益川教授「改憲は自由に兵器使うため」 9条に思い
2009年3月9日3時0分
http://www.asahi.com/national/update/0308/TKY200903080143.html
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(69)が8日、東京都千代田区の明治大で講演した。自身も呼びかけ人をつとめる「九条科学者の会」の発足4周年記念の一環。ユーモアを交えながら平和への思いを語った。
益川教授は「改憲派は、なぜ憲法を変えたがるのか」という問いを何度も投げかけた。「ぼくは物理屋。因果律で考える癖がある。『なぜ』と。彼らは条文に不備があるからと言っているが、解釈改憲で自衛隊がソマリアまで行く時代。条文不備のせいじゃない。9条があったのでは出来ないことをやりたいからに違いない。つまり自由に兵器を使うということです」
幼いころ名古屋で空襲に遭った経験を振り返った。名古屋大の先輩の被爆体験を話しながら、感極まって声を詰まらせた。「私は、子にも孫にもあんな思いはさせたくない。国家が国家の名のもとに始める戦争は嫌です。好きな人はやってください……あ、いや、それも困る」。ひょうひょうとした口ぶりに、床まで人で埋まった会場は、何度も笑いに包まれた。
講演は約1時間。戦争は突然起きるわけではないと訴えた益川教授は「最終的には理性の問題です。一つのかけらを見た時に、人間としてそこから何を想像できるか。鋭い目を持てば戦争の予兆は見える。その時、反応しなければならない」と締めくくった。(谷津憲郎)
............................................................................................................
●「戦争ができる国」になるための法制の関係年表(作成:田中隆)●
1990年 イラク、クウェート侵攻。国連平和協力法案・廃案
(1990年10月提出、11月には廃案)
戦後初、自衛隊を海外へ派遣するための法案が出されたが、反対の声が大きく1ヶ月で廃案。背景には、イラクのクウェート侵攻。
1991年 湾岸戦争
1992年 PKO法。陸上自衛隊・カンボジアへ
(91年9月提出、92年6月に成立)
湾岸戦争のトラウマ
戦後はじめて自衛隊が海外に派遣されます。それまで国際社会の紛争の解決や和平のためには、日本は経済的支援を続けてきました。湾岸戦争の際には、戦費130億ドルを出したにもかかわらず、「感謝されなかった」として「トラウマ」が残ったとされました。92年9月に陸上自衛隊がカンボジアへ派遣。
1994年 政治改革、北朝鮮核疑惑、読売新聞社・改憲案、警察庁に生活安全局。
1997年 日米防衛協力の指針(新ガイドライン)。
1999年 周辺事態法・憲法調査会設置法・盗聴法・国旗国家法・地方分権一括法・司法改革審議会法・金融再生法など成立。
2000年 「米国と日本・成熟したパートナーシップ」(アーミテージ報告)。
2001年 4月 小泉純一郎内閣成立。米・ブッシュ政権は1月に成立。
9月 「同時多発テロ」(9・11事件)。
10月 アフガン空爆開始。
11月 「テロ」特措法成立。米軍支援のための補給艦隊インド洋へ。
(法案提出からわずか3週間での可決、制定)
「反テロ戦争」テロと戦うための特措法
自衛隊の支援艦隊がインド洋にて米軍の機動部隊に燃料を補給。戦闘行為そのものに参加したわけではないが、明らかにこれは「参戦」行為。
「同時多発テロ」を契機に派兵のための法制づくりが加速します。10月、ブッシュ政権は報復戦争に突入しアフガンに空爆開始。世界中がこの流れに、「ヒステリー的」に同調していきます。
2002年 4月 有事3法案提出。通常国会で継続審議。
9月 アメリカ「国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)。
2003年 3月 米英軍、イラク攻撃開始。中央教育審議会最終報告。
6月 有事3法成立。
7月 イラク特措法成立。
背景は、02年10月に出された「ブッシュ・ドクトリン」。
東京都安全・安心まちづくり条例。
2004年 2月 陸海空3自衛隊イラク派遣。陸上自衛隊・サマワに駐屯。
04年2月に、戦後初めて自衛隊が戦地に赴任した。イラクからは08年暮に撤退。
6月 有事10案件(国民保護法など)成立。
2005年 1月 日本経団連「わが国の基本問題を考える」
9月 総選挙で自民党圧勝(郵政・総選挙)。郵政改革法成立。
11月 自民党大会・新憲法草案。
2006年 5月 米軍・自衛隊再編合意(2+2)。改憲手続法案提出。行革関連法成立。
9月 安倍晋三内閣成立。「教育再生会議」設置(10月)
12月 教育基本法「改正」、防衛省昇格法成立。
2007年 1月 日本経団連「希望の国、日本」。安倍首相「戦後レジームの脱却」
5月 改憲手続法成立。規制改革会議・第1次答申。
6月 教育3法、米軍再編特措法、イラク派兵延長法など成立。情報保全隊問題。
7月 参議院選挙で自民党歴史的惨敗(年金・政治とカネ・構造改革・憲法)。
9月 安倍内閣退陣。福田康夫内閣成立。
11月 「テロ」特措法期限切れ、補給艦隊インド洋から帰還
———この間、格差社会、絶対的貧困・窮乏が社会問題化。構造改革への批判が急速に強まる。
2008年 1月 新「テロ」特措法、参議院で否決、衆議院再可決で成立。
(08年1月成立)
インド洋での給油は継続中
4月 後期高齢者医療制度実施。名古屋高裁・イラク派兵違憲判決。
5月 改憲反対の世論拡大。9条世界会議。
9月 福田内閣退陣。麻生太郎内閣成立。
11月 アメリカ大統領選挙。オバマ候補(民主党)当選。
———この間、サブプライムローン問題に端を発した世界金融危機。世界同時不況。
2009年 2月 東京都議会・安全・安心まちづくり条例「改正」案
3月 ソマリア沖に護衛艦派兵、海賊対処法案提出。
................................................................................................
視点を変えてこの20年を振り返ると
ここで別の視点から、これまでの法制の動きを分析してみたいと思います。「戦争に参加できる国」にしたいと考えている人たちにとってみれば、この20年をどのように捉え、また課題を設定しているのでしょうか?
1990年からこの20年間において、派兵法だけみると様相はかなり変わりました。野党や市民の反対の声により、たった1ヶ月で廃案になった時代から、今では海外派兵は日常化しているといってもいいでしょう。しかし、それでも出すたびに期限付きの「特措法」を作らなくてはならず、そして出せたのも兵站部隊のみ。しかも、与野党が逆転した参議院では、新「テロ」特措法は否決続き。加えて、イラク派兵違憲判決が2008年4月に出され、大きな衝撃を受けました。またイラク戦争の失敗をアメリカのみならず国際社会も認め、軍事力で平和は構築できないということにみんなが気づきはじめます。「反テロ戦争」の失敗が明らかになり、世論もイラク戦争に賛成した日本政府の姿勢について、不支持を示しています。
そして明文改憲=9条改憲については、憲法改正の手続き法である、国民投票法の制定は安倍政権下で行われましたが、世論としては9条護憲の声の高まりがあり、発議しても国民投票で9条改正が否決される可能性も高い・・・。
などなど、「派兵や後方支援のための法制をしつつ、明文改憲で軍隊を明記、集団的自衛権も認めるなど、名実共に “戦争できる国“にしたい」と考えていた人たちは、「こんなはずじゃなかった・・・」と思っているのでは、ないでしょうか?
もし私が彼らの立場だったとしたら、「ならば、新たな手段」ということで知恵を絞るでしょう。そして考え出されたのが、「警察活動」を口実にした「海賊対処法」ではないでしょうか。
ソマリア沖派兵と海賊対処法
最初にソマリア沖の海賊の話題が国会で持ち出されたのは、2008年10月の衆院テロ防止特別委員会にて。民主党の長島昭久氏が、「海上保安庁の巡視艇がソマリア沖の海賊対策に当たるのは困難」との趣旨の答弁を政府から引き出したうえで、「自衛隊艦艇のエスコート(護衛)は海賊対策にかなり効果がある」と麻生首相に提案をしたことに始まりました。それからわずか3ヶ月あまりで、国会議論も承認も得ず、2009年1月28日に麻生首相が指示を出し、海上警備行動での海自の派兵が決定されました。
3月14日、護衛艦「さざなみ」「さみだれ」が派兵されました。海上警備行動は、海上保安庁の能力を超えた不審船などに対して、海上自衛隊が行う治安維持活動で、日本近海を想定した規定です。日本の民間船舶を海賊から守る、護衛するという目的なので、軍事行動ではなく、警察行動だと言いながら、「戦闘地域」への戦闘用艦艇の派遣が行われたのです。海賊が来て発砲ということになれば、日本の軍隊が平和憲法下ではじめて戦端を開いた瞬間になるでしょう。
そして現在、国会にて審議中の海賊対処法は、この派兵を法的に追認し、しかも恒久化する法制です。海賊対処法は、護衛の対象を外国船籍の保護にまで拡大するもの。また、停船命令を無視した海賊船への射撃が可能になります。つまり武器使用の基準がこれまでよりずっと緩和されるのです。また期限をもうけている特措法でもありません。そして今回の政府の憲法解釈は、「海賊は国や国に準じる組織ではない、なので憲法が禁じている武力行使ではない」としていますが、その解釈だとテロ組織との武力行使も可能ということになり得るのです。
ソマリア沖派遣と、海賊対処法は、警察活動を口実にして「9条」を大きく迂回しつつ、自衛隊を戦闘に突入させようとしている策動です。
...............................................................................................................
ついに! 国益のために海外派兵をする国になった日本
2009年3月14日にソマリア沖に海上自衛隊の艦隊が出港しました。まもなくソマリア沖に到着し船団護衛任務につくことになりますが、ソマリア沖は「実戦海域」であり、護衛艦は「戦闘艦」です。そして今回の派遣の目的は、「日本のシーレーン確保のため。日本の国益、実益のため」とはっきりと国会でも答弁されています。これはどういうことでしょうか?
日本はアメリカの対テロ戦争であるアフガニスタンのOEFにも、給油活動を行い参加しました。NATOにとってこの作戦の法的根拠は自衛戦争であり、法的にNATOとまったく関係ない日本が、言わば他人の自衛戦争に参加している。対テロ戦への貢献という「世界益」の大義があろうと、違憲行為です。しかし違憲の度合いから言うと、今回のソマリア沖への海自艦隊派遣の方が、格段に大きい。なぜなら私たちは、第二次世界大戦後、軍隊を外に出さなきゃ守れないような「国益」は放棄したはずだからです。極端なことを言うと、私たちの国に原油が入ってこなくなり、電気が止まろうが、それでも私たちは、軍事行動で国益を求めない、そう誓ったはずです。こうして見ると、曲がりなりにも「世界益」を掲げたOEF給油活動の方が、マシに見えます。
今、当たり前のように、メディアや政治家は、「日本の船を襲う海賊だから取り締まるのは当たり前。我が国の国益のために自衛隊が出ていくのは当然」といった論調です。そして世論調査によると、9割の人が今回の派遣については、「賛成」もしくは「海賊だから仕方ない」と思っているそうです。一方で、憲法9条の改憲についての世論調査では、6割の人が9条は守った方がいいとう数字が出ていると聞きます。ということは、9条護憲だけれど、今回のソマリア沖の海自の派遣には賛成、という人がかなりの数、いるということになります。 そのような人は、いったいどういう考えなのか。私にとって、国家主義的なゴリゴリの改憲派よりも意識が遠い人たちに感じます。
もはや護憲派は「敗北宣言」をするべきでは?
私は、立場上、9条護憲の皆さんの集まりから講演を頼まれることが多いのですが、たびたび面食らう場面があります。アフガニスタンやアフリカの紛争のこと、国連の平和維持軍の活動を説明した後、日本の平和貢献に話が及びます。すると、突然怒り出す人がいるのです。私は、「平和貢献には軍を出す以外に色々な方法があり、平和憲法をもっている日本は敢えて自衛隊を出さないことでそのイメージを更に強化し、他国にはできない貢献ができる」という意見なのですが、そういう人は、自衛隊を出す出さないを議論しなければならないような面倒な国とは付き合うな! つまり、アフガニスタンみたいな国と付き合うから日本は自衛隊を出さなければならなくなるし、自衛隊の存在価値を高めてしまう、ということらしいのです。
自衛隊の海外派遣の必要なしという点では、私と同じですが、目的意識は180度違います。護憲派は、これまでカンボジアなど国連平和維持活動「世界益」の派遣にもちゃんと強く反対の声を表明してきました。しかし、小泉さんが現れて、アフガニスタンとイラクの対テロ戦争というあやふやな「世界益」への派遣になったのですが、その声は逆に小さくなっていきました。そして、今回のソマリア沖派遣、もろ「国益」です。戦後最大の違憲派兵に対して、反対意見は最小。「自分の国さえ良ければ」という「一国平和主義」に護憲派自身が陥ってしまっているのではないでしょうか。
私は護憲派として「敗北宣言」をしようと考えています。つまり、9条は日本人にもったいない。ただそれだけのことだったのだと。
(4月6日談)