2012年6月27日水曜日

虚偽報告書問題

<虚偽報告書問題>検察幹部 組織的関与の否定に追われる 毎日新聞 6月27日(水)22時4分配信 yahoo用  「田代政弘元検事の捜査報告書は虚偽とは言えない」「上司らが不適切な取り調べを指示したことはない」。小沢一郎元民主党代表が強制起訴された陸山会事件を巡る「虚偽」報告書問題で、最高検は27日、処分内容を公表した。フリージャーナリストも受け入れ2時間余の「説明会」で、検察幹部は組織的な関与の否定に追われた。【山田奈緒、吉住遊】  説明会には林真琴・最高検総務部長ら4人が出席。報告書について「誤解を受けかねないが、意図的な虚偽記載ではない」とし、問題の根幹を「衆院議員の石川知裕被告の供述を維持することに固執した田代元検事の個人の判断」と強調。佐久間達哉・前特捜部長ら上司については「再捜査にあたり、具体的にどういう調べをするのか検事同士に共通の認識がなかった」と田代元検事に対して特別な指示をしていなかったとの認識を示した。  また、11年1月の段階で報告書と実際の取り調べ内容に食い違いがあることを認識していたにもかかわらず、公表しなかった点を問われると「発覚時に調査したが、石川被告の裁判が進行中で影響を与えたくなかった」と釈明した。  一方、元代表の弁護団も同日夕、東京・霞が関で記者会見を開いた。弘中惇一郎弁護士は「田代元検事の弁解をうのみにし、刑事責任を追及せず、懲戒処分も軽い。他人に厳しく自分の組織に寛大で検察の威信を下げた」と批判した。  ★田代政弘検事 98年任官。45歳。横浜、甲府地検などを経て05年4月~06年3月と09年4月~11年3月の計3年間、東京地検特捜部に在籍。06年4月から3年間、証券取引等監視委員会にも出向した。「優秀で熱心な『調べ検事』。先輩や部下の信望も厚い」(元同僚)との評もあり、2度目の特捜部時代は主に陸山会事件で小沢一郎・民主党元代表の元秘書、石川知裕衆院議員の取り調べを担当。元代表の関与を認める供述を引き出した。  ★捜査報告書問題 小沢一郎・民主党元代表が強制起訴された陸山会事件で、東京地検特捜部(当時)の田代政弘検事が元秘書の石川知裕衆院議員を再聴取した際、実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記した問題。石川議員の「隠し録音」で発覚した。報告書は検察審査会に送られ、2度目の起訴議決に影響したとして市民団体が刑事告発、東京地裁も元代表への判決(4月)で検察に調査を求めた。  ◇「処分が軽い」石川被告  小沢元代表の元秘書で衆院議員、石川知裕被告(39)は毎日新聞の取材に「田代検事の思い違いはあり得ない」と最高検の調査結果を批判。大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件と比較し「処分が軽い。田代検事だけに責任を押しつけているからではないか。これではトカゲのしっぽ切りだ」と話した。  また、刑事告発した市民団体は「検察は動かぬ証拠があるにもかかわらず不起訴とし、非常に軽い行政処分のみで終わらせようとしている。容認できるものではなく、強く抗議する」とのコメントを出した。【鈴木一生】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 毎日(自前) 虚偽報告書問題:検察幹部 組織的関与の否定に追われる 毎日新聞 2012年06月27日 22時04分(最終更新 06月27日 22時08分)  「田代政弘元検事の捜査報告書は虚偽とは言えない」「上司らが不適切な取り調べを指示したことはない」。小沢一郎元民主党代表が強制起訴された陸山会事件を巡る「虚偽」報告書問題で、最高検は27日、処分内容を公表した。フリージャーナリストも受け入れ2時間余の「説明会」で、検察幹部は組織的な関与の否定に追われた。【山田奈緒、吉住遊】  説明会には林真琴・最高検総務部長ら4人が出席。報告書について「誤解を受けかねないが、意図的な虚偽記載ではない」とし、問題の根幹を「衆院議員の石川知裕被告の供述を維持することに固執した田代元検事の個人の判断」と強調。佐久間達哉・前特捜部長ら上司については「再捜査にあたり、具体的にどういう調べをするのか検事同士に共通の認識がなかった」と田代元検事に対して特別な指示をしていなかったとの認識を示した。  また、11年1月の段階で報告書と実際の取り調べ内容に食い違いがあることを認識していたにもかかわらず、公表しなかった点を問われると「発覚時に調査したが、石川被告の裁判が進行中で影響を与えたくなかった」と釈明した。

関電株主総会

関西電力(1)「原発いらない!」会場前に反対派が占拠…株主の関心は橋下市長の発言 2012.6.27 09:57 (1/2ページ)[株式・株主] 関西電力の株主総会の会場前で、株主に原発再稼働反対を訴える人たち=27日午前、大阪市北区  関西電力の株主総会が27日午前10時から、大阪市北区の梅田芸術劇場で開かれる。大飯原発3、4号機の再稼働に加え、筆頭株主の大阪市の橋下徹市長が直接会場入りするとあって関心は高く、午前8時ごろから続々と会場に向かう株主たちの姿がみられた。会場前の広場は反原発グループで埋め尽くされ、拡声器で「原発はいらない」などと叫び声を上げるなど騒然とした。 発言ブレてるけど…橋下市長に注目  京都市伏見区から来た無職の男性株主(75)は「原発には反対だけど、夏場の電力供給を考えると運転は仕方ないと思う」。会場に来る予定の橋下市長については「最近の橋下さんは発言がぶれているのが気になる。今日はどうなるのだろう」と話した。  大阪市東淀川区の無職の女性株主(84)は「原発が良いか悪いかなんて神様しかわからないと思う。地震は怖いけど、電気がなければ始まらないでしょ。橋下さんが来ているので興味があって来た」。 大阪市天王寺区の無職の女性株主(44)も「知り合いに株主がいるので、橋下さんを見に代わりに来た」と話した。   会場入りする一般株主からは橋下市長の発言に注目が集まっている。 関西電力(2)静寂のなか総会スタート 混乱前の静けさ 2012.6.27 10:53 [株式・株主] 株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市福島区のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)  関西電力の定時株主総会が27日午前、大阪市北区の梅田芸術劇場で始まった。株主の大阪、神戸、京都の3政令市は「脱原発」関連の計13議案を提案。大阪市の橋下徹市長らは自ら出席して持論を唱える構えだ。これまで「物言わぬ大株主」だった地元自治体の異変で“大荒れ”の様相も。関電と橋下市長らの攻防に注目が集まる。  《午前9時過ぎから続々と集まる株主。9時58分に会場内の音楽が消され、森詳介会長ら役員が登壇。株主に向かって一礼し、着席する。10時、議長の森会長が発言》  森会長「ただいまから第88回定時株主総会を始めます」  《事務局職員から「議決権888万9868個のうち本日出席者と前日までに行使された議決権が計609万4個。株主総会が成立する」と報告される》  《前面の大型スクリーンで平成23年度の事業報告がビデオ上映された。原子力発電所の稼働率低下、火力発電用の燃料費増加などで連結最終損益が2422億円の大幅赤字だったことが説明されたが、ここまでで役員陣が頭を下げる場面はなかった》 関西電力(3)「原子力は重要」八木社長の発言に拍手とヤジ 2012.6.27 11:44 (1/3ページ)[株式・株主] 株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)  《ビデオ上映が終わり、八木誠社長が「対処すべき課題」について報告を始めた》  八木社長「平成23年度は東日本大震災の影響で原発プラントが再稼働できず、過去最大の赤字を計上し、非常事態の1年となりました。この夏の電力需給安定に向けて全力尽くしています。大飯3、4号機の再稼働の判断をいただいたが、節電のご協力をお願いする事態になってしまいました。深くおわび申し上げます」  《一礼した後、報告は続く》  「さまざまな課題が山積し、厳しい状況が続いております。24年度は原発再稼働、電力安定供給に全力を尽くします。足下をしっかり固め、成長軌道への回帰を目指している。社会的要請に対し、全部門をあげて原発の保全計画、東京電力福島第1原発事故を踏まえた安全対策、信頼回復、地震、津波、台風など大規模災害に備える対策も強化します。低炭素社会に向けて、火力、太陽光、風力発電の導入、スマートグリッドの構築に取り組みます。厳しい状況が続きますが、この難局を乗り切るため、新たな期待やニーズを真摯(しんし)にうけとめ、誠実に対応し、使命を果たしたい。株主の皆様におかれましては今後もご指導、ご鞭撻(べんたつ)たまわりたい」 《時折、株主からやじが起きるが、八木社長の報告に会場から拍手が起こる。この後、株主からの事前質問に対する一括回答を開始。まず、八木社長が経営全般について回答した》   八木社長「まずは原子力について。現在、エネルギー源の多様化などの観点から議論が進んでいます。再生可能エネルギー、化石燃料への依存度を高めれば、コストが高く、原子力は引き続き重要なエネルギーだと考えています」  《会場からは、やじが起きるが、八木社長の回答は続く》  「電気料金の値上げは今のところ考えておりません。財務体質が悪化し、安定、安価な提供が難しくなれば、あらゆる対策を講じなければなりません。さらなる効率化、原子力の再稼働に全力を尽くします。再生可能エネルギーについては電力会社間で協力し、さらなる導入を考えています。しかし、エネルギー自給率の向上、導入に伴うコストへの影響についても考えなければなりません」  《ピーク抑制のための需給計画や、環境対策、液化天然ガス(LNG)の輸入問題、役員報酬などについて、八木社長の回答は続く》 「ピーク抑制のための需給計画については、需給調整契約に多く参加していただけるよう、割引幅を拡大しています。環境問題では中長期的に地域の低炭素化を進めています。再生可能エネルギーについては福島第1原発事故の影響で、お客さまからの問い合わせは増えており、営業所を通じて説明しています」  「燃料調達について。わが国では天然資源の埋蔵量が少なく、パイプラインも整備されていません。将来の北米からの輸入について、調達先のひとつとして検討します。役員報酬の総額は事業報告書で開示しています。個別の開示を義務づけられている(1億円以上の)役員はいません」 関西電力(4)「静粛にしてください」激しくなるヤジ 騒然とする会場 2012.6.27 12:27 (1/4ページ)[株式・株主] 関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)  《開会から約1時間が経過、書面による事前質問への回答が続く。経理に関して廣江譲常務が説明に立った》  廣江常務「平成23年度の有利子負債残高は3兆8649億円、支払い利息は513億円。使用済み核燃料は資産として計上していますが、処理方法によって価値が左右されるものです」  《原子力発電所を廃止した場合の財務的影響についての質問も》  廣江常務「原子力発電所設備の帳簿価格は3666億円、解体費総見積もり額は5278億円となっています。原子力発電は引き続き重要と考えており、現時点で廃止する予定はございません。仮に廃止すると、これら帳簿価格や引当金が一時的に費用として発生する可能性があります」  《答弁に会場から拍手が起きた。続いて原発関連の質問について答えるため、豊松秀己副社長が登壇した》  豊松副社長「原子力に関する質問についてお答えいたします。東京電力福島第1原子力発電所の事故により、皆様に大変なご心配とご迷惑をおかけしておりますことを、同じ原子力を扱う者として重く受け止めております。当社は二度と同じ事故を起こさない固い決意を持ち、緊急対策を直ちに実施してまいりました」  《福島事故について緊張した様子で話した後、大飯原発の安全性について言葉に力を込めた》  豊松副社長「政府においても、大飯3、4号機について福島事故のような地震、津波が起こったとしても、事故対策は整っており、炉心損傷に至らないことが確認されています。当社は規制の枠組みにとらわれず、安全性向上の対策を自主的かつ継続的に進めることが不可欠と考えており、今後も新たな知見への対応、諸外国の動向をふまえた対策を着実に実施してまいります」  《女性のやじが飛び、さらに豊松副社長の声に力が入る》  豊松副社長「6月8日、政府から再稼働のご判断を賜りました。大飯3、4号機が再稼働に準備作業を進めております」  《大飯の安全対策について技術面の説明を続けるが、ヤジはどんどん激しくなる。豊松副社長は大飯原発が加圧水型原子炉で、福島第1原発の沸騰水型原子炉とは違うことを説明》  豊松副社長「漏洩した水素は廃棄設備を用いて滞留することなく排出されるため、爆発しない」  《豊松副社長は、やじに立ち向かうように言い切った。大飯の社員常駐態勢、事故時態勢や現場へのアクセスルートも、陸路だけでなく船やヘリを確保していることを強調。大飯3、4号機は中央制御室の会議室において十分な広さ、耐震性、津波回避できる高さ、空調設備を備えているとした》  豊松副社長「事故時の対応に問題はありません。免震事務棟を着実に実行します。運転期間については、技術的に運転開始後60年の長期的安定運転が可能であることを確認しており、この内容は国にも審査、了承を得ております。しかしながら、美浜1号機および今後、40年を超える原子力プラントの運転については原子力規制法の改正をふまえ対応します」  《説明から約10分、会場が騒然とする中、議長が「静かにお聞きください」とヤジをいさめた》  豊松副社長「耐震安全性に関しては『止める』『冷やす』『放射能物質を閉じこめる』ため、万全の地震対策を行っています。耐震向上にも自主的に取り組んでいます。活断層の連動も想定したうえで、耐震安全性を評価しています」  《話が高速増殖炉に及ぶと、ヤジもヒートアップして会場が混乱している様子。議長「静粛にしてください」とおさめる。豊松副社長の約15分の答弁が終わると、会場は大きな拍手が起こった》 関西電力(5)「原発に依存しないエネルギーの構築が求められる」神戸市長迫る 2012.6.27 12:46 (1/3ページ)[株式・株主] 株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)  《午前11時現在、昨年の1・6倍にあたる3673人が会場に詰めかけた。多くの株主のお目当ては筆頭株主である大阪市の橋下徹市長だ》  森詳介会長「ご出席の皆様の質問をおうかがいします。質問は簡潔に3分以内でお願いします。質問は原則1問、最大2問とします」  《「はい」という声が会場内のあちこちから聞こえる》  女性株主「去年、東京電力福島第1原発で想定外の事故が起きました。大飯原発における想定外の事故はどんなことなのか。いま原発を動かすのは危ない」  豊松秀己副社長「若狭湾には(太平洋側にあるような)海溝型プレートがなく、想定される津波は2~3メートルと考えています。関電では福島と同じような津波、そこからプラス9メートルほどの津波を想定して安全対策を進めています。再稼働の判断について、昨年7月に国によるストレステスト(耐性検査)導入が決まって以降、外部有識者による検討の結果、追加の安全対策を含め福島と同じ津波が来ても安全上問題がないとされました。福島での知見を踏まえ、さらなる安全対策30項目について、法制化を先取りするかたちで対応を進めています。福井県、おおい町の了解の下、安全性の確保を踏まえた上で再稼働を判断しています」  《場内から拍手が起こる》  森会長「続いて新聞を持った男性株主、どうぞ」  《男性がマイクを持つ。神戸市の矢田立郎市長だ》  矢田市長「この総会では大阪、京都両市と一部共闘しながら6つの議案を提案しています。質問は2つ。原発事故が起きれば広範囲に影響が出ます。再生可能エネルギーなど多様な代替電源を確保し、原発に依存しないエネルギー体系の構築が求められています。御社には経営の透明化、市民への説明責任を図り、日々の安心安全の確保と電力の安定供給をお願いしたい」  「質問ですが、原発の依存度低減、エネルギーミックスのあり方が国から示されていますが、関電においても原発依存度の引き下げ、代替電源確保に関するロードマップの作成が必要となります。そして、その作成には市民の理解が求められます。どうやって取り組むかを伺いたい」  八木誠社長「エネルギーミックスについて、現在、国の国家戦略室エネルギー環境会議で議論が進められています。経済性、地球温暖化への対応などから多様なエネルギー源の導入が議論されています。関電でも火力発電所の高効率化、原発の安全性の確保など多様なエネルギー源に向けた導入を考えています。そして自治体からの理解や協力は不可欠。再生可能エネルギーの導入、スマートコミュニティー導入にも自治体や市民の皆様とも連携を深めることは重要です」 関西電力(6)橋下徹市長ほえる「関電はこのままではつぶれる」 2012.6.27 12:59 (1/4ページ)[株式・株主] 関西電力の株主総会で発言し、会場を出る大阪市の橋下徹市長=27日午前、大阪市北区  《矢田立郎・神戸市長の質問に対する関電側の回答が終わった》  森詳介会長「次に発言を求めます。2階席の男性の方どうぞ」  《大阪市の橋下徹市長だ》  橋下市長「大阪市長の橋下です。関電はこのままではつぶれると危惧(きぐ)しています」  《拍手が場内に響き渡る》  橋下市長「(関電は)衰退産業が歩んだ道を歩んでいます。関電経営陣は経営上の将来リスクに関する株主への説明が不十分。2つについて質問しますが、細かな事実に積み重ねてうかがいます」  「核燃料サイクル、核燃料の再処理事業は今後も継続するのですか。中間貯蔵施設は増設するのですか。高放射性廃棄物の最終処分地はいつまでに作るのですか。このような状況で関電管内の使用済み核燃料をいつまでもたせるのですか」  「将来の経営上のリスクについてうかがいます。家庭用電力の自由化は2年後ですか。発送電分離は実現するのですのか。原発について、国際標準の安全基準が議論されていますが、コスト上昇分はいくらなのでしょうか。国は発電電力量に占める原子力依存度を15%と打ち出すつもりですが、関電として何%を想定しているのですか。2030年の時点で関電の原発依存度は何%なのですか。そして、原発は何基止まれば赤字になるのですか。これから…」  《一気にまくし立てる橋下市長》  森会長「3分を超過しています」  橋下市長「あと少し。政権が変わりエネルギー政策が変わり、依存度がゼロになったとき、関電はどう対応するのですか」  《「早く質問を終わらせろ」などの怒号が出始める》  橋下市長「今は転換点。そのリスクを念頭に置いて新たなエネルギー供給体制を築いてください」  《質問を終えた市長。会場から大きな拍手を浴びる》  白井良平常務「わが国はエネルギー自給率が低いため、さまざまなリスクがあります。原子燃料サイクルは安定供給のためには重要と考えています。6月21日に国の会議で、全量処分再処理などの選択肢が示されましたが、使用済み核燃料を再処理し、原子燃料サイクルが必要とされています。日本原子力発電は安全と品質確保を最優先し、再処理工場稼働開始に向け試験を進めています」  「中間貯蔵について、当面は利用可能となる範囲で再処理を行い、それ以上は中間貯蔵するとしています。ただ、関電として中間貯蔵施設について具体的に話できる段階ではありません。最終処分の実施を円滑に実施のために国民の理解強力が不可欠です」  《再び怒号が大きくなる》  岩根茂樹副社長「まず家庭向け電力の自由化について、小売りの自由化を全顧客に拡大する場合、電力の安定供給の確保、公益性を確保しないとお客さまの利益が損なわれる可能性もあります。制度設計にあたっては検討が必要と考えています」  「発送電分離は国の審議会で検討されています。広域的な視点が重要と考えており、逼迫(ひっぱく)時には協調し合って融通するようにしています。公平なネットワークの構築が議論の目的と思われる一方、これまで発送電一体で効率的な運営がなされたこともあり、目的と手段とをしっかり分けて議論していきたい」  「将来的な原発比率ですが、大事なのは安全の確保と長期的なセキュリティーの確保。すべての課題を克服しながら安定で安価な電気を提供するといった観点から検討していきます。現時点で何%が適正かは言えません。原子力が何基止まれば、赤字が解消するかについて、平成23年度は原子力の利用率が38%程度でしたが、その前年は80%あり、利用率半減で代替火力の燃料調達費など5千億円のコスト増となりました。今後、原発の稼働がなければさらに4千億円コストが増えます。すべての原発が止まれば9千億円のコスト増となり、原発の再稼働がなければ継続的な経営が難しいと思っています。関西に電気を安価に提供することで企業価値を高めていきたい」  《会場から拍手が起こる》 関西電力(7)株主「原発ゼロ考えられぬ」、関電副社長「安住することなく安全向上」 2012.6.27 13:13 (1/3ページ)[株式・株主] 関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)  《大阪市の橋下徹市長への答弁が終わった後、聞き取れないほど騒がしいやじが飛ぶ。そんな中で、株主と経営陣の質疑応答が続いた》  男性株主「原発については、客観的な情報を広く知らせるのが重要だ。ベトナム、トルコは日本の原発技術を高く評価しているが、国内では原発に対するヒステリーが蔓延(まんえん)している。22世紀には化石燃料が使えなくなる。そういう中で、原発ゼロというのは考えられない」  岩根茂樹常務「資源の乏しいわが国では、電源のベスト構成が重要。すべての電源に長所があり、課題もあります。長所を生かして検討するのが重要です。化石燃料は価格が高く、CO2(二酸化炭素)の排出量が多い。再生エネルギーもコストがかかる。原子力は安全性向上が必要。それぞれの強み生かし、ベストミックスで考える必要があります」  《この後、京都市の門川大作市長が発言。3つの提言を行った》  「第1に持続可能な電力供給体制構築のため、脱原発依存を明確に経営方針に記してほしい。第2に分散電源、省エネ、創エネのための環境作り。3点目は発送電分離です。関電はこれまで関西の市民生活と産業の発展に尽力してきたが、福島第1原発事故を教訓とした転換が必要だ」  《森会長は「貴重なご意見としていただきます」と応じ、株主からの質問を受け付けた》  男性株主「先ほど豊松(秀己)副社長が縷々(るる)と述べられたが、今までの安全神話から一歩も出ていない。原発大国フランスでは過酷事故のためにフィルターベントを設置している。こうした中で大飯再稼働に着手したのは世界では通用しない。鴨長明の『方丈記』が記された800年前、琵琶湖では大津波が起きた。そういうことについて、それを検討したのか」  豊松副社長「福島第1原発と同じレベルの事故が起きても炉心損傷しないのかが重要なポイント。そこに安住することなく、安全向上に取り組んでおります。シビアアクシデントも着々と進めております。フィルターベントは、米国の加圧式軽水炉では不要としているが、われわれは採用します。前倒しで対策を立てております」  橋本徳昭常務「耐震に対応するため、周辺の活断層や過去の地震は徹底的に調べています。地震、津波を検討していないわけではありません」  《株主からの質問は、社外取締役の選任についても及んだ》  男性株主「大阪府市特別参与を務める村上憲郎氏の社外取締役の選任するとの株主提案を取締役会が反対しているが、その理由は」  八嶋康博常務「村上氏は大飯原発3、4号機の再稼働に反対している立場。原子力の停止を求める方が取締役に就任したら、株主様の利益に反すると判断しました」 関西電力(8)会場騒然!議長不信任動議を提案  2012.6.27 13:52 (1/5ページ)[株式・株主] 株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)  《株主質問が続く。議長の挙手を促す声に「はーい」「おーい」と声が上がり、会場ではうちわやノートを手に、盛んに手が上がる》  女性株主「大飯原発の破砕帯調査に関してですが、すぐできるはずのトレンチ調査さえしないのですか。安全対策をしてから動かすというなら、石橋をたたいてたたいて、それくらいしないと原発再稼働はしないでほしいです。質問に関しては具体的に回答を。橋下徹市長への回答も具体的ではありませんでした。事故や津波が起きたとき、橋が落ちたとき、どのように現場に行くのですか。それと…」  議長「質問は2問にしてください」  女性株主「では、意見を言います。福島事故の調査結果が完全には出ていないのに、原因を結論づけるのはおかしいです。それについてお答えください」  議長「ただいまのご発言は意見として承ります。質問は2問までと申し上げました」  《「2問なんていっていた?」と女性株主は不服そうだが、答弁が始まった》  橋本徳昭常務「大飯3、4号機の調査ですが、私どもは徹底した調査をした上で先生方にみていただいたわけです。これは当時の新聞記事でも『審議会では活断層問題でしっかりとした議論が行われた』と高い評価もされています。私どもはこれ以上の調査をする必要はないと考えております」  豊松秀己副社長「発電所のアクセスについてご説明いたします。事故が起きた場合、別の陸路がございます。まず第一は、54人が現地に常駐しており、対策は十分です。あとの人員は橋が落ちても他のヘリや船のルートで向かうなど万全の対策をとっています」  《議長が第2会場に質問を振った》  男性株主「原子力損害賠償支援機構法について、関電はいくら費用負担しているのでしょうか。福島事故は東電と国の責任なのに、なぜ関電が費用負担するのですか」  岩根茂樹副社長「原子力損害賠償支援機構について、機構法は被災者への迅速かつ適切な賠償を行うものです。電気の安定供給や原子炉の運転など円滑な運営に資すること、将来にわたり原子力損害賠償の支払いに対応できる相互扶助スキームで、一定の合理性はございます。当社は23年度に157億円を支払っております。今後、国との役割分担は機構法が成立してから見直しをすすめていくということでございます」  《議長が質問をあと2人受け付ける、と宣言した》  男性株主「社外取締役の選任についてですが、その基準は? 井上礼之さんは9年任期を続けています。玉越良介さんは融資をしている金融機関の担当者です。株主の利益と金融機関の利益は対立します。独立性の観点から適切ではないのではないですか。また、日本生命との取引関係は? 白紙で議決権行使するのは日本の資本主義にとって問題ではないかと思います」  八嶋康博常務「役員の選任にあたりましては、年齢、就任年数、特定の企業という画一的基準で選んでいるわけではありません。総合的に勘案し、提案しています。それぞれ経営者としての経験や識見を当社経営に生かしていただくため、候補者とした次第です。玉越取締役は融資関係にある三菱東京UFJ銀行の関係者ですが、借入額全体が大きな割合を占めるものでなく、当社営業に影響を与える重要な関係はなく、特別な関係には当たらないと考えています」  廣江譲常務「日本生命は重要な融資先です。これからも引き続きしっかりと取引を願いたいと考えています。委任状については、複数の株主からいただいておりますが、個別の議決権行使にかかわる事項になるので、ここでの回答は差し控えたいと思います」  男性株主「議長解任の動議をしたいと思います。社外取締役の案件は議案の時に討議されるべきです。それなのに質問を2人に限っています。そうでないですか、みなさん。だから議長不信任動議です」  《会場から一部拍手が起きる》  議長「ただいま、株主から議長不信任の動議が提出されました。私としては心外ではございますが、一応採決を行います」  《反対多数で動議は否決されたが、会場はざわめいた状態が続く。議長は「静かにしてください」としきりにいさめ、関電側関係者が「これは株主総会ですよ、退場、退場」と声を張り上げる》  男性株主「原子力の安全対策について、新聞やテレビでもっと広報してほしい。これを聞いたら国民は関電を信用すると思います」  八嶋常務「震災をふまえた原子力の対策について、随時記者会見をひらいたり、ホームページなど丁寧な説明に努めて参りたい。社会の皆様によりご安心いただける広報に努めて参りたいと思います」  《12時46分、議長が質疑を打ち切り、議案の審議に移った》 関西電力(9)「関電の皆さん、悪徳商売やめて」福島の女性株主辛辣提案 2012.6.27 14:02 (1/4ページ)[株式・株主] 株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市福島区のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)  《議長の森詳介会長が発言する》  「質疑が十分尽くされましたので、議案審議に移りたいと思います。いかがでしょうか」  《会場から拍手が起こる》  森会長「賛成多数と認められましたので、議案審議に移ります」  《「おい、勝手にとめるな」のヤジが飛ぶ中、森会長は会社から2議案、株主から28議案、計30議案について、関連性のある議案の一括審議を提案し、拍手多数で認められる》  森会長「まず、会社側の1号議案と株主さまからの12号議案を一括審議します。1号議案は剰余金の処分案です。安定的な配当の維持、財務体質の健全性確保を前提として、配当金は1株あたり30円としたい。一方、株主さま提案の12号議案は、配当金を会社提案より10円高くするというものです。取締役会としては、配当維持のためには1号議案の剰余金処分案が最適と考えており、12号議案には反対します」  《森会長は、12号議案の提案者に趣旨説明を求める》  女性株主「福島から参りました」  《会場から拍手》  「元中学校教師で定年退職して10年目です。原発の危険さ、安全神話のうそを30年前から知っていましたが、昨年3月11日、恐れていたことが現実になった。子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。一時帰宅した被災者が、命を絶ったという新聞記事も載っています。甘い汁を吸っている原子力村の皆さん。関電の皆さん、悪徳商売はやめてください。私たちはふるさとを失った。第2、第3の福島をつくらないでください」  森会長「それでは、1号議案と12号議案の採決をお願いします。賛成の人は挙手をお願いします」  《拍手はぱらぱら》  森会長「反対の人は挙手をお願いします」  《拍手多数》  森会長「反対多数で否決されました。次に1号議案の採決を行います」  《拍手多数》  森会長「賛成多数で可決されました」  《続いて、森会長は、定款変更を求める株主提案の5号、27号議案を提案。5号議案は取締役を12人以内、27号議案は同10人以内とする内容》  森会長「取締役会は両議案とも反対であります。それでは、提案者は趣旨説明を3分以内でお願いします」  男性株主「株主総会の招集通知では、5号議案に対する取締役会の意見として、多岐にわたる課題に対処するため、議案に反対すると書かれているが、まったく課題に対応できておらず間違っている。社会のニーズにこたえているのか。まったく逆だ。株主であることを情けなく思う。関電の取締役の報酬額は4千万円から5千万円。これでは従業員と労働者に犠牲を求める態度なので、経営陣の削減を強く求めます」  《続いて、27号議案を提案した大阪市の代理人弁護士が趣旨を説明する》  弁護士(男性)「取締役会は招集通知に書かれた反対理由で『原子力発電の自主的かつ継続的な安全性向上のため』としているが、あきれる。現経営陣は無用。関電の役員報酬は日本一高いといわれ、東京電力より高いといわれています。関電の取締役は東電の半分程度で十分。取締役の削減に踏み切ってもらいたい。自ら身を切る覚悟なくして、どうするのでしょうか」  《ここで、5、27号議案が一括審議され、ともに賛成の拍手は少数》  森会長「反対多数で、否決が確定しました」 関西電力(10)社長解任、大阪市提案の社外取締役人事案 反対多数で否決 2012.6.27 14:48 (1/4ページ)[株式・株主] 関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)  《午後1時を回ると、会場の株主から「動議」の声が響く》  男性株主「長丁場なのでこのへんで食事休憩はいかがでしょう」  《緊張した空気が和み、拍手と笑い声が起きる》  森詳介会長「議事運営に関わるため、動議としては取り上げないことにします」  《大阪市が提案した議案の審議に入り、同市の代理人である男性弁護士が、取締役の人事などについて発言する》  男性弁護士「関電は当社の取締役としてふさわしい能力や経験などを勘案しているから問題ないと言いますが、今のままでは国民のための必要なエネルギー政策の展開が出来ません。さらに就職の世話などを持ちかけて、反対派を取り込み、切り崩すことも行われてきました。官民癒着をここで止めないといけない。関電は役所から人材をもらわないとやっていけないのでしょうか。このままでは関電の体質がおかしくなります。これを阻止するには厳しい人事のルールが必要だと思います」  森会長「左側のブロックで紙を上げる株主様、発言をどうぞ」  男性株主「この提案、大賛成です。天下りがこれだけ言われているのに関電はまだやっている。ぜひ株主の皆さん、賛成してほしい。ところで議長、総会での議決についてだが、本当に賛成多数なのか。最後の1個の数まで言えとは言わないが、どの程度の賛成多数かをはっきりさせてほしい。大株主もきているのだから、それくらい説明がほしい」  森会長「ご意見として承ります」  《「採決」「議事進行」という男性の声が響く》  森会長「採決に移ります。この議案に賛成の方、挙手をお願いします。  《「おら」などの怒号が飛ぶ》  森会長「反対の方、挙手をお願いします」  「反対多数により否決されたこととします。続いて八木誠社長の取締役解任の議案について、趣旨説明をお願いします」  男性株主「福島の原発事故の原因は明確には分からない。調べようにも調べられない、これが実態です。放射能が出続けています。原発事故はそういうものです。どうして福島と同じ事故が起きないと言えるのでしょうか。電力不足を理由に再稼働を強弁するのは原発サギだ。詐欺師を取締役に置くことは許されません。これまでは運が良かっただけです。ギャンブルだ。福島の事故で原発事故はもはや仮定のものではなくなった。再稼働にあたっては責任の所在を明確にするのは当然だと考えます」  森会長「それでは採決を行います。賛成の方の挙手をお願いします」  《しんと静まりかえる》  森会長「反対の方の挙手をお願いします」  《場内から「はーい」の声が聞える》  森会長「反対多数のため否決されたとします」  《続いて会社提案の取締役選任案が審議される。森議長が予定者を読み上げられ、賛成多数で可決された。再び大阪市の代理人である男性弁護士が大阪府、大阪市の特別参与である村上憲郎氏を社外取締役に選任するよう求める提案の趣旨説明を行う》  男性弁護士「村上氏は大阪府、大阪市のエネルギー戦略会議の委員で高い見識と経験を持っています。この人(の取締役選任)に対して関西電力は拒否回答しています。大阪市も過去には天下りをやっていました。遺憾だと思います。市のOBを関電の役員に入らせていました。橋下徹市長はそれをやめました。その代わりに(見識を持った)ちゃんとした人ということで推薦しています。取締役会がなぜ拒否しているのかというと、脱原発という会社にとって不利な意見を持つ人を入れたくないという排外的な理由です。そこに原子力は絶対やると言う鉄の意志が感じられます」  森会長「3分を超過しています」  男性弁護士「大飯再稼働を見切り発車して、事故が起きた場合どうするのか。皆さんの賛同をお願いしたいと思います」  森会長「採決します。反対の方の挙手をお願いします。反対多数で否決しました」 《この後も議案の審議が続く》

2012年6月20日水曜日

核のごみ 地層処分ムリ

核のごみ 地層処分ムリ 日本学術会議でも解決見えず 2012年6月18日 07時04分 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012061890070441.html  原発から出る核廃棄物の処分場はいまだに受け入れ先が白紙だ。原子力委員会の依頼で、日本学術会議(会長・大西隆東大大学院教授)が解決の糸口を探るため二年前に議論を開始。だが今月上旬に出した結論は、地下深くに埋める現行の処分方針では安全性の確保も受け入れ先を見つけるのも難しく、方針転換が必要との内容で、一から考え直すことを提起した。近く報告書をまとめるが、将来に負の遺産をつけ回す原発の最大の問題点があらためて浮かんだ。 (榊原智康)  毎時一五〇〇シーベルト(一五〇万ミリシーベルト)と人がわずか二十秒で死に至る放射線を放つ高レベル放射性廃棄物は、処分がやっかいだ。国は二〇〇〇年に関連法を制定し、廃棄物をガラスで固め、地下三百メートル以上の地層に埋める「地層処分」方式を採用した。しかし、処分場の受け入れ先はまったくめどが立っていない。  何とか打開策を見いだそうとした原子力委は一〇年、学術会議に知恵を出してもらうよう頼んだ。  「研究者の国会」とも呼ばれる日本学術会議は、人文、社会、自然科学などの研究団体から選ばれた会員でつくる。今回の「核のごみ」問題では、原子力工学や地質学、歴史、社会、経済などさまざまな分野の研究者で検討委を組織し、議論を続けてきた。  核のごみの放射線レベルが十分に下がるまでには約十万年という想像もできないような時間がかかる。  日本はもともと地震や火山活動が活発なことに加え、議論を始めた後、東日本大震災が発生し地殻変動も活発化している。  検討委は、そんな現実の中で、十万年間安全だと説明しても住民の理解は得られないとみて、地層処分からの方針転換を議論。五十~数百年にわたって暫定的に貯蔵し、その間に抜本的な解決策を探る、と先送りの案も浮上した。  「将来世代にごみを送り続けるのは現代人のエゴだ」「未来の人類の知恵にすがらなければ、最終的な決定ができないとわれわれの限界を認めなければならない」  今月七日の検討委でもさまざまな意見が出た。結局、一致したのは、地層処分では住民理解は進まず、行き詰まりは解消されない-ということだった。  検討委は八月下旬にも報告書をまとめ、原子力委に提出する予定。検討委員長の今田高俊東京工業大教授(社会システム論)は「脱原発を進めても核のごみ問題の議論は避けられない。われわれの検討結果が、国民的な議論を呼び起こすことを期待している」と話している。 (東京新聞)

2012年6月15日金曜日

小沢一郎「妻からの「離縁状」全文

小沢一郎「妻からの「離縁状」全文 週刊文春6月21日号 「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃 (ジャーナリスト松田賢弥+本誌取材班)            政局が俄かに緊迫してきた---。野田首相が政治生命を懸ける消費増税法案の採決が迫り、小沢グループの動向が最大の焦点となっている。そんな中、小誌は政治姿勢に決定的な疑問符を突きつける文書を入手した。和子夫人が支援者に宛てた悲痛な手紙を公開する!  まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。  この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族・ご親類はご無事でいらっしゃったでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。  このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳なくショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたのでこの手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが今迄のことを申し上げます。  八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手つだってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。  その言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられ何とか現在やってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。  お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会いしてやさしい言葉をかけていたゞいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのがわかり岩手に帰れなくなりました。選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯をくいしばって耐えていました。  隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。SPさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。  それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。 「なんですぐ岩手に帰らないのか!」  ところが三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。  三月十一日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方がありませんでした。  そんな中、三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。  あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください」と言うのです。  福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。  川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われてからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。  国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。  私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。  小沢は「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は一ヶ月余り戻ってきませんでした。二日遅れで届いた岩手日日には三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談したとありました。  彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。  三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。  それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるようにと指示したのはその二日後です。すぐにそれは解除になりました。  三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。  その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った?こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが三、四台置かれ、二十人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から三月二十八日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜岩手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したことはご存知と思います。  この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。  本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会にまで相談していました。  もう岩手のことは頭になかったのでしょう。 放射能をおそれて魚や野菜を捨てた  こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥づかしく思っています。  更に五月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。  多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じず、自分の為の避難場所の設計をしています。●●●という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。  天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称し釣りに出かけました。  千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。  かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。  長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。  ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。  七月には別のところに住所を移しました。  ご一家のご多幸を心より祈り上げております。      小澤和子   (注・受取人が特定される記述は一部省略。伏せ字は原文では実名である)  和子夫人の手紙を支援者はどう読んだか 松田賢弥   「この手紙が表に出たら、小沢一郎はもう終わりだ」  この五月、私は「和子の手紙」を求めて、数週間、小沢の地元・水沢(現岩手県奥州市)を歩き続けた。  年初から永田町では、「小沢一郎がすでに離婚したらしい」とか、「奥さんが離婚したと手紙にしたため、後援会幹部らに送ったらしい」などと囁かれていた。だがいずれも真偽不明の断片的な情報だった。私も一月以降、手紙を求めて取材を始めたが、多くの支援者や後援会関係者は、「そんなものはもらっていない」と頑なに否定するばかりで、真相はわからなかった。  そもそも、二人の結婚は、小沢の師・田中角栄が仲介したものだ。角栄の後援会「越山会」の大幹部だった新潟の建設会社「福田組」の社長・福田正(故人)の長女・和子を角栄が秘蔵っ子に娶らせた、いわば政略結婚である。しかも二人の間には三十代の三人の息子がいて、積み重ねた四十年近くの歳月がある。七十歳の小沢と六十七歳の和子が今さら離婚するなど、にわかには信じ難い話だった。  一方で、今年三月に新たな事実も明らかになった。私は本誌三月二十九日号で、「小沢一郎『完全別居』次男と暮らす和子夫人を直撃!」と題した記事を寄稿した。和子は小沢邸から徒歩三分ほどの秘書寮に次男と暮らし、自分宛の宅配便や手紙も、すべて秘書寮に届くように手配していた。その光景は、夫婦間に大きな異変が起きた事を物語っていた。  そしてこの五月、「この人なら手紙を受け取っているのではないか」と思われる長年の支援者らを、再び私は訪ね始めたのだった。  ある三十年来の支援者の家を訪ねたときのことだ。  玄関口で訝しげな顔をする支援者に、私が三月に小沢夫妻の別居を報じたこと、四月末には本誌(五月三日・十日号)で「小沢一郎に隠し子がいた!」と題し、今や二十一歳になる小沢の隠し子について報じたことなどを告げると、こう語りだした。  「あぁ、あの記事は読んだ。間違ったごどは書いてないよな」  そう言い、私を居間に招き入れた。率直に「和子さんからの手紙は来てないですか」と尋ねる私に、その人はこちらの目を見据えながら、間を置いてポツリポツリと語るのだった。 和子に泣きながら電話した  「来たよ。去年の十一月だ。長い手紙でなぁ。小沢が被災地に行かないごとに和子さんが怒ったとか、小沢が放射能を怖れて『東京から逃げろ』『水飲むな』と言ったことが情けないと思った、ど書いであっだ」  さらに、こう続けた。  「私は手紙の内容に仰天して、和子さんに泣きながら電話したんだ。『一郎でない。和子さんがいるがらごそ、(小沢の支援を)やってきたんだ』と伝えだんだ。和子さんは『息子たちは私についているから。息子たちが、別居したら、と言ってくれたの』と話していだ。  和子さんは昔から演説がヘタでなぁ。いつもまわりから怒鳴られでいだ。それでも一生懸命だった。演説の帰りに、『息子たちが楽しみにしているから』と三人分の線香花火を買っていった姿が忘れられねぇ・・・」  やはり手紙は実在したのだ。私は驚愕し、何度も「手紙を見せてほしい」と頼んだ。だがその人は、現物を見せる事を頑なに拒んだ。その理由として、冒頭の台詞を語ったのだった。  別の支援者を夜遅くに訪ねると、その人は門扉の前で言葉少なにこう語った。  「和子さんからの手紙は確かに来ました。小沢が被災地へ行かないことへの不満の他に、『離婚』と書いてあった。手紙を読んで、和子さんと電話で話をしました。『水沢に来たら』声をかけたけど、『ありがとう』としか言わなかった。一郎が和子さんを、これほど苦しめていたとはな・・・。私はもう、一郎からは離れました」  私はさらに別の支援者を何度も訪ねた。何度目の訪問だったか、早朝に訪ねると、その支援者は意を決したのか淡々と語りだした。  「和子さんの手紙は去年の十一月の初め頃に来た。『離婚しました』とあった。原因は、あなたが隠し子の記事で書かれていた通り、小沢の女性問題だ。小沢がそこまで和子さんをないがしろにしたとあっては、もう許せない。小沢は次の選挙に出られない。もし出たとしても落選だろう」  その後も取材を重ね、和子の手紙は去年の十一月頃、十名近くの支援者に送られていたことがわかった。ただ、彼らは取材に応じてくれたとはいえ、手紙の提供は拒み続けた。  協力者を守るために詳細は伏せるが、私は手を尽くして手紙のコピーをようやく二通入手することができた。そのうちの一通が全文公開したものだ。もう一通も筆跡は同じで、冒頭と末尾に、その支援者や家族を気遣う文言などが書かれている以外は、内容もほぼ同一といっていい。念のため元秘書らに筆跡を確認してもらったが、間違いなく和子のものである。  いうまでもなく、これは「小澤和子」が支援者に送った私信である。和子には手紙で再三取材を申し入れたが未だ果たせていない。私信を公開することに逡巡がなかったわけではない。  だがこれは単なる私信ではない。大げさに言えば、後に平成の政治を振り返る上でも、極めて重要な意味を持つ一級の資料である。  私が本格的に小沢を取材し始めたのは、平成元年。この年の八月に小沢は弱冠四十七歳で自民党幹事長となった。以降の平成政治史において、時に政権与党の影の支配者、時に大野党のリーダーとして、今日に至るまで政局の中心に座り続けてきた。それは消費増税をめぐる目下の政局で野田政権を揺さぶり続けていることでも明らかだろう。  その小沢一郎が、未曾有の大震災に際していかなる行動を取ったのか。その実像を、最も近くにいた人物が書き記した、極めて公共性の高い文書だと考え、公開に踏み切った。  また、これだけ多くの人に手紙を出し、隠し子の実名まで記した十一枚の便箋を、何通も書き上げた和子の心情を思った。小沢の真の姿を支援者のみんなに広く知って欲しい。そうした和子の思いが行間から滲み出ているように感じられたことも、公開を後押しした。 隠し子を養子にした愛人  いくつか、手紙の文面だけではわかりにくい箇所を補足したい。一つ目は「隠し子」についてである。  〈八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました〉とある。  これがまさに私が「健太君」という仮名で四月末に報じた男の子のことだ。  実はもう一通の手紙には、〈九年前〉とあった。これが書かれたのが二〇一一年十一月だとすれば、二〇〇二年から〇三年にかけてのどこかの時点で、和子は隠し子の存在を知ったことになる。  奇しくも私は、前述した別居報道(三月二十九日号)でこう書いていた。  「私には、和子が自身の名義で小沢邸敷地内に別棟を建てた〇二年頃を境に、小沢と和子が後戻りのできないほど、冷え切った関係になったように見える。和子が水沢に姿を一切見せなくなるのもこの頃からだ」  東京地裁は昨年九月、小沢の元秘書三人に政治資金規正法違反で有罪判決を下した。その公判で、安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)の元女性嘱託職員が検察側証人として出廷したことがあった。その証言によれば〇二年三月、和子から電話でこう言われたという。  「現金を払い戻しするから、(深沢の)自宅に来て。私と息子の名義の預金を解約し、六千万円を払い戻してもらいたい」  この時、用途について別棟の建設費用だと和子は言っている。手紙を読んだ今思えば、隠し子の存在を知った和子が、小沢のカネに頼るのではなく、自分と息子のカネで自分たちだけの城を作ろうとしたのではなかったか。登記簿によれば、その「城」が完成したのは〇二年十二月のことだ。  また、小沢の隠し子を養子として預かった愛人についても説明しておきたい。この女性は、有名料亭の若女将だった裕子(仮名)で、これまで私は、幾度も彼女について言及してきた。  例えば、九二年九月。金丸信元自民党副総裁の東京佐川急便ヤミ献金事件の処理に関する責任を取って、小沢が経世会会長代行の辞表を出した頃のことだ。東京地検特捜部の捜査の手が、小沢にまで伸びるのではなかと言われていた頃のある出来事を、元側近が私にこう明かした。  「小沢先生に言われて、資料類を段ボール箱四~五箱に詰めて、裕子さんの住むマンションに運びました」  二人の関係は続いている。陸山会事件が起こってから、小沢支持者らが開いている勉強会がある。そこではごく少人数で、陸山会事件について様々な角度から話し合われているのだが、熱心にメモを取る裕子の姿が目撃されている。  和子との結婚前から四十年以上も続く異様な関係は知悉したつもりでいたが、その背後に〈一生毎月金銭を払う約束〉があったとは驚きである。現在二十一歳の健太君を二歳半から裕子は預かっている。この約十九年間で一体どれだけのカネが裕子に渡されたのか。  次に放射能を恐れる小沢の言動にも触れておきたい。  大震災以降、小沢がことあるごとに原発について言及してきたのは周知の事実だ。例えば昨年三月二十八日、達増拓也岩手県知事との会談後に小沢は、「原子炉の制御不能状態が2週間以上放置されるのは世界で例がない。最悪の事態を招けば日本沈没の話になる」などと語っている(「岩手日報」三月二十九日付)。このような言動に違和感を持った人は少なからずいた。当時、ある岩手県議は私にこう不満を露わにしていた。  「小沢さんは被災地が逼迫した状態にあるのに、現地に行こうともせず、なんであんなに原発事故のことばかり語るのか」  昨年五月、私が陸前高田や大船渡などの被災地を訪ねた時の悲惨な光景が蘇ってきた。ある地元民が目に涙を浮かべてこう語ったのだ。  「いまでも、田園の中がら泥だらけの遺体があがってくる。いちばん政治の力が欲しい時に小沢さんは何もしてくれながった。オラたちはよう、見捨てられたのがぁ・・・」  結局、小沢がはじめて岩手の被災地に足を運んだのは、今年一月のことだった。 長野の別荘と小沢側近の会社  なお、手紙に書かれている出来事の時系列はいずれも正確だ。例えば手紙には、昨年三月二十一日に、「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってください」と書生が言いに来て、その二日後に、東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるように指示した、と書かれている。  事実、三月二十三日に東京都は、「金町浄水場の水道水から一キロ当たり二百十ベクレルの放射性ヨウ素を検出」と発表している。日記などを付けていたのか、他の諸々の記述も日時などが正確に記されている。  長野の別荘についても補足しよう。  取材班は、長野県蓼科の別荘地を訪れた。地元不動産業者に聞くと、 「去年の震災以降、別荘を新築しようという方は割りと多いんです。東京や名古屋などから。放射能の関係もあるでしょうし、地震の際の避難場所としてですね」  そこで長野県諏訪地方事務所を訪ね、昨年以降提出された建築計画概要書を閲覧すると、建築主がオフィスゼロ(0)という物件がひとつ見つかった。同社を調査すると、実質的には川島智太郎衆院議員の会社であることがわかった。小沢の元秘書で、今も側近の一人として数えられる人物だ。  川島氏に聞いた。  「あれは私の別荘にするんです。小沢さんがあの近辺で土地を探していると聞いたので、私も近くに別荘が建てられたらいいなと思って契約しました。仲里(貴行)秘書はその辺のことは詳しいので、色々アドバイスをもらいました。小沢さんはまだあの界隈で土地を探していると思いますよ」  一方、小沢事務所は、  「(別荘の件は)小沢とは全く無関係です。離婚の事実も慰謝料を払った事実もありません。(川邊嗣治秘書は)大阪での法事の為に家族を帰らせたことがありますが、周囲に避難を勧めたことはなく、京都からの出馬を検討したこともありません」と回答した。  長年小沢に仕え「懐刀」と呼ばれながら、〇三年に小沢と袂を分かった元大物秘書高橋嘉信は和子の手紙を読み、こう語った。  「私がなぜ小沢と決別し、闘うことになったのか。この手紙を読めば岩手の方々にも分かっていただけるのではないでしょうか。小沢には政治家以前に人間として問題があります。政治を志す若い人たちの魂を食い殺すなど、なんとも思っていない人間なんです。ましてや、岩手のことなど小沢の胸中にありません」  小沢は当選三回(七六年)頃から、ほとんど地元に帰らなくなった。高橋は、和子とともに水沢の地盤固めをし、支え合った時代を振り返り、こう述懐した。  「小沢は蕗の薹を生のまま刻んで味噌汁に入れたのが大好物なんです。私と奥さんは北上川の土手まで行って、頭を出したばかりの蕗の薹を摘み、袋に詰めて奥さんは東京へ持って行ったものです。そうやって必死であの人の為に働いてきた。でも、小沢には結局何も通じなかった」  小沢からは高橋のような秘書が離れ、数々の側近と呼ばれた議員が離れ、そして今、地元後援者も、三人の息子と妻さえも離れた。  和子の手紙を読めば、その理由は痛いほどわかる。小沢一郎は政治家としての終わりを迎えたのではないだろうか。(文中敬称略) ============== 〈来栖の独白2012/6/15 Fri. 〉  一読し、不審な個所は多くある。「せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。」などは、大きくリアリティを欠く。信じがたい。が、小「澤」和子との署名(写真)に、考え込まざるをえない。消費税増税修正協議の期限を控え政局のヤマ場のこの時にこのような記事を出すタイミングも、恐ろしさに身震いしないではいられない。強制起訴裁判は企まれたもの、事実無根のものだったが、こんなところに伏兵がいた。この伏兵は、小沢氏の命を奪うに足る十分な力を持つ。選挙になれば、勝てないだろう。小沢氏は「小沢一郎」であるから、これは単なる夫婦喧嘩、別れ話では済まないのだ。大して能力があるとも思えないこのジャーナリスト、大それたことをしでかした。(少しでもリアリティを持たせようと思ってか、和子夫人の手紙文のフォントは教科書体である) ========================= ◆小沢氏の地元・奥州で30年間選挙支援 「水和会」解散へ 2012-04-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア   河北新報ニュース2012年04月17日火曜日  民主党の小沢一郎元代表の地元・奥州市で、小沢氏の選挙を長年支援してきた女性組織「水和会」が、活動目的が薄れてきたとして、解散する方針を決めたことが16日、分かった。  水和会によると、会は小沢氏の妻和子さん(67)を支えようと、約30年前に結成した。市町村合併前の旧水沢市の「水」と和子夫人の「和」にちなんで名付けた。  会員は、小沢氏が立候補する衆院選のほか、各種選挙に備えて活動を展開。和子さんとともに地元を精力的に回り、女性を中心に支持者を拡大し、強力な地盤をつくり上げた。  この十数年は、和子さんが地元に入ることがなくなったという。水和会幹部は和子さんが地元に来なければ、活動を続けられないと判断。及川幸子会長(岩手県議)によると、和子さんに電話で確認したところ「もう地元に行くことはないです」との返事があり、解散の了承が得られたという。  メンバーは解散しても、小沢氏を後援会内で支える方針。及川会長は「メンバーも高齢化が進み、当時の勢いはなくなっていた。(選挙全体の)態勢には全く影響はない」と強調している。 =============================================== ◆ 小沢氏、初の沿岸被災地入り 岩手で民主県連役員会出席  民主党の小沢一郎元代表は3日、岩手県陸前高田市で開かれた党岩手県連の役員会に出席し、「東日本大震災が発生した非常事態の中でも旧態依然の中央集権支配が続き、地方への予算配分も十分でない」と政府の震災対応を批判した。小沢氏が震災後、岩手県の沿岸被災地に入ったのは初めて。  小沢氏は役員会後、記者団の取材に応じ、昨年末に消費税増税の「政府案」が決まったことについて「自分の主張は変わらない」と述べ、消費税引き上げに反対する立場をあらためて強調した。  役員会では約80人を前に「皆さんの生活を一日も早く取り戻さないといけない。被災地の要望に応えられるよう努力したい」とあいさつした。  小沢氏は陸前高田市のほか、久慈、宮古、釜石、大船渡各市で開かれた党県連役員会にも出席。首長らから復興に関する要望書を受け取った。陸前高田市では仮設住宅を訪れて被災者を激励した。 河北新報2012年01月04日水曜日 ....................... 小沢・民主元代表:東日本大震災後、初の沿岸訪問 「頼もしい」「今更」 住民、期待や不満 /岩手  震災後初となった小沢一郎・民主党元代表の3日の沿岸訪問。被災地の住人からは「頼もしい」といった期待や、「今更来ても遅い」といった不満が入り交じる声が上がった。  小沢元代表はこの日、達増拓也知事や県選出の国会議員らと共に、久慈から陸前高田まで沿岸5市で開かれた同党県連の緊急役員会に出席。宮古市では「私たちの主張した地域主権が(政権交代から)2年余たっても、まだ緒にも就いていない」と持論を展開。「皆さんの抱えた課題を解決するには、本来我々の掲げた政策理念を実行しなければいけない」と訴えた。  夫婦で参加していた、宮古市大通の無職、伊藤隆さん(75)は「小沢さんのように力のある政治家がいて頼もしい。予算を確保して、復興が進むよう国に働きかけてほしい」と期待を込めた。  小沢元代表は夕方には、陸前高田市竹駒町の仮設住宅を訪問。集会場に集まった約30人の住人を前に「皆さんの生活を一日でも早く元に戻せるよう全力で頑張っていく」と力を込めると、記念写真を求められるなど歓迎を受けた。  一方で、住人の女性(58)は「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らした。【宮崎隆】 毎日新聞 2012年1月4日 地方版 =================================================== ◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア より抜粋 ■お悔みを申し上げるのが政治家の仕事なのか? 上杉: まずは「3.11」の震災について、その震災後のことについてお話を頂ければと思う。今ウォルフレンさんからお話いただいたので、小沢さんの方から。「3.11」の国を揺るがすような大震災以降、どうも既存メディアでは小沢さんの影が見えなかったのでは、何もしていないのではないか、という声もあった。果たして小沢さんはどのような活動をされていたのか。「3.11」の発災以降のことも含めて、お話をいただければと思う。 小沢一郎衆院議員(以下、小沢) : 今度のいまだかつて経験したことのないような大災害、私も被災県の岩手県の出身だけれども、特に福島県の原発の損壊と放射能汚染の問題、それが非常に深刻な事態だと、私は当初から機会ある度に訴えてきた。このような時にあたって、今ウォルフレンさんが指摘されたが、世界でも非常に評価されるような日本人の長所が発揮されていると同時に、日本人の欠点も露呈されているというのが、正直なところではないかと思っている。長所というのは、それは一般的に言われているように、こんな大災害にもかかわらず、みんな一生懸命力を合わせて復興のために頑張っていること。その忍耐と努力と、そして能力というのは、当然日本人として誇っていいことだと思っている。  ただ、放射能汚染といういまだかつて(ない)、ある意味においてはチェルノブイリやスリーマイル以上に、非常に大きな危険性を秘めているこの原発の事故と放射能汚染の拡大――。これほどの大きな深刻なことになると、単なる個人的な力の発揮ということ以上に、本来もっと国家として前面に立って、そして英知を集めて思い切って対策を講じていく仕組みと姿勢が必要だと思う。けれども、どうもその意味において、政治の面だけではなくて、一般の国民の中からもそういった強い要求というか、動きというものがなかなか出てこない。まさに非常に日本的な現象だと思っている。ほかの国ならば、こんなに黙って現状を見過ごしているような国民は多分ないだろうと思う。大きな大きな国民運動にまで広がりかねないと思うが、そういう(大きな運動にならない)ところがちょっと日本の国民性というか不思議なところであって、「まあまあ」という中で個人が一生懸命頑張っている。  上杉さんがマスコミの話をしたけれども、マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきか と(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。 ■財源があろうがなかろうが、放射能を封じ込めろ 上杉: 引き続いて、お二方に質問を。自由報道協会の面々は発災直後から現地に入り、取材活動をずっと行ってきた。その取材の中で相対的に、結果としていま現在、県単位で見ると岩手県の復興が意外と進んでいるという報告が上がってきている。おべんちゃらではなく。(小沢氏の)お膝元の岩手県の復興が進んだという見方もできるが、一方で岩手県だけがそういう形で支援が進めばいいのかという疑問もある。そこで、これはウォルフレンさんと小沢さんお二方に伺いたい。仮に現在の菅政権ではなく、小沢一郎政権だったらどのような形で国を復興させたのか。また、もし小沢一郎総理だったら、具体的な方法としてどのような形で今回の震災に対応したのか。ご自身のことでお答えにくいかもしれないが、まず小沢さんから。 小沢: 岩手県の震災復興の進捗具合が大変良いとお褒めいただいているが、別にこれは私が岩手県にだけ特別何かしているということではない。ただ、それぞれの国民あるいは県民の努力と同時に、地域社会を預かっている知事はじめ、それぞれの任務にある人たち、トップが先頭に立って、そしてその下で皆があらゆる分野の活動で一生懸命やっている。岩手県が他の県に比べて良いとすれば、そういう体制がきちんとされているので、復興の進捗状況が良いと言われている理由ではないかと思っている。  私の場合は、かてて加えて原子力ということ、放射能汚染ということを強く主張している。これはもちろん東京電力が第一義的に責任を持っていることは間違いのないことだけれども、日本が政府として国家として、原子力発電を推進してきたことも事実だし、原発の設置運転等については許認可を与えている。そういう意味から言っても、また今日の放射能汚染が依然として続いているという非常に深刻な事態を考えると、東京電力が第一義的責任者だといって済む状況ではないのでは。東京電力にやらせておいて、政府はその後押しをしますよ、支援しますよというシステムでは、本当に国民・県民の生活を守っていくことはできないのではないか。  やはり政府、国家が前面にその責任をもって、最も有効と思われる対策を大胆に(行う)。これはお金がいくらかかる、かからないの問題ではない。メディアも含めてすぐ財源がどうだなんていう話が、また一般(財源)の時と同じような繰り返しの話ばかりしているが、そんな問題ではない。極端な言い方をすれば、財源があろうがなかろうが、放射能汚染は何としても封じ込めなければいけない話で、それは国家が政府が、前面に立って全責任でやる。私はそういうシステムを、仕組みをもっともっと早く、今でも遅くないから構築すべきだと思っている。今なお、東京電力が第一義的責任というやり方をしていたのでは、多分解決しないのではないかと思っている。 ■菅さんは一人で何でもできると思い込んでいる 上杉: ウォルフレンさん、同じ質問だが、もし菅総理ではなくて小沢一郎総理だったら、この震災に対してはどうなっていたか。 ウォルフレン: いろいろな面があると思うが、まず3月11日にあの災害が起きた当時、私は阪神・淡路大震災の時と比べて政府の対応はどうだったかと、直感的に思った。当時の政府の対応と比べて、今回はずっと早く迅速に動いたという気がした。私はそのストーリーを書き、世界中に報道された。その時に私が言ったことは、「半世紀続いた一党体制が崩れて、新しい民主党という政党のもとに政権が建った。その政権は本当に国民のことを、人のことを大事に考えて中心に置いている」という書き方をした。ところが、せっかくの初動後の時間が経過するに従って、壮大な画期的な改革をする機会が与えられたにも関わらず――それはキャリア官僚の体制の上に政治的なコントロールを敷くということだったが――そこに至らないでズルズル時間が経ってしまった感じがする。  なぜ、そうなってしまったのかを考えたわけだが、1993年という年以降、政治の改革をしようと集まった政治家たちが、新しい民主党という党をつくった。そして官僚体制に対して、政治がきちんとコントロールしよう、今までなかった真摯な政府をつくろうという人たちだったのに、どうなってしまったのかと思った。何が起きてしまったのか、正直いって私自身は分からない。ただ、ひとつ考えられるのは、首相が一人で何でもできると思ってしまっているのではないか、ということ。数日前に日本に来て、その間多くの方々といろいろ話をして感じたのは、どうも菅さんは、時々いいアイデアもあるのかもしれないが、それを自分一人でやるだけの政治力があると思い込んでしまっているのではないか、ということだ。  菅さんにしても、誰であっても、一人ではとてもできないことではないか。災害に対処しながら、また原発事故に対処しながら、今までの官僚体制に政治がコントロールしていく――それを同時にやるのは大変なことだ。細かいことは存じ上げないが、原発事故が起きたということは、多くの人たちが新しいところで生活を始めなければならない。再定着が必要になってくるわけだから、政治家一人ではとても負えるものではない。民主党をつくった人たちが、官僚制度の上に政治的なコントロールを敷こうと、そして本当に政府をつくろうと、同じ志を持った民主党の政治家たちがお互いに、一緒に協力をしていかなければできないことなのだ。  災害が起きる前年、去年の秋だったけれど、少なくとも三人(小沢氏、鳩山由紀夫氏、菅直人氏)のトロイカ体制という話を聞いた時に、ある意味では当たり前だが、私はすごく良いアイデアだと思った。明治維新ひとつをとってみても、一人で誰がやったというわけではない。志を同じくした人たちが、一緒にやったことだった。戦後の復興にしても同じ。皆で一緒にやって初めてできたこと。半世紀に渡って一党支配の体制を崩した新しい政党が、新しいシステムをつくる。それにはトロイカであれ、グループであたっていかなければならないと、私は去年思ったものだ。  小沢政権ができた場合に、この災害にあたってどう対応されたかのは分からない。けれども、私は小沢さんは「官僚を制する」というよりは、「官僚と一緒に仕事をする」能力がある方だと思っているし、権限の委譲もできるし、官僚の下に置かれることは絶対にない方だと思っている。小沢政権ができた場合には、きちんと然るべき人たちと協調体制のとれた対応をとっていかれるのではないかと思う。