2009年9月27日日曜日

【新聞記事】 産経(中井国家公安委員長)

 色々な意見があった。中には「言論統制」などと言い出す輩もいたのは事実である。が、中井国家公安委員長が述べたように、警察が中立性を保っていたかというと必ずしも言えないとなるだろう。

(追記)
長い間、公安委員には新聞社の役員が一名定席としてついていた。それが産経新聞吉田氏に代わり元弁護士連合会の山本氏へと入れ替わっている。

葛西敬之(2006年2月22日 )JR東社長(親米保守)
長谷川眞理子(2007年3月13日 )総合研究大学院大学教授、放送大学客員教授
高木剛(2009年12月7日 )元日本労働組合総連合会(連合)の会長
田尾健二郎(2007年12月19日)広島高等裁判所長官
山本剛嗣(2010年5月27日)元日本弁護士連合会副会長山本剛嗣


民主党政権になり入れ替わった前委員
佐藤行雄(外務省・宮崎県警察本部長)
吉田信行(産経新聞社専務取締役)
===================================================

【新政権発足】「警察も都合のよい情報発信してきた」 長官会見禁止で中井国家公安委員長 
2009.9.17 13:55

 中井洽国家公安委員長は17日の記者会見で、各省庁の事務次官会見と同様に警察庁長官の記者会見も禁止したことについて「(警察庁を含む)すべての役所は、政治的中立を保たねばならないが、いろんな形で(政権と)つるまって、自分たちの都合のよい情報を発信し続けてきた」と述べた。

 中井委員長は報道陣から「都合のよい情報発信をしてきた役所には警察も含まれるのか」と問われ、「そうだと思っている」と回答。その上で、「(都合のよい情報発信をするのは)60年同じ政権が続いているんだから。恨み辛みではない。警察が中立性を保ったと、マスコミがいうとは思わなかった」とも述べた。

警察庁長官の記者会見が中止に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090917-OYT1T00591.htm

 中井国家公安委員長は17日午前、警察庁で就任記者会見に臨み、民主党が政権公約で容疑者の取り調べの録音・録画(可視化)を掲げている点について「一方的に可視化するのではなく、捜査の武器となるものも含め検討していきたい」と述べ、司法取引やおとり捜査などの導入も同時に検討する意向を明らかにした。

 中井委員長は可視化について「すべての事件で実施したい」と明言する一方、「治安への国民の要望も満たさなければならず、全面的な可視化だけでは済まない」とも述べた。

 また、現在の国家公安委員会のあり方に触れて「警察が事務局を務める今のシステムで、チェック機能が果たせるのか」と疑問を呈し、警察庁から独立した事務局設置も検討する方針を示した。

 一方、鳩山政権が各省庁の次官らによる会見を原則禁止する方針を示したため、17日に予定されていた警察庁長官の会見は中止された。

(2009年9月17日13時41分 読売新聞)

会見中止の警察庁長官は陪席に 中井国家公安委員長
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091801000821.html

 府省庁の事務次官などの記者会見禁止問題で、中井洽国家公安委員長は18日、警察庁長官の定例記者会見は来週以降も行わず、毎週木曜日の国家公安委員会の審議内容は、中井委員長自身が会見して説明することを明らかにした。長官は会見に陪席させる。

 これとは別に、記者クラブなどから長官の会見要請があった際は、警察庁が可否を判断し、国家公安委員会の了解を求めるよう指示したという。

 中井委員長は「公安委員会の内容を報告するのが長官というのは違う」と指摘。会見は国家公安委員会が主催し、委員長が出張などの場合は、別の公安委員を出席させる意向を示した。

 警察庁は17日に予定されていた長官による定例の記者会見を中止。記者クラブ側は長官の会見を続けるよう求めていた。

2009年9月24日木曜日

【八ッ場ダム関連】 国会質問

自民党政権下のとある議会でのやり取りである
 この八ッ場ダム関連の基礎データーは、非常に恣意的なものが多く、まずは工事ありきで作られたのではないか。と思われるものが非常に多いのも特徴である。

しかし。前原を国土交通省、つまり前の建設省と運輸省の仕事は彼には荷が重かったとしか思えない。


T議員
 じゃ、続きましてちょっと国土交通省さんにお伺いしたいと思います。
道路特定財源のときにいろいろとお尋ねしようと思っていたんですけれども、なかなか国会の方で審議時間が取れなくて質問できなかったものですから。
 費用便益分析についていろいろと議論になったわけですけれども、実は私の地元の群馬県に八ツ場ダムというダムがありまして、これは昭和四十二年に着工されておりまして、もう四十二年たっているわけなんですね、着工から。しかしまだ完成していなくて、当初計画だと二千百億円の事業予算を組んでいたんですが、変更を重ねまして事業予算が四千六百億円になったということでございます。
あとまた工期も、本当は平成十二年に完成しているはずだったのが、平成二十二年に一回延長されて、今回また更に平成二十七年までまた延長されたということで、工事の予算もどんどん膨らんでいる、工期もどんどん長くなっているということで非常に議論がされているところでございますが、国会の参議院の本会議でも同僚の議員がこの問題について質問させていただいたと思いますけれども、この中でいろいろと国土交通省さんにそのいわゆるBバイCと言われる費用便益分析のいろんな資料をいただきました。
 ところが、その算定された資料を詳しくもっと出してくれというふうにお話ししたところ、ないということなんですね。
 今日お手元にお配りいたしました資料を見ていただきたいんですけれども、この中の洪水調整に係る便益というのがございまして、ブロックがA、B、C、D、E、F、G、こういろいろあります。
十ブロックに分けて、それぞれのブロックごとにこのダムを造ることによってどれだけ洪水の被害が減少するかという便益を出しているんですけれども、その一番基本となる年平均被害軽減額、①というところですね、それぞれブロックごとの。
これを算出された根拠がないという、資料がないというふうに説明を事前に昨日受けたんですけれども、それは本当でしょうか。確認の、念のためにお伺いさせていただきたいと思います。
H副大臣
 これ、私もないはずがないと思っておりまして、捜していただいたんですけれども、これが本当にないわけでありまして、これ、この分野に関しての文書の保存期間は一応三年ということにはなっているものの、これ今事業中の案件でありますから、本来あるべきだと私も思っております。しかしながら、それがないということでございます。
T議員
 ないものを前提にこの事業を継続すべきかという結論を出されたというのは本当に疑問で、何というか信じられないですね、納得いかないですよね。
 四千六百億円もの税金をこれから使って建設すると、それでなくても今ダムの不要論がどんどん出ているのに、そのBバイCを出したときの基の数字がないという、その前提でこの事業継続を決定するということはおかしいと思いませんか。副大臣として、政治家として御感想をお伺いしたいと思います。
H副大臣
 これ、ないというものの、これ隠し立てするような資料でもないはずなんですね。これは関東地方整備局事業評価委員会で、前、了承いただくときにはちゃんと説明もし了承いただいているわけでありますから、本来、これあってしかるべきでありますが、その時点で、御了承いただいた時点ではそれはちゃんとあったということだと私は思っております。
T議員 
その了承が正しいと、適正だという前提でのお話ですけれども、この後ちょっとお話ししますけれども、私は、全然適正じゃない評価の便益出しているのがいっぱいありますので、ちょっと一例というか、二例というか、三例ぐらいお示しをしたいと思います。
 まず、ブロックごとの被害軽減額、この出し方がまずおかしいと。
私は、検証してみないと、前提がおかしいと思うんで、そういうおかしい部分はいっぱいあると思うんですけれども、それはまあ百歩譲ってこれを前提に考えた場合でも、一番右から二行目のブロック別便益というのがありますね。
これはそれぞれの地域ごとに、ダムを造ることによってはんらんがどれだけ被害額が減少できるかという数字なんですが、これブロックごとに上流から下流まで全部分けてあるんですね。
それで、もし台風とか大雨で洪水になったときにこのブロックがすべて一遍に洪水になるということはあり得ないんですよね。どこか一回決壊すれば、その地域は洪水で水浸しになって水害を受けますけれども、そこで水がもうはけるわけですから、下の部分とか違うところでは洪水の被害が起きるわけないんです。
ところが、これは同時発生的に起きるという前提で積算されているんですね。これおかしくないですか。
便益マニュアル、中にもそういう意見が出ています。だけど、それを無視してこの数字で出しているということでございます。
 これ、こういうおかしな計算の仕方を前提としたBバイCというのは全く納得いかないんですが、どうでしょうか。
H副大臣
 様々な降雨のパターンに対応するということだと思うんですが、詳しくは河川局の方から答えさせていただいてよろしいでしょうか。──ですから、かつてのいろんな雨の降るパターンというのがどんどんどんどん変わってきているし、最近の集中豪雨というようなものも、そのすべてのパターンに対応できるようにしているということだと私は理解しております。
T議員
 その認識は違っております。
 何年かに一度のごとにこれ被害額出しているんですね。二百年に一度の台風、百年に一度の台風、それぞれのごとに確率を出して出していると。
それは一応整合性はあります。だけど、同時にこのブロックが、十ブロックがすべて洪水になるということはあり得ないと。そのあり得ない前提でこの便益を出していることに対しておかしいと思いませんかというふうにお尋ねしているんです。これ、大臣、政治家としてお答えいただきたいと思います。
H副大臣
 そういうケースもあり得るだろうというふうに思っております。
T議員
 それ、絶対あり得ません。全部、全地域が一遍に洪水になるようなというのは、それこそ何十億年に一度の台風か何かじゃないとないんじゃないですか。それはよく調べていただきたいというふうに思います。一つ取ってもこれはおかしい。
 次に、もう時間がないんで余りあれなんですけれども、二番目のところを見ていただきたいと思いますけれども、河川の水量確保に係る便益の算定というふうにあるんですね。
これを見ると、名勝吾妻峡に必要な水量を確保することによる景観改善等の効果を便益として算定したと、景観改善と書いてあるんですね。
ダムを造って何で景観改善なんですか。これは水を流すということで言っているらしいんですけれども、元々、今水は流れているんです。それをダムで止めておいて、また水を流して、それで景観改善だ、それで便益があるんだというふうにこれは出しているんですけれども、おかしくないですか、これ。どういうふうに。
 ちょっと大臣にお伺い今日はするというふうに言っていたので……
H副大臣
 副大臣でございます。
T議員
 あっ、副大臣にお伺いしたいと思いますので、お答えお願いします。
H副大臣
 これは景観改善等の効果を算定するに当たって、いわゆる仮想的市場評価法、CVM。要するに、こういうように水が流れることに対して幾ら払うかというアンケートに基づいて調査したものであり、これも費用便益マニュアルの規定のとおりにCVMという方法を利用させていただいていると聞いております。
T議員
 私がお尋ねしているのはそのマニュアルがおかしくないかということでお尋ねしているんです。
そのマニュアルどおりやっていたらこうなっちゃうんですね。だから、これはおかしいんです、何とかCV何とかというのはおかしいんです。
 このアンケートも見させていただきましたら、すごいインチキがあるんですね。一回当たり、次のページ見ていただくと、支払意志額百四円とあるんですけれども、百四円の出し方がすごい恣意的な偏ったアンケートで出しているわけなんです。
 近く、群馬県で違う三波石というところもあるんですけれども、これは違うダムのところの渓谷を言っているわけですけれども、これも、元々水が流れていたところをダムを造ることによって水がなくなっちゃった。それを、水を流すことによって、幾ら払って水を流すのを見たいですかという、そういうアンケートなんですね。
そんなばかげた話ないと思うんですね。元々ダムがなければ水が流れているのに、それで、ダムで水がなくなっちゃって、じゃ、水を流すから幾ら払ったら見たいですかという、そういうやり方しているんです。それで、お金払いたくないという人がほとんどなんですけれども、アンケートを取った。そんなのでお金ばかばかしくて払いたくないって、それは当然だと思うんですけれども。
 それと、河川清掃などボランティアであればやってもいいよという人がいるんですね。中には払ってもいいという人がいるんです。払ってもいいという人に対して幾らまでいいかという聞き方ならいいんですけれども、ボランティアをやって、ボランティアだったらやってもいいよと、要はお金は払いたくないんだけれどもボランティアだったらいいよという人まで、改めてもう一度、お金は幾ら払ったらいいかという聞き方するわけですね。
それも、百円だったらいいよ、二百円だったらいいよ、三百円だったらいいよって、百円と答えた人に対して、次、二百円ならいいよと、そういうやり方なんですね。
だから、非常に誤った結果が、これ誘導、恣意的に出てきちゃうんですね。そうすると、この百四円という金額の出し方も私はおかしいというふうに思います。
 それと、もっとおかしいのはこの次の年便益、年間利用見込み数七百三十九万二千四百人とありますけれども、これはどこから来たのかというと、次の三枚目、見ていただきたいと思います。
 これは、今回造る八ツ場ダムの近くの長野原、嬬恋、草津、六合、吾妻、この町村に来る観光客、年間の観光客全員を基の数にしているんですね。吾妻渓谷というのはほとんど泊まらないですよ、今でも。草津温泉行く人はみんな通りますけれども、ほとんど通過します。このために来る人というのは十万人もいないんじゃないですか、十数万人しかいないというふうに地元の人言っていました。
それなのに七百万人、これを造ることによって七百万人の観光客が来ると。元々、草津温泉とかいろいろ長野原とか嬬恋とか、こういうところに来る人たちは全部吾妻に来る、吾妻渓谷、八ツ場ダムに来るという前提で出しているんですね。これはおかしいというふうに思いませんか。
H副大臣
 この入り込み客等々についての考え方は、これはいろいろあろうかと思います。ですから、この問題に関してはやっぱり点検をしていかなきゃいかぬなと私自身も思います。
 ただし、今回のこの水量に係る便益というのは、洪水調節に係る便益が八千二百七十六億円に対して百五十五億円ということでありますから、こういう言い方したらちょっと怒られるかも分かりませんが、大したことではないのかなと。いや、金額的に。それよりも、それよりも私が思うのは、これ以上コストを増やさないということがこのプロジェクトでは一番重要だと思っています。
T議員
 一事が万事なんですね。こういうところのアンケートでこういう適当なアンケートを作って便益を膨らませている。
さっきの洪水の被害額もそうです。十か所が一遍に洪水になるわけないのに、十か所起きる前提で積算されている。全くおかしいんですね。
 それとあと、次の、せっかくだから(2)も見ていただきたいと思いますけれども、もう一個アンケートやっているんですね。これもやっぱり群馬県の相俣ダムというところでダムを造ったことによって水が流れない。
水を流すことに対して幾らまで払っていいですかという同じようなアンケートを取っているんですね。
これは地域の世帯全員を、何というんですか、標本の母数としています。アンケート調査をやって、それやると、これも金額の払い方のアンケートは、さっき言ったように非常に何というかだまされやすい評価になっちゃうんですね。
 これを見ると、相俣ダムの下に赤谷川というんですか、そういうのがあるんですね。
そこの水を流すことによって川が復元すると、それに対して幾ら払ってもいいですかというやっぱり尋ね方なんですね。こういう赤谷川なんて普通知らないと思いますよ、ほとんど。そのためにお金を払って見に行きたいという人は余りいないと思うんですけれども、その人に対して一応やったんですね。
そうすると、支払意志額というのは月に四百七十九円も払っていいというアンケート結果が出ちゃうんですね。月ですよ。年間にすると五千七百四十八円も払って赤谷川というところに、今までダムでせき止められたところに水を流すことによって水が流れる、それを見るために年間五千七百四十八円も払いたいという人が出たという結果が出ているんですよ、このアンケートに。
普通あり得ませんよね。五千円も払って今アクアラインだって通りたくないのに、こんな赤谷川という川の水を流すことに対して五千七百円も払いたいと。
 しかも、この近隣の世帯四万二千五百七十六世帯が全部が行くという前提になっているんですね。この四万二千五百七十六世帯というのは、この次の三ページ見ていただくと分かりますけれども、中之条町からずっと出ております、この世帯数ですね。この世帯、四万二千五百七十六世帯が五千七百四十八円お金を払って毎年行くと、このダムを見に行くと、そういう前提でこの便益を出しているという。
 これこそ便益の水増しというか、インチキな積み上げとしか言いようがないと思うんですけれども、副大臣、おかしいと思いませんか、こういう出し方について。副大臣に今日はお伺いしたいと思っているので、よろしくお願いします。
H副大臣
 今のは世帯の話ですよね、世帯で五千幾ら、だけど一人当たりということではないですよね、確認をさせていただきますけれども。
 この便益がどうかということを言われますと、これは今まで専門家の意見を聞きながらまとめてきた便益マニュアルにのっとって行っているということで、素人の私がこれ以上いろいろ口を挟むのはどうかと思いますが、しかしながら、私なりの個人的な、個人的な感覚ですよ、個人的な感覚だと、いささかやっぱりおかしな面があるのかなというふうには感じます。
 しかし、地元の要望にこたえて造らせていただいているダムですから、一刻も早くコストを削減しながら完成、本体事業に入れるように全力を挙げることが必要だと考えております。
H議員
 これは是非、一般の感覚でとらえていただきたいと思いますね。専門家の考え方がもしこれが正しいということになったら大変なことになっちゃいますよ。こんなめちゃくちゃなアンケートに基づいてこんなめちゃくちゃな便益で出されたらもう何でもできちゃいますね。費用便益分析やって幾らでも数字ができちゃうという、これは非常に恐ろしいことだというふうに思っております。
 今度もし時間があればアンケートを全部皆さんにお配りして見ていただきたいと思います。いかにいいかげんなアンケートのやり方を取っているかということでございます。四万二千五百七十六世帯が毎年、年間五千七百円も払って見に行くようなものじゃないと思いますよ。その辺は是非検討していただきたい。
 あと、計画も、今回ダムの計画が高さが減少されたんです。元々高かったものが低くされた。何かどういうことでやったのか知りませんけれども、計画を変更になっていると。
それだったら、最初の計画は何だったんだというふうに思うんですね。そういったことも含めて、このダムについては分からないことがいっぱいあり過ぎます。是非もう一回、この二・九という費用便益分析の数字をもう一回改めていただきたいと思います。それから本体工事に着手していただきたいと思います。
H副大臣
 現在、利根川の河川整備計画を策定すべく、この五月二十三日に、第四回の有識者会議を開催しました。学識経験者や地域の方々の御意見をお聞きしつつ様々な角度から検討を行っているところでありまして、八ツ場ダムの費用便益分析についても、その過程の中で不断の見直し、点検を行うこととさせていただきます。
T議員
 早急に見直しをしていただいて、是非御報告していただきたいと思います。内容については是非国会の中で議論させていただきたいと思います。
 これで私の質問を終わります。


問題になった国土交通省のデーター

2009年9月23日水曜日

【雑誌記事】 鳩山政権の組閣

 あくまでも読み物として。
案の定、この記事を引越しをしているときにには、霞ヶ関との戦いに先手などとはとても言えない状態であり。官僚に丸め込まれたと言っていいだろう。

この記事は九州の(NET IB)の記事である。がどうも、希望・願望記事であったらしい。
どうも、インサイドやインサイダー・インサイドラインと同じような名前の記事が多いのであるが、時間を置いてから読むと頓珍漢な記事が多いのが特徴のように思えてしまう。

この記事ではないが、インサイドラインの歳川隆雄氏の記事は、ひどいもので検察リーク一色で、検察情報に関しては、半分程度あたっているようなものの政局にしては、鉛筆を転がして記事を書いている程度の信用度しかない。

ネット社会が充実してくるし従い過去の記事がどんどん残されていく。その結果、信用度の低い評論家・ジャーナリストは名前だけでは生き残れないであろう。


====================================================

鳩山政権「組閣の裏側」 若手政治家たちの野望
[政界インサイドレポート]
2009年09月17日 10:48 更新

<霞ヶ関との戦いに先手>
 鳩山新内閣が、国民の期待を背負って船出した。新大臣たちは就任会見で
「八ッ場ダムの建設中止」(前原誠司・国土交通相)、
「後期高齢者医療制度の廃止」(長妻昭・厚生労働相)、
「インド洋の給油活動は延長しない」(北沢俊美・防衛相)、
「日米密約の調査命令を出した」(岡田克也・外相)などと民主党のマニフェストを直線的に実行する姿勢を示し、《政治の転換》を強く印象づけた。

 経済政策では、連立を組む国民新党の亀井静香・金融相が、「住宅ローンや中小企業が抱える借金の元本返済の3年猶予を検討する」とぶちあげて金融界に衝撃を与えているが、これは亀井氏の独断パフォーマンスではなく、鳩山首相が総選挙前に一度言及していたものだ。

 《脱官僚依存》を掲げる鳩山政権は、霞ヶ関との戦いにも先手を取った。
 鳩山官邸は事務次官会議の廃止に続いて、各省庁に次官、局長などの定例記者会見の原則中止を通達し、新内閣発足最初の閣僚懇談会で、役所側が民主党議員を個別に味方に引き込んで族議員化させないために、官僚と国会議員の接触そのものを制限する方針を申し合わせた。

 これでは役所側は新政権の政策に反対の声を上げることもできない。

 “お坊ちゃん”の鳩山首相にしては戦上手なやりかただが、実は、主導しているのは薬害エイズ問題で役人とのケンカには定評がある菅直人・副首相兼国家戦略相だ。

 「菅さんは6月に英国の議会制度と官僚操縦の仕組みを視察し、政権交代後の対霞ヶ関戦略を練ってきた。副総理という政権ナンバーツーの実権を得て、早速、実行に移している」と、菅側近はいう。

 霞ヶ関との戦いは、その菅氏の国家戦略局(当面は室)と、仙谷由人・行政刷新相の行政刷新会議が担う。

 菅氏や岡田氏、前原氏らが闘志満々で改革姿勢を前面に出しているのは、それぞれの持ち場で手柄をあげ、いずれやってくるポスト鳩山の後継首相レースをにらんで早くも競い合っているからに他ならない。

<早くも始まった「ポスト鳩山」レース>
 閣僚人事はまさに権力闘争だった。民主党の次世代リーダーたちの出世争いも明暗を分けた。

 一歩後退したのは、鳩山氏と代表選挙を争い、次期代表の最右翼と見られていた岡田氏だ。岡田氏は総選挙中から幹事長として「政権移行チーム」を率い、新政権の骨格作りを主導するつもりだったが、「そうした事前の動きが小沢(一郎)さんと鳩山側近たちの警戒を呼び、早い段階で外相に内定して体よく新内閣の官邸から遠ざけられた」(民主党幹部)とされる。

 その結果、内閣は鳩山首相と菅副首相の2頭体制、党務と国会運営は小沢幹事長が握るという、かつてのトロイカが完全復活し、菅氏がポスト鳩山の有力候補として復活した。

 もう1人、防衛相候補として入閣有力と見られながら、土壇場で外されたのが反小沢派の代表格の1人、野田佳彦氏だ。事前の身体検査で「集団的自衛権行使に前向き」なことが社民党との連立の障害になると判断された。そのことが入閣見送りの理由とされているが、同じ主張の持ち主は党内に多い。防衛相以外の選択もあった。

 むしろ、前原氏や仙谷氏ら「反小沢派」のなかでの大臣レースに敗れたのだ。

 鳩山側近議員が打ち明ける。

 「岡田さんを別格にすれば、反小沢勢力の大臣枠は前原、仙谷、長妻の3人。それ以上は増やせない。政策通で実績のある3人に比べて、野田氏はセールスポイントが弱かった」

 野田氏は格下の財務副大臣に内定したが、同じ当選5回ながら松下政経塾の後輩で小沢氏、鳩山氏に近い原口一博氏が有力閣僚の総務相に起用されており、出世レースに大きく水をあけられることになった。逆にこれまで出遅れていた原口氏は、ニューリーダーの1人として飛躍するきっかけを得た。

 新内閣の看板大臣の1人、長妻・厚労相も先を見ている。長妻氏は、鳩山首相から行政刷新相就任の打診を受けながら、それを蹴って難題山積の厚生労働相を希望した。それは、「あえて火中の栗を拾い、実績をあげて、ポスト鳩山で先行している岡田氏や前原氏に一気に並び、後継者レースに名乗りをあげようと意欲を燃やしている」(民主党スタッフ)と見られている。

 若手政治家たちが権力の座に野望を隠さず、政策実行力で競い合うのであれば、民主党という政党だけでなく、日本の政治も活性化するだろう。総裁選に有力候補が次々と出馬を見送り、権力闘争の力さえ失ってしまった自民党とは対照的だ。

 「首相を辞めたら政界引退する」と表明している鳩山氏が、ことさら自分がリーダーシップを発揮しようと力むのではなく、若い大臣、副大臣たちの功名心をうまく利用して政権を運営していくなら、かなりの成果をあげることができるのではないか。

<党内支配力増した小沢>

 新政権には、一見目立たない形で「小沢色」が反映されている。

 小沢氏は総選挙で新人候補を大量当選させ、民主党内で150人ともいわれる圧倒的勢力を得たものの、“小沢派”は当選1~3回の実力未知数の議員が多く、閣僚に押し込む人材が決定的に不足している。片腕の山岡賢治氏も、国対委員長に留任させた。

 鳩山内閣の大臣で小沢側近といえるのは、中井洽・国家公安委員長ぐらいしかいない。そこで小沢氏は、参院選対策として重視する農家の戸別所得補償制度を担当する農水相に、同盟を組む左派(旧社会党出身議員)から、選対委員長として自分を支えた赤松広隆氏を起用した。

 それだけではない。

 参院から3人の大臣が就任した背後にも小沢氏の影がちらつく。

 鳩山首相は当初、参院の大臣枠は直嶋正行・経済産業相の1人を想定していたとされるが、小沢氏の腹心、輿石東・参院議員会長が「大臣枠2人」を要求し、結果的に千葉景子・法相、北沢防衛相を加えて3人となった。

 小沢派「一新会」の議員がうそぶく。

 「小沢派の党内勢力からいえば、大臣5人以上送ってもおかしくない。だが、入閣適齢期の者が少ないから、左派と参院にポストを割り振ったということだ」

 もっとも、農水相の赤松氏は農業政策には詳しくないし、北沢防衛相もベテランとはいえ防衛関連の役職の経験はあまりない。

 参院の3人枠には、別の思惑も働いたようだ。

 民主党参院議員が語る。

 「千葉と北沢は、来年の参院選後に交代する江田五月・参院議長の後任の議長候補だったが、入閣でその芽は消えた。残っているのは輿石1人。小沢さんは腹心の輿石議長を確定させるために、ライバル2人を大臣で処遇した。これで参院での小沢さんの影響力がますます強まった」

 鳩山新内閣は、決して「適材適所」とは言い切れないのだ。

2009年9月22日火曜日

【新聞記事】 産経(新・民主党解剖)

【新・民主党解剖】第1部海図なき船出


16日に発足する鳩山内閣と民主党は、日本をどこに導くのか。国民の期待に応えられるのか、期待外れに終わるのか。内外の注目が集まる中、「スタートラインについたばかり」(鳩山氏)の民主党の「いま」と「これから」を追う。

 ■無人の野行く小沢氏

 8月30日の衆院選大勝利の後、民主党は新政権発足に向け、生みの苦しみを強いられてきた。政権交代を果たしても、大海へと乗り出す「鳩山丸」の船乗りたちは、初心者が多くまだ練達していない。今後も、大波や突風に揺さぶられる試練が待っている。

 「挙党一致態勢、さあこれからだ。そんな決意で党運営は小沢一郎代表代行に仕切っていただき、政府の方は鳩山由紀夫代表に、国民の期待に応えていただく。その確認ができた両院議員総会だった」

 新政権発足を翌日に控えた15日夕の両院議員総会で、小沢氏に近い輿石(こしいし)東(あずま)参院議員会長はこう言い切った。まるで、鳩山、小沢両氏による「二重権力構造」が正式に決定したかのような言い回しだった。

 衆院選で民主党が圧勝し、新人が大量当選した結果、新人の面倒を見た小沢氏を中心とする議員グループは、約50人から150人規模へと膨れあがった。

 小沢氏の影響力はそれまでも党内で突出していた上、鳩山氏が首相、菅直人代表代行が国家戦略局担当相、岡田克也幹事長が外相となりそれぞれ政府に入る。今や党内は、小沢氏がひとり無人の野を行くような様相となった。

 国民に開かれた政党を標榜(ひょうぼう)し、鳩山氏らが平成10年に結成した新「民主党」。非自民の細川連立政権に参加した社会、さきがけ、新進各党など雑多な出自の議員を執行部の強権でまとめる手法は取らず、名の通り民主的な党運営を自任してきた。

 だが、その体質は15年に合流し、この5月まで党代表を務めた小沢氏の下で徐々に変貌(へんぼう)を遂げる。

■明確な力関係

 今回の人事でも、当初は「一人で一気に決める」としていた鳩山氏は党人事は小沢氏に一任し、閣僚人事も14日に小沢氏と会談してわざわざ了承をとった。鳩山氏周辺は「小沢氏に異議はなかったと聞く」と安堵(あんど)するが、小沢氏に批判的な党中堅は「小沢さんが『ノー』といった閣僚人事は決まらないということだ」(中堅議員)と指摘する。

 赤松広隆選対委員長の入閣が決まったのも、小沢氏周辺は「小沢氏が推薦したからだ」と証言する。
 鳩山氏は新政権発足後、党の重要方針を決める「三役懇談会」から岡田氏を外し、小沢氏側近の山岡賢次国対委員長を新たに加えた「党首脳会議」(仮称)を新設する考えだ。

 ここでも小沢氏側に最大限の配慮をした形で、政府の意思決定を内閣に一元化するとした衆院選マニフェスト(政権公約)との整合性が問われるところだ。

 また、鳩山氏は新政権の人事で、小沢氏の幹事長起用をいの一番に決めたが、この場面でも両氏の力関係は明確に表れた。

 鳩山氏が小沢氏に幹事長就任を要請した3日夜、「小沢氏を呼ぶ」と記者団に宣言してから、鳩山氏は小沢氏が到着するまで約2時間も待たされた。周辺は「たまたま連絡が悪かったというのではなく、鳩山氏は選挙後、小沢氏に連絡がとれない状態だった。意思疎通がうまくできていない時期だった」と明かす。

 鳩山氏がはれ物に触るように小沢氏に接するのはなぜか。これより前、小沢氏に近い党幹部は鳩山氏に「議長や閣僚は誰だっていい。だが、(小沢氏以外)幹事長は代わりはいない」と暗に小沢氏の幹事長への起用を強く求めていた。

■前途多難

 鳩山氏は首相就任を翌日に控えた15日、にこやかな笑顔の一方で、どこか苦悩を堪え忍ぶようなこわばった表情も見せた。脳裏には、どんな思いが去来していたのか。

 この日午前、民主党本部で開かれた常任幹事会。鳩山氏は、新首相として直面するさまざまな困難を予期するように、幹部議員らにこう呼びかけた。

 「これから国民が中心となる政治をつくり出していく作業は、大変、前途多難だ。試行錯誤の部分も多いかと思う。苦しいときも一つになって頑張ろう」

 同日夕、都内のホテルで開催された両院議員総会。鳩山氏は、400人超に膨れあがった衆参の所属議員が埋め尽くした会場を見渡して「壮観だ」と述べたが、こうも戒めた。

 「民主党が国民の期待に応えていかなければ、しっぺ返しをくらい、失望感がこの国を覆えば、取り返しのつかないことになる。喜んでいる場合ではない」

 14日に国会内で「敗軍の将」である麻生太郎首相と会談した際も同じだった。「内政、外交、難問山積だと思う。アドバイスがあればたまわりたい」。辞を低くして助言を乞いもした。

 鳩山の双肩には、308議席分の国民の期待と、首相となるプレッシャーが重くのしかかっている。

 ■試金石

 世論調査を見る限り、国民が民主党に求める政策は「脱官僚」と「財政のムダ遣い見直し」であることがはっきりと表れている。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が今月5、6両日に行った合同世論調査で「民主党が実現すべき政策」を聞いたところ、2つの選択肢を選ぶ回答が突出して多かった。

 「政治と官僚の関係の見直し」(87.5%)と「予算の編成や執行の見直し」(87.4%)がそれだ。

 国民の財布に直接響く「子ども手当」が58%、「高速道路の原則無料化」が26・1%にとどまったのと比べると、国民の関心がいかに高いかが分かる。

 「脱官僚依存の政治を興すんだと、みなさんと力強く訴え続けてきた。その言葉を、ただ言葉だけに終わらせてはならない」

 鳩山氏自身、15日の両院議員総会でこう訴えた。立ち止まったり、後退した印象を与えると、国民の期待は反発へと転じかねない。

 党最高顧問の藤井裕久氏は、政権交代の意義についてこう述べている。

 「民主党が政権を取ったら特別会計をやめ、公益法人を整理し、国のムダを省いて財政を再建する。それができなければ政権交代は必要がない」

 鳩山氏自身が強調するように、前途は楽観できない。党内には、自治労など官公労を支持基盤とする議員も少なくなく「脱官僚」や「ムダ見直し」の行方も未知数だ。だが、船はこぎ出すしかない。

 ■人事転々

 閣僚人事では、ドタバタ劇や当てはずれもあった。鳩山氏は閣僚内定者に「外に漏れたら(ポストが)変わるかもしれない」と箝口令を敷いたが、威令は効を表さなかったようだ。

 党内の主流・反主流のバランスをとった陣容も、「サプライズがなく鳩山氏はやはり人事下手」(党関係者)と評価は高くない。

 民主党の仙谷由人元政調会長は15日夜のメールマガジンで、「ただ今、吉報が入りました」と入閣を報告し、直後のメールで「準備中のものが誤って流れた」と訂正する場面もあった。

 「国民新党にとってはパーフェクトの人事をやってもらった。素晴らしい。(私を)郵政見直しの専任の大臣にしたということは、並々ならぬ意気込みを示されたことだ」

 一方、国民新党の亀井静香代表は15日の記者会見でこう語り、自身の郵政問題・金融担当相への起用を歓迎した。郵政民営化に反対して自民党を離党した亀井氏にとって4年ぶりに「リベンジ」というわけだ。

 亀井氏の人事は迷走もみせた。鳩山氏が打診した2種類のポストのうち、防衛相情報だけが独り歩きしたため、防衛省も鳩山氏周辺も国民新党の他議員も、直前まで亀井氏は防衛相と思い込んでいたのだ。
 「みんな悪いなあ。後で慰労するよ」

 亀井氏は15日午後、記者団にこう語り、最後まで自身のポストが定まらなかったことをわびた。

 少子化・男女共同参画担当相などに起用される社民党の福島瑞穂党首は同日午後、「土井ママ」と呼ぶ土井たか子元衆院議長から電話を受けた。

 福島氏「体を張って頑張ります」

 土井氏「体なんか張ったらダメよ。体を大事にして頑張って」

 鳩山連立政権の実像と方向性が、徐々に明らかになってきた。

■縄張り争い

 16日午後6時すぎ、首相官邸。無数のシャッター音が激しい雨音のように降り注ぐ記者会見場に現れた鳩山由紀夫首相は、こう語り始めた。

 「日本の歴史が変わるという身震いするような感激と大変重い責任を負った」

 「鳩山丸」は出航の時を迎えた。だが、新内閣の屋台骨とされ、予算の骨格など政府の基本方針を決める国家戦略局や、国の行政全般を見直す行政刷新会議の実態はどうか。方針が二転三転したり、そもそも定まっていなかったりで正体不明の印象はぬぐえない。

 「個別の予算編成は財務相の専権だと思う」

 藤井裕久財務相は16日朝、予算編成における財務省と国家戦略局の役割分担について、記者団にこう強調した。菅直人副総理・国家戦略局担当相が、平成21年度補正予算の事業執行停止に言及していることを牽制(けんせい)したとも受けとれる。

 戦略局構想は当初、外交ビジョン策定なども行う予定だった。このためか、岡田克也外相も11日の記者会見で次のように指摘し、国家戦略局に枠をはめた。

 「すべてを神のごとく決定していくことはできない。それぞれの役所の所掌事項まで国家戦略局で議論するということではない」

 “見切り発車”感が漂う中、平野博文官房長官は16日の記者会見で「菅氏には起案・企画のスタッフ機能と(各省庁間の)調整機能を持ってもらう」と述べた。だが、これらの調整は本来官房長官の役割だ。

 一方、仙谷由人行政刷新担当相は記者団にこうぼやいてみせた。

 「大臣以外は事務局もなければ部屋もない。自動車もない、秘書官もない。『ないない尽くし』だ」

 ■ブートキャンプ

 16日午後。首相指名を受けた鳩山首相が晴れやかな表情で各党にあいさつ回りをしていたころ、小沢一郎幹事長は党本部の大ホールで険しい表情で新人議員と向き合っていた。

 「1年生の仕事は次の選挙に勝つことだ。政権交代は成し遂げたが、自民党はいずれ復活してくる。とにかく地元活動をやれ!」

 小沢氏がこう一喝すると、初登院の興奮冷めやらぬ約140人の新人議員はいきなり冷水を浴びせかけられ、押し黙った。

 この会合はマスコミを完全にシャットアウト。小選挙区での当選者と、比例代表での復活当選者は完全分離して会合を開き、「小選挙区で勝てない議員は一人前ではない」との「小沢イズム」を徹底させた。

 小沢氏の念頭には、もはや来夏の参院選、そしてその先の衆院選しかない。新人教育にかけるその執念は徹底しており、今後は新人議員を15の班に分け、火曜から金曜までの毎朝、先輩議員が選挙活動や国会運営についてみっちり「指導」する手はずを整えている。

「小泉チルドレン」に振り回された自民党の二の舞を演じたくないとの思いもあるのだろう。民主党では「イチローズ・ブートキャンプ(新兵訓練基地)」とささやかれている。

 ■閣僚も選挙シフト

 民主党の「選挙シフト」は、閣僚人事にもはっきりと表れている。

 平野官房長官、川端達夫文部科学相らは有力労組出身。赤松広隆農水相も労組と縁が深い。旧社会党系議員の優遇も目立つ。社民党の福島瑞穂党首を含め、参院議員4人を登用したのも参院補選や参院選をにらんでの布陣といえる。

 「旧社会党系、旧民社党系がこれだけ入り、組合員はますますやる気になる。参院選を最優先に打ち出したことが分かる布陣だ」

 日本労働組合総連合会(連合)幹部は諸手を挙げてこう歓迎する。

 原口一博氏の総務相起用は、橋下徹・大阪府知事とのパイプや地方票の集票を意識したといわれる。

 政府の政策に労組色が強まることは確実だが、鳩山首相の本意なのだろうか。

 首相はかつて「労組の歴史と役割は否定しないが、政治に対する好ましくない干渉もある。我々自身の中にある労組依存症の体質を改めたい」(平成14年9月11日付読売新聞のインタビュー)と述べていた。すべてにおいて選挙を優先させる「小沢流」が首相に乗り移ってしまったようだ。

 また、今回の組閣は「代表選で岡田氏を支持した人はおおむね外された。論功行賞人事だ」(中堅)という側面もあった。水面下では自民党政権と変わらぬ猟官運動が繰り広げられた。見事に閣僚の座を射止めたある議員は先週周囲にこう公言していた。

 「これでもし入閣がなかったら他の役職なんか就かない。一議員にさせてもらい、何もしない」

  ■お手並み拝見

 「脱官僚依存」と「政治主導」を掲げる割には、ちぐはぐな印象が否めない閣僚人事もあった。

 16日午前、赤松広隆農水相の国会議員会館内の事務所に農政関係議員が呼ばれた。それまで、ほとんど農政畑と縁のなかった赤松氏はこう尋ねたという。

 「自分は党の農水の勉強会(部会)にどんなメンバーがいるのかよく知らないので、どんな人が来ているのか教えてくれ」

 仙谷氏と長妻昭厚生労働相のポストは15日夜に入れ替わった。鳩山由紀夫首相が長妻氏の「どうしても年金問題をやりたい」との意向を汲んだからだ。その結果、自治労の組織内候補である仙谷氏が公務員制度改革を担当するというすっきりしない形になった。

 鳩山首相は平成14年9月の党代表就任時、旧民社グループの中野寛成副代表を幹事長に抜擢(ばつてき)し、「露骨な論功行賞だ」との猛反発を買い、代表辞任に追い込まれた。小沢一郎幹事長の周辺は「鳩山さんは相変わらず人事が分かっていない」と語り、こう言い放つ。

 「小沢さんから見れば『お手並み拝見内閣』だ。どうせ、来年の参院選までの内閣なのだから…。本格政権はそれからだ」

■水面下の策動

 「きょうが政治と行政の仕組みを根本的に変えるスタートの日。後世の歴史家が『素晴らしい日だった』という一日にするために、これから積極的に働こう」

 鳩山首相は16日午前、国会内で開かれた参院議員総会でこう呼びかけた。
 だが、実際には鳩山首相の意向とは関係なく、正式な政権発足前から、それぞれの思惑に基づく動きが活発化している。

 「新政権発足後、できるだけ早く皇位継承の問題があることを伝え、対処していただく必要がある」

 宮内庁の羽毛田信吾長官は10日、記者会見でこう語った。皇位継承権者を男系の男子皇族に限定している、現行の皇室典範改正への取り組みを要請する考えを示したものだ。

 民主党の川上義博参院議員は11日、党本部で小沢氏と面会し、「政権与党になったのだから」と永住外国人への地方参政権付与の推進を要請した。在日本大韓民国民団(民団)のメンバーが同席する中、小沢氏はこう同調したという。

 「自分はもともと賛成であるので、ぜひ、来年の通常国会では何とか方針を決めようじゃないか」

 ともに衆院選マニフェスト(政権公約)にはない課題だ。鳩山首相は16日の記者会見で「国民は政権にさまざまなモノを言ってもらいたい」と呼びかけた。今後は党内外から寄せられる意見や批判だけではなく、様々な要請をうまくさばく手腕も試される。

 ■公務員に争議権

 政権発足から一夜明けた17日、鳩山由紀夫首相が首相官邸に招いた最初の客は民主党最大の支持団体、日本労働組合総連合会(連合)の幹部だった。

 鳩山首相は満面の笑みを浮かべて、高木剛会長、古賀伸明事務局長らと握手を交わし、「最も力強く支援してもらった方々にお越しいただいた」と衆院選での支援に礼を述べた。そして、こう続けた。

 「政権与党となったので、連合の提言や政策にこれまで以上に応えられる」

 同じころ、日本商工会議所は都内のホテルで総会を開催していた。だが、来賓として招待されていた鳩山首相は足を運ばず、メッセージを送っただけだった。

 もともと連合内部では、衆院選までは民主党政権への積極関与論と慎重論とで意見が割れていた。だが、民主党が大勝すると、以後は新政権に対する基本原則がまとまり始めた。

 それは、「(参院選を指揮する)小沢一郎幹事長の支援」、政府・党に対する「人事不介入」、政策には「是々非々」で臨む-の3点。組織決定されたわけではないが、連合幹部らの暗黙の合意として浮かんだ。

 ただ、見返りなしの支援などありえない。連合内では、これまで長年、自民党政権に求めてきたが果たせなかった政策要求の実現に期待が高まっている。

 特に、民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた公務員の労働基本権回復は連合傘下の自治労の悲願だ。これにより、公務員も民間人と同様に団体交渉権、争議権などを獲得できるからだ。

■どうなる竹島記述

 政権交代を見越して、霞が関の官僚が結論を先送りしてきた案件の一つに「竹島記述問題」がある。

 「ゆとり教育」を全面的に見直す新学習指導要領は、高校では平成25年度から実施される予定だ。ところが、その指導内容の詳細を定めた地理歴史の解説書に関しては「政治問題が含まれるので、策定作業を衆院選後に延ばした」(文科省幹部)というのだ。

 現行の高校地理歴史の解説書は、領土問題について「北方領土などを的確に扱う」と記述するのみで、韓国に不法占拠されている竹島に触れていない。

 一方、昨年7月に公表した中学校解説書は、竹島の記述を盛り込んだが、韓国の強い反発に配慮。「韓国との間に主張に相違があることなどにも触れ…」と煮え切らない表現となった経緯がある。

 当時、鳩山首相は「(竹島の)明記は当然だ」とする一方、小沢一郎幹事長は「(政府が)日本の領土だと言うのなら、日韓で(話し合いを)やるべきだ」と慎重な姿勢で、党内の見解はまとまっていなかった。

 中学校解説書で竹島に言及して高校解説書では触れないというのでは、整合性がとれないが…。

 「文科省だけでは済まず、外務省、官邸も巻き込んだ政治判断になる。対応を間違えれば、新政権の爆弾になるかもしれない」

 関係者はこう予想する。鳩山政権は領土教育にどう取り組むか。「友愛外交」の本質が問われる場面だ。

■飛び出す左派法案

 自民党政権でも検討されたが、「人権侵害の定義があいまい」「救済機関の権限が強大すぎる」などと反対論が強く、提案が見送られてきた「人権擁護法案」が、政権交代で日の目を見る可能性が出てきた。

 民間の言論への公権力の恣意(しい)的介入を許し、表現の自由が制限されると指摘されるが、千葉景子法相は17日未明の記者会見で、こう意欲を表明した。

 「(鳩山首相から)マニフェストの具体化という指示をもらった。人権侵害救済機関の設置の問題で、国際的にみても当たり前の機関だ。ぜひ実現に向けて早急に取り組みたい」

 ただ、民間の保守系シンクタンク、日本政策研究センターの伊藤哲夫代表によると、この民主党版人権擁護法案は「旧政府案よりもっと根本的な問題をはらんでいる」という。

 民主党案は、(1)救済機関は法務省ではなく各省庁ににらみをきかす内閣府の外局とする(2)救済機関は中央だけでなく各都道府県にも設置-など、支持団体である部落解放同盟の主張をストレートに取り入れたもので、旧政府案よりはるかに強力だからだ。

 マニフェストにはないが、結党以来の基本政策である永住外国人地方参政権付与法案や鳩山首相肝いりの旧日本軍の加害行為を調査する国立国会図書館法改正も控えている。今後、さまざまな左派・リベラル法案の“封印”が解かれそうだ。

  
戦略局は手探りで

 鳩山政権が掲げる「政治主導」の成否のカギを握る2つの組織が18日、いよいよ立ち上がった。

 首相直属で予算の骨格を決める国家戦略局の前身「国家戦略室」と、行政の無駄遣いを洗い出す「行政刷新会議」。両組織が入居する内閣府本庁2階ではこの日午後、それぞれのトップの菅直人副総理・国家戦略担当相と仙谷由人行政刷新担当相が、鳩山由紀夫首相とともに感慨深げな表情で看板の除幕式に臨んだ。

 「国家戦略局は財務省より強いんだろ?」。今月上旬、担当相に内定していた菅氏に、与党幹部からこんな問い合わせがあった。菅氏はこう率直に答えた。

 「よく分からないんだ。あれもやりたいし、これもやりたい。手探りでやっていくしかない」
 鳩山首相が戦略局構想を打ち出したのは今年5月の党代表選時だった。だが、その後具体像をまとめないまま衆院選に突入し、組織づくりはこれからなのだ。

 菅氏は17日、首相官邸の副総理室に、側近で政策に明るい加藤公一衆院議員や大塚耕平参院議員らを集め、戦略局の組織づくりについて協議した。だが、両氏は18日、それぞれ所管の異なる副大臣に就任した。

 この協議に出席者した一人は「戦略局に、もっと官僚と対決できる人材がいないとだめだ」とぼやく。

 菅氏は内閣府に属する経済財政担当相も兼務しており、現状は、戦略室の部屋も人員も経済財政担当相の「枠」の再利用だ。戦略局は10月中下旬の臨時国会での法改正を経て正式に発足するが、当面は「暗夜行路」が続きそうだ。

政府VS与党

 鳩山首相は、首相官邸と各省庁との政策調整を戦略相に委ね、従来は省庁との調整窓口だった官房長官は国会対策などに専念させる方針を示している。

 官房長官が各省庁を抑える力を持てたのは、実は各省庁の幹部人事を掌握していたからだ。局長級以上の人事には、官房長官を中心とする官邸の人事検討会議の了承が必要とされる。

 一方、戦略相は人事権という官僚への「切り札」を持っていない。どこまで政策調整で力を発揮できるかは、まだ未知数だ。

 各省庁にとって、国会運営方針を決定し、提出法案を成立させるかたなざらしにするかの生殺与奪権(せいさつよだつ)を握る与党の幹事長の存在は大きい。小沢一郎幹事長は「政府の意思決定に基本的にはかかわらない」としているが、菅氏と小沢氏の意見が食い違った場合、どちらを重視するか。

 「麻生太郎前首相は(大臣を務めた)総務省では人気があるんですよね」。かつて党関係者からこう水を向けられた小沢氏は、即座にこう答えた。

 「そんなもん、カネでも配っているんだろ。オレが(自民党)幹事長のときには、機密費を役所に配って味方につけるのが大変だったんだ」

 冗談めかした発言ではあったが、今回の小沢氏の幹事長就任を聞いて、この関係者は、「小沢氏は鳩山政権でも機密費を握るのだろう」とつぶやいた。

小田原評定

 「あまり(間口を)広げて、小田原評定ということになってもいけない。行政刷新会議(の役割)は監視、調査であり、そこでの再構築の提案だ」

 仙谷氏は18日の記者会見で、刷新会議構成メンバーに各省副大臣を入れるとした鳩山首相の構想に“反旗”を翻した。発言からは、刷新会議を少数精鋭で大胆に大ナタをふるう会議としたい思惑が浮かぶ。

 一方で仙谷氏は、自らの手足やブレーンとなって働く秘書官については大量確保を目指してもいる。

 「3人の事務秘書官を置いてほしい」

 仙谷氏は17日、内閣府のスタッフに対し、こう求めた。麻生政権で仙谷氏と役割が重なる閣僚は、甘利明前行政改革担当相だが、事務秘書官は総務省出身の1人。内閣府は新たに経済官庁出身者から秘書官2人を置く方向で選定に入った。

 仙谷氏は、党政調会長も務め、「切れ者」として首相も一目置くベテラン議員だ。戦略局と同様、これから制度設計を進めなければならない刷新会議を仙谷氏がどうまとめるかで、政府内での政策調整の仕組みも大きく変わる。

 鳩山政権の浮沈を左右する重要ポストに就いた仙谷氏だが、行革や公務員制度改革を担当することに対しては、支持団体の影響を危(き)惧(ぐ)する声も出ている。

 仙谷氏は地方公務員労組で構成される自治労の「協力国会議員」で、全面支援を受けている。自治労関係者は歓迎してみせた。

 「仙谷氏は公務員労組のマインドも理解しているので、やりやすい」

■官僚コントロール

 平成21年度補正予算の一部執行停止方針を決めた18日の閣議。閣僚の一人が「削減だけが表に出ると、経済にマイナスだ」と慎重論を唱えたが、藤井裕久財務相は「削った予算をもっと経済効果があるものに振り向ける。だから削減ではない」と一喝。それ以上の異論は出なかった。

 組閣前、鳩山由紀夫首相は亀井静香郵政改革・金融相(国民新党代表)からこんな忠告を受けていた。

 「財務官僚にこっちを向かせないといけない。財務官僚が『カネがない』と言ったら記者はこぞってそう書く。そうしたら政府は負ける。官僚にそっぽを向かれたら政権は動かない」

 「脱官僚」を掲げて民主党は衆院選に大勝したが、選挙で掲げた政策を実現するには、国の財布を握る財務省とうまくやる必要がある。そう考えた首相は財務省を掌握するため、同省大物OBを大臣に起用する政権絵図を頭に描いた。そして白羽の矢を立てたのが旧大蔵省出身で、細川、羽田両内閣で蔵相を務めた党最高顧問、藤井氏だった。

 首相は7月、政界引退を表明していた藤井氏に会い、「(議員)バッジを着く付けておく意味もある」と説得し、引退を撤回させた。藤井氏も「自由人となるつもりだった自分を衆院単独比例名簿に載せるということはそういうこと(財務相起用)だ」と受け止めた。

 ■面従腹背?

 新政権発足に先立つ今月7日、政権初の予算となる平成22年度予算編成をめぐり、直嶋正行政調会長(当時)と財務省の丹呉泰健事務次官が国会内で会談した。

 丹呉氏「できるだけ早く新政権としての考え方を示していただかないと(年内編成は)日程的に苦しくなります」

 直嶋氏「かなり考え方が違うよね」

 タイムスケジュールを掲げ、予算編成基準を早く出すように促す丹呉氏。牽制(けんせい)する直嶋氏。予算に関する主導権をめぐる心理戦はこの時点から始まっていた。

 「君は小泉純一郎元首相の秘書官だったね。職務命令で務めただけならいい。だが、小泉構造改革を支持してやったのならば次官を辞めてくれ」

 組閣前、藤井氏はあいさつに訪れた丹呉氏にこう迫った。丹呉氏は「職責を務めただけで(小泉構造改革の是非は)関係ありません」とかわした。

 財務官僚は、ときの権力中枢と密接な関係を築くことにたけている。ある官庁の元幹部は20年近く前のある光景を今も鮮明に覚えている。

 上司の急な呼び出しを受け、深夜に都内のホテルの一室に入ると、待っていたのは当時は自民党幹部の小沢一郎民主党幹事長だった。

 「野党対策で、おたくの省の予算を1000億円削ることになった。明日までに案を持って来てくれ」

 小沢氏の背後では、顔見知りの大蔵(現財務)官僚たちがワインを片手に談笑していた。この幹部は役所に飛んで帰ると翌朝までに削減案をまとめた。

 ■小沢シフト

 政権与党の経験がない民主党にあって、小沢氏は財務省を熟知する数少ない議員の一人だ。自民党を飛び出して樹立した細川連立政権で、小沢氏は大蔵省の斎藤次郎事務次官(当時)と組み、武村正義官房長官(同)の頭越しに税率7%の「国民福祉税」構想を推進した。小沢氏は当時、連立8党派の一つにすぎない新生党の代表幹事だったが、大蔵省は「真の権力者」を的確に見抜いていたのだ。

 財務省は今夏の人事で、竹下内閣で小沢官房副長官の秘書官を務めた香川俊介前主計局次長を経済対策を扱う総括審議官に起用、政権交代前から万全の「小沢シフト」を敷いた。

 こんなエピソードもある。7月初旬、民主党の幹部会合。「子ども手当」の実施時期をめぐり、当初案通り平成24年度実施を主張する岡田克也幹事長(当時)と、来夏の参院選を考慮し、1年前倒しを求める鳩山代表らの間で議論は平行線をたどった。

 だが、最後は小沢氏の一言でケリがついた。「財源は、政権を取ったら出てくるもんだ」。この言葉の裏側には、財務省を手兵にできるという自信があるとみるべきだろう。

 鳩山政権は、新設する首相直属の「国家戦略局」で予算の骨格を決める方針だが、予算編成権を手放したくない財務省は「骨抜き」に動く公算が大きい。財務省をどう手なずけ、政治主導を実現するのか。間合いを間違えば、「脱官僚」が看板倒れに終わりかねない。=おわり

                  ◇

 この連載は阿比留瑠比、赤地真志帆、加納宏幸、比護義則、酒井充、宮下日出男、小田博士が担当しました。

2009年9月20日日曜日

【鳩山政権】 連立政権合意文書



 民主、社民、国民新の3党が9日に合意した、連立政権樹立に当たっての政策合意の全文は次の通り。

 国民は今回の総選挙で、新しい政権を求める歴史的審判を下した。その選択は、長きにわたり既得権益構造の上に座り、官僚支配を許してきた自民党政治を根底から転換し、政策を根本から改めることを求めるものである。民主党、社民党、国民新党は連立政権樹立に当たって、2009年8月14日の「衆院選に当たっての共通政策」を踏まえ、以下の実施に全力を傾注していくことを確認する。

 小泉内閣が主導した競争至上主義の経済政策をはじめとした相次ぐ自公政権の失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティーネットはほころびを露呈している。

 国民からの負託は、税金の無駄遣いを一掃し、国民生活を支援することを通じ、わが国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある。

 連立政権は、家計に対する支援を最重点と位置付け、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる。
また中小企業、農業など地域を支える経済基盤を強化し、年金・医療・介護など社会保障制度や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度へと組み替えていく。さらに、地球温暖化対策として、低炭素社会構築のための社会制度の改革、新産業の育成等を進め、雇用の確保を図る。こうした施策を展開することによって、日本経済を内需主導の経済へと転換を図り、安定した経済成長を実現し、国民生活の立て直しを図っていく。

 (1)速やかなインフルエンザ対策、災害対策、緊急雇用対策
▽当面する懸案事項であるインフルエンザ対策について、予防、感染拡大防止、治療について、国民に情報を開示しつつ、強力に推し進める
▽各地の豪雨被害、地震被害、また天候不順による被害に対し速やかに対応する
▽深刻化する雇用情勢を踏まえ、速やかに緊急雇用対策を検討する。
 (2)消費税率の据え置き=
▽現行の消費税5%は据え置くこととし、今回の選挙において負託された政権担当期間中において、歳出の見直し等の努力を最大限行い、税率引き上げは行わない。
 (3)郵政事業の抜本的見直し=
▽国民生活を確保し、地域社会を活性化すること等を目的に、郵政事業の抜本的な見直しに取り組む。
 「日本郵政」「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命」の株式売却を凍結する法律を速やかに成立させる。
日本郵政グループ各社のサービスと経営の実態を精査し、「郵政事業の4分社化」を見直し、郵便局のサービスを全国あまねく公平に、かつ利用者本位の簡便な方法で利用できる仕組みを再構築する。郵便局で郵便、貯金、保険の一体的なサービスが受けられるようにする。株式保有を含む日本郵政グループ各社のあり方を検討し、国民の利便性を高める
▽上記を踏まえ、郵政事業の抜本見直しの具体策を協議し、郵政改革基本法案を速やかに作成し、その成立を図る。
 (4)子育て、仕事と家庭の両立への支援=
▽安心して子どもを産み、育て、さらに仕事と家庭を両立させることができる環境を整備する
▽出産の経済的負担を軽減し、「子ども手当(仮称)」を創設する。保育所の増設を図り、質の高い保育の確保、待機児童の解消に努める。学童保育についても拡充を図る
▽「子どもの貧困」解消を図り、09年度に廃止された生活保護の母子加算を復活する。母子家庭と同様に、父子家庭にも児童扶養手当を支給する
▽高校教育を実質無償化する。
 (5)年金・医療・介護など社会保障制度の充実=
▽「社会保障費の自然増を年2200億円抑制する」との「経済財政運営の基本方針」(骨太方針)は廃止する
▽「消えた年金」「消された年金」問題の解決に集中的に取り組みつつ、国民が信頼できる、一元的で公平な年金制度を確立する。「所得比例年金」「最低保障年金」を組み合わせることで、低年金、無年金問題を解決し、転職にも対応できる制度とする▽後期高齢者医療制度は廃止し、医療制度に対する国民の信頼を高め、国民皆保険を守る。廃止に伴う国民健康保険の負担増は国が支援する。医療費(国内総生産=GDP=比)の先進国(経済協力開発機構=OECD)並みの確保を目指す
▽介護労働者の待遇改善で人材を確保し、安心できる介護制度を確立する
▽「障害者自立支援法」は廃止し、「制度の谷間」がなく、利用者の応能負担を基本とする総合的な制度をつくる。
 (6)雇用対策の強化-労働者派遣法の抜本改正=
▽「日雇い派遣」「スポット派遣」の禁止のみならず、「登録型派遣」は原則禁止して、安定した雇用とする。製造業派遣も原則的に禁止する。違法派遣の場合の「直接雇用みなし制度」の創設、マージン率の情報公開など、「派遣業法」から「派遣労働者保護法」に改める
▽職業訓練期間中に手当を支給する「求職者支援制度」を創設する
▽雇用保険のすべての労働者への適用、最低賃金の引き上げを進める
▽男・女、正規・非正規間の均等待遇の実現を図る。
 (7)地域の活性化=
▽国と地方の協議を法制化し、地方の声、現場の声を聞きながら、国と地方の役割を見直し、地方に権限を大幅に移譲する
▽地方が自由に使えるお金を増やし、自治体が地域のニーズに適切に応えられるようにする
▽生産に要する費用と販売価格との差額を基本とする戸別所得補償制度を販売農業者に対して実施し、農業を再生させる
▽中小企業に対する支援を強化し、大企業による下請けいじめなど不公正な取引を禁止するための法整備、政府系金融機関による貸付制度や信用保証制度の拡充を図る
▽中小企業に対する「貸し渋り・貸しはがし防止法(仮称)」を成立させ、貸付債務の返済期限の延長、貸付条件の変更を可能とする。個人の住宅ローンに関しても、返済期限の延長、貸付条件の変更を可能とする。
 (8)地球温暖化対策の推進=
▽温暖化ガス抑制の国際的枠組みに主要排出国の参加を求め、政府の中期目標を見直し、国際社会で日本の役割を果たす
▽低炭素社会構築を国家戦略に組み込み、地球温暖化対策の基本法の速やかな制定を図る
▽国内の地球温暖化対策を推進し、環境技術の研究開発・実用化を進め、既存技術を含めてその技術の普及を図るための仕組みを創設し、雇用を創出する新産業として育成を図る
▽新エネルギーの開発・普及、省エネルギー推進等に、幅広い国民参加の下で積極的に取り組む。
 (9)自立した外交で、世界に貢献=
▽国際社会におけるわが国の役割を改めて認識し、主体的な国際貢献策を明らかにしつつ、世界の国々と協調しながら国際貢献を進めていく。個別的には、国連平和維持活動、災害時における国際協力活動、地球温暖化・生物多様性などの環境外交、貿易投資の自由化、感染症対策などで主体的役割を果たす
▽主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む
▽中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立し、東アジア共同体(仮称)の構築を目指す
▽国際的な協調体制の下、北朝鮮による核兵器やミサイルの開発をやめさせ、拉致問題の解決に全力を挙げる
▽包括的核実験禁止条約の早期発効、兵器用核分裂性物質生産禁止条約の早期実現に取り組み、核拡散防止条約再検討会議において主導的な役割を果たすなど、核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つ
▽テロの温床を除去するために、アフガニスタンの実態を踏まえた支援策を検討し、「貧困の根絶」と「国家の再建」に主体的役割を果たす。
 (10)憲法=唯一の被爆国として、日本国憲法の「平和主義」をはじめ「国民主権」「基本的人権の尊重」の三原則の順守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる。(2009/09/09-20:41)

2009年9月1日火曜日

【鳩山政権】 NYT掲載記事とVoiceへの寄稿記事の違い

Voice9月号掲載論文


祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印 (HPでは、私の政治哲学)
鳩山由紀夫(民主党代表) (HPでは、民主党代表の記載はなく、鳩山由紀夫の署名のみ)

英文訳がすべて済んでいないはず。時間をみつけて訳します。

この、Voiceへの寄稿が、海外で恣意的に訳され英文掲載され、後の鳩山バッシングへと続く。これを「誰が」と考えた時に、鳩山政権を崩壊に導いた犯人の姿が見えるようにも思える。


党人派・鳩山一郎の政治信条

 現代の日本人に好まれている言葉の一つが「愛」だが、これは普通〈love〉のことだ。そのため、私が「友愛」を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の「博愛=フラタナティ(fraternite)」のことを指す。

 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。

 クーデンホフ・カレルギーは、いまから86(HPでは、85) 年前の大正12年(1923年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。

 カレルギーは昭和10年(1935年)『Totalitarian State Against Man(全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。

 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。

「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」

 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。

「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」
 彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。

 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席巻し、祖国オーストリアはヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアはナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。

カレルギーが「友愛革命」を説くとき、それは彼が同時代において直面した、左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だったのである。

 戦後、首相の地位を目前にして公職追放となった鳩山一郎は、浪々の徒然にカレルギーの書物を読み、とりわけ共感を覚えた『全体主義国家対人間』を自ら翻訳し、『自由と人生』という書名で出版した。鋭い共産主義批判者であり、かつ軍部主導の計画経済(統制経済)に対抗した鳩山一郎にとって、この書は、戦後日本に吹き荒れるマルクス主義勢力(社会、共産両党や労働運動)の攻勢に抗し、健全な議会制民主主義を作り上げるうえで、最も共感できる理論体系に見えたのだろう。

 鳩山一郎は、一方で勢いを増す社共両党に対抗しつつ、他方で官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てる旗印として「友愛」を掲げたのである。彼の筆になる『友愛青年同志会綱領』(昭和28年)はその端的な表明だった。

「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」

 彼の「友愛」の理念は、戦後保守政党の底流に脈々として生きつづけた。60年安保を経て、自民党は労使協調政策に大きく舵を切り、それが日本の高度経済成長を支える基礎となった。その象徴が昭和40年(1965年)に綱領的文書として作成された『自民党基本憲章』である。

 その第1章は「人間の尊重」と題され、「人間はその存在が尊いのであり、つねにそれ自体が目的であり、決して手段であってはならない」と記されている。労働運動との融和を謳った『自民党労働憲章』にも同様の表現がある。明らかに、カレルギーの著書からの引用であり、鳩山一郎の友愛論に影響を受けたものだろう。この二つの憲章は、鳩山、石橋内閣の樹立に貢献し、池田内閣労相として日本に労使協調路線を確立した石田博英によって起草されたものである。

自民党一党支配の終焉と民主党立党宣言

 戦後、自民党が内外の社会主義陣営に対峙し、日本の復興と高度経済成長の達成に尽くしたことは大きな功績であり、歴史的評価に値する。しかし、冷戦終焉後も経済成長自体が国家目標であるかのような惰性の政治に陥り、変化する時代環境のなかで国民生活の質的向上をめざす政策に転換できない事態が続いた。その一方で政官業の癒着がもたらす政治腐敗が自民党の宿痾となった観があった。

 私は、冷戦が終わったとき、高度成長を支えた自民党の歴史的役割も終わり、新たな責任勢力が求められていると痛感した。そして祖父が創設した自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加し、やがて自ら党首となって民主党を設立するに至った。

 平成8年9月11日「(旧)民主党」結党。その「立党宣言」にいう。

「私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは『友愛』の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は『出る釘は打たれる』式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの100年間はあまりに軽視されてきた。20世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。(中略) (HPには中略の記載はない。)

 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという『個の自立』の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという『他との共生』の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない」

 武者小路実篤は「君は君、我は我也、されど仲良き」という有名な言葉を残している。「友愛」とは、まさにこのような姿勢で臨むことなのだ。

「自由」や「平等」が時代環境とともにその表現と内容を進化させていくように、人間の尊厳を希求する「友愛」もまた時代環境とともに進化していく。私は、カレルギーや祖父一郎が対峙した全体主義国家の終焉を見た当時、「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義したのである。

 そしてこの日から13年が経過した。この間、冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことにあらためて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それがいまわれわれに突き付けられている課題である。

 この時にあたって、私は、かつてカレルギーが自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして「友愛」を位置づけたことをあらためて想起し、再び「友愛の旗印」を掲げて立とうと決意した。平成21年5月16日、民主党代表選挙に臨んで、私はこう言った。

「自ら先頭に立って、同志の皆さんとともに、一丸となって難局を打開し、共に生きる社会『友愛社会』をつくるために、必ず政権交代を成し遂げたい」

 私にとって「友愛」とは何か。それは政治の方向を見極める羅針盤であり、政策を決定するときの判断基準である。そして、われわれがめざす「自立と共生の時代」を支える精神たるべきものと信じている。

衰弱した「公」の領域を復興

 現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統のなかで培われてきた国民経済との調整をめざす理念といえよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。

 いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。

米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。

 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。

 各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した。小国のなかには、国民経済が大きな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった。

 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体のなかで、仕事や役割を得て家庭を営んでいくなかで保持される。

 冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないだろう。郵政民営化は、長い歴史をもつ郵便局とそれを支えてきた人々の地域社会での伝統的役割をあまりにも軽んじ、郵便局のもつ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ。

 農業や環境や医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流のなかに投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されるところではない。また生命の安全や生活の安定にかかわるルールや規制はむしろ強化しなければならない。

 グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。

 この間、日本の伝統的な公共の領域は衰弱し、人々からお互いの絆が失われ、公共心も薄弱となった。現代の経済社会の活動には「官」「民」「公」「私」の別がある。官は行政、民は企業、私は個人や家庭だ。公はかつての町内会活動やいまのNPO活動のような相互扶助的な活動を指す。経済社会が高度化し、複雑化すればするほど、行政や企業や個人には手の届かない部分が大きくなっていく。経済先進国であるほど、NPOなどの非営利活動が大きな社会的役割を担っているのはそのためだといえる。それは「共生」の基盤でもある。それらの活動は、GDPに換算されないものだが、われわれが真に豊かな社会を築こうというとき、こうした公共領域の非営利的活動、市民活動、社会活動の層の厚さが問われる。

「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした「共生の社会」を創ることをめざす。

 財政の危機はたしかに深刻だ。しかし「友愛」の政治は、財政の再建と福祉制度の再構築を両立させる道を、慎重かつ着実に歩むことをめざす。財政再建を、社会保障政策の一律的抑制や切り捨てによって達成しようという、また消費税増税によって短兵急に達成しようという財務省主導の財政再建論には与しない。

 財政の危機は、長年の自民党政権の失政に帰するものである。それは、官僚主導の中央集権政治とその下でのバラマキ政治、無批判なグローバリズム信仰が生んだセーフティネットの破綻と格差の拡大、政官業癒着の政治がもたらした政府への信頼喪失など、日本の経済社会の危機の反映なのである。

 したがって、財政危機の克服は、われわれがこの国のかたちを地域主権国家に変え、徹底的な行財政改革を断行し、年金はじめ社会保障制度の持続可能性についての国民の信頼を取り戻すこと、つまり政治の根本的な立て直しの努力を抜きにしてはなしえない課題なのである。

地域主権国家の確立

 私は、代表選挙の立候補演説において「私が最も力を入れたい政策」は「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだといった。同様の主張は、13年前の旧民主党結党宣言にも書いた。「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による『地方分権・地域主権国家』」を実現し、「そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」のだと。

 クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第12章)のなかにこういう一節がある。
「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」

 カレルギーがここで言っているのは、いまの言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。

 経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。ベルギーの連邦化やチェコとスロバキアの分離独立などはその象徴である。グローバル化する経済環境のなかで、伝統や文化の基盤としての国あるいは地域の独自性をどう維持していくか。それはEUのみならず、これからの日本にとっても大きな課題である。

 グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において「補完性の原理」を掲げた。補完性の原理は、今日では、たんに基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている。こうした視点から、補完性の原理を解釈すると以下のようになる。

 個人でできることは、個人で解決する。個人で解決できないことは、家庭が助ける。家庭で解決できないことは、地域社会やNPOが助ける。これらのレベルで解決できないときに初めて行政がかかわることになる。そして基礎自治体で処理できることは、すべて基礎自治体でやる。基礎自治体ができないことだけを広域自治体がやる。広域自治体でもできないこと、たとえば外交、防衛、マクロ経済政策の決定など、を中央政府が担当する。そして次の段階として、通貨の発行権など国家主権の一部も、EUのような国際機構に移譲する……。

 補完性の原理は、実際の分権政策としては、基礎自治体重視の分権政策ということになる。われわれが、友愛の現代化を模索するとき、必然的に補完性の原理に立脚した「地域主権国家」の確立に行き着く。 (着くがHPでは、届くとなる)

 道州制の是非を含む今後の日本の地方制度改革においては、伝統や文化の基盤としての自治体の規模はどうあるべきか、住民による自治が有効に機能する自治体の規模はどうあるべきか、という視点を忘れてはならない。

 私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。
「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に移譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場に立った行政に変革します」

 身近な基礎自治体に財源と権限を大幅に移譲し、サービスと負担の関係が見えやすいものとすることによって、初めて地域の自主性、自己責任、自己決定能力が生まれる。それはまた地域の経済活動を活力あるものにし、個性的で魅力に富んだ美しい日本列島を創る道でもある。

「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ。

ナショナリズムを抑える東アジア共同体

「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。

 今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、いまのところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。

 アメリカは影響力を低下させていくが、今後2、30年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。

 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。

そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となった。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。

 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港が続き、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。

 いまやASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の4分の1となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達しており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全保障上の対抗関係が相俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。

 しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進めるなかでしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ。

 私は「新憲法試案」(平成17年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。
「私たちは、人間の尊厳を重んじ、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」

 私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道でもある、と信じる。またそれは、かつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開でもあるのだ。

 こうした方向感覚からは、たとえば今回の世界金融危機後の対応も、従来のIMF、世界銀行体制のたんなる補強だけではなく、将来のアジア共通通貨の実現を視野に入れた対応が導かれるはずだ。

 アジア共通通貨の実現には今後10年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。世界経済危機が深刻な状況下で、これを迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない。

 いまわれわれは、世界史の転換点に立っており、国内的な景気対策に取り組むだけでなく、世界の新しい政治、経済秩序をどう創り上げていくのか、その決意と構想力を問われているのである。

 今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、86(HPでは85)年前に『汎ヨーロッパ』を刊行したときの言葉がある。彼は言った。

「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。

鳩山由紀夫HPに転載をされた論文・Voiceからの転載とされてはいるが、タイトルが多少違う。 NYTの原文だろされる記事(英文)

“My Political Philosophy”
Yukio Hatoyama

The Banner of Party Politician Ichiro Hatoyama
Among Japanese people today, "ai" is a particularly popular word which is usually translated as ‘love’. Therefore, when I speak of "yuai", which is written with the characters for ‘friendship’ and ‘love’, many people seem to picture a concept that is soft and weak. However, when I speak of yuai, I am referring to a concept that is actually rather different. What I am referring to is fraternity, as in liberté, égalité, fraternité, the slogan of the French Revolution. When my grandfather Ichiro Hatoyama translated one of the works of Count Richard Coudenhove-Kalergi into Japanese, he rendered the word fraternity as "yuai" rather than the existing translation of "hakuai". Therefore, when I refer to yuai, I am not referring to something tender but rather to a strong, combative concept that was a banner of revolution. 85 years ago, in 1923, Count Coudenhove-Kalergi published his work Pan-Europa, starting off the Pan-Europa Movement which eventually led to the formation of the European Union. Count Coudenhove-Kalergi was the son of an Austrian noble, who was posted to Japan as his country's minister, and Mitsuko Aoyama, the daughter of an antiques dealer from Azabu, Tokyo. One of the count’s middle names was the Japanese name Eijiro.

In 1935, Count Coudenhove-Kalergi published The Totalitarian State against Man. The work includes severe criticisms of Soviet communism and Nazism as well as the reflections on the self-indulgence of capitalism in leaving such ideologies to flourish. Coudenhove-Kalergi believed that freedom forms the foundation of human dignity and that it is therefore unsurpassed in value. In order to guarantee freedom, he advocated a system of private ownership. However, he was despondent at how the severe social inequalities produced by capitalism had helped give rise to communism by creating an environment in which people aspired to equality, and also at how this had resulted in the emergence of national socialism as an alternative to both capitalism and communism. "Freedom without fraternity leads to anarchy. Equality without fraternity leads to tyranny"(Translation of the quote in Japanese). Coudenhove-Kalergi discussed how both totalitarianism, which tried to achieve equality at all costs, and capitalism, which had fallen into self-indulgence, resulted in disregard for human dignity and as such resulted in the treatment of human beings as a means instead of an end. Although freedom and a quality are important for human beings, if they are followed to fundamentalist extremes, they can both result in immeasurable horrors. Therefore, Coudenhove-Kalergi recognized the necessity of a concept that could achieve a balance and maintain respect for humanity. That is what he sought in the idea of fraternity.
"Man is an end and not a means. The state is a means and not an end". These are the first lines of The Totalitarian State against Man. At the time Coudenhove-Kalergi was putting ideas together for this publication, two different forms of totalitarianism were prominent in Europe, and his home country of Austria was being threatened with annexation by Hitler's Germany. Coudenhove-Kalergi traveled all around Europe advocating the cause of Pan-Europeanism and criticizing Hitler and Stalin. However, his efforts were in vain. Austria fell to the Nazis and Coudenhove-Kalergi was forced to flee in disappointed exile to the United States. The movie Casablanca is said to be based on his flight. When Coudenhove-Kalergi talks of a "fraternal revolution", he is referring to the combative philosophy that supported the fierce fight against both the left-wing and right-wing totalitarianism of that age. After the war, Ichiro Hatoyama, who was exiled from public office just as he was on the point of becoming Prime Minister, read the works of Count Coudenhove-Kalergi as he was living his enforced life of leisure. He was so struck by The Totalitarian State against Man that he took it upon himself to translate it into Japanese. His translation was published under the title Jiyu to Jinsei (Freedom and Life).

For Ichiro, who was an ardent critic of both communism and military led planned economies, The Totalitarian State against Man seemed to provide the most appropriate theoretical system for fighting back against the popularity of Marxism that began to swell in post-war Japan (the Socialist party, Communist party and labor movements) and for building a healthy parliamentary democracy. While fighting against the growing influence of the socialist and communist parties, Ichiro Hatoyama used word yuai (fraternity) as a banner in trying to bring down the bureaucrat-led government of Shigeru Yoshida and replace it with his own administration of party politicians. This was expressed succinctly by Hatoyama in the Yuai Seinen Doshikai Kouryo (Young People’s Fraternal Association Mission Statement), which Ichiro Hatoyama wrote in 1953. "Under the banner of liberalism, we will devote ourselves to a Fraternal Revolution, avoid extreme left wing and right wing ideologies, and work steadfastly to achieve a healthy and vibrant democratic society and build a free and independent cultural nation."

Ichiro Hatoyama's concept of fraternity continued to have influence as an undercurrent within Japan's post-war conservative political parties. Following the revision of the Japan-US security treaty in 1960, the Liberal Democratic Party changed direction significantly and began to prioritize policies of management-labor conciliation. These policies formed the foundation for Japan's period of rapid economic growth and are best symbolized by the LDP Basic Charter, a 1965 document which was written to serve as a kind of mission statement. The first chapter of this charter, which is entitled "Human Dignity", states, " human lives are precious, and are an end in and of themselves. The lives of human beings must never become a means". A similar phrase can be found in the LDP Labor Charter, a document which called for reconciliation with the labor movement. These phrases are clearly borrowed from the work of Coudenhove-Kalergi, and were very likely influenced by Ichiro Hatoyama's thinking on the subject of fraternity. These two charters contributed to the establishment of the Hatoyama and Ishibashi cabinets, and were both drafted by Hirohide Ishida, a politician who served as Labor minister in the Ikeda Cabinet and was responsible for setting Japan on a course towards conciliatory labor-management policies.


The End of LDP One-Party Rule and the Announcement of the Democratic Party of Japan
In the Post-War Period, the LDP confronted socialist forces inside and outside Japan and dedicated itself to Japan's reconstruction and the achievement of high economic growth. These were noteworthy achievements which deserve their place in history. However, even after the end of the Cold War, the LDP fell into the trap of "the politics of inertia", and continued to act as if economic growth in itself was Japan's national goal. The party continually failed to adapt to the changing contemporary environment and shift towards policies designed to qualitatively improve people's lives. At the same time, unhealthy ties between politicians, bureaucrats and corporations continually led to political corruption, a long-standing illness of the LDP. When the Cold War came to an end, I strongly felt that the historical role the LDP had played in supporting Japan's rapid economic growth had come to an end, and that the time had come for a new seat of political responsibility.

Therefore, I left the LDP, which had been founded by my grandfather, and after participating in the establishment of the New Party Sakigake, I eventually became the founding leader of the Democratic Party of Japan. The (former) DPJ was founded on September 11, 1996. The following phrases were included in the statement released to mark the founding of the party. "From today onwards, we wish to place the spirit of fraternity at the heart of our society. Freedom can often result in an unrestrained environment where the strong prey upon the weak. Equality can easily result in a malevolent form of equality where all differences are criticized. Fraternity is the power that can prevent such extremes of freedom and equality yet over the past 100 or so years the power of fraternity has been marginalized. Modern nations up until the 20th century rushed to mobilized their people and in doing so tended to assess their worth as a single mass [rather than as individuals]. …… We believe that each individual human being has a boundless, diverse individuality and that each human life is irreplaceable. That is why we believe in the principle of ‘self independence’ through which each individual has the right to decide upon their own destiny and the obligation to take responsibility for the results of their choices. At the same time, we also stress the importance of the principle of ‘coexistence with others’ under which people respect each other's mutual independence and differences while also working to understand each other and seek common ground for cooperative action. We believe that we must steadfastly adhere to these principles of independence and coexistence not only in the context of personal relationships within Japanese society but also in the context of the relationships between Japan and other nations and the relationship between humankind and the environment."

Author Saneatsu Mushanokoji wrote the famous words "I am me, you are you, yet we are good friends". I think these words truly express the spirit of fraternity. Just as the ideals of freedom and equality evolve with the contemporary environment, in terms of both their expression and their content, the idea of ‘fraternity’, which calls on us to respect individuals, also evolves with the times. When I saw the collapse of the totalitarian regimes that both Coudenhove-Kalergi and my grandfather Ichiro Hatoyama had opposed, I redefined my understanding of fraternity as ‘the principle of independence and coexistence’".

13 years have now passed since we formed of the former Democratic Party of Japan. During the time since then, post-cold war Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a US-led movement which is more usually called globalization. Freedom is supposed to be the highest of all values but in the fundamentalist pursuit of capitalism, which can be described as ‘freedom formalized in economic terms’, has resulted in people being treated not as an end but as a means. Consequently human dignity has been lost. The recent financial crisis and its aftermath have once again forced us to take note of this reality. How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism that are void of morals or moderation in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing. In these times, I realized that we must once again remember the role for fraternity identified by Coudenhove-Kalergi as a force for the moderating the danger inherent within freedom. I came to a decision that we must once again raise the banner of fraternity. On May 16, 2009, in the run-up to the DPJ leadership election, I made the following statement: "I will take the lead in coming together with our friends and colleagues to overcome this difficult situation and ensure that we achieve a change of government in order to bring about a fraternal society based on coexistence." What does fraternity mean to me? It is the compass that determines our political direction, a yardstick for deciding our policies. I believe it is also the spirit that supports our attempts to achieve ‘an era of independence and coexistence’.


Restoring the Weakened Sphere of Public Service
In our present times, fraternity can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and make adjustments to accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions. In other words, it is a means of building an economic society based on coexistence by switching away from the policies of market fundamentalism and towards policies that protect the livelihoods and safety of the people.

It goes without saying that the recent worldwide economic crisis was brought about by the collapse of market fundamentalism and financial capitalism that the United States has advocated since the end of the Cold War. This US-led market fundamentalism and financial capitalism went by many names including the "global economy", "globalization" and "globalism". This way of thinking was based on the principle that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order and that all countries should modify the traditions and regulations governing their own economy in order to reform the structure of their economic society in line with global standards (or rather American standards). In Japan, opinion was divided on how far the trend towards globalization should be taken on board. Some people advocated the active embrace of globalism and supported leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that effort should be made instead to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Koizumi, the LDP has stressed the former while we in the DPJ have tended towards the latter position.

The economic order or local economic activities in any country are built up over long years and reflect the influence of each country's traditions, habits and national lifestyles. Therefore, the economic activities of individual countries are very diverse due to many factors including the differences of history, tradition, habits, economic scale and stage of development. However, globalism progressed without any regard for various non-economic values, nor of environmental issues or problems of resource restriction. The economic activities of citizens in small countries were severely damaged, and in some countries globalism has even destroyed traditional industries. Capital and means of production can now be transferred easily across international borders. However, people cannot move so easily. In terms of market theory, people are simply personnel expenses, but in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions and culture. An individual gains respect as a person by acquiring a job and a role within the local community and being able to maintain their family's livelihood.

If we look back on the changes in Japanese society that have occurred since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and market fundamentalism has destroyed local communities. For example, the decision to privatize Japan's post office placed far too little weight on the institution’s long history and the traditional role that its staff held in the local community. It also ignored the non-economic benefits of the Post Office and its value in the community. The logic of the market was used to justify taking such a drastic step.

Under the principle of fraternity, we will not implement policies that leave economic activities in areas relating to human lives and safety, such as agriculture, the environment and medicine, at the mercy of the tides of globalism. Rather, we need to strengthen rules governing the safety of human lives and stability of people's livelihoods. Our responsibility as politicians is to refocus our attention on those non-economic values that have been thrown aside by the march of globalism. We must work on policies that regenerate the ties that bring people together, that take greater account of nature and the environment, that rebuild welfare and medical systems, that provide better education and child rearing support and that address wealth disparities. This is required in order to create an environment in which each individual citizen is able to pursue happiness.

Over recent years, Japan's traditional public services have been eroded. The ties that bring people together have become weaker and the spirit of public service has also dimmed. In today's economic society, economic activities can be divided into four sectors: governmental, corporate, non-profit and household. While the first, second and fourth categories are self-explanatory, by the third category I mean the types of mutual assistance which were once provided by neighborhood associations and which are now also provided through the activities of NPOs. As economic society becomes more advanced and complicated, the scope of services that cannot be provided by the authorities, corporations and family members grows increasingly wide. That is why the more industrialized a country becomes the greater the social role played by NPOs and other non-profit organizations. This is the foundation of ‘coexistence’. These activities are not recorded in the gross domestic product, but when working to build a society that has truly high standards of living, the scope and depth of such public services, as provided through non-profit activities, citizen's groups and other social activities, are of great importance. Politics based on ‘fraternity’ would restore strength to Japan's depleted non-profit (public service) sector. It would expand the non-profit sector into new areas and provide assistance for the people who support these activities. In this way, we aim to build a society of coexistence in which people can rediscover the ties that bring them together, help each other, and find meaning and fulfillment in performing a useful social role.

It is of course true that Japan is currently facing a fiscal crisis. However, ‘fraternal politics’ aims cautiously yet steadily for the path that will achieve both the restructuring of government finances and the rebuilding of our welfare systems. We reject the Ministry of Finance-led theory of fiscal reconstruction that relies on the imposition of uniform restrictions on, or the abolishment of, social welfare payments and which seeks to take shortcuts by raising consumption tax. Japan's current fiscal crisis is the result of long years of mismanagement by the Liberal Democratic Party. More specifically, it is a reflection of the crisis affecting Japan's economic society which stems from the bureaucrat-led system of centralized government and the indiscriminate spending facilitated by that system, from the social safety net collapse and greater inequality of wealth that results from an uncritical faith in globalism and finally, from the public loss of faith in politics following unhealthy collusion between government, civil service and industry. Therefore, I believe that it will be impossible to overcome Japan's fiscal crisis without devolving power to local authorities, implementing thorough administrative reform and restoring public trust in the sustainability of social security systems, particularly pensions. In other words, resolving our fiscal problems is impossible without comprehensively rebuilding Japan's political systems.


Empowering Local Authorities within the Nation State
When I made a speech announcing my candidacy for President of the DPJ, I stated, "My first political priority" is "reform to move away from a nation state based on centralized power structures and create a nation based on devolved regional power." A similar view was incorporated into the inaugural declaration when we formed the former DPJ 13 years ago. Back then, our aim was to achieve a nation based on regional devolution and empowered local authorities. We intended to achieve this by limiting the role of the national executive and legislature and promoting efficient local administrations vested with significant authority. Furthermore, based on this new system of government, we aimed to establish wide ranging welfare systems based on citizen participation and mutual assistance in the local community while also establishing fiscal, medical and pension systems which do not force debts onto future generations.

Count Coudenhove-Kalergi's "The Fraternal Revolution" (Chapter XII of The Totalitarian State against the Man) contains the following passage: The political requirement of brotherhood is federalism, the natural and organic construction of the state out of its individuals. The path from men to the universe leads through concentric circles: men build families, families communes, communes cantons, cantons states, states continents, continents the planets, the planets the solar system, solar system the universe. In today's language, what Count Coudenhove-Kalergi described is the principle of ‘subsidiarity’, a modern political approach that has its roots in fraternity.

The truth is that in today's age we cannot avoid economic globalization. However, in the European Union, where economic integration is strong, there is also a noticeable trend of localization. Examples of this included the federalization of Belgium and the separation and independence of the Czech Republic and Slovakia. Within a globalized economic environment, how can we preserve the autonomy of countries and regions, which serve as foundations of tradition and culture? This is an issue of importance not only for the European Union but also for Japan as well.

In response to the conflicting demands of globalism and localization, the European Union has advocated the principle of subsidiarity in the Maastricht Treaty and The European Charter of Local Self-Government. The principle of subsidiarity is not simply a rule that declares that local authorities should always be prioritized, rather it is a principle that can also be invoked to define the relationship between nation states and supranational institutions. We can interpret the principle of subsidiarity from this perspective as follows: Matters that can be dealt with by the individual should be resolved by the individual. Matters that cannot be resolved by the individual should be resolved with the help of the family. Matters that can not be resolved by the family should be resolved with the help of the local community and NGOs. It is only when matters cannot be resolved at this level that the authorities should become involved. Then of course, matters that can be dealt with by the local government should be resolved by the local government. Matters that cannot be resolved by the local government should be resolved by the next intermediate level of government. Matters that the next level of government cannot handle, for example diplomacy, defense and decisions on macroeconomic policy, should be dealt with by the central government. Finally, even some elements of national sovereignty, such as the issue of currency, should be transferred to supranational institutions like the EU.

The principle of subsidiarity is therefore a policy for devolution which places emphasis on the lowest level of local government. As we search for ways to modernize the concept of fraternity, we find ourselves naturally arriving at the idea of a nation based on regional devolution built upon the principle of subsidiarity. When discussing reform of Japan's local authority system, including the possibility of introducing a system of around 10 or so regional blocs to replace Japan's 47 prefectures, we must not forget to ask the following questions: What is the appropriate size for local authorities (which are embodiments of tradition and culture)? What is the appropriate size of local authorities in terms of their functional efficacy for local residents? During a speech I made at the time of the DPJ Presidential Election, I made the following comments: "I propose limiting the role of central government to diplomacy, defense, fiscal policy, financial policy, resource, energy and environmental policy. I propose transferring to the lowest level of local government the authority, taxation rights and personnel required to provide services closely related to people's livelihoods. I propose creating a framework that will allow local authorities to bear responsibility for making decisions and have the means to implement them. I propose abolishing the current system of central government subsidies (which can only be used for a particular stated purpose) and instead providing a single payment which the local authorities can use at their own discretion. In other words, I will break down the de facto master-servant relationship which exists between the central government and local authorities and replace it with an equal relationship based on shared responsibilities. This reform will improve the overall efficiency of the whole country and facilitate finely-tuned administrative services that take into account local needs and the perspectives of local citizens." The only way for regions to achieve autonomy, self responsibility and the competence to make their own decisions is to transfer a wide range of resources and significant power to the local authorities which are in closest contact with citizens, an approach which also clarifies the relationship between citizens’ burdens and the services they receive. This approach will facilitate the invigoration of local economic activities. It is also a path towards the construction a more distinctive, appealing and beautiful Japan. The establishment of a nation based on empowered local authorities represents the embodiment of a modern politics of fraternity and is highly appropriate as a political goal for our times.


Overcoming Nationalism through an East Asian Community
Another national goal that emerges from the concept of fraternity is the creation of an East Asian community. Off course, Japan-US Security Pact will continue to be the cornerstone of Japanese diplomatic policy. Unquestionably, the Japan-US relationship is an important pillar of our diplomacy. However, at the same time, we must not forget our identity as a nation located in Asia. I believe that the East Asian region, which is showing increasing vitality in its economic growth and even closer mutual ties, must be recognized as Japan's basic sphere of being. Therefore we must continue to make efforts to build frameworks for stable economic co-operation and national security across the region.

The recent financial crisis has suggested to many people that the era of American unilateralism may come to an end. It has also made people harbor doubts about the permanence of the dollar as the key global currency. I also feel that as a result of the failure of the Iraq war and the financial crisis, the era of the US-led globalism is coming to an end and that we are moving away from a unipolar world led by the US towards an era of multipolarity. However, at present, there is no one country ready to replace the United States as the world's most dominant country. Neither is there a currency ready to replace the dollar as the world's key currency. Therefore, even if we shift from unipolar to multipolar world, our idea of what to expect is at best vague, and we feel anxiety because the new forms to be taken by global politics and economics remain unclear. I think this describes the essence of the crisis we are now facing.

Although the influence of the US is declining, the US will remain the world's leading military and economic power for the next two to three decades. Current developments show clearly that China, which has by far the world’s largest population, will become one of the world's leading economic nations, while also continuing to expand its military power. The size of China's economy will surpass that of Japan in the not too distant future. How should Japan maintain its political and economic independence and protect its national interest when caught between the United States, which is fighting to retain its position as the world's dominant power, and China which is seeking ways to become one? The future international environment surrounding Japan does not seem to be easy. This is a question of concern not only to Japan but also to the small and medium-sized nations in Asia. They want the military power of the US to function effectively for the stability of the region but want to restrain US political and economic excesses. They also want to reduce the militarily threat posed by our neighbor China while ensuring that China's expanding economy develops in an orderly fashion. I believe these are the instinctive demands of the various nations in the region. This is also a major factor accelerating regional integration.

Today, as the supranational political and economic philosophies of Marxism and globalism have, for better or for worse stagnated, nationalism is once again starting to have a major influence on policy-making decisions in various countries. As symbolized by the anti-Japanese riots that occurred in China a few years ago, the spread of the Internet has accelerated the integration of nationalism and populism and the emergence of uncontrollable political turbulence is a very real risk. As we maintain an awareness of this environment and seek to build new structures for international cooperation, we must overcome excessive nationalism in each nation and go down the path towards the rule-building for economic co-operation and national security. Unlike Europe, the countries of this region differ in their population size, development stage and political systems, and therefore economic integration cannot be achieved over the short term. However, I believe that we should aspire to the move towards regional currency integration as a natural extension of the path of the rapid economic growth begun by Japan, followed by South Korea, Taiwan and Hong Kong, and then achieved by the ASEAN nations and China. We must therefore spare no effort to build the permanent security frameworks essential to underpinning currency integration.

ASEAN, Japan, China (including Hong Kong), South Korea and Taiwan now account for one quarter of the world's gross domestic product. The economic power of the East Asian region and the mutually independent relationships within the region have grown wider and deeper, which is unprecedented. As such, the underlying structures required for the formation of a regional economic bloc are already in place. On the other hand, due to the historical and cultural conflicts existing between the countries of this region, in addition to their conflicting national security interests, we must recognize that there are numerous difficult political issues. The problems of increased militarization and territorial disputes, which stand in the way of regional integration, cannot be resolved by bilateral negotiations between, for example, Japan and South Korea or Japan and China. The more these problems are discussed bilaterally, the greater the risk that citizen's emotions in each country will become inflamed and nationalism will be intensified. Therefore, somewhat paradoxically, I would suggest that the issues which stand in the way of regional integration can only really be resolved through the process of moving towards greater regional integration. For example, the experience of the EU shows us how regional integration can defuse territorial disputes.

When writing a draft proposal for a new Japanese constitution in 2005, I put, in the preamble, the following words on the subject of Japan's national goals for the next half century: We, recognizing the importance of human dignity, seek to enjoy, together with the peoples of the world, the benefits of peace, freedom and democracy, and commit ourselves to work continually and unceasingly towards the goal of establishing a system of permanent and universal economic and social cooperation and a system of collective national security in the international community, particularly in the Asia-Pacific region. I believe that not only is this the path we should follow towards realizing the principles of pacifism and multilateral cooperation advocated by the Japanese Constitution, I also believe this is the appropriate path for protecting Japan's political and economic independence and pursuing our national interest from our position between two of the world’s great powers, the United States and China. Moreover, this path would represent a contemporary embodiment of the "fraternal revolution" advocated by Count Coudenhove-Kalergi.

Based on this awareness of our intended direction, it becomes clear that, for example, our response to the recent global financial crisis should not be simply to provide the kind of limited support measures previously employed by the IMF and the World Bank. Rather, we should be working towards a possible idea of the future common Asian currency. Establishing a common Asian currency will likely take more than 10 years. For such a single currency to bring about political integration will surely take longer still. Due to the seriousness of the ongoing global economic crisis, some people may wonder why I am taking the time to discuss this seemingly extraneous topic. However, I believe that the more chaotic, unclear and uncertain the problems we face, the higher and greater are the goals to which politicians should lead the people.

We are currently standing at a turning point in global history, and therefore our resolve and vision are being tested, not only in terms of our ability to formulate policies to stimulate the domestic economy, but also in terms of how we try to build a new global political and economic order. I would like to conclude by quoting the words of Count Coudenhove-Kalergi, the father of the EU, written 85 years ago, when he published Pan-Europa.

"All great historical ideas started as a utopian dream and ended with reality".
"Whether a particular idea remains as a utopian dream or it can become reality depends on the number of people who believe in the ideal and their ability to act upon it."


This text is a translation of an article published in Japanese in the September edition of the magazine Voice.


 鳩山由紀夫HPに転載をされた論文・Voiceからの転載とされてはいるが、タイトルが多少違う。 NYTの原文だろされる記事(和文)
「私の政治哲学」
鳩山由紀夫

  党人派・鳩山一郎の旗印

 現代の日本人に好まれている言葉の一つが「愛」だが、これは普通loveのことだ。そのため、私が「友愛」を語るのを聞いてなんとなく柔弱な印象を受ける人が多いようだ。しかし私の言う「友愛」はこれとは異なる概念である。それはフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛=フラタナティ(fraternite)のことを指す。
 祖父鳩山一郎が、クーデンホフ・カレルギーの著書を翻訳して出版したとき、このフラタナティを博愛ではなくて友愛と訳した。それは柔弱どころか、革命の旗印ともなった戦闘的概念なのである。
 クーデンホフ・カレルギーは、今から八十五年前の大正十二年(一九二三年)『汎ヨーロッパ』という著書を刊行し、今日のEUにつながる汎ヨーロッパ運動の提唱者となった。彼は日本公使をしていたオーストリア貴族と麻布の骨董商の娘青山光子の次男として生まれ、栄次郎という日本名ももっていた。
 カレルギーは昭和十年(一九三五年)『Totalitarian State Against Man (全体主義国家対人間)』と題する著書を出版した。それはソ連共産主義とナチス国家社会主義に対する激しい批判と、彼らの侵出を許した資本主義の放恣に対する深刻な反省に満ちている。
 カレルギーは、「自由」こそ人間の尊厳の基礎であり、至上の価値と考えていた。そして、それを保障するものとして私有財産制度を擁護した。その一方で、資本主義が深刻な社会的不平等を生み出し、それを温床とする「平等」への希求が共産主義を生み、さらに資本主義と共産主義の双方に対抗するものとして国家社会主義を生み出したことを、彼は深く憂いた。
 「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」
 ひたすら平等を追う全体主義も、放縦に堕した資本主義も、結果として人間の尊厳を冒し、本来目的であるはずの人間を手段と化してしまう。人間にとって重要でありながら自由も平等もそれが原理主義に陥るとき、それがもたらす惨禍は計り知れない。それらが人間の尊厳を冒すことがないよう均衡を図る理念が必要であり、カレルギーはそれを「友愛」に求めたのである。
  「人間は目的であって手段ではない。国家は手段であって目的ではない」
 彼の『全体主義国家対人間』は、こういう書き出しで始まる。
 カレルギーがこの書物を構想しているころ、二つの全体主義がヨーロッパを席捲し、祖国オーストリアはヒットラーによる併合の危機に晒されていた。彼はヨーロッパ中を駆け巡って、汎ヨーロッパを説き、反ヒットラー、反スターリンを鼓吹した。しかし、その奮闘もむなしくオーストリアはナチスのものとなり、彼は、やがて失意のうちにアメリカに亡命することとなる。映画『カサブランカ』は、カレルギーの逃避行をモデルにしたものだという。
 カレルギーが「友愛革命」を説くとき、それは彼が同時代において直面した、左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だったのである。
 戦後、首相の地位を目前にして公職追放となった鳩山一郎は、浪々の徒然にカレルギーの書物を読み、とりわけ共感を覚えた『全体主義国家対人間』を自ら翻訳し、『自由と人生』という書名で出版した。鋭い共産主義批判者であり、かつ軍部主導の計画経済(統制経済)に対抗した鳩山一郎にとって、この書は、戦後日本に吹き荒れるマルクス主義勢力(社会、共産両党や労働運動)の攻勢に抗し、健全な議会制民主主義を作り上げる上で、最も共感できる理論体系に見えたのだろう。
 鳩山一郎は、一方で勢いを増す社共両党に対抗しつつ、他方で官僚派吉田政権を打ち倒し、党人派鳩山政権を打ち立てる旗印として「友愛」を掲げたのである。彼の筆になる『友愛青年同志会綱領』(昭和二十八年)はその端的な表明だった。
 「われわれは自由主義の旗のもとに友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」
 彼の「友愛」の理念は、戦後保守政党の底流に脈々として生きつづけた。六十年安保を経て、自民党は労使協調政策に大きく舵を切り、それが日本の高度経済成長を支える基礎となった。その象徴が昭和四十年(一九六五年)に綱領的文書として作成された『自民党基本憲章』である。
 その第一章は「人間の尊重」と題され、「人間はその存在が尊いのであり、つねにそれ自体が目的であり、決して手段であってはならない」と記されている。労働運動との融和を謳った『自民党労働憲章』にも同様の表現がある。明らかに、カレルギーの著書からの引用であり、鳩山一郎の友愛論に影響を受けたものだろう。この二つの憲章は、鳩山、石橋内閣の樹立に貢献し、池田内閣労相として日本に労使協調路線を確立した石田博英によって起草されたものである。

  自民党一党支配の終焉と民主党立党宣言

 戦後、自民党が内外の社会主義陣営に対峙し、日本の復興と高度経済成長の達成に尽くしたことは大きな功績であり、歴史的評価に値する。しかし、冷戦終焉後も経済成長自体が国家目標であるかのような惰性の政治に陥り、変化する時代環境の中で国民生活の質的向上を目指す政策に転換できない事態が続いた。その一方で政官業の癒着がもたらす政治腐敗が自民党の宿痾となった観があった。
 私は、冷戦が終ったとき、高度成長を支えた自民党の歴史的役割も終わり、新たな責任勢力が求められていると痛感した。そして祖父が創設した自民党を離党し、新党さきがけの結党に参加し、やがて自ら党首となって民主党を設立するに至った。
 平成八年九月十一日「(旧)民主党」結党。その「立党宣言」に言う。
 「私たちがこれから社会の根底に据えたいと思っているのは『友愛』の精神である。自由は弱肉強食の放埒に陥りやすく、平等は『出る釘は打たれる』式の悪平等に堕落しかねない。その両者のゆきすぎを克服するのが友愛であるけれども、それはこれまでの一〇〇年間はあまりに軽視されてきた。二〇世紀までの近代国家は、人々を国民として動員するのに急で、そのために人間を一山いくらで計れるような大衆(マス)としてしか扱わなかったからである。
 私たちは、一人ひとりの人間は限りなく多様な個性をもった、かけがえのない存在であり、だからこそ自らの運命を自ら決定する権利をもち、またその選択の結果に責任を負う義務があるという『個の自立』の原理と同時に、そのようなお互いの自立性と異質性をお互いに尊重しあったうえで、なおかつ共感しあい一致点を求めて協働するという『他との共生』の原理を重視したい。そのような自立と共生の原理は、日本社会の中での人間と人間の関係だけでなく、日本と世界の関係、人間と自然の関係にも同じように貫かれなくてはならない」。
 武者小路実篤は「君は君、我は我也、されど仲良き」という有名な言葉を残している。「友愛」とは、まさにこのような姿勢で臨むことなのだ。
 「自由」や「平等」が時代環境とともにその表現と内容を進化させていくように、人間の尊厳を希求する「友愛」もまた時代環境とともに進化していく。私は、カレルギーや祖父一郎が対峙した全体主義国家の終焉を見た当時、「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義したのである。
 そしてこの日から十三年が経過した。この間、冷戦後の日本は、アメリカ発のグローバリズムという名の市場原理主義に翻弄されつづけた。至上の価値であるはずの「自由」、その「自由の経済的形式」である資本主義が原理的に追求されていくとき、人間は目的ではなく手段におとしめられ、その尊厳を失う。金融危機後の世界で、われわれはこのことに改めて気が付いた。道義と節度を喪失した金融資本主義、市場至上主義にいかにして歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくか。それが今われわれに突きつけられている課題である。
 この時にあたって、私は、かつてカレルギーが自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして、「友愛」を位置づけたことをあらためて想起し、再び「友愛の旗印」を掲げて立とうと決意した。平成二十一年五月十六日、民主党代表選挙に臨んで、私はこう言った。
 「自ら先頭に立って、同志の皆さんとともに、一丸となって難局を打開し、共に生きる社会『友愛社会』をつくるために、必ず政権交代を成し遂げたい」
 私にとって「友愛」とは何か。それは政治の方向を見極める羅針盤であり、政策を決定するときの判断基準である。そして、われわれが目指す「自立と共生の時代」を支える時代精神たるべきものと信じている。

  衰弱した「公」の領域を復興

 現時点においては、「友愛」は、グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われてきた国民経済との調整を目指す理念と言えよう。それは、市場至上主義から国民の生活や安全を守る政策に転換し、共生の経済社会を建設することを意味する。
 言うまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた。
 米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。
 日本の国内でも、このグローバリズムの流れをどのように受け入れていくか、これを積極的に受け入れ、全てを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうという人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった。
 各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などを一切無視して進行した。小国の中には、国民経済がおおきな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった。
 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体の中で、仕事や役割を得て家庭を営んでいく中で保持される。
 冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程と言っても過言ではないだろう。郵政民営化は、長い歴史を持つ郵便局とそれを支えてきた人々の地域社会での伝統的役割をあまりにも軽んじ、郵便局の持つ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ。
 農業や環境や医療など、われわれの生命と安全にかかわる分野の経済活動を、無造作にグローバリズムの奔流の中に投げ出すような政策は、「友愛」の理念からは許されるところではない。また生命の安全や生活の安定に係るルールや規制はむしろ強化しなければならない。
 グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。
 この間、日本の伝統的な公共の領域は衰弱し、人々からお互いの絆が失われ、公共心も薄弱となった。現代の経済社会の活動には「官」「民」「公」「私」の別がある。官は行政、民は企業、私は個人や家庭だ。公はかつての町内会活動や今のNPO活動のような相互扶助的な活動を指す。経済社会が高度化し、複雑化すればするほど、行政や企業や個人には手の届かない部分が大きくなっていく。経済先進国であるほど、NPOなどの非営利活動が大きな社会的役割を担っているのはそのためだといえる。それは「共生」の基盤でもある。それらの活動は、GDPに換算されないものだが、われわれが真に豊かな社会を築こうというとき、こうした公共領域の非営利的活動、市民活動、社会活動の層の厚さが問われる。
 「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした「共生の社会」を創ることをめざす。
 財政の危機は確かに深刻だ。しかし「友愛」の政治は、財政の再建と福祉制度の再構築を両立させる道を、慎重かつ着実に歩むことをめざす。財政再建を、社会保障政策の一律的抑制や切捨てによって達成しようという、また消費税増税によって短兵急に達成しようという財務省主導の財政再建論には与しない。
 財政の危機は、長年の自民党政権の失政に帰するものである。それは、官僚主導の中央集権政治とその下でのバラマキ政治、無批判なグローバリズム信仰が生んだセーフティネットの破綻と格差の拡大、政官業癒着の政治がもたらした政府への信頼喪失など、日本の経済社会の危機の反映なのである。
 したがって、財政危機の克服は、われわれがこの国のかたちを地域主権国家に変え、徹底的な行財政改革を断行し、年金はじめ社会保障制度の持続可能性についての国民の信頼を取り戻すこと、つまり政治の根本的な立て直しの努力を抜きにしてはなしえない課題なのである。

  地域主権国家の確立

 私は、代表選挙の立候補演説において「私が最も力を入れたい政策」は「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだと言った。同様の主張は、十三年前の旧民主党結党宣言にも書いた。「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による『地方分権・地域主権国家』」を実現し、「そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」のだと。
 クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。
 「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」
 カレルギーがここで言っているのは、今の言葉で言えば「補完性の原理」ということだろう。それは「友愛」の論理から導かれる現代的政策表現ということができる。
 経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。ベルギーの連邦化やチェコとスロバキアの分離独立などはその象徴である。
 グローバル化する経済環境の中で、伝統や文化の基盤としての国あるいは地域の独自性をどう維持していくか。それはEUのみならず、これからの日本にとっても大きな課題である。
 グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において「補完性の原理」を掲げた。
 補完性の原理は、今日では、単に基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている。こうした視点から、補完性の原理を解釈すると以下のようになる。
 個人でできることは、個人で解決する。個人で解決できないことは、家庭が助ける。家庭で解決できないことは、地域社会やNPOが助ける。これらのレベルで解決できないときに初めて行政がかかわることになる。そして基礎自治体で処理できることは、すべて基礎自治体でやる。基礎自治体ができないことだけを広域自治体がやる。広域自治体でもできないこと、たとえば外交、防衛、マクロ経済政策の決定など、を中央政府が担当する。そして次の段階として、通貨の発行権など国家主権の一部も、EUのような国際機構に移譲する……。
 補完性の原理は、実際の分権政策としては、基礎自治体重視の分権政策ということになる。われわれが友愛の現代化を模索するとき、必然的に補完性の原理に立脚した「地域主権国家」の確立に行き届く。
 道州制の是非を含む今後の日本の地方制度改革においては、伝統や文化の基盤としての自治体の規模はどうあるべきか、住民による自治が有効に機能する自治体の規模はどうあるべきか、という視点を忘れてはならない。
私は民主党代表選挙の際の演説でこう語った。
 「国の役割を、外交・防衛、財政・金融、資源・エネルギー、環境等に限定し、生活に密着したことは権限、財源、人材を『基礎的自治体』に委譲し、その地域の判断と責任において決断し、実行できる仕組みに変革します。国の補助金は廃止し、地方に自主財源として一括交付します。すなわち、国と地域の関係を現在の実質上下関係から並列の関係、役割分担の関係へと変えていきます。この変革により、国全体の効率を高め、地域の実情に応じたきめの細かい、生活者の立場にたった行政に変革します」
 身近な基礎自治体に財源と権限を大幅に移譲し、サービスと負担の関係が見えやすいものとすることによって、はじめて地域の自主性、自己責任、自己決定能力が生れる。それはまた地域の経済活動を活力あるものにし、個性的で魅力にとんだ美しい日本列島を創る道でもある。
 「地域主権国家」の確立こそは、とりもなおさず「友愛」の現代的政策表現」であり、これからの時代の政治目標にふさわしいものだ。

  ナショナリズムを抑える東アジア共同体

 「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。
 今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか。
 アメリカは今後影響力を低下させていくが、今後二、三〇年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。
覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。
 これは、日本のみならず、アジアの中小規模国家が同様に思い悩んでいるところでもある。この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい、身近な中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。
 そして、マルクス主義とグローバリズムという、良くも悪くも、超国家的な政治経済理念が頓挫したいま、再びナショナリズムが諸国家の政策決定を大きく左右する時代となった。数年前の中国の反日暴動に象徴されるように、インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。
 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創りあげていく道を進むべきであろう。ヨーロッパと異なり、人口規模も発展段階も政治体制も異なるこの地域に、経済的な統合を実現することは、一朝一夕にできることではない。しかし、日本が先行し、韓国、台湾、香港がつづき、ASEANと中国が果たした高度経済成長の延長線上には、やはり地域的な通貨統合、「アジア共通通貨」の実現を目標としておくべきであり、その背景となる東アジア地域での恒久的な安全保障の枠組みを創出する努力を惜しんではならない。
 今やASEAN、日本、中国(含む香港)、韓国、台湾のGDP合計額は世界の四分の一となり、東アジアの経済的力量と相互依存関係の拡大と深化は、かつてない段階に達しており、この地域には経済圏として必要にして十分な下部構造が形成されている。しかし、この地域の諸国家間には、歴史的文化的な対立と安全保障上の対抗関係が相俟って、政治的には多くの困難を抱えていることもまた事実だ。
 しかし、軍事力増強問題、領土問題など地域的統合を阻害している諸問題は、それ自体を日中、日韓などの二国間で交渉しても解決不能なものなのであり、二国間で話し合おうとすればするほど双方の国民感情を刺激し、ナショナリズムの激化を招きかねないものなのである。地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ。
 私は「新憲法試案」(平成十七年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。
 「私たちは、人間の尊厳を重んじ、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」
 私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道でもある、と信じる。またそれはかつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開でもあるのだ。
 こうした方向感覚からは、例えば今回の世界金融危機後の対応も、従来のIMF、世界銀行体制の単なる補強だけではなく、将来のアジア共通通貨の実現を視野に入れた対応が導かれるはずだ。
 アジア共通通貨の実現には今後十年以上の歳月を要するだろう。それが政治的統合をもたらすまでには、さらなる歳月が必要であろう。世界経済危機が深刻化な状況下で、これを迂遠な議論と思う人もいるかもしれない。しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない。
 いまわれわれは、世界史の転換点に立っており、国内的な景気対策に取り組むだけでなく、世界の新しい政治、経済秩序をどうつくり上げていくのか、その決意と構想力を問われているのである。
 今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、八十五年前に『汎ヨーロッパ』を刊行した時の言葉がある。彼は言った。

 「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして、「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。


Voice寄稿記事記事から一部転載をされたNTの記事(英文)

http://www.nytimes.com/2009/08/27/opinion/27iht-edhatoyama.html?pagewanted=1&sq=japan%20Yukio%20Hatoyama&st=cse&scp=1

OP-ED CONTRIBUTOR
A New Path for Japan
By YUKIO HATOYAMA
Published: August 26, 2009
TOKYO — In the post-Cold War period, Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a U.S.-led movement that is more usually called globalization. In the fundamentalist pursuit of capitalism people are treated not as an end but as a means. Consequently, human dignity is lost.

How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism, that are void of morals or moderation, in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing.

In these times, we must return to the idea of fraternity — as in the French slogan “liberté, égalité, fraternité” — as a force for moderating the danger inherent within freedom.

Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.

The recent economic crisis resulted from a way of thinking based on the idea that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order, and that all countries should modify the traditions and regulations governing their economies in line with global (or rather American) standards.

In Japan, opinion was divided on how far the trend toward globalization should go. Some advocated the active embrace of globalism and leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that efforts should be made to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi (2001-2006), the Liberal Democratic Party has stressed the former, while we in the Democratic Party of Japan have tended toward the latter position.

The economic order in any country is built up over long years and reflects the influence of traditions, habits and national lifestyles. But globalism has progressed without any regard for non-economic values, or for environmental issues or problems of resource restriction.

If we look back on the changes in Japanese society since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities.

In terms of market theory, people are simply personnel expenses. But in the real world people support the fabric of the local community and are the physical embodiment of its lifestyle, traditions and culture. An individual gains respect as a person by acquiring a job and a role within the local community and being able to maintain his family’s livelihood.

Under the principle of fraternity, we would not implement policies that leave areas relating to human lives and safety — such as agriculture, the environment and medicine — to the mercy of globalism.

Our responsibility as politicians is to refocus our attention on those non-economic values that have been thrown aside by the march of globalism. We must work on policies that regenerate the ties that bring people together, that take greater account of nature and the environment, that rebuild welfare and medical systems, that provide better education and child-rearing support, and that address wealth disparities.

Another national goal that emerges from the concept of fraternity is the creation of an East Asian community. Of course, the Japan-U.S. security pact will continue to be the cornerstone of Japanese diplomatic policy.

But at the same time, we must not forget our identity as a nation located in Asia. I believe that the East Asian region, which is showing increasing vitality, must be recognized as Japan’s basic sphere of being. So we must continue to build frameworks for stable economic cooperation and security across the region.

The financial crisis has suggested to many that the era of U.S. unilateralism may come to an end. It has also raised doubts about the permanence of the dollar as the key global currency.

I also feel that as a result of the failure of the Iraq war and the financial crisis, the era of U.S.-led globalism is coming to an end and that we are moving toward an era of multipolarity. But at present no one country is ready to replace the United States as the dominant country. Nor is there a currency ready to replace the dollar as the world’s key currency. Although the influence of the U.S. is declining, it will remain the world’s leading military and economic power for the next two to three decades.

Current developments show clearly that China will become one of the world’s leading economic nations while also continuing to expand its military power. The size of China’s economy will surpass that of Japan in the not-too-distant future.

How should Japan maintain its political and economic independence and protect its national interest when caught between the United States, which is fighting to retain its position as the world’s dominant power, and China, which is seeking ways to become dominant?

This is a question of concern not only to Japan but also to the small and medium-sized nations in Asia. They want the military power of the U.S. to function effectively for the stability of the region but want to restrain U.S. political and economic excesses. They also want to reduce the military threat posed by our neighbor China while ensuring that China’s expanding economy develops in an orderly fashion. These are major factors accelerating regional integration.

Today, as the supranational political and economic philosophies of Marxism and globalism have, for better or for worse, stagnated, nationalism is once again starting to have a major influence in various countries.

As we seek to build new structures for international cooperation, we must overcome excessive nationalism and go down a path toward rule-based economic cooperation and security.

Unlike Europe, the countries of this region differ in size, development stage and political system, so economic integration cannot be achieved over the short term. However, we should nonetheless aspire to move toward regional currency integration as a natural extension of the rapid economic growth begun by Japan, followed by South Korea, Taiwan and Hong Kong, and then achieved by the Association of Southeast Asian Nations (ASEAN) and China. We must spare no effort to build the permanent security frameworks essential to underpinning currency integration.

Establishing a common Asian currency will likely take more than 10 years. For such a single currency to bring about political integration will surely take longer still.

ASEAN, Japan, China (including Hong Kong), South Korea and Taiwan now account for one quarter of the world’s gross domestic product. The economic power of the East Asian region and the interdependent relationships within the region have grown wider and deeper. So the structures required for the formation of a regional economic bloc are already in place.

On the other hand, due to historical and cultural conflicts as well as conflicting national security interests, we must recognize that there are numerous difficult political issues. The problems of increased militarization and territorial disputes cannot be resolved by bilateral negotiations between, for example, Japan and South Korea, or Japan and China. The more these problems are discussed bilaterally, the greater the risk that emotions become inflamed and nationalism intensified.

Therefore, I would suggest, somewhat paradoxically, that the issues that stand in the way of regional integration can only be truly resolved by moving toward greater integration. The experience of the E.U. shows us how regional integration can defuse territorial disputes.

I believe that regional integration and collective security is the path we should follow toward realizing the principles of pacifism and multilateral cooperation advocated by the Japanese Constitution. It is also the appropriate path for protecting Japan’s political and economic independence and pursuing our interests in our position between the United States and China.

Let me conclude by quoting the words of Count Coudenhove-Kalergi, founder of the first popular movement for a united Europe, written 85 years ago in “Pan-Europa” (my grandfather, Ichiro Hatoyama, translated his book, “The Totalitarian State Against Man,” into Japanese): “All great historical ideas started as a utopian dream and ended with reality. Whether a particular idea remains as a utopian dream or becomes a reality depends on the number of people who believe in the ideal and their ability to act upon it.”

Yukio Hatoyama heads the Democratic Party of Japan, and would become prime minister should the party win in Sunday’s elections. A longer version of this article appears in the September issue of the monthly Japanese journal Voice.