2009年3月11日水曜日

【西松事件】 政府高官の発言

 漆間発言で、大揺れになってしまった。結果、産経新聞では常務が記事を書いているのであるが、少なくても、常務が記事を書かなけばならないような異常事態であったということであろう。
つまり、民主党政権が小沢氏の手によって行われ、小沢氏が総理の座について一番困るのが既存の大手マスコミ、すなわち記者クラブであることを明確に知らしめたという事いなる。


「漆間発言」とメディア 取材源、安易に暴露していいのか
2009.3.11 12:09
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090311/stt0903111210006-n1.htm

 ジャーナリズムは、取材形態がどうあれ、取材源との約束事を守る信頼関係の上に成立している。その信義が崩れた時、ジャーナリズムは堕落する。

 漆間巌(うるま・いわお)官房副長官が西松建設の政治資金規正法違反事件にからんで、自民党議員への波及を否定したと受け取れる発言をしたのは、5日の首相官邸での定例記者懇談の場だった。通称「記者懇」あるいは「オフレコ懇」と呼ばれ、メモも録音もとらず、取材源の副長官は「政府高官」と匿名にする代わりに、発言の中身は報道してよいとの不文律の取り決めがある。

 記者懇に対しては政権側との「談合」「癒着」などといった批判も聞かれる。しかし、現場の政治記者にとっては国民の「知る権利」に応えるべく、建前論に流れがちな記者会見から一歩も二歩も踏み込み、政局の真相の一端に迫るため長年かけて編み出した取材の知恵といってよい。

 米国でも、例えば国務省で報道官が公式会見を行ったあと、同じ報道官との懇談は取材源を「国務省高官」として発言の引用が許される慣例がある。

 漆間氏は記者懇の慣例に従い、背景説明の一環として「一般論」という形で「自民党議員…」の発言を行ったとされる。記者懇の内容はまず共同通信が配信し、民主党を中心に「検察と内閣の連携だ」「やはり国策捜査だ」といった声が政界に一気に広がった。

 問題はこの後のメディアの対応である。漆間氏は匿名を前提に「背景説明」を行ったのだが、朝日新聞は7日付の朝刊1面で「『自民側は立件できない』発言の高官 民主、漆間氏とみて追及」との見出しで「6日夜、…この高官に身分を公表するよう求めたが拒まれた」と報じた。

 これは2つの点で記者懇ルール違反の疑義がある。1つは、記者懇で朝日の記者は懇談後、漆間氏に対し氏名の公表を要求していないのに、翌6日、政界が事態を重大視し始めるや一転、高官に名前公表を迫った点だ。第2に、朝日は「民主党の見方」に転嫁する格好で漆間氏の実名を一方的に明かしてしまった点だ。双方が合意した時にのみ取材源の公表は認められるべきではないか。

 翌7日、今度はTBSテレビが「内閣記者会として高官の氏名公表を求めたい」との提案を行ったが、全社の賛同は得られず(産経新聞は拒否)、結局うやむやになった。

 ところが、河村建夫官房長官が翌8日のフジテレビとNHKの報道番組で問題の発言をした高官は漆間氏だったことを自ら認めてしまったのだ。「このままでは国会を乗り切れないと事態の収束を図って名前を出してしまった」(政界筋)との見方が強い。これを機に全メディアが漆間氏の実名公表に雪崩を打った。

 不文律ではあっても「取材源の秘匿」という原則をメディア側、政権側ともあまりに軽々しく考えてはいまいか。せっかく積み上げてきた「取材現場の知恵」が傷ついたことで、政府各機関の記者懇にも負の影響が出ることが懸念される。

 米国のジャーナリズムでは犯罪や犯罪組織を利するようなケースを除き、取材源の秘匿は徹底して守られるべきだとの空気が根強い。

 かつてニクソン米大統領を失脚させた「ウォーターゲート事件」で、スクープを放ったワシントン・ポスト紙の情報源(ディープ・スロート)だったマーク・フェルト元FBI副長官は30年後に自ら名乗り出るまで、名前は秘匿され続けた。

 今回のケースと一概には比較できないが、「取材源の秘匿」の重さには変わりがない。取材源の安易な暴露はジャーナリズムの自殺行為になりかねない。
 (常務取締役編集担当 斎藤勉)

==================================================

代表取締役会長 清原武彦
代表取締役社長 住田良能
専務取締役 名雪雅夫 総括
専務取締役 熊坂隆光 大阪代表・大阪関連会社担当
常務取締役 宮出好男 経理・東京関連会社・グループ管理本部担当
常務取締役 齋藤 勉 編集・論説・正論・写真報道担当
常務取締役 外山衆司 営業・事業統括・社長室長
常務取締役 倉井銑太郎 販売・SANKEI EXPRESS担当

【西松事件】 各大手既存メディアの役割

 3月11日になると、産経の西松事件そのものの記事もめっきり減り、小沢氏をバッシングするためだけの記事や報道一色になっている。

いつも政治家の献金、つまり政治家のお金にまつわる事件が報道をされ始めると「事件の内容より、政治家そのものへの思い込み評価」を刷り込む作業が行われているように思えてならない。

たとえば、今日の産経新聞の記事であるが、一見すると小沢氏側の言い分を載せているように思えるが、対する東京地検の見解を載せない限りは公平性に欠く。なぜなら、一度逮捕をされたら、どんなに正しい事を述べたとしても「ずうずうしい」・「開き直っている」とみられる傾向が強いのである。それに対し、東京地検特捜部の見解を載せる事で初めて公正な記事となる。つまり、大手既存マスコミの一方的な報道によるラベル貼りは、このようにして作られるのである。

同時に読売新聞は、かつて小沢氏と近い間柄であった二階氏を引き合いに出し、小沢氏のイメージを落とす役割を果たしている。この今回の事件は、読売と産経も東京地検にとって重要なプレィヤーを担っているように思える。しかし、今回は、この2社だけではなく、すべての大手既存のマスコミがプレィヤーとして動いているようにさえ思える。

====================================================



【西松献金】小沢氏、石川議員聴取は「選挙妨害以外の何ものでもない」
産経新聞2009.3.11 11:52

民主党の小沢一郎代表は11日午前、党本部で自身に近い同党の中堅・若手議員らと会談し、西松建設による違法献金事件で東京地検特捜部が小沢氏の元秘書の石川知裕衆院議員に事情聴取する方針を固めたことについて、「選挙妨害以外の何ものでもない」と述べた。さらに、「権力を乱用する者に権力を持たせてはいけない。だから政権交代しなければいけない」と地検の捜査を批判した。

 出席者によると、小沢氏は議員から代表続投を求められ、「何としても衆院選で勝つ。オレは悪いことはしていない。いずれ真実が分かれば国民も理解してくれるだろう」と意欲を示したという。

 石川氏は次期衆院選で、中川昭一前財務・金融担当相の地元、北海道11区からの立候補を予定している。




西松献金、小沢氏・二階氏へ途切れなく…転籍後も提供先変え
 準大手ゼネコン「西松建設」(東京都港区)が、ダミーの政治団体を使うなどして、個人や派閥の政治団体に多額の資金を提供していた小沢一郎・民主党代表と二階俊博・経済産業相。

 かつて二人は共に自民党を離脱し、その後、たもとを分かって現在に至るが、西松建設は、二人の足取りをたどるかのように、資金提供先も変えていた。

 同社が長年にわたり、小沢氏側と二階氏側を手厚く支援していた実態が浮かび上がる。

 小沢氏と二階氏は1993年6月、一緒に自民党を離脱して旧新生党を結成。その後、旧新進党、旧自由党と2000年まで行動を共にした。二階氏は小沢氏の側近とも言われた。

 二階氏は同年4月、旧自由党を離れて、旧保守党の結党に参画。さらに03年11月、自民党に合流し、二階グループ(現在の二階派)を率いることになった。

 一方、小沢氏の旧自由党は、03年9月に旧民主党と合併。小沢氏は副代表などを経て、06年4月から民主党の代表を務めている。

 政治資金収支報告書などによると、西松建設は、二人が旧新進党や旧自由党に所属していた95~99年の5年間、両党の献金窓口だった政治資金団体「改革国民会議」に、同社や子会社の松栄不動産、ダミーの政治団体「新政治問題研究会」の名義で、総額約1億円を献金していた。

 二階氏が旧保守党を結党した00~02年の3年間には、西松建設は同党の政治資金団体「保守政治協会」に計約330万円を同社名義で献金した。

 西松建設は改革国民会議への献金を00年以降も続けていたが、小沢氏の旧自由党が旧民主党と合併した03年以降は、新たに小沢氏の資金管理団体「陸山会」を献金の提供先の一つにするようになった。以後、陸山会への献金は06年まで続く。すべて「新政治問題研究会」など二つのダミーの政治団体経由だった。

 旧自由党が国会議員30人の小所帯で「小沢色」が強かったのに対し、旧民主党との合併で200人を超す大所帯となった。このため、関係者によると、献金先を小沢氏個人の資金管理団体に変更したという。

 一方、二階氏が自民党に合流すると、西松建設は04~06年にダミーの二つの政治団体名義で、自民党二階派の政治団体「新しい波」から計838万円分のパーティー券を購入した。また、06年以降も、二階氏の政党支部「自民党和歌山県第3選挙区支部」の口座に、同社社員や家族計60人の名義を無断で使い、毎年計300万円を振り込んでいた。

(2009年3月11日09時58分 読売新聞)