2010年2月3日水曜日

【官僚支配】 内閣法制局 ①

 内閣法制局は、本来法制的な部分で内閣を直接補佐する機関として設置され明治憲法発布より早い。

法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べるという事務(いわゆる意見事務)、閣議に付される法律案、政令案及び条約案を審査するという事務(いわゆる審査事務)を主な業務としています(内閣法制局HP。なお、厳密には内閣法制局設置法第3条)。

 通俗的な(あるいは護憲派的な)理解では、内閣法制局は行政府における「法の番人」であり、時の内閣が恣意的に憲法の運用を行わないようチェックする機関とされている。ゆえに護憲派といわれる方々の意見の中には、小沢氏の国会での官僚答弁禁止に対し反対意見が多いのは納得ができるのではあるが、現実には、政府・行政府内の憲法解釈について最終的な決定を行う権限を有するのは、あくまでも内閣ですが、その決定に際しては、法の専門家・プロフェッショナルとしての内閣法制局の意見が最大限尊重されるべきであるという慣行あるいは(実質的な意味での)憲法的慣習が成立していると見るべきでしょう。

 内閣法制局長官の国会答弁も、このような文脈で捉えられるべきです。政党間の力と力がぶつかり合う国会審議の場において、内閣法制局長官が与党とも野党ともある程度の距離を置き、法の専門家・プロフェッショナルとして法制的な観点から客観的な見解を述べることは意義のあることであり、国会の側からそのような意見を求めることも、国会のひとつの見識として評価されるべきでしょう。しかし、本当にそうであった場合の話ではあるが。



内閣法制局長官 鳩山政権で役割変質か
2010.2.3 07:46
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100203/plc1002030747003-n1.htm

 「法の番人」とも呼ばれた内閣法制局長官の役割が今年から変わった。鳩山政権が今国会から官僚答弁を原則禁止し、憲法解釈に関する答弁も政治家が行うことになったからだ。官房長官らによる答弁には稚拙さが目立つが、内閣法制局による憲法解釈の独占には批判も根強かった。首相でも容易に手を出せなかった「聖域」は、選挙で選ばれた政治家の手に渡りつつあるのか。(杉本康士)

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 「法制局長官は法的見地から内閣に助言する立場だ。『法の番人』という認識は少し違う」。平野博文官房長官は1月14日の記者会見でこう力説した。

 本来、政府の憲法解釈権は首相を長とする内閣が持っており、内閣法制局は法律問題に関する「意見を述べる」(設置法)役割が与えられているにすぎない。しかし、高度の専門性や歴代内閣の一貫性を重視する立場から、これまでは内閣法制局が事実上、有権解釈権を握ってきた。このため、国会審議では内閣法制局長官が憲法解釈答弁にあたってきた経緯がある。

 一方、鳩山政権は官僚答弁を禁止する国会審議活性化関連法案を今国会に提出した。政府は法案成立を待たず、国会答弁ができる「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を除外した。こうした動きには、各府省庁から「法制局の解釈は絵空事が多かった。憲法解釈は首相が総合判断する立場なんだから、現政権の判断は正しい」(外務省筋)と歓迎する見方も多い。

 内閣法制局はこれまで、同盟国に対する攻撃を自国への攻撃とみなし反撃する集団的自衛権を「保有するが行使はできない」と矛盾した解釈を打ち出し、政府の政策判断を縛ってきた。とはいえ、憲法には集団的自衛権を禁止する明文規定はなく、日米安保条約や国連憲章51条では固有の権利として認められている。

 政治家による憲法解釈が定着すれば、批判を受け続けた憲法解釈が見直される可能性も生まれる。だが、道のりは必ずしも平坦(へいたん)ではない。

 1月21日の衆院予算委員会では、天皇陛下の国事行為と公的行為の違いを聞かれ、平野氏はメモの助けを受け取るまで「後刻答える」と立ち往生した。また、政府・民主党は永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の提出を検討中だが、これに関しても「参政権付与は憲法違反との指摘が強いので、政権に都合のいい憲法解釈をするために法制局長官の答弁を禁止したのでは」(公明党関係者)との見方もある。
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 ■安倍元首相も説得に腐心
 「ここはアンタッチャブル。近寄りがたいよね」

 鳩山内閣発足直後、官僚出身のある副大臣は、東京・霞が関の合同庁舎4号館にある内閣法制局長官室の前でこうつぶやいた。

 内閣法制局は各府省庁がまとめた法案を審査する役割も担う。憲法を含む他の法律と矛盾しないとお墨付きをもらわない限り、閣議決定までたどりつけない。

 自衛隊の海外派遣に関する法律を担当したある官僚は、内閣法制局側の見解とことごとく意見がぶつかり、一時、出入り禁止を申し渡されたという。

 内閣法制局の定員は77人。大半が全府省庁から出向してきた法律に詳しい官僚で、その頂点に立つのが内閣法制局長官だ。天皇陛下の認証が必要となる認証官ではないのに閣議に出席できるのは内閣法制局長官のみ。戦後5人の長官OBが最高裁判所判事を務めている。

 安倍晋三元首相は集団的自衛権の行使を検討する懇談会を設置する際、宮崎礼壹長官(当時)を3回にわたり首相官邸で説得するなど、配慮に腐心した。集団的自衛権に関する政府解釈を見直したい安倍氏に対し、法制局側は長官以下幹部らの辞任もほのめかして抵抗したとされる。

【主張】通常国会召集 疑惑解明に国政調査権を
2010.1.18 03:01
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100118/stt1001180301000-n1.htm

 平野博文官房長官は法改正を待たず、内閣法制局長官に答弁させない方針をとった。集団的自衛権の行使の問題など国益にかかわる政策の憲法判断を、内閣法制局に任せていたことを改めようというものだ。
 日米同盟の強化につながる集団的自衛権の行使容認に向け、行使を阻んできた法制局長官答弁の枠を離れた議論を歓迎したい。

 「通年国会」への転換が与党の改革案に入っていないのは不十分だ。会期を決めた後は、政策の中身より法案審議の日程闘争に重きが置かれる従来のやり方から、早急に脱しなければならない。



“法の番人”不在に 内閣法制局長官の答弁を禁止 通常国会冒頭から
2010.1.14 16:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100114/plc1001141618009-n1.htm

 平野博文官房長官は14日の記者会見で、18日召集の通常国会から、内閣法制局長官には国会答弁をさせないことを明らかにした。官僚答弁を禁止する国会審議活性化関連法案の成立を待たずに、法制局長官を国会答弁ができる「政府特別補佐人」から除外する。憲法解釈に関する答弁は各閣僚が質問に応じて行う。

 法制局長官は自民党政権下で憲法解釈権を事実上握り、「法の番人」と呼ばれたが、平野氏はこのような考え方を「法制局長官は法的見地から内閣に助言する立場だ。法の番人という認識は少し違う」と退けた。
 政府が永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案を国会へ提出した場合、憲法論議は必至のため、法制局長官の答弁禁止は審議に影響を与えそうだ。



民主党国会改革の内部資料が判明 法制局から「憲法解釈権」剥奪
2009/12/10 01:46
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/334073/

 民主党政治改革推進本部(本部長・小沢一郎幹事長)が作成した官僚答弁の禁止など国会改革の詳細を記した内部資料が9日、明らかになった。資料は国会法など国会審議活性化関連法案の骨子と想定問答集。想定問答集は、内閣法制局長官について「憲法解釈を確立する権限はない。その任にあるのは内閣だ」とし、自民党政権下で内閣法制局が事実上握ってきた「憲法解釈権」を認めない立場を強調している。

 さらに「内閣の付属機関である内閣法制局長官が憲法解釈を含む政府統一見解を示してきたことが問題で、本来権限のある内閣が行えるよう整備するのが目的」と明記した。法制局長官の国会答弁を認めないことを通じ、憲法の解釈権は国会議員の閣僚が過半数を占める内閣が実際上も行使する方針を示したものだ。

 ただし「憲法解釈の変更を目的にして、今回の改正があるわけではない」と、憲法9条の解釈変更への道を開くとして警戒する社民党への配慮も示した。

 法案骨子は(1)国会で答弁する政府特別補佐人から法制局長官を除く(2)内閣府設置法と国家行政組織法を改正し副大臣、政務官の定数を増やす(3)衆参両院の規則を改正し政府参考人制度を廃止(4)国会の委員会に法制局長官を含む行政機関の職員や学識経験者、利害関係者からの意見聴取会を開く-の4点を挙げた。

 民主党政治改革推進本部は9日の役員会で骨子案を大筋で了承した。来週にも与党幹事長会談を開き、合意を得たい考えだ。

与党3党 官僚答弁禁止の法改正で合意
2009.12.7 12:19
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091207/stt0912071119001-n1.htm

 民主、社民、国民新党の与党3党は7日午前、国会内で幹事長・国対委員長会談を開き、官僚答弁を原則禁止する国会法改正など国会改革の進め方について、与党間で国会改革関連法案の法案策定作業に着手し、来年1月召集の通常国会冒頭で法案を提出することで合意した。平成21年度第2次補正予算案とともに成立を図る考えだ。

 社民党はこれまで、内閣法制局長官の答弁制限によって「憲法解釈が変更されかねない」として慎重姿勢を取っていた。このため、民主党は「新たな場」を設けて官僚から意思表示をさせて議事録に残すなどの妥協案を提示。社民党はこの案を受け入れることを基本的に了承した。国民新党は改正に賛成している。国会改革については、民主党の小沢一郎幹事長が強い意欲を示してきた。


新政権、憲法どこへ 小沢幹事長「法の番人」封じ
朝日新聞(2009年11月3日)

 日本国憲法が1946年に公布されてから、3日で63年。改憲問題をめぐる民主党の対応に注目が集まるなか、小沢一郎幹事長が唱える「官僚答弁の禁止」が論議に悪影響を及ぼしかねないと心配する人たちがいる。ただ、目の前の課題や党内事情もあって、新政権にとって改憲は「後回し」の状態だ。

 「これは官僚批判の名を借りて、憲法の解釈を変えてしまおうという思惑では」

 神戸学院大法科大学院の上脇博之教授(憲法学)は、ニュースで見かけた民主党の動きを気にかけている。

 発端は先月7日の小沢一郎幹事長の記者会見。「法制局長官も官僚でしょ。官僚は(答弁に)入らない」と語り、国会法を改正して内閣法制局長官の国会答弁を封じる意向を示した。

 内閣法制局は「法の番人」とも呼ばれる。法理を駆使して、ときの政府の意向をかなえる知恵袋の役を果たす一方で、例えば海外での武力行使をめぐって「憲法9条の下ではできない」との見解を守り続け、憲法解釈に一定の歯止めをかけてきた。

 一方、小沢氏はかねて「国連決議があれば海外での武力行使も可能」と主張し、何度も法制局とぶつかってきた。新進党首だった97年には、日米ガイドラインの憲法解釈をめぐって橋本首相に代わって答弁した法制局長官を「僭越(せんえつ)だ」と国会で批判。03年には自由党首として「内閣法制局廃止法案」を提出した。

 こうした過去の言動を見れば、憲法解釈も政治家が行うというのが、小沢氏の隠れた真意だと上脇教授は見る。

 「もしそうなれば……」。ある元法制局幹部の頭によぎるのは、05年まで衆参両院で開かれていた憲法調査会の議論だ。「きめの粗い感情的な憲法論に終始し、国政が混乱する」と元幹部は懸念する。

 「法制局なしでやってみたらお分かりになると突き放したいところですが、憲法上できないことを『できる』と政治家が言い張って、被害を受けるのは国民。その被害が、二度と回復できないものだったら、どうしますか」

 04年までの2年間、長官をつとめた秋山収さん(68)は、小沢氏の狙いを「9条の解釈が気にくわないという、その一点でしょう」と言い切る。

 内閣が変わるたびに、法制局は、長年積み重ねた国会答弁をもとに「戦争放棄」の9条や「政教分離」の20条など憲法の課題を新首相にレクチャーする。議員が提出する質問主意書の政府答弁にもすべて目を通す。

 秋山さんは、そうした後ろ支えがなければ、政治家の「脱線答弁」が頻発し、それが定着してしまうという。国の基本的なあり方は、憲法改正という民意を問う手続きを経るべきだと秋山さんは考える。「その時々の多数政党の力で9条の解釈が揺れ動くのは憂慮すべき事態だ」

【外交問題】 小沢一郎の中国観

単なる親中派にあらず 小沢一郎「中国観」の本音
2010年02月03日(Wed) 城山英巳
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/760

 民主党の小沢一郎幹事長が、自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で検察当局と攻防を展開、中国共産党・政府も注視している。小沢氏は2009年12月、民主党所属国会議員140人以上を含む総勢640人もの大訪中団を引き連れて北京で胡錦濤国家主席と会談。さらに来日する習近平国家副主席と天皇陛下との会見を望んだ中国の崔天凱駐日大使の要請を受け、「特例会見」実現に向けて官邸サイドに働き掛けるなど、今や中国が最も頼りにする「親中派」大物議員だ。それだけに日中関係も、検察捜査を受けた小沢氏の影響力次第という見方が強い。

本稿では中国が小沢氏をどう見ているのか、そして「親中派」と見られる小沢氏は、実際に中国をどう捉えているのかその本音を探りたい。

「鳩山ではなく小沢」

 「小沢さんの捜査次第で民主党もどうなるか分からないでしょう」。これは中国政府幹部の偽らざる率直な感想だ。中国紙も今回の捜査の行方や「小沢像」について一定の程度で報じている。

 「鳩山(由紀夫首相)がいなくても民主党政権はまだ存在できるが、小沢がいなければ民主党政権は恐らく持続は難しいだろう。理由は非常に簡単だ。小沢が『選挙の神様』であると誰もが認識しているからである」。こう報じたのは、国営新華社通信発行の『参考消息』(1月21日付)だ。

 「片や日本最強の反汚職検察機関、片や日本政界で最強権力を持つ政治家。この両雄決闘は一体、いずれに軍配が上がるのか、日本人を釘付けにしている」。こう紹介した『第一財経日報』(同18日付)は現在の「5大懸念」についてこう指摘する。

(1)検察機関は有力な証拠を発見できなかったらどう幕を引くのか
(2)小沢がもし逮捕されれば民主党はどうするか
(3)民主党が検察機関を報復するならば、この闘争はどこに向かうのか
(4)自民党はこの機に今夏の参院選で捲土重来を図れるか
(5)日本のような国家で、検察機関の「暴走」を抑える制度はあるのか

 1月26日付『法制日報』は、「小沢は、田中角栄(元首相)を師としており、東京地検が最も湧き立ったロッキード事件で田中は有罪となったが、小沢と東京地検の恩と仇はこの時から始まった」と解説する。

 多くの論調が、小沢について日本政界を牛耳る「大物」ととらえ、田中角栄と重ね合わせていることが特徴だ。小沢の「中国原点」は田中である。昨年末に訪中した際、小沢は記者団にこう漏らしている。「最初に中国を訪問したのは初当選した40年近く前だったかなあ。私の政治の師匠である田中先生の大英断によって日中国交正常化ができ上がったわけだが、その意味でことさら感慨深い」。

 胡錦濤指導部に対日政策を提言している中国の日本研究者は09年末、北京で筆者にこう解説した。「われわれは今や民主党と鳩山政権を分けて考えている」。民主党政権はある程度長期化するが、鳩山内閣は長続きしないとの見方だ。そしてこう付け加えた。「中国国内では小沢氏の株が上がっている」。

 「大訪中団」と「天皇特例会見」を受けて胡指導部は、小沢の絶大な権力と影響力を見せ付けられたからだ。

 筆者は『文藝春秋』2月号に「中国共産党『小沢抱き込み工作』」と題するリポートを寄稿したが、中国が小沢を見る上で興味深い視点を拙稿の中から紹介したい。

 「中国政府関係者も、鳩山内閣を支配する小沢一郎について、最高実力者として時の総書記の上に立った『鄧小平』になぞらえる」。

 「鳩山ではなく、やはり小沢だ」。指導部は、日中間で懸案が持ち上がった際、最高実力者・小沢を「窓口」にすれば、「政治主導」で解決を図れると見込み、対日工作を強めようとした。その矢先の「陸山会」をめぐる土地取引事件だった。

米長官に「危うい中国」説く

 米軍普天間飛行場移設問題をめぐり日米同盟への亀裂が深刻化する最中の「小沢大訪中団」に対し、オバマ米政権からは、極端な対中接近に警戒論が噴出した。「小沢は一貫して民主党における対中交流の核心人物」と断言する社会科学院日本研究所の高洪研究員は、共産党機関紙・人民日報系の国際問題紙『環球時報』(09年12月11日付)に対してこう冷静に分析している。

 「小沢は対中友好を主張しているが、同時に日本が『大国路線』を歩み、日本の利益を保護する戦略という点では非常に強硬的な政治家である。国家戦略上で『日本は中国とは切っても切り離せない』とはっきりと認識しているにすぎない」。

 確かに小沢は、中国高官を前にした時の親中的発言と、それ以外の場で語る独自の「中国論」では大きく内容が違うことに注意を払う必要があろう。

 例えば、民主党が政権を取る前の09年2月。小沢は同党代表として来日した中国の王家瑞共産党対外連絡部部長と会談した際、当然ながら「親中派」の顔を前面に出した。「中国もアメリカも、ともに大事な国であり、(日中間と日米間が同じ長さの)二等辺三角形であり、トライアングルであることはその通りだ。中国は隣の国だし、長い歴史もあり、文化的にも交流が深い。そういう意味でどっちが大切とか、そういうことではなく、中国に対する特別な親近感を持っているし、当然、両国のより良い関係を発展させたい」。

 しかし実はこの1週間前、クリントン米国務長官が来日した際、打って変わって同長官に厳しい「中国論」を展開しているのだ。

 「中国問題がより大きな問題だと思う。中国のこれからの状態を非常に心配している。鄧小平さんが文化大革命の失敗を償うために市場主義を取り入れたのは大きな成果だったが、それは両刃の剣で市場主義と共産主義は相容れない。必ずこの矛盾が表面化するだろう。従って日米にとって世界にとって最大の問題は『中国問題』だろう」。

 この頃、講演会ではもっと過激な「中国論」を披露している。「中国はバブルが崩壊して共産党の腐敗は極度に進行している。軍部も非常に強くなっている。そういう中国で今、景気後退で大量の失業者が出ており、各地でものすごい暴動が起きていると聞いている。抑えているけど、共産党政権というのはその基盤が揺らいでいると思っている。中国は非常に危ういと思う」。

 「危うい中国」が小沢の本音だろう。与党・自由党党首だった1999年、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の「周辺事態の範囲」をめぐって「中国、台湾も入る」と発言して中国を激怒させたことがあった。もともと中国の小沢観は「米国重視」「台湾寄り」「タカ派」「改憲論者」だったが、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題を受けた06年、最大野党代表・小沢は中国と「反小泉」で思惑が一致、「共同戦線」を組むようになったのである。

 さらに興味を引くのは、小沢が「最大の問題は中国」という言い方ではなく、わざわざ「中国問題」と言っていることだ。近く世界第2の経済大国になる中国の台頭という世界情勢の変化を見て、米中が「G2」として連携を強化すれば、日本はつまみ出されるという危機感が対中接近につながっているという側面は確かにある。しかしそれだけではなく、中国が抱える内部矛盾、つまり腐敗、格差、暴動などに代表される「危うい中国」も見抜き、日本としてどう向き合うかを説いているのだ。

 ある日中関係者は「小沢氏は中国を好きか嫌いかの感情論ではなく、必要か必要ではないかの観点からとらえている」と解説する。

「脱亜入欧」からの脱却

 小沢がなぜ「中国問題」にこだわるのだろうか。ヒントとなる発言がある。

 「自民党を出て13年がたった。幕末にペリーが黒船で来航(1853年)してから明治維新(1868年)まで15年。私に残された時間はあと2年だ」。06年に訪中した小沢は、古くからの友人、李淑錚元共産党対外連絡部部長に漏らした。

 あと2年間で政権を奪取する決意を語ったものであり、3年後にその決意は実際に実るわけだが、小沢は09年9月の自民党から民主党への政権交代を、明治維新以来の大改革の時と位置付けている。

 「小沢氏は歴史的観点を持っている」との見方を示すのは「日本通」の中国人研究者だ。

 「明治時代以来、日本は『脱亜入欧』を強め、欧米の基準に合わせてきた。しかし近代以来、日本の問題というのは結局、隣の大国である中国とどう向き合うかという『中国問題』だった。現在、中国が台頭する中で、小沢氏は単に『米国重視』から『中国重視』に転換したのではなく、複雑化する『中国問題』がどれだけ重要かという近代以来のテーマに日本人としてどう取り組むべきか問題提起しているのではないか」。

 日本は近代以降、欧米、特に戦後は米国を通じて中国やアジアの問題に取り組んできた。対中政策は常に、米国の顔色をうかがいながら決めてきた。しかし小沢は今、「脱亜入欧」を脱却し、「米国は米国」「中国は中国」としてそれぞれ正面から取り組む必要性を訴えているのではないか、というのがこの研究者の視点である。これが日米中「二等辺三角形論」というわけだ。

 ここで近代以降の日中関係を振り返っておこう。ちょうど、1月31日に発表された『日中歴史共同研究報告書』で、日本側座長・北岡伸一東大教授による「近代日中関係の発端」と題する論文が掲載されているので一部を引用したい。

 「西洋の衝撃なしには、東アジアの変容はありえなかった」。

 『報告書』の「近現代史総論」は、「西欧との遭遇の重要性という一点については、(日中)双方は共通の認識に達している」と指摘。「西洋の衝撃」に関して「中国においてはアヘン戦争、日本においてはペリー来航と明治維新を始点にしている」と記した。

北岡氏は、「西洋の衝撃」に対して「中国は西洋が持ち込もうとした近代国家システムにうまく適応することができず、多くを失った。これに対して日本は、相対的にこの課題を大きな失敗なしに乗り切っていった」としているが、注で「一般的に言って、ある課題における成功の条件は、次の課題における失敗を引き起こすことが少なくない」と付け加えている。

 前述の中国人研究者は、「日本は近代以降、中国との付き合い方が分からず、失敗を重ねてきた」と解説する。まさに満州問題をはじめとする「中国問題」への対応の失敗が開戦と敗戦への道につながったと、この研究者は分析している。『報告書』では中国側研究者も、「脱亜入欧」が「対外拡張主義や武力至上論の道具になった」として、日本の近代対中政策の過程を否定的に見ている。

 「西洋の衝撃」の契機となったペリー来航・明治維新を、今回の政権交代と重ね合わせる小沢は、今まさに「光」と「陰」の両面において国際社会で存在感を高める中国の台頭を「中国の衝撃」ととらえ、近代以降の「脱亜入欧」の転換点として「中国問題」を正面から考える時期に来ていると考えているのではないか。

 小沢側近の民主党衆院議員は「今(民主党と中国共産党で)やっている交流は『政治主導』の戦略対話の土壌づくりだ」と言い切り、何でも言い合える関係づくりを目指していると強調したが、それが実現するかどうかは検察の捜査を受けた小沢の影響力如何に懸かっているのだ。