2011年4月26日火曜日

「チェルノブイリの教訓」の消滅


「原発はクリーン」不適切と裁定 電事連広告にJARO裁定

 電気事業連合会(電事連)が雑誌に掲載した「原子力発電はクリーンな電気のつくり方」という広告のコピーについて、日本広告審査機構(JARO)が「原子力発電にクリーンという表現を使うことはなじまない」と裁定し、電事連に表現の再考を促していたことが30日、分かった。
 裁定は昨年11月25日付。JAROが原発の広告について、再考を求めるのは異例という。
 JAROは神奈川県の男性の苦情申し立てを受け、学識経験者7人でつくる審査委員会で審議。「安全性について十分な説明なしに、発電時に二酸化炭素(CO2)を出さないことだけをとらえて『クリーン』と表現すべきではない」と結論づけ、電事連に通知した。
 申し立てによると、広告は昨年4月発行の雑誌に掲載された。男性は翌月、JAROに「事故時の放射能汚染の危険性があり、到底クリーンとは言えない」と申し立て。電事連は「発電の際にCO2を出さないという特長をクリーンと表現した」と説明していた。
 裁定には法的拘束力はなく、広告内容を変更するかは広告主の判断に任される。電事連は「裁定を受けたのは事実だが、中身についてはコメントできない」としている。

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

http://diamond.jp/articles/-/12075

「原子力はクリーンエネルギー」と、いつだれが言い出したのだろうか。

最初に聞いたのはいつだったか、どうしても思い出せないのだが、チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)の3、4年後だったと思う。  

はじめは悪い冗談だと聞き流していたが、1990年代に入ると地球温暖化の危機が国際的な大問題となり、発電時に炭酸ガスを排出しない「原発はクリーンエネルギー」として再登場したのである。

チェルノブイリの教訓で脱原発を図ったのは、イタリア、スウェーデン、ドイツ、スイスなど、欧州の限られた国だった。

  原発はたしかに炭酸ガスを排出しないが、放射性物質を出し、核廃棄物の最終処分をどうするか、まったく見通しが立っていない。

大事故が起こればチェルノブイリ事故のように国境を越えて被害を与える。常識をもって考察すれば、クリーンだとはとうてい思えないのだが、いつのまにかクリーンエネルギーになっていた。

  史上最悪の環境破壊はチェルノブイリ原発事故である。25年後の現在も半径30キロ圏内は立ち入り禁止だ。どうして「地球に優しいクリーンエネルギーの主役」に化けたのだろう。これは原子力産業と推進国政府によるPR作戦の勝利だった。

  この3月29日の衆院予算委員会で、菅直人首相は「太陽エネルギー、バイオなどのクリーンエネルギーを世界の先頭に立って開発し、大きな柱とする」と答弁している。筆者が聞いた首相の発言の中で、もっとも明確なビジョンである。

  この首相発言は、原発推進からの大転換と聞こえたが、はっきり言っていないので、あとで再転換するかもしれないが、少なくとも「クリーンエネルギー」の中に原子力は入っていない。

  一方、米国のオバマ大統領は3月30日の講演で、「2035年までに電力の80%をクリーンエネルギーでつくる。原子力は風力や太陽光発電と同様、クリーンエネルギーである」と語っている。オバマ大統領は「クリーンエネルギー」に原子力を入れている。

 「クリーンエネルギー」の言説をさかのぼっていくと、「炭酸ガスを排出しないからクリーンだ」という根拠に行き着く。

地球温暖化防止の国際会議のたびに「クリーンエネルギー原子力」のPRが増えた。  このPRの中では、核廃棄物問題はまったく出てこない。「原子力は安全ならばクリーンだ」というわけだ。当たり前である。「問題を考えなければ問題はない」と言っているだけだった。

  クリーンエネルギーという言葉は、エイモリー・ロビンズ(★注①)の名著『ソフト・エネルギー・パス』(1977)で初めて登場する。スリーマイル原発事故(1979年)の直前、チェルノブイリ事故の10年前である。

  ロビンズは再生可能な自然エネルギーをソフトエネルギーとして、原子力や石油、石炭火力に対してクリーンエネルギーだとした。ロビンズによるクリーンエネルギーの定義は、生態系に適応する自然エネルギーのことである。もちろん原子力は入っていない。

  チェルノブイリ事故は世界に衝撃を与えたが、わずか3年後の1989年、原発先進国のフランスが、炭酸ガスを排出しない原子力というコンセプトを打ち出す。

前年の1988年、米国NASAのジェームズ・ハンセンが上院公聴会で「地球は温暖化しており、原因は炭酸ガスにある」として世界的な反響を呼ぶ。地球温暖化=炭酸ガス=炭酸ガスを出さない原子力=クリーンエネルギーという図式が登場したのである。

  当時フランスではミッテラン大統領自ら原子力は炭酸ガスを出さないクリーンエネルギーだと主張し始めている。日本でも1988年版「原子力白書」(原子力委員会)で、原発は温暖化への抑止になる、と初めて記述している。

  この時点から原子力村(産官学の利益集団)は積極的に「炭酸ガスを出さないエネルギーは原子力」をPRするようになった。つまり、国民の頭に「クリーンエネルギー」を刷り込みはじめたのである。

  この議論は世界で急速に普及し、地球温暖化防止の重要な役割が原発にある、と多くの人々が思うようになった。喉もと過ぎればなんとやらである。チェルノブイリのわずか2年後のことだ。

  原子力推進の総本山IAEA(国際原子力機関)のハンス・ブリックス事務局長(★注②)の面白い発言が当時の新聞に掲載されているので紹介しよう。

 「『大気汚染問題がこんなにホットになって、驚いている』――国際原子力機関(IAEA)のH・ブリックス事務局長は、複雑な思いを味わっている。つい最近までソ連のチェルノブイリ原発事故の後遺症で世論の冷たい風にさらされていたのが、一躍大気を汚さないクリーンエネルギーとして原子力に関心が集まったからだ。」(「日本経済新聞」1989年7月21日付)

  原子力の平和利用推進と監査機関であるIAEAのトップも驚くほど、急速に原子力はクリーンだという言説が広がっていた。ハンス・ブリックス自身は眉にツバをつけて聞いていたわけである。あまりにも面白く、20年以上経っても忘れられない記事となった。

  1990年2月、通産省(現在の経産省)は1990年から2000年までの10年間を「省エネルギー推進期間」、2000年から2010年までの10年間を「クリーンエネルギー推進期間」とする「地球再生計画」を発表した。クリーンエネルギー推進のための方策が原子力推進である。

  1990年5月、環境庁(現在の環境省)は「環境白書」を発表し、この中で「環境への負荷の少ないエネルギー源としては、適切な範囲内での天然ガスの導入、また安全性の確保を前提として国際的にも原子力の重要性が認識されている」としている。

  大事故から4年、1990年に日本では完全に「チェルノブイリの教訓」は消滅したのである。  米国では1979年のスリーマイル島原発事故以来、原発の新設はストップしていた。「スリーマイルの教訓」である。しかし、湾岸戦争(1989年)によって原油の中東依存が問題視されると、ブッシュ(シニア)大統領は1991年2月、原発の新設を含む新エネルギー計画を発表する。現在も新設は進んでいないが、計画だけは出ている。

  米国ではクリントン政権をはさんでブッシュ(ジュニア)大統領、現在のオバマ大統領とも、「クリーンエネルギー原子力推進」政策を打ち出している。とくにブッシュ(ジュニア)政権時代には強く推進し、これをもって「原子力ルネサンス」と呼ばれ、日米欧の原子力産業は新興国への原発輸出競争を開始し、現在にいたっている。

  この20年間、東海村の臨界事故を除いて決定的な重大事故がなかったため、「クリーンエネルギー原子力」は人々の脳裏に焼きつくことになった。途中1997年の京都議定書をめぐる地球温暖化防止国際会議をはさみ、温暖化対策としての「クリーンエネルギー原子力」は定着していった。 

 事故から25年経過し、40歳代以下の世代はチェルノブイリ原発などまったく知らない。福島原発事故の直後、20歳代の知人5人に感想を聞いたところ、「それでも原発はクリーンですからねえ」というので仰天した。炭酸ガス排出と放射性物質の飛散は別物らしい。炭酸ガスを出さなければクリーンだというわけだ。 「いま、福島の環境は強く汚染されているんだよ」というと、「あ、そうか」とすぐに気づくのだが。

  この20年を振り返ると、日本社会党の路線転換の影響も大きい。チェルノブイリ以後、脱原発を政策として掲げていた大政党は社会党だけだったのだが、1993年2月、原発容認へ180度転換した。その後、紆余曲折を経て社会党の大多数は民主党に合流し、民主党は政権奪還後、自民党以上に新興国への原子炉輸出促進に動いている。

 はたして福島原発事故で「クリーンエネルギー原子力」の呪縛は解けるのだろうか。菅首相の「本来のクリーンエネルギー推進」のビジョンは徹底されるのだろうか。

  少なくとも、わずか4年で消滅した「チェルノブイリの教訓」とは異なり、「福島の教訓」は4年では消えそうもない。4年後、溶融した燃料棒の一部でも搬出できているかどうか、まったくわからないのである。 

★注①エイモリー・ロビンズ(1947-)は米国ロッキーマウンテン研究所所長、物理学者。ハーバード大学を経てオックスフォード大学へ。のちに米国で物理学者、エネルギー学者として「ソフトエネルギー」の推進を訴えている。 ★注②ハンス・ブリックス(1928-)はスウェーデンの政治家。同国外務大臣を経て、1981年から1997年まで国際原子力機関事務局長をつとめた。