2008年12月1日月曜日

【厚生労働省】 年金改ざん問題

 私は、厚生労働大臣直属の調査委員会の委員として、「年金改ざん問題」の調査に加わった。その結果分かったことは、この「年金改ざん」による社会保険庁職員への非難がほとんど根拠のないものだということだ。

 少なくとも、社保庁職員が、国民に実害を生じさせるような「犯罪行為」に関わった具体的な証拠は、調査委員会の調査結果からは何一つ得られていない(標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会報告書)。

そればかりか、全国の社会保険事務所で「仕事の仕方」として定着していた「標準報酬月額の遡及訂正」というやり方は、保険加入者間の負担の不公平を防止することにもつながるものでもあった。

 なぜ、ほとんど「空中楼閣」のような「社保庁組織丸ごと犯罪者集団ストーリー」が作り上げられてしまったのか。その大きな原因が、社保庁を含む厚生労働省のトップである舛添厚労大臣が、「改ざん」の事実を確認することもなく、制度の仕組みを理解することもなく、自らの部下である社保庁職員を「犯罪者」のように決めつけて一方的にこきおろしたことにある。大臣の国民への「人気取り」のパフォーマンスがマスコミのバッシングをエスカレートさせることにつながった。

 これまでにも数々の不祥事を重ねてきた社保庁組織や職員に問題が多々あったことは否定しないし、私は、それら全体を擁護する気持ちは全くない。しかし、少なくとも、この厚生年金記録の「改ざん問題」に関しては、社保庁職員に対する非難は明らかに重大な誤解によるものだ。

 しかも、その誤解を解消しないと、今後の年金に関する業務体制の構築や運用の在り方について重大な悪影響が生じる。将来の年金給付率の低下が予測され、若年世代に年金制度への不満が高まっている現状の下ではなおさらだ。誤解に基づくバッシングのツケは、将来、厚生年金加入者全体が払うことになりかねないのだ。

「刑事告発」が目的だった大臣直属の調査委員会

 中央大学法科大学院教授で弁護士でもある野村修也氏から、いわゆる年金「改ざん」問題に関する厚労省の調査委員会の件で依頼があったのは、9月末のことだった。「従業員の給料から年金保険料の半額が天引きされているのに、社保庁職員が、標準報酬月額を不正に減額して、事業者の年金保険料の支払いを免除したり、少なくしたりしている問題について、舛添厚生労働大臣から調査の依頼を受けている。場合によっては刑事告発に至る可能性もある。そのメンバーとして加わってほしい」という話だった。

 「消された年金」「年金改ざん」などと呼ばれて、社会的にも大きな関心を集めている問題であり、刑事処罰についての適切な判断のためにも検事経験の長い私のような弁護士が関わることが必要なのだろうと考えて、私は、野村教授の依頼を受けることにした。

 その後、具体的説明を受ける機会がないまま、10月6日の夕刻、厚生労働大臣室で調査委員会の最初の会合が行われることになった。そして、その当日の朝刊には、「年金改ざん、調査チーム設置へ、舛添厚労相、刑事告発も」という見出しで、この調査についての記事が出ていた。

 「舛添要一厚生労働相は5日、茨城県龍ケ崎市で講演し、厚生年金標準報酬月額改ざん問題での社会保険庁職員の関与を調べるため、弁護士数人でつくる厚労相直属の調査チームを6日に設置する方針を明らかにした。改ざんへの関与が明らかになった場合、公文書偽造などの罪に当たるため、時効になっていないケースの刑事告発を検討する。 舛添氏は『(改ざんされた)紙が残っていれば、それを証拠に悪い職員を逮捕できる。徹底的にうみを出したい』と述べた」

調査メンバーには直接の説明もないのに、舛添大臣は、調査の目的が「改ざん」への社保庁職員の関与の解明と関与した職員の刑事告発であることを公言している。要するに、社保庁職員が「公文書偽造などの犯罪行為」を行ったことが疑われているので、その具体的事実を明らかにして刑事告発するために我々弁護士を雇ったということのようだ。

 米国での違法行為が、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的な行為、つまり「ムシ(害虫)型」が多いのに対して、日本での違法行為の多くは、組織の利益を主たる目的にして、継続的・恒常的に行われる「カビ型」だ。ムシ型は、その個人に厳しい制裁を科すという「殺虫剤の散布」で十分だが、カビ型違法行為は、その全体像を明らかにして原因となっている構造的問題を解明する「湿気や汚れの除去」をしなければ本当の解決にはならない。

かねて、官庁・企業の不祥事についてこのように述べている私には、社保庁の組織全体で行われていた可能性がある「年金改ざん」に対しても、違法行為の全体像を解明し、その構造的な要因を明らかにするカビ型対応が不可欠だと思われた。舛添大臣の依頼の趣旨が、単に、目についたムシに殺虫剤を撒く「ムシ退治」をしてほしいということであれば受任をお断りするしかないと考えて、10月6日の大臣室での初会合に臨んだ。

 会合に先立って舛添大臣から4人の調査委員への辞令交付が予定されているとのことで、大臣室の前にはテレビカメラが待ち構えていた。しかし、まず、大臣から調査の目的と趣旨についての説明を受けなければ、受任するか否かが判断できない。他の委員の意向も同様だった。4人の委員全員の要求で辞令交付の前に大臣と会談し、「『最初に告発ありき』ではなく、まず、事案の全体像を解明し、違法行為があればその悪性の程度を評価したうえで刑事告発の要否を判断するということでなければ受任できない」と条件を提示、大臣が了承したので、調査委員会の初回会合に移行し、テレビカメラを入れての大臣発言、辞令交付が行われた。そして、調査委員会の委員長には野村教授が就任、委員4人の下に9人の若手弁護士による調査チームも組織された。

 こうして、いわゆる「年金改ざん問題」についての厚労大臣直属の調査委員会の調査が始まった。しかし、その調査の結果からは、刑事告発の対象となる事実はおろか、不正行為への社保庁職員の具体的な関与はほとんど明らかにならかった。

厚生年金については、給与や報酬の実態に応じて事業主が個々の保険加入者の標準報酬月額を申告することになっており、それを基準に毎月の保険料が決まり、将来年金を受給する権利も生じる。この標準報酬月額の「遡及訂正」、つまり遡って引き下げる手続きをしたことが問題にされている。それによって、支払うべき保険料が遡って安くなるので、保険料の滞納額が帳消しになる一方、将来受け取ることになる年金額も減少する。

 ただ、「改ざん」と言っても、事業主の申告もなしに、社保庁職員が勝手にやったというのではない。少なくとも事業主自身の申告に基づいて遡及訂正が行われている。給与から保険料を天引きされている従業員の報酬月額がその本人の知らないうちに事業主によって勝手に引き下げられて、保険料の滞納が帳消しにされたのであれば、事業主による保険料の着服・横領そのものであり、それによって従業員の将来の年金額が不当に減らされ実質的な被害が生じる。舛添大臣が「犯罪」「刑事告発」などという言葉を口にするのは、そういう事業主による保険料の着服に社保庁職員が関わっている疑いがあるという意味のはずだ。

 しかし、そのような事業主の犯罪行為が実際にどの程度行われていたのかは、明らかになっていない。従業員分の報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関与したと疑う根拠はほとんどない。

 一方、事業主が自分の標準報酬月額の遡及訂正の申告をするのは、将来の年金が減ることを本人が納得したうえで手続きを行っているのだから実質的な被害はない。2008年11月28日に公表された調査委員会報告書で「社会保険事務所の現場で半ば仕事として定着していた」と述べているのは、このような事業主自身の標準報酬月額の遡及訂正だ。しかし、そのような行為が多くの社会保険事務所で恒常的に行われていたことには理由がある。

厚生年金は大企業向けに作られた制度

厚生年金は事業者に雇用される労働者を対象とする公的年金で、すべての法人事業者と従業員5人以上を常時雇用している個人事業主が厚生年金への加入が義務づけられ、従業員の保険料の半分は事業主が負担することになっている。個人事業主の場合は、事業主自身は厚生年金には加入できないが、法人事業者は、経営者もその家族も、法人から報酬を受け取っている限り厚生年金の加入の対象となる。厚生年金に加入すると、給与や報酬の額に応じて事業者の申告によって設定される標準報酬月額を基準に保険料の支払い義務と将来年金を受給する権利が生じる。

 このような厚生年金の制度は、経営基盤が安定し、経営者や従業員の社内での地位や待遇も明確に決められている大企業向けのものだ。大企業の場合、従業員の給与は給与規定などの社内規則で定められていて、その支払いの事実は賃金台帳に記載され、役員の報酬も取締役会決議などで定められているので、給与・報酬の金額が客観的に明らかでそれに応じて標準報酬月額を定めることが容易だ。

 資金繰りも計画的に行われ、社会的信用を重視するので、経営状態が変化しても社会保険料を滞納することもほとんどない。あらかじめ定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという方法での年金制度の運用に適している。

しかし、中小零細企業の場合は、法人であっても、その実態は個人事業者に近いものが多く、事業主が代表取締役、その親族が取締役という場合が多い。経営も不安定であり、収支が悪化すると、借金返済や従業員の給与の支払いが優先され、社会保険料の滞納が生じやすい。

 しかも、いったん滞納すると、年に14.6%という“サラ金”並みの延滞金がかかるので、滞納額は雪だるま式に膨れ上がっていく。一方、事業主も、形式的には法人の取締役などの地位にあっても、その報酬が「客観的に定まっている」とは到底言い難い。経営が悪化すると、報酬を受け取るどころか、売掛金や従業員の給与の支払いを事業主の借金で賄うというような「持ち出し」になることも珍しくない。

 一方、標準報酬月額は、厚生年金加入の時点で事業者の申告によって定められ、毎年度改定することになっているが、中小零細企業の場合、改定が行われないまま放置されていることも多い。経営悪化のため保険料を滞納 している事業主の場合、標準報酬月額が実際の報酬額より高い額のまま放置されている場合が多い。

中小零細企業の場合、あらかじめ給与・報酬の実態に応じて定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという厚生年金制度を適用していくことが、もともと困難なのだ。

保険料を払っても払わなくても将来の年金額は変わらない

 そして、重要なことは、厚生年金の場合、加入期間の標準報酬月額に応じた年金受給権は、保険料を滞納していても、事業主の倒産などで支払い不能が確定しても、全く変わらないということだ。要するに、厚生年金は保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金は変わらない。労働者のための公的保険で、労働者は給与から保険料を天引きされているので、事業主が保険料を払わなかったからと言って年金がもらえないのはかわいそうだというのが、その理由だ。しかし、その結果、保険料を払わなかった事業主自身も、払った場合と同額の年金が受給でき、その分は、まじめに保険料を支払っている他の年金加入者が負担することになる。

 「そんなバカな!」と思われるかもしれない。調査委員会の調査を始めた段階では、委員も調査員も誰もこのことを認識していなかった。調査の過程で、厚労省の側に説明を求め、ようやく、それが確認できたのだ。このような厚生年金制度の下では、事業主の保険料滞納を放置すると保険加入者間の負担の公平を害することになる。

徴収率を維持するために社保庁職員が行うべきことは、まずは粘り強く説得して保険料を支払ってもらう努力をすることだ。しかし、経営不振で資金繰りに苦しんでいる中小零細企業に滞納している保険料を支払わせることは容易ではない。その場合、法律が予定している正規の手続きは、調査委員会報告書でも言っているように「毅然たる態度で滞納事業者の財産の差し押さえを行うこと」だ。

 しかし、中小零細企業には差し押さえて換価処分できるような会社名義の財産などほとんどないし、事業に不可欠な設備や売掛金が入金される銀行口座を無理に差し押さえたりすればただちに倒産してしまう。実際には、財産の差し押さえで保険料の滞納を解消することは容易ではない。

遡及訂正は保険加入者間の負担の公平のための唯一の手段

 そうなると、支払い困難な中小零細企業の事業主の保険料滞納を解消する唯一の方法は、事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を遡って減額することだ。経営不振で資金繰りに困って長期間にわたって保険料を滞納している事業主であれば、まともに自分の報酬など受け取ることすらできない場合も多い。そのような事業主の標準報酬月額を遡って引き下げるのは、基本的に報酬の実態に近づけるもので、必ずしも「不適正」とは言えない。

 保険料が支払い困難な経営状態の事業者の滞納事案を放置した場合には、その事業者が倒産して多額の滞納が確定すると、保険料を支払わなかった事業主に将来多額の年金が支給されることになり、その資金は他の保険加入者が負担するという不合理な結果になってしまう。何とかして、そのような滞納を解消しようとするのが当然であり、それを放置する社保庁職員の方がよほど無責任と言えよう。

このように考えると、中小零細企業も含めて法人事業者にはすべて厚生年金への加入を義務づけている現行制度の下では、支払い困難と思える事案について、最終的な手段として、事業主側の納得を得たうえで標準報酬月額の遡及訂正を行うことは、加入者間の負担の公平を確保しながら年金財政を維持していくためにやむを得ない措置であったと言える。

 もっとも、「法令遵守」という観点だけから考えると全く違う考え方になる。報酬の実態に応じて保険料を支払うことは事業主にとっても法的義務なのだから、事業主が、標準報酬月額を実際に受け取っている報酬額を下回る金額に引き下げること、ましてや、そこに社保庁職員が関与することは許されない。調査委員会報告書が、事業主の標準報酬月額の遡及訂正も含めて不正行為ととらえ、関与した社保庁職員を処分の対象とすべきとしていることのベースにもこの考え方がある(報告書5ページ)。

 しかし、私は、この調査委員会の多数見解には異論がある。年金に関して「報酬の実態に応じて保険料を支払う義務」というのは、「所得に応じて税金を支払う義務」つまり、納税義務とは意味が異なる。

 納税は、納税者が国に対して一方的に義務を負うが、年金については、保険料の支払い義務とともに将来の年金受給権が生じる。標準報酬月額を実際の報酬額以下に引き下げたとしても、保険料の負担だけではなく将来の年金の給付の方も低くなるのであり、脱税のように国への支払い義務だけを一方的に引き下げるものではない。

 また、そもそも、個人事業者は厚生年金への加入義務がないばかりか加入することが認められてすらいない。一方、同程度の規模でも法人事業者はすべて厚生年金加入を義務づけられているが、実際には未加入の中小零細企業が膨大な数存在している。これら個人事業者や未加入事業者との比較から言えば、厚生年金に加入している中小零細事業主の標準報酬月額が実際の報酬額を下回ったとしても、そのこと自体は実質的には大きな問題とは言えない。

 ましてや、「保険料を払わなくても将来もらえる年金が変わらない」という現行制度の下で、保険料を滞納している中小零細事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、保険料を支払わないで将来年金をもらう「年金泥棒」のような結果を防ぐ事実上唯一の手段なのであるから、この場合にまで遡及訂正が「違法だから許されない」というのは、実態を無視した「法令遵守」の形式論理そのものと言えよう。

 このように考えると、事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、中小零細企業の経営実態からすると、そもそも報酬の実態に反する「不適正な遡及訂正」、つまり不正行為と言えるかどうかすらはっきりしないだけでなく、形式的に「法令遵守」に反していても、実質的に非難すべき行為とは言えないの だ。

 一方、従業員の標準報酬月額の遡及訂正の方は、それを事業主が従業員本人に無断で行って給与から天引きしていた保険料を着服したとすれば、事業主による犯罪であり、それに関わった社保庁職員がいるとすれば、公務員犯罪そのものだ。全国の社保庁職員の中にそういう職員がまったくいないと断言はできないが、少なくとも、調査委員会の調査ではそれを疑う具体的な根拠は得られていない。

 このように、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも従業員の分と事業主の分とでは全く意味が違うのに、それが丸ごと「改ざん」と言われて犯罪行為のように扱われ、社保事務所の「仕事として定着していた」などと報道されたために、社保庁職員全体が社会から大きな誤解を受けることになった。

 私の新著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守れば良い』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「捏造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現実について述べている。

 これらは必ずしも「法令違反」とは限らないが、一度そのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」批判は、「思考停止」の典型と言えよう。「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難されたのだ。

 このような「年金改ざん」についての社保庁職員に対するバッシングがエスカレートしてしまったのはなぜなのか、舛添厚労大臣の発言や態度がどのような影響を及ぼしたのか、そして、それが、今後、給付率低下が予想される厚生年金制度にどのような悪影響を与えるのか、明日はその点について考えてみたい。

昨日の本コラムに対して、多くの方々からの反響があった。中には、私が述べていることの前提となる基本的事項についての質問・疑問もあった。厚生年金という制度に関わる問題であるだけに、若干分かりにくい面があったのかもしれない。

 そこで、「年金改ざん」問題を考える上での重要な事項について、改めて説明しておこうと思う。

年金額は「いくら支払うべきだったか」の金額で決まる

 まず、「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金額が変わらない」というのは、給与・報酬の実態に応じて申告で定める標準報酬月額に基づいて、支払うべき保険料と将来の年金受給額が決まっていて、その保険料を実際には払わなくても年金受給額には影響しないということだ。保険料を実際に「いくら支払ったか」ではなくて、「いくら支払うべきだったか」の金額に応じて、将来の年金額が決まるのだ。

 もし、保険料を滞納したまま事業者が倒産した場合のように、保険料の支払不能が確定した場合でも、年金の受給額には影響しない。それどころか、厚生年金の場合は、そもそも、保険料の滞納や不払いがあっても、標準報酬月額が変わらない限り、その人の年金受給額を減らすことにはなっていないのだ。

 厚生年金に加入している事業者が支払うべき保険料を支払わなければ、その分、保険料を支払う債務が残っているわけで、社保庁職員は、それを支払うよう説得し、それでも支払ってもらえなければ滞納処分としての差押えをして強制的に取り立てるというのが法律の建て前だ。

 しかし、実際には、保険料を滞納するような中小企業の場合、会社名義の財産はほとんどなく、差押えで滞納保険料を回収することは極めて困難だ。その結果、滞納が解消できないままになってしまっても、保険料を支払わなかった事業者の将来の年金額には影響しないということになる。

 その結果、保険料を真面目に払っている年金加入者の負担が増えるという不公平を招くというので、滞納している事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を減額して、その分、年金受給額が少なくなるようにするというのが、事業主の標準報酬月額の遡及訂正だ(従業員と事業主の険料を区別して支払うことはできないが、事業主分だけの標準報酬月額を引き下げることは可能)。

 このような遡及訂正は、保険料を滞納している経営不振の事業主の報酬の実態に必ずしも反していないし、保険加入者の負担の公平のためにはやむを得ない措置と見るべきではないかというのが私の見方だ。

合理的な事業主案件まで「年金改ざん」と呼ばれた

 一方、従業員の標準報酬月額を本人が知らない間に遡及して引き下げるのは、その分、保険料を天引きされている従業員の年金受給額が減額されることになるから、まさに実質的な被害が生じる。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならない。

 また、その結果不利益を受けている保険加入者がいれば救済しないといけない。しかし、少なくとも、調査委員会の調査では、この従業員の標準報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関わった具体的な根拠は得られていない。

 問題は、現時点では具体的に明らかにはなっていないと言っても、実際に、このような実質的な被害が生じている従業員案件がどの程度あるかだ。

この点については拙著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)で詳述しているが、今回の調査で対象とされた6.9万件の遡及訂正事案のうち、約70%が事業主分と思える1名だけの遡及訂正で、約30%の複数の遡及訂正の事案の中にも、事業主の親族など実質的に事業主に帰属するものや何らかの事情で従業員が架空である場合などが含まれている。

 その中から、本当に従業員の標準報酬月額が不当に遡及訂正され、被害が生じている案件を絞り込んだうえ、まず事業主側を調査対象にして一つひとつ丹念に事実関係を洗い出していかなければならない。それをやってみないと、従業員案件について社保庁職員を非難できるかどうか分からないのだが、そのような調査は、社保庁職員を主たる対象とする調査委員会の調査とはまったく方向が違うものだった

 結局、実質的被害がなく、それなりの合理的な理由のある事業主案件と犯罪行為そのものと言える従業員案件とをひとまとめに「年金改ざん」と呼んで、それに社保庁職員が組織ぐるみで関与したかのように非難してきたというのが、これまでの経過なのだ。

 社保庁という1つの官庁に対して、「年金改ざん」という名の下で、さしたる根拠もないのに強烈なバッシングが行われ、組織に対する信頼が崩壊してしまったのはなぜなのか、どのような経緯でそうなったのか。そこには、官庁・企業の不祥事に対するバッシングが拡大し、その歪みが生ずる構図に共通する要因が存在している。

社保庁への信頼はなぜこれほどまでに失墜したのか

 まず、社保庁が信頼を失墜するに至るまでの経過を振り返ってみる。

 ここ数年、社保庁では、不祥事が相次いだ。2004年3月、政治家の国民年金未納問題が報道されたのをきっかけに、同年7月、約300人の職員が未納情報等の業務目的外閲覧を行っていた「年金記録のぞき見問題」が発覚した。そして、同年9月には、カワグチ技研事件で社保庁の幹部職員が収賄罪で逮捕され、通常国会における年金改正法案の審議やマスコミの報道等で強い批判を受けた。

 2006年5月、全国各地の社会保険事務所が、国民年金保険料の不正免除を行っていたのが発覚した。2007年5月には、年金記録をオンライン化した際のコンピューター入力のミスや基礎年金番号に未統合のままの年金番号など5000万件強の「宙に浮いた年金記録」の問題が表面化し、年金記録のずさんな管理が批判された。そして、その確認作業が行われる中で、社保庁職員による年金保険料の横領事案が過去に50件あることが明らかになり、国民の激しい怒りを買い、既に被害弁償、懲戒処分済みのものも含めて27件が刑事告発された。

 そして、2008年4月、東京と大阪の両社会保険事務局において、確認されただけで計29人が組合活動に「ヤミ専従」をし、本来は支払う必要のない給与が約8億円支払われていたことが明らかになった。

 このような不正行為・犯罪の相次ぐ表面化で、社保庁という組織は、国民から「最低最悪の官庁」と決めつけられ、国民は「社保庁の職員ならどんな悪事を働いていても不思議ではない」という認識を持つに至った。そのような中で表面化したのが、今回の「年金改ざん問題」だった。

 前回詳しく述べたように、この問題については社保庁職員が厚生年金記録の「改ざん」という不正行為を行ったとして非難する根拠はほとんどない。しかし、国民は、それまでの社保庁に対するイメージから、この問題を、「社保庁職員が組織の都合や個人的な動機から組織ぐるみで行った不正行為」と決めつけ、「年金改ざん」という呼び方も定着した。その伏線となったのが国民年金不正免除問題だった。

国民年金不正免除問題が伏線に

 この問題は、収入が少ない人に対して申請をすることで保険料を免除・猶予する救済制度である国民年金保険料の免除・猶予の手続きを、本人からの申請がないままに行っていたというものだ。

 2004年の国民年金法の改正で、2005年度以降、市町村から所得情報を入手し免除・猶予の該当者を把握できるようになった。このため社保庁職員が、免除・猶予の事由の該当者に働きかけて免除・猶予の申請を出させようとしたが、戸別訪問しても不在だったり、文書を何度送っても反応がなかったりというような接触困難なケースが多かったので、本人からの申請を受けることなく免除・猶予の手続きを行ったという事案だ。これが全国で発生していたことが明らかになった。

 この免除制度というのは、免除の手続きをすることで、保険料を支払わなくても、老齢年金、障害年金、遺族年金の一部を受給できるという制度だ。保険料が支払えない低所得者に対して、老後の最低限の年金を確保させようとするところに目的がある。

 「不正免除」の多くは、せっかくこのような制度があるのに、それを知らないために免除申請をしていない該当者の利益のために行われた。それは社保庁職員の側の「悪事」と単純に切り捨ててよいとは必ずしも言えない。形式的には「違法」であっても、実質的に見て、被害や損害を与える行為ではない。

しかし、マスコミは、この不正免除問題でも一方的に社保庁を叩いた。実質的に、免除事由該当者の利益を図る面があったことなどはすべて無視され、社保庁職員が、年金の納付率を向上させて成績を良くしたいという動機だけで不正を行ったように単純化された。

「年金改ざん」が「組織ぐるみ」とされるまで

 このように「国民年金不正免除」が、「納付率」の向上という社保庁側の事情による不正行為と単純にとらえられたことが、「社保庁職員は、自分たちの都合のために何でもやりかねない人間」という印象を与えた。「年金改ざん」という問題が表面化した際にも、「徴収率」の向上のために他人の年金記録を勝手に改ざんしたというように受け取られたことは否定できない。

 当初、この「年金改ざん」が問題とされ始めた時、そのような行為に、社保庁職員の側がどのように関わっていたのかは全く不明だったが、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで徴収率向上のために不正行為を行ったのではないか、という疑いを持った。そこには「国民年金不正免除」問題からの連想が働いていたはずだ。

 その疑いを決定的にしたのが、滋賀県の大津社会保険事務所の元徴収課長の「社会保険事務所では徴収率向上のために組織的に年金記録の『改ざん』が行われていた」という証言だった。

 社会保険事務所で組織的に行われていたのは事業主の標準報酬月額の遡及訂正だったはずだが、この元徴収課長は、この2つを区別しないで、「改ざん」という不正行為が社会保険事務所の現場で組織的に行われていたように証言した。これによって、それまでは「疑い」であった「社保庁の組織ぐるみの改ざん」が、ほとんど確定的な事実のように扱われるようになった。

 そして、そのような見方を決定的にしたのが、舛添要一厚生労働大臣が、「年金改ざん」問題について、国会で「組織的関与があったであろうと思う。限りなくクロに近いだろう」と答弁し、これが「厚生労働大臣が社保庁の改ざんへの組織的関与を認めた」と報道されたことだ。

 そして、舛添大臣が、社保庁職員の関与者を刑事告発するために弁護士中心の調査委員会に事実関係を調査させると息巻いて立ち上げたのが、私も委員として加わった「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」だった。

「法令遵守」的な不祥事対応は事態を一層悪化させる

 このようにして社保庁に対する信頼が崩壊し、組織全体が「犯罪者集団」のように見られることになってしまったことには2つのポイントがある。

 1つは、社保庁の一連の不祥事に対する対策が、単純な「法令遵守」に偏り過ぎていたことだ。社保庁の幹部が収賄で逮捕されたカワグチ技研事件に関連して、厚生労働省は省内に信頼回復対策推進チームを立ち上げたが、ここでの再発防止対策の柱は、法令遵守委員会の設置と内部通報制度の整備という単純な「法令遵守」のための措置だった。それらの対策が、それ以降の社保庁の不祥事の多発に対して全く効果がなかったことは明らかだ。

 そして、国民年金不正免除問題に関して、社保庁は、3次にわたって調査委員会を立ち上げ、事実関係の解明と原因の究明を行ったが、そこで書かれている原因分析は、法令遵守の観点から社保庁の組織や職員を批判しているだけで、多くの職員の不正行為の動機が「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持ちであったこと、それがこの問題の本質であること」は一切書かれていない。

 このように糾弾されるたびに、一方的に謝罪し、法令遵守の徹底を呼び掛けている間に、社保庁の組織は、どんどん追い込まれ、結局、組織自体が解体されるという事態に至った。

こういった「法令違反」や「偽装」「改ざん」「隠ぺい」「捏造」などで、いったん批判されると、一切の弁解・反論ができないまま、一方的に叩かれ、それが、新たな問題にまで波及し、事態が一層深刻化していく、という最近の官庁・企業の不祥事に共通する構図は、「水戸黄門の印籠を示された途端にその場にひれ伏す人々の姿」、すなわち、「遵守」による思考停止状態そのものだ。

信頼失墜を決定的にした舛添大臣のパフォーマンス

 もう1つ、社保庁の組織や職員にとって決定的な打撃になったのが、舛添大臣の発言と態度だ。舛添大臣は、社保庁を含む厚生労働省の組織のトップでありながら、その部下である社保庁職員をこき下ろし、事実を確認する前から部下の組織や職員の刑事責任にまで言及した。「改ざん」とはどういう意味で使われているのか、標準報酬月額の遡及訂正とどういう関係なのか、従業員の遡及訂正と事業主の分のみの訂正とどう違うのかなど、この問題を考えるに当たっての基本的な事項すら十分に理解していたとは思えない。

 せめて、「調査委員会を立ち上げるので、その調査結果を踏まえて適正に対応したい」と冷静な発言を行い、調査委員会の調査が終わった時点で、各委員から十分に話を聞いたうえで、問題の本質を、国民に分かりやすく説明する努力をしていたら、社保庁職員に対する誤った批判・非難がここまでエスカレートすることはなかったはずだ。

 組織内の不祥事が表面化した場合のトップの対応は様々だ。末端に責任を押しつけて自らは責任を問おうとしないトップもいれば、全責任は自分にあると言って引責辞任するトップもいる。しかし、事実関係を確認することもなく、当事者の弁解・反論を聞くこともなく、一方的に当該部門全体を「犯罪者扱い」するトップというのは、企業の世界ではあまり聞いたことがない。

 私は、社保庁という組織の体質自体に重大な問題があることは否定しないし、その組織がこれまで起こしてきた不祥事、トラブル全体を擁護するつもりはない。しかし、それにしても、今回の「年金改ざん」問題に対する世の中の認識は誤っており、批判・非難の行われ方は明らかに異常だ。

 社保庁やその職員にとっては、それも「自業自得」だという見方もできなくはない。しかし、問題はそれだけで済むものではない。この問題の本質を見極めることなく、このままの論調で「年金改ざん」を単純に社保庁の組織や職員の「悪事」のように決めつけて対応していけば、次に述べるように、厚生年金という制度とその運用に重大な支障を生じさせ、国民全体に大きな不利益をもたらすことになりかねない。
 

産業の二重構造と年金制度をどう調和させていくのか

 「標準報酬月額の遡及訂正」という行為自体が「年金改ざん」などと言われて丸ごと不正のように扱われると、社保庁側では、とにかく遡及訂正だけはやらないようにしようということになるであろう。

 中小零細事業者の事業主の保険料の滞納を解消する唯一の手段であったこの「標準報酬月額の遡及訂正」が行われなくなれば、保険料滞納が長期間にわたって放置されて徴収率が下がることになる。それは、将来、まじめに保険料を支払っている厚生年金加入者の負担で、滞納した事業主自身が高額の年金を受給できることにつながる。

 それを防止するために正規の手段は、調査委員会の報告書で言っているように、「毅然と差し押さえを行う」という方法しかないが、それによって中小零細事業者の滞納保険料を徴収することが困難だということは前回のこのコラムで述べた通りだ。

 では、遡及訂正の恒常化の背景となった「保険料を納めなくても年金がもらえる仕組み」という制度の枠組みそのものを改めればよいのかと言えば、それだけで解決できるような単純な問題ではない。

 厚生年金は、基本的には、多数の従業員を雇用する事業者が従業員の給与から保険料を天引きし、自らの負担分と合わせて保険料を支払うことを前提にしている労働者のための年金制度だ。

事業者が保険料を支払わなかった場合や倒産などで支払い不能となった場合に、年金を天引きされていた従業員が不利益を受けないようにするためには、厚生年金に加入している限り、実際の支払いの有無にかかわらず標準報酬月額に応じた年金の受給権が発生するという制度自体はやむを得ない面がある。

 そのような本来は労働者のための厚生年金が、中小零細事業者の実質的な事業主である代表者にまで適用されることに問題があることは確かだ。しかし、法人の代表取締役は、形式上は会社に雇われている立場であり、それが実質的に「事業主」と言えるかどうかの線引きは容易ではない。

 そう考えると、実態が個人事業者と変わらないような小規模な「法人事業者」をなくしていくこと、人的組織の面でも財産的にも法人としての十分な実体がある場合に限って法人としての会社の設立と存続を認める方向を目指すこと以外には根本的な解決はあり得ないように思える。

 しかし、実際には日本の会社法制は全く逆の方向に向かっている。2006年に商法から独立して定められた会社法では、株式会社の最低資本金の定めがなくなり、会社設立手続きも大幅に簡素化された。誰でも自由に簡単に株式会社が設立できるというのが現在の会社法だ。

「法令遵守」では解決できない日本の中小企業の実態

 極端な事例を考えた場合、1円の資本金で株式会社を設立し、定款で代表取締役の報酬額を定めておいて厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定してしまえば、その後、保険料を何年間滞納し続けていようが、その報酬月額に見合う将来の年金受給権を得ることができることになる。会社の実体がなければ会社財産の差し押さえによって滞納保険料を徴収することもできない。その場合の年金の財源も、真面目に保険料を支払っている厚生年金加入者の負担になってしまう。

 小規模会社に関する会社法制の在り方は、社会保険制度や運用の問題と密接に関連する問題である。両者の整合性を考えながら制度改正を行わなければならないのに、日本では会社法の問題と社会保険制度の問題を全くバラバラに考えてきた。それが、制度の重大な矛盾を生じさせてしまった。

 この問題の背景には、法律の建て前通りにはいかない、つまり「法令遵守」では決して解決できない日本の中小企業の実態がある。その中小企業が、これまで戦後の日本経済の一翼を担ってきたのだ。

 日本の産業構造の二重性の下で、中小零細企業の経営の実態に適合した年金制度と運用の在り方を抜本的に検討する必要がある。それは、経済危機の深刻化に伴って中小零細企業の経営が急激に悪化し、社会保険料の負担が困難になりつつある現状においては、何はさておいても取り組まなければならない緊急の課題と言えよう。

 そのためには、実態も問題の所在も理解しようとせず、自らがトップを務める厚生労働省の一員である社保庁職員を一方的にこき下ろす「人気取りパフォーマンス」ばかり続けてきた舛添大臣が、まず、これまでの軽率な対応を謙虚に反省し、問題の本質に目を向けた対応を行うことが不可欠であろう。

 人気取りのためのパフォーマンスは、この「年金改ざん」問題に限らない。前に述べた社保庁の「ヤミ専従問題」でも同じだ。

 厚労省が事実関係の調査と処分の検討のために設置した第三者による調査委員会が、組織的、構造的な問題だという事案の性格や全額被害弁償済みであることなどを考慮して刑事告発については慎重に対処すべきとの見解を示していたのに、舛添大臣は、それを無視して40人もの社保庁職員を告発するよう指示し、結果的には全員不起訴(起訴猶予)となった。官公庁があえて刑事処罰を求めて告発した事件が全員不起訴になるというのは異例のことである。そのようなことに膨大な労力をかけるより、他に重要な問題が山ほどあるはずである。

 しかし、舛添大臣も含め「人気取りパフォーマンス」で目立っている政治家の名前ばかりが、人気崩壊の麻生首相に代わる「次の総理候補」として急浮上しているというのが、今の日本の政治の悲しい状況なのである。

 では、この問題について、今後何をすべきなのか、制度とその運用をどのように改めていったらよいのか。次回は、その点についての私の考え方を述べて、「年金改ざん」問題についての連載の締めくくりとしたい。

前々回と前回のこのコラムで述べてきたように、「年金改ざん」問題は、厚労省や社会保険庁組織が「法令遵守」に偏った対応ばかり行ってきたことや、組織のトップである舛添厚労大臣が、事実を確認もせず、問題の本質を理解することもなく、社保庁職員が犯罪者であるかのようにこき下ろしたことなどで、マスコミや世の中から、社保庁の職員が組織ぐるみで行った単なる「悪事」であるように決めつけられてしまい、問題が矮小化されている。

 では、この問題に対して、今後、どう対応したらよいのか、制度の在り方やその運用はどのように改めていったらよいのか。私なりの考え方を示しておきたい。

「年金改ざん」を巡る誤解の解消が急務

 何はさておいても、まず行わないといけないことは、この問題に関する国民の誤解を解消するために、「年金改ざん」と言われている問題を整理し、何が問題の本質なのかということを、分かりやすく国民に説明することだ。そのためには、厚労省トップとしての舛添大臣が、この問題の本質を理解し、自ら説明を行うべきだ。

 「年金改ざん」問題というのは、経営の不安定な中小企業に厚生年金という制度を適用したことで発生した問題で、大企業のサラリーマン、役員や公務員などには基本的に無関係だということをすべての国民に分かってもらうことが必要だ。「年金改ざん」と言われる「標準報酬月額の遡及訂正」が行われるのは何カ月にもわたる保険料の滞納が発生した場合であるが、大企業が社会保険料を長期にわたって滞納することはほとんどあり得ない。

 しかし、このような、ある意味では当然のことすら、新聞、テレビなどでは明確に伝えられてはいない。「『年金改ざん』は100万件以上に上る、その闇はどこまで広がっているのか分からない」というような報道もあり、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで行った「年金改ざん」のために自分たちも被害を受けた可能性があるような誤解をしているのが現状だ。

 次に、標準報酬月額の遡及訂正は、基本的に、事業者の申告によって行われたものだということを説明する必要がある。申告書自体を社保庁職員が偽造したというのであれば別だが、さすがにそのような話は、これまで全く出ていないし、そこまでして遡及訂正の訂正を行うほどの動機が社保庁職員の側には考えられない。調査委員会が設置したホットラインには全国から多数の情報が寄せられたが、その中でも、事業者の申告もしていないのに、勝手に年金が引き下げられたという情報提供はなかった。

 もっとも、前々回のこのコラムへのコメントの中に、「私は約35年間会社を経営し、現役を引退して5年後、社会保険事務所から連絡があり、給料が8万円に減額されているので確認したいと言う事でした。当時私の給料は75万円で一度も保険料の滞納はなく、引退するまで赤字決済はなく、もちろん給料減額はありませんし、減額されていた事等、私は全然知らない事であります」というものがあった。

 これが、事業主の標準報酬月額が本人の知らない間に遡及訂正されたということを意味するのであれば、調査委員会も、社保庁も認識していない事案である。

 標準報酬月額の遡及訂正は基本的に事業者自身の申告で行われているものであり、申告もなしに勝手に引き下げられている社保庁職員側の一方的な「改ざん」の事案は、現時点では全く見つかっていないが、万が一にもそういう事案があるのであれば徹底解明するということも明確にしておくべきであろう。

「事業主案件」と「従業員案件」の明確な区別を

 そして、重要なことは、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも、事業主分の訂正(事業主案件)と従業員分の訂正(従業員案件)とは全く意味が異なること、現在把握されている遡及訂正の大部分は事業主案件(生計を同一にしている親族など分を含む)であることを国民に分かりやすく説明し、この2つを明確に区別した対応を行うことだ。

従業員案件は、保険料を天引きされていた従業員の標準報酬月額が本人の知らない間に遡って引き下げられ、その分、従業員の将来の年金受給額が減額される一方、事業主側が天引きしていた保険料を着服することになるのであるから、まさに実質的な被害が生じる犯罪そのものだ。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならないのは当然だ。

 一方、事業主案件は、中小零細企業に厚生年金を適用することに伴って不可避的に発生する保険料の滞納に対して、それが「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金が変わらない仕組み」(前回のこのコラム1ページ参照)の下で、保険料を払わなかった事業主自身が将来多額の年金をもらうことになるという保険加入者間の負担と給付の不公平が生じることを防止するためには、やむを得ない面もある措置であった。滞納事業主に、保険料を払うよう説得し、差し押さえのための財産調査を行うなどの正規の手続きに向けての努力を全く行わず、安易に遡及訂正を行ったとすれば、そこに社保庁職員としての義務を尽くしていないと批判されるのもやむを得ない。しかし、この問題の根本には、厚生年金制度が中小企業の経営実態に適合していないという根本的な問題があり、重要なことは制度や運用の改善を行うことであって、社保庁職員の責任追及を行うことだけでは問題は解決しない。

 この事業主案件を、基本的に責任追及の対象から切り離し、その分の労力とコストを従業員案件についての調査に費やすのが合理的だ。従業員案件を徹底して解明するためには、調査委員会が対象とした6.9万件(社保庁が「長期間にわたる大幅な遡及訂正が行われ、直後に厚生年金資格喪失手続きが行われているもの」を不適正な遡及訂正が行われている可能性があるとして抽出した案件)だけを対象にしたのでは不十分である。

 長期間又は大幅な遡及訂正が行われている案件の中から、従業員が対象となっている案件を抽出し、その一つひとつについて事業主からの事情聴取を行い、給与の実態に反して不正に訂正されていないかどうかを確認し、そのうえで、社保庁職員の関与の有無を明らかにするという地道な調査を丹念に行っていく必要がある。調査委員会報告書でそのような方向性が示せなかったのは、その調査の中で確認できた事業主案件を「社保庁職員の組織ぐるみの不正」と評価し、従業員案件と明確に区別することなく、今後の調査の在り方を論じたところに原因がある。

事業主案件の背景にある構造的問題の解決の道筋

 では、事業主案件が社保庁の現場で広く行われ、「仕事の仕方」として定着していたことに対しては、どう対処すべきか。

 そのような行為は、中小企業に対する厚生年金の適用の現場で、やむを得ない面があったことは確かだが、問題は、それが不透明な非公式なやり方として定着していたことにある。

 そこで、当面の対応として考えられるのは、これまで非公式な方法として、現場で非公式に行ってきた標準報酬月額の遡及訂正を、要件を定めたうえで、制度化するか、あるいは、その運用方法として明確化することである。そのためには、報酬・給与の実態を確認する方法について何らかの基準を設けることや、遡及訂正によって将来の年金額が減額されることについて保険加入者側の承諾を得る手続きについても定めることが必要になる。

 しかし、それだけでは、前回の本コラム5ページで指摘した、年金受給権を確保するために、実体のない会社を設立して厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定するというような確信犯的なやり方には対応できない。一定の規模以下の会社には一定の期間を「仮加入期間」として設定し、保険料支払いの実績を確認したうえで正式の加入を認めるというような方法も検討する必要がある。

 そして、最終的には、中小企業の実態に即した公的年金制度を創設すること以外にこの問題の根本的な解決はあり得ない。

事業者に社会保険料の半分を負担させることで公的年金による労働者の老後の保障を充実させようという趣旨の厚生年金制度が、企業の規模を問わずすべての法人事業者に一律に適用されるのが現行の厚生年金制度だ。その趣旨は尊重されるべきだが、日本の中小企業の実態は、そのような負担が可能な事業者ばかりではない。保険料負担が、14.6%という高額の延滞金と相まって中小企業の経営を圧迫する要因になることは避けがたい。

 そう考えた場合、基礎年金制度に下支えされた(厚生年金は国民年金の「上乗せ」の制度であり、加入している限り標準報酬月額が最低水準でも国民年金加入者の年金額を上回る)厚生年金の事業者の負担率を、大企業向けと中小企業向けとで区別するという方法もあり得るのではないか。

 法人事業者であっても、会社法などの法律が予定しているような組織や経営の実態ではない中小企業を巡る問題は、「法令遵守」だけでは絶対に解決できない問題である。法令による建前論ではなく、実態を把握し、現実を直視して解決策を考えていくほかない。

「遵守」を超えて「真の法治社会」を

 2年余り前に出した『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)では、実態と乖離した法令を、そのまま単純に遵守すればよいという考え方が、日本社会に大きな弊害をもたらしていることを指摘した。先日公刊した『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守ればよい』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「ねつ造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現状について述べている。

 「法令違反」か否かとは関係なく、一度「偽装」などのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」問題はその典型だ。

 「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難された。

 その一方で、この問題の本質が大企業向けの厚生年金制度を中小企業に適用することにあることも、この問題を放置すると、経済危機の深刻化、中小企業の経営悪化の下で厚生年金の徴収の現場が一層混乱し、回復不可能な状態になりかねないことも、ほとんど知らされていない。

 その構図は、多くの官庁・企業の不祥事に共通する。何か問題を起こすと、全く反論も弁解もできず、反省・謝罪をひたすら繰り返すばかりの官庁・企業の姿は、水戸黄門の印籠の前に、ただただひれ伏しているのと同様だ。

 その「遵守」の印籠の効果を高めているのが、国民への人気取りしか考えない政治家、責任回避の行政、問題を単純化するマスコミという「思考停止のトライアングル」だ。こうした中で、国民は、今この国で起きていることについて真相を知らされず、重大な誤解をさせられたまま、有権者、消費者、納税者などとして様々な選択を行わされている。

 同書では、この「年金改ざん」の問題をはじめ、食品を巡る偽装・隠ぺい、検査データねつ造、経済司法の貧困、裁判員制度、マスメディアの歪みなど様々な分野の問題を通して、そのような日本社会の現状を明らかにし、最後に、「遵守」による思考停止から脱却して「真の法治社会」を作っていく道筋を示している。

 我々は、まず、誰かに制裁を科して物事の決着をつけてしまおうとする単純な「悪玉」論を乗り越えて、少しでも多くの国民に、今起きていることの現実を知ってもらう努力をしなければならない。

 そして、そのうえで、どのような方向で解決したらよいのかを考えるコラボレーションの環を拡大していくことだ。多くの国民の利害に関わるこの厚生年金の問題への対応が、日本社会が日本人固有の知恵を取り戻せるかどうかのカギを握っている。

【京都大学新聞社】 京都大学11月祭講演会録 上杉隆

11月祭講演会録 「記者になりますか?それともジャーナリストになりますか?」(2008.12.01)
Filed under: 企画類
講師:上杉隆
日時:11月24日
場所:法経本館第六教室
主催:京都大学新聞社

外部の記者を阻み、メンバーすらも雁字搦めにする記者クラブ制度をはじめ、様々なシステム的問題を抱える日本のメディア。日本型の会社員的な記者ではなく、本当の意味でのジャーナリストになるためにはどうすればよいのか。この国は健全なジャーナリズムを築けるのか。議員秘書、海外メディア、フリーランスと様々な角度から日本のメディアを見てきたジャーナリスト上杉隆氏に話を聞いた。(編集部)

今日は、「記者になりますか?それともジャーナリストになりますか?」というテーマでお話をします。話は3部構成で、1つ目が最近の取材の中から抗議を受けたり、反政府ジャーナリスト扱いをされ、閣議決定までされてしまったエピソードの内幕など。2つ目が日本の記者クラブ制度について、私のかつての職場ニューヨーク・タイムズとの比較の中で話します。3つ目に日本のメディアがいかにその問題点を解決していくか、またジャーナリストを目指す人が、世界で通用するジャーナリストとなるためにはどうしたらよいかについて話します。


権力が発表したことはウラをとらなくていい
―産経新聞

まず、最近の取材のことで、自分自身が話題にもなったことです。ことの始まりは週刊朝日の10月31日号に掲載された『麻生「外交」敗れたり』という記事。麻生総理は外務大臣時代、『自由と繁栄の孤』という本を書いています。その中で対テロ戦争でのアフガニスタン支援について触れていますが、その核となる給油法案を通し日米同盟を守るということがそのまま首相としての政治目標となっています。麻生総理が所信表明演説で堂々と国連よりも日米同盟が上であるとうちだした。それが麻生外交のスタートなのです。ところがこれは日本の片思い外交に過ぎず、アメリカは日本をなんとも思っていなかった。その根拠としては、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除をする際、韓国には一日前に連絡があったにもかかわらず、日本への連絡は解除のわずか30分前だった。これが外交の敗北だったわけです。

記事の一つの材料にしたのが、外務省の斎木アジア太平洋州事務局長の懇談の内容でした。その局長懇談は、記者クラブのメディア、いわゆる番記者だけを集めて毎週水曜日に非公式に開かれているものです。記者クラブに所属していないメディアは出席できないし、問い合わせてもそのような懇談はやっていないとこになっている。ということで、その懇談内容をすっぱ抜きました。

すると外務省の報道担当官が、週刊朝日の編集部を抗議に訪れた。ただ不思議なのが、その抗議が週刊朝日に対してであって私には来ない。応対した統括副編集長は、上杉氏に抗議を届けます、と言いましたが、報道官はそれを断った。結局、その時の抗議は私のところには届けられなかった。

ところが、翌朝、産経新聞の一面を見ると、私が外務省に抗議されたことになっている。仕方ないので抗議は来ていないけど、翌週の週刊朝日(11月7日号)に再反論する記事を書いた。すると今度は産経新聞が抗議をしてくるのですが、やっぱり抗議の対象が週刊朝日に対してであって、私には来ない。また、産経新聞記者の阿比留瑠比さんもブログで言及していますが、正式に抗議を受けていないので反論もできない。一方で不思議なことに、阿比留さんや外務省には、再三インタビュー依頼をしているのです。にも関わらず、一切受けてくれない上にこのような対応です。更に外務省はHPで週刊朝日の記事が事実無根だとして訂正を求めたいという意向を示しましたが、これも一切連絡はありません。

それからしばらくして、麻生内閣のひとりが、さきほどの閣議で週刊朝日の記事を外務省が政府答弁書で否定したと伝えてくれたんです。一雑誌の記事によくそこまでやるな、と思ってもう一度反論記事を書いたのですが、今もって反応はありません。

一連のことから分かるのは、ひとつは外務省の役人根性です。斎木局長はじめ外務省幹部については、決して知らない仲ではないので、堂々と抗議してくれればいいのにそうしない。おそらく、外務省としては、もうわけのわからない上杉とはこれ以上関わるのはやめようという判断なのでしょう。そういう意味では外務省の判断は正しかったのかもしれません。(笑)

一方、産経新聞はちょっと勇み足だった。外務省抗議を、産経新聞がかなり煽っている部分がありました。特に産経新聞の記事は、一方的な外務省の発表ものです。私や週刊朝日に取材もせずに、週刊朝日の記事を閣議で否定したということを載せた。これは、産経新聞自身が掲げている双方向への取材というルールから大きく逸脱しています。日本では「権力が発表したことはウラを取らなくていい」という勝手なルールがあるんですが、それが今回の産経の記事に現れていました。


権力側の文章を記者が書くということ
―朝日新聞

もうひとつ批判を受けたのが、たまたま同じ日に発表することになった記事なのですが、新潮45(11月号)に書いた『「所信表明演説」で読み解く麻生総理の“一寸先”』という記事。この記事では朝日新聞の編集委員の曽我豪さんが、麻生太郎さんが文藝春秋に書いた論文のゴーストライターを務めていたということを書きました。曽我さんは麻生さんと20数年来の付き合いで、永田町では麻生さんの意向は曽我さんに聞けば一番詳しいといわれている側近中の側近記者なんですね。実際しょっちゅう六本木の馬尻というお店や、最近話題のオークラのハイランダーや帝国のゴールデンライオンなどのホテルのバーで一緒にいます。その人が文藝春秋の麻生論文(冒頭解散を決断したとされている)のゴーストライターじゃないかという噂が流れたんですね。1ヶ月ほど取材をして、状況証拠やいくつかの具体的な証言がとれ、ほぼ確証を得たので、本人にインタビュー依頼と質問状を出し、文藝春秋の編集長宛にも質問を送りました。曽我さんの方は、インタビューは多忙のため受けられないといわれ、いくら時間がかかっても電話取材でも構わないから待つ、と伝えたのですが、結局そのまま返事がきませんでした。校了直前にも問題点を項目分けしてファックスで送ったのですが、結局、ノーコメントに終わりました。文藝春秋の方はというと、事実無根であると短い返事がきました。また麻生首相と村松首相秘書官にも当然ながら質問を送りました。やはりこれも返事はありませんでした。

この話で問題なのは、政治を左右する権力側の麻生総理の文章を、報道側の曽我さんという一記者が書いているということ。日本では、例えば新聞記者などが幹部になると政府の委員になるなど、報道と権力の垣根がはっきりしていない。海外でこのようなことが発覚した場合はその瞬間にクビ、更に深刻な場合ならジャーナリズム界からの追放ということになります。曽我さんはこういう意味で批判の対象となりました。といっても私しか批判していないのですが。(笑)

アメリカでは、権力と報道を人が行き来する際の明確なルールがあります。それはジャーナリズムが政府の委員やゴーストライターなどをして、権力になんらかの影響を与える場合はいったんペンを置かなくてはいけない。また、権力側にいるときはジャーナリズム側としての発表をしてはいけない。これをやってしまうと、両サイドへの二重の裏切りとなってしまいます。

例をあげると、作家で東京都副知事の猪瀬直樹さん。都民からの公金を得ながら、媒体に発表をしている。もし副知事の立場として書くのであれば、これは一向に構わない。しかしジャーナリズムの立場で書くことには問題がある。例えば東京都の情報を書くとき、副知事の立場を使って書類を出させることができる。それをなんらかの商業誌に書くことは公務員の立場としては漏えいにあたる可能性もある
し、ジャーナリズムの側からしても不正な手段で情報を得ていることになる。両方の立場でよくないんです。

また、先の2件に関してメディアの人たちから私が批判を受けているのですが、その理由が記者の名前を出したことについてでした。名前を出されて批判されることに慣れていないんですね。メディアの方というのは、ご自身たちは政治家や一般の人の名前を出して批判する割に、自分たちが批判にさらされると一切対応しないというダブルスタンダードを持っていて、それが問題なんです。

次に日本の記者クラブ制度について話します。私自身と記者クラブの関わりは、最初はNHKのスタッフとして中から、次に議員秘書という権力側から、その後ニューヨーク・タイムズというオブザーバーの立場から、最後に記者クラブから最も阻害されるフリーランス、という4つの立場からのものでした。15年ほど記者クラブという制度を見てきて、これが日本の報道がうまくいかない最たる理由ではないか、ひいては日本の社会システム全体を歪めているのではないかと思っています。

バブル崩壊後、企業などさまざまな組織が倒れていきました。自浄作用が働かない限り生きていけなくなったんです。遅れているといわれている官僚機構も、いろいろな形でスキャンダルが出て、国民の厳しい目線が注がれるようになり、ある程度自浄作用が働いてきている。農業ですら、WTO加入によって世界に合わせて変わっていかないといけなくなっている。

ところが、メディアだけが昔のまま変わらずに生きている。なぜかというと日本語という大きなバリアがあるからなんです。日本人は日本のメディアがジャーナリズムだと思っているが、海外ではまったく相手にされていない。記者クラブ制度は、同業者がアクセス権を持つという制度ですが、韓国でもなくなりましたし、いまや日本とそれをまねたアフリカのたぶんガボンだったと思いますが、そこにしかない珍しい制度です。

この制度がなぜ問題かというと、クラブの性質によって政治の様々なマイナス点が隠され続けてきたからなんです。最近の例をあげると後期高齢者医療制度。あれは3年ぐらい前に民主党の山井和則さんや福山哲郎さんなどの若手議員らが、とんでもない制度だといって委員会でどんどん質問をしていた。しかし記者クラブメディアはそれを一文字も取り上げない。なぜかと聞くと、野党の一議員が言ったってニュースにならないと言うんです。ところが2年経って制度の運用が始まると、今度は大騒ぎするわけですね。なぜこのことが明るみに出なかったのか、政府はこの制度を隠していたんじゃないのかと。しかし全然隠してなんかいなかった。山井さんなんか自分でビラを作って配っていました。このようなことになったのは、政治報道が権力側の発表に従う発表ジャーナリズムであることが原因なんです。政府が発表するまではニュースにならないし、逆に発表すればなんでもニュースになる。政府が発表したかどうかでニュースになるかを判断し、政策などで物事を判断しなくなってしまう。


“出入り禁止”禁止

この前、元財務省の高橋洋一さんと対談をしていて、そこで高橋さんが、マスコミは使いやすいよ、紙を1枚作っておけば、みんなヤギのように寄ってたかって取っていって、ありがたく記事にする。自分が作った中で本当のことなんて書いたことないが、それでも紙ならニュースになり、紙以外はニュースにならない。紙以外をニュースにする場合は取材が必要なわけです。権力側は、「本当に報じないといけないこと」は事実無根だと否定してくる。それを記事にするということこそ世界中のジャーナリストがやっていることなのですが、日本の場合は出しても全く得がないので出しません。これが記者クラブ制度の最大の問題点。

たとえば私が記事を出して、間違っていれば、基本的には、責任とって訂正記事を出すか、謝罪するか、再取材して改めて記事を出すか、そうしたことをすればいいだけだと思うんです。ところが日本のメディアでは1回間違えると、それがそのまま評価の対象になってしまう。そこには間違いは存在しないという前提があるんです。記者クラブの記者が、仮に間違えた場合どうなるかというと、処罰や人事に影響します。スクープをとればいいかというとそうでも無くて、場合によっては記者クラブから出入り禁止となってしまう。たとえば記者クラブには毎日のように紙が張り出されるのですが、それぞれのニュースには解禁時間があります。それを破ればスクープになるのですが、破ると出入り禁止になります。普通は出入り禁止になるのはいい記者の証なのですが、日本の記者は出入り禁止を恐れます。私なんかいろんなところで出入り禁止になっていて、いまやどこが出入り禁止かわからず、間違えて出入り禁止の事務所に入ってしまってしばらく話してから禁止を受けていることに気付いたなんてこともありました。麻生事務所なんですけど(笑)。そういう意味で出入り禁止自体はそこまで恐れる必要はないんです。

なぜそれを恐れるかといえば、取材された側が社内の上の方に言いつけて、お叱りをいただいて評価が下がるからです。非常に珍しいシステムです。それでもよければ記者は書き続けるのですが、当然ながら出世は見込めず、地方に飛ばされるか現場から外されるか、もしくは辞めざるを得ない状況に追い込まれる。記者も当然ながら生活をして家庭を構えているので、おとなしくせざるを得ない。それがシステムとして完成されているのが日本の記者クラブであって、そこから厳しい記事が出るはずがない。

根本にあるのが日本特有の経営と編集の一体化。ある政治部記者が担当する政治家が出世をすると、その記者も同時に出世します。逆に政治家が失脚すると記者も地位が下がる。取材対象と記者が連動しています。そうなるとその政治家のことはいろいろ知っていたとしても、政治家にとっていい記事は書いても悪い記事は書かない。自分の出世をなくしてしまう記事を書くような自爆行為はしません。そして政治家にとっていいことばかりを書くようになり、先にお話しした朝日の曽我さんのように論文なんかも書いてしまう。マイナス情報があれば事前に教えて対策を考える。

もっとひどいのでは、朝日新聞横浜・川崎支局が中心となった社会部によるリクルート疑惑報道。この時は、ある政治部記者が政治家に警告して、それでもままならないとなると、政治部は一切協力できないと言って社会部を妨害しました。こんなことをやっているといつまでも世界標準にはなりません。


便利な記者クラブ―秘書時代の経験から

自分の議員秘書時代の経験から言っても、記者クラブは権力側からすると本当に便利なシステムです。鳩山邦夫さんがまだ民主党の頃、私は政策と広報担当をやっていて、特に東京都知事選出馬の前にはマスコミ担当をやっていました。その時のノウハウから言うと、プラスになる情報を流すときは、あえてホテルなど誰もが入れる場所で記者会見を開きます。雑誌もフリーも海外のメディアも全部来られるので、報じてくれる可能性も上がるわけです。逆にマイナスとなる情報のときはそういうことはしません。

一つの例をあげるとオレンジ共済事件。友部達夫元参議院議員などが逮捕された事件ですが、その事件に当時選挙区であった中央区だということもあって、鳩山さんの名前も挙がったんです。記者クラブの記者は私に、社会部記者が鳩山さんを追っかけているという情報を入れてくれました。本人は関係なかったのですが、すぐに30人ぐらいの秘書を集めると、うち2人が関係があった。法的に問題はありませんでしたが、その2人には全部情報を出させて、政治資金収支報告書なども調べても含めてセーフではあったんですが、イメージのことを考えて1人を事務所から外し、事態の治まるのを待ってから、再雇用を考えるとしました。

次に記者クラブに取材状況を聞くと、雑誌などにはじきにでるだろうということだったので、記者会見を開くことにしました。報じられる前に自分で報じた方がいいというのはメディア戦略の鉄則です。その時会見に使ったのが国会内の記者クラブと都庁の記者クラブ。クラブで開けば、クラブ所属の記者しか入れないし、フリーなどがオブザーバーで入ったとしても質問権がない。さらにあらかじめ記者クラブに対して質問事項を出させて、それにそって質問をさせる。そうすれば、ある程度報じられても、少なくとも会見を開いた事実は担保される。取材の申し入れがあっても、断る口実にできます。今から考えると私自身が非常に不健全なことをしていたのですが、権力側がこういうことができるということにシステムとして問題があるという証人でもあるのです。

逆にニューヨーク・タイムズにいたときには、記者クラブに阻まれました。ニューヨーク・タイムズで当時の小渕総理の単独インタビューを取ろうとした際、秘書を通じてその許可をとりました。そこまでは良かったのですが、首相動静の欄などに載せないといけないというので内閣記者会(記者クラブ)にも一応日程を報告してくれと言われ、報告した。そうすると記者クラブで問題となり、結局単独インタビューを認めないと言ってきた。そんなことは記者クラブに入っているわけでもないし、守る必要はないのですが、今度は総理側が、記者クラブ全体を敵に回したくないので許可を取ってくれという。それでさんざんやりあったが、結局小渕首相の死によってインタビューは実現しなかった。


知るべきことを知らされない国民

記者クラブは、同業者の仕事の邪魔をする不思議な制度であって、権力側からすれば大変便利だが、フリーからすると非常に邪魔。しかし一番不利益を被っているのは、本来知るべきことを知らされない日本の国民です。これを打破する動きとして、鎌倉市や長野県で記者クラブを開放したということがあったのですが、これはいつのまにかなくなってしまった。また5年以上前に民主党が岡田克也代表のとき記者クラブを開放しているのですが、不思議なことに一切これは報じられなかった。これは既得権益に絡む問題です。民主党の記者クラブ開放を報じてしまうと、雑誌とか海外メディアや私のようなフリーが入ってくる。するとこれまでの記者クラブの調和が崩れてしまい、当たり前ですが政治家に厳しい質問も出てしまう。こういった理由で5年間黙っていたのですが、最近私が『ジャーナリズム崩壊』という本の中でこのことを書いてしまったために、記者クラブの開放が明るみになりました。民主党のある職員からは、お前のせいで仕事が増えてたまったもんじゃないよ、と言われました。(笑)それだけメディアは記者クラブの開放にナーバスになっています。

しかし記者クラブの開放自体は時代の流れだと思います。これまで記者クラブが維持されて来たのは記者たちが、どうでもいい情報をいかにも大事であるかのように扱い、自分たちだけが持っていることで価値を高めて、報じて来たからなんですね。

ところが、そういうことができなくなって来た。その一つの原因にインターネットの普及があります。かつては委員会などの国会審議とかは記者クラブの記者以外は現場に入ってみることができなかった。傍聴してもいいけれど、毎日やっている暇はない。それがいまや完全に動画で公開されている。それを見れば一般の人でも本当のことが何なのかがわかり、記者クラブの記者がどうでもいいことを取材したフリをするなんてことがまずできなくなってきている。また秘書や役人が匿名で書くブログのようなものも増えているし、なんといっても大きいのが政治家とか官僚、つまり取材される側が本人の名前でブログで直接情報を発信していること。特に若手政治家、河野太郎さんや山本一太さんなどはかなり早い段階でブログを書いていて、官邸で首相の話を聞いて来たなんてことをその直後にはアップするわけです。そうすると政治部記者はたまったもんじゃない。翌朝の新聞に書いてあることよりも、もっと詳しい内容を当事者が全部書いてしまうわけですから、いままでのようなごまかしはきかない。そういう意味で変化の兆しはあります。

ただ根本的な部分はちょっと変わりにくい。というのはやはり記者クラブを守って来た人が、いまやメディアの経営陣となっていて、それを開放するというのは自分たちのやって来たことを全否定することになってしまう。私が記者クラブ批判を書いていても、若い記者からは好意的な反応をもらったりもするのですが、幹部の人からは例外無く嫌われている。そういう今の幹部の人がいなくなって、記者クラブに疑問を感じている人が上にいけば、メディア自身から変わっていくこともあるかもしれません。

もうひとつやっていかないといけないのが署名記事の普及です。毎日新聞以外は誰が書いた記事か全く分かりません。毎日新聞もデスク等が手を入れることを考えると、記事に責任を持つという意味での厳密な署名制とは言えません。客観報道という名の下に名前を書けないということらしいのですが、まず人間が客観的だなんて100%有り得ない。客観なんて言う人に限って主観が入っている人が多い。客観報道なんて言うこと自体おかしい。まずその記事が誰によって書かれたかを読者に知らせることも情報のひとつとして必要です。海外の新聞は通信社の記事以外は全て署名記事です。新聞社の記事は分析や評論を主とするので、どういう人が書いたかということが非常に重要なんです。例えば書いた人が、保守的なのかリベラルなのかということを頭に入れながら記事を読めるわけです。また署名をして堂々と批判をすれば、相手も反論してきてそこで論争が芽生える。結果としてそれが政策に影響したり国民の知るところとなる。署名記事が普及することは記者クラブの開放にも繋がります。韓国の記者クラブ制度崩壊の一つの理由には、メディアの側が署名記事制にしたことも大きく関わっています。そうすることで個人が記者クラブに入るきっかけができた。そしていい記者は転職をどんどんするようになり、会社が記者クラブを作る利点がなくなったのです。これが、記者個人として変わっていくべきことです。


新聞業界の再編 通信と新聞の分離

システムとしての部分ではいろんな考え方があるのですが、最近私が一番いいと到達した考え方をお話しします。日本のメディアはジャーナリズムと言われていないのですが、じゃあ何に分類されるのかというと、ワイヤーサービス、いわゆる通信社の業務なんです。海外では新聞記者と通信記者の仕事は明確に分けられます。新聞記者は分析や評論、通信記者は発生もののストレートニュース。通信記者は事件があるといち早く現場に駆けつけて第一報を送る。新聞記者は事件が終わった後にその事件が取材すべき価値があるか、記事に書かれるべきかを判断して取材をして分析し記事を書きます。通信社の記者は署名はいらず、人数は大変多い。その分給料はちょっと安め。新聞記者は、人数は少ないけど、一本の記事が非常に長く執筆力を求められる、文体なども考慮されます。ニューヨーク・タイムズは全世界に300人程度の記者しか居ません。一方日本の朝日新聞は3000人を超えているという状況です。これをどうすればいいか。アメリカのまねをする必要は無いのですが、日本も世界と同じシステムにすればいい。そうすれば3000人の記者はおそらく300人ぐらいになる。ストレートニュースは通信社の記事で十分です。そうすれば記者クラブ自体不要になって通信社の記者だけがいればいい。新聞記者は外に出て取材をするようになる。

ただこの改革をすると、その新聞社は記者クラブを開放しなくてはならないし、9割ぐらいの記者の首を切らなくちゃいけない。難しいかなと思っていたのですが、最近一つアイデアを思いつきました。日本の新聞社が体制を変え、自社の改革として通信社を子会社として作ればいい。そうすれば取材ができて筆力のある記者を新聞社に残して、他は通信社の記者にする。全く取材のできないような記者は淘汰される。こうすれば3000人の高給取りを抱えて危機的状況にある新聞社の経営も、ずいぶん改善されるんじゃないでしょうか。

ただメディアの経営陣と話していると、ものすごく頭が古いのでそうは簡単にいきそうにありません。おそらくショック療法として一社や二社経営破綻して、いよいよどうしようもない状況にならなくては日本のメディアは変わらないのではないでしょうか。これだけ批判をしている私が言うのもなんですが、私も新聞やテレビで仕事をして生活している以上、潰れられては困るし、なんといっても報道機関が無い国では全体主義、独裁主義が始まる可能性もあるので、日本のメディアになんとかして立ち直って欲しいと常日頃思っています。


新しいメディア体制 その先駆者として

最後に、これからジャーナリストを目指す人。まず絶対に守って欲しいことが1つあります。これから報道機関を受ける時、私の名前を絶対に出さないでください。(笑)間違いなく落ちるので。よくエントリーシートとかに尊敬するジャーナリストとかいって書いてしまうと、上杉の上ぐらいまで書いたらもうアウト。面接の時も口が滑ってしまわないように気をつけてください。面接官に1人ぐらい奇特な人がいて、いいよね、なんて言ってくれるかもしれませんが、面接で上がっていって、経営陣になってくると、100%、橋本知事の言葉を借りると2万%、私のことが嫌いです。今日の講演とかも聞かなかったことにした方がいい。聞きにいこうと思っていたけど、雨だしやっぱりあの人変だからやめておいたということにしておいてください。最近じゃ内定取り消しとかもあるので、入社式が終わって、研修が終わって、半年後に正式に配属になって、初めて知っているとでも言っていただければいいと思います。でも基本的には中でも言わない方がいいです。

アドバイスになっていませんが、そもそも今目指されている方が入って第一線の記者になる頃には、今の記者クラブ体制は維持できていないと思います。なのでそれを変える努力をするというよりは、新しい日本のメディア体制の先駆者として自分なりのジャーナリズムをそれぞれが構築していけばいい。別に基本的なことをのぞけば、こうしなくちゃいけないというルールはありませんから。それぞれのジャーナリストとしての手法を自分なりに経験で学んでいってどんどん表現していくことがいいと思います。入る時はくれぐれも黙って入って、中で暴れる(笑)。まぁ追い出されるぐらいの方がどちらかというと優秀なジャーナリストとして拾ってくれるところに多くなると思われます。もしそうならなかったら、皆さんがクビになるよりも日本のメディアが終わっていく方が早いんじゃないでしょうか。逆の意味で、日本のメディアが機能していないからこそ、今から入る人は最初さえ上手くだませれば、ジャーナリストとしての未来は非常に明るいんじゃないかと思います。全くアドバイスにならずにすみません(笑)。