前日(3月11日)に、産経新聞が漆間発言に関し、情報源の秘匿という部分で記事を書いているのだが、フリージャーナリストの上杉隆氏は、根本的な問題として記者クラブの存在が「大きな問題」の一因だとし、ダイヤモンドオンラインに寄稿をしている。
漆間発言で思う、「オフレコ」を当然と思う日本メディアの甘さ
2009年3月12日
漆間巌・内閣官房副長官のオフレコ懇談が話題になっている。
首相官邸で開かれている週1回の定例懇談会の席上、「政府高官」として、西松建設の政治資金規正法違反事件に絡んで、「自民党議員への波及はない」と語ったのが騒動の発端だ。
それを共同通信が報じて、「国策捜査」を裏付けるものとして野党が批判し、続いて、記者クラブ各社が「政府高官」の氏名の公表を迫ったというものだ。
「政府高官」の発言内容そのものは、まったくもって論外であり、もはや是非で論じるレベルのものでもない。また、漆間氏の政治的な志向については、拙著『官邸崩壊』と『宰相不在』で指摘しているので、ここでは改めて言及しない。
今回論じるのは、漆間氏の発言そのものではなく、彼を取り巻く記者クラブメディアのオフレコ懇談への対応の酷さだ。
海外とは「オフレコ」の意味が大きく異なる
結論から言えば、今回の漆間氏の発言は、日本特有の記者クラブの中ではいざ知らず、少なくとも、全世界のジャーナリズムのルールでは、「オフレコ」の要件を満たしていない。
まず、「オフレコ」の概念が日本と海外では大きく異なるのでそれを説明する。
海外での「オフレコ」とは、文字通り「オフ・ザ・レコード(off the record)」であり、記録することは出来ず、原則的に記事にすることもできない。日本の記者クラブの「オフレコ」は、「政府高官」や「政府筋」などの匿名で報じることができる点を考えると、おそらく「バックグランド・ブリーフィング(background briefing)」を指しているようだ。
ここで、用語の違いをとやかく言うつもりはない。問題は、漆間氏のオフレコ懇談の環境が、「オフレコ」の条件をまったく満たしていないことにある。
海外で「オフレコ」(以下BBもオフレコに統一)が認められるのは、情報源を明示することによって生命の安全が脅かされる可能性のある場合、あるいは氏名公表によって著しい不利益を蒙る可能性が高い場合に限定される。
よって、公人中の公人である権力側の「政府高官」のオフレコは、基本的には認められない。国民の税金で口を糊する権力者の発言は、政治利用の恐れがあるため、実名が原則だ。それが事務次官会議を主宰し、官僚トップの官房副長官ならばなおさらだ。いかなる言動についても、公人としての説明責任が伴うのである。
さらに、今回の懇談は、首相官邸という高い公共性を帯びた建物の中で、定例の記者懇談という形で行なわれている。当然、生命の安全を脅かされることも、不利益を蒙ることも考えられない。
本当に、私的なオフレコ懇談が必要ならば、ホテルなどのプライベートな空間で開けばいいだけの話だ。そもそも複数の記者の前で、「オフレコ」が完全に通じると思う「政府高官」の認識が甘い。逆に、そうした「談合」を許し続けてきた記者クラブ側の意識の低さも今回の騒動の遠因にもなっている。実際、記者クラブ記者たちのそうした認識の低さは、きょうの産経新聞の斎藤勉・編集担当のコラムに顕著だ。
〈記者懇に対しては政権側との「談合」「癒着」などといった批判も聞かれる。しかし、現場の政治記者にとっては国民の「知る権利」に応えるべく、建前論に流れがちな記者会見から一歩も二歩も踏み込み、政局の真相の一端に迫るため長年かけて編み出した取材の知恵といってよい〉(「漆間発言」とメディア 取材源 安易に暴露していいのか/3月11日付)
取材源の明示は「知る権利」の中の最重要の要素だ。誰が語ったかということは、その発言の真偽を判断する上で不可欠の材料となる。筆者の所属したニューヨーク・タイムズでは、すでに10年前でも「政府高官」の匿名コメントは一切認められなかった。ところが、この産経コラムはこう書く。
〈米国でも、例えば国務省で報道官が公式会見を行ったあと、同じ報道官との懇談は取材源を「国務省高官」として発言の引用が許される慣例がある〉(同前)
念のため、ニューヨーク・タイムズのアーカイブを探したのだが、筆者はこの種の記事を見つけることができなかった。もしかして見落としたかもしれない。だが、こうした取材方法と記事は、もはや米国の新聞ではほとんど認められていないことを付記しておく。
1970年代、すでに「政府高官」の取り扱いについてはひとつのルールが定まっていたという。ワシントン・ポストとキッシンジャー国務長官の間で発生した「政府高官」をめぐるエピソードは次のニューヨーク・タイムズの同僚の言葉を紹介すれば十分だろう。少し長いが拙著より引用する。
〈その時に、日本人スタッフのひとりが教えてくれたのが、ワシントン・ポストのブラッドリー編集主幹とキッシンジャー国務長官(ともに当時)の「戦い」である。ベトナム戦争当時、ワシントン・ポストの国務長官担当記者が、キッシンジャーから国務省に関する機密情報を教えてもらった。だが、記事にするには条件が付帯されている。それはソースがキッシンジャーであることを伏せるというものであった。
当時のワシントン・ポストではすでに公人のクレジットについては、明確にすべしという指針が存在していた。ブラッドリーは掲載すべきかどうか悩む。情報はのどから手が出るほど欲しいものだが、なにしろウラが取れない。しかし発言者は国務省のトップで当事者である国務長官だ。ブラッドリーはその記者をキッシンジャーの元に行かせ、氏名の掲載許可を求めた。
ところがキッシンジャーは頑として許可をしない。怒り狂ってその記者を罵倒したという。だが記者も引き下がるわけにはいかない。粘りに粘った末に引き出した条件が、「政府高官」というクレジットならばいいというものであった。
だが、それでもブラッドリー編集主幹は納得がいかない。そこで自らもう一度交渉を試みるが、キッシンジャーの提示条件は変わらなかった。
ついにブラッドリーは「政府高官」での掲載を認める。記事中のソースはすべて政府高官の情報によると、と書かれている。キッシンジャーの氏名は約束通り、一切使用されていない。ただ、記事中にはひとりの男の写真が掲載されていた。そのキャプションには「政府高官」とあり、写真はキッシンジャーのものだった。
これが米国のジャーナリズムだ〉(拙著「ジャーナリズム崩壊」から引用)
仮に、現在、米国の「政府高官」が匿名でのコメントを求めたら、ほとんどの記者が席を立って、その場からいなくなることだろう。なぜならば、政府高官の「オフレコ」がジャーナリズムの精神として許されないばかりか、仮に、取材済みの情報と重なってしまったら、それこそ信義上、記事にできなくなるからだ。
こうした傾向は米国だけに限らない。世界中のジャーナリズムが、政治権力との距離感については、すでに30年以上前からずっと気を遣い、頭を悩ませ、そして戦い続けているのだ。
〈米国のジャーナリズムでは犯罪や犯罪組織を利するようなケースを除き、取材源の秘匿は徹底して守られるべきだとの空気が根強い。
かつてニクソン米大統領を失脚させた「ウォーターゲート事件」で、スクープを放ったワシントン・ポスト紙の情報源(ディープ・スロート)だったマーク・フェルト元FBI副長官は30年後に自ら名乗り出るまで、名前は秘匿され続けた。
今回のケースと一概には比較できないが、「取材源の秘匿」の重さには変わりがない。取材源の安易な暴露はジャーナリズムの自殺行為になりかねない〉(同前)
確かに、ジャーナリズムに携わる者がもっとも重視しなくてはならないのは取材源の秘匿である。仮に、投獄されても、暗殺されても、記者ならばそれは守り抜かなければならない――。ニューヨーク・タイムズで筆者が繰り返し教えられたのはそうだった。
だからこそ、ワシントン・ポスト記者のウッドワード氏とバーンスタイン氏は、フェルト元長官を守り続けたのだろう。
とはいえ、斎藤氏のいうような無制限の取材源の保護には賛成しかねる。氏はこうも言う。
〈不文律ではあっても「取材源の秘匿」という原則をメディア側、政権側ともあまりに軽々しく考えてはいまいか。せっかく積み上げてきた「取材現場の知恵」が傷ついたことで、政府各機関の記者懇にも負の影響が出ることが懸念される〉
ジャーナリズムの守るべき取材源は、相対的に、社会的な弱者である。強者の保護は限定されるべきではないか。だからこそ、政治家や権力者などの公人のコメントは、原則としてオフレコが解除されて当然だと考える。
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3月12日の産経は、前日の常務の記事で漆間発言の幕引きを図りたかったのであろうか。しかし、フリージャーナリストの上杉氏の寄稿分で、記者クラブ問題に火がついてしまった形である。この記者クラブ問題が、民主党政権、つまり政権交代が起きた時にどのような影響が出てくるのか期待をせずにいられない。
現実には、12日の記事を読むと、記者クラブ問題よりは小沢氏が党首を続けるかどうかがカギのような書き方であるが、だとしたらはじめから小沢氏の影響力を削ぐためにこの西松事件が起きたのではないだろうかとさえ思えてくる。
小沢氏、打つ手なし? 代表退けば浮上できぬ…
2009.3.12 00:23
政治資金規正法違反事件で公設秘書が逮捕された民主党の小沢一郎代表は、党内でくすぶり続ける「小沢降ろし」や世論の反発を受けても、代表に当面はとどまる意思を変えていない。小沢氏が代表にこだわるのはなぜなのか。生き残りをかける小沢氏の執念が透けて見える。
小沢氏は11日、党本部で、自身に近い同党中堅・若手議員らと会談し、代表続投を求められ、「何としても次期衆院選で勝つ。オレは悪いことはしていない。いずれ真実が分かれば国民も理解してくれる」と述べた。事件についても、潔白を訴えながら「検察批判」を展開し、代表続投への意欲をにじませた。
また、東京地検特捜部による石川知裕衆院議員の事情聴取報道に関しては、「参考人聴取は内々にやるものだ。半年以内に衆院選があるのに、こんなことが報じられたら、選挙妨害以外の何ものでもない」と憤りを隠さなかった。
小沢氏の胸中をめぐっては、さまざまな憶測が党内で飛んでいる。「事件が秘書の政治資金規正法違反にとどまれば、世論の風向きが反転すると読んでいる」(中堅)との見方がある一方、周辺からは「次期衆院選で勝つためには、代表を退く腹を決めているのだろう」との声もある。
小沢氏が代表にとどまるのは、退いた場合、政治的に後がなくなることを危惧(きぐ)しているためだ。小沢氏はこれまで、節目の際には必ずその後の政局を見越して「返り咲き」を果たしてきている。自民党幹事長辞任後は、旧竹下派の会長代行に就任。同党を離党してからは、細川連立政権誕生の立役者になった。旧新進党が解体し、旧自由党党首に就いたときも、小渕政権で連立を組んだ。
民主党幹部は「小沢氏は、代表を降りたら『次の一手』がないと思っている。今までなら、すぐに代表を辞めていたはずだ」と語る。二大政党下での政権交代が現実味を増す中、政界再編の機運は盛り上がっていない。代表職をほうり投げては、二度と政界で浮上できなくなる-。事件のあおりで小沢氏はギリギリの状況に追い込まれている。
自民党を離党後、政権交代を自らの手で実現したい悲願に加え、選挙対策や国会運営などで指導力を発揮し、麻生太郎政権を追い込んだという強烈な自負もある。次期衆院選の候補者擁立を取り仕切り、新人候補者を発掘してきた小沢氏にすれば、選挙後には多くの「小沢チルドレン」が当選し、党内で影響力を保持できる。
もっとも、小沢氏周辺では、公設秘書が勾(こう)留(りゆう)期限の切れる24日にも起訴されれば、早期辞任に追い込まれるとの見方が多い。土俵際に追い込まれた小沢氏に劣勢挽回(ばんかい)の策はあるのか。旧知のベテラン議員は「小沢氏はもともと本音では首相になりたくないはずだ。代表を辞めて、幹事長や選挙対策責任者に就けばいい」と話している。