2009年4月30日木曜日

【偏向報道】 小沢体制での知事選結果

マスコミの偏向報道が、かなり目立つ。
マスコミの偏向報道に関して小沢氏の事件を順番に検証をしていこうと思っていたら、丁度いい題材が出てきた。

まずは、下の引用をした記事を読んでいただきたい。
この記事を書かれた方は、与党の議員秘書である。


12日に行われた秋田知事選挙で与党が支持する佐竹氏が当選したことを受け、「選挙は実質的に、自民・社民県連の支持を受ける佐竹氏と、民主県連や国民新党県支部の支持を受ける川口氏の一騎打ちで、3月の千葉県知事選に引き続き与党が民主党推薦候補を破った。民主党内では小沢代表に対して厳しい声も出てきそうだ。」と報道されています。

見かけ上はそう見えるかもしれませんが、実態はかなり違うと思います。

数週間前、前小坂町長・川口博君を励ます会が都内で行われました。
実は私も代議士も、その会に出席していたのですが、出席した国会議員は公明党の前国土交通大臣を含めて与党の議員だけでした。結果として、自民党秋田県連が佐竹氏を推し、民主党秋田県連が川口氏を推す形になってしまいましたが、実態は「自民対民主」にはなっていなかったと思います。

前小坂町町長の川口氏は、全国至る所で小坂町をアピールして回り、いつの間にか大物女優や大企業の幹部、文化人など多くの人を毎年小坂町に集まるようになり、人口6千人ほどの過疎の赤字自治体から黒字の自治体へと変えていった人でした。都内でのパーティーに集まった国会議員も小坂町のファンになった人達でした。特に政治的意図はありません。ひょんな事から民主党の推薦を受けたことで「自民対民主」とマスコミに報道されてしまいましたが、本人の意志とはギャップがあると思います。一方の佐竹氏も秋田市長の経験を生かし自民党の推薦を得ましたが、社民党の推薦ももらっています。

先月行われた千葉県知事選挙でも「与党推薦の森田健作氏が民主推薦候補を破った」と報道されていますが、4年前から地道に選挙活動を行ってきた森田氏はべったりの自民党ではありません。「与党が民主に大差で勝った」という報道には違和感を持っているはずです。



もっとも最後の「森田健作氏はべったりの自民党ではありません」は、森田氏が告発をされてからの記事なので割り引いて考える必要が生じるとは思う。

さて、本日4月30日の産経新聞のWEB版に
【選挙 ウワサの真相】民主逆風はまぼろし…らしい
このようなタイトルの記事が掲載をされている。


>今春の千葉、秋田両県知事選で、与党がホッと一息ついた。自民党系候補が連勝したからだ。麻生内閣の支持率も、低めとはいうものの回復傾向にあり、「麻生太郎首相の経済対策が評価されつつある」「反転攻勢の局面をようやく迎えた」という声が与党から聞こえてくる。だが、それは本当なのだろうか。2つの知事選の裏では、実は、いくつもの「誤算」が繰り広げられていた

実に思わせぶりな書き始まりである。

>「かなり、票差は縮まったんじゃないのか」
4月12日夜。秋田知事選の開票日。寺田学はテレビの前で驚きの表情を浮かべていた。

寺田は民主党の秋田県連代表。自民、公明、社民各党が支持した佐竹敬久の当選と、自らが推す川口博の敗北は疑いない現実だったが、その票差が予想以上に縮まっていたからだ。

 驚きは当然だ。投票1週間前。報道各社が行った情勢調査では、川口は佐竹に最大20ポイントも離され、寺田は惨敗を直感させられていた。10万票以上離されても、しかたがない数字だ。

様子が変わったのは、その情勢調査が報じられた直後だ。
秋田市内の寺田事務所に「民主党は誰を応援しているのか」という不思議な問い合わせが相次いだ。
後で知ったが、このころから「期日前投票」の数もジワジワと伸びた。何かが動きだしていた。

「選挙戦術を間違えたかもしれない」。そんな声が出たのも、このころだ。
小沢一郎代表の秘書逮捕で始まった西松建設の巨額献金事件は、民主党を直撃した「はず」だった。それを意識したであろう川口陣営は、民主党に「出入り禁止令」にも近い要請を繰り出した。
川口の選挙出陣式。「寺田さんは、秘書も顔を出さないでほしい」。昨年秋から寺田が口説き続けてやっと出馬させた川口陣営から、寺田は拒否された。

地元選出の民主党参院議員、松浦大悟も同じだ。
川口の選挙カーに乗り込んだまではよかったが、「民主党とは名乗らないでください」とピシャリと言い渡された。

 開票日の夜。寺田がテレビをみていたのも川口の選挙事務所ではなかった。父である当時の秋田県知事、寺田典城の知事公舎に座らざるを得なかった。

 だが、テレビの開票速報では、差はそれほど広がっていなかった。最悪のシナリオの半分ほど、約5万7000票差だった。

 「川口猛追」の要因は何だったのか。寺田はこう分析している。

 「与党特有の組織型選挙を貫いた佐竹が当選しそうなことが分かり、潜在的な非自民支持層が川口に動いたのでないか。西松事件はほとんど影響なかった」

 寺田の分析に呼応するように、自民党のベテラン秋田県議も不思議なセリフを吐く。

 「川口が『民主党』と叫び始めていたら、危なかったかもしれない。川口が政党色を消して、無色透明ぶりを強調し続けてくれたから、助かったんだ」

          □ ■ □

 自民党県議の多くが支援した森田健作が、民主、社民の推薦を受けた吉田平を大差で退けた千葉知事選(3月29日投開票)でも、後日談がある。

 知事選同日に開票された千葉県議補選(木更津市、改選数1)で、自民党の公認候補が惨敗していた。

 自民党にとって不気味なのは、これだけではなかった。

 同県東金市の市議選では、共産党候補が2位以下を突き放してトップで当選していた。

 4月9日夜。東京タワー近くの日本料理店に集まっていた自民党各派閥の事務総長たちは、この話題に熱中していた。

 一人が言った。

 「千葉県内でも比較的保守地盤の厚い地域で負けている。自民党への逆風が弱まったわけではないことを肝に銘じるべきなんだ」

 この日の宴席の結論はシンプルなものだった。

 「平成21年度補正予算案が成立するまで解散すべきでない」

 「麻生太郎首相は7月のサミットに堂々と出席すべきだ」

 そして。

 「5月解散は危ない」

=敬称略(水内茂幸)

           ◇

 ■データボックス

 与党が恐れる「有権者の心情」は、4月のミニ統一地方選で本領を発揮した。青森市長選では、6選を目指した与党推薦候補(76)が無所属の元県議(61)に苦杯。比較的優位とされる現職市長が10市で敗北した。

 敗れた現職は高齢多選候補が多かったとはいうが、うち4市は自民、公明両党か、どちらかの党の推薦を受けた現職。「批判票の正体はやはり反自公票ではないか」とささやかれた。

 ほかにも前市長逮捕に伴う宝塚市の出直し選で、元社民党衆院議員(61)が初当選して注目された。


産経新聞が余りに偏向報道と言われ始めたので、ダブルスタンダードを取り始めたということなのだろうか?
この予兆は、先日の小沢氏の「選挙には勝てるとふんでいる」に集約をされているのだろうか。

このブログを移転しながら追記をしようと思う。この話は2010年に入り、平野貞夫氏が話したことでWEBでも流れてはいるが、千葉知事選当時の話も含まれていることから、このブログ記事に追記という形で入れておこうと思う。

西松事件・大久保秘書逮捕の真相を究明すべし!

 5月13日(木)、3人の経済人から夕食に招かれた。話題は政治の劣化や経済再生などで、民主党政権への提言を聴く機会でもあった。

 その中で、驚くべき情報を教えられた。A氏の発言で要点は次のとおり。

 「私は森英介元法務大臣と昵懇で、時々会食していた。昨年3月西松事件で小沢事務所の大久保秘書が逮捕された問題について、〝あれは私が指示した事件だ〟と、現職の法務大臣からの直接の話を聞いた。こんなことが許されてよいのか、と驚いた」

 A氏は私にこの情報を伝えるにあたって、悩んだ末のことだと思う。経済人としての立場もあり、私は実名を明らかにするつもりはない。私があえてこの情報を世の中に明らかにするのは、A氏の説明を聞いて私が「なるほど、さもありなん」と、私自身が森法相(当時)から直接に、それに関連する指摘を受けていたからである。

 平成21年3月1日(日)、大久保秘書逮捕(3月3日)の前々日、私は千葉市で森法相と会う機会があった。千葉知事選挙の吉田平候補者の出陣式の行事の席だった。堂本知事(当時)に、私に関して聞くに堪えない中傷・誹謗の発言をしたことを、明確に記憶している。「堂本知事さん、この平野という人物は平成になって日本の政治を混乱させた人で、小沢一郎も問題があり悪人だが、この人が小沢さんよりもっと悪人なんですよ」

 この森法相の発言は、私にとって心に刺した棘のようになっていた。3日の大久保秘書逮捕の後、それとの関連について考えてみたが、直接につながる材料がなかった。私も強制捜査の対象になっていたことは、元特捜部長などの言動から後になって知ったものだ。

 A氏の発言は、私にとって想定外のものだった。森法相の私への発言をつながり、西松事件大久保逮捕に政治が関与していた傍証となる。当時の麻生政権が民主党への政権交代阻止のためあらゆる方策を行使していた状況をみても、指揮権の発動も含め、政治の関わりを徹底した調査が必要である。

 法律専門家によれば、大久保秘書逮捕の「政治資金虚偽記載容疑」は、常識論として検察の独自判断で行う法論理ではない。特別な政治力が動かなければ、やれることではないという見方もある。

 西松事件、水谷建設問題、小沢陸山会の虚偽報告問題など、昨年からの小沢民主党幹事長をめぐる「政治と金」の問題は、詳細な法理論も大事である。それと同樣に事件背景や権力の動きについて総合的に調査が必要である。

 本年2月4日、小沢幹事長が「不起訴」と決まったとき、安倍元首相は「鳩山政権が不起訴にした(指揮権発動の意か)」と、麻生前首相は「灰色幹事長だ」と、それぞれコメントした。内閣総理大臣をやった政治家が、この問題でこんなコメントを出したことに、私は奇妙さとともに両首相の心理的幼児性、すなはち、自己の行動の辻つま合わせを感じざるを得ない。

 昭和9年の検察ファッショ・「帝人事件」は、起訴当時の警視総監・藤沼庄平が、「起訴は司法省行刑局長の塩野季彦らが内閣崩壊の目的をもって仕組んだ陰謀だった」と証言したことから、犯罪のデッチアゲであったことがあきらかになった。

 時代の変わり目で、政治権力のかもし出す形相について、私たちは厳しい監視の眼が必要である。昨年からの「政治と金の問題」の本質は、検察とマスコミの無作為の共謀であったことを検証する必要がある。

2009年4月29日水曜日

古事記と奈良毅

奈良 毅(東京外語大学名誉教授)のビデオです。
興味のある方がご覧ください。奈良教授は古事記を漫画化したことでも知られているのだが

奈良先生と古事記の関わりは?


古事記の作者はどんな人物ですか?


奈良先生にとって古事記とは何ですか?


古事記の優れている点と学べる点は?



古事記の記述が科学的、医学的に正しい理由は?


古事記を天武家を美化する書物という意見もあるが?


古事記の中に現代にも当てはまる生き方のヒントはありますか?

2009年4月17日金曜日

【東京地検】 マスメディア考察(石塚健司)

DNDメディア局の出口氏のコラムから(産経 石塚健司)


これは、きっとブレークし、多くの議論のテーマを提供することでしょう。 それというのも、民主の小沢一郎代表の公設秘書の違法献金事件をめぐる一連 の検察捜査の不確かな行方と、リーク情報をまき散らす新聞メディアの問題が クローズアップされている、という絶妙のタイミングと、「厚いベールに包ま れた特捜部の内部で何が起きているのか」を、事件捜査の核心を突いて、取材 メモや長年の蓄積から"危険な構図"を浮かび上がらせることに成功しているからにほかなりません。加えて、 これが単なる事件の暴露本という次元に留まらず、捜査機関とメディアの関係、 刑事訴訟法の運用、組織の人事、適法と適正の問題などに言及し、そしてなに より人間物語として読む人の心に強く響いてくるのです。


例えば、ノーパンしゃぶしゃぶと揶揄されて世間にその愚劣さを印象づけた 旧大蔵省キャリアと証券会社の接待汚職事件、そのキャリアは収賄罪で起訴さ れるのですが、当時は官官接待がごく一般的で恒常化していた状況にありまし た。そこで、このキャリアの逮捕にむけてさらに悪質さを加えないと逮捕令状 が取れない懸念があったため、「女性関係の遊興費も証券側に負担させてい た」とする、情報を持ち込むのです。捜査の結果、それはでっち上げと判明するのですが、この重要な逮捕 の決め手となる事実を隠し、「嘘をついてキャリアの逮捕を了承させた」との 疑念が、法務省首脳から持ち上がることになったという。


しかも、その接待した大手証券のMOF担側は、実は、捜査する側の現職検事 をも接待している事実が浮上するが、組織を守るためその事実は隠ぺいされて いたのです。これが産経新聞のスクープとして暴かれるのは、捜査終了後のこ とでした(71P「不祥事にフタをした東京地検」)。


産経新聞の取材に対応した、当時の法務省官房長の但木敬一氏(後の検事総 長)は、事が発覚する数日前に大蔵省からの連絡で、現職検事接待の件を知っ たのですが、接待回数が多かった検事について、こういうのです。「A証券のM OF担と(検事)は、もともと高校、大学の同窓だったそうだから、飲食代金を 相手に払わせたとはいっても、友人としての付き合いという面があったのでは ないか」と。


こう擁護するのは、おそらく但木は知らなかったのだろう、収賄 で起訴された旧大蔵キャリアが、贈賄側のE銀行のMOF担とは学生時代からの友 人だったということを、と書いているのです。「特捜部は、旧友との飲食であ っても容赦しなかった」と指摘し、これらが事前に分かっていれば、旧大蔵キ ャリアの逮捕はなかった可能性があるとみているのです。


現職検事も接待というのは、石塚さんのスクープだったのですね。「但木が あの夜、初めて接待検事について質問をぶつけられたときに見せた沈痛な表情 は、今も忘れがたい」と述懐し、深夜、ほろ酔いの顔で宿舎に帰宅したところ を表玄関で待っていた私(石塚さん)に気付くと、「ついに来たかという顔で、 単身で暮らす部屋に招き入れ、訥々と語り出した」という。


但木にとっては、接待を受けた二人の検事は、大学の後輩で期待をかけた人 材で、旧大蔵省への出向という新たな分野を切り開く先駆者でもあった。


「郷に入れば郷に従えじゃないが、どっちもまじめな奴だから、大蔵の空気 になじもうと懸命だっただろうな」とかばいながら、法務省の但木の立場から すれば、この事実をもっと早く把握したかった、とその怒りの矛先を東京地検 特捜部に向けられ、「地検特捜の幹部たちが信用できない存在と映ったに違い ない」と、石塚さんは書いているのです。


そして、事件から11年後の冷静な目で、改めてこの捜査を振り返ると、「時 代」が求める生贄とされた大蔵キャリアの姿は、「やはり哀れに思える」と同 情を寄せながら、地検特捜の強引な捜査手法に憤りを隠さないのです。接待汚職の 捜査が「適法」だったことは、裁判の結果が物語っている通りだが、果たして 「適正」だったといえるだろうか、と自問し、地検の首脳の次の言葉を伝えて います。


「地検は二つの過ちを犯したと思っている。ひとつは、接待検事の件を隠し たこと。もうひとつは、大蔵キャリアの女性関係費用のこと。最高検がこの二 つをきちんと把握できていたら、逮捕は許されなかったのではないかと思う」。


特捜検事には、法律という武器を駆使する知力、供述を引き出す気迫ととも に、何より病巣の本質を見抜く確かな眼力が求められてきました。彼らを支え てきたのは、戦後日本の健全な発展を支えてきたのだという、強い自負と使命 感で、私(石塚さん)たち記者は、そんな使命感に共感し、より早くよりつぶ さに特捜部の捜査を伝えるため、互いに鎬を削ってきた。


根底には、彼らの眼 力に対する揺るぎない信頼があったと思う、という。特捜の機能不全、捜査職 人がいない、停滞する事件処理、それに人事、その信頼が崩れた理由をいくつ かこう指摘し、とくに特捜副部長のポストが、法務官僚の経歴に箔をつけるた めのものになり下がってしまったのが大きな原因だという。法務省に戻って政 治家らと付き合う立場になったとき、その紹介の場面で、特捜と聞くと、政治 家の態度が著しく違ってくる。そのための特捜副部長ポスト、というのですか ら、悲しい話です。


「特捜部の能力の低下は、事件処理の停滞を招いているなら、まだ問題は少 ない。それより恐ろしいのは…」と石塚さんは続けて、「素人が多くなった特 捜部が、誤った情報に乗せられて独自捜査に打って出た場合だ」と指摘し、誤 った情報をもとに捜査の筋書きが描かれると、その結果として行きつく先は、 捜査が途中で空中分解するか、無理やり筋書きにあてはめた強引な捜査が行わ れるからだ、という。


なるほど、ねぇ。じっとしていればいいものを、力もないのに勢い、傲慢に 権力を振りかざす、行き詰ると、さらに組織を増強し、無理するから真っ当な 判断ができなくなってさらにおかしくなる。それでも辻褄をあわせようと、今 度は世論操作に訴えて、背後の黒い噂を印象づけるようなリークをメディアに 流す。最近、これと似たようなニュースをどっかで聞いたような…。


しかし、これは週刊誌のゴシップじゃないのです。それらすべてが、実際事 件として扱われ、逮捕・起訴、そしてメディアから悪として仕立てら れるのですから、恐ろしいことです。第2章:「あり得ない」逮捕劇、第3章: 恫喝(全部で4章の構成)が、この本の核心となります。それが、「防衛利権 のフィクサー」とマスコミに取り上げられた秋山氏に及ぶ、なんとも裏情報に 基づいた、"でっち上げ"の事実、背後にさまざまな利権がうごめいているよう な逮捕劇、政治家への資金還流のデマゴギー、不合理な勾留延長、恫喝まがい の取り調べ、脱税容疑で起訴という一連の捜査のプロセスで地検特捜が意図した、 「強引な捜査」の内幕を次々に暴露しているのです。


詳細は、あえて控えますが、この2つの章の凄いところは、これまでどこに も書かれていない新事実が盛りだくさんであること、秋山氏と石塚さんが長年 の友人であったこと、その秋山氏にやはり石塚さんが紹介した弁護士が永野 義一氏でした。昭和42年に検事任官し、在職27年のうちほぼ半分を東京地検特捜部 と同地検刑事部で過ごした、「職人肌の捜査検事」で、やはり親密な間柄と紹介されていました。


特捜に入って最初の上司が後の検事総長となる、ミスター特捜こと吉永佑介 氏で、吉永イズムの源流は、昭和39年当時、特捜部長で、「特捜の鬼」と称さ れた河井信太郎氏の「河井イズム」だという。永野氏のその特異な経歴と手腕 を評価し、ある上司と対立して地方に飛ばされたのだが、吉永氏が東京地検検 事正のとき、特捜副部長に復帰させて元閣僚らを逮捕した共和汚職事件などの 捜査を指揮した、という。平成9年に最高検検事を最後に退職し、赤坂で開業 し、「市井の弁護士」を貫いているのだそうだ。


そこから、秋山氏、永野弁護士、そして石塚さんの苦悶が始まることになる のです。平成20年のことです。この裁判は、秋山氏が家族や息子、息子の友人 らに捜査が及ぶと"恫喝"されたにせよ、その自白調書に署名し、検察側の証拠 に同意してしまったことを覆して検察と争うことを選択した秋山氏に勝ち目は 薄い戦いになったとしても、この本で明らかにしたように「存在しなかった政界工 作資金」、「特捜部の面目を保つための強引な捜査」、「真実の究明より有罪 の判決を得ることのみに全力を注いだような取り調べ」が、次々に法廷で明ら かにされていくのは確かです。


石塚さんは、「あとがき」で、友人が特捜部の捜査によって追い詰められて いく過程をつぶさにみた体験は、私の考えを大きく変え、それが今回の執筆の 原動力にもなった、と語り、「今やこれほど信頼できない官僚集団になってし まったのだと事実を知った後では、番記者の立ち位置にも少し修正を加える必要 があるのではないかとすら感じている」とも付け加えています。


秋山氏に捜査が及んだ300日、社会部を統括する職責のある立場では、現場 記者が書くことに制限を加えることは控えねばならならず、紙面化されたもの と矛盾する事実を伝えることを避けてきた、という。これも、いつも私心がな い石塚さんらしい対応ですが、人一倍正義感の強い彼ですから、本音のところ は、どんな思いだったのでしょう。


『特捜崩壊』を小沢代表の公設秘書の違法献金事件と重ね合わせて読んだ方 も多いのではないか、と思います。新聞記者は、番記者もいいが捜査当局が、 この状態が続くのであれば、新聞の責任も大いにある、ということを肝に銘じ なければなりません。まず、各紙、ぜひ一度、拘置所からの秋山氏の手紙を読 んで、フィクサー秋山氏に関わる犯罪捜査のプロセスと、それに基づいてどん な記事をこれまで書き飛ばしてきたかーを総点検し、新聞社の事件取材のあり 方を考えてみる時期にきているのではないか、と思います。


石塚さんは、そのとっても大事なメディアの責任についてリスクを覚悟で出 版という形で問いかけました。さすがに新聞記者です、秋山氏の帳簿や 資金管理のずさんさを「ザル勘定」と指摘し、その危うい状態にも容赦なく突 っ込んでいました。彼の、ぎりぎりの抑制の効いた執筆ぶりは、その行間から 熱いものが伝わってきました。この本で、いったいどれだけの人が救わ れることでしょうか。


『特捜崩壊』の第4章「特捜部がなくしたのも」は、「特捜に撤退なし、は 吉永だからできた」、「検察ファッショへの戒め」、「ミスターが憂えた未 来」、「法務と大蔵、夜の接点」などの見出しが並んでいます。往年の名物、 特捜部長ら歴代の検察首脳の顔触れが列伝風に綴られていました。


読みながら、毎日新聞の司法記者でロッキード事件などで名をはせた山本祐 司記者の『東京地検特捜部、日本最強の捜査機関・その光と影』(現代評論 社)を思い起こしていました。そこで山本氏は、「検察の外と内に現れた地殻 変動―その地響きの中で、東京地検特捜部はどんな位置づけをされ、どこへ行 くのか」と問いかけていました。私には、石塚さんの『特捜崩壊』が、山本氏 の『東京地検特捜部・その光と影』の続編に思えてくるようです。山本氏のこ の本の出版は、1980年4月24日とあり、それから数えてほぼ30年の歳月が経っ ているのですね。


地検特捜の、その捜査のあり方や、手順がいつも熱心に語られるのは、ある いは繰り返し批判が浴びせられるのは、それほど地検特捜への期待が強いとい う証左だと思います。石塚さんも原稿の末尾に、次の世代の特捜検事たちへの 期待を込めて、何年か先に今度は『特捜再生』の物語を書ける日がくる事を祈 っている、と筆を置いています。


さて、いい仕事をしましたね、石塚さん、GOOD JOB!でした。今度、慰労 会をやらなきゃなりませんね。この本の中でも、シークレット情報が散りばめ られていますが、弁護士の永野さんが触れた総理って?官房長官って?あるい は、闇に消えた疑獄の数々を聞かせてほしいものです。

http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm090422.html

2009年4月15日水曜日

【雑誌記事】 プレジデント(給料の格差、税金の不平等)

『プレジデント』(5月4日号)で、「給料の格差、税金の不平等 - 日本のサラリーマンは世界一つらいよ!」と題した特集を掲載しています。


◆サラリーマンの平均年収は10年間で30万円減少
◆この10年間でワーキングプア増大、一方で年収2千万円以上の層が増加
◆この10年間で、株式配当は3倍、役員報酬は20%増 
◆非正規社員は1,737万人(34%)を占めるまでに増大
◆根強い女性差別、学歴差別賃金 
◆企業規模別・産業別の格差賃金 
◆非正規社員、ワーキングプアは結婚も困難


(追記)

異議は認めない。亀井静香
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2009/10/post_3692.html#more

平成11年度比の増減、資本金10億以上の企業。
配当は中間配当含まず
          企業配当    従業員給与
平成12年度     +470億     +1983億
平成13年度    -2221億      -619億
平成14年度    +4701億   -2兆1114億
平成15年度  +1兆6054億   -2兆2475億
平成16年度  +1兆6130億   -2兆2880億
平成17年度  +4兆2457億   -2兆833億
平成18年度  +6兆4260億   -1兆4435億
平成19年度  +4兆5706億   -8兆7967億

  合 計   +18兆7560億  -18兆8341億


労働者平均所得と企業経常利益
98年465万円 98年21.2兆円
99年461万円 99年26.9兆円
00年461万円 00年35.9兆円
01年454万円 01年28.2兆円
02年448万円 02年31.0兆円
03年444万円 03年36.2兆円
04年439万円 04年44.7兆円
05年437万円 05年51.7兆円
06年435万円 06年54.4兆円

2009年4月6日月曜日

【憲法9条】 国益のために海外派兵をする国

益川教授「改憲は自由に兵器使うため」 9条に思い
2009年3月9日3時0分
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY200903080143.html

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(69)が8日、東京都千代田区の明治大で講演した。自身も呼びかけ人をつとめる「九条科学者の会」の発足4周年記念の一環。ユーモアを交えながら平和への思いを語った。

 益川教授は「改憲派は、なぜ憲法を変えたがるのか」という問いを何度も投げかけた。「ぼくは物理屋。因果律で考える癖がある。『なぜ』と。彼らは条文に不備があるからと言っているが、解釈改憲で自衛隊がソマリアまで行く時代。条文不備のせいじゃない。9条があったのでは出来ないことをやりたいからに違いない。つまり自由に兵器を使うということです」

 幼いころ名古屋で空襲に遭った経験を振り返った。名古屋大の先輩の被爆体験を話しながら、感極まって声を詰まらせた。「私は、子にも孫にもあんな思いはさせたくない。国家が国家の名のもとに始める戦争は嫌です。好きな人はやってください……あ、いや、それも困る」。ひょうひょうとした口ぶりに、床まで人で埋まった会場は、何度も笑いに包まれた。

 講演は約1時間。戦争は突然起きるわけではないと訴えた益川教授は「最終的には理性の問題です。一つのかけらを見た時に、人間としてそこから何を想像できるか。鋭い目を持てば戦争の予兆は見える。その時、反応しなければならない」と締めくくった。(谷津憲郎)

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●「戦争ができる国」になるための法制の関係年表(作成:田中隆)●
1990年 イラク、クウェート侵攻。国連平和協力法案・廃案
(1990年10月提出、11月には廃案)
戦後初、自衛隊を海外へ派遣するための法案が出されたが、反対の声が大きく1ヶ月で廃案。背景には、イラクのクウェート侵攻。
1991年 湾岸戦争
1992年 PKO法。陸上自衛隊・カンボジアへ
(91年9月提出、92年6月に成立)
湾岸戦争のトラウマ
戦後はじめて自衛隊が海外に派遣されます。それまで国際社会の紛争の解決や和平のためには、日本は経済的支援を続けてきました。湾岸戦争の際には、戦費130億ドルを出したにもかかわらず、「感謝されなかった」として「トラウマ」が残ったとされました。92年9月に陸上自衛隊がカンボジアへ派遣。
1994年 政治改革、北朝鮮核疑惑、読売新聞社・改憲案、警察庁に生活安全局。
1997年 日米防衛協力の指針(新ガイドライン)。
1999年 周辺事態法・憲法調査会設置法・盗聴法・国旗国家法・地方分権一括法・司法改革審議会法・金融再生法など成立。
2000年 「米国と日本・成熟したパートナーシップ」(アーミテージ報告)。
2001年 4月 小泉純一郎内閣成立。米・ブッシュ政権は1月に成立。
9月 「同時多発テロ」(9・11事件)。
10月 アフガン空爆開始。
11月 「テロ」特措法成立。米軍支援のための補給艦隊インド洋へ。
(法案提出からわずか3週間での可決、制定)
「反テロ戦争」テロと戦うための特措法
自衛隊の支援艦隊がインド洋にて米軍の機動部隊に燃料を補給。戦闘行為そのものに参加したわけではないが、明らかにこれは「参戦」行為。
「同時多発テロ」を契機に派兵のための法制づくりが加速します。10月、ブッシュ政権は報復戦争に突入しアフガンに空爆開始。世界中がこの流れに、「ヒステリー的」に同調していきます。
2002年 4月 有事3法案提出。通常国会で継続審議。
9月 アメリカ「国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)。
2003年 3月 米英軍、イラク攻撃開始。中央教育審議会最終報告。
6月 有事3法成立。
7月 イラク特措法成立。
背景は、02年10月に出された「ブッシュ・ドクトリン」。
東京都安全・安心まちづくり条例。
2004年 2月 陸海空3自衛隊イラク派遣。陸上自衛隊・サマワに駐屯。
04年2月に、戦後初めて自衛隊が戦地に赴任した。イラクからは08年暮に撤退。
6月 有事10案件(国民保護法など)成立。
2005年 1月 日本経団連「わが国の基本問題を考える」
9月 総選挙で自民党圧勝(郵政・総選挙)。郵政改革法成立。
11月 自民党大会・新憲法草案。
2006年 5月 米軍・自衛隊再編合意(2+2)。改憲手続法案提出。行革関連法成立。
9月 安倍晋三内閣成立。「教育再生会議」設置(10月)
12月 教育基本法「改正」、防衛省昇格法成立。
2007年 1月 日本経団連「希望の国、日本」。安倍首相「戦後レジームの脱却」
5月 改憲手続法成立。規制改革会議・第1次答申。
6月 教育3法、米軍再編特措法、イラク派兵延長法など成立。情報保全隊問題。
7月 参議院選挙で自民党歴史的惨敗(年金・政治とカネ・構造改革・憲法)。
9月 安倍内閣退陣。福田康夫内閣成立。
11月 「テロ」特措法期限切れ、補給艦隊インド洋から帰還
———この間、格差社会、絶対的貧困・窮乏が社会問題化。構造改革への批判が急速に強まる。
2008年 1月 新「テロ」特措法、参議院で否決、衆議院再可決で成立。
(08年1月成立)
インド洋での給油は継続中
4月 後期高齢者医療制度実施。名古屋高裁・イラク派兵違憲判決。
5月 改憲反対の世論拡大。9条世界会議。
9月 福田内閣退陣。麻生太郎内閣成立。
11月 アメリカ大統領選挙。オバマ候補(民主党)当選。
———この間、サブプライムローン問題に端を発した世界金融危機。世界同時不況。
2009年 2月 東京都議会・安全・安心まちづくり条例「改正」案
3月 ソマリア沖に護衛艦派兵、海賊対処法案提出。

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視点を変えてこの20年を振り返ると
 ここで別の視点から、これまでの法制の動きを分析してみたいと思います。「戦争に参加できる国」にしたいと考えている人たちにとってみれば、この20年をどのように捉え、また課題を設定しているのでしょうか? 

 1990年からこの20年間において、派兵法だけみると様相はかなり変わりました。野党や市民の反対の声により、たった1ヶ月で廃案になった時代から、今では海外派兵は日常化しているといってもいいでしょう。しかし、それでも出すたびに期限付きの「特措法」を作らなくてはならず、そして出せたのも兵站部隊のみ。しかも、与野党が逆転した参議院では、新「テロ」特措法は否決続き。加えて、イラク派兵違憲判決が2008年4月に出され、大きな衝撃を受けました。またイラク戦争の失敗をアメリカのみならず国際社会も認め、軍事力で平和は構築できないということにみんなが気づきはじめます。「反テロ戦争」の失敗が明らかになり、世論もイラク戦争に賛成した日本政府の姿勢について、不支持を示しています。

 そして明文改憲=9条改憲については、憲法改正の手続き法である、国民投票法の制定は安倍政権下で行われましたが、世論としては9条護憲の声の高まりがあり、発議しても国民投票で9条改正が否決される可能性も高い・・・。

 などなど、「派兵や後方支援のための法制をしつつ、明文改憲で軍隊を明記、集団的自衛権も認めるなど、名実共に “戦争できる国“にしたい」と考えていた人たちは、「こんなはずじゃなかった・・・」と思っているのでは、ないでしょうか?

 もし私が彼らの立場だったとしたら、「ならば、新たな手段」ということで知恵を絞るでしょう。そして考え出されたのが、「警察活動」を口実にした「海賊対処法」ではないでしょうか。

ソマリア沖派兵と海賊対処法
 最初にソマリア沖の海賊の話題が国会で持ち出されたのは、2008年10月の衆院テロ防止特別委員会にて。民主党の長島昭久氏が、「海上保安庁の巡視艇がソマリア沖の海賊対策に当たるのは困難」との趣旨の答弁を政府から引き出したうえで、「自衛隊艦艇のエスコート(護衛)は海賊対策にかなり効果がある」と麻生首相に提案をしたことに始まりました。それからわずか3ヶ月あまりで、国会議論も承認も得ず、2009年1月28日に麻生首相が指示を出し、海上警備行動での海自の派兵が決定されました。


 3月14日、護衛艦「さざなみ」「さみだれ」が派兵されました。海上警備行動は、海上保安庁の能力を超えた不審船などに対して、海上自衛隊が行う治安維持活動で、日本近海を想定した規定です。日本の民間船舶を海賊から守る、護衛するという目的なので、軍事行動ではなく、警察行動だと言いながら、「戦闘地域」への戦闘用艦艇の派遣が行われたのです。海賊が来て発砲ということになれば、日本の軍隊が平和憲法下ではじめて戦端を開いた瞬間になるでしょう。

 そして現在、国会にて審議中の海賊対処法は、この派兵を法的に追認し、しかも恒久化する法制です。海賊対処法は、護衛の対象を外国船籍の保護にまで拡大するもの。また、停船命令を無視した海賊船への射撃が可能になります。つまり武器使用の基準がこれまでよりずっと緩和されるのです。また期限をもうけている特措法でもありません。そして今回の政府の憲法解釈は、「海賊は国や国に準じる組織ではない、なので憲法が禁じている武力行使ではない」としていますが、その解釈だとテロ組織との武力行使も可能ということになり得るのです。

 ソマリア沖派遣と、海賊対処法は、警察活動を口実にして「9条」を大きく迂回しつつ、自衛隊を戦闘に突入させようとしている策動です。





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ついに! 国益のために海外派兵をする国になった日本

2009年3月14日にソマリア沖に海上自衛隊の艦隊が出港しました。まもなくソマリア沖に到着し船団護衛任務につくことになりますが、ソマリア沖は「実戦海域」であり、護衛艦は「戦闘艦」です。そして今回の派遣の目的は、「日本のシーレーン確保のため。日本の国益、実益のため」とはっきりと国会でも答弁されています。これはどういうことでしょうか? 

 日本はアメリカの対テロ戦争であるアフガニスタンのOEFにも、給油活動を行い参加しました。NATOにとってこの作戦の法的根拠は自衛戦争であり、法的にNATOとまったく関係ない日本が、言わば他人の自衛戦争に参加している。対テロ戦への貢献という「世界益」の大義があろうと、違憲行為です。しかし違憲の度合いから言うと、今回のソマリア沖への海自艦隊派遣の方が、格段に大きい。なぜなら私たちは、第二次世界大戦後、軍隊を外に出さなきゃ守れないような「国益」は放棄したはずだからです。極端なことを言うと、私たちの国に原油が入ってこなくなり、電気が止まろうが、それでも私たちは、軍事行動で国益を求めない、そう誓ったはずです。こうして見ると、曲がりなりにも「世界益」を掲げたOEF給油活動の方が、マシに見えます。

 今、当たり前のように、メディアや政治家は、「日本の船を襲う海賊だから取り締まるのは当たり前。我が国の国益のために自衛隊が出ていくのは当然」といった論調です。そして世論調査によると、9割の人が今回の派遣については、「賛成」もしくは「海賊だから仕方ない」と思っているそうです。一方で、憲法9条の改憲についての世論調査では、6割の人が9条は守った方がいいとう数字が出ていると聞きます。ということは、9条護憲だけれど、今回のソマリア沖の海自の派遣には賛成、という人がかなりの数、いるということになります。 そのような人は、いったいどういう考えなのか。私にとって、国家主義的なゴリゴリの改憲派よりも意識が遠い人たちに感じます。

もはや護憲派は「敗北宣言」をするべきでは?

私は、立場上、9条護憲の皆さんの集まりから講演を頼まれることが多いのですが、たびたび面食らう場面があります。アフガニスタンやアフリカの紛争のこと、国連の平和維持軍の活動を説明した後、日本の平和貢献に話が及びます。すると、突然怒り出す人がいるのです。私は、「平和貢献には軍を出す以外に色々な方法があり、平和憲法をもっている日本は敢えて自衛隊を出さないことでそのイメージを更に強化し、他国にはできない貢献ができる」という意見なのですが、そういう人は、自衛隊を出す出さないを議論しなければならないような面倒な国とは付き合うな! つまり、アフガニスタンみたいな国と付き合うから日本は自衛隊を出さなければならなくなるし、自衛隊の存在価値を高めてしまう、ということらしいのです。

 自衛隊の海外派遣の必要なしという点では、私と同じですが、目的意識は180度違います。護憲派は、これまでカンボジアなど国連平和維持活動「世界益」の派遣にもちゃんと強く反対の声を表明してきました。しかし、小泉さんが現れて、アフガニスタンとイラクの対テロ戦争というあやふやな「世界益」への派遣になったのですが、その声は逆に小さくなっていきました。そして、今回のソマリア沖派遣、もろ「国益」です。戦後最大の違憲派兵に対して、反対意見は最小。「自分の国さえ良ければ」という「一国平和主義」に護憲派自身が陥ってしまっているのではないでしょうか。

 私は護憲派として「敗北宣言」をしようと考えています。つまり、9条は日本人にもったいない。ただそれだけのことだったのだと。
(4月6日談)

2009年4月3日金曜日

【日米同盟】 海賊対策

<なぜ すぐ自衛艦 ソマリア>

海保の国際的取組み黙殺

梅田正己
http://jcj-daily.sakura.ne.jp/watching000.htm 

 海賊対策のためとして、護衛艦2隻が「給油海域」のインド洋を越えソマリア沖へ出航した。

 しかし海賊取締りは戦争ではない。戦争ではないのに、なぜすぐ「軍艦」出動となるのか。この疑問をマスコミも素通りしたまま事態は突き進む。

海賊対策は海保の役割

 海賊の取締りは、本来海上保安庁の仕事だ。だから海上保安庁の巡視船も武器を装備し、ヘリコプターも搭載している。

 そして実際、そのための訓練も行われてきた。同庁のホームページを見ると、今年1月の「海保ニュース」№9に、「官民連携による海賊対策訓練の実施」として、次のような記事がある。

 「(昨年)11月17日及び12月12日の両月、東南アジア公海上において、東南アジアへ派遣中の巡視船「しきしま」と日本関係船舶及び関係者により海賊対策訓練を実施しました。

 同訓練には、日本関係船舶が海賊船から追跡・接近等を受けた場合を想定した実働訓練を実施し、同船へ海上保安官を移乗させ安全確認を行う訓練……等を実施しました」

 こうした共同訓練は以後も継続して行なわれている。2月20日付の朝日には同社の松井健記者による訓練光景の写真と記事が掲載された。

 「フィリピンのマニラ湾で19日、日本の海上保安庁とフィリピン沿岸警備隊が海賊対策の連携訓練をした。海賊に襲われた日本の商船をフィリピン沿岸警備隊の特殊部隊が制圧するシナリオ。マニラに派遣された第11管区海上保安本部の巡視船乗組員がフィリピンの隊員に臨検などの方法を指導した」

海保の国際貢献の実績

 海保の巡視船の船腹には、JAPAN COAST GUARDと書かれている。「日本沿岸警備隊」だ。しかし東南アジア海域まで出かけて他国との合同訓練を積んできた。

 『世界』3月号の前田哲男さんの寄稿「海賊対策にはソフト・パワーを」によると、IBM(国際海事局)の統計では、00年当時世界の過半数を占めた東南アジアの海賊発生件数(262件)は、08年にはインドネシア海域で28件と9割減、マラッカ海峡ではわずか2件に激減したという。

 そしてこのめざましい成功の基礎には日本のODAによる巡視船提供や共同訓練などがあったとして、前田さんはこう評価している。

 「日本は海上保安協力を通じ、海上警察の執行機関として重要な国際貢献を果たしてきた」

 日本の海上保安庁はこのような国際的実績をもつ。一方、海上自衛隊は海賊取締りの訓練などやってはこなかった。今回のソマリア沖にも海上犯罪対策の専門家である海上保安官が同行する。

 海賊対策は海上保安庁の仕事だ。にもかかわらずソマリア沖海賊問題に関しては、どうやって自衛艦を出すかだけが取り上げられてきた。海保が取り組んできた国際的な努力は今も黙殺されたままだ。

 冷戦後、自民党と自衛隊幹部を突き動かしてきたのは、何とかして自衛隊を海外に出したいという衝動だった。カンボジアからルワンダ、ゴラン高原、インド洋、イラクと、足取りを見れば、それは明らかだ。そして今回も、その衝動が海保の国際的取組みの実績をはじき飛ばし、護衛艦2隻を遠くアフリカ沖へと向かわせたのである。

機関紙ジャーナリスト 2009年3月25日号

追記

ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の交換公文について
平成21年4月3日

 平成21年4月3日、中曽根外務大臣とユスフ・ジブチ外務・国際協力大臣は、「ジブチ共和国における日本国の自衛隊等の地位に関する日本国政府とジブチ共和国政府との間の書簡」の署名及び交換を行いました。

 この交換公文は、海賊対処に従事する自衛隊等が円滑に活動を行うことができるよう、自衛隊の基本的な活動拠点となるジブチとの間で、ジブチにおける自衛隊や自衛隊員等の法的地位を適切な形で確保することを目的とするものです。

 我が国としては、ソマリア沖海賊の根絶に向け、引き続き、ジブチを始めとする周辺諸国と緊密に協力していく考えです。