2009年12月3日木曜日

【沖縄密約】 日本負担金(思いやり予算)

2009年12月03日10時04分

「日米同盟」再構築の道 両国首脳の政治理念、具現化を 


  オバマ米大統領は11月13日、初めて日本を公式訪問、鳩山由紀夫首相と懸案の諸問題につき意見を交換した。1月誕生したオバマ政権、九月スタートの鳩山政権はともに〝チェンジ〟をスローガンに掲げて長期保守政権を倒して躍り出た「民主党」同士。9・11テロ以降の大混乱と、リーマンショックで破綻した市場原理至上主義からの脱皮を目指して〝船出〟、荒波と闘いながら操船しているのが、両政権共通の姿だ。しかし、ブッシュ政権・麻生政権が残した〝負の遺産〟清算の特効薬はなく、体制建て直しの前途は厳しい。

 鳩山・オバマ会談では、両国の基軸「日米同盟」を深化させることを確認したうえで、核軍縮・核不拡散への連携、地球温暖化対策、アジア太平洋地域の安定と繁栄など多角的な協力を話し合い、共同文書と行動計画を発表した。両首脳が掲げる理念と目指す共通目標を再確認した意義を高く評価し、今後の具体的施策に期待を寄せたい。

 多岐にわたるテーマを論じる紙幅がないため、本稿では「日米同盟」、特に米軍再編と沖縄基地問題に絞って考えてみたい。

▽「普天間」解決へ向け閣僚級作業グループ

 「普天間飛行場を県外か国外に移設」――8・30総選挙で訴えて政権を勝ち取った鳩山民主党だが、自民党政権から続いてきた日米外交案件を一気に解決することはできまい。従って今回の首脳会談で、「普天間問題に関する閣僚級作業グループ設置」に合意し、「早期に結論を出す」と取り決めた点を〝一歩前進〟と評価したい。「問題の先送り」と批判する声もあるが、米軍基地についての再検証・再構築を日本側が求めることは当然なこと。現在、普天間移転に関する両国の主張は異なっているが、対等な交渉を通じて、着地点・妥協点を見出す努力こそ肝要である。

 ところが、両国有識者やメディアの一部から、執拗な〝鳩山バッシング〟が依然続いており、不快きわまりない。岡田克也外相と10月20日会談したゲーツ米国防長官は「普天間を移設しなければ、海兵隊のグアム移転はなく、グアム移転なしに沖縄の兵員縮小やほかの基地の返還もない」と、恫喝的な言辞を吐いた。

 そもそも名護市辺野古への移転案は1996年(橋本龍太郎政権)に決まったものの、地元との調整がつかず10年間放置されたまま。その後、2006年(小泉純一郎政権)の「在日米軍再編協議」の結果、〝二本の滑走路案〟によって「辺野古」が再浮上、決着するかにみえた。この再編計画は、米軍の世界戦略見直しの一環で、米国主導で強引に進められたもので、「沖縄駐留の海兵隊8千人を削減、2014年までに完了させる」と決定。しかし、これは普天間移設とパッケージにしたもので、海兵隊のグアム移転の日本側経費負担約七千億円を押し付ける強引さだった。

 ところが、それから3年経過した現在も、移設先が決まらず右往左往するばかりだ。13年間もの無駄な歳月が沖縄県民をどんなに苛立たせているか、〝基地の島の悲哀〟が続いている。
 「ゲーツ長官の無礼な恫喝に対して、その非を咎めたメディアがあっただろうか。米海兵隊の基地が沖縄に存在しなければ日米安保体制が崩壊すると主張する人々に訊きたい。御殿女中よろしく日米安保が崩壊すると大騒ぎしているが、なぜ、一つの海兵隊基地を沖縄の外に移すことが安保体制をこわすことになるのか私には理解できない」
 と、山口二郎・北大教授は「基地存続の罪」をズバリ指摘(東京新聞10・25朝刊コラム)していた。

 一方、オバマ訪日に合わせ、「日本は米国に冷淡」との見出しを掲げたNYタイムズ11・12付記事にはびっくり仰天。「日米関係は1990年代の貿易摩擦以来、最も対立的だ。日本政府は突然、米当局者と公然と争うことに躊躇しなくなり、不確実な新時代に入ろうとしている」との居丈高な論調を、『朝日』『読売』11・13朝夕刊が報じていた。先に「鳩山論文」を中傷誹謗したのも同紙電子版だっただけに、その偏狭な対日圧力には、〝大国の驕り〟が垣間見える。

 「日本の安全保障も沖縄の負担軽減も日米共通の目標なのだ。私が切に望みたいのは、今後、一方が一方に要求を突きつけるのではなく、日米の共同作業の継続を基本にすることである。世界の顕著な変動を受けて将来の日米のあり方をどうするのか、東アジア共同体の考え方や核軍縮と核抑止、あるいは国際安全保障への日米の役割、そして基地問題といったもろもろの課題をきちんと議論し、一九九六年の日米安保共同宣言のような形で首脳宣言をつくる作業を行ってはどうか。オバマ大統領の訪日はその共同作業をキックオフする機会として捉えるべきではないか」との田中均・元外務審議官の提言(『毎日』11・5夕刊)のような将来展望を、メディア報道に望みたい。

▽「思いやり予算」を見直す好機

 政府の行政刷新会議が現在進めている〝事業仕分け〟で、「駐留米軍への思いやり予算」も対象になっているため、経緯を振り返っておきたい。ベトナム戦争後財政ピンチに陥った駐留米軍の負担軽減が、当初の目的だった。1978年に金丸信・防衛庁長官が経費の一部を肩代わりすると表明、「思いやり予算」と言われるようになった。発足時の予算は日本人基地従業員の給与の一部に充てる62億円だったが、米国の景気回復後も減額されるどころか負担額は年々上がり続け、贅沢な娯楽費や施設整備費などに拡大してしまった。

 防衛省HPが公表している年度別予算を示しておくが、予算をむしり取って転用するルーズさに驚いた。
 ▽1978年62億円 ▽79年280億円 ▽80年374億円 ▽85年807億円 ▽90年1680億円 ▽95年2714億円 ▽2000年2567億円 ▽01年2573億円 ▽02年2500億円 ▽03年2460億円 ▽04年2441億円 ▽05年2378億円 ▽06年2326億円▽07年2173億円 ▽08年2083億円 ▽09年(予算)1919億円

 最近多少減額されたものの、日本が78年以降負担してきた「思いやり予算」総額は3兆円を超す膨大な額。他国でも米軍駐留費負担はあるというが、その額の多さは群を抜いており、「世界一気前のいい同盟国」と言われているという。まさに一度走り出したら止まらない公共事業費と同じパターンだったことに、改めて驚愕した。

 「概算要求額一九一九億円のうち一一六四億円が、今回の仕分け作業の対象となる。…在日米軍基地では、司令部の事務職員、レストランやゴルフ場などの娯楽施設職員として計二万五四九九人(08年度末現在)が働いている。日米両国の特別協定に基づき、このうち二万三〇五五人分の給与は日本政府が、残りは米軍が負担している。この日本側負担分が仕分けの対象になる」(『読売』11・7朝刊)とのことだが、基地従業員に跳ね返る問題だけに、仕分け作業は難航するだろう。

 しかし、「思いやり予算」垂れ流しにメスを入れなければならず、「米軍基地見直し」と連動して、「思いやり予算」減額に取り組む緊急性を痛感する。なるべく早く〝お人好し〟過ぎる不条理な慣行にストップをかけることが望ましく、米国の顔色を見て判断するような問題でないことを、国民すべてが気づくべきだ。

▽日米連携で、世界に貢献する提案を示せ

 「ブッシュ政権の八年間、不要な戦争によって多大な犠牲と軍事的弱体化を招いたほかに、アメリカが世界に貢献したものは少ない。日本政府は日米同盟の安定を喜ぶばかりで、とるべき政策を提案することはなかった。日米同盟の堅持だけに日本の外交を押しとどめてしまうなら、同盟によって何を実現するのか、そもそも現代世界ではどのような制度や政策が必要なのかという課題が忘れられてしまう。日米同盟の堅持が問題なのではない。日米両国が現代世界で何を実現しようとするのか、そして実現すべきなのか、課題の設定こそが問題なのである。試みに幾つかを挙げるならば、世界金融危機のような市場破綻を阻止するための制度形成、アフガニスタンをはじめとする破綻国家への国際的関与、北朝鮮ばかりかイランにまで拡散しようとする核兵器の拡散阻止。民主党政権に求められるのは、このようなグローバルな課題に答えるパートナーシップとしての日米関係の構築である」と、藤原帰一・東大教授の論評(『朝日』11・12夕刊)は、日米・民主党政権への力強いエールであり、両国首脳の目指す方向と重なるとの期待を深めた。



2009年09月01日15時58分掲載

「集団的自衛権」見直しを提言 武器輸出三原則緩和の報告書に驚く 


  敗戦から64年の日本、内外に変革(チェンジ)の嵐が巻き起こっている。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎氏と三代続いた自民党政権の失態が、国民の政治不信を招き、国際的信用を失墜させた罪は大きい。とにかく難問山積、新政権の責任は極めて重い。中でも、安全保障・防衛政策の動向は、国民の命運に直結する重要課題。政府の独善的判断には、厳しい目を注がなければならない。

▽「安保防衛懇」提言が投げかけた波紋

 「核持ち込み密約」を認めた村田良平・元外務次官証言をめぐって議論が沸騰している折、政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」は8月4日、年末に改定される「防衛計画の大綱」に向けた報告書をまとめ、麻生首相に提出した。「集団的自衛権の見直し」など、踏み込んだ提言をしているが、これは北朝鮮弾道ミサイルに対応する日米軍事力強化を狙ったものとみられる。
 政権交代が取り沙汰されている混乱期に報告書を提出した背景に、「政治的思惑を感じる」との観測も強く否定できまい。この報告書が、2004年報告(小泉純一郎政権時)のように「防衛大綱」に反映されるならば、安保・防衛政策の大転換になる恐れがある。そこで、従来の「報告書」より鮮明になった集団的自衛権や武器輸出三原則の緩和など「新報告書」の重要個所を示して参考に供したい。

▼[日本をとりまく安全保障環境]
 米国の影響力の変化と国際公共財の不足=米国の絶対的な優位は今後も変わらないが、軍事的負担の増大や経済危機の影響で、米国の関与が縮小するおそれ。これまで米国が主導的に提供してきた国際公共財について、米国に加えて、EU諸国など主要国が共同で提供する必要。北朝鮮は核・ミサイル開発を継続しており、世界の平和と安全に対する脅威。日本にとっては、核・ミサイルに加え、特殊部隊による破壊工作も大きな脅威。北朝鮮の体制は先行き不透明であり、体制崩壊の可能性。

▼[多層協力的安全保障戦略]
 日本の安全保障を確保するため、①日本自身の努力②同盟国との協力③地域における協力④国際社会との協力という四つのアプローチを「多層的」に用いて、重層的に問題の解決にあたり、日本の安全確保、脅威の発現の防止、国際システムの維持・構築という三つの目標を実現する「多層協力的戦略」が必要。

▼[防衛力の役割]
 弾道ミサイルへの対応=抑止が最も重要。核抑止については米国に依存。その他の打撃力による抑止は主として米国に期待しつつ日本も作戦上の協働・協力を行なう必要。ミサイル防衛による対処や被害局限も抑止の一環。重層的に構成される抑止を実効的に機能させるためには、日米の連携が重要。現在計画中のミサイル防衛システムの整備を着実に進めつつ、新型迎撃ミサイルの日米共同開発を促進すべき。敵基地攻撃能力を含む抑止力の向上については日米の役割分担を踏まえ、日本として適切な装備体系、運用方法、費用対効果を検討する必要。

▼[安全保障政策に関する指針について]
 「国防の基本方針」は策定から50年以上修正されず。また、「防衛政策の基本」とされてきた(ア)専守防衛、(イ)他国に脅威を与えるような軍事大国にならない、(ウ)文民統制を確保する、(エ)非核三原則、の四つの方針には「歯止め」としての意義はあったものの、「日本は何をするのか」についての説明としては不十分。「文民統制」や「軍事大国にならない」との方針は引き続き重要だが、安全保障環境の変化によって、世界は従来「専守防衛」で想定していたものではなくなっており、今日の視点から検証すべき。

▼[弾道ミサイル攻撃への対応に関する方針について]
 日米協力が重要。弾道ミサイル攻撃からの防衛には、報復的抑止力について米国に依存する一方、ミサイル迎撃や被害局限など、自らの役割を果たすべき。北朝鮮の弾道ミサイルは日米共通の脅威で、米国に向かうミサイルの迎撃を可能とするため集団的自衛権に関する解釈を見直すべき。弾道ミサイルへの対処に際し、自衛隊艦船が米艦船を防護できるよう、集団的自衛権に関する解釈の見直しも含めた適切な法制度の整備が必要。

▼[武器輸出三原則等について]
 欧米諸国は、国際的な分業により先進的な武器技術や装備品を取得しようとしており、日本がこのような枠組に参加できない場合、国際的な技術の発展から取り残されるリスクが高まっている。また、米国からライセンスを受けて国内で生産する装備品等の米国への輸出を可能とすることは、日米協力の深化にもつながる。更にテロ対策に資する装備などの輸出は、日本の安全のためにも必要。武器輸出三原則等を修正、武器輸出を律するための新たな政策方針を定めることが適切。

▽委員の顔ぶれ、〝密室論議〟に疑念残る

 安倍晋三首相は2007年5月、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)を発足させた。「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍氏長年のテーマで、見直し賛成派の有識者13人(岡崎久彦氏ら)を委員に委嘱。懇談会の大勢は憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認すべきだという方向で議論は進んだが、安倍首相は同年9月に政権を投げ出し、後任の福田首相が解釈変更に消極的だったため、政府における集団的自衛権見直し論議は遠のいたかに見えた。

 ところが、福田氏退陣(08・9)後に首相の座についた 麻生氏は09年1月7日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」を〝新装開店〟させた。安倍元首相の意図を継承した麻生首相が同種の懇談会を設立した狙いが、新たに委嘱した委員の顔ぶれからも透けて見える。
 委員は青木節子・慶応大学政策学部教授▽植木(川勝)千可子・早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授▽勝俣恒久・東京電力会長▽北岡伸一・東京大学大学院法学政治学研究科教授▽田中明彦・東京大学大学院情報学部教授▽中西寛・京都大学公共政策大学院教授の六人で、座長は川俣氏。
 このほか専門委員として加藤良三・日本プロ野球組織コミッショナー▽佐藤謙・元防衛事務次官▽竹河内捷治・元防衛庁統合幕僚会議議長の3人が委嘱された。構成メンバー計9人のうち北岡・田中・中西・佐藤の四氏は、「安倍懇談会」に続いての委員。

 青木氏は宇宙法や通信衛星などの研究者、植木氏は国際関係論・安全保障の研究者。北岡氏ら3教授は政府審議会や論壇で活躍している学者。加藤氏はつい最近まで駐米大使の要職にあった。

 「懇談会」は麻生首相直属の諮問機関で、これまで11回開かれているが、非公開のため一般国民への情報は遮断されたまま。「先に結論ありきの懇談会」との批判もうなずけよう。日本国憲法や非核三原則・武器輸出三原則など「国是」変更につながる問題をはじめ、核抑止について様々な議論がある段階で、日米同盟に傾斜しすぎた「懇談会報告」との印象を否めない。

 改憲の論調を掲げる『読売』『産経』は同報告書を評価していたが、他紙の多くが「国民的論議を深めるべきだ」と、集団的自衛権の解釈見直しの動きに警告を発していた。「専守防衛は『戦力不保持』をうたった憲法九条の下で自衛隊を持つにあたって『国際紛争を解決する手段としては武力行使を永久に放棄する』と誓った九条1項を順守するために、戦後の日本が選択した防衛政策の大原則である。法理上はすべての主権国家が保有しているとされる集団的自衛権や、敵基地攻撃能力を政府が封印してきたのも、専守防衛を原則としてきたからにほかならない。

 専守防衛原則の見直しは、その封印を解き、安全保障政策を大転換させることを意味するだけではない。九条解釈を実質的に変更し、平和憲法の変質につながりかねない問題をはらむ」(『西日本』8・11社説)、「政府の憲法解釈は長年にわたる国会論議の積み重ねの結果でもある。国の法体系の根幹である憲法の解釈は法理論上の問題という側面を持つ。安保環境の変化にとどまらず精緻な理論付けが必要だ」(『毎日』8・5社説)などの指摘は尤もで、懇談会報告を鵜呑みにすることは危険きわまりない。

 ただ、「8・30衆院選挙」後に政権の枠組みが変わった場合、安全保障や防衛に関する政府方針も変わるはずだから、今回の報告書が棚上げされるような気がする。いずれにせよ、選挙の洗礼を受けた新政権の下で、国民を守るための「安全保障政策」にじっくり取り組んでもらいたい。


2009年06月27日10時51分
沖縄密約訴訟

「米国が公開の外交文書は存在しないのか」 裁判長が国側に質す 


  沖縄返還交渉をめぐる疑惑は、米国の外交文書公開によって「日米密約の存在」が暴露されてから約10年経過した現在も、歴代日本政府は「密約はない」と一貫して否定している。1972年の沖縄返還から37年経過したが、政府は「文書不存在」をタテに真相を隠蔽し続けているのだ。

 西山太吉・元毎日新聞記者のスクープが事件の発端で、政治権力の強引な捜査は、今でも記憶に残る。佐藤栄作政権は問題の本質を隠すため、事件を「外務省機密漏洩事件」に矮小化して西山記者を国家公務員法違反(秘密漏洩の教唆)容疑で逮捕。一審は無罪だったが、控訴審→最高裁判決で逆転・有罪が確定して〝記者生命〟を失う結末となった。
 ところが、米国公文書の発掘に続き、当時の外交交渉責任者、吉野文六外務省アメリカ局長の「密約文書に署名した」との発言が飛び出した。長年沈黙を続けていた西山氏は2005年、不当判決に対して「国家賠償請求訴訟」を提起。東京地裁、東京高裁、さらに最高裁へと審理は3年余続けられたが、最高裁第三小法廷は2008年9月2日、実質審理に入らぬまま一、二審と同様上告を棄却した。国民が最も知りたい「密約の存在」には一切触れず、「除斥期間」を唯一の理由に、原告の訴えを却下したのである。
 日米間で取り交わした文書の有無に一切口を閉ざし、新証拠や証言を無視した〝逃げ腰〟の姿勢は、言語道断と言わざるを得ない。

 当日たまたま都内で、有識者による「沖縄返還に伴う日米の合意文書・情報公開請求の会」が開かれており、最高裁の〝抜き打ち的決定〟の連絡に衝撃が走った。まるで〝先制攻撃〟のような司法の通告に反発、同日午後直ちに代表者が外務・財務両省を訪ね、「沖縄返還交渉の情報公開」請求を迫ったが、これも10月2日「文書不存在」を理由に却下された。
 これに対し有識者と弁護団は2009年3月16日、「不開示処分取り消しを求める訴訟」を東京地裁に提起した。原告は、桂敬一・柴田鉄治・新崎盛暉三氏を代表者に、西山太吉・奥平康弘・我部政明・澤地久枝・田島泰彦氏ら総勢25人。同時に清水英夫・小町谷育子・飯田正剛・日隅一雄・岡島実・梓澤和幸氏ら30人の弁護団が結成された。
 以上が、「沖縄密約訴訟」についての概括的な経緯である。

▽明解さに欠ける国側〔答弁書〕

 一連の疑惑を正すため「沖縄返還〝密約文書〟公開請求訴訟」第1回口頭弁論は、2009年6月16日午後4時、東京地裁705号法廷で開かれた。原告・弁護団席には20人余が着席し、異様な緊張の中で審理が進められた。

 被告の国側は、原告が開示を求める3文書につき「いずれも保有しておらず、原告が主張する事実関係については確認できない」と〝密約の有無〟への言及を避けた。国側が提出した答弁書第4<被告の主張>に、注目すべき記述があるので原文を紹介する。

 「外務省及び財務省は、本件各開示請求対象文書をいずれも保有しておらず、各対象文書に関して原告らが主張する事実関係については確認することができない。なお、一般 論としては、二国間又は多国間の合意に向けた交渉の過程において仮に様々な文書が作成されたことがあったとしても、それが交渉の最終的な結果である合意自体でない場合等に、事後的に廃棄されることがある。また、沖縄返還に際しての支払に関する日米間の合意は、琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(以下『沖縄返還協定』という。)がすべてである。したがって、本件各処分にはいずれも何らの違法はない。詳細は、追って、準備書面をもって明らかにする」。

 この「国側答弁書」を受けて、杉原則彦裁判長は「米国に密約文書があるのだから、日本側にも同じ文書が存在するはずだとする原告の主張は理解できる。もし密約そのものが存在しないというのであれば、米国の公文書をどう理解すべきなのか、国側は合理的に説明するする必要がある」と述べた。さらに「一般論としては、事後的に廃棄されることがある」との国側答弁書につき、「事後に廃棄ということは、当初は保有されていたということか」と問い質す場面もあった。
 国側は「確認はできない。過去に存在したかどうか、可能性は分からない」と答弁するのが精いっぱいだった。

▽米国並みの「情報公開」を迫った原告の[意見陳述]

 原告団を代表して桂敬一氏(メディア研究者)と我部政明・琉球大学教授が熱っぽい意見陳述を行ったので、ほんの一部を引用して参考に供したい。

 [桂氏の陳述]冷戦時代の遺産さながらの沖縄密約は清算、沖縄問題を含めた今後の日米関係構築に必要な政策は、透明性が確保された協議体制の下での検討が望まれる。日本はまず、アメリカの情報公開制度、とくに政府交換文書の公開制度を見習わねばならない。それは、政府が立案・実施で過ちを犯しても、いつかその原因を発見、政策を正道に戻す、政治の民主的復元力を保障してきた。日本政府は手始めとして、沖縄密約に関してアメリカが公開したものに見合う文書資料を、もう公開すべきである。本裁判がそれを促し、国民の知る権利を満たし、政府に対する信頼の回復に資する役割を演じられんことを、私は期待する。

 [我部氏の陳述]今回公開を求める3文書の中核は、アメリカ側は沖縄返還に伴う費用負担を全く行わないばかりでなく、沖縄の米軍基地の返還において、移転に伴う費用に加え日本本土にある米軍基地の施設改善費を日本側に支出させることにあったという点です。…交渉の結末は、アメリカ側の提示した基地返還に伴う移設や基地内の施設改善のための費用を軸にして他の項目も一括で支払う(lump sum payment)とする政治決着で日米が合意しました。それは、佐藤首相の訪米直前の1969年11月12日です。その合意に際して、沖縄返還の財政交渉に終始かかわっていた当時の福田赳夫・大蔵大臣が口頭で覚書を読み上げています。
 …(これまで述べてきたように)日本側とアメリカ側が署名している合意文書が(アメリカ国立公文書館などに)存在しているのです。明らかに、日本の外務省や財務省にも同一の合意文書が存在しているはずです。政権を担当し、政策を実施すべき政府が、外国政府との間で自ら合意した取り決めを軽視することは、国民の利益を無視することです。政権の都合と国民の利益のいずれかを優先すべきなのかという基本姿勢を理解しえない政府だとすれば、国民の信頼は消滅します。たとえ当時の政権にとって好ましくない合意であったとしても、「知る権利」「政府の透明性」を高めて、国民信頼をかちとり、そして日本の外交の現実を知らせることこそが国民の正確な外交判断を促していくものだと確信しています。

 1990年代から米国公文書館などで「沖縄密約文書」発掘を続けてきた我部琉球大教授の意見陳述は、具体的例証を提示して迫真力があった。たじたじの国側は〝我部陳述〟の取り扱いに注文をつける一幕もあったが、杉原裁判長は、原告の意見陳述を『雑記録』ではなく、『弁論』として位置づける判断を示した。さらに裁判長が、メディアに「密約の存在」を明らかにしている吉野文六・元外務省アメリカ局長を証人に招くよう原告側に促すなど踏み込んだ姿勢を示した。
 最後に、次回の弁論日程につき裁判長が「1カ月後でいかがですか」と問いかけたところ、国側は「2カ月の準備期間」を要請。結局、「8月25日第2回口頭弁論」を決定したが、裁判長は国側に向かって「2カ月もあるので充実した書面が出ることを期待します」と念を押して、閉廷した。

▽どう報じるか? マスコミの問題意識と報道姿勢

 ついで午後6時から弁護士会館で原告・弁護団の記者会見があり、引き続き報告集会も開かれた。小町谷育子弁護士は「裁判長が冒頭から文書の廃棄につき国側に説明を求めるなど、今までにない積極姿勢に裁判長の決意を感じる」と感想を述べたが、他の原告・弁護団メンバーも〝訴訟指揮〟ともいえる裁判長の姿勢に好感を示し、今後の展開に期待する発言が目立った。「個人の力ではなく、集団が動き出したことが裁判所の変化につながったと思う」(西山太吉氏)との見方もうなずける。
 また、裁判長が「吉野氏の証人喚問」を要請した点を評価、直ちに弁護団が接触することになった。高齢のため出廷が困難なら出張尋問をとの提案もあり、吉野証言をぜひ引き出してもらいたい。

 報告集会の中で「沖縄密約問題は過去のことではなく、現在のグアム移転など日米軍事再編につながる重大問題である。各メディアはもっと強い問題意識をもって報道してもらいたい。今こそマスコミの姿勢が問われている」との指摘や要望が多くの方から出された。
 沖縄弁護士会所属の岡島実弁護士が席上、「沖縄と本土の情報格差が大きい。この種の報道は、沖縄に比べて本土マスコミは殆ど取り上げず、その格差は100対1くらいだ」と発言した。〝100分の1〟はともかくとして、冷淡な本土マスコミへの痛烈な指摘と受け止めたい。

 そこで、本土と沖縄の主要各紙が6月17日朝刊にどう報じたかを点検したので、具体的な内容を提示しておきたい。
 在京6紙のうち「密約文書開示訴訟」を報じたのは『朝日』『毎日』『東京』3紙で、『読売』『日経』『産経』3紙は全く扱っていなかった。密約訴訟自体をどう見るかは各新聞の自由だが、好むと好まざるに拘わらず、論議が続いている裁判を1行も報じなかったのは何故か。まさかと思って、何回も読み直したが見当たらなかった。

 『朝日』は社会面に<密約文書『ない理由を示せ』・国に裁判長要請>の4段見出しを掲げ、国側に説明責任を求めた点を重視、裁判長発言を引用して詳しく報じた。『毎日』は第3社会面に<国側『文書保有せず』・初弁論で争う姿勢>の3段見出し。『東京』は第2社会面に<元局長に証人依頼を・沖縄『密約』で裁判長>の2段見出しだった。司法記者に「情報開示」を求めた異例の裁判との視点があれば、訴訟の本質を読者に伝えるべきテーマであり、『朝日』の記事・扱い方を妥当と考える。

 沖縄県紙はどう報じたか? 『琉球新報』は1面に<国に『十分な説明』要求・裁判長、整合性に疑問呈す>の4段見出し。さらに社会面に<文書『当初は保有?』・裁判長が積極質疑>の4段見出しで関連記事を伝えた。『沖縄タイムス』は1面に<元外務省局長の尋問促す・原告側が申請検討>の4段見出し。これを受けて社会面に<国は米側文書の説明を・裁判所が『異例の指揮』>の4段見出しで報じた。
 両県紙の問題意識、紙面内容と扱い方に共通点があり、沖縄の〝戦後の苦悩〟の一端を反映しているとも感じた。その記述は、裁判長の発言、姿勢などを客観的に報じており、「沖縄県紙だから…」の誇張がなかった点でも、行き届いた紙面と評価できる。

 「沖縄密約」問題をケーススタディーとして考察した論稿であり、新聞の優劣を軽々に論じるつもりのないことを、お断りしておく。ただ、ニュース報道に当たって、思想・信条に凝り固まった判断を下してはならないと思う。ニュースを敏感に捕らえ、問題の背景や真実に迫ることこそ、ジャーナリズム永遠の課題なのである。




2009年05月03日10時41分
検証・メディア

「沖縄返還密約はあった」 政府の「文書不開示は不当」と提訴 


  太平洋戦争敗北から64年、沖縄返還によって「戦後は終わった」と言われてからも37年の歳月が流れた。しかし、沖縄には米軍基地が根強く存在し、なお重大な課題・疑惑を残したままだ。「沖縄は『日米同盟』の要(かなめ)」と喧伝されているが、果たして基地を現状のまま維持すべきか否かを再検討する必要に迫られている。

 1960年代後半から70年代初めにかけて行われた沖縄返還交渉での「密約」をめぐるナゾはいぜん解けず、戦後政治史に汚点を印したまま未だにホットな論争が続いている。
 佐藤栄作政権下の30数年前、西山太吉・元毎日新聞記者が「米国が支払うべき軍用地復元補償費400万㌦を日本側が肩代わりした『密約文書』が存在する」という衝撃的スクープを政府に突きつけたのが発端。国家公務員法違反(秘密漏洩の教唆)に問われた西山氏は有罪判決を受けたあと故郷に蟄居していたが、2000年と02年の米外交文書公開で「沖縄返還密約の存在」が明らかになったため、05年5月名誉回復の「国家賠償訴訟」を提起した。

 06年2月、交渉当事者だった吉野文六・外務省アメリカ局長の「密約を認める」発言がセンセーションを巻き起こし、西山氏側への〝追い風〟にもなった。しかしその後も歴代日本政府は「密約の存在」を否定し続け、東京地裁→東京高裁→最高裁での審理の末、08年9月2日「上告理由に当たらない」として「西山氏敗訴」が確定した。これに対し西山氏支援グループは直ちに「情報公開請求」を政府に迫ったが、10月2日これも「文書不存在」を理由に却下されてしまった。

▽公開された米国外交文書に動かぬ証拠

 沖縄密約訴訟の経緯を簡単に振り返ってみたが、情報公開への問題意識を共有する有識者と弁護団は09年3月16日、外務省と財務省が「文書不存在」を理由に文書開示しなかったのを不服として、国に不開示処分取り消しを求める訴訟を東京地裁に提起した。原告は、桂敬一・柴田鉄治両氏を代表者に総勢25人。西山太吉・奥平康弘・我部政明・山口二郎・澤地久枝氏らが名を連ね、同時に清水英夫氏ら30人の弁護団も発足した。

 公表された「情報開示請求」の趣旨は、①三文書の不開示決定の取り消し、②三文書の開示決定、③慰謝料1人10万円の支払い、である。
 開示を求めた三文書とは、▼1969年12月2日付「柏木雄介(大蔵省財務官)・ジューリック(米財務省特別補佐官)文書」、▼71年6月11日付「吉野文六(外務省アメリカ局長)・スナイダー(駐日アメリカ公使)文書」、▼同年6月12日付「吉野・スナイダー文書」で、これら秘密文書は2000年以降、米国外交文書公開で既に明らかになっている。

 ところが、藪中三十二外務次官は、3月16日の記者会見で「日本政府の立場は明確で、密約はない」と従来の主張を繰り返し、提訴について特にコメントすることはない」と口を閉ざしたままだ。

 2000年の米国公文書公開で「密約の存在」が表に出てからの流れをウオッチしてきたが、今回の「情報開示」提訴は、極めて重大な関門と考えられる。ところが、各メディアの扱いが、ほんの一部を除き冷淡だったのは何故だろうか?

▽〝問題意識欠如〟の紙面扱いが気がかり

 在京六紙(3・17朝刊)の中で、東京新聞が第二社会面に「沖縄密約文書『不開示不当』と提訴/学者ら、処分取り消しを求める」との3段二本見出し。妥当な扱いと思って、他紙と読み比べたところ、『日経』が第二社会面2段扱いのほかは。朝日・読売・毎日三大紙は、中面の第三社会面に1段(ベタ)扱い。『産経』は掲載していなかった。

 今回の提訴の重みをどう判断したかが、紙面扱いの差になったに違いないが、中面での「お知らせ」的ニュースで処理した点に〝問題意識の欠如〟を感じざるを得ない。特に『朝日』は、米外交文書公開などを精力的に報じていたのに、この〝落差〟は何に起因するのか。また「西山裁判」の矢面に立たされてきた『毎日』が、ミニニュース・最小見出しで処理した(記事量はかなりあったが)点は甚だ疑問である。各紙の扱い方の優劣を判定するつもりはないが、紙面ウオッチャーとしての感慨を率直に記したことを了解いただきたい。

 なお、県紙にざっと目を通したところでは、提訴記事を掲載した新聞でもベタ扱いが多かった。突出していたのは沖縄県の二紙だったが、沖縄タイムスが一面二番手(4段見出し)とし、社会面二番手で関連記事を掲載していた。琉球新報は第二社会面2段扱いだったが、両紙とも翌3・18付社説に取り上げていた。「沖縄密約訴訟」の節目と認識して、社論を掲げた姿勢を多としたい。

 「訴状は『密約』が米軍駐留に巨額負担する制度の源流であると指摘する。米軍受け入れ国の中で拠出額が突出する『思いやり予算』、そして米軍再編に伴い沖縄海兵隊八〇〇〇人をグアム移転する経費負担へと通じているとする。
 情報開示を求める原告は、民主国家のあり様を問う。『国民に情報を与えないか、もしくは情報を獲得する手段を与えなければ、政府は真の国民の政府とはなりえない』。米国の情報公開によって、日本に支払う義務のない返還軍用地の原状回復費四〇〇万㌦、短波放送中継局(ボイス・オブ・アメリカ)の国外移転費一六〇〇万㌦を日本が肩代わりした、という事実が明らかになっている。さらに米公文書によると、基地施設改善移転費六五〇〇万㌦の『秘密枠』も存在した。基地従業員の労務管理費を日本が負担することも明記されている。『思いやり予算』の鋳型がつくられた。日本の米軍受け入れ経費は全欧の二倍だ。
 原告が指摘する『巨額負担の源流』を政府はこれまで否定している。ほかに疑惑はまだまだある」(沖縄タイムス社説)。

 「米国で開示された文書の一部は沖縄公文書館でも開示されている。もっと言えば、密約を結んだ当事者である元外務省高官の吉野文六氏が、二〇〇六年に自ら報道機関や研究者に事実を告白し、密約の存在も認めている。
 ……『うそつきは泥棒の始まり』という。政府が『密約』を否定する理由は何か。よもや国民の血税を盗み、米国に貢いだ事実を隠蔽し続けるためではないだろう。裁判は日本の民主主義の『実相』を問うものだ。政府は事実を開示し、きっちりと説明してほしい」(琉球新報社説)。

▽「国民の知る権利」に真剣な取り組みを

 情報公開は民主主義国家の責務だが、30数年前の「密約」を隠蔽し続ける日本政府の壁が頑強なため、「情報開示」を勝ち取るための〝闘い〟は今後も厳しさが予想される。3月16日「密約文書開示」提訴を終えたあと、原告・弁護団は記者会見に臨んだ。原告共同代表の桂敬一氏が沖縄密約訴訟の発端から今回の「文書開示」提訴までの経緯と重大な意義を語ったあと原告・弁護団数人が決意を述べ、緊張した雰囲気に包まれた。

 清水英夫・弁護団長は「民主主義の最大の要件は透明性、公開性、行政過程の公開。1999年情報公開法を作った。この国が開かれた国か否か、当訴訟の意味は重い。日本の民主主義を問う裁判が当訴訟の意味だ」と語った。
 30数年前から「沖縄返還密約」問題を追い続けてきた澤地久枝さんが「米国では無名の一個人でも申し出れば情報公開に応じ、コピーも出してくれる。密約問題は過去の出来事ではない。この国の主権者は誰か、国民はもっと権利と義務を自覚して欲しい。国家が隠している結果の運命は今の、明日の家族や子供たちに降りかかる問題なのです。特にメディアの皆さんには強い問題意識を持って頑張っていただきたい」と、若い取材記者に熱っぽく訴えていた姿は、印象的だった。

 弁護団によると、6月16日東京地裁での審理が始まって2カ月1回くらいのペース、2年くらいで第一審を終えるとの予想。いずれにせよ、「秘密文書が存在する」との原告側立証責任が争点になって、裁判は長期化しそうだ。

 提訴前々日の3月14日、民主党の岡田克也副代表が次期衆院選で政権交代した場合の優先課題に関し「やりたいのは情報公開。政権が代わったら隠しているのを全部出す。米国の情報公開で密約は明らかになっており、日本政府が嘘を言ってきたかが分かる」と語ったことが、16日の原告・弁護団会見でも話題になった。
 情報公開への潮流が変化してきた兆しと楽観できないものの、情報開示訴訟に弾みがつくような気がする。「戦後」を引きずってきた沖縄の基地問題は、日本の将来を左右する重大課題との認識が肝要で、今こそ「知る権利」について、真剣な取り組みを新聞・放送全般に要望したい。
(いけだ・たつお=ジャーナリスト)