2009年9月23日水曜日

【雑誌記事】 鳩山政権の組閣

 あくまでも読み物として。
案の定、この記事を引越しをしているときにには、霞ヶ関との戦いに先手などとはとても言えない状態であり。官僚に丸め込まれたと言っていいだろう。

この記事は九州の(NET IB)の記事である。がどうも、希望・願望記事であったらしい。
どうも、インサイドやインサイダー・インサイドラインと同じような名前の記事が多いのであるが、時間を置いてから読むと頓珍漢な記事が多いのが特徴のように思えてしまう。

この記事ではないが、インサイドラインの歳川隆雄氏の記事は、ひどいもので検察リーク一色で、検察情報に関しては、半分程度あたっているようなものの政局にしては、鉛筆を転がして記事を書いている程度の信用度しかない。

ネット社会が充実してくるし従い過去の記事がどんどん残されていく。その結果、信用度の低い評論家・ジャーナリストは名前だけでは生き残れないであろう。


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鳩山政権「組閣の裏側」 若手政治家たちの野望
[政界インサイドレポート]
2009年09月17日 10:48 更新

<霞ヶ関との戦いに先手>
 鳩山新内閣が、国民の期待を背負って船出した。新大臣たちは就任会見で
「八ッ場ダムの建設中止」(前原誠司・国土交通相)、
「後期高齢者医療制度の廃止」(長妻昭・厚生労働相)、
「インド洋の給油活動は延長しない」(北沢俊美・防衛相)、
「日米密約の調査命令を出した」(岡田克也・外相)などと民主党のマニフェストを直線的に実行する姿勢を示し、《政治の転換》を強く印象づけた。

 経済政策では、連立を組む国民新党の亀井静香・金融相が、「住宅ローンや中小企業が抱える借金の元本返済の3年猶予を検討する」とぶちあげて金融界に衝撃を与えているが、これは亀井氏の独断パフォーマンスではなく、鳩山首相が総選挙前に一度言及していたものだ。

 《脱官僚依存》を掲げる鳩山政権は、霞ヶ関との戦いにも先手を取った。
 鳩山官邸は事務次官会議の廃止に続いて、各省庁に次官、局長などの定例記者会見の原則中止を通達し、新内閣発足最初の閣僚懇談会で、役所側が民主党議員を個別に味方に引き込んで族議員化させないために、官僚と国会議員の接触そのものを制限する方針を申し合わせた。

 これでは役所側は新政権の政策に反対の声を上げることもできない。

 “お坊ちゃん”の鳩山首相にしては戦上手なやりかただが、実は、主導しているのは薬害エイズ問題で役人とのケンカには定評がある菅直人・副首相兼国家戦略相だ。

 「菅さんは6月に英国の議会制度と官僚操縦の仕組みを視察し、政権交代後の対霞ヶ関戦略を練ってきた。副総理という政権ナンバーツーの実権を得て、早速、実行に移している」と、菅側近はいう。

 霞ヶ関との戦いは、その菅氏の国家戦略局(当面は室)と、仙谷由人・行政刷新相の行政刷新会議が担う。

 菅氏や岡田氏、前原氏らが闘志満々で改革姿勢を前面に出しているのは、それぞれの持ち場で手柄をあげ、いずれやってくるポスト鳩山の後継首相レースをにらんで早くも競い合っているからに他ならない。

<早くも始まった「ポスト鳩山」レース>
 閣僚人事はまさに権力闘争だった。民主党の次世代リーダーたちの出世争いも明暗を分けた。

 一歩後退したのは、鳩山氏と代表選挙を争い、次期代表の最右翼と見られていた岡田氏だ。岡田氏は総選挙中から幹事長として「政権移行チーム」を率い、新政権の骨格作りを主導するつもりだったが、「そうした事前の動きが小沢(一郎)さんと鳩山側近たちの警戒を呼び、早い段階で外相に内定して体よく新内閣の官邸から遠ざけられた」(民主党幹部)とされる。

 その結果、内閣は鳩山首相と菅副首相の2頭体制、党務と国会運営は小沢幹事長が握るという、かつてのトロイカが完全復活し、菅氏がポスト鳩山の有力候補として復活した。

 もう1人、防衛相候補として入閣有力と見られながら、土壇場で外されたのが反小沢派の代表格の1人、野田佳彦氏だ。事前の身体検査で「集団的自衛権行使に前向き」なことが社民党との連立の障害になると判断された。そのことが入閣見送りの理由とされているが、同じ主張の持ち主は党内に多い。防衛相以外の選択もあった。

 むしろ、前原氏や仙谷氏ら「反小沢派」のなかでの大臣レースに敗れたのだ。

 鳩山側近議員が打ち明ける。

 「岡田さんを別格にすれば、反小沢勢力の大臣枠は前原、仙谷、長妻の3人。それ以上は増やせない。政策通で実績のある3人に比べて、野田氏はセールスポイントが弱かった」

 野田氏は格下の財務副大臣に内定したが、同じ当選5回ながら松下政経塾の後輩で小沢氏、鳩山氏に近い原口一博氏が有力閣僚の総務相に起用されており、出世レースに大きく水をあけられることになった。逆にこれまで出遅れていた原口氏は、ニューリーダーの1人として飛躍するきっかけを得た。

 新内閣の看板大臣の1人、長妻・厚労相も先を見ている。長妻氏は、鳩山首相から行政刷新相就任の打診を受けながら、それを蹴って難題山積の厚生労働相を希望した。それは、「あえて火中の栗を拾い、実績をあげて、ポスト鳩山で先行している岡田氏や前原氏に一気に並び、後継者レースに名乗りをあげようと意欲を燃やしている」(民主党スタッフ)と見られている。

 若手政治家たちが権力の座に野望を隠さず、政策実行力で競い合うのであれば、民主党という政党だけでなく、日本の政治も活性化するだろう。総裁選に有力候補が次々と出馬を見送り、権力闘争の力さえ失ってしまった自民党とは対照的だ。

 「首相を辞めたら政界引退する」と表明している鳩山氏が、ことさら自分がリーダーシップを発揮しようと力むのではなく、若い大臣、副大臣たちの功名心をうまく利用して政権を運営していくなら、かなりの成果をあげることができるのではないか。

<党内支配力増した小沢>

 新政権には、一見目立たない形で「小沢色」が反映されている。

 小沢氏は総選挙で新人候補を大量当選させ、民主党内で150人ともいわれる圧倒的勢力を得たものの、“小沢派”は当選1~3回の実力未知数の議員が多く、閣僚に押し込む人材が決定的に不足している。片腕の山岡賢治氏も、国対委員長に留任させた。

 鳩山内閣の大臣で小沢側近といえるのは、中井洽・国家公安委員長ぐらいしかいない。そこで小沢氏は、参院選対策として重視する農家の戸別所得補償制度を担当する農水相に、同盟を組む左派(旧社会党出身議員)から、選対委員長として自分を支えた赤松広隆氏を起用した。

 それだけではない。

 参院から3人の大臣が就任した背後にも小沢氏の影がちらつく。

 鳩山首相は当初、参院の大臣枠は直嶋正行・経済産業相の1人を想定していたとされるが、小沢氏の腹心、輿石東・参院議員会長が「大臣枠2人」を要求し、結果的に千葉景子・法相、北沢防衛相を加えて3人となった。

 小沢派「一新会」の議員がうそぶく。

 「小沢派の党内勢力からいえば、大臣5人以上送ってもおかしくない。だが、入閣適齢期の者が少ないから、左派と参院にポストを割り振ったということだ」

 もっとも、農水相の赤松氏は農業政策には詳しくないし、北沢防衛相もベテランとはいえ防衛関連の役職の経験はあまりない。

 参院の3人枠には、別の思惑も働いたようだ。

 民主党参院議員が語る。

 「千葉と北沢は、来年の参院選後に交代する江田五月・参院議長の後任の議長候補だったが、入閣でその芽は消えた。残っているのは輿石1人。小沢さんは腹心の輿石議長を確定させるために、ライバル2人を大臣で処遇した。これで参院での小沢さんの影響力がますます強まった」

 鳩山新内閣は、決して「適材適所」とは言い切れないのだ。