共同通信による「60年安保の核密約」記事は、なかなかのヒットだった。配信を受けた新聞社の中で、東京新聞は1面、北海道新聞も1面。ほかにも多くの地方紙がこのニュースを大きく扱ったようだ。(私に見落としのない限り)全国紙の朝日新聞、読売新聞は、この件を全く報じていない。毎日新聞は「一部報道を官房長官が1日の会見で否定した」という形で報じたが、せめて、最低でもそのくらいの記事にはすべきだろう。「一部報道」という引用のやり方も、いい加減に止めたらどうかと思うが、まったく無視することはなかろう。
そして、である。この共同通信の記事が配信された後の、外務省の記者会見が、会見記録のテキストを読む限り、どうやら、全く盛り上がっていない。ふつうなら、スクープされた怒り・情けなさもあって、容赦ない質問が飛び交う、、、ものだと思っていた。しかし、実情は違ったようだ。以下は、外務省のHPに記載された6月1日の薮中三十二外務事務次官の会見記録(当該箇所のみ抜粋)である。
(問)一部報道で、「60年安保の核持ち込み密約」があったと報じられています。報道によれば、外務官僚が文書を管理して出す出さないを判断していたと、そして総理、外務大臣にも教えたり教えなかったりと、実際に引継ぎもされていたと、具体的に匿名ですが4人の次官の証言も報じられていると、これについて、事実関係を教えてください。(事務次官)これは明白であり、そのような密約は存在しないということ、これは繰り返し歴代の総理、外務大臣も説明をされておられますけれども、これに尽きているということですし、私が承知していることもそれに尽きているということです。(問)特段引き継がれてはいないと。(事務次官)全くありません。(問)その4人の中には、日本政府は国民に嘘をついていたと証言されている方もいます。否定するということは、その4人の方が嘘をついているというご認識なのでしょうか。(事務次官)その4人の方というのが、どういう方で、どのような形でインタビューされたのかよくわかりませんが、私が申し上げたいことは、そのような密約は存在しないということです。私自身もそれ以外一切承知していませんし、大事なことは歴代の総理も外務大臣もきちんと明確に説明をされていると、これに尽きていると私は考えています。(問)国民の方から見ると、どちらが本当なのか、むしろ具体的な4人の方のお話の内容からみると、外務省の方が嘘をついているのではないかと思うのではないかと思うのですが、80年代から90年代に次官をされていたということで、ある程度特定されるのですが、外務省として話しを聞いて事実関係を調べるというお気持ちはあるのでしょうか。(事務次官)その必要は全くないと思っています。我々としての説明は一貫している訳ですから、それ以上の事は必要ないと考えております。
会見記録が実際のQ&Aを忠実に再現しているものと考えたら、この核密約問題に関する質問は4つ。北朝鮮問題があったとはいえ、全体の問答からすれば、全体の5分の1弱の分量しかない。事の重大さに比べたら、いかにも質問が少ないではないか。加えて、質問がどうにも優しい。別に、言葉を荒げる必要はないが、この会見録の感じからすると、記者たちは、ずいぶんと「物分かり」が良さそうだ。
例えば、3つめの(問)。質問者は「次官経験者の4人は嘘をついたということか」と聞いているのに、藪中次官はそれに答えず、「密約は存在しない」と言っている。質問の仕方を説経したいわけではないが、もっと、たたみかけて聞けばいいのに、と思う。「では、次官経験者4人が嘘をついたということでいいですね?」とか、「藪中次官は正直者だけれども、藪中次官の先輩の4人は嘘つきなんですね?」とか。あるいは「こんなデタラメを書かれたわけだから、共同通信には当然、抗議したんですね?」とか。
だいたいにおいて、米国でこれに関する公文書が公開されているにもかかわらず、日本政府は「密約はない」と言い続ける。その図式こそが、滑稽極まりないのだ。そして、そういう、「公然たる嘘」を許してきたメディア側の責任も相当に重い。
例として適切かどうか分からないが、数年前、北海道警察の裏金問題を追及した際、当時の取材班は取材をスタートさせる際、「裏金の存在を公式に警察に認めさせる」ことを目標に置いた。なぜなら、公式に認めさせない限り、いくら悪弊を暴く記事であっても、「書きっぱなし」で終わる可能性が高かったからだ。警察の裏金自体はその時点でも、過去、週刊誌や全国紙などで何度も報道されていた。警察の裏金の存在を暴くこと自体は、何も、全く新しい話ではなかった。しかし、それに関する過去の報道は、「裏金の存在を暴く → 警察は否定 → そのうちウヤムヤになる」というパターンの繰り返しだったのである。これでは、世の中、悪弊はなかなか是正されないのだ。北海道警察が裏金の存在を認めるに至ったのは、原田宏二さんという元道警の大幹部が、実名で名乗り出て、その存在を暴露したことが大きく寄与しているが、「認めさせるまで報道を続ける」というしつこさも結構な役割を担っていたと思う。
今回の「核密約」報道も、何となく、これに似ているように思える。もちろん、見えぬところで取材は継続しているかもしれないし、この先、さらに驚くような関連ニュースが出るのかもしれない。だから即断はできないのだが、しかし、例えば、報道後、最初の外務大臣会見だった2日の会見では、記者側から核密約の質問は全く出ていない。公式な記者会見での質問だけが取材ではないが、少なくともスクープされたネタに関して質問も出ないのだから、やる気の無さは覆い隠しようもない。
「会見で質問してもどうせ否定するから」などと思ってはいけない。たしかに、公の記者会見で「はい、確かに密約はございました」などと認めることは、ほぼあり得ないだろう。しかし、外務省幹部に厳しい質問を矢継ぎ早に浴びせ、それに対して何と答えたか・答えなかったかは記録に残せる。その繰り返しが大事なのである。「知る権利の代行者であるわれわれ記者は、この問題を看過しませんよ」という姿勢を見せ続けることが、まずは大事なのだ。そして、そういう会見記録の集積は、その時々の政治や官僚の姿勢を映し出す。国民には政治的判断の大きな材料になるし、後の世代にとっても価値ある記録になるはずだ。
密約を公式に認めさせることはできないにしても、せめて、会見でそれぐらいの質問は重ねて欲しい。「もう、会見はいやだ。取りやめにしたい」。相手にそう思わせてこそ、記者だと思う。
日米核密約/政府は真実を語るときだ外交には秘密が付いて回るとはいえ、これはどうにも釈然としない。1960年の日米安全保障条約改定の際、核兵器を積んだ米軍艦船などの日本立ち寄りを黙認したとされる日米両政府間の密約である。その中身については、これまで何度か米側の開示公文書で明らかになっている。ところが、日本政府は一貫して密約の存在を否定し続けてきた。一方の政府が開示した公文書の内容と、もう一方の政府の説明が百八十度食い違う。不可解な「ねじれ」が解消されないなか、新たな証言が飛び出した。4人の外務事務次官経験者が共同通信社に明らかにしたもので、密約は次官らによって管理され、その判断で一部の首相と外相にだけ伝えられていたという。うち1人は、核に関する非公開の日米了解があり、次官の引き継ぎ事項になっていたことは「大秘密だった」と語った。密約をめぐる日本側の文書が外務省にあったという証言のほか、国会で事実と違う答弁を続け、「何か恥ずかしいなという思いがあった」と振り返った元次官もいる。次官といえば事務方のトップだ。外交現場の中枢にいた複数の当事者の証言が、何を物語るか。1人の元次官が明言したように、政府が長年くり返してきた説明がうそだったということだろう。国民に対する背信というほかない。同時に、「持たず、つくらず、持ち込ませず」という日本の「非核三原則」にも、重大な疑念を抱かせてしまう。問題はそれだけではない。核兵器の持ち込みという、戦後日本の根幹にかかわる問題が、限られた首相にしか伝えられていなかったという点だ。密約の内容を話していい首相と、そうでない首相を役人サイドで選別していたというから、官僚主導も極まっていた感がある。これらの証言について、河村建夫官房長官はあらためて密約を否定し、「米政府から事前協議がない以上、核持ち込みがないことに疑いを持っていない」と語った。従来とまったく変わらない見解を述べる対応には、歴代次官の証言がもつ重みを真剣に受け止めようという姿勢はうかがえない。日米安保への影響を懸念しているのかもしれないが、政府への信頼が大きく損なわれてしまう。こんな証言があってなお、重大な食い違いを放置していては、失うものの方が大きい。政府は真実を語るときだ。(6/8 09:57)
米核密約証言 もはや言い逃れはできない
2009年6月2日
1960年に日米安全保障条約(安保条約)が改定された際、米艦船や航空機に搭載された核兵器の持ち込みを、日本は黙認するという密約が日米間で交わされていたことが一段と鮮明になった。今回は外務官僚機構トップにいた人たちの証言だけに、政府も言い逃れはできまい。全容を国民に開示し、うそをついてきたことを率直に謝罪すべきだ。政府は、核兵器の持ち込みに関する事前協議制度について、日米間の合意は安保条約第6条の実施に関する交換公文と「核持ち込み」を事前協議の対象にするとの藤山・マッカーサー口頭了解以外にないとし、密約を否定。米政府から事前協議の申し入れがない以上、「核兵器の持ち込みはない」と答弁してきた。ところが、密約は外務省の歴代事務次官が管理、一部の首相や外相に伝えてきたと4人の次官経験者が証言した。密約の存在を裏付ける資料は米国の公文書公開に伴い、2000年ごろから報道されてきた。今回の証言を受け、政府はあらためて密約を否定しているが、事務方のトップを務めた次官の証言は重い。現在の日米安保条約は、51年のサンフランシスコ平和条約と同時に締結された安保条約を失効させた上で新たに成立した。旧安保条約に基づく米軍の駐留を引き続き認め、実態は改定とみなされ、「60年安保」ともいわれる。密約はその際、「秘密議事録」の形で文書化された。事前協議制度を設け、その運用として「現行の手続き」が盛り込まれたとされる。つまりは「旧安保の慣行でよい」との合意である。米政府戦略は「核兵器の存在は肯定も否定もしない」態度で一貫している。今後も米側から事前協議の申し入れがあり得ないのは明らかだ。日本は世界で唯一の被爆国であり、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を唱えている。沖縄返還前の67年12月、沖縄を含む日本全体への「核兵器持ち込み反対」の世論に押され、当時の佐藤栄作首相が国会で表明、歴代政府もこれを国是として認めてきた。非核三原則の国是に反する密約を認めるわけにはいかない。政府は真相を明らかにし、改めるべきは改めるべきだ。
<核密約>河村官房長官が改めて否定6月1日19時29分配信 毎日新聞河村建夫官房長官は1日の記者会見で、1960年の日米安全保障条約改定に際し、両政府が結んだ日本への「核持ち込み」黙認の密約を外務省が組織的に管理していたとの一部報道について、「(同条約で定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いを持っていない」と述べ、密約を改めて否定した。藪中三十二外務事務次官も会見で「密約はないと歴代首相、外相が説明している。それに尽きる」と否定した。一方、共産党の市田忠義書記局長は同日の会見で「事実とすれば、『非核三原則』を国是とする政府が国民をだまし続けてきたことに他ならない」と指摘。「核持ち込み」に関する密約があったと証言したとされる元外務事務次官4人を国会に参考人招致して真相究明すべきだとの認識を示した。【中澤雄大】
1. 刑事1~3審における明白な事実認定の誤まり
(1) 民事1審の原告本人尋問の中で言及したところであるが、本件事件の争点となっている1034号電信案(甲42)の3項「請求権」の項で、原文は「本大臣より重ねて何か政治的に解決する方法を探求されたく、なおせっかくの320がうまくいかず、316という端数となっては対外説明が難しくなる旨付言しておいた」とあるが、刑事1審判決でも2審でも最高裁決定でも「対米説明」と認定されており、明白な事実誤認を冒しています。
対外とは、外務省及び政府からの外のという意味、要するに国会だとか、メディアだとかを指すものです。甲42の証拠の原文も「対外説明」とあるし、文脈上も対米説明では意味をなさないのだから「対米説明」は全くの事実誤認である。
然るに刑事1~3審はこの明白な誤まりを是正することなく確定させている。最高裁決定を含め刑事確定判決の脆弱さを感じざるを得ません。尚、民事1審判決はこの点につき何の根拠も示さずに是正されている。
(2) 同じく民事1審原告尋問の中で指摘したところであるが、無罪判決を言渡した1審判決でさえ、吉野証人の嘘を看破れず、「秘密書簡発出の点に終局的には米国側からの要求を阻止できたことが認められ、以上の事実を総合してみると、体裁を整えることや秘密書簡発出を巡る折衝もなお違法ということはできない」と判示した(乙2p61)のです。この点が誤判であったことは、米公文書の存在や、2006年2月以降の吉野発言によって明らかであります。この点も刑事判決の事実認定のもろさを示しています。
(3) ①次に堀籠幸男現最高裁判事が本件刑事最決の判例解説を書いております。担当調査官が当該判例解説を書くと聞いておりますので、堀籠判事が、当該担当調査官であったと推察します。
同判事は解説のp159で以下のとおり述べています。
「いわば戦争によって失ったわが国の領土の一部を外交交渉という平和的手段により返還してもらうという重大な国家目的を達成するために、わが国の外交担当者が米国の外交担当者と行った一種の操作が対米請求権の財源問題である。すなわち、沖縄の施政権返還に伴い日本側がアメリカに支払う金員は、いわば政治的な?み金として3億2千万ドルと決ったが、そのうちから400万ドルは対米請求権の財源として使用することが合意された。しかしアメリカ側は財源の実質的負担は日本がすることになったとして国内を説得する必要があり、他方、日本側は請求権の財源を日本が負担するものではないとして国内を説得する必要があったため、右400万ドルが3億2千万ドルのうちから支払われることを秘匿しておくという合意がなされたものと考えられる。
そうだとすると、我国が沖縄の施政権返還に伴い支払うべき金員の総額については国会の承認を得るものとされているのであるから、対米請求権の財源の処理の仕方について、それぞれの国内対策上若干の形式上の操作を加えたことは、外交交渉の過程ではある程度やむを得ないところであって、外交担当者に授権された範囲内のことであるというべく、違法とまではいえないのではなかろうか」
と記述している。
これらは、本件最高裁決定を担当した最高裁判事の事実認識や法的評価を端的に示していると見るのが自然である。
② しかしながら、これらの事実認識が悉く間違っていたことは、本訴1・2審で提出した証拠によって明らかです。
甲11(柏木・ジューリック秘密覚書)、甲24の1~5(ケーススタディ)、甲1の1~3(2002年発掘の米公文書)、甲2~5(2000年発掘の米公文書)、甲38(若泉敬論文)、2006年2月吉野発言などによって、明らかであります。
解説が示した「沖縄の施政権の返還に伴い、日本がアメリカに支払う金員は3億2千万$に決まった」というのが抑々客観事実に反することであるし、400万$を米側は財源の実質的負担は日本が負担することになったとして国内を説得する必要がありとあるが、日本が米国に頼み込んだことで、アメリカが国内説得の必要性は全く感じていなかったものです。沖縄密約の出発点は、1969年の日米共同声明の前に柏木・ジューリック間で掴み金5億2000万$弱を日本が支払うということから始まっており、これに加算されたのが復元補償費の本件400万$とVoAの移転費1600万$の合計2千万$であり、この総額の中味を国内説明できるように、偽装し直した上で協定化する作業が大蔵省から外務省へ押しつけられたというのが歴史の真実なのである。
ところで、刑事公判では、日米共同声明の時にすでに沖縄返還の財政取り決めは大方決着ついていたことは一切法廷に顕出されていなかった。刑事弁護人の弁論要旨には一切触れられていないことからもそのことは判る。
従って、最高裁第1小法廷の判事の認識と評価が「国内対策上若干の形式上の操作を加えた」とか、「外交担当者に授権された範囲内のことであり、違法とまでとはいえない」と外務省に同情的評価を与えていたということは全く的はずれという外ないのである。
刑事裁判として成り立たせるためには、日米共同声明の時点からの事実と証拠が刑事公判廷に顕出され、1034号電信文が法の保護に値する秘密なのか否か、佐藤政権の権力犯罪を示す証拠なのか否かが論ぜられなければならなかったのである。
米国の情報自由法によって、近時情報公開された前述の事実なり証拠が刑事公判で顕出されていれば、控訴人が無罪であったことは必定である。
2.
(1) 民事控訴審になってからも、密約を裏付ける米公文書が発掘され、控訴人は甲107~112、113として提出することができました。前者は「米国による沖縄の地権者に対する『自発的支払い』について、日本政府が、電信文の漏出により国会においてかなりの苦境に陥っており、(日本政府が)信託基金の設立延期を米国側に要請し、米財務省がこれに応えて1973年に延期を決定したというものです。
後者は、沖縄返還後も、有事の際に米軍が核兵器を持ち込むことを日本側を認めた米公文書の発掘です。甲38の若泉敬論文の正しさを裏付けるものです。
このように今後も米の情報自由法による米公文書の開示と発掘によって、続々と密約やその内容と詳細が発掘され、1034号電信文案が法の保護に値する秘密に該らず、却って佐藤政権の権力犯罪を示すことが一層明らかになっていくことが確実に予測できます。
(2) 今の処、吉野発言以外に告白する関係者は出現していませんが、外務省関係者、検察関係者から出て来ないとは限りません。
又、日本で政権が交代した時に、外務省が隠してやまない沖縄交渉関連文書が出て来ないとも限りません。それらが出て来た時、控訴人の冤罪性が益々磐石なものとなることはあれ、検察主張立証の正しさを裏付けるものは出て来ようがあり得ません。同じく刑事最決の正しさを裏付けるものは出て来ようがあり得ません。
3. 吉野文六は、本件一審判決後も朝日新聞記者の取材に応じ、それは甲88の1~4のインタビュー記事となっている。ここでも数々の事実を重ねて暴露している。
国家公務員は退職後も守秘義務が課せられている。しかし、外務省や政府高官や司法当局から、吉野の国家公務員法違反の言及はない。吉野が真実を述べているから手も足も出せないのである。
4. 真実は裁判の出発点である。
沖縄密約事件において、今や真実が何かは明らかである。東京高裁第9民事部におかれては、刑事最高裁の誤判を正し、公正な判決を言渡されんことを期待するものであります。
六五年の日韓協定は、日本から韓国に無償三億ドル、年利3・5%の有償二億ドルの計五億ドルの経済協力をすることで締結された。三十五年に及んだ植民地支配の清算名目の金額と比べても、沖縄返還で動いた金の規模の大きさが想像できる