2007年5月2日水曜日

【沖縄密約】 西山太吉氏'(外国人特派員協会会見)

2007年05月02日16時43分掲載  
沖縄密約

「違法機密の暴露はメディアの使命」 「沖縄密約」報道で西山・元記者が外国人特派員協会で会見

 外国人特派員協会(The Foreign Correspondents Club of Japan)は4月26日、東京・有楽町の会議場に西山太吉・元毎日新聞記者を招き、昼食会のあと記者会見を行なった。西山氏は約1時間余、佐藤栄作政権の「沖縄返還交渉」に関する背景を詳しく説明。「日米密約の存在が米公文書公開などで明らかになっても、日本政府は一貫して『密約はなかった』と主張し続けている」と、その不条理を厳しく批判した。その論旨は筆者(池田)を含めて既に報道されているので、ここでは氏の密約報道の経緯と日本のジャーナリズムの姿勢をめぐる外国人特派員との質疑応答を紹介したい。(池田龍夫)

 ──西山さんの話されたことはすべてが正しいと思う。しかし、第一報(毎日1971・6・18朝刊3面)の「400億ドル密約」に関する記事は目立たず、このほか具体的記事がなかった。どうして、明快な記事にしなかったのか。社会党の横路孝弘衆院議員に電文コピーを渡して質問させた(72・3・27衆院予算委)のはよくない。これは政治活動で、正当な取材活動ではないと思うが…。

 西山 「請求権疑惑」は6・18朝刊だけでなく、ほかにも書いている。当時、請求権問題を追求しているリポーターは、毎日新聞の西山1人だった。従って大々的に書けば、外務省内外で「西山の記事だ」とすぐ分かってしまう。いろいろ考えたが、(1)はっきり書けば、ニュース源がバレル恐れがある。(2)「毎日」がいくら紙面に載せても、政府は否定し続けるだろう。この2点から紙面化に慎重になった。

 沖縄返還交渉をめぐって、政府に揺さぶりをかけていた社会党は私の所にしつこく情報提供を求めてきた。ずっと社会党の要請を拒んできたものの、「〝秘密〟の存在を、国民にいかに伝達するか」を考え続けていた。そして遂に(国会閉幕寸前)、横路議員への電信文コピー提供に踏み切った。「書くか書かないか以前の苦渋の選択だった」ことをご理解いただきたい。この選択には、自分自身満足してはいないが…。

 ──新聞社と記者の関係について聞きたい。あの事件に懲りて、新聞社は権力におもねり、自己規制に走ったのではないか。新聞社は貴方を守ろうとしたか。

 西山 一審で私は無罪だったが、ニュース提供者が有罪判決を受けた。この責任を痛感して、直ちに毎日新聞社に辞表を出した。これはこれとして、新聞社の根本的姿勢はダメだった。私の逮捕・起訴によって局面は暗転し、日本のジャーナリズムは政府の秘密・不正追及を止めてしまった。ジャーナリズムの自殺行為ではないか。

 ところが、米国の情報公開によって日本のジャーナリズムは大問題に気づかされ、動き始めた。柏木雄介・ジューリック日米財務担当官が合意した「密約文書」が1988年9月米国で発掘されたのを皮切りに、2000年と2002年に「密約」を裏づける膨大な米外交文書が表に出てきた。

 さらに2006年2月、当時の交渉責任者、吉野文六・元外務省アメリカ局長が北海道新聞の取材に応えて、「沖縄返還密約はあった。スナイダー米代表と自分の間で作成した文書にサインした」と爆弾発言したのである。これら動かぬ証拠を根拠に「国家賠償請求訴訟」を起こしたが、07年3月27日の東京地裁判決で「除斥期間」を理由に賠償請求は棄却された。

 私の裁判(外務省機密漏洩事件)で検察側証人に立った吉野文六氏は「知らぬ、存ぜぬ」と18回も偽証し、歴代政府はその証言を唯一の根拠に、「密約はなかった」と強弁し続けてきた。その吉野氏が「密約があった」とすべてのメディアに暴露したのに、麻生太郎外相は「外務省(「密約はない」)と、吉野発言(「密約はあった」)のいずれを支持するのか。国民は外務省を支持するに違いない」と、現在も詭弁を弄している。論理的に、政府の弁明は破綻してしまっているのだが…。

 読売まで、社説(07・3・28朝刊)で「『密約』の存在をいまだに否定し続ける政府の姿勢は、ちょっとおかしいのではないか」と指摘していた。

 ──問題の「電信文」を、どのような形で入手したのですか。これまでも「密約」はありましたか。

 西山 私は当時、「秘密文書」の存在を知らなかった。「公文書」の回覧・確認のため、外務省内で各部署の事務官が書類を日常的に持ち運んでいる。私の親しい事務官がたまたま、問題の「電信文」をコピーして渡してくれた。それを読んで、初めて「日米密約」の裏取引を知って驚いた。

 岸信介内閣の時に、「核持ち込み」の密約があった。このことは、『佐藤栄作日記』に記されている。また、佐藤首相も沖縄返還交渉の際、「核持ち込み」を密約していた。

 ──最近、中国潜水艦の火災報道をめぐって、防衛機密漏洩が問題化しました。この点をどうお考えですか。

 西山 機密には、「実質秘」と「形式秘」があるが、中国潜水艦火災は実質秘ではなく、東シナ海での火災事故に過ぎない。何故あんな騒ぎになるのか。米軍の衛星探査機が火災を検知し、防衛省に流した情報がマスコミに漏洩したことを、米側が問題視して圧力をかけてきたのだろう。一般的に公開すべき情報までが、〝防衛機密〟を盾に伏せられてしまう。政府は「機密保護法強化」を狙っている。中国潜水艦報道に当たって、メディアは「この火災事故は秘密に当たらないケース」との視点からスタートすべきだった。徒に騒ぐのはよくない。今の新聞は、政府のペースにはまっているような気がしてならない。

 一方、「沖縄密約」は実質秘だが、〝違法秘密〟は暴くべきだ。国家として守るべき実質秘はあるのだろうが、私が告発したような〝政府の違法秘密〟は許せない。

 ──最後に、西山さんの思いとアドバイスを。

 西山 日本の官僚機構は異質で、完全に閉鎖社会。欧米と違って、権力構造は〝鉄壁〝だ。外務事務次官がエンペラーのような権力を持ち、都合のよい情報しか出さないのが現実だ。〝内部告発〟が最近叫ばれているが、日本では真の〝内部告発〟を期待できない気がする。だからこそ、この〝鉄壁〟を破るには、メディアの力しかないのだ。〝特ダネ〟にはイレギュラーな要素がつきまとう。〝違法機密〟のネタは並大抵のことではとれない。

 日本の民主主義のレベルは低い。一方、政府権力は情報を守ろうと狂奔する。そして、機密保護法を強化し、都合のいいように情報操作して国民を誘導する。日本国民は特に外交・安保に無関心すぎる。あの沖縄・参院補選の投票率が47%台とは情けないではないか。メディアも国民も批判精神をなくして時代に流されたら一大事である。ボヤボヤしていられない。

2007年05月01日11時19分
沖縄密約

物足りない在京6紙の「沖縄密約」判決報道 国家権力のウソ追及に及び腰 


  「沖縄返還協定」は1971年6月17日調印され、翌72年5月15日に沖縄は祖国に復帰した。当時の日米首脳は、佐藤栄作首相とニクソン大統領だった。「核抜き本土並み返還」が評価されて佐藤氏は74年ノーベル平和賞に輝いたが、負の遺産である「沖縄返還密約」の疑惑解明は一向に進まず、封印されたままだった。

 2000年の米外交文書公開以降、「米国が負担すべき3億2000万㌦を、日本が肩代わりする密約があった」経緯が次々明らかになり、30年近く「外務省機密漏洩事件」として葬られていた「沖縄返還交渉のナゾ」が再び注目を集めている。国家公務員法違反で有罪となった西山太吉・元毎日新聞記者が2005年4月、国を相手取って国家賠償訴訟(請求額3300万円)を東京地裁に提起。その判決が07年3月27日言い渡されたが、「原告の請求をはいずれも棄却する」と、わずか5秒の〝門前払い〟には驚かされた。
 原告側が吉野文六・元外務省アメリカ局長の「密約存在証言」など約80点もの証拠を提出、約2年・9回も審理したにも拘らず、加藤謙一裁判長は最大の焦点だった「日米密約」には一切言及せず、民法724条後段の除斥期間(20年)を盾に、肝心の「密約」に口をつぐんでしまった。密約を証明する証拠が続々出てきたのに、「除斥期間」という〝武器〟で政府側のウソを隠蔽してしまった。

 藤森克美弁護士が判決文を分析、ホームページに公表した一文が、簡明・的確なので参考に供したい。

▼歴史の真実から逃げた裁判長、裁判官

 (1)アメリカ公文書の発掘によって、沖縄返還協定内外の密約は計5本、2億0700万ドルにも及ぶ巨額なものであり、密約の大枠は1969年11月の日米共同声明発表の折の柏木雄介大蔵省財務官とジューリック財務長官特別補佐官との間で交わされた『秘密覚書』で決められていたのである。これらの事実は今や社会的、客観的に誰の目にも明らかである。密約の存在を裁判所が認めることになると、次に密約の法的評価が問われることになる。国会の承認を得ず、密約を交わすことは憲法73条3号但書違反であるし、予算の執行を伴う以上、予算に嘘を盛り込むので虚偽公文書作成・同行使(刑法156条、158条)に該当し、血税を目的外支出させることになるので、詐欺(刑法246条)ないし背任(刑法247条)に該当することは明らかであり、正に沖縄返還密約は佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相、大蔵官僚らの権力中枢の国家組織犯罪であったことを認めなければならなくなる。
 沖縄返還密約が国家組織犯罪であることを認めるとなると、西山太吉を起訴し、公訴を追行した検察官の訴訟行為は違法となるし、西山を有罪とした最高裁決定も当然誤判ということにならざるを得ない。

 (2)本判決は密約の存在について全くの言及をしていない。「争点に対する判断」中には一行一言も触れていない。歴史の真実である密約から裁判長以下3人の裁判官は正に逃げ出したという外ない。裁判を受けたというよりも行政当局の判断を受けたに等しい。裁判官が事実と証拠から目を背け、逃げ出してどうする! 司法の権威は失墜し、国民の裁判に寄せる信頼はゼロに帰したという外ない。

 (3)除斥期間による損害賠償権の消滅、国務大臣らの発言・回答は原告個人に向けられたものではないとの判断も亦、行政当局の言い訳を聞かされているに等しい。

 (4)消滅時効、除斥期間と関係ない検察官の再審請求権の権限不行使の違法の請求原因については、結論しか書いておらず、検察官が巨大な密約存在を知っていたか、知るべき立場にありながら違法な起訴と訴訟追行をした先行行為としての違法性に対する判断理由、判断過程については何ら言及していない欠陥判決である。

▼今後の方針

 (1) 沖縄返還は巨大な密約の塊であり、それらの密約は権力中枢の国家犯罪であり国民主権、官治国家でなく法治国家の立場、納税者の立場から西山さんは当然無罪の冤罪であり、その名誉は国家から回復されるべきであるので、控訴して闘いを続ける。
 (2)また、刑事再審では、時効消滅、除斥期間論で裁判所が密約判断から逃げることができず、密約の存否の判断は得られるので、刑事再審の申し立てに是非取り組みたいと思っている。

▽沖縄県2紙が、判決当日の夕刊に速報

 当初「知る権利・取材の自由」をめぐって政府と報道機関の間に激しい論争があったが、「外務省女性事務官を欺いての取材→国家公務員法違反の罪」に擦りかえられて、「国家権力のウソ」が隠蔽され続けたのが、沖縄密約裁判30数年の流れである。従って、今回の判決についての検証紙面を期待した。果たして、各紙はどう応えたろうか…。

 3月27日の判決言い渡しが午後1時半すぎだったため、夕刊に間に合わなかったのはやむを得まい。ところが、沖縄県の『琉球新報』と『沖縄タイムス』は夕刊最終版一面トップに「西山敗訴」を報じていた。際どい時間帯だったのに、一部地域とはいえ速報に踏み切った価値判断を高く評価したい。沖縄県紙は、米軍基地の動向に本土紙より厳しい目を注ぎ続けているが、現在の米軍再編問題に絡めて「沖縄返還密約裁判」も執拗に追っており、28日朝刊でも大々的に紙面展開していた。
 もう一つ驚かされたのは、『北海道新聞』が28日朝刊一面トップに報じていたことだ。同紙は昨年2月、「吉野証言」をスクープしており、裁判の行方を熱心にフォローしていたに違いない。

 在京六紙(28日朝刊)を点検すると、『東京新聞』が社会面トップに報じた以外、朝日・毎日・読売・日経・産経すべて第二社会面3段扱いだった。政治的に難しい事件だけに、各紙の分析・視点の置き方を知りたかったが、残念ながら物足りない紙面だった。

 六紙のうち社説を掲げたのは三紙だけで、『読売』は「『密約』の存在をいまだに否定し続ける政府の姿勢は、ちょっとおかしいのではないか。……外務省の元アメリカ局長は『密約とは公表されていない交渉内容。この問題は米側文書で公開された』とも語っている。『外交秘密』として保護すべき正当な理由は、もはや見当たらない」と述べ、『東京』は「すでに相手側が公表している事実を秘密にすることは、少なくとも外交上は必要性がない。強いて理由をあげれば、『平和的に領土を回復した』と称えられた佐藤栄作首相(当時)の栄誉を傷つけたくない、ぐらいだろう。司法は存否を判断しないことで、国民を欺く、政府の密約隠しに協力したことにならないか」と指摘していた。『朝日』社説は一日遅れだったが、『毎日』が書かなかったのは腑に落ちない。

▽「日米関係の基礎 空洞化」

 米国の公開文書から「沖縄返還密約」を発掘した我部政明・琉球大教授が『琉球新報』(3・28朝刊)に寄稿した論評の一部を紹介したい。
 「確かに、この判決は、密約の存在を認めない日本政府の短期的な利益を守った。しかし、日米両国民の信頼のもとに長期にわたり安定させるべき重要な二国間関係の基礎部分に空洞を作ってしまった。この裁判を通じて国民は、政府はやはりウソをついていたと知ったのではないか。国民の政府への信頼感が失われては、成熟する民主主義国家とはいえない。慰安婦の存在を否定する現政権への海外からの視線が厳しいのと同様に、国民への情報公開に消極的な政府は見放される。

 もう一方でこの事件は政府が秘密にする情報と、どのように対峙すべきかメディア自身に問うていた。メディアは国民の『知る権利』の代理人である。それ以上でも、それ以下でもない。取材する側の特権がメディアに与えられているはずもない。この裁判をめぐる報道に、情報源を守りながらも報道の透明性の確保こそが、国民からの信頼に応えることだとの言及は乏しかった。その背景には、情報を握る政府への接近が、ときに記者をして権力におもねることを厭わない素地があると指摘できよう。それは、取材側が日々接する政治家や官僚の視点に、自ら立つという勘違いをすることではないだろうか。こうした事態が起きるとき『知る権利』は存在しなくなる。だからこそメディアにとっての『知る権利』は、権力に向かっては自らを奮い立たせるエネルギーであり、自身に向かっては市井の視点を知る『知る原点』となろう」

 実に含蓄に富む指摘で、それだけに「沖縄密約事件」の更なる検証と執拗な追究の重要性を痛感する。


2007年04月03日15時30分
沖縄密約

沖縄返還「密約」の判断を回避 東京地裁の「西山・国賠訴訟」判決 


 「原告の請求をいずれも棄却する」─。3月27日の東京地裁「沖縄返還密約・国家賠償訴訟」で言い渡された判決は、素っ気ない主文のみ。約2年間口頭弁論を積み重ねてきたのに、加藤謙一裁判長はわずか5秒で〝幕引き〟を宣言して退廷した。まさに、司法の名の下に国家権力側が示した〝門前払い〟である。

 1971年6月に日米間で調印された「沖縄返還協定」に関する公電を外務省女性事務官から入手し密約を暴いたスクープは、佐藤栄作政権を揺るがす大問題に発展した。毎日新聞の西山太吉記者=当時=(75)が国家公務員法違反で逮捕され、一審無罪のあと二審で逆転有罪、最高裁で有罪(懲役4月執行猶予1年)が確定したものの、「知る権利」が大きな争点の事件として特筆される裁判だった。

 事件から約30年の歳月が流れ、〝風化〟の扉を破ったのが、「日米密約」を裏付ける米国外交文書公開である。2000年と2002年に封印を解かれた米公文書により、「密約はなかった」と強弁していた日本政府のウソが白日のもとに曝されてしまった。〝国策捜査でペンを奪われた〟西山氏は故郷に長らく蟄居していたが、「政府の謝罪と3300万円の賠償」を求めて2005年4月東京地裁に国家賠償請求訴訟を提起した。次いで06年2月、日米交渉に直接関わった吉野文六・元外務省アメリカ局長が従来の否定発言を翻して、「日米密約はあった」とマスコミに証言、政府はさらに窮地に追い込まれた。

 政府の密約否定の〝ウソ〟を大方の国民は察知しており、今回の東京地裁判決が極めて注目されていた。ところが、加藤裁判長は、最大の焦点だった「日米密約」には一切言及せず、「仮に違法な起訴や誤った判断があったとしても、賠償請求権は民法の除斥期間(20年間)を過ぎて消滅している」として、原告の請求をすべて棄却して「密約」を封印してしまった。

 原告側が9回の口頭弁論の場に提出した証拠は約80、その中で「検察官らに24の違法行為があった」とも指摘したのに対し、被告側(国)は実質審理に応じる姿勢を全く示さず、形式論理に終始。「密約論議の土俵には上がらない」との姿勢で臨み、「除斥期間」を盾にした判決を引き出す法廷戦術に出た。

 東京地裁が公表した「判決要旨」はB5判約14頁で、「争点」を(1)刑事事件の高裁判決及び最高裁決定は誤判か(2)原告に対する被告公務員の違法行為の有無(3)民法724条の適用の当否(4)原告の損害の有無及び程度等(5)名誉措置の必要性――の5点に分類。このあと「裁判所の判断」が明記されている。苦渋に満ちた判決文を通読して、「初めに結論ありき」の印象を受けたので、原文に忠実に要点を紹介しておきたい。

   「沖縄密約・国賠訴訟」東京地裁判決の骨子

[民法724条後段適用の当否]
 民法724条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきであるから、除斥期間の主張が信義則違反または権利濫用であるという主張は、主張自体失当であると解すべきである。

 原告主張の(国家公務員法違反にかかわる)違法行為については、これらの各行為から20年を経過した後に本訴が提起されたことが明らかであり、かつ、民法724条後段の規定の適用を妨げる事情は証拠上何ら認められないから、仮にこれらの行為について不法行為が成立するとしても、国家賠償法4条及び民法724条後段により、これらの行為に関する損害賠償請求権は既に消滅したとものというべきである。

 従って、原告主張の違法行為に関する請求はいずれも理由がない。

[検察官、政府高官及び国務大臣の原告に対する違法行為の有無]
 本件に顕れた一切の事情を検討しても、検察官において、本件刑事事件につき具体的に再審請求をしなければならない事情があるものとは考え難く(検察官でなければ再審請求をすることが著しく困難であるとの事情も見当たらない。)、検察官がその義務を負うものと認め難いというべきである。そうすると、検察官が再審の請求をしないことが、国家賠償法上、違法な行為であるとはいえず、この点についての原告の主張を採用することはできない。

 原告が指摘する国家公務員及び国務大臣らの発言・回答は行政活動に関する一般的なものにすぎず、原告個人に関してされたものとはいえないし、一般人の普通の注意と読み方・聞き方を基準として、当該発言回答が原告に関するものであることを認識しうる程度に特定性・具体性を有しているということもできない。原告主張の違法行為(羽田浩二外務省北米第一課長の回答及び河相周夫外務省北米局長の発言)においては、「西山氏の御発言については承知しておりません。いずれにせよ同氏個人の御発言について政府としてコメントする立場にないと考えます」との回答ないし「…日米間の合意というのは日米返還協定がすべてでございまして、それ以外の密約は存在していないということでございます。」との発言が、一般人の普通の注意と読み方を基準として、原告の社会的評価を低下させるに足りるものであると認めることはできない。したがって、この点についての原告の主張は理由がない。

 原告は、平成12年5月24日ころ、朝日新聞の米公文書発見報道に対して、外務省職員と河野洋平外務大臣は、吉野文六に電話して、「(報道の問い合わせに対して)『密約はない』と否定してほしい。」と懇願し、原告の名誉回復の機会を奪い、この行為は原告に対する不法行為を構成すると主張する。しかし、外務省職員と河野洋平外務大臣が上記行為をしたと認めるに足りる的確な証拠はなく、この原告の主張を採用することはできない。

 よって、その余の点について認定・判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないことに帰する。

        ――――◆――――

 原告側は「時効の起算点は、米公文書が発掘・報道された2002年6月とすべきだ。除斥期間を画一的に当てはめることは公平に著しく反し、権利乱用に当たる」と主張したが、上記のような〝三百代言〟的判決で、賠償請求の道を断ち切ってしまったのである。

 閉廷後、東京地裁内の記者クラブで西山太吉氏と藤森克美弁護士が記者会見、次いで弁護士会館で「沖縄密約訴訟を考える会」の報告会も開かれ、両氏から〝肩透かし判決〟に対する厳しい批判と今後の決意が表明された。

 西山太吉氏 こちらが目指したものは、全部肩透かし。想像していたものの中で、一番グレードの低いものが出てきた。除斥期間という武器で何でも抹殺できる、これが国家機密裁判だ。行政のメンツを守るためだけで、日本に司法がないことを証明するような判決だった。歴代外相が密約を否定し、それを社会、メディアが容認する。これは先進国じゃない。
 権力は〝鉄壁〟…生やさしいものじゃない。しかし、法廷は自分にしかできないジャーナリズムの場。勝ち負けはあるにせよ、問題を発信し続けていくことに意義がある。

 藤森克美氏 密約の存在に触れず、除斥期間という一番楽な方法で結論を導き出したと言わざるを得ない。木で鼻をくくったような判断で、非常に志の低い判決だ。控訴はもちろんだが、民事では〝つまみ食い〟判断されやすい。この際、(除斥期間で逃げられず、密約の存在の判断を避けられない)刑事再審を求めたいと考えている。

 吉野文六・元外務省アメリカ局長は2006年2月、北海道新聞の取材に応じ、「沖縄返還交渉当時の米国はドル危機で、議会に沖縄返還では金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れもあったため、沖縄が返るなら(本来、米国が負担すべき)土地の復元費400万ドルを日本が肩代わりしましょうとなった。当時の佐藤栄作首相の判断だ。……交渉当初は米国が無償で沖縄を返すと言うので、佐藤首相もバーンとぶち上げた。ところが、先ず大蔵省が折衝を始めたら、米国はこれだけ日本でもってくれとリストを出してきた。外務省は驚きましたよ。(協定7条で日本側が負担する)3億2000万ドルだって、核の撤去費用などはもともと積算根拠がない。いわばつかみ金。あんなに金がかかるわけがない。費用を多くすればするほど『核が無くなる』と国民が喜ぶなんていう話も出た。3億2000万ドルの内訳なんて誰も知らないです。……西山さんの言っていることは正しい。だから機密扱いなんです」と初めて密約を認めた(道新06・2・8朝刊)。

 この後も各報道機関に同趣旨の証言をしており、密約問題のキーマン的存在になった吉野氏だが、今回の判決内容を聞いて「西山さんは本物の電文(公電)を入手して報道したがゆえ罰せられた」(毎日07・3・28朝刊)、「法律の目的は真理の探求ではなく、みんなが平和に収まることだから、この判決は妥当だと思う。ただ、僕は裁判で罰せられても真理を探究する西山さんは偉いと思う」(道新同日朝刊)などと、感想を述べていた。

 「沖縄密約訴訟を考える会」世話人の田島泰彦・上智大学教授は新聞数紙の取材に答え、「米公文書や吉野発言などで密約は証明されており、西山さんを国家公務員法違反で有罪とした根拠はなくなった。当時と状況は変わっているのに東京地裁判決は全く触れず、除斥期間を中心とする法的な形式論だけで退けてしまった。司法が本来すべき判断を示さず、歴史の真実を隠した。非常に残念な判決だ」と、地裁判決を厳しく批判している。

 原告側は東京地裁判決を不服として控訴。一貫して「密約」の存在を否定している政府の厚い壁に挑む原告側との厳しい攻防は、今後さらに続くに違いない。



2007年02月22日10時47分掲載  
沖縄密約

「沖縄返還密約」裁判の今日的意義 3月27日に「国家賠償訴訟」判決 


  太平洋戦争後27年間も米軍占領下にあった「沖縄」が、祖国に復帰したのは1972年5月15日。あれから35年の歳月を経て、沖縄は〝平和の島〟を取り戻せたろうか。今なお米軍基地の75%が集中している現状は深刻である。在日米軍再編をめぐる動きが大きな政治課題になっている今、沖縄返還時の「密約」に関する裁判が注目されている。
 「密約の存在」をスクープした西山太吉・毎日新聞記者(当時)は、佐藤栄作政権の国策捜査(外務省機密漏洩の疑い)で有罪判決を受け、30余年蟄居し続けてきた。その西山氏が2005年4月25日、「密約を知りながら違法に起訴したうえ、密約の存在を否定し続けたことで著しく名誉を傷つけた」と、国に謝罪と約3300万円の損害賠償を求める訴訟を提起。1年半に及んだ東京地裁(加藤謙一裁判長)の口頭弁論が昨年末結審し、3月27日に判決が下される。

 沖縄返還密約を告発した西山氏が、30数年前の日米関係と現在の米軍再編の類似性を的確に指摘しているので、その一部を紹介したい。
 「〝歴史は繰り返す〟というが、今回の日米軍事再編の動きをみていると、まさに、あの沖縄返還時の手法そのものの再現といっても、決して言い過ぎではない。いや、〝繰り返す〟というよりは、あの当時まいたタネが、その後芽を出し、どんどん成長して、この手狭な庭園の中で、必要以上に深く、広く根を張りめぐらすほどの巨木としてもはや、ちょっとやそっとで動かすことのできない存在にまでなったと言ったほうがいい。しかも、この巨木の周囲には、〝立ち入り禁止〟の柵が張りめぐらされた感すらする。

 これまで、二度にわたって公開された米国の外交機密文書(2000年・02年)、さらには先に世間を驚かせた吉野文六元外務省アメリカ局長の証言(2006年2月)にみられるように、米国は、沖縄返還に際し二つの基本方針で臨んだ。一つは巨大な沖縄の軍事基地の自由使用であり、ほかの一つは、基地関係諸経費の日本側による肩代わりの推進である。この二大方針に基づいた米国の強い要求に対し、日本側は、大幅な譲歩をもって応じ、対米コミット(約束)を国内に流した場合の摩擦や混乱を避けるため、あるものは隠し、あるものはウソをつくといった外交史上例のない情報操作を繰り広げ、交渉成果の〝美化〟(吉野証言)に奔走したのである。

 例えば、〝核抜き〟の問題では、それを『永久秘密』とすることを予め想定してか、正式な外交ルートとは別に、『密使』をもって衝に当たらせ、表向きは〝核抜き〟をうたいながら、裏では、緊急時における核の沖縄への持ち込みについての日米両首脳による秘密合意議事録の署名という政治犯罪をやってのけた。また、返還後の米軍基地の扱いについても、『返還が先決であり、そのため実質的な話し合いは、ほとんどしなかった』(吉野証言)にもかかわらず、『都市部を中心に、基地の整理縮小を推進する』と宣伝し、『基地返還リスト』を公表したのである。これがいい加減な〝空手形〟であったことは、30数年経った今、沖縄の米軍基地が、日本全体の75%を占めているという事実が証明している。

 財政面では、米側支払いの形をとったⅤOA(ボイス・オブ・アメリカ)の沖縄外への移転や米軍基地の復元補償などを対米支払い3億2000万ドルの中に含める一方、今日の『思いやり予算』の原型ともいえる米軍施設改良・移転工事費6500万ドルを地位協定からはみ出していることと、対米支払いの増大につながる(米外交機密文書)という判断から、ついに発表しないまま実行に移し、さらに円をドルに交換して、無利子のまま米国に自由に使わせて1億1000万ドル以上の便宜供与を実施したことも公表しなかった。
 以上の対米支払い根拠の偽装と復元補償費の肩代わりや、6500万ドルの件は、返還時に暴露された電信文中に明記されていたが、ほかの問題も、すべて米外交機密文書により詳細が表面化し、吉野氏もこれを追認したのである。」

 「日米軍事再編――沖縄返還の今日的意義」と題する西山論文(『琉球新報』06・5・15~17掲載)のほんの一部を紹介させてもらったが、見事な〝今日的分析〟である。「在日米軍再編推進特別法案」が2月9日閣議決定され、〝日米軍事一体化〟が加速されている現状が、〝歴史は繰り返す〟を実証しているように映る。「今回の日米軍事再編は、日本側からの双務的協力の方向を固定化するとともに、これを拡充するための突破口をつくり出すことにある。沖縄返還が安保変質の原点であるとすれば、今度の再編はその集大成であり、究極の変質と言ってよい。このことは、憲法第9条の〝改憲〟への外堀を埋めることを意味する」という西山氏の指摘はズシリと重い。

▽生かされなかった「朝日1998年のスクープ」

 「沖縄密約問題とジャーナリズム」と題する研究会が2月3日岩波セミナーホールで開かれた。「日本マスコミ学会ジャーナリズム研究部会」主催で、マスコミ研究者やジャーナリストが多数集まって、熱っぽい論議を交わした(講師に招かれた西山太吉氏の発言内容は、インターネット新聞『日刊ベリタ(2・5)』参照を)。
 「沖縄密約問題」が再び注目されるようになった契機は、「2000年の米機密文書公開」以降と言われてきたが、それ以前に二つの重要な指摘があった。しかし ジャーナリストも研究者も追究を怠っていたことが、今回のセミナーで取り上げられ、反省をこめて「ジャーナリストと研究者の連携」などにも論議が及んだ。

 2000年の米機密文書公開以前の文書は1998年の朝日新聞記事と、1999年の政策研究大学院大学の「オーラルヒストリー」に応えた吉野文六証言の二つだが、朝日新聞98年7月11日夕刊1面トップに掲載された「特ダネ」をきっかけに、この問題を掘り下げる意識を持たなかったのは、〝ジャーナリズムの敗北〟と指摘されても抗弁の余地はあるまい。98年の朝日記事は、2000年公開文書のエッセンスが書き込まれている貴重な資料だ。
 [注=「吉野・オーラルヒストリー」が公になったのは2006年以降だった]

 「沖縄返還時/米軍移転費を秘密補償/大蔵が覚書/協定外に6840億円」との見出しを掲げたトップ記事で、「沖縄返還に日米政府が合意した佐藤・ニクソン日米首脳会談直前の1969年11月、当時の福田赳夫蔵相が米財務当局に沖縄米軍施設の移転費などを日本側が負担することを約束し、日米財務当局で秘密覚書を取り交わしていたことが、我部政明・琉球大教授が入手した米国立公文書館の外交文書や関係者の話で明らかになった。日本は沖縄返還協定に記載された対米補償額3億2000万ドル(当時の為替レートで1152億円)とは別に、在日米軍基地改善費などとして1億9000万ドル(同684億円)を秘密裏に米側に補償していた。公表分の補償額についても、核撤去費を実際より大幅に水増しし、核とは無関係の米軍施設移転費用などに転用することを黙認していた」と前文に明記していた。

 このあとの本文74行には「沖縄返還後に米大使館が作成した報告書では、沖縄返還協定に記載された対米補償額3億2000万ドルの使途についても、日本政府の公式な説明と食い違いを示している。日本政府の発表では、核撤去費用として7000万ドルが米側に手渡されたが、米側が実際に核撤去に使ったのは500万ドルに過ぎなかった。かわりに日本側発表にはない米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の移転費や『その他支出』などに計7800万ドルが使われており、核撤去費や『労働コスト増大分』の保証金が転用された実態を明らかにしている。柏木・ジューリック両氏の交渉は71年4月ごろまで続いており、同年6月の返還協定調印式までに最終的な秘密合意を結んでいた可能性が高い」など〝密約の存在〟を推察できる記述は、本質を衝くものだ。

 同紙2面の解説では、「文書は『沖縄の買い戻し』が明るみに出ることを福田蔵相ら当時の財務当局が恐れ、その費用を予算に計上させない方法に腐心しながら米側に『機密扱い』を求める経緯にも触れている。その結果得をしたのは、『より大きな経済的利益』を得た米国であり、交渉の『影の部分』を見せずに領土回復という政治的成果を達成した佐藤政権だった。……4半世紀が過ぎた今も、普天間飛行場、那覇軍港などの返還は、代替施設の建設に地元が反発し、暗礁に乗り上げたままだ。普天間基地返還に伴う海上基地建設問題などで、この『覚書』が前例になっていないか――」などと指摘していた。
 この記事から9年も経過した「沖縄基地の現実」の解説としても通用する内容ではないか。「沖縄返還の今日定意義」を痛切に感じるのである。

2007年01月05日18時07分
沖縄“密約”は明らか 「西山太吉・国家賠償訴訟」結審、3月27日に判決 


 沖縄返還交渉をめぐる“密約”問題は、35年経ってもベールに閉ざされたままだ。佐藤栄作・ニクソン日米両国首脳が交わした“密約”の存在が、米外交文書公開などで明らかになってきたのに、日本政府はいぜん隠蔽し続けている。この問題は、元毎日新聞記者・西山太吉氏(75)が1971年5月から6月にかけて入手した極秘電信文に、「米側が支払うべき軍用地復元補償費400万ドルを、日本側が密かに肩代わりする」と記載されていた事実を暴露したのが発端。佐藤政権は、密約を隠蔽するため“国策捜査”ともいえる姿勢で臨み、「沖縄返還密約事件」を「外務省機密漏洩事件」にすり替えて、西山氏と外交資料提供の女性事務官を逮捕、有罪にしたのである。その後、2000年の米外交文書公開を突破口に、“日米密約”を裏書きする新証拠が続々出てきた。

 西山氏は2005年4月25日、「密約を知りながら違法に起訴したうえ、密約の存在を否定し続けたことで著しく名誉を傷つけられた」と、国に謝罪と約3300万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。同年7月の第1回口頭弁論から1年半、9回の弁論を重ねてきた。

 第9回口頭弁論は2006年12月26日、東京地裁で開かれ、加藤謙一裁判長が冒頭「今回で弁論を終結する」と申し渡し、最終審理に入った。原告・被告双方の提出文書を確認したあと、原告代理人・藤森克美弁護士が10分余にわたって最終弁論を行なったが、裁判所に[甲70号書]として提出済みの澤地久枝著『密約──外務省機密漏洩事件』」の主要個所を紹介しながら、「密約の本質は明らか」と訴えた。淡々とした語り口に説得力があり、加藤裁判長が身を乗り出すようにして耳を傾けていた姿が印象に残った。藤森弁護士が法廷で読み上げた、澤地氏の鋭い指摘の一端を再録し、参考に供したい。

 「昭和46(1971)年6月17日の沖縄返還協定までの外交交渉において、佐藤栄作内閣ならびに外務省中枢の主務者たちによって米国政府との間に《密約》が結ばれた。相手国あっての外交であれば、限られた期間、守られるべき秘密があることは当然ともいえる。しかし、代理民主制を建前とするこの国で、国民にも知らせることのできないような国家機密は、きわめて限定されるべきであろう。譲歩につぐ譲歩、妥協につぐ妥協によって、基地の島沖縄をそのまま買いとったのが返還交渉の実情であり、蓮見→西山の連繋によって辛うじて公けになった基地復元補償400万ドル肩代わりは、いわばかくされた《密約》の氷山の一角に過ぎない。真実の全容は闇から闇へである」

 「アメリカが議会に対する約束を楯として、沖縄返還にあたり1ドルの支出もできないことを強く主張して『国益』と議会に対する信義を守ったのであれば、日本側は、国会(ならびに主権者)に対して、妥協譲歩しつつ沖縄返還の実をとらざるを得ない歴史状況・政治力学を明らかにする義務があったと私は思う。しかし、『密約なし』と国会で強弁をくりかえした佐藤首相は、日米間の電信文という動かぬ証拠をつきつけられて、あたかも政治責任をとるかのような意思表明をしながら責任を回避、検察当局は《密約》暴露に一役買った男女を告発し、いわゆる『下半身問題』を表面化させることで世論の矛先をそらさせると同時に、問題の本質を比較もならない卑小で低次元なものにすりかえてしまった」

 「『情通問題』の目つぶしをくらって世論が流れを変え後退する中で、昭和47(1972)年5月15日、傷だらけの沖縄はともかく27年ぶりに本土に復帰し、6月17日、佐藤首相は7年8ヵ月という首相としての最長不倒記録を確立して、引退の花道を去っていった。佐藤首相としては、最長不倒の記録の最後の花が、沖縄本土復帰の実現であり、その内幕について誰からもうしろ指をさされたくない心境であったことは推測できる。しかし、主権者の投票によって選ばれた政治家であり、与党であり、さらに政権担当者であることを考えれば、肩代わり400万ドルの損出を生じ、余分な税金を使った責任は、タックス・ペイヤーである国民に対して明らかにするべきものであったはずである。だいたい、基地復元補償の一点に限ってでも、ともかく日本の主張が通ったという見せかけをつくるために、わざわざ肩代わりの財源を提供する姑息な面子とはなんだったのだろうか。それが国家公務員法でいうところの『国家秘密』とよび得るものであったかどうか。ごく平静に常識的に判断をすれば、結論は『否』でしかない。だが、政治家たちや外務高級官僚たちの政治責任は問われることなく、裁きの場に一組の男女が被告人として残された。そして控訴審では西山氏一人になった」

 「法律の世界とは、奇妙な世界である。事柄の本質からみれば枝葉の部分にいる人間を国家公務員法違反の罪に問う。そして、西山氏は『国家秘密の取材』にかかわって法廷で裁かれる最初の新聞記者であった。『国家秘密』を取材した新聞記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対し欺瞞と背任をおこなった政治家を告発する法律があってもよさそうなものである。しかし、『国民の知る権利』という正統的で受身な主張はなされたが、主権者の側からの法律上の告発はなかった。選挙がそれにかわるものとして存在するわけだが、投票する側の意識にはその因果関係の自覚は希薄であったように思える。『国家秘密』とはなにか。報道の自由とはなにか。西山氏の蓮見さんに対する言動が国公法の『そそのかし』に該当するか否か。法廷の争点はここへ絞られて、沖縄返還の内実も佐藤内閣の本質すりかえの責任も法廷では問われない。起訴状にそった検察対弁護側の応酬がくりかえされるのが裁判である。それが常識・常道であるとはいえ、事件の本質の質量に比べてきわめて限定されたたたかい──。それが裁判というものに約束された世界であった」

 「沖縄返還密約事件」裁判を熱心に傍聴、最高裁判決に至る経過を検証し問題点を探り続けた作家・澤地久枝氏の分析力・洞察力に改めて敬服した。30余年前に書かれたものだが、視点の鋭さはさすがだ。「西山国賠訴訟」の最終弁論に立った藤森弁護士が、その内容の一部を引用しながら、「密約の存在」を暴く補強材料に使った意図が分かる。

 藤森弁護士は、最高決定後に発掘された「2000年・2002年の米外交文書」のほか、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』」、さらに「吉野元外務省アメリカ局長の爆弾発言」などの新証拠をあげて、原告側主張の正当性を主張。再度、澤地氏の「この事件の本質を見すえるところから私たちは歩きはじめるべきなのであろう」という下りを引用し、「その歩き始めが今回の国賠訴訟である。……真実を洞察し、歴史(の審判)に耐える判決を期待する」と述べ、最終弁論を締め括った。

 閉廷後に藤森弁護士は「2005年4月25日の提訴から1年8ヶ月、ついに弁論は終結した。当初入手できた資料は、米公文書と吉野・井川両尋問調書、刑事1~3審判決のみという手探りの状態でスタートした裁判だったが、各方面の協力を得て密約の事実および刑事判決・決定の誤判性について立証できたと思う。国側は最後まで実質的な認否・反論はせず、本質的な争いを避け、あくまでも形式論で逃げる戦術を取り続けた。裁判所においては、形式的な判断に依らず、証拠に基づく公正で厳密な事実判断と問題の本質を踏まえた実質的判断がなされるよう、裁判官の良心と勇気に期待して、2007年3月27日の判決言い渡しを待ちたいと思う」と述べ、傍聴人へ謝意を表した。

 [注]澤地久枝著『「密約──外務省機密漏洩事件」』。中公文庫版は絶版になったが、2006年「岩波現代文庫」で復刊。『第13章 新たな出発』からの引用。

【外務省】 外務省 外交文書 公開に関する規則

「外交記録公開に関する規則」骨子

【基本的考え方】

●30年経過した文書は自動的公開を原則とする。
→非公開部分は真に限定する。
→30年経過文書は「移管」又は「廃棄」を原則とする。
(「延長」は原則行わない。)
→保存期限が30年未満の文書は「延長」又は「廃棄」を原則とする。
(外交記録公開推進委員会からの特段の要求等がある場合には「移管」も可。)

●公開文書の歴史的意義等は「文書自体に語らしむ」との習慣を定着させる。

1.外交記録公開審査の対象
(1)作成から30年以上経過した行政文書
(イ)昭和53年末までに作成された文書(永年保存ファイルを含む)(約22,000冊)。
(ロ)今後、30年の保存期間が満了するもの(約2,000冊/年)。
(2)30年未満の保存期間が満了した行政文書

2.自動的公開の原則(非公開部分の限定)
●作成から30年以上経過した行政文書は、原則自動的に公開する。
●非公開部分は、現時点及び将来的に具体的な悪影響が生じるものに限定する。
情報公開法及び公文書管理法の関連規定を踏まえると、例えば、以下の情報
が想定されるが、以下に該当するものでも非公開とする部分は真に限定。
(1)個人に関する情報(個人の権利利益を害するおそれがあるもの等)
(2)法人等に関する情報(正当な利益を害するおそれがあるもの等)
(3)国の安全、他国との信頼関係等が現時点及び将来的に損なわれるもの。

①現時点及び将来的に国家の安全保障等に悪影響を与える情報
②現在及び将来的な交渉に悪影響を与える情報等

3.非公開部分に関する判断の流れ
●一次審査:官房総務課にて外務省OBも活用しつつ一次的判断を行う。
●二次審査:その上で、主管課室にて念のため必要最小限の確認を行う。
●最終判断:外交記録公開推進委員会(以下、委員会)が妥当性を判断し、
大臣の了承を最終的に得る。

4.既に30年以上経過した行政文書の公開手続(1.(1)(イ)の文書)
①委員会が、公開審査の優先順位を決定して、大臣の了承を得て、官房総務課長に
通知する(委員会の各種決定においては、有識者の意見を求めることができる。)。
②官房総務課長は移管審査を行い、廃棄・移管について判断する。(原則として延長
は行わない。)
③・④・⑤官房総務課長は審査結果を委員会に報告し、委員会はその妥当性を判断す
る。委員会は、大臣に報告し、その了承を得る。
⑥官房総務課長は、一次審査を行う。主管課室長は、期限を定めて二次審査を行い、
結果を官房総務課長に報告する。
⑦官房総務課長が必要と認める場合は、非公開部分について、主管課室長に対して、
再審査を指示できる。
⑧官房総務課長は、外交史料館の意見も踏まえ、公開審査結果(公開ファイルの非公

5.(参照) http://www.mofa.go.jp/mofaj/public/pdfs/kisoku_kosshi.pdf

6.30年未満の行政文書の公開手続(1.(2)の文書)
官房総務課長及び主管課室長は、外交史料館の意見も踏まえ、移管審査により主として
保存期間の延長又は廃棄を判断する。
(外交記録公開推進委員会からの特段の要求等がある場合には「移管」も可。)
→移管をすることとなる場合には4.の流れと同じ。

7.行政文書の廃棄手続
(1)既に作成から30年以上経過した行政文書
官房総務課長(主管課室長)が移管審査及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
(2)今後30年の保存期限が満了する行政文書
官房総務課長及び主管課室長が移管審査(保存期間満了の前年の9月に開始)及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
(3)保存期限30年未満の行政文書
官房総務課長及び主管課室長が移管審査(保存期間満了の前年の9月に開始)及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
→いずれも廃棄相当と判断される文書のリストを委員会に提示し、委員会がその妥当性を判断し、最終的に大臣の了承を得る。

8.行政文書として保存期間を延長した文書及び非公開部分のその後の扱い
→5年が経過した時点で、官房総務課長及び主管課室長が移管審査及び公開審査を改めて行う。

9.対外公表方法
(注)本件規則は、公文書管理法施行(平成23年4月予定)に伴い、関連の政令等との整合性を図るため一部見直しを行う必要が出てくるものと思われる。

→公表の手続を終えたものから、ファイル名を定期的に対外公表し、外交史料館で閲覧できるようにする。
(現在の霞クラブのみに限定したエンバーゴ付きの公表方式を改め、すべてのプレス・学者等が同時に公表情報にアクセスできる「静かな公開方式」とする。)