単なる親中派にあらず 小沢一郎「中国観」の本音
2010年02月03日(Wed) 城山英巳
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/760
民主党の小沢一郎幹事長が、自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で検察当局と攻防を展開、中国共産党・政府も注視している。小沢氏は2009年12月、民主党所属国会議員140人以上を含む総勢640人もの大訪中団を引き連れて北京で胡錦濤国家主席と会談。さらに来日する習近平国家副主席と天皇陛下との会見を望んだ中国の崔天凱駐日大使の要請を受け、「特例会見」実現に向けて官邸サイドに働き掛けるなど、今や中国が最も頼りにする「親中派」大物議員だ。それだけに日中関係も、検察捜査を受けた小沢氏の影響力次第という見方が強い。
本稿では中国が小沢氏をどう見ているのか、そして「親中派」と見られる小沢氏は、実際に中国をどう捉えているのかその本音を探りたい。
「鳩山ではなく小沢」
「小沢さんの捜査次第で民主党もどうなるか分からないでしょう」。これは中国政府幹部の偽らざる率直な感想だ。中国紙も今回の捜査の行方や「小沢像」について一定の程度で報じている。
「鳩山(由紀夫首相)がいなくても民主党政権はまだ存在できるが、小沢がいなければ民主党政権は恐らく持続は難しいだろう。理由は非常に簡単だ。小沢が『選挙の神様』であると誰もが認識しているからである」。こう報じたのは、国営新華社通信発行の『参考消息』(1月21日付)だ。
「片や日本最強の反汚職検察機関、片や日本政界で最強権力を持つ政治家。この両雄決闘は一体、いずれに軍配が上がるのか、日本人を釘付けにしている」。こう紹介した『第一財経日報』(同18日付)は現在の「5大懸念」についてこう指摘する。
(1)検察機関は有力な証拠を発見できなかったらどう幕を引くのか
(2)小沢がもし逮捕されれば民主党はどうするか
(3)民主党が検察機関を報復するならば、この闘争はどこに向かうのか
(4)自民党はこの機に今夏の参院選で捲土重来を図れるか
(5)日本のような国家で、検察機関の「暴走」を抑える制度はあるのか
1月26日付『法制日報』は、「小沢は、田中角栄(元首相)を師としており、東京地検が最も湧き立ったロッキード事件で田中は有罪となったが、小沢と東京地検の恩と仇はこの時から始まった」と解説する。
多くの論調が、小沢について日本政界を牛耳る「大物」ととらえ、田中角栄と重ね合わせていることが特徴だ。小沢の「中国原点」は田中である。昨年末に訪中した際、小沢は記者団にこう漏らしている。「最初に中国を訪問したのは初当選した40年近く前だったかなあ。私の政治の師匠である田中先生の大英断によって日中国交正常化ができ上がったわけだが、その意味でことさら感慨深い」。
胡錦濤指導部に対日政策を提言している中国の日本研究者は09年末、北京で筆者にこう解説した。「われわれは今や民主党と鳩山政権を分けて考えている」。民主党政権はある程度長期化するが、鳩山内閣は長続きしないとの見方だ。そしてこう付け加えた。「中国国内では小沢氏の株が上がっている」。
「大訪中団」と「天皇特例会見」を受けて胡指導部は、小沢の絶大な権力と影響力を見せ付けられたからだ。
筆者は『文藝春秋』2月号に「中国共産党『小沢抱き込み工作』」と題するリポートを寄稿したが、中国が小沢を見る上で興味深い視点を拙稿の中から紹介したい。
「中国政府関係者も、鳩山内閣を支配する小沢一郎について、最高実力者として時の総書記の上に立った『鄧小平』になぞらえる」。
「鳩山ではなく、やはり小沢だ」。指導部は、日中間で懸案が持ち上がった際、最高実力者・小沢を「窓口」にすれば、「政治主導」で解決を図れると見込み、対日工作を強めようとした。その矢先の「陸山会」をめぐる土地取引事件だった。
米長官に「危うい中国」説く
米軍普天間飛行場移設問題をめぐり日米同盟への亀裂が深刻化する最中の「小沢大訪中団」に対し、オバマ米政権からは、極端な対中接近に警戒論が噴出した。「小沢は一貫して民主党における対中交流の核心人物」と断言する社会科学院日本研究所の高洪研究員は、共産党機関紙・人民日報系の国際問題紙『環球時報』(09年12月11日付)に対してこう冷静に分析している。
「小沢は対中友好を主張しているが、同時に日本が『大国路線』を歩み、日本の利益を保護する戦略という点では非常に強硬的な政治家である。国家戦略上で『日本は中国とは切っても切り離せない』とはっきりと認識しているにすぎない」。
確かに小沢は、中国高官を前にした時の親中的発言と、それ以外の場で語る独自の「中国論」では大きく内容が違うことに注意を払う必要があろう。
例えば、民主党が政権を取る前の09年2月。小沢は同党代表として来日した中国の王家瑞共産党対外連絡部部長と会談した際、当然ながら「親中派」の顔を前面に出した。「中国もアメリカも、ともに大事な国であり、(日中間と日米間が同じ長さの)二等辺三角形であり、トライアングルであることはその通りだ。中国は隣の国だし、長い歴史もあり、文化的にも交流が深い。そういう意味でどっちが大切とか、そういうことではなく、中国に対する特別な親近感を持っているし、当然、両国のより良い関係を発展させたい」。
しかし実はこの1週間前、クリントン米国務長官が来日した際、打って変わって同長官に厳しい「中国論」を展開しているのだ。
「中国問題がより大きな問題だと思う。中国のこれからの状態を非常に心配している。鄧小平さんが文化大革命の失敗を償うために市場主義を取り入れたのは大きな成果だったが、それは両刃の剣で市場主義と共産主義は相容れない。必ずこの矛盾が表面化するだろう。従って日米にとって世界にとって最大の問題は『中国問題』だろう」。
この頃、講演会ではもっと過激な「中国論」を披露している。「中国はバブルが崩壊して共産党の腐敗は極度に進行している。軍部も非常に強くなっている。そういう中国で今、景気後退で大量の失業者が出ており、各地でものすごい暴動が起きていると聞いている。抑えているけど、共産党政権というのはその基盤が揺らいでいると思っている。中国は非常に危ういと思う」。
「危うい中国」が小沢の本音だろう。与党・自由党党首だった1999年、新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案の「周辺事態の範囲」をめぐって「中国、台湾も入る」と発言して中国を激怒させたことがあった。もともと中国の小沢観は「米国重視」「台湾寄り」「タカ派」「改憲論者」だったが、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝問題を受けた06年、最大野党代表・小沢は中国と「反小泉」で思惑が一致、「共同戦線」を組むようになったのである。
さらに興味を引くのは、小沢が「最大の問題は中国」という言い方ではなく、わざわざ「中国問題」と言っていることだ。近く世界第2の経済大国になる中国の台頭という世界情勢の変化を見て、米中が「G2」として連携を強化すれば、日本はつまみ出されるという危機感が対中接近につながっているという側面は確かにある。しかしそれだけではなく、中国が抱える内部矛盾、つまり腐敗、格差、暴動などに代表される「危うい中国」も見抜き、日本としてどう向き合うかを説いているのだ。
ある日中関係者は「小沢氏は中国を好きか嫌いかの感情論ではなく、必要か必要ではないかの観点からとらえている」と解説する。
「脱亜入欧」からの脱却
小沢がなぜ「中国問題」にこだわるのだろうか。ヒントとなる発言がある。
「自民党を出て13年がたった。幕末にペリーが黒船で来航(1853年)してから明治維新(1868年)まで15年。私に残された時間はあと2年だ」。06年に訪中した小沢は、古くからの友人、李淑錚元共産党対外連絡部部長に漏らした。
あと2年間で政権を奪取する決意を語ったものであり、3年後にその決意は実際に実るわけだが、小沢は09年9月の自民党から民主党への政権交代を、明治維新以来の大改革の時と位置付けている。
「小沢氏は歴史的観点を持っている」との見方を示すのは「日本通」の中国人研究者だ。
「明治時代以来、日本は『脱亜入欧』を強め、欧米の基準に合わせてきた。しかし近代以来、日本の問題というのは結局、隣の大国である中国とどう向き合うかという『中国問題』だった。現在、中国が台頭する中で、小沢氏は単に『米国重視』から『中国重視』に転換したのではなく、複雑化する『中国問題』がどれだけ重要かという近代以来のテーマに日本人としてどう取り組むべきか問題提起しているのではないか」。
日本は近代以降、欧米、特に戦後は米国を通じて中国やアジアの問題に取り組んできた。対中政策は常に、米国の顔色をうかがいながら決めてきた。しかし小沢は今、「脱亜入欧」を脱却し、「米国は米国」「中国は中国」としてそれぞれ正面から取り組む必要性を訴えているのではないか、というのがこの研究者の視点である。これが日米中「二等辺三角形論」というわけだ。
ここで近代以降の日中関係を振り返っておこう。ちょうど、1月31日に発表された『日中歴史共同研究報告書』で、日本側座長・北岡伸一東大教授による「近代日中関係の発端」と題する論文が掲載されているので一部を引用したい。
「西洋の衝撃なしには、東アジアの変容はありえなかった」。
『報告書』の「近現代史総論」は、「西欧との遭遇の重要性という一点については、(日中)双方は共通の認識に達している」と指摘。「西洋の衝撃」に関して「中国においてはアヘン戦争、日本においてはペリー来航と明治維新を始点にしている」と記した。
北岡氏は、「西洋の衝撃」に対して「中国は西洋が持ち込もうとした近代国家システムにうまく適応することができず、多くを失った。これに対して日本は、相対的にこの課題を大きな失敗なしに乗り切っていった」としているが、注で「一般的に言って、ある課題における成功の条件は、次の課題における失敗を引き起こすことが少なくない」と付け加えている。
前述の中国人研究者は、「日本は近代以降、中国との付き合い方が分からず、失敗を重ねてきた」と解説する。まさに満州問題をはじめとする「中国問題」への対応の失敗が開戦と敗戦への道につながったと、この研究者は分析している。『報告書』では中国側研究者も、「脱亜入欧」が「対外拡張主義や武力至上論の道具になった」として、日本の近代対中政策の過程を否定的に見ている。
「西洋の衝撃」の契機となったペリー来航・明治維新を、今回の政権交代と重ね合わせる小沢は、今まさに「光」と「陰」の両面において国際社会で存在感を高める中国の台頭を「中国の衝撃」ととらえ、近代以降の「脱亜入欧」の転換点として「中国問題」を正面から考える時期に来ていると考えているのではないか。
小沢側近の民主党衆院議員は「今(民主党と中国共産党で)やっている交流は『政治主導』の戦略対話の土壌づくりだ」と言い切り、何でも言い合える関係づくりを目指していると強調したが、それが実現するかどうかは検察の捜査を受けた小沢の影響力如何に懸かっているのだ。
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