2009年7月30日木曜日

【年金問題】 年金改竄の実態

 私は、厚生労働大臣直属の調査委員会の委員として、「年金改ざん問題」の調査に加わった。その結果分かったことは、この「年金改ざん」による社会保険庁職員への非難がほとんど根拠のないものだということだ。

 少なくとも、社保庁職員が、国民に実害を生じさせるような「犯罪行為」に関わった具体的な証拠は、調査委員会の調査結果からは何一つ得られていない(標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会報告書)。

そればかりか、全国の社会保険事務所で「仕事の仕方」として定着していた「標準報酬月額の遡及訂正」というやり方は、保険加入者間の負担の不公平を防止することにもつながるものでもあった。

 なぜ、ほとんど「空中楼閣」のような「社保庁組織丸ごと犯罪者集団ストーリー」が作り上げられてしまったのか。その大きな原因が、社保庁を含む厚生労働省のトップである舛添厚労大臣が、「改ざん」の事実を確認することもなく、制度の仕組みを理解することもなく、自らの部下である社保庁職員を「犯罪者」のように決めつけて一方的にこきおろしたことにある。大臣の国民への「人気取り」のパフォーマンスがマスコミのバッシングをエスカレートさせることにつながった。

 これまでにも数々の不祥事を重ねてきた社保庁組織や職員に問題が多々あったことは否定しないし、私は、それら全体を擁護する気持ちは全くない。しかし、少なくとも、この厚生年金記録の「改ざん問題」に関しては、社保庁職員に対する非難は明らかに重大な誤解によるものだ。

 しかも、その誤解を解消しないと、今後の年金に関する業務体制の構築や運用の在り方について重大な悪影響が生じる。将来の年金給付率の低下が予測され、若年世代に年金制度への不満が高まっている現状の下ではなおさらだ。誤解に基づくバッシングのツケは、将来、厚生年金加入者全体が払うことになりかねないのだ。

「刑事告発」が目的だった大臣直属の調査委員会

 中央大学法科大学院教授で弁護士でもある野村修也氏から、いわゆる年金「改ざん」問題に関する厚労省の調査委員会の件で依頼があったのは、9月末のことだった。「従業員の給料から年金保険料の半額が天引きされているのに、社保庁職員が、標準報酬月額を不正に減額して、事業者の年金保険料の支払いを免除したり、少なくしたりしている問題について、舛添厚生労働大臣から調査の依頼を受けている。場合によっては刑事告発に至る可能性もある。そのメンバーとして加わってほしい」という話だった。

 「消された年金」「年金改ざん」などと呼ばれて、社会的にも大きな関心を集めている問題であり、刑事処罰についての適切な判断のためにも検事経験の長い私のような弁護士が関わることが必要なのだろうと考えて、私は、野村教授の依頼を受けることにした。

 その後、具体的説明を受ける機会がないまま、10月6日の夕刻、厚生労働大臣室で調査委員会の最初の会合が行われることになった。そして、その当日の朝刊には、「年金改ざん、調査チーム設置へ、舛添厚労相、刑事告発も」という見出しで、この調査についての記事が出ていた。

 「舛添要一厚生労働相は5日、茨城県龍ケ崎市で講演し、厚生年金標準報酬月額改ざん問題での社会保険庁職員の関与を調べるため、弁護士数人でつくる厚労相直属の調査チームを6日に設置する方針を明らかにした。改ざんへの関与が明らかになった場合、公文書偽造などの罪に当たるため、時効になっていないケースの刑事告発を検討する。 舛添氏は『(改ざんされた)紙が残っていれば、それを証拠に悪い職員を逮捕できる。徹底的にうみを出したい』と述べた」

調査メンバーには直接の説明もないのに、舛添大臣は、調査の目的が「改ざん」への社保庁職員の関与の解明と関与した職員の刑事告発であることを公言している。要するに、社保庁職員が「公文書偽造などの犯罪行為」を行ったことが疑われているので、その具体的事実を明らかにして刑事告発するために我々弁護士を雇ったということのようだ。

 米国での違法行為が、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的な行為、つまり「ムシ(害虫)型」が多いのに対して、日本での違法行為の多くは、組織の利益を主たる目的にして、継続的・恒常的に行われる「カビ型」だ。ムシ型は、その個人に厳しい制裁を科すという「殺虫剤の散布」で十分だが、カビ型違法行為は、その全体像を明らかにして原因となっている構造的問題を解明する「湿気や汚れの除去」をしなければ本当の解決にはならない。

かねて、官庁・企業の不祥事についてこのように述べている私には、社保庁の組織全体で行われていた可能性がある「年金改ざん」に対しても、違法行為の全体像を解明し、その構造的な要因を明らかにするカビ型対応が不可欠だと思われた。舛添大臣の依頼の趣旨が、単に、目についたムシに殺虫剤を撒く「ムシ退治」をしてほしいということであれば受任をお断りするしかないと考えて、10月6日の大臣室での初会合に臨んだ。

 会合に先立って舛添大臣から4人の調査委員への辞令交付が予定されているとのことで、大臣室の前にはテレビカメラが待ち構えていた。しかし、まず、大臣から調査の目的と趣旨についての説明を受けなければ、受任するか否かが判断できない。他の委員の意向も同様だった。4人の委員全員の要求で辞令交付の前に大臣と会談し、「『最初に告発ありき』ではなく、まず、事案の全体像を解明し、違法行為があればその悪性の程度を評価したうえで刑事告発の要否を判断するということでなければ受任できない」と条件を提示、大臣が了承したので、調査委員会の初回会合に移行し、テレビカメラを入れての大臣発言、辞令交付が行われた。そして、調査委員会の委員長には野村教授が就任、委員4人の下に9人の若手弁護士による調査チームも組織された。

 こうして、いわゆる「年金改ざん問題」についての厚労大臣直属の調査委員会の調査が始まった。しかし、その調査の結果からは、刑事告発の対象となる事実はおろか、不正行為への社保庁職員の具体的な関与はほとんど明らかにならかった。

厚生年金については、給与や報酬の実態に応じて事業主が個々の保険加入者の標準報酬月額を申告することになっており、それを基準に毎月の保険料が決まり、将来年金を受給する権利も生じる。この標準報酬月額の「遡及訂正」、つまり遡って引き下げる手続きをしたことが問題にされている。それによって、支払うべき保険料が遡って安くなるので、保険料の滞納額が帳消しになる一方、将来受け取ることになる年金額も減少する。

 ただ、「改ざん」と言っても、事業主の申告もなしに、社保庁職員が勝手にやったというのではない。少なくとも事業主自身の申告に基づいて遡及訂正が行われている。給与から保険料を天引きされている従業員の報酬月額がその本人の知らないうちに事業主によって勝手に引き下げられて、保険料の滞納が帳消しにされたのであれば、事業主による保険料の着服・横領そのものであり、それによって従業員の将来の年金額が不当に減らされ実質的な被害が生じる。舛添大臣が「犯罪」「刑事告発」などという言葉を口にするのは、そういう事業主による保険料の着服に社保庁職員が関わっている疑いがあるという意味のはずだ。

 しかし、そのような事業主の犯罪行為が実際にどの程度行われていたのかは、明らかになっていない。従業員分の報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関与したと疑う根拠はほとんどない。

 一方、事業主が自分の標準報酬月額の遡及訂正の申告をするのは、将来の年金が減ることを本人が納得したうえで手続きを行っているのだから実質的な被害はない。2008年11月28日に公表された調査委員会報告書で「社会保険事務所の現場で半ば仕事として定着していた」と述べているのは、このような事業主自身の標準報酬月額の遡及訂正だ。しかし、そのような行為が多くの社会保険事務所で恒常的に行われていたことには理由がある。

厚生年金は大企業向けに作られた制度

厚生年金は事業者に雇用される労働者を対象とする公的年金で、すべての法人事業者と従業員5人以上を常時雇用している個人事業主が厚生年金への加入が義務づけられ、従業員の保険料の半分は事業主が負担することになっている。個人事業主の場合は、事業主自身は厚生年金には加入できないが、法人事業者は、経営者もその家族も、法人から報酬を受け取っている限り厚生年金の加入の対象となる。厚生年金に加入すると、給与や報酬の額に応じて事業者の申告によって設定される標準報酬月額を基準に保険料の支払い義務と将来年金を受給する権利が生じる。

 このような厚生年金の制度は、経営基盤が安定し、経営者や従業員の社内での地位や待遇も明確に決められている大企業向けのものだ。大企業の場合、従業員の給与は給与規定などの社内規則で定められていて、その支払いの事実は賃金台帳に記載され、役員の報酬も取締役会決議などで定められているので、給与・報酬の金額が客観的に明らかでそれに応じて標準報酬月額を定めることが容易だ。

 資金繰りも計画的に行われ、社会的信用を重視するので、経営状態が変化しても社会保険料を滞納することもほとんどない。あらかじめ定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという方法での年金制度の運用に適している。

しかし、中小零細企業の場合は、法人であっても、その実態は個人事業者に近いものが多く、事業主が代表取締役、その親族が取締役という場合が多い。経営も不安定であり、収支が悪化すると、借金返済や従業員の給与の支払いが優先され、社会保険料の滞納が生じやすい。

 しかも、いったん滞納すると、年に14.6%という“サラ金”並みの延滞金がかかるので、滞納額は雪だるま式に膨れ上がっていく。一方、事業主も、形式的には法人の取締役などの地位にあっても、その報酬が「客観的に定まっている」とは到底言い難い。経営が悪化すると、報酬を受け取るどころか、売掛金や従業員の給与の支払いを事業主の借金で賄うというような「持ち出し」になることも珍しくない。

 一方、標準報酬月額は、厚生年金加入の時点で事業者の申告によって定められ、毎年度改定することになっているが、中小零細企業の場合、改定が行われないまま放置されていることも多い。経営悪化のため保険料を滞納 している事業主の場合、標準報酬月額が実際の報酬額より高い額のまま放置されている場合が多い。

中小零細企業の場合、あらかじめ給与・報酬の実態に応じて定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという厚生年金制度を適用していくことが、もともと困難なのだ。

保険料を払っても払わなくても将来の年金額は変わらない

 そして、重要なことは、厚生年金の場合、加入期間の標準報酬月額に応じた年金受給権は、保険料を滞納していても、事業主の倒産などで支払い不能が確定しても、全く変わらないということだ。要するに、厚生年金は保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金は変わらない。労働者のための公的保険で、労働者は給与から保険料を天引きされているので、事業主が保険料を払わなかったからと言って年金がもらえないのはかわいそうだというのが、その理由だ。しかし、その結果、保険料を払わなかった事業主自身も、払った場合と同額の年金が受給でき、その分は、まじめに保険料を支払っている他の年金加入者が負担することになる。

 「そんなバカな!」と思われるかもしれない。調査委員会の調査を始めた段階では、委員も調査員も誰もこのことを認識していなかった。調査の過程で、厚労省の側に説明を求め、ようやく、それが確認できたのだ。このような厚生年金制度の下では、事業主の保険料滞納を放置すると保険加入者間の負担の公平を害することになる。

徴収率を維持するために社保庁職員が行うべきことは、まずは粘り強く説得して保険料を支払ってもらう努力をすることだ。しかし、経営不振で資金繰りに苦しんでいる中小零細企業に滞納している保険料を支払わせることは容易ではない。その場合、法律が予定している正規の手続きは、調査委員会報告書でも言っているように「毅然たる態度で滞納事業者の財産の差し押さえを行うこと」だ。

 しかし、中小零細企業には差し押さえて換価処分できるような会社名義の財産などほとんどないし、事業に不可欠な設備や売掛金が入金される銀行口座を無理に差し押さえたりすればただちに倒産してしまう。実際には、財産の差し押さえで保険料の滞納を解消することは容易ではない。

遡及訂正は保険加入者間の負担の公平のための唯一の手段

 そうなると、支払い困難な中小零細企業の事業主の保険料滞納を解消する唯一の方法は、事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を遡って減額することだ。経営不振で資金繰りに困って長期間にわたって保険料を滞納している事業主であれば、まともに自分の報酬など受け取ることすらできない場合も多い。そのような事業主の標準報酬月額を遡って引き下げるのは、基本的に報酬の実態に近づけるもので、必ずしも「不適正」とは言えない。

 保険料が支払い困難な経営状態の事業者の滞納事案を放置した場合には、その事業者が倒産して多額の滞納が確定すると、保険料を支払わなかった事業主に将来多額の年金が支給されることになり、その資金は他の保険加入者が負担するという不合理な結果になってしまう。何とかして、そのような滞納を解消しようとするのが当然であり、それを放置する社保庁職員の方がよほど無責任と言えよう。

このように考えると、中小零細企業も含めて法人事業者にはすべて厚生年金への加入を義務づけている現行制度の下では、支払い困難と思える事案について、最終的な手段として、事業主側の納得を得たうえで標準報酬月額の遡及訂正を行うことは、加入者間の負担の公平を確保しながら年金財政を維持していくためにやむを得ない措置であったと言える。

 もっとも、「法令遵守」という観点だけから考えると全く違う考え方になる。報酬の実態に応じて保険料を支払うことは事業主にとっても法的義務なのだから、事業主が、標準報酬月額を実際に受け取っている報酬額を下回る金額に引き下げること、ましてや、そこに社保庁職員が関与することは許されない。調査委員会報告書が、事業主の標準報酬月額の遡及訂正も含めて不正行為ととらえ、関与した社保庁職員を処分の対象とすべきとしていることのベースにもこの考え方がある(報告書5ページ)。

 しかし、私は、この調査委員会の多数見解には異論がある。年金に関して「報酬の実態に応じて保険料を支払う義務」というのは、「所得に応じて税金を支払う義務」つまり、納税義務とは意味が異なる。

 納税は、納税者が国に対して一方的に義務を負うが、年金については、保険料の支払い義務とともに将来の年金受給権が生じる。標準報酬月額を実際の報酬額以下に引き下げたとしても、保険料の負担だけではなく将来の年金の給付の方も低くなるのであり、脱税のように国への支払い義務だけを一方的に引き下げるものではない。

 また、そもそも、個人事業者は厚生年金への加入義務がないばかりか加入することが認められてすらいない。一方、同程度の規模でも法人事業者はすべて厚生年金加入を義務づけられているが、実際には未加入の中小零細企業が膨大な数存在している。これら個人事業者や未加入事業者との比較から言えば、厚生年金に加入している中小零細事業主の標準報酬月額が実際の報酬額を下回ったとしても、そのこと自体は実質的には大きな問題とは言えない。

 ましてや、「保険料を払わなくても将来もらえる年金が変わらない」という現行制度の下で、保険料を滞納している中小零細事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、保険料を支払わないで将来年金をもらう「年金泥棒」のような結果を防ぐ事実上唯一の手段なのであるから、この場合にまで遡及訂正が「違法だから許されない」というのは、実態を無視した「法令遵守」の形式論理そのものと言えよう。

 このように考えると、事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、中小零細企業の経営実態からすると、そもそも報酬の実態に反する「不適正な遡及訂正」、つまり不正行為と言えるかどうかすらはっきりしないだけでなく、形式的に「法令遵守」に反していても、実質的に非難すべき行為とは言えないの だ。

 一方、従業員の標準報酬月額の遡及訂正の方は、それを事業主が従業員本人に無断で行って給与から天引きしていた保険料を着服したとすれば、事業主による犯罪であり、それに関わった社保庁職員がいるとすれば、公務員犯罪そのものだ。全国の社保庁職員の中にそういう職員がまったくいないと断言はできないが、少なくとも、調査委員会の調査ではそれを疑う具体的な根拠は得られていない。

 このように、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも従業員の分と事業主の分とでは全く意味が違うのに、それが丸ごと「改ざん」と言われて犯罪行為のように扱われ、社保事務所の「仕事として定着していた」などと報道されたために、社保庁職員全体が社会から大きな誤解を受けることになった。

 私の新著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守れば良い』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「捏造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現実について述べている。

 これらは必ずしも「法令違反」とは限らないが、一度そのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」批判は、「思考停止」の典型と言えよう。「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難されたのだ。

 このような「年金改ざん」についての社保庁職員に対するバッシングがエスカレートしてしまったのはなぜなのか、舛添厚労大臣の発言や態度がどのような影響を及ぼしたのか、そして、それが、今後、給付率低下が予想される厚生年金制度にどのような悪影響を与えるのか、明日はその点について考えてみたい。

昨日の本コラムに対して、多くの方々からの反響があった。中には、私が述べていることの前提となる基本的事項についての質問・疑問もあった。厚生年金という制度に関わる問題であるだけに、若干分かりにくい面があったのかもしれない。

 そこで、「年金改ざん」問題を考える上での重要な事項について、改めて説明しておこうと思う。

年金額は「いくら支払うべきだったか」の金額で決まる

 まず、「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金額が変わらない」というのは、給与・報酬の実態に応じて申告で定める標準報酬月額に基づいて、支払うべき保険料と将来の年金受給額が決まっていて、その保険料を実際には払わなくても年金受給額には影響しないということだ。保険料を実際に「いくら支払ったか」ではなくて、「いくら支払うべきだったか」の金額に応じて、将来の年金額が決まるのだ。

 もし、保険料を滞納したまま事業者が倒産した場合のように、保険料の支払不能が確定した場合でも、年金の受給額には影響しない。それどころか、厚生年金の場合は、そもそも、保険料の滞納や不払いがあっても、標準報酬月額が変わらない限り、その人の年金受給額を減らすことにはなっていないのだ。

 厚生年金に加入している事業者が支払うべき保険料を支払わなければ、その分、保険料を支払う債務が残っているわけで、社保庁職員は、それを支払うよう説得し、それでも支払ってもらえなければ滞納処分としての差押えをして強制的に取り立てるというのが法律の建て前だ。

 しかし、実際には、保険料を滞納するような中小企業の場合、会社名義の財産はほとんどなく、差押えで滞納保険料を回収することは極めて困難だ。その結果、滞納が解消できないままになってしまっても、保険料を支払わなかった事業者の将来の年金額には影響しないということになる。

 その結果、保険料を真面目に払っている年金加入者の負担が増えるという不公平を招くというので、滞納している事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を減額して、その分、年金受給額が少なくなるようにするというのが、事業主の標準報酬月額の遡及訂正だ(従業員と事業主の険料を区別して支払うことはできないが、事業主分だけの標準報酬月額を引き下げることは可能)。

 このような遡及訂正は、保険料を滞納している経営不振の事業主の報酬の実態に必ずしも反していないし、保険加入者の負担の公平のためにはやむを得ない措置と見るべきではないかというのが私の見方だ。

合理的な事業主案件まで「年金改ざん」と呼ばれた

 一方、従業員の標準報酬月額を本人が知らない間に遡及して引き下げるのは、その分、保険料を天引きされている従業員の年金受給額が減額されることになるから、まさに実質的な被害が生じる。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならない。

 また、その結果不利益を受けている保険加入者がいれば救済しないといけない。しかし、少なくとも、調査委員会の調査では、この従業員の標準報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関わった具体的な根拠は得られていない。

 問題は、現時点では具体的に明らかにはなっていないと言っても、実際に、このような実質的な被害が生じている従業員案件がどの程度あるかだ。

この点については拙著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)で詳述しているが、今回の調査で対象とされた6.9万件の遡及訂正事案のうち、約70%が事業主分と思える1名だけの遡及訂正で、約30%の複数の遡及訂正の事案の中にも、事業主の親族など実質的に事業主に帰属するものや何らかの事情で従業員が架空である場合などが含まれている。

 その中から、本当に従業員の標準報酬月額が不当に遡及訂正され、被害が生じている案件を絞り込んだうえ、まず事業主側を調査対象にして一つひとつ丹念に事実関係を洗い出していかなければならない。それをやってみないと、従業員案件について社保庁職員を非難できるかどうか分からないのだが、そのような調査は、社保庁職員を主たる対象とする調査委員会の調査とはまったく方向が違うものだった

 結局、実質的被害がなく、それなりの合理的な理由のある事業主案件と犯罪行為そのものと言える従業員案件とをひとまとめに「年金改ざん」と呼んで、それに社保庁職員が組織ぐるみで関与したかのように非難してきたというのが、これまでの経過なのだ。

 社保庁という1つの官庁に対して、「年金改ざん」という名の下で、さしたる根拠もないのに強烈なバッシングが行われ、組織に対する信頼が崩壊してしまったのはなぜなのか、どのような経緯でそうなったのか。そこには、官庁・企業の不祥事に対するバッシングが拡大し、その歪みが生ずる構図に共通する要因が存在している。

社保庁への信頼はなぜこれほどまでに失墜したのか

 まず、社保庁が信頼を失墜するに至るまでの経過を振り返ってみる。

 ここ数年、社保庁では、不祥事が相次いだ。2004年3月、政治家の国民年金未納問題が報道されたのをきっかけに、同年7月、約300人の職員が未納情報等の業務目的外閲覧を行っていた「年金記録のぞき見問題」が発覚した。そして、同年9月には、カワグチ技研事件で社保庁の幹部職員が収賄罪で逮捕され、通常国会における年金改正法案の審議やマスコミの報道等で強い批判を受けた。

 2006年5月、全国各地の社会保険事務所が、国民年金保険料の不正免除を行っていたのが発覚した。2007年5月には、年金記録をオンライン化した際のコンピューター入力のミスや基礎年金番号に未統合のままの年金番号など5000万件強の「宙に浮いた年金記録」の問題が表面化し、年金記録のずさんな管理が批判された。そして、その確認作業が行われる中で、社保庁職員による年金保険料の横領事案が過去に50件あることが明らかになり、国民の激しい怒りを買い、既に被害弁償、懲戒処分済みのものも含めて27件が刑事告発された。

 そして、2008年4月、東京と大阪の両社会保険事務局において、確認されただけで計29人が組合活動に「ヤミ専従」をし、本来は支払う必要のない給与が約8億円支払われていたことが明らかになった。

 このような不正行為・犯罪の相次ぐ表面化で、社保庁という組織は、国民から「最低最悪の官庁」と決めつけられ、国民は「社保庁の職員ならどんな悪事を働いていても不思議ではない」という認識を持つに至った。そのような中で表面化したのが、今回の「年金改ざん問題」だった。

 前回詳しく述べたように、この問題については社保庁職員が厚生年金記録の「改ざん」という不正行為を行ったとして非難する根拠はほとんどない。しかし、国民は、それまでの社保庁に対するイメージから、この問題を、「社保庁職員が組織の都合や個人的な動機から組織ぐるみで行った不正行為」と決めつけ、「年金改ざん」という呼び方も定着した。その伏線となったのが国民年金不正免除問題だった。

国民年金不正免除問題が伏線に

 この問題は、収入が少ない人に対して申請をすることで保険料を免除・猶予する救済制度である国民年金保険料の免除・猶予の手続きを、本人からの申請がないままに行っていたというものだ。

 2004年の国民年金法の改正で、2005年度以降、市町村から所得情報を入手し免除・猶予の該当者を把握できるようになった。このため社保庁職員が、免除・猶予の事由の該当者に働きかけて免除・猶予の申請を出させようとしたが、戸別訪問しても不在だったり、文書を何度送っても反応がなかったりというような接触困難なケースが多かったので、本人からの申請を受けることなく免除・猶予の手続きを行ったという事案だ。これが全国で発生していたことが明らかになった。

 この免除制度というのは、免除の手続きをすることで、保険料を支払わなくても、老齢年金、障害年金、遺族年金の一部を受給できるという制度だ。保険料が支払えない低所得者に対して、老後の最低限の年金を確保させようとするところに目的がある。

 「不正免除」の多くは、せっかくこのような制度があるのに、それを知らないために免除申請をしていない該当者の利益のために行われた。それは社保庁職員の側の「悪事」と単純に切り捨ててよいとは必ずしも言えない。形式的には「違法」であっても、実質的に見て、被害や損害を与える行為ではない。

しかし、マスコミは、この不正免除問題でも一方的に社保庁を叩いた。実質的に、免除事由該当者の利益を図る面があったことなどはすべて無視され、社保庁職員が、年金の納付率を向上させて成績を良くしたいという動機だけで不正を行ったように単純化された。

「年金改ざん」が「組織ぐるみ」とされるまで

 このように「国民年金不正免除」が、「納付率」の向上という社保庁側の事情による不正行為と単純にとらえられたことが、「社保庁職員は、自分たちの都合のために何でもやりかねない人間」という印象を与えた。「年金改ざん」という問題が表面化した際にも、「徴収率」の向上のために他人の年金記録を勝手に改ざんしたというように受け取られたことは否定できない。

 当初、この「年金改ざん」が問題とされ始めた時、そのような行為に、社保庁職員の側がどのように関わっていたのかは全く不明だったが、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで徴収率向上のために不正行為を行ったのではないか、という疑いを持った。そこには「国民年金不正免除」問題からの連想が働いていたはずだ。

 その疑いを決定的にしたのが、滋賀県の大津社会保険事務所の元徴収課長の「社会保険事務所では徴収率向上のために組織的に年金記録の『改ざん』が行われていた」という証言だった。

 社会保険事務所で組織的に行われていたのは事業主の標準報酬月額の遡及訂正だったはずだが、この元徴収課長は、この2つを区別しないで、「改ざん」という不正行為が社会保険事務所の現場で組織的に行われていたように証言した。これによって、それまでは「疑い」であった「社保庁の組織ぐるみの改ざん」が、ほとんど確定的な事実のように扱われるようになった。

 そして、そのような見方を決定的にしたのが、舛添要一厚生労働大臣が、「年金改ざん」問題について、国会で「組織的関与があったであろうと思う。限りなくクロに近いだろう」と答弁し、これが「厚生労働大臣が社保庁の改ざんへの組織的関与を認めた」と報道されたことだ。

 そして、舛添大臣が、社保庁職員の関与者を刑事告発するために弁護士中心の調査委員会に事実関係を調査させると息巻いて立ち上げたのが、私も委員として加わった「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」だった。

「法令遵守」的な不祥事対応は事態を一層悪化させる

 このようにして社保庁に対する信頼が崩壊し、組織全体が「犯罪者集団」のように見られることになってしまったことには2つのポイントがある。

 1つは、社保庁の一連の不祥事に対する対策が、単純な「法令遵守」に偏り過ぎていたことだ。社保庁の幹部が収賄で逮捕されたカワグチ技研事件に関連して、厚生労働省は省内に信頼回復対策推進チームを立ち上げたが、ここでの再発防止対策の柱は、法令遵守委員会の設置と内部通報制度の整備という単純な「法令遵守」のための措置だった。それらの対策が、それ以降の社保庁の不祥事の多発に対して全く効果がなかったことは明らかだ。

 そして、国民年金不正免除問題に関して、社保庁は、3次にわたって調査委員会を立ち上げ、事実関係の解明と原因の究明を行ったが、そこで書かれている原因分析は、法令遵守の観点から社保庁の組織や職員を批判しているだけで、多くの職員の不正行為の動機が「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持ちであったこと、それがこの問題の本質であること」は一切書かれていない。

 このように糾弾されるたびに、一方的に謝罪し、法令遵守の徹底を呼び掛けている間に、社保庁の組織は、どんどん追い込まれ、結局、組織自体が解体されるという事態に至った。

こういった「法令違反」や「偽装」「改ざん」「隠ぺい」「捏造」などで、いったん批判されると、一切の弁解・反論ができないまま、一方的に叩かれ、それが、新たな問題にまで波及し、事態が一層深刻化していく、という最近の官庁・企業の不祥事に共通する構図は、「水戸黄門の印籠を示された途端にその場にひれ伏す人々の姿」、すなわち、「遵守」による思考停止状態そのものだ。

信頼失墜を決定的にした舛添大臣のパフォーマンス

 もう1つ、社保庁の組織や職員にとって決定的な打撃になったのが、舛添大臣の発言と態度だ。舛添大臣は、社保庁を含む厚生労働省の組織のトップでありながら、その部下である社保庁職員をこき下ろし、事実を確認する前から部下の組織や職員の刑事責任にまで言及した。「改ざん」とはどういう意味で使われているのか、標準報酬月額の遡及訂正とどういう関係なのか、従業員の遡及訂正と事業主の分のみの訂正とどう違うのかなど、この問題を考えるに当たっての基本的な事項すら十分に理解していたとは思えない。

 せめて、「調査委員会を立ち上げるので、その調査結果を踏まえて適正に対応したい」と冷静な発言を行い、調査委員会の調査が終わった時点で、各委員から十分に話を聞いたうえで、問題の本質を、国民に分かりやすく説明する努力をしていたら、社保庁職員に対する誤った批判・非難がここまでエスカレートすることはなかったはずだ。

 組織内の不祥事が表面化した場合のトップの対応は様々だ。末端に責任を押しつけて自らは責任を問おうとしないトップもいれば、全責任は自分にあると言って引責辞任するトップもいる。しかし、事実関係を確認することもなく、当事者の弁解・反論を聞くこともなく、一方的に当該部門全体を「犯罪者扱い」するトップというのは、企業の世界ではあまり聞いたことがない。

 私は、社保庁という組織の体質自体に重大な問題があることは否定しないし、その組織がこれまで起こしてきた不祥事、トラブル全体を擁護するつもりはない。しかし、それにしても、今回の「年金改ざん」問題に対する世の中の認識は誤っており、批判・非難の行われ方は明らかに異常だ。

 社保庁やその職員にとっては、それも「自業自得」だという見方もできなくはない。しかし、問題はそれだけで済むものではない。この問題の本質を見極めることなく、このままの論調で「年金改ざん」を単純に社保庁の組織や職員の「悪事」のように決めつけて対応していけば、次に述べるように、厚生年金という制度とその運用に重大な支障を生じさせ、国民全体に大きな不利益をもたらすことになりかねない。
 

産業の二重構造と年金制度をどう調和させていくのか

 「標準報酬月額の遡及訂正」という行為自体が「年金改ざん」などと言われて丸ごと不正のように扱われると、社保庁側では、とにかく遡及訂正だけはやらないようにしようということになるであろう。

 中小零細事業者の事業主の保険料の滞納を解消する唯一の手段であったこの「標準報酬月額の遡及訂正」が行われなくなれば、保険料滞納が長期間にわたって放置されて徴収率が下がることになる。それは、将来、まじめに保険料を支払っている厚生年金加入者の負担で、滞納した事業主自身が高額の年金を受給できることにつながる。

 それを防止するために正規の手段は、調査委員会の報告書で言っているように、「毅然と差し押さえを行う」という方法しかないが、それによって中小零細事業者の滞納保険料を徴収することが困難だということは前回のこのコラムで述べた通りだ。

 では、遡及訂正の恒常化の背景となった「保険料を納めなくても年金がもらえる仕組み」という制度の枠組みそのものを改めればよいのかと言えば、それだけで解決できるような単純な問題ではない。

 厚生年金は、基本的には、多数の従業員を雇用する事業者が従業員の給与から保険料を天引きし、自らの負担分と合わせて保険料を支払うことを前提にしている労働者のための年金制度だ。

事業者が保険料を支払わなかった場合や倒産などで支払い不能となった場合に、年金を天引きされていた従業員が不利益を受けないようにするためには、厚生年金に加入している限り、実際の支払いの有無にかかわらず標準報酬月額に応じた年金の受給権が発生するという制度自体はやむを得ない面がある。

 そのような本来は労働者のための厚生年金が、中小零細事業者の実質的な事業主である代表者にまで適用されることに問題があることは確かだ。しかし、法人の代表取締役は、形式上は会社に雇われている立場であり、それが実質的に「事業主」と言えるかどうかの線引きは容易ではない。

 そう考えると、実態が個人事業者と変わらないような小規模な「法人事業者」をなくしていくこと、人的組織の面でも財産的にも法人としての十分な実体がある場合に限って法人としての会社の設立と存続を認める方向を目指すこと以外には根本的な解決はあり得ないように思える。

 しかし、実際には日本の会社法制は全く逆の方向に向かっている。2006年に商法から独立して定められた会社法では、株式会社の最低資本金の定めがなくなり、会社設立手続きも大幅に簡素化された。誰でも自由に簡単に株式会社が設立できるというのが現在の会社法だ。

「法令遵守」では解決できない日本の中小企業の実態

 極端な事例を考えた場合、1円の資本金で株式会社を設立し、定款で代表取締役の報酬額を定めておいて厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定してしまえば、その後、保険料を何年間滞納し続けていようが、その報酬月額に見合う将来の年金受給権を得ることができることになる。会社の実体がなければ会社財産の差し押さえによって滞納保険料を徴収することもできない。その場合の年金の財源も、真面目に保険料を支払っている厚生年金加入者の負担になってしまう。

 小規模会社に関する会社法制の在り方は、社会保険制度や運用の問題と密接に関連する問題である。両者の整合性を考えながら制度改正を行わなければならないのに、日本では会社法の問題と社会保険制度の問題を全くバラバラに考えてきた。それが、制度の重大な矛盾を生じさせてしまった。

 この問題の背景には、法律の建て前通りにはいかない、つまり「法令遵守」では決して解決できない日本の中小企業の実態がある。その中小企業が、これまで戦後の日本経済の一翼を担ってきたのだ。

 日本の産業構造の二重性の下で、中小零細企業の経営の実態に適合した年金制度と運用の在り方を抜本的に検討する必要がある。それは、経済危機の深刻化に伴って中小零細企業の経営が急激に悪化し、社会保険料の負担が困難になりつつある現状においては、何はさておいても取り組まなければならない緊急の課題と言えよう。

 そのためには、実態も問題の所在も理解しようとせず、自らがトップを務める厚生労働省の一員である社保庁職員を一方的にこき下ろす「人気取りパフォーマンス」ばかり続けてきた舛添大臣が、まず、これまでの軽率な対応を謙虚に反省し、問題の本質に目を向けた対応を行うことが不可欠であろう。

 人気取りのためのパフォーマンスは、この「年金改ざん」問題に限らない。前に述べた社保庁の「ヤミ専従問題」でも同じだ。

 厚労省が事実関係の調査と処分の検討のために設置した第三者による調査委員会が、組織的、構造的な問題だという事案の性格や全額被害弁償済みであることなどを考慮して刑事告発については慎重に対処すべきとの見解を示していたのに、舛添大臣は、それを無視して40人もの社保庁職員を告発するよう指示し、結果的には全員不起訴(起訴猶予)となった。官公庁があえて刑事処罰を求めて告発した事件が全員不起訴になるというのは異例のことである。そのようなことに膨大な労力をかけるより、他に重要な問題が山ほどあるはずである。

 しかし、舛添大臣も含め「人気取りパフォーマンス」で目立っている政治家の名前ばかりが、人気崩壊の麻生首相に代わる「次の総理候補」として急浮上しているというのが、今の日本の政治の悲しい状況なのである。

 では、この問題について、今後何をすべきなのか、制度とその運用をどのように改めていったらよいのか。次回は、その点についての私の考え方を述べて、「年金改ざん」問題についての連載の締めくくりとしたい。

前々回と前回のこのコラムで述べてきたように、「年金改ざん」問題は、厚労省や社会保険庁組織が「法令遵守」に偏った対応ばかり行ってきたことや、組織のトップである舛添厚労大臣が、事実を確認もせず、問題の本質を理解することもなく、社保庁職員が犯罪者であるかのようにこき下ろしたことなどで、マスコミや世の中から、社保庁の職員が組織ぐるみで行った単なる「悪事」であるように決めつけられてしまい、問題が矮小化されている。

 では、この問題に対して、今後、どう対応したらよいのか、制度の在り方やその運用はどのように改めていったらよいのか。私なりの考え方を示しておきたい。

「年金改ざん」を巡る誤解の解消が急務

 何はさておいても、まず行わないといけないことは、この問題に関する国民の誤解を解消するために、「年金改ざん」と言われている問題を整理し、何が問題の本質なのかということを、分かりやすく国民に説明することだ。そのためには、厚労省トップとしての舛添大臣が、この問題の本質を理解し、自ら説明を行うべきだ。

 「年金改ざん」問題というのは、経営の不安定な中小企業に厚生年金という制度を適用したことで発生した問題で、大企業のサラリーマン、役員や公務員などには基本的に無関係だということをすべての国民に分かってもらうことが必要だ。「年金改ざん」と言われる「標準報酬月額の遡及訂正」が行われるのは何カ月にもわたる保険料の滞納が発生した場合であるが、大企業が社会保険料を長期にわたって滞納することはほとんどあり得ない。

 しかし、このような、ある意味では当然のことすら、新聞、テレビなどでは明確に伝えられてはいない。「『年金改ざん』は100万件以上に上る、その闇はどこまで広がっているのか分からない」というような報道もあり、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで行った「年金改ざん」のために自分たちも被害を受けた可能性があるような誤解をしているのが現状だ。

 次に、標準報酬月額の遡及訂正は、基本的に、事業者の申告によって行われたものだということを説明する必要がある。申告書自体を社保庁職員が偽造したというのであれば別だが、さすがにそのような話は、これまで全く出ていないし、そこまでして遡及訂正の訂正を行うほどの動機が社保庁職員の側には考えられない。調査委員会が設置したホットラインには全国から多数の情報が寄せられたが、その中でも、事業者の申告もしていないのに、勝手に年金が引き下げられたという情報提供はなかった。

 もっとも、前々回のこのコラムへのコメントの中に、「私は約35年間会社を経営し、現役を引退して5年後、社会保険事務所から連絡があり、給料が8万円に減額されているので確認したいと言う事でした。当時私の給料は75万円で一度も保険料の滞納はなく、引退するまで赤字決済はなく、もちろん給料減額はありませんし、減額されていた事等、私は全然知らない事であります」というものがあった。

 これが、事業主の標準報酬月額が本人の知らない間に遡及訂正されたということを意味するのであれば、調査委員会も、社保庁も認識していない事案である。

 標準報酬月額の遡及訂正は基本的に事業者自身の申告で行われているものであり、申告もなしに勝手に引き下げられている社保庁職員側の一方的な「改ざん」の事案は、現時点では全く見つかっていないが、万が一にもそういう事案があるのであれば徹底解明するということも明確にしておくべきであろう。

「事業主案件」と「従業員案件」の明確な区別を

 そして、重要なことは、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも、事業主分の訂正(事業主案件)と従業員分の訂正(従業員案件)とは全く意味が異なること、現在把握されている遡及訂正の大部分は事業主案件(生計を同一にしている親族など分を含む)であることを国民に分かりやすく説明し、この2つを明確に区別した対応を行うことだ。

従業員案件は、保険料を天引きされていた従業員の標準報酬月額が本人の知らない間に遡って引き下げられ、その分、従業員の将来の年金受給額が減額される一方、事業主側が天引きしていた保険料を着服することになるのであるから、まさに実質的な被害が生じる犯罪そのものだ。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならないのは当然だ。

 一方、事業主案件は、中小零細企業に厚生年金を適用することに伴って不可避的に発生する保険料の滞納に対して、それが「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金が変わらない仕組み」(前回のこのコラム1ページ参照)の下で、保険料を払わなかった事業主自身が将来多額の年金をもらうことになるという保険加入者間の負担と給付の不公平が生じることを防止するためには、やむを得ない面もある措置であった。滞納事業主に、保険料を払うよう説得し、差し押さえのための財産調査を行うなどの正規の手続きに向けての努力を全く行わず、安易に遡及訂正を行ったとすれば、そこに社保庁職員としての義務を尽くしていないと批判されるのもやむを得ない。しかし、この問題の根本には、厚生年金制度が中小企業の経営実態に適合していないという根本的な問題があり、重要なことは制度や運用の改善を行うことであって、社保庁職員の責任追及を行うことだけでは問題は解決しない。

 この事業主案件を、基本的に責任追及の対象から切り離し、その分の労力とコストを従業員案件についての調査に費やすのが合理的だ。従業員案件を徹底して解明するためには、調査委員会が対象とした6.9万件(社保庁が「長期間にわたる大幅な遡及訂正が行われ、直後に厚生年金資格喪失手続きが行われているもの」を不適正な遡及訂正が行われている可能性があるとして抽出した案件)だけを対象にしたのでは不十分である。

 長期間又は大幅な遡及訂正が行われている案件の中から、従業員が対象となっている案件を抽出し、その一つひとつについて事業主からの事情聴取を行い、給与の実態に反して不正に訂正されていないかどうかを確認し、そのうえで、社保庁職員の関与の有無を明らかにするという地道な調査を丹念に行っていく必要がある。調査委員会報告書でそのような方向性が示せなかったのは、その調査の中で確認できた事業主案件を「社保庁職員の組織ぐるみの不正」と評価し、従業員案件と明確に区別することなく、今後の調査の在り方を論じたところに原因がある。

事業主案件の背景にある構造的問題の解決の道筋

 では、事業主案件が社保庁の現場で広く行われ、「仕事の仕方」として定着していたことに対しては、どう対処すべきか。

 そのような行為は、中小企業に対する厚生年金の適用の現場で、やむを得ない面があったことは確かだが、問題は、それが不透明な非公式なやり方として定着していたことにある。

 そこで、当面の対応として考えられるのは、これまで非公式な方法として、現場で非公式に行ってきた標準報酬月額の遡及訂正を、要件を定めたうえで、制度化するか、あるいは、その運用方法として明確化することである。そのためには、報酬・給与の実態を確認する方法について何らかの基準を設けることや、遡及訂正によって将来の年金額が減額されることについて保険加入者側の承諾を得る手続きについても定めることが必要になる。

 しかし、それだけでは、前回の本コラム5ページで指摘した、年金受給権を確保するために、実体のない会社を設立して厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定するというような確信犯的なやり方には対応できない。一定の規模以下の会社には一定の期間を「仮加入期間」として設定し、保険料支払いの実績を確認したうえで正式の加入を認めるというような方法も検討する必要がある。

 そして、最終的には、中小企業の実態に即した公的年金制度を創設すること以外にこの問題の根本的な解決はあり得ない。

事業者に社会保険料の半分を負担させることで公的年金による労働者の老後の保障を充実させようという趣旨の厚生年金制度が、企業の規模を問わずすべての法人事業者に一律に適用されるのが現行の厚生年金制度だ。その趣旨は尊重されるべきだが、日本の中小企業の実態は、そのような負担が可能な事業者ばかりではない。保険料負担が、14.6%という高額の延滞金と相まって中小企業の経営を圧迫する要因になることは避けがたい。

 そう考えた場合、基礎年金制度に下支えされた(厚生年金は国民年金の「上乗せ」の制度であり、加入している限り標準報酬月額が最低水準でも国民年金加入者の年金額を上回る)厚生年金の事業者の負担率を、大企業向けと中小企業向けとで区別するという方法もあり得るのではないか。

 法人事業者であっても、会社法などの法律が予定しているような組織や経営の実態ではない中小企業を巡る問題は、「法令遵守」だけでは絶対に解決できない問題である。法令による建前論ではなく、実態を把握し、現実を直視して解決策を考えていくほかない。

「遵守」を超えて「真の法治社会」を

 2年余り前に出した『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)では、実態と乖離した法令を、そのまま単純に遵守すればよいという考え方が、日本社会に大きな弊害をもたらしていることを指摘した。先日公刊した『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守ればよい』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「ねつ造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現状について述べている。

 「法令違反」か否かとは関係なく、一度「偽装」などのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」問題はその典型だ。

 「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難された。

 その一方で、この問題の本質が大企業向けの厚生年金制度を中小企業に適用することにあることも、この問題を放置すると、経済危機の深刻化、中小企業の経営悪化の下で厚生年金の徴収の現場が一層混乱し、回復不可能な状態になりかねないことも、ほとんど知らされていない。

 その構図は、多くの官庁・企業の不祥事に共通する。何か問題を起こすと、全く反論も弁解もできず、反省・謝罪をひたすら繰り返すばかりの官庁・企業の姿は、水戸黄門の印籠の前に、ただただひれ伏しているのと同様だ。

 その「遵守」の印籠の効果を高めているのが、国民への人気取りしか考えない政治家、責任回避の行政、問題を単純化するマスコミという「思考停止のトライアングル」だ。こうした中で、国民は、今この国で起きていることについて真相を知らされず、重大な誤解をさせられたまま、有権者、消費者、納税者などとして様々な選択を行わされている。

 同書では、この「年金改ざん」の問題をはじめ、食品を巡る偽装・隠ぺい、検査データねつ造、経済司法の貧困、裁判員制度、マスメディアの歪みなど様々な分野の問題を通して、そのような日本社会の現状を明らかにし、最後に、「遵守」による思考停止から脱却して「真の法治社会」を作っていく道筋を示している。

 我々は、まず、誰かに制裁を科して物事の決着をつけてしまおうとする単純な「悪玉」論を乗り越えて、少しでも多くの国民に、今起きていることの現実を知ってもらう努力をしなければならない。

 そして、そのうえで、どのような方向で解決したらよいのかを考えるコラボレーションの環を拡大していくことだ。多くの国民の利害に関わるこの厚生年金の問題への対応が、日本社会が日本人固有の知恵を取り戻せるかどうかのカギを握っている。