2009年7月31日金曜日

【反貧困】 反貧困ネット

 7月31日、お茶の水の総評会館で反貧困ネット主催の「選挙目前!私たちが望むこと」の集会があった。


午後7時開会で開場が6時半。参加者の出足がよく、6時40分に会場に着いたが、すでにほとんどの席が埋まっている盛況ぶりだった。参加者の数は350名。壇上の左手前方に各党の政治家が並び、その奥に主催者の宇都宮健児と河添誠が座っていた。湯浅誠は総合司会役で、マイクのある会場左袖で起立したままだった。雨宮処凜が来てないな思っていたら、集会が終って会場を出たときにロビーで顔を合わせた。

雨宮処凜とはよくこういう状況で鉢合わせになる。
1月15日の派遣法改正集会のときもそうだった。顔を揃えた野党の政治家は、菅直人(民主党)、大門実紀史(共産党)、亀井郁夫(国民新党)、保坂展人(社民党)。

この種の集会のレギュラーである私の論争相手の彼女は今回欠席していて、やはりいるべき人間の顔がないと物足りなさを感じる。その代わり、今回は菅直人の隣に別の女性が座っていて、彼女の登壇が昨夜の集会のハイライトだった。
自民党の森雅子、44歳。太田光のお笑い政治番組に出演したらしいが、私には記憶がない。反貧困なり派遣法改正の集会で自民党の国会議員を見たのは初めてである。驚かされた。

森雅子は菅直人と一緒に会場に入って来て、菅直人の前に挨拶をして、菅直人が挨拶した後に二人で一緒に会場を出た。私は彼女が自民党の議員だとは知らなかったから、菅直人が選挙の新人候補を連れてきて紹介するのかと思っていた。

森雅子は、短いスピーチの中で、自分の家も多重債務で苦しんだこと、中学を出た後に働いて高校と大学に進学したこと、東北大学は月2400円の学生寮があったから助かったことなどを自己紹介した。さらに、反貧困には党派の壁はないと言い、貸金業法規制の国会審議では、むしろ民主党の議員の方がグレーゾーン金利の規制に消極的だったと暴露、前原誠司を名指しして、金利を引き下げるのではなく引き上げる方向に動いていると痛罵した。

この告発は満席の観衆をどよめかせたが、私も気になったので帰宅後にネットで検索エンジンを回して調査した。すると、彼女の証言を裏付けると思われる情報があった。

前原誠司のサイトの中に今年の元旦に上げられた「直球勝負(64)-なぜ政権交代が必要なのか」の記事があり、その最後の方に、「官製不況をもたらしている、建築基準法・金融商品取引法・貸金業法を見直します」とある。

今後、国会の委員会質問で前原誠司がどのような発言を残しているか精査する必要があるが、この政策文言だけ見ても、趣旨が金利の規制緩和にあり、サラ金の利用者ではなく業者に有利な方向に法改正をしようとしている姿勢が看取される。

「政権交代」に憑かれているブログ左翼の一部では、勘違いして前原誠司は新自由主義者ではないなどと擁護論を吐く者もいるが、貸金業法改正で金利の上限規制に反対しているのは、あの新自由主義の天部衆である木村剛と竹中平蔵ではないか。

この記事で並べている前原誠司の政策主張はどれも凄まじい。
(ア) 官製不況をもたらしている、建築基準法・金融商品取引法・貸金業法を見直します。
(イ) 極めて低い水準にある、海外からの日本への投資を増やします。
(ウ) 羽田空港の24時間国際空港化を目指します。
(エ) 出来るだけ早い時期に、海外からの観光客2000万人を達成させます。
これだけを見ると、中川秀直か世耕弘成の政策目録かと見まごうほどである。
ピカピカの新自由主義政治家のマニフェストだ。

森雅子のスピーチに対しては、会場からは拍手と同時に罵声を含んだ野次も飛び、私は呆気に取られたままだった。この反貧困集会の会場で、まさか初見参の森雅子が民主党批判の舌鋒をふるうなど夢にも思わなかったのか、菅直人も不意を衝かれた感じで、自分の出番までの間ずっと他の講演者の話も聞かずに隣の森雅子に小言を言い続けていた。鮮烈なデビューを飾った森雅子。サイトにも「格差解消」や「弱者救済の市民派弁護士の志」の言葉があって興味を惹く。だが、サイトやネットの中を見ると、丸山和也や与謝野馨との親密ぶりなど、とても彼女を信用できない情報ばかりが溢れている。

森雅子が反貧困の集会に出席した事情や背景が気になってさらに調べると、岩波から出ている一冊の本(横田一著『クレジット・サラ金列島で闘う人びと』)が見つかった。著者の横田一がこう書いている。「莫大な利益を稼ぎ出していたクレジット・サラ金業界に闘いを挑んだ人たちは、挫折を乗り 越えて社会正義の実現に奔走するようになった人生遍歴がありました。弁護士から金融庁 職員を経て参院議員となった森雅子さんは、中学生の時に一家が破産、借金取りに恫喝される絶望的な日々を経て、金利規制強化の最前線に立つことになりました。

サラ金問題の第一人者として金利引き下げ運動をリードした宇都宮健児弁護士も、若き イソ弁時代に二度の弁護士事務所追放を経験していました」。どうやら、サラ金問題での宇都宮健児との関係が接点だと推測できる。だが、貧困な家庭や境遇から這い上がった人たちが全て反貧困になるとは限らない。典型的なのが折口雅博で、逆に弱者を残酷に収奪する側に回ったり、弱者の側につく素振りをしながら自分の出世のために騙して利用するだけの人間も少なくない。

森雅子はどうだろうか。この集会の参加者で挨拶もした大門実紀史は、「国会にも超党派で多重債務問題対策議員連盟というのができまして、自民党の森雅子さんが大変尽力されて、超党派でできました」と言い、森雅子を高く評価している。この議員連盟の民主党代表が枝野幸男で、東北大学法学部で森雅子と同期である。いろいろと関係の糸が繋がって面白い。

今回の集会の最大のニュースは、菅直人の挨拶の発言であり、政権獲得後の民主党政府で貧困問題の調査を必ず実行すると約束したことだろう。実は、この公約は民主党のマニフェストに盛り込まれていた。私は、前々回の記事で民主党のマニフェストの中に「貧困」の言葉がないと書いたが、「格差」の文字は一度も出ないけれど、「貧困」の文字は一度だけ小さく出てくる。21ページの「最低賃金を引き上げる」の項目の中に「貧困の実態調査を行い、対策を講じる」とある。表記は小さいが、具体的にマニフェストに入れた点が大きいのだと菅直人は言いたかったのだろう。

貧困の実態調査は、湯浅誠が政治に訴え続けてきた要求で、岩波新書の『反貧困』でも特に強調されている。どうやら、湯浅誠は、貧困の実態調査を選挙で政党に要求する政策課題として狙いを定めていた様子で、6/26の「朝まで生テレビ」の討論会でも、(1)貧困の実態把握と(2)貧困率引き下げの目標設定の2点をマニフェストで公約するよう番組に出席した政党代表者に迫っていた。このうち、(1)は民主党の公約の中に入った。(2)については民主党は何も触れていない。そして、昨夜の集会で決議採択した宣言文には、次期首相が施政方針演説で貧困調査の実行と貧困率削減目標を立てることを宣言するよう求めた。

これに対して、菅直人は挨拶の中で、「私が総理大臣になれば施政方針演説の中に入れるけれど」と濁し、この集会宣言の要求の実行については確約を避けた。

湯浅誠は、選挙後の新政権が公約に従って貧困の実態調査に踏み切り、貧困率の現実を認めるだろうと確信しているかも知れない。だが、私は疑っている。民主党は貧困の実態調査をして対策を行うと言っているが、実態調査の中身や時期については不明であり、厚労省の従来の姿勢をどれほど転換させられるか不安が拭えない。

調査をやるとなれば、結果は事前に明白だから、その後の貧困率低減のための対策も抜本的にならざるを得ない。予算や法令も小手先の対応では済まないだろう。私が不安を覚えるのは、そのプロセスを国会で監視する野党勢力がないことだ。全てが民主党政権のフリーハンドに委ねられる。

誰が厚労大臣になるかで政策は大きく左右されるし、仮に新自由主義系の右派が労働行政を差配すれば、昨夜の集会宣言が要求した政策の内実とは似ても似つかぬ「貧困実態調査」や「対策」になることは目に見えている。骨抜きされる。湯浅誠は、宣言文の中で「政府は1965年以来、貧困率の測定を行っていません。つまり私たちが求めているのは半世紀ぶりの政策転換です」と言って実態調査の意義を強調しているけれど、あの橋本龍太郎の1府12省庁の行政改革でさえ、最初は明治以来の大革命だと大騒ぎして宣伝された。実態調査と対策が先送りにされたとき、あるいは骨抜きにされたとき、湯浅誠たちはどうするのだろうか。野党となった自民党に頼んで、次の選挙のマニフェストに入れてもらうのだろうか。

ここに陥穽がある。盲点があると思う。7/18号の週刊ポストに寄せた回答にあるように、湯浅誠は「政権交代」に期待し、「政権交代」によって貧困問題が解決に向かうことを展望しているが、民主党政権が公約を裏切った場合はどうなるのか。「政権交代」に全幅の信頼を置けるのか。民主党が反貧困ネットの期待どおりに政策を遂行すると信じるのは、あまりに政治的に素朴に過ぎないか。それと、私が気になるのは、今回の集会のマスコミの報道である。テレビカメラが入っていたが、放送されたニュースの映像を見ていない。集会後、数名の新聞記者が湯浅誠を取り囲んで取材するのを見たが、記事になって出ているものは決して多くない。東京、共同、朝日、時事、毎日。半年前の派遣村の頃は読売や産経や日経も湯浅誠に密着して動きを取り上げていて、一つの出来事(発表や会見)で複数の記事が上がっていた。今回、記者が読者に知らせなくてはいけないこと(バリュー)は、自民党の国会議員が反貧困集会に出席した事実と、民主党がマニフェストで貧困実態調査を公約し、菅直人が挨拶で公約を確認したことだが、記事がそこにフォーカスされておらず、政治としてのこの集会のメッセージが有効に一般読者に届いていない。


350名の参加者数など、選挙の時期の集会としてはむしろ少ない方で、情報のインパクトとして強くない。また全般に、記事が社会部の記事になっていて、貧困問題の集会として書かれていて、政治の記事になっていないことがある。本当は、政治部の記者を呼んで記事にさせないといけない。政界面の選挙報道の関心の角度から発信させなくてはいけなかった。

それと最後に、反貧困運動も政治に働きかけるのであれば、数と勢いを積極的に追求する必要があり、もう少しネットを活用することを考えるべきだろう。集会の事前告知や結果報告にネットを活用するべきだ。採択された宣言文だけでなく、ペーパーで提出された17項目の要求(反貧困ネットの選挙マニフェスト)や当日の報告者の資料はネットに掲示して公開すべきだ。

2009年7月30日木曜日

【年金問題】 年金改竄の実態

 私は、厚生労働大臣直属の調査委員会の委員として、「年金改ざん問題」の調査に加わった。その結果分かったことは、この「年金改ざん」による社会保険庁職員への非難がほとんど根拠のないものだということだ。

 少なくとも、社保庁職員が、国民に実害を生じさせるような「犯罪行為」に関わった具体的な証拠は、調査委員会の調査結果からは何一つ得られていない(標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会報告書)。

そればかりか、全国の社会保険事務所で「仕事の仕方」として定着していた「標準報酬月額の遡及訂正」というやり方は、保険加入者間の負担の不公平を防止することにもつながるものでもあった。

 なぜ、ほとんど「空中楼閣」のような「社保庁組織丸ごと犯罪者集団ストーリー」が作り上げられてしまったのか。その大きな原因が、社保庁を含む厚生労働省のトップである舛添厚労大臣が、「改ざん」の事実を確認することもなく、制度の仕組みを理解することもなく、自らの部下である社保庁職員を「犯罪者」のように決めつけて一方的にこきおろしたことにある。大臣の国民への「人気取り」のパフォーマンスがマスコミのバッシングをエスカレートさせることにつながった。

 これまでにも数々の不祥事を重ねてきた社保庁組織や職員に問題が多々あったことは否定しないし、私は、それら全体を擁護する気持ちは全くない。しかし、少なくとも、この厚生年金記録の「改ざん問題」に関しては、社保庁職員に対する非難は明らかに重大な誤解によるものだ。

 しかも、その誤解を解消しないと、今後の年金に関する業務体制の構築や運用の在り方について重大な悪影響が生じる。将来の年金給付率の低下が予測され、若年世代に年金制度への不満が高まっている現状の下ではなおさらだ。誤解に基づくバッシングのツケは、将来、厚生年金加入者全体が払うことになりかねないのだ。

「刑事告発」が目的だった大臣直属の調査委員会

 中央大学法科大学院教授で弁護士でもある野村修也氏から、いわゆる年金「改ざん」問題に関する厚労省の調査委員会の件で依頼があったのは、9月末のことだった。「従業員の給料から年金保険料の半額が天引きされているのに、社保庁職員が、標準報酬月額を不正に減額して、事業者の年金保険料の支払いを免除したり、少なくしたりしている問題について、舛添厚生労働大臣から調査の依頼を受けている。場合によっては刑事告発に至る可能性もある。そのメンバーとして加わってほしい」という話だった。

 「消された年金」「年金改ざん」などと呼ばれて、社会的にも大きな関心を集めている問題であり、刑事処罰についての適切な判断のためにも検事経験の長い私のような弁護士が関わることが必要なのだろうと考えて、私は、野村教授の依頼を受けることにした。

 その後、具体的説明を受ける機会がないまま、10月6日の夕刻、厚生労働大臣室で調査委員会の最初の会合が行われることになった。そして、その当日の朝刊には、「年金改ざん、調査チーム設置へ、舛添厚労相、刑事告発も」という見出しで、この調査についての記事が出ていた。

 「舛添要一厚生労働相は5日、茨城県龍ケ崎市で講演し、厚生年金標準報酬月額改ざん問題での社会保険庁職員の関与を調べるため、弁護士数人でつくる厚労相直属の調査チームを6日に設置する方針を明らかにした。改ざんへの関与が明らかになった場合、公文書偽造などの罪に当たるため、時効になっていないケースの刑事告発を検討する。 舛添氏は『(改ざんされた)紙が残っていれば、それを証拠に悪い職員を逮捕できる。徹底的にうみを出したい』と述べた」

調査メンバーには直接の説明もないのに、舛添大臣は、調査の目的が「改ざん」への社保庁職員の関与の解明と関与した職員の刑事告発であることを公言している。要するに、社保庁職員が「公文書偽造などの犯罪行為」を行ったことが疑われているので、その具体的事実を明らかにして刑事告発するために我々弁護士を雇ったということのようだ。

 米国での違法行為が、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的な行為、つまり「ムシ(害虫)型」が多いのに対して、日本での違法行為の多くは、組織の利益を主たる目的にして、継続的・恒常的に行われる「カビ型」だ。ムシ型は、その個人に厳しい制裁を科すという「殺虫剤の散布」で十分だが、カビ型違法行為は、その全体像を明らかにして原因となっている構造的問題を解明する「湿気や汚れの除去」をしなければ本当の解決にはならない。

かねて、官庁・企業の不祥事についてこのように述べている私には、社保庁の組織全体で行われていた可能性がある「年金改ざん」に対しても、違法行為の全体像を解明し、その構造的な要因を明らかにするカビ型対応が不可欠だと思われた。舛添大臣の依頼の趣旨が、単に、目についたムシに殺虫剤を撒く「ムシ退治」をしてほしいということであれば受任をお断りするしかないと考えて、10月6日の大臣室での初会合に臨んだ。

 会合に先立って舛添大臣から4人の調査委員への辞令交付が予定されているとのことで、大臣室の前にはテレビカメラが待ち構えていた。しかし、まず、大臣から調査の目的と趣旨についての説明を受けなければ、受任するか否かが判断できない。他の委員の意向も同様だった。4人の委員全員の要求で辞令交付の前に大臣と会談し、「『最初に告発ありき』ではなく、まず、事案の全体像を解明し、違法行為があればその悪性の程度を評価したうえで刑事告発の要否を判断するということでなければ受任できない」と条件を提示、大臣が了承したので、調査委員会の初回会合に移行し、テレビカメラを入れての大臣発言、辞令交付が行われた。そして、調査委員会の委員長には野村教授が就任、委員4人の下に9人の若手弁護士による調査チームも組織された。

 こうして、いわゆる「年金改ざん問題」についての厚労大臣直属の調査委員会の調査が始まった。しかし、その調査の結果からは、刑事告発の対象となる事実はおろか、不正行為への社保庁職員の具体的な関与はほとんど明らかにならかった。

厚生年金については、給与や報酬の実態に応じて事業主が個々の保険加入者の標準報酬月額を申告することになっており、それを基準に毎月の保険料が決まり、将来年金を受給する権利も生じる。この標準報酬月額の「遡及訂正」、つまり遡って引き下げる手続きをしたことが問題にされている。それによって、支払うべき保険料が遡って安くなるので、保険料の滞納額が帳消しになる一方、将来受け取ることになる年金額も減少する。

 ただ、「改ざん」と言っても、事業主の申告もなしに、社保庁職員が勝手にやったというのではない。少なくとも事業主自身の申告に基づいて遡及訂正が行われている。給与から保険料を天引きされている従業員の報酬月額がその本人の知らないうちに事業主によって勝手に引き下げられて、保険料の滞納が帳消しにされたのであれば、事業主による保険料の着服・横領そのものであり、それによって従業員の将来の年金額が不当に減らされ実質的な被害が生じる。舛添大臣が「犯罪」「刑事告発」などという言葉を口にするのは、そういう事業主による保険料の着服に社保庁職員が関わっている疑いがあるという意味のはずだ。

 しかし、そのような事業主の犯罪行為が実際にどの程度行われていたのかは、明らかになっていない。従業員分の報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関与したと疑う根拠はほとんどない。

 一方、事業主が自分の標準報酬月額の遡及訂正の申告をするのは、将来の年金が減ることを本人が納得したうえで手続きを行っているのだから実質的な被害はない。2008年11月28日に公表された調査委員会報告書で「社会保険事務所の現場で半ば仕事として定着していた」と述べているのは、このような事業主自身の標準報酬月額の遡及訂正だ。しかし、そのような行為が多くの社会保険事務所で恒常的に行われていたことには理由がある。

厚生年金は大企業向けに作られた制度

厚生年金は事業者に雇用される労働者を対象とする公的年金で、すべての法人事業者と従業員5人以上を常時雇用している個人事業主が厚生年金への加入が義務づけられ、従業員の保険料の半分は事業主が負担することになっている。個人事業主の場合は、事業主自身は厚生年金には加入できないが、法人事業者は、経営者もその家族も、法人から報酬を受け取っている限り厚生年金の加入の対象となる。厚生年金に加入すると、給与や報酬の額に応じて事業者の申告によって設定される標準報酬月額を基準に保険料の支払い義務と将来年金を受給する権利が生じる。

 このような厚生年金の制度は、経営基盤が安定し、経営者や従業員の社内での地位や待遇も明確に決められている大企業向けのものだ。大企業の場合、従業員の給与は給与規定などの社内規則で定められていて、その支払いの事実は賃金台帳に記載され、役員の報酬も取締役会決議などで定められているので、給与・報酬の金額が客観的に明らかでそれに応じて標準報酬月額を定めることが容易だ。

 資金繰りも計画的に行われ、社会的信用を重視するので、経営状態が変化しても社会保険料を滞納することもほとんどない。あらかじめ定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという方法での年金制度の運用に適している。

しかし、中小零細企業の場合は、法人であっても、その実態は個人事業者に近いものが多く、事業主が代表取締役、その親族が取締役という場合が多い。経営も不安定であり、収支が悪化すると、借金返済や従業員の給与の支払いが優先され、社会保険料の滞納が生じやすい。

 しかも、いったん滞納すると、年に14.6%という“サラ金”並みの延滞金がかかるので、滞納額は雪だるま式に膨れ上がっていく。一方、事業主も、形式的には法人の取締役などの地位にあっても、その報酬が「客観的に定まっている」とは到底言い難い。経営が悪化すると、報酬を受け取るどころか、売掛金や従業員の給与の支払いを事業主の借金で賄うというような「持ち出し」になることも珍しくない。

 一方、標準報酬月額は、厚生年金加入の時点で事業者の申告によって定められ、毎年度改定することになっているが、中小零細企業の場合、改定が行われないまま放置されていることも多い。経営悪化のため保険料を滞納 している事業主の場合、標準報酬月額が実際の報酬額より高い額のまま放置されている場合が多い。

中小零細企業の場合、あらかじめ給与・報酬の実態に応じて定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという厚生年金制度を適用していくことが、もともと困難なのだ。

保険料を払っても払わなくても将来の年金額は変わらない

 そして、重要なことは、厚生年金の場合、加入期間の標準報酬月額に応じた年金受給権は、保険料を滞納していても、事業主の倒産などで支払い不能が確定しても、全く変わらないということだ。要するに、厚生年金は保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金は変わらない。労働者のための公的保険で、労働者は給与から保険料を天引きされているので、事業主が保険料を払わなかったからと言って年金がもらえないのはかわいそうだというのが、その理由だ。しかし、その結果、保険料を払わなかった事業主自身も、払った場合と同額の年金が受給でき、その分は、まじめに保険料を支払っている他の年金加入者が負担することになる。

 「そんなバカな!」と思われるかもしれない。調査委員会の調査を始めた段階では、委員も調査員も誰もこのことを認識していなかった。調査の過程で、厚労省の側に説明を求め、ようやく、それが確認できたのだ。このような厚生年金制度の下では、事業主の保険料滞納を放置すると保険加入者間の負担の公平を害することになる。

徴収率を維持するために社保庁職員が行うべきことは、まずは粘り強く説得して保険料を支払ってもらう努力をすることだ。しかし、経営不振で資金繰りに苦しんでいる中小零細企業に滞納している保険料を支払わせることは容易ではない。その場合、法律が予定している正規の手続きは、調査委員会報告書でも言っているように「毅然たる態度で滞納事業者の財産の差し押さえを行うこと」だ。

 しかし、中小零細企業には差し押さえて換価処分できるような会社名義の財産などほとんどないし、事業に不可欠な設備や売掛金が入金される銀行口座を無理に差し押さえたりすればただちに倒産してしまう。実際には、財産の差し押さえで保険料の滞納を解消することは容易ではない。

遡及訂正は保険加入者間の負担の公平のための唯一の手段

 そうなると、支払い困難な中小零細企業の事業主の保険料滞納を解消する唯一の方法は、事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を遡って減額することだ。経営不振で資金繰りに困って長期間にわたって保険料を滞納している事業主であれば、まともに自分の報酬など受け取ることすらできない場合も多い。そのような事業主の標準報酬月額を遡って引き下げるのは、基本的に報酬の実態に近づけるもので、必ずしも「不適正」とは言えない。

 保険料が支払い困難な経営状態の事業者の滞納事案を放置した場合には、その事業者が倒産して多額の滞納が確定すると、保険料を支払わなかった事業主に将来多額の年金が支給されることになり、その資金は他の保険加入者が負担するという不合理な結果になってしまう。何とかして、そのような滞納を解消しようとするのが当然であり、それを放置する社保庁職員の方がよほど無責任と言えよう。

このように考えると、中小零細企業も含めて法人事業者にはすべて厚生年金への加入を義務づけている現行制度の下では、支払い困難と思える事案について、最終的な手段として、事業主側の納得を得たうえで標準報酬月額の遡及訂正を行うことは、加入者間の負担の公平を確保しながら年金財政を維持していくためにやむを得ない措置であったと言える。

 もっとも、「法令遵守」という観点だけから考えると全く違う考え方になる。報酬の実態に応じて保険料を支払うことは事業主にとっても法的義務なのだから、事業主が、標準報酬月額を実際に受け取っている報酬額を下回る金額に引き下げること、ましてや、そこに社保庁職員が関与することは許されない。調査委員会報告書が、事業主の標準報酬月額の遡及訂正も含めて不正行為ととらえ、関与した社保庁職員を処分の対象とすべきとしていることのベースにもこの考え方がある(報告書5ページ)。

 しかし、私は、この調査委員会の多数見解には異論がある。年金に関して「報酬の実態に応じて保険料を支払う義務」というのは、「所得に応じて税金を支払う義務」つまり、納税義務とは意味が異なる。

 納税は、納税者が国に対して一方的に義務を負うが、年金については、保険料の支払い義務とともに将来の年金受給権が生じる。標準報酬月額を実際の報酬額以下に引き下げたとしても、保険料の負担だけではなく将来の年金の給付の方も低くなるのであり、脱税のように国への支払い義務だけを一方的に引き下げるものではない。

 また、そもそも、個人事業者は厚生年金への加入義務がないばかりか加入することが認められてすらいない。一方、同程度の規模でも法人事業者はすべて厚生年金加入を義務づけられているが、実際には未加入の中小零細企業が膨大な数存在している。これら個人事業者や未加入事業者との比較から言えば、厚生年金に加入している中小零細事業主の標準報酬月額が実際の報酬額を下回ったとしても、そのこと自体は実質的には大きな問題とは言えない。

 ましてや、「保険料を払わなくても将来もらえる年金が変わらない」という現行制度の下で、保険料を滞納している中小零細事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、保険料を支払わないで将来年金をもらう「年金泥棒」のような結果を防ぐ事実上唯一の手段なのであるから、この場合にまで遡及訂正が「違法だから許されない」というのは、実態を無視した「法令遵守」の形式論理そのものと言えよう。

 このように考えると、事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、中小零細企業の経営実態からすると、そもそも報酬の実態に反する「不適正な遡及訂正」、つまり不正行為と言えるかどうかすらはっきりしないだけでなく、形式的に「法令遵守」に反していても、実質的に非難すべき行為とは言えないの だ。

 一方、従業員の標準報酬月額の遡及訂正の方は、それを事業主が従業員本人に無断で行って給与から天引きしていた保険料を着服したとすれば、事業主による犯罪であり、それに関わった社保庁職員がいるとすれば、公務員犯罪そのものだ。全国の社保庁職員の中にそういう職員がまったくいないと断言はできないが、少なくとも、調査委員会の調査ではそれを疑う具体的な根拠は得られていない。

 このように、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも従業員の分と事業主の分とでは全く意味が違うのに、それが丸ごと「改ざん」と言われて犯罪行為のように扱われ、社保事務所の「仕事として定着していた」などと報道されたために、社保庁職員全体が社会から大きな誤解を受けることになった。

 私の新著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守れば良い』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「捏造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現実について述べている。

 これらは必ずしも「法令違反」とは限らないが、一度そのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」批判は、「思考停止」の典型と言えよう。「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難されたのだ。

 このような「年金改ざん」についての社保庁職員に対するバッシングがエスカレートしてしまったのはなぜなのか、舛添厚労大臣の発言や態度がどのような影響を及ぼしたのか、そして、それが、今後、給付率低下が予想される厚生年金制度にどのような悪影響を与えるのか、明日はその点について考えてみたい。

昨日の本コラムに対して、多くの方々からの反響があった。中には、私が述べていることの前提となる基本的事項についての質問・疑問もあった。厚生年金という制度に関わる問題であるだけに、若干分かりにくい面があったのかもしれない。

 そこで、「年金改ざん」問題を考える上での重要な事項について、改めて説明しておこうと思う。

年金額は「いくら支払うべきだったか」の金額で決まる

 まず、「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金額が変わらない」というのは、給与・報酬の実態に応じて申告で定める標準報酬月額に基づいて、支払うべき保険料と将来の年金受給額が決まっていて、その保険料を実際には払わなくても年金受給額には影響しないということだ。保険料を実際に「いくら支払ったか」ではなくて、「いくら支払うべきだったか」の金額に応じて、将来の年金額が決まるのだ。

 もし、保険料を滞納したまま事業者が倒産した場合のように、保険料の支払不能が確定した場合でも、年金の受給額には影響しない。それどころか、厚生年金の場合は、そもそも、保険料の滞納や不払いがあっても、標準報酬月額が変わらない限り、その人の年金受給額を減らすことにはなっていないのだ。

 厚生年金に加入している事業者が支払うべき保険料を支払わなければ、その分、保険料を支払う債務が残っているわけで、社保庁職員は、それを支払うよう説得し、それでも支払ってもらえなければ滞納処分としての差押えをして強制的に取り立てるというのが法律の建て前だ。

 しかし、実際には、保険料を滞納するような中小企業の場合、会社名義の財産はほとんどなく、差押えで滞納保険料を回収することは極めて困難だ。その結果、滞納が解消できないままになってしまっても、保険料を支払わなかった事業者の将来の年金額には影響しないということになる。

 その結果、保険料を真面目に払っている年金加入者の負担が増えるという不公平を招くというので、滞納している事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を減額して、その分、年金受給額が少なくなるようにするというのが、事業主の標準報酬月額の遡及訂正だ(従業員と事業主の険料を区別して支払うことはできないが、事業主分だけの標準報酬月額を引き下げることは可能)。

 このような遡及訂正は、保険料を滞納している経営不振の事業主の報酬の実態に必ずしも反していないし、保険加入者の負担の公平のためにはやむを得ない措置と見るべきではないかというのが私の見方だ。

合理的な事業主案件まで「年金改ざん」と呼ばれた

 一方、従業員の標準報酬月額を本人が知らない間に遡及して引き下げるのは、その分、保険料を天引きされている従業員の年金受給額が減額されることになるから、まさに実質的な被害が生じる。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならない。

 また、その結果不利益を受けている保険加入者がいれば救済しないといけない。しかし、少なくとも、調査委員会の調査では、この従業員の標準報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関わった具体的な根拠は得られていない。

 問題は、現時点では具体的に明らかにはなっていないと言っても、実際に、このような実質的な被害が生じている従業員案件がどの程度あるかだ。

この点については拙著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)で詳述しているが、今回の調査で対象とされた6.9万件の遡及訂正事案のうち、約70%が事業主分と思える1名だけの遡及訂正で、約30%の複数の遡及訂正の事案の中にも、事業主の親族など実質的に事業主に帰属するものや何らかの事情で従業員が架空である場合などが含まれている。

 その中から、本当に従業員の標準報酬月額が不当に遡及訂正され、被害が生じている案件を絞り込んだうえ、まず事業主側を調査対象にして一つひとつ丹念に事実関係を洗い出していかなければならない。それをやってみないと、従業員案件について社保庁職員を非難できるかどうか分からないのだが、そのような調査は、社保庁職員を主たる対象とする調査委員会の調査とはまったく方向が違うものだった

 結局、実質的被害がなく、それなりの合理的な理由のある事業主案件と犯罪行為そのものと言える従業員案件とをひとまとめに「年金改ざん」と呼んで、それに社保庁職員が組織ぐるみで関与したかのように非難してきたというのが、これまでの経過なのだ。

 社保庁という1つの官庁に対して、「年金改ざん」という名の下で、さしたる根拠もないのに強烈なバッシングが行われ、組織に対する信頼が崩壊してしまったのはなぜなのか、どのような経緯でそうなったのか。そこには、官庁・企業の不祥事に対するバッシングが拡大し、その歪みが生ずる構図に共通する要因が存在している。

社保庁への信頼はなぜこれほどまでに失墜したのか

 まず、社保庁が信頼を失墜するに至るまでの経過を振り返ってみる。

 ここ数年、社保庁では、不祥事が相次いだ。2004年3月、政治家の国民年金未納問題が報道されたのをきっかけに、同年7月、約300人の職員が未納情報等の業務目的外閲覧を行っていた「年金記録のぞき見問題」が発覚した。そして、同年9月には、カワグチ技研事件で社保庁の幹部職員が収賄罪で逮捕され、通常国会における年金改正法案の審議やマスコミの報道等で強い批判を受けた。

 2006年5月、全国各地の社会保険事務所が、国民年金保険料の不正免除を行っていたのが発覚した。2007年5月には、年金記録をオンライン化した際のコンピューター入力のミスや基礎年金番号に未統合のままの年金番号など5000万件強の「宙に浮いた年金記録」の問題が表面化し、年金記録のずさんな管理が批判された。そして、その確認作業が行われる中で、社保庁職員による年金保険料の横領事案が過去に50件あることが明らかになり、国民の激しい怒りを買い、既に被害弁償、懲戒処分済みのものも含めて27件が刑事告発された。

 そして、2008年4月、東京と大阪の両社会保険事務局において、確認されただけで計29人が組合活動に「ヤミ専従」をし、本来は支払う必要のない給与が約8億円支払われていたことが明らかになった。

 このような不正行為・犯罪の相次ぐ表面化で、社保庁という組織は、国民から「最低最悪の官庁」と決めつけられ、国民は「社保庁の職員ならどんな悪事を働いていても不思議ではない」という認識を持つに至った。そのような中で表面化したのが、今回の「年金改ざん問題」だった。

 前回詳しく述べたように、この問題については社保庁職員が厚生年金記録の「改ざん」という不正行為を行ったとして非難する根拠はほとんどない。しかし、国民は、それまでの社保庁に対するイメージから、この問題を、「社保庁職員が組織の都合や個人的な動機から組織ぐるみで行った不正行為」と決めつけ、「年金改ざん」という呼び方も定着した。その伏線となったのが国民年金不正免除問題だった。

国民年金不正免除問題が伏線に

 この問題は、収入が少ない人に対して申請をすることで保険料を免除・猶予する救済制度である国民年金保険料の免除・猶予の手続きを、本人からの申請がないままに行っていたというものだ。

 2004年の国民年金法の改正で、2005年度以降、市町村から所得情報を入手し免除・猶予の該当者を把握できるようになった。このため社保庁職員が、免除・猶予の事由の該当者に働きかけて免除・猶予の申請を出させようとしたが、戸別訪問しても不在だったり、文書を何度送っても反応がなかったりというような接触困難なケースが多かったので、本人からの申請を受けることなく免除・猶予の手続きを行ったという事案だ。これが全国で発生していたことが明らかになった。

 この免除制度というのは、免除の手続きをすることで、保険料を支払わなくても、老齢年金、障害年金、遺族年金の一部を受給できるという制度だ。保険料が支払えない低所得者に対して、老後の最低限の年金を確保させようとするところに目的がある。

 「不正免除」の多くは、せっかくこのような制度があるのに、それを知らないために免除申請をしていない該当者の利益のために行われた。それは社保庁職員の側の「悪事」と単純に切り捨ててよいとは必ずしも言えない。形式的には「違法」であっても、実質的に見て、被害や損害を与える行為ではない。

しかし、マスコミは、この不正免除問題でも一方的に社保庁を叩いた。実質的に、免除事由該当者の利益を図る面があったことなどはすべて無視され、社保庁職員が、年金の納付率を向上させて成績を良くしたいという動機だけで不正を行ったように単純化された。

「年金改ざん」が「組織ぐるみ」とされるまで

 このように「国民年金不正免除」が、「納付率」の向上という社保庁側の事情による不正行為と単純にとらえられたことが、「社保庁職員は、自分たちの都合のために何でもやりかねない人間」という印象を与えた。「年金改ざん」という問題が表面化した際にも、「徴収率」の向上のために他人の年金記録を勝手に改ざんしたというように受け取られたことは否定できない。

 当初、この「年金改ざん」が問題とされ始めた時、そのような行為に、社保庁職員の側がどのように関わっていたのかは全く不明だったが、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで徴収率向上のために不正行為を行ったのではないか、という疑いを持った。そこには「国民年金不正免除」問題からの連想が働いていたはずだ。

 その疑いを決定的にしたのが、滋賀県の大津社会保険事務所の元徴収課長の「社会保険事務所では徴収率向上のために組織的に年金記録の『改ざん』が行われていた」という証言だった。

 社会保険事務所で組織的に行われていたのは事業主の標準報酬月額の遡及訂正だったはずだが、この元徴収課長は、この2つを区別しないで、「改ざん」という不正行為が社会保険事務所の現場で組織的に行われていたように証言した。これによって、それまでは「疑い」であった「社保庁の組織ぐるみの改ざん」が、ほとんど確定的な事実のように扱われるようになった。

 そして、そのような見方を決定的にしたのが、舛添要一厚生労働大臣が、「年金改ざん」問題について、国会で「組織的関与があったであろうと思う。限りなくクロに近いだろう」と答弁し、これが「厚生労働大臣が社保庁の改ざんへの組織的関与を認めた」と報道されたことだ。

 そして、舛添大臣が、社保庁職員の関与者を刑事告発するために弁護士中心の調査委員会に事実関係を調査させると息巻いて立ち上げたのが、私も委員として加わった「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」だった。

「法令遵守」的な不祥事対応は事態を一層悪化させる

 このようにして社保庁に対する信頼が崩壊し、組織全体が「犯罪者集団」のように見られることになってしまったことには2つのポイントがある。

 1つは、社保庁の一連の不祥事に対する対策が、単純な「法令遵守」に偏り過ぎていたことだ。社保庁の幹部が収賄で逮捕されたカワグチ技研事件に関連して、厚生労働省は省内に信頼回復対策推進チームを立ち上げたが、ここでの再発防止対策の柱は、法令遵守委員会の設置と内部通報制度の整備という単純な「法令遵守」のための措置だった。それらの対策が、それ以降の社保庁の不祥事の多発に対して全く効果がなかったことは明らかだ。

 そして、国民年金不正免除問題に関して、社保庁は、3次にわたって調査委員会を立ち上げ、事実関係の解明と原因の究明を行ったが、そこで書かれている原因分析は、法令遵守の観点から社保庁の組織や職員を批判しているだけで、多くの職員の不正行為の動機が「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持ちであったこと、それがこの問題の本質であること」は一切書かれていない。

 このように糾弾されるたびに、一方的に謝罪し、法令遵守の徹底を呼び掛けている間に、社保庁の組織は、どんどん追い込まれ、結局、組織自体が解体されるという事態に至った。

こういった「法令違反」や「偽装」「改ざん」「隠ぺい」「捏造」などで、いったん批判されると、一切の弁解・反論ができないまま、一方的に叩かれ、それが、新たな問題にまで波及し、事態が一層深刻化していく、という最近の官庁・企業の不祥事に共通する構図は、「水戸黄門の印籠を示された途端にその場にひれ伏す人々の姿」、すなわち、「遵守」による思考停止状態そのものだ。

信頼失墜を決定的にした舛添大臣のパフォーマンス

 もう1つ、社保庁の組織や職員にとって決定的な打撃になったのが、舛添大臣の発言と態度だ。舛添大臣は、社保庁を含む厚生労働省の組織のトップでありながら、その部下である社保庁職員をこき下ろし、事実を確認する前から部下の組織や職員の刑事責任にまで言及した。「改ざん」とはどういう意味で使われているのか、標準報酬月額の遡及訂正とどういう関係なのか、従業員の遡及訂正と事業主の分のみの訂正とどう違うのかなど、この問題を考えるに当たっての基本的な事項すら十分に理解していたとは思えない。

 せめて、「調査委員会を立ち上げるので、その調査結果を踏まえて適正に対応したい」と冷静な発言を行い、調査委員会の調査が終わった時点で、各委員から十分に話を聞いたうえで、問題の本質を、国民に分かりやすく説明する努力をしていたら、社保庁職員に対する誤った批判・非難がここまでエスカレートすることはなかったはずだ。

 組織内の不祥事が表面化した場合のトップの対応は様々だ。末端に責任を押しつけて自らは責任を問おうとしないトップもいれば、全責任は自分にあると言って引責辞任するトップもいる。しかし、事実関係を確認することもなく、当事者の弁解・反論を聞くこともなく、一方的に当該部門全体を「犯罪者扱い」するトップというのは、企業の世界ではあまり聞いたことがない。

 私は、社保庁という組織の体質自体に重大な問題があることは否定しないし、その組織がこれまで起こしてきた不祥事、トラブル全体を擁護するつもりはない。しかし、それにしても、今回の「年金改ざん」問題に対する世の中の認識は誤っており、批判・非難の行われ方は明らかに異常だ。

 社保庁やその職員にとっては、それも「自業自得」だという見方もできなくはない。しかし、問題はそれだけで済むものではない。この問題の本質を見極めることなく、このままの論調で「年金改ざん」を単純に社保庁の組織や職員の「悪事」のように決めつけて対応していけば、次に述べるように、厚生年金という制度とその運用に重大な支障を生じさせ、国民全体に大きな不利益をもたらすことになりかねない。
 

産業の二重構造と年金制度をどう調和させていくのか

 「標準報酬月額の遡及訂正」という行為自体が「年金改ざん」などと言われて丸ごと不正のように扱われると、社保庁側では、とにかく遡及訂正だけはやらないようにしようということになるであろう。

 中小零細事業者の事業主の保険料の滞納を解消する唯一の手段であったこの「標準報酬月額の遡及訂正」が行われなくなれば、保険料滞納が長期間にわたって放置されて徴収率が下がることになる。それは、将来、まじめに保険料を支払っている厚生年金加入者の負担で、滞納した事業主自身が高額の年金を受給できることにつながる。

 それを防止するために正規の手段は、調査委員会の報告書で言っているように、「毅然と差し押さえを行う」という方法しかないが、それによって中小零細事業者の滞納保険料を徴収することが困難だということは前回のこのコラムで述べた通りだ。

 では、遡及訂正の恒常化の背景となった「保険料を納めなくても年金がもらえる仕組み」という制度の枠組みそのものを改めればよいのかと言えば、それだけで解決できるような単純な問題ではない。

 厚生年金は、基本的には、多数の従業員を雇用する事業者が従業員の給与から保険料を天引きし、自らの負担分と合わせて保険料を支払うことを前提にしている労働者のための年金制度だ。

事業者が保険料を支払わなかった場合や倒産などで支払い不能となった場合に、年金を天引きされていた従業員が不利益を受けないようにするためには、厚生年金に加入している限り、実際の支払いの有無にかかわらず標準報酬月額に応じた年金の受給権が発生するという制度自体はやむを得ない面がある。

 そのような本来は労働者のための厚生年金が、中小零細事業者の実質的な事業主である代表者にまで適用されることに問題があることは確かだ。しかし、法人の代表取締役は、形式上は会社に雇われている立場であり、それが実質的に「事業主」と言えるかどうかの線引きは容易ではない。

 そう考えると、実態が個人事業者と変わらないような小規模な「法人事業者」をなくしていくこと、人的組織の面でも財産的にも法人としての十分な実体がある場合に限って法人としての会社の設立と存続を認める方向を目指すこと以外には根本的な解決はあり得ないように思える。

 しかし、実際には日本の会社法制は全く逆の方向に向かっている。2006年に商法から独立して定められた会社法では、株式会社の最低資本金の定めがなくなり、会社設立手続きも大幅に簡素化された。誰でも自由に簡単に株式会社が設立できるというのが現在の会社法だ。

「法令遵守」では解決できない日本の中小企業の実態

 極端な事例を考えた場合、1円の資本金で株式会社を設立し、定款で代表取締役の報酬額を定めておいて厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定してしまえば、その後、保険料を何年間滞納し続けていようが、その報酬月額に見合う将来の年金受給権を得ることができることになる。会社の実体がなければ会社財産の差し押さえによって滞納保険料を徴収することもできない。その場合の年金の財源も、真面目に保険料を支払っている厚生年金加入者の負担になってしまう。

 小規模会社に関する会社法制の在り方は、社会保険制度や運用の問題と密接に関連する問題である。両者の整合性を考えながら制度改正を行わなければならないのに、日本では会社法の問題と社会保険制度の問題を全くバラバラに考えてきた。それが、制度の重大な矛盾を生じさせてしまった。

 この問題の背景には、法律の建て前通りにはいかない、つまり「法令遵守」では決して解決できない日本の中小企業の実態がある。その中小企業が、これまで戦後の日本経済の一翼を担ってきたのだ。

 日本の産業構造の二重性の下で、中小零細企業の経営の実態に適合した年金制度と運用の在り方を抜本的に検討する必要がある。それは、経済危機の深刻化に伴って中小零細企業の経営が急激に悪化し、社会保険料の負担が困難になりつつある現状においては、何はさておいても取り組まなければならない緊急の課題と言えよう。

 そのためには、実態も問題の所在も理解しようとせず、自らがトップを務める厚生労働省の一員である社保庁職員を一方的にこき下ろす「人気取りパフォーマンス」ばかり続けてきた舛添大臣が、まず、これまでの軽率な対応を謙虚に反省し、問題の本質に目を向けた対応を行うことが不可欠であろう。

 人気取りのためのパフォーマンスは、この「年金改ざん」問題に限らない。前に述べた社保庁の「ヤミ専従問題」でも同じだ。

 厚労省が事実関係の調査と処分の検討のために設置した第三者による調査委員会が、組織的、構造的な問題だという事案の性格や全額被害弁償済みであることなどを考慮して刑事告発については慎重に対処すべきとの見解を示していたのに、舛添大臣は、それを無視して40人もの社保庁職員を告発するよう指示し、結果的には全員不起訴(起訴猶予)となった。官公庁があえて刑事処罰を求めて告発した事件が全員不起訴になるというのは異例のことである。そのようなことに膨大な労力をかけるより、他に重要な問題が山ほどあるはずである。

 しかし、舛添大臣も含め「人気取りパフォーマンス」で目立っている政治家の名前ばかりが、人気崩壊の麻生首相に代わる「次の総理候補」として急浮上しているというのが、今の日本の政治の悲しい状況なのである。

 では、この問題について、今後何をすべきなのか、制度とその運用をどのように改めていったらよいのか。次回は、その点についての私の考え方を述べて、「年金改ざん」問題についての連載の締めくくりとしたい。

前々回と前回のこのコラムで述べてきたように、「年金改ざん」問題は、厚労省や社会保険庁組織が「法令遵守」に偏った対応ばかり行ってきたことや、組織のトップである舛添厚労大臣が、事実を確認もせず、問題の本質を理解することもなく、社保庁職員が犯罪者であるかのようにこき下ろしたことなどで、マスコミや世の中から、社保庁の職員が組織ぐるみで行った単なる「悪事」であるように決めつけられてしまい、問題が矮小化されている。

 では、この問題に対して、今後、どう対応したらよいのか、制度の在り方やその運用はどのように改めていったらよいのか。私なりの考え方を示しておきたい。

「年金改ざん」を巡る誤解の解消が急務

 何はさておいても、まず行わないといけないことは、この問題に関する国民の誤解を解消するために、「年金改ざん」と言われている問題を整理し、何が問題の本質なのかということを、分かりやすく国民に説明することだ。そのためには、厚労省トップとしての舛添大臣が、この問題の本質を理解し、自ら説明を行うべきだ。

 「年金改ざん」問題というのは、経営の不安定な中小企業に厚生年金という制度を適用したことで発生した問題で、大企業のサラリーマン、役員や公務員などには基本的に無関係だということをすべての国民に分かってもらうことが必要だ。「年金改ざん」と言われる「標準報酬月額の遡及訂正」が行われるのは何カ月にもわたる保険料の滞納が発生した場合であるが、大企業が社会保険料を長期にわたって滞納することはほとんどあり得ない。

 しかし、このような、ある意味では当然のことすら、新聞、テレビなどでは明確に伝えられてはいない。「『年金改ざん』は100万件以上に上る、その闇はどこまで広がっているのか分からない」というような報道もあり、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで行った「年金改ざん」のために自分たちも被害を受けた可能性があるような誤解をしているのが現状だ。

 次に、標準報酬月額の遡及訂正は、基本的に、事業者の申告によって行われたものだということを説明する必要がある。申告書自体を社保庁職員が偽造したというのであれば別だが、さすがにそのような話は、これまで全く出ていないし、そこまでして遡及訂正の訂正を行うほどの動機が社保庁職員の側には考えられない。調査委員会が設置したホットラインには全国から多数の情報が寄せられたが、その中でも、事業者の申告もしていないのに、勝手に年金が引き下げられたという情報提供はなかった。

 もっとも、前々回のこのコラムへのコメントの中に、「私は約35年間会社を経営し、現役を引退して5年後、社会保険事務所から連絡があり、給料が8万円に減額されているので確認したいと言う事でした。当時私の給料は75万円で一度も保険料の滞納はなく、引退するまで赤字決済はなく、もちろん給料減額はありませんし、減額されていた事等、私は全然知らない事であります」というものがあった。

 これが、事業主の標準報酬月額が本人の知らない間に遡及訂正されたということを意味するのであれば、調査委員会も、社保庁も認識していない事案である。

 標準報酬月額の遡及訂正は基本的に事業者自身の申告で行われているものであり、申告もなしに勝手に引き下げられている社保庁職員側の一方的な「改ざん」の事案は、現時点では全く見つかっていないが、万が一にもそういう事案があるのであれば徹底解明するということも明確にしておくべきであろう。

「事業主案件」と「従業員案件」の明確な区別を

 そして、重要なことは、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも、事業主分の訂正(事業主案件)と従業員分の訂正(従業員案件)とは全く意味が異なること、現在把握されている遡及訂正の大部分は事業主案件(生計を同一にしている親族など分を含む)であることを国民に分かりやすく説明し、この2つを明確に区別した対応を行うことだ。

従業員案件は、保険料を天引きされていた従業員の標準報酬月額が本人の知らない間に遡って引き下げられ、その分、従業員の将来の年金受給額が減額される一方、事業主側が天引きしていた保険料を着服することになるのであるから、まさに実質的な被害が生じる犯罪そのものだ。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならないのは当然だ。

 一方、事業主案件は、中小零細企業に厚生年金を適用することに伴って不可避的に発生する保険料の滞納に対して、それが「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金が変わらない仕組み」(前回のこのコラム1ページ参照)の下で、保険料を払わなかった事業主自身が将来多額の年金をもらうことになるという保険加入者間の負担と給付の不公平が生じることを防止するためには、やむを得ない面もある措置であった。滞納事業主に、保険料を払うよう説得し、差し押さえのための財産調査を行うなどの正規の手続きに向けての努力を全く行わず、安易に遡及訂正を行ったとすれば、そこに社保庁職員としての義務を尽くしていないと批判されるのもやむを得ない。しかし、この問題の根本には、厚生年金制度が中小企業の経営実態に適合していないという根本的な問題があり、重要なことは制度や運用の改善を行うことであって、社保庁職員の責任追及を行うことだけでは問題は解決しない。

 この事業主案件を、基本的に責任追及の対象から切り離し、その分の労力とコストを従業員案件についての調査に費やすのが合理的だ。従業員案件を徹底して解明するためには、調査委員会が対象とした6.9万件(社保庁が「長期間にわたる大幅な遡及訂正が行われ、直後に厚生年金資格喪失手続きが行われているもの」を不適正な遡及訂正が行われている可能性があるとして抽出した案件)だけを対象にしたのでは不十分である。

 長期間又は大幅な遡及訂正が行われている案件の中から、従業員が対象となっている案件を抽出し、その一つひとつについて事業主からの事情聴取を行い、給与の実態に反して不正に訂正されていないかどうかを確認し、そのうえで、社保庁職員の関与の有無を明らかにするという地道な調査を丹念に行っていく必要がある。調査委員会報告書でそのような方向性が示せなかったのは、その調査の中で確認できた事業主案件を「社保庁職員の組織ぐるみの不正」と評価し、従業員案件と明確に区別することなく、今後の調査の在り方を論じたところに原因がある。

事業主案件の背景にある構造的問題の解決の道筋

 では、事業主案件が社保庁の現場で広く行われ、「仕事の仕方」として定着していたことに対しては、どう対処すべきか。

 そのような行為は、中小企業に対する厚生年金の適用の現場で、やむを得ない面があったことは確かだが、問題は、それが不透明な非公式なやり方として定着していたことにある。

 そこで、当面の対応として考えられるのは、これまで非公式な方法として、現場で非公式に行ってきた標準報酬月額の遡及訂正を、要件を定めたうえで、制度化するか、あるいは、その運用方法として明確化することである。そのためには、報酬・給与の実態を確認する方法について何らかの基準を設けることや、遡及訂正によって将来の年金額が減額されることについて保険加入者側の承諾を得る手続きについても定めることが必要になる。

 しかし、それだけでは、前回の本コラム5ページで指摘した、年金受給権を確保するために、実体のない会社を設立して厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定するというような確信犯的なやり方には対応できない。一定の規模以下の会社には一定の期間を「仮加入期間」として設定し、保険料支払いの実績を確認したうえで正式の加入を認めるというような方法も検討する必要がある。

 そして、最終的には、中小企業の実態に即した公的年金制度を創設すること以外にこの問題の根本的な解決はあり得ない。

事業者に社会保険料の半分を負担させることで公的年金による労働者の老後の保障を充実させようという趣旨の厚生年金制度が、企業の規模を問わずすべての法人事業者に一律に適用されるのが現行の厚生年金制度だ。その趣旨は尊重されるべきだが、日本の中小企業の実態は、そのような負担が可能な事業者ばかりではない。保険料負担が、14.6%という高額の延滞金と相まって中小企業の経営を圧迫する要因になることは避けがたい。

 そう考えた場合、基礎年金制度に下支えされた(厚生年金は国民年金の「上乗せ」の制度であり、加入している限り標準報酬月額が最低水準でも国民年金加入者の年金額を上回る)厚生年金の事業者の負担率を、大企業向けと中小企業向けとで区別するという方法もあり得るのではないか。

 法人事業者であっても、会社法などの法律が予定しているような組織や経営の実態ではない中小企業を巡る問題は、「法令遵守」だけでは絶対に解決できない問題である。法令による建前論ではなく、実態を把握し、現実を直視して解決策を考えていくほかない。

「遵守」を超えて「真の法治社会」を

 2年余り前に出した『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)では、実態と乖離した法令を、そのまま単純に遵守すればよいという考え方が、日本社会に大きな弊害をもたらしていることを指摘した。先日公刊した『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守ればよい』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「ねつ造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現状について述べている。

 「法令違反」か否かとは関係なく、一度「偽装」などのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」問題はその典型だ。

 「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難された。

 その一方で、この問題の本質が大企業向けの厚生年金制度を中小企業に適用することにあることも、この問題を放置すると、経済危機の深刻化、中小企業の経営悪化の下で厚生年金の徴収の現場が一層混乱し、回復不可能な状態になりかねないことも、ほとんど知らされていない。

 その構図は、多くの官庁・企業の不祥事に共通する。何か問題を起こすと、全く反論も弁解もできず、反省・謝罪をひたすら繰り返すばかりの官庁・企業の姿は、水戸黄門の印籠の前に、ただただひれ伏しているのと同様だ。

 その「遵守」の印籠の効果を高めているのが、国民への人気取りしか考えない政治家、責任回避の行政、問題を単純化するマスコミという「思考停止のトライアングル」だ。こうした中で、国民は、今この国で起きていることについて真相を知らされず、重大な誤解をさせられたまま、有権者、消費者、納税者などとして様々な選択を行わされている。

 同書では、この「年金改ざん」の問題をはじめ、食品を巡る偽装・隠ぺい、検査データねつ造、経済司法の貧困、裁判員制度、マスメディアの歪みなど様々な分野の問題を通して、そのような日本社会の現状を明らかにし、最後に、「遵守」による思考停止から脱却して「真の法治社会」を作っていく道筋を示している。

 我々は、まず、誰かに制裁を科して物事の決着をつけてしまおうとする単純な「悪玉」論を乗り越えて、少しでも多くの国民に、今起きていることの現実を知ってもらう努力をしなければならない。

 そして、そのうえで、どのような方向で解決したらよいのかを考えるコラボレーションの環を拡大していくことだ。多くの国民の利害に関わるこの厚生年金の問題への対応が、日本社会が日本人固有の知恵を取り戻せるかどうかのカギを握っている。

2009年7月29日水曜日

【自民党政権】 2009年衆議院選公約

自民公約案(1)…財源と成長・「民主に対抗」鮮明

閣議に臨む麻生首相(28日)=田中成浩撮影
 28日明らかになった自民党の衆院選政権公約(マニフェスト)案は「責任政党」を強調し、地方選連勝や政党支持率上昇で勢い付く民主党への危機感と対抗意識が鮮明になっているのが特徴だ。

 昨年9月の発足以来、景気対策に傾注してきた麻生内閣としての自負ものぞかせた。ただ、27日に政権公約を発表した民主党を意識してか、似通った政策も散見された。

 「日本の『力』が発揮され、すべての人に魅力ある国へ。それを実現する『責任』があります」

 麻生首相(自民党総裁)は政権公約案に寄せたあいさつで強調した。

 自民党は衆院選の論戦で消費税率引き上げや憲法改正など賛否両論ある分野にあえて言及して、民主党の政権公約が財源確保策や外交・安全保障政策などであいまいさを残した点を突く構えだ。政権公約案もその点に力を入れたという。

 「民主党はばらまきだけで、財源収入として入ってくるものがない。自民党は成長戦略で財源をつくり出し、それを分配する。そこが違いだ」

 首相は27日夜、東京都内のレストランで自民党の菅義偉選挙対策副委員長と会談し、民主党の政権公約に経済成長戦略と財政再建への取り組みが欠けているとの見方で一致した。

 自民党の政権公約案では「4度にわたって経済対策を矢継ぎ早に実施」と麻生内閣の取り組みを強調。〈1〉2010年後半に経済成長率2%を実現する〈2〉11年までに経済成長率や失業率などを07年の水準に戻す〈3〉12年以降、安定成長に乗せる――を掲げ、「あと2年間は経済対策に全力を尽くす決意だ」と訴えている。

 一方、財政再建では国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)に関し「今後10年以内に確実な黒字化を」と目標を設定。消費税率引き上げを巡っても「消費税を含む税制抜本改革を11年度から実施できるよう法制上の措置を講じる」とした税制改革の「中期プログラム」に沿って、「経済回復後に見直す準備を進める」と明記、民主党との差を強調した。

自民公約案(2)…自衛隊の海外派遣「当たり前」

 外交・安全保障政策では自衛隊を海外派遣するための恒久法制定を目指す考えを強調、「こんな『当たり前』(なこと)すら躊躇(ちゅうちょ)し、意見集約できない党に、日本の安全を任せられない」と民主党を非難した。

 というのも、民主党の政権公約では、旧社会党出身者らを抱えて自衛隊の海外派遣に慎重論が根強い党内事情を受け、自衛隊について言及がない。自民党は集団的自衛権行使を禁じた政府の憲法解釈の見直しや憲法改正の早期実現も盛り込み、「憲法に足らざる点があれば補う」などの表現にとどめた民主党との違いをここでも明確にした。

自民公約案(3)…世襲・子育て、民主と競い合う
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090729-OYT1T00059.htm

一方で、自民党の政権公約案には、民主党と競い合う政策も少なくない。

 政治改革の柱となる「世襲」候補の立候補制限を巡っては、世襲議員の多い自民党内では反対論が根強かったが、民主党は既に国会議員の子や配偶者ら3親等以内の親族が同一選挙区から続けて出馬することを禁止する方針を決めている。このため、対抗上、一転して次々回から民主党と同様の制限を行うこととした。

 国会議員定数の削減についても、民主党が衆院比例定数(180)の80削減を打ち出したのに対し、自民党は「次々回から衆院議員定数(480)の1割以上削減、10年後には衆参議員定数(計722)の3割以上削減」を掲げて対抗した。

 子育て支援などでは、両党とも負担軽減策を次々と打ち出している。

 民主党が月額2万6000円の「子ども手当」創設を目玉とした一方で、自民党は今後4年間で、3~5歳児への教育の無償化を唱える。

 授業料などの軽減に関しては、民主党は公立高校生のいる世帯への授業料相当額の助成を盛り込んだのに対し、自民党は高校や大学で低所得者に限った授業料の無償化や、返還義務のない給付型奨学金制度の創設を盛り込んだ。

 自民党の石原伸晃幹事長代理は28日、都内での街頭演説で、政権公約案について、「国民の皆様方が『足りない』というところは十分補っていく。伸ばすべき分野はもっと伸ばしていく」と強調した。

 ただ、自民党の政権公約に最終的に、政策実行にかかる費用や財源が盛り込まれるかどうかは不透明だ。政府の概算によると、幼稚園・保育園の幼児教育の無償化に約7900億円、低所得者の授業料無償化には約229億円(私立高校で年収250万円未満は全額、同350万円未満は半額補助の場合)が必要となる。

 負担軽減策を次々と繰り出せば「ばらまき」批判がつきまとうのは必至だけに、こうした批判をどう払拭していくかが、問われる。(政治部 村尾新一)

2009年7月27日月曜日

【鳩山内閣】 鳩山政権の政権構想

7月27日 ロイター

<鳩山政権の政権構想>

●5原則

1.官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。

2.政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。 

3.各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 

4.タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。

5.中央集権から、地域主権へ。

●5策

1.政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務3役)、大臣補佐官など国会議員約100人を配置し、政務3役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。 

2.各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。 

3.官邸機能を強化し、首相直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。 

4.事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。 

5.天下り、渡りのあっせんを全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。


03マニフェストの内閣財政局、05マニフェストの国家経済会議、09マニフェストの国家戦略局。これらは基本的に同一の機能を担うとされてきたもの。少なくとも三つにかかわった自分から見れば名称は異なれど予算編成など税財政骨格編成を官邸主導で行う部局。記者会見だけでは見えてこない。

2009年7月26日日曜日

【雑誌記事】 週刊文春(岸信介とCIA)

岸信介とCIA

<岸は同盟者ではなく、エージェントだった>

 『週刊文春』2007年10月4日号は、「岸信介はアメリカのエージェントだった!」と題する特集を組んだ。この特集が特筆されるのは、岸信介元首相がこれまでいわれていた「CIAの同盟者」ではなく、「CIAのエージェント(代理人、スパイの意味)」だったと断定していることである。同特集は、ミューヨーク・タイムズの現役記者、ティム・ウィナーの著書『 LEGACY of ASHES The History of the CIA』(灰の遺産 CIAの歴史、今年6月発行)から岸がCIAのエージェントだったとする部分を引用している。引用部分は次の部分である。

 「米国がリクルートした中で最も有力な二人のエージェントは、日本政府をコントロールするというCIAの任務遂行に協力した」
「(そのうちの一人)岸信介はCIAの助けを借りて日本の首相となり、与党の総裁となった」
「岸は新任の駐日米国大使のマッカーサー二世にこう語った。もし自分の権力基盤を固めることに米国が協力すれば、新安全保障条約は可決されるだろうし、高まる左翼の潮流を食い止めることができる、と。岸がCIAに求めたのは、断続的に支払われる裏金ではなく、永続的な支援財源だった。『日本が共産党の手に落ちれば、どうして他のアジア諸国がそれに追随しないでいられるだろうか』と岸に説得された、とマッカーサー二世は振り返った」
 「岸は、米国側の窓口として、日本で無名の若い下っ端の男と直接やり取りするほうが都合がいい、と米国大使館高官のサム・バーガーに伝えた。その任務にはCIAのクライド・マカボイが当たることになった」(注=CIA側の窓口となったビル・ハッチンソンもクライド・マカボイも日本共産党が発表した在日CIAリストには載っていない)

 「CIAの歴史」は同書の序文によれば、匿名の情報源も伝聞もない、全編が一次情報と一次資料によって構成された初めてのCIAの歴史の本である。

 重要なのは、岸信介が児玉誉士夫と並んで、CIAが日本政府をコントロールするためにリクルートした最も有力なエージェントと指摘していることである。そのために、CIAは岸に巨額の金を注いだと指摘している。
 つまり、安倍前首相がもっとも敬愛する祖父、岸信介はあの無謀な戦争を指揮した戦犯であるだけでなく、売国の政治家だったことが改めて裏付けられたことになる。岸は1952年7月、追放解除者を集めて、自主憲法制定を旗印に日本再建連盟を結成する。 

 自主憲法とはなにか。       
 あの悲惨な戦争体験から13年しかたっていない時期に岸信介首相(当時)はこんな発言をしている。朝日新聞の縮刷版によると、1958年10月15日付の夕刊の1面に、「憲法9条廃止の時」という記事が載っている。米国NBCの記者のインタビューに、岸は「日本国憲法は現在海外派兵を禁じているので、改正されなければならない」「憲法九条を廃止すべき時は到来した」と言明している。これが自主憲法の中身である。安倍前首相のいう「戦後レジームからの脱却」も、これと同じでる。まさに、自衛隊を米軍の身代わりとして海外で戦争させようというものにほかならない。米国の長年の願望である。 


 なぜ、鬼畜米英と叫んだ戦争指導者が、米国の手先になったのか。その秘密を解くカギが最近発売された完全版『下山事件 最後の証言』(柴田哲孝著、祥伝社文庫)にある。
 柴田氏の祖父(柴田宏氏)が勤めていた亜細亜産業の社長で戦前の特務機関である矢板機関の矢板玄(くろし)氏の証言に、その秘密が書かれている。以下、矢板証言の注目部分を引用する。
  

<岸を釈放したウィロビー>
 (佐藤栄作は、兄岸信介の件で来たのではないか。岸信介を巣鴨プリズンから出したのは、矢板さんだと聞いているが)
 「そうだ。そんなことがあったな。だけど、岸を助けたのがおれだというのはちょっと大袈裟だ。確かに佐藤が相談に来たことはあるし、ウィロビーに口は利いた。岸は役に立つ男だから、殺すなとね。しかし、本当に岸を助けたのは白洲次郎と矢次一夫、後はカーンだよ。アメリカ側だって最初から岸を殺す気はなかったけどな」
 注=東条内閣の閣僚で、戦争指導者の一人であり、A級戦犯容疑者として逮捕された岸の釈放については、昨年9月22日付「赤旗」の「まど」欄が、「GHQ連合国軍総司令部のウィロビー少将率いるG2(参謀部第二部)の『釈放せよ』との勧告があった」ことを紹介している。ウィロビーは、直轄の情報機関として、キャノン機関や戦後も暗躍した矢板機関を持っていた。 


<秘密工作の全容の解明を>
  CIAが「同盟者」である岸信介に総選挙で資金を流し、てこ入れしたことは、すでに共同通信の春名幹男氏が著書『秘密のファイル CIAの対日工作』(2000年刊、下)で、くわしく指摘している。それによると、マッカーサー二世大使は1957年10月、秘密電報を国務省に送っている。そこには、次のように書かれている。次の総選挙で自民党が負ければ、「岸の立場と将来は脅かされる」。後継争いに岸が負けた場合、「憲法改正などの政策遂行は困難となる」。さらに、「岸は米国の目標からみて最良のリーダーである。彼が敗北すれば、後任の首相は弱体か非協力的、あるいはその両方だろう。その場合、日本における米国の「立場と国益は悪化する」。
 マッカッサー大使はさらに岸を援助する提案をしている。その中身について、同書は、「結論から先にいえば、次の総選挙で中央情報局(CIA)の秘密資金を使って岸を秘密裏に支援すべきだ、という提案」だとしている。
 しかし、同書はCIAが具体的にどのような工作が行われたのかは明らかではないとしている。今回の週刊文春は、岸へ渡されたCIA資金は一回に7200万円から1億800万円で、いまの金にして10億円ぐらいと指摘しているが、その金が選挙対策としてどう使われたかは触れていない。  


  CIAの汚いカネで日本の政治がゆがめられたというこの問題は、戦後日本の最大の暗部である。CIAの秘密工作の全容を明らかにすべきである。外国から選挙資金をもらうことは、公選法や政治資金規正法や当時も外為法に違反する犯罪行為でもある。「東京新聞」(10月3日付)で、斎藤学氏(精神科医)が、週刊文春の記事が事実なら大変なことだと思うのだが、「他誌も新聞も平然としている」と疑問をなげかけている。

解説:CIA工作 戦後日本、「米の影響下」鮮明 日ソ接近防ぐ目的

 CIAの「緒方ファイル」は、戦後の日本政治が、東西冷戦の下、水面下でも米国の強い影響を受けながら動いていた様を示している。米情報機関が日本の首相を「作り」、政府を「動かせる」という記述は生々しい。

 CIAが日本で活動を本格化したのは、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が発効した52年からだ。米国では翌53年1月、共和党のアイゼンハワー政権が誕生。同7月の朝鮮戦争停戦を受け、新たなアジア戦略を打ち出そうとしていた。

 それがCIAの積極的な対日工作を促し、日ソ接近を防ぐ手段として55年の保守合同に焦点をあてることになった。当時の日本政界で、情報機関強化と保守合同に特に強い意欲を持っていた緒方にCIAが目をつけたのは当然でもあった。

 ただ、CIAの暗号名を持つ有力な工作対象者は他にもいた。例えば同じ時期、在日駐留米軍の施設を使って日本テレビ放送網を創設するため精力的に動いていた正力松太郎・読売新聞社主(衆院議員、初代科学技術庁長官などを歴任)は「PODAM(ポダム)」と呼ばれていた。

 加藤哲郎・一橋大大学院教授(政治学)によると、「PO」は日本の国名を示す暗号と見られるという。また、山本武利・早稲田大教授(メディア史)は「CIAは、メディア界の大物だった緒方と正力の世論への影響力に期待していた」と分析する。

 暗号名は、CIAが工作対象者に一方的につけるもので、緒方、正力両氏の場合、いわゆるスパイとは異なるが、CIAとの関係は、メディアと政治の距離も問いかける。

 時あたかも、政権交代をかけた衆院選が1カ月余り後に行われる。自民党結党時の政界中枢にかかわる裏面史が、この時期に明るみに出たのも因縁めく。

 また、自民党に代わり政権を担おうとしている民主党が、ここに来て、対米政策を相次いで見直したのは、日本の政界が、政党の新旧を問わず、半世紀以上前から続く「対米追随」の型を今なお引きずっているようにも見える。【後藤逸郎】
【関連記事】

* CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析

毎日新聞 2009年7月26日 東京朝刊

1994年10月10日(朝日新聞)
CIA、自民に数百万ドル援助
50-60年代 左翼の弱体化狙う

【ワシントン8日=ニューヨーク・タイムズ特約】米ソ対立の冷戦時代にあった1950年代から60年代にかけ、米中央情報局(CIA)は、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。米国の元情報担当高官や元外交官の証言から明らかになったもので、援助の目的は日本に関する情報収集のほか、日本を「アジアでの対共産主義の砦(とりで)」とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった、という。その後、こうした援助は中止され、CIAの活動は日本の政治や、貿易・通商交渉での日本の立場などに関する情報収集が中心になった、としている。

55年から58年までCIAの極東政策を担当したアルフレッド・C・ウルマー・ジュニア氏は、「我々は自民党に資金援助した。(その見返りに)自民党に情報提供を頼っていた」と語った。資金援助にかかわったCIAの元高官1人は、「それこそ秘密の中心で、話したくない。機能していたからだ」と述べたが、他の高官は資金援助を確認している。
また、66年から69年まで駐日米大使を務めたアレクシス・ジョンソン氏は、「米国を支持する政党に資金援助したものだ」と述べ、69年まで資金援助が続いていたと語った。

58年当時、駐日米大使だったダグラス・マッカーサー2世は同年7月29日、米国務省に送った書簡の中で、「佐藤栄作蔵相(当時)は共産主義と戦うために我々(米国)から資金援助を得ようとしている」と記している。

マッカーサー2世は、インタビューに対し.「日本社会党は否定するが、当時、同党はソ連から秘密の資金援助を得ており、ソ連の衛星のようなものだった。もし日本が共産主義化したら、他のアジア諸国もどうなるかわからない。日本以外に米国の力を行使していく国がないから、特に重要な役割を担ったのだ」と語った。

自民党の村口勝哉事務局長は、そのようなCIAの資金援助については聞いていない、としている。
朝鮮戦争(50年-53年)当時、CIAの前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化のためタングステンを必要としていた米国防総省に1000万ドルで売却。これを調べている米メーン大学教授の資料によると、CIAは280万ドルをその見返りに提供したという。




1994年10月13日(朝日新聞)
CIA、58年に特別班 日本向け選挙資金担当

【ワシントン12日=五十嵐浩司】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけ、当時日本の政権を担当していた自民党に、極秘の資金援助を行っていたと疑われている問題で、CIAが58年4月に日本向けの選挙資金工作を担当する特別グループを作っていたことが12日に朝日新聞が入手したCIAの内部文書で明らかになった。また、これとは別に米国務省の内部文書によると、58年7月に当時の佐藤栄作蔵相が、在日米大使館を通じ選挙資金援助の要請を行った際、自民党の川島正次郎幹事長とみられる「カワシマ氏」を「窓口」に指定し、秘密のうちに慎重に取り扱うことを求めていた。米大使館はこの時には、資金援助を断った模様だが、CIAによる特別グループの設置は、これとは別に資金援助が行われた可能性を示している。

CIA文書は今年4月に「極秘」扱いを解かれたもので、50年代半ばから末にかけ、反共活動支援の目的で、フランスやフィリピン、ギリシャなど世界各国で選挙資金の援助工作をしていたことを記している。具体的な援助策は各国ごとに作られた「計画調整グループ」「特別グループ」で行われていた。日本担当のグループは58年4月11日に設置した、としている。

グループ設置が直ちに「援助の実施」を意味するものではないが、日本では同年5月に衆議院選挙が行われており、これに照準を合わせた動きだったとみられる。翌月には、米側の信任が厚かった岸信介氏を首班とする第2次岸内閣が発足した。

国務省文書によると、岸氏の弟でもある佐藤氏の「選挙資金援助要請」は、これを受け同年7月25日に行われたもので、59年6月に予定される参議院選挙用の資金調達が目的だったようだ。

同文書は、佐藤氏と会った当時のカーペンター米大使館1等書記官が国務省に送った「メモ」などで、これによると会談は佐藤氏が要請し、「報道陣を避けるため」東京グランドホテルで2人だけで行った。
佐藤氏は、日本共産党や日教組などの「脅威」を指摘すると同時に、「共産主義勢力」がソ連(当時)や中国から資金援助を受けている、と説明した。

一方、「これら過激分子と戦っている」政府と自民党は、支持者・企業から資金を集めており、また経済界の一部指導者たちが「結成も活動も報道されていない秘密のグループ」を通じて資金提供を図っているが、衆院選の後だけに「資金不足」と窮状を訴えている。

このうえで米側に「保守勢力が共産主義と戦うための資金援助の可能性」を打診した。窓口として「カワシマ氏」の名前を挙げており、当時の川島正次郎・自民党幹事長とみられる。

佐藤氏は、もし米国が援助に同意しても、「米国が困る立場にならないよう、極秘に行う」と提案している。
「メモ」に付けられた当時のマッカーサー大使からパーソンズ国務次官補(東アジア担当)にあてた書簡によると、佐藤氏は前年も同様の打診を行っていた、という。


1994年11月11日(朝日新聞)
「CIAが自民党へ資金援助」を検証
日米戦後史の裏面に光

米中央情報局(CIA)による自民党への秘密資金援助を、米ニューヨーク・タイムズ紙が報じてから1カ月。CIA・政府関係者の証言を集め、関連資料を分析すると(1)資金援助が始まったのは50年代後半、アイゼンハワー政権期らしい(2)60年代のうちに終了していた可能性も高い(3)援助の規模は伝えられた金額よりは少なかったのではないか、という輪郭が浮かび上がる。だが、関係者の多くはすでに故人になり、時間の壁も厚い。冷戦下に埋もれていた日米戦後史の裏面にきちんと光をあてるためにも、まだあるはずの機密文書の公開が望まれる。(ワシントン=梅原季哉・外報部)


●61年初頭には実行中

証言(1) 「ケネディ政権発足直後の61年2月、私を含めた数人の当局者が、自民党への秘密資金援助について、アイゼンハワー前政権からの引き継ぎとしてCIA情報官から説明を受けた」=元国務省情報調査局長、ロジャー・ヒルズマン氏(75)。
この資会援助について最も明確に証言したのがヒルズマン氏だ。それによると、引き継ぎを受けた場所は、ホワイトハウス西隣の旧行政府ビルの1室。バンディ大統領補佐官(国家安全保障担当)らも出席した。

ClA側 「自民党の代表が、アイゼンハワー政権期に駐日米大使とCIAに接触し『共産党がソ連から資金援助を受けている』ので、自民党が選挙ポスターや宣伝に使う『十分な多額』の資金提供を要請した」

それ以上具体的な中身の報告はなかった。ヒルズマン氏らは計画の妥当性についてCIA側を問い詰めた。
CIA側 「これは進行中の作戦で、選択肢は今すぐやめるか、徐々に額を減らしてなくすしかない。しかし、即時中止すれぱ、相手側が不満を抱いて公にされるかもしれない」
結局、ヒルズマン氏らは、計画を徐々に縮小して中止するようケネディ大統領に具申、そう決定された。


●占領下では活動に制約

資料(1) 「終戦から朝鮮戦争の途中まで、米軍の極東司令官だったマッカーサー将軍は、自分の管内でのCIAの存在に反対した」(CIA歴史スタッフ編の内部資料『ClA長官、アレン・ダレス』第2巻『情報活動の調整』)
証言(2) 「連合国軍総司令部(GHQ)には自前の情報機関G2もあり、もしCIAが巨額の資金を保守勢力に援助しようとしたら、マッカーサーにつぶされていたはずだ」「当時のCIAは予算も少なく、防諜(ぼうちょう)や情報収集活動が中心で、資金援助などできなかった」(占領下から50年代半ばまで日本に駐在した元ClA情報官)
この元情報官は、52年の占領終了までは、CIAが日本で秘密活動をするのは難しかったと強調した。


●57年には接触

57年ごろには、すでにCIAと自民党の間で接触があったことを裏付ける資料がある。
資料(2) 「議題『共産主義勢力の伸長、破壊活動防止のための日米協力について』。参加者は自民党外交調査会員、須磨弥吉郎代議士、元労相の千葉三郎代議士、ダグラス・マッカーサー2世大使……同代議士は翌18日、同じ問題について話し合うためにアレン・ダレスCIA長官を訪問した」(57年1月17日付、国務省会話メモ)
マッカーサー2世元大使はこの時、日本への着任を控えてワシントンにいた。須磨氏(故人)は、戦前、外務省情報部長を務めたことがある。同長官と自民党代議土との会談記録は、ほかには公開されていない。


●決定は58年4月か?

資料(3) 「選挙で特定の党派へ資金を供与するという案は、……長官が重要と認めた場合またはCIA予備費を支出する必要がある場合に、……特別グループ(SG)と呼ばれた会合にはかられた。【注】例えば……日本についてのSG会合、58年4月11日」(前出『アレン・ダレス』第3巻、『秘密活動』)

資料(4) 「岸首相の弟の佐藤栄作氏が、共産主義と戦うための金銭的援肋を我々に申し入れてきた……これは驚くほどのことではない。なぜなら彼は昨年も同様な考えを示していた」(58年7月29日付、マッカーサー2世駐日大使から、極東担当国務次官補への手紙)

証言(3) 「私自身は、そういった資金援助の決定には関与しなかった」(マッカーサー2世元大使)
確かに付属のメモによると、同大使は「資金援助は難しい」との考えを佐藤氏に伝えている。この時点では接触だけとも受け取れる。

証言(4) 「自民党側からの働きかけはアイゼンハワー政権期と聞いた。58年4月11日付のSG会合で秘密援助が決定された可能性は極めて高い」(ヒルズマン氏)
保守合同から2、3年たち、米国はアイゼンハワー、日本では岸政権だったこのころが、資金援助開始時期である可能性が高い。


●終了は?

証言(5) 「ニューヨーク・タイムズは、秘密資金援助は70年代初めに終了したらしいと報じていたが、私が知る限り、もっと早く終わっていたはずだ」(元ClA情報官)
証言(6) 「私が63年にCIA極東部門の長に就任したとき、日本については小さな作戦が2つあったが、意味がなかったので中止した。しかし、伝えられるような資金援助は、63年以前は知らないが、私の就任時点で存在したとは思えない」(コルビー元CIA長官)
2人の証言からは、ケネディ政権発足時に資金援助計画を徐々に縮小、中止させる方針が決まった後、まもなく終了した可能性も出てくる。


●金額は?

証言(7) 「資金援助の具体的な規模は説明されなかったが、『十分に重要な意味のある額』ということだった。推察だが、年に数十万ドルから百万ドル程度だったろう」「まず下限だが、年に数万ドル程度の規模では我々の議題になるはずがなかった」「(上限については)逆に年200万ドルを超えるようなら、巨額で目立つが、そういう記憶はない」(ヒルズマン氏)
前出のダレス長官の評伝でも、外国選挙への秘密資金援助がSG会合の議題になったのは、通常年25万ドルを超える場合だった、とされている。一方、金額が多過ぎると目立ち、秘密活動にならないというのがヒルズマン氏の説明だ。


●「冷戦で当然」の見方も

関係者の多くは、この資金援助について直接の知識のあるなしにかかわらず、当時の冷戦の枠組みでは当然のことだったと語る。ソ連による日本の左翼勢カへの援助は、米高官の間では「常識」だった。「CIAはただ、米国の政策を実行しただけだ」とCIA元情報官の1人はいう。
証言(8) 「秘密活動にかかわるCIA職員は、扱う金額が大きいほど出世しがちだった。資金援助は、対象を深く吟味せずに世界中で行われていた」(上院情報特別委員会元スタッフ、アンジェロ・コードゥビラ氏)
自民党への資金援助は、「ばらまき金」の側面も持っていたというのだ。


●機密保持期間は経過

資金援助に関するケネディ政権下の公文書は、30年間の機密保持期間を過ぎている。国務省外交史料諮問委員会の歴史学者たちは、公開して対日外交文書集に取り込むことを求めているが、主にCIAとの間で調整がついていない。

×  ×  ×
「私はアイゼンハワー政権も、自民党も過ちを犯したと思う。このことがすべて公になれば、そんな過ちは2度と繰り返さないに違いない」とヒルズマン氏は話した。


資金援助疑惑とは
「CIAは1950、60年代にかけ、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。目的は日本に関する情報のほか、日本を『アジアでの共産主義に対する砦(とりで)』とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった」(ワシントン10月8日発のニューヨーク・タイムズの記事の骨子)
「昔のことで、党職員に調べさせたが、そんな事実はない。迷惑な話だ」(自民党の森喜朗幹事長の話)

CIAと秘密活動
CIAは1947年の国家安全保障法で、大統領直属の情報機関として設立された。同法に「国家安全保障に影響するその他の機能を時に応じて果たす」とあるのが、CIAが秘密活動に従事する根拠だ。その後、数度の大統領令などで、国家安全保障会議(NSC)の政策決定を受けてCIAが秘密活動を集行する枠組みが定まった。それは大きく宣伝、政治工作、軍事作戦などに分類され、初期の典型的な政治工作としては、48年のイタリア総避挙でキリスト数民主党にてこ入れした例がある。


【関連記事】

米の機密文書公開に「待った」 「対日外交に影響」国務省
「核」寄港合意・CIAの資金援助疑惑  ケネディ政権下の資料
【ワシントン6日=梅原季哉】米ケネディ政権(1961年-63年)下でつくられた公文書の中に、日米両国政府の間に核兵器を搭載した艦船の日本寄港に関する合意があったことを裏づける複数の資料があり、米中央情報局(CIA)による自民党への秘密資金援助を示す公文書と共に、この8月の機密解除の最終的な法的期限が過ぎても公開されていないことが、朝日新聞社の調べで6日、わかった。公文書は原則として30年後までに機密を解かれるが、解除文書を取り込んで編集される同政権期の対日外交文書集が、いまだに刊行が決まっていない。
歴史・法学者らからなる米国務省の「外交史料諮問委員会」は「問題となった日本関係の公文書が非公開のままなら、正確な歴史は反映できない」と、日本関係の章の刊行自体の取りやめを勧告するという異例の措置までとっている。
問題になっているのは、米国務省が機密解除期間の30年をめどに逐次発刊している史料集「合衆国の外交」の中の章「日本・1961年-63年」に収録する予定の公文書。
朝日新聞社が入手した同諮問委の非公開討議の抄録によると、「日米安全保障条約の履行とそれに関連する軍事的問題、及び当時の日本の国内政治」の3つに関係した複数の公文書について、委員会側が機密の解除を求めた。しかし、国務省の政策担当者やCIAなどの反対で、いまだに実現していない。
抄録によると、「60年安保条約に関係し」「ライシャワー大使の回想録にも出てくる」問題についての文書公開が否定された。国務省の日本担当者は「今も対日外交関係を損なう恐れがある」と説明している。
核搭載艦船の日本寄港を認めた故ライシャワー駐日大使は81年、60年代前半に池田政権の大平外相と会談し、「核の持ち込みとは、陸揚げ及び貯蔵であり、寄港は意味しない」との日米間の口頭了解が、安保条約改定時からあったことを説明し、了解された、と発言。「会談は国務省からの訓令に基づき行われ、命令と報告の公電もあるはずだ」としていた。
また、当時の極東担当国務次官補、ロジャー・ヒルズマン氏(75)も先月末、朝日新聞記者に「63年春、その了解事項を日本側に再確認する決定にかかわった。公文書は残っているはずだ」と語った。
一方、CIAの自民党資金援助に関連した討議の抄録によると、国務省の日本担当者は昨年11月の時点で「自民党はまだ日本最大の政党で、政権に復帰する可能性もある」と公開に反対した。
同諮問委の-キムボル委員長は「守秘義務があり、内容は明かせないが、日米関係に関する複数の文書公開を委員会が求め、これについての国務省の決定が遅れているのは確かだ」と話している。(朝日新聞 1994/11/07)

CIAが大規模対日工作 最盛時は要員100人 自社議員らに報酬も 関係筋証言
【ワシントン5日共同】米中央情報局(CIA)は日本国内に、最盛時には100人以上、現在も約60人という在外支局としては「世界で最大規模」の要員を配置し、自民党や社会党の議員、政府省庁職員、朝鮮総連幹部、左翼過激派、商社員らに定期的に報酬を渡して秘密の情報提供者として確保してきたことが、複数のCIA関係筋の証言で明らかになった。CIAはこうした政治・安全保障分野だけでなく、経済・技術分野でも日本の対米貿易の交渉方針、日本企業の高度技術(ハイテク)を対象に、情報活動を展開してきた。

在日CIA工作の全体的な実態および陣容はこれまでほとんど知られていなかった。CIAスポークスマンはこうした工作について「ノーコメント」と論評を拒否した。
CIA関係筋は、CIAの情報提供者となっていた自社両党の議員の名前を明らかにすることを拒否したが、社会党議員については「長老で、1980年代に月25万円の報酬を手渡し、党の運動方針などを聞いた」とだけ述べた。また数人の自民党議員にも同様の報酬が支払われ各種の政治情報を得た、と同筋は指摘した。
情報提供者には地位に応じて、現金で月10万-25万円をホテルなどで手渡したという。
政治情報では、第1に首相の動向が最大の関心事。CIAは歴代首相の側近、周辺に常に情報提供者を確保してきた。
例えば、85年5月ボンで行われた中曽根・コール両首相の日本・ドイツ首脳会談の際にはCIA要員もボンに出張、会談直後に中曽根氏の側近からその内容を入手するといった方法。レーガン米大統領が中曽根首相にゴルフクラブを贈る際、好みをCIA要員が調べ、ロン・ヤス関係演出に一役買った。
自民党の中では金丸元副総裁がCIAに協力的だった。90年9月の金丸氏による北朝鮮訪問の前後には、同氏と親しかった中尾宏・元衆院議員(92年7月死去)が訪米、CIA側に状況を説明したという。
日米間の貿易交渉をめぐっては、主に通商代表部(USTR)の要請を受けてCIAが日本側の交渉態度を探るのが通例。88年6月決着した牛肉・オレンジ市場開放交渉では、農林水産省内の情報提供者から「日本の最終譲歩リスト」を入手していた、と別の関係筋は証言した。
電気通信分野の交渉に関連しても郵政省の内部やNTT、さらに通産省内部からも情報を得ていたという。日本企業のハイテクの軍事的側面も調査、京セラや大日本印刷、宇宙開発事業団、三菱重工、石川島播磨重工業などが調査対象となった。
このほか、中東の日本赤軍に国内の支援勢力がブラジル経由で数十万ドルを送金したことも突き止めるなど、左翼過激派の動向調査も怠らなかった。(中日新聞 1995/01/06)

報酬受け提供「考えられぬ」 自民事務局長
米中央情報局(CIA)に関する共同通信の報道について、名前をあげられた中曽根康弘元首相の事務所は、「CIA要員であるかどうかは別にして米大使館員との交流は昔からあった。しかし、こちらから情報を提供するということはなかった」と話している。
また、自民党の村口勝哉事務局長は「議員が報酬を受け取って情報を提供するということは考えられない」と話している。(朝日新聞 1995/01/06)

立法院選で保守勢力へ秘密資金
国家安全保障公文書館が米機密文書公開
1965年の立法院選挙で保守勢力を優位にすることで沖縄統治の安定を図ろうと、米国(CIA)から秘密の資金が持ち込まれたことを示す秘密文書が、ワシントンにある国家安全保障公文書館で公開された。同文書は同年6月の沖縄問題に関する国務省会議についてのもの。同問題だけでなく、日本への核持ち込み、沖縄での日の丸掲揚問題に対する米側の認識、国務省側と軍との対立など当時の米国、日本、沖縄の状況を生々しく伝えている。
文書の中では実際に資金が沖縄に流れたかどうかには触れられていない。同資料を発見したロバート・ワンプラー国家安全保障公文書館の分析研究員は「この文書の中で『303委員会にかける』話が出てくるが、この会議はこのような秘密工作を決定する委員会であること、ライシャワー氏らの会議の中身は、資金を流すかどうかではなく、どのようなルートで流すか具体的なことが討議されており、結果(資金が沖縄にいったかどうか)は疑いようがないのでは」と、実際に資金が流れたことを確信をもって語る。
303委員会は国務、国防両長官、ホワイトハウス高官、CIA長官らで構成し、CIAが実行部隊となった秘密工作を承認するかどうかを決定する機関。ワンプラー氏は同公文書館の日本プロジェクト担当部長で、「この文書を見た時、自分の目を疑った。話としては以前からあったが、文書があったとは全く知らなかった。私も二度読み返したほど」と、長年日米関係を調査研究してきた当人にも驚きだったようだ。(沖縄タイムス 1996/10/07)

直径50メートル 米極秘衛星?
静止軌道上 日本見下ろす 望遠鏡で確認
日本スペースガード協会(磯部しゅう三理事長)は4日、日本を見下ろす静止軌道上に直径約50メートルの巨大物体があるのを望遠鏡で発見、写真撮影に成功したと発表した。
同物体は継続的に軌道制御を行っており、運用中の人工衛星であることは明らか。同協会は、米国が通信傍受などのため極秘に運用している巨大パラボラアンテナ型の情報収集衛星の1つ、とみている。
発見したのは昨年12月。同協会の美星スペースガードセンター(岡山県美星町)の望遠鏡(口径1メートル)で、地球周回軌道にある人工衛星の破片などの宇宙ゴミ(スペースデブリ)を観測中に偶然見つけた。
巨大物体は東経120度、インドネシア付近の赤道上空の高度約3万6000キロの静止軌道にあり、明るさは9等星ほどで同軌道の人工衛星としてはきわめて明るかった。同協会は、明るさから物体の直径は約50メートルと割り出した。観測を続けたところ、同物体は常に軌道制御を行って厳密に位置を維持していることが分かった。
地球を回る軌道にある人工衛星やスペースデブリは、米空軍が観測し、自国の軍事衛星を除いてリストを公開しているが、発見した物体は記載がなかった。
米科学者達盟によると、米国は通信やレーダー波を傍受するため1970年代から、静止軌道に大型衛星を極秘に配置している。現在は、80年代半ば以降に打ち上げられた直径数十メートル-100メートルのマグナムと呼ばれる衛星などが運用中とみられる。(中日新聞 2002/04/04)

対日諜報網計画:戦後、20人の工作員投入案 米戦略諜報隊
米中央情報局(CIA)の前身組織が、終戦直後に作成したと見られる対日諜報網の計画案が、米国で見つかった。軍国主義や反米の動きを監視するのが目的で、戦後の日本に対する諜報活動を明確に示す初めての資料という。
この資料は「日本における戦後の秘密諜報工作計画」など。早稲田大の山本武利教授(メディア史)が今年1月、米メリーランド州の国立公文書館で発見した。陸軍省の戦略諜報隊(SSU)が46年前半ごろに作成し、幹部に提出したらしい。
中国、韓国、ベトナムなど極東全域を記した総論と国別の各論からなる計約100ページの文書の中にあり、「最高機密」に指定されていた。
計画案では、戦後の混乱が続く当時を秘密工作員が日本への浸透を行う「絶好の機会」と強調。「表面からは隠されているものの、反民主主義的、反米的な動きが潜在していることも否定できない」とみなしている。そのうえで諜報活動の重点項目として、政治、経済、宗教、陸海軍、国際関係を挙げた。
具体的には、東京・横浜、神戸・大阪・京都、札幌、名古屋、長崎など日本全体で工作員は当面17~20人とし、日本を南北2つに分け配置を検討した地図や、予算案を作っていた。
工作員には企業からの引き抜きが適当として、その候補として、戦前に拠点があった米国企業の所在地や代表者名を記したリストも付けていた。
計画案の邦訳は、今月中旬発売されるメディア研究誌「インテリジェンス」(紀伊国屋書店)第2号に掲載される。

秦郁彦・日本大学教授(現代史)の話 米国の情報活動の一端を示す貴重な文書資料だ。ただ、マッカーサーは日本占領にSSUなどを関与させる気がなかった。占領政策はうまくいき、右翼勢力が復活する恐れも小さくなって、連合国軍総司令部(GHQ)は次第に対ソ政策へ重心を移した。この資料は、その過渡期に作られた実行困難な計画だったと思う。(毎日新聞 2003/03/02)

米の「赤狩り」日本でも 50年前の議事録発見
終戦直後の日本で共産主義者らに便宜を図ったとして、米陸軍省が1954年4月、神奈川県の米軍座間基地で自国の同省職員に対して開いた聴聞会の議事録が見つかった。当時、米国では東西冷戦を背景に「赤狩り」と呼ばれた共産主義思想の弾圧が行われており、これが日本の地にも及んでいたことが初めて確認された。

標的とされたのは在日米極東軍司令部の民間職員だったドン・ブラウン氏(1905-80)。連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局情報課長を務め、対日メディア政策を統括。GHQ解消後、米陸軍に移籍したが、匿名の告発で、過去の日本の左翼系知識人らとの交際などが「国家安全保障上の利益に反する」とされた。
議事録は、ブラウン氏の代理人の弁護士トーマス・ブレークモア氏(1915-94)が保管。ブレークモア氏が死後に日本に残した文書類の中から、占領史研究家の笹本征男さん(59)=東京都世田谷区=が見つけた。
議事録によると、聴聞会は54年4月27日に座間基地内で、在日極東軍司令部の安全保障聴聞委員会が開いた。(1)GHQ情報課長当時、新聞や雑誌の用紙割り当てで共産主義寄りの出版物に便宜を図った(2)共産主義者、同調者と交際があった-などの告発事実を告げ、尋問が始まった。
交際相手には、女性の新しい生き方を中心とした評論活動をした石垣綾子氏ら日本人3人や、GHQ民政局次長として憲法草案をとりまとめたチャールズ・ケーディス氏、「ニッポン日記」の著者として知られるジャーナリストのマーク・ゲイン氏らが挙げられた。
ブラウン氏は「用紙割り当ては日本人の委員会が決め、自分たちには割当量に介入する権限はなかった」などと激しく反論。石垣氏らとの特別な交際も強く否定した。
告発を裏付ける事実は乏しく、議事録には審査結果の記録はなかったが、疑惑は晴れたとみられ、ブラウン氏は50年代後半まで在日極東軍に勤務。その後も日本に滞在し、74歳で亡くなった。同氏は戦時中や終戦直後の新聞、雑誌など膨大な史料を残し、横浜市の横浜開港資料館に所蔵されている。

古矢旬・北海道大教授(米政治外交史)の話 日本で赤狩りの聴聞会が行われていたとは初耳。米国の研究家にも知られていない貴重な史料だと思う。1954年は、急先ぽうだったマッカーシー上院議員が「陸軍にも『アカ』がいる」と攻撃した時期で、米陸軍省は外部の介入を避けるため、組織防衛として内部で厳しく忠誠審査をしたのではないか。

<米国の「赤狩り」> 東西冷戦下の米国で猛威をふるったリベラル派などへの思想弾圧。米議会上院と下院に調査委員会が設けられ、大学、研究機関、映画界などで多数の学者、芸術家らが「共産主義者」のレッテルをはられて追放された。ジョセフ・マッカーシー上院議員の活動が有名で「マッカーシズム」と称された。1954年末、上院が同議員への非難決議を可決するなどして終息した。(中日新聞 2004/03/29)

日本版「CIA」の誕生 防衛庁に要員920人
日本は「情報大国」に跳躍するために、情報組職の大規模な拡大・改編と、人的・物的な情報収集の強化策を推進中だと、中国青年報が19日付で報じた。

▲日本版「モサド」の創設
防衛庁は3月、10万件の軍事秘密文書にマグネッティック署名作業を終えた。文書を盗み出した場合、防衛庁の建物内に設置された検知装置が作動して警報装置が鳴るように設計されている。赤色の特殊用紙の機密文書は、不法コピーの瞬間、黒色に変色し、内容を見ることができなくなる。
同時に、防衛庁情報本部要員を110人から920人に増やし、軍事情報の収集、解読、保安能力を大幅に強化させた。
また、内閣情報研究室、通産省など6、7の省庁に分散している情報組職を統合・拡大する作業も進めている。各省庁の情報を総括して首相に報告する内閣情報研究室職員が120人に過ぎず、役割を十分に果たせないために、1000人以上に大幅増員し、事実上新たな情報機関を創設する計画だ。
日本版「ネオコン」(新保守主義者)の石破茂・防衛庁長官は、「内閣情報研究室を米中央情報局(CIA)やイスラエルのモサドのような情報機関に変貌させる計画だ」と明らかにしたと、同紙は伝えた。

▲007学校もある
4月24日、小泉純一郎首相の机には、北朝鮮の龍川(ヨンチョン)駅爆発事故現場を撮影した衛星写真が置かれた。昨年3月に打ち上げられた2基の軍事偵察衛星が撮影したものだ。日本政府は、これを基に対北朝鮮支援規模を決定した。
軍事偵察衛星は、98年8月に北朝鮮が日本列島を横断するテポドン・ミサイルを発射したことに刺激を受けたもの。2基の衛星が毎日15回地球を周り、韓半島、中国、ロシアなどの軍事情報を探知する。
日本は昨年11月に、2基の衛星をさらに打ち上げようとしたが、ロケットの打ち上げ失敗で延期になった。しかし06年までに4基体制を構築することを決め、1370億円の予算を策定している。
情報要員に対する訓練も強化した。代表的な情報訓練機関である小平学校は、毎年35歳以上の自衛隊の将校50人を入校させ、各種情報収集能力の育成はもとより、韓国語、中国語、ロシア語などの語学能力を身につけるスパルタ式教育を実施している。
川口順子外相は最近、英国のマスコミとの会見で、「日本も現在、007のような情報要員を養成中だ」としながら、「そのため、英国の情報機関の経験を学びたい」と話していた。(東亜日報 2004/06/20)

自衛隊創設時から極秘に日米作戦計画 首相に報告せず
自衛隊創設直後から、ソ連による日本侵攻を想定した「日米共同作戦計画」が、自衛隊と在日米軍の間で毎年作られていた。最高度の秘である「機密」指定で、存在そのものも秘密にされてきた。朝日新聞の取材に対し、複数の元自衛隊幹部が初めて証言した。
また、それを裏付ける米太平洋軍司令部の秘密指定が解除された報告書も見つかった。日本政府はこれまで、共同作戦計画づくりは78年の日米政府間合意である「日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン)」にもとづいて始まったと説明してきたが、それが完全に覆された。
この計画は、旧ガイドラインの策定が始まるまで、自衛隊の最高指揮官である首相にも報告されず、正式な「政治の承認」のないままに行われていた。政治問題化を恐れて防衛庁が内密に処理していた。自衛隊の文民統制(シビリアンコントロール)の根幹を揺るがす問題で、政治責任の欠如は、イラク多国籍軍をめぐる国会審議・承認の回避など、現在にも尾を引いている。
証言したのは、50年代から70年代にかけて、統合幕僚会議や陸上幕僚監部でそれぞれ共同作戦計画づくりを直接担当した中村龍平・元統幕議長、源川幸夫・元東部方面総監、松村劭(つとむ)・元富士学校機甲科副部長ら。その内容は、琉球大の我部政明教授が入手した米太平洋軍司令部の73年版年次報告書と一致した。
計画の正式名称は、日本語で「共同統合作戦計画」。英語では「Coordinated Joint Outline Emergency Plan」(CJOEP)。日本語版と英語版の2通りが作られた。日本語版はA4判で数千ページ。十数部しか作成されず、防衛庁内の金庫に厳重に保管されたという。
計画は毎年改定され、統合幕僚会議議長と在日米軍司令官が署名した。防衛庁内局の防衛局長を通じ、防衛庁長官に報告される形になっていた。
「共同統合作戦計画」のシナリオは、ソ連軍が北海道に上陸侵攻。自衛隊がまず独力で対処し、米軍の来援を待つ。米軍の来援部隊は、陸軍が3個師団プラス1~2個旅団、海軍がおよそ3個空母機動部隊、空軍が十数個飛行隊。数次に分かれて、1週間から2カ月かけて日本に展開することになっていた。
陸海空自衛隊はこの共同作戦計画を前提に、毎年度の日本防衛計画である「年度防衛警備計画」(年防)を策定してきた。
一方、米側は、こうしたソ連軍による直接の日本侵攻よりも、朝鮮半島有事が日本に波及する事態の可能性が大きいと見て、その検討を優先するよう強く求めた。だが、日本側は「集団的自衛権の問題に踏み込む恐れがある」と主張し、具体的な検討には至らなかったという。
共同作戦の指揮権については、日米双方とも「統一指揮が望ましい」という点では一致したが、どちらも相手の指揮下に入ることを望まず、この点は作戦計画に明記されなかった。
日米の制服間による計画づくりは米側の主導により、日米安保条約(旧安保条約)が結ばれた翌年の52年から始まった。自衛隊の前身である保安隊の時代だった。54年に自衛隊が誕生し、翌55年に最初の計画が陸上幕僚監部と在日米陸軍司令部によって完成。57年から陸海空を統合する形で、統合幕僚会議と在日米軍司令部の間で作られるようになった。
日米ともに政府レベルでの承認は正式に行われなかった。米側は政府承認を求めたが、日本側が「難しい」と拒否したためだ。米太平洋軍司令部の報告書には「極めて微妙な政治問題であるため、自衛隊の担当者は政府の承認を得ることに消極的だった」とある。
しかし、70年代に入って、米政府は世界規模で各国との共同作戦計画の見直しを行い、日本との作戦計画の政治的位置づけのあいまいさに着目。政府承認を強く求めた。この結果、75年に坂田道太防衛庁長官とシュレジンジャー米国防長官の間で、「作戦協力」の協議開始で合意。78年に計画作りの指針である旧ガイドラインが出来た。

◇      ◇
〈旧ガイドラインと日米共同作戦計画〉 日米両政府が78年、日本が武力攻撃を受けた際などの防衛協力や任務の分担などを明確にした指針。これにもとづいて、改めて「共同作戦計画」の研究が日米制服間で始まり、84年に北海道侵攻を想定した作戦計画「5051」、95年に中東などの有事波及を想定した同「5053」が完成。いずれも防衛庁から首相に報告された。
旧ガイドライン以前に共同作戦計画が作られていたのではないかという疑惑は、65年と75年の衆院予算委員会で、岡田春夫議員(社会党)が64年ごろの防衛庁文書と見られる共同作戦計画「フライングドラゴン」の関連文書を示して追及した。防衛庁側は「共同作戦計画はない」「幕僚レベルの研究はしている」などと否定していた。(朝日新聞 2004/07/01)

平和シンボルに昭和天皇を利用 開戦半年後、米国が計画
「象徴」記述 半年早まる 米機密文書から確認 一橋大教授
米国が太平洋戦争開戦からわずか半年後の1942年6月、情報工作の一環として昭和天皇を「平和のシンボル(象徴)として利用する」との計画を立てていたことが、CIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報局)の機密文書で明らかになった。
専門家によると、米国の公文書が天皇を「象徴」と初めて表現したのは、これまで確認された中では同年12月で、この史料が最も早い時期に当たるという。
マッカーサー将軍がこの計画を知っていたことを示す文書も併せて見つかり、戦後日本の象徴天皇制の起源を解明する上で極めて重要な手掛かりとなりそうだ。
一橋大の加藤哲郎教授がワシントンの米国国立公文書館で、2001年に解禁されたOSS史料の中から発見した。
42年6月3日付で陸軍省心理戦争課の大佐が起草した「日本計画(最終草稿)」と題する文書で、抜粋が3ページ、本文が32ページ。連合軍の軍事戦略を助けるための、日本に対するプロパガンダ戦略を提言した内容。
抜粋では「日本の軍事作戦を妨害し日本軍の士気をくじく」など4つの政策目標を設定。それらを達成する11の宣伝目的の中に「日本の天皇を、慎重に名前を挙げずに平和のシンボルとして利用すること」と明記。
本文では「天皇は西洋の国旗のような名誉あるシンボル」だとし「軍当局への批判の正当化に用いることは可能であり、和平への復帰の状況を強めることに用いることもできるだろう」と記されている。
戦後、日本占領の統治者となるマッカーサー将軍が連合軍の司令官として、42年8月5日付で「日本計画」に寄せたメモも見つかった。
加藤教授の論文は雑誌「世界」(12月号)に掲載される。(中日新聞 2004/11/07)

対外情報機関設置を提言 有識者懇、英MI6「参考」に
今年4月から協議を続けてきた町村外相の私的懇談会「対外情報機能強化に関する懇談会」(座長・大森義夫元内閣情報調査室長)が報告書をまとめ、外相に提出した。英国の秘密情報機関「SIS」を念頭に「特殊な対外情報機関」を外相の下に設置するよう求めている。
現在、外務省では、国際情勢に関する情報の収集と分析、調査のために国際情報統括官をトップとする組織があり、各地の大使館員らが日々の活動を通じて情報収集する体制になっている。
報告書は、現状について「不十分と言わざるをえない」と指摘。専門的な教育や訓練を受けた「情報担当官」を大使館などに配置し、「情報収集活動に特化した活動を組織的に行っていく必要がある」と提言している。
さらに、「場合によっては通常の外交活動と相いれないものがある」と踏み込み、「特殊な対外情報収集活動を行う固有の機関」を外相の下に置くのが妥当だとしている。この中で、英国の秘密情報機関「SIS」にも言及し、「わが国としても参考になる」と位置付けている。
SISは「MI6」とも呼ばれる秘密情報庁で、機構上は外相のもとに置かれている。海外でのスパイ活動などを展開していると見られるが、活動内容の詳細は不透明な部分が多いとされる。
また、報告書は、国内の法制度についても「秘密保全に関する法体系が未整備」と批判。「秘密に接する者」を対象に「法的義務を課す制度の確立」などを提言した。
懇談会は、拓殖大海外事情研究所の森本敏所長や江畑謙介客員教授ら5人で構成されている。(朝日新聞 2005/09/14)

冷戦末期の対日政策、機密文書判明
【ワシントン=松川貴】ジョージ・ワシントン大学が主宰する研究機関「ナショナル・セキュリティー・アーカイ」は14日、米情報公開法に基づき1977年から92年の対日政策などについて、1750件、8000ページ以上に及ぶ機密文書を入手したことを明らかにした。この中で、日本の軍事力強化に対する米国の働きかけの一端が機密メモから明らかになった。
このメモは、ワインバーガー国防長官がレーガン大統領にあてた81年4月20日付の「鈴木(善幸)首相との会談での日本の防衛努力に対する話のポイント」。
同長官は大統領に対して「弾薬、ミサイル、魚雷などの重要品目の購入のために、81年予算で、大幅な追加上積みについて考えるように求める」と、日米首脳会談で話すようにアドバイス。そのうえで「日本の防衛(力)は自由世界にとって非常に重要である」と説得するように求めている。
さらに「北西太平洋で、海と空の防衛能力をこの10年以内にほぼ倍増させることだ」とし「フィリピンの北からグアムの西までの輸送航路を守る自衛隊力を意味する」と鈴木首相に話すように助言している。
また北朝鮮の核問題について、91年11月18日付ベーカー国務長官がチェイニー国防長官に送った公電で「日韓に同じ政策を維持させることが重要で、その仲介のため、われわれは重要な役割を演じるだろう」と前置き、「日本は北朝鮮に経済的てこ入れが可能で、韓国はそれが効果的に運用されることを望んでいる。しかし、日本に対する南北の厳しい歴史は政策調整を阻害するだろう」と分析。
この分析は現在に至る核問題での日米韓の共通政策の難しさを予言したともいえる。
今回の文書はカーター、レーガンからブッシュ現大統領の父親のブッシュ政権までをカバー。同アーカイブは「湾岸戦争や北朝鮮の核問題から貿易、通貨問題の核心部分に、どうやって日本を巻き込むかということを含め、冷戦末期に米国が、世界戦略を構築する苦闘が読み取れる」としている。(東京新聞 2005/12/16)

CIA:日本の左派勢力の弱体化狙い秘密資金工作
米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対し秘密資金工作を実施、旧社会党の分裂を狙って59年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。
国務省が編さん、同日刊行した外交史料集に記された。編さんに携わった国務省担当者は共同通信に対し「日本政界への秘密資金工作を米政府として公式に認めるのは初めてだ」と語った。
米ソ冷戦の本格化や共産中国の台頭で国際情勢の緊張が高まる中、米国が日本を「反共のとりで」にしようと自民党への財政支援に加え、旧社会党の分断につながる工作まで行っていた実態が裏付けられた。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる内容だ。
ニューヨーク・タイムズ紙は94年、マッカーサー2世元駐日大使の証言などを基に、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自民党当局者は「聞いたことがない」としていた。(共同)(毎日新聞 2006/07/19)

資金提供で親米政権安定化…CIAの対日工作明らかに
【ワシントン=貞広貴志】米国務省は18日、米中央情報局(CIA)が1958年から10年間にわたり自民党や旧社会党右派の有力政治家への秘密資金提供などを通じ、親米・保守政権の安定化と左派勢力の抑え込みに向けた工作を実施していたとの記述を盛り込んだ外交資料集(1964~68年)を刊行した。
国務省が編さんしたもので、資料によると、CIAの秘密工作には<1>自民党主要政治家への財政支援と選挙アドバイス<2>親米で「責任ある」野党育成に向けた野党穏健派の分断工作<3>極左勢力の影響力排除のための広報宣伝活動<4>同様の目的による社会各層の有力者に対する「社会活動」──の4種類があった。
資料は具体的な政党名など固有名詞には言及していないが、このうち<1>はアイゼンハワー政権が58年5月の総選挙を前に「数人の主要な親米・保守政治家に限られた額の財政支援」を行ったのが始まりで、当時の岸信介政権の自民党有力者に渡ったものと見られる。受け取った政治家には、「米実業家からの支援」と伝えられた。<2>も同じアイゼンハワー政権下の59年に始まり、年間7万5000ドル程度を継続拠出、旧社会党右派に民主社会党結成(60年)を促す工作などに使われた模様だ。(読売新聞 2006/07/19)

CIAが左派弱体化へ秘密資金 50-60年代、保革両勢力に
【ワシントン=共同】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。
同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。同省の担当者によると、日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて。
米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
同省刊行の史料集「米国の外交」第29巻第2部によると米政府は58-68年「日本の政治動向への影響を狙った4つの秘密計画」を承認。アイゼンハワー政権は58年の総選挙前に「数人の親米保守の有力政治家」への資金提供を行うことをCIAに認めた。
資金提供を受けた政治家には「米ビジネス界からの支援」との説明がなされたという。依然機密扱いの公文書を基に書かれた史料集は額や個人名を明かしていないが「適度の資金援助」が60年代も続いたとしている。
またCIAは59年以降「左派穏健勢力」を社会党から分断し、「より親米で責任ある野党」の出現を目指した「別の秘密計画」を展開。民主社会党(後の民社党)が誕生する60年には、計7万5000ドルの資金援助を行い、秘密工作が打ち切られる64年まで同額程度の支援が続けられた。
米紙は94年、米元高官の証言を基に、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自民党首脳は否定。米政府が秘密工作を公式に認めたことで、同党の説明責任が問われるのは必至だ。

戦略的重要性示す

田中明彦・東大教授(国際政治)の話 米国は、冷戦によって、日本を何としても戦略的に確保しなければならないということになった。(米ソ両陣営が)特に戦略的に重要だとみた国で、国内勢力にいかに浸透していくかという争いでもあった。ソ連側からも日本の左派への資金援助もあったと言われているし、冷戦という国際的な競争環境の中での、日本の戦略的重要性を物語っている。(工作が始まった時期は)岸元首相が日米安保改定に向かう中、左派の動きも強くなっていたから、米国側に引き留めるために資金援助したのだろう。今までは政治的な配慮で公開していなかっただけで、この時期のことが「歴史」になってきたということが(公開の)背景にあると思う。(中日新聞 2006/07/19)

戦後に「新日本軍」計画 旧軍将官ら立案
吉田首相が拒否?幻に 米公文書で判明
【ワシントン=共同】旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など3部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。
文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。
河辺氏の経歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の50年2月ごろ(1)毒ガス隊(2)機関銃隊(3)戦車隊-からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。
51年に入ると宇垣氏を「最高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。
「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつくったグループを指すとみられる。
秘密メモはまた、吉田首相が河辺氏らの構想を「受け入れている」と明記。構想を米側に説明するため、河辺、宇垣両氏らの訪米も検討していたと記している。
しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の50年7月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官の復権は実現しなかった。専門家は、旧軍色を嫌った吉田首相が河辺案を拒否したと分析している。

宇垣氏の名利用か

秦郁彦日大講師(日本現代史)の話 旧軍人の再軍備計画で圧倒的に有名なのは服部卓四郎元陸軍大佐のもの。宇垣一成元陸軍大将の名前が戦後にも取りざたされていたというのは初耳だ。戦時中はいつも東条英機元首相の対抗馬として担がれそうになったのが宇垣氏で「陸軍をまとめるのは宇垣しかない」という待望論があった。河辺虎四郎元陸軍中将は宇垣氏の知名度を利用しようとしたのかもしれない。

河辺虎四郎氏(かわべ・とらしろう) 1890年9月、富山県生まれ。陸軍大学校卒。ドイツ大使館付武官などを経て参謀次長。陸軍中将。終戦時に降伏条件協議のためマニラに飛んだ。終戦後に連合国軍総司令部(GHQ)歴史課に勤務。旧日本軍幹部による秘密情報機関「河辺機関」を率いた。1960年6月死去。

宇垣一成氏(うがき・かずしげ) 1868年8月、岡山県生まれ。陸軍大学校卒。陸軍省軍務局軍事課長などを経て、1924年に陸相就任、25年に大将。陸軍の装備近代化を進めた。38年に外相。終戦後の53年、参院選で全国区最高点当選を果たした。56年4月死去。(中日新聞 2006/08/21)

新日本軍構想 米利用 復権狙う 旧軍幹部らが「地下政府」
【ワシントン=共同】連合国軍総司令部(GHQ)の資金提供で反共工作に従事した旧日本軍幹部が、独自の再軍備計画を練っていた新事実が20日、判明した。終戦時に参謀次長だった河辺虎四郎元陸軍中将が、宇垣一成元陸相をトップに担ごうとした幻の「新日本軍構想」。米公文書からは、冷戦や朝鮮戦争を受けて日本を「反共のとりで」にしようとする米国を利用し、復権を図ろうと暗躍した旧軍幹部の姿が浮かび上がる。
「宇垣一成が率いる日本の地下政府」「日本の地下政府の情報部門であるKATO機関」
GHQの情報部門、参謀2部(G2)が集めたとみられる情報を記す秘密メモには「日本の地下政府」という言葉が何度も登場する。「KATO機関」の別名を持つ河辺氏の反共工作組織「河辺機関」が「地下政府」と呼ばれる旧軍幹部らの集団の一翼を担い、米側とのパイプ役を務めていたことが読み取れる。
1951年5月の秘密メモ「日本の情報機関グループと日本の国家的復活」は「明確な形で全能の政府が存在するわけではない」としながらも48年以降、公職追放になった旧軍幹部らが「地下政府」を組織していた経緯を説明。
宇垣氏に加え、首相経験者の若槻礼次郎、岡田啓介両氏や、宇垣氏を首班とした軍部独裁政権を樹立しようとした31年のクーデタ一未遂事件「3月事件」に参画した国家主義者の大川周明氏らが「地下政府の完全な実権」を握ろうと動いたと伝えている。
「河辺機関」の活動を通じてG2のウィロビー少将と関係を深めた河辺氏は、吉田茂首相のブレーンも務めた辰巳栄一元中将らとともに宇垣氏に接近。「陸軍のまとめ役として待望論が根強かった」(秦郁彦・日大講師)宇垣氏を最高司令官とし、自身は参謀総長に就任する形で旧軍の復活を狙ったとみられる。
終戦前、何度も首相候補に挙がり「宇垣軍縮」で陸軍の近代化を図った宇垣氏は、53年参院選で全国区最高点で当選する。知名度抜群で人望もあった宇垣氏を担いだ新軍構想は、旧軍幹部から見れば筋の悪い話ではなかったようだ。しかし軍人嫌いで知られる吉田首相と、日本の国家主義の台頭を警戒する米当局の抵抗に遭い、挫折したとみられる。(中日新聞 2006/08/21)

「日本版CIA」検討 安倍氏
≪首相直轄で情報力強化≫
安倍晋三官房長官が、次期首相就任を見据え、首相直轄の「対外情報機関」を創設し政府のインテリジェンス(情報・諜報(ちょうほう))機能の強化を検討していることが23日、明らかになった。「対外情報機関」は「日本版CIA」ともいえるもので、日本が自前の情報をもたなければ外交・安保政策は立ちゆかず、国と国民の安全、国益を確保することはできないとの問題意識がある。
政府には現在、警察庁、公安調査庁、内閣情報調査室などの情報部門がある。しかし、国内の治安情報の収集、分析に重点が置かれ、対外情報の収集は諸外国に比べ人員、権限とも極めて脆弱(ぜいじゃく)で「戦後日本がもっとも軽視してきた分野」(自民党幹部)だといえる。
検討されているのは、「対外情報機関」を内閣官房に置き、国内外で国際テロ情報、外国の政治、軍事情報の収集活動にあてる。米中央情報局(CIA)や英対外情報部(MI6)など各国の情報機関とも、情報交換をはじめ連携する体制を構築。要員は警察、防衛両庁や内閣情報調査室、外務省、民間から優秀な人材を登用する。
現行の次官級の「内閣情報官」を官房副長官級へ格上げし、「対外情報機関」や情報を評価、分析するスタッフである「情報補佐官」を指揮。重要な情報は首相へ直接、報告を上げるシステムへ改善し、関係各省庁による「内閣情報委員会」も新設し政府の「インテリジェンス・コミュニティー」を確立する。
安倍氏は自民党幹事長時代の平成16年、雑誌「正論」7月号で「国家戦略としての情報活動の重要性にいま一度目を向け、その機能を向上させなければならない」との考えを示している。今年3月には、「内閣情報官」に警察庁の三谷秀史外事情報部長(当時)を抜擢(ばってき)し、「安全保障や有効な外交を展開するためには情報収集能力が極めて重要だ」と強調した。
自民党は6月、「国家の情報機能強化に関する検討チーム」(座長・町村信孝前外相)が、「対外情報機関」「内閣情報委員会」の創設などを提言しており、安倍政権が誕生すれば、これをたたき台に年内にも政府のインテリジェンス機能強化に着手するとみられる。(産経新聞 2006/08/24)

防衛庁:米国に事務所を新設方針 軍事情報専門、大使館から独立
防衛庁は米情報機関との連携を強化するため、ワシントンに日本大使館から独立した情報専門の連絡事務所を新設する方針を固めた。防衛政策局幹部を年内にワシントンに派遣して事務所設置の作業に着手、年明けからの活動本格化を目指す。
これまでも防衛庁は米情報機関との間で情報を交換しており、7月の北朝鮮による弾道ミサイル発射の際にも衛星写真、北朝鮮軍の交信記録などを共有した。
しかし、米側の分析手法は格段に専門性が高くなっており、政府内には「何か起きた時に危機対応的に情報を共有するだけでは不十分」との指摘があった。また、出身省庁別に担当を分担する日本大使館の体制では連携が取れないケースも目立ち、防衛庁は軍事情報専門家による恒常的な連絡窓口が必要と判断した。
防衛庁が連絡事務所の主な相手先に想定しているのは、国防総省国防情報局(DIA)。DIAは物理・化学分析による計測情報が専門でスパイ組織も保有、国防総省管轄下の情報機関の束ね役の役割も担う。さらに、電波情報の国家安全保障局(NSA)、画像情報の国家地空間情報局(NGA)との連携も視野に入れている。【古本陽荘】(毎日新聞 2006/09/17)

ライシャワー勧告で中止 自民党への秘密資金工作
【ワシントン23日共同】1950年代後半から60年代にかけ、日本の保守政権安定と左派の弱体化を狙って自民党有力者らに資金を提供していた米中央情報局(CIA)の「秘密資金工作」は、工作発覚により日米関係に重大な支障が出ることを懸念した故ライシャワー駐日大使(当時)の勧告を受け、中止が決まったことが23日、分かった。関連文書の内容を知る米政府高官が共同通信とのインタビューで語った。
自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供していた同工作をめぐってはことし7月、国務省刊行の史料集「米国の外交」で存在が確認された。しかし関連文書は公開されていないため、中止に至る経緯は分かっていなかった。
高官はまた、米政府が秘密工作の中止に至る経過を伝える公文書3点の開示が、在日米大使館とCIAの反対で見送られたことを明らかにした。開示に踏み切った場合の日米関係への影響を危惧したとみられる。
高官によると、ライシャワー大使は64年1月、国務省の要請を受け、秘密資金工作に関する意見を伝達。(1)日米関係が成熟し、親米政治家への資金提供の必要はなくなった(2)工作発覚時のダメージが大きい-ことを理由に中止を勧告した。
高官は、ジョンソン米政権が最終的に工作中止を決める際、この勧告が「非常に決定的だった」と解説した。
今年7月に国務省が出した「米国の外交」第29巻第2部「日本」は、秘密工作に関するライシャワー氏のホワイトハウスあて書簡など関連公文書を掲載せず「編集者による注釈」として秘密工作の概要だけを説明した。

<エドウィン・ライシャワー氏> 米ハーバード大教授を経て日米安保条約改定後の1961年、ケネディ政権下で駐日大使に着任。沖縄返還交渉などに携わり、66年まで大使を務めた。東京で生まれ16歳まで日本に滞在、米国でも有数の知日派で日本研究者。沖縄返還の早期実施の必要性など米政府の重要決定に影響を与えた。大使離任後はハーバード大に戻り、日米友好に貢献。81年に「核を積んだ米艦船が日本領海を通過・寄港している」と発言、反響を呼んだ。90年9月に79歳で死去。

<対日秘密資金工作> 米紙ニューヨーク・タイムズは1994年、マッカーサー2世元駐日大使の証言などを基に、中央情報局(CIA)が50-60年代に自民党に数百万ドルの資金を援助していたと報じ、自民党は否定した。その後、岸信介政権への支援の重要性を指摘する米秘密公電などが見つかったほか、選挙資金援助の秘密工作に関与する特別グループが58年に設置されたことが判明した。96年には、65年の沖縄立法院選でCIAから自民党を経由した秘密資金援助計画が策定されていた事実も発覚した。(共同通信 2006/11/23)

軍事情報収集を一元化 協力者獲得やメディア戦略 来月、陸自に新隊
自衛隊の海外派遣や有事に備え、情報収集機能を一元化するために3月発足する陸上自衛隊の中央情報隊(約600人)の全容が5日、明らかになった。新設する「現地情報隊」は、海外派遣先で住民の協力者を獲得するとともに、地元メディアと友好的な関係を築いて情報発信に利用する。
中央情報隊は防衛相直轄で、隊本部(約50人、隊長は陸将補)は防衛省のある東京・市谷に設置。指揮下には、現地情報隊、基礎情報隊、地理情報隊、情報処理隊が置かれる。
朝霞駐屯地(東京都、埼玉県)の現地情報隊(約50人)は、海外派遣命令が出た際に現地入りする陸自先遣隊に同行。派遣先の住民を協力者にしてヒューミント(人的情報)ネットワークを構築するとともに、多国籍軍や治安・警備機関からテロなどの脅威情報を収集する。
また、メディアを通じて陸自活動に理解を求める戦略を実施。活動を住民がどう評価しているかも調査する計画だ。隊長には2等陸佐を充てる。
東京・市谷の基礎情報隊(約100人)は既存の中央資料隊を再編。公刊物などから国際貢献で派遣される際に必要な現地情報を収集するのに加えて、朝鮮半島有事などを想定した陸自の対テロ・ゲリラ戦闘上必要な軍事データ集めを強化する。
東京都立川市の地理情報隊(約360人)は既存の中央地理隊で、国内外の地図・画像情報のデータを収集する。市谷の情報処理隊(約40人)は新設部隊で、各部隊が集めた情報をデータベース化する。
中央情報隊は海外派遣や「周辺事態」に即応するため3月に発足する中央即応集団(約4100人)と緊密に連携。同集団指揮下の対テロ・ゲリラ専門部隊の特殊作戦群(千葉県・習志野駐屯地)や中央即応連隊(約700人、栃木県・宇都宮駐屯地)を情報面で支える。(中日新聞 2007/02/05)

旧日本軍幹部利用の工作失敗=情報不正確、中共浸透も-CIA文書
【ワシントン25日時事】第2次世界大戦後の1940年代末から50年代初め、日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)が旧日本軍幹部らを利用して展開した情報収集活動や反共工作について、米中央情報局(CIA)が、大半はうまいかなかったと判断していたことが25日までに分かった。米国立公文書館の調査グループが、機密指定を解除されたCIA文書を基に報告書をまとめた。
報告書によると、49年、GHQ参謀2部(G2)の資金援助を受けて、「タケ・マツ作戦」と呼ばれる秘密工作が開始された。「タケ」は海外での情報活動、「マツ」は日本国内の共産勢力の情報収集を意味し、旧日本軍の河辺虎四郎元参謀次長や有末精三元参謀本部第二部長(いずれも故人)が主導した。
ソ連(当時)や中国、北朝鮮に絡む情報収集などを目的としていたが、CIAによると、提供された情報の多くは不正確で、作り話もあった。しかも「50年代初めまでに、有末氏のグループには、さまざまなレベルで中国共産党の工作員が浸透していた」とされる。(時事通信 2007/02/26)

CIA、故児玉氏を酷評・情報工作「役立たず」
【ワシントン=共同】右翼の大物、故児玉誉士夫氏らを使い、東西冷戦中に情報収集や反共工作を行った米中央情報局(CIA)が、児玉氏らを「役立たず」として酷評していたことが2005―06年に機密解除されたCIAの内部文書で分かった。AP通信が25日までに伝えた。
文書は児玉氏のほか、陸軍参謀だった辻政信元大佐の働きについても「人格、経験の両面でどうしようもない」と切り捨てており、日本での工作活動全般が期待通りの成果を挙げていなかったことをうかがわせている。
1951年の文書でCIAは、日本での協力者に関し「名声や利益を得るために情報を水増ししたり、完全にでっち上げたりすることがよくある」と指摘。ソ連のサハリンへの浸透工作を図るため、ボートの資金を与えた協力者がいなくなってしまった具体例などを記している。児玉氏については53年の報告書で「情報工作員としての価値はほぼゼロ」と断定。「プロのうそつきで悪党、ペテン師、大どろぼう。情報工作は完全に無理で金もうけ以外に関心がない」と散々な評価を加えている。(日本経済新聞 2007/02/26)

日米共同の戦争司令部
昨年2月横田に創設
日米両政府の在日米軍再編合意に基づく日米共同の戦争司令部である「共同統合作戦調整センター」(BJOCC)が、昨年2月に米軍横田基地(東京都福生市など)に創設されていたことが判明しました。同センターがすでに活動を始めていることは今年6月に在日米軍側が明らかにしていましたが、設置時期が分かったのは初めてです。
同センターの設置は、事実上、自衛隊が米軍の指揮のもとに置かれ、憲法違反の集団的自衛権の行使につながる重大な動きです。
在日米軍再編で日米両政府は、米軍と自衛隊のいっそうの一体化・融合を狙っています。その中核の1つが、米軍と自衛隊との“統合司令部”である同センターです。在日米軍再編の日米合意(2005年10月)で横田基地への設置が打ち出されていました。
米軍準機関紙「星条旗」11月17日付によると、同センターは、同基地の在日米軍司令部の地下施設に設置され、昨年2月実施の日米共同統合指揮所演習で活動を開始。昨年7月の北朝鮮のミサイル発射などにも対応しました。24時間態勢で運用され、最大で150人が12時間交代で勤務できます。11月実施の日米共同統合実動演習でも使用されました。
同センターの設置は、アジア太平洋地域を管轄する米太平洋軍の司令官や日本の軍事当局者と在日米軍司令官との意思疎通をよりよくするのが狙いとされます。刻々と新しい戦況情報が送られてくる「危機行動チーム」のメーンフロアでは、それぞれの部署に米陸・海・空軍、海兵隊の兵士らとともに、それに対応した各自衛隊の兵士が配置されます。
在日米軍再編では、「ミサイル防衛」などを担う航空自衛隊航空総隊司令部(東京都府中市)が、10年に横田基地に移設される計画です。同基地に建設される航空総隊の新しい建物は、BJOCCとトンネルで結ばれる予定だとされています。(しんぶん赤旗 2007/12/01)

【日本共産党】 一水会からのメモ

 たまたま最近出会ったある議員から、内部文書を見せてもらう事がありました。今年の1月21日に全国都道府県財政部長会議が開かれ、浜の副委員長が党費納入問題について語っています。

それによると、昨年の年間党費納入率は63.9%。党費を納めているのは全体の6割であり、4割は未納です。公称40万人の党員数が本当だとしても、24万人しか実際に党費を払っていない計算になります。特に東京、愛知は6割にも満たないと指摘されています。

党費は収入の1%とされ、月給30万円とすれば月額3千円、収入の低い人は月額1千円、また党費免除というケースもありますが、払えない額ではありません。しかし、その党費ですら払わない実情がある。党費を払わないという事は活動に参加していないという事と同じです。この数字から推測するに、実際の共産党の活動党員は20万前後ではないかと思います。

しかし、ここ1年間はメディア報道にある様に。毎月千人以上新入党員が増えている。今年の会議では入党者2千人突破を目指そうとある。しかし、本来なら新入党員が増えているなら、党費も増えるはずです。わざわざ共産党に入るくらいだから、積極的に活動するだろうと思いますが、実際新入党員の多くが、党費も払わないし、赤旗すら読みません。つまり議員から世話になって入党申込書に名前は書くものの、ほとんど活動しないというのが実態です。そういう党員が増えている事実も、この党費納入率の数値から伺う事ができます。

またこの会議では、福井県の党組織が納入率を上げるべく活発な活動を続け、全国の教訓にしようと言われていますが、先月未納の党員に今月納入してもらうよう確認させる事に取り組んだと言う。こんな事は昔ならやりもしませんでした。党員が党費を集めないで、どうやって支持者にカンパを貰いに行ったり、赤旗購読者を増やしたり、選挙の協力を得られるのでしょうか? 党費集めに党の機関がこんなに苦労している様では、それだけで疲れ果ててしまい、党活動も外には向かえないでしょう。私が入党した当時(40年以上前)、党費納入率は100%が当たり前でした。革命政党・前衛政党である共産党が党内で党費を集められないのなら、どうやって労働者を指導できるのでしょうか?



創価学会は、先の都議選で全国から信者を動員、前回の議席を確保したが、共産党は東京の基盤が党費を払えない幽霊党員ばかりだったものだから、結果大幅に議席を減らしてしまった。

『蟹工船』ブームで若者の入党が多くなっているというプロパガンダを共産党は行っているが、実態は「派遣労働相談や生活保護相談」で世話になった共産党議員の後援会に入会した感覚の党員が多いのが実態なのだろう。
これでは彼らに運動の先頭を切るような期待をすることは無理だ。

悲しいかな60代が中心となって選挙運動を展開しているというのが共産党の現実だ。

【テレビ番組】 サンデープロジェクト」

 テレビで選挙に向けた激しいイデオロギー戦が展開されている。と言うより、経団連側からの一方的で攻撃的なプロパガンダが政治番組の視聴者にゲリラ豪雨のように集中散布されている。

昨日(7/26)のテレ朝「サンデープロジェクト」で行われた労働者派遣法改正に対する反動プロパガンダも凄まじかった。報道の中立性など最初から寸毫もなく、選挙後に与党となる現野党が取り纏めた改正案に対する糾弾が、田原総一郎と財部誠一と城繁幸によって徹底的に加えられるだけの内容になっていた。

スタジオに揃えた与野党の出演者は名目に過ぎず、現に与野党間での派遣法の討論場面は全くと言っていいほどなかった。自民党の石原伸晃と公明党の石位啓一はただ座っているだけで、討論の応酬は田原・財部・城のサンプロ側3人対野党4人の間で行われているのである。

問題提起を田原総一朗がして、主張は財部誠一がやり、民主党の松本剛明が反論を始めると途端に田原総一朗が遮って最期まで議論をさせず、財部誠一に振って反論をさせ、城繁幸に纏めさせる。

番組が視聴者に示した討論の結論は、
①派遣法改正をすれば日本の製造業は完全に空洞化すること、
②派遣法改正は日本経済にとってカントリーリスクであること
③非正規労働者が増えた責任はすべて連合にあること、だった。

民主党の「消費税増税4年間凍結」の政権公約は、テレビに登場する幹部たちの発言、特に岡田克也の曖昧な応答や、藤井裕久の「増税前倒し確約」発言によって次第になし崩しにされ、確固たる公約の信頼性を失いつつあります。

この状況を見ると、果たして民主党が労働者派遣法を改正して製造業派遣の規制に踏みこむ意思があるのか、大いに疑わしくなります。
無論、何度も言うように、今回の野党案そのものは事実上「骨抜き」で、登録型派遣を全面禁止する内容では毛頭なく、登録型の規制と言えるかどうかも怪しいのですが。

「サンデープロジェクト」を見ていると、経団連の指令を受けたマスコミは、すでに自民党の政権維持は諦めて、票を自民党に誘導するのではなく、政権を獲得する民主党の政策を選挙前の現在のものから経団連のマニフェストと同じ内容に転換させるべく揺さぶりをかける戦術にシフトしているようです。
その最大の標的が消費税増税で、告示前にマスコミ各社は、「4年間増税凍結の是非」とか、「民主党の4年間凍結は現実的か」を問う世論調査の波状攻撃に出るのではないでしょうか。
民主党の中でも新自由主義者の岡田克也は即増税派です。

記事に書きましたが、討論の最中、田原総一朗は、「連合っていうどうしようもない組織」が本来はクビにできる正社員を守っているために、年功序列の高い賃金が維持されているのだと暴言を吐きました。
この発言に対して連合は抗議をしないのでしょうか。番組では、松本剛明も辻元清美も黙って素通りさせていました。これは麻生首相の高齢者侮辱発言と同じかそれ以上に悪質で異常な暴言であり、中立であるべき報道番組のキャスターとして、特に選挙前の放送という状況や立場を考えれば、「政治的公平」を定めた放送法上も看過できない行為だと思われます。

現在、テレビでは自治労や日教組は「反日左翼」のレッテルが公然と貼られて、特に民報の政治番組の出演者から当然のように悪罵され排斥される政治対象となっていますが、世論調査でも民主党支持者が自民党支持者を追い抜き、連合の支持と支援を受けた民主党政権が誕生するかという現在、果たしてこのマスコミの「常識」や報道姿勢はそのまま放置されていいのでしょうかね。

少なくとも、この選挙の後は、過激な反共新自由主義者である城繁幸や財部誠一が報道番組の解説席に座って「中立」を偽装する図はなくなるように、テレビの世界も変わって欲しいものです。

2009年7月25日土曜日

【西松事件】 天の声(顛末予想)

「無条件降伏」公判でも認定されなかった「天の声」
検察は検察審査会の民意を本当に反映させたのか
郷原 信郎

7月17日、東京地裁で、西松建設の国沢幹雄元社長の政治資金規正法違反などの事件に対する判決が言い渡された。

 この事件では、西松建設側が検察側の主張立証を全面的に受け入れる「無条件降伏」状態であったことに乗じて冒頭陳述で、「天の声」などの言葉を多用して小沢前代表秘書の有罪と行為の悪質性を世の中に印象づけようとする検察の「欠席裁判」的なやり方が問題になった(「天の声」とは、いったい何を意味するのか)

 もう一つの問題は、検察審査会での議決と公判審理との関係だった。検察は、「他の事件で起訴済みで求刑にも量刑にも影響しない」との理由で一旦は起訴猶予にしていた二階俊博経済産業大臣の派閥の政治資金パーティー券の購入の余罪を、検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて論告求刑後に起訴した。判決期日が取り消されて弁論が再開され、追起訴に伴って求刑が変更されるかが注目されたが、検察は、求刑を従前どおりに維持し、立証も最小限のものにとどめた。検察審査会の議決を受けて追起訴を行っても、追起訴事実についての公判での立証が十分に行われなければ、民意が実質的に反映されたとは言えない。

判決は政治献金の談合受注との対価性を否定

 今回の判決は、政治団体名義での寄附を西松建設による「第三者名義の寄附」と認め、政治資金規正法違反が成立するとしたが、寄附の動機については、「公共工事の受注業者の決定に強い影響力を持っていた岩手県選出の衆議院議員の秘書らと良好な関係を築こうとして平成9年ころから行ってきた寄附の一環であり」と認定するにとどめた。

 また、検察が受注工事一覧表まで示して寄附が公共工事の談合受注の対価であったことを主張したにもかかわらず、判決は、量刑面で被告人に有利な事情として、寄附は「特定の公共工事を受注できたことの見返りとして行われたものではない」と認定し、検察の主張を正面から否定した。判決の認定の前提は、検察側の冒頭陳述より、むしろ、筆者が前記拙稿で述べたゼネコン談合の実態に近いと思われる。

 検察側は、寄附が談合受注の対価であることを具体的に認める西松建設などゼネコン関係者の供述調書などを証拠請求したものと思われるが、裁判所は、「工事の受注を得たいという積極的な動機より受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由」を指摘する西松建設の内部調査報告書の方が実態に近いと判断したのであろう。

 「無条件降伏」状態での西松建設側の公判ですら、このような状況なのであるから、被告・弁護側との全面対決となる小沢氏秘書公判での審理において、検察側の主張立証が一層困難になるのは必至だ。

宙に浮いた検察側冒頭陳述

 今回の西松側公判では、検察側が冒頭陳述で9ページにもわたって詳述した小沢氏側への寄附の背景については判断を示さず、冒頭陳述は宙に浮いた形になってしまった。それは、検察側が行った詳細な主張立証が、国沢被告人に対する起訴事実の立証に必要な範囲を大幅に逸脱していることが根本的な原因と見るべきであろう。検察側は、本件の小沢氏秘書に対する捜査で重大な政治的影響を生じさせ説明責任を問われたことを意識し、その「説明」の意味も含めて詳細な主張立証を行ったものと思われるが、それは起訴事実の範囲とは余りにバランスを失している。

 このことは、今後開始される小沢氏秘書の大久保隆規被告人に対する公判にも共通する問題である。そこでの審理の対象になるのは、大久保秘書個人の犯罪事実と情状に関する事実であるが、同秘書に対する起訴事実は、2003年以降の寄附に関する収支報告書の虚偽記入の事実で、しかも、同秘書が政治資金の寄附の受け入れにかかわるようになったのは、検察側冒頭陳述によれば2000年ころからである。検察側の冒頭陳述のうちの寄附の経緯や背景、そして公共工事をめぐる談合と小沢事務所との関係に関するかなりの部分は、仮にそれが事実だとしても、大久保秘書の前任の秘書に関するものであり、大久保秘書個人の刑事責任とは直接関係ない。

大久保秘書の公判で、検察側が今回の公判と同様に詳細な冒頭陳述を行ったとしても、それを裏付ける供述調書などの証拠請求に対しては弁護側が不同意とするであろうし、検察側が調書の内容を証人尋問で立証しようとしても、大久保秘書個人の起訴事実と関連性が希薄な事実について裁判所が証人尋問を採用する可能性は低いであろう。結局、検察が、詳細な主張立証を行おうとしても、公判審理の対象にすらならず、今回と同様に冒頭陳述が浮いた形になるものと考えられる。

 刑事事件の公判は、あくまで当該被告人の刑事責任の有無と量刑を決する場であって、検察の捜査・起訴の社会的、政治的影響についての説明責任を果たすことを目的とするものではない。検察は、公判での立証は、刑事事件の立証として許される範囲内にとどめるべきであり、それで不十分であれば、公判への影響に配慮しつつ、別の場で説明責任を果たすべきであろう。

 要するにいくら検察が重大性・悪質性を強調しようとしても、今回の事件で、検察が実際に起訴した事実は、政治資金規正法としては極めて小規模で軽微なものであり、その起訴事実と情状に関する立証の範囲を超えて過大な主張立証を行うことは、本来、刑事裁判として許容されないものだ。

 今回の判決では、刑事事件の公判を、マスコミを通じて世の中に事件を過大に評価させようとするパフォーマンスの場にしようとする検察と、刑事事件の公判として必要な範囲で事実認定を行おうとする裁判所との立場の違いが極端な形で表れたものと言うべきであろう。

判決についての報道は正しく行われたか

 このような判決の内容は、正しく報道され論評されたのであろうか。

 第1回公判の段階では、「欠席裁判」のような検察の主張立証が不当であることを指摘する論調はまったくなく、多くの新聞、テレビが、小沢事務所の意向が公共工事の談合受注での「天の声」になっていたとの検察の冒頭陳述での主張を、あたかも確定的な事実のように報道した。

 そのような報道が行われた背景には、西松建設側が全面的に事実を認め「無条件降伏」している裁判だから、判決でも、「天の声」などの検察の主張がそのまま全面的に認定されるだろうとの予想があったのかもしれない。いずれにしても、小沢事務所の「天の声」を大々的に報道したマスコミにとって、裁判所が工事受注と政治献金との対価関係を明確に否定し「天の声」に関する検察の冒頭陳述が完全に宙に浮いてしまったことは予想外だったはずだ。

 しかし、この判決についてのマスコミの報道には、小沢事務所側の「天の声」を強調する検察の冒頭陳述での一方的な主張を、確定的な事実のように報じたことに対する反省は感じられない。

 新聞の社説の中には、「有罪とされた事実の一部は、分離公判となった小沢氏の公設第1秘書の起訴事実と重なっている。今回の判決で、間接的に認められたという見方もできる」などと、国沢被告人に対する判決で政治資金規正法違反の事実が認められたことをもって、違反を全面的に争っている小沢氏の秘書についても違反事実が認定されたかのように述べているものがある(7月19日読売新聞社説)。

 被告・弁護人が公判で公訴事実を全面的に認めていても、裁判所の独自の判断で無罪判決を出すというのは、理論上はあり得ないことではない。しかし、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持っている現行法制の下では、検察の起訴は「有罪の確信」に基づいて行われることが事実上前提となっている。被告人が事実関係を全面的に認め、まったく争っていない事件で裁判所が独自の判断で無罪判決を出すことは、起訴を行った検察の判断そのものを正面から否定することになるのであり、実際にはほとんど考えられない。被告・弁護人側が全面的に事実を認めている場合には、有罪判決を出すのは当然のことであり、事実を争っている公判で、「弁護人の主張」に対する判断を示して有罪判決を出すのとはまったく意味が異なる。

また、判決が、小沢氏秘書の談合受注への影響力について言及していることに関して、「小沢氏は判決をどう受け止めるのか。これまでの説明は根拠を失った」などと述べている社説もある(同日付産経新聞「主張」)。しかし、判決は、西松建設側の寄附の動機という同社側の認識について前記のように判示しただけで、寄附受領者側の行為は一切認定していない。それどころか、寄附と公共工事の談合受注の対価関係について明確に否定している。これで「小沢氏側の説明」が根拠を失った、と述べているのは、判決の趣旨を正しく理解しているとは言い難い。

 裁判員制度の下では、共犯者間で、捜査段階で自白していて公判でも事実を認める予定の被告人と、事実を否認していて公判でも争う予定の被告人とがいる場合、自白している被告人の公判の経過や結果が報道されることが、否認公判における裁判員の心証に不当な与えることのないよう、十分な配慮が必要となる。

 刑事事件の報道においてそのような配慮を行うに当たっては、まず、裁判における当事者の主張立証のルールと、一部共犯者の判決の事実認定が他の共犯者の公判にどういう意味を持つのかについて十分な理解が必要であろう。今回の西松建設側の公判の報道を見る限り、その点についての基本的理解が欠けているのではないかと疑問に思われるものが少なくない。

 裁判員制度施行後の刑事公判の立証の在り方の問題も含めて、十分な検討が必要であろう。

検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて行われた追起訴

 この判決に至るまでの経過には、もう一つ大きな問題があった。

 国沢元社長の当初の起訴は、3月24日に、小沢氏の大久保秘書の起訴と同時に行われた小沢氏側への資金提供500万円についての「第三者名義の寄附」の事実と、7000万円の現金の海外からの無届持ち込みの外国為替貿易法違反だけであった。

 しかし、その後、同一の政治団体名義で行われた、二階俊博経済産業大臣の派閥の政治団体「新しい波」の政治資金パーティー券340万円分の第三者名義での購入という同種の犯罪事実について、大阪市の市民団体によって告発が行われた。検察は、「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」という理由で不起訴(起訴猶予)にしていたが、6月19日の第1回公判の直前の6月16日、東京第3検察審査会が、この不起訴処分について「起訴相当」の議決を行った。

 今年5月に施行された検察審査会法の改正によって、「起訴相当」の議決が2回行われると起訴が強制され、しかも、起訴の手続きや公判立会は裁判所が指定する弁護士が行うことになる。検察審査会の「起訴相当」の議決は重要な意味を持つものになっていた。6月19日の第1回公判の時点では、この検察審査会の「起訴相当」の議決が行われており、検察は、この事件について、不起訴処分を維持するのか、それを覆して起訴するのかの判断を迫られていた。

 第1回公判が、当初の起訴事実の審理だけで結審し、次回の第2回公判で判決予定とされたのは、この時点では、検察としては追起訴を予定しておらず、検察審査会での「起訴相当」の議決が出された二階派の政治資金パーティー券購入の事実についても、不起訴処分を覆して起訴を行うことは予定されていなかったからであろう。

 ところが、それから1週間後の6月26日、検察は、この政治資金パーティー券の購入の事実について不起訴処分を覆し、国沢元社長を追起訴した。これによって、7月14日の判決期日は取り消され、この日にこの追起訴事実についての審理が行われることになった。

2回目の「起訴相当」の議決が行われて、裁判所の指定する弁護士が起訴手続きや公判立会を行うことになれば、その指定弁護士に事件に関する資料をすべて提供しなければならなくなる。提供する資料に情状立証に関連する資料も含むということになると、西松関連団体から二階氏側への起訴されていない資金提供に関する事実も提供せざるを得なくなることも考えられるが、その結果、検察のそれまでの捜査・処分の妥当性が問われることになりかねない。検察は、そのような事態になることのないように、1回目の「起訴相当」の議決にしたがって追起訴を行ったのであろう。

注目された追起訴分についての求刑

 検察が検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて追起訴したことで、当初1年6月の禁錮としていた求刑をどうするのか、追起訴後も求刑を維持するのか引き上げるのかが注目された。求刑を引き上げると、検察が当初の不起訴処分の理由としていた「追起訴しても求刑も量刑も変わらない」という考え方が誤っていたことを認めることになる。

 しかし、同種の340万円の違反が加わっても求刑が変わらないということになると、500万円の「第三者名義での寄附」の事実と外国為替貿易法違反についての禁錮1年6月の求刑との(外国為替貿易法違反は懲役6月以下なので政治資金規正法違反を少なくとも禁錮1年相当としたことになる)バランスがとれないことになり、当初の本起訴分で禁錮1年6月という求刑が不当だったことになる。

 7月14日の第2回公判で、検察は、追起訴分についての立証を行った後に行った論告求刑で、「政治家側との癒着の実態や献金規模等から見て今回追起訴分よりはるかに悪質な政治資金規正法違反の事実につき・・・相当と考える求刑を行っており、今回追起訴分に対する刑事責任もその中で十分に評価し得る」として、求刑を従前どおり「禁錮1年6月」のまま維持した。

 しかし、求刑を維持した理由として検察が示した、本起訴分の「第三者名義による寄附」の事実が、追起訴分の同種の「第三者名義によるパーティー券購入」の事実より「はるかに悪質」という見方には重大な疑問がある。

 「献金規模」という面では、本起訴事実が合計500万円の第三者名義による寄附であるのに対して、追起訴事実は第三者名義での政治資金パーティー券340万円の購入であり、起訴にかかる金額は遜色のないものだ。時効完成済みのものなど起訴されていない事実も含めて「献金規模」を比較するのであれば、西松建設関連団体が平成7年に設立されて以降、その名義で行われた政治資金の提供の総額を比較しなければならないはずであるが、総額が概ね示されているのは小沢氏側への資金提供だけで、二階氏側については起訴された事実以外はまったく明らかにされていない。

 また、「癒着の実態」についての指摘は、政治資金規正法の趣旨を取り違えているように思われる。政治資金規正法は、収支報告書の記載の真実性について基本的には会計責任者に義務と責任を集中させ、一方で、寄附者側にも「本人以外名義の寄附」を禁止し、(会計責任者より軽い法定刑で)処罰の対象としている。それは、本人以外の名義で寄附が行われた場合、会計責任者がその事情を知らない場合には、収支報告書に寄附者を誤って記載する恐れがあり、それが、政治資金の収支にかかる真実を公開するという政治資金規正法の趣旨に反するという理由によると考えられる。このような「第三者名義の寄附」の処罰の趣旨は、贈賄者と収賄者の結託を本質とする贈収賄とは決定的に異なる。

つまり、「政治家側との癒着の実態」があったからと言って、「第三者名義の寄附」という政治資金規正法違反の悪質性が高まるわけではないし、逆に、「癒着の実態」があって、寄附を受領した会計責任者側が、「本人以外の名義の寄附」であることを認識した上で、敢えて寄附者として収支報告書に記載したのであれば、会計責任者側が収支報告書の虚偽記入の責任を厳しく問われることはあっても、寄附者側の「第三者名義の寄附」についての責任が重くなるわけではない。

 本起訴分の政治資金規正法違反が追起訴分より「はるかに悪質」だという検察の主張の妥当性には問題があり、追起訴分も含めて「禁錮1年6月」の求刑を維持したことが妥当だとは思われない。

二階氏側への資金提供についての検察立証は不十分

 今回の判決は、国沢被告人に対して禁錮1年4月執行猶予付の量刑を行った。そして、判決理由の中で、同追起訴事実については「証拠から西松建設からの支払であることを公表されないようにする以上の背景をうかがうことはできず。(本起訴分)とともに処罰するのであれば、これを量刑上有意に評価することはできない」と判示した。この指摘は、検察側が「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」との理由で起訴猶予にし、追起訴分が加わっても禁錮1年6月の求刑を維持したことを正当と認めたようにも思える。

 しかし、重要なのは、この判示の「証拠から」という文言である。要するに、検察が、二階派のパーティー券購入については、「西松建設からの支払であることを公表されないようにする」という目的しか追加冒頭陳述でも述べていないし、証拠も提出していないので、その程度の犯行動機しか認定しようがない、だから、悪質性を認めることができないという趣旨と理解すべきであろう。

 西松建設の関連団体名義の二階派の政治資金パーティー券購入の購入額は、平成16年以降、総額で844万円に上るのであり、常識的に考えれば、それが公共工事の受注と無関係だとは思えない。二階派への資金提供の悪質性については、小沢氏側への資金提供と同様に捜査をしなければ明らかにできないはずだ。検察が一度起訴猶予にしているこの事件については、その点についての捜査は尽くされていない。

 追起訴分の事実に関しては、判決が指摘している「寄附の背景」以外にも、過去からの二階氏側への寄附の総額など、小沢氏側への資金提供の事実と比較して立証が不十分な点が多々ある。本件のように、検察が起訴猶予処分にした事案について検察審査会が「起訴相当」の議決を行った場合、議決で示された「民意」を尊重するというのであれば、議決にしたがって起訴をするだけでは足りない。

 起訴した事実について公判で十分な立証を行うことで初めて議決で示された「民意」を尊重したことになるのである。今回の件での検察の姿勢は、形式的には検察審査会の議決にしたがったものの、公判で十分な立証を行わないことで、実質的には議決に示された民意を軽視したものと言わざるを得ないであろう。

「天の声」とは、いったい何を意味するのか
西松建設「無条件降伏」公判での検察側「立証」への疑問
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090623/198246/

6月19日に東京地裁で行われた、西松建設前社長らに対する外国為替及び外国貿易法違反及び政治資金規正法違反の事件の第1回公判で、検察側は、西松建設が、社員らを会員にして作っていた政治団体の名義で小沢一郎前民主党代表の資金管理団体「陸山会」への寄附が行われた背景などに関して、詳細な冒頭陳述を行った。

「欠席裁判」に近い西松建設公判での検察側冒頭陳述

 この事件では、小沢氏の公設秘書で「陸山会」の会計責任者の大久保隆規氏も逮捕・起訴され、弁護人のコメントなどによれば、政治資金規正法違反の事実を全面的に争う方針とされているが、西松建設側は、株主総会までに事件を早期に収束させて企業として受けるダメージを最小限に抑えたいとの方針から、第1回公判で事実を全面的に認め、即日結審するというスピード審理となった。

 いわば「無条件降伏」の状態にあり、検察側の主張について争う意思が全くない西松建設側の公判での検察の主張は、相手方当事者の反論、反対尋問を全く受けない一方的なもので「立証」などと言えるレベルではない。事実を全面的に争う姿勢の大久保氏側、そして当該資金管理団体の代表で当事者的立場にある小沢氏にとって、この公判で検察側が主張したことがそのまま報道され世の中にすべて真実のように受け取られるとすれば「欠席裁判」そのものだ。

 裁判員制度が開始されようとしている状況において、同一事件または関連事件について、共犯者の一部が自白し、一部が否認している場合に、このような一方的な欠席裁判のような公判立証を行い、それをマスコミに報道させることは、一般市民の裁判員に不当な予断を与えるもので絶対に許されないはずだ。

 しかも、冒頭陳述などによる検察側の主張の内容は、私が、かねて本コラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」など)で指摘し、政治資金問題第三者委員会報告書でも指摘した、検察の捜査・起訴に対する疑問に答えるものにはなっていない。

 それどころか、検察が、この事件の事実関係を歪曲し、それをそのまま報道させることで世論を誘導しようとする意図が窺われる。それが端的に表れているのが「天の声」という言葉の使い方だ。

「天の声」が冒頭陳述で多用された意味

 このような西松建設の公判での主張の中で、検察側が冒頭陳述などで繰り返し用いたのが、「天の声」という言葉である。

 以下は、関連する冒頭陳述の一節である。

 東北地方では、昭和50年代初め、E社が中心となって、東北建設業協会連合会と称するゼネコン各社による談合組織を立ち上げ、以後、E社社員を仕切り役として、談合によって公共工事の受注業者を決めていた。東北建設業協会は平成3年頃表向き解散したが、その後もE社を中心とする談合組織・体制は存続し、談合が続けられた。

 そのような中、岩手県下の公共工事については、遅くとも昭和50年代終わり頃から、小沢議員の事務所(以下「小沢事務所」という)が影響力を強め、前記談合において、小沢事務所の意向がいわゆる「天の声」とされ、本命業者の選定に決定的な影響を及ぼすようになった。また、平成9年頃から、小沢事務所は、秋田県下の公共工事に対する影響力も強め、以後、一部同県下の公共工事に係る談合においても、小沢事務所の意向が「天の声」となった。

 すなわち、岩手県下または一部秋田県下の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対し、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出してほしい旨陳情し、同事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し、仕切り役において、当該ゼネコンが真実「天の声」を得ていることを直接同事務所に確認のうえ、当該ゼネコンを当該工事の本命業者とする旨の談合が取りまとめられていた。

この「天の声」という言葉が、新聞、テレビなどでそのまま報じられ、小沢氏側が西松建設関連の政治団体から受け取っていた政治献金は、小沢事務所側が「天の声」を出して西松建設に工事を談合で受注させた見返りであったことが、あたかも確定的な事実であるかのように扱われている。しかし、ここでの「天の声」という言葉の使い方自体が、従来の業界内での用語とは異なるだけでなく、冒頭陳述の内容にも重大な疑問がある。

 かつてのゼネコン業界の談合の世界における「天の声」というのは、一般的には「発注者側のトップつまり、知事、市町村長など地方自治体の首長の意向」を示すものであり、その意向に従って受注予定者が決まるという談合ルールを「天の声」談合と呼ぶことがあった。

「天の声」談合の由来

 「天の声」という言葉が公共工事を巡る談合に関して初めて具体的に使われるようになったのは、ゼネコン汚職事件の皮切りとなった1993年6月末から7月にかけてのゼネコン汚職事件仙台市長ルートの捜査の頃であった。ゼネコン4社から2500万円ずつ合計1億円が石井仙台市長側に提供されたという贈収賄事件であったが、この事件で、仙台市発注の公共工事は、すべて発注者側の意向に従って受注予定者を決めるルールで談合が行われ、大規模工事については市長自身の意向で受注者を決定している談合の実態が明らかになった。

 それが、「『天の声』談合」という言葉を世の中に知らしめることになった。そして、その後、宮城県知事や茨城県知事などが収賄罪で摘発されたが、これらの事件の背景にも、このような「天の声」談合の存在があると報じられた。

 このようにして、発注者側のトップの意向に従って談合による公共工事の受注予定者が決定される「天の声」型談合の構図が出来上がった背景には、次のような背景があった。

 日本の公共工事を巡る談合は、昭和30年代頃からは、非公式のシステムとして建設業界で定着していたが、かつては、入札の前に受注者を話し合いで決めること自体は、形式上は違法な行為であっても社会的には悪ではないと思われてきた。受注調整は、工事現場の所在地、周辺での受注実績や過去の同種工事の受注実績、特殊技術に関する技術力を考慮することで、その工事を受注するのに最も相応しい業者を話し合いで決めるものだったが、その決定に当たっては、発注者側や政治家などの有力者の意向が考慮されることもあった。このような調整は、業界団体や業界の親睦団体の会合の場で「民主的」に「半ば公然」と行われていた。

 その状況を大きく変えたのが、1990年頃からの日米構造協議における米国からの独禁法の運用強化の圧力だった。刑事告発の動きが現実化した埼玉土曜会事件を機に、大手ゼネコンは、表面上は談合排除を宣言し、受注調整のための親睦団体は次々と解散した。しかし、業界調整という非公式のシステムの中で話し合いによって受注者が決定されていた実態には基本的に変わらなかった。

談合システムは非公然化し、社内でもごくわずかな特定の者にしか調整の実態は知らされず、業者間の会合に一堂に会して決定する方式ではなく、受注を希望する業者同士の個別の話し合いや情報交換によって受注希望を調整して、受注予定者を1社に絞り込むという形態に変化していった。

 しかし、会合による「民主的」な受注者の決定と異なり、個別の話し合いで受注希望を調整することは容易ではなかった。多数の業者が受注を希望する工事については、個別に話し合っているだけではなかなか、受注希望を調整して1社に絞り込むことができない。それが、業界内の受注調整において、それまで以上に自治体の首長などの意向が尊重されることにつながった。それが、多くの地方自治体発注の工事について、首長など発注者側の意向によって受注者が決定される「天の声」型談合が定着することにつながった。

談合構造の「進化」

 ゼネコン汚職事件で複数の首長が逮捕され、「天の声」型談合の実態が明らかになったのを機に、談合の構造は再び変化することになった。発注者側の意向は、談合による受注者決定において「客先意向」として尊重されることに変わりはなかったが、そのような意向がストレートに受注業界側に出されることは少なくなった。刑事事件で摘発されることを恐れ、首長自身は受注業者側と接触しなくなり、首長と何らかの形で意思疎通ができる人物に、その自治体の発注工事に関する「首長の意向」が間接的に伝えられるという形態に「進化」した。

 その工事を受注するのに最も相応しい業者を選定するという業界内の受注調整の構図は基本的に変わらなかったが、そこに、間接的に伝えられる首長の意向や、発注自治体に予算や補助金の配分などで影響を与え得る立場の政治家や、地域の有力者の意向なども、受注者の決定に強い影響力を持った。これらの要因が複雑に交錯して、業界内での情報交換や話し合いを通じて受注予定者が絞り込まれていくという構図が出来上がっていった。

 このような談合構造の下での受注予定者となるために重要だったのは、その工事を受注することについての地域内での有力者のコンセンサスを得ることであった。それは、受注した場合の工事施工を円滑に行うための条件であり、逆にその条件を満たしていないと、受注予定者になる資格がないと見なされる恐れがあった。

 そのような構造の下で、発注自治体の首長の側や発注者に影響力がある政治家などに対して金銭の提供が行われることもあった。「意向」を出してもらって受注したことの対価そのものである首長側への金銭等の提供は、通常、「意向の伝達役」に対して行われ、首長自身には刑事事件の捜査などが波及しないようにするという方法がとられた。

 公共工事受注業者から政治家に対して行われる政治献金には、2通りあった。1つは、発注者側の意向、つまり「客先意向」に強い影響力を与える立場の政治家に対するもの、例えば、当該工事の事業に関して補助金を交付する官庁に関係している政治家や、その官庁から予算の割り当てなど、工事の発注予定に関する情報を提供してくれる族議員に対する政治献金だ。これらは、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難や、あっせん利得罪、収賄罪での摘発につながりかねない性格の政治献金であり、裏金による献金か、下請会社名義などで、絶対に他者には分からないような形態で行われた。

もう1つは、地域において強い影響力を及ぼす有力な政治家や政党に対する献金である。例えば、その自治体の議会の与党の幹部などに対して行われる政治献金は、工事受注との直接的な対価関係を持つものではない。業界内の談合で受注予定者となることを希望している業者にとっては、工事を円滑に受注し施工するために地域の有力者の間で受注予定者になるためのコンセンサスを得ておくことが重要であり、有力者からの横やりで、そのコンセンサスが破られることを強く警戒する。そこで、地域における有力な政治家や政党に対しては、特定の工事の受注とは関係なく、恒常的に相当な金額の政治献金が行われることになる。この場合の政治献金は、受注を妨害されないための保険料的な性格が強かった。

 県発注工事について、県議会で圧倒的な多数を有する与党の地方組織に対してこのような趣旨の政治献金が行われていた実態を明らかにしたのが、自民党長崎県連違法献金事件であった。

 筆者は、日米構造協議における米国側からの圧力で談合など独禁法違反に対する制裁強化が図られていた90年から93年にかけて公正取引委員会に出向し、埼玉土曜会談合事件の摘発に関わったほか、ゼネコン汚職事件でも、上記の仙台市長ルートの仙台現地捜査班に加わって「天の声」談合の構造を解明し、長崎地検次席検事時代には、上記の自民党長崎県連事件の捜査を指揮、多くの談合事件や贈収賄、違法献金事件の摘発に関わった。そして、これらの経験に基づき、この分野に関する唯一の捜査実務書(『入札関連犯罪の理論と実務』)を著している。

 上記のようなゼネコン談合と「天の声」、政治資金に関する実態は、筆者が、この問題に関する一般的な認識として、著書などでも述べているところだ。

小沢氏への政治献金と公共工事との関係

 小沢氏がゼネコンから長年にわたって政治献金を受けていた背景に何があったのか、筆者は直接知り得る立場ではない。しかし、上記のようなゼネコン談合と政治献金の関係に関する私の一般的な認識からすると、業界用語として「発注者のトップの意向」を意味する「天の声」という言葉が、検察の冒頭陳述において、何の理由も示されず「国政レベルの政治家側の意向」として使われていることには大きな違和感がある。

 しかも、冒頭陳述の中で、ゼネコン側が「自社を談合の本命業者とする『天の声』を出してほしい旨陳情し、事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し」と書かれている部分は、業界調整の常識からは考えられない。

 政治家の意向が「天の声」に影響を及ぼすとしても、それは、発注者側に対して影響力を行使し、その意向が発注者側から業界側に伝わるということであって、政治家側から業界側に直接伝わることは、通常は考えられない。

 小沢氏が自民党幹事長として、与党内で絶対的な権力を握っていた時代においては、岩手県など東北地方の一部において、公共工事の発注自体に大きな影響力を有していたと考えられるので、小沢事務所の意向が、発注者の地方自治体首長の「天の声」をしのぐ絶対的な力があった、ということも十分に考えられる。しかし、小沢氏の国会議員としての立場は、その後、細川政権側の有力政治家という政権与党側の立場から、新進党、自由党などの野党の立場に大きく変わっている。そのような政治的立場の変化によって、小沢事務所の公共工事の発注に対する影響力は異なったものになったと考えられる。

今回の西松建設関連の政治団体の名義での政治献金が行われた時期のほとんどは、小沢氏が野党の国会議員の立場にあった時期だ。その時期に、小沢氏の側に、公共工事に関連してゼネコンから多額の政治献金を受ける理由があるとすれば、発注自治体への影響力というより、地元の政治家としての、地元の公共工事関連業者や、公共工事と利害関係を持つ有力者などに対する影響力が背景になっていたと考えるのが合理的であろう。

 ゼネコン側にとって、小沢氏側に恒常的に多額の政治献金をする理由として考えられるのは、地域の住民や有力者、業者などと密接な関係があり、地元建設業者や建設資材供給業者などとも関係が深い小沢事務所や秘書と良好な関係を維持することが、ゼネコンがその地域で工事を受注して円滑に施工するために重要と考えられていたことによるものであろう。小沢事務所との良好な関係を維持することは、その地域の有力者のコンセンサスを得て、業界内の談合で受注予定者になることについての保険料的な性格が強かったものと思われる(今年の5月16日に公表された西松建設の内部調査報告書では、「献金を行う趣旨に関しては、工事の発注を得たいという積極的な動機よりも、受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由もあったと供述する者もいた」とだけ述べられている)。

検察冒頭陳述を裏づける供述の「質」

 「天の声」に関する検察の冒頭陳述の内容は、談合構造の歴史的経過から考えると、極めて不自然であり、西松建設の関連団体から小沢氏側への政治献金の原因・動機に関して真実を述べているとは到底思えない。

 西松建設側にとっては、政治献金の事実を積極的に隠したいと考えたのは、むしろ、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難や刑事事件での摘発につながりかねない与党議員側への献金の方だと考えるのが合理的であろう。「新政治問題研究会」という西松関連団体と同一名称の故橋本龍太郎氏の政治団体が同じ千代田区に存在していることで、自民党議員に対する献金が特定できないようにすることが、政治団体設立の主たる目的ではないかとの政治資金問題第三者委員会報告書(10頁)の指摘を、改めて注目すべきであろう。

 このような検察の冒頭陳述の内容を裏づけるゼネコン関係者の供述調書が存在していて、ゼネコン関係者が署名しているとしても、それを額面通り受け取ることはできない。既にゼネコン間の談合構造が3年以上も前に崩壊し、談合が過去のものとなってしまった現在、過去の談合の事実に関してどのような供述を行おうと処罰や処分を受けることはないのであるから、ゼネコンの談合担当者にとっては「どうでも良い話」である。検察側の誘導によって、そのような内容の調書に署名している可能性が高い。

 重要なことは、これらの点は、事実を争っている大久保被告人の公判において、反論・反対尋問に耐え得る立証によって明らかにされるべきだということだ。

「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を
造船疑獄指揮権発動は「検察の威信」を守るための策略だった
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090616/197741/

日本は、いつから、法律に明記されている行政庁の権限について議論することすらタブー視する国になってしまったのだろうか。

 6月10日に公表された「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」(政治資金問題第三者委員会)の報告書に対して、新聞、テレビの多くは、検察当局や報道機関の批判に重点を置き、小沢一郎氏の説明不足を追及していないなどと批判している。とりわけ、報告書中で、法務大臣の検事総長に対する指揮権発動に関して言及したことに対しては、朝日新聞以外の各紙の批判は「非難」のレベルにまで達している。

報告書での「指揮権発動」言及に対するマスコミの「非難」

 例えば、読売新聞は、「検察・報道批判は的外れだ」と題する6月11日の社説で、報告書の「法相の捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現」を厳しく批判した後、同日夕刊の「よみうり寸評」でも、戦後ただ一度の指揮権発動で涙を浮かべる検事正や無念の思いに暮れる検事たちの情景を描いた後、「犬養健法相が造船疑獄の捜査に関し、検事総長に対し指揮権を発動した。これで佐藤栄作自由党幹事長への捜査はストップ。法相は辞任した。以来、発動はない。ずっと抑制の姿勢が貫かれてきた。半世紀以上も前の古い話を民主党の第三者委員会の報告で思い出した。『西松事件』について何と『法相が政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た』とある。検察・報道批判の色が濃く、『第三者』の報告というよりは鳩山、小沢両氏の代弁のようだ」などと重ねて詳細に批判する、という念の入りようだ。

 しかし、このような批判は、報告書が言うところの「政治的配慮」の趣旨を読み違えているだけでなく、検察庁法が「法務大臣の指揮権」を規定していることの意義、検察の権限行使に対する民主的コントロールの手段としての位置づけを正しく理解していない。

 第三者委員会のメンバーであった者の1人として、このようなマスコミからの「非難」に対して個人的立場から反論を行うこととしたい。

渡邉文幸著『指揮権発動』が解き明かした戦後検察史の核心

 「法務大臣の指揮権」をタブー視する考え方は、造船疑獄事件での犬養法務大臣の指揮権発動という「政治の圧力」が「検察の正義」の行く手を阻んだ、という歴史認識に基づくものだが、実は、そこには重大な誤謬がある。元共同通信記者の渡邉文幸氏の著書『指揮権発動』では、当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏が事件から40年経って初めて語った証言などを基に、捜査に行き詰まった検察側が「名誉ある撤退」をするために、自ら吉田茂首相に指揮権発動を持ちかけた「策略」だったことが明らかにされている。まさに、戦後検察史の核心を突く迫真のノンフィクションだ。

 そして、2006年6月14日付朝日新聞夕刊の「(ニッポン人脈記)秋霜烈日のバッジ」(村山治編集委員)では、上記の井本氏の証言に加えて、当時東京地検特捜副部長だった神谷尚男氏の「あのままでは佐藤を起訴するだけの証拠がなかった」との証言、当時、一線の検事として捜査に加わっていた栗本六郎氏の「捜査は行き詰まっていた。拘置所で指揮権発動を聞き、事件がストップして正直ほっとした」という証言のほか、「日本の検察には『正義の特捜』対『巨悪の政界』という単純化された構図による呪縛と幻想がある」との渡邉氏の指摘も紹介されている。

 造船疑獄における指揮権発動が検察側の策略によるものだったことは、ほとんど疑う余地のないものと言ってもよいであろう。

 同書に記載されている造船疑獄での佐藤栄作自由党幹事長への容疑事実を見る限り、検察の捜査が行き詰まっていたというより、最初から、この事件は、ほとんど無理筋だったように思える。容疑事実は、海運・造船に対する助成法案に絡んで、海運業者から自由党に政治献金が行われたことについて、当時の佐藤自由党幹事長が海運会社から請託(具体的に依頼すること)を受けて、第三者である自由党に賄賂を供与させたというものだが、そのような依頼があったとしても、与党の幹事長に与党としての法案のとりまとめを依頼したということであって、国会議員の職務に関する請託とは言えないであろう。

 もし、このような事実が第三者供賄になるとすれば、具体的な法案実現を目指す政党への政治献金はすべて賄賂ということになる。そして、贈賄側とされていた飯野海運の当初の逮捕事実は、このような政治献金の資金捻出のために造船会社からリベートを受け取ったことが商法の特別背任とされていたものだったが、この事実については、後日、一審で無罪判決が出て確定しており、それを含め、この造船疑獄で起訴された事実の多くが無罪となっている。

造船疑獄の検察捜査は、「暴走」を通り越して「爆走」に近いものだったと言わざるを得ないが、そのような検察捜査によって、当時の吉田首相の自由党政権に対する世論の批判が高まり、ついに首相退陣に追い込まれるという重大な政治的影響が生じることとなった。しかし、佐藤幹事長に対する容疑事実自体がほとんど有罪を得ることが不可能なものだったことは、世の中には全く知られていない。また、飯野海運の社長が全面無罪で確定したからと言って、世論が検察捜査を批判したわけでもないし、それで、責任を問われた検察幹部はいない。「検察捜査の当否は裁判所が判断すべきものであり、検察は裁判外で説明責任を負わない」という理屈が全く通用しないことは、この造船疑獄の史実から明らかなのだ。

造船疑獄事件によって封印された「指揮権発動」

 造船疑獄での指揮権発動を巡る誤謬は、「検察の正義」を神聖不可侵のもののように扱い、外部からの圧力・介入を断固排除すべきという考え方を生じさせる一方、その行く手を阻んだ法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際にそれを行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。しかし、造船疑獄の指揮権発動の真実は全く異なったところにあった。指揮権発動までの経過には、経済検察と思想検察との複雑な検察内部の派閥抗争があり、策略や政治的思惑によって歪められた「検察の正義」があった。そのことを、渡邉氏の著書は見事に描き出している。

 逆に言えば、この造船疑獄を巡る史実は、検察の権力に対する何らかの抑制システムの必要性を如実に表していると言えよう。そして、そういう意味での検察の捜査権限や公訴権の行使に対する唯一の民主的コントロールの手段となり得るのが、現行法上、この法務大臣の指揮権なのである。

 「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」という検察庁法第14条の規定は、本文で、検察庁も法務省に属する組織であることから検察官の職務は法務大臣の一般的な指揮監督に服することを規定する一方で、但し書きで、具体的事件の捜査や処分について法務省と検察庁との関係を限定している。この規定により、一般的な事件については法務省が検察庁の捜査や処分に関わることはなく、検察庁から法務省への報告も行われないが、例外的に、検事総長にも報告されるような重大事件については、法務省が「法務大臣の指揮権」を前提に、検察庁から報告を受けることがあり得る。

 この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「…大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない。既に述べた造船疑獄事件についての誤謬や法務省が検察庁と一体化して「法務・検察」などと言われている実情があるため、そこから孤立した法務大臣個人が権限を有しているように誤解されているだけなのだ。

 検察庁と法務省の間には、請訓(組織内の上位者に指示を求める手続き)規定に基づいて重要事件、重大事件についての報告が行われている。それを認める唯一の法律上の根拠が、検察庁法14条但し書きなのであり、この規定は、決して死文化しているわけではない。今回のような重大な政治的影響が生じる政治資金規正法違反事件については、法務大臣に指揮権について判断する時間的余裕を与える形で請訓が行われるのは当然のことと言えよう。

報告書での「法務大臣の指揮権」についての指摘

 今回の第三者委員会報告書では、まず第1章で、民主党代表であった小沢氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄附の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について述べているが、新たな事実調査を行ったわけではなく、公表されている政治資金収支報告書や西松建設内部調査報告書などで事実を確認しただけの第三者委員会の調査結果からも、検察の捜査・起訴への疑念は一層深まっている。

報告書では、小沢氏個人の資金管理団体である「陸山会」への寄附は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけで、それ以前は行われていないこと、小沢氏側への寄附は自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄附をすべて含めても23.7%に過ぎず、西松建設関連団体の設立目的は小沢氏の政治家個人への寄附とは無関係だったと考えざるを得ないことを指摘している。

 そして、むしろ、西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本龍太郎氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、区までの所在地と団体の名称しか記載されない官報の上で自民党議員への寄附の具体的内容が明らかにならないようにすること、つまり自民党議員側への寄附について迷彩を施すことにあったのではないかと推測されると述べている。

 このように、今回の検察捜査に重大な疑念があることを述べたうえで、そのような捜査によって野党第一党党首が辞任に追い込まれるという政治的に極めて重大な影響が生じたことを踏まえて、第2章と第3章では制度論の検討を行っている。委員会のメンバーで行政法学者の櫻井敬子学習院大学教授が中心になって、第2章で政治資金規正法の制度論について述べ、第3章では、一行政組織に過ぎない検察の判断によって行われる捜査で国民の政治的判断が重大な影響を受けることに対する何らかの抑制システムが必要なのではないかという観点から、現行制度を検証し、検察に関する制度の在り方を論じている。

 このような第三者委員会での検討において、検察と法務省の在り方を論じる第3章の中で、現行法上、検察の権限行使に対する民主的コントロールのための唯一の制度である検察庁法14条但し書きの「法務大臣の指揮権」の問題に触れないという「選択肢」があり得ないことは明らかであろう。

 そして、もう1つ重要なことは、この点についての報告書の記述は、捜査の対象が野党党首側だという事実を前提にして、今回の政治資金規正法違反事件について、法務大臣の指揮権発動が「選択肢」の1つだったと述べていることだ。自民党サイドにも波及する可能性があると言っても、それは現時点まで実際に行われていないのであり、今回の検察捜査を、総選挙を半年以内に控えた時期に野党第一党の党首に対して公設秘書の逮捕という強制捜査が行われた事例としてとらえたうえ、法務大臣の指揮権発動問題を検討しているということだ。

検察との関係での法務大臣の職責とは

 造船疑獄事件での指揮権発動についての誤った歴史認識のために、法務大臣の指揮権発動というと、これまでは、与党側の政治家である法務大臣が、与党側に捜査の手が伸びないようにするために行うものとのイメージが固定化していた。しかし、今回の事件で問題になるのは、与党側の法務大臣が野党側に対する捜査に対して指揮権を発動することの是非なのだ。

 法務大臣に対して、請訓規定に基づいて、検察からの請訓が行われ、法務大臣としての判断を法務省が組織としてバックアップしていたら、今回の検察捜査には、違反が成立するか否か、仮に成立するとしても、総選挙が近い時期に、こういう捜査によって国民の政治選択、政権選択に重大な影響を与えてまで行うような重大・悪質な事案と言えるか否か、などの点に重大な問題があることは、法務大臣にも認識できたはずだ。

 そこで、法務大臣として、「総選挙を控えた時期に、このように重大な問題がある政治資金規正法違反事件で、野党第一党の党首にダメージを与えることは、与党側の選挙対策上は有利になることではあっても、民主主義政党たる与党としても不本意なことである。国民に政権選択の機会を与えることを尊重すべきだ」と判断して、捜査の着手を遅らせるよう指揮権を発動する「選択肢」は十分にあり得たのではないか。それを行っていたとすれば、法務大臣の判断は、党利党略ではなく、本当の意味で検察捜査と民主主義との関係を真摯に考えた末での客観的で公正な立場から行った指揮権発動の判断として、歴史的な評価に値するものとなったのではなかろうか。

森英介法務大臣が、6月12日の閣議後の記者会見で、民主党が設置した第三者委員会の報告書が法相の指揮権発動に言及したことについて、「看過できないものがある」と述べ、強い不快感を示したこと、その際「私は検察に全幅の信頼を置いて、その独立性・中立性を尊重したい」と強調したことが報じられているが(6月12日読売新聞夕刊)、「検察に全幅の信頼を置いて、その判断を尊重する」というだけでは、法務大臣の職責を果たしたとは言えない。

 今回の政治資金規正法違反事件について、請訓規定によって検事総長から法務大臣に対して請訓が行われたのか、それについて法務省としての十分な検討が行われたのか。それらの点を検証し、検察庁法14条但し書きという「法令」を無視するような検察の強制捜査着手が行われたのであれば、検事総長に対して、同条本文の一般的な指揮監督権に基づいて責任を問うことを検討すべきであろう。

 「正義の刀」を振り回す検察に対して、民主主義の唯一の砦となるのが法務大臣であることを忘れてはならない。法務省の重要ポストの多くが検事によって占められ、実務を担当する参事官、局付も多くが検察庁からの出向検事であり、法務・検察が人事上一体であることがその「唯一の砦」としての機能を妨げるのであれば、法務大臣の人事権に基づいて、それが行い得る体制を構築すべきであろう。

マスメディアの「思考停止」

 今回、政治資金問題第三者委員会で当然行うべき検討を行った結果として、報告書で、法務大臣の指揮権の問題に言及したことを、多くのマスメディアはこぞって「非難」した。

 一方で、報道では、その検討の前提としての検察の捜査・起訴に関する重大な疑問については「検察批判に偏っている」とするだけで、その中身には一切触れていない。その点に関して報告書が指摘した事実の中には、西松関連団体から陸山会への寄附が2003年以降の2100万円だけで、それ以前には行われていないことや、西松関連団体の「新政治問題研究会」という名称と全く同一で所在する区も同じ、橋本氏の政治団体が存在していたことなど、新聞、テレビでも十分把握していた事実が含まれていたはずであるが、それらはこれまで報道されてこなかった。指揮権発動問題について「非難」する前に、まずその前提として述べている検察捜査に関連する重要な事実の指摘について報じるべきであろう。

 中西輝政教授は、「子供の政治が国を滅ぼす」(文藝春秋2009年5月号)で、昭和初期、政治不信の高まり、世界恐慌など、現在と共通する政治、経済状況の中で、検察による疑獄事件の摘発が相次ぎ、それが、最後に「司法の暴走」帝人事件(現在の民主党鳩山由紀夫代表の祖父鳩山一郎文部大臣など政治家、官僚が逮捕・起訴され後に全面無罪となった)を引き起こし、政党政治を崩壊させて、日本が道を誤って敗戦まで突き進む大きな要因になったことを述べ、西松建設事件での検察捜査の危うさを指摘している。その中で、検察庁法14条の法務大臣の指揮権発動が、「本来、政から官への民主主義的なチェックシステムであり、これこそ重要な民主主義の担保の一つ」だと述べている。

 このような中西教授の意見にも耳を貸さず、渡邉氏が解き明かした造船疑獄事件の真相も意に介さず、第三者委員会報告書中に「指揮権発動も選択肢」との記述を見つけただけで、過剰反応するマスメディアの報道姿勢こそ「思考停止」そのものと言うべきであろう。

辞任に至った経緯を重く受け止めよ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090511/194285/

代表辞任の記者会見で小沢氏自身が述べたように、辞任すべしという意見が世論調査でも民主党内でも増えている状況で、政権交代の可能性を最大限に高めるために、今辞任するのがベストだと考えたという言葉を、それなりに納得できる話だと思う。

辞任の発端は代表秘書の逮捕・起訴

 小沢代表の辞任は、公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴されたことが契機となっている。その影響を相当強く受けたと思える世論調査の結果から、小沢氏の周辺も辞任一色に染まった。

 今回の辞任によって、小沢氏の秘書の政治資金規正法違反の逮捕・起訴を行った検察の捜査のあり方、説明責任の問題から目を逸らすようなことはあってはならない。

 小沢氏の辞任で、検察の政治資金規正法違反の捜査のあり方という問題から世の中の関心が離れてしまったとすると、こういったことがいつ何時繰り返されるか分からないことになる。それは民主主義にとって重大な脅威だ。

 3月初めの段階で次期総理の有力候補とされていた野党第一党党首が検察の捜査の影響で辞任するに至ったという事実を重く受け止めるべきだ。改めて、検察の捜査とは何だったのか、どんな問題があったのか、それに対して検察が十分に説明責任を果たしたのか――。これを機会に十分に議論し、問題として受け止めなければいけない。

 そういう意味では、小沢氏にも今の段階で可能な説明責任を果たしてもらい、それによって検察の説明責任を問うという態度をとってもらいたかった。それは決して困難なことではなかったはずだ。

 13日に行われる予定であった党首討論から逃げたという見方もあるようだが、党首討論にしっかりと臨み、麻生首相と対決すれば十分、小沢氏には勝ち目があったと思う。それが辞任の理由とは思えない。

1日も早く公判で“潔白”を明らかにすべきだった

 民主党は先月、第三者委員会(「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に 関する第三者委員会」)を設置した。私はメンバーとして加わったが、政治資金問題に関する検察とメディアの説明責任、そして小沢代表および民主党の対応と説明責任についてバランスのとれた議論をしてきたと思うし、十分な成果が上がっていると思う。しかし、報道では小沢氏の説明責任、辞任論ばかりが議論されているように報じられ、議論の内容が正しく伝えられてこなかった。こういう状況も、今回の辞任の背景にあるだろう。

 検察の捜査について議論すべきポイントについては、これまでこのコラムで述べてきた(「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」)。

 残念なのは、起訴から50日ほどにもなるのに、起訴の段階からほとんど何も進まないうちに辞任という事態になったことだ。すでに「小沢代表が今、行うべきこと」で指摘したことだが、自信を持って政治資金規正法上問題がないというのなら、それを1日も早く刑事公判で明らかにするための努力をすべきだった。

 民主党はもちろん、自民党も含めた政治全体が検察の捜査が不当な政治介入ではないか、という問題意識を持って闘う必要があったのではないかと思うが、そのような状況にはならず、マスコミの報道も一方的に小沢辞任論に傾く中では、小沢氏の辞任は致し方なかったのかも知れない。そういう意味で、同じ辞めるのだったら、現時点がベストのタイミングだったのではないかとは思う。いずれにしても、起訴直後ではなくここまで辞任問題を引っ張ってきたことは、検察にとっては相当のプレッシャーになったはずだ。(談)


小沢代表が今、行うべきこと
第三者委員会で検察、メディア問題の検証を行うことの意味
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090413/191726/

民主党が、小沢一郎代表の公設第一秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴された政治資金の問題に関して、小沢代表の説明責任、検察、メディアの在り方などを検討・議論する党外の有識者による会議を設置。その初会合が4月11日午前、都内のホテルで開かれた。

 同日午後には座長の飯尾潤教授(政策研究大学院大学)と座長代理の筆者が記者会見を行い、正式名称を「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に 関する第三者委員会(略称:政治資金第三者委員会)」とし、5月中旬までに、計6回程度の会合を開催して検討・議論の結果を報告書に取りまとめる予定であること、委員会開催後には、毎回メディア向けのブリーフィングを実施し、ビデオニュースで公開、ゲスト有識者も招き、意見の聴取、意見交換を原則公開、専用のホームページを立ち上げて広く意見募集を行うなど、オープンな議論を行っていく方針を明らかにした(第1回会合の概要、記者会見の動画などは専用のホームページで公開)。

 この委員会は、今回の政治資金問題に関する小沢代表および民主党の対応、説明責任、それに関連する検察とメディアの問題を検討することを目的として民主党が設置したものだが、民主党からは完全に独立した位置づけになっており、事務局も新日本有限責任監査法人の子会社が行い、検討の具体的内容、進め方などにつ いては委員会が独自に判断することとされている。

検察、メディアの問題を検討・議論することの意義

 半年以内に総選挙が行われるという政治的に極めて重要な時期に、野党第一党の党首の公設秘書がいきなり逮捕され、結局、起訴された事実は、3500万円という比較的少額の政治資金規正法違反、しかも、収支報告書に記載された「表の寄附」の名義に関する「形式犯」だけ、という従来の検察の常識からは考えられないものだった。

 一方で、秘書逮捕以降、新聞、テレビでは、出所不明の「関係者供述」によって、政治献金が公共工事の談合受注の見返りであるかのような報道が連日行われた後、世論調査の結果から「小沢氏説明不足」「辞任すべし」が民意だとの報道が繰り返されている。

 しかし、その辞任論の根拠は、「政治資金に関してかねて問題が指摘されていた小沢氏の公設秘書が政治資金規正法違反で起訴されたこと」だけだ。与野党の支持率を大きく変え、小沢氏を首相候補の筆頭から引きずり降ろす結果になった検察の捜査、そして、それに関するマスコミ報道についても検証を行うことが、国民が、小沢辞任論の当否を判断し、総選挙における政権選択を適切に行うためにも不可欠であろう。

 メンバー構成にも、そのような委員会設置の目的が反映されている。小沢代表や民主党の対応や説明責任を明らかにするという委員会の主たる目的からすれば、民主党の在り方等に関してかねて厳しい意見を述べておられる政治学者の飯尾教授が座長として委員会を代表するのは極めて自然なことと言えよう。

 筆者は、検察の現場で多数の政治資金規正法違反を手掛けてきたほか、不二家関連報道におけるTBS「みのもんたの朝ズバッ!」の捏造疑惑の追及を はじめ、メディアとコンプライアンスの問題や新聞、民放会社、NHKなどでのコンプライアンスの指導・啓蒙にも関わってきた。検察やメディアの問題についての検討を主として担当することを期待されているのであろう。

 検察の説明責任については、行政法学者で行政組織の説明責任の問題にも詳しい、学習院大学の櫻井敬子教授が加わられていることで議論の客観性が確保される。また、メディア論の専門家でBPO放送倫理検証委員会の委員でもある立教大学の服部孝章教授の参加は、今回の政治資金問題の事件報道の在り方の検討・議論のためであろう。

民主党が、小沢代表の説明責任の問題に関して、このような有識者会議を設置することに対しては冷ややかな見方もある。4月3日に、鳩山由紀夫・民主党幹事長の定例会見で有識者会議の設置が公表された際の報道には、「小沢氏の政治資金の調査には消極姿勢を示した」「党内外で指摘されている小沢氏の『説明不足』批判をかわす狙いがある」というようなことも書かれていた。

 そのような見方は、検察の捜査や起訴に問題があったとしても、それは公判で争えばよいし、メディアの事件報道に問題があったのであれば、それは 別途問題にすればよい、総選挙を目前に控え、小沢氏の説明責任や代表の進退の問題を解決することが先決で、小沢氏は、それとは別に政治家として説明責任を果たし、それが十分に果たせないのであれば党首を辞任すべきだという考え方を背景にしているのであろう。

 確かに、一般的には、刑事事件について起訴された事実について犯罪が成立するかどうかの判断は検察官・弁護人が公判で主張・立証を尽くしたうえで 裁判所が行うもので、政治的責任論はそれとは切り離して行うべきだと言えよう。しかし、今回の問題には、果たして、その一般論がそのまま適用できるのであろうか、そこに重大な問題がある。

検察捜査を巡る問題が先決事項である理由

 第1に、刑事事件とは言っても、今回の問題は、殺人や窃盗のような道義的・倫理的な問題ではなく、小沢代表の資金管理団体の政治資金の処理という政治に関する手続きの問題だ。小沢氏の説明責任、辞任論の発端が、政治資金の手続の問題であり、その前提となる 政治資金規正法の解釈と罰則適用に疑念が生じている以上、その点を先決事項として検討するのは当然だ

 そして、もう1つ重要なこと、小沢代表の秘書が逮捕され起訴された事実が、果たして、政治資金規正法違反になるのかどうか、違法なのかどうかについて、根本的な疑問があるということだ。

 3月11日の「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」 でも述べたように、政治資金規正法では、収支報告書に「寄附をした者」、つまり寄附の外形的行為を行った者を記載するよう求めているだけで、寄附の資金を 誰が出したのかについては記載する義務はないというのが、これまでの一般的な解釈だ。小沢氏の秘書が、寄附の資金が西松建設から出たものだと知っていたとしても違反にはならない。違反になるとすれば、寄附名義の政治団体には全く実体がなく寄附行為者になり得ない場合、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ。しかし、事務所を賃借し、常勤の役員もいると言われるこの団体が政治団体としての実体がないとは言い難い。それが実体がないと言うのであれば、全国に何千、何万とある政治献金を行うだけの目的の団体の設立届が虚偽で、それを寄附者と記載した収支報告書は虚偽記載ということになる。

 もう1つ、あえて検察の解釈論を忖度するとすれば、今回の寄附名義の政治団体は、実体があっても、人的にも資金的にも西松建設のダミーであって、 西松建設と一体のものだから、このような政治団体の実体を認識した以上、西松建設を寄附者と記載すべきだという、脱税事案などでよく用いられる「法人格否認の法理」のような考え方を取ろうとしている可能性もある。

 しかし、実質的な所得の帰属に応じて課税しようとする税の世界の問題、その中で、実質的に多額の所得を得ているのに、それを形式上ごまかして税を免れよ うとしている人間を処罰する脱税事犯の摘発の問題と、政党・政治家が共通のルールによって政治資金の透明化を図り、健全な民主主義を実現していこうとする 政治資金の世界とは全く異なる。従来の解釈を逸脱した法解釈による罰則適用は捜査機関による不当な政治介入を招く恐れがある、もし、そのような解釈論を取るのであれば、事前にそのことが明示される必要があろう。

 このように考えると、小沢氏の資金管理団体の収支報告書について虚偽記載罪が成立するのか否かについて重大な疑問があり、そもそも、これを政治資金規正法違反だとする検察の主張自体が、公判審理に入る前の段階で崩壊する可能性すらある。

 このような指摘が正しいとすれば、今回、小沢代表の秘書が政治資金規正法で起訴されたことが、ただちに小沢代表の説明責任や辞任の問題につながるということにはならないはずだ。

 この事件の勾留満期の当日の3月24日の「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」の中でも述べたように、検察には、今回の起訴の前提となる法解釈について説明すべきだ。

 (1)政治資金収支報告書には「資金の拠出者」の記載も義務づけられている、(2)「実体がない政治団体」は「寄附者」として記載してはならない、(3)特定の法人・団体のダミーのような存在の政治団体は「寄附者」として記載してはならない、このいずれかの法解釈を取らない限り、本件について虚偽記載罪が成立することはあり得ない。

 そして、この(1)~(3)のいずれの解釈も、もし、それが取られるということになれば、総選挙を控え、最も活発になる政治活動と政治資金の収支に重大な影響を与えるものだ。この法解釈の問題を放置したまま、総選挙に突入すれば、選挙運動や選挙を巡る政治活動は大混乱に陥ることになりかねない。

 今回の事件の起訴の当日、司法クラブ記者向けのレクチャー(非公開であり「記者会見」ではない)の中で、東京地検幹部は、これらの点については、 「公判で明らかにする」と述べたようだ。しかし、これらの法解釈の問題は、事件の中身についての証拠関係とは切り離して説明することができる一般論の問題だ。本件の起訴の前提となる法解釈が、近く行われる総選挙に与える重大な影響を考えれば、検察にはこの点についての説明責任がある。

 検察が、この点について説明を行う姿勢を見せていない以上、今回の第三者委員会において、あらゆる可能性を想定して、法解釈に関する問題を検討し、その結果を国民に示すことの意義は大きいと言うべきであろう。

メディアの事件報道を巡る問題

 本件の事件報道に関しても多くの問題が指摘されているが、報道内容が検察に有利な方向に偏っていることは、これまでの特捜事件の多くに共通する現象であり、捜査当局と担当記者クラブとの関係や、取材現場の特異な状況など様々な構造の下で生じているもので、「検察リークによる報道」と単純化できるものではないし、それら全体を検証することは今回の委員会が行うべきことではない。

 しかし、今回の事件報道には、従来にはなかった一つの特徴がある。それは、従来、「関係者によると」「とされている」などと完全にぼかされていた取材源が、「捜査関係者」などと特定されている記事が多かったことだ。

 そして、その報道の中には、看過し難い重大な問題を含 むものもある。

 1つは、陸山会代表としての小沢氏の「監督責任」に関する3月8日の産経新聞の記事だ。3月25日の「検察は説明責任を果たしたか」で述べたように、代表者の責任は「選任」にも過失がある場合に限られるのに、ことさらに「監督責任」だけを強調し、小沢氏を議員失職に追い込めるように報じたこの記事は、この問題に関する関係者の行動や社会一般の認識に重大な影響を与えるものであった。

 もう1つは、検察の小沢代表秘書起訴を受けて、小沢代表が重ねて違反事実を否定し、捜査・起訴の不当性を訴えて、代表続投の意向を表明した直後の25日午前0時から翌朝にかけて、「小沢代表の秘書が『西松建設からの献金だと認識していた』と、収支報告書へのうその記載を認める供述をしていることが 関係者への取材でわかった」とトップニュースで報じたNHKの問題だ。

 このNHK報道がきっかけとなって、多くの新聞、テレビが、「大久保隆規秘書、容疑事実を大筋で認める供述」などと報じたが、27日、大久保氏の弁護団は、大久保氏が自白していることを真っ向から否定した。

この報道が行われた後、各新聞、テレビで世論調査が行われ、「小沢代表の説明に納得できるか」「小沢代表は続投すべきか」という質問に対する回答結果が、翌週の初めに次々と公表された。NHKの報道と、それに追従した他のメディアの報道によって、多くの人が、起訴された秘書が違反を認めているのにな おも違反を否定し続けている小沢代表の「苦しい言い逃れ」との印象を受け、「小沢代表の説明には納得できない」という回答に誘導されたと考えられる。

 この報道が、小沢代表秘書の政治資金規正法違反事件による起訴をどう受け止めるべきかについて国民に誤った認識を与えたことは否定できない。

 取材源の秘匿、報道の自由への配慮との関係もあり、第三者委員会は、取材や報道の内容について直接 事実関係を調査すべき立場ではないことは言うまでもない。しかし、このような報道の問題に関して、それを行った報道機関がどのように受け止め、どのように 検証しているのかという点は、この問題の第一次的な当事者である小沢代表の対応と説明の在り方を考えるうえでも重要だ。

 第三者委員会では、これらの点を中心に、検察、メディアの問題を前提事項として検討・議論したうえ、小沢代表と民主党の対応と説明責任の問題を中心に幅広く有識者をゲストとして招いて意見交換を行い、その模様をできる限り公開するとともに、国民からも広く意見を募集するという方法で、この問題についての議論・検討の場を国民全体に広げていくことを目指している。

不可解な小沢代表秘書刑事事件への対応

 一方で、不可解なのが、今回の政治資金規正法違反事件についての小沢代表秘書の弁護側団の動きとこれに対する小沢代表自身の姿勢だ。

 刑事事件については法解釈上の問題も含め、当事者が公判で主張立証を行い、裁判所が判断を行うのが原則であり、これに関して第三者委員会の検討・議論を行うとしても、あくまで副次的な手段だ。

 小沢代表は、今回の事件が政治資金規正法違反に該当しないと一貫して主張してきた。 しかも、筆者が指摘するように検察の起訴事実について重大な疑念が生じている。そうである以上、最も重要なことは、公判の場で早急に結論を出すことだ。選挙違反事件について公職選挙法で「100日裁判」が要求されているのと同様に、今回の事件についても、早急に公判前整理手続で争点を整理し、集中審理によって、早期に判決が出せるようにするべきだ。私は、起訴直後から、「選挙との関係を考慮し遅くとも7月ぐらいまでには判決が出せるようにすべきだ」と述べてきた(3月25日付朝日新聞など)。

 弁護側が、早急に手続きを進めることを強く求めれば、裁判所も、検察もそれに応じざるを得ないはずだが、報道されている限りでは、小沢代表秘書の起訴から20日余り経過した現在まで、保釈に関する動きも公判手続きに関する動きも全くない。違反に該当するかどうかも微妙な形式犯で40日以上も秘書の身柄拘束が続いているのは、決して容認できることではないはずだ。

 今回の事件が小沢代表の政治資金管理団体の問題であり、起訴された被告人の大久保氏が、今も小沢代表の公設第一秘書の立場にある以上、小沢代表は、今回の刑事事件について当事者に準じる立場にある。小沢氏から公判審理の促進を強く求める意向が示されれば、 被告人の秘書本人も弁護人も従うはずだ。

 秘書の逮捕直後から一貫して検察の捜査を批判してきた小沢代表の主張が変わらないのであれば、公設秘書が起訴された政治資金規正法違反事件に真正面から向き合う姿勢を明確に示し、公判での真剣勝負に挑むべきだ。そうでない限り、今回の問題について、小沢代表が、国民から理解と納得を得ることはできないであろう。

 第三者委員会での議論・検討が、本当に意味のあるものとなるか否かも、刑事事件に対する小沢代表の姿勢にかかっている。

検察は説明責任を果たしたか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090324/189886/

24日、逮捕事実に若干のプラスアルファが付いただけで民主党小沢代表の公設第一秘書が起訴された。

 昨日のこのコラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」)に書いたように、今回の事件は一般の刑事事件とは違う、政治資金規正法という民主主義の根幹にかかわる事件であり、それに対して検察がどのような罰則を適用し運用するのかは政治的に極めて重要な問題だ。したがって、検察は基本的な考え方をきちんと説明し、今回どんな考え方でこの事件を起訴したのかについて説明すべきだと主張した。

検察からは一般論的な説明のみしかなかった

 ところが聞くところによると、検察からはそのような説明はまったくされなかったという。政治資金規正法は非常に重要な法律で、違反する行為というのは重大だという一般論的な説明のみしかされなかったとのことだ。

 今回のような事件を、こういう時期に政治的影響を生じさせてまで摘発したことについて説明責任を回避するというのは、検察としては許されない。なぜこの事件だけが悪質と言えるのか、結局まったくわからない。強制捜査に対する疑問点については「代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問」で書いた。

 当然のことながら、寄附をするゼネコンは公共事業の受注に少しでも役に立てばということが目的だが、具体的にある工事について、政治家に動いてもらって発注者に働きかけてもらい、それで対価をもらえばあっせん収賄罪になり、口利きだけでもあっせん利得罪になる。

 しかし、その当時はみながやっていたことであるのに、過去の一時点のことだけをつまみあげて悪質だというのは、検察がその気になればいくらでも処罰できるということになってしまう。これは民主主義の否定であり、検察が国会より上に位置づけられる「検主主義」であると昨日のこのコラムで述べた。

 しかも談合による受注のメカニズムは単純なものではない。特定の工事に関して小沢事務所に頼んだら、談合の仕切り役に声を掛けてくれそれで受注できたというようなそんな単純な世界ではない。

 談合受注の構造が単純ではないことについてもすでに述べてきた。私は公正取引委員会に出向して埼玉土曜会事件に関わった時から、公共工事を巡る腐敗構造の解明には10年以上にもわたって取り組んできた。この経験から言っても、談合の解明は応援検事を集めて10日か20日でできるようなものではない。

今回の断片的で説明にもならない検察のコメントを読むと、ほとんど理屈にもなっていない。なぜこのようなことになったのだろうかという思いだ。検察は少なくとも理屈に通ったことをやらなければいけないのに、まったくそうなっていない。

 政治的な影響だけが生じて、あとは公判で明らかにするというのは、完全に民主主義の否定だ。まさかそんな無茶なことはしないだろうと、強制捜査が始まった時から私はずっと思ってきた。そして私なりのコメントを出してきた。それでもこういう無茶なことをやってしまったというのは、検察という組織の現状を端的に象徴しているとしか言いようがない。

 なぜこんなばかなことをやってしまったのかというのが、今回の1つの疑問点である。検察の真の意図はどこにあったのだろうか。国策捜査だとか自民党つぶしなどとかの憶測を呼んだが、私はそのような高尚なものではなく、基本的ミス、誤算という可能性が強いと思う。

検察は重大な基本的ミスを犯した?

 誤算というのは小沢氏側の対応の見誤りだ。秘書の事件で強制捜査に入り、小沢氏に対する批判が強まれば小沢氏は辞職するだろう。そうすれば政治力がなくなり、秘書も事実を認めて大した問題にはならないだろう。検察がこういった甘い見通しを持っていたのではないかということだ。そうだとすると、それなりの目算がなければならないが、そのことを教えてくれるのが、3月8日付の産経新聞の記事だ。ここで述べられているのは、監督責任の問題だ。

 これは、陸山会代表としての小沢氏の「監督責任」に関して、「捜査関係者」として、「特捜部は監督責任についても調べを進めるもようで起訴されれば衆院議員を失職する可能性も」という内容だった。

 同記事には、特捜部が摘発した埼玉県知事だった故土屋義彦氏の資金管理団体の政治資金規正法違反で、土屋氏から事情聴取し、監督責任を認め知事を辞職した土屋氏を「反省の情がみられる」として起訴猶予にしたことも書かれている。

 しかし、代表者の責任は「選任及び監督」に過失があった場合で、ダミーの会計責任者を選任したような場合でなければ適用できない。土屋氏の場合と同様に代表者の監督責任による立件をちらつかせて小沢氏を辞任に追い込めると判断していたとすると重大な基本的ミスだ。

同じ8日のテレビ番組や新聞のインタビューで私が、監督責任だけでは代表者の立件はできないことを指摘したところ、小沢代表聴取の報道は急速に鎮静化し、その後、「小沢氏聴取見送り」が一斉に報じられた。

強制捜査までのハードルは本来もっと高くあるべき

 過去にあった談合構造のもとで小沢氏が政治資金を集めていたとしたらそれが問題であることは否定できない。しかし、このことと検察の説明責任は別の問題だ。

 貧すれば鈍するという言葉があるように、低レベルのことを始めてそれが許されると、その組織はそのレベルに落ちていく。私は自民党長崎県連事件では、必死の思いで苦しんでハードルを乗り越えていった。この事件とは、公共事業受注業者から上前をはねるように裏献金などの様々な献金を集め、パーティー券収入を何千万と裏に隠していたというものだ。

 私は長崎でこの事件をやったとき、これでもかこれでもかと最高検や法務省から厳しく高いハードルを課せられ、それを乗り越えなければ前に進めないという状況に追い込まれていた。そういった状況をたった野球1チームほどの、検事任官2年目、3年目の“アマチュア”といっていいようなメンバーばかりのチームで乗り越えていった。しかし、その過程でスキルアップしたと思っており、大変なハードルを課されたことには感謝している。

 その時、法務省から口をすっぱくして言われたのは、ここで手をつけたことが横に広がったらどうするかということだった。この事件がほかとは差別化できるということでなければだめなのだということだ。私はこう言われたことに納得し、これならいけるというような事実を我々なりにがんばって聞き出して立件し、強制捜査の対象にしていった。

 今の特捜の姿勢はこの時とはあまりに違う。政治家の事件の強制捜査に着手するまでのハードルは本来もっと高くなければいけないということに立ち返り、特捜部はそれを乗り越えられるようになってもらわなければいけない。そして、そうなってもらいたいというのが、私の検察への思いだ。(談)

小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明
民主党、自民党、マスコミにとっても正念場の1日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090323/189737/

前回のこのコラムで、「ガダルカナル」化、すなわち戦線の泥沼化という状況ではないかと推測した民主党小沢代表の公設第一秘書の政治資金規正法違反事件の捜査は、今日(3月24日)、大きな節目を迎える。

 総選挙を間近に控え、極めて重大な政治的影響が生じるこの時期に、まさか、逮捕事実のような比較的軽微な「形式犯」の事件だけで、次期総理の最有力候補とされていた野党第一党の党首の公設秘書を逮捕することはあり得ない、次に何か実質を伴った事件の着手を予定しているのだろうというのが、検察関係者の常識的な見方だった。

「逮捕事実のみで起訴」はほぼ確実

 しかし、その後、新聞、テレビの「大本営発表」的な報道で伝えられる捜査状況からすると、他に実質的な事件の容疑が存在するとは思えない。態勢を増強して行われている捜査では、もっぱら東北地方の公共工事について調べているようだが、2005年の年末、大手ゼネコンの間で「談合訣別宣言」が行われて以降は、公共工事を巡る旧来の談合構造は解消されており、それ以降、ゼネコン間で談合が行われていることは考えにくい。それ以前の談合の事実は既に時効であることからすると、談合罪での摘発の可能性は限りなく小さい。

 また、いわゆる「あっせん利得罪」は、「行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせる」ことが要件であり、野党議員や秘書に関して成立することは極めて考えにくい。

 このように考えると、少なくとも、現在、検察の捜査対象となっている大久保容疑者の容疑事実は逮捕事実の政治資金収支報告書の虚偽記載だけと考えるのが合理的であろう。

 一方、逮捕事実について不起訴ということも事実上あり得ないであろう。建前上は検察が逮捕・勾留した場合でも不起訴という選択肢がないわけではない。しかし、検察が独自に捜査を行い、これだけ大きな政治的影響を生じさせた後に不起訴に終わったのでは、検察は重大な責任を問われることになる。検事総長の辞任に匹敵する大失態だ。そのような選択が容易にできるとは思えない。

 そう考えると、本日の勾留満期での大久保容疑者の処分は、逮捕事実だけで起訴(公判請求)になることがほぼ確実と言ってよいであろう。

 そこで、大久保容疑者の処分がそのような形で終わった場合に問題になる、今回の事件についての検察の説明責任について考えてみたい。

「検察に説明責任はない」との主張の誤り

 この点に関して、「検察に説明責任はない」と主張するのが検察OBの堀田力氏だ(3月20日付朝日新聞「私の視点」)。政治資金規正法違反は、汚職と同様に、国民の望む政治の実現のために重要な役割を担う「規制」の違反だから、検察は必要に応じて逮捕を行い法廷で容疑の全容を明らかにするだけでよく、それ以外のことを説明する責任はないというのだ。

 この見解は根本的に誤っている。政治資金規正法違反は、汚職と同列に位置づけられるものではない。「汚職」は、「金銭等の授受によって公務員の職務をゆがめた」という評価を伴うものであり、汚職政治家を排除すべきであることについては、当初から国民のコンセンサスが得られている。汚職政治家が多数いるのであれば、それを片っ端から摘発していくことが検察の使命と言い得るであろう。そして、その摘発の是非を判断するのは裁判所である。

 しかし、政治資金規正法は、政治資金を「賄賂」のように、それ自体を「悪」として規制する法律ではない。政治活動を、それがどのような政治資金によって行われているのかも含めて透明化して国民の監視と批判にさらし、それを主権者たる国民が判断する、という基本理念に基づく法律だ。「規制」ではなく「規正」とされているのも、政治資金を透明化によって正しい方向に向けようとする考え方に基づいている。

同法の理念の実現は、基本的には、法律の内容についての指導・啓蒙、適法性についてのチェック、収支報告書の記載に誤りがあった場合の自主的な訂正、それに対するマスコミや国民の批判などの手段に委ねられるべきであり、罰則の適用は、他の手段では法律の理念が達成できないような場合に限られるべきだ。歴史的に見ても、政治資金は徐々に透明化されてはきたものの、実態と法律の規定との間には相当大きなギャップが存在していたのが現実だ。違反が全くないと言い切れる政治家は少数なのではなかろうか。

 政治資金規正法違反を贈収賄と同列にとらえ、政治資金規正法に違反して政治資金の透明性を害した行為があれば、検察は、いかなる行為を選択して摘発することも可能で、それについて説明責任を負わないという考え方は、同法の理念に反するばかりでなく、検察の権力を政治より圧倒的に優位に位置づけることになりかねない。健全な民主主義の基盤としての権力分立の仕組みをも否定するいわば「検主主義」の考え方と言うべきであろう。

 今回の事件については、他の手段によって対処可能な単なる「形式犯」ではない、実質を伴った悪質な犯罪だと判断した根拠と基本的な考え方について検察に明確な説明が求められるのは当然だ。

検察は何を説明すべきか

 では、検察は、いかなる点について説明をすべきであろうか。

 何よりも、政治資金規正法という、罰則の適用の方法いかんによっては、重大な政治的影響を与え、まさに政治的権力を行使することにもなり得る法律についてどのような方針で臨んでいるのかについて、検察のトップである検事総長が、検察の組織としての基本方針を説明する必要がある。

 刑事事件について法と証拠に基づいて適切に捜査処理を行うという職務の性格上、個々の具体的事件についての判断を外部に説明することには制約がある。しかし、検察も国民の負託を受けて職務を行っている行政組織である以上、憲法が定める三権分立の枠組み自体にも影響を与えかねない政治資金規正法の罰則適用に関して基本方針を説明することは、当然の義務と言うべきであろう。

 とりわけ、本件の捜査に関しては、政治資金規正法の罰則適用が法の基本理念に反しているのではないかという重大な疑念が生じている。しかも、著名人であり社会的影響も極めて大きい検察OBの堀田氏が、上記のように、政治資金規正法を贈収賄と同様に位置づけ、その違反が認められる限り、検察は、必要に応じて逮捕を行い法廷で容疑の全容を明らかにすべきで説明責任すら負わない、という見解を新聞紙上で披瀝しているのである。検察が組織としてそのような見解を取っていないのかどうかを国民に対して明確に説明する必要がある。

 もし、堀田氏のような見解で政治資金規正法の罰則適用に臨むというのであれば、そのように強大な権限を検察に与えることについて国民の承認を受けなければならないはずであり、その点について、国会の場で検事総長が説明を行うことが必要であろう。

 堀田氏の見解とは異なり、筆者の言うように、他の手段では法律の目的が達せられない場合にのみ罰則を適用するという方針で臨んでいるということであれば、本件が、そのような場合に該当することについて、十分な説明が求められることになる。

 一般的には、捜査の秘密や公判立証との関係などから、現時点での個別具体的事件の内容についての説明には制約がある。しかし、罰則適用の前提となる政治資金規正法の解釈問題についての説明には何らの制約もないはずだし、事実関係についても、政治的に極めて重大な影響を与える事件であることを考慮すれば、具体的な支障を生じる恐れがない限り積極的に説明を行う必要があろう。一般的な刑事事件では、被疑者側のプライバシーの保護が、個別具体的な事件についての説明を拒否する主たる理由になるが、大久保容疑者が本件についてプライバシーの保護を求めることはあり得ないであろう。

 そこで、検察が説明すべき点とそれに関して問題となる点を指摘する。説明すべき点は、違反の成否に関わる問題、悪質性の評価に関わる問題、捜査の手続き・手法に関する問題の3つに整理できる。

違反の成否に関して説明すべき点

 違反の成否の問題で説明すべき第1のポイントは、本件の政治資金収支報告書の虚偽記載の事実について、検察が、どのような法解釈に基づいて「虚偽記載」と判断したのかである。

 私は、「政治資金規正法上、寄附の資金を誰が出したのかを報告書に記載する義務はない。つまり、小沢氏の秘書が、西松建設が出したおカネだと知っていながら政治団体の寄附と記載したとしても、小沢氏の秘書が西松建設に請求書を送り、献金額まで指示していたとしても、それだけではただちに違反とはならない。政治資金規正法違反になるとすれば、寄附者とされる政治団体が実体の全くないダミー団体で、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ」とかねて指摘してきた(3月11日の本コラム参照)。この点について、検察がどのような考え方に基づいて今回の事件の捜査・処理を行ったのかが問題になる。

 この点についての解釈が筆者と同様だとすると、第2のポイントは、この場合の「政治団体に実体がない」というのはどういう意味なのかである。

 新聞報道などでは、検察は「会員名簿の管理や、献金などの事務手続きを行わず、実際には西松社員が担当していたこと」で政治団体の実体がないと断定した(3月20日付産経)などとされているが、その程度で「実体がない」ということになると、全国に何千、何万と存在する、単なる政治献金のためのトンネルとしての政治団体や政党支部もすべて「実体がない」ことになり、その名義による政治献金を記載した収支報告書はすべて虚偽だということになる。この点について、明確な判断基準が示される必要がある。

 仮に、政治団体に実体がないということだったとしても、それを大久保容疑者が認識していなければ犯罪は成立しない。この点は、違反の成否に関する重要な問題点ではあるが、本件に関する個別具体的な事項なので、公判での立証において明らかにすべきであろう。

悪質性の評価に関して説明すべき点

 次に、事件の悪質性の評価に関する問題である。

 前に述べたような、政治資金規正法の目的・理念からすると、罰則の対象とされる違反は、収支報告書の訂正や改善指導などでは目的が達せられない悪質な違反に限られることになる。

 本件の寄附は収支報告書に寄附の事実は記載している「表の寄附」だ。収入の総額に誤りはないし、その寄附収入に見合う支出の内容も開示しなければならない。収入自体が秘匿され、支出にも全く制限が働かない「裏の寄附」とは大きな違いがある。

 そのような「表の寄附」について、単に名義を偽ったというだけの違反が、「裏の寄附」と同視できるほどに政治資金規正法違反として悪質と言えるとすれば、2つのポイントが立証される必要があろう。1つは、「表の寄附」であっても寄附の名義を偽っていることで実質的に「裏の寄附」と同様だと言えること、もう1つは、寄附の見返りとしての便宜供与の事実あるいはその可能性があったということである。

 本件に関しては、西松建設の名義を隠して政治献金を行ったことで、小沢氏側から何らかの便宜供与が期待できたのかどうか、つまり、本件に贈収賄的な要素があるのかどうかが問題になる。

そこで、第3のポイントは、「ダミー団体」名義であることが、本当に西松建設からの寄附であることを隠すことになっていたかどうかだ。この団体は、小沢氏側だけではなく、自民党の多数の政治家に対して寄附やパーティー券の購入を行っていたとされており、これらの政治家は皆、この団体が西松のダミーだということを知っていたはずだ。そういう団体の名義で小沢氏側に寄附をしていれば、少なくとも政治の世界や政治と関係が深い業界関係者にはバレバレで、西松建設の名義を隠匿する効果はあまりなかったのではないか。

 また、政治資金収支報告書の中には、この「ダミー団体」の所在地が、西松建設の本社所在地になっていたものもあったとのことだ(3月6日付朝日)。その事実は、その団体と西松建設が一体であったことを示す事実、つまりダミー性を裏づける事実ではあるが、他方で、収支報告書を丹念に見れば、実質的に西松建設からの寄附だということが他社にも分かってしまうことにもなる。そういう意味では名義を隠すという効果があまりなかったことを示す事実でもある。

 これらの疑問について検察の側の説明がないと、そもそも本件の「表の寄附」が、名義を隠すことによって、「裏の寄附」と同様に悪質な事案と言えるかどうかについて重大な疑念が生じることになる。

 第4のポイントは、政治献金の見返りとしての便宜供与の事実あるいは、便宜供与の可能性があったか否かだ。この点に関して、最近の新聞、テレビなどで、大手ゼネコンなど建設業者の一斉聴取が行われ、東北地方での公共工事の談合による受注について小沢氏の秘書の大久保容疑者が影響力を及ぼしたり、談合に関与したりして、西松の公共工事の受注に協力した、というような内容の多数の報道が行われた。

 このような形での便宜供与が、本件の政治資金規正法違反としての悪質性、つまり「贈収賄的な性格」を根拠づけるように報じられているが、それを便宜供与的な事実ととらえているのか、検察としての基本的な考え方を説明する必要があろう。

 この点に関して、野党側の小沢氏の秘書の大久保容疑者がなぜ談合による受注者の決定に影響力を及ぼすことができたのかについては重大な疑問があるが、個別の事実関係の問題なので、公判立証の中で明らかにすべき事項であろう。

捜査手続き・手法に関して説明すべき点

 上記のような法律解釈上の疑問点について考え方を明らかにし、悪質性の評価に関しても基本的な考え方を示したうえで、説明すべきもう1つの重要な事項がある。それは、この種の事案の捜査手続き、捜査手法について、基本的にどのような方針を持っているかである。これが第5のポイントだ。

 刑事事件の捜査においては、逃亡の恐れまたは罪証隠滅の恐れなど身柄拘束の「必要性」があって、しかも「相当性」がある場合に、被疑者の逮捕、勾留が行われる。その判断は、事案の重大性と身柄確保の必要性を勘案して行われる。

 本件の大久保容疑者の場合、「必要性」について言えば、逃亡の恐れは考えにくいし、前記の法律解釈に関して筆者の見解を取るとすれば、本件の最大の争点は「政治団体の実体がなかった」と言えるのかどうかという客観的な事実なのであるから、これについて罪証隠滅の恐れは考えられない。

 したがって、そもそも逮捕の必要性には疑問がある。これに加えて、「相当性」については、事案の重大性がその重要な判断要素となるが、果たして本件が悪質・重大な政治資金規正法違反と言えるかどうかについても、先に述べたような重大な疑念がある。

これらの点を踏まえて、本件で、総選挙を間近に控えた時期に、野党第一党の代表の秘書をいきなり逮捕するという捜査手法が相当であり、任意で取り調べて弁解を十分に聴取したうえで、必要に応じて政治資金収支報告書の訂正を行わせるという方法では政治資金の透明化という法の目的が達せられない事案であったことを説明することが必要になる。

検察が説明責任を果たすことの意義

 一般的には、検察は捜査処理について説明責任を負うことはない。起訴した事件については、公判で主張立証を行い、その評価は裁判所の判決に委ねられる。また、不起訴にした事件について不服があれば検察審査会への申し立てという手段が用意されている。

 今回の事件について検察の説明責任が問題になっているのは、政治資金規正法という運用の方法いかんでは重大な政治的影響を及ぼす法令の罰則の適用に関して、不公正な捜査、偏頗な捜査が行われた疑念が生じており、同法についての検察の基本的な運用方針が、同法の基本理念に反するものではないかという疑いが生じているからだ。

 検察は、そのことの重大さ、深刻さを認識し、誠実に、真摯に説明責任を果たすべきだ。その説明が国民に納得できるだけのものでない場合には、不公正で偏頗な捜査が行われた疑いが一層顕在化することになる。検察は、その責任を正面から受け止めなければならない。

 もし、この点について説明責任が果たされることなく、今回の捜査による影響が日本の政治状況や、世論の形成に重大な影響を与える結果が生じた場合、それは、1つの司法行政機関によって、国や社会に対して一種の「テロ」が行われたのに近い効果を生じさせたということになろう。

 検察の説明を直接受けて報道する立場にあるのがマスコミ、とりわけ、司法担当記者だ。何ゆえに検察に説明責任が求められるのか、いかなる点について、いかなる問題を意識した説明が行われる必要があるのかを十分に理解認識したうえ、納得できるだけの説明を求め、その説明を客観的に評価して報道することが、民主主義の砦となるべき言論機関、ジャーナリズムの使命だ。

 そして、注目されるのが、民主党、自民党が、検察の説明責任の問題にどう対応するかだ。まさに民主主義政党としての両党の正念場だと言えよう。

 民主党は、小沢代表の進退を巡って党内で意見が対立し内紛の恐れをはらむ。一方自民党側には、二階氏をはじめ、本件と同様の手法で検察の摘発を受けることを懸念する議員が多数いるため、検察の捜査の前に足がすくんでいるというのが現状だ。

 しかし、両党は、今回の事件についての検察の説明責任の問題が、民主主義の根幹に関わる問題であることを改めて認識する必要がある。本当の意味での民主主義政党と言えるか、その真価が問われている。

 「実体のない政治団体」についての検察の説明いかんでは、政治資金規正法によって検察が摘発し得る範囲は無限に広がる。そのような団体から政治献金を受けた政治家は、いつ何どき検察の摘発を受けるか分からない。実際に摘発されなくても、それは検察に「お目こぼし」をしてもらっているだけであり、まさに、検察が政治に対して圧倒的に優位に立つということに他ならない。

 これまで、政治資金規正法の基本理念である政治家の自主自律による政治活動と政治資金の透明化への取り組みは極めて緩慢なものだった。そのため、度重なる「政治とカネ」を巡る問題が発生し、その度に国民の強い政治不信を招き、最終的に、今回のような検察の捜査が行われる事態を生じさせることにつながった。

 両党の政治家は、まず、そのことを痛切に反省し、政治資金の「規正」の在り方全体について抜本的な見直しに取り組むべきだ。そのためにも、今回の事件についての検察の説明責任の問題から目をそらしてはならない。

「ガダルカナル」化する特捜捜査
「大本営発表」に惑わされてはならない
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090315/189047/

民主党小沢代表の公設第一秘書の大久保氏が東京地検特捜部に、政治資金規正法違反(政治資金収支報告書の虚偽記載罪)の容疑で逮捕されてからおよそ2週間。衆議院議員総選挙を控え、極めて重大な政治的影響が生じるこの時期に、比較的軽微な政治資金規正法違反の事件で強制捜査に着手した検察側の意図、捜査の実情、今後予想される展開が、おぼろげながら見えてきた。

捜査は当初から想定された展開ではない

 この時期に検察があえて強制捜査に着手したことについて、「国策捜査」などの見方もあったが、どうやら、今回の検察の強制捜査着手は、これ程までに大きな政治的影響が生じることを認識したうえで行われたのではなく、むしろ、検察側の政治的影響の「過小評価」が現在の混乱を招いているように思える。

 その推測の根拠は、今回の強制捜査着手後に、東京地検の特捜部以外の他の部のみならず、全国の地検から検事の応援派遣を受けて行われている事実だ(3月8日付毎日)。

 検事の異動の大半は、定期異動で行われる。全検事のうちの3分の1近くが一斉に異動する年度末を控えたこの時期、事件の引き継ぎの準備を行いながら、捜査・公判の日常業務を処理しなければならない全国の地検はただでさえ多忙だ。そのような時期の応援検事派遣には検察部内でも相当な抵抗があるはずである。

 ましてや、今年5月には裁判員制度の施行を控えており、検察は、この制度を円滑に立ち上げることに組織を挙げて取り組んできたはずだ。この時期、定期異動に伴う繁忙を克服して、裁判員制度開始に向けての総仕上げを行うことが、裁判員制度導入の中心となってきた樋渡利秋検事総長の下の検察にとって、何はさておいても優先させなければならない事柄だったはずだ。

 そのような時期に、今回の特捜捜査に大規模な戦力投入が行われていることで、検察の他の業務に重大な影響が生じていると思われる。特捜部が担当する脱税事件、証券関係の事件の捜査処理の遅延だけではなく、裁判員制度の対象となる一般刑事事件を扱う検察の現場も相当な影響を受けているであろう。

 今そういう事情がありながら、あえて応援検事派遣も含む捜査体制の増強を行ったのであれば、よほどの事情があるからであろう。それは、強制捜査に着手したところ、民主党サイドの猛反発、強烈な検察批判などによって、予想外に大きな政治的・社会的影響が生じてしまったことに驚愕し、批判をかわすため、泥縄式に捜査の戦線を拡大しているということではないか。当初から、他地検への応援要請が必要と考えていたのであれば、強制捜査着手を別の時期に設定していたはずだ。

 民主党サイドだけへの偏頗な捜査と言われないように自民党議員にも捜査対象を拡大させる一方、小沢氏側に対しても、何かもっと大きな容疑事実をあぶり出すか、秘書の逮捕事実が特に悪質であることを根拠づけることが不可欠となり、その捜査のために膨大な人員を投入しているというのが実情だろうと思われる。

「大本営発表」を垂れ流す新聞、テレビ

 では、このような東京地検特捜部の捜査は、果たしてうまくいくのであろうか。

 3月11日の記事でも述べたように、今回、逮捕容疑の政治資金規正法違反事件には、「寄附者」をどう認定するかという点に関して重大な問題がある。献金の名義とされた西松建設のOBが代表を務める政治団体の実体が全くないということでなければ、大久保容疑者が西松建設の資金による献金だと認識していても収支報告書の虚偽記載罪は成立しない。そして、政治団体には実体が存在するかどうか疑わしいものが無数に存在するのであり、新聞では報じられていないが、この政治団体には事務所も存在し、代表者のOBが常駐し、一応活動の実態もあったという情報もある。団体としての実体が全くなかったことの立証は容易ではなさそうだ。

 もちろん、資金の拠出者の企業名を隠して行われる政治献金が、政治資金の透明化という法の趣旨に反することは明らかだが、そのことと犯罪の成否とは別の問題だ。とりわけ、政治に関する事件の処罰は厳格な法解釈の制約内で行わなければ、検察の不当な政治介入を招くことになる。

それに加え、自民党サイドへの捜査も、逮捕事実の悪質性を根拠づけるための捜査も順調に進んでいるとは到底思えない。特捜部の捜査は、戦略目的も定まらないまま、兵力を逐次投入して、米国軍の十字砲火の中に白兵銃剣突撃を繰り返して膨大な戦死者を出し、太平洋戦争の戦局悪化への転換点となったガダルカナル戦に似た様相を呈している。

 こうした状況の下で、新聞各紙は連日、1面トップで、今回の事件の捜査の展開や見通しを報じている。従来は、特捜事件に関する報道が「検察リーク」によるものと批判されてきたこともあって、記事は、「関係者によると」としたうえで、被疑者側の犯罪性や悪性に関する事実が述べられ、そこには「東京地検特捜部もこの事実を把握しているもよう」とつけ加えられるというのが、一つのお決まりのパターンだった。捜査機関側ではなく、被疑者側などの関係者への独自取材によって事実を把握し、その事実を捜査当局が把握していることも関係者側から聞いた、という前提の記事だ。被疑者側が自らに不利なことをベラベラしゃべり、また、それを特捜部側が把握していることまで教えてくれるということは考えにくいことだが、こうすれば一応外形的には「検察リーク」が否定できる。

 ところが、今回の事件の報道はやや雰囲気が異なる。新聞、テレビの特捜捜査報道では、「特捜部は…の調べを進めるとみられる」「特捜部は…と見ているもようだ」というような表現が目立つ。特捜部の捜査の意図・目的を推測しているような表現だが、何を根拠に推測しているのかはよく分からない。単なる憶測では記事にはならないはずであり、記事にするだけの根拠があるとすれば特捜部側に何らかの確認を取っていると考えるべきであろう。まさに「なりふり構わず」という感じで、検察当局側からの情報が垂れ流されているようだ。

 このような報道は、ある意味では捜査の動きを国民に伝えることにつながっていることも確かであり、捜査の動きが全く報じられないよりはましと言えなくもない。しかし、質問・疑問に答えることも、批判・反論を受けることもないという点では、捜査機関側の会見などの正式な広報対応に基づく報道とは決定的に異なる。当局にとって都合の良い情報だけが一方的に報じられるという点で、むしろ、戦時中の「大本営発表」とよく似ていると言うべきであろう。

捜査の現状と見通しを検証することが必要

 太平洋戦争中の日本では、連日、「大本営発表」によって、帝国陸海軍の戦果ばかりが報じられた。ミッドウェー海戦での海軍の大敗、ガダルカナル戦での陸軍の大敗を機に戦局が急速に悪化していることは全く報じられなかった。

 そして、大本営発表による華々しい戦果ばかりを聞かされていた日本の国民は、戦況を客観的に認識することもできず、「帝国陸海軍の不敗神話」を信じ破滅的な敗戦に巻き込まれていった。

 日本は、その敗戦から復興し、奇跡の経済成長を遂げ、世界第2位の経済大国となったが、昨年秋以来の未曽有の経済危機によって、経済の基盤が根底から揺らぐ深刻な事態に陥っている。そうした中で行われている今回の特捜捜査は、経済対策を主導すべき政治の世界を大混乱に陥れているだけでなく、バブル経済崩壊後の最安値を更新した証券市場の下落などの経済問題から国民の目をそらす結果にもなっている。

 政治の世界の透明化を目的とする政治資金規正法違反の事件の捜査を、重大な政治的影響を与えつつ行っているのだから、捜査機関の側にも可能な限り透明化、説明責任を果たすことが求められるのが当然だ。しかし、残念ながら、現在まで検察はその責任を全く果たしておらず、その代わりに行われているのが、捜査の成果を一方的に報じる「大本営発表」だ。そうであるのなら、その「大本営発表」を客観的に分析し、捜査の現状と見通しを可能な限り検証してみることが必要であろう。

二階氏側への捜査には政治資金規正法の「大穴」

 まず、二階氏側に対する容疑事実の1つは、派閥の政治資金パーティー券を西松建設のOBが代表を務める政治団体の名義で購入していた問題だ。これについては、今回の逮捕容疑の小沢代表側への寄附と同様の問題がある。政治資金規正法は、資金の拠出者の公開までは求めていないので、西松建設が政治団体の名義でパーティー券を購入したとしても、ただちに違法となるわけではない。その政治団体が全く実体のないダミーで、しかもそれを二階氏側が認識していたことが立証できなければ違反には問えない。

二階氏側への「裏金供与疑惑」問題も報じられた。3月8日付の毎日新聞は、西松建設が「二階俊博経済産業相側に直接、現金を提供していた疑いがあることが、関係者への取材で分かった。政治資金収支報告書には記載されていない『裏献金』の可能性もあるとみられる」と報じている。この事実は最も悪質な政治資金規正法違反として立件可能と思われるかもしれない。

 しかし、そこには政治資金規正法の「大穴」が立ちはだかる。それは、政治家側に直接渡った裏金について、政治資金規正法違反の事実をどう構成するかという問題だ。

 政治資金規正法は、政党や政治団体の会計責任者に政治資金収支報告書の作成・提出を義務づけている。国会議員であれば、個人の政治資金管理団体のほかに、代表を務める政党支部があり、そのほかにも後援会など複数の政治団体があるのが一般的だ。このような政治家が、企業側から直接政治献金を受け取ったのに、領収書も渡さず、政治資金収支報告書にも全く記載しなかったとすれば、政治資金の透明化に露骨に反する最も悪質な行為だ。

 しかし、このような「裏献金」の事実について政治資金規正法違反で刑事責任を問うとすれば、どう構成すれば良いのか。違反事実として考えられるのは、企業等は政党または資金管理団体以外に対して寄附をしてはならないという規定に違反する寄附を受領した事実か、受領した寄附を収支報告書に記載しなかったという虚偽記載の事実だ。その「裏献金」が、政治家個人に宛てたものか、資金管理団体、政党支部などの団体に宛てたものかがはっきりすれば、政治資金規正法のどの規定に違反するのかが特定できる。しかし、裏金は、最初から寄附を表に出すことを考えていないのだから、政治家個人宛か、どの団体宛かなどということは考えないでやり取りするのが普通だ。結局、「政治資金の宛先」が特定できないので、政治資金規正法違反の事実が構成できず刑事責任が問えないのだ。

 自民党長崎県連事件の場合は、「裏献金」が、正規に処理される「表の献金」と同じ形態で授受されていたので、個人ではなく県連宛の寄附と認定することが容易だった。しかし、政治家個人が単独で受け取った場合のように、政治資金の宛先がはっきりしない場合には、違反事実の特定は困難だ。

 同じ政治献金でも、職務権限との関係が立証できないために賄賂にならない「贈収賄崩れ」のような裏金のやり取りは、政治資金の透明化という法の趣旨から言うと最も悪質な行為であるにもかかわらず、違反の立件が著しく困難なのだ。

 かねて政治資金規正法は「ザル法」だと言われてきた。しかし、実は、そのザルの真ん中に「大穴」が空いているのだ。政治資金規正法の罰則は、刑事処罰の一般的な考え方になじまない面がある。悪質な違反行為の一部に例外的に適用できる武器でしかない。

 このような立件の困難さがようやく認識されたためか、二階氏側への裏金寄附に関する記事は、その後はほとんど報じられていない。自民党サイドへの捜査の展開は著しく困難な状況になっているものと考えられる。

ゼネコン捜査は無謀な「白兵突撃」

 それに代わって、にわかに活発になったのが、東京地検特捜部が東北地方の大手ゼネコンなどの一斉聴取に乗り出したことを報じる「大本営発表」だ。3月12日には、「東北の業者一斉聴取」(朝日)、「ゼネコン数社を聴取」(読売)などの見出しの記事が一面トップを飾っている。

 これらの記事によると、代金の水増し支払いなどでゼネコン側が資金を負担して下請け業者に献金をさせる「迂回献金」が小沢氏側に行われており、その背景に公共工事を巡る談合構造が存在したとのことだ。これらの捜査の意図はどこにあるのだろうか。

 まず、この「迂回献金」や公共工事を巡る談合などに関する小沢氏側の新たな犯罪事実を立件できる可能性はほとんどないと言ってよいだろう。

「迂回献金」は、政治資金の寄附行為者の開示だけが義務づけられ、資金の拠出者の開示を求めていない現在の政治資金規正法上は違法ではない。また、2005年の年末、大手ゼネコンの間で「談合訣別宣言」が行われ、2006年以降は、公共工事を巡る談合構造は一気に解消されていった。現時点では2006年3月以前の談合の事実はすべて時効が完成しているので、談合罪など談合の事実自体の立件は考えにくい。また、談合構造を前提にした「口利き」などでのあっせん利得罪の時効期間も同じであり、立件は考えられない。

 そうなると、今回の建設業者への捜査は、新たな犯罪の立件のためではなく小沢氏の秘書の逮捕事実の悪性を根拠づける証拠の収集のための捜査としか考えられない。

 実際に、それ以降の新聞記事には、「特捜部は、西松建設による違法献金の背景にある、東北地方の談合構造を調べている」(3月14日付読売)、「東京地検特捜部は、ゼネコン各社も同じ趣旨で代表側に献金を続けていた疑いがあるとしてダム工事をめぐる受注経緯の解明を捜査の焦点の一つとしている模様だ」(同日付朝日)などと、捜査の目的が談合構造の解明、とりわけダム工事と政治献金との関係の解明にあることが報じられている。

 中には、「小沢代表はこれまでの記者会見などで、『公共工事について、口利きやあっせんを行った事実は一切ない』などと話している」(3月14日付読売)と、わざわざ小沢氏の会見での言葉を引用して、小沢氏の特捜捜査批判の矛盾を強調したり、「ゼネコン関係者は『東北の公共工事で小沢事務所の影響力は絶大。大久保さんが了承しないと、チャンピオンは最終決定とはならなかった』と証言している」(14日付産経)などと、既に、特捜部が小沢事務所の談合受注への影響力の解明という「大戦果」を挙げたように報じている記事もある。

 これらの「大本営発表」によれば、今回の大手ゼネコンなどへの一斉聴取の目的は、東北地方の公共工事を巡る談合構造の下での受注者の決定に大久保容疑者が強い影響力を持っていたこと、小沢氏側への政治献金は、談合受注の見返りの趣旨だったことを明らかにすることで、逮捕容疑となった西松建設側からの政治献金が実質的に贈収賄に近いものだったという事件の悪性を立証することにあるようだ。

単純ではない談合受注の構造

 しかし、前に述べたように、そもそも、この政治献金が違法と言えるかどうかに重大な問題があることに加えて、仮に違法であったとしても、3月11日の記事でも述べたように、談合受注の構造は決して単純なものではない。

 ゼネコン間の談合構造の下での公共工事の受注者決定は、受注希望の有無、技術力、経営規模、同種工事や近隣工事の受注実績、発注者への協力の程度など様々な要因を考慮し、さらに、自治体の首長や有力政治家の意向なども考慮して受注予定者を絞り込んでいくという複雑なメカニズムだった。この中での個別の工事の受注と、個別の政治献金との対価関係は、必ずしも直接的なものではない。

 朝日新聞などでは岩手県内のダム工事の一部を西松建設が受注したことと逮捕容疑の小沢氏側への政治献金の関係を問題にしているが、国土交通省発注の工事について、発注者側への影響力を有しているとは思えない野党側の小沢氏側に、果たして、談合による受注者の決定に影響を及ぼすことが可能なのであろうか。しかも、このダムは総工費2000億円を超える巨大なダムであり、10年以上も前からの企画・設計の段階で、ゼネコン側から発注者への協力が行われ、その積み重ねが落札につながる。入札に近い時期の政治献金が直ちに受注に結びつくような単純な話ではない。

談合受注に影響力を与え得るのは、基本的に「客先意向」つまり、発注官庁側から何らかの意向が示された場合だ。政治家の「口利き」の影響力も発注者側への働きかけを通して及ぼされるのが通常だ。小沢氏側がその「客先意向」に影響を及ぼし得るとすれば、まず考えられるのは地元の岩手県だが、当時の県知事の増田寛也氏(前総務大臣)が、地元紙の取材に対し、「2期目(1999年~2003年)以降は小沢氏との関係が疎遠になり話もほとんどしていない」といった趣旨のことを述べている(3月16日付岩手日報)。岩手県での発注者への「口利き」の立証は極めて困難だ。

 小沢氏側が、西松建設だけではなく、他の大手ゼネコンからもかなりの額の政治献金を受けることができたのは、岩手県を中心に地域社会での有力者だったことによるものであろう。地域の有力者には、「あいさつ」をして、つながりを保っておくことで、受注の邪魔をされないようにする必要があり、そのために、「保険料」的な意味で政治献金を行ったというのが実態であろう。

捜査の早期終結と政治資金の透明化に向けて取り組みを

 このように考えると、東北地方のゼネコン関係者の一斉聴取によって、逮捕容疑の政治資金規正法違反の悪性の立証につながる証拠の収集に関して具体的な「戦果」が挙がっているとは考えられない。

 しかも重要なことは、ゼネコン間の談合構造は2006年以降解消され、その後は、むしろ、猛烈なダンピング競争になっているということだ。「過去の遺物」となった談合構造を、3年以上も経った今になってあたかも現在も続いているかのように問題にされるのは、経済危機による深刻な経営悪化に直面する大手ゼネコンにとって迷惑極まりない話だ。

 今回の特捜捜査は、政治的にも極めて重大な影響を生じさせているだけでなく、経済社会的にも深刻な影響を与えている。しかも、裁判員制度の施行を控えた時期に、膨大な人員が今回の事件の捜査に投入されることは、制度の円滑な施行に向けての総仕上げの準備業務にも影響を生じさせることになりかねない。

 私は決して裁判員制度に賛成ではないし、これまで、様々な形で反対の意見を表明してきた(「裁判員制度が刑事司法を崩壊させる」など参照)。しかし、そのような反対意見にも全く耳を貸さず、ここまで裁判員制度の導入に向けて突き進んできたのが検察だ。制度の施行まで2カ月、もはや導入がどうしても回避できないところまできたのであれば、せめて制度導入のために最後まで最善の努力を尽くしてほしい。今になって「裁判員制度などそっちのけ」で今回の事件に膨大な労力をかけるのは、あまりに無責任ではないか。

 ガダルカナルの緒戦、わずか2000名の一木支隊は、帝国陸軍の伝統的戦法である「白兵銃剣による突撃」をもってすれば米軍の撃破は容易だと信じて1万3000人の兵力の米軍基地に突撃し、ほとんど全滅した。しかし、「帝国陸軍の不敗神話」を信じた日本軍は、兵力を逐次投入し、2度にわたる総攻撃を行って惨敗を喫し、その後も撤退の決断が遅れたために膨大な数の兵士が島に取り残されて餓死した(『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』戸部良一ほか)。

 そして、ようやく日本軍が撤退の決断をした際、大本営発表は次のように報じた。

 「ソロモン群島のガダルカナル島に作戦中の部隊は昨年8月以降、激戦敢闘克く敵戦力を撃摧しつつありが、その目的を達成せるにより、2月上旬同島を撤し、他に転進せしめられたり」

 今回の事件の捜査の経過と現状が、これまで述べてきた推測の通りなのであれば、展望のないまま捜査をこれ以上長期化・泥沼化させることは絶対に避けなければならない。それは、ただでさえ政治、経済の両面で危機的な状況にある日本を一層深刻な状況に陥れることになりかねない。

 検察は、「特捜不敗神話」へのこだわりを捨てて事件を早期に決着させ、今回の捜査の目的と経過について国民に説明責任を果たすべきだ。そして、政治の世界では、この事件を機に、与野党ともに政治資金の現状についての自主的な調査を行うこと、政治資金規正法の「大穴」をふさぐための立法措置を行うことなど、政治資金の透明化に向けての具体的な方策を講じ、極限に達している政治不信の解消に努めるべきだ。

代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問
民主党は率直に反省し、政治資金透明化の好機とせよ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090310/188674/

遅くとも半年余り先には「天下分け目」の衆議院議員総選挙が確実に行われるという時期に、世論調査では、次期総理候補の人気で麻生首相を圧倒的にリードしている民主党小沢一郎代表の公設第一秘書が、東京地検特捜部に逮捕され、日本中に大きな衝撃を与えた。

 容疑は、政治資金規正法違反。小沢氏の資金管理団体である陸山会が、西松建設から政治資金の寄附を受け取ったのに、それを同社のOBが代表を務める政治団体からの寄附であるように政治資金収支報告書に記載したことが虚偽記載に当たるというものだ。

 これに対して、小沢氏側は、記者会見で、容疑を全面的に否定、検察の捜査が不公正だと批判、民主党側からは「国策捜査」との批判も行われた。その後、小沢氏の会見での発言内容に反する事実が各紙で大きく報じられたこともあって捜査批判はトーンダウンしつつあったが、内閣官房副長官が「自民党側には捜査は及ばない」と発言したことが問題になったこともあって国策捜査批判が再燃。検察は、他地検の検事も増員して同じ政治団体から寄附等を受けていた自民党側議員にも捜査の対象を拡大すると報じられている。

 100年に1度とも言われる経済危機が深刻化する最中、政治を大混乱に陥れている今回の事件だが、検事時代、自民党長崎県連事件など多くの政治資金規正法違反事件を捜査してきた私の経験からすると、今回の検察の捜査にはいくつかの疑問がある。

 しかし、小沢氏はその問題とは切り離して今回の問題について率直に反省し、民主党は政治資金の透明化に向けて新たな取り組みをしていく好機と捉えるべきである。

違反の成立に問題はないのか

 まず、小沢氏側の会計処理が本当に政治資金規正法違反と言えるのかどうかに問題がある。

 この法律では、「寄附をした者」を収支報告書に記載することとしており、陸山会の収支報告書では西松建設のOBが設立した2つの政治団体が寄附者として記載されている。その記載が虚偽だというのが今回の容疑だが、政治資金規正法上、寄附の資金を誰が出したのかを報告書に記載する義務はない。つまり、小沢氏の秘書が、西松建設が出したおカネだと知っていながら政治団体の寄附と記載したとしても、小沢氏の秘書が西松建設に請求書を送り、献金額まで指示していたとしても、それだけではただちに違反とはならない。

 政治資金規正法違反になるとすれば、寄附者とされる政治団体が実体の全くないダミー団体で、しかも、それを小沢氏側が認識していた場合だ。捜査のポイントはこの点を立証できるかどうかだが、全国に数万とある政治団体の中には、政治資金の流れの中に介在するだけで活動の実態がほとんどないものも多数ある。西松建設の設立した政治団体が全く実体がないダミーと言えるのかは、微妙なところだ。

 もちろん、政治資金の流れの透明性を高めるという政治資金規正法の目的から考えると、実質的な拠出者も収支報告書に記載して公表するのが望ましいことは確かだが、政治資金の規正は、ヤミ献金をなくし、収入の総額を正確に開示することを中心に行われてきたのが現実で、資金の実質的拠出者の明示の公開とは程遠い段階だ。法律の趣旨を達成するために今後実現していくべきことと、現行法でどこまで義務付けられ、罰則の対象とされているのかということとは別の問題だ。

小沢氏が会見で「資金の出所は詮索しない」と発言したこともあって、資金が西松建設から出ていることを小沢氏側が認識しているかどうかに関心が集中し、あたかもそれが捜査のポイントであるように報じられているが、違反の成否という点からすると、問題は、政治団体が実体のないダミーと言えるかどうか、それを小沢氏側が認識しているかどうかだ。

事件の重大性・悪質性はこの時期の摘発に値するものか

 今回の事件は、総選挙を控えた時期に次期首相の筆頭候補と言われていた野党第一党党首の秘書を逮捕することで重大な政治的影響を及ぼした事件だ。この事件は、こうした重大な影響を生じさせてまで強制捜査に着手すべき事件と言えるのか。

 これまで政治資金規正法で摘発されてきた事件は、違反の態様が特に悪質か、金額が多額か、いずれかであった。

 政治資金規正法は、昔はほとんど形骸化していた。1990年代までは、政治資金規正法のルールを完全に守っている政治家などほとんどいなかったのではないか。2000年以降、政治とカネの問題が取り上げられる度に、政治資金の透明化の要求が高まり、少しずつではあるが透明化の方に向かってきた。

 今回の容疑事実の大部分は2003年から2004年にかけてだが、ちょうどこの時期に摘発された自民党長崎県連事件、日歯連事件、坂井隆憲代議士事件などと比較すると、寄附の総額が4年間で2100万円、しかも、すべて表の寄附で、その寄附の名義を偽った疑いがあるというだけの今回の事件は、規模、態様ともに極めて軽微であることは否定できない。むしろ、この当時の政治献金は、大手ゼネコンから政党や政治家への寄附は、自社の名義で行われるとは限らず下請業者、取引先業者に行わせたり、今回の事件のように政治献金をするための政治団体を設立して行ったりしていたものも多かった。

 しかも、このような政治献金の見返りとして個別の工事の受注が可能になるような場合であれば、職務権限の関係で贈収賄にはならなくても、一つの悪質性の要素になると言える。しかし、具体的な公共工事の受注との間に直接的な対価関係があるかというと、それはほとんどないというのが実情だった。

 業者間の話し合いや情報交換が行われて、その中でどこかの特定の会社に受注予定者が絞り込まれていくのがゼネコン間の談合システムだった。技術力や実績、工事の特性、発注者側への事前協力の有無など、いろいろなことを考慮して受注予定者を1社に絞り込んでいく。その過程で、発注者側の有力者や、地域の有力者などにも、受注業者となることについて了解を得て、関係者すべてのコンセンサスを得ておく必要があった。それをやっておかないと、入札直前になって横やりを入れられ、そのコンセンサスが崩れてしまう恐れがある。そうすると、せっかくの苦労が水の泡になり、入札前に施工の準備まで整えていたのに、すべて無駄になってしまう。

 そこで有力者にはいろいろなところに目配りをして挨拶をして、最後の最後に、文句を言われないようにしないといけない。そういう挨拶の構図が重畳的に出来上がっているというのが一般的だった。その有力者については、与党の県連の幹事長が力を持っていたり、あるいは議長が力を持っていたり、知事が力を持っていたり、あるいは有力代議士が力を持っていたりなど、いろいろだ。しかも、それは業界内で有力者と認識されているだけで、本当に力を持っているかどうかは分からない。受注業者側は「保険料」のつもりで、有力者と思えるところに挨拶に行き、求められればお金も持っていくという世界だった。そういう談合の構図なので、いくら調べても直接的な対価関係は出て来ない。

 そういう構造というのは、当時はほとんど全国共通だったと考えられる。政治献金というのが特定の工事における受注の対価だということ、対価の明確性を持っているということはあまりない。本件についても、ダム工事を西松建設が受注していたことと政治献金との直接的な対価関係があるとは考えにくい。しかも、小沢氏は、この当時、自由党の党首から民主党との合流で民主党副代表になった時期、国発注のダムについて発注者側に対する影響力があるとは考えられない。有力者と言っても、工事を円滑に進めていくための地域のコンセンサスを得るための挨拶の一環と考えるのが自然だろう。

2005年末の談合排除宣言によってゼネコン間の談合構造が解消され、政治献金をめぐる構図も大きく変わっていった。それ以前の過去の時点に遡れば違法の疑いがある政治献金は相当数あるはずだが、こうした過去の一時期に形式的に法に違反したというだけで摘発できるということになると、検察はどの政治家でも恣意的に捜査の網にかけることが出来てしまう。政治資金規正法で摘発する事件は、他の政治家が一般的に行っているレベルよりも明らかに悪質性が高い事案、収支報告書の訂正などでは済まされないような事案でなければならない。

 新聞報道などでは、事件の悪性を可能な限り強調しているように見えるが、そのような報道を見る限りでも、今回の事件が、このような時期に、重大な政治的影響を与えてまで強制捜査を行うべき悪質・重大な政治資金規正法違反とは思えない。

小沢氏・民主党側の対応は適切だったか

 小沢氏は、今回の秘書逮捕を受けて、翌日、記者会見を行い、検察の捜査を「従来のやり方を超える異常な手法。政治的にも法律的にも不公正な国家権力、検察権力の行使」と批判し、秘書の政治資金規正法違反の事実に関して、「政治団体からの献金と認識しており、金の出所を詮索することはない」と言って、容疑を全面的に否定した。これを受けて、民主党の鳩山幹事長も、「国策捜査のような雰囲気がする」などと検察を批判した。

 これらの対応が、今回のような事件で秘書が逮捕され、政治生命にも関わる重大な危機に直面した時の野党党首の対応として適切だったと言えるであろうか。

 まず、検察の捜査を「異常な手法、不公正」と批判した点である。鳩山幹事長の「国策捜査」発言と相まって、民主党全体が、検察捜査を批判し全面対決をしようとしている印象を与えることになった。予想していなかった秘書の逮捕で精神的に動揺し、感情的になっていたのかもしれない。しかし、「国策捜査」というのが政府・与党と結託して政治的意図で捜査を行うことという意味であれば、検察がそのような捜査を行うことはあり得ない。検察自身の捜査方針が政治的意図に影響される余地が全くないとまで断言はできないが、その点は、摘発された事件の中身が明らかになってから、具体的に問題を指摘すべきだ。強制捜査着手直後の段階で「国策捜査批判」を展開することは、そのような不当な捜査が一般的にもあり得るという前提で批判しているように受け取られかねない。

 同様に、不適切であったのは、「金の出所を詮索することはない」と述べた点である。企業が資金を出して政治献金を行う場合、その企業からのものであることを政治家の側に認識してもらわなければ献金する意味がない。政治団体の政治献金の資金の拠出者が西松建設だったのであれば、少なくともその点についての認識があると考えるのが常識であろう。その常識に反する弁明をしたために、その後、新聞で、秘書と西松建設側が直接献金先についての話をしていたことなど、弁明を覆す事実が指摘され、イメージを悪化させることにつながった。

 しかも、前に述べたように、政治資金規正法違反の成否のポイントは、西松建設が資金の拠出者であったことの認識があったかどうかではない。政治団体が実体のないダミーであったか否か、その点について小沢氏側に認識があったか否かなのである。会見での小沢氏の弁明が、議論の焦点をそのポイントからずらすことにつながった。

このような小沢氏の不適切な対応に同調したために、民主党全体に対する国民のイメージも少なからず悪化することになった。対する麻生内閣の方も、あまりに不人気であることから、支持率の極端な悪化にはつながっていないが、そうでなければ、与野党の支持率の関係に決定的な影響を及ぼしかねない対応であった。

民主党は今後どうすべきか

 では、今後、民主党は、どうすべきか。

 ここで何より重要なことは、政治資金規正法違反の成否という法的責任の問題と、「政治資金の透明化」に向けての政党としての取り組みの問題とを区別することだ。

 検察の摘発は、厳格な法解釈により、しかも厳正中立、不偏不党の姿勢で行われなければならないことは言うまでもない。今回摘発された事件が本当に違法だと立証できるのか、それが強制捜査、逮捕という手法が事件の中身と比較して適切か、という点に疑問の余地があることは既に述べたとおりである。しかし、それは、検察の責任において明らかにすべき事柄であり、そのことと、民主党という政党が、政治資金の透明化に対してどのような姿勢で、どのような取組みをすべきかとは別問題である。

 今回問題にされている政治献金について、小沢氏側が西松建設からの資金と認識していたとしても、それだけでは違法とは言えない。しかし、それは、与党も含む政治家の政治資金処理の実情が、まだまだ透明とは到底言えない現状の下で、政治資金規正法という法律による規正のレベルが、その程度にとどまっているということであって、この数年、野党第一党として、政治資金の透明化を一層進める取り組みをしてきた民主党が「違法でなければよい」などという考え方で対応してもよいということでは決してない。

 民主党は、党首の政治資金に関して検察の摘発を受けたことを機に、全議員の政治資金に関して、政治献金の実質的な拠出者を明らかにするための緊急調査に着手し、その結果を国民に開示すべきである。そして、国会議員に、寄附の受領又は政治資金パーティーの購入に当たって資金の拠出者を確認する義務を課す政治資金規正法の改正を政権公約に掲げるべきである。それが、民主党にとって「法令遵守」から脱却し、「社会的要請に応えること」に向けての行動と言えるであろう。

「公共工事受注企業からの政治献金の全面禁止」はどこへ

 今回の事件の政治献金が行われたのと同時期の2003年の早春、長崎は燃えていた。

 検事の数が野球チームにも満たない日本最西端の中小地検、長崎地検が、全庁一丸となって取り組んだ半年にわたる検察独自捜査。その苦闘の末にたどりついたのが、自民党長崎県連事件だった。県連幹事長らによるゼネコン各社への県発注工事の受注高に応じた露骨な寄附要求の実態を明らかにし、政党への政治献金に対するものとしては史上初めての公選法の罰則適用を行い、直前に議員辞職していた県連幹事長と事務局長を逮捕、ゼネコンから県連への多額のヤミ献金の事実をも暴き出し政治資金規正法違反で起訴。パーティー券収入を裏金にした同法違反で県議会議長を略式起訴し、公民権停止で失職に追い込んだこの事件は、政権政党の地方組織の不正に斬り込んだ事件として全国的にも大きな注目を集め、国会での「政治とカネ」をめぐる論議のきっかけにもなった。

 この時、国会で、小泉自民党の追及の先頭に立ったのが菅代表率いる民主党、それを受けて民主党が打ち出したのが「公共工事受注企業からの政治献金の全面禁止」のマニフェストだった。

 公正で清潔な政治を追求していた、あの時の民主党はどこに行ってしまったのか。

 今回の事件を機に、民主党が、政治資金透明化に向けて大きく動き出せば、旧来の自民党の体質にも大きな脅威となるであろうし、それによって自民党が変わることは、日本の政治全体を大きく変えることになるかもしれない。

 小沢氏は、検察との無用な対立・対決などに国民の関心を向けさせてはならない。法的責任については、反論・主張を刑事手続の中で粛々と主張し、適切な判断を期待していくほかない。談合構造解消前の過去のことであり、違反の成否、事案の重大性と摘発の相当性には反論の余地があったとしても、結果的に政治資金の透明化が不十分であったことは否定できないはずだ。その点を率直に反省し、今回の事件による党内の混乱を一刻も早く収拾し、政治資金透明化に向けての取組みの環境整備に努めることが、多くの国民が次の政権を担う野党として期待している民主党の党首としての使命と言うべきではなかろうか。