2009年5月27日水曜日

【小沢一郎】 江藤淳

「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」

西松事件が発生し、産経新聞は江藤淳氏の「帰去来」を引用し、小沢一郎氏に引退を勧めるような記事を書いている。しかし、江藤淳氏の小沢一郎氏に対する「帰去来」の想いは、最後まで人間としての正しい生き方を続ける彼・小沢一郎への応援歌であり、政治家として原点を「田園生活の中で農民」つまり民衆の中の政治家であり続けよという事だと自分は考える。

それが、唯一小沢一郎の生きる道だと江藤氏は考えていたのではないだろうか。ゆえに、江藤氏が、病で形骸と化した自身の身の処し方を示したように思えてならない。

帰去来辞   作/ 陶 潜
帰去来兮 田園将蕪胡不帰 既自以心為形役 奚惆悵而独悲 悟已往之不諌 知来者之可追 実迷塗其未遠 覚今是而昨非 舟揺揺以軽揚 風飄飄而吹衣 問征夫以前路 恨晨光之熹微

帰去来(かえり)なん いざ
田園 将(まさ)に蕪(あ)れんとす胡(な)んぞ 帰らざる
既に自ら心を以て 形(かたち)の役(えき)と為す
奚(なん)ぞ惆悵(チュウチョウ)として 独り悲しまん
已往(いおう)の 諌(いさ)められざるを悟り
来者の 追うべきを知る
実に 塗(みち)に迷うこと 其れいまだ遠からず
今は是(ぜ)にして 昨(さく)の非なるを覚る
舟は 揺揺として 以て軽く揚がり
風は 飄飄(ひょうひょう)として 衣を吹く
征夫(せいふ)に問うに 前路を以てし
晨光(しんこう)の熹微(かび)なるを恨む

さあ、故郷へ帰ろう。
わが田園は荒れ果てようとしている。
これまで、生活のために仕官の道につき、
自らの心を犠牲にしてきたことを、恨みがましく悲しむまい。
過ぎ去った人生を後悔してもしかたがないと悟り、
これからの在り方を考えよう。
道に迷ったことも、それほど長くはなかった。
役人をやめて家に戻ると決心したことは間違ってはいない。
故郷に向かう舟は軽やかで、風は衣服をひらひらと翻す。
何と快いではないか。
気が急いて、旅人に道のりを聞いてみたりするが、
明けきらぬ薄明かりがなんとももどかしい。
陶潜は役人生活が性格的にしっくりせず、 たまたま妹が死んでその喪に行くことを契機として、 役人をやめ故郷に戻る決心をしたという。 当時四十一歳である。

人生を否定し隠遁生活をするのでなく、田園生活の中で農民と ともに生き、最後まで人間としての正しい生き方を追い求めた 姿に、人々は強く惹きつけられるのでしょう。