この記事は、昨年(2009年3月末)のものに追加をして書いているので、記事の期間が広がり多少分かりつらい事は勘弁願いたい。
ちょうど、資料庫であるココログからの移転で色々なメモを見ながら、当時の検察の検事たちの移動先をまとめて、控えておこうと思う。
「関係者」という言葉は用いたくは無いのではあるが、名前を出せないようなので東京地検関係者としましょう。
今回の小沢氏に仕掛けた「西松事件」は、当時・東京地検検事正であった岩村修二氏(60)がGOサインを出したと言われている。彼は現在(この資料庫移転時・2010/06/14)現在には、仙台高等検察庁検事長へと移動している。
この岩村氏が、特捜部長時代の2003年に自民党・坂井隆憲元衆院議員の政治資金規正法違反事件を指揮をしている。
Wikiによると
2003年3月7日、業際研事件が引き金となり、献金約1億6800万円を不正処理の政治資金規正法違反容疑と公設秘書給与約2400万円を国から騙し取った詐取容疑で、衆議院本会議にて逮捕許諾決議が可決し、東京地検特捜部に逮捕され、自民党を除名処分に。3月25日、衆議院本会議にて議員辞職勧告決議可決されるも辞職拒否。同年10月10日衆議院解散までの約7ヶ月間、議員在職。12月18日に保釈金2000万円で9ヶ月ぶりに保釈。2004年10月、東京地裁で懲役2年8ヶ月の実刑判決、控訴するも後に自ら取り下げ、量刑が確定。
このように書かれている。
リクルート事件の江副容疑者への判決が下った同じ日、大蔵省出身の当時自民党所属の代議士、坂井隆憲氏の秘書が逮捕され、続いて代議士本人も逮捕されている。
岩村氏は、どちらかと言うと理論派と言われてはいるが、普通社会では理屈屋といわれる人種に当るだろう。坂井氏の場合も、従来は形式犯という見方が強く、立件は略式や在宅での起訴だったものを、ハードルを地検自らが下げた形となる。結果、彼はハードルを下げたままで事件に当る事になったと言う事であろう。
日大の岩井奉信教授が西松事件の際に設置をされた民主党の第三者委員会の中で、「今回は、ハードルを下げて判例を取りにいった」ように思えると語ったのが非常に印象的であった。
つまり、形式犯と言われがちな政治資金規正法違反のハードルを下げて、フリーハンドで政治家を摘発できるように判例を取るために仕掛けたとも思える。「地検関係者」によると、証拠を読ませたら右に出るものはいないとのこと。つまり屁理屈上手と言う事であろうか。
次は、事件当時は、最高検検事であった谷川恒太氏である。彼は現在(2010/6)は、宇都宮地地方検察庁の検事正である。谷川氏は、同期の大鶴氏に出世では遅れを取っていたのであるが、あまりにも大鶴氏の捜査が強引過ぎるとの批判から入れ替えられてという。
この谷川恒太氏がヤマリン事件で、鈴木宗男氏を取り調べた検事であり当時は東京地検副部長という立場であった。西松事件や陸山会問題では東京地検次席検事という立場である。この彼が一躍有名になったのが、週刊朝日への抗議ならびに山口編集長への出頭命令がtwitterで駆け巡ったのをご存知の方も多いと思う。
週刊朝日との顛末は下記のURLでご覧いただけます。
彼は、この呼び出し事件で一躍有名になり過ぎて、いち早く移動を願い出たとも聞く。鈴木宗男氏の話(週刊誌に書かれていた記事であるが)によると
「礼儀正しかった記憶がありますが、私の疑惑を取り上げた『サンデー毎日』の記事を机に置き、ムネオハウスやアフリカへのODA(政府開発援助)疑惑は本当ですか』などと聴かれました。警察と違って検察は“手足”がないので、マスコミ情報に依拠せざるを得ないのでしょう」との印象を受けたとの事。
鈴木宗男氏のヤマリンつながりでもう一名忘れてはいけない検事が吉田正喜東京地検・特捜部副部長と言う事になる。ヤマリン事件当時は、東京地検の検事であった。彼が、鈴木宗男氏と佐藤優氏を逮捕して取り調べ、公判を担当した検事である。
ヤマリン事件というよりムネオ事件を指揮したのが、最高検伊藤鉄男次長検事である。東京高検次席検事、東京地検検事正と出世をし東京地検ナンバー2となったのだが、足利事件の菅谷さんが釈放され謝ったのだが、「絶対許さない、私の目の前に来て謝ってほしい」と言われる始末。
この吉田特捜副部長が西松事件と陸山会事件で石川議員の取調べにもあたっているのであるが、石川議員に向かって「そろそろ小沢の呪縛から離れたらどうだ」と威嚇していた「特捜のエース」がこの吉田氏だと言われている。石川議員が拘置所で弁護士と面会した際に「検事は、まるでヘビのような男だった」と語ったとも言われている。
この吉田氏に関しては、昨年のサンデー毎日にも面白い記事が載っていた。
もう一人、ムネオ事件の中枢にいた検事がいる。今回の捜査の最前線、特捜部特殊第1班の吉田正喜副部長(52)だ。さぞヤリ手かと思いきや、ムネオ事件の公判過程で「失点」が露呈した。鈴木氏にワイロを贈ったとされる会社社長の陳述書には、こうある。〈鈴木代議士に渡したお金の趣旨は官房副長官就任のお祝いでした。しかし、私を取り調べた吉田正喜検事から「業者が政治家にお金を渡すのは『お礼』か『お願い』しかないとこまごまと説明され、「どちらなのだ」と言われて、この件は「お礼」という趣旨では通らないと思い、「お願い」としてしまったのです〉「渡したカネは林野庁への口利きのお願い」という特捜部が描くストーリー通りの供述を強要したことを暴露されていたのだ。
覚えているだろうか、石川議員の話を。「小沢が不起訴になっても、検察審査会がある。そして、2回起訴相当になる。今度は弁護士によって、国民によって小沢は断罪される」と言ったのがこの吉田特捜副部長である。
特捜部副部長の名前が出たのですから、当然特捜部部長ということになる。ご存知有名人の東京地検特捜部・佐久間達哉部長と言う事である。もっとも彼も大津地検検事正となる事が決まったようである。当初は、甲府だと聞いていたのだが甲府の検事正は4月に決まったので・・・さてどのような経緯であったか。
佐藤栄佐久前福島県知事の汚職事件とされる時に、佐久間氏は副部長であり特捜部長があの有名な大鶴基成氏であった。その佐藤栄佐久氏の事件の顛末はたびたび語られている事から事件をご存知の方も多いと思う。この大鶴氏が特捜部長時代に指揮をしたのが、ライブドア事件や村上ファンド事件である。つまり見る方が見たなら実質はほとんどの捜査は失敗続きともいえる。
この、元福島県知事・佐藤氏の事件の際に摘発をしたのが、水谷建設であり検察の証人でありながら、「証言はうそである」と佐藤氏側の弁護士である宗像氏に語っているのである。
佐久間氏が副部長時代に手がけた事件に防衛施設庁の談合事件があるのだが、このたび(2010年7月)東京地検特捜部部長に就任をする堺徹副部長も、この防衛施設庁の談合事件の捜査をしている。つまり、大鶴・佐久間・堺氏の3名は防衛施設庁談合事件を手掛けた仲間と言う事になる。堺徹・東京地検公安部長は、特捜副部長時代に旧緑資源機構の官製談合事件も手がけ公安部長、そして特捜部長という形で移動をしている。
この佐久間氏と同期なのが、三井環事件と郵便不正事件で名を馳せてしまった、元大阪地検特捜部部長・大坪弘道氏である。現在は京都地検・次席検事である。そもそも三井環事件は、大阪地検・加納駿亮検事正が、高知地検検事正時代に調査活動費約400万円以上を指摘に流用していたことを告発をしようとしたことに端を発している。
三井氏は、当初は確かに私憤からだと本人も語ってはいるが、「あまりの酷さに本格的に告発」をしようと考えたようである。
1997年11月、特捜部長時代「関西検察のエース」と呼ばれていた大阪地検次席検事(当時)の加納駿亮(かのう・しゅんすけ)氏が指揮した京都地検での贈収賄事件で、三井氏(当時、大阪高検刑事部検事)の進言により、ある教授の逮捕が見送られた。この事件は内偵不足が明らかだったのだ。結局、この独自捜査は失敗に終わる。そしてそれは、指揮官である加納氏の責任であった。その後、三井氏は当時の高松高検の村田恒検事長にこの京都事件の顛末(てんまつ)と自身の意見を手紙に書いて送った。ところが、この手紙が思わぬ災いのきっかけとなってしまう。 1998年春、村田検事長が京都地検の武内徳文検事正と会い、彼に手紙の件を話し、それが大阪高検の幹部に伝わった。そして、それが加納氏に伝わってしまったのだ。それ以降、加納氏は三井氏に対し不快感を露骨に表すようになる。そして、三井氏は関西検察にいることができない状況になってしまった。そこで、三井氏は大阪高検・荒川検事長に異動願いを出した。1998年4月、三井氏は名古屋高検総務部長に着任。その年の末、法務省筋は三井氏の高松高検次席検事への異動を提案したが、加納氏らがこれに異を唱え、見送りとなる。このことは、三井氏が加納氏を告発する遠因となる。1999年7月、三井氏は名古屋高検総務部長から大阪高検公安部長へ異動になった。ここでまた加納氏らの〝横やり〟が入る。本来、高検公安部長の給料は検事2号俸ポストなのだが、三井氏は3号俸ポストのまま据え置かれた。これは加納氏の逆恨みによるものであった。このとき三井氏は、この加納氏の行為を自分に対する侮辱であると同時に、自らが愛する「検察への冒とく」と受け止め、調査活動費・裏金問題で加納氏を告発しようと決意する。
この三井氏を逮捕をしたのが大坪弘道氏だという。当時検事総長であった原田明夫氏と森山眞弓元法務大臣の姿がテレビに映し出される度に、この事件の醜さを思い出すのだが、この検察の不正を隠すために鈴木宗男氏の事件が大きく報道をされた結果三井氏は、来年まで刑務所に留め置かれる事となってしまった。また鈴木宗男氏も現在上告中である。
話は前後するが、大坪氏が仕掛けた郵便不正事件であるが、西松事件に対抗をしたものなのか、それとも捜査のタイミングが総選挙真近か言われていた時期であったことから非難がおきていたものを大阪でも事件を起こし目をそらさす目的と民主党議員の摘発が目的ではなかったか疑いがもたれている。
現実に名前が取りざたをされた民主党・石井一議員に関して裁判中に下記のような記事まで出ている。
写真をごらん戴いたらお分かりになると思うのだが、原田検事総長と誰が写っているか。2004年小泉内閣時代のものである。
小泉内閣時代に起きた、この三井環事件がある意味ででは、内閣に検察が弱みを握られたかもしくは、相身互いの関係になってしまったように思えてならない。
この大坪弘道氏の部下であった田中素子氏である。彼女は、昨年3月に名古屋地検特捜部長に就任しているのであるが、名古屋に移動をするまでは大阪地検で大坪氏の下で郵便不正事件などを手がけていたのである。
今になると郵便不正事件の捜査の怪しさが暴露されているのだが、西松事件と前後して郵便不正事件が起きているのであるが、大阪で最初に摘発をされた新生企業社長の宇田敏代(当時容疑者)は、福島県で同様の事業をしていたと言う。その福島県から大阪へ移転をして犯罪に手を染めたと言う事であるが、なぜに東京ではなく大阪であったのだろうか。
名古屋地検に大坪氏の部下であった田中特捜部長がおり、滋賀の大津地検には佐久間検事正、京都地検に大坪次席検事という事になる。新幹線でも1時間以内・車でも2時間以内の距離に現・元特捜部長が3人揃った事になる。なにやら充分に悪巧みが出来そうな位置関係である。
佐久間氏で忘れてはならないのは、2010年6月15日付けで辞職をした樋渡利秋元検事総長である。彼、樋渡氏の秘蔵子として佐久間氏をかわいがったと言われているのであるが、樋渡氏が検事総長まで上り詰められた理由は2点であろうか。
一つ目が「総長にまで上り詰めたのは司法制度改革審議会の事務局長として裁判員制度創設の功績が大きい。
二つ目が特捜部時代のリクルート事件での、江副浩正元会長の事情聴取であろうか。半蔵門病院に入院中の江副氏を病室で事情聴取を行うという荒業を用いている。
その樋渡氏の後釜が大林宏氏である。2010年6月17日付けのようである。この大林氏は東京高検検事長からの出世となるが、このたびの西松事件や陸山会問題は半分はこの大林氏の人事が絡んでいるのであろうか。既定路線とされながらも民主党の小沢氏の「検事総長を民間から登用」の一言が効いたようである。
現実には、民間からの登用は可能なのである。が部下のいじめに遭うだろうとと思われる。
検事総長は、検察庁法15条1項で一級の検察官とされ、同法19条1項で一級の検察官の任命資格が定められています。第十九条 一級の検察官の任命及び叙級は、次の各号に掲げる資格のいずれかを有する者についてこれを行う。一 八年以上二級の検事、判事補、簡易裁判所判事又は弁護士の職に在つた者二 最高裁判所長官、最高裁判所判事、高等裁判所長官又は判事の職に在つた者
さてこの大林氏の東京高検検事長の後任に、広島高検検事長であった笠間治雄氏が就任するようである。さてこの人物に関しては、郷原氏は総長になって欲しかったという。
笠間東京検事長には格別の意味があります。特捜部長経験者の中で最も適切な判断ができる人で、この人が東京にいたら昨年3月以降の東京特捜の暴走捜査はなかったはずです。総長になってもらいたかった
昨年の3月20日前後に記録をして残していたものを加筆をしたらずいぶん長くなってしまった。これもまた何かの役にたつこともあるだろう・・・・か。
しかし、メモを書き足しながら、ほとんどロクナやつはいない・・・という気になってしまう。