2000年5月25日木曜日

【沖縄基地問題】 沖縄核貯蔵施設

木語:辺野古の核貯蔵施設=金子秀敏
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20100527ddm003070112000c.html
 <moku-go>

 鳩山由紀夫首相の言葉を軽く感じるのはなぜだろう。

 むかし「ぶりっこ」という言葉があった。男の気を引くためにわざと女らしい仕草をするのは「かわい子ぶりっこ」。いつもいい子になるのは「いい子ぶりっこ」。

 鳩山首相は、いい子ぶりっこだ。普天間飛行場の移設先は「最低でも県外」だし、オバマ米大統領に会えば「トラスト・ミー」と英語が出る。沖縄の海兵隊は「学べば学ぶほど抑止力」で、沖縄の海を埋め立てるのは「自然への冒〓(ぼうとく)」である。

 それが行き詰まると、沖縄に出向いて「辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った」と「断腸の思い」の謝罪をした。

 首相の言葉はどれをとっても非常に重い。その重い言葉がぺらぺらひらひら飛び交うから、軽く感じるのである。

 あっさり頭を下げるいい子に向かって、沖縄県の知事も市長も振り上げたこぶしのやりばに困る。

 野党自民党の谷垣禎一総裁もやりにくいだろう。「職を賭すと言った首相は、辞めるか国民に信を問うべきだ」と語ったものの、本気で解散に追い込む気迫は感じない。

 そもそも普天間飛行場を辺野古に移設するというのは自民党政権下でできた案である。それを鳩山政権が採用するというのだから、これに反対して解散に追い込むのは筋が通らない。

 自民党は発想の転換をしたらどうだろう。民主党を差し置いて辺野古移設で地元沖縄を説得し、日米安保体制を支えるのは自民党という軸を明確にするチャンスだ。これができれば政権奪取に活路が開ける。

 それにつけても、米国はなぜ辺野古にこだわるのか。今年の春、佐藤栄作元首相の机の引き出しの中から発見された「沖縄核密約」にはこのようなやりとりがあった。

 「(米国政府は)沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇、辺野古及びナイキ・ハーキュリーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用できるよう求める」

 「(日本国政府は)そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」

 末尾に最高機密の指定とニクソン大統領、佐藤首相の署名がある。

 辺野古には核貯蔵施設があり、有事には核兵器をまた運びこむ密約である。貯蔵施設が今でもあるなら、沖縄の「抑止力」の正体はこれではないか。それなら米国が辺野古に固執する理由も見える。(専門編集委員)
=============================================================

日米密約検証/納得できぬ「沖縄核」否定 国民不在の外交を改革せよ
2010年3月11日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-159044-storytopic-11.html
 やはり密約はあった。日米の密約を検証した外務省有識者委員会は1960年日米安保改定時の「核持ち込み」、朝鮮半島有事の「在日米軍の出動」、沖縄返還時の「軍用地原状回復費肩代わり」の3密約を認定した。歴代政権は国会で密約を否定してきたが、国民を欺く虚偽答弁という「国家のうそ」が明らかになった。

 安全保障、沖縄返還の重要な外交取り決めを一部政治家と官僚のみが決し、国民に隠してきたことは民主政治の否定に等しい。政府は国民主権、知る権利を踏みにじった歴代の首相、外相以下関係者の責任をただし、「国民不在の外交」を断ち切る改革を実現してもらいたい。

日米合意は核兵器撤去
 一方で、有識者委が沖縄返還後の沖縄への「核再持ち込み」日米首脳合意を「密約とは言えない」としたことは納得できない。

 「核再持ち込み」密約は、所在不明だった「合意議事録」が、佐藤栄作元首相の次男、佐藤信二元運輸相の元に保管されていたことが最近分かったばかりだ。

 同議事録は米大統領の意向として「米政府は緊急事態に日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄再持ち込みと沖縄通過の権利を必要とする」と記し、「核兵器貯蔵地の嘉手納、那覇、辺野古、ナイキ・ハーキュリーズ基地を使用できる状態に維持する」と貯蔵場所まで明記している。

 これに対し日本国総理大臣は「事前協議が行われれば遅滞なく要件を満たす」と約束している。

 沖縄返還時に沖縄の米軍核兵器をすべて撤去することが日米の合意であり国民、県民の共通理解だった。その裏側で将来再び核兵器を沖縄に持ち込み、貯蔵することに日米首脳が合意していたとは国民、県民の誰も知らされず、了解していない。

 これを密約と言わずに何と呼べばいいのか。我部政明琉大教授が述べる「秘密とされ、かつ今もって公開されない約束(あるいは合意や了解)を密約と言う」とする定義が常識的だろう。

 国民の常識的感覚とは異なる有識者委報告の「密約とは言えない」との判断に対し、岡田克也外相は「(日米)両トップがサインした文書が何十年ぶりに出てきた。これこそ密約」との認識だ。

 政府は「核再持ち込み」を含め、4密約の全容を解明すべきだ。とりわけ県民は「核再持ち込み」に強い関心を抱かざるを得ない。

 「合意議事録」は核再持ち込みの貯蔵地をも列記し、生々しい。事前協議がない以上、持ち込みもないというのが外交常識かもしれないが、常識外の密約が横行する日米外交である。

 「復帰後の核再持ち込みの有無」「核貯蔵施設の存否」とともにこの際「復帰時の全核兵器撤去」についても米側にただし、県民の不安を払ってもらいたい。

米国追従の姿勢背景に
 核搭載艦の寄港による「核持ち込み」も同様だ。事前協議なしに持ち込まれた可能性がある。米側に有無を問うのは当然だ。

 岡田外相、鳩山由紀夫首相は非核三原則を堅持する考えを示した。であれば「核持ち込み」密約が無効であることを米側に確認し、事前協議のない核搭載艦の寄港を拒否する姿勢を示すべきだ。

 密約問題は「国民の知らない密約の存在」と同時に、事後に多数の関連文書が廃棄・消失され「密約の事実が隠ぺいされた」問題でもある。密約に関与した歴代の政治家、官僚とともに、廃棄・消失の責任もただす必要がある。

 4密約の背景には米軍事戦略に従い、朝鮮有事やベトナム戦への拠点基地を日本、沖縄に維持し、核兵器の持ち込みも容認、財政的な便宜も与える米国追従の姿勢が透けて見える。

 米軍駐留経費の日本側負担は米軍用地原状回復費負担の密約が源流と言われる。米軍普天間飛行場移設問題も、米側の意向通り「県内移設ありき」で進めたことが迷走の発端だ。

 密約の背景にある米国追従を改めるべきだ。鳩山政権が掲げる「対等な日米関係」の実現へ国民、県民本位の外交姿勢を確立してもらいたい。

 米兵の刑事事件で日米政府が1953年に交わした「重要案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約合意も米公文書で分かっている。日米地位協定にも密約はないか。検証が必要だ。

================================================================

外務省が有事駐留検討 69年、米軍依存核などに限定
2010年2月21日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-157927-storytopic-3.html
 【東京】新日米安保条約の更新を控えた1969年9月、外務省内部の政策論議で、日本の安全保障に関して在日米軍は「若干の限定された重要基地施設」まで整理縮小させ、平時は自衛隊がカバーして有事の米軍使用に備える体制を整えておくべきだとする考え方をまとめていたことが20日までに分かった。省内部文書「わが国の外交政策大綱」で明らかになった。省内で「常時駐留なき安保(有事駐留)」が論議されていたことになる。

 100ページ余の内部文書は69年9月25日付で「極秘」扱い。現在は秘密指定解除されている。

 国土安全の「抑止力」には、「核抑止力と西太平洋での大規模の機動的海空攻撃力と補給力のみを米国に依存」、ほかは自衛隊で賄うとしている。

 朝鮮半島事態を明示して、平時の抑止力は「若干の限定された重要基地施設を米軍へ提供するにとどめ」、有事には「これら基地の米軍使用と米軍の行動への支援が遺憾なく行われるよう体制を整えておく」と日本側の後方支援体制の必要性も指摘した。

 核兵器は「当面保有しないが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」と宣言した。

 自衛隊の活動などに詳しい軍事問題研究会は「これが当時から政策として実行に移されていれば、今日の普天間移設問題は起こらなかっただろう。米軍が返還に消極的なのは、緊急時利用できる基地施設を最大限確保したいとの心理が働いている側面もあるのではないか」と分析している。(滝本匠)

================================================================


核密約文書県内反応 「沖縄蔑視」に怒り
2009年12月23日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-154694-storytopic-3.html
 沖縄返還交渉をめぐり、有事の際の沖縄への核持ち込みに合意する内容の文書が見つかったことについて、県内の関係自治体首長や関係者からは「沖縄に基地を押し付けておけとの発想だ。沖縄蔑視(べっし)だ」などと強い憤りの声が聞かれた。市民団体は辺野古への新基地建設の危険性をあらためて指摘し、日本政府に謝罪を求める声も上がった。

 嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会会長の野国昌春北谷町長は「一連の密約が、今の沖縄の基地固定化につながっている」と指摘し「佐藤栄作元首相は『沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらない』と名言を吐いたが、密約を見ると沖縄にそのまま基地を押し付けておけ、という発想だったんだろう。本土の政治家の沖縄蔑視を感じる」と憤った。宮城篤実嘉手納町長は「当然(核貯蔵は)あり得ると想定していた。外交上の秘密はいつも後から出てくる。詳細な情報を手に入れ、今後の取り組みを検討したい」と話した。

 復帰前、辺野古でカメラのフィルムを何度も米軍に抜かれた経験のあるヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「合意は現在も生きている。その中で辺野古の新基地は既存施設と併せ、演習、輸送、貯蔵、すべての面を備えた悪魔の要塞(ようさい)と言える。新基地は単なる抑止力ではなくアジアへの攻撃基地だ」と主張した。

 原水爆禁止県協議会の芳澤弘明代表理事は「核密約の存在は故若泉敬氏の著書で明らかになっているし、米関係者の証言もある。今回の文書はこれらの証言や平和勢力が暴露してきた事実を裏付けるものだ」と指摘し「日本政府はすべての密約を明らかにし国民に謝罪すべきだ」と求めた。

 沖縄返還密約訴訟の原告の1人、我部政明琉球大教授も若泉氏が密約文書を「(佐藤氏が)処置した」と書いていたことから「ないと思っていたものが実際に見つかったので感慨深い」と語った。

=============================================================
嘉手納基地 1958年に核爆弾配備
2008年10月22日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-137360-storytopic-3.html
 【東京】中国と台湾が武力衝突した1958年の台湾海峡危機の際、米軍が嘉手納基地に広島に投下された原爆の約250倍の威力のある戦略核爆弾を配備していたことが分かった。全米科学者連盟(FAS)の核兵器専門家ハンス・クリステンセン氏が情報公開法で入手した「米空軍戦略史」で明らかになった。

 返還前の沖縄に米軍が核兵器を貯蔵していたことは知られているが、米軍戦略の文書で、その事実が新たに裏付けられた。

 嘉手納基地に配備されていたのはMK―39とMK―6の2種類。MK―39の爆発力は約3750キロトン(約3・7メガトン)で、広島に投下された原爆(約15キロトン)の約250倍にあたる。

 58年1月1日から6月30日までの米空軍戦略史には、核爆弾を配備した台湾近辺の基地や爆弾の種類が記載されている。

 クリステンセン氏は戦略史をFASのウェブサイトに掲載。「台湾危機の核兵器」と題し、台湾海峡危機から近年の米中の核計画などを紹介している。

 台湾海峡危機をめぐっては、米シンクタンク「国家安全保障公文書館」が今年5月、当時の米政府内の協議内容をつづった文書を公開。台湾を支持する米軍の首脳部がアイゼンハワー大統領に対し、中国への原爆投下を進言したが、却下されていた経緯が明らかになっている。

=============================================================

トマホーク発射実験継続/ホワイトビーチ寄港の原潜4隻
2000年8月24日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-115737-storytopic-86.html

勝連町のホワイトビーチにたびたび寄港している米海軍の攻撃型原子力潜水艦四隻が過去5年間に、核弾頭型の巡航ミサイル・トマホークの発射試験を実施していたことが23日までに分かった。市民団体「ピースデポ(平和資料協同組合)」(神奈川県)が米研究者を通じて入手した米海軍公文書に記されている。試験継続を示す文書の存在で発射態勢の維持が裏付けられ、有事の核搭載や沖縄への核兵器持ち込みの懸念が依然として残されていることを浮き彫りにした。
市民団体、「核」持ち込みを懸念
公文書によると1995年から2000年までに発射試験を実施したのは米海軍ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦のソルトレークシティー、ヒューストン、サンフランシスコ、ホノルル。発射試験は品質確認などの目的で米カリフォルニア州沖の二カ所の試験発射海域で計六回実施され、核弾頭の代替物(模擬弾)を装てんしたトマホークを魚雷発射管から発射した。

四隻はいずれも発射試験前後にホワイトビーチに寄港している。横須賀や佐世保にも寄港が確認されている。うちヒューストンは今月16日にもホワイトビーチに寄港した。

核弾頭型トマホークは91年の米ソ合意で平時では原潜から撤去され貯蔵庫に保管されることになっている。94年の米ロの「核態勢見直し」(NPR)では空母を含むすべての水上艦から核兵器を扱う能力自体をなくし、攻撃型原子力潜水艦の核トマホーク発射能力だけを維持することが決定された。米国は有事での再搭載に備えて320発の核トマホークを貯蔵しているといわれる。

ピースデポの梅林宏道代表は「NPR以後は原潜の核トマホーク能力も解消され、再搭載は考えにくいとの議論があった。その後の核トマホークの試験動向を伝える情報もなかった。しかし今回の文書で有事搭載の可能性は現実のもので、日本への原潜による核兵器持ち込みの可能性が継続していることが分かった」と指摘している。
有事の際の搭載が心配
蔵当真徳勝連町長 軍隊なので発射訓練を行うのは当然だろう。平時は積んでいないものの、いざという時に積むことが有り得ることは心配だ。ロシアの潜水艦事故もあったばかりで、事故が起こらないようにしてほしい。それにもまして各国が核弾頭を使わないよう努力すべきだ。
=============================================================

劣化ウランとは
ウラン鉱山から採掘した天然ウランは、濃縮過程の中で、まず核兵器や原子力発電用の燃料となるウラン235(U235)と、低レベル放射性廃棄物となるウラン(U238)に分離されます。

高レベル放射性同位元素のU235は、全体の1%で残りは殆どがU238です。 この大量に生み出されるこの金属物質を『劣化ウラン』と呼びます。

劣化ウラン弾の人体への影響
120ミリ砲の場合、劣化ウランの貫通体の重量は約4700グラム、30ミリ砲で約300グラムです。衝撃による燃焼(1200度で発火する)で、このうち70%~20%が酸化ウランの微粒子となって大気中に飛散します。
厳重に密閉して永久保管すべき核のゴミを、景気良くばら撒くのですから結果は云わずともです。いったん酸化ウランの微粒子を体内に吸い込むと肺などにたまり、放射線のつよい化学毒性により癌など健康障害を起こすと言われています。

後遺症
湾岸戦争後、帰還兵やその子供に奇病が発生していますが、これが劣化ウランの後遺症でした。女性兵士キャロル・ビコーさんは脳障害・甲状腺異変に襲われ、彼女には甲状腺の無い子供が生まれています。(毎日新聞より)

 イラクの子供たちにも奇形児・先天性欠損児、白血病・癌が多発しています。
 この写真はテレビや他のマスメディアで報道されご存知方も多いとおもいます。
その惨状を切手にしたのが「この項目のトップページ」に紹介しています。
ベトナム戦争の枯葉剤ダイオキシンに匹敵しています。


=============================================================

劣化ウラン 嘉手納に貯蔵/司令官が表明
2000年5月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-115255-storytopic-86.html

嘉手納基地の米空軍第18航空団司令官のジェームス・スミス准将は24日、劣化ウラン弾が嘉手納弾薬庫内に現在も貯蔵されていることを明らかにした。1997年に発覚した鳥島射爆撃場での海兵隊機による劣化ウラン弾誤射事件以来、在日米軍基地内で劣化ウラン弾の貯蔵が具体的に明らかになったのは初めて。報道関係者に嘉手納基地内を紹介する「メディアデー(報道の日)」での記者会見で述べた。誤射事件後、在日米軍は海兵隊基地からはすべての劣化ウラン弾を撤去したと説明していたが、陸、海、空の三軍の基地での貯蔵の有無は明確にしていなかった。嘉手納弾薬庫への貯蔵が明らかになったことで、県は嘉手納基地に事実確認をした上で、県外撤去を求めていく方針だ。
スミス司令官と嘉手納弾薬庫を管理している米空軍第18弾薬中隊のロナルド・サミック少佐によると、貯蔵されている劣化ウラン弾の種類は空対地による戦車攻撃用で、韓国烏山基地などに配備されているA10サンダーボルト攻撃機が使用する30ミリ機関砲弾。貯蔵量については「把握していないが、嘉手納弾薬庫にある580の倉庫のうち一カ所で貯蔵されているだけで、全体からみれば量は少ない」と説明している。

弾薬庫の劣化ウラン弾は誤射事件当時から貯蔵されており、移動計画の予定はなく、今後も貯蔵される見通し。スミス司令官は「劣化ウラン弾は核兵器ではない。皆さんが思っているほどの危険はなく、人体への悪影響はほとんどない」と安全性を強調した。

劣化ウラン弾の在日米軍基地内の貯蔵の有無について97年8月、外務省沖縄事務所の原島秀毅沖縄担当大使(当時)は「日本に置かれている海兵隊所有の劣化ウラン弾は撤去したということだが、それ以外の部分については事柄の性質上、どこにあるかということは公表できない」と明言を避けていた。
劣化ウラン弾誤射事件 米海兵隊岩国基地所属のAV8Bハリアー機が1995年12月と96年1月、米軍の鳥島射爆撃場への実弾射撃訓練で劣化ウラン弾1520発を誤って撃った事件。同島からは一部のウラン弾しか回収できていない。劣化ウランはウラン235の割合が天然ウランより低いウランの総称。劣化ウラン弾は砲弾の貫通能力が高い上、鋼板に衝突すると小破片が自然発火する。ごくわずかに核分裂物質を含むほか、重金属としての毒性も指摘されている。

=============================================================

政府、核査察を放棄/沖縄返還交渉で条件のむ/米国の秘密電報で判明
1999年5月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94173-storytopic-86.html
1972年の沖縄復帰を前に、核抜き本土並み返還の証明を要求する野党対策として、日本政府が核兵器の撤去と非核三原則の尊重を保証する書簡を求めたのに対し、米側が沖縄米軍基地の核の確認や査察をしないという条件を提示、日本側がこれをのんでいたことが15日、米国メリーランド州の米国立公文書館に保管されていた一連の秘密電報で分かった。

秘密電報を発見したのは琉球大学の我部政明教授(国際関係論)。米国の保証書簡の存在は知られていたが、査察などの放棄が条件となっていた事実が明らかになったのは初めてという。我部教授は「当時の政府は国内向けの対策として米国の保証が欲しかっただけで、貧弱な交渉をしていた。交渉過程で査察の要求すらしておらず、その意思もまったくなかったことが浮き彫りになった」と話している。

秘密電報は復帰直前の71年11月から72年5月までの間、在日米国大使館が国務省にあて、当時の福田赳夫外相と外務省の吉野文六アメリカ局長がアーミン・マイヤー駐日大使と会談した内容の概要などを報告している。

当時、日本政府は核抜き本土並み復帰を主張する野党対策に追われており、米側に保証の書簡を要求。秘密電報は、71年11月19日の会談で、同大使が「沖縄返還時に保証の書簡を出す条件は、核の確認や沖縄の貯蔵施設への査察をしないこと」と強調した事実を示している。

理由として米側は(1)世界各国にある米軍施設への査察要求につながる恐れがある(2)潜在的敵国の支援にしかならない不幸な先例をつくる-などの点を挙げた。交渉を通じ福田外相らは、米側の条件を認めた結果として保証の書簡を得ることができたという。

交渉終了後の72年5月の電報の中には米国務省のウィリアム・ロジャーズ長官(当時)から福田外相にあてた問題の保証の書簡も含まれていたが、「日本政府の政策に反しない方法で沖縄の返還は実行された。沖縄の核兵器に関して米国政府が(日本政府に)した保証は完全に実行された」などと記載されていただけで、核兵器の撤去や非核三原則の尊重の明言はなかった。

交渉の裏側明らかに/米、核戦略の崩壊懸念/日本、国会乗り切りに苦心

琉球大学の我部政明教授が米国立公文書館から入手した一連の秘密電報は、沖縄返還前に行われた核兵器に関する日米交渉の舞台裏の一端を明らかにしている。

核抜き本土並みを保証する書簡を要求した日本側に対し、米側は「条件は核査察や確認をしないこと」と提示。電報によると、福田赳夫外相らはこれを「ベリーグッド」と認めた上で、返還の時点で沖縄に核兵器はなくなったと保証してほしいことも希望。「核兵器に関する米国のこれまでのあいまいな表現は日本国民に不審を抱かせており、国民は直接的な声明を求めている」と要請したとされる。

それに対し、マイヤー米駐日大使は、ロジャーズ米国務長官やパッカード副長官が米国の上院公聴会で(沖縄の核撤去について)証言した内容を国会で使うよう提案。電報は「福田外相らは『それは既に国会答弁で使ったが、野党側から、米国民向けで日本政府向けではないと反論された』として直接的な言及をするよう希望した」と打電している。

さらに、国会戦術として「福田外相は、書簡を衆院本会議の最終段階の極めて重要な瞬間に使う」ことも伝えている。

これらのやりとりについて、我部教授は「当時の冷戦の緊張下で、米国はどこに核があり、どこに核がないか知られたくなかった。実際にフィリピン政府からも『わが国の米軍基地に核兵器があるか』などと尋ねられており、日本の前例が他国へも広がり、核兵器に関する世界戦略が崩れてしまうことを懸念していたようだ」と分析している。

沖縄返還前の核兵器については、若泉敬元京都産業大教授(故人)が「1969年の日米共同声明の際、緊急有事のときは沖縄への核持ち込みなどを事実上認めた密約が存在する」と著書の中で証言、核の疑惑は消えていない。
(以上、共同)

=============================================================

劣化ウラン弾撤去の反響 久米島
1997年8月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90882-storytopic-86.html
「県内からの撤去は結構だが、住民の健康問題にかかわる鳥島に打ち込まれた劣化ウラン弾の回収を実施してほしい」-。劣化ウラン弾が沖縄の米軍基地から韓国へ撤去されたことを米国防総省報道官が明らかにしたことに、鳥島射爆撃場に実射された地元久米島は、県内からの移送を歓迎する一方、誤射されたウラン弾の早急な回収をあらためて要望する。平和団体は「移送したという米国側の情報だけでは信用できない。基地内で県民に確認させるべきだ」と疑いの姿勢を崩さない。

鳥島爆射撃場に劣化ウラン弾を実射され健康への不安を訴える久米島の具志川、仲里両村は6月に那覇防衛施設局などに住民全員の健康診断を申し入れているが、めどがたっていない。

具志川村の内間清六村長は「本当に撤去されたかどうかは疑問が残る。住民の健康のためにも鳥島の残存分の早急な撤去をお願いしたい」と話した。仲里村の平良曽清村長は「沖縄からの撤去は結構なことだが、鳥島に残されている不発弾の撤去を早期に実施してほしい。住民にとって不安は残っており、住民検診の実施を実現してもらいたい」と語気を強めた。

沖縄平和運動センターの新垣善春議長は「撤去したということは、これまで沖縄の米軍基地内に核関連兵器があったことをあらためて裏付けたもので、核と県民が同居していたことに背筋が寒くなる思いだ。撤去されたことが本当なら、この目で確認をさせてほしい」と米側の撤去発言にさらに疑いの目を向ける。

放射線問題に詳しい琉球大の矢ヶ崎克馬教授(物理学)は「沖縄から出て行ったからいいというものではない。劣化ウラン弾は廃棄すべきだ。鳥島での実射について影響がないというのは極めて恣(し)意的な見方だ」と話した。

一方、嘉手納弾薬庫を抱える沖縄市の新川秀清市長は「劣化ウラン弾は持ち込みから撤去に至るまで、地元には一切知らされていない。貯蔵中に環境面への影響がなかったのか、国の責任で確認すべきだ。立ち入り調査も必要ではないか」と語った。

宮城篤実嘉手納町長は「危険が回避されたことは町や住民にとって喜ばしい」と劣化ウラン弾の嘉手納弾薬庫からの撤去に歓迎の意向を示す一方で「弾薬庫には何が貯蔵されているか検証できず、われわれは常に危険と隣り合わせの生活を余儀なくされている」と怒りの声を上げた。