2000年7月24日月曜日

【橋本内閣】 経済同友会懇談会

橋本総理の経済同友会会員懇談会演説

1997年7月24日

 本日は、去年に引き続き経済同友会会員懇談会にお招きを頂き誠に有り難うございます。昨年はこの場で我が国の構造改革についてお話をさせて頂きましたが、本日は、目を外に転じて、対露外交を中心に、中国、シルクロード地域との関係を取り上げて、これを中心に今後の我が国の外交政策のあり方についてお話ししたいと思います。

(中略)

(対露関係)
 戦後の国際社会は、新たな秩序のあり方を求めて試行錯誤を繰り返して参りましたが、アジア・太平洋地域の平和と安定に重要な影響を与える米中日露の四ケ国の相互関係の中では、日露関係が、一番立ち後れをみせていることは否定できません。様々な歴史的な経緯がありますが、隣国である日本とロシアの関係が現在の水準にとどまることは、日露双方の利益にとって、ひいてはアジア・太平洋地域全体にとって良いことではなく、この二国間関係の改善は、二十一世紀に向けて両国政府が取り組むべき最優先の課題の一つであることは間違いありません。日露関係を新たな協力に向けて改善していくべきであるとの私の考えについては、先般のデンヴァー・サミットの際、エリツィン大統領に直接申し上げ、エリツィン大統領からも「そうしよう」との力強いお返事を頂いたところです。

 それでは、日露関係の改善は、如何なる原則によるべきでしょうか。私は、この場で、三つの原則を挙げたいと思います。

 第一は、「信頼」の原則です。一八五五年の日露通好条約の締結交渉の際、かのプチャーチン提督を代表とするロシア代表団の船「ディアナ号」が地震と津波で沈没しました。最近このプロセスを描いた映画ができていますが、私は、日露間の友情をもう一度確認する上でも、こうした映画の存在を喜んでいます。当時両国は国益をかけた厳しい交渉のさなかにありましたが、お互い協力して、ロシア代表団のために新船を建造しました。こうした逸話は、国家間の関係も、究極的には、テーブルの両側に向かい合う人間同士の真の信頼関係がなければ進展しないことを示しているものと考えます。私は、ソ連からロシアへの大変革の中で、幾多の厳しい困難に直面してはこれを乗り切り、民主主義と市場経済に向けた改革という歴史的大事業を成し遂げられつつあるエリツィン大統領に深く敬意を表するものであります。先のデンヴァー・サミットの際のエリツィン大統領との会談は、首脳同士としては二回目のものでありましたが、二人の間に友情をはぐくむようなものでありましたが、私はこの会談を通じてエリツィン大統領に更に人間としての温かみを感じました。私は、正にこのような雰囲気の中で、エリツィン大統領がロシア極東に赴かれるような機会があれば、年内に週末を利用して、形式張らずにお会いすることも可能であろうと御提案申し上げたところです。伝えられるところによれば、最近エリツィン大統領は、私との会談を近く行いたい旨発言されたそうですが、私は、今からエリツィン大統領と再度お会いして、二人の間の友情と信頼を一層深めることができることを心待ちにしております。

 日露関係の前進を図る上での第二の原則は、「相互利益」であると考えます。双方が隣国であり、そして共に大きな影響力を有する以上、双方の利益を調整していく場面が多々生じて来るであろうことは明らかです。そうした場面では、どちらかが一方的に利を得る、つまり勝者と敗者を作ろうとするアプローチは、決して真の解決をもたらすものであるとは思いません。この点については、東西冷戦の終了の過程においてエリツィン大統領が、勝者も敗者もないことを繰り返し強調しておられた英知に留意したいと思います。

 第三の原則として私が挙げたいのは、「長期的な視点」ということであります。つまり、これからの日露関係の改善は、二十一世紀に向かって堅固な基礎を作るものでなくてはならず、二十一世紀から次の世紀に向けて、我々の子供や孫の時代に受け継がれ、発展していくようなものでなくてはならないということであります。そのためには、両国の政府と国民が、各々の子供や孫のためにもどのような両国関係を形作ることが一番望ましいのか、そのために「私達の世代」が果たすべき役割は何なのか、共に真剣に考えることこそが必要なのではないでしょうか。

(北方領土問題)
 当然のことながら私たちの目標は、この三つの原則に従い、日露関係全体を改善し、もってアジア太平洋からユーラシア大陸の西の端に至るこの大陸との間で、両国がともに喜びあえるような関係をつくることにあります。
 この目的を実現するためには様々な分野での両国関係の改善が必要となりますが、先ず戦後五十年両国間でもっとも困難な問題として残ってきた北方領土問題の解決による平和条約の締結の問題について述べたいと思います。様々な関係者の長年にわたる努力の結集として、我々の間にはエリツィン大統領の訪日の時に合意された一九九三年十月の「東京宣言」という最良の基盤が既にあるのです。デンヴァー・サミットの際にはエリツィン大統領との間で、東京宣言を着実に進めていくことで一致したわけですが、私は、この問題こそ、今申し上げた「三原則」によってのみ乗り越えることができるものであると考えています。

 第一に、「信頼」の原則が、最も困難な問題にも前進をもたらして来ている例としては、例えば、北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組み交渉があります。交渉の当事者が、この三年間の交渉の過程で直接胸襟を開いて議論をめぐらし、困難な問題を避けて通るのではなく真正面から話し合うことにより、双方において相手に対する信頼感が生まれ、かつては存在しなかったような肯定的な雰囲気が今生まれつつあります。

 第二に、北方領土問題の解決は、どちらか一方が勝者となり、どちらか一方が敗者となるという形で解決するものではないという点は、私の確信であります。両国は、この、言われてみれば当然とも思える原則について、その真の意味を理解するのに五十年もの歳月を費やしてきたのです。これから私は、「相互利益」の原則を実現する解決に向けて、エリツィン大統領とともに全力をあげて知恵を絞って行きたいと思います。

 第三に、北方領土問題は、両国が五十年をかけて解決できなかった問題であります。その解決が容易でないことは、今更指摘するまでもありません。しかしながら、これまでの諸先輩方の苦労により、「東京宣言」をはじめとする多くの成果が達成され、前進がありました。北方墓参、四島交流、そして今、交渉中の操業枠組み交渉等、これまでに続いてきている現地での信頼強化の動きも、この問題の解決に向けた大きな前進の一つといえるでしょう。たゆみない具体的な前進こそが、子供や孫の世代にこの問題を相続させないための道標となるのです。これまでの肯定的な経験を踏まえて、私達の世代の責任において、この問題の解決への道筋を示すときが来ていると考えます。長期的な視点に基づいて冷静な話し合いを行っていきたいと考えます。

(日露の経済問題)
 日露間の経済分野においても、「三原則」に基づいて、具体的な進展を図ることが必要です。この観点から、私は、この機会に二つのアイディアを示したいと思います。

 第一は、シベリア、極東地域に重点を置いた、エネルギー分野を中心とした、ロシアとの経済関係の強化を検討するというものであります。既にロシアとの間では、私が通産大臣当時に提案した「ロシア貿易・産業支援プラン」や、旧ソ連十二カ国との間で締結した協定に基づいて作られた「支援委員会」によるものなど、市場経済への移行に対する支援がきめ細かく行われており、今後ともこれを継続していく必要があります。ここで御紹介するアイディアは、これに加えて、シベリア、極東地域に於けるエネルギー開発を中心とする協力を行うものであります。
 申し上げるまでもなく、ロシアは、大資源国であります。この資源が有効に利用・開発されれば、ロシアの安定的な経済発展の起爆剤ともなり得るとともに、経済成長に伴いエネルギー需要が急増するアジア地域、ひいては世界全体のエネルギー面での安定にも資するものと思われます。また、エネルギー需給を巡るつながりは、東アジア全体の信頼関係の醸成と平和的関係の維持にもつながるものとなりましょう。

 具体的には、日露間でシベリア、極東のエネルギー開発について対話を進めていくことが出来るでしょう。例えば、既に開発作業が開始されているサハリン石油・天然ガスプロジェクトについては、引き続き協力を進めていくとともに、潜在的可能性が期待されているイルクーツク、ヤクーツク等での天然ガス開発事業や、パイプライン建設構想についても経済的・技術的可能性の検討が話題になっていくと思われます。貿易・経済日露政府間委員会等の場を通じて既に開始されている話し合いを更に強化していくことができましょう。勿論、こうした事業を進展させていくためには、ロシア国内の投資環境の十分な整備が不可欠であり、デンヴァー・サミットでエリツィン大統領と一致した「日露投資協力イニシアティブ」を通じた協力にも大きな期待が出来ましょうし、エネルギー分野での投資の促進及び貿易の自由化に関する国際約束であるエネルギー憲章条約の果たす役割も極めて重要であり、その発効に大いに期待しています。また、ロシアがデンヴァーで提唱したエネルギー問題に関するG8の会議との連携を進める必要もあるでしょう。

 第二に、私は、エリツィン大統領が最近行われたラジオ演説を大きな関心をもって聞いたことを申し上げたいと思います。七月十一日のラジオ演説で、大統領は有能な若者を諸外国に派遣し、毎年五千名の幹部要員を含むロシア企業経営陣を養成する計画の策定を命じたとの趣旨を述べておられます。私は、エリツィン大統領の熱意に応え、ロシアの若者が、我が国の経済政策に始まり、企業の現場でのノウハウに到る、「マクロからミクロまで」全ての我が国の経験を吸収して、新しいロシアの建設に貢献できる人材に育つことを願い、今後経済界の皆様方とも相談をしながら、我が国として、その人造りに積極的に協力する用意があることを、エリツィン大統領に申し上げたいと考えるものであります。

 以上、日露関係についての私の考えを、未だ十分に練れたものではありませんが、率直に申し上げて参りました。私と致しましては、今申し上げた問題、更に日露関係を重層的に形づくる安全保障や北東アジア地域内における貢献等について、エリツィン大統領と率直で友好的な雰囲気の中でお話しできる日ができるだけ近いことを心から楽しみにしております。