2010年3月26日金曜日

【足利事件】 録音テープ&判決趣旨

 菅家利和氏に対する森川大司・元検事の取調べ時の録音テープが公開され、2010.3.26の再審判決が出て「無罪」が確定した。

怒るというより呆れる思いなのだが、この備忘録の別の日付けにも書き記したのであるが、事件の報道の酷さにはあきれ返る。

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足利事件取り調べ録音テープ1 

 宇都宮地裁で21日開かれた足利事件再審公判で、再生された取り調べ時の録音テープの内容は次の通り。

 ▽1992年1月28日

 (ドアが開閉する音)

 森川検事 元気かい。テープをとるけど、いいかい? 嫌ならいいんだけど。

 菅家さん はい。

 森川 まあ、気にしないでやってくれ。今までずっと君に聞いてきた事件ていうのは、最初は、あの(松田)真実ちゃんの事件でしょう。

 菅家 はい。

 森川 それから、これまではずっと(長谷部)有美ちゃん、いや、じゃなかった。ごめん。(福島)万弥ちゃんの事件を聞いてきたんだよね。

 菅家 はい。

 森川 それで警察の方からは。

 菅家 はい。

 森川 まあ有美ちゃんの事件もね。

 菅家 はい。

 森川 事情を聴かれているところと思うけど。

 菅家 はい。

 森川 僕からはまだ聞いてなかったよね。

 菅家 はい。

 森川 今日は、ちょっとね。

 菅家 はい。

 森川 あのう有美ちゃんの事件ね。

 菅家 はい。

 森川 まあ、僕からはまだ聞いていない。

 菅家 はい。

 森川 初めて聞くんだけども。有美ちゃんの事件についてね。

 菅家 はい。

 森川 えーどんな事件なのか聞かせてもらおうかなと。

 菅家 はい。

 森川 思っているわけなんだよな。

 菅家 はい。

 森川 まあ、そんなことで来たんだけど。

 菅家 はい。

 森川 どうだい、体調は?

 菅家 そんなによくないです。体が痛みます。

 森川 どの辺が?

 菅家 全体ですね。肩とか。足も疲れます。

 森川 風呂は?

 菅家 今日入りました。

 森川 風呂入ったような顔してるからさ。体はだんだん痛くなるの?

 菅家 じっとしてるせいもありますけど、何というんでしょう。毎日動いていた方がいいと思うんですけど。

 森川 正座したりしてるの。

 菅家 正座したり。

 森川 風邪は。今寒くない。

 菅家 そんなに寒くないですね。

 森川 ストーブ入れたからね。そのうち暖まるでしょう。風邪ってわけじゃないの。鼻がムズムズするとかせきとか。

 菅家 せきは出ません。

 森川 まあ最初にね。

 菅家 はい。

 森川 聞いたようにあの有美ちゃんの事件のことね。

 菅家 はい。

 森川 あのちょっと聞いときたい。

 菅家 はい。

 森川 それを聞きたいと思っているの。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃんの事件って、大体分かる。

 菅家 ええ、大体。

 森川 どんな事件か?

 菅家 やはり…。

 森川 うん。

 菅家 この間、警察にも話したんですけど、パチンコ屋さんから。

 森川 うん。

 菅家 自転車ですね。

 森川 うん。

 菅家 それをあのー自転車で。

 森川 うん。

 菅家 連れて行って。

 森川 うん。

 菅家 それで、乗せたっていいますか。

 森川 うん。

 菅家 それで、あの走って。

 森川 走ったって、あの自転車の?

 菅家 はい。自転車の後ろですか。

 森川 後ろに? うん。

 菅家 乗せて行って。

 森川 うん。

 菅家 それから、毛野団地ですよね。団地の北側ですか。

 森川 うん。

 菅家 それを真っすぐ行きまして。

 森川 うん。

 菅家 それで真っすぐ行って突き当たったら右へ回りまして。

 森川 うん。

 菅家 右から、右に回りまして、その後。

 森川 うん。

 菅家 真っすぐ南へ行きまして。

 森川 うん。

 菅家 その後、旧50号ですね。

 森川 うん。

 菅家 そこを東に向かって。

 森川 うん。

 菅家 それで、その東に向かったら、すぐ左ですか。

 森川 うん。

 菅家 信号のあるそばを。左に曲がったと。

 森川 うん。

 菅家 まあ話したんですよね。

 森川 あっそう。

(沈黙・7秒)

 森川 有美ちゃんの事件も間違いないか。

 菅家 (沈黙・10秒)それで、この間は、やはり自分が、えー自転車へ乗せて。

 森川 うん。

 菅家 何て言うんですか、自転車から降りて。

 森川 うん。

 菅家 それで、手を引いて。

 森川 うん。

 菅家 それで、あの、田んぼですか。田んぼを、田んぼの中ですか。

 森川 うん。

 菅家 中へ、あの、連れて行って。

 森川 うん。

 菅家 そこ、そこで、まあ寝たとかあるいは言ったんですけど。

 森川 うん。

 菅家 それで、少しして。

 森川 うん。

 菅家 今度は、何て言うんですか、その埋めてあった場所が。

 森川 うん。

 菅家 もう、ちょっと上なんですよね。

 森川 ああ、そうか。うん。埋めてあった場所って、死体が見つかった場所っていうの?

 菅家 場所ですね、はい。

 森川 ふーん。なるほど。それと場所を教えてもらったわけ?

 菅家 はい。

 森川 ふーん。それで、どうだったの。

 菅家 ちょっと、首をかしげたといいますか。

 森川 首をかしげた? どういうところで首をかしげたんだ?

 菅家 自分が思っていた場所じゃなくて。

 森川 思ってた場所じゃない?

 菅家 はい。

 森川 思ってた場所じゃないっていうのは? じゃあ、君はね、どういう風に思ったわけ?

 菅家 (沈黙・7秒)

 森川 思った通りには説明したわけかい?

 菅家 そうですね。

 森川 うーん。(沈黙・15秒)あのねえ、えーっと。(沈黙・15秒)まずこのね。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃんの事件についてね。

 菅家 はい。

 森川 警察でね。

 菅家 はい。

 森川 君がどんな調べを受けたのか、それからひとつ聞いていこうか。

 菅家 はい。

森川 一番最初にね。

 菅家 はい。

 森川 この有美ちゃんの事件について。

 菅家 はい。

 森川 警察で話した。

 菅家 はい。

 森川 まあ、簡単にでもいいからね。

 菅家 はい。

 森川 話をしたのはいつのころだろうか?

 菅家 えー。

 森川 一番最初は?

 菅家 一番初めにしたのは…、たしか12月の20日ころだと思います。

 森川 去年のね。

 菅家 はい。

(沈黙・5秒)

 森川 どんなふうに話した?

 菅家 真実ちゃんですか?

 森川 うん。

 菅家 真実ちゃんの事件が、終わりまして。

 森川 それは、あの調べが終わった?

 菅家 はい。調べが終わった。

 森川 起訴される前?

 菅家 前だと思いますけど。

(沈黙・5秒)

 森川 最初の事件の調べが終わってから?

 菅家 はい。

 森川 どんな状況だったの?

 菅家 うーん、やはり、その、有美ちゃんを。

 森川 うん。

 菅家 パチンコ屋さんですか?

 森川 うん。

 菅家 パチンコ屋さんから乗せまして、それで、やはりあの毛野小学校の裏から。

 森川 うん。

 菅家 北側ですね、それから毛野団地ですか。団地の北側を真っすぐ行きまして、それで、やはりあのー真っすぐ行ったとこに丁字路ですね。

 森川 うん。

 菅家 丁字路に当たって、右に回りまして。

 森川 うん。

 菅家 それでずっと行って旧50号ですね。50号を少し、東側ですか。

 森川 うん。

 菅家 東に出て、それで、細い道ですね。

 森川 うん。

 菅家 細い道をずーっと、やはり北側と思いますけど。その道を行きまして。

 森川 うん。

 菅家 それで自転車でそこで降りて。

 森川 うん。

 菅家 それで、まあ、手を引いて、あの歩いて行ったということをまあ話しはしたんですけど。

 森川 うーん。じゃあ、そういうような話をした理由なんだけど。

 菅家 はい。

 森川 真実ちゃんの調べが終わった後ね。

 菅家 はい。

 森川 どういうきっかけでそういうふうな話をね。するようになったんだろう?

 菅家 やはり、まあ足利の事件ですか?

 森川 うん。

 菅家 あの三つありましたね。

 森川 うん。

 菅家 一つは真実ちゃんでした、ですけども、その。

 森川 うん。

 菅家 真実ちゃんの。

 森川 うん。

 菅家 真実ちゃんのことが終わりまして。

 森川 うん。

 菅家 その後。

 森川 うん。

 菅家 そのほかに二つありましたよね。

 森川 うん。

 菅家 その、話がきっかけっていいますか。

(沈黙・8秒)

 森川 それがきっかけっていうのは、どういうことなの? 警察の方からなんか聞かれたわけ?

 菅家 はい。

 森川 どういうふうに聞かれた?

 菅家 やはり、その二つのー。

 森川 うん。

 菅家 菅家じゃないかとかと。

 森川 うん。

 菅家 そういうふうに言われまして。

 森川 あーそう。

 菅家 はい。

 森川 うーん。

 菅家 でも自分は。

 森川 うん。

 菅家 違うと話したんですよね。

 森川 そう。うん。

 菅家 はい。

 森川 それで。

 菅家 それで、まあ、あの、何ですか警察は怖いですしね。

 森川 何が?

 菅家 やはり何て言うんでしょうか、自分でもよく分からないんですけど。

 森川 うん。

(沈黙・7秒)

 森川 あのー、調べを受けた、その時ね。

 菅家 はい。

 森川 うーん。調べを受けて。

 菅家 はい。

 森川 どれくらいしてから話した? この有美ちゃんの事件。

 菅家 朝、朝言われたんですけど。

(沈黙・4秒)

 森川 うん。

(沈黙・8秒)

 菅家 前、前の日まで確か、真実ちゃんの事件の話をしてたと思うんですけども。

 森川 うん。

 菅家 それで、翌、翌日ですね。

 森川 うん。

 菅家 翌日に、あ、あの…万弥ちゃんとか有美ちゃんですよね。

 森川 うん。

 菅家 その話があの出たんですよね。

 森川 うん。うん。だからさ。

 菅家 はい。

 森川 これ話したのが朝なんでしょう?

 菅家 はい。

 森川 あのー、調べ始まってから。

 菅家 はい。

 森川 どれくらいたってから、有美ちゃんの事件について君が話したのかなと思うんだけども。

 菅家 (沈黙・10秒)ちょっと分からないんですけど、(沈黙・5秒)20~30分じゃないかなとは思うんですけど。

 森川 20~30分ね。ふーん。

 菅家 そのくらいのもんですけど。

 森川 うん。

 菅家 はっきり覚えてないんですけど。

 森川 ああ、そう。うん。最初は、やってないって言ったの?

 菅家 はい。

 森川 だけど話したんだね?

 菅家 はい。

 森川 うん。(沈黙・5秒)えー、何て話したの? その時は。

 菅家 (沈黙・13秒)

 森川 つまりね。

 菅家 はい。

 森川 あのう、最初やってないと、いうふうに言ったんでしょ。

 菅家 はい。

 森川 言ったのが、うーん、こうだったっていうふうに話したわけでしょ? 後でね。

 菅家 はい。

 森川 だから、そのー最初は否定したのに。

 菅家 はい。

 森川 うーん。話したきっかけね。どういうところで。あるいは、どんなことを考えてね、話したのかなって。

 菅家 (沈黙・15秒)やはり(沈黙・12秒)自分で何だかもう訳が分からないんですけども。

 森川 うーん。訳が分からない?

 菅家 はい。訳が分かんなく、まあ…。やったとか何とか話したと思うんですけど。

 森川 うん。訳が分かんなくて何で?

 菅家 (沈黙・50秒)

 森川 つまりさあ。

 菅家 はい。

 森川 君がどんなことを考えてたかなと思うんだけどね、どんな気分になって話したのかなと思うんだけどね。どうだったのかな?

 菅家 (沈黙・45秒)うーん、うーん。

 森川 うーん。うん。表現できないか?

 菅家 はい。ちょっと、ですね。

 森川 何かやっぱりこう、きっかけがあって、気持ちが変わるわけよ。

 菅家 何か強引な感じがしたので。

 森川 強引って? 以前にね、有美ちゃんの事件だけじゃなくて万弥ちゃんの事件も話をして。どっち先に話をしたの。

 菅家 その二つですよね。一緒に言われた。

 森川 君はどっちから話したの?

 菅家 万弥ちゃんの方を先に…。

 森川 あぁ、そう。

(沈黙・30秒)

 森川 じゃあね。この有美ちゃんの事件でね。

(沈黙・12秒)

 森川 目を伏せないでね。

 菅家 (沈黙・12秒)(はなをすするような音)

 森川 実際には、君がやった事件なの?

 菅家 (沈黙・10秒)

 森川 本当のところは?

 菅家 本当のところはやってないです。

 森川 やってない? (沈黙・5秒)やってないならやってないで別に考えなくてもいいんじゃない? やってないのに、やったって話した? そういうことなんだね。なぜ? (沈黙約30秒)なぜそんな話をしたんだろう? やってないのにやったって言ったんだろうか?

 菅家 (沈黙)やはり(沈黙)警察の方で。

 森川 うん。

 菅家 分かっているんだとか。話しちゃえよとか。そういうふうに言われまして。

 森川 話しちゃえと言われて…。だけどさあ。最初真実ちゃんの事件。一番最初に捕まったでしょう。一番最初に捕まった真実ちゃんの事件は、その通りなのかな?

 菅家 (沈黙・15秒)

 森川 これは、その通りなの? はっきり言って。

 菅家 (沈黙)

 森川 どうした?

 菅家 (沈黙)

 森川 どうしたんだよ。うん?

 森川 一番最初のね、最初に捕まった真実ちゃんの事件はその通りなの? 今からだともうおととしになるかな?

 森川 間違いないの?

 菅家 (沈黙)

 森川 間違いない? それは。

 菅家 (沈黙・5秒)

 森川 どうしたの?

 菅家 (沈黙・8秒)

 森川 どうしたの。それ間違いないの?

 菅家 (沈黙・15秒)

 森川 あのね、正直に話してもらって(聴き取れず)

 森川 有美ちゃん事件は違うのか?

 森川 今工事中でね。雑音が入って。

 森川 僕はどっちでもいい。本当のことを知りたいと、思っているわけ。君からどんな答えが出てこようが驚きもしない。君はやってないの? 僕の言ってる意味、分かるね? 本当のことを知りたいと言ってるだけであって、今まで話したことが正しいんだというのなら、その通り話してもらえればいいし。正直に話してもらいたい。

 森川 有美ちゃん事件っていうのは君がやったの? やってないの?

 菅家 やってません。

 森川 やってない…。で、真実ちゃん事件は?

 森川 有美ちゃんの事件でやってないのに、やったと言ったのはなぜだろう?

 森川 うん。

 菅家 ごめんなさい。

 森川 どうしたんだ?

 森川 本当は、やったのか君。うん? うん?

 菅家 うー(泣き声のよう)。

 森川 本当は君がやったのか? 有美ちゃんの事件も。

 菅家 (聞き取れず)(泣き声)(沈黙・55秒)

 森川 やっぱりそう。有美ちゃんの事件やったの? そうだね。

 菅家 (聞き取れず)(すすり泣き)

 森川 僕が言い方が悪かったのかな。さっきね、やってないと言ったよね。何で? 助かるんじゃないかと思ったの?

 菅家 (沈黙・4秒)

 森川 なんか君をね。違うことを言うようにね、仕向けたのかもしれないしね、僕の言葉に乗っかっちゃったのかもしれないからさあ。え。あえてうそをつかしたんだったら僕の方が悪いんだけども、僕にも悪い所があるんだけども。

 菅家 (沈黙・8秒)

 森川 なに、さっきの僕の言葉で助かるんじゃないかという気持ちがあったわけ。違うの?

 菅家 (すすり泣く)

 森川 どうしたの?

 菅家 (すすり泣き)

 森川 思い出すのも嫌だった?

 菅家 はーっ。(息を大きく吐いた後、すすり泣く)

 森川 前にも一度こんなことがあったね。覚えてる? 警察の留置場にいる時ね

 菅家 はい。(沈黙15秒)

 森川 罪が重なると重くなるから、助かるもんなら助かりたいなんて気持ちになったかな? いや、なってもいいんだよ。それは誰だって、そういう気持ちになるしね。それとも別の理由があったのかな、どっちなの?

 菅家 (沈黙・10秒)

 森川 率直に言って。

 菅家 (沈黙・65秒)

 森川 ん。

 菅家 口下手で、よく分からないんですけど。

 森川 うん、うん。どうしたんだよ。

 菅家 (すすり泣きながら)えーと。

 森川 うん。

 菅家 (沈黙・35秒)

 森川 じゃあさあ、ねえ。逆に聞くけども。

 菅家 はい。

 森川 いったんね、自分が、自分がやってないというふうに話したのにね。何でまたごめんなさいなんて言ってさあ、認める気になったの。

 菅家 (沈黙・5秒)

 森川 うーん。僕はね。そんときは、そのーまあ、間違いないじゃあないかとかね。

 菅家 はい。

 森川 認めない、とかいう言い方は、全然してなくて。

 菅家 はい。

 森川 警察が怖かったのかとか。

 菅家 はい。

 森川 ふっふ、そんなことを話をねえ。

 菅家 はい。

 森川 なんか聞いたつもりなんだけど。

 菅家 はい。はい。

 森川 何で、さっき、また認めよう、認めようって気になったの?

 菅家 えーと警察の方でですね、その通りだと話してて。

 森川 うん。(沈黙・3秒)やっぱりうそつけない?

 菅家 はい。

(沈黙・5秒)

 森川 有美ちゃんの事件のずっと前の万弥ちゃんの事件のことだけど。

 菅家 はい。

 森川 前にも聞いたことあるように思うけど。

 菅家 はい。

 森川 何年前の事件か忘れたって。

 菅家 はい。

 森川 えー、君が僕に話してくれただろう。

 菅家 はい。

 森川 調べの刑事さんからね、それでやっと勇気が出て僕に話してくれたわけだ。

 菅家 はい。

 森川 そういうことだったの?

 菅家 はい。

 森川 もう一つ聞くけど。あのー万弥ちゃんの事件ね。神社のところでえーと誘って。墓地へ連れて行ったやつ。

 菅家 はい。

 森川 あれも間違いない?

 菅家 自分でそういうふうに話しましたけど。

 森川 ん。話しましたけどって何、間違いないの? ついでに聞いとくよ、うん、この際だから。

 菅家 …。

 森川 ん。何、うなずいているのは、間違いないの?

 菅家 はい。そうです。

 森川 うん。いやこれもね、今までどんなこと話したか。こだわりなくね。率直に聞きたいと思ってね。

 菅家 はい。

 森川 今まで話したこと、警察で話したことでも、僕に話したことでもいいよ。

 菅家 はい。

 森川 事実と違うことを話しているんだったらね。違うと言ってもらえばいいわけだし。事実の通りだったらその通りだと言えばいいし。僕も正直な、って言うか、本当のことを知りたい。

 菅家 (沈黙・10秒)

 森川 本当のことを、知りたい、ねえ。

 菅家 (沈黙・20秒)

 森川 どうだい。この万弥ちゃんの話、もう一回聞こうか?ね。

 菅家 (沈黙・7秒)

 森川 正直な所で答えてもらいたい。ね。

 菅家 (沈黙・45秒)

 森川 なかなか返事が出てこないのは、返事がないわけか。

 菅家 (沈黙・50秒)

 森川 どうした?

 菅家 (沈黙・2秒)

 森川 どうした?

 菅家 自分です。

 森川 やった?

 菅家 はい。

 森川 そういうふうに言うのに勇気がいるか。

 菅家 (沈黙・4秒)

 森川 うん?(沈黙・4秒)うーん、ていうのはね。

 菅家 はい。

 森川 君の口からね。

 菅家 はい。

 森川 すぐには返事が出てこない。

 菅家 はい。

 森川 今まで、万弥ちゃん事件のことについて僕もいろいろ聞いているでしょう。

 菅家 はい。

 森川 君からも調書を取ってるし。

 菅家 はい。

 森川 警察でも何通も調書とってもらって。

 菅家 はい。

 森川 僕も君から調書を取って。いや、その通りですと、ほら、すぐに答えが返ってもいいように思うんだけどね。そうですと、今答えるのに、だいぶ間があるわけで。

 菅家 (沈黙・3秒)

 森川 やっぱり迷うね。(沈黙・4秒)勇気がいるかな。こうやって話すの。どうだい。

 菅家 はい。

 森川 そうなんだね。

 菅家 ええ。

 森川 ほかには?

 菅家 (沈黙)

 森川 あるいは自分がどんな白い目で見られるかという…。

 菅家 それもありますけど、何と言うんですか。初め白い目で見られるとか思ったんですね。

 森川 うん。じゃあついでに、ついでじゃないか。警察の調べ官は?

 菅家 橋本さん。

 森川 それと。

 菅家 茂串刑事もいたんですかね。

 森川 ほかにもいなかった?

 菅家 うーん。

 森川 芳村さんていなかった?

 菅家 あっ、いました。

 森川 ほかには?

 菅家 (沈黙)

 森川 橋本さんと芳村さんと茂串さん、3人一緒ってのは?

 菅家 なかったです。

 森川 ほとんど橋本さんと茂串さんだった。いろいろ質問するでしょ? 橋本さんがやってた? 茂串さんがやってた?

 菅家 ほとんど橋本さんですね。

 森川 茂串さんがやることは?

 菅家 ほとんどなかったですね。

 森川 橋本さんの印象は?

 菅家 自分は好きですよ。

 森川 え? 遠慮なく。

 菅家 遠慮とかじゃなくて、自分の権利とか分かってる感じで。

 森川 顔は、ぎょろ目でいかつい感じだろう?

 菅家 でも、違うんですよね。みんなも好きなんですよね。

 森川 みんなって誰? 看守?

 菅家 はい。

 森川 橋本さんに怖いって言うかと思ったんだけど。

 菅家 初めは怖かったですね。声も大きいし、太いですから。でも、橋本さんの気持ちが分かってくるんですよね。

 森川 ほー。優しいなって?

 菅家 はい。

 森川 いつごろから?

 菅家 12月ですかね。

 森川 君が捕まったころから言えばね、あの時はどうだった?

 菅家 怖かったですね。

 森川 真実ちゃんの事件でね、運動公園とか現場行って説明してくれたよね。あの時はどう?

 菅家 ガンと言われたとしても、橋本さんの気持ちは何となく自分で分かるんですよね。何て言うんですか。優しい気持ちですか。

 森川 あったかみがな。

 菅家 あったかみがありますね。感じたんですよね。

 森川 茂串さん、それと芳村さんているよね。どうだい、比べるのはあれだけど。

 菅家 やはり橋本さんが一番いいですね。その次が茂串さんですかね。

 森川 おれと比較して、どっちがどうって言えるかい? ちょっと言いにくいかな。

 菅家 いや、怖いというイメージはないですけど。

 森川 しないかい?

 菅家 はい。優しい感じがします。

 森川 橋本さんと違うだろ?

 菅家 違いますけど、そういう感じがあります。

 森川 そういうって分かんねぇな。おれにごますらなくたっていいんだぞ。調べ官が何回も聞いてるよね。『こうだろ』とか、押し付けてくることは…。

 菅家 なかったですね。やったとか、やらないとか、そういう部分では言われました。

 森川 その部分ではね。それは逮捕される前だろ? 認めた時はどうだった?

 菅家 たばこ勧めてくれたりとか。

 森川 おれは勧めないけどな。いずれ留置場から拘置所に移さないといけないから、そういうことになるんだよね。拘置所ではたばこ吸えないことになってるんだよね。警察も留置場では吸えないわけだよね。調べ官の裁量でやっているわけで。へっへっへ。真実ちゃんの事件について聞くつもりだったんだけど、話が脱線しちゃって…。やってませんていう気持ちと、やりましたっていう気持ちって違うでしょ?

 菅家 はい。

 森川 ね。(沈黙10秒)やってないと話すときはどこか心にわだかまりない?

 菅家 (小さな声で)はい…。

 森川 (大きな声で)あぁ、ある! ふっふっふ。あのね、真実ちゃんの事件で聞くけどね、警察で話したのが12月20日ごろでしょ。その後ね、真実ちゃんの事件で12月に何回も聴かれた?

 菅家 えーと、1、2回聴かれたと思いますけど。

 森川 ふーん(沈黙10秒)。調書とったのかな?

 菅家 忘れました。

 森川 自分で何か書いた?

 菅家 地図書いたと思います。

 森川 どんな地図? 経路?

 菅家 だと思います。

 森川 あの地図は自分で書いたの? いや、書いたのは分かるんだけど、自分の記憶で書いたの?

 菅家 はい。

 森川 12月、有美ちゃんの事件では調書はどのくらいとられてるかな? 覚えてない?

 菅家 ちょっと覚えてないですけど。

 森川 1月になってから、真実ちゃんのこと聴かれたのはいつが最初だろう?

 菅家 (沈黙20秒)10…(再び沈黙)

 森川 あのね、万弥ちゃんの事件でね、勾留されてたでしょ? これでね、万弥ちゃんの事件での拘置が切れるということで釈放しますって伝えられたでしょ?

 菅家 はい。

 森川 これが15日だと思うんだよ。成人の日なんだけどね。

 森川 拘置所にいると休日の感覚がなくなって、思い出すのは難しいかもしれないけど。

 菅家 はあ。

 森川 釈放が伝えられる前に、有美ちゃんの事件で事情を聴かれたことは?

 菅家 えーっと…。

 森川 はっきりしないかな。僕が調書を取ったのは1月11日。真実ちゃんの事件。それが終わってから12日も警察で。調書は12日が最後じゃなかったっけ。これは真実ちゃんの事件で。

 菅家 …。

 森川 まあ、いいや。僕が調書を取る前に、有美ちゃんの事件で警察を案内したところがあったでしょ。あれがいつだったか覚えている?

 菅家 たしか20日だと思うですけど。

 森川 20日ごろ…。ふん、よし。そうするとね、現場へ案内する前に有美ちゃん事件に関して、警察から地図とか写真とか見せられた? たとえばここから死体があがったとか、有美ちゃんがいなくなったのはこのパチンコ屋とか。

 菅家 ここにあったぐらいは教わったんですけど。

 森川 いつ?

 菅家 20日。

 森川 現場へ行く前にもいろいろ見せられて聴かれるでしょ。

 菅家 はい。…見てないような気もする。

 森川 見てない? あ、そう。地図を見せてもらってない?

 菅家 はい。見せてもらってないです。

 森川 現場へ行く前に君が地図を書いたりして説明しているでしょ。

 菅家 はい。

 森川 穴を掘って埋めたって、警察から聞いたの?

 菅家 はい。

 森川 穴の深さ、大きさを説明したでしょ。

 菅家 はい。

 森川 記憶だけで説明した?

 菅家 はい。

 森川 穴掘って埋めたけど足が入りきらなかったって説明したよね。

 菅家 はい。

 森川 これは記憶?

 菅家 はい。

 森川 それから有美ちゃんの服がどんなだったか、警察から見せられたでしょ。

 菅家 はい。

 森川 いつごろ見せられたか分かる?

 菅家 現場へ行く前ですね。

 森川 確認の調書を取られた?

 菅家 はい。

 森川 見せてもらったことが、調書に書かれていないことはない?

 菅家 それはないと思います。

 森川 見せられる前に、どんな服だったか説明した?

 菅家 してないと思います。あ、したかな。セーターとスカート、それから…長い、足先からずっと、こういう…。

 森川 タイツ?

 菅家 タイツって言うんですかね。名前は分からないですけど。

 森川 それも説明した?

 菅家 はい、しました。

 森川 見せられる前に?

 菅家 はい。

 森川 見せられる前の説明で、警察からヒントは?

 菅家 ないです。

 森川 自分の記憶だけ?

 菅家 はい。

 森川 自分の記憶で説明した後に、これは有美ちゃんの服だよと言って見せられた?

 菅家 そうですね。

 森川 ふーん。真実ちゃんの事件でも同じように説明したよね。

 菅家 はい。

 森川 自分の記憶で? 説明を求められて?

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃんの事件で、前に新聞で見たことある?

 菅家 見たと思います。

 森川 いつごろ? 何新聞?

 菅家 読売だと思います。

 森川 いつごろ?

 菅家 見つかった後だと思いますけど。

 森川 いなくなった時の新聞は?

 菅家 見たと思います。

 森川 それは自宅で?

 菅家 家だったと思います。

 森川 警察でね、有美ちゃん事件の聴取で、自分ではっきりしないのに言っちゃったみたいな、当てずっぽうで言ってしまったとか。

 菅家 うーん…。

 森川 本当に自分はやっていないのにこういうふうに説明したことはある? 言わないと怒られそうだからとか。

 菅家 それはないと思いますけど。

 森川 ない、ふーん。警察では調書はどう書いてた? 正面に座って?

 菅家 はい。右側で書いていました。

 森川 じゃあ僕と同じやり方か。君がいないところで調書を書かれたことはあるかな?

 菅家 それはないと思います。

 森川 書き終わった後は読んで聞かされた?

 菅家 はい。

 森川 読み聞かされてから名前を書いたわけ?

 菅家 はい。

 森川 調書で違うと思い当たることはないかな? 有美ちゃん事件で。引っかかりがあるかな?

 菅家 そうじゃないですけど。ないと思います。

 森川 (調書は)君が話したことが文書になっている?

 菅家 と、思います。

 森川 気が重いか。何でかな、忘れているから? 嫌な事件だから? 思い出すのが嫌か。いろんな理由があるからな。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃん事件を起こしたのは、記憶では何年ぐらい前かな? 7、8年前か。

 菅家 はい。

 森川 季節はいつごろかな? 秋から冬といえば、寒くなって着る物も夏の物ではなくなる? 雪のシーズンとは違う。

 菅家 はい。

 森川 足利は雪はないけどね。暖かいから。この事件の日、仕事か、休みの日か記憶はある?

 菅家 行ったと思います。

 森川 仕事にね。

 菅家 はい。

 森川 何時から何時まで?

 菅家 月曜から金曜までは5時まで。

 森川 土曜の運行は?

 菅家 終わると1時、大体1時。

 森川 そのころは1人で運行していた?

 菅家 はい。

 森川 仕事の日というけど、月曜から金曜? 土曜日なのかな?

 菅家 土曜日だと思います。

 森川 1時くらいに仕事を終わって。

 菅家 帰りました。その後、外に出た。

 森川 当時のパチンコ店の名前、忘れたけどね。そこに行くつもりだったの?

 菅家 もうちょっと東へ行けば、何かパチンコ屋があるかなと思って。

 森川 目的のパチンコ屋があって、目指して行ったら、パチンコ屋に。

 菅家 そうなんですけど。

 森川 どこに行くつもりだったの。

 菅家 どこの…。

 森川 君が遊んだことのあるパチンコ屋というと…。(有美ちゃんに)駐車場のどの辺で会った?

 菅家 西側ですね。

 森川 君は西側から走っていくわけでしょ。

 森川 駐車場で何してた。

 菅家 (聞き取れず)

 森川 どこで。

 菅家 どこと言いますか。

(沈黙・約7秒)

 森川 そのとき使った自転車ね…色は?

 菅家 青。

 森川 青。今もあるやつ。真実ちゃんの事件で使ったのと同じ?

 菅家 違います。

 森川 真実ちゃんだよ。万弥ちゃんじゃないよ。頭、混乱してるかな。これね。有美ちゃん事件とか、大体何時ごろ…。

 菅家 5時ごろ…。運んで…。

 森川 5時ごろは何で。

 菅家 時計は持ってなかったんですけど、そろそろ夕方ですから。マルノウチで粘っていたんですけど。

 森川 ふーん、あぁ、そう。スカートは? ズボン?

 菅家 スカートだと思います。

 森川 何色のスカートだ。色が分からなければ、暗い色? 明るい色? タイツの色は分かる?

 菅家 肌色だと思いますけど。

 森川 はいているように見える感じだね。

 菅家 (聞き取れず)

 森川 肌色というよりもっと…。

 菅家 (聞き取れず)

 森川 上、何着ていたか分かる? セーターとかさ。

 菅家 (聞き取れず)

 森川 分かんなかった。ただセーター着たみたいな感じ。

 森川 有美ちゃんの履物はどんなものか分かるかい? サンダルとか。

 菅家 (聞き取れず)

 森川 色分かる? 何か、物を持ってたよね。例えばお人形さんで遊んでいるとか。おもちゃ持っていたとか。

 菅家 記憶にない。

 森川 記憶にない。

 森川 4月20日以降、これこうだった、ああだったとか思い出したことある?

(沈黙・約6秒)

 森川 ない?
 ▽1992年2月7日

 森川 今日はね、あのー万弥ちゃんの事件と、有美ちゃんの事件を聞きに来たんだけど、いいかい?

 菅家 はい

 森川 それから、言いたくなかったら言わなくてもいいっていう。

 菅家 はい。

 森川 権利があるのは分かってるよね。

 菅家 はい。

 森川 やっぱりね、これだけの重大な事件だからね。一つ一つ、重大な事件だから。

 菅家 はい。

 森川 やっぱり自分で、あのー、反省するんだと。自分の意思で償うんだという覚悟で話してもらいたい。

 菅家 はい。

 森川 真実ちゃん事件ね、何が怖かった?

 菅家 そのー、警察の人が来まして。ぞーっとした感じがしますし。

 森川 どういう風にぞっとしたの?

 菅家 その時は、自分(聞き取れず)警察に来まして、怖くて。

 森川 怖かった?

 菅家 はい。

 森川 でも痛めつけたとか。

 菅家 そういうのはないです。

 森川 自分が将来出られなくなるとか。

 菅家 半分半分というか。

 森川 死刑になるとかは。

 菅家 あんまり考えてなかったけど、少しは考えました。

 森川 真実ちゃんのこと話さなかったでしょ?

 菅家 初め、警察に行った時に。いろいろ証拠があるって言われて。

 森川 つまりね、認めようって気持ちになった時ね。

 菅家 警察は(聞き取れず)強いですから、勢いに負けたというか。

 森川 勢いに負けた(笑う)。怒られたの?

 菅家 怒られたというわけじゃ。

 森川 かなり怒られたの?

 菅家 怒られたとかじゃないです。

 森川 有美ちゃんや万弥ちゃんの事件のことを話していたよね? 真人間になるという気持ちになれとか、同じようなこと言われたの?

 菅家 言われたと思います。

 森川 なんで話そうと思ったの? かわいそうな気持ちになったとか。

 菅家 かわいそうというのと…。

 (沈黙20秒)

 森川 3日前かな、僕がいろいろ話して、怖かったかな? 夜眠れなかったとかはない?

 菅家 3人のことですか、考えました。それから両親ですか、手を合わせながら。

 森川 なるほどね。自分を(聞き取れず)という気持ちになってもらいたい。これだけのことをしたんだから。そしてこれまでのことを思い出して、その子たちが浮かばれるようにしてもらいたい。やってるなら、やってる。やってないなら、やってないと。やってるのにやってないとか、あるいはやってないのにやってると言うとか、いずれにしても浮かばれない。真実を話してくれるのが一番(聞き取れず)。

 (はなをすする音)

 森川 僕の言っていること分かる? 分からないなら、言ってもらえばいいんだけど、分かった?

 (はなをすする音。沈黙20秒)

 森川 あの、起訴されて、真実ちゃんの事件でも構わないし、万弥ちゃんの事件でも有美ちゃんの事件でもいいんだけど、今まで説明した中で、前言ったことと違う訂正しておきたいこととかある? 本当はこれが違うとか。

 菅家 自分としては(聞き取れず)。

 森川 そうかい。えーと、君のね衣類の中でね、緑色のトレーナーだったかな、白い線の入った。

 菅家 はい。

 森川 あれはいつごろ買ったものかな?

 菅家 日にちは…。

 森川 日にちまではっきりしなくていいけど、何年とか、どこで買ったとか。自分で買ったの?

 菅家 あれは自分で買ったと思います。

 森川 いつごろ買ったの?

 菅家 10年か11年と思いますけど。

 森川 保育園に勤める前? 後?

 菅家 前だと思いますけど。

 森川 万弥ちゃんの事件あるでしょ? あの前に買ったかな? 後に買ったかな?

 菅家 前だと思いますけど。

 森川 万弥ちゃん事件の前? そうするとね…。

(沈黙10秒)

 菅家 万弥ちゃんの事件の後のような気がしますね。

 森川 あ、そう。君はトレーナーは何着くらい持ってる?

 菅家 えーと。

 森川 だいたいでいいからさ。

 菅家 5着くらいだと思いますけど。

 森川 あ、そう。ふーん。処分したのは何着くらい?

 菅家 一つか、二つくらい。

(沈黙30秒)

 森川 うーん、前にも話したと思うけれども。

 菅家 はい。

 森川 君がその、女の子をね、見つけるとき、どの事件もね、みんな女の子しゃがんでるんだよね。

 菅家 やはり…。

 森川 ちょっと違うんじゃない? 違うのはないかい?

(沈黙・8秒)

 菅家 しゃがんでたような気がするんですよね、みんな。

 森川 じゃあね、有美ちゃんのことね、ちょっと思い出してもらいたい。

 森川 分かるかな? 有美ちゃんの事件って言って、分かるかな? どの子だったかね。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃんね、連れ出す前のことなんだけど、誰かと遊んでいたでしょう? これだけ。もうそれ以上のことは僕はもう言わない。誰かと遊んでいたでしょう? 君がどうしても思い出せないんじゃないかなという気がするからね、うん、それ以上のことは僕もう言わない。(沈黙・6秒)それだけ言っとく。

 (沈黙・4秒)

 森川 よく思い出してもらいたい。それが誰であるか、どういう人であるか、ね。僕の口からはね、言わないでおくけど。

 (沈黙・5秒)

 森川 そしてね。

 菅家 はい。

 森川 まあ、その次だからすぐ分かるだろうけど、遊んでいるところを連れ出した、という状況はないだろうか? 誰かと遊んでいたところを。

(沈黙・4秒)

 菅家 もしかしたら、駐車場で、女の人がなんか、まあ、いたような気もするんですけども。

 森川 それからね。

 菅家 はい。

 森川 考え、もう一回考えてもらいたいのは、声かけたね、かけ方が、またあの声のかけ方がね、今まで君が説明したのとね、したとおりだったのかどうかね。もうちょっと別のことがなかったのか、君がいきなりこう駐車、自転車でね、そば行って、声かけたんだって言うけど、もうちょっと別のいきさつがなかったかどうか?

 菅家 別の。

 森川 うん、そこを思い出してもらいたい。

 菅家 はー(ため息)(沈黙5秒)そのことは分かんないです。

 森川 うん、だからね、だからね、これと関係してくるから、いいかい。

 菅家 はい。

 森川 誰かと遊んでいなかったかなと聞いている。誰かというのが大人か子どもかね、あるいは男か女かね、どんなことをしていたかね、それは僕は一切言わない。

(沈黙7秒)

 菅家 遊んでいたとすれば、女の、女の子だと思うんですけど。

 森川 女の子だと思う。

 菅家 はい。

 森川 うん、どんな子が、君、少し、その遊んでいた情景っていうかねえ、それが少し記憶に残ってるかな?

 (沈黙1分37秒)

 森川 あのね。

 菅家 はい。

 森川 その女の人っていうのね、遊んでいたとしたら女の人っていうようなことね、いうんだけども、その女の人っていうのは少し、そういうイメージが残っているわけなのかな?

 菅家 はー(ため息)(沈黙25秒)その人が駐車場の方へいた、駐車場ですか?

 森川 うーん…女の人が1人? 2人?

 菅家 1人のような気がしたんですけど。

 森川 駐車場?

 菅家 はい。

 森川 駐車場っていうのは、あのー、あれ? 駐車場の方っていうのは、あのー、パチンコ店の建物の、この西側の方でしょう?

 菅家 はい。そうです。

 森川 うん。西側の方っていうのは、有美ちゃんがいたところ? 違うの?

 菅家 えっと有美ちゃんがいた、いたところだと思うんですけど。

 森川 有美ちゃんがいた側か。

 菅家 はい。

 森川 ふーん、1人?

 菅家 確か、1人だと思ったんですけど。

 森川 うーん、女の人っていうのは、子ども? 大人?

 菅家 うーん、大人のような感じ。

 森川 大人?

 菅家 だと思うんですけど。

 森川 うん、何か遊んでたという感じはしなかった?

 (沈黙7秒)

 森川 どうだろうか?

 菅家 (沈黙36秒)うーん、駄目だなあ。

 森川 うん、思い出さないっていうのはね、あのー、有美ちゃんをね、見つけたときのことなんだけども、有美ちゃんがここにいたとかね、こういうふうにしてたってことで君が今まで話してくれてるでしょう?

 菅家 はい。

 森川 あれは記憶にあるんだろうかな? そのような情景が、ね、頭に焼きついているんだろうかな。それともね、まあこうだったんじゃないかっていうようなね、ある程度想像が入ってるんだろうか?

 菅家 (沈黙4秒)なんか自分としては。

 森川 うん。

 菅家 初めに有美ちゃんが1人でいたような気がしたんですよね。

 森川 うーん。ただね、声はそうなんだけどね、あのー、1人でいたかどうか、あるいはしゃがんでいたのかどうかね。 菅家 はい。

 森川 細かく聞くと、君からそういう話は出ないけど、北側の道を東へ走って国道50号へ出て、さらに東へ走って(聞き取れず)、左のほうへ曲がっていって(聞き取れず)、そういったところで抱き締めて、騒いだから手で絞めたと。その後、いたずらして、それから穴掘って埋めたと。そしたら足がつかえたので掘り増しした。こういう話なんだね。

 菅家 はい。

 森川 連れて行った情景は、君はよく話してくれる。

 菅家 はい。

 森川 連れて行った時のことを聴くと「駐車場」と。

 菅家 はい。

 森川 しかし有美ちゃんが駐車場に1人でしゃがんでいたのは本当かなと。有美ちゃんが遊んでいたのをこっちは知っているの。遊んでいるんだったら分かる。

 (沈黙)

 森川 君の説明は「しゃがんでいた」となるもんだから、本当に有美ちゃんがしゃがんでいた光景が君の頭にあるのか、そこまではないのか、想像の部分もあるのか。

 菅家 自分が通り掛かった時は、女の子がしゃがんでいた感じがして。

 森川 感じってのがよく分からないんだけど、記憶なのかな、どうなのかな。

 菅家 やはり、その時の…。

 森川 しゃがんで、じっとしていたわけ?

 菅家 しゃがんで、何をやっていたかは、そういうのはちょっと分かんないですけど。

 森川 さっき言った、誘おうとしたら女の人が一緒にいたと。女の人は記憶にあるの?

 菅家 女の人は分かんないですけど、西の方へ歩いて行った気がする。

 森川 少し離れたところ?

 菅家 少し離れたところだと思います。

 森川 どのくらい? 何メートル? 10メートルぐらい?

 菅家 10メートルぐらいあったと思いますけど。

 森川 一緒に遊んでいる感じだった?

 菅家 その時は分かんなかったですけど。

 森川 一緒に遊んでいた?

 菅家 遊んでいたというのは、自分は見なかったですけど。

 森川 一緒に遊んでいたら、人が一緒に、というのは、そばという意味じゃないよ。走り回っていても構わないし。

 菅家 分かんなかったです。

 森川 じゃあね、有美ちゃんがしゃがんだ場面と、そこで声をかけた場面は一致するの?

 菅家 ああ、これは、はい。

 森川 有美ちゃんに声を掛けた場所なんだけどね。

 菅家 (沈黙)

 森川 声を掛けた時に誰かいなかった?

 菅家 んー。(沈黙)

 森川 あのね、前から言っているけど、想像したりしないでね。何年もたって記憶は薄くなって、ところどころしか覚えていないこともよくあるからね。話の筋道が違うとかね。そういうこともあるからね。

 菅家 はい。

 森川 自転車に乗った場面と声を掛けた場所を勘違いしていないかな。

 菅家 同じだと思います。

 森川 同じ…。あのね。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃんはほかの子と比べると人懐こさは?

 菅家 よく分からないですけど。ちょっと分からないですけど。活発というか、そういうのはないと思いますけど。

 森川 どっちかというとほかの子は活発?

 菅家 大体同じような感じだと思います。

 森川 同じような感じ(笑う)。

 菅家 はい。

 森川 あのね。

 菅家 はい。

 森川 ちょっとね、誘いに乗りやすいことはあった? いや大体ね、ほかの事件でも子どもを連れ去るときは道具を使ったり、誘いに乗りやすい言葉を掛けたりするわけ。普通に考えてみても、自転車で回ろうというだけでついていくとは考えにくいんだよね。

 菅家 (沈黙)

 森川 君がね。そばに自転車を止めて、ぐらいじゃついていかないんじゃないかと。子どもがどういう性格かと考えてみるんだけど。

 菅家 (沈黙)かわいい子だとは思うんですけど。

 森川 それはそうなんだよ。君をね。

 菅家 はい。

 森川 どっかで買い物してない?

 菅家 買い物ですか?してません。向こうへ行って帰ったときは買ったと思うんですが。

 森川 事件の終わった後だね。その前。

 菅家 買ってないです。

 森川 はっきり否定しているのかな。

 菅家 自分は買ってないと思います。

 森川 買っていない(念を押す感じ)。

 菅家 はい。

 森川 (せき払いをする)

 菅家 (沈黙)

 森川 あのね。

 菅家 はい。

 森川 誰かに見られたという意識はないの?

 菅家 えーっと、話し掛けて、その時はなかったような気がするんですけど。

 森川 思い出してほしいんだけど、有美ちゃんを連れ出す場所、自転車に乗せる場所、それが全部同じなのか。

 菅家 自分は、やはり(聞き取れず)。

 森川 ん?誰かに見られてるっていう意識はない?

 菅家 意識はなかったですね。

 森川 じゃあね、有美ちゃんの事件で一番覚えているところは?

 菅家 パチンコ屋の駐車場で、自分が西から来たときですかね。

 森川 ほかには?

 菅家 (聞き取れず)

 森川 さっきから、全体の中で一番はどういう場面を覚えているのかを…。声を掛けた状況、言葉を掛けた状況がぼんやりしているんだ。自転車にね、有美ちゃんが乗ってたって記憶はあるの?

 菅家 はい。スーパーの脇をずーっと行きました。

 森川 その記憶ははっきりしているわけね。

 菅家 自分はそうだと思ってますけど。

 (ノックの音。長い沈黙)

 森川 状況は覚えているのか? はっきりしているか?

 (約45秒沈黙)

 森川 駐車場でも道路でも構わないけど、有美ちゃん以外に声掛けてない?

 菅家 掛けてません。西の方から真っすぐ来まして、それまでは声は掛けていません。

 森川 掛けてない…。それからね、君ね、何で埋めちゃったの? 分かんないの、それ? 万弥ちゃんの事件だって一緒なんだけどね。

 菅家 車とかが多いですから。

 森川 そうじゃなくて、放り投げればいいんじゃないの? 埋めないで。なぜ?

 菅家 (沈黙20秒)ちょっと分かんない…。

 森川 分かんないって、やってしまったなら言うしかない。やった本人しか分からないんだから。そこは君しか説明できないんだよな。

 菅家 あれが分かんないんじゃないかなと思いまして。

 森川 とにかく人に見つからないようにって感じ?

 菅家 はい。

 森川 確かに埋めちゃったわけだよね? 1年以上見つからなかったわけだよ。(沈黙50秒)どうしてだろうね? ふっふっふ。

 森川 あのね、穴に入れるよね。そのときは靴履いてた? 履いてなかった?

 菅家 うーん

 森川 足引っ掛けたんでしょ? その時は履いてたの?

 菅家 覚えてないです。

 森川 覚えてない? 記憶にない? 穴に放ったっていう記憶はあるんだろ?

 菅家 はい。

 森川 (沈黙10秒)それからね。

 菅家 はい。

 森川 有美ちゃん、何で服を脱がせなかった? いたずらしたって言うけど、何でだい? そこを聞きたいんだな。

 菅家 自分はそんな感情がなくなってしまったというか。

 森川 何でなくなった?

 菅家 寒かったというか…

 森川 寒くても関係ないんじゃないか?何かほかにね、やろうとしてたのか、気分を損ねる何かがあったんじゃないかと思って。まだ思い出せないかい? ちょっと考えといてもらえないか。万弥ちゃんとか真実ちゃんの方が着ているものが薄かったというのもあるかもしれないけど、それだけじゃ説明しきれないんだよな。

 菅家 途中までそういう気持ちだったんですけど…。

 森川 あのね、この現場から帰る時、どのぐらい時間がかかった?

 菅家 40分ぐらいだったと思いますけど。

 森川 あのね、有美ちゃんの時、穴掘っている時、人が来ないかと思わなかった?

 菅家 そういう気はしたんですけど、いなかったんで。

 森川 人が見なかったからいいんだよ。見たら大変なんだよ。そんなの人に見られたら大変だ。すぐ捕まっちゃうよね。心配しなかった?

 菅家 心配はしました。

 森川 はっは。穴掘った時、すぐそばに有美ちゃんの死体があったわけ?

 菅家 はい。

 森川 あ、そう、あともう一つ。どんな服を着ていたの?

 菅家 トレーナーだと思います。グレーと言いましたけど、警察にはグリーンと話しましたけど。考えてみますと。

 森川 ブルー。どんな感じ? 紺? 紺までは行かない? 明るい感じ?

 菅家 (聞き取れず)

 森川 水色ってほどではない?

 菅家 はい。

 森川 紺に近い?

 菅家 紺ではないです。

 森川 トレーナーはどうした?

 菅家 (聞き取れず)。汚れまして、要らないと思いまして、焼却炉に持って行きまして、燃やして。

 菅家 それよりも捨てた方が良いと思いまして。

 森川 そっか。上は?

 菅家 上は捨てたと思うんですけど。

 森川 何色?

 菅家 上は…。

 森川 カーディガンではなくて?

 菅家 カーディガンを着ていたと思います。

 森川 カーディガンが上か?

 菅家 上です。

 森川 下は?

 菅家 セーターを着ていたと思います。

 森川 セーター。何色?

 菅家 ブルーだと思います。

 森川 まだある?

 菅家 多分もうないと思います。

 森川 何を着ていたとかイメージは思い出せる? これは違うとか、これはそうかもしれないとか。

 (沈黙)

 森川 サングラスは持っているかい?

 菅家 一つだけ持ってます。

 森川 どこで買った?

 菅家 館林で。

 森川 館林。いつごろ?

 菅家 5年前ぐらいだと思います。

 森川 どこに勤務していた?

 菅家 保育園だと思います。

 森川 何で買った?

 菅家 色が茶で、中に度が入っていて、夏でも着けられ、人と同じように着けられると思いまして。

 森川 使っていた。勤務の時は?

 菅家 バスの時は使っていました。

 森川 パチンコの時は?

 菅家 これの方が多いですね。

 森川 有美ちゃんの事件の時は?

 菅家 今のこれですね。

 森川 サングラスは?

 菅家 使ってません。

 森川 サングラスはどんなのかな?

 菅家 色は茶色です。

 森川 (せき払い)じゃあ今日はこれぐらいで帰しちゃおうかな。君も食事だろうし。まだいた方がいいのかい?

 菅家 まだいた方が。

 森川 (笑い)おれだって忙しいんだよ。また来るからさ。な? このことを言ってくれたら思い出すってことをいろいろ調べとくから。じゃあ、また日を改めて。体大事にして。ちょっと待っててね。

(帰り支度のような物音)

 森川 はい、よし行くぞ。体気を付けてね。

 ▽1992年12月7日

 (ドアが開き、閉じる音)

 森川 こんにちは。しばらく。

 菅家 (笑う)

 森川 今日これからね、事情を聴こうかなと思って来たんだけどね。ちょっと太ったか?

 菅家 太りました。

 森川 今日、この通りね、録音テープ回しているんだけど、いいかい?

 (聞き取れず)

 森川 構わない?

 (沈黙)

 森川 あのね、えー、万弥ちゃんとか、有美ちゃんの事件ね、うーん、言われると分かるかな?

 菅家 はい。

 森川 うんと、分かるね。今裁判になっているのは真実ちゃんの事件ね。えー、一昨年の5月の事件ね。で、その前に万弥ちゃんの事件と有美ちゃんの事件があったわけだよね。えー、万弥ちゃんの事件はもう13年くらい前に、うん、もう13年経ったんだよね。でー、有美ちゃんの事件っていうのはもう8年前になるわけ。で、今日、あのー、僕がここへ来たのはね。

 菅家 はい。

 森川 あのー、君の捜査がね、今までね、「私がやりました」というね、調書とっているでしょ。そのことについてね、もう一回くらい聞こうかなと思ってね。本当に君がやったのかどうか、そこを聞きたいわけね。ね、僕は本当のことが知りたいわけね。本当に君がやったのか、もう一回確かめたくてね、来たわけ。だから、今までね、こういうこと言っていた、ああいうこと言っていたということにこだわらないで、今日はもう自由な気持ちで、楽な気持ちで話してもらいたいと、こう思っているわけ。ね。

 森川 本当にやったのなら、本当にやったということで構わない。やっていないんだったら、やっていないということで構わない。どちらでもいいんだけども。

 菅家 (沈黙19秒)本当言うと。

 森川 うん。

 菅家 いいですか。

 森川 いいよ。

 菅家 やってません。

 森川 やっていないの? どちらも? それとも片方だけ?

 菅家 どちらもです。

 森川 どっちもやっていない。

 菅家 はい。

 菅家 自分が…。

 森川 うん。

 菅家 警察ですか、昨年ですけども、確か、12月でした。12月の確か日曜日でした。その時、警察の人が来まして。自分は福居の和泉町ですか、そこにいました。

 森川 え? 福居の?

 菅家 福居の和泉町ですか、福居の和泉町に日曜日の朝いまして、それで自分が、寝間着姿ですか、寝間着姿でいまして、で、あの、玄関から入ってきまして、警察の人が、それで自分は寝間着姿でいました。

 森川 うん、それで、うん。

 菅家 警察の人が来て「今日何しに来たか分かっているな」と言われたんです。

 森川 うん。

 菅家 それで自分…、分かんなかったんです。(震えるような声・沈黙6秒)。

 森川 うん。それで?

 菅家 うーん、自分も何が何だか分かんなくて。

 森川 うん。

 菅家 首を…かしげたんですよね。

 森川 うん。

 菅家 何が何だか分からなくて、何だろうかなと思ったんです。

 森川 はい。

 菅家 「何しに来たか分かっているな」と言われましたから、で、自分は分かんなかったんです。

 森川 うん、それで?

 菅家 で、写真を。真実ちゃんですか、真実ちゃんの写真を見せられまして。なんていうんですか、パチンコ屋さんですか、パチンコ屋さんの前に看板が置いてあるんです。

 森川 看板?

 菅家 はい。あのー、真実ちゃんのですか。

 森川 真実ちゃんの。

 菅家 写真ですか。

 森川 看板というのは、なに、この人を見かけなかったかという?

 菅家 そうです。

 森川 ふーん。

 菅家 看板が、看板に真実ちゃんの写真ですか、張ってあった…張ってあったのと同じだったんですよね。

 森川 それで?

 菅家 この子、パチンコ屋さんの前に張ってあった写真と同じだなと思いました。

 菅家 それで、その日は夜中まで自分はやっていない、やっていないと言いました。それで、もう…、何て言うんですか、あのー、夜中までやっていないって自分は言ってましたから、自分自身、これ以上、10日でも、20日でもやっていない、やっていないと言ってますと、なんか、もしかして殴られたり、けられたりするんじゃないかと思いました。それで自分がやったと話したんです。(涙声)

 森川 夜中になって?

 菅家 はい?

 森川 夜中に。

 菅家 そうです。それが(12月)1日すぎだと思いました…。

 森川 それで?

 菅家 それでその日に、逮捕っていうんですか…、されました。

 森川 逮捕されたのは、夜中?

 菅家 そうです。(涙声)

 森川 それでどうなったわけ?

 菅家 それで…、次の日から、そのー、自分、調べられたんですけど。(沈黙・12秒)

 森川 うん、それで? それで調べられたよね。それからどうなった?

 菅家 それから…、渡良瀬川ですね…。

 森川 うん?

 菅家 渡良瀬川ですか。あそこへ行って。河川敷ですか、あそこへ行ったり、それから…、その下の渡良瀬の河川敷から降りて行きまして、あの、真実ちゃんが、ここへいたんだということを教わりました。

 森川 うん、説明したね。

 菅家 (沈黙・4秒)

 森川 それで?

 菅家 それで…、あのー、なんだか自分でもよく分からなくて、河川敷ずっと歩いてきまして、下へ、下へ降りてきまして、草場ですか、あそこ行って、警察の人とみんなで行ったんです。去年のあの時は草とかなかったと思うんですよね。それなのに、もう、その真実ちゃんですか、その子がいた場所といいますか、分からなかったんです。(沈黙・5秒)

 森川 うん、それで?

 菅家 (沈黙・10秒)で、自分はその子がどこに、あのー、いたか分からなくて、それで警察からここにいたんだということを教わったわけです。(沈黙・6秒)

 森川 それで?

 菅家 でも、お線香をあげまして…(沈黙・15秒)それで…、お線香をあげてから警察へ、あのー、帰って行ったわけなんですけど、その前に、なんですか、あの、確か、山清ですか。

 森川 ヤマセ?

 菅家 はい、あのー、食料品の山清ですか、そこへ車で行きまして、ここで自分が品物を買ったり、コーヒーを買ったり、おにぎり買ったり、そこで買って、和泉町ですか、和泉町の家に行ったわけです。(沈黙・5秒)

 森川 和泉町?

 菅家 福居です。福居和泉町といいます。

 森川 うん、それで?

 菅家 んで、そこから、あの…、車の中から指出して、それで、あそこですということで…。

 森川 教えたねー。はい。

 菅家 それで戻りまして。(沈黙・18秒)

 森川 うん、それで?

 菅家 戻って、で、警察行きまして、それで、また調べですか。(沈黙・5秒)

 森川 また調べがあったんだね。

 菅家 はい。

 森川 要するに、こう現場をね、河川敷を案内したり、また、そのー、君が立ち寄ったというところね、案内して連れて行ったりして、その後また警察の調べが始まったということね。それで?

 菅家 それで…。(沈黙・7秒)それから、やはりなんて言うんですか、地図ですか、渡良瀬川の河川敷ですとか、それから、その真実ちゃんがいました場所ですね、そこまでの地図ですか、書いたりしました。

 森川 われわれ分かってるんだけどもね。

 菅家 調書ですか、それ…にも書いていたと思うんですけども。(沈黙・30秒)

 森川 うん、あのね。うーん、君がね。去年の12月、うーん捕まってからずっとこれまでの取り調べのいきさつというのは僕は全部、うーん分かってる。で、えー、現場へ案内した時も、僕、そばにいたかどうか覚えている? 去年の12月。

 菅家 12月ですか。

 森川 うーん。

 菅家 あの…、真実ちゃんの時、いたと思うんですけど。

 森川 うん、覚えている?

 菅家 はい、覚えてました。

 森川 うん、だから君の当時の説明は僕は分かっているんだ…。うーん。それは分かっているんだ、ね。それで、僕がね、今聞いているのはね、本当はどうだったのかっていうことでね、聞いているんだ。

 菅家 (沈黙・7秒)

 森川 ね、本当はどうだったというのはね、あのー、警察でね、どういう調べを受けたかっていうこと…じゃなくてね、実際に事件はどうだったのかということなんだよ。いいかい。

 菅家 はあ…。

 森川 いいかい。警察の調べでどんな調べを受けたかということじゃなくてね、実際は、事件は、実際の事件は、どうだったのか。君がどうかかわっているのかね、かかわっていないのかね、ね、そこを聞いているんだよ。分かる?

 菅家 はい。

 森川 ね、分かるね。

 菅家 分かります。あの実はですね、5月の12日にですよね、平成2(1990)年ですかね、その日、旭幼稚園ですか、終わったのが1時半、えーっと11時に出まして、それで終わったのが1時です。それから10…1時ごろ終わりまして、1時半ごろ、うちに帰ってきました。うちで即席ラーメンですか、それを食べました。それから…(沈黙・7秒)確か、2時半ごろでした。自分は確か2時半ごろ出たと思います。

 森川 自宅をね。

 菅家 2時半ごろ出まして、それであの、パチンコ屋さんですか、あそこへ寄っていくつもりでいたんです。こないだ警察ではやりましたと話しました。だけど、やっていないんです(涙声)。あの時間。

 森川 それで?

 菅家 それで自分は2時半ごろうちを出まして、それで真っすぐ田中橋を渡りまして、それから、山清食料品ですか…、あそこへ寄っていきました。

 森川 あっそうなの、ふーん。それから?

 菅家 それから、うち福居ですけども、福居の和泉町ですけども、あそこへ3時ちょっとすぎだったと思います。あそこへ行きまして、それで、窓開けましてそれで、掃除したわけです。ほこりがたまっていましたから、ほうきでテレビの周りとか、あのー、じゅうたんですとか。ベッドですか、ベッドの後ろとか掃いたんです。

 森川 あっそう。

 菅家 それで、あのー、5時すぎで、すぎだと思うんですけども、自分で明かりをつけまして、そうしますと大家さんの確か奥さんだと思うんですけども、あの人が毎日あそこ通るわけです。自分の借りている家の横ですか、あそこ、5時すぎになると、年中通ってます。朝も通ってました。5時すぎには明かりをつけておいて、テレビをつけとって、それでずっと見てました。

 森川 あー、それで?

 菅家 それで、あの夜遅く…ですか、11時ごろですけども、寝たのは11時ちょっとすぎです。

 森川 うん。あ、そうなの。

 菅家 それから次の日ですか、次の日にも、何時ころですか、10時ころですけども、うちを、あのー、福居の和泉町から出ました。それから、やはり田中橋を渡って行きました。そうしますと、右側ですか、東側なんですけども、あそこに人がいっぱいいました。それから中継車ですか、確か日本テレビの中継車だと思いました。その車が土手の上にありました。それで自分は何があったんだろうと思いまして。それで、こうやって、東側の方をこうやって見ながら、何か人がいっぱいいるけどもどうしたんだろうと思いました。でも自分は、そのまま、やはり、家富町の方へ帰って行ったんです。それでうちへ帰りまして、何か渡良瀬川であったのかいと聞いたんですけども、でも事情分かりません。

 森川 ふーん。ああそう? ふーん。

 菅家 これ本当です。

 森川 ふーん。

 菅家 本当今までうそをついていてすみませんでした。(泣きながら)(沈黙・8秒)

 森川 あのさー。

 菅家 はい。(泣きながら)

 森川 あのー、あれはどうなの? えー、万弥ちゃん事件の13年前のね。

 菅家 あれも全然関係ありません。

 森川 うーん、あれは関係ないの?

 菅家 はい、絶対にうそを言ってません。

 森川 ふーん。あのね、じゃあ、13年前のあの事件の時はどうだったか分かるかな? 8月の暑いころだと思うんだけど。ヤクモ神社というのは分かるかな?

 菅家 分かります。

 森川 その事件の時は、あちこち事件の案内したよね?

 菅家 はい。しました。

 森川 あの時はどうだったんだろうか?

 菅家 あの時は、50…

 森川 (昭和)54年。

 菅家 54年ですと、ホンジョウ保育園入りまして次の年なんですけど、マイクロバスを運転してただけですので、うち帰ったりしてました。54年はマイクロバスとお墓掃除してみたり。お昼になりますと、うちに食べに行ったりしてました。自分は食べに行ってた時ですか。12時50分ごろですけど、50分ごろ出まして、保育園の方では掃除をしてみたり、お墓の周りですか。あと門のとこですとか、あと園庭ですね。あそこで掃除したり、水をまいたりしてました。

 森川 ふーん。それで? 事件当時、どんなことしてたのか分かるかな?

 菅家 自分は早く起きるの好きなんですね。マラソンしてみたり、自転車で渡良瀬川の方に行ってみたり。自転車で回ってみたり、走ったりしてました。

 森川 それで?

 菅家 それで、それが終わりますと、朝ご飯食べまして、保育園に出たのは7時15分ごろでした。

 森川 それで?

 菅家 車が汚れてますと、タイヤをふいてみたりしてました。

 森川 それで?

 菅家 それで8時に出まして、終わったのが9時40分ごろです。それから作業着に着替えて、お墓の方に出てみたり、先生を手伝ったりしてました。子どもが使う引き出しが壊れてますと、くぎで修理してました。

 森川 それで?

 菅家 その仕事が終わりますと、一段落しますと、また違う仕事にかかるわけです。それを毎日のように繰り返してました。

 森川 あのね、事件当時のこと聞いているの分かるね?

 菅家 分かります。

 森川 覚えてないならいいんだけど。

 菅家 全部じゃないんですけど、8時に…

 森川 それはいいとして、その後のこと聞いてるんだよ。

 菅家 お墓の方に行って、葉っぱとか落ちてるんです。草も出てるんですよ。5月ごろになりますと、それを何ですか。のこぎりって言うんですか。かまで切ったり、先生が用事があったら呼びに来るんです。子どもが使っている机ですか。机の引き出しとかくぎ打ってくれませんかと言われたものですから。

 森川 午前中のこと?

 菅家 午前中ですね。

 森川 それから?

====================================================

2009年4月20日 再鑑定の結果、DNA型一致せず
2009年6月24日 再審決定、菅谷さん無罪確定へ
2009年9月21日 菅家さんが真相解明訴える
2009年10月5日 検事正が菅家さんに謝罪
2009年11月24日 取り調べテープ4本の証拠採用を決定
2009年12月24日 旧DNA型鑑定の「誤鑑定」をめぐって激しい攻防
2010年1月21日 取り調べ録音テープを法廷で再生 足利事件取り調べ録音テープ
録音テープ1、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000565.html
録音テープ2、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101000855.html
録音テープ3、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000712.html
録音テープ4、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001029.html
録音テープ5、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001034.html
録音テープ6、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001024.html
録音テープ7、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001069.html
録音テープ8、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001074.html
録音テープ9、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001084.html
録音テープ10、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001089.html
録音テープ11、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001114.html
録音テープ12、http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101001119.html
2010年1月22日 捜査段階で取り調べを担当した森川大司・元検事が出廷
2010年3月26日 菅家さんに無罪判決


【足利再審】判決要旨
2010.3.26 16:12


 「足利事件」の再審判決公判で、宇都宮地裁が26日言い渡した判決の要旨は以下の通り。
 主文 被告人は無罪。
 理由 第1 本件再審公判に至る経緯等
1 本件確定審が認定した事実は概要以下のとおりである。
 被告人は、(1)平成2年5月12日午後7時ころ、栃木県足利市伊勢南町9番地3所在のパチンコ店「ロッキー」の南側駐車場において、松田真実(当時4歳)が一人で遊んでいるのを認め、同児にわいせつな行為をする目的で同児を誘拐しようと企て、同児に対し、「自転車に乗るかい。」などと声をかけて自己が運転する自転車の後部荷台に乗車させ、自転車を運転して同所南側にある渡良瀬運動公園に入り、同公園内の道路を走行して、同公園内サッカー場西側角付近の三差路に自転車を止めて同児を降ろし、同所から30メートル余り南西にあり同公園からは見えにくい位置にある、同市岩井町字大柳下225番地付近の渡良瀬川河川敷内低水路護岸上まで、役600メートルにわたり同児を連行し、もって同児をわいせつの目的で誘拐した。
 (2)前記日時ころ、同児にわいせつ行為をすると騒がれて人に気づかれるおそれがあるからわいせつ行為をする前に同児を殺害しようと考え、同所において、同児の全面にしゃがみこむようにした上、殺意をもって、やにわにその頸部(けいぶ)を両手で強く絞めつけ、その場で同児を窒息死させて殺害した。
 (3)同児の死体を付近の草むらまで運んで全裸にし、同日午後7児30ころ、その死体を、前記殺害場所から直線距離にして南西役94メートル離れた渡良瀬川河川敷内の草むらに運んで捨て、もって死体を遺棄した。

2 確定審判決に至る経緯
 (1)確定審記録によると、本件の概要は以下のとおりである。
 ア 半袖下着の発見とDNA型鑑定の実施
 平成2年5月12日土曜日、本件被害者である松田真実(以下「被害者」という。)が、栃木県足利市伊勢南町9番地3所在のパチンコ店「ロッキー」付近で行方不明となり、翌13日午前10児20分ころ、ロッキーから約400メートル南方の渡良瀬川河川敷の草むらの中で、全裸の遺体となって発見された。付近の川底から、被害者が着用していた半袖下着(以下「本件半袖下着」という。)やパンツが発見された。

 警察庁科学警察研究所は、平成3年8月27日から同年11月25日まで、本件半袖下着に付着していた体液と、菅家氏がごみ集積所に息したポリ袋内にあったティッシュペーパーに付着していた体液について血液型鑑定およびいわゆるMCT118法によるDNA型の鑑定(以下「本件DNA型鑑定」という。)を行った。

 イ 本件DNA型鑑定の経過および結果
 DNA型鑑定は、細胞の核の中にある染色体内にある二重らせん構造をした遺伝子(DNA)のアデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)という4つの塩基の配列が個人によって異なり、終生変わらないことを利用し、その塩基配列によって異同識別を行うものであり、MCT118法は、ヒトの第1染色体に位置し、ACGTの4つの塩基が16個を一単位として繰り返しているMCT118という部位を対象としてDNA鑑定を行うものである。

 具体的には、本件半袖下着の後部(背中側)表面の2カ所および菅家氏が遺留したティッシュペーパー2枚について、精子を確認し、蛋白(たんぱく)除去等の処理を行った後、MCT118プライマーでPCR増幅を行い、それをDNAラダーマーカー(123bpマーカー)とともにポリアクリルアミドゲルで電気泳動をかけて分離を行い染色処理をする方法で鑑定を行った。判定は、DNA解析装置を使って泳動写真のネガフィルムをコンピューターで画像解析し、それぞれの泳動距離から塩基配列の反復回数を算出するという方法で行った。
 その結果、各体液のDNA型はいずれも、MCT118型が16-26型で同型であった。また、血液型検査については、いずれもB型のLe(a-b+)型:分泌型となった。そして、このような血液型およびDNA型を持つ者の出現頻度は、鑑定時までに明らかになっていた出現頻度を基に計算すると、16型の出現頻度が4・7%、26型の出現頻度が8・9%で、16-26型の出現頻度は、0・83%と算出され、血液型の出現頻度も併せると、結局、日本人の中で0・1244%、つまり1000人中1・2人程度であると算出された。

 ウ 菅家氏の供述経過
 平成3年12月1日、警察官が菅家氏を任意同行して取り調べを行ったところ、菅家氏は当初本件への犯行を否認したものの、同日夜に至って、本件犯行を認めたため、翌2日未明、被害者に対する殺人、死体遺棄の被疑事実で通常逮捕された。その後も、菅家氏は、本件各犯行をいずれも認め続け、同月21日、被害者に対するわいせつ誘拐、殺人、死体遺棄の各公訴事実について宇都宮地方裁判所に起訴された。

 菅家氏は、平成4年2月13日第1回公判期日において、本件各公訴事実をすべて認めたが、同年12月22日に行われた第6回公判期日の被告人質問中、本件各公訴事実について否認するに至った。しかし、平成5年1月28日に行われた第7回公判期日において、再び本件各公訴事実を認める旨が記載された上申書などが取り調べられた上、同期日における被告人質問において再び本件各公訴事実を認めるに至り、その後本件を認めたまま一度は結審した。しかし、その後菅家氏は、同年5月31日付の弁護人あての手紙で本件各公訴事実を否認するに至り、同年6月24日に行われた弁論再開後の第10回公判期日において、菅家氏は再び本件各公訴事実を全面的に否認する供述をし、最終陳述においても本件各公訴事実を否認して結審した。

 (2)平成5年7月7日に宣告された第一審判決は、(1)本件DNA型鑑定、(2)菅家氏の自白の2つを主な証拠とし、その他、遺留されていたパンツに付着していた陰毛と菅家氏の陰毛の形態が類似していたこと、菅家氏の性向、土地勘などの諸事情から、菅家氏が犯人であると認定した。そのうち、本件DNA型鑑定および菅家氏の自白について判決が述べるところは概要以下のとおりである。

 ア 本件DNA型鑑定について
 まず本件DNA型鑑定の証拠能力および信用性について、MCT118型による鑑定方法は歴史が浅く、その信頼性が社会一般により完全に承認されているとまではいまだ評価できないが、その鑑定方法は科学的な根拠に基づいており、警察庁科学警察研究所の専門的な知識と技術および経験を持った技官が適切な方法により行ったと認められ、その証拠能力は認められる。また、鑑定結果の信用性に疑問を差し挟むべき事情もうかがわれず、本件DNA型鑑定の結果は信用することができる。出現頻度に関する数値については、今後より多くのサンプルを分析することで多少の変動が生じる可能性はあるとしても、おおむね信用できる。

 イ 菅家氏の自白について
 菅家氏が、本件で取り調べを受けた当日に自白し、それ以降捜査段階において一貫して自白を維持していたこと、公判廷において、被害者を誘い出した目的などについて、捜査段階と一部異なる内容の供述をすることもありながら公判の最終段階に至るまで自白自体は維持していたこと、捜査官の強制や誘導などが行われたことをうかがわせる事情はないこと、弁護人に対してもほぼ一貫して事実を認めていたこと、自白内容自体についても自然で信用性に疑問を差し挟む事情が認められないことなどの事情から、菅家氏の自白は信用できる。

 (3)菅家氏は、1審判決を不服として、平成5年7月8日、東京高等裁判所に控訴の申し立てをしたが、平成8年5月9日に宣告された控訴審判決についても、1審判決とほど同様の認定がなされた。すなわち、まず、本件DNA型鑑定の証拠能力については、本件DNA型鑑定は、科学理論的、経験的な根拠を持っており、より優れたものが今後開発される余地はあるにしても、その手段、方法は、確立された、一定の信頼性のある、妥当なものと認められ、専門的知識と経験ある練達の技官によって行われたものであるから、証拠能力は認められる。また、本件DNA型鑑定の信用性については、123マーカーの型判定用指標としての適格性に問題が生じているとの主張に対し、後にMCT118法でDNA型鑑定を行う際、123マーカーではなくアレリック・マーカーが使用されることになったが、両者は相互対応が可能であり、123マーカーで判定された型番号自体がそのままMCT118部位の塩基配列の反復回数を示すものではないとしても、型判定作業が同一条件下で行われる限りなお異同識別に十分有効であるなどとして、その信用性は認められるとした。

 また、菅家氏の自白については、取り調べの当初、菅家氏が主張するような、菅家氏を小突くなどの言動が警察官にあったとしても、菅家氏の自白前後の様子や自白内容などに照らして任意性に影響する事情ではないとした上で、菅家氏自身、1審および控訴審の各公判廷において、捜査官の取り調べの際に誘導されたり、供述を押しつけられたりしたことはない旨述べていることなどを総合的に考慮し、取り調べに際し、捜査官が菅家氏に対して殊更誘導、強制を加えた事実は認められず、菅家氏の自白に任意性は認められるとした。また、信用性の点についても、内容の合理性や客観的事実との整合性、自白内容の変遷などに詳細な検討を加えた上で、菅家氏の自白は信用できるとした。

 (4)菅家氏は、平成8年5月9日、控訴審判決を不服として上告申し立てをしたが、最高裁判所は、平成12年7月17日、弁護人らの上告趣意はいずれも上告理由に当たらないとした上で、職権で、菅家氏が犯人であるとした原判決に、事実誤認、法令違反があるとは認められないとし、なお書において、要旨次のとおりの判断を示して、上告を棄却する決定をした。

 「本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定は、その科学的原理が理論的正確性を有し、具体的な実施の方法も、その技術を習得した者により、科学的に信頼される方法で行われたと認められる。したがって、右鑑定の証拠価値ついては、その後の科学技術の発展により新たに解明された事項なども加味して慎重に検討されるべきであるが、なお、これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。」

 その後同決定に対する異議申し立ても棄却され、菅家氏を無期懲役とした1審判決が確定した。

3 再審開始決定の経緯
 (1)菅家氏は、平成14年12月25日、新たに行った菅家氏の毛髪のDNA型鑑定の結果と本件DNA型鑑定の結果とが異なる旨の検査報告書や、菅家氏の自白内容が客観的な被害者の死体所見と矛盾する旨の鑑定書など、菅家氏に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとして、宇都宮地方裁判所に対して再審請求を行った。しかし、同裁判所は、平成20年2月13日、これらの証拠はいずれも菅家氏に対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠には該当しないとして、前記再審請求を棄却する旨の決定をした。

 (2)菅家氏は、平成20年2月18日、この決定を不服として、東京高等裁判所に即時抗告の申し立てをした。同裁判所は、同年12月24日、前記検査報告書などの新証拠の内容、本件の証拠構造における本件DNA鑑定の重要性およびDNA型鑑定に関する著しい理論と技術の進展の状況などにかんがみ、菅家氏および本件半袖下着についてDNA型の再鑑定を行う旨の決定をした。具体的には、大阪医科大学教授鈴木廣一および筑波大学教授本田克也を鑑定人に命じ、本件半袖下着に付着していた体液と菅家氏から採取した血液などの各DNA型を明らかにして、それらが同一人に由来するか否かを判定させた。その結果、菅家氏のDNAの型と、本件半袖下着から検出された男性のDNAの型が一致しないことが判明した。そして、東京高等裁判所は、確定審の1審判決および控訴審判決が菅家氏を本件の犯人であると認定した根拠は、(1)前記各DNA型が一致したことと、(2)菅家氏の1審公判廷および捜査段階における自白供述が信用できることに集約でき、確定審判決が挙げるそれ以外の根拠は、菅家氏が本件の犯人であることと矛盾しないという証明力を持つに過ぎないとした上、鑑定により新たに判明した、DNA型が一致しないという前記事実からして、菅家氏が本件犯人ではない可能性が高いばかりか、菅家氏が有罪とされた根拠の一つである菅家氏の自白の信用性にも疑問を抱かせるに十分であり、結局、菅家氏が犯人であると認めるには合理的な疑いが生じているとして、平成21年6月23日、原決定を取り消した上、本件について再審を開始する旨の決定をした。

 以上のとおり、本件では、(1)DNA型鑑定、(2)菅家氏の自白の2つの証拠を重要な証拠として、菅家氏が犯人であると認定されたものであるから、以下、これらの証拠との関係で新証拠を踏まえて順に検討する。
第2DNA型鑑定について
1鈴木鑑定
 (1)鑑定の経過および結果
 前記のとおり、再審請求抗告審において、東京高等裁判所から鑑定人に命じられた鈴木教授は、平成21年1月23日から同年5月6日まで、本件半袖下着のうち、当時のDNA型鑑定の際に切り取られている数カ所の中心点をつないで左右に切り分けた形でこれを二分したものの一片について、これに付着する体液と菅家氏から採取した血液などの各DNA型の鑑定を行った。

 鈴木教授は、(1)多型性の程度、(2)検査の精度、(3)検査するDNA型の数、(4)総合的識別精度、(5)検査技術の水準、(6)検査時間、(7)検査コストなどを総合的に考えて作られた検査試薬と解析装置が、「商品」として世界中でほぼ独占的に販売され、「標準化」されていることを理由に、本件における鑑定の目的を達するのに現時点で最適な検査方法として、DNA型のうち、4個の塩基が単位となって反復しており、MCT118部位に比べ、その反復単位である塩基個数が短い、STRの検査を行った。具体的には、鑑定試料から抽出したDNAを市販の検査キット(Identifiler,MiniFiler,Yfiler,PowerPlexSE33)を使用してPCR増幅し、これをキャピラリー電気泳動法を用い、複数のSTRを自動化された解析装置で検査して型解析を行う方法で進められた。

 その結果、常染色体上の16個のSTRで14個の型が異なり、Y染色体上の16個のSTRで12個の型が異なっており、両試料はともに男性のものであるが、同一の男性には由来しないと判断された。

2010年3月25日木曜日

【月刊日本】 平野貞夫

 1932年(昭和7年)結成の右翼団体・神武会の機関誌・月間日本での平野貞夫氏による小沢一郎


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【質疑1】


【質疑2】


【質疑3】


【質疑4】


【質疑5】



【質疑6】


【質疑7】


2010年3月20日土曜日

カレル・ヴァン・ウォルフレン論文

2008年のブレジンスキー論文然り、日本の現状とこれからの未来に対しかなり的確な分析をしていると思う。日本で不足をしているもの・・・それは、冷静な分析力ではないだろうか。

その分析結果を都合よくマスコミが報道するについては注意が必要であろう。



「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」(カレル・ヴァン・ウォルフレン) *井上実氏訳

「日本政治再生を巡る権力闘争の謎」 2010年3月19日発売 中央公論より


 いま日本はきわめて重要な時期にある。なぜなら、真の民主主義をこの国で実現できるかどうかは、これからの数年にかかっているからだ。いや、それ以上の意味がある。もし民主党のリーダーたちが、理念として掲げる内閣中心政権を成功裏に確立することができるならば、それは日本に限らず地球上のあらゆる国々に対し、重要な規範を示すことになるからである。それは我々の住む惑星の政治の流れに好ましい影響を与える数少ない事例となろう。
 
 しかしながら、それを実現させるためには、いくつもの険しい関門を突破しなければなるまい。国際社会の中で、真に独立した国家たらんとする民主党の理念を打ち砕こうとするのは、国内勢力ばかりではない。アメリカ政府もまたしかりである。いま本稿で民主党の行く手を阻むそうした内実について理解を深めることは、よりよい社会を求める日本の市民にとっても有益なのではないかと筆者は考える。


政権交代の歴史的意味

 各地で戦争が勃発し、経済は危機的な状況へと向かい、また政治的な機能不全が蔓延するこの世界に、望ましい政治のあり方を示そうとしているのが、他ならぬこの日本であるなどと、わずか数年前、筆者を含め誰に予測し得たであろうか。ところがその予測しがたいことが現実に起きた。初めて信頼に足る野党が正式に政権の座に就き、真の政府になると、すなわち政治の舵取りを行うと宣言したのだ。だが、民主党政権発足後の日本で起こりつつある変化には、実は大半の日本人が考えている以上に大きな意味がある、と筆者は感じている。
 
 まず現代の歴史を振り返ってみよう。第二次世界大戦に続く三〇年に及んだ輝かしい経済発展期が過ぎると、日本は目標を見失い停滞し始めた。自分たちの生活が改善されているという実感を日本の人々は抱くことができなくなった。日本の政治システムには何か重要なもの、これまで歩んできた道に代わる、より希望に満ちた方向性を打ち出すための何かが、欠落しているように筆者には見えた。一九九三年のごく短い一時期、行政と政治的な意思決定が違うことをよく理解していた政治家たちは、日本に政治的な中心を築こうと改革を志した。しかしそのような政治家はきわめて少数であり、行政サイドからは全く支持が得られなかった。ただしいい面もあった。彼らは同じ志を持つ相手を見出した。そして後に政権の座に就く、信頼に足る野党の結成へと動き出したからである。
 
 九三年、日本社会にも新しい意識が広がっていった。これまで長く求められてはいても実行されずにいた抜本的な改革が、実現可能であることがわかったからだ。以来、影響力のある政治家や評論家、ビジネスマンたちは、機会あるごとに、抜本的な政治改革の必要性を訴えるようになった。
 
 小泉純一郎が大方の予想を裏切る形で自民党の総裁に選ばれた際、それがほぼ実現できるのではないかと、多くの人々は考えた。ところが、首相という立場ながら、セレブリティ、テレビの有名人として注目を集めた小泉の改革は、残念ながら見掛け倒しに終わった。結局のところ、日本の政治に、真の意味で新しい始まりをもたらすためには、自民党も、それを取り巻くあらゆる関係も、あるいは慣例や習慣のすべてを排除する必要があることが明らかになった。
 
 チャンスは昨年八月、民主党が選挙で圧勝したことでようやく巡ってきた。そして九三年以来、結束してきた民主党幹部たちは、間髪を入れず、新しい時代を築くという姿勢をはっきりと打ち出したのだった。
 
 民主党が行おうとしていることに、一体どのような意義があるのかは、明治時代に日本の政治機構がどのように形成されたかを知らずして、理解することはむずかしい。当時、選挙によって選ばれた政治家の力を骨抜きにするための仕組みが、政治システムの中に意図的に組み込まれたのである。そして民主党は、山県有朋(一八三八~一九二二年、政治家・軍人)によって確立された日本の官僚制度(そして軍隊)という、この国のガバナンスの伝統と決別しようとしているのである。
 
 山県は、慈悲深い天皇を中心とし、その周辺に築かれた調和あふれる清らかな国を、論争好きな政治家がかき乱すことに我慢ならなかったようだ。互いに当選を目指し争い合う政治家が政治システムを司るならば、調和など失われてしまうと恐れた山県は、表向きに政治家に与えられている権力を、行使できなくなるような仕組みを導入したのだ。
 
 山県は、ビスマルク、レーニン、そしてセオドア・ルーズベルトと並んで、一〇〇年前の世界の地政学に多大な影響を与えた強力な政治家のひとりとして記憶されるべき人物であろう。山県が密かにこのような仕掛けをしたからこそ、日本の政治システムは、その後、一九三〇年代になって、軍官僚たちが無分別な目的のために、この国をハイジャックしようとするに至る方向へと進化していったのである。山県の遺産は、その後もキャリア官僚と、国会議員という、実に奇妙な関係性の中に受け継がれていった。
 
 いま民主党が自ら背負う課題は、重いなどという程度の生易しいものではない。この課題に着手した者は、いまだかつて誰ひとり存在しないのである。手本と仰ぐことが可能な経験則は存在しないのである。民主党の閣僚が、政策を見直そうとするたび、何らかの、そして時に激しい抵抗に遭遇する。ただし彼らに抵抗するのは、有権者ではない。それは旧態依然とした非民主主義的な体制に、がっちりと埋め込まれた利害に他ならない。まさにそれこそが民主党が克服せんと目指す標的なのである。
 
 明治時代に設立された、議会や内閣といった民主主義の基本的な機構・制度は、日本では本来の目的に沿う形で利用されてはこなかった。そして現在、政治主導によるガバナンスを可能にするような、より小さな機構を、民主党はほぼ無から創り上げることを余儀なくされている。これを見て、民主党の連立内閣の大臣たちが手をこまねいていると考える、気の短い人々も大勢いることだろう。たとえば外務省や防衛省などの官僚たちは、政治家たちに、従来の省内でのやり方にしたがわせようと躍起になっている。
 
 彼らが旧来のやり方を変えようとしないからこそ、ロシアとの関係を大きく進展させるチャンスをみすみす逃すような悲劇が早くも起きてしまったのだ。北方領土問題を巡る外交交渉について前向きな姿勢を示した、ロシア大統領ドミトリー・メドヴェージェフの昨年十一月のシンガポールでの発言がどれほど重要な意義を持っていたか、日本の官僚も政治家も気づいていなかった。官僚たちの根強い抵抗や、政策への妨害にてこずる首相官邸は、民主党の主張を伝えるという、本来なすべき機能を果たしていない。民主党がどれだけの成果を上げるかと問われれば、たとえいかに恵まれた状況下であっても、難しいと言わざるを得ないだろう。しかし、旧体制のやり方に官僚たちが固執するあまり、生じている現実の実態を考えると、憂鬱な気分になるばかりだ。


官僚機構の免疫システム

 明治以来、かくも長きにわたって存続してきた日本の政治システムを変えることは容易ではない。システム内部には自らを守ろうとする強力なメカニズムがあるからだ。一年ほど日本を留守にしていた(一九六二年以来、こんなに長く日本から離れていたのは初めてだった)筆者が、昨年戻ってきた際、日本の友人たちは夏の選挙で事態が劇的に変化したと興奮の面持ちで話してくれた。そのとき筆者は即座に「小沢を引きずり下ろそうとするスキャンダルの方はどうなった?」と訊ね返した。必ずそのような動きが出るに違いないことは、最初からわかっていたのだ。
 
 なぜか? それは日本の官僚機構に備わった長く古い歴史ある防御機能は、まるで人体の免疫システムのように作用するからだ。ここで一歩退いて、このことについて秩序立てて考えてみよう。あらゆる国々は表向きの、理論的なシステムとは別個に、現実の中で機能する実質的な権力システムというべきものを有している。政治の本音と建前の差は日本に限らずどんな国にもある。実質的な権力システムは、憲法のようなものによって規定され制約を受ける公式の政治システムの内部に存在している。そして非公式でありながら、現実の権力関係を司るそのようなシステムは、原則が説くあり方から遠ざかったり、異なるものに変化したりする。
 
 軍産複合体、そして巨大金融・保険企業の利益に権力が手を貸し、彼らの利害を有権者の要求に優先させた、この一〇年間のアメリカの政治など、その典型例だといえよう。もちろんアメリカ憲法には、軍産複合体や金融・保険企業に、そのような地位を確約する規定などない。
 
 第二次世界大戦後の長い期間、ときおり変化はしても、主要な骨格のほとんど変わることがなかった日本の非公式なシステムもまた、非常に興味深いケースである。これまで憲法や他の法律を根拠として、正しいあり方を求めて議論を繰り広げても、これはなんら影響を受けることはなかった。なぜなら、どのような政治取引や関係が許容されるかは法律によって決定されるものではないというのが、非公式な日本のシステムの重要な特徴だからだ。つまり日本の非公式な政治システムとは、いわば超法規的存在なのである。
 
 政治(そしてもちろん経済の)権力という非公式なシステムは、自らに打撃を与えかねない勢力に抵抗する。そこには例外なく、自分自身を防御する機能が備わっている。そして多くの場合、法律は自己防御のために用いられる。ところが日本では凶悪犯罪が絡まぬ限り、その必要はない。実は非公式な日本のシステムは、過剰なものに対しては脆弱なのである。たとえば日本の政治家の選挙資金を負担することは企業にとってまったく問題はない(他の多くの国々でも同様)。ところがそれがあるひとりの政治家に集中し、その人物がシステム内部のバランスを脅かしかねないほどの権力を握った場合、何らかの措置を講ずる必要が生じる。その結果が、たとえば田中角栄のスキャンダルだ。
 
 また起業家精神自体が問題とされるわけではないが、その起業家が非公式なシステムや労働の仕組みを脅かすほどの成功をおさめるとなると、阻止されることになる。サラリーマンのための労働市場の創出に貢献したにもかかわらず、有力政治家や官僚らに未公開株を譲渡して政治や財界での地位を高めようとしたとして有罪判決を受けた、リクルートの江副浩正もそうだった。さらに金融取引に関して、非公式なシステムの暗黙のルールを破り、おまけに体制側の人間を揶揄したことから生じたのが、ホリエモンこと堀江貴文のライブドア事件だった。
 
 いまから一九年前、日本で起きた有名なスキャンダル事件について研究をした私は『中央公論』に寄稿した。その中で、日本のシステム内部には、普通は許容されても、過剰となるやたちまち作用する免疫システムが備わっており、この免疫システムの一角を担うのが、メディアと二人三脚で動く日本の検察である、と結論づけた。当時、何ヵ月にもわたり、株取引に伴う損失補填問題を巡るスキャンダルが紙面を賑わせていた。罪を犯したとされる証券会社は、実際には当時の大蔵省の官僚の非公式な指示に従っていたのであり、私の研究対象にうってつけの事例だった。しかしその結果、日本は何を得たか? 儀礼行為にすぎなくとも、日本の政治文化の中では、秩序回復に有益だと見なされるお詫びである。そして結局のところ、日本の金融システムに新たな脅威が加わったのだ。
 
 検察とメディアにとって、改革を志す政治家たちは格好の標的である。彼らは険しく目を光らせながら、問題になりそうなごく些細な犯罪行為を探し、場合によっては架空の事件を作り出す。薬害エイズ事件で、厚生官僚に真実を明らかにするよう強く迫り、日本の国民から絶大な支持を得た菅直人は、それからわずか数年後、その名声を傷つけるようなスキャンダルに見舞われた。民主的な手続きを経てその地位についた有権者の代表であっても、非公式な権力システムを円滑に運営する上で脅威となる危険性があるというわけだ。
 
 さて、この日本の非公式な権力システムにとり、いまだかつて遭遇したことのないほどの手強い脅威こそが、現在の民主党政権なのである。実際の権力システムを本来かくあるべしという状態に近づけようとする動きほど恐ろしいことは、彼らにとって他にない。そこで検察とメディアは、鳩山由紀夫が首相になるや直ちに手を組み、彼らの地位を脅かしかねないスキャンダルを叩いたのである。


超法規的な検察の振る舞い

 日本の検察当局に何か積極的に評価できる一面があるかどうか考えてみよう。犯罪率が比較的低い日本では、他の国々とは違って刑務所が犯罪者で溢れるということはない。つまり日本では犯罪に対するコントロールがうまく機能しており、また罰することよりも、犯罪者が反省し更生する方向へと促し続けたことは称賛に値する。また検察官たちが、社会秩序を維持することに純粋な意味で腐心し、勇敢と称賛したくなるほどの責任感をもって社会や政治の秩序を乱す者たちを追及していることも疑いのない事実だろう。しかしいま、彼らは日本の民主主義を脅かそうとしている。民主党の政治家たちは今後も検察官がその破壊的なエネルギーを向ける標的となり続けるであろう。
 
 日本の超法規的な政治システムが山県有朋の遺産だとすれば、検察というイメージ、そしてその実質的な役割を確立した人物もまた、日本の歴史に存在する。平沼騏一郎(一八六七~一九五二年、司法官僚・政治家)である。彼は「天皇の意思」を実行する官僚が道徳的に卓越する存在であることを、狂信的とも言える熱意をもって信じて疑わなかった。山県のように彼もまた、国体思想が説く神秘的で道徳的に汚れなき国家の擁護者を自任していた。マルクス主義、リベラリズム、あるいは単に民主的な選挙といった、あらゆる現代的な政治形態から国を守り抜くべきだと考えていたのである。
 
 一九四五年以降も、平沼を信奉する人々の影響力によって、さまざまな点で超法規的な性格を持つ日本の司法制度の改革は阻止された。ある意味では現在の検察官たちの動きを見ていると、そこにいまなお司法制度を政府という存在を超えた至高なる神聖な存在とする価値観が残っているのではないか、と思わせるものがある。オランダにおける日本学の第一人者ウィム・ボートは、日本の検察は古代中国の検閲(秦代の焚書坑儒など)を彷彿させると述べている。
 
 日本の検察官が行使する自由裁量権は、これまで多くの海外の法律専門家たちを驚かせてきた。誰を起訴の標的にするかを決定するに際しての彼らの権力は、けたはずれの自由裁量によって生じたものである。より軽微な犯罪であれば、容疑者を追及するか否かを含め、その人物が深く反省し更生しようという態度を見せるのであれば、きわめて寛大な姿勢でのぞむこともある。このようなやり方は、法に背きはしても、刑罰に処するほどではないという、一般の人々に対しては効果的であり、いくつかの国々の法執行機関にとっては有益な手本となる場合もあるだろう。
 
 しかしある特定人物に対して厳しい扱いをすると決めた場合、容疑者を参らせるために、策略を用い、心理的な重圧をかけ、さらには審理前に長く拘禁して自白を迫る。検察官たちは法のグレーゾーンを利用して、改革に意欲的な政治家たちを阻もうとする。どんなことなら許容され、逆にどのようなことが決定的に違法とされるのかという区分はかなりあいまいである。たとえば、合法的な節税と違法な脱税の境界がさほど明確でない国もある。ところで日本にはさまざまな税に関する法律に加えて、きわめてあいまいな政治資金規正法がある。検察はこの法律を好んで武器として利用する。検察官たちの取り調べがいかに恣意的であるかを理解している日本人は大勢いる。それでもなお、たとえば小沢の支持者も含めて多くの人々が、彼が少なくとも「誠意ある態度」を示して、謝罪すべきだと、感じていることは確かだ。
 
 これなどまさに、非公式な権力システムと折り合いをつけるために要請される儀礼行為とも言えるだろう。儀礼の舞台は国会であり、また民主党内部でもあり、国民全般でもある。新聞各紙は「世論が求めている」などと盛んに騒ぎ立てているが、本当のところはわからない。しかも詫びて頭を下げ、あるいは「自ら」辞任するとでもいうことになれば、そのような儀礼行為は、実際には非公式のシステムに対して行われるのである。
 
 体制に備わった免疫システムは、メディアの協力なくしては作用しない。なぜなら政治家たちを打ちのめすのは、彼らがかかわったとされる不正行為などではなく、メディアが煽り立てるスキャンダルに他ならないからだ。検察官たちは絶えず自分たちが狙いをつけた件について、メディアに情報を流し続ける。そうやっていざ標的となった人物の事務所に襲いかかる際に、現場で待機しているようにと、あらかじめジャーナリストや編集者たちに注意を促すのだ。捜査が進行中の事件について情報を漏らすという行為は、もちろん法的手続きを遵守するシステムにはそぐわない。しかし本稿で指摘しているように、検察はあたかも自分たちが超法規的な存在であるかのように振る舞うものだ。

小沢の価値

 日本の新聞は、筆者の知る世界のいかなるメディアにも増して、現在何が起こりつつあるかについて、きわめて均質な解釈を行う。そしてその論評内容は各紙互いに非常によく似通っている。かくして、こうした新聞を購読する人々に、比較的大きな影響を及ぼすことになり、それが人々の心理に植えつけられるという形で、政治的現実が生まれるのである。このように、日本の新聞は、国内権力というダイナミクスを監視する立場にあるのではなく、むしろその中に参加する当事者となっている。有力新聞なら、いともたやすく現在の政権を倒すことができる。彼らが所属する世界の既存の秩序を維持することが、あたかも神聖なる最優先課題ででもあるかのように扱う、そうした新聞社の幹部編集者の思考は、高級官僚のそれとほとんど変わらない。
 
 いまという我々の時代においてもっとも悲しむべきは、先進世界と呼ばれるあらゆる地域で新聞界が大きな問題を抱えていることであろう。商業的な利益に依存する度合いを強めた新聞は、もはや政治の成り行きを監視する信頼に足る存在ではなくなってしまった。日本の新聞はその点、まだましだ。とはいえ、日本の政治がきわめて重要な変化の時を迎えたいま、新聞が信頼できる監視者の立場に就こうとしないのは、非常に残念なことだ。これまで日本のメディアが新しい政府について何を報道してきたかといえば、誰の役にも立ちはせぬありふれたスキャンダルばかりで、日本人すべての未来にとって何が重要か、という肝心な視点が欠落していたのではないか。
 
 なぜ日本の新聞がこうなってしまったのか、原因はやはり長年の間に染みついた習性にあるのかもしれない。普通、記者や編集者たちは長年手がけてきたことを得意分野とする。日本の政治記者たちは、長い間、自民党の派閥争いについて、また近年になってからは連立政権の浮沈について、正確な詳細を伝えようと鎬を削ってきた。
 
 かつてタイで起きた軍事クーデターについて取材していた時、筆者はことあるごとに、バンコックに駐在していた日本人の記者仲間に意見を求めることにしていた。タイ軍内部の派閥抗争にかけて、日本人記者に匹敵する識見をそなえていたジャーナリストは他にいなかったからだ。したがって、鳩山政権が成立後、連立を組んだ政党との間に生じた、現実の、あるいは架空の軋轢に、ジャーナリストたちの関心が注がれたのは不思議ではなかった。まただからこそ、日本のメディアは民主党の閣僚たちの間に、きわめてわずかな齟齬が生じたといっては、盛んに書き立てるのだろう。自民党内部での論争や派閥抗争がジャーナリストたちにとって格好の取材ネタであったことは、筆者にもよく理解できる(筆者自身、角福戦争の詳細で興味深い成り行きを、ジャーナリストとして取材した)。なぜなら日本のいわゆる与党は、これまで話題にする価値のあるような政策を生み出してこなかったからだ。
 
 小泉は政治改革を求める国民の気運があったために、ずいぶん得をしたものの、現実にはその方面では実効を生まなかった。彼はただ、財務省官僚の要請に従い、改革を行ったかのように振る舞ったにすぎない。だがその高い支持率に眼がくらんだのか、メディアは、それが単に新自由主義的な流儀にすぎず、国民の求めた政治改革などではなかったことを見抜けなかった。
 
 彼が政権を去った後、新しい自民党内閣が次々と誕生しては退陣を繰り返した。自民党は大きく変化した国内情勢や世界情勢に対処可能な政策を打ち出すことができなかった。なぜなら、彼らには政治的な舵取りができなかったからだ。自民党の政治家たちは、単にさまざまな省庁の官僚たちが行う行政上の決定に頼ってきたにすぎない。ところが官僚たちによる行政上の決定とは、過去において定められた路線を維持するために、必要な調整を行うためのものである。つまり行政上の決定は、新しい路線を打ち出し、新しい出発、抜本的な構造改革をなすための政治的な決断、あるいは政治判断とは完全に区別して考えるべきものなのである。こうしてポスト小泉時代、新聞各紙が内閣をこき下ろすという役割を楽しむ一方で、毎年のように首相は代わった。
 
 このような展開が続いたことで、日本ではそれが習慣化してしまったらしい。実際、鳩山政権がもつかどうか、退陣すべきなのではないか、という噂が絶えないではないか。たとえば小沢が権力を掌握している、鳩山が小沢に依存していると論じるものは多い。だがそれは当然ではないのか。政治家ひとりの力で成し遂げられるはずがあろうか。しかし論説執筆者たちは民主党に関して、多くのことを忘れているように思える。
 
 そして山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。小沢がいなかったら、一九九三年の政治変革は起きなかっただろう。あれは彼が始めたことだ。小沢の存在なくして、信頼に足る野党民主党は誕生し得なかっただろう。そして昨年八月の衆議院選挙で、民主党が圧勝することはおろか、過半数を得ることもできなかったに違いない。
 
 小沢は今日の国際社会において、もっとも卓越した手腕を持つ政治家のひとりであることは疑いない。ヨーロッパには彼に比肩し得るような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスをよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
 
 小沢はその独裁的な姿勢も含め、これまで批判され続けてきた。しかし幅広く読まれているメディアのコラムニストたちの中で、彼がなぜ現在のような政治家になったのか、という点に関心を持っている者はほとんどいないように思える。小沢がいなかったら、果たして民主党は成功し得ただろうか?
 
 民主党のメンバーたちもまた、メディアがしだいに作り上げる政治的現実に多少影響されているようだが、決断力の点で、また日本の非公式な権力システムを熟知しているという点で、小沢ほどの手腕を持つ政治家は他には存在しないという事実を、小沢のような非凡なリーダーの辞任を求める前によくよく考えるべきである。
 
 もし非公式な権力システムの流儀に影響されて、民主党の結束が失われでもすれば、その後の展開が日本にとって望ましいものだとは到底思えない。第二次世界大戦前に存在していたような二大政党制は実現しそうにない。自民党は分裂しつつある。小さな政党が将来、選挙戦で争い合うことだろうが、確固たる民主党という存在がなければ、さまざまな連立政権があらわれては消えていく、というあわただしい変化を繰り返すだけのことになる。すると官僚たちの権力はさらに強化され、恐らくは自民党政権下で存在していたものよりもっとたちの悪い行政支配という、よどんだ状況が現出することになろう。


踏み絵となった普天間問題

 民主党の行く手に立ち塞がる、もうひとつの重要な障害、日米関係に対しても、メディアはしかるべき関心を寄せてはいない。これまで誰もが両国の関係を当然のものと見なしてきたが、そこには問題があった。それはアメリカ政府がこれまで日本を完全な独立国家として扱ってはこなかったことである。ところが鳩山政権は、この古い状況を根本的に変えてしまい、いまやこの問題について公然と議論できるようになった。この事実は、以前のような状況に戻ることは二度とない、ということを意味している。
 
 しかしオバマ政権はいまだに非自民党政権を受け入れることができずにいる。そのような姿勢を雄弁に物語るのが、選挙前後に発表されたヒラリー・クリントン国務長官やロバート・ゲーツ国防長官らの厳しいメッセージであろう。沖縄にあるアメリカ海兵隊の基地移設問題は、アメリカ政府によって、誰がボスであるか新しい政権が理解しているかどうかを試す、テストケースにされてしまった。
 
 アメリカ政府を含め、世界各国は長い間、日本が国際社会の中でより積極的な役割を果たすよう望んできた。日本の経済力はアメリカやヨーロッパの産業界の運命を変えてしまい、またその他の地域に対しても多大な影響を及ぼした。ところが、地政学的な観点からして、あるいは外交面において、日本は実に影が薄かった。「経済大国であっても政治小国」という、かつて日本に与えられたラベルに諸外国は慣れてしまった。そして、そのような偏った国際社会でのあり方は望ましくなく、是正しなければいけないと新政府が声を上げ始めたいまになって、アメリカ人たちは軍事基地のことでひたすら愚痴をこぼす始末なのだ。
 
 日本の検察が、法に違反したとして小沢を執拗に追及する一方、アメリカは二〇〇六年に自民党に承諾させたことを実行せよと迫り続けている。このふたつの事柄からは、ある共通点が浮かび上がる。両者には平衡感覚とでもいうものが欠落しているのである。
 
 長い間留守にした後で、日本に戻ってきた昨年の十二月から今年の二月まで、大新聞の見出しを追っていると、各紙の論調はまるで、小沢が人殺しでもしたあげく、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てていると、筆者には感じられる。小沢の秘書が資金管理団体の土地購入を巡って、虚偽記載をしたというこの手の事件は、他の民主主義国家であれば、その取り調べを行うのに、これほど騒ぎ立てることはない。まして我々がいま目撃しているような、小沢をさらし者にし、それを正当化するほどの重要性など全くない。しかも検察は嫌疑不十分で小沢に対して起訴することを断念せざるを得なかったのである。なぜそれをこれほどまでに極端に騒ぎ立てるのか、全く理解に苦しむ。検察はバランス感覚を著しく欠いているのではないか、と考えざるを得なくなる。
 
 しかもこのような比較的些細なことを理由に民主党の最初の内閣が退陣するのではないか、という憶測が生まれ、ほぼ連日にわたって小沢は辞任すべきだという世論なるものが新聞の第一面に掲載されている様子を見ていると、たまに日本に戻ってきた筆者のような人間には、まるで風邪をひいて発熱した患者の体温が、昨日は上がった、今日は下がったと、新聞がそのつど大騒ぎを繰り広げているようにしか思えず、一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。つい最近、筆者が目にした日本の主だった新聞の社説も、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれていた。これを読むとまるで個人的な恨みでもあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねぬ論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。
 
 普天間基地の問題を巡る対応からして、アメリカの新大統領は日本で起こりつつある事態の重要性に全く気づいていないのがわかる。オバマとその側近たちは、安定した新しい日米の協力的な関係を築くチャンスを目の前にしておきながら、それをみすみすつぶそうとしている。それと引き換えに彼らが追求するのは、アメリカのグローバル戦略の中での、ごくちっぽけなものにすぎない。
 
 当初は、世界に対する外交姿勢を是正すると表明したのとは裏腹に、オバマ政権の態度は一貫性を欠いている。このことは、アメリカ軍が駐留する国々に対するかかわりのみならず、アメリカの外交政策までをも牛耳るようになったことを物語っている。しかも対日関係問題を扱うアメリカ高官のほとんどは、国防総省の「卒業生」である。つまりアメリカの対日政策が、バランス感覚の欠如した、きわめて偏狭な視野に基づいたものであったとしても、少しも不思議ではないわけだ。


何が日本にとって不幸なのか

 中立的な立場から見れば、きわめて些細なことであるのに、それが非常に強大な存在を動揺させる場合、それはあなたが非常に強い力を有している証左である。いま日本の置かれた状況に目を向けている我々は、権力とはかくも変化しやすいものだという事実を考える必要がある。昨年、日本では、一九五〇年代以来、最大規模の権力の移転が起きた。そして民主党は、いくつかの事柄に関して、もはや二度と後戻りすることができないほどに、それらを決定的に変えた。しかしながら、だからといって民主党の権力が強化されたわけではない。民主党はこれからもたび重なる試練に立ち向かわねばならぬだろう。
 
 もし鳩山内閣が道半ばにして退陣するようなことがあれば、それは日本にとって非常に不幸である。自民党が政権を握り、毎年のように首相が交代していた時期、一体何がなされたというのか? もし、またしても「椅子取りゲーム」よろしく、首相の顔ぶれが次々と意味もなく代わるような状況に後退することがあっては、日本の政治の未来に有益であるはずがない。
 
 民主党の力を確立するためには、当然、何をもって重要事項とするかをはき違えた検察に対処しなければならず、また検察がリークする情報に飢えた獣のごとく群がるジャーナリストたちにも対応しなければなるまい。小沢が初めて検察の標的になったのは、昨年の五月、西松建設疑惑問題に関連して、公設秘書が逮捕された事件であり、彼は民主党代表を辞任し、首相になるチャンスを見送った。
 
 そのとき、もし検察が「同じ基準を我々すべてに適用するというのであれば」国会はほぼ空っぽになってしまうだろう、という何人かの国会議員のコメントが報じられていたのを筆者は記憶している。確かに検察は、理論的には自民党政権時代のように、たとえば国会の半分ほどを空にする力を持っていた。だが、もし検察が本当にそのような愚挙に出たとしたら、そんな権力は持続性を持つはずはない。そのような事態が発生すれば、新聞を含む日本の誰もが、検察の行動は常軌を逸していると断じるだろうからだ。
 
 このように考えると、ここに権力の重要な一面があらわれているように思われる。権力とは決して絶対的なものではない。それはどこか捉えどころのないものである。はっきりした概念としてはきわめて掴みにくいものなのである。それはニュートン物理学に何らかの形でかかわる物質によって構築されているわけでもない。権力の大きさは測ることもできなければ、数え上げることも、あるいは数列であらわすこともできない。権力を数値であらわそうとした政治学者が過去にはいたが、そのような試みは無残にも失敗した。これは影響力とも違う。影響力は計測することができるからだ。権力は、主にそれを行使する相手という媒介を通じて生じる。対象となるのは個人に限らず、グループである場合もあるだろう(相手があって生じるという意味で、権力はともすれば愛に似ている)。
 
 近年の歴史を見れば、そのことがよくわかる。冷戦が終結する直前の旧ソ連の権威はどうなったか? 強大な権力機構があの国には存在していたではないか。そして誰もがその権力は揺るぎないものと見なしていたのではなかったか。その力ゆえに、第二次世界大戦後の地政学上の構図が形作られたのではなかったか。
 
 ところが小さな出来事がきっかけとなってベルリンの壁が崩れた。ほどなくして、長きにわたり東欧諸国を縛り付けてきた、モスクワの強大な権力が消失した。それが消えるのに一週間とかからなかった。なぜか? なぜならモスクワの権力とは人々の恐怖、強大な旧ソ連の軍事力に対する恐れを源として生じていたからだ。ところがミハイル・ゴルバチョフは事態を食い止めるために武力を行使しないと述べ、現実にそれが言葉通りに実行されるとわかるや、旧ソ連の権力は突然、跡形もなく消え失せた。
 
 いま我々が日本で目撃しつつあり、今後も続くであろうこととは、まさに権力闘争である。これは真の改革を望む政治家たちと、旧態依然とした体制こそ神聖なものであると信じるキャリア官僚たちとの戦いである。しかしキャリア官僚たちの権力など、ひとたび新聞の論説委員やテレビに登場する評論家たちが、いま日本の目の前に開かれた素晴らしい政治の可能性に対して好意を示すや否や、氷や雪のようにたちまち溶けてなくなってしまう。世の中のことに関心がある人間ならば、そして多少なりとも日本に対して愛国心のある日本人であるならば、新しい可能性に関心を向けることは、さほど難しいことではあるまい。

日米関係の重さ

 日米関係に目を転じるならば、そこにもまたきわめて興味深い権力のダイナミクスが存在しており、日本に有利に事態の解決を図ることができると筆者は考えている。世界の二大先進パワーは、きわめてユニークな形で連携している。日米関係に類似したものは、世界のどこにも存在しないだろう。
 
 鳩山が対米外交において失策を重ねていると批判する人々は、ことアメリカとの関係においては正常な外交というものが存在しない事実を見過ごしにしている。なぜならアメリカはこれまでも日本を、外交には不可欠な前提条件であるはずの真の主権国家だとは見なしてこなかったからである。そして日本は最後にはアメリカの望み通りに従うと、当然視されるようになってしまったのだ。鳩山政権は、これまで自民党が一度として直視しようとはしなかったこの現実に取り組む必要がある。
 
 誰もがアメリカと日本は同盟関係にあると、当然のように口にする。しかし同盟関係の概念が正しく理解されているかどうかは疑わしい。同盟関係とは、二国もしくはそれ以上の独立国家が自主的に手を結ぶ関係である。ところがアメリカとの同盟関係なるものが生じた当時の日本には、それ以外の選択肢はなかった。第二次世界大戦後の占領期、アメリカは日本を実質的な保護国(注:他国の主権によって保護を受ける、国際法上の半主権国)とし、以後、一貫して日本をそのように扱い続けた。また最近ではアメリカは日本に他国での軍事支援活動に加わるよう要請している。実質的な保護国であることで、日本が多大な恩恵を被ったことは事実だ。日本が急速に貿易大国へと成長することができたのも、アメリカの戦略や外交上の保護下にあったからだ。
 
 しかしこれまで日本が国際社会で果たしてきた主な役割が、アメリカの代理人としての行動であった事実は重い意味を持つ。つまり日本は、基本的な政治決定を行う能力を備えた強力な政府であることを他国に対して示す必要はなかった、ということだ。これについては、日本の病的と呼びたくなるほどの対米依存症と、日本には政治的な舵取りが欠如しているという観点から熟考する必要がある。民主党の主立った議員も、そしてもちろん小沢もそのことに気づいていると筆者には思われる。だからこそ政権を握った後、民主党は当然のごとく、真なる政治的中枢を打ち立て、従来のアメリカに依存する関係を刷新しようとしているのだ。
 
 だが問題は厄介さを増しつつある。なぜなら今日のアメリカは戦闘的な国家主義者たちによって牛耳られるようになってしまったからだ。アメリカが、中国を封じ込めるための軍事包囲網の増強を含め、新しい世界の現実に対処するための計画を推進していることは、歴然としている。そしてその計画の一翼を担う存在として、アメリカは日本をあてにしているのである。
 
 かくしてアメリカにとって沖縄に米軍基地があることは重要であり、そのことにアメリカ政府はこだわるのである。しかしアメリカという軍事帝国を維持するために、それほどの土地と金を提供しなければならない理由が日本側にあるだろうか? 日本の人々の心に染み付いた、アメリカが日本を守ってくれなくなったらどうなる、という恐怖心は、一九八九年以来、一変してしまった世界の状況から考えて、ナイーブな思考だとしか評しようがない。
 
 筆者は、日本がアメリカを必要としている以上に、アメリカが日本を必要としているという事実に気づいている日本人がほとんどいないことに常に驚かされる。とりわけ日本がどれほど米ドルの価値を支えるのに重要な役割を果たしてきたかを考えれば、そう思わざるを得ない。しかもヨーロッパの状況からも明らかなように、アメリカが本当に日本を保護してくれるのかどうかは、きわめて疑わしい。
 
 まったく取るに足らない些細な出来事が、何か強大なものを動揺させるとすれば、それはそこに脅しという権力がからんでいるからだ。アメリカが日本に対して権力を振るうことができるとすれば、それは多くの日本人がアメリカに脅されているからだ。彼らは日本が身ぐるみはがれて、将来、敵対国に対してなすすべもなく見捨てられるのではないか、と恐れているのだ。
 
 そして日本の検察は、メディアを使って野心的な政治家に脅しをかけることで、よりよい民主国家を目指す日本の歩みを頓挫させかねない力を持っている。
 
 この両者は、日本の利益を考えれば、大いなる不幸と称するよりない方向性を目指し、結託している。なぜなら日本を、官僚ではなく、あるいは正当な権力を強奪する者でもない、国民の、国民による、そして国民のための完全なる主権国家にすべく、あらゆる政党の良識ある政治家たちが力を合わせなければならない、いまというこの重大な時に、検察はただ利己的な、自己中心的な利益のみを追求しているからである。そしてその利益とは、健全な国家政治はどうあるべきか、などということについては一顧だにせず、ただ旧態依然とした体制を厳格に維持することに他ならないのである。
 
 日本のメディアはどうかと言えば、無意識のうちに(あるいは故意に?)、現政権が失敗すれば、沖縄の米軍基地問題に関して自国の主張を押し通せると望むアメリカ政府の意向に協力する形で、小沢のみならず鳩山をもあげつらい(やったこと、やらなかったことなど、不品行と思われることであれば何でも)、彼らの辞任を促すような状況に与する一方である。しかし彼らが辞任するようなことがあれば、国民のための主権国家を目指す日本の取り組みは、大きな後退を余儀なくされることは言うまでもない。
 
 日本の新政権が牽制しようとしている非公式の政治システムには、さまざまな脅しの機能が埋め込まれている。何か事が起きれば、ほぼ自動的に作動するその機能とは超法規的権力の行使である。このような歴史的な経緯があったからこそ、有権者によって選ばれた政治家たちは簡単に脅しに屈してきた。
 
 ところで、前述のクリントンとゲーツが日本に与えたメッセージの内容にも、姿勢にも、日本人を威嚇しようとする意図があらわれていた。しかし鳩山政権にとっては、アメリカの脅しに屈しないことが、きわめて重要である。日本に有利に問題を解決するには、しばらくの間は問題を放置してあえて何もせず、それよりも将来の日米関係という基本的な論議を重ねていくことを優先させるべきである。
 
 アメリカがこの問題について、相当の譲歩をせず、また日米両国が共に問題について真剣に熟考しないうちは、たとえ日本が五月と定められた期限内に決着をつけることができなかったとしても、日本に不利なことは何ひとつ起こりはしない。
 
 それより鳩山政権にとっては、国内的な脅しに対処することの方が困難である。普通、このような脅しに対しては、脅す側の動機や戦略、戦法を暴くことで、応戦するしかない。心ある政治家が検察を批判することはたやすいことではない。すぐに「検察の捜査への介入」だと批判されるのがおちだからだ。つまり検察の権力の悪用に対抗し得るのは、独立した、社会の監視者として目を光らせるメディアしかないということになる。
 
 日本のメディアは自由な立場にある。しかし真の主権国家の中に、より健全な民主主義をはぐくもうとするならば、日本のメディアは現在のようにスキャンダルを追いかけ、果てはそれを生み出すことに血道を上げるのを止め、国内と国際政治の良識ある観察者とならなければならない。そして自らに備わる力の正しい用い方を習得すべきである。さらに政治改革を求め、選挙で一票を投じた日本の市民は、一歩退いて、いま起こりつつあることは一体何であるのかをよく理解し、メディアにも正しい認識に基づいた報道をするよう求めるべきなのである。
 

2010年3月11日木曜日

【小沢一郎】 メディア報道の危うさ

内彰宏氏の記事を、転載

雑感:日本国内では、小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」の事件をさも「クロ」で「悪」であるような報道一色である。しかし、海外特派員協会で記者会見をし「郷原氏」と「魚住氏」が、この事件の恣意的な捜査方法と大手マスコミの偏向報道を語ったのである。

この、記者会見の模様は、その後一度もマスコミ報道をされることは無かった。しかし、その一週間前の自民党・舛添議員の記者会見は、しっかり新聞・テレビで報道をされているのである。

これだけでも、マスコミ自身にとって都合の悪いことは報道をしないという事である。自民党を舛添議員が割るのがニュースにはなるが、与党幹事長の無実を表の公表されることを大手マスコミは嫌ったという事である。

では、何故に大手マスコミにとって都合が悪いのかは、この事件を冷静に点検・検証をなさった方であるあらばおわかりいただけると思う。本当に何が事件であるか、見えないのである。

しかし、人間は誰しも好き嫌いがあり特に「小沢一郎」という人間の影響力を考えた場合に、事実をねじ曲げてでも排除をしようと思うのであろう。同時に、小沢氏の発言は、公の場で小沢氏自身の発言が全てであり、他から伝い漏れる言葉は、決して本人の言葉ではないのである。

昨年来の西松事件の公判も、第二回公判で「決定的に覆り」東京地検が公判維持ができなくなり、先送りをされている事を果たして何人の方がご存知であろう。ある意味で「小沢氏がハメられた」事件なのである。小沢氏を好き嫌いで判断をしたのであれば、間違いなく禍根を残すことになる事は明らかである。

よく、小沢氏をt韓国系の人間だという記事を見かけるのだが、あの話の出所もnikaidoだということは知られていることなのであるし、東北の知人らが笑って言うのは、小沢氏の顔は「東北人」の顔だと言う。真にしょうもない話が伝わるものだと言うのが、共通の認識である。

しかし、今回の記者会見で少なくても日本にいる海外のメディアには、昨年来の西松事件や4億円の不記載の根本的な裏事情が知れてしまったという事になる。結果、日本のメディア報道のあり方、つまり「恣意的・偏向的」であることが世界中に知れ渡ったということでもある。

それでも、一切報道をしない海外の特派員達は、どんな目で日本のメディアをみているものなのか聞いてみたいものである。

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 民主党の小沢一郎幹事長をめぐる政治資金規正法違反事件では、各メディアが小沢氏に関する疑惑を報じる中、検察は小沢氏の秘書ら3人を起訴し、小沢氏自身は不起訴とする方針を固めた。検察はなぜ小沢氏への捜査を行い、なぜ不起訴という結論に至ったのか。また、多くのメディアが検察と一体化したかのような報道を行った背景には何があったのか。

 共同通信社で司法記者を担当した魚住昭氏と東京地検などで検事を務めた郷原信郎氏は3月8日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見し、検察の“小沢捜査”の背景を語った。

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なぜ小沢捜査は行われたのか

魚住 今の日本は大きな問題を抱えています。それは検察庁という行政機関が巨大な力を持ちすぎて、誰もそれを統御できないということです。その上、検察は組織が腐敗し、かつ捜査能力が極端に低下しています。検察の暴走、腐敗、能力低下の3つが同時進行しているのです。それを如実に示したのが小沢幹事長をめぐる一連の捜査でした。

 2009年3月、西松建設関連の政治団体から2100万円の偽装献金を受け取った疑いで、小沢氏の秘書(大久保隆規氏)が政治資金規正法違反の疑いで逮捕されました。これは従来の常識では考えられない出来事でした。過去の摘発例を見ると1億円を超える裏献金を受け取った政治家が立件されたケースはありますが、政治資金収支報告書に記載されているオモテの金で、額が2100万円に過ぎないのに立件するというのは異常なことです。

 しかも衆議院選挙を目前にした時期に、検察は従来の立件のハードルをガクンと下げて、野党第1党の党首側近を逮捕しました。当然ながら、「この捜査は不当な政治介入だ」と世論の強い批判を浴びました。一部では、「当時の麻生政権の要請を受けて行われた国策捜査だ」という意見もありましたが、私はそうは思いません。検察はその時々の政権の意のままに動くような組織ではありません。特捜部の検事たちはいつの時代もそうですが、多少無理をしてでも政治家がらみの事件をやって手柄をあげ、マスコミの脚光を浴びて出世の足がかりにしたいのです。

 問題は「特捜部の暴走を検察の上層部がなぜ止めなかったか」ということです。私は上層部の判断の背景には「小沢政権ができることに対する忌避感があったのではないか」と疑っています。

 小沢氏はもともと検察と仲が良くありません。しかも彼は脱官僚、つまり検察を中軸とする中央官僚機構の解体・再編を目指すと公言している政治家です。「そんな人が首相になったら困る」という上層部の思惑が微妙に作用したのではないか。そうとでも考えなければ理解できない異常な捜査でした。

 2009年末から表面化した陸山会の土地購入をめぐる事件は、西松建設の事件で世論の批判を浴びた検察がその失地回復のために行った捜査でした。つまり、検察のやったことを正当化し、「小沢は金に汚い悪質な政治家だ」ということを証明するために行われたものです。

 この第2ラウンドの捜査でも検察は敗北しました。大物政治家を2度も被疑者として調べながら、起訴できないというのは、検察にとって戦後最大級の失態です。捜査が失敗した理由は明白です。「小沢氏の当時秘書だった石川知裕衆議院議員に5000万円の闇献金を渡した」という水谷建設(水谷功元会長)側の怪しげな証言を信じ込んだからです。

 まんじゅうに例えると、アンコに当たる部分が5000万円の闇献金で、皮に当たる部分が4億円の土地購入の不記載です。皮の部分の4億円の不記載は、煎じ詰めると「土地の購入時期を2~3カ月ずらして政治資金収支報告書に書いた」という形式犯に過ぎません。5000万円の闇献金がその土地購入費にあてられたというアンコが立証されなければ、スカスカの皮だけのまんじゅうになって食べられたものではありません。

 ところが、検察が信じた水谷建設側の供述はうそ話だった。アンコが腐っていたんです。石川議員が否認を貫き通せたのは、まったく身に覚えがない事実だったからです。あらかじめ決めたターゲットを摘発する、つまり「小沢を狙い撃ちする」という捜査の常道に反することをしたから検察は失敗したのです。今回の事件だけでなく、10年あまり前から検察は同じような不純な捜査を繰り返すようになっており、検察の劣化・暴走が目立つようになりました。

検察の劣化・暴走が目立つようになったワケ

 なぜ検察はそうなってしまったのか?

 重要なポイントだけを挙げると、1つは検察の裏金問題です。検察は少なくとも1999年まで、年間5億円前後の裏金を組織的に作り、幹部の交際費、遊興費にあててきました。検察はその事実を全面否認したばかりか、2002年にはその裏金作りを内部告発していた三井環という中堅幹部を口封じのために逮捕しました。これは恐ろしい権力犯罪ですが、日本の主要なメディアはきちんと批判しませんでした。検察が最も大事な情報源であるため、その検察の機嫌を損ねて情報がもらえなくなるのを恐れたからです。

 これを別の角度から見ると、検察は主要なメディアに対する影響力を保ち、自らの恥部を覆い隠すためにも常に大事件をやり続けなければならない。そういう自転車操業的な体質を身に付けてしまったと言えます。この裏金問題は、検察組織のモラルハザードを深刻化させました。上層部が「自己保身のために何をやってもいいのだ」というお手本を示したのですから当然でしょう。

 2つ目の理由は、今も触れた主要な新聞・テレビメディアと検察の癒着関係です。検察の暴走をチェックすべきメディアがその役割をほとんど果たしていません。

 3つ目の理由は、裁判所と検察の癒着です。日本では起訴された案件の99%近くが有罪になります。起訴事実を否認して無実を主張すると、1年も2年も身柄を拘束されます。検察の言い分を裁判官がほとんど認めるので、裁判所は検察の暴走をチェックする役割を果たしていません。

 つまり、検察をメディアと裁判所が強力にサポートする体制ができあがっているのです。だから検察の力は巨大なのです。法律の上でも検察の幹部人事は国会の承認が必要ではありません。選挙による民意のコントロールも利きません。

 一方、日本の政党勢力の方はどうでしょうか。政権与党の民主党は大雑把に言うと、新自由主義者と社会民主主義者、つまり小さな政府論者と大きな政府論者の寄り合い所帯です。そのため、とても壊れやすく、政策の方向性を決めるのが難しい。国民新党や社民党と連立を組んでいるのでなおさらです。

 それでも民主党を軸にした連立政権がとりあえず機能しているのは、小沢という求心軸があるからです。彼が内政においては「反小泉構造改革」、つまり社会民主主義的な所得の再分配、それに「脱官僚」、つまり従来の官僚主導政治の改革、外交においては「対米自立路線」、この3つの基本政策を打ち出すことで、民主党左派や社民党、国民新党の支持を取り付け、民主党内の新自由主義者たち、反小沢勢力をおさえこんできました。

 ところが、今回の事件で小沢幹事長は自らの金権体質を国民に批判され、深手を負いました。長崎県知事選の敗北(2月21日)も重なって、彼の求心力はかなり弱まったと思います。

検察中心の刑事司法の仕組み

郷原 私の西松建設事件と陸山会事件についての見方も、今、魚住さんが話したこととほとんど変わりません。検察の能力が極端に低下し、そういう言ってみれば最低レベルの事件しかできなくなっているのに、まったくマスコミなどから批判されないまま、それがまかり通っているというのが現在の状況です。

 魚住さんは司法記者として検察を外から見てこられた人ですが、私は23年間検事として仕事をして、検察の中にいました。それだけに今の検察の状況については、驚きというか「絶望を感じるほど問題だ」と思っています。そこで、私の方からは「なぜ検察がこういう状況になってしまったのか」「日本の検察には組織としてどういう特徴があるのか」ということをお話ししたいと思います。

 日本の検察は、刑事司法に関して全面的な権限を与えられているところに特徴があります。すべての刑事事件について、検察官は起訴や控訴をする処分権限を持っています。そして、検察官は「犯罪事実が認められる場合でも、あえて起訴をしない」という訴追を猶予する権限も持っています。この2つによって検察は、刑事司法に関して絶対的な権限を持っています。

 このような検察中心の刑事司法の仕組みは、殺人や強盗、薬事犯のようなアウトローによる犯罪、社会の周辺部分と言いましょうか、あまり社会生活や経済活動などに影響を及ぼさないような犯罪現象を前提として構築されたと考えていいと思います。

 殺人や強盗、薬事犯のような犯罪であれば、「反道徳的」「非倫理的」という社会の評価はもう定着している、あらかじめ決まっているわけですから、検察官は価値判断をする必要がありません。とにかく証拠があれば、起訴をすればいい。その証拠が不十分であれば裁判所が無罪にする、それだけのことです。

 ところが、例えばライブドア事件、村上ファンド事件のような経済分野の犯罪現象、今回問題になっているような政治資金規正法違反などの犯罪。こういった違法行為は、案件数としては限りない数、世の中に存在しています。その中からどの事件を選んで処罰の対象にするのかということに関しては、処罰する側、摘発する側の価値判断が求められています。

 ですから、そういう社会的、経済的、政治的に大きな影響を及ぼす事件については、検察官はそういう犯罪に対してどういう基準で悪質性や重大性を判断し、どういったものを摘発の対象にしていくのかについて明確な基準をあらかじめ示す、最低限検察の内部では明確にしておく必要があります。

 ところがそういった基準が明確にされないまま、一般の殺人や強盗のような事件と同じように、「犯罪がある限り、それを処罰するのは当たり前だ。検察は何をやってもいい」という考え方で、全面的に検察のアクションが容認されてしまうという、そこに最大の問題があります。

政治資金規正法は何のためにあるのか?

 先ほど魚住さんが言われたように、西松建設事件までは1億円以上の裏献金事件、献金自体が隠されたような事件が、政治家の政治資金規制法違反による摘発の対象にされていた。ところが西松建設事件では、それよりもまったくレベルの低い、悪質重大とは到底思えないようなことを摘発の対象にしました。しかも、それが政治的に非常に大きな影響を生じさせました。

 陸山会の事件で最終的に検察が起訴した事実というのは、先ほど魚住さんが言った、不動産の取得時期のズレの問題、それとその不動産の取得の際に小沢氏が一時的に立て替えたお金の流れが収支報告書に記載されていなかったという、極めて形式的な問題でしかありません。

 政治資金規正法というのは、政治の世界のルールを定める法律です。それが「どのような趣旨・目的で定められているのか」ということを明確にし、「どのようなことを国民に対して開示することが求めているのか」ということをしっかり理解すれば、「どのような行為が悪質重大であるか」「どのような行為が軽微なものか」ということの判断は可能なはずです。

 このように日本の社会、そして国民が政治や経済、社会に関する重要な価値判断の部分まで“検察の正義”というところに全面的に委ねてしまっている。魚住さんが先ほど言われたように、これが日本の社会に危機的な状況が発生している根本的な原因になっています。

 まず今、必要なことは日本人全体がこの検察の正義というマインドコントロールから脱することです。人が集まってできている組織なので、そこでは必ず間違いが起きる可能性があります。そして、とりわけ検察の場合は、一度判断したことを後で訂正することが難しいわけです。大きな影響を生じさせてしまうと、「それが間違いだった」ということを後で言いにくい。その分、一度犯した間違いがもっと大きな間違いになってしまう可能性があります。そういう検察の間違いが社会にとって致命的な間違いにならないように、検察にも一定の説明責任、そしてその判断の根拠に関する資料の開示責任というものを常にきちんと負わせていく必要があります。

 ところが先ほど言いましたように、日本の刑事司法というのは、殺人や強盗のような価値判断不要な伝統的な犯罪を前提に作られています。検察官にはほとんどと言っていいほど、説明責任も、そして資料については透明性も求められていないわけです。

 そういう検察に対しては、マスメディアと政治とが権力バランスをうまく保っていくことが不可欠だと私は思います。ところが先ほど魚住さんが言われたように、日本のマスメディアは基本的に検察と一心同体の関係であり、検察に対する批判的な報道や検察のアクションを疑うということをまったくしません。「それはなぜか」というと、検察が“いい”事件をやることが基本的にマスメディアにとって利益になることだからです。利益共同体のような存在です。

 そして、日本では歴史的に、「政治は検察の正義に対して介入してはならない」とされてきました。「検察が判断する通りに事件をやることが正義であり、それに政治的に介入すること自体が悪だ」という風にされてきました。ですから、政治は検察に対するチェック機能をほとんど果たしてきませんでした。

 自民党中心の政権がずっと続いていた時代には、そのこと自体はあまり問題ありませんでした。なぜかというと、検察も政治的に大きな影響を及ぼさないように自制的に権限行使をしてきたからです。しかし現在の日本は、国民の主体的な選択によって政権が選択され、それがまだ不安定な状況です。こういう状況において検察は、「検察の権限が政治的に不当な影響を及ぼすことについての危機感というものを、もっと強く持つ必要があるのではないか」と思います。

検察とメディアが一心同体となる理由

 会見後に行われた質疑応答では、検察と政治の関係や検察とマスメディアの関係などについての質問が投げかけられた。

――小沢氏に対する捜査はまだ続けられると思いますか?

郷原 「まだやりたい」という意欲は検察に残っていると思います。しかし、さすがに小沢関連事件の摘発を2回試みて、両方とも大失敗に終わって、3回も試みるということは検察の常識としては考えられません。そこまでいくと、もう常識を超えた異次元の世界になってしまう。ちょっと私は想像したくありません。

――検察が政治に与える影響についてどのように考えていますか?

郷原 私が最近思うのは、民主党政権側が検察に対して非常に萎縮しているような感じを受けます。官邸サイドもそうですし、党サイドもそうなんです。ここまで検察のアクションがでたらめで、しかも大きな政治的影響が生じているわけですから、「どこが間違っているのか」ということを堂々と言って、検察を批判してもいいはずなのですが、それがまったくできない。

 それは1つには、マスメディアが戦前の統帥権干犯※のように、検察に対する介入を徹底的に批判するということが原因だと思います。もう1つは、ここまで検察によるアクションのレベルが落ちてくると、みんな胸に手を当てて考えてみると、「自分もやられるかもしれない」と思い始めます。それがベースになって、「検察が怖い」と思う原因になっているのではないでしょうか。これはある意味で恐ろしい現象じゃないかと思います。

※統帥権干犯……1930年にロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣に対して、「統帥権の独立を犯すもの」として野党や軍部などが反発した事件のこと。以後、政府が軍部に介入しにくくなり、政党政治が弱まるきっかけとなった。
――報道にたずさわる人間と検察とがクローズドな形でコミュニケーションをとっていることについてどう考えますか?

魚住 記者クラブについて申し上げます。記者クラブ自体が特殊なのですが、検察庁を担当している司法記者クラブというのはさらに特殊な記者クラブです。どこが特殊かというと、検察庁という行政機関の方が記者クラブより圧倒的に力を持っていて、検察庁の気に入らないことをしたら出入り禁止になるという規則があります。それから、テレビカメラが入れません。司法記者クラブの力が検察庁より圧倒的に弱いがために、そういう特殊な慣行がいまだに続けられている。

 なぜ圧倒的に弱いかというと、検察庁がものすごく貴重な情報を持っているからです。「自分の会社だけでもその情報をもらいたい」という気持ちがあって、1つにまとまれないんですね。これは逆に言うと「検察庁の分割統治が成功している」ということです。

郷原 本当の問題は今、司法記者クラブに所属している記者の問題ではないと思うんですね。むしろ、司法記者クラブ出身のもっと上の遊軍と言われる人たちにあると思います。そういう人たちは検察幹部や法務省幹部と個人的なつながりを持っていて、むしろそういったところが(司法記者クラブ所属の記者より)貴重な情報をつかんできます。

 その人脈は彼らにとって財産です。「自分が貴重なつながりを持っている相手が常に正義であって、正しい」という前提が維持されると、その情報源が生きてくるわけですね。ですから、もしその前提が崩れてしまうと、長年にわたって築き上げてきた記者としての財産が失われてしまいます。そのため、検察と司法記者クラブ系メディアの一心同体的な関係ができあがる、というところに最大の問題があると思っています。

――先ほど魚住さんは10年前くらいから検察の劣化・暴走が目立つようになったとお話しされましたが、その具体的な例を教えてください。

魚住 いちいち挙げていったらキリがないのですが、例えば1997年前後に行われた不良債権の処理に絡む捜査ですね。最終的に最高裁で無罪になった、日本長期信用銀行の特別背任事件(参照リンク)が特徴的です。要するに長銀の経営破たんの責任者を処罰することが時効でできなかったので、経営破たんの後始末に入った人を逮捕して、スケープゴートとして国民の前に差し出したというような事件でした。

郷原 2009年9月に出した『検察の正義』という本の中で詳しく書いていますが、私は2000年前後以降、特捜検察がやった事件でまともな事件は1つもないと思います。やればやるほど、どんどんやることのレベルが落ちている。それが実情だと思います。

 普通なら、企業であればいいものを作らなければどんどん売れなくなる、どんどん組織が衰退していくんですね。ところが検察の場合は、その商品が消費者に評価されるのではなくて、ほとんどマスメディアを通じてしか評価されません。そのため、悪質性や重大性という面ではレベルの低いものしか摘発できないわけですが、それをマスメディアが評価してしまう。評価されると、「この程度でもいい」という話になって、やることがもっと落ちていく。それが能力低下を招いていった1つの負のスパイラルなのかなと考えています。

――日本には検察の捜査に対して、民主的な手段で介入できるようなシステムはありますか?

郷原 日本の法律では検察庁法14条で法務大臣の指揮権として、そのことに関する規定があります。これは検察の権限行使に対する唯一の民主的コントロールを定めた規定です。

 ですから、今、考えるべきことは「法務大臣の指揮権をいかに適切に行使するシステムを作るか」ということです。検察の権限行使を政治的に利用するような方向で、法務大臣の指揮権を不当に使うというようなことは確かに問題です。しかし、「検察の権限行使が本当に正しいのかどうか」ということを専門的な見地、第3者的な見地からチェックできるようなシステムを作ることが今、日本にとって非常に重要なのではないかと思います。