【政治部遊軍・高橋昌之のとっておき】(上)麻生首相が腹を固めた!集団的自衛権の憲法解釈見直し
2009.5.30 13:00
今回で3回目のブログになります。おかげさまで2回目のブログ(上)「小沢氏辞任の裏側」、(下)「鳩山代表選出の裏側」も、予想を大きく上回るアクセスをいただきましてありがとうございます。今後とも、「とっておき」の情報をお届けしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
また、4月20日に発売した私の初の著書「外交の戦略と志-前外務事務次官 谷内正太郎は語る」(産経新聞出版、1200円+税)も、引き続き売れ行き好調で、某有名書店の週間ランキングで11位になりました。ご購入いただいた方には重ねて感謝申し上げます。
今回のテーマは、私がずっと日本の安全保障の懸案だと考えてきた「集団的自衛権の憲法解釈の見直し」についてです。この問題は日本の国際貢献が問われた平成2(1990)年の湾岸危機(後に戦争)以来、クローズアップされ、国会でも自衛隊を海外に派遣するための法案が審議される度に、大議論が行われてきました。しかし、戦後60年経過して国際情勢が変わっても、「集団的自衛権は保有しているが、行使は許されない」との政府の憲法解釈は変わっていないのです。
ところが、その憲法解釈がようやく、見直されそうな状況になってきました。というのも、麻生太郎首相(自民党総裁)が9月までに行われる次期衆院選の党のマニフェスト(政権公約)に「集団的自衛権の憲法解釈の見直し」を盛り込む腹を固めたようなのです。次期衆院選では民主党もマニフェスト(政権公約)に、現行憲法解釈を見直して、国連を中心とした国際平和協力活動に積極参加することを打ち出す見通しです。
自民、民主両党が次期衆院選で、憲法9条の解釈見直しを打ち出せば、大きな争点になるでしょうし、選挙後は政権がどちらになるにせよ、自民、民主の2大政党が一致点を見いだせば、長年の懸案である憲法解釈の見直しが実現する可能性が高いのです。
ある自民党幹部から得た「とっておきの情報」を披露すると、その幹部が麻生首相と会った際、首相は「安倍(晋三元首相)さんは教育改革をやった。オレは集団的自衛権の憲法解釈見直しをやる。オレの腹は固まっている」と、決意を表明したそうです。
首相は4月23日、安倍首相当時に設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と会談し、集団的自衛権の現行憲法解釈見直しに前向きな考えを示しました。また、首相は前日の22日には安倍氏と会談、安倍氏から、集団的自衛権の憲法解釈見直しを次期衆院選のマニフェストに盛り込むよう促されていました。そうした経緯の中で、首相は「腹を固めた」ようです。
ただ、実際に「集団的自衛権の憲法解釈見直し」をマニフェストに盛り込むとなると、自民党の中には「社会党か」と言いたくなるような左寄りの議員も少なくないので、そういう議員らが強く反対するかもしれません。しかし、自民党の大勢は賛成するでしょう。麻生首相が本当に腹を固めたのであれば、最後は多数決をしてでもマニフェストに盛り込んでもらいたいと思います。
現時点で次期衆院選の情勢は、有権者の間に政権交代願望が強いことから、「民主党が優勢」と言われています。世論調査を分析すると、民主党が支持されているというよりは、「自民党はダメになった。一度政権を代えた方がいい」と思っている有権者が多いようなのです。
その一つの原因は自民党が「保守政党らしさ」を失って、保守層が自民党離れを起こしていることです。その離れた保守層を引き戻すためにも「集団的自衛権の憲法解釈の見直し」をマニフェストに盛り込むべきでしょう。もし、マニフェストに憲法解釈の見直しを盛り込まなかったら、自民党は今の憲法解釈を守り続けることになり、これからどうやって国際平和協力をしていくのかという議論になったら、民主党に勝つことはできないと思います。
集団的自衛権」についてはご存じない方もおられるでしょうから、分かりやすく説明したいと思います。集団的自衛権は「他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていなくても、自国への攻撃とみなして実力で阻止する権利」のことです。国連憲章では主権国家の「固有の権利」と明確に規定されており、もちろん行使も認められています。しかし、日本政府の憲法9条の憲法解釈は、集団的自衛権について「保有しているが、行使は許されない」という、世界中の国とは全く異なる奇妙な解釈をしているのです。
【政治部遊軍・高橋昌之のとっておき】(下)国際常識とかけはなれた憲法解釈
こうした日本政府の集団的自衛権の憲法解釈は、国会では古くから問題として議論されてきました。ただ、冷戦時代は米ソ超大国による力の均衡で世界の安全保障が支配されていたため、日本がこれに加わらなくても許されていたので、解釈を見直さなくても済まされてきました。
しかし、湾岸危機以降は、日本に対して世界の安全保障に「カネ」だけではなく、「人」の貢献も求められるようになりました。湾岸危機の際、政府・自民党内では集団的自衛権の憲法解釈見直しが検討されましたが、内閣法制局などの反対で結局、見直しは行われませんでした。そして、見直しを行わないまま、自衛隊などを多国籍軍の後方支援のために派遣する「国連平和協力法案」が提出されましたが、国会論議ではまさに憲法解釈と法案の矛盾が露呈して、廃案となりました。
この結果、日本は多国籍軍への人的貢献は行わず、130億ドルものカネを出しましたが、国際的には「日本はカネだけで汗は流さない」と厳しい批判を浴びました。その反省から、「国連平和維持活動(PKO)協力法」が作られ、自衛隊が海外に派遣されるようになりました。さらに、2001(平成13)年の米同時多発テロでは、テロ対策特別措置法が作られてインド洋に、2003(平成15年)のイラク戦争では、イラク復興支援特別措置法が作られてイラクなどに、それぞれ自衛隊が派遣されました。
ただ、これらの法律はすべて「集団的自衛権は行使できない」とする憲法解釈に基づいて作られているため、これに少しでも抵触する活動は一切禁止されています。たとえば、自衛隊が派遣された地域では、日本の部隊は他国の軍隊に守ってもらっていますが、他国の軍隊が攻撃を受けた場合は、日本の部隊は駆けつけて援護すると集団的自衛権に抵触してしまうため、できないのです。こうした国際的常識に合わない問題は山ほどあるのですが、その矛盾は派遣される自衛官に背負わされています。
これを一般世間に例えて説明しましょう。ある地域で不審者が度々出没して、このままではだれかが襲われるかもしれないという状況が起きたとします。そこで、自治会ではみんなで話し合った結果、大人の男性が複数で夜の見回りをやることになりました。しかし、「日本さん」は「うちの家訓では『人と争ってはいけない』ということになっていて、争い事はできませんから」と言って見回りへの参加を断るか、参加したとしても「だれかが不審者に襲われても私は何もできません」と宣言します。
これを他の人はどう思うでしょうか。間違いなく、「日本さん」は自治会の中で批判の的になって、だれからも相手にされなくなるでしょう。もし「日本さん」が普段の生活で困ったことが起きたとしても、だれも助けてくれないでしょう。国際社会も同じで、これが日本の現実なのです。
憲法解釈の見直しというと、昔は左翼の人々が大反対してなかなかできませんでしたが、今は世論も大きく変わったと思います。政府や政党がきちんと論理立てて説明すれば、多くの国民は理解してくれると思います。もはや実態とかけ離れた憲法解釈を引きずり続ける時代は終わりました。自衛隊を海外に派遣するたびに、国際社会の現実とかけ離れた法律を作るのではなく、憲法解釈をきちんと見直して、自衛隊を海外に派遣するための恒久法を作るべきです。
本来は憲法9条を改正すべきですが、日本の憲法を改正するには、衆参両院国会議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければなりません。世界の中でも極めて改正が難しい憲法で、これを改正するには相当の年数がかかると思われます。その前に憲法の趣旨をゆがめない範囲で、時の社会情勢に合わせて解釈を見直すことはまさに「法の知恵」と言えます。そしてこれによって、日本は憲法前文にうたっている「国際社会において名誉ある地位」を得ることができます。
私の著書「外交の戦略と志」の中でも、谷内氏は「現在の政府の憲法9条の解釈は日本の安全保障政策、国際平和協力に大きな支障になっている」と指摘し、「この問題を政府部内や与野党間で真剣に議論していくべきだ」と、議論を呼びかけています。同書の第6章「安全保障」では、谷内氏が詳しく、論理的にこの問題を解説していますので、よろしければご一読ください。
自民党も民主党など各政党も、そして政府も、国家国民のため、次期衆院選を機に、勇気をもって憲法解釈の見直しに取り組んでほしいと思います。
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集団的自衛権とは?
小泉氏の拡大解釈
「日米が一緒に行動していて、米軍が攻撃を受けた場合、日本がなにもしないということが果たして本当にできるのか」といい、集団的自衛権の行使について検討すると表明しています。この発言に示されるように、集団的自衛権の行使とは、日本が外国から侵略や攻撃を受けたときの「自衛」の話ではなく、軍事同盟を結んでいる相手の国が戦争をする時に共同で戦争行為に参加することです。
憲法九条は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定しています。そのため政府も、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとのべてきました。
ガイドライン法の規制
一九九九年、小渕内閣の時、憲法の戦争放棄の規定を踏みにじって、アメリカの軍事介入に自衛隊を参加させるガイドライン法=戦争法が作られました。しかし同法も憲法九条があるため、自衛隊の活動は「後方地域支援」に限るとされています。この制約を取り払い、自衛隊が海外で米軍と共同で武力行使ができるようにしたいというのが、いまの集団的自衛権論のねらいであり、実際、この議論は、九条の明文改憲論と一体のものとして出されています。
小泉解釈の裏側
集団的自衛権発言の背景には、憲法上の制約をとり払って自衛隊が米軍の軍事力行使に共同で参加できるように集団的自衛権を採用すべきだというアメリカの圧力があります。これまでアメリカは、「自国の死活的な利益」を守るため、必要な場合、一方的な軍事力行使をすることを公式の戦略にし、九九年のユーゴ空爆をはじめ、一方的な武力行使をくり返してきました。集団的自衛権の行使は、無法なアメリカの侵略と武力干渉に日本が共同して参加するという危険な「集団的軍事介入」の道だとも考えられる。
PS.高橋氏の記事には、重要な見落としがある。
法解釈をしたのは、時の政府であり国民の総意であったものなのか?
まず、改憲をするべきという設定の上で書かれた記事のように思えてならない。
拡大解釈の限界に近づいた。故の改憲という話しは、乱暴すぎる。