2010年2月28日日曜日

【新聞記事】 産経新聞(高橋昌之の小沢一郎論)

産経新聞・高橋昌之

 最近、いろんな方から「民主党の小沢一郎幹事長が夏の参院選までに幹事長を辞めるかどうか」ということをよく聞かれますし、マスコミでも話題となっているので、今回はそれをテーマに書きたいと思います。私の結論を先に言えば、「辞めない」と思います。これは私の願望ではなく、取材に基づいた見通しですので、あしからず。
小沢氏の進退問題をめぐっては、いわゆる反小沢グループとされる前原誠司国土交通相や渡部恒三前衆院副議長らが、夏の参院選までに幹事長を辞めるべきだという趣旨の発言をしているのに対し、鳩山由紀夫首相は幹事長続投で参院選に臨む考えを示し、民主党内ではこの問題がくすぶり続けています。これを受けて、マスコミや国民の間でも「参院選までに小沢氏が幹事長を辞めるかどうか」が話題になっているわけです。
 「参院選までに辞めるのではないか」とみている方の根拠は大体、次の通りでしょう。小沢氏は資金管理団体の政治資金規正法違反事件で、不起訴となったものの、報道機関の世論調査では「小沢氏は幹事長を辞めるべきだ」との意見が、おおむね7割を超えています。また、これと連動するように鳩山内閣の支持率も下落しています。このため、小沢氏は参院選への影響を避けるため、辞めるだろうということです。
 また、小沢氏は昨年5月、やはり西松建設の違法献金事件後、「衆院選で政権交代を果たすため」という理由で、党代表を電撃辞任しており、今度の参院選に向けても、選挙で勝つためだったら辞めるのではないかとの見方もあります。
 しかし、先ほど述べたように、私が小沢氏周辺を取材した結論は「辞めない」ということです。まず、第1に小沢氏は事件について、自らの潔白を主張していますが、幹事長を辞めると「やましいところがあるからだ」と必ず言われます。この観点からも「辞めない」と思います。
 第2に参院選に向けて小沢氏がどう考えているかです。ある小沢氏周辺は「鳩山内閣の支持率下落は小沢氏の問題だけではなく、鳩山由紀夫首相の偽装献金事件や政権の迷走ぶりも影響している。大体、小沢氏の問題をめぐっては事実無根であっても、あれほど『不正なカネをもらった』という報道がされれば、世論調査で厳しい結果が出るのは仕方がない。世論は今が最悪の状態で、今後は国民の理解も進んでいくだろう」と、逆風は参院選までに改善されるとの見方を示しています。
 小沢氏も22日の記者会見で、長崎県知事選敗北について「私自身の不徳の致すところで、それ(事件)が決してプラスの要因に働いたはずはない」と事件の影響を認めながらも、「自民党に勝つようになるには、個々の議員は有権者との信頼関係を一層強め、どのような状況下でも、有権者の支持を得られる民主党にならなくてはいけない」と述べました。
 これらを考えると、小沢氏は事件の影響は参院選までに沈静化するとみていて、さらに影響をなくすべく参院選対策に全力を挙げる考えとみられ、そのためにも幹事長を続投すると思います。
 第3に、昨年5月の党代表辞任と今回は、同様には考えられないということです。小沢氏は昨年の西松事件の際に自らの進退については、「党代表、総理といったポストには何の関心もない。ただ、衆院選で勝てるかどうかを物差しにして判断したい」として、事件の責任うんぬんではなく、衆院選を判断基準とする考えを表明、その後、まさにその理由で辞任しました。
 党代表や首相というポストに何の関心もないというのは、小沢氏の本音で、そういうポストはどちらかといえばやりたくないのではないかと思います。ただ、選挙の指揮は、自民党田中派時代から選挙の実務をこなし、精通してきた自分にしかできないと考えているでしょう。その証拠に昨年5月に党代表を辞任した後は、選挙担当の代表代行に就任して、選挙対策に専念しました。今回はまさに選挙の指揮をとる立場の幹事長というポストです。それを投げ出すことはしないと思います。
 第4に、小沢氏が辞任すれば、同様に「政治とカネ」の問題で追及されている鳩山由紀夫首相の立場はどうなるか、ということがあります。小沢氏が辞めれば、「小沢氏は辞めたのに、鳩山首相は辞めないのか」という声が必ず上がってくるでしょう。そうなれば鳩山首相を余計、厳しい立場に追い込むことになり、それこそまさに参院選に悪影響を与えてしまいます。そのことも小沢氏の念頭にはあると思います。
 第5に、小沢氏の政治目標は何かということです。小沢氏は常々、「政権獲得はあくまで手段。その後にどういう政治をやるかが目的だ」と語ってきました。参院選で民主党が単独過半数を獲得すれば、衆参両院を単独で制する「本格政権」になります。その後こそ、小沢氏が自らが信じる政策を断行できる、つまり政治目標を達成できる態勢ができるわけです。
 小沢氏は現在、鳩山政権発足時に鳩山首相との間で「政府は鳩山、党は小沢」という仕切りに応じ、「政府の政策には口を出さない」ことにしています。私はそもそも議院内閣制において、与党の幹事長が「政府の政策に口を出さない」というのはおかしなことだと思いますが、小沢氏としては参院選までは選挙対策に専念したいという思いもあり、そういう仕切りに応じたのでしょう。
 ただ、参院選の結果、本格政権になれば話は別です。小沢氏は与党の幹事長として、政府の政策にも積極的に関与していくだろうと思います。小沢氏には何としてもやり遂げたいと思っている政策があるからです。代表的なものは次の3つです。

 ひとつは納税者番号制度の導入による所得、格差の是正。さらに医療、年金制度を確立したうえで、消費税を廃止し、社会福祉目的を創設して、将来不安をなくすとともに公平な税制を確立することです。これらは直接税中心という国際的にはいびつな日本の税制を見直すことになり、将来的には日本経済の安定、回復、財政再建につながるものです。

 小沢氏は平成6年の細川護煕政権時に、「国民福祉税」導入を目指しましたが、連立を組んでいた社会党などの反発にあい、挫折しました。今もこの社会福祉目的税導入による社会福祉制度の確立は、何としても成し遂げたいと考えていると思います。

 2つ目は外交・安全保障政策の確立で、小沢氏の持論は「自立した外交」、「世界平和に貢献する安全保障」です。「日米中は正三角形であるべきだ」というのは一種の比喩(ひゆ)で、米国とも中国とも日本が「自立した国」として付き合うべきだということで、何も中国重視、米国軽視というわけではなく、そうならないと米中間さらには世界の中で日本の外交的価値がなくなってしまうと考えているのだと思います。

 安全保障については、凝縮すると現在の憲法9条の解釈を見直して、自衛隊を海外に派遣するための一般法を制定することです。自衛隊の海外派遣は国連平和維持活動(PKO)以外は、インド洋、イラク派遣がそうだったように、時限立法の特別措置法で行われてきました。これらは現在の憲法解釈を見直さないという範囲内でやむをえず行われてきたものですが、小沢氏は「場当たり的だ」と批判してきました。

 小沢氏は、国際的な平和活動、いわゆる集団安全保障については憲法9条は否定していないとして、新たな解釈を行い、自衛隊を海外に派遣するための原理原則、たとえば国連決議があることや、国会での議決などの手続きなどを一般法として定め、積極的に国際貢献をしていく態勢を作りたいと考ええているようです。

 3つ目は官僚政治を打破して真の政治主導を確立すること、そしてさらに政権交代可能な政治システムを構築することです。鳩山政権発足以降、事業仕分けなど政治主導の試みが始まっていますが、まだ形式的で内容を伴っているとは言い難い面があり、これを本格的なものにしたいと考えていると思います。

 また、政権交代可能なシステムというのは、仮に民主党政権が本格政権になったら、自らの政権党という立場を失いやすくするものですが、小沢氏が掲げてきた「政権交代可能な政治」とは、政治には常に国民が求めれば政権交代が起きるという緊張感が必要だという主張に基づくものです。

 政権が長期化すれば腐敗しやすいものです。私も自民党政権がそうだったように、民主党政権が半永久的政権になってしまう政治システムのままだと、やはり腐敗、堕落する可能性があると思います。政権交代可能な政治にするためには、衆院は選挙区中心として比例代表を廃止または縮小する、参院は「良識の府」として都道府県代表と有識者、専門家で構成されるように衆参両院の選挙制度を改めることなどが考えられます。

 この3つ以外にも、小沢氏がやりたいと考えている政策には、長期的には憲法改正、道州制導入といった抜本的な地方分権などもあるでしょう。これらについても道筋をつけたいというのが、小沢氏の「政治目標」で、夏の参院選はそのための「政治決戦」と位置づけていると思います。

 こうしたことを考えてくると、私の結論は「小沢氏が幹事長を辞めることはない」となります。最初に書いたように前半の「幹事長を辞めない理由」は、私の「願望」ではなく、「取材に基づいた分析」です。ただ、後半の「参院選で本格政権になったら、小沢氏は何をやろうとしているのか」という部分は、小沢氏に批判的な方々からすると、「小沢氏を持ちあげすぎではないか」と思われるかもしれません。

 確かに後半部分は「民主党政権が本格政権になったら、小沢氏にやってほしいこと」という私の「願望」が入ってしまいました。ご了承ください。ただ、小沢氏が何としても参院選で勝って本格政権を作り、自らが信じる政策を断行したいと考えていることは、間違いありません。

 小沢氏はマスコミでも「鳩山政権の最高実力者」と書かれるように、民主党の中心的存在であることは否定しがたい事実です。私は昨年の衆院選前のコラムで「衆院選は小沢氏に政権を任せるかどうかの選挙」と書きましたが、その意味で夏の参院選は「本格的に小沢氏に政権、つまり国民生活を任せるかどうかの選挙」になります。それだけにムードに流されることなく、小沢氏の理念、政策をよく見極めて判断してほしいと思います。

2010年2月24日水曜日

【企業・団体献金】 田中良紹(政治とカネ)

 企業献金は「悪」だと言う・・・こうした考えは「民主主義の根本」を犯す事になりかねない。世界の民主主義国でこんな事を言う国はない。

民主主義政治は「正しい」政策を選ぶ政治ではない。みんなで話し合ってみんなで「妥協」する政治である

ところがこの国には「政治献金は金持ちを有利にする」と不満を言う人・・不満だけを言う身勝手な人間が多い。そういう人間に限って、他人が献金するのを妬ましく思うのか、妨害する。それが民主主義を妨害しているとは思わない。

企業の利益を代表する政治家が「企業献金」を受けて、企業の利益を図るのは別に問題ではない。問題となるのは、その企業の利益と公共の利益が相反し、にも拘らず公共の利益にならない事を権力を持つ政治家がやった場合である。それは贈収賄と言う犯罪に当たるから捜査機関が摘発すればよい。しかし一般的な企業献金まで「悪」だとする考えは民主主義政治を否定する考えだ

企業が政治団体を作ればその献金は認められるという、「まやかし」と言うしかない制度が作られた・・・企業は駄目で政治団体なら良いという不思議な仕組みの中に官僚支配のからくりがある

官僚が国民を支配する要諦は「守る事が難しい法律」を作る事である・・・
スピード違反だけの話ではない。公職選挙法も「厳格に守った人間は必ず落選する」と言われるほど「守る事が難しい法律」である。「お目こぼし」と「摘発」は警察の思いのままだ。税金も「何が脱税」で「何が節税」かの区別は難しい。政治資金規正法も「守るのが難しい」法律である。みんなで同じ事をやっていても、取り締まる方が目をつけた相手は「摘発」され、同じ事をやっているその他は「お目こぼし」になる。これで政治家はみな官僚に逆らえなくなる
・・・政治資金規正法を厳しくすると、最も喜ぶのは官僚である。これで政治が官僚より優位に立つのを抑える事が出来る

「政治は汚い」と国民に思わせるように官僚は仕組んできた、それに応えてメディアは「政治批判」をする事が「権力批判」だとばかりに、口を極めて政治を罵倒し、官僚と言う「真の権力」にゴマをすってきた。国民はこの国の権力の本当の姿を見せられないまま、政治に絶望してきた。

政治献金は透明性が大事であって、裏金は問題にすべきだが、表に出ている政治資金で捜査機関が政治の世界に介入する事は民主主義国では許されない。そして金額の多少を問題にする国も民主主義国家ではない。それを問題と考えるのは、政治に力がつくと困る「官僚の論理」である

眉間にしわ寄せキャスターの番組は、昔から「もっともらしい嘘」を振りまくのが得意なのに何故か「報道番組」と称している・・・、「政治に金がかかるのが問題だ。政治家はお金を使わずに節約をして生活することが出来ないのか」・・・これでは日本の政治は救われない

政治家の仕事は「国民の財産と安全を守る」ことである。日本人の財産を狙い、安全を脅かす他国から日本人を守るのが仕事だ。オバマ、プーチン、胡錦涛、金正日らと互角に渡り合って日本を守らなければならない。庶民のような生活を心がけるのも結構だが、そんなことを政治家に期待する感覚を他国の人間は持っているだろうか

よく「選挙に金がかかりすぎる」と言う人がいる。そう言う人がいるために日本の選挙は民意を反映されない形になった。「金がかかりすぎるから」と言う理由で選挙期間は短くなり、お祭り騒ぎをやめさせられ、戸別訪問は禁止され、選挙カーで名前を連呼するだけの選挙になった。名前を連呼されて候補者の何が分かるのか。何も分からない。要するに「金がかかりすぎる」を口実に、国民に判断をさせない選挙になった。現職議員にとってその方が再選される可能性が高まるからだ。

学者などがよく言う「金のかからない選挙」とはイギリス型の選挙である。これは日本の選挙と全然違う
・・・・候補者は政党から選挙区を指定され、自分の名前ではなく政党のマニフェストを売り込む。戸別訪問で政党の政策を説明して歩く。「候補者は人間でなく豚でも良い」と言われるほど候補者は重視されない。だからお金はかからない。と言うか、すべてを党で面倒見る。日本共産党や公明党のやっている選挙がこれに近い。

日本でやっている選挙はアメリカ型だ。アメリカ型はマニフェスト選挙ではない。候補者同士が競い合う。アメリカでは「選挙区のために働きます」と言って支持を訴える。支持者から献金を集め、多く集めた方が当選する。だから選挙は金集めの競争である
・・・資金集めとスキャンダル攻撃をどう乗り切るかの対応力でリーダーの素質を見分ける

官僚が最も嫌がるのは政治が力を持つことだ。そのため力の源泉になりかねない要素をことごとく封じ込めた。
 メディアと野党を使って「政治が汚れている」キャンペーンを張り、自民党の力ある政治家を次々「摘発」した。今では自民党も官僚の言うことを何でも聞く「おとなしい子羊」になった。官僚の言うことを聞かない政治家を許さない。それが霞ヶ関の本音である

政治資金規正法と公職選挙法は警察と検察がいつでも気に入らない政治家を「摘発」出来る道具である。政治とカネの関係を見誤ると日本の政治は何時までも混迷を続けることになる

「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介・・・「金権スキャンダル」の噂が絶えなかったにもかかわらず、一度も逮捕されなかった。岸は「政治資金は濾過器を通せばきれいになる」と語っていた。「濾過器」とは何か。官僚支配のこの国では官僚機構が関与した政治資金は「きれいになる」と言うのである

ロッキード事件は全日空が購入したトライスターと防衛庁が導入した対潜哨戒機P3Cの選定を巡って海外から日本の政界に55億円の賄賂が流れたが、摘発されたのは民間の部分だけで防衛庁が絡む疑惑には一切手がつけられなかった。政治家では田中角栄だけが5億円の収賄容疑で逮捕され、50億円の行き先は解明されなかった。

田中角栄・・・本人はロッキード事件で逮捕された後も金権批判を全く意に介していなかった。それどころか「俺は自分でカネを作った。だからひも付きでない。財界にも官僚にも借りはない」と胸を張っていた。しかし「濾過器」を通さなかった事で田中は「金権政治家」のレッテルを貼られた。

官僚が国民を支配するノウハウ・・・「すべての施策を官僚が行い、民間にはやらせない」というのもある。そのため民間人が資金力を持ち、その金で社会活動を行うことを官僚は極度に嫌う。要するに「寄付」行為を認めない。

欧米では税金も寄付もどちらも国民が社会に対して行う貢献である。社会にお世話になり、社会から利益を受けている以上、自分の収入に見合って社会を維持するコストを払う。税金と寄付との間に差はない。だから税金で貢献するか寄付で貢献するかを国民は選択できる。寄付をすればその分税金は控除される。金持ちは税金を払うより自分の名前を冠した劇場を寄付したり、公園を寄付したりする。つまり個人が自分の金で社会的施策を行う

ところがこれは著しく官僚支配を弱める。人々が国家より金持ちを頼るようになる。官僚国家の日本では「寄付」は「邪悪な考えの金持ちが私欲のために行う」と考えられ、好ましくないとされる。だから寄付をすると同じ金額の税金を取られる制度が作られ、日本に「寄付」の習慣がなくなった。その考えがそのまま政治の分野にも適用され、「政治献金」は「悪」だとする風潮が生まれた。

政治家が企業から献金を受けるのは大変だった。・・・ そうした時に頼りになるのが官僚組織である。民間企業の許認可権を持つ役所が口を利けば、企業は直ちに献金してくれる。議員が大臣になりたがるのは、大臣になればそれ以降は役所がずっと面倒を見てくれるからだ。献金も集めやすくなる。選挙の票も集めてくれる。そして情報も教えてくれる。これが官僚組織が政治家をコントロールする手口である。こうして族議員が生まれてくる。

三木内閣は「クリーン」を売り物に、世界の民主主義国がやらない金額の「規制」に踏み込んだ。これは政治の力を弱めたい官僚には都合が良かった。

金額を「規制」した結果、政治資金は次第に闇に潜るようになり、暴力団の世界と結びつくようになった。バブル期に日本の銀行が軒並みヤクザに絡め取られ、不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの資金が入るようになった。恐ろしい話である。それなのに何か不祥事が起きるたびに「もっと規制を強めろ」と言う声が上がるばかりで、「透明化が大事だ」と言う声は聞かれない。政治とカネの関係は国民の見えないところで地下経済と結びついている

2010年2月22日月曜日

【新聞記事】 東京新聞(私説・論説室から)

 歴史に耐えられるか
2010年2月22日


 小沢一郎氏のカネの収支は異常だが、検察のやり方もおかしい-。「政治とカネ」の問題はいまだくすぶっているが、今回は検察と報道批判も少なくない。よく引き合いに出されるのが「帝人事件」だ。

 一九三四(昭和九)年四月、斎藤実内閣の時、帝人会社の株式をめぐる「時事新報」の疑獄報道をきっかけに、検察が動きだし政官財の十六人が起訴された。この間、国会は汚職追及だけ、報道も加わり、文相の鳩山一郎が辞任するなど屋台骨を揺すぶられ、斎藤内閣は七月に総辞職する。

 この内閣は挙国一致内閣として農村救済に力を入れ景気も回復の兆しを見せていた。また斎藤は海軍出身だが、国防予算抑制をもくろむなど軍の専横にブレーキをかけようとしたが、すべて中途で終わった。少しでもましな政治を求める努力は水泡に帰す。二年後の二・二六事件で内相だった斎藤は暗殺された。

 ところが、その翌年十二月に出た判決では、帝人事件は「まったく犯罪の事実が存在しない」と判断され全員無罪。政敵の攻撃や一層の国粋主義を進めようとする政治家、軍部の動きに「社会を大掃除したい」と意気込む検察が乗ったといわれる。しかし、時間を取り戻せるわけもなく、この国は一気に戦争へ。

 思い込みや政治的思惑による“正義”は世の中を過つ。大きな教訓だ。今回の騒ぎは歴史の審判に耐えられるか。 (小林 一博) 論説委員

部分的単式簿記

細野祐二氏のインタビューである。
現在の政治資金収支報告書の問題点と小沢問題にみる記帳に問題があったものなのかをインタビューの中で答えている。

実際に、会社なるものを自分でも30年以上経営をしていて資金繰りや経理と言うものを自然に覚えるなかで、今回の収支報告書からみえてくるのは、単に資金繰りの範囲の問題でしかないように思えてならない。

細野氏は単式簿記であるがゆえに今回の問題が起きた。とも言っているような気がしてならない。そもそも数千万・数億・数十億動く政治家の収支報告がお小遣い帳と同レベルの記載方法でいいという話そのものがおかしい。


小沢氏の政治資金報告書を会計士が見ると・・・

2010年2月18日木曜日

【公共工事】 胆沢ダム

「胆沢ダム工事の怪・談合」

 小沢事務所の政治資金収支報告書については会計専門の方々が色々検討されているが、もう一方の「胆沢ダム斡旋収賄問題」について私なりの考えを述べてみたい。

また、前原国土交通大臣が国会で入札に関し、疑問を呈していたのだが、明らかに誘導に乗ったものと思われる。前原は、うかつな性格なのであろう。何しろ、当時与党である自民党から自民党から野党であった小沢氏へ対しての入札への関与の疑惑であり、与党と官僚がしらべ「シロ」となったものが、与党になった民主党への野党からの質問に対し疑問を呈すこと自体ある意味では異様だと言える。

 まず胆沢ダムとは何か。
『事業計画資料などによると、岩手県奥州市に建設中の胆沢ダムは、岩石や土砂を積み上げて造る国内最大級の「ロックフィルダム」。国土交通省が昭和63年、水害軽減や農業用水供給などを目的に事業を開始し、平成25年の完成を目指している。総事業費は約2440億円にのぼる。』・・産経ニュース2009.3.14
 そうコンクリートダムではない。土砂や砕石を縦の層状に積み上げて造るいわば「土堰堤」の大きなものだ。

 問題となった2004年度は次のような工事が行われている。
『胆沢ダム本体工事は03年1月から五つの工事に分離発注され、鹿島、清水建設などの共同企業体(JV)が04年10月に193億円で落札。原石山材料採取工事を大成建設、熊谷組などのJVが05年3月、151億円で落札しました。下請けにはいずれも、小沢氏側に2回にわたって計1億円を提供したと元幹部が供述している水谷建設などのJVが受注しています。』・・2010年1月30日(土)「しんぶん赤旗」

 さらに
『捜査関係者によると、同ダムの工事は一般競争入札で行われるケースが多かったが、大型工事すべての入札で、大手ゼネコンが「仕切り役」となり、事前にゼネコン間の受注調整が行われていたとみられる。談合で、「チャンピオン」と呼ばれる落札予定の企業や共同企業体(JV)が決まると、大久保容疑者が仕切り役から結果を聞き、これを了承していた疑いがある。』・・産経ニュース2009.3.14
 文中の談合云々は後で述べるが、要するにこれらの工事は「一般競争入札」で行われた事に注目されたい。

 「一般競争入札」は談合を防ぐために、「指名競争入札」と違って業者の選抜をしない。指名競争では施工能力を勘案して業者を選び出し札を入れさせる。しかし業者を選ぶ段階で恣意が入りやすいし、選ばれた少数の業者間で談合も容易だ。
 ところが一般競争入札では参加業者がどれだけになるか分からないし、「思わぬ奴」に餌をさらわれる恐れが十分にある。議員とツーカーの業者がはたしてうまく落札できるだろうか。受注できれば万々歳なのだが。

 とはいえ100億円クラスの工事であれば施工可能な業者も絞られようから、談合をできないことはない。たとえば次の新聞記事はいかがだろう。
 『 民主党の小沢一郎幹事長の地元、岩手県の胆沢ダムの本体工事について、前原誠司・国土交通相は17日、衆院の予算委員会で、入札直前に国交省に談合情報が寄せられていたことを明らかにした。分割発注された2工事で、いずれも談合情報通りの共同企業体(JV)が落札したという。
 ・・・・・・・
 前原国交相の答弁などによると、談合情報が寄せられたのは平成16、17年に入札が行われた「堤体盛立(第1期)工事」と「原石山材料採取(第1期)工事」で、前者は鹿島などのJVが193億8千万円(落札率93・97%)、後者は大成建設などのJVが151億5千万円(同94・42%)で落札した。いずれも談合情報通りで、水谷建設が後者工事の下請けに入ることも事前に指摘されていたという。』・・産経新聞2010.2.18

 この記事の中に「分割発注」という言葉がある。これは1件の工事を2つに分ける事を意味する。先にこのダムは「ロックフィルダム」だと述べた。だとすれば提体に盛り土をする工事が、材料を採取する工事よりも先に発注されたということも変だが、そもそも2つに分ける必要があったのか。材料採取と転圧工事は一体ではないのか。材料が到着しなければ、盛り土はできまいに。

 「工事費が多すぎる」だから2つに分けた、というのがおそらく説明であろう。「より多くの業者に取らせたい」これが発注者(国)の本音だろう。担当者にすれば2件の工事より1件のほうが、設計書作成の手間も竣工検査の回数も半分で済むのだ。たぶん上部の政治的判断が働いたのだと思う。

 これら2件の工事はいずれも2004年度発注工事である。10月とぎりぎりの3月であるから、金額から見て2005年度までまたいだ工事であることは予想が付く。2件とも「落札率」が大きい。一般に95%付近以上であれば十分に談合が疑える。「談合情報」は本当かもしれない。しかし次の話はどうだろう。

 『談合情報を受け、国交省は当時、公正入札調査委員会を開き、業者への事情聴取などをしたが、談合を裏付けられなかったといい、前原国交相は「入札制度改革に向け、胆沢ダムの問題も含め、しっかりと検証したい」と述べた。』・・朝日新聞2010.2.18
 結局当時は、談合の存在を確認できなかったそうだ。時の政権党が、業者の間で「小沢ダム」と呼ばれているのを知らなかったのだろうか? そこで談合が行われていると情報が入ったとき、小躍りして捜査させなかったのだろうか?

 『両工事の下請けに参入した水谷建設(三重県桑名市)の前社長らは「受注目的に04年10月と05年4月、小沢氏秘書に5千万円ずつ計1億円を渡した」と供述。』・・長崎新聞01月30日のニュース
 あれちょっと遅いんじゃない。 >『いずれも談合情報通りで、水谷建設が後者工事(05年3月受注)の下請けに入ることも事前に指摘されていたという。』
入札前の情報ですでに「水谷建設」は確定していたんじゃないのか。後払いだったのか?

 こんなのもある。
『小沢氏側が「天の声」を出す仕組みはこうです。
(1)ゼネコン側が小沢事務所に陳情
(2)小沢事務所の了承が得られたら談合の仕切り役に連絡
(3)仕切り役が小沢事務所に「天の声」を確認する―というもの。』・・2010年1月30日(土)「しんぶん赤旗」
 しかし小沢事務所が「天の声」を発したからといってどうなるのか。野党の議員が一言言えば大ゼネコンたちが「はい」と言って従うのが分からない。国家公務員が仕切る入札業務に四の五の口を挟めた身分ではあるまいに、「天の声」に従わないとどのような妨害を食らったのかゼネコンにぜひ聞いてみたいものだ。「談合をバラすぞ」と凄んだのか?

 私の結論としては「談合」は多分あった。しかしその談合情報は歓迎されざるものであった。問題は政権が変わった今になって、なぜこの情報が蒸し返されたかだ。

 談合は業者のみでもできるのに、なぜ小沢事務所の「天の声」が必要だったのだろう? 「天の声」とは業者達にとってみれば煩いものでしかない。「天の声」があったにしても、談合情報がタレこまれたのだ。こうした情報を発信するのは、たいてい談合で弾かれた「不満分子」なのだ。
 


「胆沢ダム工事の怪2・平成20年度12月入札工事」

 今度は平成16年度工事(16年10月に193億円で落札、17年3月に151億円で落札)の続きの話。

 堤体盛土と材料採取工事はこのダムのメインであるから、平成20年度に両方の第2期工事が発注されている。それが以下のとおり。

[胆沢ダム工事平成20年度12月入札]・・東北地方整備局 建設工事の入札結果データ(平成20年12月分)

①工事名  胆沢ダム堤体盛立(第2期)工事
 入札年月日 2008/11/28
 契約年月日 2008/12/5
 工種区分  一般土木工事
 入札方式  随意契約
 入札業者名 胆沢ダム堤体盛立工事鹿島・清水・大本特定建設工事共同企業体
 予定価格  14,731,480,000円(税抜き)
 見積金額  14,700,000,000円(税抜き)
 落札率 99.79%

②工事名  胆沢ダム原石山材料採取(第2期)工事
 入札年月日 2008/11/28
 契約年月日 2008/12/8
 工種区分  一般土木工事
 入札方式  随意契約
 入札業者名 胆沢ダム原石山材料採取工事大成・熊谷・間特定建設工事共同企業体
 予定価格  8,668,840,000円(税抜き)
 見積金額  8,660,000,000円(税抜き)
 落札率 99.9%

 ①と②で注意すべきことは、同日に入札が行われているということである。これならば第1期工事のような不自然さはない。降雪期に向かうのになぜこの時期に、とは言うまい。

 次に注意すべきことは「入札方式」である。第1期工事は「一般競争入札」で行っていた。今度は「随意契約」である。随意契約に参加する業者は1社のみで競争相手はいない。「予定価格」より下回った「見積金額」を提示した段階で、入札は終わりとなる。

 なんで4年も経っているのに一般競争入札にしなかったんだという意見もあろうが、引き続き同じ業者にやらせたかったんであろう。深くは詮索すまい。

 最後に「落札率」を見よう。異常に高い。これは随意契約では起こりうることなのだが、最初予定価格よりちょっと高い価格から始まって、少しずつ金額を下げていけば御覧のような高率で落札も可能である。逆に6割7割などというダンピングはまず起こらない。

 問題はそのような危険性のある入札方式を、なぜ採用したのかだ。東北地方整備局平成20年度建設工事全部を見ても、ダム関連では上記2件を除いては次の2件しかない。
 石淵ダム堤体災害緊急復旧工事(6月発注)
 森吉山ダム旧電力施設撤去工事(3月発注)
随意契約は極力回避するのが昨今の入札だ。それを同月に2件続けてやっている。

 第2期工事で競争入札の結果業者が代わっても、同じ品質で造らせればよいだけのことで、発注者は第1期工事が完了した時点で検査をし構造物を一度引き取っているはずだ。

 なぜ同じ業者が揃いも揃って随意契約で高落札率の工事を取れたのか? 偶然か、そうでなければ公務員のかなり上層部の関与が疑われる。しかし公務員は危ない橋を渡ったところでさして得にはならないと思うのだが。
 


「胆沢ダム工事の怪3・随意契約」
 前回の「胆沢ダム工事の怪2・平成20年度12月入札工事」で、2つのJVが第2期工事も随意契約で続けて手に入れたと述べた。これを表すと次のようになる。

《平成16年度・一般競争入札》 数字は『産経新聞2010.2.18』より
・胆沢ダム堤体盛立(第1期)工事・19,380,000,000円(税抜き)
・胆沢ダム原石山材料採取(第1期)工事・15,150,000,000円(税抜き)

《平成20年度・随意契約》 数字は『随意契約結果及び契約の内容』より
・胆沢ダム堤体盛立(第2期)工事・14,700,000,000円(税抜き)
・胆沢ダム原石山材料採取(第2期)工事・8,660,000,000円(税抜き)


 これにより2つのJVは次の金額を手にすることになった。

・鹿島・清水・大本特定建設工事共同企業体→19,380,000,000円+14,700,000,000円
 計 340億8千万円
・大成・熊谷・間特定建設工事共同企体→15,150,000,000円+8,660,000,000円
 計 238億1千万円


 さらに表現を変えれば
『《胆沢ダム概要》より
  総事業費         2,440億円
  平成15年度まで       759億円 進捗率31.1%』

193億8千万円+151億5千万円=345億3千万円←平成16年度第1期工事2件
147億円+86億6千万円=233億6千万円   ←平成20年度の第2期工事2件
 計   578億9千万円 ←胆沢ダム総事業費の23.7%

となり、これはおいしい話ではなかろうか。総事業費の4分の1弱を2つの共同企業体が手に入れたことになるのだ。共同企業体とはいっても、大ゼネコン同士が力を併せて施工しあうわけではない。実質は共同企業体の中の1社が工事を指揮することになる。他の企業は一種の保険だ。だから工事費はたぶん山分けとはならない。


 水谷建設の下請け談合云々よりも、はるかに興味がわいてくる。しかも次の文書を御覧いただきたい。
 
(随 意 契 約 理 由 書・件名 胆沢ダム堤体盛立(第2期)工事)
『本工事は、胆沢ダム堤体盛立( 第1 期)工事において当該工事の受注者と随意契約を行う旨の公告がなされているものである。
また、第1期工事においては適切な施工が行われているところである。』

(随 意 契 約 理 由 書・件名 胆沢ダム原石山材料採取(第2期)工事)
『本工事は、胆沢ダム原石山材料採取(第1期)工事において、当該工事の受注者と随意契約を行う旨の公告がなされているものである。
また、第1期工事においては適切な施工が行われているところである。』


 平成16年度の第1期工事落札時に、第2期工事は「随意契約」で自動的に同企業体が取るものと決まっていたのだ。こんなあきれた契約案にはんこを押したのは誰だ、と調べてみると

・13.4.26~18.9.26   小泉純一郎(首相)
・15.9.22~16.9.27   石原伸晃 (国土交通大臣)
・16.9.27~18.9.26   北側一雄 (国土交通大臣)


 北側一雄氏は公明党だ。この時から国土交通大臣は2代続けて公明党から出ている。まさか経世会まがいのことを公明党がするだろうか。ましてや野党の代表代行ごときが国土交通省を動かせるものだろうか。そこで次の表を見ていただきたい。

《胆沢ダム建設事業の概要》・・記者発表参考資料・平成16年3月より
Ⅰ.事業の歩み
 昭和44年 4月 予備調査開始
 昭和58年 4月 実施計画調査開始l (調査事務所設置)
 昭和63年 4月 建設事業着手(エ事事務所設置、新石淵ダムを胆沢ダムに名称変更)
 平成元年 9月 環境影響評価縦覧
 平成 2年 5月 胆沢ダムの建設に関する基本計画告示
 平成 4年 2月 補償基準調印
 平成 5年 3月 水源地域対策特別措置法に基づく整備計画告示
 平成 7年 3月 付替国道工事着手
 平成11年 2月 転流エ工事着手
 平成12年 6月 胆沢ダムの建設に関する基本計画(変更)告示
 平成13年 3月 水源地域対策特別措置法に基づく整備計画(変更)告示
 平成15年 1月 本体工事着手(基礎掘削工事、 原石山準備エ事等)
 平成15年 5月 付替国道第一次供用区間、上・下流迂回路供用開始
 率度15年10月 胆沢ダム本体工事着工式、転流エエ事完成.転流式


 これを見ると、平成15年10月には本体工事が着工している。従って平成16年4月には16年度の発注計画もできているはずである。ではそのときの大臣は? 自由民主党の石原伸晃氏である。今回はここまで。
 

「胆沢ダム工事の怪4・国土交通大臣」

前回の「胆沢ダム工事の怪・3」で述べた平成16年度発注の「おいしい工事」は、たとえ第1期工事で叩き合いをやった末に受注しても、後の第2期工事で自社の随意契約と約束されているのだから大損はしない。当然第1期工事獲得に各社血眼になるはずである。たとえば津軽ダムの平成20年度発注工事で見てみると

東北地方整備局入札監視委員会(第一部会第4回定例会議)審議概要
審 議 対 象 期 間:平成20年10月1日 ~ 平成20年12月31日
 1 一般競争方式(WTO対象)
   [津軽ダム本体建設(第1期)工事] 契約金額:13,038,900千円 5社参加
  質 問:落札率が約70%と低くなった理由は何か。
  回 答:あくまでも推測ですが、大規模工事案件でもあり、応札業者の受注意欲の結
      果かと思われます。

と発注者は答えている。それでは胆沢ダム平成16年度発注ではどうだったのか。

①工事名  胆沢ダム堤体盛立(第1期)工事
 落札率   94.42%
②工事名  胆沢ダム原石山材料採取(第1期)工事
 落札率   94.42%

という高い落札率であるからおかしいのだ。80%台に落ちても不思議ではないのに。ほかのダム事務所の数値は、まさにこのレベルなのである。地方公共団体発注の工事などは、まさに「最低制限価格」に張り付いている。その価格を割ってしまうとアウトだから。

 だから上記2件に関しては「談合情報」が寄せられなくても十分グレーだ。まさか1企業体しか入札に参加しなかったんじゃあるまいな?


 さて国土交通大臣の話に入ろう。石原伸晃氏は大臣就任時には大盤振る舞いが好きだったようだ。次の2つのダムを見てみよう。

『質問主意書(平成十六年三月五日提出 質問第三〇号)
 [ 奈良県大滝ダムの「基本計画変更」に関する質問主意書 ]
 国土交通省が奈良県に建設中の多目的ダム・大滝ダムは、これまでに三,二一〇億円の膨大な費用を投入し、二〇〇二年度末を事業完了としていた。ところが、二〇〇三年四月に、川上村白屋地区で地すべり現象が発生した。
 ・・・・・・・・・・
 石原伸晃国土交通大臣は、平成一六年二月四日付で、「大滝ダムの基本計画第五回変更」として、約二七〇億円の事業費追加と工期を平成二一年度まで延長することをダム使用権者に通知した。』


『[ 八ッ場ダムの事業規模を引き上げたのは石原伸晃国土交通大臣 ]
 2003年に石原伸晃国土交通大臣(当時)が八ッ場ダムの事業規模を2,110億円から4,600億円に引き上げました。ダム最大の受益者である東京都と都知事は御存じ石原慎太郎です。国税分とは別に東京都として1,280億円の負担をしております。』・・Hatena:Diary 2009-11-10

 簡単に言うと石原伸晃国土交通大臣は
大滝ダムで総事業費を   3,210億円 → 3,480億円
八ッ場ダムで総事業費を  2,110億円 → 4,600億円 に引き上げる事に判子を押したということだ。


だがダム工事では驚くにはあたらない。当初計画の総事業費で完成できると思うのが間違っている。2倍3倍は普通のことだ。最初の計画時には100%の精度では調査しない。「100%の精度」とはそのまま発注できるぐらいの精密さを言うが、まず必要なのは国と地元に説明できる工法と金だ。後は採択になってからじっくり調査をすればよい。
 そして工事が進むにつれ、あれよあれよという間に事業費は増大する。そしてそれは業者の懐も副次的に潤す。


 次に国は落札率85%未満の工事を「低入札工事」と呼んでいる。その推移を見てみると

 (中部地方整備局における低入札工事の経緯)
  H11 -  0.54%
  H12 -  0.54%
  H13 -  0.82%  (平均落札率:70%)
  H14 -  1.26%  (平均落札率:69%)
  H15 -  1.73%  (平均落札率:74%)
  H16 -  1.35%  (平均落札率:68%)
  H17 -  5.08%  (平均落札率:69%)

 平成16年度までは低く、平成17年度になって跳ね上がっている。みんな真面目に競争するようになったということか。低入札工事とは問題点も多いのだが。
 これの原因かどうかは分からぬが、平成16年9月に国土交通大臣が自由民主党から公明党に交代している・・。


 いったい政権党が大きな利権を生むことが可能なダム工事を、一野党議員の好き勝手にさせておくことをよしとするだろうか。自分の庭を荒らしまわる野良犬を黙って見ていられるものだろうか。六十余年も政権について全国隅々まで集金システムを張り巡らした自民党が、そんなことをするはずはないだろうと私は考えるのだが。

国交相「胆沢ダム談合情報あった」
2010.2.18 01:23

 民主党の小沢一郎幹事長の地元、岩手県の胆沢ダムの本体工事について、前原誠司・国土交通相は17日、衆院の予算委員会で、入札直前に国交省に談合情報が寄せられていたことを明らかにした。分割発注された2工事で、いずれも談合情報通りの共同企業体(JV)が落札したという。

 同工事をめぐっては、下請け受注した水谷建設(三重県)の元幹部らが東京地検特捜部の調べに対し、小沢氏側に「計1億円を渡した」などと供述しており、質問した笠井亮議員(共産)は「談合による不正な利益が小沢氏側に還流されていた疑いがある」と指摘した。

 前原国交相の答弁などによると、談合情報が寄せられたのは平成16、17年に入札が行われた「堤体盛立(第1期)工事」と「原石山材料採取(第1期)工事」で、前者は鹿島などのJVが193億8千万円(落札率93・97%)、後者は大成建設などのJVが151億5千万円(同94・42%)で落札した。いずれも談合情報通りで、水谷建設が後者工事の下請けに入ることも事前に指摘されていたという。

 笠井議員は、胆沢ダムの本体工事を受注した17社から5年間で、献金やパーティー券の購入費として計約3千万円が小沢氏側に提供されていることを挙げ、裏献金疑惑も含め「小沢氏側への還流ではないか」と指摘。前原国交相は「(還流は)類推の域を出ない」としながらも、「公共事業の受注企業から多額の献金を受けることはいかがかと思う」と答えた。

 談合情報を受け、国交省は当時、公正入札調査委員会を開き、業者への事情聴取などをしたが、談合を裏付けられなかったといい、前原国交相は「入札制度改革に向け、胆沢ダムの問題も含め、しっかりと検証したい」と述べた。

 

【グアム移転】 伊波洋一(宜野湾市長)


平成22年2月18日、衆議院第1議員会館において、与党国会議員に対して宜野湾市長による下記の内容の説明を行いましたので、その内容を掲載します。

このページの末尾に配布レジュメ及びプレゼンテーション資料のPDFデータを貼りつけています。

平和フォーラム・ヒアリング 2010/02/18

 「 普天間ヘリ部隊のグアム移転の検証について」

 伊波洋一(宜野湾市長)


1.海兵遠征部隊31MEUが沖縄に駐留していないと台湾や韓国に1日で展開できないので抑止力の致命傷になると主張する学者や評論家、政治家がいるが、素人の国民をだます真っ赤な嘘。

● 31MEUは、1年の半分は沖縄におらず、佐世保の強襲揚陸艦エセックス等に載って西太平洋の同盟国での演習に参加している。

● 2006年の普天間飛行場ヘリ部隊の海外派遣資料によると、1月から5月の5ヶ月で約3ケ月は、グアム、フィリピン、韓国、タイの海外演習・訓練に出ていた。さらに、9月下旬から11月下旬まで米比合同訓練のためエセックスに載ってフィリピンに出ていた。(添付資料1)参照

● 31MEUの重要な役割は、佐世保の強襲揚陸艦エセックスなどの海兵隊艦船と、西太平洋での米国の同盟国(韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア)との安全保障条約を実証するために、毎年定期的に同盟国を訪れて合同演習や合同訓練を実施することである。

 フィリピン・・・バリタカン (対テロ訓練)     第3海兵遠征旅団

         タロンビジョン(米比合同演習)  第3海兵遠征旅団

水陸両用上陸演習

 タ   イ・・・コブラゴールド(米タイ合同訓練) 第3海兵機動展開部隊

 オーストラリア ・・フリーダム・バーナー・クロコダイル(米豪合同訓練) 第3海兵遠征旅団

         タリスマンセーバー(米豪合同訓練)第3海兵機動展開部隊

 韓   国・・・フォールイーグル(米韓合同訓練) 第3海兵機動展開部隊


演習から帰還の車両陸揚げ公開/沖縄の米海兵隊(2009/08/12 四国新聞社)                 在沖縄米海兵隊の第31海兵遠征部隊(31MEU)が12日、オーストラリア軍との合同演習を終えて米海軍ホワイトビーチ(沖縄県うるま市)に帰還し、水陸両用艇で軍用車両を陸揚げする作業を共同通信に公開した。

31MEUは、在日米軍再編で沖縄の海兵隊員約8千人がグアムへ移転後も、沖縄に残る部隊。隊員約2200人は7月にオーストラリアで合同軍事演習「タリスマン・セーバー」に参加し、上陸作戦や市街地戦闘の訓練を実施した後、米海軍佐世保基地(長崎県)を母港とする強襲揚陸艦エセックスや揚陸艦デンバーで帰還した。エセックス搭載のホーバークラフト型揚陸艇(LCAC)3隻が、水しぶきを上げながらホワイトビーチに上陸。

沖合に停泊するエセックスから載せてきた、迷彩色の装甲車などを、次々に陸地に揚げた。揚陸艦に搭載され演習に同行したヘリコプターも、物資搬送に飛び交った。

 海兵隊によると、31MEUは例年、韓国やフィリピン、タイなどの各軍との演習や訓練にも参加。隊員たちは佐世保配備の揚陸艦に乗り、1年の半分程度は沖縄を離れて活動しているという。

● 西太平洋の同盟国演習への出発地は、2014年に沖縄からグアムに代わる。

  2010年のQDR(4年毎の国防見直し)は、グアムを西太平洋地域における  安全保障活動のハブとする、としている。

2.普天間飛行場のヘリ部隊がグアムに移転することを示す証拠が幾つもある。

証拠その1. 

 2006年7月の「グアム統合軍事開発計画」で「海兵隊航空部隊と伴に移転してくる最大67機の回転翼機と9機の特別作戦機CV-22航空機用格納庫の建設、ヘリコプターのランプスペースと離着陸用パットの建設」を記述。

証拠その2. 

 2007年7月に沖縄本島中部の10市町村長でグアム調査し、アンダーセン空軍基地副司令官に沖縄の海兵隊航空部隊の施設建設予定地を案内され「65機から70機の海兵隊航空機が来ることになっているが、機数については動いていて確定していない。海兵隊航空戦闘部隊1500人がアンダーセン基地に来る予定」との説明を受けた。

証拠その3. 

 2008年9月15日付で海軍長官が米国下院軍事委員会議長へ提出した国防総省グアム軍事計画報告書に沖縄からグアムへ移転する部隊名が示された。列挙された11の普天間基地に関連する海兵隊部隊の中に海兵隊中型ヘリ中隊が入っている (中型ヘリは普天間基地にしか所属部隊はなく、31MEUの主要構成部隊) 。

証拠その4. 

 2009年11月20日に公表された「沖縄からグアムおよび北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」によるとグアムのアンダーセン航空基地のノースランプ地区に海兵隊回転翼部隊としてMV-22オスプレイ2個中隊24機を含めCH53E大型ヘリ4機、AH-1小型攻撃ヘリ4機、UH-1小型多目的ヘリ3機の合計37機が配備される。うちひとつのMV-22オスプレイ中隊がMEU構成と予想される。MEU構成の中型ヘリ中隊にはCH53E、AH1、UH1が追加される。ちなみに、現在、普天間基地にはヘリ36機が駐留している。

  環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフトの騒音評価で回転翼機の飛行訓練として常駐のMV-22オスプレイ中隊12機とCH53E大型ヘリ4機、AH-1小型攻撃ヘリ4機、UH-1小型多目的ヘリ3機が年間19,255回の飛行回数を増やすとされている。

 このオスプレイ中隊は、Assault Transport(強襲輸送)とされており、MEUの乗り込む強襲揚陸艦エセックス(USS Essex)をAmphibious Assault Shipと呼ぶのでMEU構成中隊と予想できる。

証拠その5. 

 2007年7月に沖縄本島中部の10市町村長でグアム調査し、グアム州政府から説明された資料に、移転を想定している海兵隊部隊として31st Marine Expeditionary Unit ・第31海兵遠征部隊2000人があった。同資料では、アプラ港に接岸桟橋を建設する強襲揚陸USS Essexやドック型揚陸USS Juneau、USS Germantown、USS Fort McHenry などの海兵隊戦艦が海兵遠征部隊31MEU と共に来ることが説明されている。

 このことから、グアムに来る37機の回転翼機には、31MEUのヘリ部隊である普天間の海兵航空ヘリ部隊が含まれると推察できる。

証拠その6. 

 2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」で、

「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する。」とされた。沖縄の海兵隊の家族数が9000人を超えたことは、1972年の沖縄返還後38年間で4年間しかなく、9000人はこれまでの海兵隊家族数の最大の時の人数であり、現状は8000人に満たない。家族を伴う常駐部隊はすべてグアムに移転すると考えられる。普天間の中型ヘリ部隊は家族を伴う常駐部隊であるから、グアムに移転すると考えるのが妥当。


証拠その7.

 2009年11月20日の「沖縄からグアムおよび北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」は、2002年からの地球規模で海外米軍基地を削減する基地見直しにより、太平洋地域の米軍再配置で国防総省は沖縄の海兵隊の適切な移設先をグアムとしたことを明らかにしている。

そして2010QDR(4年毎の国防見直し)は、おける安全保障に係る活動のハブにする、としている。すなわち、2014年以降は、グアムが西太平洋での海兵隊の拠点になり、当然、西太平洋の米同盟国との合同演習に参加する現在の普 天間海兵航空基地の役割もアンダーセン基地のノースランプに移っていく。

証拠その8. 

 2009年6月4日付の米海兵隊総司令官から米上院軍事委員会への報告書は、約8000人の海兵隊員の沖縄からグアムへの移転は、沖縄の海兵隊が直面している民間地域の基地への侵害(Encroachment)を解決するためとしている。普天間基地こそ真っ先に解決すべき場所。

3. 2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」合意で、沖縄の海兵隊の部隊は、ヘリ部隊を含めて、ほとんどがグアムに移転する。

 沖縄の海兵隊兵力12,402人(2008年9月末)から10,600人がグアムに移転。

● 2006年5月のロードマップは、「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」とした。

● 2006年7月の「グアム統合軍事開発計画」は、グアムの海兵隊兵力について、常駐配備7200人とUDP配備2500人の計9700人としている。うち、海兵航空部隊関連は、2400人。

● 2008年9月15日付で海軍長官が米下院軍事委員会へ提出した国防総省グアム軍事計画報告書では、海兵隊兵力について、常駐配備8550人とUDP配備2000人の計10550人としている。うち、海兵航空部隊関連は、常駐配備1850人。

● 2009年11月20日に公表された「沖縄からグアムおよび北マリアナ・テニアンへの海兵隊移転の環境影響評価/海外環境影響評価書ドラフト」は、海兵隊兵力について、常駐配備8600人とUDP配備2000人の計10600人。うち、海兵航空部隊関連は、常駐配備1856人とUDP配備250人の2106人。

● 2008年9月15日付で海軍長官が米下院軍事委員会へ提出した国防総省グアム軍事計画報告書に沖縄からグアムへ移転する部隊名が示された。

主要な部隊の多くがグアムに移転することがわかる。

4. 米国は、グアムを含むマリアナ諸島全域を沖縄に代わる広大な軍事拠点とするために「マリアナ諸島複合訓練場計画 MARIANA ISLANDS RANG COMPLEX 」を進めている。

● 「マリアナ諸島複合訓練場計画」は、グアムを中心に、サイパン、テニアンなどの島々の訓練施設や広大な訓練空域や制限海域、射爆撃場、戦闘訓練場、ライフル射撃場、弾薬貯蔵施設、等を含む。

● 沖縄からグアムへの海兵隊移転で、一番重要視されているのが、グアムやマリアナ諸島での訓練場や射撃場の確保であり、グアム移転の前提、必須条件とされている。特に高度な統合訓練場の確保が求められており、テニアンで計画されている訓練施設は大隊部隊上陸や大規模機動訓練など戦術的シナリオ訓練を可能にする、としている。

● グアム移転で繰り返し強調されているのが、アメリカ領土での多国籍軍事訓練の実施であり、そのための「マリアナ諸島複合訓練場計画」は、2014年までに実施されていくと思われる。

● 2009年6月4日付の米海兵隊総司令官ジェームズ・コンウェイ大将の米上院軍事委員会への報告書は、訓練や施設の要件を調整し、適切に計画・実施されれば、グアムへの移転は即応能力のある前方態勢を備えた海兵隊戦力を実現し、今後50年間にわたって太平洋における米国の国益に貢献する、としている。

5. 沖縄の代替施設完成後、グアム移転部隊を移す第3海兵遠征軍の資料

第3海兵遠征軍の司令部資料によると、ロードマップ合意のグアム移転部隊

 である第1海兵航空団司令部等を沖縄に戻すことが考えられている。

以下、資料。






 ※平成21年11月26日に使用した資料
 ※平成21年12月11日に使用した資料

2010年2月14日日曜日

【小沢一郎論】 佐藤優

内在的否定者
 こうして過去一六年間で小沢の政策の変わった部分と変わらなかった部分を検証してみると、おぼろげながらの特質が浮かび上がってくる。それはたぶん五五年体制下の保守政治家の範疇からはみ出してしまうものだ。

 例えば、小沢には岸信介—福田赳夫といった清和会系の政治家が持つ反共イデオロギーへの執着がない。彼は権力奪取のためならブレア政権の政策を採り入れるのを躊躇しないし、日本共産党とも手を結ぶことができる。

 かといって池田勇人—前尾繁三郎—宮沢喜一など護憲志向の元官僚が集った宏池会系の政治家とも違う。

小沢の父・佐重喜は岩手県水沢市(現・奥州市)を地盤とした生粋の党人派政治家で弁護士だった。一郎は日大大学院で司法試験勉強中の一九六八年(昭和四三年)に佐重喜が急死したため、翌年後継者として政界にデビューした。

 小沢はイデオロギー色が希薄で、党人派を代表する田中角栄の派閥に入った。田中は公共事業による所得の再分配を通じてゼネコン関連企業や地元住民の票を吸い上げ、勢力を拡大してきた政治家であり、官僚政治の枠内での利害調整のエキスパートだった。

 西松建設献金事件[注5]でクローズアップされた小沢の集金・集票システムは明らかに田中派の系譜に連なるものだ。だが、小沢の政治行動には、田中と違い、官僚主体の統治システムそのものを破壊しようとする強い衝動がある。
[注5]
西松建設からの寄付を、政治団体からのものと偽って政治資金報告書に記載したなどとして、東京地検特捜部が二〇〇九年三月に小沢氏の公設秘書・大久保隆規氏を逮捕。小沢氏は検察を批判し、代表を辞任するつもりはないとしたが、党内にも辞任を求める声があり、五月に代表を辞任した

 その点で朝日新聞の政治記者・早野透が『小沢一郎探検』(朝日新聞社・九一年刊)のなかで、小沢を田中の「内在的否定者」と評したのは的確だったと思う。しかし、ならば、なぜ田中派は小沢という「内在的否定者」を生んだのか。小沢のラディカル(根源的)な改造計画の行き着く先はどこか。

 私は元外務省国際情報局主任分析官の佐藤優を訪ねた。彼ほど政治家の実像を知り、その内在論理を分析できる人はいない。佐藤に聞けば小沢思想の核心に突き当たるのではないか。

「普通」の保守政治家?
 東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテルの喫茶室で私はこう切り出した。

「私には小沢氏が戦後の政治風土の中で非常に異質な存在に見えるんです。彼には、例えば安倍晋三元首相のように天皇を軸にした復古的な価値観がない。といって、田中角栄や野中広務氏とも違う。田中には郷里・新潟をはじめとした『裏日本』の近代化・地方への所得再分配というビジョンがあった。野中氏は部落差別の壁を乗りこえることを生涯のテーマとしてきた。でも、小沢氏の言動からは自らの出自や被抑圧体験と密接に結びついた理念やテーマが見えてこないんです」

 佐藤からは意外な答えが戻ってきた。
「うん。小沢さんには田中さんのように高等小学校卒で、学歴が極端に低いといった点もありませんね。ただ、裏返して考えると天下の副総裁、金丸信さんと小沢さんは(似てませんか)? 私は自分が身近に接触した政治家が鈴木宗男さんをはじめほとんど経世会だった。そのせいで経世会的なものを空気のように感じるんですね。その私から見ると小沢さんはごく普通の経世会的な政治家ですね」

 金丸信は山梨県の裕福な造り酒屋に生まれ、東京農大卒。中曽根内閣で自民党幹事長をつとめ、その後、党副総裁になり「政界のドン」と言われた。八九年(平成元年)には前首相・竹下登の反対を押し切って四七歳の小沢を党幹事長に起用した。小沢が政界の実力者として注目されるのはそれからである。

 小沢を「普通の経世会的な政治家」という佐藤の言葉に私ははじめ戸惑った。すでに触れたように私は小沢に経世会の系譜と断絶したものを感じていたからだ。だが、佐藤の解説をよく聞くと、それは私が経世会を単なる利権追求集団としか見ていなかったためだったことが後で分かってくる。
 
—どういう意味で普通なんですか?
佐藤 そこそこ頭がよく、イデオロギー先行でない。戦後民主主義の落とし子である。しかし反戦平和とか護憲とかいう方向にいかない。もう一つは土建屋型の再分配政治の中心にガチッと絡んでいる。だから例えば村岡兼造さんとか、事件に巻き込まれる前の鈴木宗男さんとか、ごく平均的な、権力の論理を良く知ってる保守政治家という認識なんですけどね。
 
—ふーん、なるほど。
佐藤 だから例えば九三年の『日本改造計画』は、著者の名を小沢一郎から橋本龍太郎や小泉純一郎に変えても不自然じゃないでしょ。あの当時の東西冷戦構造が終わった時点で、それまでの共産主義革命を阻止するために、過剰な形での労働運動への配慮、国民への配慮をやめて、新自由主義的な政策をもたらすという流れですよね。だから『改造計画』の時点では新自由主義政策で自己責任を強化することによって日本の経済を強化して、結果として税収が上がり、国家が強化される。(小沢は)常に主語は国家ですから、所与の条件の下で国家の財政を極大化するという命題には忠実ですね。その時に新自由主義政策をとるか、社民主義政策をとるかってことは道具に過ぎないです。だから九三年時点で新自由主義を言うのは国益のためには正しい。ところが〇九年において新自由主義を言うのは国を誤らせる。こういうことでしょうね。

—それは、そうかもしれません。
佐藤 ただ小沢さんを理解するうえで重要なところは、人間関係を非常に大切にすることです。しかも彼は自分に対する全面的な忠誠は求めない。例えば官僚でも、藪中三十二さんという外務省の事務次官が新政権でも生き残っている。それはなぜかというと、少なくとも積極的に野党時代の小沢さんを撃つことをしなかったからです。自分の敵以外は味方であるという考え方が平気でできる、数少ない政治家です。

 だから人材を活用できるプールが、彼は意外に広いんですよ。官僚の側から見ると、小沢さんはゲームのルールがわかっている。何かあっても彼に直接敵対しなければ、能力本位で人を活用する。

経世会のプラグマティズム

—でも、かつて小沢氏周辺にいた政治家は野中広務、船田元など枚挙に暇がないほど離れて行くか、切られたりしていますね。
佐藤 離れていった人はどこかの時点で反小沢の明示的な行動を取った人なんです。平野さんのように敵対行為を一度もしたことがない人は最後まで残っている。小沢さんの場合、人間関係を大事にするが人間関係の見直しはないんです。自分に敵対したり、自分の勢力圏に侵入したりするのを一度でもやった者は許さない。だから小沢さんのゲームのルールは非常に厳しいけれどわかりやすい。

「ごく普通の経世会的な政治家」という小沢評を聞きながら、私は田原総一朗の『日本の政治 田中角栄・角栄以後』(講談社・〇二年刊)の一節をふと思い出した。それによると、七二年の田中内閣の成立は日本の権力構造に革命的な変化をもたらした。

 戦後の吉田茂以来の歴代首相は、二ヵ月間だけその座にあった石橋湛山を除いて、すべて東大、京大を卒業し、高級官僚を経て政治家となったエリートばかりだった。官界や財界も旧帝国大学出身者が仕切っていたから、彼らはその学閥によって政官財界の頂点に君臨した。帝大出身の政治家を帝大出身の官僚が支え、経団連に集う帝大出身の財界人たちが政治資金を供給する。それが従来の五五年体制だった。

 ところが、この体制は牛馬商の息子で高等小学校卒の田中による政権奪取でひっくり返った。田中は首相を辞めた後も、最大派閥の力で政界に君臨した。田中引退後も竹下、金丸、小沢から梶山静六、野中広務に至るまで、旧帝大とは無縁の旧田中派の政治家たちが政治の主導権を握り続けた。

 しかも彼らは、小沢ら二世議員を除けば、みな地方出身のたたき上げである。極端な言い方をすれば、田中政権以来、日本の政治は平等志向を内包した非エスタブリッシュメント出身者による「土着的社会主義」の色合いを持つようになった。マスコミが強調する経世会の金権体質はその一側面にすぎない。
 
—経世会思想の本質は何なのでしょう。
佐藤 徹底したプラグマティズム(実用主義・道具主義)。現実に役に立って、結果を出すものが正しいという思想ですね。正しいものは必ず勝つ。しかし、今までのプラグマティストというのは、(足し算やかけ算の)四則演算しかできないんです。ところが小沢さんは(もっと高度な)偏微分ができて権力の文法が分かっている。だから一見不規則なことが生じてきても、それを文法に則して再整理できる力がある。つまり時代の変化に対応する能力がある。往々にして経世会の政治家にはそれがない。だから途中で沈んでいくわけです。私は鈴木宗男さんを横で見てきたからわかるけど、小沢・鈴木の二人は非常によく似ていますね。

—時代の匂いに敏感という点で?
佐藤 この先どう変化するかという見通しがきいて、その変化に合わせて身を処すことができる。おそらく現役の政治家ではこの二人しかいないと思うけれど、二人には内閣官房副長官と、自民党の総務局長の両方をやったという共通点がある。官房副長官というのは、政治の表の世界で、比較的若い世代の政治家の位置から全体像が見える。官房機密費[注6]を含めて、表の裏世界もわかる。それに対して、自民党の総務局長は、選挙区調整と自民党の裏金まき、あるいは公明党対策をやる。これはほんとうの裏世界です。その二つをやった経験がある、類い希な政治家なんですよ、あの二人は。

[注6]
内閣官房機密費として、官房長官の判断で支出される。その使途については、国政運営上の機密を守るという理由から公表の必要がない。機密費の存在自体は公のものだが、使途が不明なことから「表の裏金」的性質を持つ
 
—つまり政治の表の裏と裏の裏を……。
佐藤 その両方を見てる。じゃ二人がどうしてその役に就けたかというと、さっき言ったように、時代の変化に対応して身をかわすことができる、類い希なプラグマティストだからですよ。そしてものすごく醒めていて、権力闘争に非常に敏感だからです。食うか食われるかしかない世界では食う側に回らなくても、食われないためには権力を持たないといけない。政治は怖くないといけないということを良くわかってる人たちなんです。

 ただし、その表面だけ見ると、単なるマキャベリズムのようなんだけど、そうじゃなくて、彼らのプラグマティズムには天がある(魚住注・『天』とはキリスト教における神、あるいはその人間の行動を規制する、超越的な原理を指している)。思想がある。だから何か自分では言葉にはできないけど、正しいものをつかむ力がある。その力の源泉を突き詰めていくと、鈴木宗男にせよ、小沢一郎にせよ、共同体の生き残り(を目指すこと)なんです。

アソシエーション
—その共同体とは、彼らの郷里・地盤である北海道や岩手県のレベルの話ですか、それとも日本国という意味も含めてですか。
佐藤 国家という意味も含めてです。彼らの観念の中にある国家というのは、我々が日常的に使っている社会という言葉に近い。それは民族共同体よりも、もう少し乾いていて、排外主義的な要素があまりない。小沢さんは在日外国人の地方参政権に対し抵抗感がないでしょう。(小沢にとっては)日本人の血が問題なのではなくて、日本の国のために一生懸命やるのが日本人です。もっと言えば、小沢さんの発想の根底にある共同体はアソシエーション(自覚的共同体)。結社みたいなものです。だから日本を巨大な結社と見ると、それは自己責任論とは、比較的合わさるんです。何もやらないのに、共同体にいるからといって、タダ乗りはダメだよ、少なくとも一生懸命やらないといけませんよ、という発想になる。

 プロテスタントで神学者である佐藤の言葉は、私のように宗教とは無縁の世界に生きている者にはなかなか分かりづらい。佐藤の考え方にはキリスト教の神のように、人知を超える超越的な存在を自明のものとする前提があるが、私にはそれがないからだ。ただ、こういうふうに理解したらどうだろう。我々はふだん行動するとき、その場その場で無原則に、あるいは単に快か不快か、得か損かといった感情や打算、習慣に動かされているように思っている。

だが、もう少し踏み込んで自らの言動の背後にあるものを探ると、そこに見えざる至上原理や思想が潜んでいる。

 私の場合、行動の原理となっているのは家族である。家族という共同体の生き残りのために何をなすべきかという判断が私のすべての行動を規制している。佐藤によれば、小沢や鈴木の政治行動は、もっと広い範囲の自覚的な共同体の生き残りのために何をなすべきかという目的意識に貫かれている。しかもその共同体の統合原理は血縁でも民族でも、後で触れるが、天皇制でもないらしい。

佐藤 その共同体の生き残りという超越的なもの、至上命題を持っているが故に、政治資金はたくさん集めても、小沢さんにしても鈴木さんにしても、自己の生活は非常に禁欲的です。浪費の傾向がない。私も二人をそれぞれモスクワでアテンドした時思ったんだけど、鈴木さんと小沢さんに共通するのは、レジャーという発想がないこと。二四時間仕事、寝る時間以外は仕事している。それ故に鈴木、小沢の側に来る、例えば東大法学部卒のエリート官僚たちは、彼らの引力圏にすぐ吸い込まれてしまう。こういう人が世の中にいるのか、自分たちの周辺で見たことがないと。

 それから、彼らは政党に対する態度も、ものすごいプラグマティックですね。党は国家が生き残るために使えばいい。党のために殉じるっていう発想がない。特に小沢さんは自民党に対する愛着も、自分が作った新進党に対する愛着も、そしてそれを純化して作った自由党に対する愛着も、何もない。

 〇〇年に小渕首相と小沢さんとの会談を最後に自由党が与党から離脱し、小渕さんが脳梗塞で倒れた[注7]。そのきっかけになったのも自民党の看板を下ろせ、下ろさないの話だったでしょう。小渕さんには自民党へのこだわりがあったけど、小沢さんにはそれがまるでない。

[注7]
一九九九年一月に連立参加。同年一〇月に公明党が加わり自自公政権が誕生すると、自由党の主張が連立内で通りにくくなり、二〇〇〇年四月一日に連立から離脱。自由党は分裂し、連立残留組は保守党を結成した。小渕首相は自由党の連立離脱の翌日に脳梗塞で緊急入院し、翌月亡くなった
 
—『改造計画』を読むと、二大政党制を実現するための選挙制度改革や官僚答弁禁止による国会活性化、内閣・与党の一体化などシステム変革への異様な執念を感じます。でもその変革の原動力となる理念や情念といった中身が見えてこない。二大政党制にはこだわるが、その政党間の理念、中身の差異にはもともと関心がないのではないでしょうか。

天皇と東大
佐藤 私は、それはちょっと違う視点から見ているんです。立花隆さんの『天皇と東大』(文藝春秋・〇五年刊。天皇と東大という二つの視点から日本の近現代思想史を描いた)を合わせて読むと良くわかると思うんですが、立花さんの発想は根本においては官僚支持なんですよ。日本の政治はどうしようもないから、これは天皇の官吏群によって維持しないといけない。そこが日本を守っていく一つのポイントなんだと。だから立花さんの関心が教養に向かったのは、官僚やそれを支える東大生の能力低下を何とかしないといけないと思ったからです。国家を維持するのは官僚である。国民を代表するのは、能力のあるエリートたちであるという発想です。

 それに対して小沢さんの発想は官僚なんて信じない。二大政党制という形にして、政治家に下手を打つと野党に権力を持って行かれるという緊張感を持たせる。与野党が切磋琢磨して、政治家の基礎体力を強化する。そうすることによって、事実上、戦前の天皇の官吏と同じように現在も国家権力を簒奪している官僚群から権力を取り戻す。その意味では小泉さんがスローガンだけ掲げた反官僚という権力闘争を、小沢さんは実体的にやってるんだと思うんです。
 
—その説明は腹にすとんと落ちますね。
佐藤 だから彼の原点は、自民党幹事長時代に遭遇した湾岸戦争で自衛隊を海外派兵しようとした時に、内閣法制局長官の答弁で待ったをかけられた[注8]ということですよ。

[注8]
一九九〇年一〇月一九日の衆院予算委員会で、工藤敦夫・内閣法制局長官が「国連軍ができた場合、自衛隊は参加できるのか」という質問に対して、「任務が我が国を防衛するものとは言えない国連軍に、自衛隊を参加させることは憲法上問題が残る」と答弁している

 戦前と同じように官僚たちがデケエ面をしている。検察もそうだ。検事長以上が親任官であることに、検察官達があれだけ重きを置くのは、最終的には天皇の官吏であるとの意識があるからです。小沢さんの権力闘争はそれに対する戦いですよ。彼が制度をいじる時のいじり方は、常に官僚の力が弱まる方向になっている。反官僚なんです。その点では小沢一郎というのはデモクラシーの子なんです。彼が今後一番ぶつかるのは天皇ですよ。

—それは私も、小沢氏や彼の「知恵袋」である平野氏の著書を読んで感じました。東北人である小沢氏は、自己のアイデンティティを天皇家の支配が始まる前の縄文時代の日本人に求めていて、自分を「原日本人」とか「縄文人」とか言っています。これは過去の保守政治家や右翼が天皇家とのつながりにアイデンティティを求める発想とかなり違う。

佐藤 今までは、ある意味では日本全体が総官僚だったわけですよ。自民党は投票によって選ばれる官僚。公務員は試験によって選ばれる官僚と、その二種類の官僚が棲み分けて権力を持っていた。これじゃ日本国家が生き残れない、日本社会は生き残れない、小沢さんはそういう感覚なんでしょうね。
 
—その感覚が生じる契機になったのが、冷戦構造の崩壊だったのでしょうか?
佐藤 冷戦構造の崩壊後、日本国家はどうやって生き残っていくか。冷戦構造の下では日米安保条約が日本の国体になった。国体を護持するために日米安保条約を護持する。そして日米安保を護持する官僚達が権力を持っていた。この体制を変えないといけないということでしょう。
 
—安保と象徴天皇が国家統合の原理になり、それを官僚が支えてきたという意味ですね。小沢氏の発想の根底にあるのは反・日米安保体制なんですか。
佐藤 反・日米安保ではなく、日米安保体制、日米同盟の見直しですね。だから「第七艦隊だけで十分日本の安全保障は担保できる」なんていう彼の発言[注9]は案外本音だと思う。米国とはプラグマティックに役に立つ範囲でお付き合いするが、その先は知りませんと。

[注9]
二〇〇九年二月、在日米軍の再編問題についての発言。「今の時代、前線に部隊を置いておく意味が米国にもない。軍事戦略的に言うと(米海軍)第七艦隊がいるから、それで米国の極東におけるプレゼンスは十分」として、海軍以外の在日米軍は不要とする趣旨で受け止められた。

積極的平和主義
 
—日米安保の見直しも含め、小沢氏の反官僚的姿勢はなぜ生まれたんですか。
佐藤 経験則だと思う。彼は田中角栄や金丸信のケースを見て、官僚が政治家たちをどういうふうに使うか横で見ていた。そして政治家を切り捨てる時にどういうふうに切り捨てるか、政治家は結局官僚によって使われてるんだということをずっと見てきた。
 
—そうか、田中はロッキード事件で、金丸は脱税で官僚から切り捨てられた。
佐藤 そう。ロッキード事件までに田中をさんざんヤバイことで使っておいて、事件が起きた時には全員手のひらを

返した。金丸についても同じです。小沢さんは検察というのは霞が関の官僚群を凝縮したものであるという正しい認識をしているんですよ。だから彼は、検察だけを潰すことはしない。検察だけを潰せないこと もわかってる。霞が関の全体構造を崩す結果として検察が崩れる。

もう一つのポイントは内閣法制局です。彼は宣戦布告をちゃんとしているんです。不意打ちはしない。法制局をや

るぞと。法制局がやられるのは司法全体が揺るがされるってことなんですよ。

—我々はふだん法制局と最高裁を別物だと考えているけれど、そうではなく、法制局と最高裁の憲法解釈は連動

していて、司法の要になっているという意味ですね。それにしても「憲法の番人」である法制局長官の答弁を禁止するのは、いくらなんでも乱暴すぎると思いましたけど、佐藤さんは?
佐藤 私は非常に結構なことだと思う。これによって憲法改正が遠のいたからです。
 
—法制局を排除すると海外派兵のため憲法改正をする必要がなくなり、全部解釈改憲で済ませられるからということですか?
佐藤 そう。全部、解釈改憲でいく。ただし解釈改憲だと限界があるんです。これで勇ましい憲法ができない。象徴天皇も崩れない。集団的自衛権を解禁すれば日本のやりたいことは全部できるから九条を変える必要もない。
 
—では、その関連で、彼が一貫して唱えている国連中心主義の内実は何なんですか。
佐藤 小沢さんの言う国連とは、東西冷戦構造が終わった後の列強による権力の分配機関としての国連なんです。小沢さんの発想は元外交官で日本国際フォーラムの主宰者・伊藤憲一さんが言ってる積極的平和主義と同じですよ。どういう内容かというと、いま世界で違法行為を犯すのは、国際テロリストと、それを支持する ならず者国家、それから国家として体を成していない破産国家。この三つだけなんです。この連中に対しては国連のアンブレラで警察活動を行う。これは軍隊を使っていても警察活動だから戦争ではない。ならず者を放置しておいていいという話にはならないから国際法上の、交戦国の捕虜の地位を与える必要はないんです。そうい うならず者に対してアメリカが行う、国連のアンブレラの下での制裁措置に、積極的に加わっていくことを積極的平和主義と定義しているんです。

これからの平和主義は自衛隊を動かすことで実現される。これが積極的平和主義だ。悪事には関わらないという消極的平和主義の時代は終わった。戦争はこの世の中からなくなった。あるのは国連による警察活動だけという考えです。小沢さんの考えもこれです。

帝国主義
 
—ふーん。その本音は何なんですか。
佐藤 日本は列強だ。列強だから、この中に加わって、うまそうな利権の切り身をちゃんと日本も取るということですよ。だから湾岸戦争だって自衛隊が出動しておかなければ石油利権に手を付けられないじゃないか。つまり(小沢氏の発想は)帝国主義者そのものです。(米国の一極支配が終わり)もう時代は帝国主義にな っているんですから、日本にはどういう帝国主義かという選択しかありません。麻生(太郎)前首相がやろうとしたような頭の少し足りない帝国主義か、鳩山(由紀夫)首相がやるような、勢力均衡論に基づいた数学的発想の、乾いた帝国主義か。その選択でしょ。小沢さんはその帝国主義を支えるドクトリンを『改造計画』のころ から持っているわけです。かつてソ連が国際連盟を資本家達の合議組織・調整組織と呼んだ。その後の国際連合はまさに社会主義体制がなくなることによって、帝国主義のセンターとしての国際連合になるんです。小沢さんのはそういう国連中心主義です。
 
 佐藤は小沢に限らず、誰が指導者になっても日本が他国を食い荒らす帝国主義化は避けられないという冷徹な認識をしている。資本が高度に蓄積・集中化されると、余剰資本は新たな市場や投資先を求めて他国に向かう。その援軍としての海外派兵は歴史的必然というわけだ。ただし佐藤はそれを是認しているわけではない 。事態をきちんと理解し、そのうえで現実に影響を与える抵抗運動の必要性を佐藤は誰よりも強く感じている。
 
佐藤 だから国連に金もたくさん拠出してるから安保理の常任理事国になって、国連のアンブレラの下で積極的に海外派兵を行って帝国主義国としての正しい分け前を取る。これは、やっぱり小沢、鳩山さんの発想ですよね。
 
—その分け前とは石油利権であり、レアメタルであり、穀物であり……。
佐藤 はい。我が日本国家と日本民族が生き残るために、生存権を確保するために必要なものを取るということです。
 
—資本を海外に投下し、工場をつくったりして現地住民から搾取もする。
佐藤 そうそう。それで雇用が生じるわけだから、現地の住民は幸せなんだという考え方です。
 
—しかし、小沢さんご本人はそういうことを明確に意識して言っているんですか。
佐藤 わからないでやってるんです。
 
—えーっ(笑)。
佐藤 わからないで、フワーッとしてやってるわけです。それを理論化するのが我々のような周辺にいる人間の仕事でね。「先生がやっておられるのは、こういうことですね」「大体そんなところだろう」と。資本の蓄積を十分に遂げた、

強い国家が普通の頭で生き残りを考えると、本能的に自分の分け前を増やす行動をとる ものなのです。それが(『改造計画』の)普通の国ということです。だから普通の国になれというのは帝国主義国になれってことなんです。第二次世界大戦後のアメリカの対日占領政策の目的は、日本を再び帝国主義国として立ち上がらせないということでしたね。今後、日本が露骨な帝国主義的行動をとると、当然それとは抵触す るんです。
 
—小沢氏らの無意識がそうさせている?
佐藤 無意識です。ただ小沢さんの優れた才能はプラグマティストであること。プラグマティストが勝利する要因は、

国民の中にある集合的無意識を抽出する能力なんですよ。

たしかに小沢は自由党末期の〇三年ごろから小泉構造改革路線の行き着く先や、格差拡大・地方切り捨てに

よって国民の間にひろがっていた不安や危機感を察知し、その対応策を考えている。山口が指摘したように〇五年に民主党代表となった前原が「自民党と改革競争をする」と口走っていたのとは、政治センスにおいて雲泥の差がある。
  
資本主義の宿痾
 
—ただ、〇七年一一月に読売グループの渡邉恒雄会長らが裏で画策した大連立騒動がありましたね。あの時は

言ってみれば、いつでも海外派兵できる安全保障の恒久法を作るのが狙いだったと思うんですが、その恒久法をち

らつかされたとたん小沢さんはパクッと食いつき、党内の反対を受けて取りやめたという経緯があった。手練れの小沢氏にしては理解不能な行動だという感じがするのですが。

佐藤 あの当時は焦りがあったと思いますよ。自民党の権力はそう簡単に崩れないだろうし、民主党が権力を取るには党内左派のみならず社民党にも依存しないといけない。つまり自分がやりたい、根本的な安全保障政策はできなくなるのではないかという焦りですね。だから、私は今後の小沢さんの戦略としては来年の参院選でガチッと勝つ。そうなれば小沢総裁の目も出てきますからね。

 その時に安全保障政策で党内左派や社民党が協力しなくてもいい。ただ左派も社民党も与党から出ていかないから日干しにするんです。それで自民党の方から流れ込んだ連中を含めた形で、この『改造計画』で言っている流れで帝国主義国としての再編をしていくというところかなと、僕は見てるんですよ。

だから彼の軸は冷戦後の帝国主義国家としての日本、列強の一つとしての日本というところでは全くブレてない。それは小沢さん個人がやっているんじゃなく、日本という国家が主語になっている。資本主義体制下でこれだけの経済力があって、なおかつこれだけの人口がある国家は帝国主義的再編をしないと生き残っていくことはできないという国家意識なんです。
 
—それは小沢さん一人が考えていることではなくて、外務省もそうであり……。
佐藤 要するに平均的な官僚、平均的な政治エリートが考えていることです。私が官僚だった時期に自らを置い

てみると、小沢さんの論理が良くわかるのです。あるいは私がいま政治家だったら、外交でどうやれと言われたら、確実に小沢さんのようにする。所与の条件で安全保障の文法だったら、当面それしかない。マルクス経済学の立場からしても資本主義は必然的に帝国主義になる。それ以外のオプションはない。人が金によって支配されるという資本主義のメカニズムの枠から抜けることはできない。でも、十把一絡げで帝国主義だからダメなんだ、資本主義

だから全部ダメなんだという形では括れない。やはり、よりましな帝国主義、よりましな 資本主義はある。だから我々は(他国に)どれぐらいの害悪を与えて、悪事を行う力があるのかということの認識をしていた方が、その悪事を極小化することには役に立つと思う。

我々は資本主義の宿痾から逃れられない。帝国主義国である日本は他国を踏み台にしないと生きていくことはできない。

 そういう構造の中に組み込まれていると認識することと、それを是認するということはちょっと違うんですよね。ただし中長期的なレンジでは、おそらく帝国主義を超えられる何らかのものがあると思う。問題は、小沢さんがそれを持っているかどうかですね。
 
—その通りですね。
佐藤 現時点で小沢さんが帝国主義を超える理念を持っているかどうかはわからない。ただプラグマティズムは、さっき言ったように現実の政争のマキャベリズムを超える何かがある。彼の原体験というか、根底にあるものは何か。

それはあれではない、これでもないという、否定神学的な言い方しかできないけど、それでも 残る超越的なものは何か。それを分かりやすく言うと、共同体の「生き残り」だと思うんですね。

—日本は九条の制限があるから湾岸戦争では巨費を投じた。アフガン戦争では海上無料ガソリンスタンドを作った。そういう選択肢はこれからの国際社会ではあり得ない?

佐藤 日本の規模になっちゃうと、あり得ない。どっかで血を流さないとダメ。少なくとも血を流す覚悟を示さないと。

帝国主義戦争の中で、うちはお金だけ出しますから、みんなは鉄砲玉を送ってください。この理屈は、非常に通りにくい。ただし、それはあくまで国家の論理なんです。社会の側、国民の側として付き合う必要はない。ただ付き合う必要はないけれども、最終的には、それで押し切られるわけなんですよね。阻止できない。ただその時に付き合う必要はないという形で、どういう論理を構築して、大衆運動を組み立てるかでコミットメントの度合いは変わる。 



http://uonome.jp/feature/ozawaichiro/754
http://uonome.jp/feature/ozawaichiro/829

2010年2月13日土曜日

【東京地検】 自殺者リスト

「長銀粉飾決算事件(日債銀不正経理)」(佐久間達哉が主任検事)
・1999年5月6日、上原隆・長銀副頭取が東京・杉並のビジネスホテルで首吊り自殺
・1999年5月17日、福田一憲・長銀大阪支店長が西宮の同行武庫川寮自室で首吊り自殺
・2000年4月27日、阿部泰治・長銀元常務(そごう副社長)が鎌倉の自宅で首吊り自殺
・2000年9月20日、本間忠世・日債銀社長が大阪・北のシティホテルで首吊り自殺(他殺説あり)
・2000年10月10日、中沢幸夫・そごう元副社長が西宮の自宅で首吊り自殺

●「福島県ダム汚職事件」(佐久間特捜部部長・当時副部長が指揮)
・2006年8月15日、河野茂典・東急建設執行役員・東北支店長が東京・中央区のホテルで飛び降り自殺
・佐藤栄佐久元福島県知事の弟の会社の総務部長と支援者、東急建設の2人の合計4人が自殺を図る。総務部長は一命を取り留めたが意識不明の重体。
・佐藤氏の妹さんは、東京地検に、連日の事情聴取を受け、倒れました。郡山の家族が上京し、地検まで駆け付けると、医者も呼ばず、病院にも連れていかれず、意識不明のまま。家族が、救急病院に連れていったときには、脱水症状で危険な状態にあったそうです。膨大な数の、佐藤元知事の関係者が、絨毯爆撃のように取り調べを受け、「嘘でもいいから、佐藤の悪口を言え」と強要されたといいます。苦しくなって、虚偽の証言をした人は、良心の呵責に耐えられず、死にたくなったと、何人の方々が告白したそうです。検事は、佐藤氏に、「金も、人も、時間も、いくらでもあるんだ」と言って脅したそうです。誰の金だ、と言いたい。(ジャーナリスト岩上安身氏がツイッターで)
参照:知事抹殺 つくられた福島県汚職事件

●「西松建設事件」(佐久間特捜部長)
・2009年2月25日、右近謙一・長野県参事(部長級)・県知事元秘書が長野市西長野の裾花川沿いで首吊り自殺(東京地検特捜部の事情聴取を受けていた)

●「利益供与事件(日興證券事件)」
・1997年6月29日、宮崎邦次・元第一勧業銀行会長 が東京の自宅で首吊り自殺
・1998年1月28日、大月 洋一・大蔵省銀行局・金融取引管理官が東京の官舎で首吊り自殺 (東京地検から出頭要請を受けていた。)
・1998年1月30日、吉田 一雄・道路施設サービス社長が首吊り自殺
・1998年2月19日、新井将敬・衆議院議員が東京・品川のホテルで首吊り自殺(衆議院議院運営委員会で逮捕許諾決議が可決されて本会議で逮捕許諾決議が採決される直前に『最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です』と発言した翌日、都内のホテル(ホテルパシフィック東京)で首を吊った死体として発見された。部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山落ちていたという。自殺か他殺かには諸説があり、いまだ明らかになっていない。参照:誰が新井将敬を殺したか)
・1998年3月12・14日、杉山吉男・大蔵省銀行局中小金融課・課長補佐が自宅で首吊り自殺
・1998年5月1日、鴨志田孝之・日本銀行理事が東京・板橋の分譲団地(実家)で首吊り自殺

●「りそな疑獄事件」
・2003年4月24日、平田聡・朝日監査法人・シニアマネージャー・公認会計士が自宅マンションから飛び降り自殺(他殺説あり)参照:りそなの会計士はなぜ死んだのか

●「緑資源機構談合疑惑」(岩村修二検事)
・2007年5月28日、松岡利勝・農林水産大臣が東京・赤坂の議員宿舎で首吊り自殺。(他殺疑惑もあり)談合疑惑で検察が松岡大臣にターゲットを絞り捜査を進めてきていた。本人聴取は時間の問題だったと一部では言われている。
・2007年5月29日、山崎 進一・元森林開発公団(現・緑資源機構)理事が横浜・青葉の自宅マンションから飛び降り自殺

●「ライブドア事件」(大鶴基成特捜部長)
・2006年1月18日、野口英昭・エイチ・エス証券副社長(ライブドア元取締役)が沖縄のカプセルホテルで自殺(他殺説あり)
・大西LD投資組合社長が行方不明

●「耐震強度偽装事件」
・1級建築士姉歯秀次の妻
・2005年11月2日、森田設計事務所の森田信秀社長(ただこの自殺は他殺説があり、鎌倉の海岸で全裸で発見された、という報道とワイシャツに黒ズボンで発見されたとする報道があったり、遺書もないのに警察の自殺の断定があまりにも早いことにも不信感が出ている)
・2005年12月6日、草苅逸男一級建築士の設計事務所爆発で焼死。
・2006年2月、朝日新聞社会部次長の斎賀孝治氏が死去(自転車の転倒による脳内出血?不自然な事故死。朝日社内では自殺。大臣認定の構造計算プログラムに問題がある点を指摘していた)

●歴史を振り返ると
「造船疑獄」
・1954年3月29日、雛田英夫・運輸省海運調整部総務課・雛田英夫課長補佐が運輸省本庁舎から飛び降り自殺
・1954年4月13日、宮島利雄・石川島重工重役が世田谷の自宅で首吊り自殺

「日通事件」
・1968年2月18日、福島秀行・日本通運・資金課長(日通前社長・福島敏行の次男)が検察庁ビルから飛び降り自殺(その日参考人として検察庁で取調べを受けていた)

「ロッキード事件」
・1976年8月1日、笠原政則・田中角栄元首相私設秘書が埼玉・都畿川村の林道で排ガス自殺

「リクルート事件」(主任検事は宗像紀夫)
・1989年4月26日、青木伊平・元竹下登在東京秘書が東京・代々木の自宅で首吊り自殺

・「鈴木宗男事件」(取調べ検事:谷川恒太・現最高検検事)
子宮がんで治療を受けていた秘書を逮捕し取り調べ 
・「平成14年7月23日、私の事務所の政治資金担当者である女性秘書が逮捕された。その女性秘書はその年の4月に子宮ガンの手術をし、その後放射線治療を受けていた。それにも関わらず、検察は彼女を逮捕した。
20日間勾留されている間、治療は受けられない。検察の意図が私に不利な調書を取ることにあったのは目に見えていた。それでも私は「命が大事だ」と言い、早く20日間で出ることを 優先する様にと弁護士に話した。案の定、その女性秘書の調書は検察の思い通りのものであった。公判でその女性秘書は「検察に言わされました」と証言してくれたが、日本の裁判は調書主義で、裁判長は法廷での真実の発言、叫びは採用してくれなかった。残念なことに、その女性秘書はガンが転移、進行し、翌15年9月、亡くなってしまた。亡くなる直前に私は保釈されたが、その女性秘書との面会は禁止という検察側の条件が付いており、お墓での対面となってしまった。その女性秘書を検察は起訴できなかった。最初から起訴できないことを承知で女性を拘束し、私に不利な調書をつくり、自分達の都合の良いシナリオ、ストーリーを描いていくのが検察のやり方である。」 (2009/3/4ムネオ日記より)


警察による取り調べ後の被疑者や関係者の自殺はもっと多い

・2000年12月19日、大阪府高槻市の府立高校2年の生徒(17)がマンションから飛び降り自殺。17日に発生したひき逃げ事件の参考人とし18日に高槻署の取り調べを受けたが、関わりを否定していた。

・デパートで万引きした女子中学生が、父母の立会いも得られずに、昼食も取れない心理状態で長時間警察での取り調べを受けた上、「家裁への出頭」を告げられた。非行歴もない成績も良かった生徒は、自殺した。

●中には取り調べ中に、自殺もあった
・2008年5月13日5月11日夜、前日の深夜に灯油をかぶりライターで着火させようとしていたところを保護した45歳の無職の男性が、署内での取調べ中、全身火傷の事故に遭い、21時間後に搬送先の病院で死亡。(サンスポ)

●「戸部署事件」(取調べ中に死亡)
・1997年11月8日、柳吉夫・横浜市・金融業が神奈川県警戸部警察署内の取調室で、取り調べ中、短銃自殺。(戸部署に押収されていた証拠品の拳銃で自殺したとされていた。その後この事件に疑問を感じたフリージャーナリストが取材し、遺族を探して裁判となる。1審の横浜地裁では自殺でなく取り調べ中の巡査部長が拳銃の引き金を引いたと認定されるも、2審では1審判決は取り消され逆転敗訴となり、最高裁判所に上告するも棄却、2審判決が確定する。)

・2007年11月24日、宮崎家県旧北浦町の元助役(64)=背任罪で起訴=の妻(60)が県警から参考人として取り調べを受けた翌日に橋から飛び降り自殺。「覚えていないと云うのに調書にされました。もう疲れました」などと遺書。

・転落した女児を轢いたと思われる、最も有力な容疑者は、トラックの運転手だった。彼は取り調べを受け、その4日後に自殺した。

・車で連れ去られた少女が手錠をかけられた状態で路上に放置され、その後通りがかった車に轢かれて死亡するという事件だ。このケースでも、轢いたのはトラックの運転手だった。そして、彼もまたその後、自殺した
「Tuyano Blog.」様より

警察で飛び降り自殺
・大分・中津市の大分県警中津署で23日午前、飲酒運転の疑いで取り調べを受けたトラック運転手が屋上から飛び降り、死亡した。酔っ払い運転で警察で事情聴取をされたトラック運転手が、飛び降り自殺をした。

「志布志事件」
2003年4月13日投開票の鹿児島県議会議員選挙(統一地方選挙)の曽於郡選挙区で当選した中山信一県議会議員の陣営が曽於郡志布志町(現・志布志市)の集落で住民に焼酎や現金を配ったとして中山やその家族と住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件を巡る捜査において、鹿児島県警察が自白の強要や数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留などの違法な取り調べを行なったとされる事件の通称。
・3人もの被害者の方が自殺未遂をおこすまでに追いつめられていたわけで、最悪の場合は死者が出ても不思議ではない事件であったと思うからです。 突然、身に覚えのない容疑で警察の任意同行を受け、連日の厳しい取り調べで精神的・肉体的に追いつめられていく高齢の被告たち。
・結果、3人が自殺未遂、3人が意識不明となって倒れ、5人が救急車で運ばれた。容疑を裏付ける物証が一切無い中、警察は「自白」だけに頼って逮捕起訴するが、被告13人全員が自白は強要されたものとして無実を主張している。
・容疑者が自殺を図る為谷底に飛び込むが、助けた付近にいた人が事情聴取を受け、助けた容疑者から「何を言っても信じてもらえないから死にたい」と聞いたと話しても、調書には「死んでお詫びする」とねつ造し、抗議したところ警察は何時間にもわたり身柄を拘束し脅しをかけてウソの調書にサインさせるといった事まで行われた。

ロス疑惑事件三浦和義・元社長が自殺した
三浦和義さんは自殺か?殺されたのか?
このニュースを聞いたとき確かに違和感を覚えた。

2010年2月11日木曜日

【民主党】 中島政希(二つの禁忌)

http://nakajima-masaki.com/monthly.html
司法合理性の陥穽

〈H22/1/27UP!〉 
二つの禁忌

 今回の石川議員逮捕劇は、戦後政治史的に見て極めて異例な出来事といわなければならない。

 昨年来、検察は、政治資金規正法違反容疑で鳩山総理や小沢幹事長の側近たちへの積極的な捜査を行ってきた。総理や政権中枢の政治家を捜査の対象とすれば、当然のこととして「内閣そのものに打撃を与え、ひいては内閣を倒壊させる可能性もある」との予想が成り立つ。そうした事態が予想できるにもかかわらず、政権中枢に捜査の手を及ぼすということは、その結果、「内閣が打撃を被り、ひいては内閣が倒れてもかまわない」という政治的判断がなければなし得ないところである。では「彼ら」は何故にそのような「政治的行動」に打って出たのだろうか。

 統帥権の独立が明治憲法下の政党政治を大きく掣肘したことはよく知られている。「軍事合理性」の追求を善とする軍部は、自ら想定する危機に対応するためとして、財政的配慮を欠いた過大な軍事費を要求したり、外交的配慮を欠いた軍事行動を起こしたりする。シビリアンコントロールとは、そうした軍部による軍事合理性の追求が、武力による脅迫となって民選政府の存立を動揺させることがないようにする制度的な保障である。

 軍部同様、司法部にもつねに「司法合理性」の追求を最善とする組織本能がある。検察が、強制力を伴う捜査権を行使して犯罪を捜査することは法律が許容するところだが、その「司法合理性」の行き過ぎが民選政府を危機に陥れる可能性は古来指摘されてきたところだ。それ故、検察制度に対する民主的統制をいかに図るかは、軍部に対するシビリアンコントロールと同様に、民主主義国家にとって重要な課題なのである。しかし戦後日本政治では、このことがあまりにも等閑にされてきた。

 戦前の司法部(検察)はしばしば、「司法合理性」の追求を優先的な価値とし、政党主体の内閣を倒壊させようと図った。その最も悪しき実例が「帝人事件」による斉藤実内閣の倒閣だった。帝人事件は後に全員無罪が確定するのだが、取調べに当たった黒木検事はこう言ってのけたそうだ。

 「俺たちが天下を革正しなくては何時までたっても世の中は綺麗にはならぬのだ。腐っておらぬのは大学教授と俺等だけだ。大蔵省も腐って居る。鉄道省も腐って居る。官吏はもう頼りにならぬ。だから俺は早く検事総長になりたい。そうして早く理想を実現したい」(河合良成『帝人事件』)

 戦後においても、昭電疑獄によって芦田均内閣が倒された例がある。しかし、第五次吉田茂内閣の造船疑獄以降は、検察が時の政権首脳に疑惑を見出し、それを執拗に追及して、内閣を窮地に陥れるに至った例はない。ロッキード疑獄やリクルート疑獄は、今回の鳩山、小沢献金捜査のように、始めから直接的に政権首脳を標的にしたものではなかった。

 それは民主主義国家における司法権力の節度というものであり、検察勢力は戦後長くその禁忌を維持してきた。

 他方、戦後日本政界には、もう一つの禁忌がある。政党内閣は、検察権の独立を認め、捜査に介入しない(指揮権を発動しない)という不文律である。

 それらは、政党内閣が検察による司法合理性の追求を許容する限度についての両者の暗黙の了解事項であった。

 私の見るところ、検察勢力は今回その禁忌を、意識的にか無意識的にか、自ら破った。そしてその反動として政権政党もまた自らの側の禁忌を破ろうとしている。それが今の時点の政治状況ということになる。

造船疑獄の政治的帰結

 さて、政党と検察双方の禁忌が成立したのは、造船疑獄がきっかけだった。

 第五次吉田内閣は、昭和28年4月のいわゆるバカヤロー解散の結果、少数内閣として成立したために、厳しい政局運営を余儀なくされ、やがて与党自由党の分裂、鳩山一郎民主党内閣の成立から保守合同に至る大政局が展開する。

 この大政局を与党自由党側で指導したのが緒方竹虎副総理だった。緒方には、当時もその後も、「知力胆力兼備の逸材、保守政治家の理想像を体現する人物」との評価が定着している。もし急死することがなければ鳩山一郎の後を襲って内閣を組織するはずだった。

 造船疑獄では、有田二郎ら4名の国会議員、土光敏夫らの財界人を含め逮捕者数は71人にも及んだ。やがてその捜査は、佐藤栄作幹事長、池田勇人政調会長、石井光次郎運輸相ら吉田政権中枢の逮捕劇に発展しようとしていた。

 昭和29年4月20日、検察庁は検察首脳会議の結論として佐藤自由党幹事長の逮捕許諾を求めた。緒方副総理は、優柔不断な犬養健法相を叱咤し、検察庁法十四条の指揮権を発動させ、佐藤幹事長の逮捕請求を延期させた。佐藤は後に収賄罪ではなく政治資金規正法違反で起訴されるが、国連加盟恩赦で免訴となった。この時の緒方の果断な対応で政治生命を救われた佐藤、池田、石井らが後の自由民主党の黄金時代を築くこととなる。

 「緒方は、親しい友人の反対にもかかわらず、内閣が検察庁の意向次第で進退せざるを得なくなり、いわば検察ファツショ的風潮が台頭することを恐れるという立場から」指揮権発動を決意したのである(緒方竹虎伝記刊行会『緒方竹虎』)。

 『緒方日記』(4月21日)によれば「検察側も大体事なきようなるも,犬養法務大臣の退官を条件とするが如し」とある。検察側は、指揮権による佐藤逮捕延期を受け入れたが、法相辞任を求めた、つまり相打ちにしたかったということだろう。緒方は吉田首相と協議し「辞職させては指揮権発動は悪だったという印象を与える」として辞職させないことを決めたが、犬養は「遮二無二に辞めてしまった」(山田栄三『正伝佐藤栄作』)。

 こうして、造船疑獄は、検察の「司法合理性」の追求に箍をはめるとともに、政党内閣による指揮権発動を「悪」として封印するという政治的帰結をもたらしたのであった。

 当時政界は、いわゆる55年体制という安定した戦後政治体制確立前の揺籃期にあった。政党側は、自由党内の吉田内閣支持派と鳩山一郎ら反吉田派が、第二保守党の改進党を巻き込んでの激しい権力抗争を展開していた。他方、検察内部では、岸本(最高検次長検事)派と馬場(東京地検検事正)派とがこれまた激しい派閥抗争の渦中にあり、佐藤藤佐検事総長は全く指導力を欠き、犬養法相もまた象徴的存在に過ぎなかった。

 要するに、指揮権発動に至る政治過程は、政界と検察内部の、双方の混乱の中で勃発した。吉田内閣が盤石であれば、検察勢力はそもそも政権中枢に捜査の手を及ぼすような判断をしなかったであろうし、強固な統制力をもつ検事総長がおれば、「司法合理性」を追う現場の暴走を許さなかったのではないか。

 当時現場の若手主任検事だった伊藤栄樹(後検事総長)は「佐藤検事総長はまことに人柄の良い方であったが、強気の意見に引きずられがちであった」と回想している(伊藤栄樹『秋霜烈日』)。

司法合理性の陥穽

 安定した政治体制の欠如と検察の内部統制の弛緩。それが検察勢力が「司法合理性の陥穽」に陥る要因だったのである。

 今また日本は、新たな政治体制確立のための揺籃の時期にある。民主党による政権交代により、従来の政官業複合体が解体を強いられ、官僚組織には動揺が広がっている。しかし民主党は衆議院で絶対過半数を確保しただけで、統治システム全体への強固な支配を確立したわけではない。

 他方、樋渡検事総長の指導力不足、佐久間特捜部長の功名心を危惧するマスコミ報道も散見する。検察内部の秩序が弛緩し、造船疑獄当時にも似た「司法合理性の陥穽」に陥っているのではないか、と危惧するのは私だけではない。

 造船疑獄は「スケジュール捜査」であったと当時の捜査官が回想している。すなわち「その最終目標は、ほかでもなく『造船利子補給法案』の国会通過をめぐって、自由党幹事長佐藤栄作氏と政調会長池田勇人氏が海運業界からごっそりいいただいていた罪を問うことだった」と(読売新聞社会部『捜査』)。

 当時の検察勢力は、初めから、捜査の果てに、この二人の自由党領袖の政治生命を失わせしめることを期し、その結果吉田政権を終焉に導くこともやむなしとしていたのである。

 昨年3月以来の小沢一郎氏の周辺に対する執拗な捜査も、その帰結するところは、同氏の政治生命を失わしめるところにあると推察できる。初めに「政界からの小沢排除」という大目的があり、なんとかその目的を達するために無理をして証拠を集めようとしている。そう思われても仕方がない展開となっている。

 民主党が追求する政治主導の政策決定システムは、必然的に官僚機構の安定した階層秩序を破壊する。その行き着くところ、GHQによる戦後改革でも生き残った「検察権の独立」を侵害するに至るのではないか。そのことへの過度の警戒感が、小沢一郎氏の政治的個性と相俟って、彼らを司法合理性の罠に陥落せしめたのではないだろうか。

 国民的支持によって成立した政党内閣側の立場からいえば、これは検察勢力による飽くなき司法合理性の追求によって、民選政府の存立が危機に陥っている事態であり、看過できないという論理が成り立つのである。小沢氏のいう「民主主義の危機」とは、この意味だろう。

 もちろん小沢氏に瑕疵がないとは言わない。しかしこうしたやり方で、彼を葬り去ることは決して良いことではない。

 「今回の特捜部捜査は、小沢幹事長の旧自民党的体質、つまり手段の部分だけに光をあて、政治と社会の変革という目的の部分を意図的に無視しているようにしか見えない。いま小沢一郎という人物を追い詰めることで、検察はこの国をどうしようとしているのか」

 御厨貴東大教授が、小沢氏の幹事長辞任による事態収拾に言及しつつも、このように指摘しているのには共感するものがある(『朝日新聞』1月17日掲載)。

 「検察はこの国をどうしようとしているのか」、同じような不安は、実は造船疑獄当時にも広く存在した。それは政党側だけでなく検察内部にもあったのだ。

 「(指揮権発動で)無念の思いに混じって、ホッとする気持ちがあることも否定できなかった。佐藤栄作幹事長を逮捕した後には、池田隼人政調会長を始め、なお何人かの国会議員の逮捕が予定されており、一体この事件はどこまで発展するのだろう、日本の政治はどうなるのだろうといった漠然とした不安が胸にあった」(伊藤栄樹『秋霜烈日』)

 それにもかかわらず、捜査現場は突っ走り、上層部は振り回されたのだ。軍部が戦争を始めたら途中で止めることは至難の業だ。同じように、検察の捜査権の暴走が始まったら止めることは難しい。したがって、国家統合レベルの観点から、軍事合理性に歯止めをかける枠組みが必要なように、司法合理性にも同じ観点からの歯止めが必要なのである。

「力の政治家」の魅力と限界

 原敬は「政治は力なり」と言った。実際に彼は力の政治家であり、その力の源泉は抜群の資金力にあった。金権政治を批判する馬場恒吾に、原はこう言ってのけた。「金を欲しがらない社会を拵えて来い。そうすれば金のかからぬ政治をして見せる」(馬場『回顧と展望』)と。小沢氏も同様の心境だろう。

 政治史に大きな足跡を残した政治家は、概ね資金調達能力に優れた人物であった。星亨も原敬も加藤高明も、佐藤栄作も池田勇人も…。そして「小沢一郎」もその例外ではない。政党政治に、規模の大小はあれ腐敗や金権はつきものなのである。

 藩閥官僚派に対して政党政治の優位を確立しようとした点では、原敬は充分に改革的な政治家であり、今日その評価は定着しているといってよいだろう。

 しかし、同時に、原内閣は汚職事件にまみれた政権だった。満鉄疑獄、東京市政汚職など政治腐敗事件が次から次へと明るみに出た。

 原のライバルだった国民党の犬養毅はこう批判した。「(政友会は)党員の慾心を満足させるためにいかなる悪事をしているか。…種々雑多な利権を振りまけばこそ党員が集合しているのではないか。これまで藩閥、官僚の政府がずいぶん悪いことをいたしたが、かくの如く広く行き渡る悪事をいつしたことがあるか。ないのであります」(『犬養木堂全集』)と。

 これらの疑獄に対して原は大木法相を督励して司法部に圧力をかけ、捜査の拡大を抑圧した。衆貴両院を縦断する原の圧倒的政治力がそれを可能とした。しかし、それは抑え込まれた司法部に政党内閣への敵意を醸成し、後の検察ファッショの遠因となったのである。

 後世の評価とは異なり、当時の原内閣は「腐敗した政治家が強大な権力を維持して国政を壟断している」とのイメージでとらえられていた。原敬が凶刃に倒れたとき、ある地方では号外売りが「万歳万歳」と叫んで売って歩いたのである。

 原敬は、政党(政友会)の勢力拡大こそが、藩閥官僚政治を打破し新しい政治をつくる道だと確信していた。それ故彼は、金を集め子分を養い、衆議院で多数を占めることはもとより、その勢力を貴族院にも、内務省(警察と県庁)にも拡大していった。そしてやがては軍部にも政党勢力を及ぼそうとしていたのである。

 自己の支配範囲の拡大イコール改革の前進と自負する強固な精神、それは「力の政治家」の常というべき性であろう。一方それは、第三者からは、手段を選ばぬ飽くなき権力の追求と見られかねない危惧がある。

 原が「政治は力なり」と言ったとき、犬養毅は「政治は正義なり」と叫んだ。原が目的のために手段を選ばずと言ったときには「手段もまた選ばざる可からず」と説いた(古島一雄『一老政治家の回想』)。

 力も正義も「政治的なるもの」の本質であり、人びとを突き動かす契機なのである。それ故、「力」の政治の前には、いつの時代にも「正義」の政治を掲げる人びとが立ちはだかる。「力」において劣る勢力は、必然的に人びとの「正義」の観念に訴えかけることによってその劣勢を挽回しようと図る。大衆民主主義社会では、マスメディアがそれを後押しする。

 小沢一郎氏はすでに原敬に匹敵する足跡を日本政治史に残した。彼が原敬同様に「改革的政治家」であり、「力の政治家」であることもまた事実である。そして日本政治史は、大久保利通、星亨、原敬、田中角栄など力の政治家に、その政治生命を全うせしめない先例に満ちている。力の政治家がその力を誇示するのは当然のことだが、それは、政治に正義を期待する人たちを刺激し、必ず大きな反作用をもたらすのである。力の政治家の魅力と限界はそこにある。

 今回の検察の暴走は、「小沢一郎という力の政治家」の存在を抜きにしては考えられない。この力の政治家の台頭への恐怖感と嫌悪感こそ、検察勢力に長年の禁忌を破らせた最大の要因であろう。

司法合理性へ新たな枷を

 私は、長年日本政治史に関心を持ってきたのだが、浜口雄幸民政党内閣のロンドン軍縮条約締結に際して、政友会の犬養毅や鳩山一郎が「統帥権干犯」の理論で反対したことだけは、理解できないできた。生粋の政党政治家で鋭敏をもって謳われた鳩山が、政友会が政権を奪還した時に自らもまた統帥権の脅威にさらされることを予測できたにもかかわらず、なぜあのような愚行に走ったのか。

 先日予算委員会室で谷垣自民党総裁の質問を間近で聞いた時、この長年の疑問が一気に氷解する思いがした。彼の言っているのは、「検察の神聖な捜査権を干犯するのはけしからん」という論理だった。法務大臣からは指揮権発動せずの言質を取ろうと必死だった。政権への渇望感は、かくも政治家の理性を失わしめるものなのだと実感した。

 事態を収拾するために、小沢氏はいつの時点かで幹事長を退かなくてはならないかもしれない。それは政党の側の節度として意味あることだ。と同時にこの機会に、検察勢力の司法合理性の追求が民選政府を危機に陥れないように、もう一度箍(たが)をしめ直さなくてはならない。懸案の検察改革を断行する契機とすべきであろう。

 まず第一に、政党側の憲法上法律上の権限を再生することである。

検察の逮捕許諾請求と政党側の釈放請求は憲法五十条で、共に認められた権利であり、どの時点かで石川議員の釈放請求決議を成立させることは、検察を含む官僚機構に対する民選政府の権威を確立する上で大いに意義がある。

 伊藤栄樹は「国会議員に対する逮捕許諾請求は、捜査にとって百害あって一利なし」と言っている。「当該議員がいくら否認してもかまわないたけの証拠を集め、議員については任意捜査ですませる。これが一番よい方法だと考えている。だから、私が指揮した国会議員に対する事件は、皆この方式で起訴に持ち込んでいる」(伊藤前掲書)

 これが民主主義国家の検察の節度というものだ。国会議員を逮捕することが、出世につながるかのような弊風は糾さなければならない。

 検察庁法十四条の指揮権についても、その禁忌を解き放つときだ。この際、民選政権を意図的に崩壊させるような捜査が行われる場合は「指揮権発動もありうる」と明言すべきである。

 第二には、検察権力の正統性が、あくまでも「国民の信任」に基づくことを明確にする諸措置を講ずるべきである。

 検察庁には検事総長はじめ認証官がたくさんいるが、国民審査もなく、国会の承認もなく、強大な権力を保持している。戦前の「天皇の官吏」のままの状況であり、民主国家として極めて異例である。検事総長や高検検事長ら認証官については全員国会承認人事とすべきである。

 検事総長が検察官僚でなくても、民間人でも一向に構わないし、法務大臣の兼任にしてもよい。こんな例は先進民主主義国家ではざらにある。

 GHQの戦後改革案では、検事の選挙や国民審査も検討されていた。この時のやり取りは、「検事に対する国民審査に対する会談録」として法務省に残っていた。先年公開されたので取り寄せて読んだが、改革に抵抗して潰した当事者が当時の佐藤法務次官つまり造船疑獄の時の検事総長だった。

 第三に、取調の可視化や証拠の全面開示のための法改正を断行することである。

 民主党の取調可視化法案は、これまでに二度にわたり参議院を通過している。衆議院選挙の民主党マニフェストでも明記されている。鳩山政権成立後の千葉法務大臣の対応は、誠に不可解だ。かつては民主党可視化法案の提出責任者であったにもかかわらず、あまりに消極的であり、法務官僚に取り込まれたとしか思えない。参議院で可決した法案はそれなりに良くできている。これを直ちに衆議院に提出すべきである。不備があれば改正すればよいのだ。もし法務省が出さないなら、議員立法で成立させるべきだ。

 また、検察に、調書などの証拠書類の全面開示義務を課すよう法改正を行うべきである。証拠の全面開示は、占領下においては実行されていた。検察の透明性はその後むしろ後退しているのである。

 今回の事件を機に「司法合理性の追求」の限界をより明確化し、検察の透明性を高める改革につなげることができれば、それだけで鳩山政権は歴史的意義を持ったと言えるだろう。

 鳩山総理は辞任など絶対に考えてはならないし、いざとなれば指揮権発動も辞さない決意を持って時局に臨まなければならない。それは政党政治を守る最終責任者としての当然の覚悟であろう。そのことでなら野党やマスコミの批判を気にする必要はない。造船疑獄の時の緒方竹虎の知力胆力に倣ってほしい。

(平成22年1月26日 中島政希 記)

【財務省】 外国為替資金特別会計

 外国為替資金特別会計、略して外為特会または外為資金特会と呼ばれる特別会計があります。為替相場が円高に振れるときに財務省が為替介入して円高を防ぐための資金です。

円高を阻止するための為替介入をするときは、まず、政府が、国債の一種である政府短期証券を発行し、金融市場から円資金を借金します。そして、外国為替市場で、この円資金を売って、ドルを買います。(大量の円が売られるわけですから、円の値段は安くなります!)

政府の手元には多額のドルが貯まりますが、ドルの現金を持っていても金利はつきませんから、手元のドルでドル建ての債権、つまりアメリカ国債を購入します。

この特別会計では、政府短期証券を発行することにより借金した円資金が負債になります。そして、円を売ってドルを買い、そのドルで買ったアメリカ国債が資産になります。

具体的に例を挙げましょう。一ドル百円のときに為替介入をしたと仮定します。百円分の短期証券を発行し、手元に百円入りました。これを売って一ドルを買いました。その一ドルでアメリカ国債を一ドル分買いました(手数料などは無視します)。このとき、負債は百円、資産は一ドルです。資産の一ドルを円換算すると百円ですから、負債は百円、資産は百円です。

さて、この後、円安になり、一ドル百二十円になりました。外為特会の負債は百円、資産は一ドルです。では資産の一ドルを円換算してみましょう。百二十円になります。つまり、為替介入したときよりも円安になれば、負債よりも資産の方が大きくなります。

では反対に、円高が進み、一ドル九十円になったらどうなるのでしょうか。外為特会の負債は百円、資産は一ドル、これは変わりません。では、資産を円換算すると、九十円。負債の方が資産よりも大きくなります。

現在、円の金利よりドル金利の方が高くなっています。だから、この特別会計のために政府が発行する円建ての政府短期証券の金利、つまり日本政府が払う金利、よりも特別会計で保有しているドル建てのアメリカ国債の金利、つまり日本政府がもらう金利、の方が高いのです。毎年、この金利差で、特別会計には三兆円近くの収入があります。そして、この特別会計から一般会計に二兆円近くが繰り入れられているのです。

では、ドル債を持っているときに円高になったら、どうしますか。先ほどみたように、一ドル百円で、この特別会計は資産と債務がとんとんになります。それ以上円高になると、資産よりも負債が多くなります。つまり、手持ちのアメリカ国債を全部売却しても借金を返せなくなります。

さらに、もし、円の金利が高くなって、ドル金利が低くなって、金利が逆転したらどうしますか。一般会計から金利の差額分を支払わなければなりません。

この外為特会の出口をそろそろきちんとしておかなければなりません。

2010年2月8日月曜日

【月刊日本】 佐藤優

【佐藤優特別講演会・天皇論1二つの(小文字)国家ー政府と官僚】
【佐藤優特別講演会・天皇論2 国体の回復 GHQ第1号禁書『国体の本義』とは】
【佐藤優特別講演会・天皇論3-1鳩山由紀夫研究 吉野の後醍醐陵へ】
【佐藤優特別講演会・天皇論3-2 鳩山由紀夫研究 Stanford大学で決断学を会得】
【佐藤優特別講演会・天皇論3-3 鳩山由紀夫研究】
【佐藤優特別講演会・天皇論4-1 小沢vs検察戦争】
【佐藤優特別講演会・天皇論4-2 大政翼賛会を上回るファッショ】
【佐藤優特別講演会・天皇論4-3 小沢の恐ろしさはボルシェビズム】
【佐藤優特別講演会・天皇論5 我々にとってギリギリの選択は?】
【佐藤優特別講演会・天皇論6 国体明徴(差替え更新版)】
【佐藤優特別講演会・天皇論 山崎行太郎氏との対話1/5 プロフィール】
【佐藤優特別講演会・天皇論 山崎行太郎氏との対話 2/5】
【佐藤優特別講演会・天皇論 山崎行太郎氏との対話 3/5】
【佐藤優特別講演会・天皇論 山崎行太郎氏との対話 4/5】

2010年2月6日土曜日

【検察問題】 最高検検事・谷川恒太

2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。

 すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。多数の方からお問い合わせを受けましたが、「出頭」ではなく地方に「出張」しており(こういう軽口が誤解を招く......)、直接対応できずにすみませんでした。

 詳細は来週号でお伝えしようと思っておりましたが、東京地検が抗議書を送ったことが報道されたこともあって、その後もお問い合わせが絶えないため、とりあえず現時点でご報告できることをまとめてみたいと思います。

 その前に、編集部へいただいた電話やメール、ファックス等はほとんどが激励、応援のメッセージで本当に心強く思いました。どれだけお礼の言葉を並べても足りないくらい感激です。ありがとうございます。そして、ご心配をおかけして本当にもうしわけありませんでした。

 ことの経緯は、説明すれば「なんだ、そんなことか」で終わってしまうような話です。

 3日午前に東京地検の「タニガワ」さんという方から編集部に電話があって、わたしが出張で不在だったので、折り返し連絡がほしいということでした。

 出張先で伝言を受け取ったわたしが指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。

 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。

「すみません。前から決まっていたスケジュールなので。戻ったらすぐに連絡します」

「それは、きょうですか?」

「いえ、きょうは戻れないので、明日か明後日か......」

「そうですか......」

 谷川氏が困ったようすだったので、

「担当デスクが東京にいるので、デスクに行かせましょうか?」

 と水を向けると、

「いえ、編集長にということなので......」

「そうですか。では、いずれにしてもきょうは無理です」

 というようなやりとりがあり、谷川氏から、

「では、抗議書を送らせてもらいます」

 と言われたので、

「では、そうしてください。いずれにしても、また戻ったら電話します」

 ということで話は終わりました。言ってしまえば、これだけです。

 電話を切ってから、なんとなく谷川氏が急いでいるようだったことが気になり、その後のスケジュールを調整できないか編集部や関係先に何本か電話しました。そのとき「実は、東京地検から呼ばれてさ、ちょっと行かないといけないみたいだから、これからのスケジュールをキャンセルとか調整とかできるかな?」などと言ったことに「尾っぽ」や「ひれ」が付いて、どうやら「出頭要請」情報になったようです。

 お騒がせして、本当に申しわけありませんでした。

 さて、そんなわけで東京地検の谷川次席検事から送られてきたのが、別紙の「抗議書」です。ひとことで言えば、記事内容が「全くの虚偽」だと断定する内容です。

 この抗議に対する筆者の上杉さんの「反論」は来週号を見ていただくとして、現段階でわたしが言えることは、「記事は丁寧な取材を重ねたもので、自信を持っています」ということです。わたしは、上杉さんがどのような取材に基づき、この記事を書いたかよく知っています。

 記事を読んだ方はおわかりだと思いますが、あのようなディテールを「全くの虚偽」で書けるはずがありません。綿密な取材と確認作業の積み重ねによって、ようやく紡ぎだせる事実です。それは、プロの編集者が見れば一目瞭然のことなのです。そもそも「全くの虚偽」な記事が市販の雑誌に掲載されることは常識的にはあり得ません。

 一方、谷川氏の抗議書には、「真実は」として、おそらく担当検事から聞き取りをしたと思しき内容の記述があります。これには正直、驚きました。これは「真実」でなく、あくまでも「検察側の主張」ではないかと思います。わたしたちも、上杉さんの記事は丁寧な取材を重ねたもので、内容に自信を持っていますが、「真実」とは軽々に断定できないと思っています。「真実」とは、それほど重たいものなのです。そのため、わたしたちは通常であれば対立する相手方の意見を取材することになりますが、東京地検に関しては過去に何度、取材申し込みをしても、「週刊誌には、一律してお答えしないという対応を取らせていただいております」というような返事を繰り返すばかりでした。

 このような抗議をする前に、取材に応じていただければよかったのに......。

 いずれにしても、自分たちの一方的な「主張」を「真実」であるとするのは、法律家の事実認定としてあまりに乱暴ではないか、という感想を持ちました。東京地検では、日ごろからこのような事実認定が行われているのかと心配にもなりました。週刊朝日の記事が「全くの虚偽」と書いてありますが、その根拠となる証拠の提示もありません。

 話は少し横道にそれますが、4日付の複数の新聞に〈週刊朝日記事に東京地検が抗議〉という記事が出ています。通信社の配信記事だと思います。少し引用します。

〈東京地検は3日、衆院議員・石川知裕容疑者(36)らが逮捕された収支報告書虚偽記入事件を扱った週刊朝日2月12日号の記事について「まったくの虚偽だ」として、山口一臣編集長あてに抗議文を送ったことを明らかにした(以下略〉〉

 記事はこの後、筆者がジャーナリストの上杉隆さんであることを明記しています。読んでとっても違和感を覚えたのが、抗議の主体である谷川氏の名前が記事のどこにも出ていないことです。抗議はあくまでも組織として行ったものだとしても、「東京地検は3日、谷川恒太次席検事名で......」と書いたほうが正確です。もし、個々の固有名詞を出さないという方針なら、わたしや上杉さんの名前も同じように書かないほうがいいとわたしは思います。しかし、記事の基本は5W1Hで、とりわけ「誰が」という情報は重要で、責任の所在を明確にする意味でも、名前は必要だと思いました。

 さて、週刊朝日が一連の捜査に対して一貫して言っていることのひとつは、「検察は法律に則って公平・公正な捜査を行ってほしい」ということです。

 たとえば、石川知裕議員の逮捕―――

 身柄を拘束して自由を奪う行為は、国家が行使する公権力の中ではもっとも重大なものだと考えられています。それだけに、逮捕が公平・公正に行われたかのチェックはメディアにとってきわめて大切な行為です。一般に、捜査機関が人を逮捕する場合、(1)証拠隠滅の恐れがある場合と、(2)逃亡の恐れがある場合に限られます。刑事訴訟法上はさらに「諸般の事情に照らして逮捕の相当性があること」という要件もありますが、これを無制限に拡大しては法律の意味がありません。

 石川議員は、本当に証拠隠滅や逃亡の恐れがあったのか?
これは、多くの識者が指摘しているように、まずあり得ないことでしょう。石川議員はこれまで任意の事情聴取に応じてきました。近く、国会が始まろうという時期です。民主党の党大会前日に逮捕した理由は何だったのか。それこそ検察側の説明責任が問われます。

 また、2月5日号でやはり上杉さんがリポートした、捜査令状なしで石川議員の事務所を占拠した行為についても、われわれの取材したとおりの事実なら〝違法捜査〟に相当します。しかし東京地検は、この件に関してもいっさい取材に応じません(抗議書も来ていませんが)。逮捕にしろ、家宅捜索にしろ、捜査機関の強制力が法律に基づかないまま行使されることがあるとすれば、一般市民として強い恐怖を覚えます。

 そして、今回、上杉さんが書いた女性秘書に対する「騙し打ち」の事情聴取について言えば―――。

 共稼ぎで保育園に子どもを預けている親にとって、「お迎え」は何よりも大切なことだと思います。それを阻害してまで続けなければならない事情聴取があるでしょうか?
一刻も早い処罰を争うわけもない政治資金規正法違反の立件が、2人の子どもの子育てより優先されるとは思えません。子どもは国の宝です。東京地検はその捜査によって、世の中にどんなメリットをもたらしてくれるのか。税金を費消しているのですから当然、説明の義務があると思います。

 いずれにしても、当該女性秘書にウソを言って呼び出したこと、弁護士へ連絡をさせなかったこと、長時間にわたる取り調べを行ったことなど、いずれも違法・不当な行為です。法曹資格者たる検察官が法を順守しないというのは、いかがなものかと思います。

 わたしは、検察が信頼されない社会はとてもよくないと思っています。しかし、こんなことを繰り返しているようでは、市民の信頼を失うことは明らかです。

 もうひとつ指摘しておきたいのは、昨年3月以降(政権交代の可能性が具体的に見えてきてから)の捜査が明らかに「政治的に偏向している」という点です。検察当局はかたくなに否定すると思いますが、少なくともそう疑われても仕方ないでしょう。

 まず、3月の大久保隆規秘書の突然の逮捕―――。

 当時、検察OBをはじめとする多くの専門家は、「半年以内に確実に選挙があるというこの時期に、政治資金規正法違反という形式犯で野党第一党の党首の秘書を逮捕するはずがない」という理由から、「これは贈収賄やあっせん利得、あっせん収賄など実質犯への入り口だ」と解説したものです。以後、今回と同じく「談合」「天の声」「ゼネコンマネー」といった小沢氏に関する悪性報道が続きますが、結局、検察が起訴できたのは大久保秘書の政治資金規正法違反のみでした。

 しかし検察は、その捜査によって小沢一郎氏を代表の座から引き降ろすことに成功しているのです。

 今回の捜査もほとんど同じ経緯をたどりました。

 強制捜査着手前から小沢氏の悪性情報がどんどん流れ、ピークに達した時点で石川議員ら計3人が逮捕され、小沢氏本人も被疑者として2回にわたる事情聴取を受けました。ふつうに考えたら、小沢氏本人が贈収賄や脱税などの実質犯で立件されることが想定される事態ですが、これも結局は石川議員ら3人の政治資金規正法違反のみの起訴で終わっています。まるでデジャヴーを見るような思いです。

 しかし、この10カ月にわたる「小沢捜査」が小沢氏本人はもとより民主党政権にも大きなダメージを与えたことは間違いありません。検察にそういう意図があったとは思いたくありませんが、今年夏の参議院議員選挙にも間違いなく強い影響を与えることになるでしょう。うがった見方かもしれませんが、検察が証拠を見つけられず、法によって処罰できないからといって、イメージ操作で社会的な制裁を加え、政治的ダメージを与えるようなことがあったとしたら、それは先進法治国家とはいえないでしょう。

 今回、問題となった政治資金規正法違反については、「単なる形式犯」という識者もいれば、「国民を欺く重大な犯罪」という専門家もいます。わたしは、両方とも正しいと思っています。この法律はそれほど「悪質性」に幅があるということです。単なる「記入ミス」「記載漏れ」から意図的な「虚偽記載」、さらに、その意図の内容によっても悪質性が違ってきます。誰が考えても処罰の必要があると思うのは、ワイロ性が疑われるヤミ献金の受け取りです。個々の違反事例がどの程度、悪質なのかの判断は捜査当局にまかせるのでなく、わたしたち自身が国民目線でしっかり検証しなければならないと思っています。検察は、自らの捜査に正統性を与え、手柄を大きく見せるためにも、さかんに「悪質性」の宣伝をする傾向にあります。それは、検察にとってはごく一般的な手口なのです。

 石川議員らの事件に関しても、本当に起訴に相当するものなのか、処罰価値があるのか、さまざまな観点からの検証が必要でしょう。元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士は2月5日付の朝日新聞(朝刊)に次のような談話を寄せています。

〈政治資金規正法は改正が繰り返されて厳罰化が進み、政党助成金が投入されるようになったことなどで、違反に対する認識が変わりつつあるのは確かだろう。だが、虚偽記載の起訴だけで捜査を終えるのなら、見通しのない捜査だったと批判されても仕方がない。同法違反で簡単に逮捕できるとなれば、検察が議員の生殺与奪を握ることにならないかも心配だ〉

 わたしは、この引用の最後の部分がとても重要だと思います。検察(官僚)が国民が選挙によって選んだ議員(政治家)の生殺与奪を握る社会がいいのかどうか。答えはおのずと明らかです。もちろん、検察にとって政治家の悪事を暴き、法に基づき適正な処罰をするのは重要な役割です。しかし、その場合は誰にも文句を言えないような犯罪事実を見つけ出し、誰にも批判されないだけの証拠を集め、正々堂々と公判請求するのが検察官としての矜持ではないかと思います。

 もちろん、わたしたちは小沢氏個人を擁護するためにこのようなことを書いているわけではありません。「小沢とカネ」に関する新たな疑惑や不正事実をつかんだら、検察より緻密な取材で批判・追及することになるでしょう。上杉さんが弊誌でたびたび指摘するように、検察が権力なら、小沢氏も権力の側の人ですから。

 今回、小沢氏に関して指摘されているさまざまな〝疑惑〟は実は、10年以上前から雑誌メディアで追及されてきたことばかりです。東北地方の談合に関する問題はジャーナリストの横田一さんらが1995年から「週刊金曜日」でキャンペーンを張ったもの、また政治資金団体による不動産購入など、いわゆる金脈問題については松田賢弥さんが主に「週刊現代」誌上でず~っと追及してきた話です。いずれにしても「小沢金脈」の全容解明は、検察ではなくジャーナリズムの仕事だとわたしは思っています。

 なぜ、小沢氏は不起訴で終わったのか。小沢氏周辺が大物検察OBを使って検察首脳と裏取引をしたという情報が、まことしやかに出回っています。もしこれが本当なら、「検察も小沢も」一蓮托生ということになりかねません。その真偽の確認もわたしたちジャーナリズムの仕事だと思います。民主党政権が今後、取り調べの可視化などを本気で進めるのか。みなさんと一緒に監視していきたいと思います。

 そんなわけで、九州出張から帰ったわたしは、東京地検の谷川氏のところへ電話を入れました。しかし、石川議員らの起訴でさすがに忙しいようでなかなか連絡が取れません。その間も、各方面から「いったいいつ『出頭』するのか」というお問い合わせをいただき、申しわけありませんでした。結局、谷川氏とは連絡が取れずじまいで、代わりに弊誌記者の新たな取材申し込みに対して広報官を通じて以下のような返事を受け取りました。

〈谷川次席から山口編集長に来庁していただきたいと連絡をさせていただきましたが、山口編集長が所用で来られないということでした。そのため、抗議の意を速やかにお伝えするために、2月3日に抗議書をFAXで送らせていただきました。抗議書はすでにお送りしていますので、現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます〉

 すみません、これが結末です。こちらも今週の締め切りに入ってしまったため、これ以上のツッコミはしていません。

 みなさん、お騒がせして本当に申しわけありませんでした。

 なお、来週発売号で、上杉隆さんの「東京地検の『抗議』に抗議する」を掲載します。ぜひ、ご覧ください。


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【東京地検】 谷川恒太次席検事

2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。

 すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。多数の方からお問い合わせを受けましたが、「出頭」ではなく地方に「出張」しており(こういう軽口が誤解を招く......)、直接対応できずにすみませんでした。

 詳細は来週号でお伝えしようと思っておりましたが、東京地検が抗議書を送ったことが報道されたこともあって、その後もお問い合わせが絶えないため、とりあえず現時点でご報告できることをまとめてみたいと思います。

 その前に、編集部へいただいた電話やメール、ファックス等はほとんどが激励、応援のメッセージで本当に心強く思いました。どれだけお礼の言葉を並べても足りないくらい感激です。ありがとうございます。そして、ご心配をおかけして本当にもうしわけありませんでした。

 ことの経緯は、説明すれば「なんだ、そんなことか」で終わってしまうような話です。

 3日午前に東京地検の「タニガワ」さんという方から編集部に電話があって、わたしが出張で不在だったので、折り返し連絡がほしいということでした。

 出張先で伝言を受け取ったわたしが指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。

 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。

「すみません。前から決まっていたスケジュールなので。戻ったらすぐに連絡します」

「それは、きょうですか?」

「いえ、きょうは戻れないので、明日か明後日か......」

「そうですか......」

 谷川氏が困ったようすだったので、

「担当デスクが東京にいるので、デスクに行かせましょうか?」

 と水を向けると、

「いえ、編集長にということなので......」

「そうですか。では、いずれにしてもきょうは無理です」

 というようなやりとりがあり、谷川氏から、

「では、抗議書を送らせてもらいます」

 と言われたので、

「では、そうしてください。いずれにしても、また戻ったら電話します」

 ということで話は終わりました。言ってしまえば、これだけです。

 電話を切ってから、なんとなく谷川氏が急いでいるようだったことが気になり、その後のスケジュールを調整できないか編集部や関係先に何本か電話しました。そのとき「実は、東京地検から呼ばれてさ、ちょっと行かないといけないみたいだから、これからのスケジュールをキャンセルとか調整とかできるかな?」などと言ったことに「尾っぽ」や「ひれ」が付いて、どうやら「出頭要請」情報になったようです。

 お騒がせして、本当に申しわけありませんでした。

 さて、そんなわけで東京地検の谷川次席検事から送られてきたのが、別紙の「抗議書」です。ひとことで言えば、記事内容が「全くの虚偽」だと断定する内容です。

 この抗議に対する筆者の上杉さんの「反論」は来週号を見ていただくとして、現段階でわたしが言えることは、「記事は丁寧な取材を重ねたもので、自信を持っています」ということです。わたしは、上杉さんがどのような取材に基づき、この記事を書いたかよく知っています。

 記事を読んだ方はおわかりだと思いますが、あのようなディテールを「全くの虚偽」で書けるはずがありません。綿密な取材と確認作業の積み重ねによって、ようやく紡ぎだせる事実です。それは、プロの編集者が見れば一目瞭然のことなのです。そもそも「全くの虚偽」な記事が市販の雑誌に掲載されることは常識的にはあり得ません。

 一方、谷川氏の抗議書には、「真実は」として、おそらく担当検事から聞き取りをしたと思しき内容の記述があります。これには正直、驚きました。これは「真実」でなく、あくまでも「検察側の主張」ではないかと思います。わたしたちも、上杉さんの記事は丁寧な取材を重ねたもので、内容に自信を持っていますが、「真実」とは軽々に断定できないと思っています。「真実」とは、それほど重たいものなのです。そのため、わたしたちは通常であれば対立する相手方の意見を取材することになりますが、東京地検に関しては過去に何度、取材申し込みをしても、「週刊誌には、一律してお答えしないという対応を取らせていただいております」というような返事を繰り返すばかりでした。

 このような抗議をする前に、取材に応じていただければよかったのに......。

 いずれにしても、自分たちの一方的な「主張」を「真実」であるとするのは、法律家の事実認定としてあまりに乱暴ではないか、という感想を持ちました。東京地検では、日ごろからこのような事実認定が行われているのかと心配にもなりました。週刊朝日の記事が「全くの虚偽」と書いてありますが、その根拠となる証拠の提示もありません。

 話は少し横道にそれますが、4日付の複数の新聞に〈週刊朝日記事に東京地検が抗議〉という記事が出ています。通信社の配信記事だと思います。少し引用します。

〈東京地検は3日、衆院議員・石川知裕容疑者(36)らが逮捕された収支報告書虚偽記入事件を扱った週刊朝日2月12日号の記事について「まったくの虚偽だ」として、山口一臣編集長あてに抗議文を送ったことを明らかにした(以下略〉〉

 記事はこの後、筆者がジャーナリストの上杉隆さんであることを明記しています。読んでとっても違和感を覚えたのが、抗議の主体である谷川氏の名前が記事のどこにも出ていないことです。抗議はあくまでも組織として行ったものだとしても、「東京地検は3日、谷川恒太次席検事名で......」と書いたほうが正確です。もし、個々の固有名詞を出さないという方針なら、わたしや上杉さんの名前も同じように書かないほうがいいとわたしは思います。しかし、記事の基本は5W1Hで、とりわけ「誰が」という情報は重要で、責任の所在を明確にする意味でも、名前は必要だと思いました。

 さて、週刊朝日が一連の捜査に対して一貫して言っていることのひとつは、「検察は法律に則って公平・公正な捜査を行ってほしい」ということです。

 たとえば、石川知裕議員の逮捕―――

 身柄を拘束して自由を奪う行為は、国家が行使する公権力の中ではもっとも重大なものだと考えられています。それだけに、逮捕が公平・公正に行われたかのチェックはメディアにとってきわめて大切な行為です。一般に、捜査機関が人を逮捕する場合、(1)証拠隠滅の恐れがある場合と、(2)逃亡の恐れがある場合に限られます。刑事訴訟法上はさらに「諸般の事情に照らして逮捕の相当性があること」という要件もありますが、これを無制限に拡大しては法律の意味がありません。

 石川議員は、本当に証拠隠滅や逃亡の恐れがあったのか?
これは、多くの識者が指摘しているように、まずあり得ないことでしょう。石川議員はこれまで任意の事情聴取に応じてきました。近く、国会が始まろうという時期です。民主党の党大会前日に逮捕した理由は何だったのか。それこそ検察側の説明責任が問われます。

 また、2月5日号でやはり上杉さんがリポートした、捜査令状なしで石川議員の事務所を占拠した行為についても、われわれの取材したとおりの事実なら〝違法捜査〟に相当します。しかし東京地検は、この件に関してもいっさい取材に応じません(抗議書も来ていませんが)。逮捕にしろ、家宅捜索にしろ、捜査機関の強制力が法律に基づかないまま行使されることがあるとすれば、一般市民として強い恐怖を覚えます。

 そして、今回、上杉さんが書いた女性秘書に対する「騙し打ち」の事情聴取について言えば―――。

 共稼ぎで保育園に子どもを預けている親にとって、「お迎え」は何よりも大切なことだと思います。それを阻害してまで続けなければならない事情聴取があるでしょうか?
一刻も早い処罰を争うわけもない政治資金規正法違反の立件が、2人の子どもの子育てより優先されるとは思えません。子どもは国の宝です。東京地検はその捜査によって、世の中にどんなメリットをもたらしてくれるのか。税金を費消しているのですから当然、説明の義務があると思います。

 いずれにしても、当該女性秘書にウソを言って呼び出したこと、弁護士へ連絡をさせなかったこと、長時間にわたる取り調べを行ったことなど、いずれも違法・不当な行為です。法曹資格者たる検察官が法を順守しないというのは、いかがなものかと思います。

 わたしは、検察が信頼されない社会はとてもよくないと思っています。しかし、こんなことを繰り返しているようでは、市民の信頼を失うことは明らかです。

 もうひとつ指摘しておきたいのは、昨年3月以降(政権交代の可能性が具体的に見えてきてから)の捜査が明らかに「政治的に偏向している」という点です。検察当局はかたくなに否定すると思いますが、少なくともそう疑われても仕方ないでしょう。

 まず、3月の大久保隆規秘書の突然の逮捕―――。

 当時、検察OBをはじめとする多くの専門家は、「半年以内に確実に選挙があるというこの時期に、政治資金規正法違反という形式犯で野党第一党の党首の秘書を逮捕するはずがない」という理由から、「これは贈収賄やあっせん利得、あっせん収賄など実質犯への入り口だ」と解説したものです。以後、今回と同じく「談合」「天の声」「ゼネコンマネー」といった小沢氏に関する悪性報道が続きますが、結局、検察が起訴できたのは大久保秘書の政治資金規正法違反のみでした。

 しかし検察は、その捜査によって小沢一郎氏を代表の座から引き降ろすことに成功しているのです。

 今回の捜査もほとんど同じ経緯をたどりました。

 強制捜査着手前から小沢氏の悪性情報がどんどん流れ、ピークに達した時点で石川議員ら計3人が逮捕され、小沢氏本人も被疑者として2回にわたる事情聴取を受けました。ふつうに考えたら、小沢氏本人が贈収賄や脱税などの実質犯で立件されることが想定される事態ですが、これも結局は石川議員ら3人の政治資金規正法違反のみの起訴で終わっています。まるでデジャヴーを見るような思いです。

 しかし、この10カ月にわたる「小沢捜査」が小沢氏本人はもとより民主党政権にも大きなダメージを与えたことは間違いありません。検察にそういう意図があったとは思いたくありませんが、今年夏の参議院議員選挙にも間違いなく強い影響を与えることになるでしょう。うがった見方かもしれませんが、検察が証拠を見つけられず、法によって処罰できないからといって、イメージ操作で社会的な制裁を加え、政治的ダメージを与えるようなことがあったとしたら、それは先進法治国家とはいえないでしょう。

 今回、問題となった政治資金規正法違反については、「単なる形式犯」という識者もいれば、「国民を欺く重大な犯罪」という専門家もいます。わたしは、両方とも正しいと思っています。この法律はそれほど「悪質性」に幅があるということです。単なる「記入ミス」「記載漏れ」から意図的な「虚偽記載」、さらに、その意図の内容によっても悪質性が違ってきます。誰が考えても処罰の必要があると思うのは、ワイロ性が疑われるヤミ献金の受け取りです。個々の違反事例がどの程度、悪質なのかの判断は捜査当局にまかせるのでなく、わたしたち自身が国民目線でしっかり検証しなければならないと思っています。検察は、自らの捜査に正統性を与え、手柄を大きく見せるためにも、さかんに「悪質性」の宣伝をする傾向にあります。それは、検察にとってはごく一般的な手口なのです。

 石川議員らの事件に関しても、本当に起訴に相当するものなのか、処罰価値があるのか、さまざまな観点からの検証が必要でしょう。元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士は2月5日付の朝日新聞(朝刊)に次のような談話を寄せています。

〈政治資金規正法は改正が繰り返されて厳罰化が進み、政党助成金が投入されるようになったことなどで、違反に対する認識が変わりつつあるのは確かだろう。だが、虚偽記載の起訴だけで捜査を終えるのなら、見通しのない捜査だったと批判されても仕方がない。同法違反で簡単に逮捕できるとなれば、検察が議員の生殺与奪を握ることにならないかも心配だ〉

 わたしは、この引用の最後の部分がとても重要だと思います。検察(官僚)が国民が選挙によって選んだ議員(政治家)の生殺与奪を握る社会がいいのかどうか。答えはおのずと明らかです。もちろん、検察にとって政治家の悪事を暴き、法に基づき適正な処罰をするのは重要な役割です。しかし、その場合は誰にも文句を言えないような犯罪事実を見つけ出し、誰にも批判されないだけの証拠を集め、正々堂々と公判請求するのが検察官としての矜持ではないかと思います。

 もちろん、わたしたちは小沢氏個人を擁護するためにこのようなことを書いているわけではありません。「小沢とカネ」に関する新たな疑惑や不正事実をつかんだら、検察より緻密な取材で批判・追及することになるでしょう。上杉さんが弊誌でたびたび指摘するように、検察が権力なら、小沢氏も権力の側の人ですから。

 今回、小沢氏に関して指摘されているさまざまな〝疑惑〟は実は、10年以上前から雑誌メディアで追及されてきたことばかりです。東北地方の談合に関する問題はジャーナリストの横田一さんらが1995年から「週刊金曜日」でキャンペーンを張ったもの、また政治資金団体による不動産購入など、いわゆる金脈問題については松田賢弥さんが主に「週刊現代」誌上でず~っと追及してきた話です。いずれにしても「小沢金脈」の全容解明は、検察ではなくジャーナリズムの仕事だとわたしは思っています。

 なぜ、小沢氏は不起訴で終わったのか。小沢氏周辺が大物検察OBを使って検察首脳と裏取引をしたという情報が、まことしやかに出回っています。もしこれが本当なら、「検察も小沢も」一蓮托生ということになりかねません。その真偽の確認もわたしたちジャーナリズムの仕事だと思います。民主党政権が今後、取り調べの可視化などを本気で進めるのか。みなさんと一緒に監視していきたいと思います。

 そんなわけで、九州出張から帰ったわたしは、東京地検の谷川氏のところへ電話を入れました。しかし、石川議員らの起訴でさすがに忙しいようでなかなか連絡が取れません。その間も、各方面から「いったいいつ『出頭』するのか」というお問い合わせをいただき、申しわけありませんでした。結局、谷川氏とは連絡が取れずじまいで、代わりに弊誌記者の新たな取材申し込みに対して広報官を通じて以下のような返事を受け取りました。

〈谷川次席から山口編集長に来庁していただきたいと連絡をさせていただきましたが、山口編集長が所用で来られないということでした。そのため、抗議の意を速やかにお伝えするために、2月3日に抗議書をFAXで送らせていただきました。抗議書はすでにお送りしていますので、現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます〉

 すみません、これが結末です。こちらも今週の締め切りに入ってしまったため、これ以上のツッコミはしていません。

 みなさん、お騒がせして本当に申しわけありませんでした。

 なお、来週発売号で、上杉隆さんの「東京地検の『抗議』に抗議する」を掲載します。ぜひ、ご覧ください。


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2010年2月5日金曜日

【新聞記事】 産経(ほくそ笑むのはまだ早い)

【小沢氏不起訴】ほくそ笑むのはまだ早い (社会部長・近藤豊和)
2010.2.5 08:03(リンク切れというか削除)


 ロシアの劇作家、ゴーゴリの作品に『検察官』がある。田舎町を訪れた青年を検察官と思い込んだ市長や官吏らが、日ごろの自身の悪事の露見におびえ、穏便に済ませようと金品を青年に渡し、青年は市長の娘をたらしこんだりする。出版時に印刷工や校正係が笑いで作業が進まなかったという逸話が残るほどの名作だ。

 作品の検察官像や話の設定とは全く異なることは言うまでもないが、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件をめぐって跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する周辺のさまざまな人々を見るにつけ、『検察官』に描かれた「悪事や醜事が、一種の微分子のように空中に瀰漫(びまん)し、人間生活のいたるところに跳梁して、人生を醜悪、陋劣(ろうれつ)なたえがたいものとしている」(岩波文庫、米川正夫氏の解説から)という様相がだぶってみえてきた。

 最高実力者にこびるように検察との対決を声高にする小沢氏シンパの民主党議員たち。「政治とカネ」では同じ流派なのに、これ見よがしの自民党議員ら。何の怨念(おんねん)なのか、古巣批判を執拗(しつよう)に続ける特捜OB。テレビで「検察リーク」などとしたり顔のコメンテーターたち…。

 事件周辺には「微分子」がまさにハエのようにたかっていた。

 政権奪取を主導した小沢氏を軸とした政治状況の転覆をひそかに狙う民主党内の反小沢派も、政権復帰に悲壮感漂う無力な自民党も「検察の捜査頼み」という体たらくでなんとも情けない。

 検察の捜査について、「対決」とか「全面戦争」などとすぐに主張し始め、政治的な意図を絡めて根拠も十分にないような推論が展開されるような状況を“消費”しているだけでは、「政治とカネ」の根源的問題の解決には決してつながらない。

 「政治とカネ」の問題に、政界の自浄作用を求めるのは不可能なのだろうか。「政治とカネ」にもはや食傷気味の国民ムードもある。経済が悪化し、国力が衰退すれば、「政治とカネ」よりも「明日の生活」という思いが強まるのも理解できる。こうしたムードに乗じてか、「国会での不毛な『政治とカネ』の議論。国民は経済対策を望んでいる」などとテレビで公言する民主党議員すらいる。

 金絡みによる政治権力基盤がなくても、国、国民のために身をささげる有能な政治家がよりよい政策を遂行できるような「理想」を希求し続けることは必要だ。

こうした理想を失うと、悪徳政治家の思うツボだ。「ワイロ天国」の評判高いどこかの国のようなありさまにもなってしまう。「政治とカネ」の問題に疲れてはいけない。代償はあまりに大きいのだ。

 今回の事件の捜査は、小沢氏の最側近である石川知裕衆院議員、大久保隆規公設第1秘書らが起訴され、一方で小沢氏本人の不起訴ということで、ひとまずの「到達点」を迎えた。

 しかしながら、捜査の過程で表面化した、陸山会による東京都世田谷区の土地取引に絡む不明朗な億単位の金の出し入れや融資については、腑に落ちないことが多すぎる。また、陸山会による大量の不動産取得や政党助成金の移動など総額数十億円にも上る不明朗な金の動きに至っては、「疑惑の山」であり続けている。

 小沢氏の不起訴の観測が一気に拡大した2日夜。小沢氏側関係者たちは早くも「勝利宣言」をあちこちでし始めていた。この日昼、衆院本会議場で鈴木宗男衆院議員とほくそ笑む小沢氏の姿を報道各社のカメラがとらえていた。

 「疑惑の山」への捜査は継続されることだろう。そして、国民の注視もやむことはない。ほくそ笑むのはまだ早い。

【小沢一郎】 平野貞夫氏からみた小沢一郎

小沢一郎と田中・金丸・竹下の関係 』
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多くのマスコミは小沢一郎を田中角栄元首相、竹下登元首相、金丸信元自民党副総裁の政治的後継者とし、政治手法もそれを発展させたと報道している。これは誤ったものだ。たしかに田中元首相に目をかけられていたし、金丸元副総裁は猫かわいがりしていた。竹下元首相とは縁戚関係であったが、感性が合わず、両方から私に調整をしばしば頼まれていた。

かく申す私は衆院事務局に勤務していたことで、田中・金丸・竹下の三政治家とは、小沢さんより10年近く古くからの付合いだった。第一次佐藤栄作内閣の頃、竹下内閣官房副長官、金丸議運理事とは国会運営でアドバイスを求められたりした。特に園田直衆院副議長秘書時代、竹下・金丸両氏とは毎日会っていた。田中さんは園田副議長の使いで行くと、よく説教をされた。

私が小沢一郎という政治家と仕事を超えた人間関係となったのは、ロッキード事件の後政治倫理制度をつくる時代である。小沢議院運営委員長に就任してからだ。よく政治家としてのあり方を聞かれたが、「マスコミに迎合していては、良い政治はできない」と私の人生の師である故前尾繁三郎衆院議長の考えを伝えたことがある。その後の小沢さんの政治活動をみると、かなり影響を与えたようだ。


ロッキード事件の田中元首相の裁判を全部傍聴したことで知られている。これについて2つの見方がある。1つは被告の田中元首相と同じ発想で、検察憎しという姿勢だ。もう1つは点取り虫で良く思われたいからだろうというものであった。いずれも誤った見方である。

私には「総理までやった人間が、苦境に立ったとき、どのような生き様をするのか、これを学んで おきたかった 」と、語ってくれたことがある。朝日新聞のコメンテータをやっている早野透氏は、政治部記者で活躍している頃、「小沢一郎は田中角栄の内在的批判者だ」と論じたことがあるが、これが正しい見方である。


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『 小沢一郎の政治資金に不正なものがない 』
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自民党単独政権で、47歳で幹事長まで登りつめた小沢一郎について、世間では「さぞかし汚れた資金に手を染めているだろう」との風評がある。これが根本的に間違っている。田中角栄、金丸信、竹下登の3人については、問題のある政治資金に手を汚していたことについて、私も否定はしない。小沢一郎については、それがないことを私は証明できる。

私は国会運営の裏側で、さまざまな仕事にかかわり、昭和40年代から平成初期までの田中・金丸・竹下の3人は、小沢一郎を大事にしすぎて、問題のある政治資金について関わらせていなかったのだ。政治資金について苦労をさせていないのである。もっぱら、政治資金の透明化と政治倫理制度の確立について、衆院事務局職員の私と共に制度づくりの仕事に励んでいたのだ。

そのことを証明する話だが、私が参院議員となり平成5年6月、宮沢内閣不信任案を可決し、衆院総選挙となる。羽田・小沢グループは「新生党」を結成する。綱領と基本政策の政策を担当した私は、念のため羽田・小沢両氏の政治活動での資金問題を、法務検察首脳に調査してもらった。回答は自民党時代の2人の政治資金について、問題なし二重丸だとの返事であった。私はこれで真の政治改革ができると確信した。自民党離党した後の小沢一郎の政治資金に不正なものがないことは、私がもっとも知っている。

2010年2月3日水曜日

【官僚支配】 内閣法制局 ①

 内閣法制局は、本来法制的な部分で内閣を直接補佐する機関として設置され明治憲法発布より早い。

法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べるという事務(いわゆる意見事務)、閣議に付される法律案、政令案及び条約案を審査するという事務(いわゆる審査事務)を主な業務としています(内閣法制局HP。なお、厳密には内閣法制局設置法第3条)。

 通俗的な(あるいは護憲派的な)理解では、内閣法制局は行政府における「法の番人」であり、時の内閣が恣意的に憲法の運用を行わないようチェックする機関とされている。ゆえに護憲派といわれる方々の意見の中には、小沢氏の国会での官僚答弁禁止に対し反対意見が多いのは納得ができるのではあるが、現実には、政府・行政府内の憲法解釈について最終的な決定を行う権限を有するのは、あくまでも内閣ですが、その決定に際しては、法の専門家・プロフェッショナルとしての内閣法制局の意見が最大限尊重されるべきであるという慣行あるいは(実質的な意味での)憲法的慣習が成立していると見るべきでしょう。

 内閣法制局長官の国会答弁も、このような文脈で捉えられるべきです。政党間の力と力がぶつかり合う国会審議の場において、内閣法制局長官が与党とも野党ともある程度の距離を置き、法の専門家・プロフェッショナルとして法制的な観点から客観的な見解を述べることは意義のあることであり、国会の側からそのような意見を求めることも、国会のひとつの見識として評価されるべきでしょう。しかし、本当にそうであった場合の話ではあるが。



内閣法制局長官 鳩山政権で役割変質か
2010.2.3 07:46
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100203/plc1002030747003-n1.htm

 「法の番人」とも呼ばれた内閣法制局長官の役割が今年から変わった。鳩山政権が今国会から官僚答弁を原則禁止し、憲法解釈に関する答弁も政治家が行うことになったからだ。官房長官らによる答弁には稚拙さが目立つが、内閣法制局による憲法解釈の独占には批判も根強かった。首相でも容易に手を出せなかった「聖域」は、選挙で選ばれた政治家の手に渡りつつあるのか。(杉本康士)

                   ◇ 

 「法制局長官は法的見地から内閣に助言する立場だ。『法の番人』という認識は少し違う」。平野博文官房長官は1月14日の記者会見でこう力説した。

 本来、政府の憲法解釈権は首相を長とする内閣が持っており、内閣法制局は法律問題に関する「意見を述べる」(設置法)役割が与えられているにすぎない。しかし、高度の専門性や歴代内閣の一貫性を重視する立場から、これまでは内閣法制局が事実上、有権解釈権を握ってきた。このため、国会審議では内閣法制局長官が憲法解釈答弁にあたってきた経緯がある。

 一方、鳩山政権は官僚答弁を禁止する国会審議活性化関連法案を今国会に提出した。政府は法案成立を待たず、国会答弁ができる「政府特別補佐人」から内閣法制局長官を除外した。こうした動きには、各府省庁から「法制局の解釈は絵空事が多かった。憲法解釈は首相が総合判断する立場なんだから、現政権の判断は正しい」(外務省筋)と歓迎する見方も多い。

 内閣法制局はこれまで、同盟国に対する攻撃を自国への攻撃とみなし反撃する集団的自衛権を「保有するが行使はできない」と矛盾した解釈を打ち出し、政府の政策判断を縛ってきた。とはいえ、憲法には集団的自衛権を禁止する明文規定はなく、日米安保条約や国連憲章51条では固有の権利として認められている。

 政治家による憲法解釈が定着すれば、批判を受け続けた憲法解釈が見直される可能性も生まれる。だが、道のりは必ずしも平坦(へいたん)ではない。

 1月21日の衆院予算委員会では、天皇陛下の国事行為と公的行為の違いを聞かれ、平野氏はメモの助けを受け取るまで「後刻答える」と立ち往生した。また、政府・民主党は永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の提出を検討中だが、これに関しても「参政権付与は憲法違反との指摘が強いので、政権に都合のいい憲法解釈をするために法制局長官の答弁を禁止したのでは」(公明党関係者)との見方もある。
                   ◇

 ■安倍元首相も説得に腐心
 「ここはアンタッチャブル。近寄りがたいよね」

 鳩山内閣発足直後、官僚出身のある副大臣は、東京・霞が関の合同庁舎4号館にある内閣法制局長官室の前でこうつぶやいた。

 内閣法制局は各府省庁がまとめた法案を審査する役割も担う。憲法を含む他の法律と矛盾しないとお墨付きをもらわない限り、閣議決定までたどりつけない。

 自衛隊の海外派遣に関する法律を担当したある官僚は、内閣法制局側の見解とことごとく意見がぶつかり、一時、出入り禁止を申し渡されたという。

 内閣法制局の定員は77人。大半が全府省庁から出向してきた法律に詳しい官僚で、その頂点に立つのが内閣法制局長官だ。天皇陛下の認証が必要となる認証官ではないのに閣議に出席できるのは内閣法制局長官のみ。戦後5人の長官OBが最高裁判所判事を務めている。

 安倍晋三元首相は集団的自衛権の行使を検討する懇談会を設置する際、宮崎礼壹長官(当時)を3回にわたり首相官邸で説得するなど、配慮に腐心した。集団的自衛権に関する政府解釈を見直したい安倍氏に対し、法制局側は長官以下幹部らの辞任もほのめかして抵抗したとされる。

【主張】通常国会召集 疑惑解明に国政調査権を
2010.1.18 03:01
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100118/stt1001180301000-n1.htm

 平野博文官房長官は法改正を待たず、内閣法制局長官に答弁させない方針をとった。集団的自衛権の行使の問題など国益にかかわる政策の憲法判断を、内閣法制局に任せていたことを改めようというものだ。
 日米同盟の強化につながる集団的自衛権の行使容認に向け、行使を阻んできた法制局長官答弁の枠を離れた議論を歓迎したい。

 「通年国会」への転換が与党の改革案に入っていないのは不十分だ。会期を決めた後は、政策の中身より法案審議の日程闘争に重きが置かれる従来のやり方から、早急に脱しなければならない。



“法の番人”不在に 内閣法制局長官の答弁を禁止 通常国会冒頭から
2010.1.14 16:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100114/plc1001141618009-n1.htm

 平野博文官房長官は14日の記者会見で、18日召集の通常国会から、内閣法制局長官には国会答弁をさせないことを明らかにした。官僚答弁を禁止する国会審議活性化関連法案の成立を待たずに、法制局長官を国会答弁ができる「政府特別補佐人」から除外する。憲法解釈に関する答弁は各閣僚が質問に応じて行う。

 法制局長官は自民党政権下で憲法解釈権を事実上握り、「法の番人」と呼ばれたが、平野氏はこのような考え方を「法制局長官は法的見地から内閣に助言する立場だ。法の番人という認識は少し違う」と退けた。
 政府が永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案を国会へ提出した場合、憲法論議は必至のため、法制局長官の答弁禁止は審議に影響を与えそうだ。



民主党国会改革の内部資料が判明 法制局から「憲法解釈権」剥奪
2009/12/10 01:46
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/334073/

 民主党政治改革推進本部(本部長・小沢一郎幹事長)が作成した官僚答弁の禁止など国会改革の詳細を記した内部資料が9日、明らかになった。資料は国会法など国会審議活性化関連法案の骨子と想定問答集。想定問答集は、内閣法制局長官について「憲法解釈を確立する権限はない。その任にあるのは内閣だ」とし、自民党政権下で内閣法制局が事実上握ってきた「憲法解釈権」を認めない立場を強調している。

 さらに「内閣の付属機関である内閣法制局長官が憲法解釈を含む政府統一見解を示してきたことが問題で、本来権限のある内閣が行えるよう整備するのが目的」と明記した。法制局長官の国会答弁を認めないことを通じ、憲法の解釈権は国会議員の閣僚が過半数を占める内閣が実際上も行使する方針を示したものだ。

 ただし「憲法解釈の変更を目的にして、今回の改正があるわけではない」と、憲法9条の解釈変更への道を開くとして警戒する社民党への配慮も示した。

 法案骨子は(1)国会で答弁する政府特別補佐人から法制局長官を除く(2)内閣府設置法と国家行政組織法を改正し副大臣、政務官の定数を増やす(3)衆参両院の規則を改正し政府参考人制度を廃止(4)国会の委員会に法制局長官を含む行政機関の職員や学識経験者、利害関係者からの意見聴取会を開く-の4点を挙げた。

 民主党政治改革推進本部は9日の役員会で骨子案を大筋で了承した。来週にも与党幹事長会談を開き、合意を得たい考えだ。

与党3党 官僚答弁禁止の法改正で合意
2009.12.7 12:19
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091207/stt0912071119001-n1.htm

 民主、社民、国民新党の与党3党は7日午前、国会内で幹事長・国対委員長会談を開き、官僚答弁を原則禁止する国会法改正など国会改革の進め方について、与党間で国会改革関連法案の法案策定作業に着手し、来年1月召集の通常国会冒頭で法案を提出することで合意した。平成21年度第2次補正予算案とともに成立を図る考えだ。

 社民党はこれまで、内閣法制局長官の答弁制限によって「憲法解釈が変更されかねない」として慎重姿勢を取っていた。このため、民主党は「新たな場」を設けて官僚から意思表示をさせて議事録に残すなどの妥協案を提示。社民党はこの案を受け入れることを基本的に了承した。国民新党は改正に賛成している。国会改革については、民主党の小沢一郎幹事長が強い意欲を示してきた。


新政権、憲法どこへ 小沢幹事長「法の番人」封じ
朝日新聞(2009年11月3日)

 日本国憲法が1946年に公布されてから、3日で63年。改憲問題をめぐる民主党の対応に注目が集まるなか、小沢一郎幹事長が唱える「官僚答弁の禁止」が論議に悪影響を及ぼしかねないと心配する人たちがいる。ただ、目の前の課題や党内事情もあって、新政権にとって改憲は「後回し」の状態だ。

 「これは官僚批判の名を借りて、憲法の解釈を変えてしまおうという思惑では」

 神戸学院大法科大学院の上脇博之教授(憲法学)は、ニュースで見かけた民主党の動きを気にかけている。

 発端は先月7日の小沢一郎幹事長の記者会見。「法制局長官も官僚でしょ。官僚は(答弁に)入らない」と語り、国会法を改正して内閣法制局長官の国会答弁を封じる意向を示した。

 内閣法制局は「法の番人」とも呼ばれる。法理を駆使して、ときの政府の意向をかなえる知恵袋の役を果たす一方で、例えば海外での武力行使をめぐって「憲法9条の下ではできない」との見解を守り続け、憲法解釈に一定の歯止めをかけてきた。

 一方、小沢氏はかねて「国連決議があれば海外での武力行使も可能」と主張し、何度も法制局とぶつかってきた。新進党首だった97年には、日米ガイドラインの憲法解釈をめぐって橋本首相に代わって答弁した法制局長官を「僭越(せんえつ)だ」と国会で批判。03年には自由党首として「内閣法制局廃止法案」を提出した。

 こうした過去の言動を見れば、憲法解釈も政治家が行うというのが、小沢氏の隠れた真意だと上脇教授は見る。

 「もしそうなれば……」。ある元法制局幹部の頭によぎるのは、05年まで衆参両院で開かれていた憲法調査会の議論だ。「きめの粗い感情的な憲法論に終始し、国政が混乱する」と元幹部は懸念する。

 「法制局なしでやってみたらお分かりになると突き放したいところですが、憲法上できないことを『できる』と政治家が言い張って、被害を受けるのは国民。その被害が、二度と回復できないものだったら、どうしますか」

 04年までの2年間、長官をつとめた秋山収さん(68)は、小沢氏の狙いを「9条の解釈が気にくわないという、その一点でしょう」と言い切る。

 内閣が変わるたびに、法制局は、長年積み重ねた国会答弁をもとに「戦争放棄」の9条や「政教分離」の20条など憲法の課題を新首相にレクチャーする。議員が提出する質問主意書の政府答弁にもすべて目を通す。

 秋山さんは、そうした後ろ支えがなければ、政治家の「脱線答弁」が頻発し、それが定着してしまうという。国の基本的なあり方は、憲法改正という民意を問う手続きを経るべきだと秋山さんは考える。「その時々の多数政党の力で9条の解釈が揺れ動くのは憂慮すべき事態だ」

【外交問題】 小沢一郎の中国観

単なる親中派にあらず 小沢一郎「中国観」の本音
2010年02月03日(Wed) 城山英巳
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/760

 民主党の小沢一郎幹事長が、自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で検察当局と攻防を展開、中国共産党・政府も注視している。小沢氏は2009年12月、民主党所属国会議員140人以上を含む総勢640人もの大訪中団を引き連れて北京で胡錦濤国家主席と会談。さらに来日する習近平国家副主席と天皇陛下との会見を望んだ中国の崔天凱駐日大使の要請を受け、「特例会見」実現に向けて官邸サイドに働き掛けるなど、今や中国が最も頼りにする「親中派」大物議員だ。それだけに日中関係も、検察捜査を受けた小沢氏の影響力次第という見方が強い。

本稿では中国が小沢氏をどう見ているのか、そして「親中派」と見られる小沢氏は、実際に中国をどう捉えているのかその本音を探りたい。

「鳩山ではなく小沢」

 「小沢さんの捜査次第で民主党もどうなるか分からないでしょう」。これは中国政府幹部の偽らざる率直な感想だ。中国紙も今回の捜査の行方や「小沢像」について一定の程度で報じている。

 「鳩山(由紀夫首相)がいなくても民主党政権はまだ存在できるが、小沢がいなければ民主党政権は恐らく持続は難しいだろう。理由は非常に簡単だ。小沢が『選挙の神様』であると誰もが認識しているからである」。こう報じたのは、国営新華社通信発行の『参考消息』(1月21日付)だ。

 「片や日本最強の反汚職検察機関、片や日本政界で最強権力を持つ政治家。この両雄決闘は一体、いずれに軍配が上がるのか、日本人を釘付けにしている」。こう紹介した『第一財経日報』(同18日付)は現在の「5大懸念」についてこう指摘する。

(1)検察機関は有力な証拠を発見できなかったらどう幕を引くのか
(2)小沢がもし逮捕されれば民主党はどうするか
(3)民主党が検察機関を報復するならば、この闘争はどこに向かうのか
(4)自民党はこの機に今夏の参院選で捲土重来を図れるか
(5)日本のような国家で、検察機関の「暴走」を抑える制度はあるのか

 1月26日付『法制日報』は、「小沢は、田中角栄(元首相)を師としており、東京地検が最も湧き立ったロッキード事件で田中は有罪となったが、小沢と東京地検の恩と仇はこの時から始まった」と解説する。

 多くの論調が、小沢について日本政界を牛耳る「大物」ととらえ、田中角栄と重ね合わせていることが特徴だ。小沢の「中国原点」は田中である。昨年末に訪中した際、小沢は記者団にこう漏らしている。「最初に中国を訪問したのは初当選した40年近く前だったかなあ。私の政治の師匠である田中先生の大英断によって日中国交正常化ができ上がったわけだが、その意味でことさら感慨深い」。

 胡錦濤指導部に対日政策を提言している中国の日本研究者は09年末、北京で筆者にこう解説した。「われわれは今や民主党と鳩山政権を分けて考えている」。民主党政権はある程度長期化するが、鳩山内閣は長続きしないとの見方だ。そしてこう付け加えた。「中国国内では小沢氏の株が上がっている」。

 「大訪中団」と「天皇特例会見」を受けて胡指導部は、小沢の絶大な権力と影響力を見せ付けられたからだ。

 筆者は『文藝春秋』2月号に「中国共産党『小沢抱き込み工作』」と題するリポートを寄稿したが、中国が小沢を見る上で興味深い視点を拙稿の中から紹介したい。

 「中国政府関係者も、鳩山内閣を支配する小沢一郎について、最高実力者として時の総書記の上に立った『鄧小平』になぞらえる」。

 「鳩山ではなく、やはり小沢だ」。指導部は、日中間で懸案が持ち上がった際、最高実力者・小沢を「窓口」にすれば、「政治主導」で解決を図れると見込み、対日工作を強めようとした。その矢先の「陸山会」をめぐる土地取引事件だった。

米長官に「危うい中国」説く

 米軍普天間飛行場移設問題をめぐり日米同盟への亀裂が深刻化する最中の「小沢大訪中団」に対し、オバマ米政権からは、極端な対中接近に警戒論が噴出した。「小沢は一貫して民主党における対中交流の核心人物」と断言する社会科学院日本研究所の高洪研究員は、共産党機関紙・人民日報系の国際問題紙『環球時報』(09年12月11日付)に対してこう冷静に分析している。

 「小沢は対中友好を主張しているが、同時に日本が『大国路線』を歩み、日本の利益を保護する戦略という点では非常に強硬的な政治家である。国家戦略上で『日本は中国とは切っても切り離せない』とはっきりと認識しているにすぎない」。

 確かに小沢は、中国高官を前にした時の親中的発言と、それ以外の場で語る独自の「中国論」では大きく内容が違うことに注意を払う必要があろう。

 例えば、民主党が政権を取る前の09年2月。小沢は同党代表として来日した中国の王家瑞共産党対外連絡部部長と会談した際、当然ながら「親中派」の顔を前面に出した。「中国もアメリカも、ともに大事な国であり、(日中間と日米間が同じ長さの)二等辺三角形であり、トライアングルであることはその通りだ。中国は隣の国だし、長い歴史もあり、文化的にも交流が深い。そういう意味でどっちが大切とか、そういうことではなく、中国に対する特別な親近感を持っているし、当然、両国のより良い関係を発展させたい」。

 しかし実はこの1週間前、クリントン米国務長官が来日した際、打って変わって同長官に厳しい「中国論」を展開しているのだ。

 「中国問題がより大きな問題だと思う。中国のこれからの状態を非常に心配している。鄧小平さんが文化大革命の失敗を償うために市場主義を取り入れたのは大きな成果だったが、それは両刃の剣で市場主義と共産主義は相容れない。必ずこの矛盾が表面化するだろう。従って日米にとって世界にとって最大の問題は『中国問題』だろう」。

 この頃、講演会ではもっと過激な「中国論」を披露している。「中国はバブルが崩壊して共産党の腐敗は極度に進行している。軍部も非常に強くなっている。そういう中国で今、景気後退で大量の失業者が出ており、各地でものすごい暴動が起きていると聞いている。抑えているけど、共産党政権というのはその基盤が揺らいでいると思っている。中国は非常に危ういと思う」。

 「危うい中国」が小沢の本音だろう。与党・自由党党首だった1999年、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の「周辺事態の範囲」をめぐって「中国、台湾も入る」と発言して中国を激怒させたことがあった。もともと中国の小沢観は「米国重視」「台湾寄り」「タカ派」「改憲論者」だったが、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題を受けた06年、最大野党代表・小沢は中国と「反小泉」で思惑が一致、「共同戦線」を組むようになったのである。

 さらに興味を引くのは、小沢が「最大の問題は中国」という言い方ではなく、わざわざ「中国問題」と言っていることだ。近く世界第2の経済大国になる中国の台頭という世界情勢の変化を見て、米中が「G2」として連携を強化すれば、日本はつまみ出されるという危機感が対中接近につながっているという側面は確かにある。しかしそれだけではなく、中国が抱える内部矛盾、つまり腐敗、格差、暴動などに代表される「危うい中国」も見抜き、日本としてどう向き合うかを説いているのだ。

 ある日中関係者は「小沢氏は中国を好きか嫌いかの感情論ではなく、必要か必要ではないかの観点からとらえている」と解説する。

「脱亜入欧」からの脱却

 小沢がなぜ「中国問題」にこだわるのだろうか。ヒントとなる発言がある。

 「自民党を出て13年がたった。幕末にペリーが黒船で来航(1853年)してから明治維新(1868年)まで15年。私に残された時間はあと2年だ」。06年に訪中した小沢は、古くからの友人、李淑錚元共産党対外連絡部部長に漏らした。

 あと2年間で政権を奪取する決意を語ったものであり、3年後にその決意は実際に実るわけだが、小沢は09年9月の自民党から民主党への政権交代を、明治維新以来の大改革の時と位置付けている。

 「小沢氏は歴史的観点を持っている」との見方を示すのは「日本通」の中国人研究者だ。

 「明治時代以来、日本は『脱亜入欧』を強め、欧米の基準に合わせてきた。しかし近代以来、日本の問題というのは結局、隣の大国である中国とどう向き合うかという『中国問題』だった。現在、中国が台頭する中で、小沢氏は単に『米国重視』から『中国重視』に転換したのではなく、複雑化する『中国問題』がどれだけ重要かという近代以来のテーマに日本人としてどう取り組むべきか問題提起しているのではないか」。

 日本は近代以降、欧米、特に戦後は米国を通じて中国やアジアの問題に取り組んできた。対中政策は常に、米国の顔色をうかがいながら決めてきた。しかし小沢は今、「脱亜入欧」を脱却し、「米国は米国」「中国は中国」としてそれぞれ正面から取り組む必要性を訴えているのではないか、というのがこの研究者の視点である。これが日米中「二等辺三角形論」というわけだ。

 ここで近代以降の日中関係を振り返っておこう。ちょうど、1月31日に発表された『日中歴史共同研究報告書』で、日本側座長・北岡伸一東大教授による「近代日中関係の発端」と題する論文が掲載されているので一部を引用したい。

 「西洋の衝撃なしには、東アジアの変容はありえなかった」。

 『報告書』の「近現代史総論」は、「西欧との遭遇の重要性という一点については、(日中)双方は共通の認識に達している」と指摘。「西洋の衝撃」に関して「中国においてはアヘン戦争、日本においてはペリー来航と明治維新を始点にしている」と記した。

北岡氏は、「西洋の衝撃」に対して「中国は西洋が持ち込もうとした近代国家システムにうまく適応することができず、多くを失った。これに対して日本は、相対的にこの課題を大きな失敗なしに乗り切っていった」としているが、注で「一般的に言って、ある課題における成功の条件は、次の課題における失敗を引き起こすことが少なくない」と付け加えている。

 前述の中国人研究者は、「日本は近代以降、中国との付き合い方が分からず、失敗を重ねてきた」と解説する。まさに満州問題をはじめとする「中国問題」への対応の失敗が開戦と敗戦への道につながったと、この研究者は分析している。『報告書』では中国側研究者も、「脱亜入欧」が「対外拡張主義や武力至上論の道具になった」として、日本の近代対中政策の過程を否定的に見ている。

 「西洋の衝撃」の契機となったペリー来航・明治維新を、今回の政権交代と重ね合わせる小沢は、今まさに「光」と「陰」の両面において国際社会で存在感を高める中国の台頭を「中国の衝撃」ととらえ、近代以降の「脱亜入欧」の転換点として「中国問題」を正面から考える時期に来ていると考えているのではないか。

 小沢側近の民主党衆院議員は「今(民主党と中国共産党で)やっている交流は『政治主導』の戦略対話の土壌づくりだ」と言い切り、何でも言い合える関係づくりを目指していると強調したが、それが実現するかどうかは検察の捜査を受けた小沢の影響力如何に懸かっているのだ。