2006年11月23日木曜日

【沖縄密約】 沖縄密約裁判

2006年11月23日11時16分
沖縄密約

「国家賠償訴訟」で西山氏が核心に迫る証言 沖縄「密約」裁判 池田龍夫(ジャーナリスト)


  「西山太吉・国家賠償訴訟」第8回口頭弁論が2006年11月7日、東京地裁で開かれた。昨年7月5日の第1回弁論から約1年半、今回は原告本人(西山氏)の尋問が行われ、核心に迫る証言が胸に響いた、今訴訟最大のヤマ場とあって、110人が長い列を作り、抽選によって49人に傍聴が許された。加藤謙一裁判長が原告代理人・被告指定代理人に対して原告側提出書証の確認をしたあと、原告指定代理人・藤森克美弁護士から西山氏への尋問が行われた。尋問時間は40分余、西山氏は米外交文書・吉野文六発言などの新事実を挙げて「沖縄返還交渉の“密約”の存在」を指摘。淡々と語る姿勢が強く印象に残った。

 [沖縄返還交渉と『密約』]

 沖縄返還協定は1971年6月17日に調印、72年5月15日発効し、25年ぶりに祖国復帰した。返還米軍用地の原状回復補償費につき「米国の自発的支払い」と協定に明記されていたのに、実際は400万ドルを日本側が肩代わりする約束を密かに交わしていた疑いが濃くなった。

 西山太吉・毎日新聞記者(当時)が外務省の電信文を極秘入手、暴露したのが「沖縄密約事件」の発端。日本政府は、国会や法廷で終始「密約」の存在を否定してきたが、2000年と2002年の米外交文書公開によって「密約」を裏付ける事実が明らかになった。さらに2006年2月、返還交渉当時の責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長が密約否定発言を翻して、「返還時に米国に支払った総額3億2000万?の中に原状回復費400万ドルが含まれていた」と証言、「密約」の存在を認めた。

 一方、西山氏と外務省女性事務官は1972年4月、国家公務員法の「そそのかし」と「秘密漏えい」の疑いで逮捕。東京地裁の一審では無罪だったが、東京高裁では懲役4月・執行猶予1年と逆転、78年の最高裁審理で西山氏の上告が棄却されて有罪が確定した。

 長い間屈辱に耐えていた西山氏が2005年4月、「密約を知りながら違法な起訴で名誉を侵害された」として国に謝罪と約3300万円の賠償を求めて提訴したのが、「西山国賠訴訟」をめぐる経緯である。

 「原告代理人が米公文書や刑事一審の弁論要旨、刑事判決、電信文、新聞記事等を示しながら、沖縄返還交渉において密約に至ったプロセスや事情、刑事公判における検察側証人の偽証、最高裁決定の誤判とその原因をどう考えるか、『情を通じ』という文言が盛り込まれた異例の起訴状によって流れがどう変わったか、提訴に至った原告の理由・心情等について尋ね、原告は、佐藤・ニクソン共同声明の嘘や、密約にしなければならない事情が日本政府のみにあったこと、沖縄返還協定は裏に3つの秘密書簡を含む虚偽協定であること、起訴状によって流れが激変し機密論は一気に消え取材論のみになったこと、沖縄返還に始まるいびつな構造は今日につながる重大な問題であり、米公文書や吉野発言等によって明らかな密約を政府が否定するのであれば、立証責任・説明責任を負うところ、政府はただ否定し続けているという恐ろしいことが罷り通っており、有利な情報のみ一方的に流し都合の悪い情報は隠蔽する国の行為は“情報操作”ではなく“情報犯罪”である等と証言しました。

 また、原告は、自らが受けた精神的苦痛は到底言葉で言い表せるものではないとしながらも厳密な証拠に基づく公正な刑事裁判ではなく、検察側による偽証や公然と行われた不公正な裁判を受けさせられたことからくる“人間としての怒り”“不条理感”という言葉を使ってこれを表現しました」

 ――藤森法律事務所HPに掲載された「裁判の様子」全文だが、西山氏が法廷で語ったナマの言葉を紹介し、参考に供したい。

 西山氏は尋問に先立って、詳細な「陳述書」を東京地裁に提出、この日の法廷陳述もその内容に沿ったもので、「密約」の存在は、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』の発掘」で証明されていると強調した。

▼「日米共同声明」の嘘
 「1969年の佐藤・ニクソン共同声明には、嘘が書かれている。『財政問題はこれから協議を開始する』とあるが、柏木・ジューリック財政担当官によって5億2000万ドルの掴み金を米国に払う密約が共同声明前に合意されていた。米国が負担すべき現状回復費400万ドルなどは“氷山の一角”であり、沖縄返還交渉そのものに密約があった。また、『核は撤去する』と書いてあるが、緊急時の核持ち込みを佐藤首相は飲まされていた。極秘事項だったが、対米交渉に当たった人物(若泉敬・京都産業大教授=故人)が返還後に真相を明らかにしている。まさに協定の偽造であり、密約どころの話ではない」。

▼最高裁の誤判
 「検察側が偽証を誘導しており、裁判は公平でなかった。厳密な証拠に基づいた裁判で負けたのらよい。だが、検察は証拠を全部開示しないばかりか、悪用・乱用して10幾つかの偽証を行った。こんなに偽証の多い裁判を、今まで聞いたことがない。この問題(沖縄返還交渉の経緯)が国会で審議されることを避けるために偽装が行われた。この点を究明せず、問題の本質を理解しないまま判決が下された。司法のレベルの低さと不条理感を味わった」。

▼政府に「立証責任」がある
 「政府は『密約はなかった』と一貫して主張しているが、日本の矛盾を世界に示してしまった。米国の外交機密文書と吉野氏発言を政府が全部否定するなら、それを立証する責任がある。先進国なら必ず行うことで、説明責任を果たさないことは大変なことだ。検察が政府を擁護し、検察が組織犯罪に加担している」。

▼「情報操作」どころか「情報犯罪」
 「起訴状の『情を通じて』という言葉で、世の中の流れが変わった(『言論・報道の自由』と『取材方法』の問題は別途論じるべきだが)。検察側が情報操作したことだが、メディアにも責任があったと思う。政府は情報を操作して不利なものを隠蔽、沖縄が無償返還されるイメージを国民に与えた。これは情報操作といったものではなく、情報における犯罪だ。それは、『米軍再編』にもつながる今日的問題であり、国賠訴訟を提起した動機だ」。

[裁判後、藤森克美弁護士のコメント]

 裁判を起こした時には、2002年発掘の米公文書と(もしくわ1~3審の)判決文程度しか手許になかった。その後「米国のケーススタディー」「柏木・ジューリック秘密合意」「吉野・シュナイダー秘密文書」の3つの重要文書が入手できた。米公文書と吉野発言に追加して、『密約の存在』を立証できたと思う。

 国側は当初、20分の反対尋問を要求していた。40分の原告側尋問のあと裁判長が被告側(国代理人)に「質問を…」の求めたところ、「ありません」と答え、すぐ閉廷になった。普通、反対尋問がない場合は認めたことになるが、国は中身で争うのは不利とみて、『除斥期間』や『時効』で争うつもりかもしれない。

 職業的な魂を持った裁判官なら『誤判』と言わなければおかしい。本来なら、米公文書が見つかった時点で、検察が再審を請求すべきケースだった。時効にもかかっていない。

 今後さらに証拠を集め、検察の嘘に迫りたい。加藤裁判長はこれまでいい判決を書いており、良心的裁判官ではないか(刑事記録の提出要求には応じなかったが)。高いモラルを持っている裁判官なら正しい判断をしてくれるはずだ」。      (了)




2006年11月06日14時42分
安倍政権をどう見るか

「核持ち込み」の怖れ…非核3原則堅持の再確認を 

  北朝鮮の核実験強行によって。世界は揺れに揺れている。「北朝鮮への国連制裁」「ミサイル防衛網強化」「核ドミノ現象の恐れ」……物騒な動きが危機を増幅している。この時代状況に乗じ、不安感を煽ってナショナリズム(愛国心)喚起のテコにしようとの謀略に騙されたら一大事だ。憲法9条はもとより、「非核3原則」を堅持してきた日本国民は、今こそ「国是を守る」覚悟を固めなければならない。

▽「核保有の議論も…」と外相、政調会長の暴言

 北朝鮮の暴挙に対して国連安全保障理事会は10月14日(日本時間15日未明)、国連憲章第7章に基づく制裁決議を全会一致で採択した。中国・ロシアに配慮して、非軍事的な経済制裁になったが、一部タカ派政治家から驚くべき発言が飛び出した。15日朝「テレビ朝日」に出演した中川昭一・自民党政調会長が「(日本に)核があることで、攻められないようにするために。その選択肢として核(兵器の使用)ということも議論としてある。議論は大いにしないと(いけない)」と熱っぽく語ったのである。「もちろん非核3原則があるが、憲法でも核保有を禁止していない」とも付け加えている(毎日10・16朝刊)。

 18日には麻生太郎外相が衆院外務委員会で「核保有の議論を全くしていないのは多分日本自身であり、他の国がみんなしているのが現実だ。隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と述べた(朝日10・19朝刊)。

 核拡散を防ぐため全世界が懸命に努力してい最中に、自民党の政策責任者と外相の相次ぐ暴言には呆れ果てる。安倍晋三首相をはじめ他の閣僚・党幹部は「非核3原則は、一切変更しない」と述べて両発言を打ち消しているが、北朝鮮危機に便乗して、自民党政府の“本音”が口をついて出たとも勘ぐれる。

 核保有・ミサイル防衛に関し、安倍首相が官房副長官時代の2002年5月13日に行った講演の衝撃が蘇る。早稲田大学客員教授・田原聡一朗氏主催「大隈塾」のゲストとして「危機管理と意思決定」と題する講演で述べたもので、当時ホットな政治課題になっていた「有事法制関連法案」が主要テーマだった。有事法制の必要性を講演したあと、田原氏との質疑応答で“踏み込んだ発言”をしているので、参考のため問題個所をそっくり引用しておきたい(サンデー毎日2002・6・2号)。

 田原氏「有事法制ができても、北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう。これは撃っちゃいけないんでしょう。先制攻撃だから」
 安倍氏「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』と見なすんです。(日本に向けて)撃ちますよという時には、一応ここで攻撃を『座して死を待つべきでない』といってですね、この基地をたたくことはできるんです。(略)撃たれたら打ち返すということが、初めて抑止力になります」
 田原氏「じゃあ、日本は大陸間弾道弾を作ってもいい?」
 安倍氏「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない」

 「ええっ」と、驚いたような声を上げる田原氏。そして、安倍氏は
 「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね。憲法上は。小型であればですね」とも断言した。田原氏が「今のは、むしろ個人的見解と見たほうがいいの? 大陸間弾道弾なんて持てるんだよ、というのは」と念を押すと、
 「それは私の見解ではなくてですね。大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは、日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることは全部やるわけではないですから」

 この「安倍発言」を受けて、福田康夫官房長官(当時)は2002年5月311日「非核3原則は今までは憲法に近かったけれども、これからはどうなるのか。憲法改正を言う時代だから、非核3原則だって、国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」(毎日02・6・1朝刊)と語って、物議を呼んだ。これは番記者に対するオフレコ発言だったため「政府首脳言明」と固有名詞を伏せて報道されたが、小泉純一郎首相(当時)は「私は何も言ってない。誤報はやめてくれ」と記者団に不満を述べ、その直後に福田官房長官が「実名報道に同意した」という毎日6・4朝刊の裏話も興味深い。

▽「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」と煽る中西京大教授

 以上、政府・与党首脳の“問題発言”を概観したが、安倍首相のブレーンといわれる中西輝政京大教授の「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」との緊急提言に驚愕した。同氏が今まで主張してきたことを「週刊文春」(06・10・19号)誌上で最も刺激的に発表したもので、非核3原則を骨抜きにする恐るべき提言だ。数十万部の大衆週刊誌に、このようなプロパガンダが掲載されたことに、日本国の“危機的状況”を痛感した。非核3原則の「持ち込ませず」の1項を取り払って「米の核ミサイルを日本に配備せよ」ということ。俗耳に入りやすい論理で、ナショナリズムを刺激して“核保有”の道を開こうとの意図を感じる。

 中西教授は同誌で、「日本が独自に核を持つという選択肢は現実にはありえない。ではどうするか。日本が北朝鮮の核を抑止する唯一の方法、それは米国の核を在日米軍に配備することです。それも核を搭載したイージス艦や潜水艦を日本海に展開しただけでは抑止力になりません。日本国内の在日米軍の基地に、北朝鮮に向けたミサイルを目に見えた形で配置して、初めて核は抑止力たりえるのです。もちろんそのためには、非核3原則のうちの『持ち込ませない』の撤廃が必要となる。……日本が独自に核を持つよりは、米国にとってはるかに受け入れやすいプランであるのも確かです」と得々と持論を吹聴しているのである。

 この「中西提言」が安倍政権の政策にどう影響するかは、もちろん定かでないが、安倍首相の“ご意見番”が発した提言だけに今後の行方を厳しく監視することが緊要だ。

▽「核積載の米艦寄港」…ライシャワー証言の衝撃

 安倍晋三・福田康夫両氏の「核保有、ミサイル防衛」に関する4年前の発言を検証したが、その時の考えと現在の姿勢が大きく変化したとは思えず、首相になった安倍氏が「非核3原則変更は考えてない」といくら強調しても俄かに信じ難い。「非核3原則を堅持する」と言いながら、国是を踏みにじる“密約”が存在していたことが暴露されてきた歴史的経緯があるからだ。そこで、「非核3原則」をめぐる約40年の変遷をたどってみたい。

 「非核3原則」は、1967年12月11日の衆院予算委員会で核兵器の有無が問題化した際、佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁したのが最初。沖縄の本土復帰を悲願とした佐藤政権にとって、「核抜き」を国民に約束せざるを得ない背景があったようだ。その後、1971年11月24日の衆院本会議(沖縄返還国会)で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択された。

「1.政府は,核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核3原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。
 1.政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。
右決議する。」という画期的な国会決議だった。

 さらに1976年6月8日の「核不拡散条約(NPT)批准に合わせて衆参両院外務委員会が同年「非核3原則を国是として確立されていることに鑑み、いかなる場合も忠実に履行、遵守することに政府は努力すべき」と決議している。

 ところが、非核3原則の陰に密約があったことを裏付ける「ライシャワー発言」が1981年5月17日、明るみに出て大騒ぎになった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎日新聞のインタビューに応じたもので。「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言だった。

 これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けていたが、1999年それを覆す米外交文書が見つかった。朝日新聞が同年5月15日夕刊に特報したもので、「事前協議」の虚構性が暴露されてしまった。この公文書は池田勇人内閣時代(1963年)のものであり、朝日の記事から主要点を引用し参考に供したい。

 「核兵器を積んだ米艦船などの日本への寄港・通過を、1963年4月に大平正芳外相(当時)が米側に認めていたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。核搭載の一時通過をめぐってはライシャワー元駐日大使が81年に『日米間に口頭了解があり、実際に核を積んだまま寄港している』などと発言して問題化したが、公文書で大平氏の『了解』が明らかになったのは初めて。文書は米国防長官が国務長官にあてた書簡で、大平氏の了解が、その後も米政府内の基本認識として生き続けてきたことをうかがわせる。日本政府は今も『核搭載船の寄港も事前協議の対象』と主張しているが、事前協議の虚構性が米政権幹部の最高レベルが交わした文書で裏付けられたことになる。

 問題の文書は、72年6月にレアード国防長官が、攻撃型空母ミッドウェーの横須賀母港化や2隻の戦闘艦の佐世保への配備などを日本政府に認めさせるようロジャース国務長官に要請した書簡。昨年末に米国立公文書館で解禁された資料で、我部政明・琉球大教授(国際関係論)が入手した。書簡では、国務省側が核兵器を搭載している航空母艦を日本に寄港させる場合は日米両政府で事前協議の問題が生じることを心配したことに対し、国防長官は『事前協議は法的にも日米間の交渉記録で問題がないことは明らかだ。ライシャワー大使が63年4月に大平外相と話し合った際、核搭載船の場合は日本領海や港湾に入っても事前協議が適用されないことを大平外相も確認した。以後、日本政府がこの解釈に異議を唱えてきたことはない』とつづっている。

 また、核を搭載せずに航空母艦を配備することができないか、という国務省の提案に国防長官は『それでは軍事的に意味がない』と拒否。結局、両長官のこの書簡から1年4カ月後の73年10月にミッドウェーは横須賀に配備された。大平・ライシャワー会談の交渉記録そのものは明らかになっていないが、我部教授は『大平外相とライシャワー大使の密約のあった当時は米原子力潜水艦の寄港問題などで日本国内に論議が巻き起こっており、ライシャワー氏とすれば口頭でも確認しておく必要があった。書簡のやりとりを見れば、その後も米側が事前協議制度を何とか形がい化させようとしていたことがわかる』と話す」

▽「核兵器の抑止力」が通じない時代状況

 60年案保改定時からの経緯を検証してみて、核問題が戦後政治を揺さぶってきたことが明らかになった。周期的に政治問題化してきたが、今度の北朝鮮核実験が投げかけた問題は一層深刻である。米下院・情報特別委員会が10月3日公表した報告書で「北朝鮮が核実験を行えば日本、台湾、韓国は自身の核開発の計画を検討するだろう」との警告を発したことを、東京新聞(10・13朝刊)が報じている。

 さらに「日本の核武装については、安倍政権もその意思がないことを強調するが、ドミノ現象は北東アジアだけでなく、イランを起点にして中東地域にも飛び火しかねない。『サウジアラビア、エジプト、シリア、場合によってはトルコまでもが核武装に走る可能性がある』と米シンクタンクCNSの部長は分析する。……半面、北朝鮮を核実験に追い込んだのは米国自身との皮肉な側面もある。ブッシュ政権はイラク、イラン、北朝鮮の『悪の枢軸』のうち、大量破壊兵器保有の裏づけを得られなかったイラクを攻撃した。核兵器を持たなければイラクの二の舞いになると考えた北朝鮮、イランを核開発に追い立てたともいえる米国。そんなねじれた立場で、いかにしてドミノ倒しを防げるか…」と、同紙は鋭く迫っていた。

 前段で指摘した中川・麻生発言が、核拡散の引き金になるようだったら一大事である。二人の“核発言”は北朝鮮への抑止効果を狙っただけとの見方もあるようだが、果たしてそうだろうか。NPTを脱退して核実験を強行した北朝鮮外交に対抗して、日本がNPTを脱退することは国際信義上不可能なこと。「議論するのはいいではないか」と麻生外相が言い張っても、憲法9条・非核3原則・NPTの縛りがある現状で、性急な“核論議”は不毛であり、前向きな結論は導き出せない。例えば、「米国にならって、日本を銃社会にしよう」との問題提起をしたら“時代錯誤”との非難を受けるに違いないが、「北朝鮮に対抗するため、核武装について議論しよう」との発言も同様に愚かな発想ではないか。

 中西教授が言うように、米国の核を日本に配備することが抑止力になるとは考えられない。“米ソ核均衡の時代”より複雑化した世界になったことに加え、追い詰められた北朝鮮のような国家は自暴自棄の戦術で抵抗する。従って、核抑止力が相手には通じないばかりか、却って暴発を招きかねない。

 この点につき、田中宇氏(国際問題評論家)は「核兵器をめぐるブッシュ政権の政策のもう一つの特徴は、イランや北朝鮮などの反米国を脅し、逆に核兵器を持たせてしまうように扇動した結果、世界で核保有しそうな国が急増し、従来の『核抑止力』が無効になってしまったことである」と指摘。さらに「日本人は、核兵器が抑止力を失いつつある今ごろになって、核武装したがっている。本当は『核兵器は抑止力が失われたので、もう全世界で核廃絶した方が良いのではないか』と主張した方が外交的に得策なのに、世界の変化が見えていない。対米従属の気楽さが、日本人を浅い考え方しかできない人々にしてしまった」と、日本外交の非力と構想力の貧困を糾弾していた(田中宇HP10・24)。

 非核3原則は、「核艦船の寄港」によって「2・5原則」に変質しているが、本土への「核持ち込み」を許して「2原則」になったら、「非核3原則の国是」は解体の運命をたどる。この危機的状況を厳しく捉え、「核廃絶」を全世界に訴え続けることこそ日本の責務である。



2006年09月22日21時51分
沖縄密約

沖縄「密約」事件と国家犯罪 国賠訴訟と「西山陳述書」 


  日米両政府は2006年5月1日、「在日米軍再編」最終報告書にサインした。前年秋から「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)で協議していた重大案件で、米政府が全世界をにらんだ米軍トランスフォーメーションの一環としての「在日米軍再編」であるとの認識が必要だ。その観点から最終報告書を点検すると、「日米軍事一体化」がますます鮮明になってきたことが読み取れる。

 日米が合意した「ロードマップ」には、「①米ワシントン州にある『米陸軍第一軍団司令部』を、2008年9月までに神奈川県の米軍キャンプ座間に移転させる。②沖縄駐留米海兵隊約1万5000人のうち約8000人と家族約9000人を、2014年までにグアムへ移転させる。③米軍普天間飛行場を、2014年までに名護市の米軍キャンプ・シュワブ区域の辺野古岬へ移転させる」と記されており、この3点が再編計画の柱といえる。

 特に「(d)沖縄再編案間の関係」の項に、米国の対日政策の強固な布石を感じた。「▼全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている。▼特に、嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かっている。▼沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、①普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展②グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献に懸かっている」と、明らかに“パッケージ決着”を日本側に迫る内容である。

 この取り決めに基づいて、グアム移転経費として約60・9億㌦(約7000億円)の負担を日本側に押し付けた。米側負担分が、日本側負担より少額の41・8億㌦だから、法外な移転経費の請求だ。また、ローレス米国務副長官が最終合意のあと「米軍再編に伴う日本側の負担総額は3兆円」と口走った背景に、米国の腹黒い対日戦略を感じる。合理的な積算根拠を示さずに“掴み金”的なカネを日本側に強要する、米外交の常套手段は相変わらずで、「日米同盟」の名のもとに騙され続ける日本外交の非力が嘆かわしい。

 敗戦後61年、沖縄の本土復帰から34年の歳月が流れたが、沖縄は今も「米軍基地の島」である。米軍再編→日米軍事一体化が進行する現在、奇しくも沖縄返還時の密約問題がクローズアップされてきた。佐藤栄作政権が推進した沖縄返還に関し、毎日新聞記者が暴いた「沖縄密約事件」。有罪判決を受けた西山太吉・元記者が2005年春、国を相手取って「国家賠償訴訟」を起こし、現在も東京地裁で審理が続いている。

 2000年と2002年の米外交文書公開によって、30数年前の佐藤・ニクソン日米首脳が調印した「沖縄返還協定」の中に密約があったことが暴露されてしまった。しかし、日本政府は情報公開に応じないばかりか、「密約はなかった」と否定し続けている。2006年2月には「吉野証言」が飛び出して、「佐藤政権時代の国家的犯罪」の様相が一層濃くなってきた。「吉野証言」については既に本欄で取り上げたが、当時の日米交渉のキーマンと言える吉野文六・外務省アメリカ局長(当時)が、長年の“密約否定発言”を翻して、密約の存在を認めた証言の重みは頗る重い。

 新事実が次々明るみに出てきている中で、「西山国賠訴訟」口頭弁論が1年半近く東京地裁で続けられ、2006年11月に大きなヤマ場を迎えようとしている。8月29日の第7回弁論で、加藤謙一裁判長が「次回に、原告本人の当事者尋問を行う」と伝えたからである。第6回弁論(6月6日)の際に裁判長が「陳述書提出」を求め、原告側代理人・藤森克美弁護士から「原告本人(西山太吉氏)の陳述書」「米国務省(国防分析研究所)の報告書」 「我部政明・琉球大教授の著作」などが8月中旬までに提出されていた。それらを確認のうえ、原告本人尋問が決まったわけで、次回(11月7日)の尋問時間は、主尋問(原告側代理人による尋問)40分、反対尋問(国側代理人による尋問)20分の予定である。

 藤森弁護士は「原告本人の尋問時間を90分で申請していたが、半分弱の40分に削られた。しかし、立証趣旨や尋問事項を制限されなかったので、制約を受けず網羅的に尋問を行う機会が確保されたという点で、評価したい」と感想を述べている。

 東京地裁に8月提出された「原告本人の陳述書」を精読したが、最新資料にまで目を通して密約問題を分析した記述に説得力があった。日米交渉の経緯を追究し、第4章(『密約隠し』の再生産)では、「2000年の米公文書は沖縄返還協定調印後間もなく国務省が、2002年のそれは協定発効後に米国の国家安全保障局が作成したもので、いずれも外交交渉の過程ではなく、その終了後に用意された文書である。そして、吉野氏といえば協定調印時の外務省アメリカ局長であり、かつ二通の秘密文書のイニシアルの本人であって、それこそ実務の最高責任者として交渉の全容に精通している人物である。

 米公文書の内容は電信文のそれとも完全に整合し、また、吉野氏がその重要部分を認めたことからも、そこに一語の狂いもあろうはずのない性質のものである。もし、現政府が、このような厳正な事実をあえて否定しようとするのなら、それ相応の立証責任をともなわねばならない」と鋭く迫っている

 西山氏が30数年前「沖縄密約」を暴いたきっかけは「基地返還に伴う米軍用地復元補償費400万㌦」の疑惑だったが、それは“氷山の一角”。沖縄返還実現を“花道”に引退を目論んだ佐藤栄作政権が、ベトナム戦争で財政ピンチに直面した米政府の無謀な要求を次々呑み、“密約”の形で日本が巨額のカネを貢いだ構図が、白日のもとに曝されてしまった。その後発掘された新資料で明らかになったように、「密命を受けた柏木雄介―ジューリック両財務担当官によって敷かれたレールに乗って、作為的な沖縄返還定案が出来上がった」と判断するのが妥当な分析である。

 澤地久枝さんの名著『密約』は30年近く絶版になっていたが、最近、岩波現代文庫から復刊された。執拗に不条理な事件を追った澤地さんの思いは深く、巻末の「沈黙をとくー2006年のあとがき」の文章が素晴らしかった。沖縄問題の底の深さ。「佐藤栄作内閣のもとに、本土復帰した沖縄は、今なお依然として米軍基地の島でありつづけている」と、次のように今日的問題点を指摘している。

 「米軍独自の戦略によって、沖縄にいる海兵隊の一部はグアムへ移駐する。その費用は7000億円の支出を日本は求められて支払う。米軍再編成費の日本分担金は3兆円といわれる。日米安保条約にはじまる日米間の『密約』の堆積。国家機密の壁によって阻まれ、主権者が知り得ず、したがって論議はされず、効果的な反対表明もない長年月の結果がいま、事実として日本の主権者に課せられつつあるのだ。この本で私は政府の対米『密約』と男女関係との比重の倒錯、本質のすりかえを初心者らしいしつこさで追及した。当時、『氷山の一角』という認識はあったが、隠された全容が、主権国家であることを揺るがすほどのものであること、憲法とくに第9条改変へ向かわざるを得ない本質を含むことまで考え及ばなかった」と率直に告白し、「低次元の問題にまんまとすりかえられた『密約』問題は、世紀を超えて日本を拘束する対米関係からこぼれた『ほころび』であった。責任を問われるべき佐藤首相以下、ほとんどが故人となった。本質を見抜けず、『すりかえ』を許した主権者の責任は、現在の政治状況の前に立つ私たちに示唆と教訓を残しているはずである」と結んだ文章に感慨を覚えた。

 「沖縄密約」事件をきちんと総括することが、日本の今後を考える上で極めて重要であると、痛切に感じた。



       「西山陳述書」の一部を抜粋
「西山陳述書」は第1章から第5章まで多岐にわたっているため、「対米支払い」に関する記述の一部をピックアップして紹介させていただく。(原文のまま)

▼沖縄の1972年返還は、それより2年半前の1963年11月、ワシントンで行われた当時の佐藤首相とニクソン米大統領との会談の結果、発表された「日米共同声明」により決定した。この共同声明が出来上がるまでの日米間の交渉については、返還が実現した1972年5月15日から2ヵ月後に完成した「沖縄返還――省庁間調整のケース・スタディ」と題する米国務省の秘密文書の中に、克明に記述されている。この文書については、秘密解除後まもなくの1996年4月、朝日新聞が核密約問題に限って、一部報道したことがあるが、文書全体の内容と問題点は、これまで紹介されないまま今日に至っている。この文書は、米国務省が3人の情報関係の専門家に委託し、これら専門家が、交渉に携わった関係者の一人一人に面接、聴取した結果を「誰々が何月何日に……」といった具合に、日取りを追って、その実態を詳細かつ綿密に記録したもので、恐らく沖縄返還交渉の核心を知る上で、これ以上の外交文書はないといっても過言ではない。(ちなみに、日本の外務省は、沖縄返還については、戦後の他の重要な外交案件、例えば日韓交渉、日米新安保条約交渉などとともに、いまだに、その関連文書のほとんどを開示していない。)この文書によって判るのは、沖縄返還交渉は、1969年11月の日米共同声明発表の時点で、その骨格というべきものは、すべて固まっていたという事である。もちろん、最大の難点とされた財政問題、すなわち、対米支払い問題も日米双方の間で、5億㌦以上の額で合意に達し、合意議事録まで作成されたのである。にもかかわらず、この事実は日本側からの申入れで伏せられ、声明には一切盛り込まれないまま,後になって、協定に,ウソを書いてみせかける(秘密電文中にあるアピアランス)か、あるいは、交渉結果そのものを隠してしまう外交上、あまり例のない国家犯罪へと発展していくのである。

▼沖縄返還の“密約”問題の焦点ともいえる財政問題に移るが、その前に、強調しておきたいことがある。それは、本件の“密約”なるものは、通常いわれる“裏取引”にとどまるものではなく、条約、協定案にかかわるという点である。いうまでもなく、条約、協定案は、国の予算案同様、衆院通過後の“自然承認”が認められている最高度の承認案件である。憲法上、国会は、国権の最高機関であり、その国会の最高度の承認案件に、かりにもウソ、ゴマカシがあるとすれば、そのこと自体が、違憲・違法であることは、まさに、自明の理であり、司法の世界では、イロハの「イ」に属する話であろう。しかるに、審理を尽した一審においてさえ、“密約”を“遺憾”としながらも“違法”の判示までは下せなかった。有価証券報告書の“虚偽表示”あるいは、“粉飾決算”の場合、株主に損害を与えるとして、必ずといってよいほど“有罪”となる。納税者(主権者でもあるが)の権利・義務に、直接かかわる財政関係の協定案の“虚偽表示”は、そのような部類のものとはグレードの異なる重大犯罪ではないのか。こうした原則的疑問を呈すること自体、極めて不自然なことであるが、ある意味では、それは国の水準を如実に示していることにもなる。“承認案件”に触れることは、自らの退路を断つという心理が、裁判官に働いたのかもしれないが、最高裁のこれについての初歩的な誤判からも窺えるように、検察側証人による徹底した偽証とその偽証を利用して訴訟を主導した、検察側のこれまた徹底的な“裁判妨害”こそが“違法”回避の判示をもたらした最大の要因であったといえる。

▼財政問題については、1969年6月頃から、まず、日米双方の閣僚レベルで原則的な話し合いが始まった。ここで、わが方の福田蔵相は、一見、不可解な態度を取り始める。ケネディ財務長官との会談で「今度の財政問題の折衝は、日本の大蔵省と米財務省、つまり,両財務当局の間だけで、余人を交えずに、進めていきたい」といった具合に、普通、外務省中心に行われる外交交渉とは、やや異なる交渉のやり方を提案したのである。また、「沖縄をカネで買った」(米秘密文書)という日本の議会の批判をかわすため、財政問題の決着は共同声明発表後まで持ち越したいとも提案した。交渉方式を財務当局に厳密に限定しようとする背景には、もともと困難な事態が予想されていたこの問題を打開するには、まず政府内部からの横ヤリや批判を排しながら、ことを秘密裡に運ばなければならない場面が必ず出てくる。それには、交渉の主体を、佐藤―福田ラインの直接指導下におく必要があるという判断があったからで、この点については、吉野文六元外務省アメリカ局長も、そのオーラル・ヒストリー(2003年)の中で、いみじくもこう語っている。「……沖縄に関わる資金の問題は、我々から言えば『けしからん』と思うけれども、それはアメリカ大使館が柏木財務官とか、その他の国際金融局(注・大蔵省)の事務方と、我々の知らぬ間にひそひそと計算して、数字を積み上げていたんです。最後になって、大蔵省の方から『これだけになるよ』と言って来たわけです。『そんなものは知らんよ。お前の方でこそこそやっていたのだから、協定に書くわけにはいかん』と我々は頑張っていたのです……」と述懐している。しかし、いくら外務省が頑張ってみても、もとはといえば、佐藤―福田ラインの了承の下に決まったのであるから、どうしようもなかったのである。

▼1969年11月10日にまとまった柏木―ジューリック合意は、日本側の意向により、差し当たっては、口頭(オーラル)によるものとし、佐藤・ニクソン共同声明発表後、10日経った12月2日に両代表が秘密覚書(SECRET-MEMO)にサインした。それによる対米支払いの概要は次のようなものである。
(1)電力、水道などの米資産の買い取り費として、1億7500万㌦
(2)基地移転及び返還に関係する一括解決金として2億㌦(返還後、5年間に、
物品、役務で提供)
(3)日本銀行は、ニューヨーク連銀に、最低6000万㌦を25年間、無利子で預金する。(注・それにより、米側に、1億1200万㌦を供与することになる)
(4)米軍関係の日本人労働者に、日本の社会保障制度を適用することにともなう費用として3000万㌦
 このような財政問題の取り決めに当たって日米間で最も難航したのは、日本側が、国会対策上、費目ごとの厳正な積み上げ方式を主張したのに対し、米側は、それでは、期待する金額には、到底届かないとして、掴み金方式を提示し、そのいずれを採用するかで争った点であった。しかし、米側の主張は固く、結局、日本側が歩み寄り、大ざっぱな費用計算でハジキ出した米資産買い取り以外は、基地移転や返還関係費用の名目で2億㌦の掴み金をしはらうことになった。これを合計すると、3億7500万㌦となる。これに、預金利子相当分の1億1200万㌦その他を加えると5億2000万㌦近くの金額となる。ケース・スタディは、これについて「5億2000万㌦で合意」と記述し、米国防省あたりは、6億ドルを要求していたが、国務省は、期待以上の金額として歓迎の意向を示したと書いている。端的に言えば、沖縄返還の対米支払いを米側は、その内訳を問題にせず、常に「掴み金」としてとらえていたのである。2000年、2002年の米外交機密文書及び最近の“吉野発言”で証明されたように、後になった柏木―ジューリック秘密合意に加算されたのが、米軍用地復元補償費400万㌦、VOA施設の海外移転費1600万㌦、計20000万㌦であり、この総額の中身を国内説明できるように、編成(いわば偽装)し直した上で、協定化する作業が70年から71年前半にかけて行われたのである。

▼柏木―ジューリックで決った対米支払いのうち、預金利子の免除や基地従業員への社会保障の適用を除いたいわば“真水”部分の額は、合計で3億7500万㌦である。2000年発掘の米外交文書にあるように、「……もともと財政的には、3億㌦で解決するはずが、3億2000万㌦に増えてしまった。……増加分は、返還土地の原状回復要求に対する400万㌦とVOAA施設の移転費1600万㌦。日本政府がこれらのコストを特別に追加支出することは伏せなければならない……」ということに照らせば、この3億7000万㌦はまず、3億㌦と7500万㌦に分離され、この7500万㌦が米軍施設改善移転費6500万㌦と返還に伴う基地従業員の労務管理費1000万㌦として特別扱いになったということができる。もとは1本のものだったのだ。この点で、米公文書は「日本政府が…基地施設改善移転費枠が設けられている事実を極秘にしているのは…3億2000万㌦を超える解決では国会を納得させられないと考えているからだ」と明確に解説している。さらに、この費用が極秘になったのは、単なる基地の移転や改良は、米側の負担とするという日米地位協定の枠をはみ出すので、(877号電信文中の“リベラルな解釈”の部分)国会通過は容易でないと見たからでもある。要約すれば、3億2000万㌦という対米支払いは、柏木・ジューリック合意から派生したもので、それは、1億7500万㌦という米資産買い取り費、軍用地復元補償及びVOA移転費の日本側による肩代わり金(追加支出)2000万㌦それに残余の1億2500万㌦の「掴み金」から成り立っているのである。

 米公文書の「3億2000万㌦に関する合意は、返還協定7条にある通り、資産買い取りのための1億7500万㌦は例外だが、内訳を合意する気はなかった。それはできないことだった。……日本政府が内訳をどう説明しようと自由だ。……」という記述は、この問題の実態をずばりと突いている。「3公社、労務関係費、第8項(注・核抜き)のそれぞれにいかに割り振るかは日米でよく打合せ、対議会説明の食違いなく必要以外の発言はせざるよう米側と完全に一致する必要がある」(1034号電信文)――という日本政府の懸念は、もし、米側がもらう額の立場上、気がゆるんで国内の報道機関などに、「あの中には日本側からの追加支出2000万㌦が含まれている」ことを漏らすようなことにでもなれば、大変な事態になるという恐れからきている。この間の事情は、2002年に発見された米秘密文書を見ればよくわかる。同文書は次のように記述している。

「2、日本の立場――日本政府のこの問題に対するアプローチは、いかなるアメリカとの密約の存在もきっぱりと否定するというものである。さらに、アメリカへのいかなる資金提供もないと否定するものである(原告注・だから、いまでも日本政府は否定し続けている)。日本政府は、報道機関からの追及に対して、我々(アメリカ政府)も同一歩調をとるように要求してきている。

 3、推奨されるアメリカの立場――我々は、上院に対しては、条約に関する聴聞会において、密約事項として、この補償問題の処理について告知しているが、もしこの問題が今後、議会や報道機関の厳密な追及の対象になるとすれば、我々は、補償額が推定400万㌦を超えないことを追認することは避けられないだろう。また、この問題で密約が存在するという事態を追認することは避けられないだろう…」。

 密約発覚後の事態ではあれ、このように、日本側と米側の立場は明確に異なっている。だから、3億2000万㌦の内訳について電信文中の日本側の懸念は深刻なものだったと言えよう。
 検察側証人は、この3億2000万㌦について、5億㌦、6億㌦もする本来の主張を譲歩させたとウソの証言をし、地裁もそれを前提に判示した。しかし、事実はこれまで述べてきたように、米側は、実質5億数千万㌦に達する支払額を獲得して満足していたのである。同証人は、この3億2000万㌦の内訳は、資産買い取り費1億7500万㌦、人件費増加分7500万㌦、核兵器撤去費7000万㌦から成り、密約事項は、一切ないと証言した。

 さらに請求権については協定上、規定された米側による「自発的支払い」は、文字通りの「自発的支払い」であり、電信文の「請求権」の項目で「財源の心配までしてもらっていることは多としている…」と述べている点についても、それは、3億2000万㌦という金額全体についての謝意を表明したものと証言した。この点は、さすがに地裁も納得せず、「合理的根拠がない」と突っぱねたが、事実は、米外交文書による説明に留まらず、最近になって、吉野証人もそれが“偽証”であることを認めたのである。





2006年04月01日09時32分
沖縄密約

沖縄返還密約「吉野文六証言」の衝撃と米軍再編 


 外交でも、内政でも重大案件の処理を誤ったため、後世にツケを残したケースは枚挙にいとまがない。いま問題化しているBSE(牛海綿状脳症)ライブドアなど〝四点セット〟の混乱もその例証だが、今月の論稿では35年もベールに包まれていた「沖縄返還密約」の背景を探り、直面する「米軍基地再編」問題との関連を考察してみたい。

 「沖縄密約事件」は、西山太吉・元毎日新聞記者が1971~72年の取材過程で入手した外交秘密電文を暴露したのが発端。これに対し、時の佐藤栄作政権は「密約はなかった」と強弁し、逆に西山記者と外務省女性事務官(安川壮審議官付き)とのスキャンダルにすり替えて「外交機密漏洩事件」として断罪、真相を隠蔽してしまった。

事件から30年経過したため米国外交文書が公開され、日本の研究者とメディアが究明した結果、2000年と2002年に「日本の400万ドル肩代わり密約」を裏づける外交文書が発掘された。ところが、日本の外交文書公開はいぜん不完全で、政府は〝密約〟を否定し続けている。このため西山氏は昨年4月「不当な起訴で記者活動を停止させられた」として、国に3300万円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こし、現在審理中である。

▽ベール剥ぎ取った北海道新聞のスクープ

 店ざらし状態の外交責任を問うための「西山・国賠訴訟」だったが、新聞の関心は何故か薄く、雑報程度の扱いに終始しており(沖縄県紙は相当の扱いだが)、沖縄密約事件が投げかけた〝今日的意味〟が伝えられていないことに不満を感じてきた。このモヤモヤを吹き飛ばしたのが、北海道新聞2月8日朝刊の衝撃的スクープだった。

 「沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる1971年署名の沖縄返還協定について、当時、外務省アメリカ局長として対米交渉に当たった吉野文六氏は、2月7日までの北海道新聞の取材に『復元費用400万ドル(当時の換算で約10億円)は、日本が肩代わりしたものだ』と政府関係者として初めて日本の負担を認めた」との特ダネ証言に、度肝を抜かれた。35五年前、スナイダー米公使と交わした「密約文書」の存在につき、吉野氏は今まで自筆のサインは認めたものの、「交換公文の内容は一切覚えていない」とシラを切り続けてきたからである。

 西山氏は1971年入手した秘密電文をもとに「沖縄にある米国資産などの買い取りのため、日本が米国に支払う3億2000万ドルの中に400万ドルが含まれている」との疑惑を発掘、特ダネとして追及した。この400万ドルは、米軍が接収していた田畑などの復元のため米国が日本に支払うと約束していた費用。吉野氏がこのほど北海道新聞記者の取材に応え、「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還で金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れがあったため、沖縄が返るなら400万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と、〝密約〟の経緯を証言した事実は極めて重い。

 審理中の西山・国賠訴訟で原告側は「国家権力中枢の組織犯罪という巨悪が隠蔽され、公正な刑事裁判を受ける権利を奪われた」として、虚偽公文書作成罪・偽計業務妨害罪・憲法七三条三号(条約の国会承認)違反…等を掲げて弁論を展開。「できれば、吉野氏を弁護側証人に申請したい」との構えをみせている。(社民党は証人喚問を要請)

 北海道新聞2月8日朝刊特ダネに即座に反応したのは共同通信。吉野氏に確認取材したうえで、同日夕刊用に配信した。際どい時間帯だったのに、共同電を夕刊一面大トップに仕立てた琉球新報・沖縄タイムスの価値判断を評価したい。他の主要地方紙も夕刊で追っていたのに、全国紙の感度の鈍さに驚いた。共同加盟社の東京(中日)新聞は8日夕刊に掲載したものの第二社会面3段扱い。毎日・朝日が2日遅れの10日朝刊、読売が11日朝刊掲載になったのは、ニュース判断を誤った失態と言わざるを得ない。朝日の二度にわたる関連特集や社説掲載など、主要各紙の〝紙面修復〟への努力は認めるものの、全国紙の扱いから受けるインパクトが希薄だったように思う。

 87歳の吉野氏は、各新聞社の相次ぐインタビュー(民放ではテレビ朝日)に応じ、「400万ドル肩代わり」以外に、「当時公表されていなかったVOA(米政府短波放送)移転費1600万ドルも、日本が支払った3億2000万ドルに含まれていた」などの新証言を次々明かしている。「大蔵省(当時)のやったことだから細かいことは分からない」と言うが、積算根拠の薄弱な〝掴み金〟を支払って、沖縄を返還させた構図が透けて見える。

 3月8日の参院予算委では福島瑞穂・社民党党首が政府の隠蔽体質を執拗に迫ったが、「密約は無かった」と繰り返すばかりだった。まさに〝臭い物に蓋〟…説明責任を果たさない政府の傲慢さは噴飯ものである。「米側の公文書と吉野証言で(密約は)歴史の事実として確定したものとしか言いようがない。政府がいくら否定しても説得力を持たない」(毎日2・11社説)など、各紙社説は一様に正確な情報開示を政府に求めている。
 「問題は『機密漏洩』ではなく『密約』にこそあったはずだが、情報源をめぐるスキャンダルになり、密約追及はかすんでしまった。当時のマスコミ報道も含め、世論が操作される怖さを教訓として記憶しておきたい」(北海道新聞2・14社説)「名誉を回復し国家賠償と謝罪を求めるために起こした裁判の長さを考えれば、政府の責任はより重くなろう。もう一つ付け加えれば、西山氏と取材を続けながら、政府の意図に乗る形で『記者と外務省職員のスキャンダル』に終わらせてしまったメディアの責任も問われなければなるまい」(沖縄タイムス2・9社説)……等々の指摘もまた重要で、過去の報道姿勢を謙虚に反省し、今後の取材・紙面づくりに生かすよう望みたい。

▽巨額な沖縄海兵隊グアム移転費要求

 現在、「在日米軍再編」をめぐる日米交渉が大詰めを迎えている。キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部移設など、自衛隊と米軍一体化運用が重点とみられ、沖縄駐留米海兵隊数千人のグアム移転、普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設などの行方も注目されている。米側は海兵隊約1万8000人のうち8000人削減が可能と提案しているが、グアムへの移転費用(基地整備費なども含む)の日本側負担を求めてきた。その負担額は、総額100億ドル(約1兆1800億円)の75%…75五億ドル(約8850億円)もの巨額要求である。積算根拠が曖昧なことは、35年前「沖縄返還交渉」時の3億2000万ドル(当時の換算で約980億円)要求とそっくりな手口ではないか。「米側は過去の日米協議で『約80億ドル』と伝えているが、『建設する具体的な施設の数や内容など積算根拠がなく、腰だめの数字に過ぎない』(防衛庁幹部)という」との指摘(読売2・11朝刊)通りのお粗末さだ。

 一事が万事、今回の米軍再編協議を通じて、米国の対日交渉のしたたかさ・冷徹さ、日本外交の詰めの甘さを痛感するばかりである。3月末までに、「米軍再編に関する日米最終報告」が出る予定だったが、「中間報告」(昨秋)に盛られた普天間飛行場の名護市移設と米海兵隊のグアム移転費用の日本側負担などをめぐって政府と地元自治体、日米政府間の具体的調整が難航、最終決定は四月に持ち越された。米軍基地に悩まされてきた地元感情を無視して強行を図る「米軍再編」の行方が、極めて憂慮される事態である。

▽「政府の政治責任を厳しく問え」

「沖縄密約問題は協定が結ばれた当時のウソばかりでなく、いまの日本の姿もあぶりだしている。それは、説明責任を放棄したまま根拠なく否定を続ける政府や外務省の体質であり、それを十分に追及しきれていないメディアの姿勢だ。国会で承認された協定に反する密約を交わし、ウソをつき続ける政府が責任を問われないこの国に、民主主義があると言えるのだろうか」――沖縄密約問題をウオッチしている田島泰彦・上智大教授(メディア法)の指摘(朝日3・9朝刊)に共感する。

「沖縄」をめぐる新旧の大テーマを比較検討してみて、35年前の「沖縄密約」のツケが、「日米同盟」の名のもとに悪影響を及ぼし続けている現実を改めて痛感させられた。
「基地の島オキナワ」の厳しい状況はなお継続している。険しい日米関係の現状を踏まえ、「吉野証言」の重みを反芻し、「西山国賠訴訟」を見詰めていくべきだろう。


2006年9月26日火曜日

【世論調査】 世論調査一覧

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社会調査-Wikipedia

世論調査
社団法人長野県世論調査協会:http://www.nagano-yoron.or.jp/

【皇室問題】 昭和天皇(独白録)

『昭和天皇独白録』の史料的価値

1990年、元宮内省御用掛・寺崎英成の遺族のもとに、終戦直後に書かれた昭和天皇の「独白録」が残っていることが判明します。大きな反響を呼びました。ご記憶の方も多いでしょう。

当時、学生だった私は、基礎ゼミ担当のA先生(政治学の世界では非常に有名な方ですが)から、こんなことを聞かされました。

「独白録とか、回顧録というのは、史料として1級とはいえません。後から書かれたものだから、どうしても正確さに欠くし、無意識でも弁明が入ってしまう。1級品の史料とは、日記をおいてほかにはありません」

むろん、一流の教養人であった昭和天皇の日記が存在しないわけはありません。しかし、宮内庁は、それを公にする意向は、まったくないようです。

『昭和天皇独白録』はなぜ書かれたか
しかし、史料としてはあまり使えないものとしても、これがなぜ書かれたのか、そのことを知っておく必要は十分にあるでしょう。

アメリカは、「天皇制存続、昭和天皇の皇位も存続」という方針で日本占領を行おうとしていました。そのほうがやりやすいと考えたからです。

しかし、ソ連やイギリスなどは天皇の「戦争責任」追及を主張。これをアメリカはかわす必要がありました(→拙稿「日本国憲法は「押し付け」か?もご参照ください)。

そのため、GHQと寺崎が接触。そして『独白録』が書かれ、そしてそれは英訳され、GHQの「天皇無責任」の材料として使われました。こうして昭和天皇は訴追を免れ、天皇制は存続しました。

『独白録』には昭和天皇の率直な気持ち、発言が多く記録され、興味深いのですが、これが書かれた背景として、このようなことがあったことは見過ごせません。

そもそも「戦争責任」とは?
そして、今なお、昭和天皇の「戦争責任」を問う声は強く、また、それに反対する声も負けず、論争が続いているところです。

しかし、そもそも「戦争責任」とはいったい何なのか。開戦責任なのか、終戦をサボタージュした責任なのか。開戦=責任が発生するなら、ポーランド侵攻したドイツに対し宣戦布告した英仏にも責任が発生する、ともいえなくはありません。

「戦争責任」という言葉は、その意味じたいがあまり議論されないまま、昭和天皇の責任の有無のみが議論されているようなところがあるように思えてなりません。

アメリカにとっての「戦争責任」
しかし、日本を当時占領統治していたアメリカにとって、「戦争責任」の意味は明確でした。

つまり、「誰を処罰すれば、アメリカ人はじめ、連合国の多くが納得するか。その処罰の対象者が負うのが、『戦争責任』なのだ。」

もちろん、日本統治方針の前提として、天皇に戦争責任を負わせてはならない。いかに天皇の責任を回避し、他の者に責任を「かぶせる」かが大きな課題となったわけです。

こうして、アメリカによって東条英機や近衛文麿らが天皇に戦争を「そそのかした」という「伝説」が作られ、近衛は自殺、東条らは東京裁判で絞首刑に処せられたのでした。

近衛文麿の「戦争責任」観
さて、戦争責任という言葉は、何も戦後生まれたものではありません。

近衛文麿──開戦直前の日米交渉を途中で投げ出した首相ですが──は、1944年の段階で、後の首相となる東久邇宮稔彦王に、「『世界の憎まれ者』になっている東条英機に全責任を負わせるのがいい」と語っています。

近衛もまた、天皇への責任追及回避のため、「他の者に責任をかぶせる」ことを考えていたのでした。もっとも、自らが首相のとき、アメリカが猛反発し、日米関係悪化を決定的にした「フランス領インドシナ南部への進駐」を、陸軍にいわれるまま実行した「責任」は、自覚していないようですが。

とにかく、近衛は動き出します。1945年になると、昭和天皇に早期終戦を求め(「近衛上奏」)、ソ連を仲介とした終戦工作の責任者になります。

しかし一方で、彼は京都で岡田啓介(2・26事件の際の首相)、米内光政(元首相、当時海軍大臣)、ある寺院の門跡家と協議、「昭和天皇退位、裕仁法皇という称号で出家のうえ蟄居」という計画を図っていました。

近衛文麿と高松宮宣仁親王
そして原爆投下、ソ連参戦。八方ふさがりの中、昭和天皇の「聖断」によって終戦となりました。

当初、終戦の条件となる連合国によるポツダム宣言受諾について、政府は陸軍の主張を入れていくつかの条件をいれる、ということにしていました。

しかし、近衛は、昭和天皇の弟・高松宮宣仁親王と結び、「国体護持(天皇制維持)」だけを条件にすることを宮中と政府に迫りました。こうして日本はほぼ無条件での降伏、となったのです。

近衛と高松宮は東条らを頂点とする陸軍に批判的な態度をとっていました(反東条派には同情的)。このことが、後にひとつの「事件」の背景になっていきます。

明治天皇を目標にした昭和天皇
昭和天皇は、幼いころから聡明さを発揮したといい、それを示すエピソードには事欠きません。このことは、病弱だった大正天皇に対する不安を払拭する大きな材料でした。

昭和天皇は、その目標を、病弱な父ではなく、祖父・明治天皇におくことになります。明治天皇と昭和天皇は、若くして天皇になったという共通点もありました。

つまり、明治天皇は元服も済ませていない15歳で即位。昭和天皇の即位は25歳ですが、父大正天皇の病気によって、20歳で摂政として、実質的に国政の頂点にありました。余計に、明治天皇への思いは深かったことでしょう。

若くして即位し、近代日本を創り上げた明治「大帝」が、昭和天皇の目標であったことはいうまでもありません。

明治天皇になれなかった昭和天皇の運命
しかし、明治天皇と昭和天皇をとりまく環境は、あまりに違っていました。

明治天皇には、初期には大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛・岩倉具視ら強力な政治家が、後期には政府に伊藤博文、軍部に山県有朋が君臨し、それぞれ明治天皇を支えていました。

明治天皇は、彼らに絶大な信任を与えることが、政治の安定と日本の成長につながることを、理解するようになりました。日清・日露の両戦争での勝利は政府と軍部が一丸となって戦った結果でした。

しかし、昭和天皇の周りには、そのようなブレーンはいませんでした。宮中も、政党も、軍部でさえも権力争いにまみれ、最後の元老・西園寺公望はあまりに年老いていました。

この勢力を一気にまとめることのできたのは、近衛文麿だけでした。しかし彼は優柔不断で、軽率なところもあり、そして何よりも、困難になると政権を投げ出すところがありました。昭和天皇は、そんな近衛にあまり信頼がおけなくなったようです。

昭和天皇は常に孤独に決断しなければなりませんでした。木戸幸一(最後の内大臣)のようによく補佐してくれる宮中の人物はいました。しかし、明治天皇においての伊藤・山県のように権力がありしかも大局観のある人物に出会うことは、できなかったのです。

近衛の「昭和天皇退位論」
さて、終戦で東久邇宮稔彦王が首相就任。近衛は副首相格として政権に返り咲きます。

東久邇宮政権は10月に崩壊しますが、近衛は活発でした。このころから、マスコミに「昭和天皇退位の可能性」が取りざたされるようになります。

そして近衛は、記者たちにその可能性を匂わせはじめます。AP通信のラッセル・ブラインズ記者には、「日本の皇室典範には退位の規定がない」と語りました。これは暗に、皇室典範の改正と天皇退位を示唆するものでした。

さらに近衛は「国民投票による天皇制維持」を模索もしていました。彼の構想の中では、当然、そのとき天皇となるべき人物は昭和天皇ではなく、11歳の皇太子明仁親王(現天皇陛下)であり、そして高松宮が摂政になる、という目論見であったのだと思われます。

近衛計画の挫折、そして近衛の死
しかし、GHQはこの動きを当然こころよく思っていません。特に、昭和天皇との会見を果たしてその人物性を見極め(たつもり)、そして昭和天皇の命令で占領政策が滞りなく進むさまをみた、最高司令官マッカーサーは、この動きを封じにかかります。

詳細は今もって不明なところも多いのですが、とにかく、12月、近衛に対する戦犯容疑での逮捕状発令。近衛は、薬物自殺します。

マッカーサーにとって、昭和天皇の存在は占領政策にとって(もちろん、アメリカにとって都合のいい政策ですが)欠かせない存在でした。マッカーサーには、近衛を「抹殺して」でも、昭和天皇を存置しておく必要があったのかもしれません。

しかし、「昭和天皇退位論」は、止まりませんでした。それは、予想もしないところから、火ぶたがあがったのでした。

止まらぬ「昭和天皇退位論」
1946年2月、枢密院(明治憲法下での天皇の最高諮問機関)で、昭和天皇の3人目の弟、三笠宮崇仁親王が、遠まわしに「天皇退位」を求めました。

『芦田均日記』(芦田はのちの首相)によると、そのとき昭和天皇の顔は青ざめ、神経質な態度をあらわにしたといいます。

また、東久邇宮も、前ページで出てきたAP通信のラッセル記者に対し、こちらはわりとストレートに、天皇退位の必然性について語り、そして、「それに多くの皇族が賛成している」と述べているのです。

思わぬ皇族からの「反乱」は、昭和天皇にひとつの決断を迫りました。

マッカーサー草案と昭和天皇
そのころ、天皇の権限をまったくなくした象徴天皇制を規定する新憲法案が、マッカーサーから示されていました。この内容には政党政治家たちも、宮中も、そして天皇も驚き、受け入れに躊躇します。

しかし、相次ぐ「天皇退位論」に、天皇は反応せざるをえませんでした。「象徴天皇制」を受け入れ、マッカーサーが望む自分の皇位続行に、応じることにしたのでした。これが「第2の聖断」と一部で言われているものです。

そして新憲法制定、施行。と、GHQは、「象徴天皇制のため」と、直系宮家を除く11宮家すべての皇籍離脱を勧告。これは、うがったみかたですが「天皇退位論」に対する報復だったのでしょうか。もっとも、先の東久邇宮は自ら皇籍離脱を申し出てはいたのですが。

※拙稿「旧皇族の成り立ちと現在」もご参照ください。

「三笠宮発言」と高松宮
さて、なぜ三笠宮は唐突に昭和天皇退位論を述べたのでしょう。詳細はわかりません。

しかし、三笠宮の兄で、昭和天皇の弟、高松宮の動きが影響していないとは、いえないでしょう。

高松宮は先にも述べたとおり「天皇退位論者」近衛との結びつきが強かった人でした。すでに終戦前、近衛とたびたび会い、「退位した際、高松宮が摂政につく」ことを、話し合っていたとも言われます。

そして終戦前から、このことが原因で天皇と高松宮の間には次第に大きな対立が生まれてきたようです。

それが、三笠宮発言にどのような影響を及ぼしたかはわかりません。しかし、宮中で孤独な昭和天皇と、割と自由に動きがとれる高松宮、三笠宮がどのように結んでいたか、想像できないことはありません。

ちなみに、1975年2月号の『文藝春秋』に、高松宮のインタビューが掲載、自らを「和平派」と語る高松宮の記事に昭和天皇は激怒したといいます。また、高松宮が「昭和天皇は戦争をとめることができた」という発言があったということも(高松宮の死後発覚)、問題になりました。

退位できなかった昭和天皇
しかしながら、昭和天皇は退位しようとまったく考えなかったわけではありません。むしろ、積極的に考え、その意向を示していた時期もありました。

敗戦直後、昭和天皇は退位を木戸内大臣にもらしています。木戸幸一日記の8月29日の項から一部引用します。

戦争責任者を連合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳には行かないだろうかとの思し召しあり。聖慮の宏大なる誠に難有極みなるも、……その結果民主的国家組織(共和制)等の論を呼起すの虞(おそ)れもあり、是は充分慎重に相手方の出方も見て御考究遊るゝ要あるべしと奉答す。

その後、東京裁判終結時、そして占領終結時の2回、天皇は退位の意向を漏らしたといいます。しかし、ワシントンの意向で、それは実現しませんでした。昭和天皇の退位は、東京裁判の正当性を揺るがしかねない問題だったからです。

昭和天皇のその後
その後の昭和天皇の仕事は、「象徴天皇」としての天皇像を国の内外にアピールすることでした。そのため、積極的に日本だけでなく、海外にも訪問しました。

1975年、昭和天皇はアメリカを訪問、ディズニーランドでミッキーマウスとなかよく写真を撮っています。人々は「昭和天皇は無害で平和愛好者であり、戦争責任などない」というワシントンが創り上げた「神話」を「再確認」するものだった、のかもしれません。

「カゴの鳥だった私にとって、あの旅行(筆者注:皇太子時代のヨーロッパ訪問)ははじめて自由な生活ということを体験したものだった。あの体験は、その後の私に非常に役立っていると思う」

敗戦直後、昭和天皇はこのようなことを記者に話していますが、言ってみれば、あの旅行以外はすべて「カゴの鳥」だったのでしょう。そしてそれは戦後も続くことになります。

そして1989年、昭和天皇崩御。87年、激動の生涯だったことはだれも否定できません

2006年9月24日日曜日

【皇室問題】 昭和天皇(富田メモ)

「富田メモ」 A級戦犯靖国合祀と「天皇の心」 


 
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが、
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない、それが私の心だ(原文のまま)

「A級戦犯靖国合祀 昭和天皇が不快感」「参拝中止『それが私の心だ』」――日本経済新聞7月20日朝刊は富田朝彦・元宮内庁長官(故人)の1988年4月28日付メモをスクープした。

 富田氏は、晩年の昭和天皇の言葉を最も身近で耳にしていた側近中の側近。信憑性の高い資料と即断できないにしても、「メモ」を慎重に精査して歴史的位置づけを考えることこそ緊要なのに、メモの真贋をめぐって憶測・中傷とおぼしき暴論が乱れ飛んでいる現状が気懸かりである。

 歴史学者それぞれの見解を各紙は報じているが、日経スクープの「富田メモ」と「日記」を事前に読み込んでいた学究二人の分析を紹介したうえで、関連する諸問題を考えたい。

 昭和史研究者の秦郁彦氏は「第一級の歴史資料であることはすぐに分かったが、この時期に公開することによる波及効果の大きさを思いやった」と前置きして、「論議の的となっている富田メモの靖国部分の全文についてだが、97年に故徳川義寛侍従長の『侍従長の遺言 昭和天皇との五十年』が刊行されて以来、他の関連証言もあって、天皇不参拝の理由がA級戦犯の合祀にあったことは、研究者の間では定説になっていた。

したがって、私は富田メモを読んでも格別の驚きはなく、『やはりそうだったか』との思いを深めると同時に『それが私の心だ』という昭和天皇発言の重みと言外に込められた哀切の情に打たれた」と、毎日7・28朝刊(『論点』)で指摘している。

 日経7・23朝刊は「富田メモ――意義と今後の検証」と題して半藤一利氏(作家)と御厨貴氏(東大教授)の対談を特集しているが、半藤氏は「松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使を合祀対象から除けば構わなかったのか」との問に、「A級戦犯全体だと思う。

合祀されたこと自体が天皇には不快だったととるべき」と語っている。そして半藤氏は「初めてメモを見せられたとき、感動したというとおかしいが、へーと思ったのが(メモの日付の)1988年。翌89年に亡くなる最後のぎりぎりのところまで戦争責任というか、戦争犠牲者に対する思いがずっと続いていたのかと。あの時代はほとんどの人が忘れていた。そのときに昭和天皇は一番に考えていた。要するに靖国問題の裏側にあるのは、戦争犠牲者に対する慰霊の思い。それが第一。第二に参拝しなくなったのはA級戦犯と合祀のためと思っていたのでやっぱり、と思った。富田メモを直接見て、『私の心だ』という部分に目がくぎ付けになった」と語っていた。

 真っ先に「メモ」を見た二人はともに昭和史に造詣の深い方だけに、視点の確かさを感じる。

 A級戦犯合祀発言をメモした日付は1988年4月28日。翌29日が87歳の天皇誕生日で、同日朝刊各紙に記者会見が掲載された。昭和天皇は約7カ月後の89年1月7日に崩御されており、この会見(88・4・25)が最後となった。

 この時の会見で「陛下が即位(昭和3年11月に即位式)されてから60年目に当たります。この間一番大きな出来事は先の大戦だったと思います。改めて大戦についてのお考えを」との質問に対し、昭和天皇は「なんと言っても大戦のことが一番いやな思い出であります。戦後国民があい協力して平和のために努めてくれたことを嬉しく思っています。今後も国民がそのことを忘れずに平和を守ってくれることを期待しています」と答えている。

 次いで「日本が戦争への道を進んでしまった最大の原因は何だったとお考えでしょうか」との質問には、「そのことは、人の、人物の批判とかそういうものが加わりますから、今、ここで述べることは避けたいと思っています」と答えただけだった。

 毎日、朝日の社会面を読むと、昭和天皇が先の大戦の話に触れた際、「昭和天皇の左目に光るものが見えた」と記していた。

 この会見が25日で、富田長官に昭和天皇が〝本音〟を語ったのが28日だったことからみて、昭和天皇が記者会見で語れなかった〝胸のつかえ〟を富田長官に漏らしたと、推察できる。

 「国家の命令で出征し、命を落とした兵士たちの慰霊に、戦争を命じた指導者を交ぜてしまったら、天皇が痛感する戦争への反省も、日本の再出発もうやむやになる。そんな所に参拝はできない。そう考えたのならわかりやすい。許せなかったのはA級戦犯というよりも、その合祀だった」(朝日7・31朝刊『風孝計』)という指摘は、「富田メモ」の真意を素直に汲み取っていると思う。

▽戦犯合祀を独断専行した松平永芳宮司

 本稿を書くに当たって、多くの資料に目を通したが、靖国・戦犯合祀問題をこじらせた最大の原因は、A級戦犯14人の合祀を独断専行した松平永芳・元宮司(故人)にあったと考えられる。

 この点につき保坂正康氏(作家)は、松平氏が退職後に講演した内容に関する記述で、「私が宮司に就任したのは昭和53年7月で、10月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でしたが、『まだ間にあうか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱をお入れしたわけです(「誰が御霊を汚したのか 『靖国』奉仕十四年の無念」平成4年12月号)」という発言を示し、戦犯合祀を確信的に実行した松平氏の行為を明らかにしている=月刊現代06・9号。

 疑う余地のない事実と言えるわけで、前任宮司(筑波藤麿氏)が抑えていた〝戦犯合祀〟を、松平氏は就任早々、〝もぐり込ませる形〟で強行したのだ。この暴挙を後で聞かされた昭和天皇が不快感どころではない〝怒り〟を持たれたことは想像に難くない。これらの史実に基づいて「富田メモ」を解読すれば、その資料価値の高いことが分かる。

 冷静に受け止めるべき「富田メモ」なのに、この報道が流れるや、「分祀派」の主張が声高になり、逆に「靖国擁護派」は〝陰謀〟〝ねつ造〟と応酬、常軌を逸した非難合戦になってしまった。

 「日中正常化を切望する財界関係者の策略」との噂まで流れたことには驚く。ポスト小泉の本命、安倍晋三官房長官の著書「美しい国へ」の発売日に特ダネをぶつけた〝陰謀説〟もデマ情報だった。さらに「安倍長官が四月に靖国参拝をしていた」との情報が官邸筋からリークされたのも奇々怪々。また、麻生太郎外相が「靖国神社は宗教法人格を自主的に返上し、財団法人などに移行。最終的には特殊法人『国立追悼施設靖国社』(仮称)とする」との私案を発表するなど、自民党総裁選がらみの様相を濃くしてきた。

 「富田メモを政治利用するな」「政教分離原則を守れ」と建前を主張するものの、自分たちの都合のいいように〝政治利用〟しているのが実態ではないか。

 「プレスウオッチ」の埒外ではあるが、週刊新潮8・10号の「富田メモは『世紀の大誤報』か」と題する一方的、センセーショナルな特集に週刊誌ジャーナリズムの荒廃を感じたことを書きとどめておきたい。明確な論証を示さないで「ここへ来て侍従長だった徳川義寛氏の発言だったとの見方が噴出している」との記述は、富田メモ全否定の文脈である。

 特に中西輝政・京大教授が同誌で「このメモは報道のタイミングからいっても政治利用されていることは明らかです。つまり政治性の強いこのメモの検証過程を明らかにしないなら、日経新聞の大誤報というより、意図的誤報という可能性さえ出てくるのではないでしょうか」との断定的決め付けは、学者とは思えぬ〝政治的暴言〟ではないだろうか。

 「このメモで過剰に騒ぐべきではない。天皇の発言がどうであれ、首相の靖国参拝は政教分離にも反するし、個人の意図とは別として、結果的に侵略戦争を美化するということを示してしまう。国民は首相参拝を認めるべきではない」という小森陽一・東大教授の警告(東京8・4『こちら特報部』)を胸にたたみ、「富田メモ」が投げかけた問題点の徹底検証と分析こそ急務である。

2006年9月1日金曜日

【小泉政権】 失われた5年

確信はないが、植草一秀氏の記事だと思われる。

「失われた5年-小泉政権・負の総決算(1)」

 2月20日、私は民主党前衆議院議員小泉俊明氏(http://www.koizumi.gr.jp/)のセミナーに出席して講演した。演題は「失われた5年-小泉政権・負の総決算」だった。小泉政権が発足したのが2001年4月26日、まもなく丸5年の時間が経過する。この5年を厳正に再評価しなければならない。

 この『直言』で詳細に検証してゆきたいが、まずは概観しておくことにしよう。小泉政権が掲げた「改革」政策の正体は依然としてはっきりしない。何をやるのかと聞かれて、「改革をやる」との回答以外に具体的な話を聞いたことがない。「改革」という日本語の「イメージ」がプラスのイメージだから、「何か良いことをするに違いない」との印象が生じてきただけに過ぎない。

 経済政策で小泉政権が推進したのは「緊縮財政」と「企業の破たん推進」だった。「国債は絶対に30兆円以上発行しない」、「退出すべき企業は市場から退出させる」方針が「改革」政策の経済政策面での具体的内容であったと思われる。

小泉政権が「改革」政策の表看板を掲げると同時に株価は暴落を始めた。小泉首相が所信表明演説を行った2001年5月7日を起点に株価が暴落していった。日経平均株価は1万4529円だった。ついに9月12日、日経平均株価は1万円を割り込んだ。だが、小泉政権は「テロがあり、株価が暴落した」と責任をテロに転嫁した。だが、現実にはテロの前に株価は暴落していた。

 年末にかけてマイカル、青木建設の破たんが相次いだ。そして、嵐はダイエーに波及しかけた。ここで政策は一変した。政府は金融機関に働きかけ、4000億円を超える支援策をまとめたのだ。「退出しそうな企業は救済」に、政策スタンスは大転換した。さらに政府は、5兆円規模の補正予算を編成し、国債発行額は実体上33兆円に達した。「国債は絶対に30兆円以上出さない」公約はあっさり破棄された。

 2002年、株価が1万2000円近辺に回復すると、政策は元に戻った。竹中氏は2002年7月のNHK日曜討論で、筆者の「補正予算が必ず必要になる」の発言に対し、「補正予算など愚の骨頂」と発言した。9月に内閣改造があり、竹中氏は金融相を兼務。銀行についても、「退出すべきは退出」を強調していった。

 2003年4月、日経平均株価は7,607円に暴落。日本経済は金融恐慌に半歩足を踏み入れた。りそな銀行を「破たん処理」していれば、間違いなく金融恐慌に突入していた。土壇場で小泉政権は、「改革」政策を完全放棄した。預金保険法102条第1項1号措置という、法の抜け穴を活用し、「退出しそうな銀行を税金で救済」することを決定したのだ。

 税金で銀行が救済されるなら恐慌は起こりようがない。恐慌を織り込みつつあった株価は猛反発する。外資系ファンドが情報を最も早く入手したと見られる。外資系ファンドが莫大な利益を得た。株価が上昇したところに、米国経済拡大、中国経済拡大、国内のデジタル家電ブームが重なり、景気が回復基調に乗った。2003年なかば以降の景気回復は、小泉政権の政策の成果ではない。小泉政権が「改革」政策を全面放棄した結果生じたものである。

 2002年度、小泉政権は竹中氏が「愚の骨頂」と発言した5兆円補正予算を編成した。小泉政権の「改革」政策の破たんは明白である。民主党は自民党の政策失敗を的確に追及しなければならない。2003年、小泉政権の「改革」政策全面放棄を容認する際に、内閣総辞職を求めるべきであった。的確な追及をしていれば、小泉政権はこの時点で終焉していたはずだ。だが、民主党の追及はまったく見当違いの方向に向かった。

 2006年、「ホリエモン」、「耐震偽装」、「BSE」、「防衛施設庁汚職」で小泉政権の弱体化に拍車がかかり始めた。この局面で、民主党がメール問題でもたついていたのではお話にならない。前原代表は国民的見地に立った戦略的対応を示すべきである。この問題に早期に決着を付け、2007年参院選に向けての体制を整えることを重視すれば、前原氏が代表の座を辞し、挙党一致で臨める新代表を選出することが望ましい。地位への執着は、公益よりも私益優先の表れと受け取られてしまうだろう。民主党の迷走がこの国の状況を一段と救いがたいものにしてしまうことを重視すべきである。

失われた5年-小泉政権・負の総決算(2)」

 4月26日、小泉政権は政権発足から5年の時間を経過した。佐藤内閣、吉田内閣に次いで歴代第3位の長期政権になった。政権が長期化した最大の要因は内閣支持率が高かったことだ。政権発足時に多くの国民は「何かが変わるかも知れない」との素朴な期待を持った。政権発足時の内閣支持率は記録的に高かった。

 筆者は小泉政権が発足する1年ほど前に、小泉氏と中川秀直氏に対して1時間半ほどのレクチャーをしたことがあった。経済政策運営についての説明をするための会合だった。筆者と小泉氏、中川氏のほかには会合を企画した大手新聞社幹部の2名だけが出席した、5名限りのミーティングだった。

 筆者は均衡のとれた安定的な経済成長路線を確保することが当面の最大の政策課題であり、財政収支改善は中期的に取り組むべきであることを主張した。しかし、小泉氏は筆者の説明の途中に割って入り、自説をとうとうと述べて筆者の説明をさえぎった。結局、1時間半の会合であったが、筆者は説明を完遂することを断念した。

 小泉氏が主張した政策手法は「緊縮財政運営こそすべてに優先されるべき」とのものであった。当時の日本経済の水面下には巨大な不良債権問題が横たわっていた。この現実を重視せずに、緊縮財政路線を突き進めば、経済悪化、株価急落、金融不安増大、税収減少、財政赤字拡大の「魔の悪循環」のスパイラルに呑み込まれることは目に見えていた。

 筆者は、近い将来に小泉氏が首相に就任することがあれば、日本経済は最悪の事態を迎えることになるだろうことを確信した。筆者は小泉政権が発足した2001年4月の時点から警鐘を鳴らし続けた。小泉首相は5月7日に所信表明演説を行った。日経平均株価は3月中旬以降上昇していた。株価上昇は当時自民党政調会長であった亀井静香氏が中心になってまとめた『緊急経済対策』決定を背景としたものだった。

 5月7日の所信表明演説を境に小泉首相は『緊急経済対策』の実行に反対する姿勢を強めていった。『緊急経済対策』では株式買取機構の創設が提言されたが、小泉首相は否定的な考えを明らかにした。日経平均株価は5月7日を境に暴落していった。政権発足からちょうど2年後の2003年4月28日に、日経平均株価が7607円のバブル崩壊後最安値を記録するまで、株価は一貫して暴落していったのである。

 2001年春に小泉政権が発足した際、多くの権力迎合エコノミストたちは「改革期待で株価は上昇する」と予測していた。だが、筆者はそう考えなかった。1年前に確認した小泉首相の政策スタンスが現実に実行されてゆくなら、日本経済は非常に危険な、最悪の場合、金融恐慌に突入するほどの悪化を示してゆくに違いないことを想定し、政権発足当初から小泉政権の政策スタンスに対する反対論を唱え続けた。

 小泉政権が発足する直前の3月中旬、筆者は小沢一郎氏が主宰する自由党幹部の朝食勉強会に講師として出席した。当『直言』で健筆を振るわれている平野貞夫氏も毎回出席されていた研究会だった。研究会には筆者も参加していたが、ほかに竹中平蔵氏も出席していた。

 その日の研究会のテーマは1年前の小泉氏との研究会と同一だった。日本経済を立て直すにはどのような政策手法が望ましいのかというものだった。筆者は経済、財政、金融の三重苦に直面している日本経済を立て直すには、経済の健全な回復誘導を優先することが必要であることを丁寧に説明した。

 米国経済は1990年から1992年にかけて、同様の三重苦の状況に直面した。米国政策当局は1992年なかばに、「経済回復優先」の政策スタンスを鮮明に提示した。FRBが市場の想定を超える大胆な金利引下げ策を実行し、これを契機にまず株価が上昇し、後追いする形で経済の改善軌道が実現していった。

 米国財政赤字は1992年をピークに改善を示していったが、1995年までの財政収支改善は景気回復による部分が赤字縮小の7割を占めた。1995年から1998年にかけての財政収支改善は構造改革による部分が7割となった。つまり、まず経済改善を優先し、景気に不安がなくなった時点で財政構造に大胆にメスを入れたのだ。
 米国の不良債権問題も深刻だったが、株価上昇、経済改善が始動して初めて不良債権問題は縮小に転じていった。米国経済は、経済、財政、金融の三重苦を「経済改善優先の政策スタンス」を明確に掲げることによって克服していったのである。

 筆者はこのことを丁寧に説明した。多くの出席者は筆者の見解にうなずいていた。藤井裕久氏は、その後のテレビ討論などで米国財政収支改善のメカニズムについて説明する際、常に筆者が示した数値をもとに説明されていた。

 このなかで、筆者の見解に真正面から異を唱えたのが竹中氏だった。竹中氏は不良債権そのものを直接処理してゆかなければ景気回復は生じないと主張した。筆者は、不良債権の処理が企業の破たん処理推進を意味するならば、その政策手法は危険極まりないものであると反論した。論争が生じるのは健全なことである。論争のなかから見解の相違を生み出している要素を発見し、その部分に綿密な検討を加えることにより、より正しいと考えられる政策手法が生み出される可能性があるからだ。

 この研究会の前夜と当日にテレビ東京が「ワールドビジネスサテライト」で緊急特集を放映した。研究会の前夜は自民党の亀井静香氏などが出演した。コメンテーターは本来、竹中氏であったが亀井氏の要請もあり、筆者が出演した。研究会当日の夜は自民党の石原伸晃氏、塩崎恭久氏、河野太郎氏が出演したと記憶している。コメンテーターでは筆者との入れ替わりで竹中氏が出演した。

 番組の冒頭、竹中氏が口火を切った。「不良債権問題と経済悪化の問題が存在するが、世の中には経済改善を優先しなければ不良債権問題の解決は難しいと主張する見解を唱える者がいるが、この考え方は完全に間違いであるということを確認するところから今日の討論を始めたい」。

 竹中氏は何を考えたのであろうか。筆者の主張と自論のいずれが正しいのかを、現実の日本経済を実験素材として確認する、「決闘」の申し入れをしたつもりだったのだろうか。筆者はたまたまこの番組を見ていたのだが、竹中氏の冒頭の発言にはいささか驚愕した。

 2001年から2003年までの日本経済の軌跡を丹念に追跡するなら、竹中氏の主張が間違っていたことは明白である。「退出すべき企業は市場から退出させる」。これが、金融問題処理優先政策の基本テーゼである。退出させる企業には「大銀行」も含むとされたために、株式市場はパニックに陥った。2003年春、日本経済は金融恐慌に半歩足を踏み入れた。小泉政権の命運は尽きかけた。

 この究極の局面で小泉政権は、政策路線を全面放棄した。「退出すべきを退出」ではなく、「退出しそうな銀行を税金で救済」に政策スタンスを文字通り180度転じた。小泉・竹中経済政策の完全敗北の瞬間だった。
 
 ぎりぎりの局面での政策路線放棄の前例は2001年末にすでに存在した。小泉政権の政策により株価は暴落し、大手企業の破たんが相次いだ。マイカルが破たんし、青木建設が破たんした。小泉首相が青木建設破たんのニュースに対して歓迎のメッセージを発表して市場はパニックに陥った。市場の関心はダイエーに集中した。小泉政権はこの局面で、突如、ダイエー救済に転じたのだ。

 2002年半ば以降、小泉政権は再び「近視眼的緊縮財政路線」に政策スタンスを戻した。その結果、株価は順当に再暴落を始動させた。経済深刻化に伴い、支持率も急落し始めたが、そこに突然、9月17日の北朝鮮訪問が実施されたのである。国民の関心は経済・金融から拉致問題に一気にシフトした。小泉政権は支持率を見事に回復したのである。

 2003年以降の日本経済改善は、小泉政権が政策スタンスを全面転換したことによって生じたものである。経済は最悪の状況に落ち込んだために、改善傾向を持続した。だが、もともと見る必要のない悪夢だった。小泉政権が日本経済を撃墜したためにどれだけの人々が犠牲になっただろうか。失業、倒産、自殺の惨禍は戦後日本経済のなかで最悪のものだった。

 この現実をしっかりと踏まえた小泉政権の総括が行われなければならない。

「失われた5年-小泉政権・負の総決算(3)-」

 2003年4月28日、日経平均株価は7607円で引けた。バブル崩壊後の最安値を記録した。日本経済は金融恐慌に半歩足を踏み入れていた。転換点は5月17日だった。土曜日の朝刊に「りそな銀行救済」のニュースが報道された。この日、私は毎週土曜朝8時から生放送されていた読売テレビ番組「ウェークアップ」に出演した。

 りそな銀行に対して公的資金が投入される対応が報じられたことについて、私は「りそな銀行の財務状況によっては、破綻処理になる。破綻となれば株式市場では株価が大きく下落することになる。政府は救済と言っているが、これまでの政策方針と整合性を持たない。これまでの政策方針が維持されるなら破綻処理が取られるわけで、予断を許さない」とコメントした。

 番組中に金融庁から電話が入った。りそな銀行は政府が責任をもって救済するので、破綻させない。このことを番組ではっきりと言明してもらいたい、との要請があったとのことだ。司会をしていた落語家の文珍氏が、番組最後で補足説明した。「金融庁の説明ではりそな銀行は破綻させずに間違いなく救済するので、冷静な対応を求めたい」

 あの時点での対応としては、救済しかなかった。「救済」でない対応は「金融恐慌」の選択を意味したからだ。自己責任原則を貫いて金融恐慌を甘受するか、金融恐慌を回避するために自己責任原則を犠牲にするか。政府は「究極の選択」を迫られたのである。問題は「究極の選択」を迫られる状況にまで日本経済を追い込んでしまったことにある。この状況にいたれば、「自己責任原則」を放棄して銀行救済を実行せざるを得ない。

 「責任ある当事者には適正な責任を求める」。これが「改革」方針であったはずだ。この部分については私も完全に同じ考えを持っていた。異なったのは、これと組み合わせるマクロ経済政策にあった。「自己責任原則」を貫き、責任ある当事者に適正な責任を求めるにはマクロ経済の安定化が不可欠である。

 適切なマクロ経済政策運営により経済全体の安定を確保しつつ、個別の金融問題処理については「自己責任原則」を貫徹させる。これが問題処理に関する私の一貫した主張だった。鍋を冷やしてそのなかに手を入れて介入するのでなく、鍋の中に手を入れて自己責任原則をないがしろにすること避けるために鍋全体を温めてやるべきと主張したのだ。

 小泉政権は政権の延命のために結局、「自己責任原則放棄」を選択した。「退出すべき企業は退出」の「改革」方針を貫けば、金融恐慌が発生する。その場合、小泉政権は崩壊を免れなかった。超緊縮財政が景気悪化、資産価格暴落を引き起こし、株式市場全体が崩落の危機に直面し、結局、最終局面で「自己責任原則放棄」の選択をせざるを得なくなったのである。

 「金融危機対応」の名分の下に、りそな銀行を公的資金で救済する。小泉政権の「改革」政策の完全放棄だが、説明を偽装して乗り切ることが画策された。活用されたのは預金保険法102条だ。1項に金融危機対応の規定がある。預金保険法には「抜け穴規定」が用意されていた。

 第3号措置は金融機関の自己資本がマイナスに陥った場合に適用される措置で、破綻処理である。株価がゼロになることで株主責任が厳しく問われる措置だ。これに対して、第1号措置は金融機関の自己資本が規制を満たしてはいないがプラスを維持する場合に適用される。金融機関に公的資金が注入されて金融機関は救済される。この第1号措置こそ「抜け穴規定」だった。

 小泉政権は、政権発足以来、緊縮財政と企業の破綻処理推進を経済政策の二本柱として位置づけていた。景気の急激な悪化、株価、地価の暴落、企業の破綻が進行した。戦後最悪の企業倒産、失業、自殺が発生した。金融市場は金融恐慌を真剣に心配した。小泉政権が最後までこの政策方針を貫いたなら日本経済は金融恐慌に陥っていたはずである。

 ところが最後の最後で小泉政権は方針を全面転換した。大銀行は公的資金で救済されることになった。大銀行の破綻が公的資金投入で回避されるなら、金融恐慌は発生しない。株価は金融恐慌のリスクを織り込む形で暴落していたが、金融恐慌のリスクが消失するなら、その分は急反発する。

 不良債権問題は日本だけでなく、多くの国が苦闘してきた課題だった。不良債権問題処理の難しさは、相反する二つの要請を同時に満たすことを求められる点にある。自己責任原則の貫徹と金融システムの安定性確保の二つを同時に満たさねばならない。問題のある当事者を救済してしまえば、金融システムの安定は確保できる。しかし、「モラル・ハザード」と呼ばれる問題を生んでしまう。

 バブルが発生する局面で、バブルの最終処理がどうであったかは決定的に重要な影響を与える。「リスクを追求する行動が最終的に失敗するときに救済される」と予想するなら、リスクを追求する行動は助長される。逆に、「最終的に失敗の責任は厳格に当事者に帰着される」との教訓が強く染み渡れば、安易なリスクテイクの行動は抑制される。

 中長期の視点で、自己責任原則を貫徹させることは極めて重要なのだ。破綻の危機に直面した当事者を安易に救済すべきでないのは、このような理由による。自己責任原則を貫徹させず、金融システムの安定性確保だけを政策目的とするなら、不良債権問題処理にはまったく困難を伴わない。ただ金融危機には公的資金による銀行救済を実行することを宣言しておけばよい。誰にでもできる。

 小泉政権は最後の最後で、金融問題処理で最も重要な根本原則のひとつである「自己責任原則」を放棄した。これは小泉政権が採用した政策の必然的な帰結だった。この帰結が明白であったからこそ、私は緊縮財政と破綻処理推進の政策組み合わせに強く反対したのである。

 この対応を用いるのなら、日本経済を破滅的に悪化させる必要もなかった。金融危機には公的資金で銀行を守る方針を、当初から示しておけばよかった。私は不良債権問題処理にあたっては、「モラル・ハザード」を引き起こさぬために、個別処理は既存のルールに則った運営を進めるべきと主張した。金融システムの安定性確保は、マクロの経済政策を活用した経済の安定化によるべきだと述べてきた。

 金融恐慌への突入もありうるとする政策スタンスを原因として、景気悪化、株価暴落、企業倒産、失業、自殺の多大な犠牲が広がった。多数の国民が犠牲になったが、その責任の大半は彼ら自身にはない。経済悪化、資産価格暴落誘導の政府の政策が事態悪化の主因である。膨大な国民が政府の誤った経済政策の犠牲者になっていった。

 多くの中小零細企業、個人が犠牲になった。一方で、最後の最後に大銀行が救済された。見落とせないのは、資産価格が暴落し、金融恐慌を恐れて資産の買い入れに向かう国内勢力が消滅したときに、ひたすら資産取得に向かった勢力が存在したことだ。外資系ファンドである。彼らが独自の判断で日本の実物資産取得に向かったのだったら、彼らの慧眼は賞賛されるべきだろう。だが、実情は違う。彼らは日本の政権と連携していた可能性が非常に高いのである。

 日本の不良債権問題処理の闇に光を当てるときに、どうしても避けて通れない論点が3つ存在する。金融行政と外国資本との連携、りそな銀行が標的とされた理由、りそな銀行処理に際しての繰延税金資産の取扱いの3つである。次回はこの3点に焦点を当てる。

「失われた5年-小泉政権・負の総決算(5)」

 2003年5月17日にりそな銀行実質国有化方針が示された。小泉政権の政策方針が180度切り替わった瞬間である。「大銀行といえども破綻させないというわけではない」との米国ニューヨークタイムズ誌への竹中平蔵金融相のコメントが株価暴落を推進していた。小泉政権は「退出すべき企業を市場から退出させる」ことを経済政策運営の基礎にすえた。同時に「絶対に国債は30兆円以上発行しない」の言葉の下に超緊縮の財政政策運営を推進した。

 私は小泉政権がこの方針で政策を運営していくならば、日本経済は最悪の状況に陥ると確信していた。小泉政権が発足した時点からこの見解を示し続けた。小泉純一郎首相も竹中氏も私の存在と発言を非常にうとましく思っていたようである。私が所属する会社や私が出演していたテレビ局にさまざまな圧力がかけられた。それでも私は信念を曲げるわけにはいかないと考えて発言を続けた。

 2003年の春、来るべきものが到来した。大銀行破綻が現実の問題として浮上したのだ。大銀行破綻を容認するなら、日本経済は間違いなく金融恐慌に突入したはずだ。企業は連鎖倒産の嵐に巻き込まれただろう。金融恐慌が発生しなければ生き残れても、金融恐慌が発生するなら破たんしてしまうと考えられる企業が多数存在した。こうした企業の株主は、株価が売り込まれすぎていることを百も承知の上で、その企業の株式を投げ売りせざるを得なかった。その結果として日経平均株価7607円が記録されたのである。

ところが、金融法制には巧妙な抜け穴が用意されていた。預金保険法102条第1項第1号措置である。金融危機を宣言しながら、金融機関を破綻させずに金融機関に破綻前資本注入を実施できる規定である。最終的に鍵を握ったのが「繰り延べ税金資産」と呼ばれる会計費目であった。

 竹中氏と近く、この問題に造詣が深いといわれた木村剛氏は、5月14日付のインターネット上のコラムで、明らかにりそな銀行と読み取れる銀行の繰り延べ税金資産計上問題について、「1年を上回る計上は絶対に認められない。1年以上の計上を認める監査法人があるとすれば、その監査法人を破綻させるべきだ」と述べていた。ちなみにこのコラムのタイトルは「破たんする監査法人はどこか」であった。

 5月17日の政府案では、繰り延べ税金資産の計上が3年認められた。5年計上であれば、りそな銀行は自己資本比率規制をクリアしていた。1年計上の場合は自己資本比率がマイナスとなり、りそな銀行は破綻処理されなければならなかった。3年計上となると、ちょうど中間値で金融危機認定されるが、破綻とならない。
 法の抜け穴を活用するために人為的に決定された数値である可能性が濃厚である。木村氏が主張していた0年または1年計上では、りそな銀行は破綻だった。日本経済は間違いなく金融恐慌に突入したと考えられる。そうなれば、小泉政権は完全に消滅していたはずだ。

 りそな銀行の繰り延べ税金資産計上が3年認められたことについて、竹中金融相は「決定は監査法人の判断によるもので、政府といえども介入できない」ことを繰り返し訴えていたが、このような局面で監査法人が政府、当局とまったく連絡を取らずに独断で決定を下すことは考えられない。当時の監査法人関係者から細かな経緯を聞きだす必要もあるだろう。

 当時の公認会計士協会会長は奥山章雄氏だった。彼は竹中金融相と密に連絡を取っていたと考えられる。日本公認会計士協会、新日本監査法人、朝日監査法人、繰り延べ税金資産、りそな銀行、金融庁、竹中金融相、木村剛氏を結びつける「点と線」を綿密に洗い直して、真相を明らかにする必要がある。前回も指摘したが、木村剛氏は最終処理が繰り延べ税金資産3年計上であったにもかかわらず、最終処理案をまったく批判しなかった。その真意も明らかにされるべきだろう。

 政策責任者が「大銀行も破綻させるかもしれない」と発言すれば、株価は暴落する。だが、最終決定権を有する責任者が、銀行救済を決定すれば当然のことながら株価は猛反発する。大銀行破綻をちらつかせて株価を暴落させて、最後の局面で法の抜け穴を活用して銀行救済を実行する。銀行救済後には株価が猛反発する。このようなシナリオが練られていたとしても不思議ではない。

 2002年9月30日の内閣改造で竹中経財相が金融相を兼務することになった。この人事を強く要請したのは米国であるとの見解をとる政治専門家が多い。真偽は確認できないが、この竹中氏が10月初旬に米国ニューヨークタイムズ誌のインタビューで先述したように「大銀行が大きすぎてつぶせないとは考えない」とコメントしたのである。

 竹中氏は米国政策当局と密にコンタクトをとりつつ、日本の金融問題処理に対応していったと考えられるが、そのなかで先述したようなシナリオが描かれた可能性が高い。「大銀行も破綻」と言っておきながら最後は大銀行を税金で救済する。株価は猛反発に転じる。この経緯は容易に想定できる。

 この政策の最大の問題は、金融処理における「モラルハザード」を引き起こすことである。小泉政権は現実に最悪の不良債権問題処理の歴史を作ってしまった。

 前回述べたように、上述したストーリーが現実に展開されたとなると、国家ぐるみの「風説の流布」、「株価操縦」、「インサイダー取引」の疑いが生じてくるのだ。徹底的な再検証が必要である。

 もうひとつ忘れてならないエピソードがある。それは、竹中氏が2003年2月7日の閣議後の閣僚懇談会、および記者会見で株価指数連動型投信について、「絶対儲かる」、「私も買う」と発言したことだ。この発言の裏側で、りそな処理が動いてゆく。日本公認会計士協会は繰り延べ税金資産計上に関するガイドラインを定めていった。そして5月にりそな銀行「実質国有化」案が報じられ、結局、法の抜け穴規定を活用した銀行救済が実行され、株価が反発していったのだ。竹中氏の「絶対儲かる」発言とその後の金融処理策との関係も解明される必要があるだろう。

 小泉政権の経済政策は完全失敗に終わった。2003年5月、日本経済は危うく金融恐慌に突入するところだった。最悪の事態を回避できたのは、不良債権問題処理における第一の鉄則である「自己責任原則の貫徹」を放棄し、税金による銀行救済を実行したからにほかならない。

 そして、「国債を絶対に30兆円以上出さない」公約は、2001年度、2002年度のいずれも、実質5兆円補正予算編成というかたちで挫折した。2001年度は国債発行30兆円の公約を見かけの上だけ守った形にするために、国債整理基金からの繰り入れという一種の粉飾処理が施されたが、実質的には国債が5兆円増発されたことと同じ補正予算が編成された。最近話題になる「粉飾」の元祖がここにあったと言っても過言ではない。小泉政権が当初示した経済政策運営の路線は完全に失敗に終わったのである。

 それでは、他の改革はどうだったか。「道路公団」、「国と地方の関係にかかわる三位一体の改革」、「郵政民営化」の3つが小泉政権の目玉商品だろう。道路公団の形は変わるが、実態はほとんど変わらない。民営化されれば、国民の監視の目は著しく届きにくくなる。国と地方のお金のやり取りは少し変わるが、中央がすべてにおいて決定権を有し、地方が中央の下請けである現在の関係はまったく変わっていない。

 郵政民営化は米国の要求どおりに新しい仕組みが決められた。改悪になる可能性が大きい。中山間地の特定郵便局はいずれ消滅することになるだろう。銀行界にとっては邪魔者が消えたわけで歓迎であろうが、国民に利益と幸福をもたらす保証はどこにもない。
 小泉政権の時代に着実に進展したことがひとつある。それが「弱者切り捨て」だ。障害者自立支援法は、聞こえはよいが内容は障害者支援削減法である。高齢者の医療費自己負担額が激増している。今後、生活保護も圧縮される方針が伝えられている。義務教育の経費削減も強行されようとしている。

 一方で、小泉政権はとうとう最後まで「天下り」を死守した。私は小泉政権が発足した時点から、この問題を最重要問題だと位置づけてきた。「改革」は必要だし「痛み」も必要ならば耐えなければならないだろう。だが、小泉政権が本当に改革を進めようというなら、「隗より始めよ」ならぬ「官より始めよ」で、「天下り廃止」を示すべきである。小泉政権が「天下り廃止」を本格的に推進するなら、私は小泉改革を全面的に支援すると言い続けてきた。

 だが、結局小泉政権は最後の最後まで「天下り」を死守した。ここに、小泉改革の本質が示されている。官僚利権は温存し、経済的、政治的弱者を情け容赦なく切り捨てるのが「小泉改革」なのである。国民は目を覚ましてこの本質を見つめるべきだ。

 外交は「対米隷属」に終始した。アジア諸国との関係悪化などお構いなしである。イラク戦争もその正当性に重大な疑問が投げかけられているが、世界一の強国米国に隷属しておけば安心との、自国の尊厳も独立も重視しない姿勢が貫かれた。

 そして、政治手法は民主主義と相容れない独裁的手法が際立った。司法への介入、メディアのコントロールも露骨に展開されたように思う。経済政策の失敗、改革の目玉商品の内容の貧困さ、容赦ない弱者切り捨て、対米隷属の外交、独裁的傾向が顕著な政治手法。この5つが小泉政権5年間の総括である。

 小泉政権が終焉するこの機会に、広く一般に小泉政権5年間を総括する論議を広げていく必要がある。だが、それを権力迎合の大手メディアに委ねることはできない。彼らは政権にコントロールされ、政権に迎合する存在だからだ。草の根から、筋の通った芯のある論議を深めてゆく必要がある。

「失われた5年-小泉政権・負の総決算(6)」

 本コラムの執筆に大きなブランクが生じてしまいお詫び申し上げます。執筆を再開し、従来よりも高頻度で執筆してまいりますのでなにとぞご高覧賜りますようお願い申し上げます。

 小泉政権の5年半の期間に日本経済は最悪の状況に陥った。日経平均株価は7600円に暴落し、金融恐慌が目前にまで迫った。その後、日経平均株価は17000円台まで上昇し、日本経済も緩やかな改善を続けているから、小泉政権に対する国民の評価はさほど悪くない。

「改革」で膿を出し尽くし、日本経済を再浮上させたなどという、見当違いの説明を聞いて思わず納得してしまう国民も多数存在しているようだ。だが、事実はまるで違う。小泉政権が提示した経済政策は文字通り日本経済を破綻寸前に追い込んだのだ。2003年5月に日本経済が破綻せず再浮上したのは、小泉政権が当初示していた政策を全面撤回して、正反対の政策を実行したからにほかならない。

 この点については、本コラムで詳細に論じてきた。小泉政権は日本経済を破綻寸前にまで追い込んだのだが、そのことによって二つの副産物が生まれた。ひとつは多くの国民が本来直面せずに済んだはずの苦しみに巻き込まれたことだ。失業、倒産、自殺の悲劇がどれほどの国民に襲いかかったことか。彼らの苦しみは小泉政権の政策失敗によってもたらされたものである。「人災」と言って差し支えない。

 もうひとつは、外国資本が日本の優良資産を破格の安値で大量取得できたことだ。バブル崩壊の後遺症により、本邦企業、銀行は資本力を失い、安値の実物資産を取得することは不可能な状況に追い込まれた。その状況下で、豊富な資本力を備えた外国資本が日本買占めに向かった。小泉政権は「対日直接投資倍増計画」などに鮮明に示されるように、外国資本による日本買占めを全面支援してきた。

 小泉政権が2003年に金融処理における「自己責任原則」を放棄して税金による銀行救済に踏み切ったのは、米国の指導によった可能性が高い。米国の政権につながる金融勢力は、日本政府が金融恐慌をあおり、株価暴落を誘導しながら最終局面で銀行救済に踏み切ることを指導し、日本の優良資産を破格の値段で大量取得することに成功したものと思われる。

 この9月に小泉政権は終焉し、安倍政権が発足する見込みである。安倍政権は小泉政権を継承するとしているが、小泉政権とは明確に一線を画し、是々非々の姿勢で政策を運営してもらいたい。

 経済政策運営で小泉政権は「緊縮財政運営」を基本に置いた。財政赤字の拡大を回避するために、緊縮財政の路線を鮮明に提示した。小泉首相は「いまの痛みに耐えてより良い明日を」と絶叫した。緊縮財政で経済は悪化する。しかし、財政再建のためにはそれもやむなし。これが小泉政権の基本スタンスだった。

 公約どおり日本経済は激しく悪化した。しかし、それで財政赤字は縮小しただろうか。2001年度当初予算で28.3兆円だった財政赤字は2003年度に35.3兆円に急増した。国税収入は2000年度の50.7兆円から2003年度には43.3兆円に激減した。

 私は財政健全化のためには経済の回復が不可欠と主張し続けた。経済が回復すれば税収が増加する。経済成長による税収確保が財政健全化の王道であると主張し続けた。これに対して小泉政権は「経済が回復しても税収は増加しない。財政健全化には緊縮財政しかない」と真っ向から反論した。

 2003年夏以降、株価反発を背景に日本経済の改善が始動した。果たして経済回復に連動して税収が増加し始めた。2005年度決算での国税収入は49兆円を突破した。景気回復により国税収入はわずか2年間に約6兆円も急増したのだ。財政健全化には経済の回復こそ特効薬であることが事実によって立証されつつある。
 最近になって筆者の主張を小泉政権幹部が使用するようになった。竹中氏も従来の同氏の主張とは正反対であるにもかかわらず、「経済成長による税収増加により消費税増税を圧縮できる」と主張し始めている。正論への転向は歓迎するが、過去の不明についてはひと言添えるべきだろう。

 安倍晋三氏はもとより「経済成長の重要性」についてのしっかりとした認識を有していた。私は安倍氏との私的な勉強会を重ねていたが、小泉首相と異なり、経済政策運営については柔軟な発想を保持していた。

 2006年度の国税収入は50兆円を突破すると思われる。そうなると2006年度の財政赤字は25兆円に急減する。増税をしないのに、景気回復だけで財政収支は大幅に改善し始めているのだ。このことにより、大型増税の必要性が大幅に後退している。

 日本経済はバブル崩壊後、1996年と2000年の二度、本格浮上しかけた。浮上しかかった日本経済が撃沈された理由は政策逆噴射にあった。’97、’98年の橋本政権の政策逆噴射、2000、2001年度の森、小泉政権の政策逆噴射が日本経済を撃墜した。いま日本経済はバブル崩壊後、三度目の浮上のチャンスに直面している。三度目の逆噴射があるとすれば、過去二回同様の近視眼的な緊縮財政の発想に基づく消費税大増税の決定と考えられた。

 そうしたリスクは存在したが、折りしも景気回復による税収の増加という現実が経済成長による財政健全化誘導の考え方の正しさを誰の目にも明らかにし始めた。このことが、経済成長重視の経済政策の主張が広がりを持ち始めた背景でもある。安倍氏が政権発足のスタート台に立つタイミングでこの考え方をベースに置くことができたのは幸いであるし、望ましいことである。

 安倍政権発足に際してもっとも注目されることは、経済政策運営の要のポジションにどのような人物を配置するかである。小渕政権は堺屋太一氏を起用して成功を収めた。小泉政権は竹中氏を起用し、日本経済は最悪の状況に陥った。その後に巧妙に政策の大転換を実行して小泉政権は危機を回避したが、人材起用の巧拙が政権の命運を左右する。安倍政権がどのような布陣を敷くのかに強い関心が注がれる。

 なお、小泉政権の総決算については、日本ビデオニュース株式会社(代表取締役神保哲生氏)が主宰しているインターネット・ニュースサイト『ビデオニュースドットコムマル激トーク・オン・ディマンド第283回(2006年09月01日)』(9月1日収録)のトーク番組に筆者が出演し、現在、動画配信されているのでぜひご高覧賜りたい。

2006年7月23日日曜日

【メモ】 黒田清

大谷昭宏の兄貴分であった黒田清氏は、2000年7月23日、膵臓癌のため死去をしている。これに伴い黒田ジャーナルは解散し、大谷は独立して「大谷昭宏事務所」を設立した。なお、他紙が数段抜きの訃報を掲載した(顔写真入りで掲載した新聞もあった)のに対し、読売に掲載された訃報は一段のベタ記事であった。これは、読売の渡邉恒雄と意が異ったからであり、結果黒田は読売を退社をしている。

 一貫して反戦、反権力を訴え、読売新聞大阪社会部長時代には「黒田軍団」の異名を取った大阪社会部を率いて大阪府警警官汚職事件などをスクープした。1987年(昭和62年)に退社後に事務所「黒田ジャーナル」を創設、草の根ジャーナリストとしてミニコミ紙「窓友新聞」を発行した。絶筆となった7月号のコラムでは、出血と輸血を繰り返す病状について「たくさんの血をありがとう」と。



黒田清
「(p.298~ 批判ができない新聞)日本のメディアは(中略)本来は現実批判がもとにあったと思うんですが、気がついたら、批判できないようになっている。

非常に大きいのは、政治についての批判がぎりぎりのところでできなくなったことです。不幸なことに高度成長で日本の新聞社は読者も増える、ページ数も増えるなど、いろいろなことで社屋を大きくしなければならなくなって、特に東京で社屋の土地が無かったから、自民党に頼んで国有地を安く売ってもらった。

読売、朝日、毎日、産経、みんなそうです。とても大きな借りを作ってしまった。だから新聞記者が一生懸命何かを書こうと思っても、中枢のところで握手をしていますから、突破できない。もう一つは、日本の新聞社の経営は、自己資金が少ない。

たとえば朝日や読売にしても、資本金は一億か一億五千万、いま増資して三億とか五億とか、せいぜいその程度でしょう。そして銀行は、新聞社と手を結んでおいたらいいということで、ずっと貸していた。

この10年ほどで、その借入金が一桁か二桁、また増えたわけです。これはご存知のようにコンピュータシステムをとりいれたからです。そうなると金融機関に対するチェックは非常に甘くなりますね。だから、そのあと、土地問題、不動産問題、銀行の不正融資と、表に出ているのは知れたもので、さらにひどいことが金融機関をめぐってはやられていますよ。けれども、新聞はさわっていませんね」

(p.303)「はずかしいけれど、そう言われてもしかたないと思いますよ。特に私は読売新聞にいましたから。読売新聞の幹部がどういう考えで新聞をつくっているかというのは、社内に発表される社内報で知っていますから。それに私自身が辞める前は編集局次長で首脳会議に何年か出席していたわけですからね。

その時に驚いたのは、新聞記者、ジャーナリスト、マスコミの役割は--あの人たちにはジャーナリストもマスコミもみんな一緒です--政府が行政を行うのをサポートすることだ、と言われたことです。私は三十年以上政府権力をチェックするという考えだったんですけれど、最後の数年は、サポートするんだとトップは考えて紙面を作るようになっていた」

「無事」に帰国したイラクでの人質3人を心なき言葉が迎えた。・・・・・批判も自由だ。でも「現場」に行こうとした意思そのものを根本から否定するかのような発言は、1945年以前の 国家総動員法の時代への回帰だ。

政府が繰り返している勧告に従わなれば犯罪者なのか。関西空港や羽田空港での3人の様子は国家機関に保護された「囚われ人」であった。・・・・・3人が政府の保護下になってからの憔悴しきった表情からは、自由意思までもその管理下になったようにさえ見えてしまう。

イラクで人質になった5人はこれまで、インターネットのホームページなどに多くの意見や情報を掲載してきた。・・・帰国の際の飛行機での"隔離"などは、それは「解放」と同時に見えざる手によって「幽閉」されたようにも見える。・・・・・私人の思想や行為を「公」あるいは国家の意思が押しつぶしていくサマを、傍観していいはずがない。・・・・・(・・・・・は省略部分)

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 親交あった大谷昭宏氏が悼む 黒田さんとは記者とデスクとして出会ってから30年の付き合いになりますが、物の見方や目のつけどころをたたき込まれました。大所高所から物事を見るのではなく、地をはいずり回りながら取材するのがジャーナリスト、そしてもぐらたたきではありませんが、たたかれたらまたどこかで飛び出せばいいと。根っからの社会部記者で、そこから数々のスクープが生まれてきたのではないでしょうか。
 先輩デスクに教わった話だそうですが、自転車の部品を減らして軽量化するとしたら、タイヤやブレーキではなく、ベルが真っ先になくされる対象になるはず。ベルは従業員何人で、どんなふうに作っているのかを知るのが大事だ。合理化される場合、世の中、そういうところから切られていくのだから、タイヤではなく、ベルのようなものに目をつけていかなければだめだ、と。こんな話を後輩記者に伝えることが、黒田さんなりの記者の育て方だったと思います。

 読売を辞めようかと言っていた1987年(昭和62年)の年賀状に「どういうこっちゃから、こういうこっちゃへ」と書かれてあったのが、今も印象に残っています。どういうこっちゃと疑問を持ったら、こういうこっちゃと、私たちで答えを出していこうという意味だったと思います。

 5月の連休明け、1時間半くらい話をしましたが、その時も最初から最後まで仕事の話題でした。私が「黒田さんは何度生まれ変わっても新聞記者でしょうね」と言うと、うれしそうにしていたのが忘れられません。(談)

 TBS「ニュース23」筑紫哲也キャスター 最後にお会いしたのは今年4月。病室で「今回は長期戦を覚悟しなくては」と話され、体調もよさそうに拝見したのですが……。私の番組に何度も出演していただき、阪神大震災直後の神戸からリポートしていただいたことが印象に残っています。あの腰を落とした庶民の視線で取材される姿勢は、ジャーナリストが本来持ち続けるべきもので、メディアの原型というべきもの。「かわら版精神」の見本のような方でした。

 辻元清美衆院議員 黒田さんは大阪の良心というべき方だった。学生時代、当時はピースボートの活動がまだ認められていなかったが、黒田さんは熱心に話を聞いてくれてすぐに協力を申し出てくださった。私にとっては恩人。人権や平和、環境に鋭く切り込んでいく大阪文化の発信者でもあった。それだけに、亡くなったのは非常に残念です。

 元「サンデー毎日」編集長の牧太郎氏 黒田氏は一貫して“庶民の美学”を追求したジャーナリストだったと思う。この点では“権力の美学”を追い求めた渡辺恒雄氏(読売新聞社長)とぶつかるのは当然だった。核の問題にしても、差別の問題にしても、常に弱者の立場にたっていた。東京に出てきたときは、新宿にある警察担当記者が集まる飲み屋によく顔を出しており、年齢を重ねても、サツ回りの心を忘れないようにしていたのだろう。これからまだまだ活躍できたのに残念だ。

2006年7月15日土曜日

【沖縄密約】 西山太吉氏「逆風満帆」

「逆風満帆」  2006年7月15日

元毎日新聞記者 西山太吉
■沖縄返還の真実問う

 パソコンは使えない。ワープロもない。筆圧の強いくせ字をノートに書きつける。かつて、ざら紙に原稿を書いていたときのように。

 元毎日新聞記者の西山太吉(74)は7月初め、裁判所に提出する意見陳述書の草稿づくりに取りかかった。

 「これが私にとってのジャーナリズムっちゃ」

 沖縄返還をめぐる密約を否定し続けてきた国を相手取り、昨年春、謝罪と損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。裁判はいま、終盤を迎えつつある。

 陳述書は、国家によって着せられた汚名を自らの手でそそぐ最後の機会になるかもしれない。

 北九州市にある自宅には、機密指定が解かれた米公文書など史料があふれている。

 たとえば、米国務省が専門家に交渉プロセスをまとめさせた「沖縄返還――省庁間調整のケース・スタディー」。116ページに及ぶ英文のなかで、西山はひとつの言葉に目をとめた。

 〈lump sum(一括払い)〉

 個別の経費を積み上げるのではなく、まとめていくらとすることを意味していた。

 「つかみ金だから、密約をもぐり込ませられたんだ」

 この春、在日米軍再編をめぐって突然、日本側の負担が「3兆円」とされたことと二重写しになった。

 文書からは、69年秋に佐藤・ニクソン共同声明で沖縄返還を宣言する前に、大蔵省と米財務省が日本の支払額について裏で合意していたことが読み取れた。福田赳夫蔵相が漏らした日本政府の本音も記されていた。

 〈「沖縄を買い取った」との印象を与えたくない〉

 そこに密約が生まれた。

 思いやり予算の原型となる施設移転費(6500万ドル)など五つの財政合意がひそかに交わされていた。

 かつて西山が問いかけた、土地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりするという密約は、氷山の一角にすぎなかった。

 いまだに解けない基地問題の原点となる沖縄返還協定。そのからくりが浮かび上がってきた。

 「面白いやろっ。俺(おれ)はいまだにブンヤなんよ」

■「情を通じて」で一転

 昨年暮れ、北海道新聞の記者から電話を受けた。

 「じつは、吉野さんが認めたんですよ。『400万ドルは日本側が払った』と」

 吉野文六・元外務省アメリカ局長。交渉にあたった当時の最高責任者は一貫して密約を否定してきた。

 ニュースですよね、と記者から問われ、胸のうちで吐き捨てた。「これがニュースでなければ、いったいどんなニュースがあるのか」。それでも、人生を狂わせた男の突然の告白を簡単に信じることはできなかった。

 72年3月、衆院予算委員会。社会党(当時)の横路孝弘議員は外務省の秘密電信文を手に政府を追及した。

 そこには、密約を示唆する言葉が書かれていた。

 〈APPEARANCE(見せかけ)〉

 電信文を入手したのは西山だった。疑惑を指摘する記事を書いたが、政府は取り合わない。返還が約1カ月半後に迫るなか、横路に託した。

 「国民に真実を知らせる最後の手段だ、と。記者としてギリギリの決断だった」

 しかし、国会で答弁に立った吉野は否定した。

 「協定以外には、何ら密約もなければ約束もない」

 まもなく電信文の漏出元が判明し、西山は外務省の女性事務官とともに国家公務員法違反の疑いで逮捕された。

 佐藤栄作首相は日記にこうつづっている。

 〈この節の綱紀弛緩(し・かん)はゆるせぬ。引きしめるのが我等(われ・ら)の仕事か〉

 11日後、検察が起訴状で使った言葉が流れを変えた。

 「情を通じて」

 妻子ある新聞記者と夫のいる事務官。ともに40歳をすぎた大人の関係だった。国民の「知る権利」への弾圧だとする報道は、男女スキャンダル一色に染まった。

 密約を暴いたはずの西山は一転、批判の矢面に立つ。闇に閉ざされた日々の始まりだった。

■死の影、競艇、ネオン街

 「国会や裁判で『記憶にない』『忘れた』と繰り返していたから、本当に忘れてしまったんです」

 今年2月、密約を初めて認めた外務省元アメリカ局長の吉野文六(87)の言葉を新聞で目にした。

 西山太吉(74)はうなった。怒りよりも、妙な納得があった。もちろん、そのために暗転した日々を忘れることはできない。

 逮捕後、自宅を引き払い、賃貸アパートなどを転々とした。報道陣が待ち受けるため、昼間は外出できない。夜が更けるのを待って散歩に出かけた。

 ある日、気がつくと薬局に足が向いていた。睡眠薬を探していた。ただ楽になりたかった。歩きながら、でも、と問いかけるもうひとりの自分がいた。

 「このまま死んだら、自分を否定し、敗北を認めることになる。権力を喜ばせるだけじゃないか」

 結局、薬を口にすることはなかった。

 裁判では、女性事務官の証言に一切反論しない方針を立てた。取材源を守れなかった以上、やむをない。それでも一審は無罪。女性事務官は有罪だった。

 西山は会社を辞め、ペンを折る。「ほかに責任のとりようがなかった」。43歳の働き盛りだった。

 台湾からの輸入で稼ぎ、「九州のバナナ王」と呼ばれた父が商売でつまずき、株に手を出して転落したのも40代半ばだった。

 「やっぱり血は争えんのかねえ」

 そんな軽口をたたく余裕は当時はなかった。

 妻子を東京に残し、北九州の実家に戻った。まもなく母親が死去。ひとりになった。

 空っぽになった胸の内を埋めるように、庭一面にチューリップを植えた。欠かさず水をやると、鮮やかな花が咲いた。植物は裏切らなかった。

 父が興し、親族が継いだ青果会社に食いぶちを得て、営業の責任者として全国の産地を回った。それまで、だれかに頭を下げることを知らなかった。

 慶応大学では全塾自治委員長。同大学院の修士論文では、ベトナムの革命指導者ホーチミンを取り上げた。新聞記者は、幼い頃からのあこがれだった。

 毎日新聞の政治部では自民党と外務省を担当した。日韓交渉をはじめ、米原潜の日本への初寄港など特ダネを飛ばした。官房長官だった大平正芳らに食い込み、読売新聞の渡辺恒雄とは毎週のように酒を飲んだ。

 それも遠い記憶となった。

 逮捕から6年後の78年、二審で逆転した有罪の判決が最高裁で確定した。

 取材手法に問われるべき点があったとしても、国民を欺いて密約を結んだ罪の重さとは比べものにならない。なぜ、日本政府の責任がまったく問われないのか。

 西山は競艇場に通いつめた。群衆に紛れ、水しぶきを上げて競り合うボートを眺めた。震えるような特ダネ競争にはもう戻れない。夜はネオン街をさまよった。

 「ただ呼吸してるだけ。生きる屍(しかばね)のようだった」

■退社26年、公文書に光

 逮捕前年の71年。ベトナム戦争をめぐる米国防総省の内部文書を掲載した米紙をめぐる裁判で、米連邦最高裁判所は、新聞の発行差し止めを求めた政府を退けていた。

 〈報道は国民に奉仕するものであり、国家に尽くすものではない〉

 あらためて言論の自由の価値が認められた。

 しかし、それは海の向こうのできごとだった。

 60歳で会社を退くと、やるべきことが見あたらない。ポリ袋を手に、自宅周辺のゴミを1時間ほどかけて拾って歩いた。毎朝の清掃が日課になった。誰かのために役立っているという「ちっちゃな存在理由」の確認。切れかけた糸でかろうじて社会とつながっていた。

 定年退職から9年。転機は突然、訪れた。

 00年5月29日、清掃を終えて自宅に戻ると、しばらくして電話が鳴った。毎日新聞の記者からだった。古巣との接触は最高裁で有罪が決まって以来、初めてだった。

 「きょうの朝日にやられました」

 400万ドルの土地原状回復補償費を日本側が肩代わりしたことを裏付ける米公文書が見つかった、と1面で報じているという。西山はあわてて新聞販売所に走った。

 新聞記者を辞めて26年がすぎようとしていた。

■妻が信じた「その日」

 妻(71)の言葉はずっと、聞き流していた。

 「いつか、あなたが正しかったと裏付けるものがアメリカから出てくるわよ」

 逮捕直後から、その日はきっと来る、と妻は予言のように繰り返した。

 望みが砕かれれば、失意を重ねることになる。西山太吉(74)は耳を貸さなかった。

 00年5月29日。

 朝日新聞朝刊が報じた米公文書は、琉球大教授の我部政明が米国立公文書館から入手した。陸軍省参謀部軍事史課による「琉球諸島の民政史」ファイル。外交とは直接関係のない資料に、密約を裏付ける記述はあった。

 逮捕から28年。それは、秘密指定が解除され、米公文書が公開されるために必要な年月でもあった。

 「あんたが言った通りだったな」

 妻の前で、西山はぼそっとつぶやいた。息子たちが大学を卒業した後、北九州で再び一緒に暮らしていた。

 外へ出ると、行きかう人々の顔が目に入った。まるで、目の前を覆っていた膜に穴が開いたようだった。

 「笑みを浮かべたり、楽しそうに話していたり。それまで他人の表情なんて気にしたことはなかった」

 長い間、自分の殻のなかに逃げ込んでいた。

 しかし翌日、河野洋平外相が「密約はない」と否定。米政府の発表と同義であるはずの公文書を一蹴(いっしゅう)した。

 河野は75年、二審で弁護側証人に立ち、メディアの役割の重要性を訴えていた。それでも、個人の信条が立場を超えることはなかった。

 記事が出てまもなく、取材の申し込みがジャーナリストの本多勝一からあった。西山は事件後、初めて沈黙を破った。週刊誌に載ったインタビュー記事は思いがけない反響を呼んだ。

 直後に、山崎と名乗る女性から電話が入った。同姓の元同僚だと思い込み、最近何しとるんや、とたずねた。

 「私は作家の山崎豊子よ。『大地の子』や『沈まぬ太陽』を読んでないの」

 「読んじゃおらんよ」

 実際、事件後に小説を手にすることはなかった。自分の身に起きたことの重さと比べれば、どれも薄っぺらく、きれいごとにすぎないように思えてならなかった。

 「あなたの人権は絶対に守りますから」

 連載にしたいという山崎の申し出を電話口で了承した。

 いつしか、人に会うことへの抵抗も薄れていった。

 ある日、東京へ向かった。飛行機嫌いのため、新幹線で5時間。大手町の読売新聞本社に、同グループ会長の渡辺恒雄を訪ねた。

 渡辺は一審で弁護側証人として法廷に立ち、自著のなかで西山記者の活躍にも触れている。盟友だった。

 山崎による連載を知った渡辺は、主人公はだれか、とたずねた。

 「もちろん、俺(おれ)さ」

 会長室での歓談は2時間を超えた。

■古巣で政府批判再び

 02年6月。興味もない日韓W杯が連日、ブラウン管に流れていた。ある晩、米ワシントン在勤のTBS記者からファクスが送られてきた。沖縄返還後に作成された米公文書だった。

 〈日本政府が神経をとがらせているのは400万ドルという数字と、この問題に関する日米間の密約が公にならないようにすることだ〉

 決定的な証拠だった。

 吐きだされてくる感熱紙を眺めながら、西山は思った。ああ、アメリカからもファクスは届くのか。

 W杯決勝の2日前。この公文書について報じた毎日新聞に西山の談話が載った。

 「日米が行ったのは、密約どころか返還協定の偽造だ」

 追われるように去った古巣の紙上で政府を批判した。

 その年の暮れ、毎日新聞労組主催のシンポジウムに招かれた。質疑応答で、聴衆のひとりから問いかけられた。

 「裁判で国を追及することは考えていらっしゃらないのでしょうか」

 確かに、政府が密約を認めることによってしか、名誉は回復されない。

 「いま、検討中です」

 実際は違った。事件から30年近くがすぎ、「時効」のようなものがあるのではないかと、あきらめにも似た思いにとらわれていた。

 8カ月後、西山のもとに手紙が届いた。シンポジウムで質問した男性からだった。

 〈国と対等の立場で、闘いの場を持ちませんか〉

 男性は弁護士だった。

■「コンチクショウだよ」

 その朝、空は澄んでいた。

 05年4月25日。静岡市の弁護士、藤森克美(61)は新幹線に乗り、東京・霞が関の東京地裁に出向いた。

 沖縄密約をめぐる事件が起きたのは、弁護士1年目を終えたころだった。記者の逮捕と問題のすり替え。密約そのものは問われなかった。

 「国家がこんな恐ろしいことを実際にするのか、と驚きました」

 00年の米公文書報道で、その思いがよみがえった。

 訴状には、ベトナム戦争をめぐる極秘文書を報じた米紙をめぐる裁判で、米連邦最高裁が示した判決文を引いた。

 〈政府の秘密は政治の誤りを永続化させる〉

 兵庫では、死者107人を出したJR宝塚線の脱線事故が起きていた。

 西山太吉(74)は地元の北九州にいた。裁判所でメディアにさらされたくなかった。

 「都合がいいときに、都合のいいところだけ報じる」

 起訴後、男女スキャンダルに染まった報道に裏切られたとの思いは深い。

 それだけに、提訴に踏み切るまで迷い抜いた。

 裁判に訴えれば、男女関係を蒸し返されるのは避けられない。でも、このままでは密約という、国が国民をだまして協定に嘘(うそ)を書いた事実が消されてしまう。

 西山は、かつての裁判で弁護人をつとめた大野正男にも相談した。

 返ってきた手紙の文面は冷ややかだった。00年に米公文書が出たときも反応は薄かった。まして、02年の文書については存在さえ知らないようだった。

 04年12月、藤森から3通目の手紙が届いた。

 〈だれも手を挙げる人がいなければ、挑戦したい気持ちがあります〉

 密約を明記した米公文書が発見された02年を基点とすると、民事訴訟の訴えを起こせる期限の3年が迫っていた。決断を迫るものだった。

 確かに、自分が表に出なければ、だれかが汚名を晴らしてくれるわけではない。なにより、西山を動かしたのは単純な思いだった。

 「民主主義より前に、コンチクショウだよ」

 男女問題という時限爆弾を抱えているため牙をむけるわけがない。否定を続ける政府から、そう見下されているようで許せなかった。

 当時から、尊大ともとられかねない言動が誤解や反発を招いてきた。でも、そうするしかできなかった。そうしなければ崩れてしまいそうだった。虚勢を張ることで自分を支えてきた。

 しかし、そのかたくなさが抵抗のバネになった、と言うこともできる。

 「負の遺産を引きずり、生き恥をさらしたとしても、(政府と)刺し違える」

 有罪確定から27年。揺れ続けた天秤(てんびん)は止まった。

■民主主義みせかけか

 いまも、妻(71)にはよく当たる。

 「おい、あの資料どこだ」

 3分と待てずに、声を荒らげる。講演会に呼ばれても、うまく笑顔をつくることができない。それでも以前と比べれば、ずっと穏やかになったという。

 ある日、自宅近くの駐車場で猫の死体を見つけた。姿が見えなくなっていた飼い猫だと思いこみ、戻ってくるなり玄関で号泣した。

 「『ギョロ太』が死んだ」

 実際は別の猫だった。

 いらだち以外の感情を表に出すようになったのは、米公文書が発見された以降のことだという。不思議なことに最近、白髪に黒いものがまじるようにもなった。

 〈問題は実質ではなくAPPEARANCEである〉

 沖縄返還にともなう土地の原状回復補償費は日本が負担し、アメリカが支払ったようにみせかけておけばいい。西山が手に入れた外務省の秘密電信文には、米政府高官の本音が記されていた。

 事件の発端となった言葉はまた、沖縄返還の本質を象徴するものでもあった。

 密約を裏づける米公文書に加え、交渉当事者が証言したにもかかわらず、政府は根拠なく否定を重ね、メディアは追及しきれていない。結局、日本はみせかけの民主主義しか手に入れられなかったのではないか。

 「ブンヤがしっかりしなきゃ、だめなんだ」

 密約が認められなければ、西山もまた「みせかけ」だったという後半生から抜け出すことはできない。

 8月29日に開かれる口頭弁論を前に、意見陳述書の草稿を書き上げた。原稿用紙で45枚になった。

敬称略(おわり)

(諸永裕司) 撮影(溝越賢)

 〈にしやま・たきち〉 1931年、山口県生まれ。56年、慶大大学院卒業後、毎日新聞社入社。外務省の女性事務官から入手した秘密電信文が発端になった沖縄密約事件により74年に退職。その後、北九州市の青果会社に勤め、91年に定年退職した。

西山太吉国賠訴訟


2006年6月13日火曜日

【北朝鮮】 北朝鮮とゼネコン 

「帝国の遺産」~日本のゼネコンと北朝鮮を結ぶもの
正論2006年6月号寄稿記事の初稿
(Vladimir)


 ゼネコン(総合建設業者)をめぐる報道がかまびすしい。防衛施設庁主導の官製ゼネコン談合をめぐる東京地検特捜部の捜査が進む中、前技術審議官・生沢守容疑者が逮捕された。また全国の防衛施設局で官製談合が行われていた可能性があるとして、特捜部は捜査範囲を拡大するとともに、ゼネコン側も刑事処分する方針を固めている。

 ゼネコンといえば談合、利権という文脈で語られがちだが、北朝鮮との関係でも同様である。

「北朝鮮ゼネコン利権」をわれわれに決定的に印象づけたのは、第2回日朝実務者協議が開かれた直後である一昨年(04年)10月21日、産経新聞が報じたニュースだった。
ゼネコン大手の大成建設など十社が、インフラ(社会基盤)視察などのため訪朝を計画していた、というのである。同紙は訪朝団が19日に出国したものの、北朝鮮に対する国内世論の硬化などを理由にほとんどの企業が急遽、計画を中止し、一部の企業だけが平壌入りした可能性を報じた。

 このとき実際に訪朝を計画していたのは大林組、鴻池組、五洋建設、清水建設、大成建設、東亜建設工業、西松建設、間組、フジタ、前田建設工業の十社。このうち鴻池組、東亜建設工業、西松建設の三社が訪朝を強行していた。

 この訪朝計画は、実際には朝鮮総聯の「招待」によるものであったことも後に報じられたのは記憶に新しい。

 世論は一斉に「日朝国交回復後の利権漁り」とゼネコンを非難した。
「売国奴」と非難する声さえあった。
北朝鮮側が横田めぐみさんの死亡時期を訂正し、さらに入院先の病院のカルテ問題が取りざたされていた時期である。
拉致問題の未解決や核の脅威を尻目に利権漁りを計画するとは、目先の利益しか考えない売国的行為、というわけである。


●「利権」という幻影を補強する「後継者問題」
 日本のゼネコンが朝鮮総聯を介して北朝鮮に招待された……。ゼネコンがこれに応じるのは、多くの日本人が非難するように「ニンジンの如く目先にぶら下げられた利権を目当てに」してのことなのだろうか。

 金丸訪朝団に囁かれた「川砂」は、確かに利権といえた。だが今日に至ってもなお、北朝鮮には日本のゼネコンが得られる利権がふんだんにある、という見解を元にした意見には、正直言って疑問を抱かざるを得ない。

 利権とは「業者が政治家や役人らと結びつき、公的機関の財政・経済活動に便乗して手に入れる、巨額の利益を伴う権利」(大辞林第二版)を意味する。

 ゼネコンが目的とするものが、ODAをつうじた北朝鮮における巨額の利益活動であることに異論はない。北にODAを投じても「受け皿」となる企業など存在しない。

当然、ODA資金を受けて北朝鮮で活動するのは日本企業となる。つまり日本政府による北朝鮮支援とは、日本政府発注の公共事業に等しいとはいえないまでも、同様の性格をもつ。ゼネコンが得る利潤とは、日本国民の血税から捻出されることは言うまでもない。

 だがそれは、果たして「利権」と呼ぶにしかるべき、継続的な権利なのだろうか。日朝間で国交が回復し、それを契機として日本のゼネコンが北朝鮮で活動し利益を得るとしても、それが継続的な経済活動を保証する「権利」であるとは限らない。どちらかといえば一発仕事に近いものであり、権利という言葉が自然と含む「継続性」は、むしろ希薄とさえ筆者は思う。

 北朝鮮の現状について「崩壊間近だ」とする予測は後を絶たない。経済改革以降、中国資本の介入等によって多少は持ち直しの傾向を認める向きはあるにせよ、そもそも「崩壊の可能性」をめぐって年がら年中、あれこれ取りざたされる国なのである。北朝鮮の政策そのものも、金正日の意向ひとつで豹変する可能性を常に有している。

 崩壊か暴走か。そんな国を相手に「向こう10年、20年の権利」などを期待することが果たして現実的なのか。

 北が自らの「危なっかしさ」を幾ばくかでも払拭し、「ほら、わが国には利権がありますよ。国交を結ぶ価値も、資本を投資する価値もありますよ」と演出するには、なにより北朝鮮の現体制が今後も継続されていく、という幻影を作り出さねばならない。そのためのツールとしてここ数年多用されているのが、「三代目は金正哲か正雲か、はたまた金正男か」という、後継者問題だ。

 この後継者問題の噂には、つねにつきまとうおかしな期待がある。つまり「三代目となるのは開明的な人物だろう」という、わけのわからない予測である。正哲がスイス・ベルン留学時代に記した文集に残された「平和を祈念する言葉」や、金正男がグローバルな視野を持つ国際派、という報道がこの期待を後押しする。北朝鮮内部から持ち出された機密文書と称する、作者不明の怪しげな紙が一枚登場しては、「後継者は正哲に決定」などと国際社会に「情報漏洩」する。

 本国は何一つ公式に発表しないまま、世界中のメディアがつねに後継者問題に関心をむけるようにすること……これはまぎれもなく北朝鮮の情報工作であろうと筆者は思うのだが、日本のマスメディアは知ってか知らずか、この問題を大きく取り上げては「北朝鮮の現体制は継続し、開放政策はより進むであろう」と印象づけるのに一役買っている。

 早い話、「後継者問題」を報じ論じることそのものが、利敵行為なのである。


●利権漁りなら、もう遅すぎる?

 北朝鮮の地には、当然ながら「利権の温床」はある。
 たとえば地下資源。04年9月、サンデーテレグラフ紙は衝撃的なニュースを報じた。

 イギリスにある小さなアイルランド系石油会社アミネックス(Aminex) 社が、北朝鮮との石油および天然ガス採掘権契約を締結した、というのである。同紙によればこの締結はすでに6月30日になされており、アミネックス社は今後20年間、北朝鮮内の石油および天然ガス採掘を技術的に支援し、新しい油井の産出物に対して使用権収入を得ることで北朝鮮政府と合意したという。サンデーテレグラフ紙による報道の翌日、同社の株価は急騰(前日比36%高)した。

 さらに翌05年1月、同社のブライアン・ホール最高経営者(CEO)はロイター通信へのインタビューに対し、朝鮮で採掘できる石油埋蔵量を40億~50億バレルと推定しながら、こう力説した。

「数億バレルではなく数十億バレル。北朝鮮は途方もない石油国家だ……」。

 北朝鮮の石油埋蔵量に関して発表された信頼に足る資料はない。だが一部の地質学者たちは、中国の勃海湾油井が平壌の地下にまで延びている可能性があると信じており、中国の官営メディアは勃海湾に660億バレルの石油が埋蔵されているかもしれない、と報道した経緯もある。また、ある親北朝鮮ニュース・ウェブサイトによれば、北朝鮮は最高100億トン(730億バレル)の高品質石油が埋蔵されている、と主張している。

 また、最軽量金属であるマグネシウムも北朝鮮には豊富に存在する。70年代までは、世界のマグネサイト埋蔵量の大半は朝鮮半島北部に集中して確認されていた。その膨大なマグネシウム資源は、終戦を境にいまもなお、ほとんど手つかずのまま残されている。

 日本統治時代、朝鮮半島には六つのマグネシウム工場が稼働していた(日窒マグネシウム興南工場、朝鮮軽金属鎮南浦工場、三菱マグネシウム工業鎮南浦工場、朝鮮神鋼新義州工場、朝日軽金属岐陽工場、三井油脂工業三陟工場)。このうち三井の三陟工場を除く五つの工場は、現在の北朝鮮地域に存在していた。だがこれら日本企業は現在、北朝鮮のマグネシウムに手を出すことができずにいる。
 だが、かわりに登場しつつあるのがドイツだ。一昨年8月、ドイツ自由民主党に属するシンクタンク、フリードリヒ・ナウマン財団が北朝鮮外務省と欧州委員会(EU執行機関)と共同で、平壌にて5日間に渡り大規模なワークショップを開催。ドイツが誇るべき、事実上唯一の産業である自動車産業が、軽量化による低燃費を目指し北朝鮮のマグネシウム利権を掌中にすべく、平壌政府に積極的なアプローチを行っている節がある。

 北に接近するのはドイツばかりではない。欧州の北朝鮮への急速な接近は2000年以降に顕著となった。まず同年1月には、先進7カ国(G7)の中で初めてイタリアが国交を結んだ。そして9月に、北朝鮮がそれまで国交のないEU九カ国と欧州委員会に国交樹立を呼びかける書簡を出すと、一ヶ月後にはイギリスが、そして翌01年には2月にスペイン、3月にドイツが北朝鮮と国交を樹立している。04年にはアイルランドが北と国交を正常化。現在ではフランス以外の欧州連合(EU)の加盟国すべてが北朝鮮と国交を結び、さまざまな経済活動の拠点を平壌に据えつつある。

 北を「悪の枢軸」「チンピラ国家」と非難するアメリカでさえ、核兵器開発放棄のみを交換条件として北との国交樹立を打診していたのだ。02年10月にアメリカが提示した包括支援案には、国交樹立、火力発電所の建設、経済制裁の解除、アジア開発銀行への加盟支援など、国家建設から国際社会への復帰までが提案されている。


●北がゼネコンに期待するのは、日本にしかできない「補修事業」
 北の地にある「利権の温床」は、日本のみならず他国にとっても同様に魅力的であることはいうまでもない。そして「利権漁り」であれば、国交のない「ならず者国家」に対し、海を渡り非公式に打診しつつ虎視眈々と狙う日本より、地政学的には中国、民族的同一性の点からは韓国の方がはるかに有利なポジションにいる。両国とも、猛然と行動を進めている。また先述の通りヨーロッパ諸国も、すでに北の地に触手を伸ばしはじめて久しい。北朝鮮を「利権漁りの場」とするには、日本は出遅れすぎている。

 だが、北は朝鮮総聯を介して日本のゼネコンを招待した。それは日本にしか頼めない事業があるから、にほかならない。

 日本の建設業者が戦前、朝鮮半島北部に造ったものを見れば、北朝鮮と現在のゼネコンとを結ぶ深いつながりが時空を超えて浮上する。

 日本が朝鮮半島北部に遺してきた「帝国の遺産」である。ダム、発電所、東洋一の化学コンビナート……これら「遺産」は現在もそのほとんどが北朝鮮で稼働しているのだが、問題は、補修がまったくと言っていいほどなされていないことにある。

 コンクリート構造一つをとっても、構造耐久年数をとうに過ぎている。ダムに及んでは、堆積土砂の排出がまったく行われていないのだ。

 本文を記すにあたり、筆者は戦前の日本が朝鮮半島に造り上げてきた建造物の一つ一つを調べてみた。建設工法の画期的な実験、技術者たちの情熱と夢……。戦前の朝鮮には、いうなればNHKが報じない、もう一つの「プロジェクトX」となるべきエピソードが豊富にあった。大日本帝国が北の地に作り上げて遺してきたものは、われわれ日本人の本質が今も昔も「ものづくり」にあることを、まざまざと見せてくれる。と同時に、昨今の耐震設計偽装問題に見られるような、匠の精神を軽視する風潮、あるいは喪失しつつある現状に、日本人の正体性(アイデンティティ)の根幹が揺らいでいることを、大きな嘆息とともに感じざるを得ない。

 紙幅の都合上「帝国の遺産」のすべてを紹介することはできないが、以下に代表的な発電所工事を紹介しつつ、現在の日本とのつながりを見てみたい。

 筆者個人の考えを申し上げれば、日本のゼネコンが北朝鮮の地で利益活動を行うことには危機感を覚える。だがそれは「利権漁りはけしからん」という次元のものではない。最も大きな懸念は、「帝国の遺産」がいま何に使われているのか、ゼネコン側はきちんと把握しているのだろうか、という問題だ。


●赴戦江発電所~電力を欲した男と、電力を産み出そうとした男たちの邂逅

 地図を睨みながら、計算に熱中する二人の男がいた。手元に広げられていたのは、陸軍省陸地測量部が出版した、5万分の1の朝鮮全土地図。彼らはそれをつぶさに眺めては山岳と平地の高低差を計算し、日本本土では考えられないほどの大水力地帯がいくつもあることに気づいた。

 山岳地帯が多い朝鮮北部には急流が多かった。その代わり耕作には不向きで、火田民……定住せずに山林を焼き払い自給自足に近い生活を送る一種の焼き畑農業が、古来よりこの地の伝統だった。朝鮮半島北部とは、一言でいえば不毛の地であった。

 二人が目を付けたのは咸鏡南道の赴戦高原の一帯だった。赴戦高原は標高約1500メートルの赴戦嶺を境に南側へと、ほとんど絶壁のように急降下している。その先には平地の新興郡が続き、やがて日本海へ達していた。

 いっぽう北側には朝鮮の屋根といわれる蓋馬高原が拡がっており、鴨緑江の支流の一つである赴戦江がこの高原から赴戦高原へと流れ込んでいた。ならば、もし赴戦高原に貯水池を造り、その水を赴戦嶺へ誘導し南側に落としてやればどうなるか。水は一気に赴戦嶺南側の低地に、その膨大な位置エネルギーを間断なく叩きつけることになる。

「このエネルギーをうまく利用すれば、すごい発電所ができるかもしれない……」。水力ダムを利用した高落差発電、というアイディアに、彼らは夢中になった。ひとりは50をとうに過ぎ、もう一人は30代半ばだったが、ちょうど国造りをテーマにした現代のコンピューターゲームに興じるかのように、二人は寝食を忘れて具体的な設計に熱中した。

 年上の男、森田一雄は勤め先の早川電力を退職したばかり。朝鮮にでも行ってみたら、と知人に勧められた彼は根っからの技術者だった。どうせいくなら水力地点でも調べてみようと、土木コンサルタント事務所を開いてまもない久保田豊に相談したのである。

 のちに久保田は長津江、虚川江、後述する水豊ダムなど発電所のすべてを手がけ、戦後は日本有数の建設コンサルタント企業である日本工営(株)を設立し、同社会長として没することとなるのだが、このときはまだ若く優秀な土木技術者であった。

 北朝鮮開発の嚆矢であり、東洋一の化学コンビナートを支える「電源」となった赴戦江発電所は、北の山岳地帯に夢をはせた二人の男の、いわばプライベート・プランとして始まったのである。

 机上の計算を確認すべく森田は朝鮮の地を訪れ、理想的な堰堤の位置を定めた。そして帰国後すぐに朝鮮行きを勧めた知人、副島道正とともに「朝鮮水力会社」の原案を作成。総督府から許可を得た。
 だが、もともとがプライベートな計画だったのだ。資金のあてがあったわけでもない。膨大な電力を必要とするどこかの会社が、このプランのスポンサーになってくれないだろうか……。森田と久保田の脳裏には、ある人物の名がひらめいた。森田の東京帝大時代の同級生で、日本窒素肥料(日窒)を経営する野口遵(したがう)だった。

 野口は自分が買った「特許」を持てあましていた……。第一次大戦後の特需景気が日窒に莫大な利益をもたらした、そんな頃である。ヨーロッパへの旅にでた野口は、ふとしたことからイタリアのテルニーで、ある化学者と出逢った。カザレー博士である。

 博士が実験していたのは「空中窒素固定法」というアンモニア合成の、工業化の方法だった。野口は当時で100万円の巨費を投じて、カザレー式アンモニア合成法の特許および施設権一切と機械類を買った。日窒が生産する、硫安の製造コストを半分に抑えるためだった。

 この特許を元に日窒は延岡と水俣に合成工場を設立。だが難点があった。電力不足である。化学工業はとてつもない電力を消費するのだ。せっかく巨費を投じて買った特許を生かし、海外の廉価な硫安に対抗するためには、あと最低でも10万KWの電力が必要だった……。


●興南肥料連合企業所の「正体」は殺人ガス兵器工場
 野口は森田・久保田の「夢物語」にすぐに賛同した。彼らの計画が実現すれば安価な大電力を朝鮮で産み出す。その電力を利用して、水俣工場の十倍規模の、国内では想像もできない大規模な化学コンビナートを造ることができる。

 こうして大正15年1月、日窒100%出資で朝鮮水力会社が誕生し、昭和4年には晴れて「赴戦江発電所」が完工した。

 着工から2年後の昭和2年、野口は咸鏡南道に「朝鮮窒素肥料」を設立、日本海岸側の興南に大規模な重化学コンビナートを建設した。日本のTVA(テネシー渓谷開発公社)と呼ぶべき、この「赴戦江発電所」プラス「朝鮮窒素肥料興南工場」は大成功を収めたのである。三菱系の肥料会社似すぎなかった日窒は、新興財閥「日窒コンツェルン」へと成長した。

 当時、世界情勢はブロック経済の流行を迎えていた。日本もまた満州、支那とともにブロックを作ろうとしていた。「日満支ブロック」の要衝として、朝鮮北部(当時は日本植民地)における野口らの成功に日本政府は直ちに注目。朝鮮北部東海岸工業地帯の建設はやがて国策として花開いた。野口らのプライベート・プランはいわば、その先鞭を付けたのである。

 日窒コンツェルンは戦後に崩壊。だがその遺産はチッソ(株)、積水ハウス(株)、旭化成工業(株)をはじめ朝鮮奨学会、野口研究所として、いまも息づいている。

 森田・久保田らの「赴戦高原に貯水池を」とのアイディアから生まれたのが、現在の北朝鮮にある、20.3平方キロメートルの人工湖「赴戦湖」である。この水を利用した「赴戦江発電所」の施工業者は間組、西松組(現・西松建設)、長門組、松本組の四社。

 昨年(05年)2月25日、北朝鮮の朝鮮中央放送は電力工業総局の金サンド副局長のインタビューを報じた。金副局長は「各地の発電所で電力生産が好調だ」と述べ、赴戦江発電所もまた生産計画を超過達成し、各地の水力発電所の総発電容量が昨年同時期より31万Kwも多かった、と伝えた。「帝国による朝鮮開発のパイオニア」だった赴戦江発電所は、現在でも稼働しているのである。

 赴戦江発電所は1955年にいちど、チェコの技術援助による機械設備補修を行っている。このときの補修では発電所全体を一箇所から制御できる遠隔制御方式が導入されてはいるものの、その後現在まで大規模的な施設保守や拡張事業が行われた形跡はない。昭和4年の完工から77年、チェコによる機械設備補修から51年を経過したこの発電所がどれほど老朽化しているのかは想像にあまりある。同発電所を設計段階から知り尽くした、日本のゼネコンでなければできない「事業」が一つ、ここにあるのだ。

 ところで戦前の赴戦江発電所が生産した電力は、すべて朝鮮窒素肥料興南工場が消費した。もともとそのために作られた発電所であり、両者は不可分と言っていいほどの関係にある。

 その朝鮮窒素肥料興南工場は現在、北朝鮮の代表的な化学肥料生産基地である「興南肥料連合企業所」として稼働している……ことになっている。だが興南肥料連合企業所が、実は「第二経済委員会第五機械工業局」の所属にあることを知れば、北朝鮮がこの「帝国の遺産」を、恐るべき目的に使用しているかがわかる。

 北朝鮮の経済は三つに大別される。「第一経済」は民間経済、「第二経済」は軍事経済、「第三経済」は金正日ロイヤルファミリーの経済である。ちなみに北朝鮮で困窮しているのは「第一経済」のみ。「第二経済」は破綻とは無縁だ……というのは、ある公安関係者の言である。朝鮮総聯幹部から直接聞いたという、北の軍事経済が破綻しない理由は至ってシンプルだ。その気にさえなれば、米ドルを無尽蔵に刷ることができるからである。

 第二経済委員会は北朝鮮で最強の影響力を有する経済組織だ。この委員会は国防関係の装備および技術計画、資金の配分、生産や供給について包括的責任を負い、また弾道ミサイル等の海外販売をも担当している。

 この委員会は第一~第七機械工業局、および第二自然科学院、対外経済総局、第二経済委員会資材商社などを擁しているのだが、興南肥料連合企業所が属する「第五機械工業局」はおもに化学兵器や生物兵器の開発・生産を指揮している。第二自然科学院咸興分院などで研究された神経麻痺性の毒ガスや生物兵器を生産するのが、この第五機械工業局の傘下工場の役割だ。これら化学兵器のうち興南肥料連合企業所が担当しているのは、おもに催涙性、窒息性の化学兵器。つまり赴戦江発電所は現在、殺人ガス兵器の一大生産工場に電力を供給しているのである。

 ちなみに「第五機械工業局」が管轄する工場は確認されているだけでも25箇所あるのだが、工場名からはその実態が想像できないものも多い。「2・8ビナロン工場日用分工場」(糜爛性、窒息性、催涙性、神経性の化学兵器生産)、「175号工場」(核開発用実験器具を生産)、「南興青年化学連合企業所」(血液毒を利用した化学兵器を生産)など……。

 日本のゼネコンは、このような事実をきちんと把握しているのだろうか。不用意に訪朝し、かつて自社が手がけた工場や発電所を補修する行為が、テロ支援行為として国際的な指弾を受ける危険性は十分にあるのだ。


●水豊発電所を連想させる「新年共同社説」
 平安北道の鴨緑江には、日本はおろか世界の土木工事史上にも燦然と輝く「帝国の遺産」がある。いまでこそ中国の三峡ダムにその座を奪われてしまったものの、水豊発電所は完成当時、世界一の堰堤であった。

 虚川江発電所建設と同時に昭和12年から着工されたこの大工事は、間組、西松組、松本組三社の施工により、わずか4年半で竣工した(朝鮮側ダムと発電所工事は間組、満州側ダムは西松組、鉄道・道路工事は間、西松、松本の三社)。

 そして野口遵は赴戦江発電所以来、長津江、虚川江、鴨緑江と次々に大電力開発を手がけ、「電力王」の名声をほしいままにした。

 水豊発電所工事は内務省の「特命」であった。当時、朝鮮半島における道路や港湾などの「内務省土木」、ダムや水利工事、土地整理などの「農商務省土木」、そして要塞や軍港などの「軍事土木」建設は、その多くが随意契約の特命工事として行われた。

 赴戦江発電所とは異なり、水豊発電所は有効落差が100メートルしかない低落差発電所だが、堰堤として築造された水豊湖は総貯水量116億トン、有効貯水量76億トン、貯水池の面積298.16平方キロメートルと豊富な水量を誇った。

 水豊湖の水源となる鴨緑江は朝鮮と満州を隔てている。そのためこの発電所の工事は朝鮮電気株式会社傘下の「朝鮮鴨緑江水力発電株式会社」と、満州国政府出資による「満州鴨緑江水力発電株式会社」の共同事業(社長以下役員は両社共通)となり、生産された電力は満州側と朝鮮側とで折半した。

 世紀の大工事の詳細な工程は割愛するが、水豊発電所の堰堤工事において見られる、ちょっとした記録に触れておく。金日成部隊の襲撃への準備である。

 水豊発電所着工の数ヶ月前、すなわち昭和12年6月5日、東北抗日連軍第1路軍第6師団は鴨緑江国境の町普天堡を一時占領した。師団長は金日成であったため、この部隊を「金日成部隊」と呼ばれる。

 鴨緑江以北の朝鮮民族居住地を西間島と呼ぶ。間島協約により日本は中国の間島領有を認め、この地域は日本の統治下ではなくなった。ここが日本の韓国併合後、朝鮮系の抗日パルチザンにとって絶好の根拠地となった。株式会社間組が89年に編纂した「間組100年史」には、水豊発電所のダムを建設する主任以上の技術者は、ゲリラの急襲から身を守るため拳銃で武装しつつ工事に臨む者もいた、と記されている。原節子が主演した古い映画「望楼の決死隊」を髣髴とさせるエピソードだが、水豊発電所が日本統治下の朝鮮と満州にそれぞれ送電するために建設されていたこと、またこの工事で多数の朝鮮・中国人労働者が犠牲になり、貯水池の敷地買収でも7万人もが立ち退かねばならなかったことを考えれば、パルチザン・ゲリラの急襲を恐れたのは当然であろう。水豊発電所はまさに「日帝」の象徴に他ならないのである。

「日帝」のアイコンとして忌み嫌うべき水豊発電所は、しかし現在でも北朝鮮で稼働している。終戦後の47年8月、ソ連は水豊発電所の六基の発電機から、シーメンス製を含む二基を撤去し本国に持ち帰った。「ドイツ製品信仰」を有するソ連にとって、シーメンス製発電機は垂涎の的だったからだ。やがて朝鮮戦争を迎えると、発電所設備の70%が破壊された。

 58年にはソ連が自国製発電機を持ち込み水豊発電所の復旧工事が完了。発電容量は建設当時の目標値だった70万キロワットに達した。60年には朝中鴨緑江水力発電会社が設立され、以後は同社が共同管理している。

 日帝の象徴を、朝中が共同で管理している、というわけである。だが水豊発電所で補修されたのはあくまでも発電機だ。

 今年の2月、朝鮮総聯系新聞社である朝鮮新報は「水豊発電所は毎日の計画より数千Kwの電力を増産している」「発電設備を直し、水1トンあたりの電力生産量を30%増やし、ダムの規模に即した発電機と水車の効率を上げている」と報じ、その健在ぶりを誇示した。

 だが、堰堤(ダム)の部分の補修はされていない。朝鮮戦争による爆撃でもびくともしなかった堰堤の部分は、いまも「帝国の遺産」そのままなのである。

 その堰堤も、もうコンクリートの耐久年数をとうに過ぎている。さらにダムに共通する問題として土砂の堆積があるのだが、水豊ダムが土砂を排出した記録はないという。土砂堆積が著しく進めば貯水池容量が大きく減少することは言うまでもない。

 北朝鮮研究の重鎮・玉城素氏は、
「水豊ダムのみならず、日本統治時代のダムはどんどん埋まっています。北朝鮮はダムに対するアフターケアをまったくやっていないのです。それが電力危機の一つの大きな原因となっています」と、その深刻さを指摘する。

 北朝鮮と中国が共同管理する「帝国の遺産」水豊ダムはいま、切実に補修を必要としている……。この歴然たる事実から、ある連想が筆者の脳裏をよぎる。

 毎年、正月を迎えると北朝鮮は「新年共同社説」(「労働新聞」、「朝鮮人民軍」、「青年前衛」三紙の共同社説)を発表するのだが、2006年の同社説には、こんな一節がある。

<今年、われわれは偉大な領袖金日成同志による「トゥ・ドゥ(打倒帝国主義同盟)」結成80周年を迎えることになる。「トゥ・ドゥ」結成80周年は、チュチェ思想の旗のもとに百戦百勝の歴史と伝統を創出した金日成同志の不滅の業績を輝かし、革命の首脳部のまわりにかたく団結して社会主義偉業をあくまで完成せんとする、わが軍隊と人民の信念と意志を示す意義深い契機となる>(筆者註:「トゥドゥ」は「打帝」の意。「打倒」の略ではない)。

「打倒帝国主義同盟」は少年時代の金日成が満州で結成した革命組織、といわれている。だが、いくら金日成が「百戦百勝の鋼鉄の霊将」であるとはいえ、当時は14歳の少年である。そんな子どもがリーダーを務める革命組織とは、はっきりいえば「ゲリラごっこに毛が生えたような」集団だったはずだ。

 朝鮮労働党創建60周年や6・15共同宣言発表五周年などイベントに事欠かなかった昨年と較べ、今年がいくら政治的行事の空白の年であるとはいえ、子どもが作った「なんちゃってゲリラ」の結成80周年を、北がわざわざ新年共同社説で触れる理由は何だろう。

 筆者はこれが、明らかに中国を意識したものであると考える。北朝鮮という国家の「正統性」は、満州における金日成の革命組織に端を発している……すなわち「悪の権化」である満州国と戦ったのが金日成である、という国家の正統性を高らかに掲げることで、中国との精神的紐帯を浮き彫りにする意図があるのでは、と思われてならない。ここ数年、中国が行ってきた「東北工程」(高句麗を「中国辺境の古代政権」と位置づける研究プロジェクト)に対する反発よりも、「ともに満州国を敵とし抗日という歴史を持つ」ことを強調することで、中国との精神的紐帯を顕示しなければならない局面に、いま北朝鮮は立っていることを窺わせる。早い話、北朝鮮は朝鮮民族の歴史にケチを付けられてもなお、「われわれはともに満州を敵とし打ち克った仲間じゃないですか」と、暗に中国の経済力に媚びているのでは……と思えてしまう。

 それほどまでに中国の経済的影響は、北朝鮮にとって欠くべからざるものになった、ということである。日本ゼネコンが利権を求めて入り込む余地などないどころか、「満州国」を俎上に乗せることで日本と韓国の保守勢力に対し、あるメッセージを送っているのでは、とさえ思えてくるのだ。

 韓国最大の保守政党であるハンナラ党。党首・朴槿恵の父、朴正煕は日本の陸軍士官学校を卒業し、終戦時は満州国陸軍中尉だった。日本の自民党幹事長である安倍晋三の祖父・岸信介は満州国産業部次長として辣腕をふるった。麻生太郎の母方の祖父・吉田茂は満州の中心に位置し当時の対支・対露政策の最重要地域であった奉天の総領事を勤めた……と、「補修を要する水豊ダム」から、満州ゆかりの政治家の後裔が現在の日韓保守勢力の中心にいることを思い浮かべるのは、いささか牽強付会であろうか。

「満州」をテーマとして今年、われわれは主に日本の保守勢力を攻撃目標としてロック・オンした。だから後押ししてほしい……というメッセージを中国に発している、と受け取るのは考えすぎであろうか。

 その背後にあるはずの、北朝鮮の日本に対する「本音」を、筆者がここで代弁してみよう。

<閔姫が殺されたとき、朝鮮には武力がなかった。いま、われわれは再び植民地にされないための確固たる武力を持たねばならない。そのための補償を、日本がやれ。われわれの意に沿う形、先軍政治に叶う形で「帝国の遺産」を再構築せよ>

2006年6月4日日曜日

【民主党第三者委員会】 総務省

【総務省担当者からのヒアリング】

行政企画局政治資金課課長補佐 市川 靖之 氏

(質問 .1)
-(政治資金)収支報告書上、寄附の内訳への記載が求められる寄附者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄附を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか。
(回答)
-総務省に問い合わせてもらっても、寄附をした者を書いてくださいとしか言えない。会計責任者が法の趣旨に則り実態を把握して記載してくださいとしか言えない。

(質問 .2)
-政治資金規正法上、寄附者となることができない政治団体は存在するのか。仮に存在するのであれば、どのような政治団体が該当するのか。
(回答)
-政治団体の定義は、資料の3条等で法律上定義されている。また、寄附をできない政治団体は、設立届けを出していない政治団体、二年間収支報告を行っていない政治団体である(3条、5条、6条、17条2項等について説明)。

(質問 .3)
-ある企業・団体が、人員、資金などをすべて負担して政治団体を設立し、完全に支配している場合、その政治団体が行った寄附については、政治資金収支報告書には、「寄附者」をどのように記載すればよいのか。
(回答)
-個別の事案については回答できないが、完全に支配しているという意味も明確ではなく回答しにくいが、政治団体であればこの法律の趣旨に則って報告書の記載・提出をお願いしたい。

(質問 .4)
-政治資金規正法22条の6に定める「本人の名義以外の名義・・で」、「匿名で」とは、それぞれどのような行為を言うのか。
(回答)
-本人の名義以外の名義を使うケース、氏名等を表示しないケースが該当する。

【委員会側コメント】
 「政治資金の寄附についてAが資金を出して、その資金でBが寄附をしてきたという場合、それを受け取った政治団体の会計責任者は、収支報告書に寄附者としてAを記載すれば良いのかBを記載すれば良いのか」との質問を、総務省担当者に対して繰り返し行ったが、「法の趣旨に則り、実態に基づいて適切に記載して頂きたい」との回答を繰り返すばかりであった。これでは、全国に無数に存在する政治団体、政党、政党支部の会計担当は、寄附者について収支報告書にどう記載したら良いのかまったくわからない。それを会計責任者が自分で判断し、間違っていたら罰則が適用されるというのでは、とても会計責任者はやっていられない。これは、今回の事件を機に検討が開始されている、企業団体献金の全面禁止をめぐる議論にも重大な影響を与えかねない(個人献金も、その資金の出所がわからないと受け取れないということになる)。

 政治資金規正法の解釈・運用に関して重大な問題があることが、今回のヒアリングで明らかになったというべきであろう。

政治資金規正法を所管する総務省の担当者(自治行政局選挙部政治資金課の市川課長補佐)が出席。

委員たちは、この法律が収支報告書に記載せよと定める「寄付者」が、形式的に寄付行為を行った者なのか、それとも実際のカネの出所か、どちらを指すのか明確にしようとしている。

しかし、判明したのは、この法律は非常にあいまいな部分が多く、場合によっては捜査当局が都合良く運用しうる、ということだった。

西松事件において、2つの政治団体(=寄付行為者)が報告書に記載されているのだから、西松建設(=資金拠出者)が伏せられたことに問題はなかったと明言してきた委員の1人、郷原氏は、ちょっとげんなりしたのではないだろうか。

◆罰則規定があいまい

郷原氏(G)と総務省担当者(A)のやり取りはこう。

G:我々が聞きたかったのは、寄付の行為者と資金の拠出者が違う場合、寄付の行為者だけでなく資金の拠出者も収支報告書にも書かなければならないのか?

A:拠出というのが、多種多様な世の中、形態がある。拠出という一語を持って、先生が考えているような結論になるかどうかは定かではない。

G:要するに、寄付をしたという金銭の移転という外形的行為をした人を書けということで、それ以外の人を書けとは政治資金規正法は求めていないのでは?

A:法律のことしか我々は言えないが、寄付というのはこういう定義で、寄付をした者を記載しろとなっている。

G:ということですよね。それ以外の人を書けとはなっていないんですよね。

A:寄付をした者を記載しなさいとなっている。
(委員苦笑)

G:その寄付をした者の意味は供与と交付とあるわけで、外形的に金銭を移転させる行為を自分の名前で行う場合……。

A:まあ、条文上は外形的にとは明文としては書いていない。金銭物品その他財産上の利益の供与または交付という風に書いている。

G:とすると、単純化して言った場合、Aという人がBという人にお金を渡して、Bという人が政治団体や政党などに寄付した場合、それを受け取った側は、もしお金が出ているのは実はBじゃなくてAなんだとある程度認識していた場合、どう収支報告書に記載すべきか尋ねられたら、どう答えるのか。

A:我々としては、寄付はこういう定義で、寄付をした者を記載してくださいと答える。

こうした役人然とした煮え切らない対応に、郷原氏は当然、こう突っ込む。

「行政庁が基本的にこうすべきだという解釈を示すべきだと思う。それがなければ、罰則の適用を捜査機関、司法当局がどうにでも解釈してしまう」

委員たちにあれこれ言われ、総務省担当者は最後はこう嘆く。

「(政治資金規正法は)議員立法で、主たる改正も国会で議論されたという経緯を考えると、何というのか、政府提案の法律に比べると、言い難い部分があるが……」

つまり、自民の議員先生方が勝手に穴だらけの法律を作ったんだから、役人側としては何とも言えない部分があるんだ、と。

「トンネル献金」など日常茶飯事の自民党の先生方が、自分たちが摘発されないように抜け道のある法律をつくったわけだから、法解釈があいまいになるのは当然なのだ。


以下、もう少し詳しいテープ起こし。

※A=総務省担当者、G=郷原信郎・名城大教授、S=桜井敬子・学習院大教授、I=飯尾潤・政策研究大学院大教授

G:金銭が移転する、経済的利益が移転する、という場合の広く含む概念が「寄付」ではないのか。
A:供与、交付どちらも含むので、おっしゃる通りだろう。
G:我々が聞きたかったのは、寄付の行為者と資金の拠出者が違う場合、寄付の行為者だけでなく資金の拠出者も収支報告書にも書かなければならないのか? 資金の拠出者が違う場合であっても、記載しなくて良いのか?
A:拠出というのが、多種多様な世の中、形態がある。拠出という一語を持って、先生が考えているような結論になるかどうかは定かではない。
G:要するに、寄付をしたという金銭の移転という外形的行為をした人を書けということで、それ以外の人を書けとは政治資金規正法は求めていないのでは?
A:法律のことしか我々は言えないが、寄付というのはこういう定義で、寄付をした者を記載しろとなっている。
G:ということですよね。それ以外の人を書けとはなっていないんですよね。
A:寄付をした者を記載しなさいとなっている。
(苦笑)
G:その寄付をした者の意味は供与と交付とあるわけで、外形的に金銭を移転させる行為を自分の名前で行う場合……。
A:まあ、条文上は外形的にとは明文としては書いていない。金銭物品その他財産上の利益の供与または交付という風に書いている。
G:とすると、単純化して言った場合、Aという人がBという人にお金を渡して、Bという人が政治団体や政党などに寄付した場合、それを受け取った側は、もしお金が出ているのは実はBじゃなくてAなんだとある程度認識していた場合、どう収支報告書に記載すべきか尋ねられたら、どう答えるのか。
A:我々としては、寄付はこういう定義で、寄付をした者を記載してくださいと答える。
G:それ以上に、収支報告書に記載すべき人はこういう意味なんだとは教えないということ?
A:教えないというか、条文としてはここまでしか書いていないので、個々具体の資金の拠出の形態がさまざまあるのは容易に想像されますし、用件を我々が個々具体的に把握するのは不可能なので、法律上はこうなっているという紹介にとどまるしかない。
S:そうすると、形式が整っていることに行政、総務省としては関心を置いて法の運用をしていると理解してよいのか?
A:そこはですね、関心があるというより、非常に政治活動の自由と密接に関係しているので、行政府がこの政治団体の活動に一般的に考えて関与するのはいかがかという風に考えている。ですから、法律上の書類上の形式審査しか認められていないんだろうと考えている。関心がないというより、法律上、そういう権限しかないと。
(略)
A:補足して説明すると、基本理念、この法律の基本的な考え方は、収支の状況を明らかにすることをむねとし、これに対する判断は国民にゆだねる。適切に執行していくことが我々の考えだろうと。
G:その収支の状況を明らかにするというのが、どこまで求められているのかが分からないと、どうやっていいのか分からないということになると思うが。収支報告書を提出する方は。どう記載すればよいか疑問に思った場合は、どこに聞けば良いのか。
A:我々も法律に書いてある範囲でお答えする。
G:そのときに、非常に迷うと思う。資金の拠出者と寄付の外形的行為をした人が違う時には、どうしたらいいのかと聞いて、法律に書いてある通りと言われても、書きようがないとなってしまうと思う。これじゃ収支報告書我々書けませんと言われたらどうするのか。
A:収支報告書を作成するのは会計責任者なので、そこは法律の趣旨に乗っ取って会計責任者が判断してもらう。
G:会計責任者が、この法律上求められている義務がどういうことなのか分からないとなった場合、誰かに教えてもらわなければならない。どうするのか。
A:繰り返しになるが、我々としては寄付の定義を述べ、その寄付をした人を記載してくださいと言うにとどまる。
I:それはやっぱり寄付する人がそういう風にその趣旨に対してきちんと行動するということですね?
A:はい。2条2項に書かれているが、政治団体はその責任を自覚し、政治資金の収支に当たってはいやしくも国民の疑惑を招かないよう法律に基づき公明正大に行わなければならないという基本理念がある。そこに基づいて会計責任者が適切に判断してもらいたい。
S:じゃあ、自己責任でやってくれということですか? 罰則があるので、構成要件としての意味合いもありますよね? その法の解釈が。予測可能性が担当者の人には答えられない感じがするのだが。関連して29条に、報告書の真実性の確保のための措置とあるが、真実性とは何か。定義は。
A:実態に即して記載していただくということ。
S:実態とはどこまでが実態か?
A:実態を把握しているのが会計責任者。
G:まさにその通りだが、でも、何が求められているのか分からなければ、実態をどう表現していいのか分からないのでは。
S:だから、25条の虚偽記入の「虚偽」の概念がまさに問題になるのだが、そこをどうするかで刑罰を受けるかもしれないという、そういう制裁がありうるという中で(会計責任者は)記載しなければならない。(しかし)具体的な基準が示されていないことになるが。
(略)
G:本来どう罰則が適用されるかということは、政治資金規正法のルールの周知が徹底されて、それを守っていればいいんだけれども、意図的に守らない政治団体とか会計責任者がいれば罰則を適用しますよ、となるはず。ですから、行政庁が基本的にこうすべきだという解釈を示すべきだと思う。それがなければ、罰則の適用を捜査機関、司法当局がどうにでも解釈してしまう。まずは総務省として寄付が何を意味するのか、供与が何を意味するのか、交付が何を意味するのかという条文の意味を説明するのが普通だろうと思うが。
A:議員立法で、主たる改正も国会で議論されたという経緯を考えると、何というのか、政府提案の法律に比べると、言い難い部分があるが……。

2006年3月31日金曜日

【小泉内閣】 郵政法案成立

 小泉内閣時代、郵政法案成立までの時系列の記録

(リンク切れ)
http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt47/20060331AS3S3100G31032006.html

(9/12)郵政法案成立へ、特別国会20日にも召集
 衆院選での自民党の圧勝を受け、政府が再提出する郵政民営化法案の成立が確実な情勢となった。先の通常国会で反対や欠席・棄権した自民党の参院議員28人のうち12人が賛成に転じる意向を示し、与党からの反対票が法案否決に必要な17票に達しない見通しとなったためだ。政府・与党は特別国会を20日にも召集する方向で調整に入り、10月中の法案成立を目指す。

 小泉純一郎首相は11日夜のNHK番組で「自民・公明連立政権で進めてきた改革を続けたい」と表明。公明党の神崎武法代表と12日午後に党首会談を開き、連立政権を継続する方針を確認する。特別国会での首相指名選挙を経て首相は第三次小泉内閣を発足させるが、郵政法案の審議を優先し、基本的に現閣僚を再任する意向。本格的な内閣改造と自民党役員の人事は法案成立後に断行する運びだ。

(9/12)日銀総裁、郵政改革進展は大きなプラス・構造改革に期待表明
 【バーゼル(スイス)=菅野幹雄】福井俊彦日銀総裁は11日夜(日本時間12日未明)、衆院選で自民党が大勝し、郵政改革が進展する見通しになったことに関して「長い目で見て非常に大きなプラスだ。資源が一定の方向にしか使われない大きな固まりが分解し、いろいろなところに使われる」と語り、構造改革の後押しになるとの期待感を示した。

 主要国中央銀行総裁会議出席のため、訪問中のスイスのバーゼルで一部記者団に語った。

 総裁は総選挙結果が日銀の金融政策に影響を及ぼすかどうかについては「まったく影響はない。われわれは中立的であり独立している」と強調。日本経済への影響について「そう直接的な影響が日本経済にあるわけではない。構造改革は長期間の課題であり、もっと努力しなければならない」と表明した。

(9/13)郵政民営化、07年10月に半年延期・法案再提出へ修正
 政府は13日、21日召集の特別国会で再提出する郵政民営化法案に関し、2007年4月としていた民営化開始時期を同年10月に半年間延期するよう修正する方針を決めた。先の通常国会で成立させる予定がずれ込んだことから民営化に必要なシステム整備が間に合わないと判断したためだ。

 小泉純一郎首相が13日午前、首相官邸で竹中平蔵郵政民営化担当相と会談。竹中氏は07年4月1日と明記している開始時期を10月1日に改める条文修正をする考えを伝え、首相が了承した。2017年4月の完全民営化の時期も半年後にずれ込むことになる。首相はかねて法案内容は基本的に変更しない考えを示しており、政府は開始時期を除く修正は最低限にとどめる方針だ。

 政府は衆院選での与党勝利を受け、郵政法案の再提出に向けた調整を本格化した。首相は閣議後の閣僚懇談会で「特別国会に向けてしっかりやってほしい」と強調。細田博之官房長官は「法案を直ちに再提出し早期成立を目指す必要がある。関係閣僚は迅速に作業するなど最大限の協力をお願いしたい」と各閣僚に指示した。

(9/13)中曽根議員、郵政民営化法案に賛成の意向表明
 通常国会で郵政民営化法案に反対した自民党の中曽根弘文参院議員は13日、都内で記者会見し、特別国会に再提出する郵政法案について「明確な国民の意思を重く受け止める」として賛成する意向を表明した。これにより、先の通常国会で同法案に反対した参院の旧亀井派全員が賛成に回る。

(9/14)郵政法案、消費税減免を見送り・政府、今月末に法案提出
 政府は13日、21日召集の特別国会に再提出する郵政民営化法案の内容を固めた。2007年4月としていた民営化時期を10月に延期するものの、過疎地の郵便局の赤字を補てんする基金の拡充など4項目の修正を経て衆院本会議で可決した法案の骨格を維持する。自民党内に要望があった新会社への消費税の減免は見送る。衆院選での圧勝を受けて法案成立が確実になったこともあり、法案修正は最小限に抑える。

 9月末に再提出するのは7月に衆院で可決された法案とほぼ同じ内容。日本郵政公社を07年10月に持ち株会社と、その傘下の郵便貯金銀行、郵便保険(簡保)、郵便局会社、郵便事業会社の4社に分割・民営化することが柱だ。2017年までに郵貯、保険の2社は完全民営化され、その後、持ち株会社が2社の株式を買い戻すことは容認する。

 郵政法案は6月末に条文が固まるまで反対派に譲歩し続けたと批判されてきた。しかし郵政民営化を掲げて選挙で圧勝したため、(1)過疎地などの郵政サービスを維持するための基金の増額(2)郵便局会社の代理業務として銀行・保険業を例示――など通常国会での4項目の衆院修正にとどめる。

(9/16)郵政民営化の半年先送り、関係閣僚会議で決定
 政府は16日午前、首相官邸で郵政民営化法案の再提出に向け、竹中平蔵郵政民営化担当相ら関係6閣僚による会議を開いた。法案成立の遅れを考慮し、民営化開始時期(2007年4月)と完全民営化時期(17年4月)をいずれも半年先送りすることを決定。衆院段階で加えた過疎地の郵便局の赤字を補てんする基金の拡充などの修正を反映した内容とすることを確認した。

 細田博之官房長官は記者会見で「実質的な修正は行わない」と説明。参院採決の際にした付帯決議の中身は取り込まないと強調した。法案の国会提出は27日以降になるとの見通しを明らかにした。

 民営化開始を遅らせることに関して竹中氏は記者会見で「準備期間のスケジュールは変更しない方針だ」と述べ、06年1月の経営委員会の発足や06年4月の民営化委員会設置などの段取りは予定通り進める考えを示した。

(9/17)政府・与党、郵政法案の10月中旬成立めざす
 自民、公明両党は、21日召集の特別国会に政府が再提出する郵政民営化法案について、10月4日に衆院で審議入りし、同14日までに参院での成立を目指す方針を固めた。衆院で3分の2を超える議席を確保した与党は国会運営で主導権を握っており、郵政法案は10月中旬に成立する見通し。11月1日までの会期は延長しない方針で、小泉純一郎首相は11月初旬に内閣改造・自民党役員人事に踏み切る意向だ。

 政府は17日未明、持ち回り閣議で特別国会の21日召集を決めた。与党は郵政法案の審議は衆参の特別委員会でそれぞれ2、3日間程度で終わらせる方針。10月6日か同7日に衆院で可決し、同12日か同14日の成立を想定している。

(9/22)郵政民営化法案を与党が了承、26日にも閣議決定へ
 与党は22日、今国会に再提出する郵政民営化法案を了承した。通常国会で否決された法案とほぼ同じだが、法案成立が当初想定より遅れることを考慮し、2007年4月の民営化開始と17年4月の完全民営化の時期をいずれも半年先送りした。政府は26日にも法案を閣議決定し、国会に送る。10月4日に審議入りし、14日までに成立させる方針だ。

 自民党は22日朝から郵政関係合同部会、政調審議会、総務会を相次いで開き、党内手続きを終えた。公明党は昼の政調全体会議で了承した。

 民営化開始時期の半年延期は、システム整備などにかかる時間を確保するためだ。

 衆院段階で加えた修正も盛り込んだ。(1)郵便局会社の業務範囲に銀行業と生命保険業を例示(2)過疎地の金融サービスを維持するための基金は1兆円を超えて積み立てが可能(3)持ち株会社が金融2社株を完全処分した後に買い戻す場合に備え、議決権を連続的に行使できるようにする――など。

 一方、参院採決の際に採択した付帯決議にある経営形態を含めた将来の見直しなどは反映させなかった。

(9/25)郵政対案で廃止か民営化の結論明記・民主党野田国対委員
 民主党の野田佳彦国対委員長は25日のNHKの討論番組で、郵政民営化関連法案の対案について「郵便貯金と簡易保険のそれぞれについて廃止か民営化か(の結論)を法案に入れ込んで提出する」と述べ、経営形態まで踏み込んだ内容の対案を示す考えを示した。

 野田氏は「予算委員会が終わるまでには(対案を)提出したい。審議にはそれなりの時間がいる」と指摘したのに対し、自民党の中川秀直国対委員長は「民意が選挙で示された。10月中旬ぐらいには成立を期したい」と強調した。

 野田氏は、岡田克也前代表が協議打ち切りを宣言した社会保障制度改革をめぐる参院両院合同会議について「まずは協議の舞台に出て行く。真摯な議論が行われるか見極めた上で判断したい」と協議を当面継続する考えを示した。〔共同〕

(9/26)政府、郵政法案を閣議決定・民営化時期を半年延期
 政府は26日午前の臨時閣議で、郵政民営化法案を決定した。同日中に国会に提出する予定。先の通常国会で廃案となった法案の骨格を変えず、持ち株会社のもとで4分社化する民営化の開始時期を2007年10月に半年延ばした。与党は10月4日に審議入りし、14日までの成立を目指す方針だ。

 民営化時期を半年延ばしたのは、時間的に余裕がないと言われてきたシステム整備に配慮したため。持ち株会社が金融2社(郵貯、保険)の全株式をいったん完全売却する完全民営化の時期も半年延ばして2017年10月とした。

 通常国会の衆院段階で法案修正した内容も反映した。有識者らで構成する郵政民営化委員会が3年ごとに実施する「検証」を「見直し」にするなどの内容を盛った。

 衆院選で与党は全議席の3分の2を超す議席を獲得。参院でも自民党内の反対派が相次いで賛成に回る見通しで、今国会での成立は確実な情勢だ。

(9/27)簡保07年廃止、郵貯は政府保証も廃止・民主が郵政対案
 民主党は27日午前の郵政改革調査会で、政府の郵政民営化法案の対案として「郵政改革法案」の概要を決めた。簡易保険は2007年に廃止し、既契約分を分割して12年までに民営化。郵便貯金は預入限度額を段階的に引き下げ、定額貯金の新規預入を停止、政府保証も廃止する。郵貯・簡保の資金を官から民に確実に流す狙いだ。

 同調査会は法案化作業を急ぎ、30日の「次の内閣」閣議で取りまとめ、国会に提出する。

 簡易保険の既契約分は、日本郵政公社の子会社として設立する2つ以上の「郵政保険会社」に分割譲渡。郵政保険会社の株式を12年9月末までに売却することで完全民営化する。

 郵便貯金は06年度中に預入限度額を1000万円から700万円に引き下げる。07年10月1日以降は公社の100%子会社として「郵便貯金会社」を設立。限度額は500万円に引き下げる。新規預入は停止し、旧貯金は郵便貯金会社の特別勘定で管理・運用する。

 郵便と、年金受け取りや振り替えなど決済サービスは「国の責任で全国的サービスを維持する」とし、郵便は公社を維持。決済サービスも郵便貯金会社で維持していく方針を示した。

(9/29)郵政公社、社宅跡など遊休不動産200件を年内に売却
 日本郵政公社は年内をメドに、社宅や郵便局の跡地など200件余りの不動産を売却する。売却額は合計で200億―300億円に達する見通し。2007年10月にも実現する郵政民営化を控えて経営効率を高めるには、不採算のリゾート施設にとどまらず、遊休不動産の整理を急ぐ必要があると判断した。

 今回売却するのは、首都圏を中心に計202物件。大半は社宅跡地だが、診療所や郵便局、物流センターなどの跡地も含まれる。東京・赤坂の旧社宅をはじめ、目黒や田園調布など高級住宅地にある物件も多い。マンション開発に適した土地も少なくなく、すでに複数の不動産業者が購入に意欲をみせているもようだ。売却額は200億円を超える見通し。

 売却の仲介会社として中央三井信託銀行を指名している。売却計画などについて10月中に中央三井から提案を受けたうえで、売却先を決定する。売却益は郵便事業の累損の補てんなどにも充てるとみられる。

(9/30)今年度の郵貯・年金の財投債引き受け、3兆500億円減額
 財務省は30日、財政投融資の2005年度の原資となる財投債(国債)の郵便貯金、簡易保険、年金資金による直接引き受けを予定より3兆500億円減らすと発表した。都市再生機構が財政融資資金特別会計への資金返済を増やし、特会の資金繰りに余裕が出るためだ。郵貯などは財投債を引き受ける予定だった資金を債券市場や株式市場に振り向ける見通しだ。

 01年度の財投改革で郵貯、年金が資金を財投に預ける制度は廃止され、財投債の発行で財源を調達する仕組みになった。財投は預かった資金を郵貯などに返済しているが、返済が終わる07年度までは財投債の発行が膨らむため、一部を郵貯、簡保、年金が市場を通さずに直接引き受けている。

(10/3)郵政公社、投信販売を開始・初の元本割れリスク商品
 日本郵政公社は3日、全国575の郵便局で投資信託の販売を始めた。郵便局が元本割れリスクのある商品を扱うのは初めて。東京・西新宿の新宿郵便局で開いた記念式典で、生田正治総裁は「(民営化という)大きな歴史の1ページをめくる寸前にある。郵便局のブランドと信頼を損なわないよう力を尽くしてほしい」とあいさつした。

 扱うのは(1)国内外の債券、株式、不動産投信に分散投資する投信(2)日経平均株価連動型投信(3)東証株価指数(TOPIX)の上昇率を若干上回る収益を目指す投信――の3種類。それぞれ野村アセットマネジメント、大和証券投資信託委託、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントの商品を選んだ。

 投信を扱う職員は証券外務員の資格を取得した約4700人。今年度は1073億円の販売残高を見込んでいる。郵政公社は投信販売による手数料収入を新たな収益源に育てたい考えで、実際の販売状況をみながら取扱局や商品の種類を順次拡大する。5年目となる2009年度には販売残高1兆5300億円、手数料収入157億円を目指す。

(10/3)9月末の郵貯残高1.0%減少、9カ月連続マイナス
 日本郵政公社が3日発表した郵便貯金速報によると、9月末の郵貯残高は206兆6556億円と前月末に比べて1.0%減少した。マイナスは9カ月連続。定額貯金が満期払い戻し分の流出で1兆1149億円減ったほか、通常貯金も年金の支給月でなかったため7849億円減少した。

(10/3)郵便局の投信販売、初日は10億8000万円・「着実な出足」
 日本郵政公社は3日、全国575の郵便局で投資信託の販売を始めた。同日まとめた投資信託取り扱い状況(速報ベース)によると、初日の口座開設は1220件、販売額は10億8000万円となった。公社は「着実な出足」としている。

 単純計算すると、1人当たりの平均購入額は88万円。金融界では「投信1銘柄あたりの購入額は平均200万―300万円」(大手銀行)とされており、郵便局ルートの小口投資が目立つ。「これまで証券市場に関心がなかった人が顧客になる」(生田正治総裁)との予想が裏付けられたとの見方もある。

 郵政公社が取り扱うのは(1)国内外の債券、株式、不動産投信に分散投資する投信(2)日経平均株価連動型投信(3)東証株価指数(TOPIX)を若干上回る収益を目指す投信――の3種類。

 来年3月末までの半年間に約1100億円の販売を見込んでいるが、元本割れリスクなど顧客への説明を重視する観点から「営業現場に販売ノルマは課さない」(生田総裁)方針。東京都新宿区の新宿郵便局に一番乗りした女性も「きょうは商品の説明を聞きに来た」として購入は見送ったという。

(10/4)民主、郵政対案を提出・株式買い戻しは原則禁止
 民主党は3日、郵便貯金の規模縮小や簡易保険の分割・分離を柱とする「郵政改革法案」を国会に提出した。2007年10月に日本郵政公社の子会社として郵貯と簡保を分社化。簡保については完全民営化の時期を政府案より5年早い12年9月末までとした。公社による保険(簡保)各社の株式買い戻しを禁止する。6日の衆院本会議で政府・与党案とともに審議入りする。

 民主案は国会で否決・廃案となるのは確実。しかし国会審議のなかで郵政改革の「スピード」と「政府の関与排除」の面で政府案より進んでいるとアピールし「改革競争」で存在感を発揮したい考えだ。

(10/4)自民幹事長、郵政民営化法案反対派は月内に処分
 自民党の武部勤幹事長は4日午前の記者会見で、先の通常国会で郵政民営化法案に反対し衆院選に無所属で当選した議員らの処分について「今月中にすべてできるのではないか」と述べ、月内に処分する方針を表明した。処分を決める党紀委員会を郵政法案成立後に開き、具体的な処分内容の検討に入る段取りも示した。

(10/4)首相「郵政反対派処分は月内」
 小泉純一郎首相は4日夜、先の通常国会で郵政民営化法案に反対した議員らの処分について「今月いっぱいで国会が終わるので、やはり今月中がいい」と指摘。処分内容に関しては「私が独裁的に『除名』とかいうものではない。各選挙区の事情を勘案して執行部が党紀委員会と相談して決めるべき問題だ」との認識を示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

(10/7)麻生総務相、郵便事業の参入条件緩和検討を指示
 麻生太郎総務相は7日の閣議後の記者会見で、民間企業の郵便事業への参入条件の緩和に向けた検討を関係部局に指示したことを明らかにした。「市町村合併が進んで事情が前とは違っている」と指摘し、信書便法で義務づけている10万本の郵便ポストの設置基準数の見直しなどを含め、民間企業が参入しやすい枠組みを検討する考えを示した。

 結論の時期に関しては「早くやらないといけない」と語った。郵便事業への参入条件については、小泉純一郎首相が4日の参院予算委員会で「できるだけ参入しやすい環境をつくるべきだ。(ポスト数)10万本が固定される必要はない」と述べ、緩和に前向きな姿勢を示していた。

(10/7)首相、郵政法案「国民が生き返らせた」・衆院特別委
 衆院郵政民営化特別委員会は7日午前、小泉純一郎首相と竹中平蔵郵政民営化担当相ら関係閣僚が出席して郵政民営化法案と民主党の対案に関する総括質疑を行い、実質審議入りした。首相は再提出した郵政法案について「国民が生き返らせようとしている」と述べ、衆院選での与党の圧勝を受け、改めて法案成立に自信を示した。

 午前の審議では先の衆院選で初当選した自民党の片山さつき、佐藤ゆかり両議員らも質問に立った。

 首相は、民主党が提出した郵便貯金の規模縮小や簡易保険の分割・分離を柱とした対案に関して「通常国会で公社のままで改革できると言っていた。民主党もずいぶん、変わった」と批判。竹中担当相は今回提出した政府の郵政民営化法案は通常国会の時と骨格は変わっていないと指摘したうえで「通常国会での政府側の答弁は、今回の法案にも当てはまる」との認識を示した。

 民主党の仙谷由人前政調会長は、郵貯・簡保について「大きな資金量をそのまま運用できるのか」と述べ、同党が主張している規模縮小が必要との考えを主張した。

(10/7)参院自民、郵政法案反対の鴻池決算委員長ら更迭へ
 参院自民党執行部は7日午前、先の通常国会で郵政民営化法案に反対票を投じた鴻池祥肇決算委員長、亀井郁夫文教科学委員長、中川義雄農林水産委員長を更迭する方針を固めた。12日の参院本会議で辞任を了承し、ただちに新委員長を選任する。反対派の中核で予算委員長だった中曽根弘文氏は、9月の特別国会の冒頭ですでに更迭している。

(10/7)首相、郵政反対参院議員の処分「採決の態度で多少変わる」
 小泉純一郎首相は7日の衆院郵政民営化特別委員会で、先の通常国会で郵政民営化法案に反対した参院議員への自民党内の処分について「採決される場合に、どういう態度を取るかによって処分が多少変わってくるのではないか」と述べた。自民党執行部は厳しい処分を下す方針を示しているが、首相は今回法案に賛成すれば処分を軽減することに含みを持たせたものだ。

(10/7)日本郵政公社の引受郵便物数、8月は5.6%増・衆院選が影響
 日本郵政公社が7日発表した8月の引受郵便物数は、前年同月比5.6%増の17億1697万6000通だった。前年同月を上回るのは3カ月ぶり。衆議院議員選挙投票入場券の送付などで、はがきが7.8%増になり、手紙も0.5%増えた。

(10/9)野田聖子氏も郵政法案に賛成へ
 郵政民営化関連法案に反対した無所属の野田聖子元郵政相(岐阜1区)は9日、岐阜市の事務所で記者会見を開き「法案反対という自らの政治的主張は完敗した」と述べ、郵政民営化関連法案に賛成する意向を示した。

 野田氏は賛成へ転じる理由として、与党大勝の選挙結果を挙げ「法案が完ぺきなものでなくても、民営化のスピードを上げろという国民の声として理解した」と話した。

 自民党本部から衆院選挙区支部の解散を求められたことについて、野田氏は「やむを得ない」とし、解散準備を進めていることを明らかにした。予想される除名処分は「仮の話なので答えられない」とした。

 野田氏は7月の衆院本会議の採決では反対票を投じ、衆院選でも「法案には未熟な点が多い」と指摘していた。

 選挙後、自民党岐阜市連が野田氏に「選挙結果を踏まえて判断してほしい」と法案に賛成するよう求める要望書を提出するなど、地元でも賛成への転向を求める動きが活発化していた。〔共同〕

(10/10)自民、反対派処分で硬軟使い分け・郵政法案11日衆院通過
 郵政民営化法案が11日の衆院本会議で可決、参院に送付され、週内にも成立する。衆院選で自民党公認を得られず無所属で当選した13人の反対派の大半は賛成に転じる見通しだ。野田聖子氏も9日、岐阜市内での記者会見で「法案反対の政治的主張は完敗した」と賛成の意向を表明した。

 無所属組が方針転換した背景には、月内にも決まる党紀委員会の処分で除名を避けたい思惑がある。小泉純一郎首相は「採決でどういう態度をとるかで処分が多少は変わる」と述べ、離党勧告や党員資格停止などへの「減刑」を示唆した。

 党執行部は処分で軟化姿勢をみせる一方、強硬策も打ち出した。無所属組に選挙区支部の解散を求める通知を5日付で送付。対抗馬として当選した議員の支部に一本化するためだが、支部を窓口とする企業・団体献金を受けられなくする「兵糧攻め」といえる。

(10/11)米財務長官、郵政民営化「民間と競争条件同一に」
 訪日中のスノー米財務長官は11日午前、米大使館で記者会見し、郵政民営化について、簡易保険や郵便貯金を民営化する過程で「平等な競争の土台を整備すべきだ」と述べた。民業圧迫につながらないように、民間との競争条件を同一にすべきだとの考えを強調した。中国の通貨、人民元については「引き続き中国に前進を求める」として一段の変動幅拡大などが必要との考えを示した。

 スノー長官は郵政民営化法案が成立する見通しになったことに対して、「資本の流れが改善し、より生産性の高い分野に回すことが可能になる」と歓迎した。そのうえで民間金融機関との競争条件をそろえることで「日本の国民が本格的な競争の恩恵を受ける可能性が出てくる」と強調した。

 中国の人民元改革については、7月の対ドルでの2%の切り上げなどで「歴史的なステップを踏んだ」と評価しながらも、「市場の実勢に基づく、より柔軟性をもった為替レート制度は中国の利益にもかなう」と述べた。ただ今週末から北京で開くG20(20カ国)財務相・中央銀行総裁会議では、人民元問題は主要議題に入らないとの見通しを明らかにした。

 日本経済の現状については「成長率が以前よりも向上している」と評価した。内需主導の拡大が「世界経済の安定に貢献し、不均衡改善の道にもつながる」との考えを示した。

(10/11)民主代表「信条曲げて賛成とは寂しい」――郵政造反議員に
 「自分の信条を曲げてまで、民意だからという一点で賛成に回られたことについては寂しい思いをした」――。民主党の前原誠司代表は11日午後、党本部で記者会見し、郵政民営化法案の衆院本会議採決で先の通常国会での反対から一転し、賛成票を投じた野田聖子元郵政相ら一部無所属議員の“転向”をこう批判した。

 一方、衆院特別委員会での審議日程に関しては「非常に短い」と不満を表明。ただ、政府案に対抗して「郵政改革法案」を提出した対案路線については、「めげずに貫いていきたい」と力を込めた。

 12日から始まる参院での審議に向けては、「問題点はまだまだあるので、十分な審議を尽くしてもらいたい」と訴えた。〔NQN〕

(10/11)経団連会長、郵政民営化会社トップ「金融界以外から」
 日本経団連の奥田碩会長は11日の定例記者会見で郵政民営化に関連して持ち株会社と傘下の4事業会社のトップ人事について「生命保険や損害保険を含めて金融機関の関係者は業界の利権があるから、資格がないと聞いている」と述べた。

 郵便貯金や郵便保険の両事業会社のトップには金融界出身の民間人を登用するとの観測が出ていた。奥田氏は「利権が発生するものはやらない。選べないし、選ばないという話だ」と否定した。

 「日本道路公団や中部国際空港でトップが民間で次の人にプロパー(内部出身者)を充てたように、郵政でもそういう可能性がある」とも指摘した。

 政府は経団連の推薦候補を軸に道路公団の民営化会社などのトップ人事を決めてきた。政府は郵政民営化の作業をする準備会社を来年1月にも発足させる方針だ。

(10/11)民主、対案路線に手応え──郵政法案が衆院通過
 独自の郵政改革案を提出した民主党内では、前原誠司代表の「対案路線」による論戦の盛り上がりで一定の存在感を示せたとの受け止め方が多い。一方、巨大与党による対案の否決は仕方ないとしても「内容の粗さから政府案の問題点を追及するには迫力不足だった」(幹部)との反省も出ており、今後に課題を残した。

 前原氏は11日の記者会見で、政府案の衆院通過を「衆院選の民意として謙虚に受け止めたい」と語った。対案の効用は「我々は改革に反対しているのでなく、中身の競争をしている。国民にも分かってもらえたのではないか」と評価した。

 衆院郵政特別委員会での実質審議はわずか1日半。それでも簡易保険の分割・民営化を含む対案のおかげで「民主は反改革派」というイメージは薄れたとの見立てだ。党内は対案に前向きな反応が大勢で、「衆院選前に対案を出せばよかった」と悔やむ議員は多い。

(10/11)郵政民営化法案、200票差で衆院通過──14日成立へ
 政府が提出した郵政民営化法案は11日の衆院本会議で、自民、公明両党などの賛成多数で可決、参院に送付された。衆院選での与党圧勝を受け、通常国会で反対票を投じ、自民党公認を得られずに当選した無所属議員のほとんどが賛成に回ったため、200票の大差で可決した。参院では12日に審議入りし、14日に成立する見通しだ。民主党が対案として提出した「郵政改革法案」は起立採決の結果、反対多数で否決された。

 政府案は記名投票の結果、賛成338票、反対138票、欠席・棄権3票だった。通常国会の衆院本会議では5票差で可決したが、今回は大差となった。

 反対派の無所属議員13人のうち、平沼赳夫氏が反対、野呂田芳成氏が欠席した以外は賛成した。反対派で国民新党を結成した綿貫民輔、亀井静香、亀井久興、新党日本に加わった滝実の各氏は反対した。参院では反対派のほとんどが賛成する意向を表明している。

(10/12)郵政法案、参院で審議入り・14日に成立へ
 政府が今国会で再提出した郵政民営化法案は12日午前、参院本会議で竹中平蔵郵政民営化担当相らが出席して趣旨説明と質疑を行い、審議入りした。本会議に続き参院郵政民営化特別委員会でも提案理由を説明し、13日には小泉純一郎首相が出席して総括質疑に臨む。同法案は14日に参院本会議で可決、成立する見通しだ。

 与党は特別委で郵便局網の維持や、民営化会社同士の取引にかかる消費税減免措置の検討などを盛り込んだ付帯決議を採択する方針。先の通常国会で採択した決議と同じ内容だ。

 先の通常国会の参院本会議で反対した自民議員の大半は賛成に回る意向を表明しており、成立は確実な情勢。仮に参院で否決されても、11日の衆院本会議で賛成した338人が再び賛成すれば、衆院の再議決で可決に必要な3分の2以上の賛成を確保できる。

 郵政民営化法案は、日本郵政公社を2007年10月に民営化し、持ち株会社のもとで郵便事業、窓口ネットワーク、郵便貯金、郵便保険の4つに分社化する内容。2017年9月末までに郵貯と保険の2社の株式を処分し完全民営化する。

(10/12)自民執行部、郵政民営化反対派の対抗馬から実情聴取
 自民党の武部勤幹事長、二階俊博総務局長は12日午前、先の衆院選で郵政民営化反対派の対立候補として擁立した片山さつき氏ら約20人から、それぞれ選挙の実態について報告を受けた。

 党紀委員会での反対派処分に向けて、執行部として選挙戦での党規違反行為を把握するのが狙い。対抗馬として戦った議員らからは除名を含めた厳格な処分を求める声が相次いだ。

 ほかに佐藤ゆかり、七条明、萩山教厳、金子一義各氏らが出席。反対派処分の在り方に関しては「国民が注視しているので、あいまいな仲良しクラブのような結論を出すと国民から批判を受ける」(佐藤錬氏)、「離党した人は安易に復党を認めないなどの分かりやすい対応が次の選挙につながる」(赤沢亮正氏)などの意見が出された。〔共同〕

(10/13)郵政完全民営化期間を3年に短縮・経済研究センター分析
 日本経済研究センター(深尾光洋理事長)は13日、日本郵政公社の完全民営化までの期間を3年程度に短縮すべきだとする金融研究報告をまとめた。補助金に支えられる郵政事業の収益構造や、民間銀行・保険会社への影響を分析。当面、新規事業を制限するなど民間と競争条件をそろえる必要があるとしている。

 郵貯資金を運用する際に上乗せされる優遇金利や、法人税の免除などを合わせると、年間で1兆円近い「見えない国民負担」が発生していると指摘。こうした恩典がなくなった場合、新たな収益源を開拓しない限り、目標利益を達成するには郵貯残高を現在の二倍弱に増やす必要があると試算した。

 一方、現在の規模を維持したままで民営化すれば、既存の銀行や保険会社にとって大きな脅威になると指摘。寡占を避けるため、政府保有株の売却期間を3年程度に短縮し、郵貯・簡保を民間の最大手以下の規模になるよう分割することなどを提言している。

(10/13)郵政法案、14日の参院本会議で成立へ
 政府が今国会に再提出した郵政民営化法案は14日の参院本会議で可決、成立する。衆院選での自民党圧勝により、採決では通常国会で反対に回った同党議員の大半も賛成に転じる見通しだ。参院郵政民営化委員会で採決後に「郵便局網の維持に万全を期す」などの付帯決議をすることも固まった。

 参院郵政委は14日午前から郵政法案を質疑し、午後には採決を実施。付帯決議は通常国会とほぼ同じ内容。その後、ただちに参院本会議に緊急上程し、郵政法案は同日午後にも成立する見通し。参院でも、衆院と同じ3日間のスピード審議となる。

 13日の委員会質疑では、小泉純一郎首相が付帯決議について「尊重して、郵便局は無くならないことを国民に分かるように対応しなければいけない」と述べた。

(10/14)郵政民営化法が成立、賛否は34票差・参院本会議
 政府が再提出した郵政民営化関連6法案は、14日午後の参院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。賛成は134票、反対は100票だった。先の通常国会では自民からの大量造反で、賛成108票、反対125票の大差での否決となったが、その後の衆院選で自民党が圧勝した結果を受け、反対票を投じたほぼ全員が賛成に回った。郵政民営化は、開始時期を半年間遅らせ、2007年10月から実現する運びとなった。

 本会議に先立ち、参院郵政民営化特別委員会は同日午前から6法案に関する質疑。午後の審議終了後に採決した結果、与党の賛成多数で可決し、参院本会議に緊急上程した。〔NQN〕

(10/14)郵政民営化法成立、経済界首脳が相次ぎ歓迎のコメント
 経済界首脳は14日、郵政民営化法成立を歓迎するコメントを一斉に出した。日本経団連の奥田碩会長は「総選挙の結果から国民が成立を強く望んできた法案だ」と歓迎したうえで「小泉首相が一貫して示した先見性と指導力に深く敬意を表したい」とした。郵政後の課題では社会保障制度改革、政府系金融機関改革を挙げた。

 政府の郵政民営化案を早くから支持してきた経済同友会の北城恪太郎代表幹事は「民営化の意義を十分に果たし、傘下各社が市場で健全に競争し、自立できる道筋を整備することが重要だ」と指摘。持ち株会社などの経営者の早期選任や複数の社外取締役の任命などを要請した。

 日本商工会議所の山口信夫会頭は「持続可能な社会保障制度改革、少子化対策、財政健全化など取り組むべき難しい課題は多い」と述べ、様々な改革に早く手を付けるよう注文した。

(10/14)自民、郵政法案反対派を月内処分へ・対象は反対票の59人
 郵政民営化法の成立を受け、自民党執行部は14日、先の通常国会で同法案に反対、欠席・棄権した議員の処分に向け、本格的な手続きに着手した。党紀委員会での処分対象者を反対票組の59人とすることを決定。欠席・棄権組の22人は武部勤幹事長の判断で可能な軽い処分とし、いずれも月内に決める。

 党紀委は21日に初会合を開いて審査に入る。対象者は衆院37人、参院22人。衆院選に無所属で出馬した反対組は投票行動だけでなく、党公認候補への選挙妨害も加わるため、厳しい処分になるとの見方が出ている。

 与野党の勢力が拮抗(きっこう)する参院側は除名や離党勧告などは避けたいのが本音で、役職停止などの軽い処分での決着を探る。片山虎之助参院幹事長は14日の記者会見で「処分は参院の意向を尊重してやるべきだ」と強調した。

 小泉純一郎首相は首相官邸で記者団に「それぞれの事情や選挙区が違うから、しっかりした手続きを踏み、慎重に考えてくださいと(指示している)。執行部に任せている」と述べた。

(10/14)参院、郵政民営化で消費税減免など15項目の付帯決議採択
 参院は14日の郵政民営化特別委員会で、民営化後の新会社の取引にかかる消費税減免措置や郵便局のネットーワーク維持への配慮などを求める15項目の付帯決議を採択した。内容は参院が先の通常国会で採択した決議と同じ。前回は「反対派の説得」が目的だったが、今回は参院の「存在意義」を訴えることに主眼を置いた。

 付帯決議は国会の意思として政府に尊重を求めるものだが、法的な拘束力はない。衆院では与党が3分の2超の議席を獲得し、参院は独自性の模索に躍起。自民党の片山虎之助参院幹事長は本会議後の記者会見で、参院の役割について「衆院の足らざるを補い、行き過ぎを抑え、国民の考えを立法の中に生かす」と強調した。

(10/14)郵政労組「民営化法成立、きわめて残念」
 日本郵政公社労働組合(JPU)と全日本郵政労働組合(全郵政)は14日、民営化法成立を受け「きわめて残念な事態だが、法成立という新たな現実も冷静に受け止めなくてはならない」とのコメントを発表した。

 全郵政の宮下彰委員長は同日の記者会見で「今後は組合員の不安を取り除き雇用を守る役割を果たす」と述べた。政府側と民営化の具体的な制度設計を協議する方針だ。

(10/14)郵政民営化法が成立・参院自民は棄権1で反対はゼロ
 政府が今国会に再提出した郵政民営化法が14日の参院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。先の通常国会では自民党から22人が反対票を投じて否決されたが、衆院選での同党圧勝を受け、造反は棄権1人にとどまった。小泉政権が最重要課題としてきた郵政民営化に道筋がついたことで、今後は11月初旬の内閣改造・自民党役員人事や、政策金融、公務員制度の改革などに焦点が移る。

 採決は記名投票の結果、賛成134票、反対100票だった。前回自民党で反対票を投じた議員のうち、亀井郁夫氏は本会議を途中退席。自民党を離党した国民新党の長谷川憲正、新党日本の荒井広幸両氏は今回も反対票を投じた。民主、共産、社民など野党各党も反対した。

 本会議に先立ち、参院郵政民営化特別委員会は郵便局網の維持や消費税の減免などを求める付帯決議を与党の賛成多数で採択した。

(10/14)郵政民営化法成立で米生保協が声明、同等の競争条件を
 【ワシントン14日共同】米生命保険協会は14日、郵政民営化関連法の成立を受けて声明を発表し、民営化後に外国企業と同等の競争条件が実現するよう省令制定など今後の手続きを注視していく考えを明らかにした。

 同協会は、現在の簡易保険が税制面などで優遇措置を受けていると指摘。こうした状態が続く限り新商品の発売を認めるべきでないと重ねて強調、民営化手続きを透明にするよう要請した。

(10/17)新会社経営陣「経験者いないと困る」・郵政公社総裁
 日本郵政公社の生田正治総裁は17日、民営化後の新会社の経営陣について「各分野について応分の知識がある人が望ましい。持ち株会社にも金融子会社のトップにも(金融の)経験者がいないのでは困る」と述べ、金融機関出身の民間人の登用を排除すべきではないとの考えを示した。都内で記者団の質問に答えた。

 2007年10月の民営化後は持ち株会社の下に郵便、郵便貯金、保険、窓口ネットワークの四つの事業会社が置かれる。生田総裁は持ち株会社のトップについては「特定分野の専門家である必要はなく、リーダーシップのある優れた経営者が就任すべきだ」と指摘。一方、傘下の四事業会社は「専門性がないと、しんどい」と語った。

 日本経団連の奥田碩会長は11日の記者会見で「金融機関の関係者は業界の利権があるから、資格がないと聞いている」と発言していた。

(10/18)郵政設立委に奥田経団連会長ら7氏内定・総務相
 麻生太郎総務相は18日午前、郵政民営化に向けた準備企画会社の設立作業を進める設立委員会委員に奥田碩日本経団連会長ら7人を内定した。民営化の具体的な計画作りを進める。政府は同日の閣議で、郵政民営化法の公布も決定した。

 準備企画会社は来年1月に発足。2007年10月の民営化に向けて、日本郵政公社の人員や資産を振り分ける「承継計画」を策定する。

 委員は奥田氏のほか、北城恪太郎経済同友会代表幹事、山口信夫日本商工会議所会頭、秋山喜久関西経済連合会会長、森下洋一郵政行政審議会会長、貝塚啓明金融審議会会長、生田正治日本郵政公社総裁の6人。

(10/19)郵政公社総裁「07年10月の民営化へ背水の陣」
 日本郵政公社の生田正治総裁は19日の記者会見で、郵政民営化法の成立に関連して「法律が決まった以上、2007年10月に民営化できるように背水の陣で臨む」と述べ、情報システムの整備を民営化までに間に合わせる方針を強調した。

(10/20)郵政公社、国際物流で全日空と提携
 日本郵政公社は20日、国際物流分野で全日本空輸と提携する方針を固めた。共同出資の貨物運送会社を設立する。同日午後発表する。今国会で成立した郵政民営化法は2006年4月以降、郵政公社による国際物流への進出を認めており、今回の提携が第1弾で、国際物流進出に向けた準備が本格化する。

 国際物流分野では中国をはじめアジア地域での成長が著しく、郵政公社が民営化前の本格参入を強く求めていた。郵政公社は今回の提携で自前の物流網を構築して海外の物流業者に対抗する。

 郵政公社は2007年の民営化をにらみ、国際物流事業を新たな収益の柱とする方向で準備を進めている。すでにオランダの国際物流会社TPGとの提携交渉も本格化している。

(10/20)自民の郵政反対派、5氏が離党届
 通常国会で郵政民営化法案に反対し、衆院選で自民党公認を得られず無所属で当選した古屋圭司(岐阜5区)、森山裕(鹿児島5区)、古川禎久(宮崎3区)の3氏が20日、党本部に離党届を提出した。落選した左藤章(大阪2区)、川上義博(鳥取2区)の両氏も提出した。

 党紀委員会の処分決定を前に離党届を提出することで除名などの厳しい処分を避け、将来の復党に望みをつなげたい思惑があるとみられる。これで衆院の郵政反対派37人のうち、新党結成組を含めた離党届提出者は計20人となった。

(10/21)関係閣僚、郵政公社・全日空提携を歓迎
 日本郵政公社と全日本空輸が国際物流で提携したのを受け、21日の閣議後の記者会見で関係閣僚は相次ぎ歓迎する意向を表明した。竹中平蔵郵政担当相は「民営化に向けた準備を公社が積極的に進めていると評価している」と指摘。北側一雄国土交通相は「どんどん外資系が参入してくる中で、荷主側にとっても、我が国企業の選択肢があることが非常に大事だ」と評価。民営郵政の肥大化への懸念は聞かれなかった。

 国際物流分野はドイツポスト傘下のDHLや米フェデラル・エクスプレスなど外資系4社の寡占状態で、成長が見込めるアジア市場でも競争が激化している。国交相は「国際競争力の維持向上を考えても物づくりと物流は車の両輪」と指摘。「今回の連携はぜひ成功してほしい」と述べ、日の丸連合に対する期待感を強調した。

(10/21)郵政公社、代引き回収代金の一括送金サービス
 日本郵政公社は24日、代金引換郵便物で配達時に回収した代金を一定期間分まとめて一括送金するサービスを始める。これまでは郵便物1個ごとに回収した代金を送金していたため、送金手数料がかさむとの不満が出ていた。手数料負担を減らすことで、通信販売業者などの配送需要を取り込めるとみている。

 新サービスは郵便小包「ゆうパック」が対象。配達と引き換えに顧客から回収した代金を、差出人が指定した期日に郵便局や銀行の口座に振り込む。配達状況や入金情報もインターネットで一覧できるようにする。

 代金引換郵便物を発送するときに、書留にしなくてもよい代金額の上限を従来の5万円から30万円に引き上げる。

(10/28)「かんぽの宿」8カ所廃止
 日本郵政公社は簡易保険事業で運営する保養施設「かんぽの宿」などのうち、赤字が続く8施設を来年3月末をめどに廃止する方針を固めた。2007年10月の民営化に向けて不採算施設の整理を進めるのが狙い。地元自治体などへの売却を軸に検討する。

 今回の廃止対象は層雲峡(北海道)、盛岡(岩手県)、米沢(山形県)、白石(宮城県)、妙高高原(新潟県)、佐渡(同)、安芸能美(広島県)、阿波池田(徳島県)の各施設。いずれも04年度決算で収支率(年間の支出に対する収入の割合)が90%を下回り、今後の採算改善も見込みにくいと判断。すでに地元自治体と調整に入った。

(10/28)竹中担当相、労使協議開始を組合側に要請
 竹中平蔵郵政民営化担当相は28日午前、郵政民営化法が成立したことを受け、日本郵政公社労働組合の菰田義憲委員長や全日本郵政労働組合の宮下彰委員長と会談した。竹中氏は民営化までに時間的な余裕がないため、準備企画会社が来年1月にできる前に、日本郵政公社と労使関係について実質的な協議を始めるように要請した。

 組合側は民営化後の職員の帰属問題などについて、政府にも配慮するように求めた。今回の会合で、郵政民営化に伴う労使間交渉が始まる基本的な環境が整った。

(10/28)郵政公社、「かんぽの宿」など12施設廃止
 日本郵政公社は28日、簡易保険加入者福祉施設「かんぽの宿」など8施設を来年3月末で廃止すると発表した。層雲峡、白石、盛岡、米沢、佐渡、妙高高原、安芸能美、阿波池田の各施設が対象。郵便貯金地域文化活動支援施設「ぱ・る・るプラザ」も青森、町田、岐阜、山口の4施設を来年10月末で廃止する。廃止後は地元自治体への売却を軸に検討する。

(10/29)郵政公社「名前入り年賀状」で民間提携
 日本郵政公社は年賀状に差出人の名前、住所などを印刷するサービスで初めて民間企業と提携する。郵便局の窓口で注文を受け付け、これを名入れ印刷首位のマイプリント(東京都多摩市、松橋徹社長)につなぐ。刷り上がった年賀状は郵便小包の「ゆうパック」で利用者のもとに届ける。年賀状は電子メールなどに押されて伸び悩んでおり、販売促進をねらう。

 東京都内の立川、町田、八王子など約400の郵便局で、来年の年賀状発売日の11月1日から注文を受け付ける。需要動向などを見きわめながら、他地域へのサービス拡大を検討していくとみられる。

(10/31)郵政公社、アジア向け物流に照準・オランダ大手と提携発表
 日本郵政公社は31日、オランダに本拠を置く国際物流大手、TNTと提携すると正式発表した。第1弾として2006年4月をめどに合弁会社を日本に設立、日本発着の国際急送便サービスを共同ブランドで展開する。成長が続くアジア太平洋市場の輸送需要を取り込み、低迷する郵便事業のてこ入れを目指す。

 郵政公社は来春をめどに、TNTの日本法人に出資し、両社の共同出資会社に衣替えする。資本金は10億円超となる見込み。出資比率は未定だが、郵政公社が過半を握る見通し。社長は外部からの人材登用を含めて検討する方針だ。

 新会社は日本発着の国際急送便サービスを展開する。まずは現地進出した日本企業の需要が大きい中国・上海向けからスタートする考えだ。将来は中国などアジア各国での合弁会社の設立も検討し、「アジア太平洋地域での主導的地位」(生田正治総裁)の獲得を目指す。

 郵政公社はこれまで日本国内で引き受けた国際郵便物を相手国の郵便事業者に引き渡すことしかできなかった。

(10/31)竹中総務相、郵政行政局の組織・業務縮小検討を表明
 竹中平蔵総務・郵政民営化担当相は31日夜の閣議後の記者会見で、「官のリストラも当然出てくる。日本郵政公社が(民営化で)なくなれば、郵政行政局は今のままである必要はない」と述べ、公社を監督する総務省郵政行政局の組織・業務の縮小を検討する考えを表明した。

 郵政民営化後の新会社の経営陣や、監視機関である郵政民営化委員会の人事に関しては「郵政民営化がうまくいくかどうかのキー(鍵)になる。首相と相談しながら決めたい」と述べ、人選を急ぐ考えを示した。

 楽天によるTBSへの経営統合申し入れについては「個別の経営の問題。いい、悪いと申し上げる立場にはない」と語った。NHKの受信料制度見直しは「簡単には答えが出ない。党の内外の意見にオープンに耳を傾けたい」と述べるにとどめた。

(11/1)郵政公社の投信窓販、参入1カ月で95億5000万円
 日本郵政公社は31日、10月から参入した投資信託の累計販売額(同日現在、速報値)が合計95億5000万円だったと明らかにした。顧客へのリスク説明を徹底したことなどもあり、控えめなスタートとなった。

 1営業日あたりの販売額は約4億8000万円、郵便局1局では1営業日で約85万円となる。口座開設件数は約9000件。1人当たりの購入額は約75万円と、大手銀行平均の200万―300万円に比べて小口だった。

(11/1)総務相:民営化後の郵政新会社トップ、大企業経営の経験者望ましい
 竹中平蔵総務・郵政民営化担当相は1日午前の閣議後記者会見で、郵政民営化後の新会社の経営陣の人選について「どのような人になるかがうまくいくかどうかの最大のキー(鍵)になる」との考えを改めて示した。その上で人選の基準について「非常に大きな企業の経営になる。経営は総合力なので大企業の経営の経験があり、組織、従業員をしっかりまとめていく力があること」を条件にあげ、民間人登用を示唆した。さらに「将来に対する洞察力と組織を引っ張っていくリーダーシップがとりわけ求められている」とも付け加えた。

 時期については「難しい人選なので、小泉純一郎首相と良く相談しながらしっかりと進めていきたい」と述べるにとどめた。〔NQN〕

(11/3)竹中氏「郵政民営化委、1カ月以内に人選」
 竹中平蔵総務・郵政民営化担当相は2日のNHK番組で、郵政民営化後の新会社の経営陣や監視役となる郵政民営化委員会の人事について「1カ月以内に小泉純一郎首相とよく相談して決めたい」と表明した。「大変重要な人選だ。郵政民営化の成否がかかっている」と強調した。

(11/11)郵政民営化推進本部、15日に初会合
 政府は11日、郵政民営化法に基づき設置した郵政民営化推進本部の初会合を15日に開くと発表した。小泉純一郎首相が本部長を務め、全閣僚で構成する。2007年10月の民営化に向け、準備作業を本格化させる。

(11/11)政府、西川氏の「日本郵政」初代社長就任内定を発表
 政府は11日、2007年10月の郵政民営化で発足する持ち株会社「日本郵政」のトップに三井住友銀行の前頭取、西川善文氏(67)を充てる人事を発表した。同日の記者会見で西川氏は民営化会社について「リスクをとって利益をあげる」「規模の拡大よりも競争力」などと収益重視の経営方針を強調した。「民営郵政」のビジネスモデルづくりが本格化し、郵政民営化は新たな段階に入る。

 首相は同日午後、首相官邸で竹中平蔵郵政民営化担当相とともに西川氏と会談し、就任を正式に要請し、西川氏が受諾した。西川氏は来年1月、持ち株会社の前身となる準備企画会社の社長にまず就任し、民営化後もトップとして経営を担う。

(11/15)西川氏らの設立委員就任を了承・郵政民営化本部
 政府は15日午前、郵政民営化法に基づいて設置した郵政民営化推進本部(本部長・小泉純一郎首相)の初会合を首相官邸で開いた。民営化後の持ち株会社の母体として来年1月に設ける準備企画会社の設立委員に、同社の社長に内定した西川善文・前三井住友銀行頭取らが就任することを了承した。

(11/15)米USTR代表、郵政民営化の「公平な実施」要請
 【釜山=加藤修平】二階経産相は15日、釜山でポートマン米通商代表部(USTR)代表と1時間程度会談した。同代表は「郵政民営化が公平な形で実施されることを期待している」と語り、米国の保険会社が不利にならないよう配慮を要請。日本が米国産牛肉の輸入を再開するよう改めて求めた。

 米国は国の出資が残る郵政民営化会社が取り扱う保険の種類を増やして業務を拡大することを警戒しており、同代表は「日米首脳会談でも求める」と述べた。

 牛肉輸入の再開については二階経産相が日本の対応を説明し、米国の要望を日本の関係者に伝えると返答した。WTOのドーハ・ラウンドの進展を目指す点では両氏とも一致した。

(11/16)窓口値上げ、ATMは下げ――郵政公社が送金手数料見直し
 日本郵政公社は16日、来年4月3日から送金決済サービスの手数料を見直すと発表した。専用用紙を使って通信販売の代金などを業者の口座に振り込む「通常払い込み」では、窓口利用時の手数料を引き上げる一方でATM手数料は据え置き、ATMの利用を促す。窓口扱いの手数料引き上げは45年ぶりだ。

 公社は見直しについて「事務の効率化が狙い。顧客サービス向上につなげたい」と話している。

 郵便貯金口座間での資金のやりとりで、一般の人もよく使う「電信振替」は窓口での手数料を据え置く。ATM利用の場合やパソコン・携帯電話の場合は引き下げる。

(11/18)竹中郵政相、郵政民営化で意見交換・ドイツポスト会長
 ドイツ訪問中の竹中平蔵総務・郵政民営化担当相は18日夕(日本時間19日未明)、ドイツポストのツムヴィンケル会長と会談し、日本郵政公社の民営化の段取りなどを説明した。ツムヴィンケル会長は「公営企業体が大きな変化を遂げるには時間がかかる」と述べ、民営化完成には十分、時間をかけるべきだとの考えを示した。(フランクフルト支局)

(11/21)特定郵便局、相続税軽減を「1回限り」条件に継続・政府方針
 政府は特定郵便局の敷地を相続した際にかかる相続税の軽減措置を2007年10月の郵政民営化後も当面続ける方針だ。特定局の敷地は局長ら個人が所有するケースが多く、税制優遇を前提に歴代の局長らが次世代に引き継いでいるため、突然軽減措置をなくすのは難しいと判断。今後1回限りで認める。

 特定郵便局は全国に約1万9000カ所あり、局長らが持つ土地・建物を使うケースが大半。「国の事業に提供された土地」との理由から、400平方メートルまでは相続税を算定する際の基準となる価格を8割減額できる。軽減を打ち切ると税負担が膨らむ局長らから不満が出る可能性があった。

(11/21)郵政公社総裁、分割後の会社間取引への消費税減免など要望
 日本郵政公社の生田正治総裁は21日、自民党の中川秀直政調会長と会談し、公社を分割して発足する民営化会社間の取引にかかる消費税の減免を検討するように求めた。貯金・保険会社の株式売却益の一部を過疎地でのサービス維持に充てる「社会・地域貢献基金」についても積立額への非課税措置を要望した。

 生田総裁は同日の記者会見で「民間企業と平等な競争条件と言いながら、郵政グループ会社にだけ大きな負担がかかるのはおかしい」と指摘した。

(11/21)郵政公社の9月中間、純利益2.7倍の9984億円――株高で含み益
 日本郵政公社が21日発表した2005年9月中間決算は公社全体の純利益が9984億円と前年同期の約2.7倍に上った。ただ株価上昇で保有株式に多額の含み益が発生するなど特殊要因による部分が大きい。郵便、郵便貯金、簡易保険の3事業とも「じり貧」傾向を脱したとはいえないようだ。

 郵政公社が中間決算を公表するのは今回が初めて。固定資産への減損会計も初めて適用した結果、郵便貯金会館(メルパルク)や「かんぽの宿」、逓信病院など134施設や遊休資産を対象に計2243億円の損失を計上した。

 事業部門別にみると、郵便事業は赤字。ただ売上高に相当する経常収益は前年同期比でわずかながら増え、減少に歯止めがかかった。はがきや封書の減少分を、郵便小包「ゆうパック」やダイレクトメール便の拡大で補う作戦が功を奏し始めたともいえる。通期では156億円の最終黒字を見込むが、生田正治総裁は「(達成を)確信している」と自信を見せる。

 郵便貯金部門の純利益は前年同期の2.5倍に膨らみ、1兆円を突破した。ただ、信託を通じて保有する株式の含み益(5936億円)を「金銭の信託運用益」として利益に計上していることが主因。これを除くベースでは4748億円と前年同期に比べて6.9%減った。

(11/22)在日米商議所、郵政民営化で政策提言
 在日米国商工会議所は22日、郵政民営化法の成立を受けた政策提言を発表した。「民間企業と対等な競争条件が確立されるまでは、郵政新会社による新規事業への参入や新商品の投入を認めるべきではない」と指摘。政府の郵政民営化委員会による認可基準を明確にしたり、決定過程の透明性を高めることを求めた。

(11/25)郵政公社総裁:三菱UFJ信との提携、郵便売り上げ減に歯止め
 日本郵政公社と三菱UFJ信託銀行と企業などを対象に郵便物の封入・発送サービスを提供する共同出資会社の設立すると発表した。同日都内で記者会見した生田正治総裁は、今回の提携の目的について「郵便事業は苦しい状況にある。普通郵便以外の分野で市場競争力を付け、トータルで売り上げ減少に歯止めをかける」と説明した。

 民営化前の郵政公社による業容拡大への積極姿勢については「公社法で許される範囲で、経営資源を活用して事業の健全性を図ることは、国民の利益に資する」と強調した。さらに、新会社が設立当初は株主総会の招集通知発送など証券代行業務を行うことを説明した上で、「証券分野に限らず、領域を広げてさらに売り上げを伸ばしていきたい」と意欲を示した。〔NQN〕

(11/28)全国の郵便局、04年度は27%が赤字・1年で2500局増
 日本郵政公社は28日、全国の郵便局の約27%にあたる5370局が2004年度に赤字だったとの試算を発表した。郵便貯金や簡易保険の利益が縮小したことで、赤字局の割合は03年度の14%(2870局)に比べてほぼ倍増した。07年10月の郵政民営化に向けて、赤字局の統合など郵便局網の効率化が課題になりそうだ。

 試算の対象は郵便、郵便貯金、簡易保険の3事業を手がける普通郵便局と特定郵便局を合わせた2万242局(簡易局は除く)。04年度決算をもとに、3事業の収益や費用を各郵便局の人員や取扱量に応じて配分した。

 赤字郵便局の割合が拡大したのは、04年度は資金運用収益の低迷などで3事業合計の利益が1兆3652億円と、前年度(2兆4676億円)に比べほぼ半減したのが主因だ。

 全国13の地域支社別にみると、最も赤字局の割合が高いのは北海道の55%。沖縄(50%)や東北(47%)など、過疎地や離島を抱える地域が続いた。首都圏や名古屋、大阪圏では赤字局の割合が全国平均を大きく下回った。支社別の損益では、北海道を除くすべての支社が黒字だった。

(12/9)郵政民営化の準備企画会社、来月23日に設立
 政府は9日、郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」を来年1月23日付で設立すると発表した。設立委員会で会社の定款などを議論したうえで、1月20日に創立総会を開く。

 竹中平蔵総務相は9日の閣議後の記者会見で、郵便、郵便局、郵便貯金銀行、郵便保険の4事業会社のトップ人事は「設立までに内定しているのが望ましい」としたうえで、「(民間企業に比べて)待遇が良くなることはありえず、いい経営者を見つけるのは難しい」と述べ、調整が長引く可能性を示唆した。

(12/10)郵便参入条件を緩和、ポスト規制も見直し・総務省方針
 総務省は、日本郵政公社が事実上独占している郵便事業への民間企業の参入を容易にするため、規制を緩和する方針を固めた。現行の信書便法を改正し、民間が参入できる範囲を郵便物の重さを基本とする客観的な基準に切り替える。郵便ポストを10万本以上設けることを参入企業に義務付けている規制も緩和する見通しだ。竹中平蔵総務相のもとに有識者で構成する委員会を月内に設置、来年6月までに結論を出す。

 委員長には住友信託銀行の高橋温会長を起用する。企業経営の経験者らの意見を参考にして、民間参入が進み、郵便分野での競争が促進される環境づくりを目指す。

 日本郵政公社の発足に伴って2003年4月に施行した信書便法では、はがきや封書、請求書など特定の受取人に意思表示する文書を「信書」と定義。日本郵政公社による取り扱いを原則としつつ、一定の基準を満たす民間企業による参入を認めている。

(12/13)竹中総務相、郵便参入規制緩和で検討委員会設置を表明
 竹中総務相は13日の閣議後の記者会見で、日本郵政公社が事実上独占している郵便事業への参入規制緩和について「民営化するしないにかかわらず、市場を常に競争的にするのは重要。全国一律サービス義務と独占分野の関係など幅広く議論したい」と述べ、有識者による検討委員会を設置する考えを表明した。

 委員会の開催時期については「年明けからフル稼働できるようにしたい」と指摘。人選を年内に終えたうえで、通信・放送の融合や地方分権に関する各懇談会と同様に来年1月に初会合を開く方針を示した。

(12/14)「日本郵政」設立委が初会合・定款案を大筋了承
 政府は13日、郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政株式会社」の設立委員会の初会合を開き、民営化後の委員会等設置会社への移行などを盛り込んだ新会社の定款案を大筋で了承した。

 設立委は新会社の定款を作成し、創立総会の発起人となる。委員長には日本商工会議所の山口信夫会頭を選んだ。

 資本金額や発行株式総数、取締役の数、本社所在地など未確定の項目は、来年1月11日の第2回会合で決める。20日の創立総会を経て、23日に新会社が正式に発足する。

(12/16)竹中総務相、郵便参入促進へ有識者研究会の設置表明
 竹中平蔵総務相は16日の閣議後の記者会見で、日本郵政公社が事実上独占している郵便事業への民間参入を促すため、有識者による研究会を設置すると正式に発表した。来年1月13日に初会合を開き、半年程度で結論を出す。

 「郵便におけるリザーブドエリアと競争政策に関する研究会」は、高橋温住友信託銀行会長、井手秀樹慶大教授、宇田左近マッキンゼー・アンド・カンパニー・プリンシパル、梶川融太陽監査法人総括代表社員、黒川和美法大教授、国領二郎慶大教授、中山弘子新宿区長の7人で構成する。

 政府の規制改革・民間開放推進会議が検討しているNHKの衛星放送のスクランブル化について総務相は「予見を持たずに幅広く議論したい」と述べ、近く設置する私的懇談会で検討する考えを示した。

(12/19)自民、郵政法案造反議員の処分確定・除名は計11人に
 自民党は19日、亀井郁夫参院議員の除名を決め、先の通常国会で郵政民営化法案に造反した国会議員の処分がすべて確定した。最も重い除名処分は衆院10人、参院1人の計11人に達した。党執行部は今後、衆院選で反対派議員を支援した県連幹部らを処分し、地方組織の「正常化」を急ぐ。

 亀井氏は国民新党に移った亀井静香衆院議員の実兄。通常国会で郵政法案に反対、衆院選では党広島県連会長のまま静香氏を応援、特別国会では採決を棄権した。反党行為が重なり、参院ではただ1人、離党勧告を受けた。亀井氏は「処分が不公平」などとして不服審査請求をしたが、今月8日に却下。10日以内に離党届を提出しなかったため除名が決まった。

(12/21)郵政公社総裁、郵便事業参入「自由化は段階的に」
 日本郵政公社の生田正治総裁は21日の記者会見で、総務省が検討している郵便事業への民間参入規制の緩和について「欧州と同じように(公社や民営化会社の郵便事業が)健全になってから段階的に自由化する手順を踏んでほしい」との考えを示した。

 生田総裁は「公社の郵便事業は5000億円の債務超過で、自由化だけが進めば破綻する可能性もないとは言えない。郵便料金の値上げなど国民負担につながる可能性もある」と指摘。当面は一定の範囲で独占を容認して黒字構造が確立してから、民間参入を認めるべきだとの認識を示した。

 民間参入の範囲に関しては「信書かどうかという概念で定義しているのは日本だけ。欧米のように重さや基本料金など数字で厳正に定めるべきだ」と指摘した。

 国際物流事業で提携したオランダのTNTによるロジスティクス部門の売却に関しては「提携事業に影響はない」と述べた。

(12/22)郵政公社、セイコーマートと郵便小包取り扱いで提携
 日本郵政公社は22日、北海道を地盤とするコンビニエンスストアのセイコーマート(札幌市)と提携すると発表した。来年3月からグループの約1100店舗で郵便小包「ゆうパック」の取り扱いを順次始める。郵政公社がコンビニと提携するのは6社目。

(12/26)郵政民営化の監視機関委員長に田中直毅氏
 政府は26日、来年4月に発足する郵政民営化の監視機関、郵政民営化委員会の委員長に経済評論家の田中直毅氏を充てる人事を決めた。同日夕に発表する。

 委員はこのほか、増田寛也岩手県知事、冨山和彦産業再生機構専務、大田弘子政策研究大学院大学教授、野村修也中央大学教授で構成する。

 田中氏は郵政民営化問題に詳しく、小泉純一郎首相が2001年の政権発足直後に設置した私的懇談会「郵政3事業の在り方について考える懇談会」の座長も務めた。

(1/1)年賀状配達の出発式・総裁「民営化準備への出発式」
 日本郵政公社の年賀郵便配達出発式が1日朝、東京都新宿区の新宿郵便局で行われ、約30人の職員が自転車やバイクで、肌寒い新春の高層ビル街に一斉に繰り出した。出席した生田正治総裁は「郵政3事業の民営分割が決まり、今朝はその準備に向けての出発式でもある」とあいさつした。

 日本郵政公社によると、全国の元日配達分の年賀郵便物は昨年より7.8%少ない約20億5200万通。電子メールの広がりなどで6年連続の減少となった。

 午前8時から行われた式では、来賓の竹中平蔵総務相が「民営化は間違いなく国民のためになる。しっかりと準備に当たっていただきたい」と述べた。

 戌年にちなみゴールデンレトリバーが、同郵便局近くの飲食店に年賀状を配達した。〔共同〕

(1/4)12月末の投信販売残高、前月末の2.3倍に・郵政公社
 日本郵政公社は4日、昨年12月末の投資信託販売残高が410億1300万円と前月末の2.3倍になったと発表した。株高を背景にボーナスで投信を購入する顧客が増えたことが主因だ。

 郵政公社は昨年10月、全国の郵便局で投信の取り扱いを始めた。今年3月末の残高目標は1073億円だが、10、11月は低調だった。「職員がリスク商品の扱いに慣れてきた」(投資信託部)との声もある。株価連動型投信の売れ行きが好調だったという。昨年12月中の販売金額は前月の2.9倍に拡大した。

(1/10)郵政準備会社の自己資本、3000億円――政府が最終調整
 政府は10日、23日に発足する郵政民営化の準備企画会社「日本郵政」の自己資本を3000億円とする方向で最終調整に入った。自己資本を厚めに積み、運用益を新会社の運営経費に充てる狙い。本社は東京都港区虎ノ門の賃貸ビルに置く。11日の同社設立委員会で正式決定する。

 日本郵政公社が3000億円を全額出資し、政府に無償譲渡する。2007年10月の民営化で持ち株会社に移行して4つの事業会社を傘下に収める際に、自己資本を大幅に積み増す見込み。

(1/11)「日本郵政」の自己資本3000億円・設立委、定款案を了承
 政府は11日、郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」の設立委員会(委員長・山口信夫日本商工会議所会頭)の第2回会合を開き、新会社の自己資本を3000億円とする定款案を了承した。同委員会が発起人となって創立総会を20日に開催、23日に新会社が正式に発足する。

 新会社が設立時に発行する株式総数は600万株で、1株の価格は5万円。1500億円を資本金、1500億円を資本準備金に組み入れる。日本郵政公社が全額出資し、政府に無償譲渡する。

 新会社は2007年10月の民営化時点で持ち株会社となり、傘下に4つの事業会社を収める。委員会等設置会社への移行をにらみ、定款案では取締役を20人以内、監査役は3人とした。

(1/12)郵政公社、三越と提携へ・「手紙」付き贈答品など
 日本郵政公社と三越が電信文付きの贈答品配達など新サービスの開発を柱に提携する方向で、最終調整に入った。2007年10月の民営化をにらみサービス水準を高めたい郵政公社と、全国に約2万4000ある郵便局のネットワークを使って売り上げを伸ばしたい三越の思惑が一致した。商品配送に関する共同出資会社の設立も視野に、1月中の合意を目指す。

 提携第1弾として、ファクシミリなどを通じて利用者が依頼した文面を郵政公社が相手先に届ける「レタックス」に、三越のギフト商品を組み合わせるサービスを今年4月から始める見込み。

 慶弔時に使われることが多いメッセージサービスはNTTの電報が需要をほぼ独占しているが、贈られた人が商品を選べるカタログギフトをレタックスに加えることで、出産や昇進祝いなど「記念日」のメッセージ需要を幅広く掘り起こす。

(1/13)郵便の民間参入促進検討、総務省研究会が初会合
 総務省は13日、日本郵政公社が事実上独占している郵便事業への民間参入促進を検討する「郵便におけるリザーブドエリアと競争政策に関する研究会」(座長・高橋温住友信託銀行会長)の初会合を開いた。欧州連合(EU)の制度を参考に、民間参入を促す方向で制度を見直す。

 現行の信書便法ははがきや封書など特定の受取人に意思表示する「信書」について郵政公社による取り扱いを原則としつつ、一定の条件を満たす民間企業の参入を認めている。しかし、地域限定型の「特定信書便事業」には132社が参入する一方、全国でサービスを展開する「一般信書便事業」には1社も参入していない。

 小泉純一郎首相は昨年秋、「民間ができるだけ参入しやすい環境をつくるべきだ」として民間参入促進に向けた規制緩和を指示していた。竹中平蔵総務相は研究会の冒頭、「利用者の利便性を高める枠組みについて根本的に議論してほしい」とあいさつした。

(1/14)郵便局会社CEOにトヨタ出身の高橋氏が浮上
 2007年10月の郵政民営化で発足する郵便、郵便局(窓口ネットワーク)、郵便貯金銀行、郵便保険の4事業会社の最高経営責任者(CEO)人事が大詰めを迎えた。郵便局会社のトップにはトヨタ自動車出身の高橋俊裕日本郵政公社副総裁(66)の名が浮上している。

 4事業会社のCEOは持ち株会社の前身「日本郵政」の取締役に就任する見込み。日本郵政は3―7人の取締役で経営委員会を構成し、民営化後のビジネスモデルづくりなどを担う。これまでに持ち株会社の社長に内定した西川善文前三井住友銀行頭取、団宏明日本郵政公社副総裁、高木祥吉郵政民営化推進室副室長の3人が取締役に内定。残り4人の枠には事業会社のトップが就任する見込みだ。

(1/16)郵政反対派支援、自民が地方「けじめ」にメド
 先の衆院選で郵政民営化反対派を支援した自民党地方組織に党執行部が「けじめ」を求めていた問題が一段落しつつある。党執行部は県連幹部らの交代を強く求める一方で、離党した県議らの復党を認めるなど柔軟姿勢も見せ始めた。来年夏の参院選をにらんで地方組織との関係正常化を急ぐよう求める声が強いためだ。ただ「中央の統制」を強める執行部への地方の不満は根強く、火種は残っている。

 郵政民営化法案に反対した党国会議員の処分は終わっている。地方組織については県連による自主的な処分のほか、「反党行為が顕著」とした6県連には党執行部が直接、人事刷新などを要求。対応が遅れている徳島、岐阜などの県連を含め18日の党大会までの決着を求めている。

(1/18)郵政公社、特定局長の定年引き下げを検討
 日本郵政公社は17日、一般職の国家公務員でありながら一部に世襲が残る特定郵便局長制度を見直す方針を固めた。定年年齢を現行の65歳から60歳に引き下げ、最初に就任した郵便局から原則として転勤しない慣行もなくす。2007年の民営化をにらみ、政治との関係が深い特定局長も「聖域」とせず改革を進める。

 近く全国特定郵便局長会との調整に入る。人事制度の見直しに加え、特定局長が所有している局舎の一部を公社が買い上げる方針

(1/18)郵政公社、特定局制度の廃止明言できず・収益改善に課題
 日本郵政公社の生田正治総裁は18日の記者会見で、特定郵便局長の優遇を見直す改革案を発表した。特定局長の定年を早めたうえ、原則として転勤させない慣行を廃止する。2007年10月の民営化をにらみ、過大な経費の温床となっていた特定局長の「特権」を減らす。しかし特定局制度そのものの廃止は明言できず、郵便局の収益改善に課題も残した。

 総裁は「制度見直しが不十分なため必要のない費用が発生していた」と述べた。政治との関係の深さを背景に採算性が低いままリストラが進まなかった特定局も聖域とせずに改革を進める方針を明言したものだ。特定局長の権益維持の原動力にもなっていた「特定郵便局長業務推進連絡会」は解散する。ただ総裁は「激変緩和措置も必要だ」とも指摘、改革は段階的に進める考えを示した。

 まず今月中に特定局長の他局異動を解禁。転勤がないことで地元政治家と親密になり、その関係をテコにリストラなどに抵抗する弊害が生じていた。

(1/19)コンビニ「ゆうパック」勧誘訴訟、ヤマト運輸が敗訴
 日本郵政公社が郵便小包(ゆうパック)料金を民間よりも安く設定したり、不当な利益提供で大手コンビニエンスストアのローソンを取次店に勧誘したのは独占禁止法が禁止する「不公正取引」に当たるとして、ヤマト運輸が差し止めを求めた訴訟の判決で東京地裁(市村陽典裁判長)は19日、請求をいずれも棄却した。

 判決理由で市村裁判長は「ゆうパックの料金が不当に低いとは言えず、ヤマトの事業活動を困難にさせる恐れも認められない」と指摘。郵政公社がローソンに不当な利益提供をしたとの証拠もないとして、「不公正な取引には当たらない」と述べた。

(1/20)郵政民営化へ準備企画会社「日本郵政」が設立総会
 郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」の設立総会が20日午前、都内のホテルで開かれた。出席した竹中平蔵総務相は「21世紀型の新しい日本の市場経済をつくる歴史的意味がある」とあいさつした。民営化時の持ち株会社社長に内定している西川善文前三井住友銀行頭取ら取締役と監査役を選任し、定款を承認した。

 日本郵政は2007年10月にできる持ち株会社の母体で、23日に発足する。

 創立総会では西川氏のほか、団宏明日本郵政公社副総裁、高木祥吉郵政民営化推進室副室長を取締役に選任した。定款には600万株を発行し、自己資本を3000億円とすることを盛り込んだ。

(1/23)「日本郵政」が発足・民営化後へビジネスモデル検討
 2007年10月の郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」は23日午前、東京都内で発足式を開いた。前三井住友銀行頭取の西川善文社長ら経営陣のもとで、民営化後の事業戦略を構築する。小泉純一郎首相が改革の本丸と位置づけてきた郵政民営化が、実現に向けて本格的に始動する。

 日本郵政の自己資本は3000億円で、東京・港区に本社を置く。日本郵政公社が全額出資し、政府に無償譲渡する。初代社長には西川氏が就任、高木祥吉前郵政民営化推進室副室長、団宏明日本郵政公社副総裁が取締役に就いた。3人は経営委員会を構成し、民営化の事業戦略づくりを指揮する。当初の職員数は45人。

 経営委員会のメンバーは最大7人となっており、政府は4事業会社の最高経営責任者(CEO)含みで経営委員となる残りの取締役の人選を進めてきたが、新会社の発足には間に合わなかった。

(1/23)日本郵政社長「事業モデルお寒い状況」・準備会社発足
 2007年10月の郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」は23日午前、東京都内で発足式を開いた。前三井住友銀行頭取の西川善文社長(67)ら経営陣のもとで、民営化後の事業戦略を構築する。西川社長は「民間との競争を考えれば、いまの事業モデルはお寒い状況だ」と述べ、新しい商品やサービスの開発に意欲を示した。小泉純一郎首相が改革の本丸と位置づけてきた郵政民営化が、実現に向けて本格的に始動する。

 西川社長は「JRやNTTなどと比べても最大規模の民営化になるが、事業の競争力は(JRなどよりも)劣る」と強調。郵便貯金については「融資業務にできるだけ早く進出したい」と述べ、民間金融機関に競争を挑む意向を表明した。民営化後の政府との関係では「政府による出資は残るが、政府の介入・制約を受けることは絶対に排除しないといけない」と明言した。

 日本郵政の自己資本は国が3000億円を全額出資した。東京・港区に本社を置く。初代社長には西川氏が就任、高木祥吉前郵政民営化推進室副室長(57)、団宏明日本郵政公社副総裁(58)が取締役に就いた。3人は経営委員会を構成し、民営化の事業戦略づくりを指揮する。当初の職員数は45人。

(1/23)日本郵政の西川社長、新規業務へ積極参入の方針示す
 2007年10月の郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」が23日発足した。西川善文社長(前三井住友銀行頭取)は同日の記者会見で「事業展開に制約が加えられれば、民営化会社の経営が行き詰まる懸念もある」と強調、新規業務参入を積極的に検討する方針を示した。競合する民間企業から「民業圧迫」の批判が高まるのは必至。4月に発足する政府の郵政民営化委員会の判断に関心が集まりそうだ。

 「競争力のあるビジネスモデルがどれだけあるかというと、非常にお寒い状況だと言わざるを得ない」

 西川社長が強調したのが、日本郵政公社が担ってきた今の郵政事業の限界だ。

 同社長の専門分野である銀行業務(郵便貯金)については「定額貯金を中心に資金調達し、国債で運用するビジネスモデルは民営化後は通用しない」とバッサリ。簡易保険についても「保険市場では国内・外資とも商品や販売方法でしのぎを削っている。現状の延長線上では利用者の満足が得られない」として、取扱商品や販売手法の見直しを示唆した。

(1/24)郵政公社と三越が業務提携、新サービスや共同出資会社も
 日本郵政公社と三越は24日、慶弔メッセージとギフトを組み合わせた新サービスの開始や、「ゆうパック」の利用拡大に向けた営業活動などを柱に業務提携することで合意したと発表した。両社がそれぞれの強みを生かして補完関係を築くのが狙いで、物流業務などを念頭に共同出資会社の設立を目指すことでも合意した。

 「メッセージサービス」の名称で4月から始めるのは、信書と贈答品を組み合わせて届けるもの。メッセージと同時に届ける三越のギフトカタログから好きな商品を選んでもらい、後日ゆうパックで商品を配送する。

 料金は5000円のギフトコースの場合で6510円(消費税込み)。当初は北海道と東北地区で始め、順次全国に広げる。当面、「年間数億円の売り上げを目指す」(石塚邦雄三越社長)。

(1/25)日本郵政社長、郵貯など上限額の撤廃を
 2007年10月の郵政民営化に向けた準備企画会社「日本郵政」の西川善文社長は24日、日本経済新聞社などとのインタビューで、郵便貯金の預入額と簡易保険の保険金額は「民営化すれば制約がなくなると考えている」と述べ、限度額の早期撤廃を求める方針を表明した。郵便貯金で直営店を展開する考えも示し、民営化後に金融で拡大路線を進むことを強調した。

 来年10月の民営化後も郵便貯金の預入額と簡易保険の保険金額は上限を1000万円とすることが政府が定めた民営化の基本方針で決まっている。西川社長は「1000万円以上預けたい人がいる」と指摘し、上限額の撤廃を求める考えを示した。郵便局だけでなく、郵貯銀行が直接管理する直営店舗が「新しい商品を売るには最も効率的で、強力だ」と語った。

(1/30)日通、信書便サービスを2月13日に開始と発表
 日本通運は30日、民間業者として初めてとなる全国翌日配達の信書便サービスを2月13日から始めると正式発表した。配送料が1000円を超える書類を対象とし、企業間の文書のやり取りなどの需要を見込む。航空機を使うことで全国規模のサービスを実現する。初年度の取り扱い目標は100万通。現在この分野を独占する日本郵政公社の郵便書留のシェア切り崩しを狙う。

 新サービス「BSP」は、企業が本支店間でやり取りする社内文書や有価証券などが対象。専用の段ボールや航空機内の専用コンテナを使って機密を確保する。(1)専用段ボールを無料で提供する(2)送り主のところまで集荷に訪れる――などによって郵便とのサービスの差を鮮明にする。東京―中部間など一部地域では、書留よりも安い料金も設定する。

 産業界ではコンプライアンス(法令順守)の観点から機密文書を信書として運ぶ需要が高まっており、日通は大企業中心に荷主の開拓を進める。

(1/30)郵政公社、民間と提携加速・全日空などと貨物新会社
 全日本空輸(ANA)と日本郵政公社、日本通運、商船三井は30日、国際貨物を運ぶ貨物機運航会社を共同出資で設立すると正式に発表した。需要が伸びている東アジアを中心に、顧客の獲得を目指す。郵政公社は郵便物の落ち込みを補うため、民間企業と共同で新事業への参入を加速している。

 新会社「ANA&JPエクスプレス」には全日空が51.7%、日本郵政公社は33.3%、日本通運は10%、商船三井が5%を出資する。8月に営業を始める。3機の専用機を使って上海や香港、ソウルなど東アジアの主要都市と日本の間で貨物を運ぶ。社長にはANAの本坊憲吉貨物郵便本部長が就く。

 日本郵政公社は来年10月の民営化を前に、企業との提携を積極的に進めている。国際物流ではオランダの物流大手TNTとの提携に合意。三越とは信書と贈答品を組み合わせて送る新業務への進出などに合意した。郵便が電子メールに押されてじり貧になるなかで、「肥大化」との批判を受けつつも事業を拡大しようとしている。

(1/31)郵貯・簡保の限度額、撤廃に慎重に――田中郵政民営化委員長
 政府の郵政民営化委員長に内定した田中直毅21世紀政策研究所理事長は30日、日本経済新聞社のインタビューで、郵便貯金や簡易保険の限度額撤廃について「政府出資が残る間は自由にできるわけではないというのが大原則だ」と述べ、慎重に審議する考えを示した。限度額の早期撤廃など拡大路線を打ち出す日本郵政の西川善文社長ら経営陣との間で、2007年10月の郵政民営化後の業務内容を巡る綱引きが激しくなりそうだ。

 田中氏は現行1000万円の郵貯の預入限度額や簡保の保険金額の見直しについて、「具体的にどうするかは委員会が発足してからの議論だ」としたうえで、「米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)など諸外国の例をみても、暗黙の政府保証が残る企業はバランスシートが肥大化し、国の資源配分をゆがめる傾向がある」と指摘した。

 「無基準に業務拡大を認めれば、(経営悪化に伴う)事後的な処理コストを国民が負担することもある」と述べ、慎重に検討する考えを示した。

(2/1)郵政公社、今期は大幅な増益に・資金運用好調
 日本郵政公社の生田正治総裁は1日、都内で講演し、2006年3月期の純利益が「1兆6000億円から1兆7000億円になる」との見通しを示した。前期実績(1兆2378億円)と比べて大幅な増益となる。株価が大きく上昇したことで、郵便貯金で信託銀行に預けている資金の運用益が増えたとみられる。

 郵貯の資金は運用先の1つに信託銀行がある。委託した資金は期末ごとに評価額を洗い直し、損益を収益に反映する仕組みにしている。

 総裁は「民間企業と比べると、郵便も郵貯も収益率が低い」と指摘。収益をあげるため、民営化時には「ある程度、新規事業への参入が認められるべきだ」と語った。

(2/2)資産管理サービス信託、郵政公社の債券管理を1円で落札
 日本郵政公社が外部委託を計画する簡易保険部門の債券管理業務について、みずほフィナンシャルグループなどが出資する資産管理サービス信託銀行が1円で落札したことが2日、分かった。多額の手数料収入が見込めるため、採算がとれると判断したとみられる。

 郵政公社は2007年10月の郵政民営化に合わせて、簡保が保有する国債や公社債の管理業務の外部委託を計画。昨年末に資産管理を専門とする国内信託銀行3行を対象に指名競争入札を実施したところ、2行が1円の価格を提示した。

 郵政公社の入札をめぐっては、投資信託情報サービスを時事通信社が1円で落札した事例がある。

(2/4)郵政公社、1000局の業務集約
 日本郵政公社は全国で約4700の郵便局が手掛ける郵便物の集配や郵便貯金、簡易保険の営業業務を集約する方針だ。約1000局の業務を近隣の局に移す。2007年10月の民営化までに実施する方針として労働組合に提案した。収益力を高めるため、業務を広域で管轄する体制に切り替える。

 全国に約2万4600ある郵便局のうち、郵便物を集めて配達する「集配局」は約4700。集配局には個人と法人を対象に郵便貯金の勧誘や簡易保険の営業を手掛ける外務員がいる。約1000局で集配業務をなくし、規模の大きい近隣の郵便局が集配する体制に切り替える。外務員も原則として、地域の中核となる局に移す方針だ。

 移管を受けた局は現在と比べて広い地域で郵便物の集配や郵貯・簡保の営業を担当する。集配関連の事務作業もまとまるため、効率よく運用すればコスト削減につながる見通しだ。

(2/12)郵貯銀行、民間銀へ振込可能に──全銀システム加盟要請へ
 郵政民営化の準備企画会社、日本郵政は傘下の郵便貯金銀行がすべての民間金融機関と振込取引ができるようにするため、民間金融のシステムへの加盟を検討し始めた。実現すると、現在はいったん現金を下ろす必要があった郵貯口座から民間口座への資金移動がATM処理で可能になるなど利便性が大きく高まる。ただ、地域金融機関の反発は必至で、郵貯への預け入れ限度撤廃など規制緩和問題に影響する可能性もある。

 民間金融との振込取引を可能にするには、民間金融の為替決済を集中処理するシステム、全国銀行データ通信システム(全銀システム)への加盟が必要。日本郵政の西川善文社長は「振込など決済サービスの充実は不可欠」と判断し、全銀システムへの加盟認可を全国銀行協会へ要請することを検討している。

(2/16)日本郵政社長、企業買収を容易にする制度改正求める
 郵政民営化の準備企画会社、日本郵政の西川善文社長は16日午前の自民党総務部会で、「現行の制度では(民営化会社による)買収に制約がある。経営の自由度をできるだけ確保させてほしい」と述べ、民営化会社による企業買収を容易にするため制度改正が必要だとの認識を示した。

 西川社長は「ドイツポストの民営化が成功した秘訣の1つは、3兆円近い資金を投じて企業買収を繰り返したことにある」と指摘。「資本の力にものをいわせて買収することは考えていないが、互いにメリットがある場合は買収が必要になるケースもある」と指摘した。

 民営化会社が企業買収する場合は、監視機関である郵政民営化委員会による審査や所管官庁による許認可などの手続きを経る必要がある。

(2/17)郵政公社生田総裁、「信書」の基準明確化を要望
 日本郵政公社の生田正治総裁は16日、総務省の研究会に出席し、手紙やはがきなど特定の人にあてた「信書」を客観的な基準で定めるよう要望した。現在は民間事業者が扱うメール便との境目があいまいで、郵政公社内では「メール便と称して信書を送っている可能性がある」との不満が高まっている。生田総裁は公社が独占している一般信書への民間参入を認めつつ、公社が全国一律のサービスを保つために独占できる信書を明確に定めるべきだと強調した。

 全国で配達する一般の信書は郵便局が独占して扱ってきたが、生田総裁は信書をはっきりするために「外形基準を設けるべきだ」と述べた。具体策には言及しなかったが、一定の重さを下回れば信書とするような基準を想定しているとみられる。そのうえで「自由化していくのは当然だが、段階的に進めるべきだ」と指摘した。

 郵便事業は電子メールなどに押され、苦戦が続いている。ただ10万本のポスト設置が義務で、料金が総務相の認可制であるなど信書便への参入はハードルが高く、民間事業者にも不満が多い。

(2/24)郵政公社、05年度の純利益2兆円程度に・総裁が見通し
 日本郵政公社の生田正治総裁は24日、都内で開かれた共同通信社主催の「きさらぎ会」で講演し、2005年度決算の純利益が2兆円程度と、04年度の約1兆2400億円から大幅な増益になるとの見通しを明らかにした。株価上昇で、郵便貯金部門の株運用益が増えたことが要因とみられる。また、郵便事業の純利益が200億円台になる見通しも示し、同事業では3年連続で黒字を確保しそうだ。

 郵政公社は2007年10月に民営化される。生田総裁は、公社のままでも当面は黒字を維持できるとの見通しを示したが、「10年後は売上高は半分になり、行き詰まる」と指摘、民営化することで事業範囲を段階的に拡大して経営基盤の安定を図る必要性を強調した。

 民営化に伴う新規事業について、生田総裁は「新経営陣が決めること」と前置きした上で、民営化後の郵便貯金銀行で手掛ける新規事業として協調融資、証券化ビジネス、住宅ローンなどを挙げた。また郵便保険会社についても、現在1000万円の保険金の限度額を2000万―3000万円へと引き上げることや、医療、介護など「第3分野」への参入などを例示した。〔共同〕

 日本郵政公社は28日、重さ1キログラム以内の小型郵便物を対象にした「簡易小包」サービスを4月1日から始めると発表した。現在取り扱っている一般小包に比べて配達スピードがやや遅い代わりに、料金は全国一律で400円と、一般小包(最低600円)や定形外郵便物(1キログラム以内580円)よりも割安にする。通信販売商品などの配達需要を取り込み、民間宅配業者のメール便に対抗する。

 愛称は「ポスパケット」。大きさはA4サイズ以内、厚さ3.5センチメートル以内と郵便ポストに投函(とうかん)できる荷物に限定する。荷物を引き受ける際に受領証を交付せず、配達時の受取人の印鑑や署名も省くなど手続きを簡単にする。

(3/1)郵政公社の投信販売残高、年度内の1000億円達成確実に
 日本郵政公社は1日、2月末の投資信託販売残高が前月末比37%増の934億8100万円になったと発表した。郵政公社は昨年10月に投信の販売を開始。販売件数は毎月伸びており、3月末に1073億円とした残高の目標は達成が確実となった。

 販売が最も多いのは野村アセットマネジメントの商品。なかでも「分配コース」は販売前の予想よりも分配金が多く、2月の販売額のうち60%程度を占め、全体の残高に占める割合も46%に達した。

 販売に伴って顧客に開設してもらう口座の数は累計で7万7000強。1口座あたりの残高は約120万円で、1月末と比べて約10万円増えた。

(3/2)日本郵政公社、純利益2兆円に――06年3月期見通し
 日本郵政公社の2006年3月期の純利益は前期比6割増の約2兆円になる見通しとなった。株式相場の上昇で郵便貯金部門が保有する株式に1兆円近い含み益が発生することが主因。03年4月の公社発足から3期連続の黒字が確実となった。

 郵貯部門は信託を通じて保有する株式の含み益を毎期、利益として計上している。郵貯残高の減少に歯止めがかかっておらず、含み益を除く郵貯部門の純利益は前年比減少する見込み。

(3/7)郵貯銀の直営店舗230、簡保80・民営化時の展開を日本郵政調整
 郵政民営化の準備企画会社である日本郵政は2007年10月の民営化時に、郵貯銀行に約230、簡易保険は約80の直営店舗を設ける方向で調整に入った。郵貯銀行などは民営化で発足する郵便局会社に窓口業務を委託することが決まっている。ただ、顧客ニーズを的確にとらえるためには、一定の規模で直営の店舗を置く必要があると判断した。

 国内銀行の支店数は三井住友銀行、みずほ銀行で400前後。郵貯銀行の直営店はその半分強の規模となる。郵貯銀行は全国約2万4000カ所の郵便局と、新設する直営店で窓口業務を営む。

(3/7)郵政公社、企業広告入りはがきを限定発売
 日本郵政公社は7日、はがきの裏側に企業広告を載せた「e―センスCard」を28日から6月27日までの期間限定で発売すると発表した。1枚につき50円で、発行枚数は28万枚。広告主は14社で、それぞれが独自のイメージキャラクターなどを描く。東京中央と新宿、渋谷、横浜中央、大阪中央の各郵便局で取り扱い、東京中央では通信販売も受け付ける。

(3/15)郵政公社総裁「今期の純利益1兆6000億円」――3年連続黒字に
 日本郵政公社の生田正治総裁は15日午後の記者会見で、2006年3月期の純利益が1兆6000億円になるとの見通しを示した。3年連続の黒字。郵便貯金部門の信託運用益が1兆円程度に膨らむことに加え、郵便事業部門が「上期に売り上げが下げ止まり傾向となった」ことから243億円の黒字になる見込み。

 また、国際物流への進出のために、オランダの国際物流会社TNT日本法人に4月から出資する予定の延期を明らかにした。「当社にとって難しい提案が新しく次々とでてきており、あせらず交渉していきたい」と語り、具体的な内容への言及は避けた。

 また、郵便物流拠点を9月以降に現行の4700拠点から3700拠点へ減らす案に対し、地方から不安の声があがっていることについては、「利用者が不便になるような(物流拠点の)減らし方はしない」と述べた。〔NQN〕

(3/15)郵政公社、システム担当役員に元みずほ銀常務を起用
 日本郵政公社は、元みずほ銀行常務執行役員の吉本和彦氏(59)をシステム担当の理事兼常務執行役員に起用する人事を発表した。銀行で大規模システム障害の収拾にあたった人材を登用して、2007年10月の郵政民営化に向けたシステム対応に万全を期す狙い。4月1日付で実施する。

 吉本氏は1970年に旧富士銀行に入行し、主にシステム畑を歩んだ。02年春の3行統合時でシステム障害が発生した際には担当役員として事態の収拾に奔走。直近はグループ会社のみずほ情報総研で専務を務めていた。

 郵政公社は来年10月の郵便事業、郵便局、郵便貯金銀行、郵便保険の4分社化に向けてシステムの再構築を進めているが、作業の遅れを指摘する声も出ている。

(3/23)郵貯銀、大手銀から基幹システム買い取りへ
 郵政民営化の準備会社、日本郵政は2007年10月の民営化で発足する郵便貯金銀行の基幹システムを、大手銀行から買い取る方向で検討に入った。みずほ銀行・日本IBMと、三菱東京UFJ銀行・日立製作所に打診した。システム経費を数百億円規模で圧縮して経営効率を高める。独自開発ならシステムエンジニア(SE)不足で民営化に間に合わないと判断。利用者が他の金融機関の口座に資金を振り込めるようシステム整備を急ぐ。

 金融機関がライバルから基幹システムを買い取るのは極めて異例。

 買い取るのは、口座残高や資金移動を管理する銀行業務にとって根幹となるシステム。旧富士銀行が使っていた日本IBM製と、旧UFJ銀行が使っている日立製作所製を候補とする。みずほ銀行は04年に旧第一勧業銀行のシステムへの統合作業を完了、三菱東京UFJ銀行も08年に旧東京三菱銀のシステムへの一本化を予定し、いずれも統合で不要となる。

(3/24)郵政公社、全日空との貨物便運航会社への出資申請
 日本郵政公社は24日、全日本空輸などと共同で運営する国際航空貨物の運送事業会社「ANA&JPエクスプレス」への出資を認可するよう総務省に申請した。総務相の認可が得られれば、4月中をめどに4200万円を出資する。郵政公社にとって、初の国際物流事業となる。

 同社は全日空の全額出資子会社として2月1日に設立ずみ。郵政公社の出資が得られれば、出資比率は全日空が51.7%、郵政公社33.3%、日本通運10.0%、商船三井が5.0%になる。

(3/28)郵政公社、郵貯会館など8施設廃止
 日本郵政公社は28日、郵便貯金会館(メルパルク)など全国で8カ所の宿泊関連施設を007年3月末に廃止すると発表した。利用者数が伸び悩み、安定した利益を出す運営が難しいため。郵政事業は07年10月の民営化後、5年以内にメルパルクなどをすべて廃止する方針を定めており、採算が悪い施設は前倒しで撤退する。

 今回の廃止対象は札幌市と新潟市、金沢市、福岡市、那覇市にあるメルパルクに加え、リゾート施設の「メルモンテ日光霧降」(栃木県日光市)と「メルパール伊勢志摩」(三重県志摩市)、会議室や音楽ホールがある「ぱ・る・るプラザ千葉」(千葉市)。

(3/31)郵政民営化委事務局長に細見氏
 政府は31日、内閣審議官の細見真氏を郵政民営化委員会事務局長にあてる人事を正式発表した。4月1日付で発令する。

(3/31)郵貯、4月3日から定期貯金金利上げ
 日本郵政公社は31日、郵便貯金の金利を4月3日から引き上げる方針を固めた。対象は定期貯金で、金利引き上げは約5年半ぶり。日銀の量的緩和解除を受け、民間金融機関は3月下旬から相次ぎ定期預金金利を引き上げた。定期貯金の利率は現行は3年物で0.06%。民間金融機関の3年物は0.1%台半ばに上昇しており、郵政公社も民間の金利水準を参考に最終調整している。

 31日午後にも発表する。200兆円もの残高がある郵便貯金の利率は算定の目安が法律で定められており、定期貯金は民間の定期預金金利と同じ水準にするとされている。

 主力の定額貯金の金利については引き続き検討するが、近く上げるとみられる。

(3/31)郵貯残高、約11年ぶり200兆円割れ・民営化控え改革進む
 郵便貯金の残高が約11年ぶりに200兆円を割った。日本郵政公社が31日発表した郵便貯金速報によると、30日時点の残高は199兆9933億円。長引く低金利で郵貯の魅力が薄れている。預入限度額を超える貯金をなくすように顧客に働きかけるなど、民営化を控えた改革が順調に進んでいる。

 郵便貯金は定額や定期など4つの商品がある。定額貯金は預入期間が6カ月を超えると自由に払い戻しができる。1990年代初めには金利も高く、人気が高かった。郵貯全体では2000年2月末に約260兆円の残高を記録。現在の三菱東京UFJ銀行の預金量の2倍を超える額を国が集めた格好で、「郵政肥大化」の象徴だった。

 2000年以降は低金利が響き、10年満期を迎える定額貯金の流出が続いた。05年度はすでに約15兆円減少。一時は1000万円の預入限度額を超える額が7兆円あったとされるが、生田正治郵政公社総裁が国会答弁で「06年3月までに解消する」と発言。郵便局で顧客に別の金融機関に預け替えるよう求めたり、投資信託の購入を勧めたりしたことが、全体の残高減にもつながった。

(4/4)郵貯限度額の規制撤廃「慎重に」・民業圧迫を懸念
 郵政民営化の監視役を担う政府の郵政民営化委員会の初会合が3日開かれた。会合後に記者会見した田中直毅委員長は郵便貯金や簡易保険の限度額の緩和について「郵便貯金銀行や郵便保険会社の株式を売却する計画が確実になれば議論する」と指摘。2007年10月の郵政民営化後も政府の出資が残り、民業圧迫の懸念があるうちは限度額規制を緩めるのに慎重な考えを示した。

 民営化委員会は有識者5人で構成する政府の組織。郵政事業は民営化されてからも政府の出資が残るため、新規事業への参入が民業圧迫にあたらないかといった点について、委員会が第三者の視点でチェックする。

(4/7)定額貯金、3年以上の金利0.10%に・郵政公社
 日本郵政公社は7日、預け入れてから6カ月たつと払い戻しが自由になる定額貯金の金利を10日に引き上げると発表した。預入期間が3年以上の場合の金利は0.10%(現行は0.06%)になる。定額の金利上げは6年半ぶり。日銀の量的緩和政策解除を受け、民間金融機関が定期預金金利を上げたのに足並みをそろえる。

 引き上げ後の新金利は預入期間が1年以上の1年6カ月未満で0.04%(同0.03%)、1年6カ月以上の2年未満は0.05%(0.03%)、2年以上の2年6カ月未満は0.06%(0.04%)、2年6カ月以上の3年未満が0.07%(0.05%)。郵便貯金では、3日から定期貯金の金利も上がっている。

(4/12)郵政公社、国際物流参入決まる・貨物便運航会社へ出資
 郵政民営化の作業を監視する政府の郵政民営化委員会は12日の会合で、全日本空輸が設立した国際貨物便の運航会社に日本郵政公社が出資することを認めることで一致した。今後、郵政公社は総務相の認可を経て月内にも出資し、8月に業務を始める。郵政公社にとって初めての国際物流事業が動き出す。

 会合後に記者会見した民営化委の田中直毅委員長(21世紀政策研究所理事長)は「今回の出資には、同じ事業を手掛ける他の民間企業から特段の意見がないと聞いている」と述べ、民間企業の市場を不当に圧迫するおそれは小さいと判断したと説明した。

 しかし事業が順調に進まずに損失が発生すれば、郵便の全国一律サービスに悪影響が及ぶ可能性がある。このため民営化委は郵政公社に、事業の運営状況を定期的に報告することを求めた。これを受け、総務省は半年に一度、状況を報告するよう郵政公社に求める。

(4/16)郵政公社、投信販売目標を3倍に・2009年度
 日本郵政公社は2007年10月の民営化をにらみ、投資信託業務を大幅に拡大する。投信を扱う郵便局の数を民営化の時点で1550局に増やす。09年度の投信販売残高の目標を従来の3倍に当たる約4兆9000億円に引き上げ、金融機関の投信販売としては国内最大級となる見通し。投信販売を民営化後の郵便局と郵便貯金銀行の収益の柱に育てる方針だが、銀行も投信販売を強化しており、民業圧迫との批判も出てきそうだ。

 日銀がまとめた05年12月末の資金循環統計(速報)によると、家計が保有する投信の残高は51兆円と前年末比40%増。郵便局で約5兆円を販売すれば、現在の投信市場の1割弱を占める巨大販売窓口となる。

(4/17)郵政公社、北京に事務所開設・国際物流市場を調査
 日本郵政公社は17日、中国・北京に事務所を開設したと発表した。公社にとって初の海外事務所で、国際物流を対象に中国市場での需要動向や現地企業の動きを調べる。全日本空輸などと共同出資の貨物便運航会社で、東京と上海を結ぶ貨物便の運航を計画しており、日本と中国の間を運ぶ貨物の市場が伸びるとみている。

 事務所は5月中旬に業務を始める計画で3人を公社から派遣する。公社は約2年前から中国に事務所を設けることを検討してきたが、中国の郵政担当部署との調整を進める必要があり、設立までに時間がかかった。

 今回の事務所は国際物流に限った業務をするとしているため、金融や保険の分野での市場調査などはできない。物流に関連する分野でも現地での営業活動はできない。

(4/21)郵政公社、定期貯金金利を再引き上げ
 日本郵政公社は21日、定期貯金の金利を24日から引き上げると発表した。3年物の金利は年0.20%(現行は0.15%)で、日銀が量的緩和政策を解除してから2回目の利上げとなる。都市銀行を中心に民間金融機関が定期預金の金利を上げているのに追随する。

 1年以上、2年未満の間で満期を設定できる定期貯金の金利は年0.08%(現行は0.06%)、2年以上、3年未満の場合は0.13%(0.08%)、4年物は0.20%(0.15%)にする。

(4/23)郵政公社、投信販売に3社の商品追加
 日本郵政公社は郵便局で販売している投資信託に、6月から日興アセットマネジメント、興銀第一ライフ・アセットマネジメント、住信アセットマネジメントの3社が運用する商品を追加することを内定した。24日に正式決定する。大手銀行や証券を上回る店舗網を全国に持つ郵便局が投信販売を強化することで、個人マネーの「貯蓄から投資へ」の流れが一段と加速しそうだ。

 郵便局での販売に追加するのは(1)新興国を含む外国債券で運用する投信(2)新興国を含む外国株式で運用する投信(3)外国の不動産投資信託(REIT)で運用する投信(4)環境への配慮など企業の社会的責任を評価軸にして国内株式で運用する投信――の4種類。(1)と(2)を日興アセット、(3)を興銀第一ライフ、(4)を住信アセットが運用する。

(4/26)民営郵政、個人ローン参入・簡保上限額の引き上げも
 郵政民営化の準備企画会社、日本郵政は2007年10月からの民営化に向けた事業計画の原案をまとめた。住宅ローンなど個人向け融資やクレジットカード事業に段階的に参入し、簡易保険の保険金の上限額(現行1000万円)の引き上げも目指す。民間企業との競争へ顧客サービスを充実する。ただ民営化からしばらくは政府が持ち株会社の株式の大半を保有するため、事業拡大案には「民業圧迫」との批判が強まりそうだ。

 日本郵政は7月末までに、民営化時の人員配置や資産の振り分けなどを示す「承継計画」の骨格をまとめる。原案は計画のたたき台となるもので、民営化後の経営の基本方針となる。

 新規事業への参入の是非や時期については、民営化の作業を監視する郵政民営化委員会(田中直毅委員長)の判断に委ねられる。民営化開始時にただちに新規事業が認められる可能性は低いが、民営化委は政府保有株の市場売却が進めば段階的に容認していく見通しだ。

(4/26)郵便業務の労働効率、1年で9.9%改善・郵政公社総裁
 日本郵政公社の生田正治総裁は26日の記者会見で、全国1000カ所の郵便局で進めている郵便業務の効率改善運動で、2005年度末は前年度末に比べて労働の効率が9.9%改善したと発表した。トヨタ自動車のカンバン方式を取り入れて作業の無駄を減らした。ただ、余剰となった人員は効率化の指導要員としたため、人件費削減の効果はなかった。

 郵便物を仕分けする手順や家庭に配る順番を見直すことなどが改善の柱。一定量の郵便物を集荷して配るまでに、一定数の職員が従事する労働時間を短くする。05年度末は1000局の平均で10%近く短くなり、昨年末時点で1467人を別の業務に振り替えた。

 余剰となった職員は改善が遅れた局の指導を担当している。生田総裁は「改善の精神はすべての郵便局に広げたい」と語り、今後も取り組みを強化する意向を示した。

(4/27)郵政公社、郵便配達の一般職募集をゼロに・今年度
 日本郵政公社は27日、郵便物の家庭への配達などを担当する一般職の外務職員を今年度は募集しないと発表した。これまでは毎年2000人前後を採用してきたが、業務の効率化を進めれば当面は既存の職員だけで対応できると判断した。2007年春の採用分で、外務職員を採用しないのは初めて。郵便局内での仕事を担当する一般職の内務職員は来春も4300人を採用する。