2009年12月7日月曜日

【鳩山政権】 岡田克也

 岡田克也は、この日を境に評価に値しない男になった


岡田外相>まあ実質的には戦後初めてと言ってもいいと思いますが、政権交代が見事に実現をして、鳩山政権のもとで私が外務大臣を務めることになりました。あれから2カ月以上経ちますけれども、この間、懸命に頑張ってきたつもりでございます。

 今日はその中でもですね、沖縄に関わる問題を中心に、ぜひ皆さまの率直なご意見を聞かせていただきたい。この前も沖縄に来たんですけども、どうしてもですね、知事さん、市長さん、町長さん、あるいは県議会の先生方のお話しを聞く機会があったんですけども、一人ひとりの市民、県民の皆さまのお声を聞く機会がなくて、今日は玉城さんにお願いをしてこういう機会を設けていただいたわけでございます。

さて、少し最初に私からお話しした方がいいと思いますけども、沖縄の基地の問題、あるいは米軍再編の問題、このことについて、私たちも選挙において、民主党のマニュフェストでは、沖縄基地の問題、米軍再編の問題について、見直しの方向で臨むというふうに書かせていただきました。

 この中には例えば普天間とか、県外ということが含まれておりませんでしたけれども、それは私の中でもいろいろ考えて、そういう表現はあえて避けたわけでありますから、しかし、そうは言ってもですね、思いの中にやはり沖縄の基地の負担をなんとかして減らしたい。今こういうふうに沖縄の基地と言った時に、普天間ということが念頭にあるということは、これは事実としてあります。これは鳩山代表も沖縄に来られてですね、色んな条件を付けながらとはいえ、県外にということも言われたわけであります。

 そして、政権を取ってですね、マニュフェストに書いたこと、あるいは皆さまへ言ったことについて、これをどういうふうに実現していくかということで、私も外務大臣としてこの2ヶ月余り、必至になって取り組んでまいりました。これ以上言うと、…(一部不明)…いきますので、またあとで詳しく説明させていきますが、現実にアメリカとの話し合いをこの2ヶ月やってまいりましたけれども、彼らの方から言うと日米両政府間に合意があると、その合意を受けてやってもらいたいと、そういう話であります。

 我々は政権が変わったと、条件はどうしてもですね、玉城さんはじめ四つの議席みんな我々の側が、与党の側が、政権交代を実現した側が取ったんだと。こういう大きな成果があったんだ、ということも申し上げ、そして政権が変わったという中で、従来の政府間の合意というのもそのままではなくて、ここでもう一回ですね、きちんと検証すべきではないか、なぜ今の案になったか検証すべきではないか、こういうことを申し上げて、様々な議論をこの2カ月間続けてきたところでございます。

 しかし、アメリカの側が、検証はいいけれども、しかし、日米で合意した案というのは、これは変えられないんだ、ということをずっと繰り返してまいりまして、2カ月間色んな議論をしてまいりましたが、このアメリカの主張は変わらないと。もし、ここは地元でありますが、普天間を辺野古に移すということと、そして、8000人の海兵隊がグアムに行くということと、グアムに行った結果、空いた基地を日本に、沖縄に返すということと、これは事実上一つの、セットになった話であると。従って、8000人の海兵隊のグアムへの移転とか、基地を返すということは、それは辺野古への移転が実現して初めて可能になることなんだと。こういう論理展開で、もちろんこういうことはきちんとそれぞれ条件があってのことになるんですが、理屈上こういう話であるということをアメリカ側としては、一貫して主張してきたわけで、その中でなんとか我々の思い、つまり沖縄の負担を少しでも減らすと、そういう思いが実現できないかどうかということを、この2ヶ月余りアメリカ側と交渉してきたということでございます。

 最近になってちょっと大きな変化があったのは、社民党の党首選挙がありまして、福島さんが再選されたわけですけれども、その過程で、やはり社民党にとってはこの問題は非常に重要な問題だと。したがって政権離脱もあると、そういう話がありまして、ある意味ではそういうこともあってですね、この話は煮詰まった話であるということでございます。ま、こういう不確かなことは…(一部不明)…ちょっと…(一部不明)…たいと思いますが、こういう中でいま、もちろん私も、民主党も日米同盟というのは非常に大事であると。日本の安全のためになくちゃあならないものだという前提で議論していますから、その日米同盟をしっかりと持続していく。あるいはより強くしていくということと、そして、基地の問題をどうするかという、あるいは日米の合意をどうするかという、そのジレンマの中で、我々はいま選択を迫られていると、こういう状況にございます。


 どうぞぜひ皆さんから率直なご意見をいただければ有り難いと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

司会(玉城デニー議員)>有り難うございました。以上でマスコミの皆さんには館外にですね、どうぞまた出ていただきたいと思います。よろしくお願いします。時間の関係があります。どうぞ速やかな行動をご協力お願いします。

 会場の皆さん、今のうちにですね、携帯をマナーモードにしていただければ有り難いと思いますので、よろしくお願いします。それから、申し訳ありません、少し皆さまにはご迷惑をおかけいたします。これだけのメディアの方々がいらっしゃって、実はですね、メディアの皆さんのワイヤレスマイクの電波と会場のワイヤレスマイクの電波が混信しています。先ほどからずっとスピーカーから流れてきておりまして、他のマイクの本数の切り盛りができないためにですね、会場の皆さんの方に予定をしておりましたワイヤレスマイクを回すことができません。申し訳ありませんが、この会場、これだけの人数ですので、できるだけ静粛にしていただきたいということも含めて、ぜひ地声で話を頑張っていただいて、ご協力をたまわりたいと思いますので、よろしくお願いします。

 なお、本日はあらかじめお断りををさせていただきたいと思います。実は外務大臣にですね、要請という形で各方面の皆さんから要請文が届いておりますが、今日は先ほどもお話がありました、衆議院議員として私たちの話を伺いたいということもございまして、この要請文は私がお預かりをしております。後ほど私の方から大臣に後日、整理させていただいてですね、しっかり届けますので、その点をお約束させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 すみません、メディアの皆さん、有り難うございます。なお、会場でのビデオカメラの撮影もお断りさせていただいております。後援会の皆さん、申し訳ございません。カメラのビデオのスイッチもお切りくださいますよう、ご協力お願いいたします。ここからユーチューブに載ったら大変なことになりますので、ご了承お願いします。

 それではですね、二、三質疑応答を、皆さんにご自由に話していただきたいと思います。限られた時間ではありますが、約30分、40分くらいですね。はい、では手を挙げられた方。

我喜屋宗弘>えー、岡田大臣、ようこそ名護市へ、と言うべきなんですが、私たちの名護市は今、ほんとに混迷をいたしておりまして、このまま歓迎のあいさつをすること…(一部不明)たいと思います。私は去った衆院選挙に玉城デニー氏の…(一部不明)…をつとめた我喜屋宗弘と。

 私たち沖縄県は、去る第二次大戦の時に、地上戦があって20万人という大先輩を失った県民でありますし、…(一部不明)…非常にシビアで、非常に惨状が今でも残っています。その中で、私たちの辺野古に普天間の基地を移転するということが議論されてから、もう久しくなりますが、その中で行われた去った国政選挙で、玉城デニー氏…(一部不明)…強く反自公、いわゆる県内移設として基地をまとめることはまかりならん、という点でまとまっているところであります。そして、応援に来た岡田大臣も、それから鳩山総理、マニュフェストにはなかったにしても、答弁としては、県外を、国外をということを言ってます。

 あ、すみません、失礼しました。各応援団体の決意を受けてもらった時に、沖縄県民、名護市民ひとりとして、その言葉を、県外ですね、国外ですね、と確認をしながら私たちも選挙を進めてまいりました。そして、選挙ですでに、私たちとしては県内移設はありませんよ、というふうな集約をされたのが名護市の民意であり、沖縄県民の民意であります。

 したがって、今日私たちにお話をしたという意味から、それははっきりとした私たちの意思でありました。その点については、岡田外務大臣と政府が、私たちから見れば、アメリカのやれという恫喝に脅かされているような雰囲気に見えます。従って、独立国家としてここはきれいに整理をしていただければ大変有り難いと思います。ご意見をお聞きいたします。


西川征夫>私は今まさに海上ヘリ基地が造られようとしている辺野古から来ました。辺野古の住民は私ひとりしかここに入れませんでした。本来ならば、辺野古の住民の前でですね、岡田さんがやってることを説得すべきではないかと、私はそういうふうに希望しているものでございます。

 1996年、当時の橋本総理とモンデールさんが、5年ないし7年の間に普天間基地は移動するというふうに申されてからですね、もうすでに13年なります。県民の頭越しにはしない、というふうに言いながらですね、まったく当時の状況を無視し、色々なアメやムチを用いてですね、わが辺野古に迫ってきております。私たちもですね、本当に民主党には、このヘリ基地問題を解決していただくためにですね、ほとんどの地域の住民が民主党に入れているはずなんです。

 しかし、選挙からすでに3カ月になるんですが、いっこうにそのヘリ基地が動こうという気配が感じられない。われわれ地域住民の中ではですね、反対派や賛成派の中でごちゃごちゃになってしまいましてですね。そうして13年の間に「命を守る会」という住民運動体が結成され、最初の私はその住民運動体「命を守る会」の代表として、現在まで来ておりますけれども、その間、4人の代表に代わりました。そして、守る会の幹部には60代手前にしてストレスから3名が命を失っております。73歳で最後の「守る会」の代表が3年前にお亡くなりになりました。

 それを考えればですね、それは政府としてはですね、速やかに結論を出さないとですね、今後われわれ地域に、辺野古区民がですね、大変なことになる、ということで修復しようにも修復できないいま状況あるわけです。

 先ほど、私はあえて外務大臣とは申し上げませんでした。それはなぜかというと、本来ならば期待を持って大臣にお願いするつもりでございましたけども、今日は民主党の議員ということでですね、そういうふうに申されて、本当にこの問題は通じるかどうか、不安でございます。

 ぜひ、もう一度、時間があるならば、あのきれいな海の前でですね、住民に、われわれ辺野古の住民と一緒になってですね、ほんとにそこの場所にですね、あの巨大なヘリ基地が造られていいものかどうなのかをね、岡田さん自身で確認していただいて、速やかに結論を出していただきたい。そういうふうに願ってお願いいたします。

東恩納琢磨>こんにちは。今日は大臣にですね、プレゼントがありますので、私が撮ったですね、ジュゴンを撮影した写真がありますので、あとでお渡ししたいと思いますので、よろしくお願いします。

 私は基地埋め立て予定地の隣に住んでおります名護市会議員、東恩納琢磨と申します。アメリカでジュゴン訴訟の原告の一人でもあります。…(一部不明)…お願いをしたいと思ってます。もうご存知と思いますけど、2000年にIUC国際自然保護団体でジュゴンを守れという考えの勧告が日本に出されています。あれから3度も出されて、2008年にはですね、アメリカと共同で環境アセスをやれという勧告も出されていると思います。そして、アメリカの裁判では、アメリカの国内法にその埋め立ては違反しているという判決も出ています。

 そういうことからすると、アメリカもやっぱり環境を壊して、そこに造るというのは、環境面から壊して造るというのは懸念を持っていると思います。そして、それを報告としてですね、実は12月2日にハワイでですね、NEC海洋哺乳類学会がありました。その中でも、2002年に哺乳類学会というか、アメリカでですね、日本のアセスは不備な点があるということを指摘しています。そして、当然アセスの狙いということを、そのNECというのはアメリカの政府機関、その政府機関がアメリカ政府にそういうことを言うわけですね。今回の学会にも同様のことを言うということです。

 そういう面からすると、環境の面からすると造るべきでないというのが、大多数の世界の世論であります。どうしてそれを犯してまで、そこを埋め立ててですね、ジュゴンが棲めなくなるようなことになってしまえば、これはアメリカにとっても、日本にとっても、国益を損なうんではないかなと僕は思っています。それよりもあそこは日米両政府がですね、協力してジュゴンの保護区を作る、それが先進国としての役割だと思うし、世界からもその方が信頼される国になるのではないかなというふうに僕は思ってます。こういう観点からアメリカにですね、物を申してほしいなと思います。

 先ほど大臣は合意を取り消すとか、これまでの合意があるからやり直すことが難しいと仰ってましたが、アメリカのオバマ大統領はご存じだと思いますが、ポーランドの協定は見直しています、すでに。ご存じだと思います。ですから、それはやる気だと思うんですね。そういうやる気があるかないかがいま、問われていると思ってます。

 もう一つ、日本の環境アセスにおいては、ご存じだと思いますけど、アワセメント(初めに結果ありきで、それに調査を合わせていく)です。結局、造るためのアセスです。国際常識、国際基準からいえば、アセスをしてゼロオプション、見直すというのも本来のアセスなんです。それをやってないという国。それはヨーロッパやアメリカの人たちもそのことをよく知ってて、だから日本のアセスはよく思ってないというか、信用できないということですね。

 その証拠にオスプレイ(V-22)の配備が明記されていません。もうご存じだと思います。アメリカはすでに、外務大臣は知ってると思うんですけど、オスプレイの配備は踏まえた、と言ってます。そして、そのことを日本政府に伝えています。それを示す書類がアメリカの裁判の中で出てきています。それを日本国民には伏せてます。そういう情報公開をしないままアセスを進めていることが分かった以上、今回やってきたアセスはもう…(一部不明)…合わせにしかすぎないと思ってますし、国外でもこの裁判が伝えています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-131398-storytopic-3.html

 ぜひ大臣、そういうことを鑑みてですね、もう一度この環境を守るという意味で、ジュゴンを守るという意味で、決意されていただきたいなと思います。ということで、この先もお聞きしますのでよろしくお願いします。

司会>はい、有り難うございました。では、ご三方に対してよろしくお願いします。

岡田外相>はい、有り難うございました。この問題を考える際に、白紙でわれわれが最初から議論に参加をして考えられるのなら色んなことが、私も言いたいことはたくさんあります。あの辺野古の海は非常に美しいですね。そこに巨大な構造物を造るということに、私も抵抗感があります。それから、海兵隊というものが沖縄に本当に必要なのかどうかと、あるいは米軍再編とはいったいどういう位置づけの問題なのかと、いうようなことを、きちんと議論をして積み上げていって、そして日米の結論に達するというのが本来だと思います。

 ただ、極めて不幸なことですが、2005年の時点であれば、そういうことも可能だったと思いますが、日米で一定の合意に達したあとにわれわれは政権与党の座についたということであります。いやオバマ大統領だってポーランドのMDについてですね、キャンセルしたじゃないかと、そういう言い方はありますけれでも、われわれもそういう主張はもちろんしたわけですけれども、しかし、日米合意というのは交渉を積み重ねて積み重ねて合意に至ったものですから、政権が変わったからといって簡単にキャンセルできるものじゃない。

 最初に私がヒラリー・クリントン長官とニューヨークで話をした時に、われわれは実質的に50年ぶりの政権交代であると。従って、色んなことが変わることは当然あるし、あるいは時間ももらいたいし、そういうことはきちんと分かってもらいたい、というふうに言いました。クリントン長官も、政権が変わるというのは大きなことなので、そのことは理解している。

 そういう中で実は、日米合意についての検証作業、なんで今の案になったのか、つまり普天間を辺野古に持ってくるという案になったのかという検証作業は、やりましょう、という合意になって、以来対応してきたところです。最初は日米それぞれでやってきたわけですけれども、この前のオバマ大統領が訪日される少し前に私とクリントン長官、ルース大使との間の合意で日米共通してワーキンググループを作って…(一部不明)…で検証作業をしていく。で、その検証作業をいまやっているという状況です。

 ですから彼らがこの間ゆずらなかったのは、白紙にするんじゃないよと。いまの案を前提にして、なぜいまの案になったのかという検証ならいいけれども、それを白紙にしてゼロから議論するというのはアメリカは呑めないよと。そういう中で、妥協案がいまの検証作業なんですね。そのことについてはあえて触れず、とにかくなぜなったのかということを検証すると、そういう位置づけの中で様々なことを議論してまいりました。

 まー2ヶ月間やって、日米同盟を非常に重要視する立場の人たちからは、日米同盟が極めて危険な状況に今なってると、日本政府はいったい何してるんだと、こういうご批判もいただいております。私は多少こう揺れがあることが、政権が変わった以上やむを得ないことだと思って、かなりやってはいましたけれども、時間もずいぶん経っている。そういう中でですね、来年度の予算案、アメリカの予算案を決めなきゃいけない。政府の案というのはかなり削られた状態になっていましたけれども、それをどうするのかという、そのぎりぎりのタイミングにいま来てると、いう中で日本はどうするんですかと、いうことを突きつけられていると、いうことであります。

 社民党が政権離脱を言いましたので、年内がかなり厳しくなってきました、結論を出すということについてはですね。それに対しても昨日(4日)、日米間で議論した時に、私は年内にできるだけ結論を出したいと思うが、客観的状況は非常に厳しい。北沢大臣も年内は事実上難しくなってきたというふうに言いました。ただし、アメリカ側からは、それで日米合意したことが守られないということなれば、これは重大なことになると、こういう話であります。

 少なくとも言えることは、8000人のグアムへの移転と、その結果としての基地の返還という話は決まりまして、それだけではなくて日米、例えば普天間協議とオバマ大統領との間の非常に高い信頼関係、議会の対応についてですけど、それも、非常に、その信頼感というのは損なわれますよと、いうことも含めてですね、かなりな反応が返ってきているわけで、そういう中で日米同盟というものを、きちんと持続していかなきゃいけない。北朝鮮の問題もあります。いろんな…(一部不明)…の問題もあるでしょう。そういう中で、日米同盟をきちんと持続していく、あるいは強化していくという立場からすると、私はその立場ですが、非常に厳しい状況にいまなってると、いうことであります。

 少なくともこういうことで結論がずっと出ないということになると、あるいはこれから新しい所を探すということになると時間がかかりますから、その間普天間のいまの状況が続くかもしれない。元々はこの普天間の危険な状況をなんとか除去したいということからスタートしたことから考えると、結局、本所がこれからまた続いていくと。そういうことで果たしていいんだろうかと、こういう問題もあるわけであります。いまこういう状況の中で色んな手を尽くして、どうするか、総理ともよく、意見調整をいま、させていただいているところですが、非常に苦しい、厳しい状況だということであります。

司会>はい、有り難うございました。

大城敬人>私は名護の市議会議員で8期31年、もう議会で粗大ゴミになってます(笑)。あなた方が無血クーデターで政権交代されたんで、非常に期待しておる。期待してまいりましたが、先ほどからありますように、今日、普天間に対する岡田外務大臣の無礼を感じまして、これは大変だと思いましてですね、今日はどうしてもきっちりさせておかなければならない。二、三ですね、ぜひご検証をいただきたいと思うんです。

 一つは、私がいつも考えていることはですね、どうして日本人1億3000万人の安保を沖縄県民130万人が担わなければいけないのか、というのを常に私は疑問なんですよね。というのは、64年前に戦争に負けて、27年間われわれは本土から離れて、われわれは異民族の支配で、軍事優先で、辛苦をなめてきました。この思いは、岡田大臣は重々承知していると思いますが、岡田大臣は三重県の出身です。基地がないですね。私は伊勢の志摩のですね生牡蠣、とても美味しくてですね、向こうに行って食べたことがあるんですよ。ああいう美しい自然にですね、普天間の移設をしたらどうか、というようなことを考えられたことがあるのかなと。ときどき思ったりするんですよ。

 そう申しますのはですね、この間キャンベルとお会いしたでしょう、私は2005年の2月3日に当時CSIS(戦略国際問題研究所)の副所長時代にキャンベルさんに会ってですね、1500メートル(滑走路)の移設問題に私は名護市から反対の議員としてまいりましたということでお会いしました。その時に彼が言ったのは三つだったんですよ。環境問題と住民運動とコストが高い。だから大城議員、8月には断念です。それに大変期待して帰ってきたんです。

 ところが今、岡田大臣が言われましたように、この検証していただきたいのは、なぜ1500メートルが今の案になったか、というところですよね。ここはですね、非常に曖昧です。いわゆる1500メートル断念と言いませんでした。2005年の10月29日にですね、米軍再編ロードマップの中間報告ということでね。

 橋本さんが来てモンデールとできたと、あれはぬか喜びですよね。ところがですね、お訊きしたいのは、その中間報告があった10月29日の2日後の10月31日にですね、辺野古区の最高決議機関である行政委員会がですね、4つの項目で全会一致で反対決議をしてるんですよ、地元が。これをですね、ずっと無視された。名護市民はご承知のように1997年の市民投票を無視された。こういった点で民主主義の手法からすればですね、当然のこととして地元が最高決議機関で反対している。名護市も反対している。であるならば、当然これはですね、ルールとしてはそれを尊重すべきだと思うんですが、今日までこれはまったく無視されてきています。

 そのことについてですね、岡田大臣は承知されたのどうかということと、それからですね、私は岡田大臣がどういう信仰を持っているか知りませんが、実はこれはですね、今度のアセスで出たですね、後出しジャンケンのですね、アセスなんですよ。なかったことを全部出してきましたね。ここに何があるかというと、辺野古川の入口のここですね、私の信仰のメッカなんです。沖縄は祖先崇拝なんです。1990年の…(一部不明)…にですね、私は12月に栗原セイジロウさん、あの当時の副官房長官、彼に総理官邸でこれをお見せしてるんですね。これは私の祖先のお墓なんです。ここはシーミーと言ってですね、沖縄の行事で祖先崇拝します。そこにこういう安眠妨害する基地を造るということは、命をかけて反対しますよ。沖縄県民はニライカナイという信仰的なものもあるし、こういう沖縄の幸せを奪うのであれば、県民全部たたかいすよということを13年前に申し上げたんですよ。

 ところが、私どもはこういうことでね、大事にする祖先のお墓の上をですね、こういう人殺しのヘリコプターが飛ぶというこは許されない。こういうことをあえてやるのかという問題があります。

 それからですね、今日はパネルもいっぱい持ってきたんですけど、実は今日ですね、入場制限がされておりまして、(会場内には)辺野古の人は一人ですが、外の方に86歳のひめゆりの生き残りの宮城清子先生や、糸満で戦禍にあって火傷している島袋文子さんとか、入口でずっと待っておられるんですよ。大臣に会いたい見たいし、話しもしたいと。入れなかったんです。それで私は代わってこうしてですね、申し上げてるんですが、そういう意味からしまして、この前県知事が鳩山大臣に出したように、いま辺野古の部落は四面楚歌ですよ。実弾射撃演習場、エセックスが来て(ヘリが)飛び交う。一昨日の夜、午後11時まで無灯火で国立高専のすぐ後ろ側で離着陸をやってるんです。

 それだけではありません。廃弾処理でですね、ここに来られている人は、はい分かります、廃弾処理で民家にひびが入って、いまだにそれが回復されない。とにかく、辺野古の周辺は朝4時からの早朝からの実弾射撃演習やですね、ヘリコプターは騒音が深夜まで。そういう環境の中でさらにですね、今回こういう基地ができたらどうなるか。生活環境が全部破壊されますよ。現在(辺野古の住民が)1500人に対して6400人の米兵が来る。キャンプ・シュワブの人口がそうなる。大変なことになりますね。殺人事件も起こってますよ。

 これはですね岡田大臣、やっぱしですね、時間がないとかこういう問題じゃないんですよ。アメリカでは市民投票で反対決議をしたらストップしたじゃないですか。そういう例から見ればですね、日本国の大臣としてですね、やっぱし国民の問題を大事にしていただきたい。アメリカとの問題で独立国としての主張をしっかりしていただきたい。そうじゃないとですね、…(一部不明)…と思うんですよね。先程来からのお話を伺うとですね、なにか…(一部不明)…があるとかですね、そういう問題じゃないですよ、われわれは。64年間、苦しみに苦しんでるんですよ。県民は基地の重圧で苦しんでるんですよ。

 そういうことをですね、岡田大臣どこまでほんとに…(一部不明)…てるのかですね、非常に私、疑問なんです。ぜひお答えいただきたい。われわれの思いは通じてるのかなと。年寄りを排除してですね、入れないということは、こういう思いがあるんですよ。入って来れないで寒い中で待ってるんですよ。

渡久地知佳子>すみません、名護市の渡久地と申します。私たち家族ずっと12年間反対運動してるんですけど、その12年前の市民投票の時にこの子が生まれました。こんなに大きくなってます、もう12年経ってますので。ずっと私たちの反対運動に一緒に連れて歩いてます。なぜならば、この子たちの未来がかかったことなので、私はすべてを見せてきました。今日は岡田外務大臣に会いに行くよ、と言ったら、僕も言いたいことがあるというので連れてきました。ぜひ聞いてもらえますか、お願いします。
(拍手)

渡久地武龍>僕は名護市立小学校6年の渡久地武龍です。僕が生まれた年に行われた市民投票で、基地は造らないと約束されました。これはとても大切な約束です。岡田外務大臣、約束は必ず守ってください。大浦湾や辺野古の海は僕たちにとって大切な海です。僕たちの海や僕たちの未来を絶対壊さないでください。よろしくお願いします。
(拍手)

渡久地武清>あのー嬉しいです。ほんと今日嬉しいんですよ、岡田さんここに来てくれて、話し聞いてくれるんだなーと。私、いま仕事の合間抜けて来ました。見てください、この子がこんなことを言うために、私は育てたんじゃない。あの、ほんとに家族らしく、年から年中このことばっかしですよ私は、頭の中が。普天間の人がどうなったか分からないからここに移す、これは…(一部不明)…ですよ。私たちもここに住んでるんですよ。これから一生住まないと、おじいちゃん、おばあちゃん、移させた人も、これからここで、環境、色んなもうすごいですよ。こういうとこで、この子は育てていこうと思ってます。これからも、家族。

 で、いま部落でも二分されて、もう顔も見ないぐらいですよ、目も見ない。それで話し合うんですよ、部落の行事なると。西川さんがこう言いました。辺野古だけじゃない、この地域まっぷたつ、宜野座、もう点々と、基地のある所どこでもそう起きてます。

 私はだから、これから先、子ども育てていかなきゃならないし、生活もあります。この基地の問題が起きてから、私どこで仕事してると思いますか。まあ、これはちょっと言いますけど、こういう関係してるから、土建業の仕事もらってるんですよ。んだ、干されて仕事もらえない。どこで仕事するかといったら、名前も顔も売れてない所ですよ。でも子どもを守るために顔を出さなければならない。なんとか、こんな中でも一生懸命やって、命あってこそ仕事できるんだということがねー、分かりよったわけです。家族で育って、今日もぜひやってくれと、デニーさんにお願いして。いまも…(一部不明)…んですよ。この間も伊是名まで行ってきました。こういう所まで仕事をしながら生活をしています。単価も下ろして。

 絶対私はここに基地造らしたら、…(一部不明)…一生恨みます。この子にも継いでもらいます。この基地を絶対に許すなと。この子どもたちよ、絶対に許すなと。そういうふうに私は覚悟を作ります。私はそういう気持ちでいまも、運動ではない、生活するための術だと思って、私は頑張ってます。反対運動じゃありません。命を守るためです。

 だからいま、岡田さんも来てくれたんですから、せっかく、こういった生の声を聞いてください。皆さんもねー、ほんと私ぐらいですかね…(一部不明)…、そういった人たちも呼んでですね。傷つけられて痛い人たちもいると思います。この人たちの話を聞いてもいいんでないですかね。こういった話がどうなるかというのをね、ちょっと考えてもらって、ぜひともこっちに造らさないで、できたらもうアメリカ。さっきから言ってました、ほんとに。時間なんてどうだっていいんです、13年間わったーこっちで生活してきたんです。造らないでくださいと。明日、明後日のことは待ちます。決は出さずに、こういった人たち、私たちみたいな話を聞いて、ちゃんと、造らさないでよかったという、気持ちになってください。お願いします。ぜひとも。
(大きな拍手)

司会>では、お二人にお答えしたいというふうに。


岡田外相>まー、あのー、沖縄は本島部分では二割が基地ということで、それはもう日本の中でも他にないことですね。そのことは、われわれも十分分かっています。私は外務大臣になる直前に『世界』という雑誌にインタビューを受けて、その時に申し上げたんですが、うーん、やはりそれは沖縄の地が戦場になりね、そして、占領されたということがなければこういうふうにはなってないわけですから、まー、そういう戦後の沖縄の悲惨な歴史の延長線上でいまも、基地がこれだけある沖縄というのが存在していると、いうことですね。それは分かってるつもりです。

 でー、そしてこういう状況がほんとにいつまで続けられるのかと。私は最初に外務大臣になった時に、クリントンさんに言ったんですけども、やはり30年、40年、いまの日米同盟というものをより強くして、持続可能なものにしたいと、それは私の信念です。しかし、そのためにはですね、基地の問題を、負担の問題もしっかり議論していかなきゃ、そういうことにはならないと、いうことも申し上げたところであります。

 えー、実際、いま日米間で様々な議論をしてるんですが、例えば地位協定をこれからどうしていくかとか、ま、これも簡単な話じゃないんですけども。あるいは日本に返還される予定の米軍基地について、どういうタイミングで返すのかと。あるいは嘉手納、普天間の騒音の問題、あるいは訓練について、なるべく負担を減らすためにはどうしたらいいのかと。そういうことをいま真剣に議論しているところであります。

 ま、今度政権が代わったから、そういうふうに変わったんだと。いままでそんなこと、あんまり真面目に真剣に議論してきたって話はあまり聞きませんので、それは政権が変わったから、そういうこともあり得るということで。

 ただ、いまのお話を聞いておりまして、ほんとにこのー、普天間の基地の辺野古への移設の問題に、ずいぶん長い間、地元で反対してこられた方から見ると、大変な思いがあると。ただ、少し負担を減らしてやると、やはり、日米安保、日米同盟を前提にするとどっかに基地は必要だと、いうふうに私は思います。もちろん、その基地がいざ来るとになった所に、負担が過重にかからないようにしなければいけないと、いうふうに思いますけども、しかし、日本に基地が必要だという前提になれば、どっかがそれを引き受けなければいけない、という問題。それは率直に言ってですね、避けられない問題であるというふうに思います。

 もちろん、その当事者になったら、とんでもないと、なんでここなんだと、ま、そういうふうになるとは思いますが。ま、そういう中で、色んな話し合いを経てですね、そして日米間でよく…(一部不明)…ができたということであります。それをどこまで考えるかということをいま議論しているわけですが、なかなかその余地というのはそう大きくないというのが今日の…(一部不明)…までの結論でございます。もちろん、いますぐ、じゃあ合意だからといって、日米両国政府でこうしましょうと、そう簡単に決められない問題であることも分かっていますけども、実は沖縄の皆さんのご意見を聞かせていただきまして、まーしかし、なかなかそれに代わるですね、答えがいま見つかってないと、結局はそうです。

岸本洋平>こんにちは。地元の名護市議会議員をしている岸本です。先ほど日米同盟の話もありましたけども、シャルル・ドゴールフランス大統領が、超大国に共に歩む国の将来の危うさということを話していて、そういうこともしっかり心に置きながらというか、勉強しているところですが、1月には首都圏の方に行きますので、ぜひ…(一部不明)…。それからあの、先ほどV事案の検証をしてきたということでしたけど、L字からV字になった経緯について、どのような見解なのかお訊きしたい。

浦島悦子>私は基地が予定されています大浦湾沿いに住んでます住民で作ってる「ヘリ基地いらない二見以北十区の会」の浦島悦子と申します。先ほどから色々お話がありましたが、私たち13年間ほんとに苦しい思いをしてきました。

 なぜ地域のお年寄りが基地はいやだって言うかというと、沖縄戦の体験の中から、あのような苦しい思いを二度と子や孫に味わわせたくないという強い思いと、それから、焼け野原になって何も食べ物がない時に、夫を亡くした女性が海の物を採って子どもを育てられた。命の恩人である海を基地に売ったらばちが当たると口癖のように仰るんですけど、そのような思いで13年間反対してきてるわけですね。

 しかも、その中で自公政権による様々な脅しとか、お金とか色々な形で地域がずたずたにされてきました。ほんとに来て生活していただいたら分かると思うんですけど、過疎地です、私たちの所。過疎地でいままで声を上げても、どんな生活の不便を声を上げても、全然改善されなかったのが、基地問題が起こってから、防衛庁あるいは防衛省に頼めばなんでもやってくれるという、物凄くおかしないびつな構造があるんですね。そのために当初は地域一帯となって反対していた、地域のリーダーの方々を中心にして条件付き賛成というふうになっていって、そして、そのために地域の住民が物を言えないっていう状況にさせられてきた。

 でも、ほんとはみんな基地は造ってほしくないし、もし来たらほんとにこの地域にこれ以上住めるんだろうかという不安を抱えながら、毎日生活してます。その中でほんとに、民主党政権が誕生した時に、これで私たち救われると思ったんです。これまでの苦しい思いを、民主党政権が私たちの上に重くのしかかっている暗雲を取り除いてくれる。特に岡田さんの発言は、私たちにとって物凄い力になるものでした。それがいま、このようにして辺野古しかないって、私は実はこの集まりも、結局は辺野古に持っていくよという結論を出すためのアリバイづくりに私たちは利用されているだけかなと、はっきり失礼ですけど、そういうふうにも思ってました、一部では。

 でも、もしかしたら私たちの思いを受け止めて、そうでない道を探してくださるかもしれない、13年間の思いに比べれば、私たちはほんとにさっき渡久地さんたちも言いましたけど、待ちます。何年でもって、とにかく13年間はかからないと思います、結論出るのにですね。早急に結論は出してほしくないです。

 もう一つ私不思議なのは、県外・国外って仰っていたからには、何か根拠があったんだろう、どこかそういうことを検証されていたんじゃないかというのがあったんですけど、それが一つもなされていない。県外の例えばこういうところが候補地として上げられてると。でも、ここはこういうことがあってなかなか難しいとか、そういうお話がいっさいありません。そこが不思議でならないんです。だからたんなる県外・国外というのは、選挙のためのリップサービスにすぎなかったのかという、非常にがっかりした思いをいま抱いてます。

 ここに来ている皆さんは、みんな同じ思いだと思うんですね。なぜ…(一部不明)…だけがそういう思いをしなければいけないのか。私たちよりアメリカの方が大事なんですか。私たちは同じ日本国民です。どうかその辺を考えていただいて、ぜひ辺野古には決めないでください。お願いします。
(拍手)

司会>では時間の関係上、岡田衆議委員からの発言にしたいと思いますが…、あ、おひとりだけ、短めに。

稲嶺進>稲嶺進と言います。これまで多くの方々が、思いをいっぱい出して訴えました。この名護市は97年の市民投票以来、13年も…(一部不明)…あったような状況を、これまでずっと基地問題に翻弄される中で生きて、生活をしてまいりました。このことは名護市の色んな行政面に、非常に大きな影を落としてですね、街づくりが非常にいびつな形で進められるという状況にもなっています。

 この市民投票で出された結果と同じように、最近のマスコミの評価でもですね、7割以上の皆さんが、県外移設という新聞での報道もなされました。このことは、先ほどから皆さん仰ってるように、まさしくこれこそ名護市、あるいは沖縄県の皆さんの民意でありますので、ぜひそのことを真摯に受け取っていただきたいと思っております。

 辺野古の海には新しい基地はいりません、というのがいまの皆さんの思いであります。名護市にはもうこれ以上の基地は、もういらないんです。命よりまさるものはないという、これ以上いらないということが、先ほどからの皆さんの意見で、そのことをしっかりと受け止めていただいてですね、皆さんの意思に答えるような結論を出していただきたい。

 先ほど来年1月の市長選挙もありましたが、今回もまた基地問題が争点になります。いつまでこのようなことが続けばいいんでしょうか。もうこれだけにしたい、もう終わりにしたい、それが本音であります。(拍手)

 この辺野古への基地建設はですね、もうぴったりと最後にするということをですね、しっかりと政府の方で、県民に、国民に対して明言をしていただきたい、とこう思います。実は、今日、多くの皆さんの意見、思いなどもですね、実はここに現状、苦悩、思いなどをしたためた物を持ってきたわけですが、そのことをここでは沢山は申し上げられませんので、あとでこれをお渡しをしたいと思いますけれども、ぜひ今日ここに来られてる皆さんの思いを受け止めていただきたい、というふうに思います。

 最後に、どうぞ辺野古には基地を造りません、というお言葉をいただきたいと思います。よろしくお願いします。
(大きな拍手)

司会>それではよろしくお願いします。

岡田外相>まずあのー、先ほどのお話に出ましたけれども、本来、基地を造るかどうかという話、あるいは日米同盟という話は、国の話なんですね。ですから国が決める話を、名護市の市民の皆さんが長きに渡ってですね、…(一部不明)…分断を強いる形になっていたことは、ほんとに申し訳ないことだというふうに思います。これは本来国が責任を持ってやらなければいけない話だと思います。

 そして、先ほど7割が県外というふうに世論調査の話がありました。私もそのアンケートは何回か目にいたしました。それはその通りであります。しかし、それはあの県外か県内かと言われれば、多くの方が県外を選ばれるのは当然だというふうに思います。しかし、もう少し現実にやる…(一部不明)…していくと、県外ということは、もちろんわれわれも様々な検証はいまやりつつありますが、しかし、すぐですね、えー、…(一部不明)…滑走路がすでにあって、しかも民間では使わないというようなものは、それは…(一部不明)…しかありませんからね、現実に県外といってもですね、それは時間がかかることは間違いない。地元の説得も必要になってきます。それだけに沖縄の…(一部不明)…それは今の普天間の状況がその間、いまのまま続くということでもあります。 そのことについて…
(会場内騒然として聞き取れず)

ヤジ>(普天間の)地元の皆さんは名護に反対してますから。

岡田外相>地元の皆さんがどうなのかという話……

(ヤジで聞き取れず)

岡田外相>ですから、単純に県外がいいかどうかという質問の立て方ではなくて、そういった普天間もその間、固定化しますと。あるいは7000人、8000人の海兵隊の海外への移転というのは、まさにアメリカもこれ、簡単には認めないとなるでしょう。そういうことも含めて判断した時に、どうなのかと訊けば、それが7割になるかどうかというのは議論になると思います。

ヤジ>いやもう、県民を恫喝してるだけですよ。

ヤジ>辺野古なら簡単にできるんですか?

ヤジ>辺野古ならいいんですか?

岡田外相>そういうことを言ってるわけはないです。

ヤジ>そういうふうに聞こえるんですよね。

岡田外相>7割の理由について言ってるんです。

ヤジ>いや、だからそういうふうに聞こえました。

岡田外相>そういう中で、妥当的な判断をしていかなければいけない問題だということを、ここはぜひ…(ヤジで聞き取れず)、…分かっていただきたいということで、だいたいそういう考え方でいま議論しているということであります。

ヤジ>どこにでも造ってはいけない。

ヤジ:大臣が分かってないんだよ。

岡田外相>もちろん、地元の反対をしてこられた皆さんの(ヤジが飛ぶ)気持ちは納得されないというのは分かりますけど。

ヤジ>県民いじめですよ、いや、反対でない、県民ですよ、県民、命ですよ。

ヤジ>あと20年かかってもできませんよ、辺野古では。

ヤジ>できないね。

ヤジ>普天間の人は、伊波さんもですね、名護市にやってくれとは言ってませんから。

岡田外相>大前提として、いや、あの、普天間潰せばいいと、いう話はわれわれはこれ前提には立たないと、これははっきり申し上げておきます。日米合意は重要であると。そして、普天間の機能はどこかに必要である。それは我々の議論の前提ですから。そういう議論の前提のところで違いが分からないと…(ヤジが相次ぐ)。

ヤジ>日米合意がなぜ重要なのか…


ヤジ>ちょっと大臣、伊波市長は名護市に反対してますよ…

司会。えー、時間が来てますので…(会場が騒然として聞き取れず)、…これは…(一部不明)…ということでの、市民集会ですので、それでは閉会の…(一部不明)…まとめさせていただきます…(会場内騒然)。

ヤジ>今日の集会が…(一部不明)…アリバイになったら困りますよ。われわれをアリバイに利用したら困りますよ。

ヤジ>うんそうだよ。

ヤジ>時間かけて検討せー。

(ヤジで会場内騒然)

ヤジ>何言ってるか(怒声)。

ヤジ>鳩山総理大臣がやってきたんですよ…

司会>えー申し訳ありません。今回は時間の制約もあってですね、自由な意見とか色々あるということも分かりますけど…(ヤジで一部不明)…かなり、いまの状況の説明はある程度、すみません、できたと…(マイクが割れて聞き取れず)…、伝えたいと思いますので、ぜひそのことを確認させていただきたいと思います。

ヤジ>普天間が…(一部不明)…と声高に言うのはね、脅しになりますよ、県民に対する。

岡田外相>いえ、私は脅しと感じておりませんから。

司会>今日はどうも有り難うございました。

岡田外相>皆さんの貴重なご意見をいただいて、そのことは大変、私にとりましても非常に勉強させていただいたと、いうふうに思っております。ただ、私は日本の外務大臣として、日本全体の安全ということを…

ヤジ>沖縄を犠牲にしてもいいのか。沖縄は。

岡田外相>もちろん、もちろん、沖縄のことも考えているからこそこれだけ、われわれ苦しんでいるんであって…

ヤジ>当然ですよ、当然ですよ。

岡田外相>ですからそういうことをね、ご理解いただき、これからわれわれが結論をどうするかということは、いまの時点では決めておりませんけれども、沖縄の皆さんの声、今日お聞かせていただいた声を、そういった声も、十分に念頭に置かせていただきながら、決して容易な決断ではないですけれども、最後は、わたくし外務大臣、そして鳩山総理、それぞれの責任で決断をさせていただきたいというふうに思います。もちろん、…(一部不明)…そういう決断になるということではなくて、皆さまの様々な声を聞かせていただいた、その結果としての決断を…(一部不明)…しなければいけないということも、ぜひご理解をいただきたいというふうに思っております。本日はどうも有り難うございました、ご意見いただきまして。

ヤジ>岡田さん、沖縄だけ犠牲にしないで下さい。

(会場内騒然)

司会>恐れ入りますが時間が時間を過ぎておりますので、この場での交流集会は閉じてきたいと、時間の都合上…(騒がしくて聞き取れず)…、こういうふうにさせていただいたのも、できるだけ多くの人の皆さんに、市民の方も…(一部不明)…方もいるわけですから、そういう状況の中でさせていただいたということ。また、…(かなり不明)…、こういう機会があればぜひ…

ヤジ>何回でも来てください、大臣。何回でも来て。

司会>よろしくお願いします、はい。有り難うございました。どうも拍手でお送りください。有り難うございます。

(拍手およびヤジ)

ヤジ>大臣、大臣…(騒がしくて聞き取れず)…違うルートからの情報も聞いて判断してください。偏った情報だけを聞いてるんじゃないですか、大臣は。

騒然とした中、岡田外相と市民との「対話集会」終了


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テープを文字に起こされた方の感想です。

 5日に行われた岡田外相と「市民との対話集会」の録音テープを起こしてブログに載せたら、かなりのアクセスがあった。多くの人がこの「対話集会」に関心を持っていたことを認識させられた。

 テープを起こしながら感じたことを少し書いておきたい。

 発言の中に「…(一部不明)…」とあるが、大半は時間にして1~2、3秒、単語にして1~数語レベルである。最後の7でヤジが乱れ飛んで会場が騒然としたところでは、司会の発言が数秒ほど聞き取れないところがあった。それ以外は(一部不明)といってもごく短いものである。岡田外相をはじめ参加者の発言を誤って記述しないように注意を払い、私なりに正確に聞き取れた範囲内ですべて文字化したつもりである。もし実際の発言と違いがあれば、私の聞き取りミスである。

 後半、岡田外相の発言で「…(一部不明)…」が増えるのは、音声が小さくなって前半より聞き取りづらくなったためである。マイクを使っていない参加者の発言の方が、岡田氏より聞き取りやすくなっている。これは私の想像だが、外部に音声が漏れないように、岡田外相の使っているマイクの音量が途中から絞られたのではないか。実際に会場内にいたわけではないので断定はできないが、録音テープを聴いている限り、冒頭のマスコミ取材を許可した部分と、後半の岡田外相の発言には、音量にかなりの差がある。参加者の発言と比べても、これは録音状態の問題ではない。

 それと併せて疑問に感じるのは、参加者の発言にマイクを使用させなかったことだ。マスコミのマイクと混信するから、という理由は本当だろうか。地声でも聞こえるように静粛にしてほしいと司会が発言しているが、これも参加者の発言が外部に漏れないようにという考えから、意図的にマイクを使わせなかったのではないか。民主党県連・3区支部はあらぬ憶測だと否定するだろうが、会場を密室化した対応を見ると、そのように疑ってしまうのだ。

 ヤジについては、それも参加者の大切な発言だと考え、聞き取れたものはできるだけ載せることにした。声が錯綜して聞き取れないものが多く、実際のヤジの数は載せた数の比ではない。会場の騒然とした様子を聞きながら、民主党県連はそれを予想し、見せない、聞かせない、という方針で「対話集会」を取り仕切ったのだろうと思った。しかし、それは狙いとは逆の結果をもたらしただろう。

 政治家が市民と「対話集会」を持つことは大切なことであり、積極的に行われるべきだ。今回の「対話集会」にしても、もっと広い会場で市民に自由に参加してもらい、マスコミにも公開していたら、アリバイづくりという批判はあったにしても、「対話集会」自体を評価する声はもっと大きくなったはずだ。情報公開を主張してきた民主党が、このように非公開の密室化した「対話集会」を行うことにより、むしろ不信感と反発を増幅させたのである。その結果として岡田外相や民主党への評価を下げたことは、明らかに判断ミスであった。

 「市民との対話集会」全面公開1~7を読めば、名護市民一人ひとりの発言から13年間の切実な思いが伝わってくると思う。実際に声として発言を聞くと、その切実さは文字化されたそれよりずっと強く伝わってくる。司会の玉城デニー議員は〈ユーチューブに載ったら大変なことになる〉と発言しているが、そんなに市民の生の声を封じたかったのか。

 しかし、岡田外相は自らの耳で、限られた数とはいえ名護市民の声を聞いた。その声の背後にはさらに何十万という沖縄県民の声がある。それを踏みにじって、日米同盟強化のために、辺野古への新基地建設を強行するつもりだろうか。

 今日の最新ニュースでは、鳩山首相と岡田外相、北沢防衛相、前原国交・沖縄相が話し合いを持ち、鳩山首相は今月18日までに政府方針を出す意向という。沖縄に負担と犠牲を押しつけて「日米同盟」が維持・強化されると考えるなら、大きな間違いだということを、鳩山首相や岡田外相ほかの閣僚は肝に銘じておくことだ。

外相の県民対話 危機煽るだけでは情けない琉球新報社説
2009年12月7日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-153847-storytopic-11.html

 県民の願いに、誠実に応える柔軟性や展望はあるのか。岡田克也外相の言動は、疑問だらけだった。
 「住民との対話」を掲げ就任後2度目の来県をした外相だが、米軍普天間飛行場問題について、行く先々で県内移設合意の不履行による「日米同盟の危機」を強調した。聞き役ではなく、まるで官僚に操られた“危機煽(あお)り役”だ。

 県民は戦後64年間の基地とのかかわりの中で、何が現実的で、何が非現実的かを理解している。

 公共事業など基地がもたらす恩恵は限定かつ一時的であるが、基地被害などの不利益は広範かつ長期に及び、基地は固定化する。

 米軍が兵士の綱紀粛正、騒音防止措置など住民生活への配慮を徹底すると言っても、米軍絡みの犯罪や被害はなくならない。

 国の天然記念物ジュゴンなど希少生物や豊かな自然をはぐくむ辺野古の海への新基地建設に、国内外の環境保護団体が異議を唱え、国際世論も辺野古移設を許さない。

 「辺野古合意が最善」との考えには根拠がない。日米両政府は沖縄の戦略的重要性を誇張し、米海兵隊の駐留に執着するあまり、日米関係が深化ではなく劣化しかねない現実こそ直視すべきだ。

 鳩山由紀夫首相は自民政権と官僚が営々と築いてきた対米追従外交に風穴を開けるべく、まずは閣内の意思統一を図るべきだ。普天間撤去こそが現実的で、日米関係への信頼を改善し、日米両政権の価値を高める道だ。

 岡田外相は衆院沖縄4区の議員懇談で、米側が辺野古にこだわる理由について「オバマ大統領が米国内で支持率が下がっている中、議会から対日交渉で弱腰だとの批判を避けたいのではないか」と推察した。国民よりも米国の意向に顔が向いた情けない発言だ。

 米政府高官は普天間問題の越年について「懸念は伝えたが、日米関係は成熟している。日本は最も重要な同盟国の一つだ」とし、国務省のケリー報道官も「米国は日本政府の見直し作業を喜んで手助けする」と述べた。日本の官僚が民主党の「県外・国外移設」方針に待ったをかけ、執拗(しつよう)に「日米同盟の危機」を煽る姿とは大違いだ。

 鳩山内閣は普天間撤去へ向け、政治主導の真価を発揮する時だ。鳩山、オバマ両首脳が特使を派遣し、政治主導で打開を探るぐらいの強い指導力が必要だ。