0 % 増)である。 ( 5 )ドイツのアーヘン市が1 9 9 5 年に導入した制度で、太陽光発電と風力発電をそれぞれ1 5 年で償却できる電力買 取り補助をいう。 ( 6 ) 1 9 9 9 年6 月8 日参議院経済産業委員会で、政府委員である稲川資源エネルギー庁長官は加藤修一議員の質問に 次のように答えている:「購入の義務づけその他をつとに御指摘いただいてございますけれども、そういうものも 含めて今後のよりベターな対応方式というものを検討していきたいと思います。(中略)欧米にミッションを送るこ とを今予定いたしてございます。」 ( 7 )呼びかけ人は、衆議院: 愛知和男、伊藤達也、大口善徳、大畠章宏、梶山静六、金田誠一、金田英行、河野太 郎、古賀正浩、笹山登生、佐藤謙一郎、竹村正義、武山百合子、辻元清美、並木正芳、原田昇左右、山本幸三、参 議院:加藤修一、梶原敬義、須藤良太郎、高野博師、竹村泰子、戸田邦司、中村敦夫、福島瑞穂、福山哲郎、馳浩、 林芳正、広中和歌子、渡辺孝男( 五十音順) ( 8 ) 1 9 9 9 年1 2 月1 7 日に朝日新聞の1 面で「来年4 月から東電がグリーン料金導入 自然エネルギー普及「募金」」 との報道が行われている。 ( 9 )グリーン電力基金は、一般需要家に一口月額5 0 0 円で自然エネルギーの普及に使うとの名目だが、「全国枠」と 称して東北電力に寄付するなど、使途が見えにくい。東京電力については、h t t p : / / w w w . g i a c . o r . j p / g r e e n / ( 1 0 ) 2 0 0 2 年8 月7 日現在、東京電力のグリーン電力基金の参加者は1 5 , 0 4 3 件で、電灯契約口数の0 . 0 7 %となって おり、頭打ち状態である。総枠で約1 億円規模にすぎず、東北電力への助成規模(数十億円~ 数百億円)からかけ離 れている。 ( 1 1 )グリーン電力証書については、( 株)日本自然エネルギー( h t t p : / / w w w . n a t u r a l - e . c o . j p / )とグリーン電力認証 機構( h t t p : / / e n e k e n . i e e j . o r . j p / g r e e n p o w e r / ) をそれぞれ参照のこと。参加環している環境N G O としては、環境エ ネルギー政策研究所、(財)世界自然保護基金ジャパン、グリーン購入ネットワークの3 団体。 ( 1 2 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 0 年1 0 月3 0 日 ( 1 3 ) 2 0 0 0 年5 月1 8 日にはN H K の全国ニュース、同年7 月1 0 日には日本経済新聞で、それぞれ「政府がR P S 導入を 決定」とのニュースが流れたが、いずれも通産省は事実を否定した。 ( 1 4 ) 2 0 0 0 年7 月の人事異動で、RP S 導入の中心を担った平工奉文氏が新エネルギー政策課長に着任し、2 0 0 0 年1 2 月の人事異動で、公益事業部で自然エネ議連への対応をしていた近藤賢二開発課長が転出した。 ( 1 5 )ドイツ型とほぼ同じ議連案をA 案とし、本質的に異なる英国型とドイツ型を「買取り義務」としてB 案とし、 R P S をC 案とするもので、分類方法も特徴の説明も事実誤認が多く、意図的にR P S を優位に見せるものであった。 第2 回新エネルギー部会( 2 0 0 1 年2 月2 7 日) の資料3 ( h t t p : / / w w w . m e t i . g o . j p / r e p o r t / d o w n l o a d f i l e s / g 1 0 2 2 7 y j . p d f ) など。 ( 1 6 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 1 年6 月2 9 日 ( 1 7 ) 2 0 0 1 年6 月2 1 日の「与党自然エネルギープロジェクトチーム」報告書 ( 1 8 )閣議決定前に、省庁間協議並びに与党内協議を通して修正された点は、(1 )目的に「環境の保全」が加えられ たこと、( 2 ) 対象に「バイオマス」が加えられたこと、( 3 )利用目標の決定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交 通大臣の意見を聴くこと、( 4 )新エネルギー設備認定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交通大臣と協議するこ との4 点である。 ( 1 9 )議院運営委員会によって委員会審議の付託が行われ、実質的に法案審議が始まることを指す ( 2 0 )余剰電力購入メニューとは、電力各社が1 9 9 2 年に導入した自然エネルギーや新エネルギーからの電力の自主 的な買取りを指し、太陽光や風力に対しては販売価格と同じ価格を提示していたのに対して、コージェネやゴミ発 電は低い買取価格であった。 ( 2 1 )公益事業部長は資源エネルギー庁長官へのステップだが、新エネルギー部長は「上がりポスト」と言われ、そ こから外部に転出するケースが多いことからも、両部署間の力学が明瞭である。ただし北畑氏は例外的に審議官に 出世しており、同氏の省内における位置づけが伺われる。 ( 2 2 )北畑隆生氏は2 0 0 0 年6 月3 0 日付で、大臣官房総務審議官に異動していた。 ( 2 3 )経済産業官僚から直接筆者が聞き取りをした内容に基づく ( 2 4 )荒木浩電事連会長( 当時)は原子力委員会の懇談会で廃棄物問題の大きさに触れ、国がもっと責任を取るよう 提言した( 朝日新聞1 9 9 9 年4 月2 5 日) ( 2 5 ) 城山は「中央省庁の政策決定過程」の中で、通産省にとっての審議会の役割に、( 1 )新しい政策探しと(2 )自己 正当化の2 つを挙げている。 ( 2 6 )第2 回小委員会( 2 0 0 1 年9 月2 2 日) では、木村委員( 東京電力) の産業廃棄物を外すべきではないかという 意見に対して、平工新エネルギー政策課長は「産業廃棄物は新エネ法で規定されているために今後も促進すべきで ある。また、産業廃棄物の焼却施設に発電設備をつけたとしても追加分であり、C O 2 は増加しない。このため、活 用について前向きに考えていきたい。」と回答している 文献 Page 17 AWEA (American Wind Energy Association), 2002, Global Wind Energy Market Report 2001, http://www.awea.org/ グライムス,W.W., 2002,『日本経済失敗の構造』東洋経済新報社: 3 Haas, Reinhard (ed.), 2001, “Review Report On Promotion Strategies For Electricity From Renewable Energy Sources In EU Countries”, Institute of Energy Economics, Vienna University of Technology 飯田哲也, 2002,「風力発電300 万キロワット時代の方策」『資源環境対策』38-3:11-18 経済産業省資源エネルギー庁編,2001,『見つめよう! 我が国のエネルギー― エネルギー環境制 約を超えて』経済産業調査会: 242-243 正木卓, 1999, 「<政策ネットワーク>の枠組み― 構造・類型・マネジメント」、『同志社政策科学 研究』: 91-110 城山英明, 1999, 『中央省庁の政策決定過程― 日本官僚制の解剖』中央大学出版部 城山英明, 2002, 『続・中央省庁の政策決定過程― その持続と変容』中央大学出版部