2009年3月23日月曜日

【雑誌記事】 米TIME(小沢一郎)

表紙:「独りでも闘う男(The Maverick)」

独占インタビューで小沢一郎は、どうやって日本をリードし、チェンジしていくかを明らかにした。ただ、日本は彼についていけるか?

小沢一郎氏:「日本を救いたいと願う男」
米TIME(タイム)誌 マイケル・エリオット国際版編集長、ココ・マスターズ東京支局長(東京)
2009年3月23日付(紹介記事は下記関連記事参照)

 民主党の小沢一郎代表は、実務的な仕事が性に合っていて、「賑々しい表舞台に立つのはそれほど好きではない」と話す。しかし、これからは脚光を浴びることに慣れる必要があるだろう。現在の世論の動向が持続し、もし(大きな「もし」の話だが)日本で最近明らかになった政治献金のスキャンダルで致命傷を負わなければ、小沢代表はもうすぐ日本の次の首相に就任するかもしれない。衆議院の総選挙は、9月10日までには実施されることになっている。しかし、東京の観測筋は、選挙は早ければ5月24日になることもあると見ている。その日は奇しくも小沢代表の67歳の誕生日である。民主党が現実に自由民主党に代わって政権を担うことになれば、それは歴史上、画期的なことと言わなければならない。自民党は日本の戦後政治体制が固まった1955年から(1993年のごく短期間を除いて)常に日本の政治を牛耳ってきた。今回の選挙の結果次第では、単に野党の旧来の指導者ではなく、日本の政界の舞台裏で20年近く辣腕をふるってきた異色の政治家が政権の座に就くことになる。その小沢代表は、自民党をひどく嫌い、日本がその持てる力を十分に発揮するためには、国とその政治の在り方を変えなければならないと従来から主張している人物だ。

 日本人に変化が必要だと納得させるのは、容易なことではない。しかし、国が斬新な理念で政治に取り組む人物を緊急に必要としているという正にそのために、小沢代表はいま、待ち焦がれた政権に手の届きそうなところにいる。世界規模の不況は、他のどの先進諸国よりも深刻な打撃を日本に与えた。輸出は激減し、日本経済は10%以上も収縮し、国内の大企業は浮き足立っている。「現状を維持する」姿勢が解決策として今ほど見当違いである時代は滅多にない。けれども、自民党は信頼するに足る景気回復への取り組みを示すことができないように思われており、国民は金で動く政党のその場しのぎの対策と失策にうんざりしている。

 日本は旧態依然とした政治家をご用済みにすることを切望しているように見える。しかし、小沢代表は見かけほどに、実際に現政治体制のアウトサイダーなのであろうか?小沢代表はまた、そのときが来たら日本をどこに導こうとしているのだろうか?

 まず、今回のスキャンダルである。それは、小沢代表の権力掌握を頓挫させる可能性が十分にある。小沢代表の第一秘書である大久保隆規氏は3月3日、西松建設のダミー団体から違法な政治献金を受け取って虚偽の報告をしたとして、東京地検に逮捕された。これらの献金は同代表の政治資金に組み入れられたとされている。当TIME誌が3月7日に行った取材で小沢代表は、この逮捕に「非常に驚いた」と語り、この種の事件は従来、「政治資金の収支報告書に関する記載ミス」として、記載の修正だけで済まされてきた、と説明した。捜査はその後、西松建設から自民党所属の国会議員への献金疑惑に広がっているが、これまでのところ、焦点は依然として民主党に向けられている。党代表を辞任する気はない、と小沢氏は述べているが、秘書逮捕のニュースが公表されて数日後に行われた日本の三大新聞の世論調査では、回答者の多数が代表を辞すべきだと答えている。


小沢代表のパラドックス

 日本の現首相である麻生太郎氏(同氏は2006年に小泉純一郎氏が退任して以来3人目の首相で、前任者たちと同様に精彩を欠いている)と比較すると、小沢代表に対する支持率の方が上回っている。それにもかかわらず、西松建設の政治献金スキャンダルにおける同代表の位置に関するすっきりしない印象は、日本の政治で小沢代表が占めている立場のパラドックスを反映している。小沢代表は日本の戦後政治体制の最も過激な批判者として抜きんでている(自民党が1993年に政権の座から滑り落ちるきっかけとなったのは、自民党を離党するという小沢氏の決断だった)。同時に、代表自身がそうした体制のこれ以上ない見本でもある。

 日本の非常に多くの政治家たち(もう1人の異色の政治家である小泉純一郎氏も含む)と同様に、小沢代表も政治家の息子として、27歳で衆議院に初当選して政界入りした。ワシントンにある戦略国際問題研究所(CSIS)の日本部長であるマイケル・グリーン氏は20年以上前から小沢氏を知っているが、その当時の小沢氏のことを、本州北部の岩手県にある選挙区に「予算を持ってくることに励む」旧来型の政治家だったと記憶している。小沢代表の政界の指南役は田中角栄氏や金丸信氏である。田中氏は1972年から1974年まで日本の首相を務め、小沢氏を息子のようにかわいがり、結婚のお膳立てまでした。また金丸氏は、副首相と自民党副総裁にまでなった。田中氏や金丸氏は政界の伝説的なフィクサー(黒幕)であり、小沢代表も自民党を離党するまではそうだった。両氏とも結局は汚職事件で失脚した。1980年代になって日本中が好景気に沸いたとき、評論家たちは日本のこのような有様を「経済は一流、政治は三流」であるとしきりに口にした。好むと好まざるとにかかわらず、小沢代表の経歴の大半は、そのように忌み嫌われる政治システムそのものにどっぷり浸かっていたのである。今回のスキャンダルが明るみに出たとたん、小沢代表の支持率が落ちたのは驚くに当たらない。

 しかし、小沢代表は決して政界の内幕にあって細工するだけの人物ではなかったし、今もそうではない。同代表は1990年代初期から、日本は「普通の国」でなければならない、つまり、自国本来の国益を有し、国の目標は選挙で選ばれた政治家たちが定め、官僚は政策を決めるのではなく、政治家の決めた政策の実施をその仕事とするべきだ、というビジョンを明確に打ち出している。東京の永田町にある民主党の質素な党本部で行われた当誌のインタビュー取材で、日本は「普通の国」になるべきだという分析は今でも当たっているかとの質問に、小沢代表は「まったく該当する」と強く肯定し、「政治が官僚によって主導されている今日の在り方を、私たちは根本的に変えなければならないし、それを、政治家が政策を立案して自分たちの責任で実行していくという政治体制に変えていかなければならない」と述べた。現在の自民党政権に対する小沢代表の侮蔑感には、きわめて根深いものがある。代表は「与党の中には、全面的に官僚に依存しきっていて、まったく無為に過ごしている人々がいる」と話した。

 最近の自民党政治の実績がお粗末に過ぎることは、確かにほとんど議論の余地がない。小泉首相後の3人の後継リーダーたち(安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の各氏)は、後になるほど見劣りしてくるように思える。先月、麻生内閣の中川昭一財務大臣は、重要な国際会議の後で開かれた記者会見の席で、酒に酔っていたように見える応答ぶりを披露し、辞任を余儀なくされた。タンタロン・リサーチ・ジャパンCEOのイェスパー・コール氏は「従来なら、概して不況は自民党にとって追い風になっていた。しかし、今回は情けない状況である。政府はまったく信用されていない。打ち出されてくる政策は、あくび交じりの対応どころか、全くの無関心で迎えられている」とコメントした。

 また、日本はとてつもなく大きな課題に直面しているという小沢代表の指摘も、まったくその通りである。日本国内では人口の急速な高齢化が進む一方で、出生率は低下し続けている。65歳以上の高齢層は現在の2800万人から2025年までに3500万人へと飛躍的に増加し、人口の35%近くに達すると見込まれている。この人口構造の変化は、日本の企業に働き手の激減という重圧をかけるものであり、政治指導者たちが真っ正面からこの問題に向き合おうとするならば(そのような人物はこれまでに見当たらないが)、多数の移民を受け入れることでしか事態の改善策にはならない。そのためには、これまで閉鎖的だった社会を外に向かって開く準備をしなければならない。さらに、高齢化社会は医療保障と年金に対する要求で大混乱に陥るであろう。

 海外においては、日本は東でよみがえりつつあるライバル国と張り合わなければならない。わずか20年前には、「日本はやがて米国をしのぐ世界一の経済大国となるだろう」と予言する日本関連の書籍が多く出版された(いま読み返すと今昔の感に唖然とする)。日本がかつてそうであったように、現在では中国の経済モデルが世界でもてはやされている。これまでアジアでは、日本と中国が同時に強力な経済力を誇り合ったことはない。それは、そうした状態が起きるのは不可能だということを意味するのではなく、どちらの国も、お互いに苦々しいライバル国同士として競い合わないようにするためには、賢明なリーダーが必要であることを意味する。(米国もまた、東アジアのこの2大国がどちらも米国にとって重要なパートナーであることを、双方に納得させる賢明さが必要である。)

 とりわけ日本は、その戦後の繁栄と社会の安定をもたらした経済モデルが破綻したことに対応しなければならない。日本の輸出志向産業は目覚ましい成功を収めて、日本が世界第2位の経済大国に成長する原動力となったし、終身雇用という企業方針は気前のよいいろいろな手当制度とあいまって、西欧諸国ではお馴染みの包括的な社会セーフティネットを不要なものにしていた。そして、バブル経済が訪れた。1980年代に金融市場が自由化された後、日本は、現代のアメリカ人がアーミッシュ〔訳注:キリスト教プロテスタントの一派。規律から現代文明を拒否して自動車や電気を用いず質素な生活様式を保持する〕の農民一家ほどにも思えるような、借金をして浪費する経済に突入した。株価は成層圏に届くほどに高騰し、不動産価格は狂乱的に跳ね上がったので、東京の中心に位置する皇居近くの地価は、カリフォルニア全土のそれをも上回るという比喩がはやった。

 このようなバブル経済は、当然ながら弾ける。バブル(泡)は弾けるものなのだ。日本の官僚たちが金融システムの危機に直面して術なく右往左往する間に、日本経済は「失われた10年」と称される長いトンネルに入った。株式市場は急落し、ある時期に下げ止まったのち、さらに落ち込んだ(日経指数は1989年のピーク時から82%も失われ、最近、26年ぶりの底値を記録した)。かつて世界中が瞠目した日本の諸銀行に、公的資金の注入が行われた。新しい世紀に入ると、中国と米国の需要に引っ張られ、日本の経済成長はようやく勢いを盛り返しかけた。しかし、それも新たな世界不況と外需の不振のために再び打ちのめされた。この2月、日本の輸出は前年比で実に46%も落ち込んでいる。


生活保障の模索

 何をしなければならないかについて、小沢代表の分析は明快である。代表は「従来のやり方に立ち戻ることはもとより論外である。(中略)私たちは市場原理と自由競争を、終身雇用制度にうまく組み込まなければならない」と認識している。成功への鍵は、輸出依存度を低くし、もっと国内需要に頼るようにすることである。これは、民主党の政策文書が「すでに20年も前から言われてきたことである」と辛辣に指摘する処方箋である。しかし、日本人にお金を金庫にしまっておかないでせっせと買い物をするよう説得するのは、口で奨励するだけでは全く効果がないことを、小沢代表はよく認識している。同代表は「生活が保障されているという安心感を国民に与えなければならない」と述べた。その点で、人口問題に難題を抱えている現状では、医療保険制度と年金制度で真の改革が必須となる。小沢氏は「若い世代ですら、将来は年金が受給されないのではないかと不安に思っている」と指摘する。前述のコール氏はさらに、「日本人に『定年後の生活は心配ない』と請け負うためにできる施策があれば、必要とされる分まで国内需要を押し上げることに大いに役立つだろう」と説明している。

 これに対して懐疑的な人々もいる。長年にわたり日本についての研究成果を発表してきた米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授(政治学)は、民主党がセーフティネットを強化しようとしていることを認めつつも、オバマ米大統領が数週間のうちに米議会で可決させたような景気刺激策を提案する決意が同党にあるだろうか、と疑問を呈している。小沢代表は、政策を注意深く考え抜く人というよりも、カーティス氏の言葉を借りれば「自分自身がカール・ローブ氏〔訳注:ブッシュ前大統領の首席補佐官〕になっているように見える」。

 しかし、首相となった場合には、小沢代表はまさに政策を注意深く考え抜かなければならなくなる。これまで、日本は自らの国益を意識する「普通の国」でなければならないという小沢氏の決意が、「米国にとっては同氏が付き合いにくいパートナーとなりそうだ」と思わせる時が何度かあった。例えば、小沢氏は最近、民主党政権のもとでは、東アジアにおける米国のプレゼンスは横須賀を基地とする第7艦隊だけで「十分だろう」と述べた。これは、日本にある他のすべての米軍基地は閉鎖されるべきだという含みのあるコメントである。米国との関係が「日本にとって最も重要な国際関係である」と言う一方で、小沢代表は米国と距離を置いている。同代表はTIME誌に「米国が単独で決め、あるいは実行する軍事行動には、日本は追従することはできない。しかし、国際紛争の解決が国際社会の協力を得て国連の枠組みの中で取り決められるならば(中略)日本は最大限の積極的な協力を惜しむべきではない」と語っている。

 CSISのグリーン氏は、小沢氏の「エイハブ船長〔訳注:復讐の念にとりつかれた『白鯨』の船長〕のような自民党潰しの執念」は、時として反米的な口調も辞さない態度になって現れ、日米同盟関係に巻き添え的な被害を及ぼすという。しかし、日本のどんなリーダーも世の中の現実をわきまえている。小沢氏は首相になれば、権力を維持するためにも「米国との強い結びつきを求めるであろう」と、グリーン氏は見ている。


怖じ気を克服して

 目下のところ、日本が直面している最大の課題は国内問題である。バブル経済の崩壊後、怖じ気づいてしまった日本人は、物事がかつてのままではならないということを知っている。「日本人は根本からの変革を望んでいる。しかし、そのために一票を投じる候補者が誰もいない」と、東京の日本大学で政治学を教える岩井奉信教授は言う。コール氏は「真の問題は、政治が再び若い世代にとって魅力あるものとなるかどうかだ。つまり、自分の今の生活だけでなく、将来に影響するのだから、実際に政治に関わる必要があるのだと意識させ得るかどうかだ」と分析する。

 問題の核心はそこにある。時に日本の将来に関する明快な分析に加えて、自民党に取って代わるという強い気概を持ち合わせて行動しているように見える小沢代表ほど、日本の政治文化のなかに深く浸ってきた人物が、変化を推し進める魅力ある担い手になり得るかどうかに、問題はとどまるものではない。21世紀が要求している経済と社会の在り方に向かって、身を切るような変革を成し遂げる意欲が日本にあるかどうか、ということである。

 確かに、日本には脱皮する能力がある。この国は現代に入って2度、それを成し遂げた。1度目は19世紀後半の明治維新以降のことだ。長年にわたって鎖国されていた社会を徹底的に近代化し、欧州列強の1つであったロシアとの戦争で勝利した。2度目は、敗戦の灰燼から新たな経済を立ち上げた1945年以後である。

 しかし、日本にはいつも、予測できない未来よりも、分かりやすいと思われる過去へのノスタルジアがある。東京の太田記念美術館では3月、楊洲周延〔訳注:ようちゅう・ちかのぶ。明治期に活躍した浮世絵師。憲政資料室所蔵の『枢密院会議之図』も周延の作品〕による見事な浮世絵展〔訳注:『生誕170年記念 楊洲周延展』〕が催されている。これは、西洋の音楽、軍服、鉄砲、フープスカートのドレスといった西洋の風俗が、日本古来のものに取って代わり始めた明治時代を偲ばせる作品の展示だ。

 古典的な浮世絵という枠の中に描かれている近代の様子は、奇妙で落ち着かない気持ちをかき立てる。まるで、浮世絵師が新しい世界にあっさりと溶け込むことができなかったかのようであり、おそらくはそれを嫌がっていたのであろう。例えば、ある浮世絵作品では、伝統的な着物姿で髪をつややかに結った女性が、下ろした髪を後ろになびかせて楽しそうに自転車に乗る少女を物憂げに見つめている。

 日本は自転車にまたがり、敢然と未来に乗り出そうとペダルをこぐのだろうか?多くの人がその答えを知りたいと望んでおり、それは日本人だけではない。

取材協力:オダ・ユキ記者(東京)
日本語訳:民主党国際局