2009年8月1日土曜日

【新聞記事】 政治部遊軍・高橋昌之(東国原&橋下)

【政治部遊軍・高橋昌之のとっておき】橋下、東国原両知事の明暗の理由 2人の行動に大きな差
2009.8.1 18:00

タレント出身で国民的な人気を誇る大阪府の橋下徹知事と、宮崎県の東国原(ひがしこくばる)英夫知事が、国政にどうかかわるかで注目を集めていますが、今回の衆院選では、橋下氏が支持政党表明に向けて活発に動いているのに対し、東国原氏は自民党からの出馬を断念し、明暗を分けました。それはこの2人がとった行動に大きな差があったためだと思っているので、今回は私なりの分析を書いてみたいと思います。

 2人とも知事という政治家になった今、国の政治を動かしたい、あるいは将来、国政で活躍してみたいという野望はあるでしょう。しかし、私はその野望が自らの虚栄心によるものなら、実現しない可能性が高いと思います。反対に、それが国のことを真剣に考えての純粋な信念に基づくものであれば、実現する可能性は高いと思います。

 2人とも今は国民的人気や注目度は抜群ですが、これまでのタレント出身政治家をみれば分かるように、自らの政治行動次第で、人気は続きもすれば、一気に凋落(ちょうらく)もします。国民の中に「熱しやすく冷めやすい」という面があるせいかもしれませんが、それだけ国民の政治家を見る目は厳しいと言えます。政治家のとるべき行動という観点から、2人を比較してみましょう。

 まず、今回の衆院選に向けた動きです。橋下氏は横浜市の中田宏前市長らと「首長連合」として行動しており、7月16日の会談では、各政党のマニフェストを(1)官僚政治の打破(2)地方分権(3)政権運営ーの3点から評価を行って宣言文を出すことで合意し、どの政党を支持するかは個人の判断に任せることとしました。

 橋下氏自身は支持政党を表明する意向で、自民、民主両党の幹部らと意見交換を続けていますが、理念、政策からみて支持するのは民主党だろうと思います。橋下氏が民主党支持を表明すれば、その人気度からいって選挙戦に大きな影響を与えるでしょう。

一方、東国原氏は6月23日に自民党の古賀誠選対委員長(当時)と会談し、今回の衆院選に自民党から出馬してほしいと要請されました。席上、東国原氏は全国知事会が策定したマニフェスト(政権公約)を自民党のマニフェストに採用することと、「自分を総裁候補の1人として総選挙を戦う」ことを、出馬の条件に挙げました。

 しかし、東国原氏の擁立自体や「総裁のイス発言」には、自民党内から強い反発が出たほか、宮崎県民からも「宮崎県を捨てるのか」などと反対の声が相次ぎ、自民党は擁立を断念、東国原氏自身も7月16日に出馬断念を表明しました。このドタバタぶりをみて、東国原氏に失望した人は宮崎県民に限らず、国民の中にもかなりいるでしょうし、結果として自民党のみならず、各党を敵に回してしまいました。

くしくも7月16日に、2人の明暗がくっきり分かれたわけですが、それまでのプロセスにおいて、2人には大きな差がありました。橋下氏があくまで「理念と政策」で国政を動かそうとしているのに対し、東国原氏は「自民党総裁のイス」を、出馬の条件に挙げてしまいました。

 東国原氏のこの「ポストありき」ととられても仕方がない発言は、たとえ建前だとしても「大義名分」が重要な政治の世界において「決して口にしてはいけない」ものです。東国原氏は師匠の北野武さんからも「オレが冗談でいったことを本当にいうヤツがいるか」と怒られたようですが…。

 ちなみに東国原氏は「新潮45」8月号に手記を寄せ、「総裁のイス」を求めた理由について「(改革の)実行へのプロセスをロードマップに示して、国民に開示できる責任ある立場につけて欲しいという条件闘争だ。そして、その責任ある立場の究極が、総理大臣なのは言うまでもない」と釈明しています。

 しかし、自民党の総裁候補になるには党内の国会議員20人以上の推薦が必要で、総裁になるには総裁選で過半数以上の票を得なければなりません。首相となれば国会議員の過半数を得なければなりません。東国原氏がそれを望むのであれば、それは自らが自民党に入ってから取り組むべきことであって、古賀氏に求めるのは筋違いです。

 この点について、東国原氏は手記で「私は『自分を総裁にして選挙を闘う』ように要求したわけではない。議席を獲ったあとに、一国会議員として総裁選にチャレンジできることを確約してもらえるなら、出馬すると言ったのである」と付け加えて説明していますが、先ほど述べたように、総裁選にチャレンジできるかどうかは、自分が党内で推薦人20人を集められるかどうかにかかっているわけで、古賀氏に「確約」を求める話ではないのです。

 第一、東国原氏が今回の衆院選に本当に出たいと思ったのなら、自民党の回答が自分の意に反した内容だった場合は、無所属でも自分のマニフェストを掲げて出馬すればよいことです。「自民党が担いでくれるなら出るが、そうでないなら出ない」というのは、「他人任せ」といわれても仕方ありません。

これらを見る限り、東国原氏はまだまだ、政治のことが分かっていないようです。また、東国原氏は手記の中で、「マスコミの報道が誤解を生んだ」とマスコミ批判もしています。マスコミが大騒ぎしすぎたのは確かだと思いますが、東国原氏がどう釈明しようと、発言そのものは「ポストが目的」ととらえられても仕方のないものです。

 政治家はいわば「言葉の職人」です。その言葉によって支持を集めることもあれば、支持を失うこともあります。時には政治生命を失うことだってあります。政治家の発言が国民に伝わる過程においては当然、マスコミがかかわります。政治家ならば、それを承知の上で発言をしなければなりません。その点で、東国原氏は「言葉の職人」である政治家として未熟といわざるをえません。

 東国原氏はこれまで、自分に都合のいい時は、マスコミをさんざん利用してきたのではないでしょうか。そういう人が都合が悪くなると、マスコミを批判するという様変わりはどうかと思います。各マスコミも東国原氏のマスコミ批判は快く思わないでしょうから今後、東国原氏へのバッシングが始まるかもしれません。その点で、マスコミも味方につけながら、依然として強い発信力を持ち続けている橋下氏の方が、一枚上手だといえるでしょう。

 一方、橋下氏について語ると、私は6月17日に産経新聞社が企画した橋下氏と中田氏との対談で司会を務め、橋下氏と初めて会いました。対談は2時間に及んだのですが、それを終えて私がまず感じたのは「橋下氏は単なるタレント知事ではないな」ということです。

 その理由は、第1に明確な理念と政治の問題の本質を見極める目を持っているということです。橋下氏は対談の冒頭、「今の政治は明治憲法以来の官僚が作り上げた官僚内閣制だ。政治がどうなろうが、公務員組織だけは安泰という仕組みを、抜本的に変えないといけない」と発言しました。まさに現在の政治の本質的な問題点と課題を指摘したものといえるでしょう。

 第2に自らの「立場」をわきまえつつも、政治家としての「腹」を持っていることです。対談では「次期衆院選では支持政党を表明する」との意向を初めて表明したのですが、この翌日から橋下氏は「首長連合」の結成に向けて一気に動き出しました。

 支持政党表明の理由について、橋下氏は対談で「ぼくら(首長)は国民からの後押しを受けていくしかない。国会議員が何を一番恐れるかといえば選挙だ。首長は選挙に影響をもてるようにならなければ、国に何をいっても聞いてもらえない」と述べました。国民の視点を大事にしながら、知事という立場で何ができるかを心得ています。

 第3に「勉強する」という姿勢を持っていることです。対談では改革派首長としては先輩である中田氏が、横浜市で行ってきた諸改革について語ったのですが、その度に橋下氏は「それ参考にさせてください。勉強します」と語りました。まだ若く、政治家としては初心者の橋下氏にとって、勉強し続ける姿勢を持つことこそ、自らのパワーになると思います。

私は対談を終えて、「橋下氏は将来、国政に進出するかもしれないな」と思い、私の著書「外交の戦略と志ー前外務事務次官 谷内正太郎は語る」(産経新聞出版)を贈呈したのですが、橋本氏は「ありがとうございます。勉強させていただきます」と笑顔で受け取ってくれました。

 私が本を贈呈したのは、国会議員になるなら、国政の根幹である外交、安全保障に見識をもっておく必要があるからです。その点でも、東国原氏は今回の衆院選にいきなり出馬しようとしましたが、外交、安全保障など国政について勉強し、見識をもっているのか、大いに疑問です。

 東国原氏とは実は、私がまだ大学生だった20年以上も前に、新宿のパブで偶然会って話したことがあります。東国原氏は確か、きれいな女性を3人連れてきていました。東国原氏との会話の内容はほとんど覚えていませんが、「お笑い芸人だけあって面白い人だな」とは思いました。それ以降は東国原氏と会ったことがないので、今の彼の本当のところはよく分かりません。

 ただ、芸能関係者によると、東国原氏は「たけし軍団」の中でも「浮いた存在」だったそうです。「たけし軍団」さえまとめられない人が、地方自治体や政党をまとめることができるでしょうか。人間は変われないわけではありませんが、自分を変えるためには相当の自己改革の努力と勉強が必要です。東国原氏がお笑い芸人から知事という政治家になって、それを心がけているのかどうか。それによって、東国原氏の今後の政治家としての運命も決まるでしょう。

 「宮崎県のセールスマン」を自称する東国原氏が知事になって、宮崎県の知名度が上がり、地域の名産品が売れているとは聞きます。それも結構なことですが、知事の仕事はそれだけではありません。しかし、東国原氏が県政で大改革をやっているようには思えません。国に対する姿勢でも、橋下氏が国の直轄事業廃止を国土交通省に求めたり、時には対決してでも改革を要求しているのに対し、東国原氏は高速道路建設の陳情など、国への依存体質が抜けていないように見えます。

ここまで、2人を比較してきましたが、東国原氏を酷評する一方、橋下氏を持ち上げすぎた感じもしないではありません。ただ、私はそれほど今回の衆院選をめぐって、2人が明暗を分けるだけの大きな差があったと思います。
 橋下氏は7月28日、民主党のマニフェストに、橋下氏らが求めてきた「国と地方の協議の場の法制化」が盛り込まれていないことに強い不満を表明しました。これを受けて、民主党の鳩山由紀夫代表は29日に先に発表したマニフェストは「正式なものではない」と、橋下氏の主張を取り入れてマニフェストを修正する考えを示しました。
 橋下氏は早速、国政に大きな影響を与えているわけです。これに対し、衆院選出馬を断念した東国原氏は、少なくとも今回の衆院選については、国政について発言する資格を失ってしまいました。「国政に注文をつけるなら、なぜ出馬しなかったのか」ということになってしまうからです。

 橋下氏も現在は強い発信力をもっていますが、初心を忘れて野望のみを追求すれば、すぐに人気を失ってしまうかもしれません。橋下、東国原両氏とも、まずは有権者に与えられた4年の任期は全うし、改革の実績をきちんと上げてから、国政を目指すなら外交、安全保障をはじめとする国政を勉強して自らの見識をもって、目指してほしいと思います。

それにしても、2人が国民的な人気を集めている背景には、タレント出身である以上に、現在の政治が理念や政策をおろそかにし、自己保身やポストに走っていることに対する国民の不満があるのではないでしょうか。2人の人気は、そうした政治の現状に風穴を開けてほしいという国民の期待の表れだと思います。

 2人に限らず今、中田氏が東京都杉並区の山田宏区長や松山市の中村時広市長らが新党結成を目指すなど、全国の改革派首長たちが、国政に大きなうねりを起こそうと動き始めています。政治において、こうした前向きな動きが出ることはいいことだと思います。既成政党はうかうかしていると、これらの動きに負けてしまうかもしれません。

 大げさに聞こえるかもしれませんが、現在の日本は明治維新以来の改革の時期を迎えていると思っています。経済も世界同時不況で100年に一度といわれる危機的状況にあります。その中にあって「真の改革者」はどんどん現れてほしいものです。そして、われわれ国民は、ムードに流されるのではなく、そうした人物の本質をしっかりと見極めていくことが求められると思います。