2009年6月30日火曜日

【社会保障費】 森永卓郎(消費税引き上げ反対論)

社会保障の財源に消費税を充てるのは不適切である

消費税の引き上げが、解散総選挙の争点の一つになろうとしている。麻生総理自身、景気回復後に消費税率を引き上げる方針を明確にしており、総選挙の争点にするとも述べている。

 政府はまた、今年度の税制改正法案において「消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずる」とする付則を盛り込んでいる。つまり再来年中に消費税率引き上げの法律をつくると明言しているわけだ。

 これに対して、民主党はどうか。わたしは、真っ向から反対すると思っていた。というのも、民主党は「霞ヶ関の改革が先決」としており、鳩山代表も「消費税は4年間議論しない」と述べていたからだ。

 ところが、民主党の議員に話を聞くと、ちょっとニュアンスが違う。まず、霞ヶ関を改革して無駄遣いをなくすとはいうのだが、それでも社会保障費の財源が足りなければ、消費税率の引き上げもやむをえないという意見が多いようなのである。

 一方、公明党も消費税率引き上げを容認する姿勢を示していることから、総選挙後にどういう政権ができても、遅かれ早かれ消費税の引き上げは避けられてない情勢である。

 だが、ちょっと待ってほしいのだ。今後、社会保障費が増大するだろうことはわたしもわかっている。だが、その財源として本当に消費税率の引き上げが適切なのか。それは疑問に感じざるをえない。それは、消費税という税金の根本にかかわっている問題なのだ。

 その議論を抜きにして、税率を上げるとか上げないとかいう話ばかりが優先することで、国民はどうも巧妙なトリックに引っかかっているように思えてならないのだ。

消費税は低所得層に厳しい逆進的な税制
 消費税を社会保障財源にあてるという議論には、大きなインチキが2つあるとわたしは考えている。

 1つ目のインチキは、消費税という逆進的な税制によって社会保障をまかなおうと考えている点である。逆進的というのは、低所得者ほど税負担が重くなり、所得が高くなるにつれて負担率が軽くなる性質を指している。

 こういうと、「消費税率は誰に対しても等しく5%ではないか」と反論されるかもしれない。だが、消費に対する税率は同じであっても、年収に対する税負担の比率を考えると数字が違ってくるのだ。そう、消費税は文字通り消費にかかる税金であって、所得に応じてかかる所得税とは異なる性質をもっているのだ。

 財務省の試算によると、年収146万円の人は消費税負担が収入の3.7%を占めるのに対して、年収2135万円の人は1.4%に過ぎないという。倍以上の税負担率である。

 なぜ、このようなことになるのか。それは、低所得層と高所得層とでは、収入に対する消費の割合が大きく異なるからだ。低所得層も、最低限の生活必需品は購入せざるをえない。そして、生活必需品の額は、庶民も金持ちもそれほど大きく変わらない。

 その結果、低所得層は年収の多くの部分を消費にあてざるを得なくなり、年収に対する消費税の割合が高くなる。ところが高所得層は、収入の大半を消費にまわすということはない。大部分を貯蓄に回してしまうから、税負担が小さくなるのである。

消費税を社会保障財源とすることで金持ちと企業の負担が軽くなる
 これまで、社会保障の財源となる社会保険料というのは、雇用保険にせよ、厚生年金にせよ、健康保険にせよ、収入(所得)に応じて課せられてきた。ところが、それではまかない切れなくなったから、消費税にしようというのが現在の動きである。

 だが、根本の思想として、これまでと連続性を持たせるならば、今後も収入に比例して徴収しないとおかしい。さもなくば、これからは思想自体を変えるということを広く伝えて、国民的な議論にすべきではないか。

 社会保障の財源を消費税に頼るというのは、どういうことを意味するのか。それは、前述のように金持ちの負担率が庶民の半分以下で済むということである。さらにいえば、金持ちがこれからの高齢化社会のコストを、庶民の半分以下しか担わないということになる。

 しかし、これは本来の社会保障の思想とは相反するものだ。そもそも社会保障には、「そのままでは格差が拡大して社会不安を起こすといけないので、所得を再分配する」という側面がある。だから、社会保障の財源は累進課税によるのが当然である。それなのに、むしろ逆進して課税するというのはおかしな話ではないか。これが1つ目の大きなインチキではないのか。

 そして2つ目のインチキは、不思議なことに誰も指摘していない。それは、厚生年金、雇用保険、健康保険が、これまで労使折半で支払われてきたという事実と関連している。こうした社会保険の支払いを消費税に移行すると、いったい何が起きるのか。

 それは自明である。消費税にすれば使用者側の負担はゼロになるのだ。労使折半だった支払いを、今後は100%労働者側が負担しようというわけである。

 以上、2つのインチキをまとめると、消費税を社会保障の財源に充てるという考え方は、金持ちと企業の負担を軽くすることにほかならないのである。

 これはいくらなんでもひどいのではないか。現在の消費税議論はこうした論点を隠しているから、国民はごまかされてしまう。お人好しの国民は、「財源が足りないから消費税を上げるのもしかたない」「日本の将来はみんなで負担しなくてはならない」と思わされてしまっているのだ。

御用学者が繰り返す論点隠しの消費税擁護論
 ところが奇妙なことに、日本の名だたる経済学者が、消費税の逆進性を否定する発言を繰り返している。

 例えば、経済財政諮問会議の議員を務める吉川洋東大大学院教授である。

「消費税に逆進性があったとしても、社会保障は給付の段階で低所得層に手厚いのだから、生涯にわたってみれば、消費税の逆進性は深刻ではない」

 いかにも、もっともらしく見えるが、この主張は明らかにおかしい。前述したように、社会保障制度はそもそも所得の再分配機能を持つものでなければならない。弱い人を助けるのが社会保障なのだ。

 ところが、彼の主張によれば、まず逆進的に税金を徴収して、あとで再分配をするというわけだ。だが、それでは現在の所得再分配を否定することになるではないか。現在の格差を拡大しておいて、「最終的には割がいいよ」と言われても困る。なぜ、そんな回りくどいことをしなくてはならないのか。問題は、まず今なのだ。

 この発言は、社会保障のなんたるかを意図的に無視したとしか思えない暴論である。

 大竹文雄大阪大学教授の発言は、さらに巧妙にインチキを仕組んでいる。

「確かに、一時点で低所得層と高所得層の負担を比較すると、消費税には逆進性がある。だが、一生のうちに得る『生涯所得』と『生涯消費税支払額』は、ほぼ比例している」

 なんだか分かりにくいが、こういうことだ。つまり、高所得層は現役時代の消費が少ないために、その時点では消費税は逆進的になるかもしれない。だが、高齢期になれば、そういう人たちも貯蓄を引き出してガンガン使う。結局は、一生の間にすべて使うことになるので、それにどっと消費税がかかり、負担は同じになるというわけだ。

 彼は、家計調査などのデータを引用して、いかにもそれらしく説明している。しかし、それは間違いだ。高齢層になって支出が増えるのは確かだが、金持ちが老後に貯蓄を使い切ることはまずない。貯蓄を使い切って死ぬのは庶民なのだ。

 金持ちは多額の遺産を子どもたちに残して死に、その遺産は消費税で捕捉されないので、社会保障の負担には充てられないのである。その点が巧妙に隠されている。

 彼らは意図的に事実を隠蔽して、権力の喜ぶような発言をしていると言わざるをえない。こういう人たちのことを、世の中では「御用学者」と呼ぶのである。

資産課税を検討すべき時が来た
 では、社会保障の財源をどうすればよいのか。現在の制度と連続的な思想のもとで、収入(所得)に税金をかけるとするならば、消費にかけると同時に純貯蓄にもかけなくてはいけない。なぜなら、収入は消費と貯蓄に分けられるからだ。

 だが、例えば貯蓄に10%の税金をかけるとなると、キャッシュや金をため込んだり、ありとあらゆる手段を使って税金逃れをするだろう。そうなると捕捉しきれない。

 もっとも、貯蓄自体を捕捉するのは難しいが、貯蓄の行き先を押さえることは可能だ。つまり、金融資産を対象に税金をかけるのである。

 そして、消費税率を引き上げることが避けられないのであれば、同時に1%とか2%という低率で、個人や企業が保有している金融資産のストックに課税すればいい。それができれば公平であり、従来との整合性も保てる。

 しかし、これには猛反発があって、まず受け入れられないに違いない。あるいは、以前からわたしが主張しているように、所得税の最高税率を以前の率に戻したり、相続税を変えて金持ちからもっととるようにしてもいい。

 そうした根本策が無理ならば、とりあえず、所得に応じて低所得者に給付金を支払ったり、食料品などの生活必需品などの消費税率をゼロにするなど、完全ではないものの消費税の逆進性を緩和する方法はいくつか存在する。そうした方策のなかから最良のものを考えるのは政治家の仕事である。

 世の中では、税率を上げる、上げないという点ばかりが先行しているが、こうした「消費税とはそもそも何なのか」という議論が一切なされていないのは不満だ。これまで収入(所得)に対して課税されていたのが、消費に課税されるとはどういうことなのか。企業や金持ちの負担が軽くなることに対してどう考えるのか、という点について、もっときちんと議論するべきである。