2009年11月1日日曜日

【北方領土】 鈴木宗男vs櫻井よしこ

【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】国益のための領土交渉
2009.10.8 02:58

 発足以来、新機軸を打ち出し続ける鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする。

 期待は、省益や個人益の追求に傾いた官僚制度を、本来の国益追求に向かわせるための立て直しである。懸念は、外交、国防政策全般に及ぶ。とりわけ、鳩山由紀夫首相が強い思い入れを抱くロシア外交と北方領土問題への取り組みでは、歴史を踏まえて誤りのないようにしてほしいと願いつつも、強い懸念を抱かざるを得ない。

 まず、総選挙で大勝して以降、鳩山氏が披瀝(ひれき)した北方領土問題に関する発言をたどってみる。
 選挙直後の8月31日未明の記者会見で、氏は「祖父一郎がロシアとの間で共同宣言を樹立した」「私も同じように、ロシアの、例えば北方領土問題の解決などに力を入れて参りたい」と述べた。

 9月17日、ロシアのメドベージェフ大統領との電話協議後、領土問題について「できれば半年で国民の皆さんの期待に応えたい」と述べた(「日経ネット」)。

 23日には、ニューヨークでメドベージェフ大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言に触れ、「われわれの世代で最終的に解決し、平和条約が締結されるよう大統領のリーダーシップに期待したい」(9月24日『毎日新聞』夕刊)と述べた。

 熱意と意欲は大いに買おう。しかし、祖父一郎氏の「功績」や56年の日ソ共同宣言の厳密な分析なしに、「半年間で」、あるいは「われわれの世代で」と、領土交渉の期限を切るのは外交の下策である。期限を切ることは、交渉相手を不必要に有利にし、自らの立場を弱めるからだ。

 また、政権が交代しても指導者が交代しても、4島返還という日本外交の基本方針は変えてはならない。だが後述するように、一郎氏はそうした外交の基本を守らなかった。結果、日本の立場を損ねたのが日ソ共同宣言である。首相には、むしろ、祖父を反面教師として取り組む覚悟が必要である。

 発足直後の清新な政権に、なぜ、厳しい注文をつけなければならないか。それはこれまで日ソ・日露間で合意された複数の文書を調べれば明らかだ。そのなかで注目すべきは、日ソ共同宣言の20日前に交換された「松本・グロムイコ書簡」である。

 これは日本側の全権代表で当時の民主党代議士、松本俊一と、ソ連第1外務次官のグロムイコの間で交換された。そこには北方領土問題に関して日ソ両国政府が「正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意する」と、明記されていた。

 ここで重要なのは、平和条約締結に向けての交渉の中に領土問題が含まれていると、日ソ双方が明確に合意した点だ。

 さて同書簡交換後の10月12日、鳩山一郎首相らはモスクワに到着、日ソ交渉が開始された。実際の交渉に当たったのは農相、河野一郎とソ連最高会議幹部、フルシチョフ。両者、そして鳩山首相も承認した共同宣言では、平和条約締結後の歯舞、色丹両島の日本への引き渡しは明記されたが、その余についてはこう書かれていた。

 「両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する」
 「領土問題をも含む」の字句が見事に削除されている。

 平和条約は2国間の紛争や戦争に、最終的な決着をつける性質のものだ。平和条約によって、戦争に起因するすべての責任は果たされたことになる。だからこそ、日ソ両国は、平和条約締結に当たっては戦争終結後に生じた不法な北方領土占拠についても、正しい解決を導き出さなければならない。

 北方領土はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して攻め入り、不法に占拠したものだ。だが、ソ連は北方領土に関する自らの不法性を決して認めない。これは93年の東京宣言でロシアが明記した「法と正義」の精神にもとり、日本にとっては受けいれ難い立場だ。北方領土問題はなによりもソ連の国際法違反に端を発するという事実を、日本は冷静に主張し続けなければならないだろう。

 しかし、56年当時も現在も、鳩山2代の政権を含めて、日本側からそのような主張はなされてこなかった。

 『日本外交史』29巻(鹿島研究所出版会)で、外交の権威といえる吉澤清次郎氏が56年当時の経緯を詳述している。河野が歯舞、色丹の「即時返還」を求め、将来、米国が沖縄、小笠原を日本に返すときに、ソ連も国後、択捉を日本に引き渡すようにと要求すると、ソ連側はいま歯舞、色丹を持ち出すことは、平和条約締結時には領土問題は再び起こらないと解釈してよいのか、とただしている。

 交渉の最終段階で河野がまたもや平和条約締結後の歯舞、色丹の返還とともに、国交正常化後も「領土問題を含む」平和条約締結のための交渉を提案した。

 するとフルシチョフは、「領土問題を含む」の7文字を削らなければ、「歯舞、色丹を引き渡すことによって、領土問題は一切解決済みと書いてもよい」とすごんだ。

 ソ連側が、小さな2島を返還した上で、日ソ間でいったん合意された「領土問題を含む」の字句を、国後、択捉は返さないとの明確な意図をもって削除させたのは明らかだった。国交樹立を悲願として臨んだ同交渉では、7文字を削除するくらいなら、成果なしでも帰国するとの考えは生まれ得なかったのであろう。こうして、日本側は「領土問題を含む」の削除に同意した。

 一郎首相は後に、右の字句を削っても「『平和条約締結のため引き続き交渉を継続する』と言えば、そのため残る問題は、事実上、択捉、国後の領土問題以外にないのだから、当然領土問題は含まれることになる」と説明した。

 だが、ソ連側の意図からも明らかなように、日本側が日ソ共同宣言を北方領土問題解決の出発点として重視すれば、それを段階的返還論と言おうが何と言おうが、「北方領土問題は2島で終わり」のロシア路線に引き込まれる危険を伴うのである。

 だからこそ、鳩山首相に訴えたい。「祖父の功績」という私情を離れて、国益のための交渉をしてほしいと。56年の日ソ共同宣言で日本は後退を迫られたが、松本・グロムイコ書簡が日ソ間で消し去られたわけではない。日本の立場の後退もその後、一歩一歩挽回(ばんかい)されてきた。91年の海部・ゴルバチョフ両氏による日ソ共同声明、93年の細川・エリツィン両氏による東京宣言では、四島の固有名詞が書き入れられた。これら日本外交の歩みを踏まえて、迷路に入り込むことなく、取り組んでほしい。

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 2日のムネオ日記で櫻井よしこ氏について触れたが、櫻井氏のことで想い出したことがある。「『BRIO』という雑誌の2005年12月号に掲載されている作家で大学教授の島田雅彦氏との対談記事のことだ。次のくだりである。

櫻井 私は東京裁判という国際法を無視した法廷で作られた“A級戦犯”は、戦争犯罪人ではないと思っています。でもそれとは別に、どうして我々はあんな間違いをしてしまったのか、国家としてどうしてあんなところに落ちていったのか、ということを日本人が自ら分析して、責任を取る人を探し出していくことも必要だと思うのです。それを日本人の手でやるべきでした。私たちに今そんなことができるかどうか。あまりにも時間が経ちすぎていて難しい作業ではありますけれども、残されている膨大な記録を検証していくしかないと思っています。それをすれば“A級戦犯”の人たちも、あの戦争ゆえに亡くなったことは確かなのだから祀ってもいいという結論に達するはず。そして、突き詰めていけば、閣僚や軍人とともに、天皇陛下にも責任があったと私は考えています。だから昭和天皇には敗戦のとき、退位をしていただきたかったですね。
(82~83頁)


 櫻井氏は、先の大戦における敗戦には昭和天皇に責任があると明言している。それだけではなく、退位すべきであったとまで言っている。

 先の大戦を天皇陛下の責任とする櫻井氏に唖然としたものだ。しかも、「退位をしていただきたかった」と、そこまで言う櫻井氏に憤りを感じたものである。

 1964年に出版されたマッカーサー回想記の中で、昭和天皇のお言葉が載っている。

 私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する、全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした。

 これに対し、マッカーサーは次の様に述べている。

 私は、大きい感動にゆすぶられた。死を伴うほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても、日本の最上の紳士である事を感じ取ったのである。

 このことを知り、当時私は大きな感動を覚えたものである。櫻井氏はこの昭和天皇とマッカーサーとのやりとりをどう受け止めるのであろうかお聞かせ戴きたいものである。

 また2日の日記で取り上げた『正論』10月号の論文についても触れておきたい。

 論文の中で櫻井氏は、故末次一郎氏と私とのやり取りについて次の様に書いている。

 〈もうひとつの出来事は、故末次一郎氏に対する面罵である。

 末次氏は「ミスター北方領土」と呼ばれるほど、日ソ・日露関係に深く長く関わってきた。一貫して「四島一括返還」を唱える一方で、ロシアに太い人脈を有する専門家である。

 その末次氏を、鈴木氏は2000年8月8日、日ロ友好議員連盟の通常総会の席で怒鳴りつけたのだ。前出の「虚実…」より引用する。

 〈「末次先生、この際、はっきり言わせてもらいます。(四島一括返還という)原則論ばっかり言って、何が進んだんですか。進まなかった責任はだれが取るんですか」

 マイクを通じた鈴木の面罵する声が部屋中に鳴り響いた〉、〈末次が「今の対ロ交渉はロシア側の計略にまんまと引っ掛かっている(略)」と反論すれば、鈴木は「原則論で外交は動かない」などと大声で口をはさみ反論を許さない。司会者があわてて進行を打ち切るほど、二人の応酬は激しかった〉、〈その末次は鈴木との応酬を終えた後、こう漏らした。「(駐日ロシア大使の)パノフさんの前で、あそこまで言うのか。鈴木君は本当におかしくなったぞ」。直後、同じホールで記者団に取り囲まれた鈴木は「末次先生の時代は終わったんです」と声を張り上げた〉〉

 公衆の面前で私と末次さんが激しい議論を交わしたことは事実であるが、それもお互い日本の国益を考えての、大人の議論である。

 私は末次先生を怒鳴りつけたことはない。「末次先生の時代は終わった」という発言をしたこともない。「司会者があわてて進行を打ち切るほど、二人の応酬は激しかった」という事実もない。末次先生は「鈴木君よりも私の方がソ連よりも長く相対してきた」と述べられ、それに対して私が「長くやられてきたことは存じ上げておりますが、それで何か結果が出たでしょうか」ということを言ったのだ。

 櫻井氏も、引用するのならば正しい事実を書いたものを引用して戴きたい。2日の日記でも触れたが、北海道新聞のコラム「虚実『鈴木宗男』を追う」は当時のメディアバッシングの中で書かれたものであり、その内容はまさに「虚実」なのだ。私の批判をするのなら、櫻井氏自身の言葉でして戴きたい。

 事実、議論の後も私と末次氏の信頼関係は消えていなかった。その後も末次氏は資金面で私のところに相談に来られている。それは末次氏が亡くなられるまで続いた。

 このことは、末次氏の側にいた吹浦忠正氏が一番良く知っている。櫻井氏も、「虚実『鈴木宗男』を追う」を鵜呑みにし、正確でない、事実でないまさに虚実の記事を引用するのはやめて戴きたい。その場にいた出席者はじめ、当時の経緯を良く知る人物に直接聞き、このコラムが正しいか否かを検証してみるべきだろう。そうして初めて引用すべきでないか。

 7時40分羽田発で釧路へ向かう。11時から釧路港国際コンテナターミナル供用開始式に出席し、テープカットをする。

 12時から内外ニュースの月例会で講師を務められる清宮龍先生にご挨拶に伺う。
 15時05分釧路発で丘珠へ。16時50分から北海道税理士政治連盟第43回定期大会懇親会に出席し、挨拶の機会を得る。

 各会合で気がつくことだが、応援して下さった人は喜んで近づいてくれるが、逆の人は何となくかしこまっている感じである。人の動きは見事に自分の立場を表している。
 大変勉強になるものである。



 昨日発売された月刊『正論』10月号に、「北方領土問題であなたは本当に国益を害しませんでしたか 鈴木宗男氏の批判に答える」との題の、櫻井よしこ氏による論文が掲載されている。これまで何度もこのムネオ日記で取り上げてきたが、事の発端は、櫻井氏が5月14日付の産経新聞上で、

 〈いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は「4島一括返還」という言葉自体を「時計の針を逆に戻すもの」と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ〉

 と、私は一貫して四島返還論者であるのに、あたかもかつてはそうでなかったとの印象を与えかねない論文を発表したことである。

 私はこれまで何度も櫻井氏に内容証明文書で質問状を送付し、同氏の真意を問うてきた。それに対する回答が、今月号の正論における論文ということの様だ。

 その内容を読んで感じたことは、櫻井氏自身の言葉で語られていないということである。全て他人の話、論文を引用したものだ。しかも、2002年の新聞記事、雑誌である。更に言うと、2002年に外務官僚が流した情報操作や共産党の国会質問に依拠した強弁で、噴飯物の内容だ。

 あの時の異常なメディアスクラムによるムネオバッシングによる報道が正しかったのかどうかを検証もせずにただ引用しているところに、櫻井氏の基礎体力のなさが感じられる。もっとも、櫻井氏がジャーナリストを名乗るにもかかわらず、真実を追求する姿勢に欠ける政治扇動家のような態度をとっていることは、櫻井氏の人間性を知る上ではそれなりに参考にはなる。

 まずはじめに一点、指摘しておきたいことがある。「四島一括返還」の定義に関する櫻井氏の考えである。
 129頁において、櫻井氏は次の様な主張をしている。

 〈ここで重要なのは、「四島一括返還」の定義である。私は中山氏、もしくは日本政府が「四島一括返還」の「一括」をどのような意味で用いているのかを質した。氏が答えた。

 「一括は、一括りという意味で、必ずしも同時返還ではありません。最終目標として四島返還に辿りつけばよいのであって、島々の返還の時期や方法は違っていてもよいという考えです。しかし、あくまでも、二島で終わり、ではない。当時も二島返還論はありましたが、日本政府はあくまでも四島返還の基本を確保し、あとは柔軟にということです」

 これが私の言う「四島一括返還」の定義でもある。頑なに同時返還を言っているのではない。〉

 ここで櫻井氏が言っている「四島一括返還」は、まさに私が主張してきた「段階的返還論」、そして外務省が発行している『われらの北方領土』にある「我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決してロシア連邦との間で平和条約を締結するという基本的方針を堅持しつつ、北方四島の我が国への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、様態及び条件については柔軟に対応する」の記述と意味が同じではないか。
 私は過去から現在に至るまで、一度たりとも歯舞、色丹、国後、択捉の四島を最終的に日本に取り戻すことを諦めたことはない。また、四島のうちの何島かの返還をもって、北方領土問題の最終的解決を図ろうと考えたこともない。最終的には四島全てを返してもらう。この点で私は一切ぶれない。

 櫻井氏がかねてから主張してきた「四島一括返還」が、四島全ての同時返還にこだわるものではないのなら、なぜ私が言う段階的返還論を批判してきたのだろうか。櫻井氏は議論をすり替えているのではないだろうか。四島一括返還の定義が、初め私を批判して時と変わっているのではないだろうか。この点、櫻井氏の真意を是非ともお聞きしたいものである。
 更に櫻井氏は134頁で次の様に書いている。

 〈さて、私が、鈴木氏は「二島返還」を目指していると疑ったもうひとつの情報がある。それは2002年3月11日の参院予算委員会で、民主党が明らかにした外務省内部文書だった。1995年6月、当時の西田恒夫欧亜局参事官が鈴木氏を訪れ、色丹島での診療所建設問題を説明した際のやりとりの記録である。

 同資料は外務省で「秘 無期限」と分類されていたが民主党の情報開示要請によって外務省が秘密私邸を解除したものだ。全文が開示された文書には次のような鈴木発言が記されている。

 〈そもそも、北方領土問題というのは、国のメンツから領土返還を主張しているに過ぎず、実際には島が返還されても国として何の利益にもならない。そうであれば、戦後50年もたって返還されないという事実を踏まえ、わが国は領土返還要求を打ち切って、四島との経済交流を進めていくべきと考える。領土返還運動に十時している人たちはたいへんな被害にあっているので、自分と同じような意見をもった者がいる〉

 なんと、島が返されても「何の利益にもならない」「領土返還要求を打ち切」り、「経済交流を進めていく」と語ったというのだ。〉

 この件については、後段に櫻井氏自身が書いているように、国後島を目前に望む北海道根室管内羅臼町では、この様な意見を持っている人がいるということを述べたものである。私自身がこの様な考えを有しているのではない。

 この時、福島正則という外務事務官が西田氏と話していた私の発言をメモ取りしていたのだが、私はかなりの早口である。福島氏が正確に私の発言を書き取って作成された報告書ではない。

 また、私の発言を元にして報告書をつくるのなら、事前に私に確認を取れば良い話だ。それをせずに一方的な報告書をつくり、それが事実だと言い切る外務省。そして、それを鵜呑みにする櫻井氏。悪意に満ちた負の連鎖が続いている。

 この点について、櫻井氏はプロのジャーナリストとして、どの様な認識を持っているのか。ノンフィクション作家としての櫻井氏の水準が問われる。

 もう一つ指摘したいのは、既に触れたが、櫻井氏の論文の情報元である。論文には随所に、北海道新聞のコラム「虚実『鈴木宗男』を追う」が引用されている。また、2002年当時の『正論』における齋藤勉氏の論文等、日本国民全てが“反ムネオ”状態にあったとも言える、当時のマスコミの論調が元にされている。

 櫻井氏に問いたい。これらの報道は正しかったのか。櫻井氏自ら、北海道新聞そして齋藤氏に対し、当時の報道が公平、公正であったのか否か、確認をしているのか。ある情報が正しいか否かの裏づけ作業もせず、ただそれを鵜呑みにして文書を作ることなどは、大学生の卒業論文ですら許されることではない。
 また櫻井氏は127頁から128頁にかけ、次の様に書いている。

 〈2001年3月25日、森喜朗首相はイルクーツクでプーチン大統領と首脳会談を行った。その約ひと月前の2月、鈴木氏(自民党総務局長)が、元首相で沖縄及び北方対策担当相の橋本龍太郎氏の発言をやり玉にあげた。(中略)

 橋本氏は、首相在任中に、クラスノヤルスクや川奈などでエリツィン大統領との首脳会談をこなし、北方領土問題に取り組み、日ロ関係をそれなりに深めた人物である。しかもこの時、橋本氏は北方領土担当大臣である。加えて鈴木氏の属する橋本派の長である。その上下関係が、北方領土問題においては完全に逆転し、現職の担当大臣、かつ、派閥の長に、「四島一括返還」の発言を訂正させた。鈴木氏が北方領土政策を、全力で変えようとしていたことを見せつける出来事だった。〉

 私が橋本元総理に直言したことは事実である。それは全て日本の国益を考えてのことだ。事実、真実を指摘する際、派閥の領袖、大臣等、相手の肩書きを見て判断することは逆に誠実ではない。国民の負託を受けた国会議員として、相手が誰であろうと、正しいことは臆することなく主張しなくてはならない。

 また橋本元総理は、私の指摘を受け、自らの発言を訂正するコメントを出している。このことを櫻井氏は承知しているだろうか。また、橋本元総理がご健在のうちに、直接ご本人に話を聞く等の確認作業をしたことはあるのか。この点も、櫻井氏の主張は根拠が曖昧だ。

 詳細な反論は、私も然るべき場において改めてさせて戴きたいと考えている。読者の皆さんも、櫻井氏の主張が公正、公平なものか、冷静に判断して戴きたいと思う。

 また、論文中で櫻井氏がその名を挙げている末次一郎氏にしても、元外務官僚の新井弘一氏にしても、私はそれぞれ興味深い話を知っている。いずれ公(おおやけ)にしていきたい。

 終日議員会館でたまった手紙や書類等の整理をする。一か月留守にすると、やはり大変な量である。
 量と言えば、落選し、議員会館を出るはめになった議員の部屋からの膨大な書類等が廊下に溢れている。本など、「捨てるのはもったいない」と目につくものもある。

 部屋を明け渡さざるを得ない人に同情を禁じ得ない。勝負の世界は何においても厳しいものである。


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2009年7月9日(木)

択捉島の今朝は強い風とそれに伴う高波で、艀(はしけ)が出せない。午前中内岡港で待機したが、10時半(日本時間12時半)、事務局と団長、副団長、顧問団で協議し、上陸を諦める決定をし、13時、内岡(なおか)港を出発。国後の古釜布に向かう。

 一日だけの択捉島だったが、昨日は好天で、直近の択捉島の様子を見ることが出来て良かった。特に外交的でないラズミシキン・クリル地区長にはっきりモノを言う機会があったことに満足する。

 内岡(なおか)はオホーツク海側に面し、天気に左右されやすいところだ。7日の国後、8日の択捉と、二日間の好天に感謝したい。

 国後も択捉も港整備は予定どおり進んでいるという。択捉の空港も工事が続けられており、世界経済が低迷する中でも、ロシア政府による「クリール諸島社会経済発展計画」に今のところ変化は見られない。

 商店に行っても、肉も野菜、果物、雑貨等、品物は豊富であった。日本の物で目についたのは、アサヒの缶ビールだった。これもウラジオストック経由で入ったものだという。

 港、空港の整備に日本の技術力を活用し、商品にしても日本の安心、安全な物を提供していくことが、日本に対する理解を深め、信頼関係を高めることになると考える。外務官僚の「不法占拠されているところに日本人が立ち入るべきではない」「四島での仕事に参入、参加することは認められない」という、冷戦時代の頭作りで事態が推移していくなら、もう日本の出番はなくなる。振り返ったら中国、韓国の企業が進出し、「日本の出る幕はありません」では、何も得られるものはない。

 北方四島は係争地域、未解決の地域であり、話し合いで解決することで日ロの最高首脳は合意している。外交は政府間の交渉でしっかりやり、それ以外の、例えば文化の面では、北方四島の先住民族であるアイヌ民族の歴史的位置づけを、経済面では、日ロの協力、連携を重層的に考え、進めていくことが大事ではないか。3年前の色丹、昨年の択捉、今回の国後、択捉を訪問しながら、つくづく思うものである。

 船が揺れるので、今日はこの辺でお許し戴きたい。
 明日、根室で14時から「フォーラム神保町 in根室 緊急集会」が根室商工会館で開催される。ジャーナリストの魚住昭さん、作家の宮崎学さん、元外務省主任分析官で大宅壮一賞作家の佐藤優さんが根室に来られてのフォーラムである。

 これだけのメンバーが根室に揃うのは滅多にないことである。私も参加して、北方領土の最新の情報をお伝えしたい。元島民の方々はじめ、関心のある方は是非とも足を運んで戴きたい。

 19時前にイタリア・ラクイラでの日ロ首脳会談で、北方領土問題については進展がなかったという電話連絡を受ける。麻生首相が今おかれている状況、あるいは3・5島論、北特法(北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律)の改正等、様々な出来事を考える時、当然の結果である。
 やはり、政権交代をして、過去の約束事に基づいて現実的解決を図るしかないと考える。
 今、国後島の爺爺(ちゃちゃ)岳が目に入る。かつて私が第一線で領土問題に取り組んでいた時、近くなった北方四島が、小泉政権以後、段々と離れていった。夕日に染まる爺爺(ちゃちゃ)岳を見ながら、政権交代により、何としても日本に引き戻す、近づけると決意を新たにするものである。



2009年6月23日(火)
 5月14日付の産経新聞に掲載されている櫻井よしこさんの記事の中に、「いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏」と、私について根拠のない批判がなされていることについては、5月14日と18日のムネオ日記で既に触れている。
 この櫻井氏の記事について、私は5月18日付で、櫻井氏に質問状を送付した。その内容については18日のムネオ日記に全文を掲載しているが、その後櫻井氏からの回答を含め、何度か書簡のやり取りがあったので、これまでの経緯を改めて読者の皆様にお知らせしたい。
 5月18日に最初の質問状を送付した後、しばらく櫻井氏からの回答がなかったので、6月10日、私から再度以下の質問状を内容証明郵便で送付した。

 拝啓 初夏の候、櫻井様におかれましては、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
 本年5月14日付産経新聞(以下「産経記事」とする。)に掲載されている「麻生首相に申す 領土問題1ミリも譲るな」と題する櫻井様の文書に関する質問状を、同月18日付で郵送させて戴きましたが、お手元に届いておりますでしょうか。
 櫻井様は産経記事の中で「さらに、これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に戻すもの』と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。」と述べられておりますが、既に述べた様に、右の記述には客観的、具体的な根拠が欠落しており、当方の北方領土交渉に対する姿勢を不当に貶め、国会議員としての、ひいては一個人としての当方の名誉を傷つけるものであります。
 6月10日時点で未だご回答を戴いておりませんので、以下2点につき、再度質問させて戴きます。

1. 産経記事には「これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は」、「いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。」とありますが、私はこれまで一度たりとも四島返還という考えを変えたこともなく、四島返還という政府方針から逸脱してロシアとの交渉に当たったこともありません。櫻井様が、過去に当方が歯舞、色丹、国後、択捉の4島よりも少ない、例えば歯舞・色丹の二島のみの返還によって北方領土交渉に決着をつけることを目指していたとする、具体的、客観的根拠は何か、明確に示されることを求めます。
2. 産経記事には「鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に戻すもの』と批判した。」とありますが、日本政府は当時の中山太郎外務大臣がモスクワを訪問し、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領、エリツィン・ロシア大統領などと公式に会談した1991年10月以降、北方領土交渉において、「四島一括返還」という主張をしておりません。今更「四島一括返還」という言葉を持って交渉にあたることは、自由と民主のロシアではなく、共産主義のソ連を交渉相手としていた時代に戻ることを指すという意味で、私は「時計の針を逆に戻す」旨主張したものです。北方領土交渉に当たる政府方針の変化等を含め、この様な経緯を櫻井様は承知されておりましたでしょうか。

 先に述べた様に、産経記事にある櫻井様の主張は、私の政治家としての過去の行動や、私に対する評価を不公平にねじ曲げるものであります。誤った認識、客観的ではないことに基づき、勘違い以外の何物でもない主張をされては、私としては迷惑千万であります。また何よりも、国民に間違った判断材料を提供し、国益を損ねることになります。
 ご多忙の中恐縮ですが、本書簡を受け取られてから72時間以内を目処に、右の二つの問いに対し、櫻井様が明確な回答をされることを再度強く求めます。
 敬具
 平成21年6月10日
 新党大地代表 衆議院議員
 鈴木宗男


その後、15日にようやく櫻井氏から回答が届いた。中身は、

《政治家であり、公人であり、メディアでも活躍中の言論人でもあるにもかかわらず、配達証明や内容証明を送りつけるとはどういうことでしょうか。公人であり、言論人であれば、このような姑息な証明郵便を用いるのではなく、堂々と議論を挑まれるのが筋ではありませんか。鈴木議員が毎月送って下さっている『月刊自由』でも、その他如何なるメディアでも、私は議論を受けて立ちたいと思います。》

 というものだった。
 櫻井氏は何ら私の質問に答えていない。それどころか、正確を期すために私が配達証明、内容証明郵便で質問状を送付したことを「姑息」であるとまで言い切っている。

 また私は、櫻井氏に『月刊自由』なる雑誌を送ったことはない。私が毎月送付させて戴いているのは『月刊日本』という雑誌である。単なる言い間違いであるとは思うが、この様な細かな点を間違うだけでも、櫻井氏の日ごろの主張のいい加減さが窺い知れるのではないか。

 公の場での議論は、勿論私も大いに望むところである。しかし、議論を行う以前に、ある前提条件を満たす必要がある。それは、議論のテーマとするものについて、双方が自身の主張に客観的、具体的な根拠を有し、正確な事実関係を把握していることである。

 櫻井氏は、過去に私が歯舞、色丹、国後、択捉の4島よりも少ない、例えば歯舞・色丹の二島のみの返還によって北方領土交渉に決着をつけることを目指していたとする具体的根拠を示していない。また、1991年後半以降、北方領土交渉において我が国のスタンスが変わり、四島一括返還という言い方はしなくなったということを理解していたのかどうかについても、何の回答もしていない。

 櫻井氏がただの勘違い、思いこみで物を言うのならば、そもそも議論を行う土台ができていないということであり、建設的な議論を行うことは無理である。私は事実に基づいて客観的な主張をしているのに、もう一方は主観的な思いこみによる主張をする。こんな議論を何時間したところで、話はかみ合わず、何の生産性もない。

 だから私は櫻井氏に対して、5月14日付の産経新聞でご自身が述べていることに関して私が問うたことにまずは答えてほしいと訴えているのである。
 6月16日、私は再度質問状を送った。内容は以下の通りである。


 前略 櫻井様
 6月15日、櫻井様のご回答を拝受致しました。

 櫻井様は「政治家であり、公人であり、メディアでも活躍中の言論人でもあるにもかかわらず、配達証明や内容証明を送りつけるとはどういうことでしょうか。公人であり、言論人であれば、このようなこそくな証明郵便を用いるのではなく、堂々と議論を挑まれるのが筋ではありませんか。」と憤っておられます。

 御指摘の通り、最初に私は配達証明付きの郵便で質問状を送付させて戴きました。公開の場での議論は、私も大いに望むところでありますが、それを行う前提として、櫻井様が5月14日付の産経新聞(以下「産経新聞」とする。)に書かれたことに関し、まずはその真意を確認させて戴く必要があると考え、更に正確を期すために配達証明付の郵便で郵送したものであります。仮に櫻井様の主張に具体的、客観的な根拠がなく、事実誤認をされているのなら、議論そのものが成り立たないからです。それに対する回答を戴けなかったことから、内容証明付きで再度質問状を送付させて戴きました。

 配達証明も内容証明も、我が国における正式な郵便制度の手段であります。公の議論を行う前段階における事実確認にこれらの制度を用いることは、何ら姑息な手段ではなく、櫻井様が「配達証明や内容証明を送りつけるとはどういうことでしょうか」と憤られる筋のものでもないと私は考えます。繰り返しますが、櫻井様からご回答を戴けなかったため、より正確を期すために内容証明付きで再度質問状を郵送させて戴いた、それだけのことです。

 また櫻井様は、私が毎月「月刊自由」を送っている旨述べられていますが、私が毎月送らせて戴いているのは「月刊日本」であり、「月刊自由」ではありません。単なる勘違いかどうかは私の与り知らぬところでありますが、この様な細かな点で不正確であることをとっても、櫻井様が私に対し、如何に事実、真実に基づいた主張をされていないか、その証左ではありませんか。

 櫻井様御指摘の通り、私は選挙という手続きを経て国民から選ばれた公人であります。櫻井様が提案される堂々とした議論に、私は喜んで応じたいと考えております。しかし、事実誤認に基づいた主張についてまで、議論に応じる義務はないと考えます。櫻井様も言論活動に従事されている言論人のお一人であると承知します。そうであるならば、堂々とした議論を行うための前提として、産経新聞におけるご自身の主張に対する私の2つの質問に、まずはお答え戴きたいと存じます。
 念のため、質問事項を再度お伝え致します。


1. 産経新聞で櫻井様は「これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は」、「いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。」と主張されておりますが、私はこれまで一度たりとも四島返還という考えを変えたこともなく、四島返還という政府方針から逸脱してロシアとの交渉に当たったこともありません。櫻井様が、過去に私が歯舞、色丹、国後、択捉の4島よりも少ない、例えば歯舞・色丹の二島のみの返還によって北方領土交渉に決着をつけることを目指していたと主張される具体的、客観的根拠は何か、明確に示されることを求めます。

2. 産経新聞で櫻井様は「鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に戻すもの』と批判した。」と書かれておりますが、日本政府は当時の中山太郎外務大臣がモスクワを訪問し、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領、エリツィン・ロシア大統領などと公式に会談した1991年10月以降、北方領土交渉において、「四島一括返還」という主張をしておりません。今更「四島一括返還」という言葉を用いて交渉にあたることは、自由と民主のロシアではなく、共産主義のソ連を交渉相手としていた時代に戻ることを指すという意味で、私は「時計の針を逆に戻す」旨主張したものです。北方領土交渉に当たる政府方針の変化等を含め、この様な経緯を櫻井様は承知されておりましたでしょうか。


 これらの質問にご回答下さり、ご自身の主張の具体的、客観的根拠を明確に示して下さるのならば、私は如何なる場でも、正々堂々と、櫻井様との議論に応じさせて戴きます。

 ご多忙のこととお察し致しますが、本書簡を受け取られてから早急にご回答下さいます様、強く求める次第です。
草々

平成21年6月16日
新党大地代表 衆議院議員
 鈴木宗男

 

 これに対し、本日22日、櫻井氏より書簡が届いた。中身は
 
《私は鈴木議員も論じた「いわゆる段階的返還論」がロシア側に「日本側が、二島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象」を与えたと明記しています。

 この記述のどこが「事実誤認」なのか、むしろ、私は、鈴木議員の説明をこそ、ききたいと思います。
 「四島一括返還」に関する記述も、事実そのものです。この事実を指摘したことに関してお尋ねの点については、私信よりもきちんと公の場で議論をするべきことであると考えています。》
 
 というものであった。櫻井氏はここでも私の質問に答えようとせず、論点を微妙にすり替えようとしている。櫻井氏ほどの人物がこんな回答をするとは、正直驚きである。

 まず断っておくが、私は櫻井氏に対して「私信」を出しているつもりはない。5月18日、このムネオ日記上で私の質問状を掲載している時点で、これは櫻井氏と私という個人的な枠組みを超え、公の目に晒されるものであるとの覚悟を決めている。まして議論のテーマは、北方領土問題という、鈴木宗男という一政治家、一個人に留まらず、日本国家、日本民族の名誉と尊厳に関わる問題である。櫻井氏と私のやり取りは、単なる私信のやり取りではない。

 右の回答において櫻井氏は「私信よりもきちんと公の場で議論をするべきことであると考えています。」と言っている。櫻井氏は、これまでやり取りしてきた書簡はあくまでも私信であるとしたい様だが、言葉、つまり文書を扱うことを生業とする言論人がこの様な態度をとることは、果たして妥当であろうか。
 櫻井氏は再三、書簡のやり取りではなく公の場で議論をすべきと主張している。既に触れたが、櫻井氏の回答を再度ここで引用したい。

《「私は鈴木議員も論じた「いわゆる段階的返還論」がロシア側に「日本側が、二島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象」を与えたと明記しています。

 この記述のどこが「事実誤認」なのか、むしろ、私は、鈴木議員の説明をこそ、ききたいと思います。」》

 とんでもない議論のすり替えである。先に掲載した私の質問状をご覧戴きたい。私の質問はこうだ。

〈産経記事には「これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は」、「いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。」とありますが、私はこれまで一度たりとも四島返還という考えを変えたこともなく、四島返還という政府方針から逸脱してロシアとの交渉に当たったこともありません。櫻井様が、過去に私が歯舞、色丹、国後、択捉の4島よりも少ない、例えば歯舞・色丹の二島のみの返還によって北方領土交渉に決着をつけることを目指していたとする、具体的、客観的根拠は何か、明確に示されることを求めます。〉

 櫻井氏は5月14日の産経新聞に「いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は」と書いている。ということは、裏を返せば、「かつて鈴木宗男は4島返還論の側に立っていなかった」ということである。これは簡単な話であり、賢明な読者の皆さんは勿論、櫻井氏も当然御理解されていることと思う。

 私が問うているのは、櫻井氏が何を根拠に「かつて鈴木宗男は4島返還論の側に立っていなかった」と主張しているのか、という点である。

 私は一貫して四島返還論者である。四島より少ない数の島の返還をもって、ロシアと平和条約を締結し、北方領土問題の最終的解決とすることなど、一度も考えたことはないし、ロシアとの交渉の場でその様な話をしたことは一度たりともない。

 私は、櫻井氏の好む「四島一括返還論」を今後何百回、何千回、何万回繰り返したところで、島は一つも日本に返ってこないし、一ミリも日本に近づくことはないと考えている。それよりは、現実的に四島を取り戻すにはどうすれば良いかを考えるべきだと主張したい。

 四島が同時に全て返ってくることがないのなら、例えば56年宣言に基づき、歯舞、色丹については具体的な返還の時期を決める。国後、択捉については、日本への帰属を認めさせるべく、ロシアと交渉を続ける。この様ないわゆる「段階的返還論」が、最終的に四島を取り戻す上で最も現実的であると考えた。勿論これは、私や東郷和彦氏、佐藤優氏の独断では決してなく、当時の日本政府の方針であったのだ。
 私が問うているのは、櫻井氏がすり替えている、この「段階的返還論」が「ロシア側に『日本側が、二島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象』を与えた」か否か、ということではない。櫻井氏においては、質問のポイントをずらすことのないよう、切に求めたい。

 結局櫻井氏は、「印象論」で物事を語っているとしか思えない。印象のみを持って物事を語るのは容易い。何の裏づけ作業も事実関係の検証も必要なく、ただ自分の思いこみ、印象に基づいた主張をすれば良いのだから。

 しかし同時に、「印象論」は実に危険でもある。印象は往々にして一方的な思いこみ、勘違いにより、具体的、客観的な根拠に欠けることが多い。櫻井氏の様な、広く公となる出版物において言論活動をし、社会に大きな影響力を持っている言論人が、「印象論」に基づいて批評活動を行うのなら、それは世論をミスリードし、国益を損ねることになりかねない。

 また櫻井氏は、私の二つめの質問についてこう答えている。

《「四島一括返還」に関する記述も、事実そのものです。この事実を指摘したことに関してお尋ねの点については、私信よりもきちんと公の場で議論をするべきことであると考えています。》

 私の二つめの質問とは次のものだ。

〈産経新聞で櫻井様は「鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に戻すもの』と批判した。」と書かれておりますが、日本政府は当時の中山太郎外務大臣がモスクワを訪問し、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領、エリツィン・ロシア大統領などと公式に会談した1991年10月以降、北方領土交渉において、「四島一括返還」という主張をしておりません。今更「四島一括返還」という言葉を用いて交渉にあたることは、自由と民主のロシアではなく、共産主義のソ連を交渉相手としていた時代に戻ることを指すという意味で、私は「時計の針を逆に戻す」旨主張したものです。北方領土交渉に当たる政府方針の変化等を含め、この様な経緯を櫻井様は承知されておりましたでしょうか。〉

 かつて私が、「四島一括返還」という言葉は時計の針を逆に戻すものであるとの批判をしたことは事実である。その真意は右に述べた通りであり、ここで繰り返すことはしない。

 私が問うているのは、櫻井氏が北方領土交渉に当たる政府方針や当時の国際情勢の変化等、北方領土問題に係る一連の経緯を承知していたか否かという点である。なぜ櫻井氏はこれに答えず、「私信よりもきちんと公の場で議論をするべきことであると考えています。」と逃げるのだろうか。答えは「知っていた」、「知らなかった」のどちらかしかないではないか。

 更にもう一点、指摘したいことがある。それは櫻井氏が6月14日付で送付された一つめの回答文において、『月刊自由』なる雑誌名を挙げていることだ。

 私が櫻井氏に毎月送付しているのは『月刊日本』である。この点に関する指摘についても、櫻井氏は何も答えていない。

 これは単なる言い間違いかもしれない。間違いは誰にでもある。しかし間違えたのなら、それをきちんと訂正すべきである。

 この様な細かな事実関係すら正確に記すことができずして、また、自らのミスを改めることもできずして、どうして櫻井氏が声高に主張する「公の場での議論」ができようか。一時を疎かにする人間に、大事を語れるとは到底思えない。

 櫻井氏に再度訴える。まずは私の質問に正確に答えることだ。その上であなたの望む公の場での議論を正々堂々と行おうではないか。先に私を撃ってきたのはあなたであり、質問に答える義務があなたにはあるのではないか。

 櫻井氏のご返事を待ちたい。

 議員会館で仕事をし、14時から千代田プレスクラブで講演。政局と選挙についてお話しさせて戴く。
 マスコミ関係者の集まりであるが、意見交換もでき、良い会であった。

 18時半から釧路出身の東洋スーパーミドル級チャンピオンの清田祐三選手の激励会に出席。地元釧路からチャンピオンが出たのは嬉しい限りである。益々のご活躍を期待してやまない。



2009年5月21日(木)
 今日の参議院予算委員会に谷内正太郎政府代表は政府参考人として出席し、毎日新聞のインタビューで述べた北方領土3・5島返還について「3・5島でもいいのではないかという類の発言は一切していない。全体の流れの中で誤解を与える部分もあったかもしれず、深く遺憾に思っている。私の基本的立場は政府方針どおりだ」と答弁している。

 一ヶ月も経ってから釈明しているだけでもおかしい。政府代表として官邸に自分の部屋を持ちながら、どうしてもっと早くに国民に説明責任を果たさなかったのか不思議でならない。このことは外務官僚にも言えることである。

 ソ連時代、日本政府は「四島一括返還」と、ソ連に対し強硬に言った。更に「領土問題は存在しない」というソ連に、「即時」という言葉を付け、「即時四島一括返還」とまで言ってきた。

 ところが1991年12月、ソ連が崩壊し、自由と民主、自由経済のロシアになってから、四島一括という考えを政府は変えた。外務省広報誌の「われらの北方領土」にある様に、

〈交渉にあたり、我が国は、ロシア側が九一年後半以降示してきた新たなアプローチを踏まえ、北方四島に居住するロシア国民の人権、利益及び希望は返還後も十分に尊重していくこと、また、四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する考えであることを明示しつつ、柔軟かつ理性的な対応を取りました。〉

 となったのである。
 この変化を、外務省は国民にきちんと説明していない。政治家の中でも不勉強な者には、未だに四島一括という言い方をする人がいる。然るべき立場にある人は、返還運動ではなく、返還交渉をするのである。今日の谷内氏の答弁を聞きながら、外務官僚の不作為をつくづく感じるものだ。

 私は政府の方針に沿って、時には総理の特使として北方領土返還、平和条約締結交渉にタッチしてきた。二島先行返還論だとか段階的解決論だとか、ひどい時には「鈴木は二島ポッキリだ」などと言われたが、私は四島の旗を降ろしたことはただの一度もない。四島を現実的に返してもらうにはどの様なアプローチがあるのかと考えたのである。

 国賊扱いされた7、8年前を想い出す時、今回の3・5島返還論の谷内発言で話が付くのなら、とっくの昔に二島が返還され、残り二島も具体的に日本に返還される道筋を作れていたと、内心忸怩じくじたるものを感じる。

 私の騒動は権力闘争の一面もあり、政治の世界、まさに一寸先は闇である。ここは政権交代をして、外交もダイナミックに変えなくてはいけない。いや、変える必要がある。

 そのためにも選挙に勝つことである。新党大地は「北の大地 北海道からチェンジ!」を訴え、実現してゆく。

2009年5月18日(月)

 今月14日木曜日のムネオ日記で既に触れたが、14日付の産経新聞に掲載されている櫻井よしこさんの記事の中に、私に関する箇所がある。そのことについて、本日配達証明郵便で、櫻井さんに対して質問状を出した。以下、全文をご紹介するので、目を通して戴きたい。

 拝啓 櫻井様におかれては、益々健勝にご活躍のこととお慶び申し上げます。日頃精力的にご活動されていることに、心から敬意を表します。

 さて、本年5月14日付産経新聞の1面、2面に、「麻生首相に申す 領土問題1ミリも譲るな」と題する、櫻井様の文章が掲載されております。その中に、以下の様な記述があります。

 〈谷内正太郎前外務次官も、4月17日、面積で2分する「3・5島論でもいいのではないか」と発言したと報じられた。日本側が自らの交渉の土台を切り崩しているのである。

 さらに、これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は「4島一括返還」という言葉自体を「時計の針を逆に戻すもの」と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。〉

 櫻井様は「これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は」、「いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。」と主張されております。右の記述は、過去に私が歯舞、色丹、国後、択捉の4島よりも少ない、例えば歯舞・色丹の二島のみの返還によって、北方領土交渉に決着をつけることを目指していたことがあたかも事実であるかの印象を、産経新聞の読者及び世間一般に与えかねないものでありますが、これはどの様な根拠に基づいての認識であるのでしょうか。

 明確に申し上げます。私は、4島返還の旗を降ろしたことは一度もありません。歯舞、色丹、国後、択捉は我が国固有の領土であり、私はこれを譲ったことはないのです。

 7年前、私がバッシングを受け、逮捕された時期、新聞等の一部マスコミより、「鈴木宗男は二島返還論者だ」との批判がなされたことはありました。しかし私は、あくまで、最終的に四島を取り戻すにはどの様なアプローチがあるかを考え、当時の橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗内閣総理大臣の指示、日本政府の方針に従って行動しただけであります。

 櫻井様が、私がかつて二島返還で北方領土交渉を決着させようとしていた一方で、今は、四島返還論の側に立っているかの様な印象を与えていると考えておられるならば、その具体的、客観的根拠を示される様、強く求めます。

 また櫻井氏は「鈴木宗男氏は『4島一括返還』という言葉自体を『時計の針を逆に戻すもの』と批判した。」と書かれております。「四島一括返還」という言葉が、日ロ関係の時計の針を逆に戻すものという指摘は、事実に基づいた正しいものであると私は認識しております。なぜなら日本政府は、中山太郎外務大臣(当時)がモスクワを訪問し、ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)、エリツィン・ロシア大統領などと公式に会談した1991年10月以降、北方領土交渉において、「四島一括返還」という主張をしていないからです。

 櫻井様もご存じのことと思いますが、「領土問題は存在しない」と主張するソビエト社会主義共和国連邦時代、日本政府は四島一括返還の上に「即時」という言葉を付けていました。しかし、ソ連が崩壊し、自由と民主のロシア連邦共和国になってから、日本政府は次の様な対処方針を採用したのです。

 〈交渉にあたり、我が国は、ロシア側が九一年後半以降示してきた新たなアプローチを踏まえ、北方四島に居住するロシア国民の人権、利益及び希望は返還後も十分に尊重していくこと、また、四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する考えであることを明示しつつ、柔軟かつ理性的な対応を取りました。〉

 外務省が発行している広報誌「われらの北方領土」には、1993年版から(2004年版を除く)この記述がなされています。この様に、日本政府として、ソ連崩壊後、北方四島の一括返還という方針を転換していることがきちんと述べられております。

 今更「四島一括返還」という言葉を持って交渉にあたることは、自由と民主のロシアではなく、共産主義のソ連を交渉相手としていた時代に戻ることを指すという意味で、私は「時計の針を逆に戻す」旨主張したものです。この点を櫻井様は承知されておりましたでしょうか。

 今回、櫻井様が5月14日付産経新聞においてされた主張は、私の政治家としての過去の行動や、私に対する評価を不公平にねじ曲げるものであります。誤った認識、客観的ではないことに基づき、とんでもない勘違いをした主張をされては、私としては迷惑千万であり、また何よりも、国民に間違った判断材料を提供することになります。

 右の二つの問いに対し、櫻井様が明確な回答をされることを、ここに強く求めます。

 敬具

平成21年5月18日
新党大地代表・衆議院議員
鈴木宗男

2009年5月14日(木)
 
 今日の産経新聞1・2面に櫻井よしこさんの「麻生首相に申す」というコーナー記事の一部に、私の名前が出ている。
 読者の皆さんにその部分をご紹介し、私の考えを述べさせて戴く。

 谷内正太郎前外務次官も、4月17日、面積で2分する「3・5島論でもいいのではないか」と発言したと報じられた。日本側が自らの交渉の土台を切り崩しているのである。

 さらに、これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は「4島一括返還」という言葉自体を「時計の針を逆に戻すもの」と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。

 櫻井さんのとんでもない勘違いである。私は、四島の帰属の問題を解決するという旗を降ろしたことは一度もない。

 ソ連時代、領土問題はないというソ連に対し、日本は「一括返還」を訴え、その上に更に「即時」という言葉を使っていた。しかし、平成3(1991)年12月、ソ連が崩壊し、自由と民主のロシアになってから、日本政府は「四島一括」、況(いわん)や「即時」という考えを変えたのである。

 交渉にあたり、我が国は、ロシア側が九一年後半以降示してきた新たなアプローチを踏まえ、北方四島に居住するロシア国民の人権、利益及び希望は返還後も十分に尊重していくこと、また、四島の日本への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応する考えであることを明示しつつ、柔軟かつ理性的な対応を取りました。
(外務省広報誌『われらの北方領土』より)

 これが日本政府の、ロシアになってからの、北方領土問題解決に向けての方針、考えなのである。
 自由と民主のロシアになってから、日ロ両国は、4つの島の名前を挙げ、北方四島は日ロ間の係争地域であるとし、スターリンの残滓を取り除くべく、法と正義、並びに過去の宣言、協定、声明等で約束したことに基づいて解決を目指すと合意している。私は日本政府の方針、判断の中で行動してきた。日本政府は段階的解決論で領土交渉を進めてきたのである。
 櫻井さんともあろう方が、何を根拠に「いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏」と言っているのか。正確を期して戴きたい。
 少なくとも櫻井さんより私の方が、北方領土をより身近に感じ、より真剣に、返還運動ではなく返還交渉をしてきたと自負している。櫻井さんのお返事を戴きたいものである。


【櫻井よしこ 麻生首相に申す】領土問題1ミリも譲るな
2009.5.14 03:25

 麻生太郎首相のロシア外交は、危ういこと限りない。このままでは手痛い失敗を喫し、日本の国益は損ねられるだろう。

 プーチン首相の来日をめぐる報道で実感するのは、日露交渉での日本側の顕著な劣勢である。北方領土の4島返還という言葉が出てこない。ほとんどの新聞が“3・5島論”を取り上げ、交渉の大前提が、日本政府の対ソ連・ロシア外交の基本であったはずの4島返還から3・5島へと大後退したかのようだ。この状況を招いた直接の責任は麻生首相、谷内正太郎前外務次官らにある。

 今回、麻生首相は実態の裏づけのない期待に踊らされ、結果を確かめて然(しか)る後、初めて与えるべき種々の経済的譲歩をロシアに与えてしまった。エネルギー開発、省エネ技術の移転、輸送インフラの整備、原子力協定の締結、原子力施設関連の技術移転など、多くのプロジェクトだ。

 昨年秋の金融経済危機で、ロシアの外貨準備は大幅に減り、1バレル95ドルを基本に計算して組みたてた国家予算は、原油価格の大幅下落で、根本的な見直しを求められている。プーチン政権を批判するジャーナリストや言論人が殺害され続ける強権国家において、デモが起こるほど国民の不満は高まっている。だからこそ、プーチン首相は、いま、日本の経済協力と技術協力を是が非でも得たいのだ。領土問題で期待を膨らませる麻生首相に明確な拒絶の姿勢を見せないのは、そのためだ。

 プーチン首相と握手し破顔大笑する麻生首相。ロシア外交の場で、このように曇りのない笑顔を見せてよいものだろうかと、私は考える。領土問題以前に、首相は、祖父、吉田茂が1951年に国連総会議長にあてた訴えを読んだであろうか。シベリアに強制抑留した日本軍兵士を、旧ソ連がどれほどむごい拷問で責めたて、どれほど多くを死なせたか。彼らの国際法違反の蛮行の決着はまだ、ついていないのである。

 首相が言及した、北方領土の面積による2分案について、ロシア側の発言は冷水をかけるものだ。
 昨年12月9日に、来日したロシア大統領府ナルイシキン長官は、「双方が極端な立場から離れ、受け入れ可能な解決策を探ることが重要」と、麻生首相に述べた。

 それより少し前の11月22日、メドベージェフ大統領は、ペルーでの首脳会談で「スタンダードではないアプローチ」と語った。

 「極端な立場から離れ」た、「スタンダードではない」アプローチについて、ロシア外交が専門の青山学院大学教授の袴田茂樹氏は、「ロシア側が言う両極端とは4島論かゼロ島論を指します。日本で語られているような4島か2島かではありません」と語る。

 だが、麻生首相は、「4島か2島か」だと思い込んだのであろう。そのうえで、それでは「話が進まない」として、面積2分論を口にしたのだ。2006年12月の外相時代の右の発言は、無原則に譲っているにもかかわらず、当のロシア側からは、「問題の本質を知らない人物の発言」(クナーゼ元外務次官)と突き放された。

                   ◇

 谷内正太郎前外務次官も、4月17日、面積で2分する「3・5島論でもいいのではないか」と発言したと報じられた。日本側が自らの交渉の土台を切り崩しているのである。

 さらに、これらの発言より数年前に、いま、4島返還論の側に立つかのような印象を与える鈴木宗男氏は「4島一括返還」という言葉自体を「時計の針を逆に戻すもの」と批判した。いわゆる段階的返還論を論ずることで、鈴木氏もまた、日本側が2島返還でとりあえず、問題決着をはかる用意があるかのような印象を、ロシア側に与えたのであり、責任は重大だ。

 一方プーチン大統領は、強硬であり続けた。07年6月、「『係争中の島々』に議論の余地はない」と発言、北方領土は「第二次大戦の結果として形成され、国際法によって固定されている」と述べた。平和条約締結後の2島返還を定めた1956年の日ソ共同宣言を拒否したのは他ならぬ日本だとして、日本側を非難した。今回、首相として来日したプーチン氏は、今回も同案に言及した。4島の中の小さな2つの島々、歯舞と色丹の返還を定めた56年の日ソ共同宣言を交渉の出発点とする2001年の「イルクーツク声明」について「動かしたくない」と森喜朗元首相に語った旨、『読売』が13日付朝刊で報じている。麻生首相との首脳会談でも、プーチン首相は同宣言に触れたそうだ。

 恐らくそれが本音であろう。また、先述のような経済的行き詰まりでロシア国民の不満が高まるなか、領土問題で日本に譲ることも、プーチン首相にはできないであろう。だからこそ、日本が焦って譲歩するのは愚策なのだ。

 歴史を振りかえると、ロシアの日本接近は、必ず、ロシアが閉塞(へいそく)状況に陥ったときになされている。

 73年、田中角栄首相との会談でブレジネフ書記長は、初めて、日ソ間には未解決の「問題」があると認めた。ニクソン外交で米中両国が接近し、ソ連が国際的孤立を恐れたからだ。

 93年、エリツィン大統領が来日し、4島は歯舞、色丹、国後、択捉だと固有名詞で領土問題を語り、問題解決をはかるとしたのは、ベルリンの壁が崩壊し、旧ソ連が消滅し、ロシア経済が破綻(はたん)し、日本の援助が必要だったからだ。

 今回も同じ構図である。日本の資本と技術を必要とするロシアが、それらを手に入れるために日本に接近したにすぎない。7月のメドベージェフ大統領との会談で、3・5島論も含めてあらゆるオプションを論ずるというが、ならば、経済協力は具体的成果を見てからでよい。領土問題を経済の多寡ではかってはならない。日本が国家なら、主権にかかわる領土に関して、原則は1ミリも譲ってはならない。