2009年6月17日水曜日

【冤罪事件】 足利事件

 この足利事件は、過去にブログでも3度記事にしているのであるが、非常に嫌な思いのする事件であるし、腹立たしい事件でもあった。この事件発生当事の新聞記事を図書館で調べた事があるのだが、初めから菅家氏を犯人と決め付けた記事である。これは断定をしても良いと思う。

多くのジャーナリストは、この事件に関して皆検察・警察の捜査の杜撰さを記事にし、再発防止を記事にしている。それでありながら、小沢事件は、検察からのリークで記事を書き続けているのであって、まったく反省をしていないのではないかと思えてしまう。

また、読者も新聞記事・テレビ報道が正しいという前提で見てしまっているのであるが、検察からの情報そのものの真偽の検証が果たして行われているのであろうか。

とかく最近は、マスコミと検察の関係に疑問を感じているネットユーザーが増えている事をマスコミ各社も頭の片隅に置かない限り、経営の悪化はどんどん進んでいくと予想される。

===================================================

足利事件から学ぶこと(江川)

2009年06月13日

 栃木県で1990年に発生した幼女殺害事件(足利事件)で、無期懲役の判決が確定し、服役していた菅家利和さんが、6月4日に釈放された。東京高裁の再審請求審で認められたDNA再鑑定の結果、真犯人とは別人であることがほぼ明らかになったためだ。再審開始が決まる前に検察側が刑の執行停止に応じるのは、おそらく初めて。検察側も、今回の件では完全に白旗を揚げた格好で、最高検の次席検事がその後、謝罪のコメントを発表する展開となっている。

 事件が起きた頃は、ちょうど警察がDNA鑑定を科学捜査の手法として導入し始めた時期だった。十分な鑑定試料さえあれば、指紋と同じように、百発百中で犯人を特定できるかのようなイメージが流布されつつあった。

 しかし、今からみると、当時の鑑定方法はまだ精度が低かったうえに、それを扱う技官たちの技術も未熟だったようだ。今回の再鑑定で、当時と同じやり方で検査をしてみても、菅家さんと犯人が残した精液のDNA型は異なる、という結果が出ている。最先端の技術であっても、それを使うのが人間である限り、間違いはありうる、ということを、今回の事件から私たちは、よくよく学び取る必要がある。

 特に、刑事裁判の世界では、まもなく裁判員制度での裁判が実際に始まろうとしている。裁判では、DNA鑑定に限らず、様々なジャンルの専門家が、最新の技術を駆使した鑑定結果を説明する。それぞれの道で、それなりの権威を持っている人が出てくることも多く、自分の学説や技術には確信を持っているので、自信たっぷりに説明をするだろう。

 その道の素人は、専門家の自信や、技術のすごさに圧倒されがちだ。だが、どんなに権威を言われる人のやったことでも、人間がやる限り、間違いや失敗はありうる。
 裁判員となる人たちには、そのことをよくよく理解してもらったうえで裁判に臨んでもらう必要があるだろう。裁判所は、足利事件からしっかりと教訓を学んでもらいたい。
 
 ところで、足利事件を裁いた裁判官たちは、もちろん裁判のプロである職業裁判官たち。1審から最高裁まで、少なくとも11人の裁判官がかかわっていながら、無実の人を無期懲役刑にして刑務所に送り込むようなことになったのか。

1)裁判官もDNA鑑定の魔術に幻惑されてしまった
 科警研のDNA鑑定が間違うなどとは、裁判官にとっては「想定外」のことだっただろう。

2)菅家さんの自白があった
 それも、捜査機関だけでなく、裁判所でも一審の第6回後半で突然否認するまで、自白を維持していた。一審の裁判官からすれば、自分が強制したわけでもないのに、犯行状況を語るのだから、これは間違いない、と思っただろう。しかも、一度否認した後、すぐそれを撤回し、その理由を、被害者の遺族が死刑を望んでいると知らされて怖くなったから、と説明する上申書を提出されている。よもや、弁護人が説得して、そういう上申書を書かせたとは、裁判官も思わなかったろう。なので、再度否認に転じても、一審の裁判官たちが自白を信用したくなった気持ちは、分からないではない。

 自白は、おそらく裁判官たちにとっては、DNA鑑定以上に大きな影響を及ぼしただろう。裁判官も法医学に関しては専門家ではないので、DNA鑑定について、弁護側が学者の意見をあれこれ提出しても、専門的な目でそれを判断することはできない。しかし、自白に関しては、何と言っても「裁判官の前で罪を認めた」という事実は分かりやすい。

 二審以降、弁護人がDNA鑑定への疑問をいくら呈示しても、主張が認められず、再鑑定も行われずに来たのは、裁判官たちがどれほど自白に引きずられていたかを物語っている。

 では、菅家さんはなぜ自白したのか。そして、それを維持したのはどうしてだろうか。

 菅家さんに話からは、次の4要素が浮かび上がってくる。二つは捜査側の構造的な問題点、二つは菅家さんの側の事情だ。
 前者としては、
A)強引な取り調べ
B)被疑者を孤独を強いる
という点が挙げられる。
 後者としては
C)気の弱い性格で、対立的な人間関係でのコミュニケーションが極めて苦手
D)黙秘権など被疑者の権利についても、検察官や弁護人の存在など刑事手続きの仕組みについて全く知らなかった
という事情がある
 
 取り調べに関しては、任意同行したその日が全てだった。

 菅家さんによれば、朝、いきなり捜査員がやってきて、有無を言わさぬ態度で、”任意”同行された。実際は「強制」だったと菅家さんは言う。

 黙秘権を告知されたことは、まったく記憶にない。形式的に告知はあったのかもしれないが、黙っている自由はまったくなく、頭ごなしに「子どもを殺したな」と決めつけられた。否定しても、「証拠がある」と聞き入れてもらえない。「やった」「やらない」のやりとりが夜遅くまで延々続いた。

 当時の新聞記事を見ても、その厳しさは伺われる。

<「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声で真実ちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、ポロリと涙を流した。「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。

 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取り調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった>(1991年12月2日付読売新聞)。

 ましてや、菅家さんは気が弱く、これまで不当に職場を解雇されても、経営者に文句を言うどころか、理由を問い詰めることさえしなかった。そんな風に、争いを避け、無難に、角が立たないように人生を生きてきた。

 捜査員に対しても、「やってない」と繰り返すのが精一杯だったという。

 認める時、菅家さんは捜査員の手を取って泣き出した、という。

 おそらく、捜査員はこれを「悔悟の涙」と受け取ったのだろう。しかし、菅家さんにとっては「やってもいないことを言わされた悔し涙」だった。

 この日の取り調べで、菅家さんの自分を守る砦は完全に崩れた。日常とあまりにもかけ離れた環境にいきなりおかれて、現実感も希薄だったろう。ましてや、事件には無関係なので、このままいけば、死刑や無期懲役などの厳しい刑罰を受けるという実感もわかないとにかく、初日の取り調べに気圧されて、すっかり萎縮したまま、すべてが夢の中のような、非現実的な時間が流れていったようだ。

 当時の心理状態を、菅家さんは「ただ怖かった」という。誰も信じてくれる人は周りにおらず、まったく孤独な状態。そんな中で、「やった」という前提で話していれば、平穏な状態が続く。菅家さんは、ひたすら周囲に迎合し、悪夢が覚めるのを待つように、ただ時間をやり過ごす。

 警察に関しては「市民を守ってくれるところ」というイメージがあったが、自分が責められることで、その思いは崩壊した。弁護士や検察官に関しては、その役割もよく分かっていなかった。弁護士は自分より年上で、取っつきにくく、この人は自分の味方という風には感じることができなかった。なので、弁護士に対しても、ただただ頭を下げるだけ。

 とにかく「やった」といれば、無難に時間が過ぎていく。そのままの状態で、裁判が始まった。高いところから見下ろす裁判官には威圧感があった。なので、やはり怖く感じた。自分が犯行を認めている限り、裁判は平穏に進み、無難に時は流れていく。裁判官は偉い人なので、自分があれこれ説明しなくても、すべてをお見通しだろうという期待もあったようだ。なんか、このままではマズイなと思いながらも、流れを変えるきっかけもなく、重罰への実感も持てないまま、ズルズルと公判の回数を重ねてしまった……
 
 その菅家さんが、新たに自分を守る砦を築くきっかけとなったのは、一人の主婦の手紙。その主婦は、新聞で裁判の報道を読み、菅家さんがいったん否認し、すぐにそれを撤回したことを知った。撤回は、弁護士に諭されてのことだったが、そうした事情は知らないまま、手紙を書き、拘置所に面会に行った。

「なんだかおかしいな、と思った。それで、もし本当にやったのなら、被害者のことを考えて心から償って欲しい、でもやってないのなら、真実を貫くべきだ、と言ったんです」とその主婦は言う。

 菅家さんが、無実を訴えると、信じてくれた。警察の取り調べを受けて以来、初めて自分のことを信じ、励ましてくれる人と出会えたことで、彼は真実を貫く決意をする。それまで、怖かった弁護士にも、思い切って手紙を書いた。

 この支援者が、弁護士としては早くからDNA鑑定の問題点に着目していた佐藤博史弁護士を訪ね、控訴審の弁護人になってくれるよう頼んでくれた。
 
 多くの人は、「やってもいないのに、自白するわけがない」と思う。その点では、裁判官もあまり変わらない。

 激しい拷問があったのなら、まだ分かりやすい。捜査員が巧妙な誘導や強制をしたのであれば、詳細な嘘の自白調書ができあがるのも、まだ理解できる。また、警察の取調室など、密室の中ならともかく、公開の法廷で嘘の自白をするわけがない、と裁判官もマスコミも一般市民の大半が思っていることだろう。

 しかし、菅家さんの自白は、多くの人が冤罪事件でイメージするより、早い段階で行われ、誘導や強制も少ないうえに、法廷でもしばらく維持された。

 こういう事態は、法律や制度を作った時には、想定されていなかったのではないだろうか。

 しかし、これは決して菅家さんに特有な出来事だったわけではない、と思う。強姦・同未遂事件で実刑判決を受けた男性が、服役後に、真犯人が現れて再審無罪となった富山の冤罪事件でも、いったん自白をした後は、それを公判廷でも維持し、一審で判決が確定した。

 この柳原さんの場合も、孤独と無理な取り調べにより、すっかり打ちのめされ、事実を語っても無駄だと諦めてしまったようだ。大人しく、自己主張が強くない人が、孤独な状況におかれれば、ひとたび崩壊してしまった自分を守る砦は、そう簡単に再構築されることはない。そのことを、この二つの事件はよく示している。
 
 釈放されて4日目の日曜日、菅家さんはテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出演していた。

 その時、自白の内容を説明する様に、視界の田原さんも少し慌てている様子だった。事情をよく知らない人が菅家さんの話を聞いていると、テレビカメラの前で自白を始めてしまったように思っただろう。

 実は、佐藤弁護士の家族も、テレビの前でパニック状態に陥っていたそうだ。「うちのお父さんの弁護士生命も、これで終わりじゃないか…」と思ったらしい。

 しかし、佐藤弁護士は平然としていた。菅家さんの話した、「……と自分は自白しちゃったんです」という風に落ち着くことが分かっていたからだ。

 テレビはもちろんだが、他人に自分の事情を説明したり、説得したりする経験があまりない菅家さんは、多くの交渉事や説明では「結論から言う」ということを知らない。そういう場でのコミュニケーションの機会があまりなかったからだ。

 身柄を拘束されていた頃には、コミュニケーションの能力はもっと弱く、佐藤弁護士も裁判で知的障害の可能性があると主張していたくらいだ(ところが、釈放後、こうやってインタビューを受ける機会が増えて、菅家さんのコミュニケーション能力が飛躍的に向上。人が言うことに、オヤジギャクを交えて返すほどになった。その変化に、佐藤弁護士も驚いている)。

 そして、菅家さんの特集が終わった後、政治家たちが登場して、政局に関する議論になった。石原伸晃氏や辻本清美氏ら、0.5秒でも空白があればすかさず自己主張をし、人が話している間でも、より大きな声で圧倒しようとする、雄弁な政治家たちが”活発な”議論を展開した。なんと菅家さんと対象的な人たちだろう。

 しかも、日本の刑事手続きを作るのは、こういう雄弁な人たちなのだ。彼らが法律や制度を作るうえで、菅家さんのような人をまったく想定してこなかっただろう。

 権利に精通した裁判官も、弁護士も、あるいは悪事を働きながら何とか言い逃れようとする犯罪者に対峙してきた警察の捜査員も検察官も、菅家さんのような、気が弱くて、波風を立てることが何より苦手な存在は、想定せずに仕事を進めている。しかし、現実には、そういう人たちは決して例外的に少ないわけではなく、それどころか知的障害者など、自己主張の能力が極めて弱い人たちも刑事手続きに乗っかってきている。けれど、それはないものとして、多くの手続きが進んでいる。つまり、みんなが見て見ぬふりをしてきたのだ。

 今回の事件は、これまで見ないで(あるいは見ないふりをしてきて)いた事柄を、きちんと直視し、そのうえで法や制度を変えなければなければならないのだと教えている。
 
 その一つとして、現在、捜査過程をもっと透明化するために、「可視化」の必要性が論議されている。

 取り調べをすべて可視化する必要性を訴える声に対して、捜査機関は反対を唱え、取り調べの最終段階、自白をまとめて喋る程度ならOKと言っているようだ。

 しかし、菅家さんのように、”任意”の段階で事故を守る砦を完全に破壊されてしまっている例があるわけで、冤罪を防ぐためには、取調室に入った時から、被疑者の様子も分かる形で映像に残しておく必要があるのではないか。
 菅家さんの父親は、息子が逮捕されたショックで亡くなり、母親も無実が明らかになるのを待たずに世を去った。きょうだいなどは、犯罪者の家族ということで、苦労させられてきただろう。冤罪は、その被害者だけでなく、その周囲の人たちの人生をもめちゃめちゃにする。

 そればかりか、被害者や遺族にとっては、真犯人が分からないということになり、まさに何重もの悲劇だ。

 それを考えると、冤罪をなくすための対策は、本当に急務だ。「想定外」のこと、見ぬふりをしてきたことも、しっかりを直視をしなければならない。


足利事件・菅家さんインビュー
http://www.egawashoko.com/c006/000290.html

2009年06月13日

――よろしくお願いします

「テレビでいつも見てましたよ」

――刑務所の中で? 何の番組を?

「あれは確か、関口宏さんの」

――サンデーモーニング?

「そうです。それ見てました」

――日曜日は作業はないから…

「そうなんです。見られるのは9時からなんですが」

――菅家さんがいらしたのは、雑居房?

「雑居房です。今はですね、日曜日だけは、9時から3時半頃まで、それから、また夜7時から9時までは見られるんですよ。それで9時になると寝る時間なんです」

――その時間になると、切られるんですよね。

「自動的に消えちゃうんです」

――何を見ようか、っていうのは?

「自由です」

――誰が決めるの?

「やはりですね、一週間交替で、決める。今週は自分だとすると、来週は相手。一週間おきになっちゃうんですよ」

――刑務所にいたときに、誰かとケンカしたことあります?

「そういうことはないですね」

――でも嫌なこと、いっぱいありましたでしょ?

「嫌なことはありますね」

――例えば?

「自分がね、入所してすぐ、(同房の人に)一週間は菅家さんはお客なんだからと言われました。それで、一週間のあいだに、見ててもらって、全部覚えろというんですよ。布団のあげかた、毛布の揃え方、トイレ掃除、窓の拭き方、全部覚えろっていうんですよ。ところが、誰も一週間じゃ覚えることはできなかったんです。自分だけじゃなく。新しい人が来るとみんなその人が命じるんですよ。絶対一週間以内で全部覚えろと。誰も覚える人いないんですよ。全然無理ですよ」

――できなかったら、怒鳴られたりするんですか?

「怒鳴られましたよ」

――どんなふうに?

「殴られたり、肋骨を2本折られて。洗面器の中に水をいっぱい入れられて、顔を頭から押さえつけられて、もがきましたよ、私は」

――どういう人なんですか、そんな事をするのは?

「その人は昔、暴走族だったんですよ。ものすごい乱暴者で。自分だけじゃなくて、他の人にもやったらしいんですよ」

――そういう人と同じ房だった

「そうです、そうです」

――それに対して、抗議したりしなかったんですか?

「できないですよ、自分は。入ったばかりで…。その人は17年いるんですよ。無期懲役で。だから、あれから8年経ちましたから、20何年いるんです」

――でも、そういう時のために刑務所の職員がいるじゃないですか?

「それを(刑務官に)言ったら大変ですよ。殺されちゃいますよ。自分はそんな目にあいましたから。12月の寒い時ですよ。トイレの中へ、裸で、すっぽんぽんですよ。閉じこめられたんですよ、一晩中ですよ。『てめえ、中入ってな、こごんでろ!』こういう風に、(便器を)またいでろって言われたんですよ。

 しまいには、『しょんべん飲め』とか。溜まってるんですよ。タワシの中にこういう、タワシを置く入れ物がありますよね。溜まっちゃうんですよ、どうしても。それを飲めっていうんですよ。それからあと、もう一つ。うんこですよ。食えっていうんですよ。そういうんですよ。

――そんなひどい事されて、房を変えてくれって言えなかったの?

「その時は、入ったばかりで…。「言ったら殺す」っていわれるんですよ(だから言えなかった)」

――いじめられた時に、抗議とかしない方ですか?

「できなかったですよ。もう、性格ですよね。自分は気が弱くて、言い返す、それは出来なかったですよ」

――事件の前にお仕事されてましたけど、社会でも嫌なこととかあっただろうけど、そういう時は抗議したりケンカしたりはしなかった?

「そういうことは、ありませんでしたね。おとなしい性格で、人に対して攻撃、できない質でした」

――ましてや、刑事さんに言われたときに、言い返すっていうのは?

「出来なかったですね」

――思いもよらなかった?

「思いも寄らなかったです」

――事件が起きる1990年まで普通に生活してて、それまで、警察ってどんな所だと思ってました?

「やはり警察というところは、市民を守る。そういう風に思ってました。ところが、実際に自分がね、無実の罪でね、捕まって、取り調べをされて、髪の毛をひっぱったり、蹴飛ばされたりしてね。取り調べのときね、私はね、『やってない』『やってない』と言ってたんですよ。ところがね、頑として聞き入れてくれなくて。(語気を強めて)『お前がやったんだ!』と、こうですよ。デカい声で。『証拠があるんだ』と。でもその時、言い返すことが、自分はできなかったんですよ」

――その時はどんな気持ちでしたか?

「もう、ムヤムヤもやもやしてて…。何も考えてなかったですね」

――この時に、「やりました」と言ったら、自分は刑務所へいっちゃうとか、死刑になっちゃうとか、そういうことは考えていました?

「考えてません。やはり、自分は事件のことは、全く身に覚えがないので、死刑になるとか、刑務所に送られるとか、全然考えてません。はい」

――例えば自白したら、逮捕されて裁判になるとは考えてました?

「それは考えてましたけど、でも、死刑とかは全く考えてなかった」

――逮捕される前、事件があって、その後に交番のおまわりさんが訪ねてきたときがありましたよね?その時も、そういうことは全然考えていなかった?

「もう全然。ビクビクなんて全然してませんよ。事件には関係ないんですから。やってないんですから。だから、1年間(警察に)尾行されていたと(後から)言われたんですが、自分は全然気がつかなかったです」

「(逮捕の)確か1年前だと思うんですが、交番のおまわりさんが来たんですよ。それで、『上がってもいいか?』っていうんですよ。『いいよ』っていって。もう自分としては、何のやましいところはないんですから。上げたんですよ。それで、『ちょっと悪いけど、押入れ開けてくれる?』って言われたんですよ。そうすると、自分が秋葉原で買ってきた、そういうテープレコーダーですね、何が入ってるんだ?っていうから見せたんですよ。『ああ、そうかそうか』と。それから、『灰皿貸してくれないか?』というんですよ。『ああ、どうぞどうぞ』って(灰皿を出した)。何本吸ったんだろうな、すごいですよ。30分の間に10本くらい吸ってましたよ」

――その時に『お前があやしい』というような話は?

「全然ありません」。

――では、自分が疑われているって、いつ気がついたんですか?

「(仕事で)幼稚園の送迎やってました。それで、まあ、刑事がきたわけですよ、幼稚園に。それも、後になって聞いたんですけど、刑事が来たとか。それで、自分がね、解雇されたんですよ。その後ですけどね。気がついた、っていうか、教わったっていうか…」

――誰かから言われたんですか、疑われるぞ、って?

「自分は辞めさせられて、他の幼稚園に行ったんですよ。もう一度送迎やろうと。そこの幼稚園行っても、二日間でまた辞めさせられたんですよ。その辺で、おかしいと思ったんです」

――そういう辞めさせる時に、相手を問いつめたりしなかったんですか?

「全然しなかったんですよ」

――だって真面目にやってる訳でしょ、仕事は?

「そうそう、自分としてはね。真面目にやってるつもりなんですよ。一切事故も起こしたこともないし。だから、保育園の送迎やったときも、先生に、信頼されていた訳ですよ、私は」

――なのに、クビにするのおかしいじゃないか、って言わなかったんですか?

「言わなかったんです、そこが。だから、自分、何回も言いますけど、気持ちが小さいんですよ。気持ちが小さくて、問いつめるってことが全然出来なかったんですよ。今ならですね、聞きたいですよ。どうして、クビにするんだ、と。今ならですよ。その時は、なんて言うんですかね。性格というんですかね、気が小さいというんですかね。気が小さかったですよ。

 少し気持ちが変わったのは、刑務所に入ってからですよ。入ってから、入所したときは殴られましたよ。しかし、1年から2年経った時点で、同僚の人に、『菅家さん、気が小さいなあ。もっと強くなれよ』と言われたことがあるんですよ。

 それまでは、中でケンカしてる人を見ても、自分は壁の方へ離れていったんですよ。関係していたくないから。端のほうへ行って、知らんぷりしてたんですよ。でも、『そうか、やっぱりもっと気を強く持とうと、決心したわけですよ』

――菅家さん自身は、ケンカしたことあります?

「いや、ないですけど……」

――じゃあ、ケンカしてる人を注意したり?

「したことあるんですよ。『ケンカしない方がいいよ』なんて言ったんですよ。で、何て言うんですかね。自分も気が強くなっちゃったんですよ、急に。ケンカするのだったら、自分からね、注意してやろうと思いましたね。

――菅家さん、中にいたときに懲罰受けたことあります?

「ないです。一度もありません。一回もないです」

――そうでしょうね…。争い事とか、モメ事とかは好きじゃないのね?

「全然ダメです」

――論争なんかも苦手だろうなと思うんですけど。

「苦手ですよね」

――事件に戻りますが、いわゆる事情聴取っていうのは、逮捕の前にはなかったんですか?

「全然ありません」

――では、いきなりですか?

「いきなりです。刑事が、いきなり来たんですよ。

――連れて行かれる時は、どんな状況だったんですか?

「自分がね、午前7時頃に起きたんですよ。パジャマ姿です。玄関の方で音がするんですよ。誰だろうな、と。カーテンと鍵を開けましたら、『菅家、いる?警察だ』っていうんですよ。開けたら、ドカドカって入り込んできて。なんだこの野郎、と思ったら、『おう、そこ座りや』」って言うんですよ、刑事が。で、言われたまま、座ったわけですよ。そしたら、『お前、子ども殺したな』って言うんですよ。『子ども?! 知りませんよ』って言ったんですよ。そしたら、言った途端に肘鉄砲ですよ。自分をドーンと突き飛ばして。自分はどんとひっくり返って、ガラスが割れるわけですよ。もう少しで頭ぶつかりそうでしたよ。もしぶつかってたら、切っちゃってましたよ。

 もう1人の刑事が、ポケットから写真を出したんですよ。その写真が、真美ちゃんなんですよ。自分も、真美ちゃんの写真に見覚えがあるんですよ。その見覚えっていうのは、パチンコ屋さんの、入り口に貼ってあるのと同じなんですよ。

――情報提供を求めるポスターね?

「そうです、そうです。そうか、それと同じなんだな。と。それで、自分が疑われてるんだなって」

――じゃあ、本当に当日なんだ、自分が疑われてるってはっきり知ったのは?

「それまでは(よく分からなかった)。自分がね、『今日は保育園の先生の結婚式に行くんですよ』って言った。そしたら、『そんなの、どうでもいいんだ!』って。頭きましたよ。

――頭に来ても、反抗はできなかった…。

「ダメです。それで、今から警察いくからな、と。そのまま」

――着替えはしたんですか?

「着替えはしました。着替えてそのまま。任意同行じゃないですよ、強制ですよ」

――今は、任意同行って分かってらっしゃるけど、当時は?

「よく分からなかったですよ。今思うと、任意と強制、違いますよね。でも、当時は全然分からなくて…」
江:警察が行くと言うからには、行かないといけない、と?
「そうですよ」

――それで行ったら?

「取り調べですよ。30分位待った、中で。刑事が入ってきて、今から調べを始めるからと」

――取り調べの時に、自分が喋りたくないことは喋らなくてもいいという黙秘権は告げられました?
「それは、自分は聞いてないと思う。裁判の時は、聞いたと思う。その時は聞かなかった」

――その日は遅くまで取り調べを受けましたよね?

「今からやるからと。「お前は子どもを殺したんだな」と。自分はやってないですから、『やってませんよ!』と。『お前がやったんだ』『やってませんよ』と。それの繰り返し。一日中。それで、夕飯が終わってから、『証拠がある』と。証拠があるとしても、自分は何の事か分からないし。当時、DNA鑑定のことは自分も分からないし。刑事も知らないと思う、DNAって。『やってる』とか、『やってない』って。同じようなこと(をずっとやりとりしていた)。夜10時くらいになって、これじゃあ、自分は帰れないと。もういいや、どうにでもなれと。『はい、分かりました、自分がやりましたよ』と言ったら『おお、そうか』と。こうですよ。その日は(取り調べは)それで終わったんです」

――その自白の時に、警察の人が言うのは、菅家さんが警察官の手をとって泣き崩れたと?

「それはありました」

――その時の気持ちは?
「悔しい涙でしたよ。やったとか、やらなかったとか、そういうんじゃないですよ。悔し涙ですよ。自分はやってないのに、どうしてこんな事されなきゃならないの?って、ずーっと思ってました」

――悔しさのあまり?

「そういうことですよ。やって、泣いてたんじゃないですよ。悔し涙ですよ。本当に。だから今だったらハッキリと言いますよ、やってないと。当時は、何も分からないですから。本当に初めてで。警察というのは、市民を守ってくれると、ずっと思ってましたから。なのに『お前がやったんだ』と言われるとは思ってないし」

――お前がやったとなった後、結構細かいストーリーが出てきますよね?それはどういう風に作られた?

「事件当日、幼稚園の勤めに行ってたんですよ。送迎で。それで、実家から幼稚園まではバイクで通勤してたんですよ。それで、幼稚園の送迎が終わって、土曜日ですから、車の中を少し掃除して、実家に帰っていったわけですよ、バイクで。それで、うちへ帰ってきて、即席ラーメンですけど、食べて、バイクでなくて、自転車で行ったわけですよ、菓子屋まで。それで、菓子屋まで行ったんですけど。その日は、事件があった日なんですけど、私は自転車で行ったんですよね、菓子屋まで。その日は、自転車を使ってたんだから、自転車で、真美ちゃんを乗せたことにして、現場まで行ったことにしたんですよ。自分で作ったんですよ、それは」

――なんで、そんな話まで作っちゃったんですか?

「やはり、そういう風にね、言わないと、なかなか刑事っていうのは、なんていうんですかね、『おお、そうか』とか言ってくれないですからね。適当に、自分で、作っちゃったんです」

――作ると、刑事さんは納得するんですか?

「分からないですもん、真犯人がどうやったか。だから自分で適当に、真美ちゃんをパチンコ屋さんから、載せて、土手から下りになるんですよ。下って野球場がある。ネットの後ろいって、河川敷いって、おろして、自転車そのままにして、真美ちゃんをおろして、なんていうんですか、ムラムラっていう言葉を使って、真美ちゃんのクビ締めて殺して、抱いて、現場まで行ったと言ったんですよ。

――そのストーリーは、刑事は納得した?

「納得したというか、そうですよ」

――現場は行ったことのある場所だったんですか?

「そこはないですよ。全然」

――行ったことない場所については、想像したんですか?

「想像です。橋の上から見えるんですよ、だいたい。河川敷も見えますし。それで、自転車おいて、真美ちゃんのクビ締めて、抱いて、おいて、自分は逃げたと、と(言ったんです)」

――客観的な事実と、菅家さんのストーリーが違うときはありませんでしたか?

「それは、たまにありますね」

――そういう時は、どんな風に言われましたか

「それは、(実況見分で)。警察官と現場に行ったときに、刑事が、『真美ちゃんの死体はどこにあるんだ?』と。自分は分からないから、(適当に)『ここです』と言った。すると刑事は『違う、もうちょっと向こうだ』と言って、『ここだ』と(別の場所を示した)。それで、ここかと思った。自分は(遺体のあった場所を)分かりませんから」

――違うって、警察官が教えてくれた?

「教えてくれるんですよ、違う、ここだって」

(ここで佐藤弁護士が補足説明。「殺した場所以外は、彼の言うことで警察は納得するんです。遺体があった場所教えて貰って、あとは、彼が言う通りに調書とってるんですよ。警察も(犯人の経路や行為の詳細は)分からないし」。首の絞め方も、菅家さんが説明する通りの両手で絞める方法が調書にされた。法医学者によれば、遺体の状況からは、そうではなく、片手で絞めたと考えられるが、この時の栃木県警はそうした殺害状況にはあまりこだわらなかった。「普通は、これじゃ満足しないですよ。でもDNA鑑定があるから、もうそれで、いいんだ、と。判決でも、足りない部分はDNAが補っているんですよ」と佐藤弁護士)

――捜査の途中で弁護士さんがつきましたね。自分がやってないっていうのを、会った弁護士さんに訴えよう、というのは思いませんでしたか?

「その時は、思わなかったですよね」

――なんでかしら?弁護士さんに対して、本当の事言いたいという気持ちはなかった?
「それはありましたけど、でも、それを言うと怒られるとか、そういう風に思ってましたね」

――え、誰に?!

「弁護士に」

――え? じゃあ、弁護士はやってると思いこんでる感じ?

「そうです、そうです」

――それなのに、やってないと言ったら怒られると思った?

「そうです、そうです」


――弁護士さんについては、どんなイメージを持っていました?

「いや、イメージも何も、分からないですよ。何も知らない。弁護士という言葉も分からなかったし、検察も分からなかったし。ただ分かっていたのは警察ですよ。市民を守る。それぐらいしか分かってません」

――じゃあ、弁護士の役割って分からなかったんだ?

「全然分かりません。何も分からなかったんですよ」

――弁護士から「君を守るために来たんだ」という説明はなかった?

「全然ないですよ。だから、何も分からないですよ、自分は」

――検察と弁護士の違いも?

「全然分かりません。本当に」

佐藤「今の点は、弁護士に非常に深刻な反省を迫ってる所なんです。DNA鑑定で捕まったと報道されている中、お兄さんがなけなしのお金をはたいて、私選弁護士を頼んだんですよ。

弁護士さんも犯人だと思っちゃったんですよ。それで、『菅家さん、本当にやったんですか?』って聞いたんです。そう聞かれるから、『この弁護士さんも、自分のこと犯人だと思っちゃってるな』と思って、最初はメソメソ泣いてたんですって。

それでね、3回目かなんかに『やりました』って言っちゃって。それを聞いて弁護士さんも安心しちゃって、外の待ってる記者に向かって、『とうとう私の前でも自白しました、間違いありません』って言って、これで良かったと弁護士さんも思ってしまった。

 こんなおとなしい人で、(警察で)すぐ潰されちゃってるでしょ。そのうえ、弁護士の役割も分かっていない。弁護士は、よっぽど『本当のことを言っていいんだよ』って言ってあげないと、本人の心には届かないですよね。

 起訴された後、警察から拘置所に移って、家族に対して手紙が書けるようになった。弁護士には、全然真実は言えなかったんだけど、唯一、家族には、僕はやってませんと書き続けるんですよ。お兄さんは、おかしいなと思って、ある日弁護士に19通の手紙を届けるんですね。ところが、お兄さんがまた大人しい人で、弁護士さんが留守だったので、(事務所に)手紙を届けただけで帰っちゃうんですよ。

弁護士さんは手紙を読みまして無実って書いてますね。ずっとやってますと認めてて、家族に無実って書いてあるの、どういう意味だった聞いたんですよ。そしたらね、菅家さんは『無実ってことは、やってないっていうことで』って言ったんですよ。『やってないって、どういう事だ、今まで言ってたことは違うのか?』って問い詰められて『はい、そうです』って泣き崩れちゃうんですよ。

――弁護士さんに最初会ったとき、どんな人でした?
「年がいった人で、なんか、怖いような印象が残ってる。だから、やってないと言うと、怒る、そういう風に思ってました」
――実際に、弁護士さんに怒られたこともありますか?

「それはないですけど、でも、やはり自分としては、気が弱いから、何言われるか分からないと思って…。本当に辛かったですよね。今ならね、絶対ハッキリ言います。当時は、何も分からないもの。弁護士とは、どういう役割。検事さんはどういう役割。当時なんか、何も知らないですもん。突然ですから、本当に分からなかった。何も分からないで…」

――裁判が始まって、法廷でも自白を維持されてましたね。裁判官に本当のことを言おうとは思いませんでしたか?

「その当時は、思わなかったんですね。どうしてかと言われると、あれなんですけど。本当にね、何にも分からないですから。ただ、怖い。それしか思ってなかったですね。当時は、刑事がいると思ってたんですよ、傍聴席に。だから、何かやだな、やだな、と思ってて。そのまま、やった風になっちゃったんですよ」

――裁判官も怖かったんですか?

「そうです、そうです。そうです。だから周りの人はみんな怖い人だと思ってましたよ」

――裁判でも犯行の状況を身振りまで混ぜてされましたよね?なんでそこまで具体的にされてた?

「やはり、そういう風に説明しないと、何ていうんですかね、怒鳴られる、怒られる、そういう気持ちだけでしたよ。だから、当時のことを思うと、今ですけど、なんで自分はハッキリものが言えなかったんだろう、そう思ってますよ、今は」

――裁判始まったとき、このままだと自分は刑務所に入れられるとか、死刑になるかもとか?

「死刑とかそういうことは、全然頭になかったですよ。全然なかった。自分はやってない、そういう気持ちでいましたから」

――被害者のご遺族が、菅家さんを極刑にして欲しいと調書の中で言っているでしょう? それを聞いて、どうでした?

「やっぱり、動揺はしましたよ。自分はやってないけど、もし死刑にされたら困るなと、その時思いましたけど、それで求刑になって、無期懲役ですよね。それで、弁護士の先生に、『無期懲役は嫌ですよ』って言ったんです。『そうか、嫌か』と。それで終わっちゃったんですよ。もう、話なんか聞くような関係じゃないですよ」

――判決で、無期懲役と言われたときは、どんな気持ちでしたか?

「冗談じゃない、と。やってないのに、なんで無期懲役だと。そう思いましたよ」

――一審の途中で一度否認をして、すぐに撤回して、その後論告・求刑の後、再び否認に転じて、以後は否認を貫いていますね。真実を言うと強い決心をしたのは、何かきっかけがあった?

「それは、支援者の方が面会に来てくれたんですよ。それからですよ。

――支援者の方っていうのは、どういう繋がりなんですか?

「繋がりはないんですよ。全く知らない人で」

――どういうところから、支援してくれるようになったんですか?

「最初、その人から手紙をもらったんですよ。手紙をもらった後に、1か月くらい先だったと思いますが、面会に来てくれたんですよ。それで、『私は絶対やってません。これからもお願いします』と頼んだ訳ですよ。それからです」

――その人の手紙を読んだり会ったりした時に、どんな気持ちになりましたか?

「『そうか。こういう人がいるんだ』と。自分は、気が強くなっちゃった訳ですよ。それまでは、誰もいないんですよ、周りには」

――信じてくれる人が?

「そうです。で、その人が来てくれたおかげで自分は、よし、これから頑張ろうと。そういう気持ちになりましたよ」

――その方が、真実はちゃんと言った方がいいですよと?

「言われましたよ。本当のことを言いなさい、と」

――信じてくれる人がいるって、違いますか?

「そうなんですよ。だから、そういう人が出てきたおかげで、自分も救われたんですよ。もし、その人が来てくれなかったら、自分は、終わりでしたよ。無期懲役のまんまで。もう、終身刑と同じですよ」

――それで、頑張ろうと思って?

「そうです」

――その後、控訴審から佐藤弁護士が着きましたよね。佐藤先生は、自分のことを信じてくれてると、感じました?
「感じました。感じましたよ。もし、佐藤先生がついてくれなかったら、今の自分はなかったですよ。釈放もありません。なにもありません。人生終わりですよ」

――佐藤先生が、最初面会に来てくれたこと、覚えていますか?

「ええ、覚えてます。この先生なら絶対俺を救ってくれるんだと、思いましたよ。ピンときましたよ。本当に」

――でも、それから15年。佐藤先生がついてくれたからと思ったけど、すんなり順調にはいかないですね。

「順調にはいかないけど、でも、私は、佐藤先生を絶対信じてましたから、本当に。本当に信じてましたよ」

――でも、高等裁判所は信じてくれなかった。高裁の判決聞いたときは、どんな気持ちでした?

「やっぱり悔しかったですよ。ふざけんな、この野郎!と思いましたよ」

佐藤「控訴棄却と言われるでしょ、そうしたら菅家さんは『裁判長』って手を挙げたんですよ。『私、やってません』って。もう判決終わりですよ。で、裁判長が、『そういう事は弁護人に相談するように』って終わっちゃった」

――裁判官には一言言わずにはおれなかった?

「そうです、そうです」

――その判決を受けた後、拘置所に戻りますよね。どうして一晩過ごしてました?

「全然眠れなかったですよ」

――悔しくて?

「そうです」

――もう、これダメかな、と思いました?

「いや、そういう事は全然考えてません。ダメかなとは、考えてません。本当にダメかな、と思ったのは一審ですよ。あの弁護士はもう、ダメだと思いましたよ」

――佐藤先生がついたあと、弁護士さんが何人かつきましたよね、みんな信じてくれました?

「信じてくれましたよ。本当ですよ、それは」

――それはやっぱり心強いですか?

「心強かったですよ。だから、まあ、今も話しましたけど、もし佐藤先生がいなかったら、今の自分は無いですよ。(涙)本当に。本当に感謝してますよ。これだけね、すごい弁護士さんいないですよ。自分はそう思いましたよ。本当に。

――いい出会いがあって良かったですね。

「そうですよ」

――それを引き合わせてくれたのは支援者の方ですよね?

「そういうことですよ。その支援者の方にも、自分は感謝してますよ。本当ですよ」

――逆に、怒っているのは、誰に対して怒っていますか?

「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね」

――謝ってほしいとおっしゃいましたね?

「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ちと同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。そのためにね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さないですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」

佐藤「ここへ来る途中ね、空を見ながら『お母さんと、前来たことがある』って」

――この辺(横浜)に?

「東京見物ですよ。当時ね、自分の母親が生きてるときに、自分と兄と、妹、兄の息子で来たんですよ。東京見物に。一緒に来たんですよ。その時の母親、喜んでくれてましたよ(涙、涙、涙)。お前ら、絶対許さないからな。絶対許すもんか(涙)。無実の人間をね、今日まで苦しめてきたんですよ、あの刑事たちは。それも何の話もないんですよ。謝罪もないんですよ。一生許さないですよ、私は。だから、当時の刑事がね、私の家庭をめちゃめちゃにしたんだから……」

――これから、再審やったり、国賠請求やったりすると思うんですけど、これからどうやって生活していきたい?
「自分としては、地元へ帰りたいです。免許証もありますよ。当時、次の年、免許証書き換えの時期だったんですよ。それができなくなっちゃったんですよ」

――でも、帰るのは、なかなか簡単じゃない?
「簡単じゃないですよ」

――一度犯人にされちゃうと、その後…

「大変ですよ、本当に。本当に。もう」

――足利に帰れたら、どんな生活しますか?

「静かに生活したいですよ。またですね、子どもたちの相手をして、送迎をやりたいなー、という気持ちがありますよ」

――子ども、好きなんですね。

「当時の子どもがもう、30いくつになってるんですよ。また会いたいなと思いますよ。

――テレビきっと見てますよ。

「絶対見てますよ。当時の子どもが私のこと『やってない、やってない』って言ってくれていたらしいんですよ。自分はね、(それを聞いて)本当に嬉しかったですよ、だから今ね、30すぎて、どうしてるかなーと思って。会いたいと思ってるんですよ。まあ、それと(会いたいのは)保育園の先生ですね」

――今となっては、もう時効で、被害者のご両親は、真犯人に対して「子どもを返して」と叫ぶことさえできなくなってしまいました

「だから、自分としては、時効、これがあっては絶対ダメだと思ってるんですよ」

――真美ちゃんたちのご両親のことを思うこともありますか?

「あります、あります。だからね、自分は、真美ちゃんの両親に会いに行って、話したいんですよ。本当に」

――ありがとうございました。

(2009年6月7日 横浜市の佐藤弁護士の自宅で)


 冤罪「足利事件」で、栃木県警の石川正一郎本部長が菅家利和さんに直接謝罪することになった、という。

 謝罪ということであれば、謝る側の方が出向くべきであって、謝られる菅家さんの方がわざわざ足を運ぶというのは、なんだか変な気がする。とはいえ、住まいも当面の生活費も用意されることなく、事前の告知もないまま、いきなり釈放されてしまった菅家さんは、主任弁護人の自宅に身を寄せている状態で、県警本部の人たちがどやどやと来られても困る、ということがあるのかもしれない。

 先日、石川本部長名のコメントを刑事部長の記者クラブで代読させ、「これが謝罪とは言えるのか」と批判を招いたこともあったのだろう。比較的早い時期での直接謝罪となったのは、悪いことではない。どういう文言や態度での謝罪になるのか、注目したい。

 いきなり引っ張っていかれて、無理やり自白させられ、挙げ句に刑務所に送られて、合計17年半も拘束されていた菅家さんにとっては、本部長が1回謝っただけで、許せる心境にはならないだろうし、当時の捜査関係者、とりわけ自分に自白を迫った人たちに直接謝ってもらいたいという思いはあるだろう。

 警察や検察の謝罪が、通り一遍のものではなく、本当に実のあるものとするには、直接当人に謝ること以外にも、やらなければならないことがある。たとえば――
 
 *きちんと賠償をする

 *このような冤罪が生まれた原因を究明する
 
 再審で無罪が確定すれば、菅家さんには刑事補償が払われる。その金額は、1日当たり1000円以上12500円以下で、おそらく菅家さんには最高金額が支払われるだろう。

 しかし、刑事補償は失われた財産を補填するという趣旨で行われるもので、警察や検察、裁判所などの誤った権力行使に対する償いとは異なる。失われた17年半を取り戻すのは不可能でも、せめて一定の賠償金を支払って、償いの意思を示してもらいたい。

 しかも、菅家さんには生活の拠点もなければ、生活のあてもない。62歳という年齢を考えれば、これから老後の蓄えをすることは難しいだろうし、十分な年金も得られないだろう。また、無実を晴らすためには、多くの弁護士がこれまで手弁当で弁護活動をやってきたわけで、彼らに対する報酬も払われるべきだ。そのためにも、国と栃木県は話し合って、なるべく早い時期に菅家さんへの賠償金を支払えるように準備をして欲しい、と思う。

 また、菅家さん側は、なぜ無実の罪を着せられることになったのか、その原因を知りたいと願っている。その要請には、警察や検察も、なるべく協力をすべきだ。たとえば菅家さんと弁護団は、再審請求審に、捜査段階で最初のDNA鑑定を行った警察庁科学警察研究所の技官らを証人申請している。そういう申請には反対をすることなく、速やかに証人尋問が実現するようにしてもらいたい。取り調べを担当した栃木県警の捜査員にも、再審などの課程で、どういう経緯で菅家さんに自白をさせるに至ったのか、正直に述べて欲しい。

 警察や検察は、今回の捜査や裁判の進行について、それぞれ内部で検証を行う意向らしい。しかし、特に警察の場合、これまでも誤ちがあっても検証の結果を公表してこなかった。そのため、他の警察が教訓を学ぶこともなく、同じような過ちが繰り返されてきた。今回のことで、そのようなことがあってはならない。ぜひとも、公開の裁判の場などで、原因究明がなされるべきだ。

 それは、何も担当した捜査員をさらし者にして断罪するためではない。

 もしかすると、取り調べを担当した捜査員も、どうしてこのような結果になったのか分からないでいるかもしれない。

 菅家さんを恐怖させ、絶望させた初日の取り調べだが、日頃から凶悪事件の容疑者に対峙している捜査員にとっては、さほど厳しく取り調べた実感はないのではないか、という気がする。最後に、菅家さんが悔し涙にくれながら自白する場面を、捜査員たちは、悔悟の涙と受け取っただろう。ひとたび犯行を認めてしまった後の菅家さんは、捜査員の目には、スラスラと犯行を供述したように映っただろう。

 なのになぜ、このような間違いが起きてしまったのか。それを検証することは、こうした悲劇が繰り返されないために、何をどうすればいいのかを捜査関係者が考えるためにも、どうしても必要なことだ。

 取り調べ課程の全面可視化が必要なことは言を俟たないが、それ以外にも、私たちは考えなければならないことがあるように思う。捜査員らの証言を公開の場で行ってもらいたいのは、これが警察などの捜査関係者だけの問題ではないように感じられるからだ。

 これは私の想像だが、警察庁からDNA鑑定の結果を受けた、栃木県警の捜査本部は、菅家さんが犯人で間違いないと確信しただろう。同時、DNA鑑定はあたかも百発百中の最先端技術であるかのように喧伝されていた。捜査員たちは、DNA鑑定の仕組みや精度なども分からず、とにかく「間違いない」という結論だけを教えられ、取り調べに臨んだのではないだろうか。 

 凶悪事件であればあるほど、犯人が自白して謝罪することを、マスメディアも、一般市民も、そして検察や裁判所も期待している。この事件でも、捜査員たちはそうした期待に応えるべく、使命感をもって取り調べを行ったに違いない。捜査員たちは、社会からの期待を、どのように感じていたのだろうか。そうした期待がプレッシャーとなって、嘘の自白を招くような強引に取り調べに至ったのだとしたら、担当した捜査員や当時の栃木県警の捜査本部だけを責めてすむ問題ではなくなる。

 私たちの社会が、この事件から教訓を得るためにも、公の場での原因究明をしてもらいたい。
 
 また、謝罪がなされるべきは、菅家さん一人だけはない。
 真犯人を取り逃がす結果になったわけで、被害者遺族、地元の市民に対しても、当然、真摯な謝罪がなされるべきだ。

それにしても、この事件で警察や検察以上に責めを負うべき人たちが、責任を認めるわけでもなければ、謝罪するわけでもないことに、とても疑問を感じている。

 冤罪が明らかになると、メディアでも警察や検察が厳しく批判される。それは当然としても、それ以上に批判されて然るべき人たちに対しては、あまり批判がなされない。それどころか、冤罪の被害者を救ったかのような扱いをされることすらある。

 私が冤罪事件で最も責めを負うべきだと思うのは、裁判官である。今回の事件で言えば、とりわけ菅家さんの上告を棄却し、無期懲役刑を確定させてしまった最高裁の裁判官たちだ。具体的に言うと、亀山継夫裁判長と、河合伸一、福田博、北川弘治、梶谷玄ら4裁判官である。

 弁護団は、最高裁の段階で菅家さんの髪の毛を使って独自のDNA鑑定を行った。その結果が科警研の鑑定と違っていることから、再鑑定を請求すると共に、鑑定試料(被害者の衣服)を適切に保存するよう要請した。

 ところが、再三にわたる弁護側の請求を最高裁は無視し続け、上告から5年半後に菅家さんの無実の訴えを退けた。最初の上申書が出されたのは1997年10月で、菅家さんの逮捕からは5年10ヶ月後だ。この時に、再鑑定を行っていれば、もっと早くに菅家さんの無実は明らかになった。菅家さんの失われた17年半のうち、少なくとも11年間は最高裁の5人の裁判官(及び調査官)の責任だ。

 また、上申書が出された時期は、事件発生から7年5ヶ月後で、また公訴時効まで7年半あまりの時間があった。この時点で捜査をやり直せば、真犯人を逮捕する可能性はあったのだ。その点では、被害者に対しても、最高裁は大きな責任を負っている。

 一部報道で、最高裁の関係者が「当時としてはベストのベストを尽くした結果」と述べていると報じられたが、とんでもない話だ。

 最高裁を擁護する意見として、「事実審は高裁までであって、最高裁は法令違反や判例違反を審理する所だから」というものがある。しかし、最高裁が事実について判断してはならない、という決まりがあるはずがない。実際、この4月には、電車内の痴漢事件で罪に問われた防衛大学校の教授が1審2審と有罪判決を受けていたのを、最高裁が破棄して、無罪を自判した。下級審の事実誤認を、最高裁が訂正しただけでなく、早く被告人の座から解放するために、高裁に差し戻すのではなく、自ら判断をしたのだった。私が以前取材したひき逃げ事件でも、同じように1、2審の有罪判決を最高裁が破棄して自ら無罪判決を出していた。

 再鑑定をして自ら事実を判断するのが嫌なら(そういう横着者は、そもそも裁判官にならないでもらいたいが)、高裁に事件を差し戻し、高裁で再鑑定など事実に関する吟味をもう一度行うように命じることだってできた。

 菅家さんを裁いた最高裁の5裁判官は、いずれの道もとらず、しかも被害者の衣服を冷凍保存するなどして、付着した犯人のDNAが破壊しないように努めることすらしなかった。幸いなことに、今回の再鑑定では、無事DNAが完全な形で検出できたからよかったようなものの、そうでなければ、菅家さんの無実を証明するのは難しかっただろう。

 亀山裁判長ら最高裁の裁判官たちは、事実に対する謙虚さに欠け、事実を知ろうという好奇心すら希薄で、その怠慢により無実の人を刑務所に送り込んでしまったのだ。
 
 有罪判決が確定から1年5ヶ月して、菅家さんは宇都宮地裁に再審を請求した。

 この再審請求審で、ようやく被害者の衣服が冷凍保存されることになった。しかし、弁護側が行った再鑑定について、「鑑定に使った毛髪が菅家さんのものである証明がない」として証拠価値を認めず、結局5年2ヶ月近くの歳月をかけて、棄却決定が出された。

 弁護側の再鑑定に使われた髪の毛は、菅家さんが自ら引き抜いて、弁護人への手紙の中に同封したものだ。そういう手法を取らざるをえなかったのは、拘置所・刑務所では、弁護人は面会室でアクリル板越しに会うしかなく、直接の受け渡しができないからだ。もし、鑑定に使われた髪の毛が菅家さんのものではない可能性があると考えるのであれば、裁判所自ら髪の毛を採取して、鑑定を行うようにすればよいのだ。やるべきことをやらずにいた宇都宮地裁も、真実発見に対する姿勢があまりにも薄弱であり怠慢であったと言わざるをえない。 
 結局、最高裁と再審請求の宇都宮地裁で、9年以上の歳月が無駄に費やされたのだ。その間に、事件は公訴時効を迎えた。いったいこの責任は誰が取るのだろうか。
 
 再審請求の宇都宮地裁の裁判官たちにとっては、最高裁の判断と”法的安定性”が、菅家さんの人生や人権、真実を発見することよりも大きかったのだろう。

 確定判決を死守し、めったなことでは改めないことが、司法の信頼につながると多くの裁判官たちは信じているらしい。そういう裁判官たちにとっては、再審を開いて、過去の裁判の過ちを正すことは、裁判所の沽券や面子にかかわることなのだろう。だから、事実を知る努力をするより、どうしたら再審を開かずに済ませられるかが先に立つ。

 今回の事件は、不幸中の幸いで、東京高裁の段階で再鑑定が行われ、菅家さんの無実が明らかになったが、名張毒ブドウ酒事件などでは、有罪を支えた物的証拠がすべて崩れた後になっても、「まだ、捜査段階の自白があるじゃないか」と、再審を認めてもらえない。

 この現実を考えると、再審請求審こそ、国民の司法参加が必要ではないか、と思う。

 一般市民であれば、先輩裁判官に対する遠慮やしがらみはない。”法的安定性”より、事実や人の人生の方を大事に考えるだろう。再審請求が行われるような事件は、発生から時間が経過しており、事件の衝撃や怒りなどの感情も落ち着いて、一般市民も冷静な目で判断できるはずだ。

 そう考えると、一審を裁判員でやるより、むしろ再審請求審の方が、市民が参加する意義やメリットは大きい。

 検察審査会のように、一般市民が法律家などの専門家の助言を受けて判断した方が、最高裁の”権威”や裁判所の面子にとらわらず、まっとうな判断ができるのではないか、と思う。せめて、裁判官だけでなく、それ以上の数の一般市民が加わって判断をする裁判員方式とすべきだ。
 
 それに、そもそも警察の捜査員は自白にこだわるのは、自白調書を裁判所が安易に証拠採用してきた、長い慣例があるからだ。

 無理な取り調べを生む土壌は、裁判所が作り上げてきた、とも言えるのではないか。

 判決だけではない。裁判所は、捜査機関から請求があればホイホイ逮捕状や勾留状や捜索令状を出している。人権の砦であるべき裁判所が、その役割を果さないことが、多くの冤罪を生んでいる。

 なのに、裁判所にはその自覚がなさすぎる。
 
 富山の冤罪では、再審が開かれたが、その公判で裁判長が「被告人、前に出なさい」と命令する偉そうな態度をとっているのを傍聴席から見ていて、怒りがこみ上げてきた。

 自分たちの先輩が、一人の人間の人生をめちゃめちゃにしたという自覚も反省も謝罪も、まるでないのだ。
 誤ったら謝る――子どもにも分かる、こんな当たり前のことを、改めて裁判官に説かなくてはならないのは淋しい限りだが、間違ったら誠実に謝ってこそ、国民の裁判所に対する信頼は取り戻せることを、よくよく認識してもらいたい。

 そこで思い出すのは、吉田巌窟王事件と呼ばれる冤罪事件の再審判決だ。大正時代に起きた強盗殺人事件で、犯人の二人が自分たちの責任を軽くするために第三者を主犯にでっち上げる供述を行ったことから、吉田石松さんが逮捕された。一審は死刑だったが、二審は無期懲役となり、最高裁で確定した。事件発生から22年後に仮出所してから、自分を罪に陥れた男たちを探し出し、再審請求を重ね、事件から約50年後に、ついに再審を勝ち取った。

 名古屋高裁で行われた再審で無罪が言い渡された。その判決文を、小林登一裁判長は、次のように結んでいる。
 
「当裁判所は、被告人、否、ここでは被告人というに忍びず、吉田翁と呼ぼう、われわれの先輩が翁に対しておかした過誤を、ひたすら陳謝すると共に、実に半世紀の久しきに亘り、よくあらゆる迫害にたえ、自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈の正に驚嘆すべき精神力、生命力に対して、深甚なる経緯を表しつつ、翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である」
 
 そして小林裁判長は、左右の陪席裁判官を促して、裁判官席から被告人席の吉田氏に頭を下げた、という。
 検察側は上告を断念し、無罪が確定。だが吉田氏は、それから1年もしないうちに亡くなった。まさに雪冤のための人生となってしまった。さぞかし悔しかったことだろうと思うが、裁判官たちの謝罪があったことで、少しは報われた気持ちになったのではないだろうか。
 
 果たして、菅家さんの再審請求審や再審で裁判官たちはどういう対応をするのだろうか。 そこに、私は注目したい。
 
 
 さらに、一審を担当した弁護人の責任も大きい。

 公判中、面会にもほとんど行っていないようだし、菅家さんが勇気をふるって無実を訴えた時に、それを再び引っ込めてしまったのは、弁護士に諭されたからだったという。

 富山事件でも、弁護士が弁護人としての職責をきちんと果たさなかったことが指摘されている。
 足利事件も、一審での弁護活動がもう少しまともになされていれば、菅家さんが服役するような事態は避けられたかもしれない。

 未だに当時の弁護人から謝罪の言葉は出ていないようである。この問題について、弁護士会はどう取り組むのかについても、合わせて注目していたい。 

【東京地検特捜部】 朝鮮総連本部ビルの売却問題

 この緒方氏の朝鮮総連本部ビルの売却問題も少々異様な事件であった。2009年6月17日に最終弁論が行われている。いろいろな噂が流れ、何が真実なのか見えてはこないのであるが、官邸の力や時の総理を忖度したのと言われた事件であった。


07年6月、安倍晋三政権下で社会的耳目を集めた「朝鮮総連本部ビル売却問題」。この事件は当初、東京地検特捜部が電磁的公正証書元本不実記録などの疑いで関係先を家宅捜索したことから、朝鮮総連およびその代理人弁護士らを含む「競売妨害」事件として立件されるのではないか、と見られた。ところが、ご存じのように、事件はいつの間にか朝鮮総連を被害者とする詐欺容疑に切り替えられ、元公安調査庁長官の緒方重威(しげたけ)、元不動産会社社長の満井忠男被告ら3人が逮捕・起訴された。

こうして詐欺罪に問われた緒方、満井両被告の公判は37回を重ね、今月17日に結審した。その中で緒方被告は「(中央本部を差しおさえられそうだった)朝鮮総連の窮状を見かねて取引を行った。利得目的ではない」と無罪を主張。弁護側も「大声で脅迫するなど異常な取り調べを行い、検察側が思い描いたストーリーに沿うように供述を作り上げた」と批判したという。一方、検察側は「公安調査庁長官などの経歴を利用した巧妙かつ悪質な犯行」として両被告にそれぞれ懲役5年を求刑した。

ここで改めて、検察側が描く「事件の構図」を簡単に振り返っておきたい。緒方被告らは総連側から、購入代金35億円を提供する投資家がいるかのように装い、所有権移転登記をして総連中央本部の土地・建物をだまし取り、実体のない事業の違約金名目で総額4憶8400万円を詐取した、というものだ。

ところが最近になって、この取引のスキームをつくったとされる元銀行員の河江浩司氏(=有罪確定)が上申書(=左写真)を出していたことが分かった。その中で河江氏は、総連本部ビル買収の資金調達先として「富士薬品」(さいたま市)に話を持ち込み、同社役員らと複数回にわたる具体的な交渉を続け、「富士薬品でも『非常に面白い』と取引に強い関心を示し」た、との驚くべき証言をしている。

ところが、総連本部ビル事件が発生したため、社会的信用の失墜を極端に畏れた富士薬品側は態度を豹変させ、「その話は確かにあったが、すぐにお断りした。従って交渉ごとなどは一切無かった」の一点張りで検察の事情聴取に対応したという。河江氏は上申書の最後を次のように締めくくっている。

<正直私は呆然としました。今にも取引を成立させるといった勢い、意気込みを見せていたのは他ならぬ富士薬品だったからです。それをひた隠しにして「何もなかった」と検事の前で言を繰り返したことで、私は裏切りそのものだと実感を持つと同時に、無実の証が潰えたと落胆しました。私は交渉が間違いなくあったことを何度も繰り返し申し述べたのですが、取調べ検事に受け入れられなかったことが今でも悔しくてなりません。> 

もっとも、この上申書が公判で証拠として採用されたかどうかは今のところ不明だ。MSN産経ニュース(=左写真)を見る限り、緒方被告の弁護人最終弁論でも、「自己の虚偽供述により、被告人や満井を陥れてでも、巧みに立ち回り最小限の責任しか取らずに逃げ切るべき強烈な動機も存在したことも見逃されるべきものではありません」と、二転三転した河江氏の供述、証言は「任意性がない」と断じている。しかし、この上申書は河江氏の有罪が確定した後に作成されたもので、すでに「逃げ切るべき強烈な動機」も存在しない。したがって、真実が含まれている可能性は非常に高いのではないか。仮に河江氏の言うことが本当なら、具体的な資金調達の交渉は存在し、総連本部ビルなどを詐取する目的だったという検察側の構図は大きく崩れることになる。

しかも、「富士薬品」という会社は資金量も豊富で、調達先として非常に有力だった。同社は未上場ながら、従業員4082人(=09年3月末現在)を抱える配置薬販売の最大手で、民間調査会社の資料などによると、08年3月期の売上高は1367億円に達する。同社は高柳一族が支配しているが、現在は2代目の高柳昌幸氏が社長に就任している。
「先代の貞夫氏は昨年、体調を崩し、経営の一線から身を引いた。実は、この貞夫氏は仕手筋の金主として有名な人物で、不動産投資にも相当のめり込んでいた。河江の総連本部ビル売却話に飛び付く素地は十分にあったと思う。貞夫氏が抱え込んでしまった不良債権は200億円を超えるとさえ言われている。その中にはいわゆる事件物も少なくない」(関係者)

この間、本誌は、河江氏の上申書の内容を「富士薬品」社長室に伝え、事実確認などを求めてきたが、現在に至るまで回答は一切ない。しかし、朝鮮総連本部ビルの他にも、同社の不動産投資案件は反社会勢力と思われるフロント企業、事件屋などが数多く関わっている。すでに本誌は、その個別案件を複数把握しており、詳細が分かり次第お伝えしたい。
.........................................................................................................................


朝鮮総連ビル売却、緒方重威元公安調査庁長官問題メモ

 気乗りのしない話題だし私なんかに真相に迫れるはずもないが、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)中央本部のビルと敷地が、緒方重威元公安調査庁長官(七三)を代表取締役とする投資顧問会社に売却されそうになった件について、自分なりのメモを記しておこう。
 まずシンプルに何が問題なのか。一般向けに書かれた十五日付朝日新聞社説”総連本部売却―取引にも捜査にも驚いた”(参照)を借りる。

 公安調査庁といえば、暴力的な活動をする恐れのある団体の調査が主な仕事だ。朝鮮総連も対象とされる。監視する側の元トップが、監視される側と土地取引をしていたわけだ。
 さらに驚いたことに、東京地検特捜部がすかさず元長官の自宅などを捜索した。所有権移転の登記に偽装の疑いがあるというのだ。

 ここでの朝日新聞的な問題点をまとめると、(一)危険性のある団体を監視する機関の元トップがその団体と金銭取引をしていた、(二)取引に偽装の疑いがある、の二点ということになる。
 一点目の問題については朝日新聞の説明だけ聞いていると違法性があるとも言えないように思える。では二点が問題かというと常識的に考えてもそういう話でもあるまい。この先、朝日新聞社説は、朝鮮総連ビルが競売されることを避けるためだろうという話を説明している。ただ、そこが私などにはわかりづらい。
 この点は朝日新聞より一日早く論じた十四日付け読売新聞社説”元公安庁長官 朝鮮総連との取引は論外だ”(参照)がわかりやすい。

 しかし、今の時点で朝鮮総連が保有資産を売却すること自体、極めて問題のある行為と言わざるを得ない。
 在日朝鮮人系の計16の朝銀信用組合が1990年代後半以降、相次いで破綻(はたん)した。各信組が架空名義などを使って朝鮮総連に融資し、焦げ付いた額は約628億円に上り、整理回収機構が返還を求めて総連を提訴していた。
 その判決が来週18日に東京地裁で言い渡されることになっている。
 同機構は旧経営陣などに対する刑事告訴・告発や損害賠償請求の訴えを起こしてきた。そうした裁判の中で、朝鮮総連が朝銀信組を長年にわたって私物化していた実態がわかっている。朝銀信組の破綻は、朝鮮総連に対する乱脈融資が大きな要因だった。
 しかも、朝銀信組には、預金者保護などの名目で総額1兆円以上の公的資金が投入された。朝鮮総連からの債権の回収に全力を挙げるのは当然である。
 判決を前に、敗訴に備えた取引だったとすれば悪質だ。本部の明け渡しや将来の競売を逃れる意図はなかったのか。同機構の活動を妨害することにもなる。

 つまり、朝鮮総連が保有資産を売却すること自体が問題なのだ、と。
 明日十八日の東京地裁判決で、朝鮮総連から債権が回収される公算は大きい。その時、朝鮮総連ビルの競売を避けるために。話のわかるスジに売却したのではないか。
 そうなのだろう。つまり、緒方重威元公安調査庁長官は、朝鮮総連の拠点を守りたかったというのが、この事件のある意味でマクロ的な意味なのだろうし、同社説では次のように、緒方の言葉を伝えている。

元長官は、「在日朝鮮人が中央本部で活動している現実を踏まえ、在日朝鮮人の権利擁護のために行った。北朝鮮を利するつもりはない」と説明している。

 弁明は十三日付け朝日新聞記事”資金調達難航、断念の可能性も”(参照)が詳しい。

引き受けた理由については「総連は違法行為をし、日本に迷惑をかけている。だが中央本部は実質的に北朝鮮の大使館の機能を持ち、在日朝鮮人の権利保護の機能も果たしている。大使館を分解して追い出せば在日のよりどころはなくなり、棄民になってしまう」「満州(現中国東北部)から必死に引き揚げ、祖国を強く感じたことを思い出し、自分の琴線に触れた」などと語った。

 十五日付け産経新聞産経抄では次の一言を伝えている。

緒方氏は会見で、「いずれ歴史が私のしたことを分かってくれる」と言うばかり。小欄が歴史からくみ取るのは、北朝鮮が繰り出す謀略に、日本の対応が甘すぎたという反省ばかりなのだが。

 緒方重威元公安調査庁長官は今回の行動になぜだか信念をもっていたと見ていいだろうし、率直に言って、私の印象だが老人惚けの一種なのではないか。
 だが、巨額なカネのからむ件でもあり、緒方の信条とか惚けとかで済む話ではない。この点は先の朝日新聞社説の(二)の問題点の補足が詳しい。

 元長官に売ったのは、競売されることを避けようとしたからだ。それ自体に違法性はないが、問題は本当に売買が成立していたか疑わしいことだ。移転登記がされたのに、実際の支払いは済んでいなかった。外から見れば、売買を装ったと言われても仕方があるまい。
 こんな方法を取ったのは、実際に資金を出す人の強い意向だった。判決前に受け取るめどが立っていた。判決前に調達できなければ登記は元に戻す。これが、元長官に取得を頼んだ総連側代理人の土屋公献・元日弁連会長の説明だ。
 しかし、土屋氏も認めるように、金を受け取る前に移転登記をするのは異例のことだ。
 土屋氏は出資者とは面識もないという。出資者とどこまで具体的な合意ができていたのかもはっきりしない。

 ポイントは二つある。(一)緒方重威元公安調査庁長官を表向きたてて実際のカネを出す人が誰なのか現時点で不明。(二)このスキームを実際上実行したのは土屋公献・元日弁連会長(八四)であること。

 言い方が卑近すぎるが、黒幕は誰なのか? 候補は三人。

 一人目。緒方重威元公安調査庁長官か。信条的には関わっているが黒幕ではなさそうだ。というか惚け臭い。なお、このご老体の親族にその後問題が出てはいるが。

 一人目。土屋公献・元日弁連会長か、黒幕の可能性は高いが、オモテに出てくるだけ強い関係者の一人という書き割りかもしれない。というかさらに惚け臭い。

 三人目は謎の出資者だ。単純に考えてこれが黒幕なのだろうし、当然朝鮮総連の関係者であろう。しかし、先の朝日新聞記事にもあったように、資金調達は転けている。大惚けなのか、この黒幕。

 私の印象では、日本国家の中枢が北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連に籠絡されているというより、偉すぎるけど惚け老人たちのスラップスティックのように見える。というか、元からそんなカネ出せるはずだったのか? 

 いや、出せると目論んだスキーマだったら、そのカネはどういう絵のなかにあったのだろうか。

 ところで、今回のこの件、どういう経緯で浮上したのだろうか。そのあたりがよくわからない。政権側だろうか。あるいは、北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連側の内紛だろうか。一三日付け統一日報”朝鮮総連 中央本部を売却  揺れる在日朝鮮人社会”(参照)を見る限り、「朝鮮総連の内部関係者もほとんど事実を知らされてはいない」ようだ。そうなんじゃないだろうか。すごい組織だなというかすごいリーダーシップ。これが絵の通りだったらもっとすごかったのだけど。
 余談だけど、公安調査庁は、略すと、「公安庁」「公調」「PSIA」。法務省の外局(参照)。調査活動をする組織であって逮捕権はない。これに対して、いわゆる「公安」は公安警察を指すことが多い。こちらはウィキペディアによると。

公安警察(こうあんけいさつ、英:security police)とは、公共の安全と秩序、すなわち「公安」を維持することを目的とする警察の捜査部門の総称。

 両者の違いの詳しい説明もある。

 法務省外局である公安調査庁(公安庁、公調)とは、捜査対象が重複するためにライバル関係にあると言われる。その一方、内閣情報調査室や防衛省情報本部(特に電波部)などの幹部の多くは、警察(キャリア職員)からの出向者である。

 公安警察は、事件解決や対象の継続的な監視を目的としており、収集した情報を首相官邸や関係省庁等に提供することはほとんどない。一方公安調査庁は、政策の判断材料となるように情報を分析・評価し、首相官邸や関係省庁等に提供する点で違いがある。例えば、同じ北朝鮮情報を扱うにしても、公安警察が日本国内の工作員の存在という違法行為の把握を第一目標とするのに対し、公安調査庁は北朝鮮本国の政治・経済情勢の把握を優先する。公安警察には逮捕権等が付与され、公安調査庁に与えられていないのはこのためである。

 一見、同様の活動をしているかに見える両機関であるが、収集した後の情報の扱い方によって、公安警察は捜査機関、公安調査庁は情報機関に分類される。

 今回の件の浮上についてはよくわかんないが、安倍政権側からの公安調査庁へのお灸だったのではないか。お灸とか言っても、現代語じゃないけど。







【朝鮮総連事件】「犯罪にあたらないと確信」 緒方被告の弁護人証言
2009/01/19 22:22

ドナルド・ラムズフェルド国防長官は自らの主張を胸の内に留めておくようなことを滅多にしない人物である。敵に対しても妥協するようなことはない。そして、彼は北朝鮮の共産主義政権について明確に軽蔑している。そういうわけで、合衆国政府が北朝鮮に対して、核兵器開発計画の断念と引き換えに2基の軽水炉建設計画に同意し論議を呼んだ1994年の取り決めについて、国防長官の見解に関する公的記録が全く存在しない事実には非常に驚かされる。さらに驚くべきことは、その北朝鮮の軽水炉建設の設計と基本部位を提供する2億ドルの事業を受注した企業の役員に就いていた事実について、ラムズフェルド氏が沈黙していることである。

その会社は、スイス・チューリッヒを本拠とする巨大企業ABB社で、北朝鮮との契約は2000年に締結されており、ラムズフェルド氏が役員職を辞任してブッシュ政権に入閣するずっと前のことであった。ラムズフェルド氏は、1990年から2001年初頭まで、唯一のアメリカ人役員としてABB社取締役会に名を連ねていたが、当時その会社が北朝鮮の軽水炉開発事業契約受注競争に加わったことを公的には口にしていなかった。フォーチュン誌の調査でも、彼が同事業についてどういう考えをもっていたかについて示した公的記録は一切発見できていない。今年2月、北朝鮮の軽水炉開発について国防長官が果たした役割についてニューズウィーク誌に問われた際、国防長官の広報担当者ビクトリア・クラークは「(役員として)決済が問われた事項ではなく、」彼女の上司であるラムズフェルド長官は「そうした事業がいかなる時点で役員会に提示されたのか思い出せない」と回答した。

ラムズフェルド氏が果たした役割についてフォーチュン誌は詳細な説明を求めたが、同氏は回答を拒否している。しかし、ABB社広報担当者ビョルン・エドランド氏は、フォーチュン誌の取材に対して「役員達は当該事業について説明を受けていた。」と語った。さらに、他のABB社職員の話によれば、そのような巨額の重要な事業の場合は、複雑な法的責任問題も絡むために、取締役会の監査を通さないことはありえないという。「おそらく契約締結前に、事業概要を記した書類が役員会で提示されているはずです。」ABB社米国支社核開発事業部の前社長で、当該事業を指揮したロバート・ニューマン氏は言う。「役員なら当然知っていたはずですよ。」

平壌の開発事業に入札していた頃にABB社の役員を務めていた15人に本誌が問い合わせたところ、1人を除いて全員がコメントを拒否した。匿名を条件に回答したその役員は、当時のABB社会長パーシー・バーネヴィク氏が、1990年代中盤に役員会で北朝鮮の軽水炉開発事業について説明したという。「ABB社にとっては大きな出来事でした」前役員は言う。「それで、大規模な政界ロビー活動が行われたんです。」

前役員は、1990年代半ばにライバルのアメリカ企業が“外資系企業が政府の仕事を受注しようとしている”と不満を表明した件で、ラムズフェルド氏が「ワシントンでABB社のためにロビー活動を行うように依頼された」という話を憶えていた。前役員は詳しく説明できなかったが、1995年までABB社の発電設備事業を指揮していたゴラン・ランドベルグ氏は、「一時期ドン(ラムズフェルド)が関わっていたのは確実ですよ」と語った。ゴラン氏によれば、「合衆国政府との契約が必要な際は」役員の助けを借りて事業を受注することは珍しいことではなかったという。他の幹部経験者達はラムズフェルド氏の関わりについて憶えていなかった。

現在のラムズフェルド氏は、イラク戦争以来戦勝気分のせいか、北朝鮮の「体制変革」計画について検討していると伝えられている。しかし、原子炉開発をめぐるラムズフェルド氏の沈黙は、彼がABB社役員時代に何をしたのか-あるいは、しなかったのか-について重大な問題を提起している。ABB社の核開発事業に鋭敏な関心を示し、ほとんどの取締役会に出席してきたラムズフェルド氏が、他の役員を相手に自身の見解について示した証拠はない。確かに彼は当該事情を公にしたことがないが、ラムズフェルドを知る多くの人々は、軽水炉から核兵器使用可能な核物質を抽出可能として同氏に批判的な見方をしている。ラムズフェルドの同僚であるポール・ウォルフォウィッツ、ジェイムズ・リレイ、リチャード・アーミテージらは、北朝鮮との軽水炉開発取引に反対していた事実が記録に残っている。かつてラムズフェルドが選挙責任者兼国防アドバイザーを務めた大統領候補ボブ・ドール氏も反対だった。さらに、ラムズフェルド氏が役員に就任した基金から資金提供を受けたシンクタンク『核不拡散政策教育センター』所長のヘンリー・ソコルスキ氏は、1994年の取引に関して反対する急先鋒の1人だった。

ラムズフェルド氏の意図を知るひとつの手がかりとなるのは、1998年にヘリテージ財団で行ったスピーチである。その際、彼は軽水炉開発については触れなかったが、1994年の北朝鮮との枠組み合意は「核の脅威を終結させるものではなく、ただ単に罰を先延ばしするだけのもので、北朝鮮がどれだけの爆弾材料を入手するかについては確約がないままである。」複数の記事データベースを検索して当時の記事を調べた結果、1990年代を通じて、ラムズフェルド氏が北朝鮮の軽水炉を開発した企業の役員であった事実を伝える報道は見当たらなかった。そして、ラムズフェルド氏もそれを表明することはなかったのである。

すでに韓国で8基の原子炉を建設しているABB社は、合衆国政府がスポンサーとなった40億ドルの北朝鮮軽水炉開発事業計画に関して有利な立場にあった。同社は「事業受注は間違いなし」と伝えられていたと、同事業計画の責任者を務めたフランク・マレイ氏は言う。(同氏は、現在ウェイスティングハウス社で同じ役職に就いている。ウェイスティングハウス社は1999年に英国BNFL社に買収された。英国BNFL社はその1年前にABB社核開発部門を買収している。)北朝鮮の原子炉は、もともと韓国と日本の輸出入銀行から資金提供を受け、ニューヨークのKEDO(Korean Peninsula Energy Development Organization、朝鮮半島エネルギー開発機構)によって監査されることになっていた。「えこひいきではありませんよ」1997年から2001年までKEDOの事務局長を務めたデザイク・アンダーソン氏は言う。「単に実務的理由からでした。」

それでもなお、ABB社は同事業への関与を内密にしようと試みている。フォーチュン誌が入手済みの、ABB社からエネルギー省に送られた1995年の或る手紙によれば、同社は北朝鮮への技術供与に対し承認を申請すると共に、その当たり障りのない手紙を機密扱いにするよう求めている。「内密にされる理由は様々です。」ABB社の米国広報担当者ロナルド・カーツ氏は言う。「この巨額の事業は典型的ですが、契約というものはそんなに人目に触れるものではないのです。」

ABB社は事業にあたって目立たぬようにしているが、カーツや他の職員の話では、役員達は事業内容について知っていたはずだと言っている。前ABB社幹部のニューマン氏によると、リスク評価の概要を記した書類がバーネヴィク氏(前会長)宛てに渡っているという。バーネヴィク氏はフォーチュン誌の電話取材に回答しなかったが、チューリッヒ本社勤務でニューマン氏の上司ハワード・ピアース氏は、ラムズフェルド氏についてこう言った。「役員会に居たから、知っていて当然だと思うがね。」

関係者の話によれば、ラムズフェルド氏は実践的な役員だったようだ。かつてABB社世界核開発事業を率いたディック・スレマー氏によれば、ラムズフェルド氏は時々電話で核拡散問題について語ることがあり、その際「正しい方向性を理解させるのに苦労した」という。ピアース氏は、ラムズフェルド氏がABB社の核開発事業受注のために中国を訪問した事を思い出し、「一端思いついたら、考えを変えさせるのが困難な人物だった。彼の意見を変えるには猛烈にやらないといけない。」ABB社米国核開発事業部の前部長シェルビー・ブルワー氏は、コネチカット本社の会議でラムズフェルド氏と会ったことを思い出し、「素晴らしく才気ある人物だと思った。ヨーロッパ連中を相手に熱いナイフでバターを切るみたいにやりあったもんだ。」

関係者の誰も、北朝鮮の事業について話すラムズフェルド氏については記憶にないという。しかし、仮に彼が意見を隠しているとしたら、他の人たちは隠していない。共和党は最初から北朝鮮核開発事業に反対を表明しており、特に1994年に両院を制してからは顕著だった。「枠組み合意は署名して2週間後には政策上の孤児になっていた。」KEDOの初代事務局長で前駐韓国米大使のスティーブン・ボスワースは言う。枠組み合意がなぜ問題なのか理解するのは易しい。北朝鮮はテロ支援国家リストに含まれており、核拡散防止条約にたびたび違反している。1994年の枠組み合意の指揮を執った国務次官ロバート・ガルッチは批判に同意せず、言った。「もし合意がなかったら、北朝鮮は戦争するか核兵器を作るかのどちらかしかなかった。」

複数の専門家が指摘する問題は、軽水炉から兵器への転用可能な核物質を抽出するのは困難だが可能という部分である。「再処理はそれほど大変じゃありません」原子力委員会と原子力規制委員会の上級委員ビクター・ジリンスキー氏は言う。「特別な機材は要りませんよ。KEDOの連中はそこがわかっていない。未だにヘマを続けている。」

軽水炉開発に対する共和党勢の抗議の声を考えると、ラムズフェルド氏の沈黙はほとんど防音装置のようだ。「共和党員のほとんどは文句を言ってましたね」クリントン政権の東アジア・太平洋問題担当国務次官ウィンストン・ロード氏は言う。ロード氏はラムズフェルド氏の主張について憶えていないという。反KEDOを熱烈に唱える国防政策センターのフランク・ギャフニー・ジュニアもまた同じだ。ギャフニー氏によると、ラムズフェルド氏はABB社役員としての立場が議論を巻き起こすことを避けているという。

1998年には、ワシントンで議論が沸騰し、軽水炉開発の遅れは北朝鮮を苛立たせた。兵器査察官はもはや北朝鮮の核物質の在庫を確認できなくなった。それでもマレイ氏によれば、1998年のある時点で、ABB社は公式な「入札の招待」を受けたという。その時ラムズフェルド氏は何処に?その年、彼は下院主催の研究会議で大陸弾道ミサイル危機に関する機密情報を検証していた。その会議では、北朝鮮が合衆国本土を5年以内に攻撃可能になると結論が出た。(報告書が出されて数週間後、北朝鮮は日本に向けて3段ロケットを発射した。)さらにそのラムズフェルド氏の会議では、北朝鮮が核兵器開発プログラムを継続していると結論づけたが、そのようなプログラムを阻止するはずの軽水炉事業の件については巧妙に省かれていた。同会議の報告書に記されたラムズフェルド氏の経歴には、彼がABB社役員であるとの記述もなかった。

ホワイトハウスを去る直前、クリントン大統領は北朝鮮がミサイル開発と核開発を諦める代わりに支援再開と関係正常化を図る大胆な取引を持ちかけるつもりでいた。しかしブッシュ大統領は北朝鮮側の意図に懐疑的で、2001年3月に政策再考を呼びかけた。その2ヵ月後にエネルギー省は、ラムズフェルド指揮下の国防総省と相談した結果、北朝鮮への核開発技術供与の再承認を行った。ウェスティングハウスと北朝鮮高官が出席する起工式は2001年9月14日に開催された-米国本土に対する史上最悪のテロ攻撃が発生してから3日後である。

ブッシュ政権は未だに北朝鮮核開発事業計画を破棄していない。エドワード・マーキーと他の議員達は、ブッシュとラムズフェルドに対し、彼等が「核爆弾製造工場」と呼ぶ軽水炉事業への支援を取りやめるよう手紙で要請した。それにもかかわらず、コンクリート注入セレモニーが昨年8月に開催され、ウェスティングハウスは北朝鮮に対し10月まで技術訓練プログラムへの支援を行った。その直後に北朝鮮側は極秘ウラン再処理計画を認めて、武器査察官を追い出し、プルトニウム抽出を行うと発表した。ブッシュ政権は核開発技術供与の延長を停止したが、1月に北朝鮮の事業計画に対し350万ドルの予算を承認している。

遅かれ早かれ、率直な物言いで知られる国防長官は自身の沈黙理由について説明してくれるはずだ。


【総連事件 最終弁論(1)】「足利事件と何ら変わらない」弁護側が無罪主張(13:17~13:35)
2009.6.17 15:02
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171503011-n1.htm

《在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の不動産や資金をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた元公安調査庁長官、緒方重威(しげたけ)被告(75)と元不動産会社社長、満井忠男被告(75)に対する第37回公判が17日午後1時17分、東京地裁104号法廷で開廷した。前回公判で検察側は両被告に懲役5年を求刑。今回は弁護側が求刑を受け、最後の主張となる最終弁論を行う》
 《今回も、緒方被告、満井被告ともにスーツにネクタイ姿。満井被告のネクタイは、明るいピンク色でひときわ目立っている》
 林正彦裁判長「満井被告と○○(共犯とされる元銀行員の男性、有罪確定)間の判決の写しの請求がありました。検察側のご意見は?」
 《公判での新たな証拠として、満井被告が当事者となっていた民事訴訟の判決を採用するよう、弁護側が裁判所に求めた、という意味だ》
 検察官「この判決は確定しておらず、本件の争点に関連性はありません」
 満井被告の弁護人「満井被告が、(朝鮮総連への)弁済に努力しているという趣旨です」
 裁判長「それでは証拠決定します。内容を説明してください」
 満井被告の弁護人「満井被告に対し、○○には8000万円の債務があり、○○の預かり証が存在することを認めている、という内容です」
 裁判長「それでは続いて、各弁護人のご意見をうかがいます」
 《最終弁論が始まる。緒方被告の主任弁護人の男性が立ち上がった》
 《両被告が問われている罪は、朝鮮総連側から現金計4億8400万円をだまし取ったとされる「現金詐欺」と、代金支払いの意思がないのに、朝鮮総連中央本部の登記を移転させて土地・建物をだまし取ったとされる「不動産詐欺」の2つだ》

《論告によると、重要な争点は、(1)現金詐欺をしようとして両被告が共謀したか(2)朝鮮総連側に対し、満井被告または満井被告が支配する投資家グループが運用している資金を引き揚げる際の違約金などの名目で、立て替え払いを要求したか(3)満井被告から緒方被告にわたった1億円は詐欺の報酬だったか(4)事件当時、両被告が東京・六本木の通称「TSKビル」の地上げに関与し、資金調達の必要に迫られていたか(5)朝鮮総連中央本部の土地・建物の所有権移転登記が完了後、両被告はすぐに35億円を支払う投資家がいると信じていたか-の5点に絞られている》
 《論告で検察側は、両被告が当時、最大で数百億円の利益が見込めるとされた「TSKビル」の地上げに関与し、金を必要としていた背景を説明。満井被告が「自分の支配するファンドから資金を調達するために必要な違約金」名目で、朝鮮総連側から金をだまし取ったと主張し、2人が共謀して、2つの詐欺を行ったと結論づけた。(3)の争点についても、報酬だったと断定した。弁護側は全面的にこうした内容を否定することが想定される》
 緒方被告の弁護人「被告は2つの詐欺事案で起訴されたものですが、いずれの事案についても無実であり、無罪です」
 《法廷の左右の壁に設置されている大型モニターには、「第1 はじめに」という文字から、「第2」に変わる。「被害者側の被害申告がないまま捜査が強行され、起訴に至っているという著しい特殊性は、捜査機関の思惑により無理やり事件が作り上げられたことを強く推認させる」といったことが書かれている》

 《緒方被告の弁護人は、朝鮮総連が整理回収機構(RCC)との民事訴訟に敗訴することにより、拠点となっていた中央本部の土地・建物を失う可能性が強まっていたことを説明していく。RCCとの間で、分割払いによる和解ができなかった背景としては、北朝鮮に厳しい姿勢を取っていた安倍晋三首相(当時)ら「官邸の意向」があったと説明した》
 「土屋(公献)弁護士(総連側の代理人)や趙氏(孝済・朝鮮総連の財務担当幹部)は債務減免などを金融庁に働きかけるなど奔走しましたが、日本政府、特に当時の安倍首相の強硬な態度により頓挫しました」
 「こうした中、協力を申し出たのが満井であり、緒方被告でした」
 《緒方被告の弁護人は続いて、朝鮮総連側の被害感情の薄さについても指摘する。検察側は被害感情が強いとしており、見方がまったく違う》
 「(朝鮮総連側は)捜査機関に被害届を出すなどした事実はなく、被害意識を感じた事実も一切ありません」
 《さらに捜査への批判を始めた》
 「通常は取り調べを行うことなどない特捜部副部長が、突如、東京拘置所に現れ、大声で怒鳴り机をたたき上げ脅迫するなど、極めて異例かつ異常な取り調べを行って無理やり自白させるなど、捜査は異例、異常ずくめの経過をたどっているのです」
 《そして“時事性”を交え、このように痛烈に総括した》
 「思い描いたストーリーに沿うように、供述をつくりあげていく過程は、過去の鑑定の誤りが明らかになり、確定判決がありながら受刑者を釈放せざるを得なくなった、冤罪(えんざい)であることが明らかな幼女誘拐・殺人事件と何ら変わることはありません」

《事件の固有名詞は出さなかったが、「足利事件」を指しているのは明白だ。続いて緒方被告の弁護人は、「いい加減に目を覚ませ。狂っているとしか思えない」「一生刑務所から出さない」「否認すれば刑が2割り増しだということを知っているだろう」「刑務所から生きて帰れると思ったら大間違いだ」などと、19年7、8月の取り調べで検察官から緒方被告がいわれたとされる言葉を列挙しながら、手法の不当性や、当時の緒方被告の「自白」が虚偽だったことを強調していった》
 「執拗(しつよう)な脅迫、恫喝(どうかつ)により絶望、動揺し、供述の自由を完全に失ったまま、緒方被告は『認めます』と口にしてしまいました」

【総連事件 最終弁論(2)】「獄中日誌」「取引」「証言迷走」…勢いづく弁護人(13:35~13:55)
2009.6.17 15:33
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171537013-n1.htm

《緒方重威被告の弁護人は引き続き、緒方被告が拘留中につづっていたメモ類の信憑(しんぴよう)性を主張する。その一方で、検察側が立件に向け、“ストーリー”に沿うように証言をゆがめるなどしたとして、その取り調べ過程に強い疑念を呈した》
 《弁護人はまず、緒方被告が拘留中につけていた「獄中日誌」の信用性を強調する》
 緒方被告の弁護人「検察官は証拠調べで、獄中日誌の中で、インクの色やペンの大きさが異なる部分があることから、後日、加筆したなどとしています」
 「しかし、インクやペンの太さについては、東京拘置所内で複数のボールペンを使用し、同所の規則により夜間になるとボールペンの芯のみが手元に残された状況で獄中日誌への記入を行うなど、筆記状況が一定ではありませんでした。インクの色やペンの太さが一定していないから恣意的、作為的であるなどとは到底言えません」
 「また、特に獄中日誌は、筆跡も乱れ、被告人の動揺したり迷ったりしていた心理状況が反映されています。そういう中で理路整然とした記載ではないから信用できない、などとも到底言えません」
 《弁護人が最終弁論書を読み上げる間、緒方被告は同じ文書をめくりながら、目で追っていた。一方、満井忠男被告は、自らのパートではないため、前方を向いて聞き流しているように見える》
 《このあと弁護人は、これまでの法廷で幾度となく主張してきた検察官の取り調べの不当性を改めて訴えた。そして、再び「足利事件」についても言及し、裁判所に訴えかけた》

「市井の無名な一私人であっても、重々しい経歴を有する元検事長の弁護士であっても、『お前がやったことは鑑定で明らかなんだ、お前が有罪であることは共犯者の自白から明らかなんだ』などと連日連夜、責め立てられれば、自暴自棄に陥り、絶望的な気持ちになり、虚偽の自白に追い込まれてしまうというのが、現在の日本の刑事司法における実態であるということに、裁判所はぜひ目を向けていただきたい」
 《弁護人は満井被告の調書についても、任意性が欠如していることを強調したが、詳細は省略した。続いて、朝鮮総連中央本部の土地・建物の購入資金の調達役とされる○○=元銀行員、有罪判決が確定=の証言について、弁護人の考えを述べ始める》
 「○○の検察官面前調書や当公判廷での証言にも問題が多々存在し、○○の調書と法廷での証言のみを特に信用すべき理由は見あたりません」
 《こう結論から述べた弁護人は、まず、○○が検察官から取引をもちかけられたような場面から切り出す》
 「1人だけ逮捕されていなかった○○が、検事から『現金詐欺では逮捕されていないんだから、ここは協力してもらうぞ』と言われ、自らの逮捕の可能性を認識しなかったとは到底考えられないのであり、むしろ、その可能性を強く認識、危惧(きぐ)して虚偽調書の作成に応じざる得なかったと認めるのが合理的です」
 「検察官は、起訴後の○○が検察官の取り調べそのものを拒否できたはずであるなどと強弁していますが、○○の置かれた状況を考えれば、単なる絵空事でしかありません。逮捕の可能性を強く認識していたとみとめられる○○が、取り調べの拒否などできたはずがありません」

《ここでも、弁護人は検察官の取り調べ手法を指弾し、元銀行員の証言に任意性がなかったと強調したいようだ。さらに、厳しい口調で検察側の捜査に疑問点を突き付けていく》
 「○○の供述は、捜査段階で取り調べに抵抗を示しつつも、結局は屈服し、あるいは迎合して検察のストーリーに沿った検察官面前調書の作成に応じました」
 「起訴後、○○は自らの公判を迎えるに当たり、おそらくは真実を述べる必要性を感じ、従前の検察官面前調書の内容を大幅に否定しました」
 「それにもかかわらず、検察官申請の証人として法廷に出廷するや、一度は否定した調書内容を再び肯定する証言をしたり、また、別の調書内容を否定するなど支離滅裂な状態にありました」
 「検察官も、○○の証言の一部を信用できるとしつつ、一部を信用できないとしています」
 《○○の“迷走ぶり”を強調した弁護人は、こう結論づけた》
 「○○には、自己の虚偽供述により、被告人や満井を陥れてでも、巧みに立ち回り最小限の責任しか取らずに逃げ切るべき強烈な動機も存在したことも見逃されるべきものではありません」
 《緒方被告は相変わらず、最終弁論書のページを表情を変えずに目で追っていた》

【総連事件 最終弁論(3)】「拉致問題にも悪影響」“義憤”にかられた?緒方被告(13:55~14:15)
2009.6.17 15:46
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171552014-n1.htm

《最終弁論を読み上げてきた緒方重威(しげたけ)被告の弁護人は、ここで女性に交代。緒方被告が朝鮮総連の窮状に共感し、資金確保に奔走した経緯を説明していく。口調は「です、ます調」ではなく、時折早口になりながらも、はっきりと書面を読み上げていく》
 緒方被告の弁護人「被告は満井(忠男被告)から、朝鮮総連がRCC(整理回収機構)から627億円の支払いを求める民事訴訟を起こされ、敗訴が見込まれていることを聞いた。『総連が中央本部としての土地・建物を確保し、引き続き使用するため、将来の買い戻しを条件としつつ、売却することを目指しているので協力してほしい』といわれた」
 《当初は元公安調査庁長官という立場もあり、断ろうと緒方被告が考えたことに触れた後、その“心意気”に触れた》
 「被告は検察庁内において、おもに公安畑を歩み、公安調査庁長官の地位にもあった経緯から、朝鮮総連を見守っていくうえで、拠点が固定されていた方が大局的に見れば、むしろ日本の国益に沿うと考えた」
 《検察官としての経歴から、緒方被告はきわめてマクロな視点で総連を見ていたという》
 「5年以内に日本と北朝鮮の国交樹立があると認識し、在日朝鮮人の権利保護に関して、被告が理解を示していることは有益に作用するであろうと考えた。また、現時点で在日朝鮮人を圧迫した場合、拉致問題のみならず、日本とアメリカによる北朝鮮との交渉にも悪影響を及ぼすと考えた」
 《国際ジャーナリストさながらの見立てで、民間人ながら日朝の架け橋になろうとした緒方被告の“志”を強調した。さらに、詐欺をしてまで利益をもくろむ理由がないことを語る》
 「(朝鮮総連中央本部の)土地・建物は、朝鮮総連が日本における大使館機能を有する中央本部として使用し続けてきた。しかも、多数の朝鮮総連関係者が日常的に使用している土地・建物なので、現実問題として、転売など利益の取得は到底不可能である。被告や満井(被告)はそれほど非常識で愚かな人間ではない」

 《ここで弁護士は語気を強めた》
 「被告は満井から送金された1億円が報酬であるとは一切考えなかった。満井が総連から受領した資金に由来することが分かるや、自己資金の5000万円を加えて、総連に返還している。このような行動自体が検察が指摘する(現金をだまし取るという)動機にはなりえない」
 《ここで男性弁護人に交代する。「風邪気味なので飲み物を飲むかもしれません」と断り、裁判長も了解した。緒方被告が終始、土地・建物が永続的に朝鮮総連本部として使えるようになることを目指していたと主張する》
 「土地・建物を30億円で売却するという話が進んでいたが、鑑定評価額が34億円だったことから、代金を35億円に増やすよう提案した。検察官はこの提案が現金追加詐取の一環として行われたとするが、売却が困難になるというリスクをあえて犯しつつ、35億円に引き上げるのは不合理であります」
 《そして、弁護士は力を込めて、緒方被告の無実を主張する》
 「資金調達が困難になったことを知った後も、投資家確保の努力を続けています。刑事事件の弁護を通じて知り合った不動産業界に精通した人物から『20億円なら提供できそうだ』という申し出を受けている。これらのことが、なにより被告人の無実を示しています」
 《さらに緒方被告が共犯として起訴され、1審で有罪判決を受けた元銀行員=有罪が確定=の○○に対して資金調達を厳しく催促したことに触れる》
 「滞在中の中国からも○○に催促の電話を繰り返したうえ、帰国した翌日も自身の法律事務所に呼び出して、資金の準備状況を確認しています。(総連の土地・建物の)所有権移転が完了してからは、『きょう35億円を持ってきてくれ』と強い口調で詰問しています。これに対し○○は、『まだ司法書士から登記簿を受け取っていない』『送金が遅れている』などと返答しました」
 《あくまで朝鮮総連のためを考えた行動を取っていたことを、弁護側は繰り返し強調していく》

【総連事件 最終弁論(4)】「検察官が事件捏造」“トホホメール”で反論(14:15~14:35)
2009.6.17 16:10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171612015-n1.htm

 《緒方重威(しげたけ)被告の男性弁護人が、手元の資料を見ながら最終弁論を続ける。弁護人は、「(朝鮮総連に出資者として紹介した)航空ベンチャー会社社長のAさんが『明日でもあさってでも(資金が用意できる)』と話していた」という共犯の元銀行員の○○証人=有罪判決が確定=の言葉を緒方被告が信じ込み、自身も最後まで資金調達に奔走していたと主張。「Aさんに資金調達を断られたにもかかわらず、○○と共謀の上、朝鮮総連側にはすぐにでも調達が可能であるかのような説明をし、中央本部の土地・建物の売買契約を結んだ」とする検察側の筋書きに反論した》
 緒方被告の弁護人「送金日時などを確認する緒方被告の詰問に対する○○の返答は、ごまかしを述べながら時間を引き延ばそうとしている様子がありありと見て取れ、○○独自の打算に基づく行動であることがあらわになっています。Aさんが資金調達を断ったのが事実であるとすれば、緒方被告が○○に何度も資金調達結果を問い合わせたり、督促することはあり得ません」
 《○○証人の独断である証明として、○○証人がAさんへ送った携帯メールを持ち出した。その内容は、「案の定、緒方、土屋(公献・元日弁連会長)弁護士からお呼びがかかってしまいました。トホホ。」というものだ》

 「○○は予定通りの資金調達ができないため、追及を受けざるをえない哀れな心境にあったということです。緒方被告が○○と共謀して土地・建物を詐取しようとしていたのなら、○○が緒方被告から詰問を受けたりすることはありません。緒方被告は○○とAさんの言を信じてぎりぎりまで資金調達を期待し、その一方、○○は資金調達ができないことを知りながら、言い訳をしていた構図が浮かび上がってきます。それを、この“トホホメール”が物語っています!」
 《緒方被告の弁護人は強い口調で、緒方被告と○○証人の共謀を否定した。また、所有権移転登記の完了後も資金調達ができなかったことから、直後に緒方被告が登記を抹消したことを挙げ、緒方被告には土地・建物を詐取する意図がなかったことを説明。検察側の主張を批判した》
 「緒方被告は資金調達ができず、『総連側に迷惑をかけてしまう』と考え、直ちに対応しました。この姿は『緒方被告と満井忠男被告に、朝鮮総連からの返還要求をごねて拒み続けながら高値で転売する企図があった』とする検察官の論告要旨が、いかに真実とかけ離れたものであるかを明らかにしています」
 《検察側は、緒方被告が満井被告から受け取った1億円について「詐欺行為に対しての報酬であり、これを隠蔽(いんぺい)するため弁護人に借用書の作成を依頼した」と主張していたが、これについても弁護人は「検事の作文だ」と反論した》
 「弁護人2人を交えた検討の結果、(中央本部の)不動産取得税を納付するために、満井被告から預かっていた1億円を借用しようという結論に達し、借用書を作成しました。検察官側は、2人の弁護人が罪証隠滅工作に加担したとでも言いたいのでしょうか。そもそも、犯罪行為の報酬を隠蔽(いんぺい)するつもりだったら、弁護人に相談などしないはずです」
 《そして、最後にこう締めくくった》

「論告要旨は、借用書の作成経緯などについて根拠のない客観的裏付けを欠く暴論を振り回しています。このことは、本件が到底、犯罪とはならないものであるのに、検察官によって刑事事件として捏造(ねつぞう)された事件であることを示しているものであります。緒方被告は朝鮮総連の希望を実現するため、時には自ら関係者と会うなどの行動をしていました。検察官が思い描くような、当初から金目当ての計画的な詐欺であれば、わざわざ自ら動く必要もなく、適当な投資家をでっち上げ、現金や土地・建物を詐取すれば足りることです」
 《ここで、別の男性弁護人に交代した。休憩時間を意識したのか、弁護人が「私の読み上げは45分ぐらいかかりますが…」と言うと、裁判長が「(休憩は)それが終わってからにしましょう」と促した。法廷内の大型モニターには「第8 被告人が朝鮮総連からの現金詐取を行った事実がなく、被告人満井と共謀した事実もなく、(平成19年)6月11日ころに至るまで満井が現金を受け取った事実すらなかったこと」と表示されている》

【総連事件 最終弁論(5)】「検察官はでっち上げのストーリーを押しつけた」(14:35~14:55)
2009.6.17 17:10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171712017-n1.htm

《緒方重威(しげたけ)被告の弁護人は、満井忠男被告が朝鮮総連から受け取った4億8400万円のうち、緒方被告へ渡った1億円が、詐欺の報酬ではなかったことを主張する》
 緒方被告の弁護人「緒方被告が報酬を要求したり、満井被告が朝鮮総連から受け取る金の中から、1億円を緒方被告の報酬として支払う約束をした事実はなく、満井被告も公判の中で『朝鮮総連から受け取った金から1億円を支払う約束した事実はない』と話しています」
 《さらにあくまでも朝鮮総連中央本部の土地・建物の売買交渉とは無関係の金であることをアピールする》
 「満井被告が『緒方被告に朝鮮総連から受け取った金の中から1億円を支払う』と告げたという検察官がでっち上げたうそのストーリーを、脅しと利益誘導を手段に満井被告に押しつけ、事実に反する供述調書に署名させていった。そのような調書は到底信用し得ません」
 《公判を通じて検察官の取り調べ手法を批判していた弁護側。続いて、緒方被告に詐欺報酬1億円が支払われたとする検察側の主張に具体的に切り込んだ》
 「緒方被告は18年5月ごろ、満井被告から『○(韓国の投資家)から(満井被告が実質支配する)医療電子科学研究所に対する事業資金として新たに60万ドル(約7000万円)が振り込まれる。その中に緒方被告への報酬も含まれている』と聞きました。また、○からも医療電子に対する事業資金に報酬を含めて60万ドルを送金する旨書かれたファクスが届きました」
 《弁護側は、緒方被告への報酬とされる1億円のうちの60万ドルについては、満井被告の依頼により、緒方被告が○氏に返金するために預けられたもので、報酬ではないと主張しているのだ》
 「満井被告は平成19年2月から3月ごろ、緒方被告に『○から18年3月10日に送ってきた60万ドルについては○に返さなくてはならない』と告げました。一方、満井被告は3月から4月ごろ、満井被告の通訳に対しても『医療電子の決算があるから、60万ドルを○に返さなくちゃいけない』と話した上、後日、来日した○に対し、60万ドルを返す方向で話をしていました」

《満井被告も、60万ドルは報酬でなく、○に返さなくてはならない金という認識だったことを強調する》
 「緒方被告もそのような満井被告の考えを了解していたところ、満井被告から電話で『前に話した○に返す金を医療電子から緒方被告の口座に送金するので、ドルに換えて○の口座に振り込んでほしい』と告げられたため、未返済のままになっている資金のうち、緒方被告の口座に振り込まれた60万ドルが、口座を経由して返済されることになったことを知りました」
 「そこで満井被告は、通訳を通して○に送金先の口座番号を聞きましたが、○は満井被告と進めていた航路ビジネスに関して満井被告が出資予定だった70万ドルの話と取り違えました。自分の口座番号と70万の送金を依頼するファクスを送信。満井被告は通訳を介して『今度送金するのは70万ドルでなく、緒方被告に関する60万ドルだ』と伝え、○の口座番号が書かれた紙片を緒方被告に渡しました」
 《弁護側は満井被告の通訳だった韓国人女性の証言内容を述べた。通訳によると、緒方被告と満井被告との間でなされていた60万ドルの返還手続きについて、具体的なやり取りがあったことから信用性が高いことを主張した》
 「通訳は偽証の危険を冒してまで特に有利な虚偽証言をする理由がなく、客観的事実を話している。ファクスを送信した経緯についても合理的に説明しています」
 「検察官は、満井被告が『19年4月末までに返金しなくてよいと緒方被告に告げた』とする供述などを根拠に、満井被告が緒方被告に60万ドルを○に返金して欲しいと依頼するはずがないと断じているが、それは通訳の証言を完全に無視したもので、極めて不当です」

【総連事件 最終弁論(6)】力こもる検察批判 総連側の証言も巧みに引用(14:55~15:10)
2009.6.17 17:23
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171725018-n1.htm

《緒方重威(しげたけ)被告が、満井忠男被告から受け取った1億円についてどのように認識していたのか、緒方被告の弁護人が、改めて主張する。緒方被告は「1億円が朝鮮総連の資金であったとは知らず、韓国人の知人に返済するため、振り込まれた資金だと信じ込んでいた」という主張だ》
 緒方被告の弁護人「満井の供述のうち、『平成19年4月25日に(緒方)被告の口座に振り込まれた7000万円について、もっぱら医療電子の決算対策であったという点は信用できないが…」
 《緒方被告の弁護人は、共犯者とされる満井被告の供述に疑問を呈しながら、緒方被告の弁護を展開していく》
 「(1億円のうち)平成19年4月25日に振り込まれた7000万円は、詐欺の報酬でなかったことは明確であります。被告の顧問税理士が、送金された60万ドルについて(満井被告が実質経営する)医療電子(科学)からの返済と誤認し…」
 《弁護人は、検察が緒方被告の税理士の経理処理ミスを鵜呑みにし、誤った見立てに基づいて、取り調べを行ったと主張する》
 「(検察は)7000万円は返済のための送金などではなく、本件詐欺の報酬であると決めつけた取り調べを行ったのです」
 「税理士の誤りは、極めて容易に発見できたにもかかわらず、検察官が作り上げた筋書きに沿うものであったために、誤りととらえられることなく簡単に見落とされました。被告を厳しく追及する手段として利用されたのであって、かような検察官の態度は極めて不当であり、厳しく指弾されるべきなのです」
 《弁護人は、東京地検特捜部の捜査や取り調べ手法を厳しく批判した。さらに、満井被告の供述調書についても批判を続け、「不自然」な点を次々に指摘していく》

「満井の検察官面前調書は、(緒方)被告が1億円の報酬を得たという検察ストーリーに照らして座りのよい調書にするため、圧力によって押しつけられたものです」
 「1億円の入金を7000万円と3000万円の2回に分けた理由として『1回で1億円を入金するという目立つことをしないため』と供述したことになっているが、2回に分けたところで、それぞれが高額であることには変わりなく、平成19年4月25日、と5月1日という近接した日時に行われているのです。目立たなくなるはずもなく、極めて不自然、不合理…」
 「(1億円のうち)3000万円は、被告の医療電子に対する貸付金の一部返済であって、詐欺の報酬ではあり得ないことは明白なのです》
 《弁護人は、準備された最終弁論を読み上げているようだが、検察側の捜査批判や要点は、力を込めて主張している。緒方被告と満井被告は、じっと聴いている。弁護人は、1億円の意味について、弁論のまとめに入る》
 「よって1億円は、7000万円が○(韓国人の投資家)に返済する資金、3000万円が被告の医療電子に対する返済であり、詐欺に関する被告への報酬ではあり得ません。そもそも、満井が朝鮮総連から現金を受け取っていることを(緒方)被告が初めて知ったのは6月11日ころです。満井との間で現金詐欺を共謀したことはなく、6月11日ごろ、現金交付の事実を総連側から聞かされ、驚愕したことも明らかなのであります」
 「許(宗萬・総連責任副議長)氏らは満井被告に渡した現金が4億数千万円にのぼることを打ち明け、驚愕した被告は手帳の6月11日の欄に『許さん 満井に4億 緒方先生用1000万円渡してある』と記述しました」

「満井の検察官面前調書は、(緒方)被告が1億円の報酬を得たという検察ストーリーに照らして座りのよい調書にするため、圧力によって押しつけられたものです」
 「1億円の入金を7000万円と3000万円の2回に分けた理由として『1回で1億円を入金するという目立つことをしないため』と供述したことになっているが、2回に分けたところで、それぞれが高額であることには変わりなく、平成19年4月25日、と5月1日という近接した日時に行われているのです。目立たなくなるはずもなく、極めて不自然、不合理…」
 「(1億円のうち)3000万円は、被告の医療電子に対する貸付金の一部返済であって、詐欺の報酬ではあり得ないことは明白なのです》
 《弁護人は、準備された最終弁論を読み上げているようだが、検察側の捜査批判や要点は、力を込めて主張している。緒方被告と満井被告は、じっと聴いている。弁護人は、1億円の意味について、弁論のまとめに入る》
 「よって1億円は、7000万円が○(韓国人の投資家)に返済する資金、3000万円が被告の医療電子に対する返済であり、詐欺に関する被告への報酬ではあり得ません。そもそも、満井が朝鮮総連から現金を受け取っていることを(緒方)被告が初めて知ったのは6月11日ころです。満井との間で現金詐欺を共謀したことはなく、6月11日ごろ、現金交付の事実を総連側から聞かされ、驚愕したことも明らかなのであります」
 「許(宗萬・総連責任副議長)氏らは満井被告に渡した現金が4億数千万円にのぼることを打ち明け、驚愕した被告は手帳の6月11日の欄に『許さん 満井に4億 緒方先生用1000万円渡してある』と記述しました」


【総連事件 最終弁論(7)】被告は「“無理筋”捜査の同情すべき被害者」(15:30~15:50)
2009.6.17 17:35
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171738019-n1.htm

《緒方重威被告の弁護人は続いて、緒方被告が朝鮮総連からの土地・建物を詐取しようと満井忠男被告や資金調達役とされた元銀行員=有罪判決が確定=と共謀した事実はないことを述べ始める。弁護人の狙いはあくまでも緒方被告を事件の“被害者”として位置づけることのようだ》
 緒方被告の弁護人「検察官は登記先履行により、朝鮮総連の土地・建物を支配下に置くことができ、被告人らが、その優位な状態を利用して巨利を得ようとたくらんでいたという構図を描いています」
 「しかし、土地・建物は、そもそも朝鮮総連の中央本部として利用中であり、今後もその利用を続けたいからこそ、(朝鮮総連側代理人の)土屋(公献)弁護士らが苦心してその確保のため動いてきたという経緯があり、登記移転を受けたからといって、被告人らが巨利を得るような現実的な方法は皆無でした」
 《検察側の事件の見立ての“強引さ”を主張したあと、こう厳しい口調で批判した》
 「検察ストーリーに沿って無理やり作成された被告人の検察官調書中の、資金調達の見込みがないまま土屋弁護士らをだまして売買契約を締結したという記載は、そもそもあり得ないことをあったとしているもので、荒唐無稽(むけい)であり、信用できません」
 《検察側の捜査の“不当性”を語気を強めて訴える被告人。一方、緒方被告については事件の構図の中で、“被害者”として位置づけようとしている》

 「高等検察庁検事長まで務めた法律家であるとはいえ、弁護士経験に乏しく、○○(元銀行員)やA(航空ベンチャー会社社長)のような合法と違法の境目でうごめくような人間の思惑を見抜く目がありませんでした」
 「○○らが被告人らを巧みに口車に乗せたというのが実態と認められます」
 《弁護人は元銀行員が犯行で中心的な役割を果たしたと強調したいようだ。さらにその矛先は元銀行員に向けられる》
 「○○がAに対しては資金調達を必至に依頼しつつ、被告人や満井に対しては資金調達が確実であると強調しました。被告人や満井は○○の言葉を信用し、(朝鮮総連側との)契約に至ったものと思われます」
 「○○は起訴後、『Aによる資金調達が可能であった』と供述を変遷させました。当公判廷での証言は変遷した末でのものであるこは見逃すべきではありません」
 「被告人および満井は、○○およびAにだまされ、資金調達が確実であると信じ込まされたものであって、詐欺の共犯ではなく、むしろ被害者なのです」
 《事件の“被害者”とされた緒方、満井両被告は、表情を変えることもなく最終弁論に目を通す。一方、弁護人はたたみ込むように読み上げを続ける》
 「生の経済活動に対する知識、経験の乏しさから、被告人が○○やAを安易に信用してしまったという側面が多分に認められます」
 「しかし、そういった『安易さ』『うかつさ』と、検察官が主張するような『詐欺の犯意を持って欺くこと』とは、全くの別物であって、同一視することはできないし、同一視してはならないのです」

 《ここで弁護人が交代し、ついに緒方被告弁護の総括に入る》
 「弁護団としては、裁判所が約1年余にわたり37回に及ぶ集中的な審理を重ね、真実解明のために多大な労力と時間を惜しまれなかったことに心から敬意を表します」
 《弁護人が裁判長の方を向きながらこう述べたが、裁判長は最終弁論書を読むため下を向いたままだった。弁護人はそれをやりすごして再び弁論書を読み上げ始めた》
 「本件は被告人が元公安調査庁長官・元検事長であり、また、被害者が国交のない国の在日組織であったことから、捜査、公判を通じ、社会の関心を集めた特異な事件であります」
 「本件の発覚後、当時北朝鮮に対する対立感情を強めていた安倍(晋三)内閣総理大臣(当時)が早々に不快感を表明したことから、法務・検察は内閣の意を体し、東京地検特捜部による独自捜査を指示し、間髪を入れずに捜査に乗り出している点がすこぶる特徴的であります」
 《弁護人は事件捜査の不当性を、当時の政治状況と重ね合わせながら早口で読み上げた》
 「本件捜査は、法務・検察の元身内に甘いという批判の高まりを避けたいという強い意向が反映されました」
 「そのため、被告人をしゃにむに断罪するべきであるという結論が先行し、組織防衛的な色彩を帯びた捜査となり、証拠を冷静、かつ細密に分析、検討したとは思われません」
 「朝鮮総連側も捜査機関に進んで被害届を出したり、被害を申告したりした事実はないし、終始被害にあったという認識がないのです。このような事実は、詐欺罪の成否を考える場合には、決定的ともいえます」

「そうした事実があるのに、検察官はその事実に目をつぶり、朝鮮総連をその被害者に位置づけ、強引に起訴に踏み切りました」
 「本件は、当初から予断と偏見による、いわゆる“無理筋”の事件として仕立て上げられたと批判されてもやむを得ません」
 《弁護人のリズム感のある検察批判は止まることはない》
 「被告人の法廷での供述は、誠実な性格と真剣な生き方を反映して、冷静沈着かつ理路整然としていました。客観的事実と符合する真実を一貫して供述しており、その内容は十分に信用するに値するものであって、公判審理が進むにつれ、起訴当時の検察官の構図は徐々に崩れ、今や起訴状記載の公訴事実は到底証明されたとは言い難い状況にあります」
 「本件起訴により、法務・検察に人生の大半をささげ、営々として築きあげた社会的地位と名誉を失った被告人こそ同情すべき被害者であり、その心情たるや察するにあまりあります」
 《最期に弁護人は、裁判長に無罪を訴えかけた》 
 「願わくば、裁判所におかれては、曇りない眼をもって虚心に証拠について検討、吟味されるならば、公訴事実について被告人が無罪であることは明白であると信じます」
 《最終弁論書を読み終えた弁護人は、安堵(あんど)した表情をみせた。緒方被告も弁論書から顔をあげ、前方の検察官をみすえた》

【総連事件 最終弁論(8)】「満井は裃(かみしも)を着る心」弁護人が決意表明(15:50~16:10)
2009.6.17 17:46
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171749020-n1.htm

《緒方重威被告側の最終弁論が終わった。法廷の空気が一瞬緩むが、満井忠男被告の弁護人が立ち上がると、スーツに派手なピンクのネクタイを締めた満井被告は、うつむいていた顔を上げた。弁護人はまっすぐ満井被告を見据える》
 満井被告の弁護人「被告人・満井は本日、裃(かみしも)を着る心。相当の覚悟で来ました」
 《正装をして“お白洲”に出てきた武士の心境ということだろうか。満井被告はまんじりともしなかった》
 「だまして金を奪ったということで起訴されているが、それは心外というものです」
 《弁護人は手元の書面に目を落とした》
 「そもそもは朝鮮総連がRCC(整理回収機構)から民事訴訟を起こされたということが発端です。RCCという会社は、国によってできた国策会社です。RCCの取り立ては大変厳しいものでした。朝鮮総連は(中央本部の)土地・建物を売却することで、お金を捻出しようとしました。大使館代わりに使っていた土地・建物ですから、売却できても、確実に(再び)買い取ってまた使わなくてはならない。そして買い主を探しましたが、難航しました。趙さん(孝済・朝鮮総連の財務担当幹部)らが、債務減免などを金融庁に働きかけましたが、うまくいきませんでした」
 《ここで弁護人は傍聴席を向き、訴えかけるように話し出した》

「RCCは国策会社です。RCCと朝鮮総連が、分割払いによる和解などができなかったのは、(北朝鮮に厳しい姿勢を取っていた)安倍晋三首相(当時)らの意向があったのです。記者たちの前で安倍首相は『(朝鮮総連中央本部の土地が)更地になったら見に行きます』などと言ったということです」
 《憤りを露わにする弁護人は、朝鮮総連側の代理人である土屋公献弁護士のメモを紹介しながら、一連の売却問題が「安倍マター」であったことを強調した》
 「当初、同胞の間でも売却の相手を探しましたが難しく、日本人の売却相手を探すことにしました。この売却相手を探すことの難しさについては…」
 《ここで大きく対面に位置する検察官の方向へ手を差し出した》
 「ここにいる検察官も論告公判で指摘した通りです。(買い手が)3社にまで絞り込まれたこともあったが、うまくいかなかったといいます」
 「こうした中、満井被告は平成19年3月、紹介者を介して、朝鮮総連側と引き合わされました。『(RCCとの訴訟で敗訴することを見越して)相当価格で売り、これを5年後に買い戻すことで対処したい。この売買話は公表できない』という依頼でした」
 《ここで弁護人は一息ついた》
 「満井被告とすれば、とことん身を投げ打って、(売却できる)相手を探したということです。真剣に支援していた。;詐欺に問われるのは心外と言えます」
 《“裃を着た心境”の満井被告はじっと前を見つめたままで、弁護人の声を聞き入っていた》

【総連事件 最終弁論(9)】傍聴人置き去り…「満井は無罪です。そういうわけです」(16:10~16:40)
2009.6.17 18:06
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171808021-n1.htm

 《満井忠男被告の男性弁護人は、満井被告が朝鮮総連中央本部の土地・建物売買にかかわることになった当時の状況について、説明を続ける》
 満井被告の弁護人「満井は政界情報を収集するために動きました。元外務大臣に相談し、マスコミの人にもこの件について聞きました。いずれも『これは安倍マターだ』ということでした。現総理大臣の麻生(太郎)さんも、そのようなことを言ったという経緯もあります」
 《これまでの公判によると、「安倍マター」とは、安倍晋三元総理の関わる案件、という意味であり、「元外務大臣」とは武藤嘉文氏を指している》
 《次に弁護人は、平成19年3月10日ごろ、都内のホテルで満井被告が朝鮮総連の許宗萬責任副議長と面会した場面について言及。この話し合いの結果、中央本部について売り渡し価格が30億円、使用損害金が年間3億円、5年後の買い戻し価格が35億円といった条件が決まったという》
 「満井としてはどういう立場だったかというと、金主を探すということで基本的にやっていました。満井が中央本部の土地・建物を買うつもりだったという話が検察官の主張の中でありましたが、これはありえません。満井が物件を買えば、名義が満井になる。どういう効果があるかは、みなさんもお分かりだと思います」
 《満井被告の弁護人は傍聴席の方を向いて訴えかけた。満井被告にとっては、中央本部を自分のものにしてもうま味がない、ということを言いたいようだ》

「安倍マターでもあるこの件で、お金を借りて所有権を移すのは大変な話です。(投資話を持ちかけた相手は)みんな『難しいよ』と言っていました。満井としては、そんな中で何とかしないといけないと考えていたのです。朝鮮総連側の人と、新宿のあるビルに受け皿会社を探しに行ったこともあります」
 《資金調達のために満井被告が奔走していたことを説明したところで、別の男性弁護人に交代した》
 「この事件そのものは、緒方(重威)さんが脚光を浴びてきていますが、実務は不動産の専門家である満井が担当していました。結果的にだまされましたが、○○(共犯で有罪が確定した元銀行員)を連れて来たのも満井です。そういう意味では満井の責任は重い。しかし、刑事ではなく、民事の交渉責任です。そういう意味では朝鮮総連、朝鮮民主主義人民共和国、在日同胞の方々に非常に迷惑をかけたことについて、満井は非常に真摯に思っています」
 《弁護人は満井被告に代わり、重々しく、関係者への謝罪とも取れる言葉を述べた。しかし、続いて「ですが、時間がないので省略をさせてください」と断ると、淡々とした様子で最終弁論の書面の内容について説明を始めた》
 「はじめに目次の1。満井は無罪です。そういうわけです。2は交渉経過ですね。申し訳ないんですが、傍聴の方々には分からないと思いますが、書面提出で代えさせてください」
 《手元の資料をめくりながら、弁護人はどんどん説明を進めていく》
 「9ページです。(19年)4月13日ごろの話です。ここも飛ばしながら読ませていただきます」

《満井被告はこの日、都内で○○証人と会う。○○証人は自ら投資家探しをしたいと申し出、候補として薬品販売会社の名前を挙げたという》
 「4月14、15、16日とこういう風に時間が経過します。時間がないので読み飛ばします。11ページが4月下旬の経過。そしてこっちが、4月下旬以降の経過。4月24日に(投資家候補として)都内の弁護士グループに会います。ここまで読んだことにしてください」
 《資料を持っていない傍聴人にはさっぱり内容が分からないが、弁護人はかまわず説明を続けた》
 《一連の経過を説明した後、弁護人は朝鮮総連側の代理人を務めた元日弁連会長、土屋公献弁護士の証言について触れた。土屋弁護士については体調などを考慮して、昨年3月、非公開で保全尋問が行われている》
 「土屋弁護士は当時、84歳という高齢でした。(元)日弁連会長ですが、記憶が正しいとは限りません。大弁護士ですが、年齢に伴う記憶の減退は別問題です。裁判所には予断なく判断をしていただきたいと思います」
 《土屋弁護士の証言の信憑性について、容赦なく疑問を呈する弁護人。また、弁護人は2件の冤罪事件を引き合いに出し、こうも話した》
 「氷見事件もそうだし、足利事件もそうですが、立証責任は検察官にあります。『完全にシロです』と証明するのは、DNA鑑定じゃないから無理です。土屋先生の記憶は大丈夫なのかということです」

【総連事件 最終弁論(10)】「西のナントカ、東の満井」 法廷に“真犯人”問う弁護人(16:40~17:10)
2009.6.17 19:11
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171912022-n1.htm

《満井忠男被告の弁護人は、平成19年4月23日、緒方重威被告が朝鮮総連中央会館の売買価格を30億円から35億円に上げるよう提案した経緯について、改めて説明している。価格を上げる交渉は、総連代理人だった土屋公献弁護士の事務所で行われたとされる。弁護人は準備した弁論書を読み進めているが、ときどき“脱線”気味に、自分の言葉で熱く語る》
 満井被告の弁護人「検察官の主張では、緒方被告が売買価格を従来の30億円から35億円に上げるよう提案したのは、(総連本部に毎年支払わせる)使用料を年間3億円から3億5000万円につり上げるためだとしていました」
 「しかし、実際には、この35億円というのは、『鑑定価格に合わせましょう』ということから出てきた話。RCC(整理回収機構)の判決が近かった手前、(鑑定)価格に合わせた方が、(財産隠しなどの批判を受けにくいため)安全ということになったんです」
 《弁護人は、売買価格を上げたのは利益目的ではないと強調しているようだ。23日の夜、満井被告と総連の許宗萬責任副議長が35億円という価格について、細かな取り決めがされた場面を、弁護人は改めて再現する》
 「ホテルで落ち合った2人は、改めて細かな取り決めを行いました。許さんは、年間の使用損害金が3億円から3億5000万円になることに難色を示していました。そこで、満井被告は自分に支払われた手数料1億1500万円から毎年2000万円、5年で計1億円を払うことを提案し、許さんはそれで承諾したんです。誰が詐欺をするのに2000万円出しますか」

 「その代わりに、朝鮮総連としても満井被告に配慮しようということになりました。『年間固定資産税の日割り負担分(1400万円)を満井被告にお持ちしよう』と許さんは言いました。それについて、許さんは翌日、総連の趙(孝済財務担当幹部)さんに説明しています」
 「法廷で趙さんは『(許さんから)あなたはそこまで出なくていい、と言われた』『取り調べでも重要だと思わなかったから、きちんと説明せずに流していた』と証言していました。誰が決めていたんですか。許さんじゃないのですか」
 《総連側で、主に満井被告らとの交渉に当たったのは趙氏だとする検察側のストーリーも改めて否定した。弁護人は、満井被告が「総連本部の売買代金が出資される」と信じていたと強調するため、共犯として有罪判決が確定した元銀行員の言動を“引用”する》
 「(19年5月下旬、元銀行員は)『カネは間もなく来る』と言っているんですよ。その日の夜に(満井被告が)『間違いないのか』と○○(元銀行員)に聞いているんです。土屋先生も聞いているんです。それで、『(総連本部の)登記(移転)が終わったら、カネが来ます』ということになったんです。それは詐欺でもなんでもないですよ」
 《弁護人はこう言って、改めて総連本部の登記移転が詐欺でないと強調した。そのうえで、元銀行員や、売買代金出資を約束したといわれている東京都内の航空ベンチャー会社社長のAさんの言動にも、疑問を呈してみせる》

「○○はAに、5月下旬から6月十何日まで、カネを頼むメールをしているんです。誰が真犯人でしょうか。本当に○○はAにカネを頼むつもりだったのか。Aは初めから、カネを出すつもりだったのか、なかったのか。(Aさんには金銭トラブルをめぐる)民事訴訟で敗訴したり、そういう話があります。しかし、弁護人には疑惑を指摘することしかできません。真相を明らかにすることはできません。なぜなら、権力がないからです。できるとしたら検察でしょうが、検察がするわけがない。…まだまだいいたいことがあるんですが、もう(午後)5時ですし、時間がないので、そろそろまとめに入ります」
 《「次に本件預かり金(総連から引き出した4億8400万円)の返済についてですが…」。弁護人は再び、弁論書を読み上げ始めたが、すぐに自分の言葉で話し始めた》
 「満井被告は○○に1億5000万円を(総連本部の)登記費用として交付しています。しかし、(売買)契約の不成就になりましたから、○○に返済を求めるべきですが、○○は2000万円戻したので、残額は1億3000万円になります。そういうことで(返済のために)民事訴訟を起こしています」
 《弁護人は、満井被告が総連から引き出した資金を返済しようとしていることを強調する》
 「満井被告は『保釈後、30日で返す』と言いました。『西のナントカ、東の満井』と言われましたが、満井は大変な業者です。しかし、全額は払っていません。一部の金額しか返していません。起訴されて、スポンサーでもいないかぎり、払えないのです。…(弁論書に)書いていることについては、朗読を省略しますが、読んだことにしておいて下さい」

《こう言って、満井被告の弁護人は弁論のまとめに入る》
 「検察のストーリーは架空のストーリーです。本件案件(総連本部売買)は非常に困難な案件で、それは検察側も認めています。(満井被告らが)『35億円で買ったもの(総連本部)を60億円で売れば、大きな差益が期待できるではないか』と考えたといいますが、総連の中枢機関が入っているんですよ」
 《満井、緒方両被告らが「総連本部の登記さえ移転させれば転売が可能になるから、後から売買代金も調達したうえで大きな利益を得られる」と考えたとする検察側のストーリーを、根底から否定しようとしている》
 「私の知人が担当している朝鮮学校も、占有権が問題になり、固定資産税をかけられたりしていますが、でも立ち退いていますか? 総連の合意がなければ立ち退かせることなんかできないのです。そうすると、目的がない。これは詐欺ではないんです。満井被告は無罪ですし、緒方被告は金銭(詐欺)にまったく関係ない。こう申し上げて弁論を終わります」
 《最終弁論が終わった。林正彦裁判長は、緒方、満井被告を証言席に立つように促し、「最後に言いたいことがあれば、言って下さい」。すると、緒方被告の弁護人が立ち上がって「緒方被告は書面で準備しています」と告げた。裁判長の許可を得て、緒方被告はゆっくりと準備した書面を読み上げ始めた》
 「公訴事実に関する私の主張は弁護人の弁論に尽きており、特に捕捉して多く述べることはありませんが、最後の機会でもあり…」

【総連事件 最終弁論(11)完】緒方被告「冤罪に泣く人つくらないで」 満井被告は涙を流して…
2009.6.17 19:28
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171929024-n1.htm

《緒方重威被告は、林正彦裁判長の前の証言台に立った。陳述書を手に持ち、ゆっくりとはっきりとした声で最後の意見を述べ始めた》
 「まず、私はもっぱら朝鮮総連の窮状を見かねて本件取引に及んだものであり、検察がいうような利得目的で行ったものでは断じてありません」
 《冒頭から罪を否認する》
 「昨今、緊張の度を増している日朝関係の政治情勢下において、北朝鮮の対応には非難されるべきものがあることは確かです。そのことを決して否定するものではありません。しかし、だからといって朝鮮総連会館は、在日朝鮮の方々の権益擁護や故郷に残している家族、知人との大事な拠点であり、長らく大使館的機能を果たしてきたのであり、これが失われると、在日朝鮮の方々をいわゆる『棄民』の立場に追いやることになりかねません。従いまして、会館の問題はこのまま放置されてよいとは思われず、これがまさに私が本件取引にかかわった動機にほかなりません」
 《あくまでも人道上の観点から、土地・建物の取引にかかわったと強調した。初公判とほぼ同じ主張だ》
 「今回の事件で注目されるべき点は、検察が当時の安倍(晋三)政権の意向を鋭敏に察知するとともに、元身内の私に厳しく対処することによって、組織に対する批判をかわし、組織の防衛を図る必要があると考え、最初から極端に予断をもった捜査・処理を行い、『逮捕即起訴』という結論を先行させて、捜査段階における私の弁解には一切耳を貸さなかったことです」
 《元検事ならではの検察批判を展開し始めた。気持ちが乗っているのか、読み上げる速度が上がってきた》

「私は長年検察に奉職しましたが、検察には厳正公平、不偏不党という輝かしい伝統があり、多くの先輩から被疑者の取り調べに当たっては、一切の予断・偏見を排し、被疑者の弁解には虚心に耳を傾け、証拠によりその真偽を綿密に検証し、真実を確定していくということこそが、冤罪(えんざい)を生まないための鉄則であると教えられ、及ばずながらこの伝統に従い、自らを律し実践してきました」
 「しかし、今回の事件では、検察は『国益』と法務・検察の『省益』ないしは『庁益』を守るためには、初めから『緒方の起訴ありき』との結論を強引に決めて、真実をゆがめたストーリーを作り上げ、関係者の供述を不自然に操作して私を訴追したものです。もはや、その捜査手段は、目的のためには手段を選ばないという、なりふり構わぬ行き過ぎたものであり、およそ社会正義の実現というにはほど遠く、到底容認できるものではありません」
 《緒方被告の厳しい言葉を、検察官は身動きせずに黙って聞き続ける》
 「私は無実であり、無罪であります。そのような私にいわれなき嫌疑をかけ、全人生を奈落の底に陥れて恥じない検察に対し、憤りを禁じ得ません。これからの検察は、今回のような無理筋の事件処理を繰り返し、冤罪に泣く人をつくらないでほしい。国民の信頼を得る検察の存在意義を回復してほしいと願います」
 《「古巣」を批判した緒方被告は、ここで自らの反省点も語り始めた》
 「一方、私は自分にも反省すべき点がまったくなかったとまで思ってはいません。刑事責任に結びつくようなものではないにせよ、私の判断に甘さがあったことは率直に認めます」

「端的にいって、私は満井(忠男)被告らの話をひたすら信じて行動してきました。私はどちらかといえば、生来人を疑うことを快しとしない人間です。その意味で他人は私を『お人よし』と評するでしょう。そのような性格の持ち主だけに他人を疑わず、たやすく信用したために、結果として総連関係者に多大のご迷惑をお掛けするようなことになりました。誠に申し訳なかったと深く反省しております」
 《反省の弁を述べつつ、満井被告らに乗せられたということをアピールした》
 「今回の事件で逮捕、起訴されたことにより、私はこれまで築いてきた信用や地位のすべてを失いました。そして不本意ながら妻子をはじめ家族に苦労をかけ、さらに先輩、友人の信頼を裏切るような結果となりました」
 《緒方被告は陳述を始める前、陳述時間を5分程度と話していたが、すでに10分近くになっている》
 「有罪判決が確定するまでは、無罪の推定がはたらくという原則は、法律の教科書には書かれておりますが、現実の社会では逮捕、起訴という厳然たる事実によって、人はたやすく社会的生命を絶たれるということを身をもって体験しました。特に捜査段階における検察あるいはその関係者を情報源とするしか考えられない一連の事件報道は、あたかも私を早々に有罪と決めつけるかのように意図的に過大に歪曲(わいきょく)され、私や家族を嘆き悲しませるものでした」

《批判の矛先はマスコミにも及んだ。あくまでも自分は被害者と主張する》
 「しかし、そうした責め苦を負った私でも家族や先輩、友人が私を信じてくれたことで、それを支えに無罪判決を信じ、多数回の公判審理に耐えて今日に至りました。75歳を迎えた私にとって、今後どのような人生が待ち構えているかは知るよしもありませんが、かなうならば社会的弱者のための支援活動に微力を尽くしたいと考えております。どうか裁判所におかれましては、証拠を適正公平にご評価いただき、無罪の判決をたまわりますようお願い申し上げ、最終の意見陳述といたします」
 《最後に改めて無罪を主張。続いて隣に立っていた満井被告が意見陳述を始めた》
 「1年余りの裁判も今日で結審を迎えましたが、最後に一言いいたいことがあります。私は絶対に事件となるような行いをしていません。このたびの事件に関し、私は突如、予告なしに302日間も身柄拘束を受け、さらに1年以上も裁判をするという生活をしてきました。どう振り返って考えてみても、総連をだますつもりは毛頭ありませんでした。朝鮮総連側とは誠意を持って相談して事を進めてきましたが、迷惑をかける結果になったことはおわび申し上げます」
 《満井被告も冒頭から無罪を訴えた。陳述書は手に持っていない》
 「私は幼いときから、この日本が大好きでした。取り調べもそういう思いを持ちながら、取り調べに応じたこともありました。その私を検察は完全にだましました。どこに持っていったらいいか、この思いを1人でかみしめながら耐えた2年数カ月でした」

 「どうかこの事件を通してこの日本がよくなることを願いながら、自分をここまで励まし支えてきました。本当に長い時間を裁判長からいただきました。3月に判決にならずによかったと思うほど、時間が足りなかったように思います」
 《ところどころ意味が判然としないながらも、時折涙を流しながら自分の意見を述べた》
 「今はただ、本法廷で真心を持って訴えたことを固くお誓いし、本陳述とさせていただきます」
 《30回以上に上った公判もついに判決を残すばかりとなった。緒方被告がはっきりと意見陳述をしていたのに対し、満井被告はいすにつかまりながら終始疲れた様子だったのが印象的だった。判決公判は7月16日午前10時から開かれる》











極東ブログサンが、詳しく記事にしている。

【検察問題】 指揮権発動

「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を
造船疑獄指揮権発動は「検察の威信」を守るための策略だった


日本は、いつから、法律に明記されている行政庁の権限について議論することすらタブー視する国になってしまったのだろうか。

 6月10日に公表された「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」(政治資金問題第三者委員会)の報告書に対して、新聞、テレビの多くは、検察当局や報道機関の批判に重点を置き、小沢一郎氏の説明不足を追及していないなどと批判している。とりわけ、報告書中で、法務大臣の検事総長に対する指揮権発動に関して言及したことに対しては、朝日新聞以外の各紙の批判は「非難」のレベルにまで達している。

報告書での「指揮権発動」言及に対するマスコミの「非難」

 例えば、読売新聞は、「検察・報道批判は的外れだ」と題する6月11日の社説で、報告書の「法相の捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現」を厳しく批判した後、同日夕刊の「よみうり寸評」でも、戦後ただ一度の指揮権発動で涙を浮かべる検事正や無念の思いに暮れる検事たちの情景を描いた後、「犬養健法相が造船疑獄の捜査に関し、検事総長に対し指揮権を発動した。これで佐藤栄作自由党幹事長への捜査はストップ。法相は辞任した。以来、発動はない。ずっと抑制の姿勢が貫かれてきた。半世紀以上も前の古い話を民主党の第三者委員会の報告で思い出した。『西松事件』について何と『法相が政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た』とある。検察・報道批判の色が濃く、『第三者』の報告というよりは鳩山、小沢両氏の代弁のようだ」などと重ねて詳細に批判する、という念の入りようだ。

 しかし、このような批判は、報告書が言うところの「政治的配慮」の趣旨を読み違えているだけでなく、検察庁法が「法務大臣の指揮権」を規定していることの意義、検察の権限行使に対する民主的コントロールの手段としての位置づけを正しく理解していない。

 第三者委員会のメンバーであった者の1人として、このようなマスコミからの「非難」に対して個人的立場から反論を行うこととしたい。

渡邉文幸著『指揮権発動』が解き明かした戦後検察史の核心

 「法務大臣の指揮権」をタブー視する考え方は、造船疑獄事件での犬養法務大臣の指揮権発動という「政治の圧力」が「検察の正義」の行く手を阻んだ、という歴史認識に基づくものだが、実は、そこには重大な誤謬がある。元共同通信記者の渡邉文幸氏の著書『指揮権発動』では、当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏が事件から40年経って初めて語った証言などを基に、捜査に行き詰まった検察側が「名誉ある撤退」をするために、自ら吉田茂首相に指揮権発動を持ちかけた「策略」だったことが明らかにされている。まさに、戦後検察史の核心を突く迫真のノンフィクションだ。

 そして、2006年6月14日付朝日新聞夕刊の「(ニッポン人脈記)秋霜烈日のバッジ」(村山治編集委員)では、上記の井本氏の証言に加えて、当時東京地検特捜副部長だった神谷尚男氏の「あのままでは佐藤を起訴するだけの証拠がなかった」との証言、当時、一線の検事として捜査に加わっていた栗本六郎氏の「捜査は行き詰まっていた。拘置所で指揮権発動を聞き、事件がストップして正直ほっとした」という証言のほか、「日本の検察には『正義の特捜』対『巨悪の政界』という単純化された構図による呪縛と幻想がある」との渡邉氏の指摘も紹介されている。

 造船疑獄における指揮権発動が検察側の策略によるものだったことは、ほとんど疑う余地のないものと言ってもよいであろう。

 同書に記載されている造船疑獄での佐藤栄作自由党幹事長への容疑事実を見る限り、検察の捜査が行き詰まっていたというより、最初から、この事件は、ほとんど無理筋だったように思える。容疑事実は、海運・造船に対する助成法案に絡んで、海運業者から自由党に政治献金が行われたことについて、当時の佐藤自由党幹事長が海運会社から請託(具体的に依頼すること)を受けて、第三者である自由党に賄賂を供与させたというものだが、そのような依頼があったとしても、与党の幹事長に与党としての法案のとりまとめを依頼したということであって、国会議員の職務に関する請託とは言えないであろう。

 もし、このような事実が第三者供賄になるとすれば、具体的な法案実現を目指す政党への政治献金はすべて賄賂ということになる。そして、贈賄側とされていた飯野海運の当初の逮捕事実は、このような政治献金の資金捻出のために造船会社からリベートを受け取ったことが商法の特別背任とされていたものだったが、この事実については、後日、一審で無罪判決が出て確定しており、それを含め、この造船疑獄で起訴された事実の多くが無罪となっている。

造船疑獄の検察捜査は、「暴走」を通り越して「爆走」に近いものだったと言わざるを得ないが、そのような検察捜査によって、当時の吉田首相の自由党政権に対する世論の批判が高まり、ついに首相退陣に追い込まれるという重大な政治的影響が生じることとなった。しかし、佐藤幹事長に対する容疑事実自体がほとんど有罪を得ることが不可能なものだったことは、世の中には全く知られていない。また、飯野海運の社長が全面無罪で確定したからと言って、世論が検察捜査を批判したわけでもないし、それで、責任を問われた検察幹部はいない。「検察捜査の当否は裁判所が判断すべきものであり、検察は裁判外で説明責任を負わない」という理屈が全く通用しないことは、この造船疑獄の史実から明らかなのだ。

造船疑獄事件によって封印された「指揮権発動」

 造船疑獄での指揮権発動を巡る誤謬は、「検察の正義」を神聖不可侵のもののように扱い、外部からの圧力・介入を断固排除すべきという考え方を生じさせる一方、その行く手を阻んだ法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際にそれを行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。しかし、造船疑獄の指揮権発動の真実は全く異なったところにあった。指揮権発動までの経過には、経済検察と思想検察との複雑な検察内部の派閥抗争があり、策略や政治的思惑によって歪められた「検察の正義」があった。そのことを、渡邉氏の著書は見事に描き出している。

 逆に言えば、この造船疑獄を巡る史実は、検察の権力に対する何らかの抑制システムの必要性を如実に表していると言えよう。そして、そういう意味での検察の捜査権限や公訴権の行使に対する唯一の民主的コントロールの手段となり得るのが、現行法上、この法務大臣の指揮権なのである。

 「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」という検察庁法第14条の規定は、本文で、検察庁も法務省に属する組織であることから検察官の職務は法務大臣の一般的な指揮監督に服することを規定する一方で、但し書きで、具体的事件の捜査や処分について法務省と検察庁との関係を限定している。この規定により、一般的な事件については法務省が検察庁の捜査や処分に関わることはなく、検察庁から法務省への報告も行われないが、例外的に、検事総長にも報告されるような重大事件については、法務省が「法務大臣の指揮権」を前提に、検察庁から報告を受けることがあり得る。

 この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「…大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない。既に述べた造船疑獄事件についての誤謬や法務省が検察庁と一体化して「法務・検察」などと言われている実情があるため、そこから孤立した法務大臣個人が権限を有しているように誤解されているだけなのだ。

 検察庁と法務省の間には、請訓(組織内の上位者に指示を求める手続き)規定に基づいて重要事件、重大事件についての報告が行われている。それを認める唯一の法律上の根拠が、検察庁法14条但し書きなのであり、この規定は、決して死文化しているわけではない。今回のような重大な政治的影響が生じる政治資金規正法違反事件については、法務大臣に指揮権について判断する時間的余裕を与える形で請訓が行われるのは当然のことと言えよう。

報告書での「法務大臣の指揮権」についての指摘

 今回の第三者委員会報告書では、まず第1章で、民主党代表であった小沢氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄附の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について述べているが、新たな事実調査を行ったわけではなく、公表されている政治資金収支報告書や西松建設内部調査報告書などで事実を確認しただけの第三者委員会の調査結果からも、検察の捜査・起訴への疑念は一層深まっている。

 報告書では、小沢氏個人の資金管理団体である「陸山会」への寄附は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけで、それ以前は行われていないこと、小沢氏側への寄附は自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄附をすべて含めても23.7%に過ぎず、西松建設関連団体の設立目的は小沢氏の政治家個人への寄附とは無関係だったと考えざるを得ないことを指摘している。

 そして、むしろ、西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本龍太郎氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、区までの所在地と団体の名称しか記載されない官報の上で自民党議員への寄附の具体的内容が明らかにならないようにすること、つまり自民党議員側への寄附について迷彩を施すことにあったのではないかと推測されると述べている。

 このように、今回の検察捜査に重大な疑念があることを述べたうえで、そのような捜査によって野党第一党党首が辞任に追い込まれるという政治的に極めて重大な影響が生じたことを踏まえて、第2章と第3章では制度論の検討を行っている。委員会のメンバーで行政法学者の櫻井敬子学習院大学教授が中心になって、第2章で政治資金規正法の制度論について述べ、第3章では、一行政組織に過ぎない検察の判断によって行われる捜査で国民の政治的判断が重大な影響を受けることに対する何らかの抑制システムが必要なのではないかという観点から、現行制度を検証し、検察に関する制度の在り方を論じている。

 このような第三者委員会での検討において、検察と法務省の在り方を論じる第3章の中で、現行法上、検察の権限行使に対する民主的コントロールのための唯一の制度である検察庁法14条但し書きの「法務大臣の指揮権」の問題に触れないという「選択肢」があり得ないことは明らかであろう。

 そして、もう1つ重要なことは、この点についての報告書の記述は、捜査の対象が野党党首側だという事実を前提にして、今回の政治資金規正法違反事件について、法務大臣の指揮権発動が「選択肢」の1つだったと述べていることだ。自民党サイドにも波及する可能性があると言っても、それは現時点まで実際に行われていないのであり、今回の検察捜査を、総選挙を半年以内に控えた時期に野党第一党の党首に対して公設秘書の逮捕という強制捜査が行われた事例としてとらえたうえ、法務大臣の指揮権発動問題を検討しているということだ。

検察との関係での法務大臣の職責とは

 造船疑獄事件での指揮権発動についての誤った歴史認識のために、法務大臣の指揮権発動というと、これまでは、与党側の政治家である法務大臣が、与党側に捜査の手が伸びないようにするために行うものとのイメージが固定化していた。しかし、今回の事件で問題になるのは、与党側の法務大臣が野党側に対する捜査に対して指揮権を発動することの是非なのだ。

 法務大臣に対して、請訓規定に基づいて、検察からの請訓が行われ、法務大臣としての判断を法務省が組織としてバックアップしていたら、今回の検察捜査には、違反が成立するか否か、仮に成立するとしても、総選挙が近い時期に、こういう捜査によって国民の政治選択、政権選択に重大な影響を与えてまで行うような重大・悪質な事案と言えるか否か、などの点に重大な問題があることは、法務大臣にも認識できたはずだ。

 そこで、法務大臣として、「総選挙を控えた時期に、このように重大な問題がある政治資金規正法違反事件で、野党第一党の党首にダメージを与えることは、与党側の選挙対策上は有利になることではあっても、民主主義政党たる与党としても不本意なことである。国民に政権選択の機会を与えることを尊重すべきだ」と判断して、捜査の着手を遅らせるよう指揮権を発動する「選択肢」は十分にあり得たのではないか。それを行っていたとすれば、法務大臣の判断は、党利党略ではなく、本当の意味で検察捜査と民主主義との関係を真摯に考えた末での客観的で公正な立場から行った指揮権発動の判断として、歴史的な評価に値するものとなったのではなかろうか。

森英介法務大臣が、6月12日の閣議後の記者会見で、民主党が設置した第三者委員会の報告書が法相の指揮権発動に言及したことについて、「看過できないものがある」と述べ、強い不快感を示したこと、その際「私は検察に全幅の信頼を置いて、その独立性・中立性を尊重したい」と強調したことが報じられているが(6月12日読売新聞夕刊)、「検察に全幅の信頼を置いて、その判断を尊重する」というだけでは、法務大臣の職責を果たしたとは言えない。

 今回の政治資金規正法違反事件について、請訓規定によって検事総長から法務大臣に対して請訓が行われたのか、それについて法務省としての十分な検討が行われたのか。それらの点を検証し、検察庁法14条但し書きという「法令」を無視するような検察の強制捜査着手が行われたのであれば、検事総長に対して、同条本文の一般的な指揮監督権に基づいて責任を問うことを検討すべきであろう。

 「正義の刀」を振り回す検察に対して、民主主義の唯一の砦となるのが法務大臣であることを忘れてはならない。法務省の重要ポストの多くが検事によって占められ、実務を担当する参事官、局付も多くが検察庁からの出向検事であり、法務・検察が人事上一体であることがその「唯一の砦」としての機能を妨げるのであれば、法務大臣の人事権に基づいて、それが行い得る体制を構築すべきであろう。

マスメディアの「思考停止」

 今回、政治資金問題第三者委員会で当然行うべき検討を行った結果として、報告書で、法務大臣の指揮権の問題に言及したことを、多くのマスメディアはこぞって「非難」した。

 一方で、報道では、その検討の前提としての検察の捜査・起訴に関する重大な疑問については「検察批判に偏っている」とするだけで、その中身には一切触れていない。その点に関して報告書が指摘した事実の中には、西松関連団体から陸山会への寄附が2003年以降の2100万円だけで、それ以前には行われていないことや、西松関連団体の「新政治問題研究会」という名称と全く同一で所在する区も同じ、橋本氏の政治団体が存在していたことなど、新聞、テレビでも十分把握していた事実が含まれていたはずであるが、それらはこれまで報道されてこなかった。指揮権発動問題について「非難」する前に、まずその前提として述べている検察捜査に関連する重要な事実の指摘について報じるべきであろう。

 中西輝政教授は、「子供の政治が国を滅ぼす」(文藝春秋2009年5月号)で、昭和初期、政治不信の高まり、世界恐慌など、現在と共通する政治、経済状況の中で、検察による疑獄事件の摘発が相次ぎ、それが、最後に「司法の暴走」帝人事件(現在の民主党鳩山由紀夫代表の祖父鳩山一郎文部大臣など政治家、官僚が逮捕・起訴され後に全面無罪となった)を引き起こし、政党政治を崩壊させて、日本が道を誤って敗戦まで突き進む大きな要因になったことを述べ、西松建設事件での検察捜査の危うさを指摘している。その中で、検察庁法14条の法務大臣の指揮権発動が、「本来、政から官への民主主義的なチェックシステムであり、これこそ重要な民主主義の担保の一つ」だと述べている。

 このような中西教授の意見にも耳を貸さず、渡邉氏が解き明かした造船疑獄事件の真相も意に介さず、第三者委員会報告書中に「指揮権発動も選択肢」との記述を見つけただけで、過剰反応するマスメディアの報道姿勢こそ「思考停止」そのものと言うべきであろう。

................................................................................................................

読売新聞から、
「指揮権発動言及
「看過できない」…森法相が強い不快感
という記事が先週の12日に出ていたのは知っていた。
ちょうど、鳩山(弟)氏の辞任やなにやらで、この発言をブログに書こうと思って下書き途中でやめていたのだが、産経新聞や読売新聞の記者の質の悪さというか、品の無さを記録として留めておこうと思う。
しかし、googleで指揮権発動に関して書いてあるブログを探したのだが、殆ど見当たらない。三木内閣時の田中角栄逮捕という逆指揮権発動という事実を踏まえ、この度の小沢氏秘書逮捕は、逆指揮権を用いたと捉えかねられない一面を持っていることも否めない。その部分を踏まえて考えると、森法相の「強い不快感」の意味が、明確になる。
また、与党が野党側に配慮をするという部分ではなく、「正確・公平に政権を選択をさせる」という部分を考えると、「指揮権発動」という選択があってもあながち的はずれな論議ではないように思う。
政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する
第三者委員会報 告 書[記者会見配布資料]
http://www.dai3syaiinkai.com/pdf/090610report01.pdf (リンク切れ)
記者会見
http://www.videonews.com/asx/press/090610_dpj_300.asx (リンク切れ)
21分40秒以降
行政上の義務違反に関して行政刑罰であり、即ち総務省の所管となる。しかし罰則に関しては法務省・法務省の所管となる。

つまり、政治資金規正法違反というのであれば、総務省が規範を明確にするべきである。ところが、政治資金の寄付者の名前の記入方法が明確ではないことに起因をしているわけで、これは行政企画局政治資金課課長補佐 市川 靖之氏とのヒアリングのビデオを見ることで、言葉は悪いが「いい加減で、明確に答えられない回答」には私自信みていて驚いた。一つの法律が二つの省庁が管理をしていてどうも不透明な霞ヶ関の対応が見られる(24分)

立法のあり方に、櫻井敬子学習院大学教授は未熟さを指摘をしているにも係わらず、どの新聞を読んでも載せている様子がない。
櫻井敬子学習院大学教授の記者会見の中で「検察権の行使と民主主義の関係」という部分に触れている。

櫻井敬子学習院大学教授は、やんわりと語ってはいるが、本来ならばマスコミが監視をすべき問題であるこの「検察権の行使と民主主義の関係」を今の腐敗をしたマスコミが出来るわけがないと私は思っている。
第二回ヒアリング後の議事録
http://www.dai3syaiinkai.com/panel02.html
第二回ヒアリング後記者会見のビデオ
http://www.videonews.com/asx/press/090417_dpj-2_300.asx
総務省担当者とのヒアリングのビデオ
http://www.videonews.com/asx/press/090417_dpj-1_300.asx
3.検察権の行使と民主主義の関係 18P
3-1.議院内閣制との関係
国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である。
西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。
3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚
裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。
3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性
本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。
このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことを謳い、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとの謗りを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。
また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。
.............................................................................
読売新聞の渡辺記者がビデオの(50分19秒)から質問をしていて、この指揮権の問題にも触れている。
櫻井敬子学習院大学教授が(51分42秒)で答えているのだが、納得(理解)が出来なく森法相を突っついたような記事が出ていた。
どうゆう基準で指揮権発動を視野に入れるかという問題であり、与党が与党議員にするわけではなく、与党が野党の対して行なうことも視野に入れる可能性に書かれている。
尚、ビデオでは櫻井敬子学習院大学教授が答えている。
このビデオを見てから考えた場合、読売新聞の質問の仕方や記事の書き方の品のなさは否めない。
読売新聞の記事
指揮権発動言及「看過できない」…森法相が強い不快感
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090612-OYT1T00389.htm
(ここから)
指揮権発動言及「看過できない」…森法相が強い不快感
 森法相は12日の閣議後の記者会見で、西松建設の違法献金事件を受けて民主党が設置した第三者委員会の報告書で、法相の指揮権発動に言及したことについて、「看過できないものがある」と述べ、強い不快感を示した。
 法相は、民主党が東京地検の捜査を「国策捜査」と批判したことに触れ、「公党の姿勢として大いなる疑問を感じざるを得ない」と強調した。その上で、「私は検察に全幅の信頼を置いて、その独立性・中立性を尊重したい」と強調した。
(2009年6月12日11時26分 読売新聞)(ここまで)
「森さんも看過できない」なんて言っていいのかな?
政権交代が出来たら自民党批判が噴出すかも(笑
国民の約半数近くが、今回の西松事件での東京地検は信頼が出来ないとしているわけで、その意味でも、与党から野党への指揮権発動が行なわれたならば、民主党の政権交代は逆にすっ飛んでいたかも?
政府が、対政府側の人間を逮捕をさせることを逆指揮権というのであれば、このたびも逆指揮権ともとれる。
また考えようでは、自民党が下野をしても最悪の場合は、使用が可能になるわけである。それを考えると、自民党に知恵者が少なくなったのかも?
どうしても、第三者委員会の報告書が、受け入れないのであるならば、自分で資料を全て読んで報告書の裏をとりそして相違点を記事として書くべきであろう。
つまみ食いをしただけの記事しか書けないような新聞記者に給料をはらう新聞社が倒産をしようが、何をしようが読者は知った事ではないのだが、「押し紙」のように最終的には一般庶民から「搾取」をするような新聞社が「つまみ食いをした文章を使った偏向記事」を書くことは........如何なものか(爆
産経新聞も読売新聞もその上で反論をしたらいい。
第三者委員会の質問から逃げたヘタレ新聞社の産経は当然ながら、記者会見のビデオでの質問を聞いていて、どこかの国の首相も矜持が無いという話だが、読売新聞もその類だろうとしか思えない。
読売新聞社説に赤ペンを入れてみた♪
民主「西松」報告 検察・報道批判は的はずれだ
(6月11日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090610-OYT1T01223.htm
>これが第三者委員会の名に値する公正な報告なのか。はなはだ疑問と言わざるを得ない。
これが日本の大新聞社を名乗る新聞社の社説というのが、はなはだ疑問といわざるを得ない。
> 小沢一郎・前代表の公設第1秘書が逮捕・起訴された西松建設違法献金事件を受けて、民主党が設置した有識者4人による第三者委員会が報告書を発表した。
世界一の発行部数を誇る新聞社でありながら、政府にべったりの御用新聞である読売新聞が、野党に対してのイチャモン社説を書いた。
> 検察当局や報道機関への批判に重点を置き、小沢氏の説明不足には軽く触れただけ――という印象がぬぐえない。
検察当局や報道機関への批判を出来るだけ触りたくは無いという新聞社の思惑が見えただけ――という印象がぬぐえない
> さらに、法相に捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現も盛り込まれている。一方的に小沢氏の側に立った報告書と言われても、仕方あるまい。
さらに、法相に会見の内容を正確には伝えず捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現も盛り込まれているという虚偽を伝えている。
一方的にマスコミの側に立った社説と言われても、仕方あるまい。
> 民主党の対応については、小沢氏の政治家個人の立場と、政党の党首としての立場を切り離さずに対応した「危機管理の失敗」と指摘するにとどまった。
民主党の対応については、小沢氏の政治家個人の立場と、政党の党首としての立場を切り離さずに対応した「危機管理の失敗」と指摘するにとどまってはいるが、マスコミが切り離せないような記事を書いたことは、載せずにいてくれた。
> 的はずれもいいところだ。小沢氏に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。
 的はずれもいいところだ。小沢氏秘書逮捕に持たれた疑惑の核心部分はもっと別のところにある。
> 秘書が西松建設幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定した。
秘書が西松建設幹部と相談し、ダミーの政治団体からの献金額や割り振り先を決めていたとして、検察当局は悪質な献金元隠しと認定し、斡旋利得まで持ち込もうとしたが、無理だった。
> 小沢氏はこれまで、「献金の出所は知る術(すべ)もないし、詮索(せんさく)することはない」「秘書に任せていた」などと繰り返してきた。
小沢氏はこれまでアホなマスコミにあげ足を取られないために「献金の出所は知る術(すべ)もないし、詮索(せんさく)することはない」「秘書に任せていた」などと繰り返してきた。
> だが、同様に献金を受けた他の与野党議員と比べても巨額だ。出所や趣旨を吟味するのは、政治家として当然の責任だろう。
だが、同様に献金を受けた他の与野党議員と比べても巨額だとおもったが、年に直すと3000万であり巨額といえるかどうかは、わからない。出所や趣旨を吟味するのは、政治家として自民党議員をはじめ当然の責任だろう。
> 小沢氏は今なお、疑惑に正面から答えようとしていない。代表辞任で、国民が求める説明責任を免れることはできない。
小沢氏は今なお、裁判を控えているために疑惑とされる嫌疑に答えることは法律上不可能である。代表辞任で、国民が求める検察の説明責任を免れることはできない。
> 委員会も、小沢氏から事情聴取したが、小沢氏は「資金をどう捻(ねん)出(しゅつ)したか尋ねるのは失礼」と従来の主張を繰り返しただけだった。委員が突っ込んだ質問をしたようには見受けられない。
委員会も、小沢氏から事情聴取したが、小沢氏は「資金をどう捻出するかは献金を行なう側の事情」と従来の主張で一貫していた。郷原委員が突っ込んだ質問をしたようだが法的な問題点は見つからなかった。
> 鳩山代表は、こんな報告書で、今回の問題に幕を引けると思っているのだろうか。既に保釈されている秘書から事情を聞き、事実関係の解明に取り組むこともできるはずである。
鳩山代表は、この報告書で、今回の問題に幕を引く気は無いだろう。
既に保釈されている秘書から事情を聞き、事実関係の解明に取り組みマスコミの偏向・虚偽報道を告発をしていくことも出来るはずである。
> これから西松事件の公判が始まる。報告書が疑問点として挙げたことは、検察も公判の中で丁寧に答えていく必要がある。
これから西松事件の公判が始まる。報告書が疑問点として挙げたことは、検察も公判の中で丁寧に答えていく必要があり、もし「無罪」の判決が出た場合は、検察・マスコミは腹を切るべきであろう。
> 報道のあり方について、報告書は「検察情報に寄りかかった報道」などとしている。
報道のあり方について、報告書は「検察情報に寄りかかった報道」などしないことにしていたのだが、この点は、ニューヨークタイムズがバラしたおかげで弁解の余地はない。
> しかし、報道機関は、検察当局だけでなく、さまざまな関係者への取材を積み重ねている。客観的かつ正確な報道を期すためだ。批判は当たらない。
しかし、報道機関は、検察当局だけでなく、政府高官や仕事をくれる関係者への取材を重ねている。その身内の中では客観的かつ正確な報道を期すためだ。批判は当たらない。
(2009年6月11日01時51分 読売新聞)

【西松事件】 指揮権発動

「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を
2009年6月17日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090616/197741/?P=1

造船疑獄指揮権発動は「検察の威信」を守るための策略だった

 日本は、いつから、法律に明記されている行政庁の権限について議論することすらタブー視する国になってしまったのだろうか。

 6月10日に公表された「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」(政治資金問題第三者委員会)の報告書に対して、新聞、テレビの多くは、検察当局や報道機関の批判に重点を置き、小沢一郎氏の説明不足を追及していないなどと批判している。とりわけ、報告書中で、法務大臣の検事総長に対する指揮権発動に関して言及したことに対しては、朝日新聞以外の各紙の批判は「非難」のレベルにまで達している。

報告書での「指揮権発動」言及に対するマスコミの「非難」

 例えば、読売新聞は、「検察・報道批判は的外れだ」と題する6月11日の社説で、報告書の「法相の捜査中止の指揮権発動を求めるかのような表現」を厳しく批判した後、同日夕刊の「よみうり寸評」でも、戦後ただ一度の指揮権発動で涙を浮かべる検事正や無念の思いに暮れる検事たちの情景を描いた後、「犬養健法相が造船疑獄の捜査に関し、検事総長に対し指揮権を発動した。これで佐藤栄作自由党幹事長への捜査はストップ。法相は辞任した。以来、発動はない。ずっと抑制の姿勢が貫かれてきた。半世紀以上も前の古い話を民主党の第三者委員会の報告で思い出した。『西松事件』について何と『法相が政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た』とある。検察・報道批判の色が濃く、『第三者』の報告というよりは鳩山、小沢両氏の代弁のようだ」などと重ねて詳細に批判する、という念の入りようだ。

 しかし、このような批判は、報告書が言うところの「政治的配慮」の趣旨を読み違えているだけでなく、検察庁法が「法務大臣の指揮権」を規定していることの意義、検察の権限行使に対する民主的コントロールの手段としての位置づけを正しく理解していない。

 第三者委員会のメンバーであった者の1人として、このようなマスコミからの「非難」に対して個人的立場から反論を行うこととしたい。

渡邉文幸著『指揮権発動』が解き明かした戦後検察史の核心

 「法務大臣の指揮権」をタブー視する考え方は、造船疑獄事件での犬養法務大臣の指揮権発動という「政治の圧力」が「検察の正義」の行く手を阻んだ、という歴史認識に基づくものだが、実は、そこには重大な誤謬がある。元共同通信記者の渡邉文幸氏の著書『指揮権発動』では、当時、法務省刑事局長だった井本台吉氏が事件から40年経って初めて語った証言などを基に、捜査に行き詰まった検察側が「名誉ある撤退」をするために、自ら吉田茂首相に指揮権発動を持ちかけた「策略」だったことが明らかにされている。まさに、戦後検察史の核心を突く迫真のノンフィクションだ。

 そして、2006年6月14日付朝日新聞夕刊の「(ニッポン人脈記)秋霜烈日のバッジ」(村山治編集委員)では、上記の井本氏の証言に加えて、当時東京地検特捜副部長だった神谷尚男氏の「あのままでは佐藤を起訴するだけの証拠がなかった」との証言、当時、一線の検事として捜査に加わっていた栗本六郎氏の「捜査は行き詰まっていた。拘置所で指揮権発動を聞き、事件がストップして正直ほっとした」という証言のほか、「日本の検察には『正義の特捜』対『巨悪の政界』という単純化された構図による呪縛と幻想がある」との渡邉氏の指摘も紹介されている。

 造船疑獄における指揮権発動が検察側の策略によるものだったことは、ほとんど疑う余地のないものと言ってもよいであろう。

 同書に記載されている造船疑獄での佐藤栄作自由党幹事長への容疑事実を見る限り、検察の捜査が行き詰まっていたというより、最初から、この事件は、ほとんど無理筋だったように思える。容疑事実は、海運・造船に対する助成法案に絡んで、海運業者から自由党に政治献金が行われたことについて、当時の佐藤自由党幹事長が海運会社から請託(具体的に依頼すること)を受けて、第三者である自由党に賄賂を供与させたというものだが、そのような依頼があったとしても、与党の幹事長に与党としての法案のとりまとめを依頼したということであって、国会議員の職務に関する請託とは言えないであろう。

 もし、このような事実が第三者供賄になるとすれば、具体的な法案実現を目指す政党への政治献金はすべて賄賂ということになる。そして、贈賄側とされていた飯野海運の当初の逮捕事実は、このような政治献金の資金捻出のために造船会社からリベートを受け取ったことが商法の特別背任とされていたものだったが、この事実については、後日、一審で無罪判決が出て確定しており、それを含め、この造船疑獄で起訴された事実の多くが無罪となっている。

 造船疑獄の検察捜査は、「暴走」を通り越して「爆走」に近いものだったと言わざるを得ないが、そのような検察捜査によって、当時の吉田首相の自由党政権に対する世論の批判が高まり、ついに首相退陣に追い込まれるという重大な政治的影響が生じることとなった。しかし、佐藤幹事長に対する容疑事実自体がほとんど有罪を得ることが不可能なものだったことは、世の中には全く知られていない。また、飯野海運の社長が全面無罪で確定したからと言って、世論が検察捜査を批判したわけでもないし、それで、責任を問われた検察幹部はいない。「検察捜査の当否は裁判所が判断すべきものであり、検察は裁判外で説明責任を負わない」という理屈が全く通用しないことは、この造船疑獄の史実から明らかなのだ。

造船疑獄事件によって封印された「指揮権発動」

 造船疑獄での指揮権発動を巡る誤謬は、「検察の正義」を神聖不可侵のもののように扱い、外部からの圧力・介入を断固排除すべきという考え方を生じさせる一方、その行く手を阻んだ法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際にそれを行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。しかし、造船疑獄の指揮権発動の真実は全く異なったところにあった。指揮権発動までの経過には、経済検察と思想検察との複雑な検察内部の派閥抗争があり、策略や政治的思惑によって歪められた「検察の正義」があった。そのことを、渡邉氏の著書は見事に描き出している。

 逆に言えば、この造船疑獄を巡る史実は、検察の権力に対する何らかの抑制システムの必要性を如実に表していると言えよう。そして、そういう意味での検察の捜査権限や公訴権の行使に対する唯一の民主的コントロールの手段となり得るのが、現行法上、この法務大臣の指揮権なのである。

 「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」という検察庁法第14条の規定は、本文で、検察庁も法務省に属する組織であることから検察官の職務は法務大臣の一般的な指揮監督に服することを規定する一方で、但し書きで、具体的事件の捜査や処分について法務省と検察庁との関係を限定している。この規定により、一般的な事件については法務省が検察庁の捜査や処分に関わることはなく、検察庁から法務省への報告も行われないが、例外的に、検事総長にも報告されるような重大事件については、法務省が「法務大臣の指揮権」を前提に、検察庁から報告を受けることがあり得る。

 この「法務大臣の権限」は、行政庁としての法務省の権限をその意思決定者たる長の権限として規定しているだけで、一般の行政庁において「…大臣は」と法文に書かれていることと何ら変わらない。既に述べた造船疑獄事件についての誤謬や法務省が検察庁と一体化して「法務・検察」などと言われている実情があるため、そこから孤立した法務大臣個人が権限を有しているように誤解されているだけなのだ。

 検察庁と法務省の間には、請訓(組織内の上位者に指示を求める手続き)規定に基づいて重要事件、重大事件についての報告が行われている。それを認める唯一の法律上の根拠が、検察庁法14条但し書きなのであり、この規定は、決して死文化しているわけではない。今回のような重大な政治的影響が生じる政治資金規正法違反事件については、法務大臣に指揮権について判断する時間的余裕を与える形で請訓が行われるのは当然のことと言えよう。

報告書での「法務大臣の指揮権」についての指摘

 今回の第三者委員会報告書では、まず第1章で、民主党代表であった小沢氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄附の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について述べているが、新たな事実調査を行ったわけではなく、公表されている政治資金収支報告書や西松建設内部調査報告書などで事実を確認しただけの第三者委員会の調査結果からも、検察の捜査・起訴への疑念は一層深まっている。

 報告書では、小沢氏個人の資金管理団体である「陸山会」への寄附は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけで、それ以前は行われていないこと、小沢氏側への寄附は自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄附をすべて含めても23.7%に過ぎず、西松建設関連団体の設立目的は小沢氏の政治家個人への寄附とは無関係だったと考えざるを得ないことを指摘している。

 そして、むしろ、西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本龍太郎氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、区までの所在地と団体の名称しか記載されない官報の上で自民党議員への寄附の具体的内容が明らかにならないようにすること、つまり自民党議員側への寄附について迷彩を施すことにあったのではないかと推測されると述べている。

 このように、今回の検察捜査に重大な疑念があることを述べたうえで、そのような捜査によって野党第一党党首が辞任に追い込まれるという政治的に極めて重大な影響が生じたことを踏まえて、第2章と第3章では制度論の検討を行っている。委員会のメンバーで行政法学者の櫻井敬子学習院大学教授が中心になって、第2章で政治資金規正法の制度論について述べ、第3章では、一行政組織に過ぎない検察の判断によって行われる捜査で国民の政治的判断が重大な影響を受けることに対する何らかの抑制システムが必要なのではないかという観点から、現行制度を検証し、検察に関する制度の在り方を論じている。

 このような第三者委員会での検討において、検察と法務省の在り方を論じる第3章の中で、現行法上、検察の権限行使に対する民主的コントロールのための唯一の制度である検察庁法14条但し書きの「法務大臣の指揮権」の問題に触れないという「選択肢」があり得ないことは明らかであろう。

 そして、もう1つ重要なことは、この点についての報告書の記述は、捜査の対象が野党党首側だという事実を前提にして、今回の政治資金規正法違反事件について、法務大臣の指揮権発動が「選択肢」の1つだったと述べていることだ。自民党サイドにも波及する可能性があると言っても、それは現時点まで実際に行われていないのであり、今回の検察捜査を、総選挙を半年以内に控えた時期に野党第一党の党首に対して公設秘書の逮捕という強制捜査が行われた事例としてとらえたうえ、法務大臣の指揮権発動問題を検討しているということだ。

検察との関係での法務大臣の職責とは

 造船疑獄事件での指揮権発動についての誤った歴史認識のために、法務大臣の指揮権発動というと、これまでは、与党側の政治家である法務大臣が、与党側に捜査の手が伸びないようにするために行うものとのイメージが固定化していた。しかし、今回の事件で問題になるのは、与党側の法務大臣が野党側に対する捜査に対して指揮権を発動することの是非なのだ。

 法務大臣に対して、請訓規定に基づいて、検察からの請訓が行われ、法務大臣としての判断を法務省が組織としてバックアップしていたら、今回の検察捜査には、違反が成立するか否か、仮に成立するとしても、総選挙が近い時期に、こういう捜査によって国民の政治選択、政権選択に重大な影響を与えてまで行うような重大・悪質な事案と言えるか否か、などの点に重大な問題があることは、法務大臣にも認識できたはずだ。

 そこで、法務大臣として、「総選挙を控えた時期に、このように重大な問題がある政治資金規正法違反事件で、野党第一党の党首にダメージを与えることは、与党側の選挙対策上は有利になることではあっても、民主主義政党たる与党としても不本意なことである。国民に政権選択の機会を与えることを尊重すべきだ」と判断して、捜査の着手を遅らせるよう指揮権を発動する「選択肢」は十分にあり得たのではないか。それを行っていたとすれば、法務大臣の判断は、党利党略ではなく、本当の意味で検察捜査と民主主義との関係を真摯に考えた末での客観的で公正な立場から行った指揮権発動の判断として、歴史的な評価に値するものとなったのではなかろうか。

 森英介法務大臣が、6月12日の閣議後の記者会見で、民主党が設置した第三者委員会の報告書が法相の指揮権発動に言及したことについて、「看過できないものがある」と述べ、強い不快感を示したこと、その際「私は検察に全幅の信頼を置いて、その独立性・中立性を尊重したい」と強調したことが報じられているが(6月12日読売新聞夕刊)、「検察に全幅の信頼を置いて、その判断を尊重する」というだけでは、法務大臣の職責を果たしたとは言えない。

 今回の政治資金規正法違反事件について、請訓規定によって検事総長から法務大臣に対して請訓が行われたのか、それについて法務省としての十分な検討が行われたのか。それらの点を検証し、検察庁法14条但し書きという「法令」を無視するような検察の強制捜査着手が行われたのであれば、検事総長に対して、同条本文の一般的な指揮監督権に基づいて責任を問うことを検討すべきであろう。

 「正義の刀」を振り回す検察に対して、民主主義の唯一の砦となるのが法務大臣であることを忘れてはならない。法務省の重要ポストの多くが検事によって占められ、実務を担当する参事官、局付も多くが検察庁からの出向検事であり、法務・検察が人事上一体であることがその「唯一の砦」としての機能を妨げるのであれば、法務大臣の人事権に基づいて、それが行い得る体制を構築すべきであろう。

マスメディアの「思考停止」

 今回、政治資金問題第三者委員会で当然行うべき検討を行った結果として、報告書で、法務大臣の指揮権の問題に言及したことを、多くのマスメディアはこぞって「非難」した。

 一方で、報道では、その検討の前提としての検察の捜査・起訴に関する重大な疑問については「検察批判に偏っている」とするだけで、その中身には一切触れていない。その点に関して報告書が指摘した事実の中には、西松関連団体から陸山会への寄附が2003年以降の2100万円だけで、それ以前には行われていないことや、西松関連団体の「新政治問題研究会」という名称と全く同一で所在する区も同じ、橋本氏の政治団体が存在していたことなど、新聞、テレビでも十分把握していた事実が含まれていたはずであるが、それらはこれまで報道されてこなかった。指揮権発動問題について「非難」する前に、まずその前提として述べている検察捜査に関連する重要な事実の指摘について報じるべきであろう。

 中西輝政教授は、「子供の政治が国を滅ぼす」(文藝春秋2009年5月号)で、昭和初期、政治不信の高まり、世界恐慌など、現在と共通する政治、経済状況の中で、検察による疑獄事件の摘発が相次ぎ、それが、最後に「司法の暴走」帝人事件(現在の民主党鳩山由紀夫代表の祖父鳩山一郎文部大臣など政治家、官僚が逮捕・起訴され後に全面無罪となった)を引き起こし、政党政治を崩壊させて、日本が道を誤って敗戦まで突き進む大きな要因になったことを述べ、西松建設事件での検察捜査の危うさを指摘している。その中で、検察庁法14条の法務大臣の指揮権発動が、「本来、政から官への民主主義的なチェックシステムであり、これこそ重要な民主主義の担保の一つ」だと述べている。

 このような中西教授の意見にも耳を貸さず、渡邉氏が解き明かした造船疑獄事件の真相も意に介さず、第三者委員会報告書中に「指揮権発動も選択肢」との記述を見つけただけで、過剰反応するマスメディアの報道姿勢こそ「思考停止」そのものと言うべきであろう。