2000年1月4日火曜日

【日中外交】 日中国交正常化(三原則)

 中国の復交三原則 (栗山尚一)

 日中国交正常化については、中国はかねてから復交三原則を公にしており、この三つの原則を柱とし、これを日本が受け入れるということによって正常化が実現できるという立場をとっていた。その三原則のうち、第一の原則が、中華人民共和国政府は中国を代表する唯一の合法政府であること、第二が、台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であること、そして第三が、日台条約、すなわちすでに述べたような経緯・背景の下に日本が台湾(中華民国)と結んだ平和条約は不法・無効であり、廃棄されなければならないということ、この三つの原則の下に、日中国交正常化を実現するというのが中国の立場であり、日本としては、この三つの原則にどのように対応するかということが基本的な課題であった。

 結果的にはわずか二ヶ月しかなかった正常化交渉が通常の外交交渉とはかなり異質なものであったのは、当然のことながら日本は中国と一切の政府間の関係が存在しなかったために、この復交三原則は三原則として、中国が本当にどこまで柔軟な態度をとるのかということがなかなか把握できなかったからである。唯一、外務省あるいは日本政府が中国側の交渉姿勢について判断しうる材料になったものは、いわゆる竹入メモである。これは当時の公明党の竹入委員長が、田中内閣が誕生すると間もなく田中総理の意を帯して訪中し、周恩来総理との会談を通じて得られた中国側の考え方をメモにして帰国後に田中総理に提出したものである。

外務省事務当局としては、大平外務大臣を通じて示されたこのメモの内容を検討して中国の立場を判断せざるを得なかったのである。したがって、九月末に田中総理以下の日本政府の一行が北京に赴くまで、本当にこの交渉がうまくいくのかどうか、筆者自身個人的には余り自信がなかったというのが正直なところであった。

 さて、復交三原則の第一原則については、条約局として、特に法的な問題があるとは考えなかった。これは、日本政府が政治的決断をする問題であり、その決断さえあれば、国際法上は政府承認の変更ということである。台北に存在する中華民国政府が中国を代表しているというのが従来の日本の立場であったわけであるが、国交正常化というのは、結局のところ、中華人民共和国政府が中国を代表する正当政府であるという立場を日本政府が新たにとることを意味する。この点については、すでに一九四九年以来中華人民共和国政府が実質的に中国大陸における実効的支配を確立していた以上、国際法の観点から、問題があろうはずがなかった。

もちろん、中華人民共和国政府を承認すれば、台湾との外交関係は終了せざるを得ないということであり、その点が政治的な決断を必要としたのであるが、法律的には、国際法上も、国内法、憲法上も、問題はないと判断された。

唯一あり得たのは、この政府承認の変更について国会の承認が必要かどうかということであったが、これは、もっぱら行政府に委ねられている外交権の範囲内の事項であるというのが内閣法制局及び外務省の判断であった。したがって、外務省、特に条約局として対応しなければならなかったのは、もっぱら第二原則(台湾の法的地位)と第三原則(日華平和条約)の問題であった。

 すなわち、第二原則、第三原則それぞれについて、後述のように、日本側にとってかなり困難な問題があり、特に第二原則については、単に法律的な問題だけではなく、政治的に非常に大きな問題が存在し、そういう日本の法的・政治的立場というものを維持しながら中国の受け入れ可能な方式を見いだすことがわれわれの課題とされたの
である。

 日本の基本的な法的・政治的立場というのは、言うまでもなく、一九五一年にいわゆるサンフランシスコ体制(米国が提示した平和条約と旧安保条約のセット)を受け入れることによって、国際社会に復帰をしたということである。その政治的意味は、冷戦下の東西対立の中で、日本としては、西側の一国としての立場をとるという当時の吉田総理の政治的な選択であった。

かかる戦後の日本の国際政治上の座標軸を維持しながら、第二原則、第三原則にどういうふうに対応するかというのが、正常化の一番の課題であったわけである。外務省としては、この点について当初から大平外務大臣と田中総理に十分説明し、日中国交正常化は、この日本外交の基本的座標軸と両立しなくてはならないということについての政治レベルの理解を得て、正常化交渉に臨むことができた。

 台湾の法的地位
 そこで、まず第二原則にどのように対応したかということであるが、これは、当然のことながら、国際法上最終的な処分が完了していない地域、すなわち台湾の法的な地位をいかに認識するかという問題であった。当時国会等の揚で政府が明らかにしていたわが国の法的な立場は、「サンフランシスコ平和条約によって放棄した台湾がどこに帰属するかはもっぱら連合国が決定すべき問題であり、日本は発言する立場にない」というものであった。

 このような法的な立場を変更し、わが国が中国の第二原則、すなわち台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であるという立場を認めることには、法律的な意味以上に重要な政治的な意味が存在した。それは何かと言えば、中国がそれ以前から維持している基本的な立場、すなわち台湾を武力で解放する最終的な権利を有しているという立場の正当性を認めることにつながるということであった。

 田中内閣に先立つ佐藤内閣の大きな外交課題は、沖縄返還の実現であったが、そのための対米交渉において大きな問題となったのは、沖縄における米軍基地の使用の問題であった。米側において最後まで沖縄の返還に難色を示したのは国防省を中心とした軍部であったのであるが、その理由は、沖縄を返還すれば、米国は沖縄の基地の使用について、六〇年に改訂された安保条約に基づく事前協議制度の制約を受けることになり、米国の施政権下にあったときと同じように基地を自由に使用することはできなくなるということにあった。

 当時の米国政府の最大の懸念は、北朝鮮の武力攻撃による朝鮮半島における紛争再発の可能性であったが、それに加えて、万一中国による台湾武力解放という事態が発生したときにも、日本、特に沖縄に存在する米軍基地を使用する必要が生じることが予想され、これが制約されることになれば、米国が韓国あるいは台湾(中華民国)に対し負っている条約上の防衛義務の履行に重大な支障が生じかねないということであった。

そこで、米国政府としては、沖縄を日本に返還しても、いざという場合に基地の使用が制約を受けないということについて、何らかの形で日本政府の保証を取り付ける必要があると考えた。この問題をめぐる日米間の折衝の結果が、一九六九年二月の佐藤・ニクソン共同声明である。

 この共同声明の第四項において、「大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた」のを受けて、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとって極めて重要な要素である」との総理大臣の認識が述べられている。(なお、朝鮮半島については、同じ第四項の別の部分において、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」との総理大臣の認識が述べられた。)

 さらに、共同声明の第七項において、総理と大統領は、沖縄の「施政権返還にあたっては、日米安保条約及びこれに関連する諸取決めが変更なしに沖縄に適用されることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日本の安全は極東における国際の平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがって極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖縄の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した」と述べられている。

すなわち、台湾を含めた極東地域の安全に関する日本政府の上述のような認識があれば、米国の条約上の防衛義務は妨げられないであろうという日米共通の理解を前提として、沖縄を本土並みの条件で日本に返還するという基本的な合意が佐藤総理とニクソン大統領の間で成立したのである。「本土並み」とは、一九六〇年に改訂された安保条約の第六条に基づく交換公文(いわゆる事前協議制度に関する合意で、わが国に対する武力攻撃が行われていない場合において、戦闘作戦行動のために在日米軍基地を使用するには、米国政府は日本政府との事前協議を必要とすることが定められている)がそのまま沖縄にも適用されることを米国政府が受け入れたことを意味した。

なおこの間題については、共同声明発出(一九七九年一一旦二日)に際し、佐藤総理が、ワシントンのナショナル・プレス・クラブにおいて行った演説において、次のとおり述べていることにも併せて留意する必要がある。

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 「台湾地域での平和の維持もわが国の安全にとって重要な要素であります。私は、この点で米国の中華民国に対する条約上の義務の遂行の決意を十分に評価しているものでありますが、万一外部からの武力攻撃に対して、現実に義務が発動されなくてはならない事態が不幸にして生ずるとすれば、そのような事態は、わが国を含む極東の平和と安全を脅かすものになると考えます。

したがって、米国による台湾防衛義務の履行というようなこととなれば、われわれとしては、わが国益上、先に述べたような認識を踏まえて対処していくべきものと考えますが、幸いにしてそのような事態は予見されないのであります。」
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 そこで台湾の法的地位の問題に戻ると、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部にすでになっている」というのが仮に日本政府の立場であるとすれば、この佐藤・ニクソン共同声明あるいはその背後にある安保条約の問題が非常に大きな影響を受けることになる。すなわち、中国が仮に台湾に対して武力を行使しても、これは国際法上は中国の国内問題であり、米国や日本がこれに関与する立場にない、あるいはそういう法的な根拠が存在しないということになるために、上記の佐藤・ニクソン共同声明が、事実上有名無実になってしまうという問題があったのである。

 台湾の法的地位は、そもそも米中間で双方の立場が厳しく対立した問題であった。ニクソン、キッシンジャー外交の成果として有名になったいわゆる上海コミュニケが、七一年に周恩来とキッシンジャーの間で合意されたが、その中で台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国側の立場に対し、米側は、そのような立場を"acknowledge"すると述べた。

日中国交正常化を準備するにあたって、外務省は、この"acknowledge"という表現の意味を内々に米側に照会したところ、文字どおり"acknowledge"であるというのが先方の説明であった。すなわち、中国の立場がどういうものであるかを認識している(しかし、承認したわけではない)というのが、この"acknowledge"という言葉に込められた意味であったのである。

(英語では、手紙を出すと、先方が手紙を受け取ったことを「確認」するという意味で同じ表現が用いられる。)日本としては、米国がこのような立場をとっている以上、それを越えて中国の立場を承認するわけにはいかない(そもそも台湾の地位から生じる問題は、米中間で話し合われるべきものであり、わが国が独自の立場をとることによって米国の立場を害することはできない)ので、その前提で中国の第二原則にどのように対応するかということを考えざるを得なかったのである。

(なお、日中国交正常化交渉を始めるにあたって、田中総理はその年の八月末にハワイでニタソン大統領と会談し、これから中国と国交正常化を行うが、それは日米安保体制と関わりない態様で実現するつもりである旨を説明し、大統領の了解を得た経緯がある。)

 上述のようなわが国の法的、政治的立場についての基本的認識を踏まえ、北京において日本側が中国側に提示した当初の共同声明案は、台湾の法的地位については中国政府の立場を「十分理解し尊重する」というものであったが、これは中国側が受け入れるところとならなかった。(因みに、外務省は上海コミュニケ後に中国と国交正常化を行った若干の国の共同声明の内容を把握していたが、いずれも上海コミュニケの表現を踏襲し、中国の立場を"acknowledge"するということで中国と合意していた。しかし中国は、この上海コミュニケ方式を日本に適用することは強く拒否する姿勢であった。)

 このような中国の強い姿勢は、ある程度予想されたことであった(台湾に対する影響力が一番強い国は米国と日本であるので、この問題については、日本に対して非常に厳しく迫る必要があるというのが中国の判断であろうと思われた)ので、あらかじめ準備していた腹案を日本側のぎりぎりの案として大平外務大臣が万里の長城視察に赴く車中で姫鵬飛外相に手交した。

対日交渉を取り仕切っていた周恩来総理がこの案を了承し、漸く台湾の法的地位の問題は決着した。

 この案が、最終的に合意された日中共同声明第三項後段の「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という表現である。ポツダム宣言第八項では、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」とされており、そのカイロ宣言では、台湾は当時の中華民国、すなわち中国に返還されるべきものと書かれている。したがって、ポツダム宣言を受諾した日本は、台湾が中国に返還されることを受け入れたのであり、その立場を堅持するというのが、この共同声明第三項の意味である。

 しかし、そこで言外に含まれていることは、(日本政府の立場は、台湾が中国に返還されるべきものであるということであるが)中華人民共和国政府が実効的支配を及ぼしていない台湾が現実に同国の領土の一部になっているとの認識を日本政府は有していないということである。

これは、中華人民共和国政府の立場とは異なるものであったが、周恩来総理は、このことを理解した上で、日本政府が、中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」として承認した(共同声明第二項)ことによってコつの中国」の原則を受け入れ、その原則の下で台湾の中国への返還にコミットした点を重視し、わが方の案に同意する決断をしたものと思われる(少なくとも筆者はそのように考えている)。

そもそも、日本側は、共同声明の原案を北京で最初に提示したときに、日本政府の考え方は明確に説明したのであるから、中国側がわが方の立場を誤解した可能性はないのである。この共同声明第三項の意味については、田中総理も大平外務大臣も帰国後国会で質問を受け、特に野党からは、これによって安保条約でいう「極東」の範囲(政府統一見解によれば台湾が含まれる)から台湾が除外されたのかどうかということについて、再三質問があった。

これに対し、当時の衆議院の予算委員会において政府の統一見解として行われた大平外務大臣の答弁は、共同声明の日本政府の立場を繰り返した後に「したがって中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的矧(傍線筆者)中国の国内問題であると考えます。わが国としてはこの問題が当事者間で平和的に解決されることを希望するものであり、かつこの問題が武力紛争に発展する可能性はないと考えております」というものであり、さらに付け加えて「なお安保条約の運用につきましては、我が国としては、今後の日中両国間の友好関係をも念頭において慎重に配慮する所存でございます」と述べられている。

 この統一見解にある「基本的には」という文言には重要な意味が含まれており、要するに台湾の間題は、台湾海峡を挾む両当事者の間で話し合いで解決されるべきものであり、日本政府はこれに一切介入する意思はなく、当事者間の話し合いの結果台湾が中華人民共和国に統一されるということであれば、日本政府は当然これを受け入れるのであって(それが共同声明の意味である)、平和的に話し合いが行われている限りにおいてはこれは中国の国内問題であるということである。

しかし、万々が一中国が武力によって台湾を統一する、いわゆる武力解放という手段に訴えるようになった場合には、これは国内問題というわけにはいかないということが、この「基本的には」という言葉の意味である。したがって日本政府の立場は、その後に続く「我が国としてはこの間題が当事者間で平和的に解決されるよう希望するもの」であるという部分を含め、全体としてこの統一見解によって示されていると理解すべきである。筆者は、この日本政府の立場は今日も変わっていないと考えている。

 日華平和条約問題
 中国の復交三原則の第三原則、すなわち日華平和条約問題についての日本政府の基本的立場は、以下のとおりであった。

 日華平和条約が「不法、無効であり、したがって廃棄されなければならない」とする中国の主張を正面から受け入れることは、法的にも政治的にも不可能である(同条約は、以前からわが国が中国を代表する正当政府と認めていた(国際社会の多くの国もそのように認めていた)中華民国政府との間に適法に締結された条約であり、その合法性を否定し、これを一方的に廃棄することは、国際法上も、また中華民国政府に対する信義上からも許されない)。

 他方、日中国交正常化後においても、同条約が、たとえ形式的にせよ、引き続き有効な条約として存在するとの立場をとることは、とうてい中華人民共和国政府が受け入れるところではない。したがって、外務省事務当局(条約局)に与えられた課題は、いかにして上記のわが国の基本的立場を否定することなく、中国側にとっても受け入れ可能な方式でこの問題を処理するか、ということであった。これは、法技術的には、適法に締結され、かつ終了規定がない、平和条約という性格を有する条約をどのようにして終了させるかという問題であった、

 竹入メモを通じてわが方が事前に得た感触では、中国側は、この問題については比較的柔軟に対応する用意があるやに思われたので、外務省は、それを考慮に入れつつ、内閣法制局との間で、考えられるいくつかの方式について検討を重ねた。こうした事務レベルにおける準備作業の前提となったのは、日中国交正常化は、国会の承認を要する条約によることなく、行政府(内閣)に委ねられた外交権(憲法第七三条二)の範囲内で行うという政府の基本
方針であった。

そのために、日華平和条約の処理についても、国会の承認を得る必要が生じるような方式は避ける必要があったのである。(なお、国交正常化への合意を、発効までに時間を要する国会承認条約によらず、共同声明形式で行うことについては、中国側にも異存がないことは、あらかじめ竹入メモの内容から明らかであった。)

 上記の政府の基本方針を踏まえつつ行われた法制局との慎重な協議の結果得られた結論は、概ね以下のようなものであった。
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1.日華平和条約は、基本的には処分的(dispositive)性格の条約である。即ち、同条約の中心的規定である法的な戦争状態の終結等の規定は、いずれも処分的効果を有するものである(すなわち、かかる規定の内容は、条約発効と同時に最終的効果が生じ、その後における条約の存続の有無によってその法的効果が変わることはない)。

  したがって、わが国としては、(当時中華民国政府によって代表された)中国との間の戦争状態は、日華平和条約(第一条)によって終結しているとの立場を維持せざるを得ない(中華民国政府による対日賠償請求権の放棄についても同様である)。

2.他方、その法的効果が条約の存続に依存する実体規定については、適用地域に関する交換公文に基づき、 中華民国政府が実効的に支配している地域(台湾)のみに適用されることとされている。かかる規定は、わが国が中華人民共和国政府を承認することの「随伴的効果」により実体的に終了する(台湾に実効的支配を及ぼしていない中華人民共和国政府との間で、かかる実体規定を実施する方法がない)と解される。このような政府承認の変更に伴って不可避的に生じる随伴的効果による日華平和条約の実体規定の終了については、中華民国政府
との合意を必要とせず、また、国会の承認も要しない(承認を得る意味がない)。

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 上記1.2.は、いずれも、当然のことながら、日本政府内における考え方の問題であり、かかる考え方に基づいて中華民国政府との間でいかに日華平和条約を処理するかについては、これを何らかの形で共同声明に含めるか否かを含めて検討されたが、結論として、国交正常化が合意され、共同声明が発出された直後に行われた記者会見において「日華平和条約は、日中国交正常化の結果として、存続の意義を失い終了したものと認められる」との一方的声明を行うことにより処理することとされたのである。

 このように、大平外務大臣の一方的声明により日華平和条約の終了を確認することについては、事前に中国側に内報したのであるが、これに対し、先方からは何らの異議も提起されなかった。中国側としては、
①日本側が日華平和条約は引き続き有効との立場をとらなかったこと、
②戦争状態の終結に関しては、共同声明前文において、「戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現」を謳った上で、同声明第一項で、日中両国間の「これまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」との合意が得られたこと、及び
③賠償についても、共同声明第五項に、中華人民共和国政府による「戦争賠償の請求を放棄する」との宣言が含まれたことを総合的に考慮し、中国の立場が基本的に確保されたと判断したのである。

 上記のような日華平和条約の処理方式については、将来の米中国交正常化に際し、台湾との米華相互防衛条約を処理しなくてはならないという問題を抱える米国政府も関心を持ち、わが方の理論構成等を非公式に照会してきた経緯がある。

しかし、米華相互防衛条約は、日華平和条約と異なり、処分的性格の条約ではないために、同様の処理方式をとることはできなかったと思われ、米国政府は、中華民国政府との間で相互防衛条約の終了規定に基づき条約終了の手続きをとった上で、七九年一月に米中国交正常化を行ったのである。

 日米防衛協力の新たな指針と台湾

 日中共同声明は、本稿で考察したように、いくつかの困難な法的問題及びこれに関連して生じる政治的問題を克服し、戦後二〇年続いた文字どおり不正常な状態に終止符を打って、日中国交正常化を実現することにより、その歴史的使命を果たしたのであるが、その後四半世紀を経過した今日、今一度当時の経緯を振り返ってみる必要が生じているように思われる。それは、九七年九月に日米間で合意された防衛協力の新たな指針(ガイドライン)と台湾との関係をめぐる問題である
                                         
 九六年四月にクリントン大統領が訪日した際に、日米両首脳が発出した日米安全保障共同宣言において、既存の「日米防衛協力のための指針」の見直しが合意され、これに基づいて作成されたのが、九七年九月に発表された新ガイドラインである。ところが共同宣言が発出された以後、中国側からこの新ガイドラインについて強い拒否的発言が続き、これを受けて、日本国内においても、種々の論議が行われるようになった。

中国側の反応は、要するに、新ガイドラインの適用範囲が台湾を含む(日米防衛協力の対象に台湾が含まれる)のであれば、これは、中国の国内問題への干渉であり、したがって、台湾を適用範囲から除外すべきであるというものである。これに対し、日米の外交当局は、中国に対し、新ガイドラインは中国を敵視するものではなく、また、特定の国あるいは地域を対象とするものではないとの説明を行っているが、中国は納得せず、依然として否定的発言が続いているというのが現状である。

 これは何故かと言えば、従来から中国側には、台湾が独立するのではないか、そして日米が陰に陽に台湾独立を支持するのではないかという強い懸念が存在するためである。そうした懸念は当たらないということを明確にするために、日本政府は日中共同声明において、ポツダム宣言第八項の立場を堅持する旨を宣明したのである。

その意味するところは、すでに述べたとおり、日本は、台湾が中華人民共和国に返還されるべきものと認識しており、したがって、その当然の帰結として、台湾独立を支持せず、支援もしないということである。

換言すれば、日本は、「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」を支持しないということにコミットしているのである。日本政府のこの立場は、今日も変わっておらず、米国政府も、基本的に同じ立場である。このように、日米双方とも中国が主張する一つの中国」の原則を受け入れているにもかかわらず、中国が懸念するのは、そうはいっても、台湾自身が独立に向けて動き出すのではないか、そうなると、それに同情的な国内勢力が日米双方に存在し、それが台湾の独立を支援することになるのではないかということである。

そのような事態は絶対に容認できないというのが中国の基本的立場であり、中国が従来から一貫して、台湾の武力解放を究極的手段としては放棄しないとの立場を固持している理由も、まさにこのためなのである。

 このことから明らかなように、新ガイドラインに対する中国の懸念は、現状では何ら実質的意味を持たない。中国は、台湾独立を阻止するために、武力解放を究極的手段として留保しているのであって、そのような事態が生じない限り、台湾との平和的話し合いによる統一の実現にコミットしている。したがって、中国の新ガイドラインに対する否定的発言の真の狙いは、その適用範囲に台湾が含まれるか否かという技術的(あるいは形式的)問題にあるのではなく、別の次元にあることを理解する必要がある。米中国交正常化が実現し、米国の台湾に対する条約上の防衛義務はなくなった(但し、米国には国内法としての台湾関係法が存在している)。その限りにおいて、台湾をめぐる状況は、日中国交正常化当時とは異なると言える。

しかし、台湾は、今日も中華人民共和国の支配の外にあり、台湾の住民の大多数は、独立には慎重であっても、政治・経済体制を異にする中華人民共和国との統一を拒否し、現状維持を望んでいるという台湾問題の本質には依然として変わりがない。この問題が、日米中三国の間で困難な政治問題化することを防ぐためには、今後とも日米両国が一つの中国」の原則を守るという立場を堅持すると同時に、台湾問題の解決はあくまでも当事者問の平和的話し合いによるべきものであることを機会ある毎に強調し続ける必要がある。

他方、中国も、軽々に武力解放に訴えようとすれば、国際社会は、このような台湾住民の意思に反し、アジア・太平洋の平和に重大な影響を及ぼす事態を中国の国内問題とは認識しないであろうことを理解していると強く期待したい。

米華相互防衛条約