2007年7月22日日曜日

【雑誌記事】 文芸春秋(手嶋龍一)

 『文芸春秋』3月号(現在発売中)に外務省を震撼(しんかん)させる論文が掲載された。

元NHKワシントン支局長で外交ジャーナリストの手嶋龍一氏による「小泉訪朝 破綻(はたん)した欺瞞(ぎまん)の外交」と題する論文だ。北朝鮮の謀略に乗せられた日本の外務官僚が、主観的には官僚生命を賭(と)して困難な外交課題に取り組んでいるのであるが、客観的には金正日の手の平の上で踊らされ、日本の国益を毀損(きそん)していく様子が実証的に描かれている。

2000年、ブッシュ共和党政権が誕生した後、金正日政権はアメリカが北朝鮮の体制転覆を本気で考えているとの認識を強めた。

「こうした情勢のなかで金正日は一枚のカードをそっと日本に差し出した。それが『ミスターX』だった。
やがてカウンターパートとしてあらわれたのが就任間もない田中均アジア太平洋局長だった。
(中略)北朝鮮は、権力を取り込んで大向こうをあっと言わせる田中の性癖を知り抜いていた」。

こういう場合、「ミスターX」が何者であるかは、インテリジェンス(諜報(ちようほう))技法を用いて調査することが常識である。日本外務省の実力でも、例えば朝鮮語(韓国語ではない)に堪能で、北朝鮮事情に通暁している某専門家にこの課題を与えれば十分こなす。また、CIA(米中央情報局)、SIS(英秘密情報部)、モサド(イスラエル諜報特務局)に照会すれば、人定はそれほど難しくない。

特にイスラエルは北朝鮮の弾道ミサイル開発を阻止する工作に従事したときに、朝鮮労働党や国防委員会の幹部との取引を含むさまざまな工作に従事してきたので、北朝鮮情報をたくさんもっている。
あるいは日本外務省がインテリジェンス専門家をウランバートルに派遣し、モンゴルの対外諜報機関に「ミスターX」の人定について照会すればよい。しかし、外務省はそのような調査を一切しなかった。

照会することによって、諸外国から横やりが入り、交渉が頓挫することを恐れたからである。
こういうときに日本側が知りたいのが「ミスターX」に関する情報のみであるとしても、ほかに20くらいの質問を紛らせておけば、目立たない。仮に日本が依頼したことが露見しても北朝鮮側は外国のインテリジェンス機関に調査されることには慣れているので、その程度のことで「ミスターX」ルートを閉ざしてしまうことはない。こういった「インテリジェンスの基本文法」を田中均氏が身につけていなかったことが筆者にはむしろ驚きだ。

手嶋論文で最も迫力があるのは、2002年8月21日の外務事務次官室でのやりとりを再現した部分だ。
谷内正太郎総合外交政策局長(当時、現外務事務次官)が田中均氏に小泉純一郎首相訪朝時に署名される予定になっている平壌宣言についてただす。

「『この宣言には拉致という言葉がまったく書かれていないが、これでいいのか』。
核心を衝かれた田中は、一瞬押し黙っり、短く応じている。『拉致問題については別途交渉していますから』 拉致問題をめぐる田中と谷内の永く険しい対決がこの瞬間から始まった」

田中均氏の見通しは甘かった。小泉訪朝で拉致問題に関する正確な情報を日本外務省は引き出すことができなかった。外交は結果責任である。この時点で田中均氏は少なくともアジア太平洋局長を辞任すべきであった。しかし、ポストにしがみついた。田中均氏の主観的意識では「自分以外に対北朝鮮外交の突破口を開くことができる人物はいない」と思ったのであろう。しかし、官僚はポストで仕事をする「国家の機械」である。当該官僚が余人をもって替え難いと思った瞬間に、そのポストを去った方がよいというのが、筆者が霞が関官僚の生態観察からえた経験則である。

田中均氏は有能な外交官で、自らの命を国益のために投げ出すという職業的良心をもっている人物であると筆者は認識している。それにもかかわらず、筆者が田中均外交について論評するときはいつも辛口になってしまうのは、同氏の手法に有能な日本型外務官僚が陥りやすいわなが凝縮されていると考えているからだ。

田中均氏は悪徳外務官僚ではない。真の黒幕は田中均氏の陰に潜んでいて、今も外務省周辺で、猟官運動を画策し、また自己保身のための情報操作に従事している。次回はこの真の黒幕について、筆者も腹をくくって明らかにしたい。
                         佐藤優(FujiSankei Business i. 2007/2/15)

◆『真の外務省改革』隠蔽された不祥事を白日の下に

前回連載で紹介した手嶋龍一氏の論文「小泉訪朝 破綻(はたん)した欺瞞(ぎまん)の外交」(『文芸春秋』3月号)では、2002年9月の小泉訪朝に対する世論の評価が厳しくなった後、自己保身のために豹変(ひょうへん)する当時の竹内行夫外務事務次官(現外務省顧問)、田中均外務審議官の様子が描かれている。「拉致問題で日朝の正常化交渉が潰(つぶ)されててしまえば、外務省は詰め腹を切らされてしまう-。そう考えた外務省の竹内と田中は、新たな核疑惑が持ち上がると、時に強硬姿勢をとるようになった。それは外交官特有の自己保身だった。核疑惑が原因で日朝交渉が止まるなら失敗の矛先を何とかかわすことができると判断したのだ。/彼らは日米同盟をないがしろにして暴走しながら、新たに浮上した核疑惑で失態をすり抜けようとしている-。米側高官はそんな彼らに不快感を露(あら)わにした」

的確な分析である。ここで最も狡猾(こうかつ)に振る舞ったのが竹内行夫氏だ。田中均氏に世論の非難が集中し、自宅に爆発物まで仕掛けられテロの標的になったのに対し、竹内氏には非難の矛先は向かわなかった。そして、「一局長の暴走」という物語が作られていくが、事務次官であった竹内氏の了承なしに田中氏が「暴走」することは不可能であった。筆者が前回連載で予告した田中氏の背後にいる黒幕とは竹内氏のことである。最近、筆者は外務省の局長級幹部と会食したが、その幹部も「竹内氏が事務次官をつとめた4年間(02~05年)の間に外務省は内部から変質し、組織崩壊の危機に陥っている」とため息をついていた。これが現実なのだ。竹内氏について筆者が知るいくつかの具体例をあげよう。

02年4月、竹内氏は、鈴木宗男衆議院議員と近いと目されていた東郷和彦オランダ大使ともう1人の大使を免官にした。東郷氏は事務次官室に竹内氏を訪ね、最後のあいさつをした。東郷氏は「私が免官になるのはわかります。しかし、なぜ××まで巻き添えにしなくてはならないのですか」とただした。すると竹内氏は薄笑いを浮かべ「君は知らないだろうが××に辞めてもらうのは鈴木宗男との絡みだけじゃないんだ。大変なことが起きているんだよ。余計な詮索(せんさく)をしないほうがいいんじゃないか」といった。その瞬間、東郷氏は××大使がスキャンダルを握られ、外務省組織に脅されているのではないかと感じた。実は、免官直前に××大使は筆者に電話をかけてきて「佐藤君、僕は決断した。辞めることにする。この組織が怖くなった」と伝えてきた。それからしばらくして、民主党の有力国会議員が国会で××大使のセクハラ疑惑を追及する。この情報も外務省から提供されたものと筆者は見ている。

ちなみに筆者や鈴木宗男氏に関する外務省の秘密文書が日本共産党に届けられた。その中には改竄(かいざん)文書もあった。当時、共産党で情報収集の責任者を務めていたのが筆坂秀世参議院議員であった。昨年、同氏は「これらの秘密文書は外務省から組織的に流されたと確信している」と筆者に述べた。この文書流出に対する処分は全く行われていない。このときの外務省事務方の最高責任者も竹内氏である。現在、防衛庁で中国原子力潜水艦の火災に関する情報を漏洩(ろうえい)した幹部自衛官に対する内部調査が行われており、近く、刑事訴追が予想されているが、政府機関である外務省から革命政党である日本共産党への秘密文書流出に関してはまともな調査すら行われていない。

05年末、外務省顧問となった竹内氏の私邸を記者が訪ねる。記者は竹内氏が事務次官を務めていた04年5月6日未明に中国公安当局から脅され自殺した在上海日本総領事館員についてただした。竹内氏はこの記者を自宅にあげ、竹内氏が情報源であるということを明かさないことを条件に情報提供を行った。筆者は具体的な話を、そのとき竹内氏が、鈴木宗男氏や筆者について何を語ったかを含めこの記者から直接聞いている。さらに、総理官邸幹部が、駐米大使人事を巡る竹内氏の猟官運動について、鈴木宗男氏に電話で話していた内容を筆者も横で聞いていたので正確に記憶している。

真の外務省改革を行うためには竹内行夫外務事務次官時代に起きた国民の目から隠されている不祥事を白日の下にさらすことが不可欠だ。竹内氏には応分の責任をとってもらう。このためにならば、筆者は国会の場に出て竹内氏と刺し違える覚悟がある。
                        佐藤優(FujiSankei Business i. 2007/2/22)

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『竹内行夫』
本来は、加藤良三氏が次官になるはずだったが、田中真紀子外相体制下、加藤氏では外務省を守り切れないということから、武闘派の野上義二氏が川島事務次官の後任になった。
竹内氏はインドネシア大使で終わりだったはずが、野上氏がパージされた為に、間違えて事務次官の椅子が竹内氏に回ってきた。これが外務省の基礎体力を奪うことになった最大の原因だった。

現在ではロシアのチェチェン問題は国際テロと関連している認識されているが、当時は米英が人権問題としてロシアを叩こうとしていた。日本は独自の情報から橋本・小渕両政権は「チェチェン問題はロシアの国内問題であり、ロシアが解決すべき問題だ」と明言していた。
小渕内閣の改造人事で高村正彦氏から河野洋平氏に外相が代わると、当時総合政策局長だった竹内氏は米英のお先棒を担いでG8外相会議でロシアを叩くという日本政府の方針を無視した暴走を行おうとした。
このとき鈴木宗男氏に厳しく問いただされた竹内氏は”河野大臣の意向なので”と弁解したという。
プライドを傷つけられた竹内氏はその後事務次官になると、恨みを晴らすかのように福田康夫官房長官や川口順子外相と組んで鈴木氏攻撃を行うことになる。
その後米国で9・11テロが発生し、ブッシュ大統領はチェチェンに関する認識に誤りがあった事をロシアに謝罪し、テロ対策での国際協力を要請した。ロシアのプーチン大統領は「チェチェン問題で、ロシアは国際テロリズムと戦っているという立場でブレなかったのは、西側主要国では日本だけだ」と評価した。