2009年5月8日金曜日

【西松事件】 日本共産党・さざなみ通信

日本共産党・さざなみに、「現状分析と対抗戦略」と題し寄稿されたものがあった。西松事件で小沢・民主党がたたかれる中、共産党もマスコミと一緒になりたたくという状況であった。

しかし、共産党員の中でも西松事件の捜査のいかがわしさに気がついた方は多くいたはずである。蟹工船ブームもあり、共産支持者が増えたような錯覚に陥たのであろうか。そんな中で、「それは間違い」だとする意見が共産党の「ささなみ」の中に投稿をされている。

それこそ、共産党が虐げられた歴史を知っている党員であろうか。その彼らが声を上げたのである。しかし、その声は衆議院選挙まで届かなかったようである。結局、選挙では、9議席維持で終わっている。


1、はじめに
 国策捜査による小沢秘書の逮捕・起訴をめぐって、相変わらず民主党の議員の腰は定まらず、また政権交代派の市民の間での論争も決着がつく気配がないようだ。そこで論争のポイントとなる論点である6~7割にものぼる国民の小沢辞任論をどうみるべきか、そして小沢続投で政権交代が可能かどうかについて、この2ヵ月の世論動向を素材に検討してみることにしよう。

 現在の状況を思いこみや根拠なき推測で論ずるべきではなく、可能な限り事実資料を拾い上げて考えることが肝心である。

 興味深いのは、1議席増に血眼な共産党幹部はもちろんのこと、左派やリベラルを含めて、現政治体制の下でそれなりのステータスを獲得している連中のほとんどが”小沢やめろ”の大合唱であり、無名の庶民が小沢続投の論陣を張っていることである。

2、民主党は相変わらずふらついている

 幹事会で小沢続投を決めているにもかかわらず、民主党の議員や候補者の多くが「説明責任」は小沢の問題だ、と考えている能天気ぶりであるから、民主党自体が関門の前でふらついている現状にある。

 この能天気ぶりには幹事長の鳩山にも責任がある。彼なりの努力は認めるが、すぐに連帯責任の、辞任の、と口走るところに自分の政治的洞察能力(これについては最後の触れる)についての自信のなさが現れていて、彼自身が動揺している。それ故に、彼がリーダーシップをとって、こういう方法でやると方針を決め、議員に説明し議員や候補者に実行をうながさなければならないのであるが、それができない。タウンミーティングで小沢に説明しろということでは、他の議員には他人事の取り扱いになり、せいぜいのところいい迷惑だという能天気ぶりになるのは当たり前である。

 特に凌雲会の前原・仙谷一派は連休明けから小沢批判の動きを強めているが、自分の首を絞める馬鹿な行動であることを理解するべきである。いわゆる”意志統一”ということが、この党の議員はよくわかっていない。方針を決める前は騒いでもいいが、一旦決めたことは実行段階では死守しなければならない。それは主流、反主流にかかわらず守るべきことなのである。

 若い議員の多くは国民を一人一人説得することがどんなに骨の折れることか、この基本のところがそもそもわかっておらず、少々の逆風にすぐ音をあげていることが彼らのブログをみるとわかる。おかゆばかり食べてきた人間が普通に炊いたご飯も硬いと言うのに似ている。

3、今、民主党に必要なものはふたつある

 この程度の関門の前で民主党の議員が動揺したり分裂行動をとっていては政権は取れないし、政権に就いてからの関門はさらに巨大(膨大な財政赤字と世界恐慌による大不況の襲来)であるから、今の民主党の状態では政権に就く能力・資格がそもそもないということになる。

 政権党となる最低限の能力の第一は、決定され臨戦態勢に入れば結束して事に当たるという能力であるから、この能力がないことにはお話にならない。民主党はこの能力を身につけ、他方では政権党としての政策を官僚機構の反対を押し切って実現する実行力の源泉=国民の固い支持を、今、この関門を前にして獲得しなければならないことが、二つながらにして民主党に要求されていることなのである。

 この能力は政権に就くと同時に即座に試されることになる。泥棒をつかまえてから縄を編むひまはない。なにぶんにも自・公の政権党が食い荒らし放り出した難題が目白押しに待っているからである。

4、今の民主党に小沢が最適な理由(1)

 自民党のようにできあがった政党ではない民主党にとって、その結束力を身につけるためには党首となる人物のもつ役割は非常に大きいものがあり、周囲全体から認められるようなリーダーシップ、経験、実績が必要なのである。 小沢は10余年前に自民党の中心派閥・経世会から40数人を引き連れて新生党をつくり、一時的ではあれ、自民党を下野させ細川政権をつくった中心人物であり、今また前原の新自由主義から「生活が第一」という政策の大転換を成し遂げ、07参議院選で自民党を過半数割れに陥れた人物であること、その政策転換で政権交代への道筋を再興させたこと、ならびに元自民党の幹事長であり政権党と権力中枢の事情を最もよく知っている人物であること、などがあげられよう。ここに小沢でなければならない理由があると言える。

 今の民主党について小沢独裁を危惧する論評などは噴飯ものと言わなければならない。右往左往して、決めたことも実行できないことが今の民主党の弱点なのである。

5、今の民主党に小沢が最適な理由(2)

 特に権力中枢・官僚機構の事情を知っているということは、政権党が放り出した難題を解きほぐし解決の道筋をつける急所を察知しうる最短距離にいる人物ということになる。政権を取ったからといって簡単に民主党の政策を持ち込めば政策が実行できるわけではなく、これまでの政権側の諸政策や既存の法律との関係や財源との関連、”埋蔵金”の所在やら官僚機構の操縦等々、様々な条件をクリアしてはじめて実現できることで、一筋縄ではいかない。言わば魑魅魍魎の官僚機構を相手に、「国民生活が第一」という政策理念を巨大な赤字財政の下で現実化するには、事情を勝手知った者による相当の知恵と決断力、腕力が必要になる。

 身近な例で言えば、勝手知った所で仕事をするのと、そうでないところで仕事をするのとでは雲泥の差があることを経験から想像してみるべきである。言わば新人ばかりが見知らぬ所で駆けずり回っても仕事はまとまらない。ましてや、官僚機構は民主党に協力的ではないときている。

 その意味で、今の民主党にとっては小沢が代表として最適なのであって、政権側が禁断の国策捜査を仕掛けた理由もそこにある。真の小沢信者は自民党政権と国家官僚なのである。

6、西松問題は正面突破が必要な理由

 そういうわけで、この西松問題という関門は期せずして民主党に求められている二つながらの要求を実現する機会=試練となったのである。すなわち、素朴な正義感から動揺する庶民感情を変える仕事に専念することが、民主党に結束する能力を身につけさせる一方、庶民の固い支持を作り上げる事業にもなる。このふたつながらの事業は小沢更迭論では実現できない。私の思うところでは、小沢更迭論の致命的な欠陥がこれである。

 この事業はさらに重要なことには、国民の政治意識を開拓し発展させる大事業そのものでもあるということ、国民の政治意識の発展なしには政治改革はそもそも望めないことは指摘するまでもない。この大事業も更迭論では視野の外にある。

7、政権交代派内の論戦のヒートアップ

 ネット上の議論を概観すると、政権交代派内部も相変わらず論戦状態にあり、小沢続投論と更迭論が拮抗している。しかし、この論戦の盛り上がりは非常によいことで、庶民が広範に政権作りの論争に参戦した史上初の経験とも言えるのではないだろうか。細川政権成立時との決定的な違いである。論戦はヒートアップしており、端から見てもそのオーバーヒートぶりがわかり、論戦に熱中しすぎて世論を変えるという基本の地道な作業を忘れやしないかと心配になるほどである。

8、小沢更迭論には多くの難点がある

 論戦の中心は世論調査による小沢辞任論が6~7割にものぼることをどう評価するかということにある。更迭論が強調することは、辞任という世論は6~7割にものぼる脅威であり、小沢辞任によって民主党の支持率が回復し政権交代が実現できる、しかし、更迭しないと支持率が下がり政権交代が難しくなるということにある。

 この更迭論の難点は、
第一に世論調査の数字を多角的、系統的に検討していないことである。
第二に辞任賛成6~7割という大手新聞の世論調査を不動の前提に置いて、政権交代派や民主党支持の減少と直結させていることである。
第三に更迭しなければ政権交代ができなくなると思い込んでいること
第四に今の民主党のままで党首は代替可能とみていること。
第五に小沢による政策の大転換を視野の外に置いていること、
第六に政権担当能力の最低限と言うべき党の結束力の問題を視野の外に置いていること、
第七に政権に就く政党には”風”のようなものではない”鍛えられた”支持が必要なことを見落としていること、古来、自力ではなく、政権を”獲らされた”政党は例外なく簡単に壊滅する。
第八に政権側の難癖への警戒感が足りず軽視していること、敵は成功した作戦・攻撃は何度でも仕掛けてくるのが”兵法の常道”であることを忘れていること、などをあげることができる。

9、小沢続投論の可否を判断する数値

 そこへいくと、小沢続投論の難点は一つだけで、小沢続投では民主党の支持率が下がり、政権交代が実現できないかも知れないということである。そこで最も肝心なこの点を検討してみることにしよう。この問題は推測や直感、山勘で解答を出すべき問題ではなく、これまでの世論調査の数字を多角的に、系統的に調べることでのみ解答を引き出すことができる。

 いろいろな数字をあげることができるが、煩雑さを避けるために比例票の投票先の数字を取り上げることにしよう。共同通信と朝日新聞の数字を取り上げるのは、両者が最も頻繁に調査を行っており同時期のものを比較しやすいからである。時期は①2007年の参議院選前の6月と選挙直前の7月前半の数字、②麻生政権成立直後の2008年9月の数字、③小沢秘書逮捕前の2009年2月中旬の数字、そして④逮捕直後の3月初旬の数字と起訴後の3月下旬および4月下旬の数字である。

 表示の仕方は①19.8/22.1(%は省略、前者が自民、後者が民主の数字、以下同じ)とし、前述した順序①②③④で表示する。
 まず共同通信の調査は次のようになっている。
①19.8/22.1、 17.6/24.6、②34.9/34.8、③23.0/42.9、④26.7/33.9、 30.5/34.1、 30.8/37.9。
 朝日新聞の数字(小数点以下、四捨五入)は以下のようになっている。
①24/22、 23/30、 ②32/34、③22/42、 ④24/36、 27/31、 27/32

10、二社の世論調査の示す共通点

 これら二社の数字を眺めると共通点として次のことがわかる。
 第一は小沢秘書逮捕後も、自民党は麻生政権成立直後の支持率を回復していないこと。②―④の比較をみよ。麻生政権が未だ解散に踏み切れない主要な理由がこれであろう。

 第二は民主党は小沢秘書逮捕後も07参議院選直前の7月の支持率を越えていること。①―④の比較をみよ。

 第三は民主党は小沢秘書逮捕後も麻生政権成立時の支持率をほぼ維持していること。②―④の比較。

 第四は小沢秘書逮捕後も民主党の支持率は自民党を一貫して上まわっていること。④の自民と民主の比較。07年参議院選直前は両社とも7%の差があったが、この4月末では朝日5%、共同7%となっており、07参議院選直前とそれほど遜色のない差が維持されていること。これが小沢が4月末の記者会見で「政権交代できると思っている」という理由であろう。

 第五は、小沢秘書逮捕後、時間の経過につれて民主党の支持率が下げ続けているわけではなく、四月に入ってからは回復傾向がみえること。④の民主の支持率の推移をみよ。

11、読売新聞の世論調査も同じ傾向だ

 さて、以上に指摘した世論調査から得られる共通点を、ネット上では政府御用達新聞と不評を買っている読売新聞の世論調査と比較してみよう。これらの共通点は今後の政権交代戦略の鍵となるので、念には念を入れて確認しておく必要があるからである。読売の数字は以下の通りである。

 ①22.2/23.9、 20.5/27.6 ②37.0/29.5 ③26.0/40.3 ④23.5/33.9、 30.5/30.9、 27.5/30.8

 前項「10」で第一に述べた特徴はそのまま同じである。すなわち、小沢秘書逮捕後も自民党は麻生政権成立直後の支持率を回復していない。②―④の比較。

 第二の特徴も同じである。民主党は小沢秘書逮捕後も07参議院選直前の7月の支持率を越えている。①―④の比較。

 第三の特徴も同じである。民主党は小沢秘書逮捕後も麻生政権成立時の支持率を維持していること。②―④の比較。

 第四の特徴も同じである。小沢秘書逮捕後も民主党の支持率は自民党を一貫して上まわっている。違いは自民と民主の差は朝日や共同より少ないことである。

 第五の特徴は朝日、共同ほど顕著ではないが、下げ止まりの傾向は見えている。読売の④の三番目にある「27.5/30.8」の数字は両社のように4月下旬ではなく、4月6日の読売に載った数字であることが回復傾向が不鮮明である理由かもしれない。読売は4月6日以後、4月25、26日に3000人からの面接調査をやっているが、裁判員制度やオリンピック誘致の調査結果はあっても内閣支持率や政党別支持率、比例票の調査が発表されていないのである。不可解なことである。

 読売の世論調査では全般的に自民の支持率が朝日や共同と比べて高めに出ているが、それでも朝日、共同の世論調査から抽出された共通点はほぼそのまま読売の世論調査からも読みとることができる。

12、世論調査の数字では小沢続投で政権交代は可能と出ている

 以上のような共通点をみれば、小沢続投で戦えるし政権交代は十分可能であるという結論を出してもよいであろう。禁断の国策捜査も、”大本営”傘下に入った大手マスコミの反小沢大キャンペーンも、それらに呼応する共産党の小沢金権批判も、あるいは有名人らの”小沢やめろ”コールも、小沢民主党による政権交代という流れに致命傷を与えることができなかったということである。

 更迭派は現状で政権交代が十分可能であるのに、世論調査をろくに検討もせず、「8項」で述べた多くの難点・リスクを背負い込み、かつ新代表選出にまつわる様々なリスクすべてを棚上げしてまで小沢更迭に奔っている、ということになる。実に馬鹿げたことではなかろうか? 世論調査が示す全般的事実を無視しており、より多大なリスクを抱え込む可能性に目をつぶっているからである。

 失礼ながら、これだけの検討で、すでに著名な政治評論家たちの小沢更迭論は、その政治的もくろみは別にして、本質的に訳知り顔にふるまう”シロウト政談”にすぎないことが明らかになっている。検察(=官僚機構)は強大だ、小沢辞任賛成の世論は7割だ、じゃ、小沢更迭だ。彼らの更迭論の核心は、ただこれだけの主張なのであって、その貧しい核心を飾るために、後からあれこれの思いついた理屈が「貨車でやってくる」という構造なのである。

 そして、これまでの検討ですでに西松問題は政権交代の前に立ちふさがる最大の難関になっているわけではないことも見当がつくのである。

13、更迭派が民主党の支持率が下がったという理由

 マスコミの喧伝もそうだが、更迭派が民主党の支持率が下がったと言うのはなぜであろうか? それは小沢秘書逮捕前の2月の民主党の支持率を基準にみているからだということになる。③の数字は共同通信では42.9%、朝日では42%、読売40.3%となっているからである。

 なるほど、この数字と比較すれば民主党の支持率(比例票の投票先)は小沢秘書逮捕後は10%近くも下がっている。しかし、この支持率は民主党の実力で獲得した数字ではなく、当時の麻生政権の迷走、”自殺点”で加点された特別な支持率、”バブル”の支持率なのである。

 誰しも一月前のことも忘れがちだが二月前となるとなおさらで、麻生は漢字が読めないとか、給付金をもらうのを「さもしい」と言ったり、医者は常識がないとか、あるいは郵政民営化に本心では反対だったとか、酔いどれ財務大臣がテレビに顔を出した結果、自民党の支持率が急落してもたらされた特別な支持率がこの42%という数字なのである。

14、2月の民主党の高支持率は例外とみるべきだ

 昨年までの自民党支持者が麻生政権に嫌気がさして一時的に民主党支持に鞍替えしたのであって、そのことは自民党の約10%減と民主党の約8%増がほぼ一致することでもわかる(②と③の比較)。読売の数値で見れば自民党の11%減と民主党の10.8%増がほぼピタリと一致する。民主党の支持率増は嫌気がさした自民党支持者の8~10割を吸収したからであって、新たに無党派層を吸収したわけではない。この無党派層の動向は次項で説明する。

 この特別な高支持率は麻生政権が事態を立て直すにつれて、小沢秘書の逮捕のあるなしに関わらずある程度是正されてくる一過性の高支持率とみるべきであろう。国策捜査は政権側には絶望的なこの高支持率のピークに発動されている。

 民主党は後にも先にもこの2月の支持率42%をとったことはないのである。07参議院選でも、松岡農水相の自殺や後任の赤城バンソーコー大臣、久間防衛大臣の「原爆投下、しょうがない」発言や年金問題で安倍政権が窮地に陥った時でも朝日の②の数字にある30%ほどであって、自民党に7%の差をつけた程度である。

 この30%という数字と比較すれば、小沢秘書逮捕後の朝日の④の数字36、31、32、共同の33.9、34.1、37.9、あるいは読売の33.9、30.9、30.8は”りっぱなもの”とさえ言えるのであって、07参議院選効果で政権交代派が着実に増えてきている証拠である。

 世論調査の数字を見る場合、ある一時期の数字を絶対視せず、基本的な傾向を見なければならない。選挙で現れるのは、通常この基本的な傾向なのである。

15、無党派層の動向の特徴

 この二年の世論調査の数字を追ってくればわかるが、現在では比例区の投票先を決めていない無党派層は20%程度で定着している。

 読売の数字が鮮明(朝日と共同は「決めていない」と「無回答」が合算されている数値表示)なので、読売の「決めていない」有権者の比率(%)を上記の①②③④の時期に対応させて表示しておこう。

①34.8、33.9、②17.0、③20.5、④25.8、22.6、24.3、となっている。
 05年郵政民営化選挙後の小泉政治や07年参議院選における自民党の過半数割れとその後の政治の変化を見てきた無党派層の有権者は、比例代表の投票先を決めはじめており、07参議院選前の①の30%台から2008年9月に

②17.0%へと減少し2009年2月の③20.5%へとつながっている。
 ②の17.0%という半減ぶりは麻生政権の成立によるご祝儀分があるとみて割り引いて考えても、2009年2月の民主党の支持率が42%の時、無党派層は減るのではなく逆に3.5%も増えている(②17.0→③20.5)ことを注視するべきである。このことは、無党派層が2月に民主党に流入し42%に押し上げているのではないことを示している。

 小沢の更迭か否かを考えるとき、このような無党派層の動きは最大限の注意をもって考慮されなければなるまい。すなわち、小沢秘書逮捕前の麻生政権の最悪期にあっても、この20.5%は民主党へは流れ込まなかった無党派層なのである。私が定着しているという理由である。

16、小沢辞任賛成と政権交代問題は区別されている
 数字の上で残る問題は、小沢辞任賛成の世論が6~7割にのぼることと麻生政権成立時の支持率を民主党が維持していることとの関係をどう解釈するべきなのかということである。はっきりしていることは、小沢辞任の世論が6~7割あっても、なおかつ、民主党の支持率が、バブルの42%を除けば、下がっていないということである。

 事実はこうなっているのであって、この事実から言えることは、07参議院選以来の政権交代支持者は西松ショックがあってもその政権交代論を変えていないということである。 ということは、さらに次のように言うことができる。すなわち、政権交代論者で小沢辞任に賛成する者は、小沢辞任に賛成ということと政権交代問題を区別しており、連動させていないということ。つまり、小沢辞任賛成論者が小沢続投という事実を見て政権交代否定へと変わっているわけではなく、小沢辞任を支持するが、小沢の続投のあるなしにかかわらず政権交代は必要だと考えているわけである。

 ここまで検討してくると、ひとつの奇妙な光景が見えてくる。それは世論調査に現れた小沢辞任に賛成の政権交代論者が小沢の辞任と政権交代を区別しているのに、ネット上の更迭論者は両者を連動させていることである。更迭論者は小沢続投では政権交代支持者が減り、政権交代が不可能になると心配しているわけなのである。

17、小沢更迭論が現実に意味するもの
 更迭論者の主張を具体的な世論調査に現れた事実にあてはめてみると次のようになる。麻生政権の”自殺点”によって民主党に流れてきた自民党支持者を再び民主党に引き寄せるためには小沢辞任が必要だというわけである。これが現実にあてはめた更迭論の主張するところ、更迭論の現実的な具体的な内容なのである。つまり、西松ショックで自民党に回帰したような自民支持者を呼び戻すためには小沢の首を差し出すべきだというわけである。

 西松問題で民主党支持から離れた約10%の票はすでに見たように無党派層ではない。民主党から離れて自民党支持へ移った者、あるいは西松問題で無党派化した者(読売の無党派数値③の20.5から④の24.3への増加分3.8%)は、世論調査の数字からわかるが、そのほとんどが元々の自民党支持者である。酔いどれ大臣を見て民主党の支持率を8%(読売では10.8%)持ち上げ42%にした自民党支持者の一時的鞍替え組なのである。自民党支持者によるこの持ち上げ分、バブル分8~10%が西松問題で民主党から離れている。

18、小沢更迭論者の心理
 むろん、更迭論者にはそうした自覚はないであろう。というのは、更迭論者自体が世論調査の数字を多角的に検討している形跡がなく、いくつかの世論調査の数字をみただけで、自分の問題意識や感覚、好みに合うようにイメージを膨らませているだけだからである。

 端的に言って、小沢辞任賛成の7割という数字と西松ショック後の民主党支持の10%減だけをみて、小沢続投では民主党支持や政権交代支持が減ると漠然と思っており、他方では、これまた漠然と小沢更迭で民主党離反者や政権交代支持者が戻ってくると予想している。

 そして、この二つの数字を根拠にした減るという思いは、あちこちからくる小沢批判の個人的経験で増幅され、他方ではその経験が逆にその減るという思いを実証していると更迭派は”錯覚”するのである。

 今回の場合は特に、個人的経験とそこから得た個人的感触を不用意に一般化してはならない。というのは、国策捜査のねらいは世論を動揺させることに大きなポイントが置かれていたのであって、世論の動揺は言わば”自然発生的なもの”ではないからである。国民の中にこの動揺を持続させる原因はないのである。

19、小沢を更迭しても支持率はあがらない
 系統的に世論調査の数字をみればわかるように、現在でも民主党支持、政権交代支持の本体が減少しているわけではなく、07年参議院選以来の政権交代派が減っているわけではない。むしろ増えている。ここが世論調査の教える”急所”である。この急所がわからず、バブルの42%の”夢”を基準に考えようとするのが更迭派なのである。
 しかし、更迭論が現実に意味するこの取引はおよそ成算がない。小沢の首を差し出しても、民主党の支持率を8%持ち上げたあげく自民党へ回帰したり無党派化した自民党支持者はまず帰ってこない。彼らは西松問題と同様の政治献金を受けている有力者がズラリといる自民党を気にせず、また、3回も続く政権”たらい回し”も意に介さずに長く自民党を支持してきた者たちだからであり、小沢民主党の魅力に惹かれてではなく麻生政権のひどさに愛想を尽かして民主党に一旦は流れた有権者だからである。再び帰ってくるとすれば、麻生政権がさらに大きな”自殺点”をあげた場合だけであろう。そして、定着した前述の20.5%の無党派層は小沢更迭で民主党に来ることはないことも「15項」で説明したとおりである。
 帰ってくるかどうかわからないこうした性格の自民党支持者を小沢の首を差し出してまで追うのは馬鹿げている。民主党は自分の力で、国策捜査をはねのけ、その政策、主張で支持の拡大をめざすべきなのである。頼りにできるのは、こうして得た支持者である。

20、庶民を引きつける法
 定着した20.5%の無党派層や民主党を離れて無党派化した元自民党支持者を引きつけるためには、むしろ、これまでにない民主党の”雄々しい姿”が必要であると言うべきで、強大な権力に抗して雄々しく闘う姿こそが、虐げられ深く傷ついた庶民の心を掻き立て引きつけることになる。小泉の郵政解散劇がそのいい例である。

 誰かが言うように、戦場に臨んで「敵に大将を変えろと言われて、はい、そうですかと変える馬鹿はいない」と言うべきで、敵の工作で大将を変えるような頼りない政党を庶民は当てにしないであろう。

 ここは冷静に事態を考えて見るべきである。民主党の支持率が減っているわけでもないのに、実績も経験もあるリーダーを捨て、”クリーン”というだけで海のものとも山のものともわからぬ手腕の新顔や、あるいは大した実績もない旧顔を立て、起こりそうもない”風”を頼りに選挙戦を戦うことは”きちがい沙汰”と言うべきである。

21、小沢辞任賛成66.4%の中身はどういうものか
 さらに念を入れて、今度は角度を変えて、更迭派がえらく気にするというより、更迭論の唯一の動機ともいうべき小沢辞任賛成の意見6~7割ということを検討してみよう。民主党に一番不利な数字を出す傾向のある読売の数字でやってみよう。小沢続投に「納得できない」という読売の世論調査66.4%(読売4月6日)を小沢辞任賛成と読み替えると、まず同日の読売調査では、自民党支持27.5%、公明支持3.3%であるから合計が30.8%となる。66.4%のうちの30.8%分は自・公支持者と見なすことができる。したがって、小沢辞任に賛成のうち非自・公の有権者の比率は66.4-30.8=35.6%ということになる。

 そこで、非自・公の有権者で小沢辞任に賛成の者35.6%がどういう種類の有権者なのかを検討してみよう。読売の調査では小沢続投に「納得できる」が25.3%であり「答えない」が8.3%であって、合わせて33.6%となるのだが、この数値と民主党の支持率30.8%と社民党1.7%、国民新党0.9%との合計支持率33.4%がほぼピタリと一致する。誤差は0.2%にすぎない。したがって、小沢辞任賛成以外の有権者は民主、社民、国民新党の支持者ということになる。

 一方、非自・公の有権者で小沢辞任に賛成の者35.6%は、比例の投票先を「決めていない」24.3%と比例の投票先を「答えない」7.4%と共産党支持の4.1%の合計35.8%によって占められていることになる。これもほぼピタリと一致する。

22、自・公+共産+無党派がその中身
 前項の検討から次のことがわかる。非自・公の有権者で小沢辞任に賛成なのは比例の投票先を決めていない無党派層24.3%と投票先を答えない7.4%と共産党支持者4.1%なのである。共産党の支持者は党中央の主張を支持する固い支持層(比例も選挙区も共産党へ投票する約250票)と小沢の続投のあるなしにかかわらない政権交代派に二分されてほとんど動かない。

 比例の投票先を決めていない24.3%は自民党支持から一旦は民主党支持になり西松問題で無党派化した3.8%の部分と文字どおりの政治的無関心層の20.5%である。この20.5%は定着した無党派層で民主党が42%を獲得した2月でさえ動かなかった層であるから小沢更迭で民主党に来るはずがない。

 しかも投票率が100%になることはありえず、実際は高くても70%程度であるから、現実的に考えてこの20.5%は選挙を棄権する層である。20.5%は選挙に行かず、3.8%は元自民支持層で小沢の更迭で簡単に民主党支持に再転換する有権者ではない。

 残るは比例の投票先を「答えない」7.4%である。この「答えない」層は、小沢秘書逮捕前の2月の読売調査では4.3%であるから、7.4%のうち増えた3.1%は酔いどれ大臣を見て一旦は民主党支持に流れたが西松問題で態度保留になった元自民党支持者であろうという推定はできる。この有権者も小沢更迭だけでは再び民主党支持にはなりにくい。麻生政権のさらなる”自殺点”が必要な有権者層と見なさなければならないだろう。
 最後に残るのは4.3%の「答えない」層ということになる。この有権者層だけは形式的に見れば小沢辞任のほうがはっきりとベターな対策だということになる。 しかし、その有権者の中身が不明であるから、確信犯で「答えない」のか政治的無関心層なのかわからないため、実際の更迭の効果は測定しにくい。

23、小沢辞任賛成の民意66.4%は”すすきの穂”のようなもの
 まとめてみよう。小沢の辞任に賛成である66.4%の国民の内訳は、自・公支持者の30.8%、ほぼ棄権票となる定着した政治的無関心層20.5%、無党派化した元自民支持者の3.8%、比例の投票先を「答えない」元自民支持の3.1%、共産党の4.1%、そして中身の不明な「答えない」有権者4.3%なのである。
 このように66.4%の中身を概観すれば、小沢更迭の効果は実際には非常に限定されたものとならざるを得ないことがわかるであろう。その効果はほとんど測定不能で、海のものとも山のものともわからない比例の投票先を「答えない」有権者4.3%に何らかの効果があるだろうという程度の効果しか当てにできないのである。「19項」で検討したように小沢更迭で支持率は上がらないと言ったことが、ここでも当てはまると言えるのである。
 ということは、民主党の議員や候補者の実感といかに異なろうとも、66.4%は民主党の支持率や政権交代派による政権交代持率とは、ほとんど相関関係がないということなのである。小沢辞任に賛成の66.4%は、世論調査も教えているように、民主党の支持率を下げるわけでもなければ政権交代派の比率を下げるわけでもないことが相関関係なしの証明になっているのである。
 簡単に言えば、民主党の支持者の大多数は国策捜査に動揺して議員らに文句を言って来ようとも、その支持を変えていないのであって、他党支持の政権交代論者も民主党に文句は言っても政権交代支持を変えていないのである。
 明らかに、更迭派は小沢辞任賛成の66.4%を中身もろくに検討せずに、”民意”66.4%に恐怖してひれ伏している。あたかも、すすきの穂を見て”お化けだ”と騒ぐようなものである。

24、ひ弱で右顧左眄していては政治改革はできない
 文句は言うが民主党支持を変えていないという庶民の態度を民主党の議員や候補者は見抜いていない。そこに彼らにとって、逆風の実感と世論調査の指示することとのギャップがある。その逆風の実感からすれば、世論調査が小沢続投で勝てると教えていることが信じられないのである。
 前原一派は愚かなことに、庶民の文句を言うという部分だけを利用してつまらぬ画策を始めようというわけである。彼らの画策は失敗するほかない。というのは庶民の本音はそちらにはないからである。一丸となって政権交代へ進めと言っている。
 議員や候補者が感じる逆風は次のようなものである。 第一はマスコミ・キャンペーンの心理的圧力がある。第二は支持者の素朴な失望感から来る不満をぶつけられている。第三は元自民支持者で一度は民主党に流れた層の批判。第四は自・公支持者や共産党による批判。第五は”工作員”によるいやがらせ、第六は”風”に乗って議員となったひ弱さからくる過敏症と政治信念の弱さなどであろう。
 この辺は共産党の議員を見習ってもらい、論争はガンガンやる、支持者は必死で説得することである。そうすれば、このギャップは解消されるはずである。 
 民主党の議員に特にあてはまるが、更迭派の心情は民意に従うという形をつくるだけで安心できるのであろう。有名人らの更迭論の大半は、”無事これ名馬”のこうした動機であるから”屁のつっぱり”にもならない。もう一つは”小沢嫌い”である。政治改革に必要なものと個人の好みは区別すべきものなのだが、改革者には毀誉褒貶はつきものと小沢はあきらめるしかあるまい。
 ここでは更迭派が”すすきの穂”をお化けだと騒いでいることを知れば足りる。これでは更迭派に海千山千、魑魅魍魎の官僚機構を相手に政治改革を断行する能力はないと言わなければならない。
 ことのついでに触れておけば、更迭派がもうひとつ、漠然と恐怖すること、すなわち小泉郵政解散で奔流となって暴れ出た”B層”の決起も、もはやない。”B層”は郵政解散以後の小泉政治と07参議院選の経験を経て、今では無党派層の比率を10%減らす有権者へと成長している。

25、小沢は事実を率直に言えばいい
 さて、残るは国策捜査が始まって以来の問題である素朴な正義感に発する庶民の疑問にどう対応するかという問題である。 この問題は、これまで検討したような状況の下で考えなければならないことである。問題は小沢の首を差し出すほどの難攻不落の問題ではないということである。
 私の考えるところを述べれば、秘書を起訴した国策捜査の検察でさえ収賄やあっせん利得の違法性を容疑事実にあげられなかったのであるから、小沢は事実にもとづいて、その大要を述べればいいのである。
 たとえば、自民党を飛び出して以来、自分のめざす政治を実現するために政党を作っては壊してやってきた小沢にとって政治にはかなりの金が必要であったのであれば、そのことを率直に述べればいいのである。アメリカでは政治資金を集める能力も政治家の能力に数えられるほどであるから、庶民感覚からすれば巨額の献金であっても何も悪びれることはない。
 要は素朴な庶民感覚からくる疑問に応答することである。すでに政権交代派の庶民の大半は西松問題と政権交代は区別しており、小沢の率直な声を聞けば了解するであろう。

26、小沢続投で重大な戦闘にはいるべきである
 最後に、病床にあった晩年のレーニンの言葉を紹介しよう。ロシア革命を回顧してレーニンは次のように言っている。

「私の記憶では、ナポレオンは<On s'engade et puis……on voit>と書いた。ロシア語に意訳すれば、こうなる。『まず重大な戦闘にはいるべきで、しかるのちどうなるかわかる。』 そこで、われわれもまず1917年10月の重大な戦闘にはいり、しかるのち・・・・・発展の細目・・・がわかったのである。・・・およそこれ以外のやり方では、革命はやれないとは、わがスハーノフたちは夢にもおもわない・・・」(「わが革命について」レーニン全集33巻500ページ)
 ここで言われている真実は、規模は小さいが日本でも当てはまる。右顧左眄し重大な戦闘に入らなかった”加藤の乱”は失敗に喫し、不利だと言われながら重大な戦闘に入った小泉の郵政解散は大勝利に終わっている。なぜなのか? この真実を鳩山以下、動揺する民主党の首脳部はとくと熟考してみるべきである。

4/10
共産党は惨敗の危機にある」は、現在の世界的経済危機、千載一遇の日本政治情勢によく合っていて、かつ実に周到な文章であると感心しました。この10分の1でもJCPに現実を動かしうる政策能力というものがあればなーと、いつものように嘆いてしまったという次第。
 これに比べたらJCP指導部のやっていることは、いかにもこんな風に見えるもの。
 「(部分的に)正しいこと」、「相手の誤り」を「ただ喋っているだけ」。そうしていさえすれば票が増え、やがて政権が転がり込んでくるとでもいうような。あるいは、自分らの出番が必ず来るという客観主義よろしく、ただ待っているだけというような。自分らを現実に大きくする主体的な政治的振る舞い方というものをまるで考えたことがないような。実に左翼小児病でもあることよ。

 小沢問題の次のとらえ方は僕も全く一緒です。そして、この文中にある、官僚とマスコミの今回の重大な役割、構えをどう理解するかについてなどは、今実に重要な認識だと思いますね。

「だから、今回の小沢秘書逮捕事件は民主党が新政権につき、国民の求める政策を実行するためには避けて通れない試練なのである。マスコミに影響された世論を変えることで逆に堅い支持に打ち固めることができた場合にだけ、この試練を突破できるのであり、その場合にだけ、官僚機構はさしあたり白旗を掲げて新政権の進駐に城門を開けるのである。」
 今回の小沢問題の震源地は官僚なのだと、僕も思っていました。そして、事前に十分にマスコミにレクチャーしておいたはず。そうでなければ辻褄の合わないことだらけです。官僚の脅し文句がこれね。「この世界大恐慌の真っ最中に、何が政権交代か。重大な経済対策も対米関係もすべて、我々が仕切らなければ大変なことになる」

 全体の要約のような最後のこの部分も、本当に説得力があると思いました。これが、現在の日本共産党指導部の本当の立場だということは、よく分かります。

「不破や志位らの唯一の願いは、今では民主党が国策捜査で内紛を惹起し分裂・解体の状況に陥り、政権交代が吹っ飛ぶことであろう。
 政権交代の起こらないことがjcpの利益にかなうという不幸な身の上にjcpを引き連れていったのは不破や志位の責任である。せいぜい、小沢の金権政治と騒いで党と自分らの墓穴を掘ることである。言い訳のできないjcpの惨状を作り出すことが不破や志位らの党指導者としての最後の役割である。」

4/4
1、はじめに
 共産党(jcp)執行部による小沢批判は相変わらず盛んで、今では記者会見で「こういう悪質なことはこれまでにない」(志位講演、「時事通信」配信、3月29日)とまでエスカレートしているようである。検察の異常な捜査=小沢秘書の逮捕劇をjcp浮上のチャンスとばかりに、事態を単純にとらえたjcp執行部の愚かさ、政治情勢認識の誤りがjcpを重大な危機に陥れている。
 その危機に夢にも気づかず、jcp浮上の機会とするべく、唯一政治献金にクリーンなjcpと訴える志位や小池晃の意気軒昂ぶりはドン・キホーテさながらであるが、悲喜劇を通り越して、日本の政治もjcpの運命も重大な局面に遭遇していると言うべきである。
 かつてマルクスは、重大な政治的な事件が起こるたびに、歴史という煉獄の炎で諸党派を試すと言っていたが、政権交代を前にした小沢秘書の逮捕劇もその一つであり、jcpもその業火にさらされている。

2、jcpの支持率はこの1ヵ月、増えていない
 jcp執行部のやり方(小沢批判一辺倒)は、一見して、jcpの支持率を上昇させる効果が少ないようにみえる。”漁夫の利”を手放しで喜び、はしゃぎまわっている様子がありありとわかり、国民の沈鬱な気分とはかけ離れているからである。
 まず、この間の世論調査を見てみよう。小沢秘書の起訴直後の調査を小沢秘書逮捕直後の調査と比較すると、jcpの支持率は、朝日新聞では3%と変わらずである。日経新聞の場合は4%から5%へと1%上昇(朝日も日経も小数点以下四捨五入の数字)、共同通信の調査では逆に3.3%から1.5%に半減している。
 各社とも1000人前後の回答者数であり、支持者数が少ないぶんだけjcpの支持率にはばらつきが見られるが、3社の増減率を平均するとjcpの支持率は横ばいないしは若干の減少傾向さえ示しているのである。
 jcpの政治情勢認識やその思惑からすれば、唯一政治献金にクリーンなjcpは大きく支持率を伸ばしそうなものだが、なぜ、思惑どおりにならないのか?

3、jcp支持者の大半は政権交代論者である(1)
 jcp支持者の政治意識の特徴をみると、比例はjcp、小選挙区は最有力野党候補(民主が中心となる)というように”戦略投票”をするような政権交代論者が多いのである。一昨年の参議院選直後に行われた党創立85周年記念講演で、志位が女性のメールを紹介したように、熱烈なjcp支持者でも”戦略投票”をしているほどである。
 彼らの政権交代論は小沢の政治資金問題があっても変わることはほとんどない。彼らの交代論は腐敗した万年与党である自民党政権を忌避する感情から生まれているのであって、民主党の魅力に基礎を置いているわけではないからである。
 その政権交代論者からみれば、志位らの小沢批判は政権交代に不利に働き、麻生政権に有利に作用すると判断されるのであって、支持者のjcp離れを促進する原因となる。jcpは自党の浮上作戦優先、党外の支持者は政権交代優先と、”政治戦略”の相違が明白となり、jcpの小沢批判は政権交代優先派を攻撃しているからである。
 「共同通信」の調査結果に表れたjcp支持者の半減はjcp離れの表れと見ることも可能である。参考までに「共同通信」の調査で社民党を見ると1.2%から2.2%へと1%のアップとなっており、jcp支持票が社民党へ流れていることを示唆している。

4、jcp支持者の大半は政権交代論者である(2)
 また、jcp支持者以外からjcpに投じられる票はこれまでの世論調査では他党支持者より無党派層のものが多いのであるが、この無党派層でもjcpに来る票は政権交代論者が多数派なのである。
 というのは、小沢秘書の逮捕以前の調査である2月7、8日の「共同通信」の世論調査では民主党中心の政権を支持する割合が55.3%と過半数を越えていたからである。自・公支持者が3割程度あるから、自・公支持者以外の7割の国民のうち、その8割近くが政権交代支持者なのである。jcpに投じられる無党派層の大半が政権交代論者と見なしうる根拠がここにある。
 実に、自・公支持者以外の8割近くが政権交代支持であるという事実の持つ意味は非常に大きい。日本の政治史上、画期的なことが起きているという事実を押さえておくことが、今回の国策捜査への対処法を考える上で最も基本とするべきことなのである。
 2007年の参議院選の場合で言えば、比例票440万のうち、8.6%(約100万票)が無党派層からのもの(5中総)であった。そして彼らにあっても、政権交代の必要性は小沢事件のあるなしにかかわらない。彼らの場合にも、jcpの小沢批判は政権交代にマイナスに働くと複雑な気持ちで受け止められているのであって、ここにもjcp離れの芽があることになる。

5、民主党支持率の減少分は自民へ回帰している
 世論調査の民主党の支持率でみても、小沢秘書逮捕直後と起訴直後では民主党の支持率はほぼ維持されている。朝日では22%から20%へ、日経では35%から30%へ、共同通信では27.4から28.4%へ1%増えている。民主党のこの間の若干の減少分はjcpに流れたわけではなく、自民党支持の増加となっている。自民党の支持率は朝日では5%増の27%、日経では1%減の33%、共同通信では1.1%増の29.7%となっている。自民党の増加分は旧自民党支持層で民主党へ流れた有権者の自民回帰とでも把握していいであろう。

6、世論調査が教えるjcpの危機
 いずれにしても、jcpの小沢批判キャンペーンで民主党に流れた旧jcp支持層がjcp支持に回帰しているという兆候は見られず、jcp支持の増加はほとんどないのが世論調査が教える現状である。検察の捜査は民主党に打撃を与え自民党に有利に作用したという結果が調査に現れており、jcpの小沢批判は捜査の政治的影響を促進するだけで、支持者増大に結びついているわけではない。
 世論調査に現れたこれらの事実は、小沢批判一辺倒のjcpが重大な危機に際会していることを教えている。第一は、その批判がjcpの支持率増加には結びついていないこと、第二はjcp支持者の政権交代優先論に冷水を浴びせjcp離れを引き起こす原因をみずから作っていること、第三は、jcpの批判が検察の異常な捜査(国策捜査=政権の暴挙)の応援団となってしまっていることである。
 小沢秘書逮捕という政治劇の展開次第だが、国民の検察批判が高まることになれば、jcp執行部の今回の”方針”、すなわち、国策捜査に便乗した「確かな野党」路線の復活は07年の参議院選以上の打撃をjcpに与えることになる。

7、小沢秘書の逮捕・起訴は国策捜査である
 では、国民の検察批判が今後、盛んになるかどうか、その可能性を検討してみよう。第一は今回の小沢秘書の逮捕劇の真相はどこにあるのかということである。
 今回の小沢秘書の逮捕・起訴という検察の捜査は、政治資金規正法によるこれまでの捜査の常識を覆す”異常なもの”であることが検察OBらの発言でも明確になっている。政治資金規正法による立件は「裏献金」、すなわち献金隠しが通常であり、政治団体の寄付であろうが企業献金であろうが、政治団体からの寄付の出所が企業であるかどうかを寄付を受領する政治家が認識していたかどうか(今回の検察が主張する容疑)も含めて、政治資金収支報告書に記載のある「表献金」は立件してこなかったのである。だから、これまでの検察の立件基準からすれば、小沢への西松からの献金は問題にならなかった。立件対象献金額も3500万円と、従来の目安1億円からはほど遠い。
 「表献金」まで立件すると、捜査の公平性(法の下の平等)という要請からすれば、政権側にある有力政治家(二階だけに限らない)を軒並み立件しなければならず、また、自民党の資金管理団体「国民政治協会」に流れる経団連会員企業の献金29億円(07年度)の中にある”ひも付き献金”(特定の政治家あての献金)も”迂回献金”、虚偽記載として捜査・立件しなければならないことになる。
 そういうわけで、検察の物理的な捜査能力ばかりでなく、自民党全体が大混乱に陥るという政治判断などにより、「表献金」は立件しないという政治資金規正法の運用を検察はおこなってきたのである。この従来の運用を東京地検特捜部はみずから踏み破っている。
 また、立件の時期が問題で、衆議院選間近で政権交代が現実味を帯びてきている時期に、政治的影響があまりにも大きくなることが確実に予想できる時期に行っている。この時期の選択も検察の捜査の政治的中立性という社会的要請を踏み破っている。
 検察の三重のルール破り、すなわち、政治資金規正法による立件・運用ルール、捜査の公平性というルール、政治的中立性というルールを検察みずからが踏み破っているという”異常”捜査が今回の特徴なのであって、この異常捜査を政権交代を妨害する政治的ねらいをもった”国策捜査”と言わずに一体何と呼ぶのか。
 東京地検特捜部の「青年将校化」というような議論も奇をてらった”木を見て森を見ない”話であって、国策捜査説の一変種にすぎない。

8、今回の国策捜査はわかりやすい
 今回の小沢秘書の逮捕劇の真相は”国策捜査”ということにある。したがって、この逮捕劇は麻生政権が仕組んだ政治犯罪とみるべきなのである。検察もまた国家権力機構の一部であり、政権交代という現実性を前に、政権からの独立という検察の正義の拠り所を放棄したものなのである。
 検察が国策捜査で野党第一党の党首の政治生命を絶ち、政権交代を妨害できるということになると議会制民主主義は成り立たず、腐敗した万年与党が出現することになる。かくも重大な民主主義の危機なのであるから、国策捜査批判は国民の間で盛んになる有力な根拠をもっている。
 しかも、検察の異常捜査ぶりは、説明すれば国民誰もが理解できるわかりやすさがある。その意味では政権交代派が効果的な工夫を凝らす”知恵”と熱意さえあれば、政権の危機を促進する材料に転換することも十分可能である。

9、政権交代論はすでに国民の多数派である
 検察批判を盛んにできるかどうかを測る第二のものさしは、国民の間にある政権交代論の強さの程度である。「共同通信」の2月の世論調査では55.3%が政権交代に賛成であったことをみると、この現象は戦後政治史の一大画期とみるべきものである。すでに述べたが、この数字は自・公支持者以外の8割の国民の声と読み替えるべきなのだ。
 国民の政治意識の内部では、すでに政権交代が行われており半世紀にわたる自民党政治の終焉が生じているからである。政権交代派は自信を持っていい。それほどの事態であるからこそ、政権側の常道ともいうべき禁じ手=国策捜査という反動的暴挙も誘発されたのである。

10、政権交代論の経済的背景(1)
 この55.3%の政権交代支持率の経済的背景をさぐると次のようになる。
①、バブル崩壊後の1994年以降の低金利政策で失われた庶民の預貯金の利子の損失197兆円(1993年利子率基準、福井日銀総裁(当時)の参議院・財政金融委員会発言、2007年3月22日)、この損失分のほとんどが借り入れ主体となる企業の利子負担の軽減分となる。
②、1989年以来の消費税総額が213兆円、法人3税の減税総額182兆円(ともに「赤旗」2009年2月15日付)となっている。
③、小泉政権成立以降の2002年から2007年までの定額減税の廃止等による庶民増税額約50兆円(「赤旗」2009年2月20日付)となっている。
④、厚生労働省の「国民生活基礎調査の概況」(平成18年)によれば、一世帯平均の年間所得金額は1996年の661万円から2005年には563万円と約100万円の減収となっている。減少率は実に14.8%になる。同「毎月勤労統計調査」では、従業員5人以上の事業所の賃金は2001年の26万3882円から07年の24万9755円となっており、減少率5.4%である。正規労働者層でも賃金の減少が進んでいる。
 他方で、労働生産性については、財団法人・日本生産性本部の調査(「労働生産性の国際比較」2007年版)では、実質労働生産性の伸び率が2001年~2005年平均で1.8%と先進7カ国中の第2位になっている。この間、仕事の能率は上がったが賃金は増えておらず、労働分配率も下がり続けていることになる。

11、政権交代論の経済的背景(2)
⑤、国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、給与所得が年間200万円以下が1032万人(2007年度)、総務省の労働力調査(2008年10~12月期)をみると「非正規労働者」数が1796万人で全労働者に占める割合は34.6%となっている。
 非正規労働者の人数と割合をここ20年の期間で見ると、1990年の817万人(非正規)/3452万人(正規)=19.1%、1995年の1001万人/3779万人=20.9%、2000年の1273万人/3630万人=25.9%、2005年の1591万人/3333万人=32.3%、2008年の1796万人/3390万人=34.6%となっている。
 1990年頃までは20%前後で安定して非正規労働者の割合がバブル崩壊後に増え始め、2000年以降に急増し10年足らずで10%近くも増加している。④で述べた一世帯平均の所得が14.6%も落ち込んでいる理由のひとつは、世帯に低賃金の非正規労働者を抱える世帯比率が増えているからである。
 ⑥、ゼロ金利─円安─輸入品価格上昇という経済関係で庶民が失った所得は膨大であり、逆に円安で大企業の輸出品は低価格に抑えられて輸出競争力が増すことになった。輸出主導型の経済構造がいつまでも変わらないどころか、逆に強化されて世界恐慌という事態が波及する中で、先進国中、日本のGDPは最も落ち込みが激しくなっている。
 長期にわたるゼロ金利政策は、海外のヘッジ・ファンドなどが利用するところとなり、いわゆる「キャリートレード」として日本の国富がアメリカに流れることになり、ハイリスク・ハイリターンの投資に回されサブプライム・ローンや株式市場、原油相場等に投じられ、アメリカの株バブルや住宅バブルの大きな要因となったことはよく知られている。今ではそれらの崩壊によって金融恐慌、世界恐慌として日本にも逆流し、自動車産業の急減産が始まり、すそ野にある中小部品工業は仕事を失い「派遣切り」が横行、失業率の増加、新卒採用の抑制と、不況に突入する事態になっている。

12、政権交代は今でも実現可能である
 これらの経済指標をみると、バブル期の経済への打撃から回復するために、自民党政府はGDP(約500兆円)に匹敵するほどの巨費を庶民の懐からむしり取り、なおかつ非正規という雇用形態を急増させて賃金を抑え、そうしてその巨費を大企業の復活政策に投入したのである。 
 この極端な大企業偏重の金融・財政・経済政策のために、庶民生活は全体として苦境に陥りつつあることが政権交代論が多数派となった経済的背景である。それにくわえて、医療制度や介護制度などの社会福祉制度の財源カットで制度を荒廃させ、社会のセーフティ・ネットを破壊したこと、また、年金記録の乱脈管理や政府要人のスキャンダル等、政府と官僚の、総じて国家機構全体の腐敗が国民の目にさらされたことが政権交代論をさらに押し上げているのである。
 今では大企業と国家機構の周辺で生活する者以外は、皆、自民党政治の被害者なのであって、その被害はあまねく日本全土に広がっている。かくて、政権交代論は小沢秘書の逮捕・起訴程度の”でっち上げ”では覆し得ないほどの堅固さを持っていると見て良いであろう。
 小沢秘書の逮捕程度で政権と官僚の巨悪事を帳消しにすることはできない。1対100の取引をする馬鹿はjcpの不破や志位ら執行部以外にはいないであろう。

13、再び、小沢続投か否かについて
 しかし、相手には第4の権力とも言うべき大手マスコミがついており、麻生政権の走狗となって反小沢キャンペーンを繰り広げていることを重視しなければならないだろう。小沢逮捕劇の犯罪をいかに国民に理解してもらうか、その工夫が政権交代を実現する前段の国民的課題となって浮上している。
 しかし、その国民的課題に触れる前に、なお解決しておかなければならないことがある。それは政権交代派内の意見の分裂である。民主党内の意見の分裂でもある。それは小沢続投支持か、それとも更迭かという問題である。民主党の幹事会では続投と決定しているのだが、党内が結束できておらず、ネット上では学者、知識人、評論家が軒並み好き勝手な議論で、更迭論を振りまいている。専門領域を除いては誰もが素人であり、その知名度だけで彼らの意見を尊重する必要はない。
 この問題を解決しておかないと、政権交代派は常にふらつき国民の信頼を得ることはできない。
 さて、更迭派の主張は次のようなものである。 ①、世論は小沢辞任が大多数であること、②、世論に抗して続投すれば、民主党から票が逃げるおそれがあること、③、続投すれば、選挙の争点が不当逮捕か否かとなり、景気回復や年金問題等、主要な国民的政治課題が吹き飛んでしまう。これでは選挙の争点が矮小化され、相手の弱点を見逃がすことになり、敵の思うつぼだ、④、強大な権力を持つ検察に立ち向かって勝てるはずはなく、しかも相手にはマスコミがついている。検察の”清掃”は政権を取ってからやればいい、というようなことである。

14、日本は『太政官制』の国、権力の中枢は官僚機構にある
 ひとつひとつ反論していると、長文になりすぎるので根本問題から解きほぐしていこう。それは④の理由である。確かに検察は強大な権力なのだが、小沢をはずして新しい”玉”を押し立てるという対抗策を駆使して政権を取り、その後になってから犯罪の血盟をした検察を”清掃”できるのか、と逆質問をすることにしよう。このように問題を立て替えることで解決の糸口をつかむことができる。
 答えはこの国の権力の所在がどこにあるのかということにある。小沢更迭論を主張する議論はすべて、この権力の所在について明確な見解を持っていない。そこから好き勝手な論拠を貼り合わせてくることになる。今は亡き司馬遼太郎の言葉を拝借すれば、日本は『太政官制』の国である。すなわち、権力の中枢は官僚機構が握っており、官僚支配の政治が自民党政治の本質なのである。
 司馬のこの見方は戦後の国家の成り立ちをみればわかりやすい。戦前は、名ばかりの立憲君主制と言うのも恥ずかしいほどの天皇専制の国家であり、政党政治はその”飾り物”にすぎず、”朕が股肱”の官僚機構が実際の国家統治の担い手であった。戦後は政界、財界の重鎮は一度はパージされたが、官僚機構だけはそっくりそのまま戦後の国家機構へと横滑りして収まっているのである。しかも、この官僚機構は人事権を握って離さず、連綿として自己統治の聖域に身を置いている。

15、小沢続投論は敵の折り紙つきだ 
 つまり、政権交代が起きて自民党が下野しても、国家権力の中枢は下野しておらず、民主党は官僚機構という敵の本陣へパラシュート降下するに等しいのである。だから、犯罪の血盟をした検察を”清掃”する前に新政権がスキャンダルで検察に倒されることになる。
 すなわち、新政権は検察によるスキャンダル攻撃を軽々と突破するほどの有権者の堅い支持を、政権に就く前に確保していなければ、犯罪に手を染めた検察を”清掃”できないのである。これが答えである。
 国策捜査を柳に風とばかりに受け流すべく、マスコミによって作られた世論に迎合して小沢降ろしをやれば、仮に政権についても、官僚機構の反対する政策は一切実現できなくなるであろう。新政権の自民党化である。官僚機構の反対を押し切ろうとすれば、未だ”清掃”に手を付けられない検察が独自に国策捜査を発動して新政権をスキャンダルまみれにすることになる。
 だから、今回の小沢秘書逮捕事件は民主党が新政権につき、国民の求める政策を実行するためには避けて通れない試練なのである。マスコミに影響された世論を変えることで逆に堅い支持に打ち固めることができた場合にだけ、この試練を突破できるのであり、その場合にだけ、官僚機構はさしあたり白旗を掲げて新政権の進駐に城門を開けるのである。
 その意味では、国策捜査の発動は官僚機構が身の危険を感じたことの証であり、小沢民主党が”敵”として認知された”合格証書”でもある。①から③の点は工夫して突破する以外にない問題である。敵こそ真の敵を見破るものと言うべきで、半世紀にわたりこの国を支配してきた百戦錬磨、権謀術数の官僚機構が見定めた”敵”であるから、小沢続投論は折り紙付きの合格証書を得ているというべきであろう。小沢続投論で事態を切り開くべし。

16、マスコミを上まわるキャンペーン網を
 以上のような検討から、国策捜査批判の炎を燃え上がらせることは十分可能である。国策捜査を不問にして政権交代を主張することはできないところへと事態は進んできている。国策捜査の発動によって政治情勢は大きく変化し、今では政治対抗が政府与党対民主党から政府与党対政権交代派国民へと発展しつつある。国策捜査の暴挙が国民の政治関心を掻き立て、国民を政治に引き寄せている。
 検察の暴挙は両刃の剣であり、政治に引き寄せられている国民をマスコミの反小沢キャンペーンに抗して、いかに結集するかが政権交代派勢力の焦眉の具体的政治課題となってきている。
 まず、政権交代派の積極的国民はインターネットを始めとして、あらゆる表現手段を用いて大手マスコミを上まわるキャンペーン網を作り上げることが必要であろう。工夫するべきは、いかにして全国的ネット網を張り巡らすかであり、そこに流す”コンテンツ”、内容である。
 国策捜査の暴挙を官僚の浪費や年金不祥事、医療制度荒廃など、政権と官僚の腐敗政治と同根のものとして、腐敗政治の現れとして、国民の関心に沿うような説明を工夫しなければならない。国策捜査─自民党政権の腐敗─消えた年金等の相互関係をわかりやすく、一言でイメージの湧くような説明をどう考案するか?

17、民主党議員は小沢続投で結束せよ
 民主党は、小沢続投を幹事会で決定しながら、見るところ内部の結束が不安定である。凌雲会の前原一派などは、最近の世論調査の結果に扇動されて小沢降ろしの蠢動を見せているが、政策の違いがあっても、政権目前で党内分裂を晒すような愚は避けるべきだろう。内部闘争は政権を取ってからやるべきで、そうでなければ、落ち目となって解体する民主党内の政策論争など意味がなかろうじゃないか。
 民主党議員はどの派閥に属そうが、今は小沢続投の決定を地元にもって帰り、有権者に積極的に説明し理解を求めるべきだ。国策捜査の非をはっきりと説明せよ。それ以外にマスコミの反小沢、反民主キャンペーンを打ち破る決定打はないのである。地元の支持者を説得せよ。そうすれば、今の世論は大きく変わる。
 洞ヶ峠を決め込むような国会議員の言動は、自分を取り巻く事態を理解していない証拠である。民主党の風頼みの人気に乗って当選してきた身の程を考えてみるべきだろう。風がなくなれば、どこかに風を探しに行こうとするのが洞ヶ峠派なのであるが、もはや、民主党に風は吹かない。大手マスコミはすべて「大本営」の傘下に入ったからである。国策捜査の発動とは”そういうこと”なのだ。
 つまり、みずからの行動で、地元の有権者を説得し支持を調達することでしか当選への道は開けないのである。マスコミに影響された地元の有権者の反対論に耳を傾け、熱心に誠意を持って説得することが民主党の政治家の仕事の第一歩である。

18、共産党とはいかなる存在か?
 さて、こうなるとjcpとはいかなる存在であるのか? 民主党が国策捜査の試練を乗り越えた時、jcpは壊滅の危機を迎えることは間違いのないことなのである。国策捜査がばらまいた小沢の献金問題に飛びつくことで、政権交代がjcp活躍の条件からjcp壊滅の条件に変わってしまった。
 その政治図式思考ゆえに、政治情勢を具体的にみることができない不破や志位らの政治方針は、国策捜査という政権最大の犯罪を不問に付すことで、jcpを麻生政権の応援団にしてしまったのである。壊滅の危機を迎えないわけにはいかない。国民の多数派は政権交代論なのである。前述の「共同通信」の世論調査はその予兆となっていると見るべきであろう。
 国策捜査がばらまいた材料で、しばらく引っ込めていた「確かな野党」路線を復活させるのだから、07年の参議院選で味わった惨敗もまた復活するのである。不破や志位らの唯一の願いは、今では民主党が国策捜査で内紛を惹起し分裂・解体の状況に陥り、政権交代が吹っ飛ぶことであろう。
 政権交代の起こらないことがjcpの利益にかなうという不幸な身の上にjcpを引き連れていったのは不破や志位の責任である。せいぜい、小沢の金権政治と騒いで党と自分らの墓穴を掘ることである。言い訳のできないjcpの惨状を作り出すことが不破や志位らの党指導者としての最後の役割である。
 戦前最後の中央委員会も”スパイ狩り”で党を壊滅させてしまったが、いつもこの党の指導者は党が壊滅状態になるまで、その誤りがわからず是正もできないのである。

3/20
現下、日本の民主主義が危機に瀕していること、鋭い指摘が腑に落ちました。原様、ありがとうございます。少し元気が出ました。
 確かに民主党小沢代表は、その出自からして保守政治家であり、金権政治家でもありましょう。
 しかし日本共産党中央は、政治が理解できない。現時点では、「金権」よりも「権力による弾圧」の方がより重大な問題であり、このことを追求しなければならない。さもなくば、かつて小林多喜二や宮本顕治が弾圧されたあの歴史に通ずることが分からないのか?
 だから、大異を捨てて、日本の民主的変革を願う者は、今こそ小沢代表に結集し、彼とその政党を擁護しなければならない。
 共産党の党勢拡大など、この際、枝葉末節。日本の議会制民主主義が脅威にさらされている。それに対抗する為、民主党と小沢代表を守り、何としても来る総選挙にて勝利を勝ち取らねばならない。
 最後に、私もかつてその党員として活動した日本共産党が、資本主義を揺るがす歴史的経済危機の最中に行われようとしている総選挙における政権交代を、反動的政権政党による「国策捜査」に「協力」することによって、阻止する側に立っていることは、真に痛恨の極み、断腸の思い、怒髪天を突くものであることを申し添えます。

3/13
1、左翼サイトの低調な言論と対立する論点
 小沢一郎の公設秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された問題についてネット上では様々な議論が飛び交っているが、概して左翼系のサイトの議論は低調である。沈黙しているものも多いようだ。もともと小沢も民主党も嫌いであるうえに、企業献金という”金(かね)”の問題であるから、古い自民党の体質をひきずる小沢は”ワイロ”をもらっているはずだと考えているからである。その一方で、政権交代を妨害するために麻生政権が検察を使って国策捜査をした疑惑も感じており、どう判断するべきか、思案投げ首という様子が感じられるのである。
 いたって意気軒昂なのは、日本共産党(jcp)と左翼という意識など端から持たないリベラル系のサイト(例として「きっこの日記」)である。興味深いのは両者の議論がきわめて対照的なことである。jcpは企業献金=ワイロという理解で、小沢を受託収賄かあっせん利得罪を犯しているかのごとく批判している。他方のリベラル系のサイトの主張は、政権交代の妨害を目的とする国策捜査であり、これは日本の民主主義の重大な危機であり小沢民主党は徹底抗戦せよ、というものである。
 jcpは政治献金問題に重点を置き、リベラル系は国策捜査に重点を置いて小沢秘書逮捕の問題を論じている。現実は多面的であり、両者のよりどころとする側面をともに持っているのであるが、どちらの側面に重点をおいて評価するべきなのか?

2、正確な事実認識を批判の前提に置くべきである
 さて、どちらが正しいか? まず、事実の問題として検討していくと、検察でさえ小沢秘書を受託収賄等の容疑で逮捕したわけではなく、西松建設の企業献金と認識していながら小沢の資金管理団体である陸山会が受領するという問題、政治資金規正法の規定では政党支部が受領するべきものを小沢の資金管理団体が受領するという受領団体の形式違反容疑で逮捕している、というのがこれまで明らかになっている事実である。
 その点ではjcpの事実認識はあまりに”どんぶり勘定”であると言わなければならないだろう。古くからの自民党の政治家はゼネコンから政治献金を受け、その見返りに公共事業の受注に便宜を図ってきたのが通例だから、小沢もやっているはずだという前提での小沢批判である。また、jcpの批判は、批判の論点が錯綜しており、現行法違反容疑となる状況証拠から批判したり、理想とする政治献金論(個人献金オンリー、企業献金全面禁止)から、はたまた政治家の政治倫理からと、錯綜する論点からの批判が”てんこ盛り”という感がある。
 しかし、政権党ならいざしらず、他の野党の政治家を批判するのであれば、まず、動かぬ証拠をもとに現行法違反を第一義的に指摘し批判するべきであって、錯綜する論点からの疑惑・疑惑の”てんこ盛り”はそれこそ公党の言論戦の正常な姿とは言えないであろう。

3、共産党による批判の根本的欠陥
 jcpの小沢批判にはずさんな事実認識と性急な批判という欠点がつきまとっている。また、現在の政治情勢の中から小沢秘書逮捕だけを切り取って小沢批判をするという思考方法がとられており、この思考方法とずさんな事実認識と性急な批判はワンセットとなってjcp執行部の現在の行動を規定している。このようなワンセットが生まれるのは、民主党批判の絶好のチャンスだと認識することが原因である。つまり、jcp執行部のこの政治的動機が政治情勢の中から小沢秘書逮捕という事実だけを切り取らせ、ずさんな事実認識と性急な批判を行わせているのである。

 しかしながら、小沢秘書逮捕は現在の政治情勢と密接不可分のものであるから、jcp執行部のやるような切り取り方は恣意的な性格を、すなわち主観的なものにならざるを得ないのである。どこに主観性が表れるかと言えば、小沢秘書逮捕の政治性(現在の政治情勢に規定されたそれ)が捨象されてしまうのである。
 志位は記者会見でこう言っている。たぶん、jcpの汚点として歴史に残る発言となるであろう。

「『国策捜査』であるという根拠は、民主党からは何も示されていない。これは根拠なしに責任を他に転嫁するもので、公党のとるべき態度ではない。」(「赤旗」3月5日)

 どうであろうか? 志位の言うように「国策捜査」という政治性、政治問題を簡単に否定してしまっていいのであろうか? 仮に「国策捜査」であったとすれば、志位は現在の政治情勢をまったく読み間違っていることになるのである。

4、客観的事実が要求する考察視角
 このように検討してくると、問題のポイントは事実を客観的に、現にあるそのままの姿で、現にある政治的諸関係のうちに考察できるかどうかということである。小沢秘書逮捕を現在の政治情勢と不可分のものとして、現在の政治情勢に規定された小沢秘書逮捕として考察しなければならないということである。なぜ、そうなのか? 答えは簡単である。現実がそうなっているからである。

 現在の政治情勢と不可分のものとして考察すれば、小沢秘書逮捕はすぐれて政治的性格を帯びていることが一目瞭然にわかるであろう。すなわち、世論の多数派が政権交代論となり、各紙の世論調査、専門家の議席予想、それらのすべてが政権交代の現実性を指示していたものが、小沢秘書逮捕で混沌たる政治情勢に一夜にして暗転したことである。最近の世論調査が証明していることである。

 小沢秘書の逮捕がもたらした影響のうちで最大のものは、この政治的影響である。これは誰も否定できないであろう。それほどに小沢秘書逮捕は衝撃的な政治的性格を帯びたのであるから、客観的事実が要求する考察視角、考察態度はこの政治的影響に最重点を置いて考察せよということである。その意味で、すでにjcpの金権腐敗に重点を置く事態の理解、批判は問題の本質を逸しているのである。

5、小沢秘書の逮捕は国策捜査である
 志位は国策捜査の「根拠はない」と自民党と同じことを言っているが、十分な根拠がある。逮捕が与えた政治的影響の巨大さそのものが国策捜査を疑わせる十分な根拠である。これ以上十分な根拠が他にあるものではない。事件の軽微な容疑(政治資金規正法上の形式犯容疑、それさえも成立するかどうか疑わしい)と比較して、その政治的影響の巨大さがあまりにもアンバランスであることも傍証となる。
 数日前のテレビで立花隆が東京地検特捜部の捜査はすべて(一般的な意味で)国策捜査であると述べていたが、捜査にあたってはその政治的影響を十分検討したうえで立件に及ぶのが捜査の基本であることを考慮すれば、検察が小沢秘書逮捕の巨大な政治的影響を十分予想していたことは疑うべくもないのである。このアンバランスはどう説明するのか? 政治献金の700万円分が三月で時効となるという検察の説明は理由にもならない。世論が批判するまでは自民党の二階の838万円さえ無視されていたのである。
 状況証拠ということで言えば、さらに、元警察庁長官であった官房副長官・漆間発言があり、また、世論の批判を浴びて、地方から検事を増員して自民党議員の捜査を始めるとか、現在に至っては、小沢秘書逮捕の後で捜査の範囲を他のゼネコンにまで拡げるとか、証拠固めといい、捜査方針、捜査範囲といい、いずれも場当たり的に修正してきていることが見て取れるのであって、十分な証拠もないままに、いや、十分な証拠がないが故に、形式犯で急いでこの時期に立件した形跡が歴然としているのである。
 小沢の公設秘書の逮捕は国策捜査であり、その政治的目的は政権交代を妨害することにあることは明らかだといわなければならないだろう。現在の政治情勢はそう教えており、小沢の政治資金規正法違反容疑は政権交代を妨害する”口実”に使われたのだということをかのアンバランスは示しているのである。

6、共産党は国策捜査の応援団になっていいのか?
 小沢秘書逮捕は政権交代を妨害するための麻生政権による国策捜査である、ということを押さえられるかどうかが現在の政治情勢判断の試金石なのであって、ここをはずした判断とそれにもとづく政治行動は”政治の論理”からしてすべからく反動的な役割を果たさざるを得なくなるであろう。というのは、自民党政権が国策捜査で野党第一党の代表の政治生命を絶ち、政権交代を妨害することができるのであれば、永久与党が現実化するのであって、これはリベラル系サイトが指摘するように、日本の民主主義の危機、政治のさらなる腐敗、日本の独裁国家化が進むのであって、この反動的暴挙を見逃す政治判断はその暴挙に手を貸すに等しいからである。
 すでに述べたように、jcp執行部が現在の政治情勢から切り離して小沢秘書逮捕を取り出し、金権腐敗批判をすることは、問題のもつ副次的側面を主要な側面として恣意的に取り扱うことを意味しており、その結果、主要な側面である国策捜査が捨象されてしまう。そして、主要な側面を捨象してしまえば、日本の民主主義の危機となる麻生政権の犯罪的暴挙を免罪してしまうことになるのである。

 そればかりではない。志位は国策捜査を否定して小沢の献金問題を批判するわけだから、現実の政治のうえでは麻生政権と共同して小沢民主党を攻撃するのと同じことになってしまっている。期せずして、jcp執行部は麻生政権の応援団に転落してしまっている。これはjcpにとって名誉なことであろうか?

7、図式思考から抜けられない共産党執行部
 jcp執行部が小沢秘書逮捕という現象を政治情勢から切り離して小沢の金権腐敗と批判する視野と比較すれば、左翼など歯牙にもかけないようなリベラル系サイトの視野のほうがはるかに広くかつ事態の本質をつかんでいるというのはどういうことであろうか? ここに組織問題とは別の、jcpの危機の要因が端的に示されているのである。

 jcp執行部が事態の本質を見抜けないのは、相変わらず、自分の描いた政治図式、絵柄から現実をながめ、かつ、現実をその図式に押し込んで理解しているからである。すなわち、世は階級闘争の世界であり、自共対決が政治の本質的対抗であり、他の野党は自民周辺の居住者で、国策捜査というが、その本質は「同じ穴のムジナ」である保守同士の権力闘争、内ゲバであって、その内ゲバでの暴露合戦、暗闘をjcpは利用して党勢を拡大するチャンスにしなければならないと、こう考えているのである。

 現在の政治情勢の具体的分析から出発するのではなく、jcp執行部の場合は、その政治図式で現実を裁断することから出発しており、”裁断”を”分析”だと思いこんでいる。jcpの政治図式に小沢秘書逮捕や国策捜査をはめ込むと、せいぜいのところ保守同士の権力闘争の現れとなってしまい、日本の民主主義の危機となる麻生政権の反動的暴挙=国策捜査という認識がすっぽり抜けてしまうのである。それだから、すでに述べたように、政治情勢から切り離して小沢秘書逮捕を切り抜き、金権腐敗を事態の主要な側面として批判することもできるのである。保守の内ゲバで曝した醜態こそ保守政治の本質であるから、それ批判しろ、と鼻高々におのれの政治図式の正しさを実感するわけである。政治献金疑惑を論ずる志位は意気軒昂である。

8、国策捜査は共産党の綱領路線を否定していることをみよ
 この図式思考では、政治がダイナミズムを発揮する時、政治が激動する時、すなわち、肝心かなめの決定的な時期に決まって決定的な誤りをおかすことになる。というのは、激動する政治は独特の個性を発揮する、別な言葉で言えば、激動する政治は一つ一つが違っており、図式思考では激動する政治の個性、特徴が捨象されてしまい、個性、特徴を見失えば、その政治情勢の独自性(ここにその時々の政治情勢の本質的側面がある)をとらえ損なうこと必定だからである。

 麻生政権による国策捜査は議会制民主主義の基礎である政権交代を暴力的に封じ込める暴挙であるから、これは議会制民主主義の否定を意味する。jcpの綱領路線である「議会の多数を得ての革命」という路線の暴力的否定でもあるわけだが、その時に、国策捜査を批判せずに専売特許とばかりに小沢を中心とする金権政治批判に専念するのは本末転倒と言わなければならないだろう。

 今日、13日の「赤旗」1面に「違法献金疑惑」と題する志位の記者会見の内容が報じられているが、そこには国策捜査の一文字もなく、「自民・民主は政党としての自浄努力を発揮せよ」というカラ文句があるだけである。カラ文句だというのは、自民党政権が安泰であれば政治献金浄化は進むはずがないからである。

 つまり、jcp執行部はその実効性をどう実現していくのかをぬきにして、小沢秘書逮捕を自党の宣伝に利用するという恐ろしく貧困な”見識”を披露しているわけである。その貧困な”見識”の代償に議会制民主主義が人身御供にされるいることを不破や志位らは想像することさえできないのであろう。

9、民主党はどうするべきか?
 最後に、民主党の対応について触れてみよう。党内の若手は右往左往の動転ぶりのようであるが、焦点は小沢続投で行くのか、それとも誰かに代えるのかということである。この問題では、リベラル系サイトの主張に賛成である。小沢続投である。答えは最初から決まっているというべきである。菅の年金未納問題、前原のガセメール、そして今度の小沢の国策捜査ということを考えてみればいい。政権側による民主党の”あらさがし”(スキャンダルづくり)は止むはずがないことはわかりきったことである。

 麻生政権は、他に手段がなく、国策捜査というどえらい禁じ手を使い、それでいて形式犯程度の容疑しか上げられなかったのだから、自民党を離党して以来の身辺整理を小沢は相当やってきたことを示しているのであって、その意味でも小沢は民主党の最強”選手”なのである。民主党の議員ならびに候補者は、小沢民主党で腹をくくって地元の有権者に所信を積極的に表明し、政権交代のための攻勢的な作戦を立てることである。

 jcpは残念ながら第三極に浮上することは不可能である。すでに示したように、国策捜査とそれが教える議会制民主主義の危機を理解できないほど政治情勢理解が主観的かつ一面的であり、その図式思考から抜け出す兆候は見られないからである。不破の言う「政治対決の弁証法」は、jcpではなく、民主党を鍛えているようにみえる。