2009.6.10 19:42
政治資金問題を巡る
政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会
報 告 書
2009年6月10日
【目次】
はじめに 当委員会の目的と課題
第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題
第2章 政治資金規正法のあり方について
第3章 検察・法務省のあり方について
第4章 報道のあり方について
第5章 政党の危機管理の観点からの分析
第6章 政治的観点から見た民主党の対応
おわりに
(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈及び事実関係についての検討結果
【委員一覧】
飯尾潤(座長) 政策研究大学院大学教授
郷原信郎(座長代理) 名城大学教授、弁護士
櫻井敬子 学習院大学教授
服部孝章 立教大学教授
(敬称略、順不同)
はじめに 当委員会の目的と課題
2009年3月3日、東京地検特捜部は、民主党の小沢一郎前代表の資金管理団体「陸山会」に関する政治資金規正法違反事件の強制捜査に着手した。小沢氏の公設第1秘書で陸山会の会計責任者の大久保隆規氏が、2003年から2006年までの政治資金収支報告書に、西松建設からの政治資金の寄付を「新政治問題研究会」などの政治団体からの寄付である旨の虚偽の記入を行った政治資金規正法違反の事実で逮捕され、同日夕刻から陸山会事務所などの関係箇所に対して捜索が行われた。
これについて、民主党の鳩山由紀夫幹事長(当時)は、捜査について批判的なコメントを行い、小沢氏は、翌3月4日に記者会見を行って、「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と強く批判した。これに対して、報道からは、連日、小沢氏の政治資金をめぐる「疑惑」が大々的に報じられた。
また、3月24日、大久保氏は逮捕事実とほぼ同じ同法違反の事実で起訴されたが、同日夜、小沢氏が民主党代表を続投する方針を表明したことに対して、小沢氏を批判する報道が集中し、「説明責任を果たしていない」「世論調査の結果『辞任すべきだ』との意見が6 割を超えている」などの理由で、小沢氏の辞任論が展開された。つまり、事件の位置づけに関して、民主党執行部の意見と、報道などから示される主流的な論調とが、真っ向から対立する図式となったのである。また、検察の捜査については、有識者などから、法律解釈、重大性・悪質性の問題、強制捜査のあり方などについて、少なからぬ疑問点が指摘された。
こうした中で、民主党は、上記の政治資金をめぐる問題が、「政治的側面に留まらず、政治資金規正法の解釈、それを前提とした検察官僚や報道のあり方など、検討すべき角度が多岐にわたり」、「党代表がかかわる問題であるため、党内の議論だけでは議論が偏向してみられる恐れもある」として、党外の議論に委ねる方針を立てた(この点については、報告書をまとめる過程で、民主党に確かめた)。そして、上記政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関し、各分野の専門家が自由闊達に議論し、個々の問題点について「客観的かつ公正な見解を示す」党から独立した第三者機関を設けることとし、4月3日に鳩山幹事長(当時)から、「有識者会議」の設置が発表された。
それを受けて、4月11日に発足したのが当委員会である。委員会発足にあたって、委員会の独立性・客観性を重視する観点から、議論すべき点、議論の方向性などは民主党側からは明確には示されなかったため、4月11日の初回会合では、委員会の目的自体について議論するところから活動を始めた。
そこで、健康上の理由で欠席した服部委員を除く3 委員で「当委員会は、民主党小沢代表(当時)秘書の政治資金規正法違反事件に関する小沢代表(当時)および民主党の対応、説明責任について検討するとともに、政治資金問題をめぐる検察およびメディアのあり方について議論を行うことを目的とする」こととし、名称も「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」とした(なお、このことは、この後、服部委員から了解を取った)。また、事務局は、新日本パブリック・アフェアーズ株式会社が担当し、民主党から独立した第三者委員会として活動を続けてきた。
また、民主党としても事態の把握に苦慮していることを踏まえ、当委員会の役割としては、事態の把握にかかわる論点の整理が重要であると考えた。そこで、当委員会の活動は、捜査機関ではない以上、個別具体的な事案の実態解明には限界があるので、むしろ、民主党が政党として取るべき対応を中心として、法的問題の整理も含め、関連する事項についての問題点を指摘することとした。
問題は広く民主党の運営体制そのものにもかかわってくるが、代表の進退などに具体的な示唆を与えるような検討の仕方は避け、多角的な観点から、今回の事件および対応に関して、どのような問題点があるのかを検討した。
検討の方法としては、本件に関する問題を全体的に検討するため、関連する事実の調査・確認、関係当局への書面による質問やヒアリング、ゲスト有識者との懇談・意見交換、当事者である小沢代表(当時)や民主党側を代表する鳩山幹事長(当時)などから書面による質問やヒアリングを行う一方、委員会内部において議論を重ねてきた。
本報告書は、それらの議論・検討の結果を取りまとめたものである。
第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題
本章は、本件に関する真相究明を目的とするものではなく、第2章以下の検討の前提として、本件についての検察の捜査、処分をめぐる問題点を指摘することを目的とする。なお、本件に関する事実関係について、検察当局からは、公式の資料は公表されていないため、本章の記述は、すべて新聞などの報道によるものである。
1・小沢氏秘書にかかる政治資金規正法違反の事実と問題点
民主党代表であった小沢一郎氏の公設第1秘書の大久保隆規氏は、2009 年3月3日午後、東京地検の任意の事情聴取を受け、同日夕刻、政治資金規正法違反で逮捕され、引き続き拘置されて、3月24日に起訴された。
逮捕・拘置事実は、小沢氏の資金管理政治団体「陸山会」の会計責任者としての大久保氏の、2003 年から2006年までの同団体の収支報告書についての虚偽記入の事実であり、西松建設のOBが代表者を務める「新政治問題研究会」「未来産業研究会」という2つの政治団体から総額2100万円の寄付を受けた旨の記載が、実際にはそれらの寄付が政治団体ではなく西松建設からの寄付だったとして、政治資金収支報告書の虚偽記入に当たるとされたものである(起訴事実では、上記政治団体から小沢前代表が代表を務める民主党岩手県第4区総支部への合計1400万円の寄付についての虚偽記入の事実が加えられ、虚偽記入にかかる金額は合計で3500万円となった)。
東京地検の谷川恒太次席検事は、上記政治資金規正法違反の起訴を行った3 月24日、「ダミーの政治団体の名義を利用するという巧妙な方法により、多額の寄付を受けてきた事実を隠すため、という本件犯行の動機、犯行に至る経緯、犯行態様についての事情も考え合わせると、政治資金規正法に照らして看過しえない重大かつ悪質な事案と判断した」と述べている。
そこで、問題となるのは、第1に、本件について政治資金規正法違反が成立するのか否か、第2に、仮に違反であるとしても、同法違反の罰則を適用すべき処罰価値ないし事案の重大性・悪質性が認められるのか、そして、第3に、被疑者を任意出頭当日に逮捕するという捜査手法を用いたことが妥当なのか否か、という点である。
そして、それ以外にも、同じ政治団体名義で同様の寄付が自民党議員に対しても行われていたのに、小沢氏に関連する政治資金規正法違反の事実のみを立件し、逮捕・起訴を行ったことが偏った捜査ではないのかという点も問題となる。
2・問題点についての検討
2-1 違反の成否
(1)法解釈上の問題
ア 「寄付をした者」とはどのような意味か
検察側の主張は、「寄付名義の政治団体は西松建設のダミーであり、本件の寄付について収支報告書に『寄付者』として西松建設と記載しなければいけない、それを政治団体と記載したことが虚偽記入に当たる」というものと考えられるが、検察の主張の重要な根拠とされているのが、寄付の資金の実質的な拠出者が西松建設だということだと思われる。
ここで問題になるのが、政治団体や政党が寄付を受けた場合に、会計責任者に政治資金収支報告書に記載することが義務づけられている「寄付をした者」とはどのような意味なのか、ということである。寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と資金の拠出者が異なっている場合に、外形的行為者と資金の拠出者のいずれが「寄付をした者」に該当するのか。例えば、図(略)のように、Aが自らの資金で政治団体Xに政治資金を提供しようと考えてBに現金を交付し、その資金で、Bが自己の名義の寄付として政治団体Xの会計責任者に現金を手渡した場合、会計責任者が、Aが資金の拠出者だということを知っていた場合に、政治団体X の収支報告書には、寄付者としてAを記載するべきなのか、Bを記載するべきなのか。この点について、資金の拠出者のAが寄付者であるとするなら、本件についても「寄付をした者」は西松建設と記載すべきということになろう。この点は、本件に関する重要な解釈問題である。
同法上、「寄付」が、「金銭、物品その他の経済的利益の供与又は交付」(4条3項)と定義されていることからすると、ここでの「供与」は「金銭や利益を得させること」、交付は「金銭等を渡すこと」を意味する。
それを前提にすると、寄付者として金銭の交付を行った者、つまり、図の事例で言えば、「供与者」であるかどうかは不明でも「交付者」であることは明らかにBを「寄付をした者」として収支報告書に記載すべきだということになる。
すなわち、図の例で言えば、実質的にはA からXへの政治資金の「供与」であるが、形式的には、A からB、BからXの間で、それぞれ金銭の「交付」が行われている。この場合、Xの立場としては、定義規定で「交付」も「寄付」に含まれる以上、自分に金銭や利益を提供した直接の相手のBが「寄付者」として現金の「交付」を行っている以上、それがBの資金かAの資金かにはかかわりなく、その「交付」を「Bの寄付」として収支報告書に書けばよい。要するに、政治資金規正法で「寄付した者」と言っているのは、形式的に寄付者と称して金銭等の移転をしてきた者であり、実質的に資金を拠出した者ではないということになる。
イ 関係当局の見解と問題点
この点について関係当局の見解を把握するため、政治資金規正法を所管する総務省および罰則について審査を行う立場にある法務省の担当者にヒアリングへの出席と回答を求めたが、法務省当局からは、出席も回答も得られなかった。
総務省からは担当補佐が出席したが、「収支報告書上、寄付の内訳への記載が求められる寄付者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄付を行った者とが相違する場合に、資金の拠
出者を記載することが求められているのか(例えば、寄付として現金を持参してきたのはAだが、その資金はBが拠出していると認識していた場合に、その寄付を受領した政治団体Xの会計責任者は、寄付者をAと記載したら良いのかBと記載したら良いのか)」との質問に対して、「法律上『寄付をした者』を記載することとされているので、総務省としては、会計責
任者が法の趣旨にのっとり、実態を把握して『寄付をした者』を記載してくださいとしか言えない」との回答に繰り返すのみであった。
この点に関し、衆議院法務委員会で、「『寄付をした者』というのは、資金を拠出した者という意味なのか、自分の名前で振り込みや金銭の行為などの外形的行為を行った者を意味するのか」との質問が行われたのに対して、大野恒太郎刑事局長は、「これは寄付した者をいかに認定するのかという事実認定、当てはめのことになる。実際に誰が寄付をした者なのかという認定をするに当たっては、金銭交付に至った経緯やその意図、金銭交付に関与した者の状況等、諸般の事情を個別具体的な事案に応じて判断することになる」旨、答弁した。
要するに、法務省は、寄付の外形的な行為者と資金の拠出者が異なっている場合、いずれが「寄付をした者」に当たるかは、形式的に判断すべきことではなく、諸般の事情を総合的かつ実質的に判断しなければ結論を出せないというのである。
このように、「寄付をした者」の判断について、一般論を示すことなく、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解によれば、政治団体、政党の政治資金の処理を行い、政治資金収支報告書の作成・提出を行うことを義務づけられている会計責任者は、寄付者をどう記載すべきかを自ら判断しなければならず、しかも、そこで、結果的に記載が誤っていたと認められた場合には、虚偽記入罪の刑事責任を問われるリスクを負わされるということになる。それは、政治資金収支報告の実務に重大な影響を与えることになりかねない。
(2)寄付をめぐる実態との関係
このように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、このように解したとしても、例えば、寄付名義の団体、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような存在で、寄付行為者としての実体がまったくない場合には「行為者」と認められず、資金の拠出者が寄付者となる場合もあり得る。そういう意味で、実態とまったく無関係に判断できるわけではない。
本件は、刑事事件として起訴された事案なのであるから、実態に基づく判断は、最終的には、公判手続の中で証拠による事実認定に基づいて行うほかない。しかし、実態に基づいて検討を行うための一つの手がかりとなる資料がある。それは、西松建設が2009年5月15日に公表した内部調査委員会による調査報告書である。
同報告書に記載された政治団体の実態およびその政治資金の寄付の実態によれば、これらの団体を、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような実体のない団体とは認め難い。「寄付をした者」が政治団体ではなく西松建設であるとの検察の主張立証には相当な無理があり、「寄付をした者」を政治団体と記載したことは虚偽記入罪には該当しないのではないかと思われる。
2-2・事案の重大性、悪質性
(1)検察の説明とその問題点
しかし、本件が、東京地検次席検事の説明のように、果たして、「巧妙な方法」によって多額の献金を「隠してきた」事案と言えるであろうか。以下のような理由から、本件は重大かつ悪質な事案とは言い難い。
ア「表の献金」であること
政治資金の寄附の事実自体を秘匿する、いわゆる「裏の献金」と、今回のように寄附の事実自体は収支報告書に記載された「表の献金」に関して寄附者の名義に問題があるという場合とでは、悪質性に大きな相違がある。「表の献金」であれば、収入の総額には偽りはないわけで、名義に問題がある献金も含めて、すべて支出の内訳の開示対象になる。「裏の献金」はそもそも不正な使途に支出することを目的として行われる。近年、支出の内訳について開示義務が著しく強化されており、支出の開示の対象となる「表の献金」に関する違反と、その開示義務を完全に免れようとする「裏の献金」とでは、悪質性がまったく異なる。本件で虚偽記入とされているのは、寄附の事実自体は収支報告書に記載されている「表の献金」にかかわる。
イ 政治団体名義での寄付の動機
西松建設のダミーとされた2つの政治団体の設立の目的について、前記の西松建設の内部調査報告書では、「企業から政治家個人への献金が禁じられたことから、(中略)、政治団
体を設立して、政治団体からの献金を装って、政治家個人の政治団体に献金することを画策した」と述べている。また、この2つの政治団体の事件に関して、検察は、政治資金収支報告書の虚偽記入の事実に加えて、企業から政治家個人への寄付の禁止の事実も併せて起訴しており、企業の政治家個人への寄付の禁止を潜脱することが、政治団体名義での政治献金の目的だったように理解されている。
しかし、政治資金規正法の改正経過に照らせば、そのような理解は適切ではない。「新政治問題研究会」が設立された時期の1995年施行の政治資金規正法改正は、企業・団体からの寄付を政党、政治資金団体、政治家個人の資金管理団体に限定するものであって、企業から政治家個人への寄付自体を全面的に禁止するものではなかった。小沢氏側への寄付も、同氏が党首であった新進党、自由党の政治資金団体の「改革国民会議」あてに行われていたもので、それは、西松建設の名義で行うことも可能であった。したがって、この団体による政治献金は、当初から、政治家個人への寄付の禁止の潜脱を目的とするものではなかった。
1999年に、企業から政治家個人の資金管理団体への寄付が禁止されたことで、これらの団体名義で寄付することが、企業から政治家個人への寄付を隠蔽(いんぺい)するという実益が生じたとする点については、その後も2002年までは、小沢氏に関連する寄付は、政党の政治資金団体であった改革国民会議に対して行われていたのであり、西松建設の名義で寄付が行われても、寄付を受ける小沢氏の側にとって、とくに差し支えはなかったはずである。
2003年に、自由党の民主党との合併によって民主党に所属することになった小沢氏側への寄付は、その後、小沢氏の資金管理団体である陸山会に対する寄付として継続されたが、その金額は、2つの団体からの寄付額は、それまでの改革国民会議に対する寄付とほぼ同額のまま維持された。今回、それについて政治資金収支報告書の虚偽記入の刑事責任を問われたわけであるが、上記のような経緯からすると、改革国民会議あてだった寄付を陸山会あてに切り替えるのに際して、「政治団体からの寄付」との認識だったことから、資金管理団体で受けても合法と単純に判断したためにそのまま政治団体からの寄付として処理したものと考えるのが合理的であろう。
以上述べたところによれば、本件が仮に政治資金収支報告書の虚偽記入に該当するとしても、企業献金を積極的に隠蔽しようとする目的で行われたものではないと考えるのが合理的であろう。
ウ「巧妙な方法」と言えるか
また、本件の寄付者の記載が「新政治問題研究会」などの政治団体名義となっていたことが、実質的に西松建設からの資金による寄付であることを秘匿する「巧妙な方法」と言えるかどうか、それによって、本当の意味で、同社から多額の受けてきた事実を「隠してきた」と言えるのかについても疑問がある。
新聞等では、これらの政治団体から寄付を受領した側の政治資金収支報告書には、これらの政治団体の所在地として「西松建設の本社所在地」が記載されている場合が多かったと報じられており、それは、寄付を受領する側が、実質的に西松建設と一体の団体と認識していたことを示しているだけでなく、両者の実質的に一体の関係が、関係者の間では既に周知の事実であったことを示している。しかも、2008年1月21日付の毎日新聞は「政治団体実態は企業」というタイトルで、与野党の多数の政治家に多額の政治献金を行っていた「新政治問題研究会」が、西松建設と実質的に一体である疑いを報じており、両者の一体の関係は、報道にも容易に知り得るものだったのである。
これらの点から考えると、本件では、これらの政治団体の名義で寄付が行われたことが「巧妙な方法」とまでは言えず、西松建設からの寄付であることを「隠す」効果も希薄だったと考えられる。むしろ積極的に隠そうとするのであれば、むしろ、西松建設との関係が他には知られていない取引先業者を通しての迂回(うかい)献金の方が効果的だったと考えられる。仮に違反と判断されるとしても、その悪質性は低いと言うべきである。
2-3・捜査手法
本件事件の強制捜査に関する問題は、本件の検察の強制捜査では、大久保秘書に対しては、3月3日の朝、任意の事情聴取の要請があり、その当日の午後、出頭した大久保秘書の任意の事情聴取が行われ、それから数時間後に逮捕が行われたことである。
2-1で述べてきたように、本件については、違反の成否についても、刑事罰を科すべき重大・悪質な事案なのかという点についても疑問がある。そのことを踏まえて考えたとき、果たして、本件で、上記のように、任意聴取の当日に被疑者を逮捕することが捜査方法として適切といえるのであろうか。
被疑者の身柄を拘束するためには、「逃亡の恐れ」、「罪証隠滅の恐れ」のいずれかが必要であるが、大久保秘書の場合に「逃亡の恐れ」がないと考えるのが合理的であり、大久保秘書の逮捕事実とされた政治資金収支報告書の虚偽記入の事実は、「表の寄付」に関するもので、寄付の外形的事実は客観的に明らかであること、前記1で述べたように、本件で政治資金収支報告書の虚偽記入罪の成否の争点は、大久保秘書が、寄付の資金の拠出者が西松建設だと認識していたか否かではない。寄付の名義人である政治団体が、「寄付行為者」となり得る実体を備えていたかどうか、そして、そのことを大久保秘書の側が認識していたかどうかであることなどからすると、罪証隠滅の恐れは低いと言わざるを得ない。
しかも、仮に、寄付行為者が西松建設だと認められるとしても、それについて異なった見解に基づいて寄付者を政治団体と収支報告書に記載したのであれば、任意聴取の中で、寄付者に関する見解の相違を指摘し、政治資金収支報告書を任意に訂正させれば政治資金の透明化の目的は十分に達成することが可能であった(この点に関して、「収支報告書を訂正すると、企業から資金管理団体への寄付の受領という犯罪を認めることになるので訂正で足りる問題ではない」との見解があるが、収支報告書作成の段階で企業団体からの寄付であることを認識していなければ犯罪は成立せず、後日、当局の指摘等によって、企業団体から献金に該当すると認識した場合には、収支報告書を訂正して適正な記載に改めるのは当然であり、それによって犯罪成立を認めることにはならない。この場合に訂正不能だというのは、犯罪
の成立には「犯意」が必要だという刑事法の基本的前提を欠いているといえよう)。
このように、そもそも罰則適用を行う必要についてすら疑問な事件について、任意聴取を開始した当日にいきなり逮捕するという捜査手法は、公設秘書を逮捕することで政治的影響を生じさせることの方に主目的があったのではないか、と疑われても致し方ない面がある。
しかも、大久保秘書は、逮捕後、引き続き拘置され、起訴後2カ月以上たった5月26日にようやく保釈された。このよう長期間の身柄拘束がいったいいかなる理由によるものなのか、検察には十分な説明を行う必要があろう。
2-4・自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの比較
本件に関して大久保秘書の逮捕当初から問題にされてきたのが、「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」からは、自民党所属議員など多数の議員に対して寄付が行われている事実を政治資金規正法違反として立件しないのに、小沢氏側に対する寄付だけを立件し、公設秘書の逮捕・起訴まで行ったのは、公平を欠く捜査・起訴ではないかという点である。
この問題については、小沢氏側への寄付と自民党議員側への寄付との間で違反の成否の点で違いがあるのか否か、両者に違反が成立する場合に、自民党議員を含む多数の議員側への寄付を立件せず小沢氏側への寄付のみを立件することが相当と考えられるような事情があるのか否か、という2つの点から考えてみる必要がある。
違反の成否に関するポイントが、寄付を受けた側が政治団体ではなく西松建設が資金を拠出していることを認識していたか否かではなく、政治団体に「寄付行為者」と認めるだけの実体があるか否かだということは、これまで述べてきたとおりである。したがって、違反の成否についてまず問題になるのは政治団体の実体という客観的な事実であり、その点は、寄付の相手方によって異なるものではない。仮に、政治団体が実体のない単なるダミーで寄付者が西松建設だとすると、それを、寄付を受領する側が認識していたかによって違反の成否が決まることとなり、小沢氏側と自民党議員側とで認識の相違が違反の成否に影響することもあり得る(前記2-1(2)で述べたとおり、西松建設の内部調査報告書の内容を前提とする限り、そもそも、これらの政治団体が、単に政治家に献金するための実体のない「トンネル」的な存在であったとは認めがたい)。
小沢氏側への寄付のみを立件すべき事情があるとすれば、まず考えられるのは、西松建設関連団体の設立目的と小沢氏側への寄付とが密接な関係があったということであるが、設立後解散までの2団体からの寄付、パーティー券購入の総額のうち、小沢氏個人の政治資金として寄付された金額の割合は7・3%であり、自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄付を含めても23・7%である。2団体が、小沢氏側への政治献金を主たる目的として設立されたものとは考えられない。
また、政治資金規正法違反として立件可能な2003年以降の寄付に限って言えば、2団体からの小沢氏側への寄付の総額が3500万円であるのに対して、自民党議員側への寄付、政治資金パーティー券の購入額は、個別の議員ごとに見ると、比較的少額である。しかし、後に、2-5で述べるように、西松建設側の国澤元社長は、収支報告書の虚偽記入罪より法定刑が軽い「他人名義の寄付」100万円の事実で逮捕されているのであり、それとの比較で言えば、少なくとも100万円以上の寄付の受領については、虚偽記入罪が成立する限り、立件しないことの合理的な説明は困難である。
さらに、重要なことは、2団体から、本件で逮捕、起訴された大久保秘書が会計責任者を務める小沢氏の資金管理団体の「陸山会」への寄付は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけであり、それ以前は行われていないということである。設立当初から、大久保秘書、又はその前任者の秘書と西松建設側との間で、西松建設から陸山会への巨額の政治献金を行うことを画策し、そのための手段として2つの政治団体が設立されたというような事情は認められないのである。
しかも、資料編11の「西松建設関連政治団体の献金先調査経緯」でも報告されているように、東京都港区内の「新政治問題研究会」と称する政治団体として、西松建設の関連団体のほかに、故橋本龍太郎氏が代表を務める資金管理団体が存在し、同団体から多数の自民党議員に多額の寄付が行われていた事実があり、官報に掲載されている自民党議員の政治資金収支報告書の要旨だけでは、いずれの団体からの寄付かが区別できない。一方、野党の小沢氏側への寄付については、橋本氏の資金管理団体からの寄付は考えられないので、「新政治問題研究会」名義の寄付は、西松建設関連であることの特定が容易である。
西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、西松建設から自民党議員への寄付の具体的内容を、所在地を区までしか記載しない官報では容易に知り得ない状態にすることにあったのではないかとの推測も成り立ち得る(政治資金収支報告書の現物が総務省のホームページで公開されるようになったのは2009年1月以降である)。
これらの事実に照らせば、「新政治問題研究会」などの名義での西松建設側からの与野党の政治家への寄付に関する政治資金規正法違反の立件に関して、小沢氏側への寄付だけを特
別に取り扱う合理的な理由があるとは考えにくい。
2-5・西松建設側への検察捜査に関する疑問
上記の通り、小沢氏の秘書の大久保氏が逮捕・起訴された政治資金規正法違反事件そのものについて、違反の成否、事案の重大性・悪質性、捜査手法などに多くの疑問があることに加えて、西松建設側に対する検察捜査の内容・手法についても疑問がある。
第1に、2-4で述べたところとも関連するが、西松建設側の元社長の国澤氏は、2006年に「陸山会」側に「他人名義」で100万円の寄付を行った事実、すなわち、西松建設からの寄付であるのに、政治団体の名義で寄付を行った事実で逮捕され、それに、同年の民主党岩手県第4区総支部にあてた400 万円の寄付の事実が加えられ、500万円の他人名義の寄付の事実で起訴されている。
この他人名義の寄付の禁止規定の罰則の法定刑は収支報告書の虚偽記入より軽く「禁固3年以下又は50万円以下の罰金」であり、公訴時効が3年であるために起訴事実が少額になったものと考えられるが、時効完成前の同様の寄付の事実として、藤井孝男衆議院議員の資金管理団体に100万円、藤野公孝参議院議員の政党支部に100 万円、林幹雄衆議院議員の政党支部への100万円などの自民党議員側への寄付の事実があるのに、それらが国澤氏の起訴事実とされていないのはいかなる理由によるものであろうか。少なくとも、西松建設側の違反事実の成立については、寄付受領者側の認識は要件とならないはずであるから、小沢氏側に対する寄付と自民党議員側に対する寄付とで違反の成立について異なるところはないはずである。しかも、100万円の他人名義の寄付という国澤氏の逮捕事実は、上場企業の社長の在任中の事件の逮捕事実としては著しく軽い。検察としては、違反が認められる限り違法寄付の額を少しでも多くしようとするのが当然であるのに、上記の自民党議員に対する寄付をなぜ逮捕事実に加えないのか、このような検察の捜査のやり方に疑問がある。
3 小括
これまで述べてきたように、民主党代表であった小沢一郎氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について疑念がある。このような捜査・起訴のために、総選挙を間近に控えた時期に野党第一党党首を党首辞任に追い込むという重大な政治的影響を生じさせたことに関して、検察は説明責任を負っている。
第2章 政治資金規正法のあり方について
1・総務省の任務としての政治資金行政
西松事件において提起された問題は、政治資金規正法において要求されている政治資金収支報告書における記載の真実性(虚偽でないこと)がどのようなものであるかということであった。具体的事件との関係ではもっぱら刑事罰の帰趨(きすう)に関心が寄せられているが、個別案件を離れてみると、政治資金規正法は政治家の活動にかかわるという特殊性があり、議員立法として制定された経緯はあるが、行政法規のひとつとして、総務省がその所管官庁として法律の執行にあたっている。政治資金をめぐる事務処理は、政治資金行政として総務省を通じて日常的に展開されており、具体的な処理基準等の提示や事務処理にかかわる助言・指導、説明要求・訂正命令などの関係者に対する監督権限の行使は、同省の責任において遂行される行政任務そのものである。
ここでは、政治資金収支報告書の記載のあり方を念頭に、制度論の観点からその問題点について述べる。
2・政治資金行政の仕組み
2-1・基本的な制度設計
一般に、行政法規が置かれることの第一義的な意味は、法の名宛人が順守すべき行為規範を示すことにある。政治資金規正法12条1項は政治団体の会計責任者が収支報告書の提出義務を負うことを定めているが、29条は「報告書の真実性の確保のための措置」として、報告書の提出にあたり「真実の記載」がされていることを誓う旨の宣誓書の添付をあわせて義務づけている。そして、監督権限を持つ総務大臣又は選挙管理委員会は、提出された届け出書類、報告書等に「形式上の不備」や、記載すべき事項の「記載が不十分」であると認めるときは、報告書等の提出者に対して、説明を求め、または報告書の訂正命令をすることができる(31条)。この説明要求・訂正命令を担保するため、説明・訂正を拒否したり、「虚偽の説明」「虚偽の訂正」をした場合には罰則が置かれている(24条7号)。これとは別に、収支報告書に「虚偽の記入」をした者に対する罰則が用意されており、25条1項3号に定めがある。以上が、政治資金行政の基本的なスキームである。
行政法規に刑罰が置かれている場合(これを「行政刑罰」という)、行政法規は行為者の一般的な行為規範であると同時に犯罪構成要件としての意味も有する。したがって、行政法規に違反した場合は、行政庁による監督処分の対象となる場面と刑罰権発動の根拠となる場面が、重なって現れることに注意を要する。そして、一般に刑罰は国家に認められた最も苛烈(かれつ)な人権侵害行為であることから、行政法規違反については、より緩やかな措置である行政措置が優先的に適用されるべきであり、刑罰権は「最後の手段」として、一般行政で対応できない場合に初めてその発動が正当化されるべきものということができる。
2-2・報告書の「真実」記載義務
政治資金規正法の規定から、同法が報告書の記載について「真実の記載」であることを要求していることは疑う余地はないが、具体的に何をもって「真実の記載」とみるかは、法文上は必ずしも明らかではない。たとえば、5万円を超える寄付については「寄付をした者」を報告書に記載することとされているが(12条1項1号ロ)、これが外形的に寄付行為を行った寄付の名義人を指すのか(形式説)、実際に経済的負担をした出捐者を意味するのか(実質説)、そのいずれであるのかを直接定める具体的規定はない。そのため、法の要求する「真実性」が形式的真実・実質的真実のどちらであるかは、関連する規定から解釈するほかはない。
この点、総務大臣等は「形式上の不備」ないし「記載が不十分」であるときに説明要求・訂正命令をすることができるが、ここで「形式上の不備」とは添付書類がないとか、記載すべき事項の記載がないなど一見して不備であることが明白な場合をいい、「記載が不十分」とは収支報告書等の記載内容が明確でなく適正でない場合や、収入・支出の積算に誤りがある場合のように、「記載上の適格性」を欠く場合をいうとされる。このように、総務省に「形式審査権」しか認められていないのは、本来自由であるべき政治活動に対する行政庁の関与は必要最小限にとどめるべきであるという考えに基づいている。
総務省に形式審査権しか認められてない以上、行政レベルにおいて要求される記載の真実性は形式的なものにとどまり、それゆえ報告書に対する真実記載義務は、形式的真実を記載すべき義務として理解せざるを得ない。すなわち、第1章でも述べたように、「寄付をした者」とはあくまでも寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と解され、実態として出捐を行った者ではないということである。仮に、法が実質的真実の探求を行政庁に要求し、現実の出捐者を究明すべきことを求めているならば、それを可能とするような政治団体事務所への立入権限や帳簿書類等の検査権限等の実質的審査権が付与されていなければ法目的を達成することはできない。しかし、現行法にはそのような規定はなく、法は真実性の探求について限度を設けていると理解される。
3・政治資金規正法における「虚偽」の意味
3-1・虚偽説明罪・虚偽訂正罪の場合
説明要求および訂正命令の実効性確保については罰則が設けられており、「虚偽の説明」、「虚偽の訂正」をした場合には虚偽説明罪・虚偽訂正罪に問われる可能性がある(24条7号)。ここで、「虚偽の説明」ないし「虚偽の訂正」の意味が問題となるが、説明要求・訂正命令の内容は形式上読み取ることが可能な記載上の事項にとどまることから、虚偽説明罪ないし虚偽訂正罪における「虚偽」の意義もまた形式的に判断せざるを得ない。虚偽説明罪・虚偽訂正罪は行政庁の命令違反に対する罪であり、命令されていない事項(実質的真実にかかわる事項)について罪を問うことは罪刑法定主義からしてあり得ないからである。
なお、訂正命令は行政手続法にいう不利益処分にあたり、総務大臣等にはいかなる場合が記載上の不適格に該当ずるかについてできるだけ具体的な処分基準を定めるべきことが要請
される(行政手続法12条1項、説明要求は同法3条1項14号の適用除外に該当する)。しかし、総務省においてその要請を満たすような基準はこれまでのところ示されていない状況にある。
3-2.虚偽記入罪の場合
西松事件では、報告書に虚偽の記入があったことが罪に問われている。ここで「虚偽の記入」の意義が問題となるが、基本的には24条7号にいう「虚偽の説明」「虚偽の訂正」と同様に解すべきであろう。虚偽記入罪は、前述した虚偽説明罪や虚偽訂正罪とは異なり、行政庁の命令に違反したことに対する罪(間接罰)ではなく、虚偽記入という行為がただちに刑罰の対象とされているもの(直接罰)であるが、虚偽記入罪の犯罪構成要件は「12条1項…の報告書…に虚偽の記入をした者」とされ、12条1項にいう報告書の記載について要求される真実性が形式的なものにとどまることはすでに述べたとおりである。虚偽記入罪における「虚偽」に限って実体的真実性を要求するような解釈は、同一法律内の同一用語を、総務省との関係と警察・検察との関係とで別異とするもので、法解釈のあり方として整合性を欠くと言わざるを得ない。
仮に、「寄付をした者」を総務省との関係では形式的な真実としての「外形的な行為者」と解し、警察・検察との関係では実質的な真実としての「現実の出捐者」と解するとすると、同じ法律要件が行政機関ごとに異なることになってしまう。しかし、もともと政治資金規正法は政治活動に対する行政の関与を最小限にとどめるべきであるという趣旨から、総務省による一般的な行政上の監督ですら抑制的であるべきとしていたはずである。総務省ですら関与を控えている事案について、警察・検察という別の行政機関が、総務省とは異なる独自の解釈にたって逮捕という強烈な人権規制行為に及ぶことは、法の趣旨に照らし、明らかにバランスを失しているというべきであろう。このように考えると、虚偽記入罪について実質的真実を要求する解釈は、法の示す価値判断に逆行するもので、不合理というほかない。
4・行政刑罰における罪刑法定主義の意味
一般に、行政刑罰においては関係する省庁が複数にわたるのが通例であり、ひとつの法律15の執行が省庁ごとにバラバラに行われる結果、ある省庁との関係では適法とされる行為が別
の省庁との関係では違法扱いされたり、あるいは関係省庁がいずれも責任を果たさないという消極的権限争議を生ずることが少なくない。これらは、いずれも「法執行における縦割りの弊害」といえるが、行政刑罰が罰則のひとつであるということから、罪刑法定主義との関係も重ねて問題となるため、縦割りの弊害はより深刻となる。
西松事件では政治資金規正法違反を理由として刑罰権が発動されている。政治資金規正法の所管官庁は総務省であるが、罰則が問題となる限りにおいて法務省は法令協議にかかわり、
犯罪構成要件としての法令の解釈・罰則適用基準について事実上の公定解釈を示す立場にある。同法の解釈をめぐって、総務省は刑罰の問題であるとして具体的な解釈指針を示さず、他方で法務省は法律の所管官庁でないとして解釈基準を示そうとせず、両省の間で責任の押し付け合いともいえる状況が生じている。しかし、ことは刑罰の適用にかかわる問題であり、何が罪であるかについて事前に明確な定めを要求する罪刑法定主義の観点から見て、このような無責任な対応は到底容認されるものではない。西松事件についていえば、会計責任者にとってあらかじめどのように記載すればよいかが不明確なまま政治資金報告書に記載させられ、後になってその記載が法律に違反するとして処罰されるというようなことは、決して許されない。刑罰権の恣意(しい)的な発動を防止する観点から、総務省・法務省はともに適法行為と
違法行為の分水嶺(ぶんすいれい)について明らかにする責務があり、これは憲法上の要請である。
5・政治資金規正法違反に対する制裁のあり方
現行法は、政治資金規正法違反行為に対する制裁として罰則を中心に規定している。罰則を置くということは刑罰権の発動によって行為者に制裁を加えるという制度設計であり、処罰対象者が国会議員である場合には、立法府の活動に対する警察・検察当局による権力的介入を立法者みずからが容認していることを意味している。
しかしながら、本来、政治資金については政治家が自ら律するべき問題であるという原点に立ち返ると、自らの不始末は自らただすという見識を持って、制裁措置についても議会自身がこれを発動するような仕組みを工夫することが望ましい。サンクションのあり方は多様であり、たとえば、現行法上認められている公民権の停止は刑罰を前提とするものであるが、刑罰と切り離した形で公民権の停止をひとつの制裁手段として整備することはもとより可能であるし、刑罰としての罰金に代えて非刑罰としての制裁金を新規に導入するなど、罰則以外の効果的な制裁措置の導入を真剣に検討すべきである。安易な罰則への依存は、法執行を警察・検察当局に依存することと同義であり、立法技術の観点からみても稚拙というほかない。具体的には、立法府の中に独立性の保障された機関を設けるなど、外国の例も参考に、政治資金の扱いに関するルール設定、制度設計について、国会において新機軸の議論が活発に行われることが期待される。この問題は、与野党相携えて、国権の最高機関としての見識
を示すことが国民の期待にも沿うものであろう。
第3章 検察・法務省のあり方について
1.問題の所在
西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起という「公権力の行使」に端を発した事案であり、第1章でも触れられたように、その前提とされた被疑事実について法律解釈上の疑問が提示され、また事案の重大性・悪質性の評価や捜査手法を踏まえ、検察による権限行使が法律の規定に照らし適切であったといえるかどうかが問題となる。また本件では、政権交代の可能性のある総選挙を間近に控えたタイミングにおいて、公権力の行使が野党第一党党首の第一秘書に向けられたものであったため、それが有権者の政治的選択に少なからぬ影響を与えたことは否定できない。そのため、民主主義社会における検察の権力行使のあり方、関連して、権力行使にかかる説明責任のあり方について、問題意識が喚起された。
今日、さまざまな場面で説明責任が問われることが多いが、もともと、わが国で「説明責任」という概念が法律上登場したのは、1999年に制定された行政機関情報公開法1条においてのことである。法律上は、説明責任とは、政府がその諸活動を国民に説明する責務のことをいい、国民主権原理に根拠を有するものとされている。それは、主権者たる国民が国政に関する諸問題について意思決定を行うにあたって必要十分な情報を、政府自身が適時・適切に提供する責務を負っているということであり、政府の憲法上の責務と考えられている。したがって、政府の一部局である検察庁・法務省がその責任を負う立場にあることに疑いをはさむ余地がないことを、まず確認しておく。なお、刑罰権の行使にあたっては、検察庁のみならず、刑罰法規の解釈・運用について法務省刑事局が密接に関与していることから、刑罰権の発動を論ずるにあたっては、検察庁と法務省の双方を念頭に置く必要がある。
2.検察の権限について
2-1.検察官の権限
検察官の職務について、検察庁法は、検察官はいかなる犯罪についても「捜査」をすることができるとし(検察庁法6条、刑事訴訟法191条1項)、刑事について、「公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し」、その他「公益の代表者」としてその権限を行使するとされている(検察庁法4条)。
検察官は、多くの一般刑事事件については第1次捜査機関である警察が摘発した事件の送致を受け、必要に応じて捜査を行った上、その処分を決定する立場にある。一方、検察官が独自に摘発する、いわゆる検察独自捜査については、捜査着手の判断、強制捜査の要否の判断、処分の決定、すべてを検察官が行う。この場合には、すべてが検察組織によって行われるため、その権限行使の適否はとくに慎重に判断される必要がある。
検察の権限は「準司法作用」と表現されることが多いが、司法作用そのものは裁判所の権限であり、検察権は司法作用ではないという意味で行政作用に属する。検察庁・法務省がひとつの行政組織として機能することは、検事総長がすべての検察庁職員に対して指揮監督権を認められることを前提に(検察庁法7条1項)、法務大臣が検察庁法4条および6条に規定する事務に関して検察官を一般に指揮監督することができるとともに、個別事件の取り調べ、処分についても検事総長を指揮することができるとされている(14条)点に表れている。いわゆる指揮権発動とは、法務大臣が現実にこの権限を行使して、捜査に直接介入することをいう。
2-2.公訴権の行使(起訴・不起訴)のあり方
わが国では国家が犯罪者を訴追するという「国家訴追主義」がとられており(刑事訴訟法247条)、それは検察官の任務であるが、検察官が起訴するかどうかはその裁量判断に委ねられる。これを「起訴便宜主義」ないし「起訴裁量主義」という(248条)。しかし、検察官の裁量権の行使が常に正しいという保証はないため、不起訴の場合には、検察審査会、公務員犯罪についての付審判請求の制度が用意されている。これに対して、不当な起訴がなされた場合、人権侵害の危険性は不起訴の場合より直截的であるにもかかわらず、わが国では制度的手当てがない。そのため、学説上、この点は一種の法の欠陥であるとして、「公訴権濫用論」が唱えられ、不当な起訴については裁判所が公訴を棄却すべきであるという主張がかねてからなされている。西松事件との関連でいえば、政治資金規正法違反の罪は、殺人罪、窃盗罪のような典型的な自然犯と比べると形式犯的要素の強い行政犯であり、そのため、起訴するか・しないかにかかわる検察官の裁量が濫用される危険性は相対的に高く、しかも濫用された場合の社会的、政治的、経済的影響は甚大である。その意味で、通常の刑事事件との比較でいえば、本件については、公訴権行使が濫用されていないかどうかがとくに厳しく吟味される必要がある。
2-3.法務省と検察庁との関係
法務省と検察庁の関係は政府内部における省庁間の問題であるため、一般にあまり知られていないが、両者は法律上、とりわけ人的関係においてきわめて近接した関係がある。
個別具体的な事件の捜査・起訴などを行うのは検察庁であるが、法務省は「刑事法制に関する企画および立案に関すること」をその所掌事務とし(法務省設置法4条2号)、他省庁が罰則つきの法案を立案する場合には法令協議にかかわり、刑罰法規についてはその所管官庁としての地位にある。そして、法務省は「検察に関すること」(4条7号)もその所掌事務としていることから、検察庁が個別案件につき「裁判所に法の正当な適用を請求」するという業務(検察庁法4条)を行うにあたり、検察官の権限行使が適正に行われるよう、法務省が法令解釈などについて検察庁に対し資料提供、考え方を示すなどの助言を行うことは、その職務に属するとされる。すなわち、一般的な刑罰法規の解釈・運用に関してはもちろん、個別案件を契機とする刑罰法規の解釈・運用についても、検察庁および法務省は法的にみて協働関係にあるということができる。また、周知のとおり、法務省刑事局をはじめ同省幹部の枢要ポストは検察庁から出向した検事で占められているという独特の人事配置がなされていることから、法務省と検察庁はきわめて密接な関係を有しており、両者は実質上一体的な組織であるとみて差し支えない実態がある。
3.検察権の行使と民主主義の関係
3-1.議院内閣制との関係
国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇(はんちゅう)に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内
閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である。
西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。
3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚
裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官
の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。
3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性
本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。
このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことをうたい、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとのそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。
4.検察・法務省の説明責任
4-1.行政刑罰の罰則適用方針に関する説明
以上述べたところから、政治資金規正法違反の罰則適用方針については、事件処理に差し支えのない限度で、検察庁・法務省の双方に説明する責務がある。とくに、法律解釈にあいまいなところがある場合、行為者の予測可能性が確保されるよう、構成要件のみならず、あてはめの部分も含めて明確な法令の解釈基準を示すことは罪刑法定主義の要請するところである。本件では政治資金規正法にいう「虚偽」の概念が定かでなく、とくに従来形式説に依拠しながら突然実質説への「法律の解釈変え」がなされたうえで刑罰権の発動がなされたと見る余地がある。そのような経緯があるとすれば、本来立法府によって行われるべき法律改正を行政当局が事実上行ってしまっていることになり、説明責任を果たすべき要請は一層強まる。
4-2.裁量権行使が妥当であったことの説明
起訴については、検察官は起訴便宜主義のもとで起訴しない選択肢があるなかであえて起訴に踏み切っているわけであるから、なぜ起訴しなければならなかったのか、起訴に値する悪質な事案であったという点について、検察は国民に対して積極的に説明をする必要がある。この点に関する検察官の説明責任は、被告人個人に対する関係では刑事訴訟手続のなかで有罪立証に力を尽くすことで果たされる性質のものであるが、国民の政治的意思決定について甚大な影響を及ぼす行為であったという面からは、国民一般に対して、過去の他の事案との比較、与党議員の事案との違いに言及しながら、西松事件の特殊な悪質性について、なぜそのように考えられるのか、その論理過程について必要な情報とともに踏み込んだ説明がなされる必要がある。
また、起訴に先立つ逮捕に関し、どのような手順で逮捕に及ぶかという手続上の裁量について適正手続の保障(憲法31条)が及ぶことはいうまでもない。任意聴取から逮捕に移行する過程で、手続的な配慮を欠いていなかったかという点についても疑問が呈されており、長期にわたる身柄拘束の当否と合わせて、検察当局の説明が求められる。
4-3.検証可能性を確保すべきこと
刑事訴訟に関する書類については、刑事訴訟法47条において公判開始前にその公開を禁ずる旨の規定があり、本報告書執筆時点で西松事件において起訴された秘書の被疑事実について正確に知る術がなく、不正確な報道に頼るしかないのが現状である。しかし、本件のように国民の政治的意思決定に少なからぬ影響を及ぼす事案では、被疑事実を記載した起訴状などは、その公開につき「公益上の必要」があり、同条が例外的に認める公開すべき場合にあたると考えられる(47条但書)。検察実務において、公判前には一切の公開を認めない現在の運用は刑事訴訟法47条但書を無意味化するもので、再考されるべきである。
また、刑事事件の場合、訴訟が終結した後になっても、情報が適切に公開されない仕組みになっている。刑事事件の訴訟記録は、刑事確定訴訟記録法により、裁判所ではなく検察官が記録を保管することとされ、しかも広範な公開制限がかけられている。そのため、一般国民が、後日、判決文など検証に必要な書類を入手しようとしても、コピーはおろか、閲覧もままならないのが実情である。刑罰権の発動が適切になされたかどうかを証拠に基づいて事後的に検証することが制度上困難となっている。刑事事件特有の問題として、被告人や被害者のプライバシーに配慮することは当然であるが、他方で、不適切な公権力の行使がそのまま闇に葬られてしまうとすれば、民主主義社会にとって重大な脅威となりうることは指摘せざるを得ない。制度の改善が急務である。
実際、当委員会において西松事件が不平等起訴かどうかを調査しようとしたが、検証に必要な過去の訴訟記録に十分に接することができず、類似案件との比較検討に支障があった。このような観点から、制度改善と並んで、過去の案件とのバランスについても、検察庁・法務省には西松事件が不公正・不平等な逮捕、起訴ではないことにつき、積極的な情報開示と具体的な説明が求められる。
第4章 報道のあり方について
本年にかけて、各報道機関の世論調査結果は、政権交代の可能性が高いことを示していたところ、衆院選がこの秋までには実施されるという時期に起きた民主党小沢前代表の公設第1秘書逮捕をめぐって、報道機関は、新聞紙面そしてニュース放送の放送時間を連日大きく割いた。
総選挙の結果次第では民主党の小沢前代表が総理大臣となる可能性があり、そうしたことがマスコミの報道にあふれている中での小沢前代表の秘書逮捕は、状況を一変させるビッグニュースであったが、今回のマスコミ報道では、事件の発展に関し、とくに小沢前代表に捜査が進展するのではといった予測報道が底流にあった。秘書逮捕以降、各報道機関の世論調査に「小沢一郎民主党代表は代表を辞任すべきか」といった質問項目が加えられたように、政治と金の問題とともに、政権交代を掲げる民主党代表の去就に注目が集まった。
以下、本章では、事件をめぐるマスコミ報道について分析を行い、その問題点について指摘する。今回の報道全般を通して指摘できるのは、次の点である。
第1に、検察あるいはその関係者を情報源とする報道が大きく扱われたこと。
第2に、起訴以前、裁判開始以前で逮捕容疑の政治資金規正法違反を超えて、政治と金の問題とりわけ「巨額献金事件」といった決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開されたこと。
第3に、第1章で述べたような捜査、起訴を巡る疑問が指摘されているにもかかわらず、読者・視聴者に公正な視点から権力をチェックする報道が少なく、検察の捜査のあり方についての批判が十分に行われなかったこと。
第4に、検察批判を外部の有識者の執筆原稿やスタジオなどでの討論に依存した姿勢は、多様な言論の表出という点で評価はできるが、本来はそれぞれの取材で明らかにしなければならないにもかかわらず、その努力を怠り、外部識者に委ねてしまったこと。
第5に、地検特捜部の動きは、衆院選が取りざたされる中でのことであっただけに、通常の政治報道・事件報道以上の慎重かつ多面的な報道が求められたが、そうした姿勢が今回の報道機関全体に希薄であったということ。
1.有罪視報道と検察情報によりかかった報道
1-1.起訴報道時のNHKの「速報」の問題点
NHKは、公設秘書の大久保氏が東京地検に起訴された当日の夜、小沢前代表が記者会見を開き、大久保秘書の行為が政治資金規正法違反に当たることを否定した上で、民主党の代表を続投する意向を表明した直後の深夜から翌日の朝までトップニュースで、大久保秘書が違反事実を認めているとの報道を、繰り返し繰り返し行った。この報道には多くの報道機関が追従したが、その報道姿勢には疑問が残る。
このNHKのニュースは「うその記載を認める供述をしていることが関係者への取材でわかりました。・・・大久保秘書は、逮捕後、東京地検特捜部の調べに対し西松建設からの献金とは認識していなかったと不正を否定し、関係者によりますと、最近になって献金は西松建からだと認識していたとうその記載を認める供述をしているということです」という内容であった。
拘置中で接見禁止となっている被疑者は、報道関係者も含め外部の人間とは接触できない。被疑者、被告人の供述内容を知り得るのは、捜査機関側と弁護人だけである。その内容は、守秘義務を負う捜査機関側、および弁護人側にとって、極めて重要な秘密事項であり、報道機関が供述内容についての情報を得たとすれば、そこには何らかの守秘義務違反の犯罪がかかわっていることになる。一体何を根拠に、「大久保秘書が虚偽記載を認めている」との報道を行ったのか、重大な疑問がある。
この報道が行われた後、各新聞、テレビで世論調査が行われ、「小沢代表の説明に納得できるか」「小沢代表は続投すべきか」という質問に対する回答結果が、翌週の初めに次々と公表された。NHK の報道と、それに追従した他のメディアの報道によって、多くの人が、起訴された秘書が違反を否定しているのに、なおも違反を否定し続けている小沢前代表の「苦しい言い逃れ」の印象を受けて、「小沢代表の説明には納得できない」という回答に誘導されたと考えられる。
当委員会は、NHKに対して書面で質問を行い、放送内容には真実性に問題がある上、放送の前提としての「うその記載」の意味が不明確であるとの問題の指摘を行った。これに対して、NHKは書面で回答したが、「うその記載」について、「放送した公訴事実の要旨『実際には西松建設から受けたのにOBの政治団体からの寄付だと記載した』とされる点と認識しています」と述べるにとどまっている。大久保秘書の容疑事実における「虚偽」の意味については、逮捕当初から、現行法は、政治資金収支報告書に寄付の資金の拠出者の記載を求めてはおらず、単に西松建設が資金の拠出者だと知っていながら政治団体と記載したということだけでは虚偽記入にはならないとの指摘があり、この点が、本件の犯罪の成否に関する重要なポイントであることはNHK側も認識できたはずである。NHKによる「大久保秘書が献金は西松建設からだと認識していたと、うその記載を認めた」との報道は、この「虚偽」の意味をあいまいにしたまま、西松建設が資金の拠出者であることを知っていたことを認めたことで「うその記載」を認めたという印象を視聴者に与え、関係者の情報をもとに同秘書を裁判開始以前の段階で有罪視するものであった。しかも、小沢前代表の会見のニュースに合わせて、この報道を深夜から朝まで繰り返した。総選挙が半年以内に実施されることが予定されている中で、有権者の投票行動に決定的な「判断材料」となりうる報道については、より多面的かつ公正公平な取材報道が求められる。このNHKの報道姿勢には重大な疑問が残る。
さらに、多くの新聞、テレビが、このNHK の報道に追従し、「容疑を大筋で認めた」などと報じる中、毎日新聞など一部の新聞は、大久保容疑者は一貫して容疑を「否認」していると報じた。朝日新聞は、追従する報道は行ったものの、のちに弁護人側が、大久保秘書がうその記載を認めたとの報道に関して、これを否定するコメントを行った際、その全文を紙面に掲載している。ところが、NHKニュースでは、弁護人のコメントをまったく報じていない。検察情報に一方的に依拠し、弁護側からの取材を行わないで報道したばかりか、弁護人がコメントを行ってもまったく報じていない。
こうした事件の推移および読者・視聴者の判断に大きな影響を与える情報については、当然ながら慎重な報道が求められる。この報道に情報源があるとすれば、検察関係者に限定されるだろうが、その一方当事者側の情報を、反対当事者に取材することもなく報じただけでなく、それに対する反論が出されても報じないというのは、報道の公平性を著しく欠くものである。公共放送の報道姿勢として重大な問題があり、まさに、メディアのコンプライアンスが厳しく問われる事例だといえよう。
大久保秘書は保釈保証金1500万円を納め、5月26日夕刻、逮捕から約2カ月半ぶりに東京拘置所を出た。保釈後、弁護人を通じて発表したコメントは次のとおりである。
「現在、私は、政治資金規正法違反被告事件で起訴され、公判を控えておりますので、事件の中身について発言を控えるべき立場にあることを皆様にご理解いただきたいと思います。
ただし、問題とされている政治資金に関しては、私は政治資金規正法の定めに従って適切に処理し、かつ、そのとおり政治資金収支報告書に正しく記載したものであり、法を犯す意図など毛頭なく、やましいことをした覚えはありません。この点は、裁判の中できちんと争うべきことで、自分の主張は法廷で明らかにしてまいりたいと思います」
収支報告書に「正しく記載」したことを主張する大久保秘書のコメントと、起訴時点でのNHKなどの「うその記載を認めた」報道との差異はあまりに大きい。
1-2.政治資金規正法を読み違えた産経報道
3月8日付産経新聞に記載された「小沢氏 監督責任も 起訴なら失職の可能性 政治資金規正法」との記事は、政治資金規正法の誤った解釈による誤報であり、この記事を読む読者に大きな誤解を与えたといえる。
政治資金規正法25条2項は「政治団体の代表責任者が当該政治団体の会計責任者の選任および監督について相当の注意を怠ったとき」に罰金刑に処すると定めているが、この「および」は選任についての相当の注意と監督についての相当の注意の両方を怠ったことを要件とする趣旨であり、「監督」についての相当の注意を怠っただけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや公民権停止で失職する可能性もないことは明らかである。上記産経新聞の記事は、大久保氏が東京地検に逮捕された後、同地検が小沢前代表を聴取するなどと報じられる中で、小沢前代表の刑事責任追及の可能性と、それによる議員失職の可能性について国民に重大な誤解を与えるだけでなく、公職を辞職することで起訴猶予処分となって議員辞職を免れる余地があると示唆することで、小沢前代表自身の進退の判断にも重大な影響を与えかねないものである。
このように「監督責任」を見出しに掲げ、「監督責任ミスが認定され、起訴された場合には、小沢氏は最終的に衆院議員を失職する可能性も出てくる」と述べた上で、故土屋義彦埼玉県知事が同様の事件で会計責任者に対する監督責任を認め、知事を辞職したことで、反省の情を認められて起訴猶予処分になったことにまで言及した同記事は、読者あるいは有権者に対し誤った政治判断を与えるだけなく、故土屋知事の事例を引き合いに出して、小沢前代表の進退にも影響を及ぼそうとする意図もうかがわれるものであり、NHKの報道と同様に、本件の一連の中で際立って問題を含む記事であった。また、この記事には「捜査関係者」といった語句が頻繁に登場しているが、その記述の通りであるとすれば、検察が報道機関をあたかも「広報機関」のように利用して、世論の誘導や小沢前代表の進退や捜査への対応に影響を及ぼそうとした疑いもある。上記のように、法律上は会計責任者に対する監督ミスだけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや議員失職はあり得ないのであり、まったくの誤報である。産経新聞は徹底した報道検証が必要であると考えられるが、当委員会から書面で質問を行ったにもかかわらず、産経新聞からは本報告書執筆時点で、いまだ回答はない。
1-3.「捜査は自民関係者に波及しない」 内閣官房副長官の問題発言
さらに、3月6日の朝刊各紙は、政府高官による「自民関係者、立件はない」「捜査は自民党議員に波及しない」とのオフレコ発言を伝えた。「(この)発言が大きな問題になってもメディアが率先するのではなく、結局、河村建夫官房長官の明示を待って実名に踏み切ったのは情けない。体のいい情報操作の手段に使われないよう、必要な場合は実名にするとともに、オフレコ懇談自体の是非も議論すべき時ではないか」(田島泰彦・上智大学教授)との指摘に、この国の報道機関は耳を傾けなければならない。このような政府中枢にいる人物のオフレコ発言といえども、報道機関自身がその真意を徹底して追求する姿勢が求められている。政府高官の実名を自らが明かすのではなく、官房長官の記者会見での表明を待つ姿勢は、今回の事件全体を覆う、報道機関の消極的姿勢を象徴するものであったといえよう。
1-4.検察の説明責任追及報道
大久保秘書起訴時点で、毎日新聞は、小川一社会部長(当時)が「検察は説明責任を果たせ」との解説記事を3月25日付朝刊に掲載したことは評価しなければならない。しかしながら、報道による世論調査では、たとえば、5月11日の読売新聞朝刊1面で伝えられた内閣支持上昇29%、小沢氏続投「納得せず」7割といった調査結果に見られるように、小沢前代表側の「説明責任」と進退にマスコミ報道の中心が置かれ、検察の説明責任を求める声は、新聞報道では有識者の発言で見受けられたものの、新聞社自身の意見の表明としては少なかった。
公設秘書逮捕につき、聴取開始直後に逮捕するという捜査手法が適切であったかについての言及も少なかった。また検察当局が刑事訴訟法を盾に説明責任を果たそうとはしないように、小沢前代表の側も訴訟当事者関係者として説明しうる範囲は限定されるだけに、報道機関によるこの問題の徹底検証が必要不可欠であった。
1-5.「代表辞任すべき」報道
逮捕時から始まり、起訴直後から繰り返された執拗(しつよう)な代表辞任報道は一方的に政治状況を作り出し、民主党および代表を政治的に追い詰め、国民の判断をゆがめた可能性があり、大きな問題がある。また、各報道機関は、その世論調査の質問項目に「小沢代表は代表を辞任すべきかどうか」を設定し、過半数を大きく超える「辞任すべき」との調査結果を大きく報じた。しかし、どのような政治的責任があっての辞任であるのか、説明責任を果たさないから辞任すべきであるのか、極めてあいまいなままの質問であったと言わざるを得ない。政治倫理を問い続けること並びに政治と金の問題を追及することは報道機関の社会的責任の一つであるとしても、公設秘書の逮捕即辞任といった質問はあまりに短絡的であったし、辞任世論をあおったともいえよう。
2.秘書逮捕報道、起訴報道に見られる個別問題
2-1.過大・歪曲報道
今回の事件は政治資金規正法違反容疑で立件されただけで、本報告書作成時点では、贈収賄や入札妨害などの罪は立件されていない。しかしながら、どのような根拠に基づいたのかは定かではないが、西松建設の東北地方における公共工事受注と今回問題とされている政治献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた。つまり、政治資金規正法違反にとどまらず贈収賄などの刑事事件に発展することをあたかも前提としたような事態が、新聞やテレビなどの報道で続いたのである。
2-2.検察の情報秘匿姿勢と報道側の沈黙
大久保秘書起訴(3月24日)当日、東京地検谷川次席検事・佐久間特捜部長による司法記者クラブ記者への説明および質疑応答の際、記者クラブは加盟社以外の者の参加を認めたにもかかわらず、検察側が加盟社以外の参加を認めず、結果的に加盟社以外のジャーナリストが排除されたまま検察側の説明がなされたとの指摘がある。この点に関しては、資料編に付したように当事者からの証言を得た。また、テレビ撮影や説明・質疑内容の記録公開も許可されず、極めて閉鎖的な場での説明であった。ところが、新聞、テレビなどでは、このような検察の姿勢を批判することもなく、この加盟社以外のジャーナリストを排除した事実さえまったく報道されていない。今回の政治資金規正法違反に関する検察捜査には多くの疑問があり、検察の説明責任が問われているにもかかわらず、小沢前代表秘書の起訴という重大な節目の時点で、検察がどのような説明の姿勢を示したかについて、重要な事実をまったく報道しようとしないマスコミの姿勢は問題だと言わざるを得ない。
2-3.「捜査関係者」情報源明記報道
さらに、今回の事件報道で特徴的な情報源にかかわる表記があったことを記しておきたい。逮捕以後の3月中の新聞各紙(朝日・読売・毎日・日経・産経・東京)に掲載された関連記事に捜査関係者という表記がしばしば見られる。
産経新聞には、情報源として「捜査関係者」の登場頻度が各紙に比べ非常に高い。同様に日本経済新聞も捜査関係者は多く登場しているが、「関係者」は1回のみで、産経の0回と並んで、その他の4紙にはない報道姿勢といえよう。これは「関係者」表示に比べ、正確な情報源表示ともみられるが、逆に、表示の通りであるとすれば、捜査機関側の一方的な情報に依拠した偏った報道であると言わなければならない。さらに、公正な報道という観点から言えば、他方当事者である被疑者側からの情報も提供するべきであった。いずれにせよ、こうした情報源を明記する報道の場合には、より慎重な取材報道が求められることは言うまでもない。
さらに付け加えるならば、裁判員制度開始に伴い、情報源の明示を報道機関各社は模索している。このような「関係者」はもちろん「捜査関係者」といった表記ですら、情報源明示とはいえない。本来ならば、その関係者の氏名を載せるべきである。しかし、掲載すれば情報の信用性は高まるものの、公務員による情報漏洩(ろうえい)の問題が浮かび上がるのである。
2-4.当委員会をめぐる報道
当委員会について、以下にあるような正確性を欠いた記事も少なくはなかったことを記しておく。
■5月4日付 産経新聞 「小沢氏進退論」大合唱 思惑外れた民主党の有識者会議
当委員会を「有識者会議」と記し、その論議が「事件の法解釈上の問題点などを検討するという鳩山由紀夫幹事長らの思惑を外れ『小沢氏の進退論』に集中、党幹部を慌てさせている。説明責任のための会議が小沢氏に『引導』渡すことにもなりかねない」と報じている。
この記事には執筆した記者名が記されている。その記者がこの間の当委員会の記者会見などに出席していたならば、この記事内容とはならなかったはずである。
また、地方紙に掲載された以下の記事も同様であった。
■5月1日の地方紙朝刊に次のような見出しが付けられた記事が並んだ。
東奥日報 代表続投をめぐる民主有識者会議 “みそぎ”のはずが… 想定外の辞任勧告? 出席者 次々厳しい声
信濃毎日新聞 西松の巨額献金事件 民主の有識者会議 相次ぐ小沢辞任論 みそぎのはずが思わぬ展開
沖縄タイムス 最前線/みそぎにはずが辞任勧告? 民主有識者会議
各紙に掲載された記事は通信社の配信記事であるが、当委員会が招いたジェラルド・カーティス氏や堀田力氏そして岩井奉信氏が「政権交代を目指すなら辞任すべき」と述べていることを伝えている。これは当委員会の見解ではなく、招いたゲストの、しかも、当委員会の質問とは関係ない発言の一部であるにもかかわらず、小沢代表(当時)の進退について委員会が議論しているかのような不正確な報道がなされた。
3.報道各社に求められる事件の報道検証
3-1.報道機関の蓄積データと今回の事件の対比を
これまで、各報道機関は数多くの政治資金規正法違反をめぐる事件を報道してきた実績がある。その膨大な報道資料さらには取材で得たデータをもとに、今回のような検察の捜査着手時期、さらには容疑内容と逮捕事実、また起訴内容と逮捕事実や身柄拘束の是非などについて、各紙が解説記事で触れている。しかし、全体としては、今回の事例の特殊性を際立たせる報道になっているとは言い難い。
報道機関に求められる公権力の動向を監視するという古典的機能に立ち返り、この3月以来の民主党を巡る政治報道の内容をそれぞれ検証し、読者・視聴者にその調査結果を示すことが報道機関として最低限必要なことだと考える。
同時に、現行の政治資金規正法の問題点や当局の捜査手法についての批判的見解を、外部の識者談話や識者執筆の原稿などにゆだねることなく、個々の報道機関が公開された政治資金収支報告書の分析検討などの調査を行うほか、独自取材を通して、事実の解明に寄与することが求められる。その上で、調査・取材結果を市民に伝える責務を果たすべきである。
4.本件に関する報道のゆがみの原因
この事件を巡る報道には検察側からとみられる情報に依存したものが少なくなかったといえよう。重大な政治的影響を生じさせる事件の報道にあって、とくに総選挙が近く実施されることが予測される状況での検察側の異例の捜査であるだけに、この間の報道は多くの問題点を残した。その背景に、記者クラブに象徴される当局と報道機関との不透明な関係があるとみられる。同時に、政治家と報道機関との適切な距離感が保たれていないという問題もある。
本章で指摘したNHK、産経新聞の事例に見られるような、国民に誤解を与えるゆがんだ報道によって、社会的、政治的、経済的に重大な影響を及ぼすことのないように、組織内部においてコンプライアンス体制の整備に取り組むほか、報道界はジャーナリズムの原点に立ち返り、報道を巡る構造的な欠陥の解消に向けて積極的な取り組みを行うべきである。
第5章 政党の危機管理の観点からの分析
野党第一党の地位にある政党が、政権選択をめざす総選挙を目前に控えた時期に、党首の資金管理団体に関する政治資金規正法違反の容疑で党首の公設秘書が検察に逮捕されるという事態に直面したとき、その政党はどのような対応をとるべきなのか、そして、その党首自身は、どういう態度で臨むべきなのか。
本章では危機管理の観点から、そのような立場に立たされた政党と党首がどのように対応すべきかを検討し、今回の事件で、まさにその立場に立たされた民主党と小沢前代表が実際にとった対応を検証した上、民主党が今回の問題を教訓として取り組んでいくべき課題を提示する。
1.政党としてどのような基本方針で臨むべきか
政党は国民に支持され、選挙で議席を獲得して政権を担当し、政策を実現することを目的としている。その目的実現のために、まず有権者の支持を得て議席を獲得し、国会内での多数勢力を獲得すること、野党においては選挙に勝利して政権を獲得することが必要であることは言うまでもない。
一般論としては、かかる意味で、党首の政治資金問題が検察の強制捜査の対象とされるという事態に直面した政党は、まず、疑惑を厳粛に受け止め、党首に対して厳正に対処する姿勢を見せることで、党首の問題が党自体への国民の支持の低下につながることを最小限に食い止めることが必要である。
しかし、一方で、民主的正当性を持たない検察の不当・違法な捜査権限の行使による政治介入が行われ得ること、それが、とりわけ時の政府に都合の良い形で行使される傾向があることは、第3章の3-1.で述べたとおりであり、そのような権限行使が行われたた疑いがあるのであれば、民主主義を担う政党として、憲法および法令によって認められた手段を駆使して、検察の不当な政治介入に対して毅然たる姿勢を示すことも重要である。
民主党にとって今回の事件は、検察によって党首自身の政治資金に関する疑惑が指摘された一つの不祥事であると同時に、総選挙を半年以内に控えた時期に検察の捜査権限の行使が行われたことによって国民の政権選択に重大な影響が生じたという一つの政治問題の側面をも有している。小沢前代表自身が疑惑に対して十分な説明責任を果たし、国民の不信を払拭するため最大限の努力をすることが必要である一方、検察の捜査の適正さ、検察の捜査権限の行使のあり方に疑念があるのであれば、それがいかなる根拠によって行われ、その容疑事実や捜査手法にいかなる問題があるのかについて、可能な限り情報を収集し、問題の所在を明らかにすることで、国民に対して検察の不当な政治介入の疑いについて問題の指摘を行う必要がある。
民主党にとって、小沢前代表に向けられた政治資金の疑惑に対して真摯に厳正に対処することと、検察捜査の政治介入の疑いに対して毅然たる姿勢をとることとの間には微妙な関係がある。検察捜査の問題を指摘することが、党首に向けられた政治資金の疑惑に対して政党として負うべき責任を回避しようとするものと受け取られてはならないし、検察捜査への批判が司法の権威を損なう態度として反発を招かないように配慮しなければならない。また、議会内で相当の勢力を有し、政権獲得をめざす政党が、政府・与党側の政治的意図による捜査の疑いを指摘することで、逆に、政権獲得後に政治的意図によって検察の捜査に介入することができると認識しているような誤解を招くことも避けなければならない。
一方で、検察の捜査に関して疑念がある場合に、その問題に目を背け、検察の捜査を漫然と見守りながら事態の沈静化を図るだけでは、政党としての責任を果たしたとは言えない。政党としては、党首の疑惑に対して政党としての厳正かつ真摯な対応をとることと、検察捜査による不当な政治介入の疑いに対して適切な問題の指摘を行うことの両方が求められるのであり、そのために何より重要なことは、事態を客観的にとらえること、すなわち、事実関係を可能な限り正確に把握し、検察捜査に関する問題を的確に分析・検討した上で、政党としての対応を行うことである。
2.体制の構築
政党として事態を客観的に把握して適切な対応を行い、国民からの信頼を確保できるようにするためには、どのような体制の構築が必要か。組織にとっての危機的事態が発生した場合、まず事実関係を把握し、その問題が自らの組織にとって、どのように位置づけられる問題なのかを明らかにし、基本方針を策定する必要がある。
政党の最終的な意思決定を行う立場にある党首に対して疑惑が指摘された今回のような事件については、ともすれば、事件の当事者的立場にある党首自身の対応と政党としての対応が一体化してしまいがちであり、それが、政党自体が当事者として対応しているかのような誤解を与えかねない。それは、政党としての対応の客観性を担保する上で最大の支障になるものといえる。
それを防ぐための最も直接的な解決方法は、党首がただちに自発的に辞任することである。しかし、党首が一方で疑惑を全面否定しながら辞任することは、疑惑を覆い隠したまま表面的に問題の沈静化を図ろうとする姿勢と受け取られ、かえって政党への不信を招くことになりかねない。また、今回の政治資金問題のように検察捜査にも多くの疑問・疑念がある場合、そのような問題から目を背けたまま、党首辞任で検察捜査に屈服したかの印象を与えるのは好ましくない。
この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。
こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。
この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。
3.政党および党首として行うべきこと
3-1.政党としての対応
上記のような体制を構築し、政党としての立場と当事者たる党首の立場を分離した上で政党として行うべきことは、まず、検察捜査の対象とされた事実について情報を収集し、必要な調査を行った上、党首からも説明を求めるなどして、政党として事実関係と問題点の把握を行うことである。
この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。
こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。
この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。
3-2.当事者たる党首としての対応
自らの政治資金の問題で公設秘書の会計責任者が逮捕された本件のような場合、党首の立場とは別個に政治家個人として対応することが必要となるが、この場合、野党第一党の党首という重要な地位にある政治家としての立場と、刑事事件の当事者的立場の両方に配慮した適切な対応をとることが求められる。
通常は、刑事事件の当事者的立場にある者にとって、捜査中の事件についてのコメントには、刑事事件への影響を避けるという面からの制約がある。しかし、その一方で、政党の党首の地位にある政治家自らの政治資金が捜査の対象とされた場合、その容疑を真っ向から否定するのであれば、容疑を否定する対外的コメントを国民にわかりやすい形で行うことが不可欠であろう。ただ、ここで行うコメントが、マスコミに不正確に伝えられると、捜査で指摘された疑惑に対する姿勢に関して誤解を招くことにもなりかねない。また、党首ではなく政治家個人の立場での対応とはいえ、党首という立場を維持している以上、政権交代が実現した場合には行政の長たる内閣総理大臣の地位に就くこともあり得るのであるから、上記3-1.で党としての対応に関して述べたのと同様に、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう留意する必要がある。
このように、政治家としての対応については、微妙で困難な問題があるため、弁護士のサポートを受けるなどして、会見の設定、プレスリリース対応などを適切に行うことができるよう、個人事務所を中心とする十分な体制を構築する必要がある。
そして、重要なことは、刑事事件の当事者的立場にある者にとっては、検察捜査に対して反論・批判を行うのであれば、刑事手続の中で行うのが本筋だということである。公設秘書が起訴されたのであれば、少しでも早く公判手続が開始され、その場で、検察に対する反論を行い不当な捜査・起訴であることを明らかにできるよう、最善を尽くすべきであろう。
4.本件に関して民主党および小沢前代表がとった対応に関する問題
4-1.党首としての立場と政治家個人の立場との一体化
鳩山幹事長(当時)からの回答書によると、「問題が代表個人の政治資金問題であることから、まず小沢代表が事実関係を把握し、できるだけ速やかに説明するべきことを要請し、翌日の朝一番に臨時役員会を緊急開催するとともに、その直後に代表が記者会見を開いて説明を行いました」とのことであるが、党首自身の政治資金問題で公設秘書が逮捕されるという、党首の辞任にも結びつきかねない、党にとって重大かつ深刻な事態の発生を受けて、民主党がまず行わなければならないことは、事件について当事者的立場に立たされた小沢前代表と、目前に迫った総選挙で政権をめざす野党第一党の民主党という組織とを切り離すことであった。小沢前代表が疑惑を全面否定し、辞任の意志はないことが確かめられたのであれば、政治家個人としての小沢前代表の対応は本人にゆだね、それとは別個に、小沢前代表が意志決定にかかわらない形で民主党としての対応を行うための体制を構築することであった。
表面化した党首の政治資金問題に関して、民主党独自に意思決定を行い、自立した対応がとれるような体制を整備する方法として、小沢前代表が、事件についての対応を行う期間内、代表の職務を停止し、代表の臨時代理を選任する方法と、党の一般的な体制を維持したまま、小沢前代表の政治資金問題について党内で独立して事実調査などの対応を行う特別の組織を立ち上げる方法とが考えられることは前に述べたとおりである。ところが、実際の民主党がとった対応では、小沢前代表が党首として党の活動全般にわたって最終的意思決定を行う体制を維持したまま、小沢前代表の説明を前提に党の事件への対応方針を決定した。その後も、政治家個人としての小沢前代表の立場と政党としての民主党との切り離しが図られないまま、国民に対する説明などの対外的対応が行われていった。
また、小沢前代表が民主党本部での代表定例会見という形で事件に関する発言を行ったり、代表代行、幹事長などが記者会見で五月雨的に事件についてのコメントや検察リークを批判するコメントを行ったりしたため、小沢前代表と民主党と渾然一体となって検察捜査に反発し対決しているように受け取られ、マスコミから批判を受けることにつながった。
しかも、検察捜査の対象となった事件の内容や性格、問題点についても、その背景となっている小沢前代表の政治資金問題全般についても、党として客観的に事実を把握することができなかったために、民主党内部でさまざまな見方・見解の対立を招き、前提事実があいまいなまま小沢前代表の進退をめぐる議論が行われるなど、混乱を極めることとなった。
一方で、小沢前代表の側も、政治家個人としての、個人事務所を中心に事件対応のための特別の体制を構築すべきであるのに、それが行われないまま、民主党の組織に寄りかかる形での事件への対応が行われた。
3月4日などの小沢前代表の記者会見は、政治家個人の資金管理団体の政治資金の問題なのであるから、党首という立場ではなく、政治家個人の立場で行うべきものであり、政治家個人の立場と党首の立場とを区別するために、個人事務所などを会見場所に設定して行うべきであった。
ところが、実際には、会見は党本部で行われ、マスコミへの連絡、会場の準備など会見の設営についても、定例記者会見と同様、民主党の役員室が行った。そのため、小沢前代表個人としての発言なのか、民主党の党首としての発言なのかが判然としないまま、事件に対する検察との対決姿勢だけが強調されるという結果を招いた。
民主党においては、当事者的立場にある小沢前代表が意思決定にかかわらない形で、小沢前代表の政治資金問題に対する党としての対応を決定するための体制を構築すること、小沢前代表においては、個人事務所を中心とするサポート体制を作ることが不可欠であったといえよう。
4-2.小沢前代表の説明について
ア 検察の捜査・処分に対する批判
小沢前代表は、3月4日の記者会見で「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と述べて検察捜査を強く批判したが、その後の記者会見では、検察捜査を直接的に批判することはせず、3月17日の会見では、「献金を受けていたことは事実ですし、そして政治資金規正法の趣旨にのっとって、その通り報告をしてきたところです。いろいろと今、捜査を致しているところと推測していますが、検察当局の公正な結論が出ることを期待しています」と述べて、検察の公正な判断を期待するという穏当な言い方を行っている。
そして、秘書が起訴された3月24日の夜の会見では、「献金を受けた事実はそのまま報告していますし、献金をいただいた相手方をそのまま記載するのが政治資金規正法の趣旨であると理解していまして、その認識の差が今日の起訴という事実になったことと思います。過去の例を見ても、この種の問題につきまして、逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にありません。そういう意味で、政治資金規正法の趣旨から言っても、またそういう点から言っても、私としては、合点がいかない、納得がいかないというのが、今日の心境です。特に総選挙、まさに秒読みの段階に控えている今日であり、私の責任の重大さを感じると同時に、そういった形での結果については、自分としては納得できないという思いです」と述べて、政治資金の処理に関する見解の相違が起訴の原因という見方を示すとともに、婉曲的ながら、過去に例がない検察の強制捜査・起訴に対する批判的な発言をしている。
第1章で述べたように、本件の検察の捜査・起訴には、多くの疑問があり、しかも、検察は、それらの疑問に対して説明責任を果たしていないことからすると、そのような検察捜査で政治的に大きな打撃を受けたと考えている当事者の小沢前代表が、検察に対して批判的な見解を述べるのはある程度は当然であり、会見などの経過を全体としてみると、検察批判発言が行き過ぎているとは思われない。しかし、突然の秘書の逮捕で若干感情的になっていたと思われる3月4日の会見での強い表現の検察批判が、その後マスコミで繰り返し取り上げられ、対決姿勢が強調されたことが、あたかも民主党が党として検察批判を行っているように受け取られ、その後の世論形成において結果として不利に作用したことは否めない。政治家個人としてのマスコミ対応のサポート体制が十分ではなかったことの問題が表れたとみることもできよう。
イ 政治資金規正法違反の容疑事実に関する説明
3月4日の小沢前代表の記者会見における、西松建設の関連政治団体から陸山会への政治献金の違法性に関する発言の中で、その後、マスコミ側から「苦しい言い逃れ」のように扱われ、批判的世論形成の原因となったのが、(1)「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、そういう企業献金という認識に立っていたとすれば、政党支部で受領すれば何の問題
も起きなかったわけでありまして、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識の下にあったから、政治資金管理団体で受領したということであったと報告を受けております」と、(2)「献金していただくみなさんに、そのお金の出所や、いろいろな意味においてそういうことをお聞きするということは、厚意に対して失礼なことでもありますし、通常、これは政治献金の場合だけではなく、そのような詮索(せんさく)をすることはないだろうと思っています。」の二つであった。
(2)の「詮索することはない」という言葉が、「資金の出所が西松建設であることを知る立場にない」という意味で受け取られ、(1)の「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば」という言葉が、「資金の出資者が西松建設だと認識できたとすれば政党支部で受領すればよかった」という意味で受け取られたことが、小沢前代表が、資金の出所が西松建設だと認識する可能性すらなかったと主張しているように扱われ、「自分の会社に何かメリットがなければ政治献金をする意味がないのだから、西松建設が出資者だということは当然、小沢側が認識していたはずだ」という理由で、小沢発言は、不自然・不合理な弁解だとされ、「説明責任を果たしていない。納得できない」との批判につながった。
しかし、当委員会でのヒアリングに対して、小沢前代表は、「政治資金規正法では、寄付をしてくださった個人や団体を収支報告書に記載すれば十分であり、資金の出資者を記載することは義務付けられていない」という前提で「政治団体から受領した以上、政治資金規正法にのっとって、政治団体からの寄付として収支報告書に記載すべきと考えたからこそ、そのように記載したということです」と答えている。
また、「詮索することはない」という言葉の意味についても、ヒアリングでは、「寄付を頂く政治団体に対して、寄付の資金をどのようにして捻出(ねんしゅつ)されたのかということまでお尋ねするのは、誠に失礼なことですので、そこまで詮索するようなことはやっていないはずだと申し上げた」と説明した。
その前提として、小沢前代表は「寄付を頂く際に、どこから資金が出ているかを一つひとつ確かめてみろということは、少なくとも、今の政治資金規正法では求められていない」ということも述べている。
しかし、3月4日の記者会見の際の発言は、記者の側には、そのような意味には受け取らなかった。政治献金の資金が西松建設から出ているとの認識の有無が犯罪の成否のポイントだとの前提に基づいて、小沢前代表の発言は、その認識を無理に否定しようとする発言だと受け取られてしまった。
第1章で述べたとおり、政治資金規正法上、収支報告書に記載が義務づけられているのは政治資金の出資者ではなく、寄付の外形的行為者と理解するという見解にたった上で犯罪の成否を議論するよう、記者への丁寧な説明を行う必要があった。この点も、個人事務所を中心とするサポート体制が整備されていたら、より適切な対応ができたのではないかと考えられる。
ウ その他の事項についての説明
今回の政治資金問題に関連して、小沢前代表に対して、事件そのものについての説明以外に、ゼネコンから長年にわたって多額の政治献金を受けていたのであるから、その政治資金の使途についての説明を求める声がある。
この点について、ヒアリングで質問したところ、小沢前代表は、「私は、政治資金規正法が定めるルールにのっとって、頂いた政治献金をすべて収入として収支報告書に記載し、その使い道についてもすべて収支報告書で公開しています。また、陸山会の事務所費については、当時の法律では義務付けられていないのに、事務所費の明細とすべての領収証を公開しました」「今回も同じようなことをすればいいではないか、といわれるかもしれませんが、事務所に強制捜査が入ったときに会計関係の書類をほとんど持っていかれてしまったので、説明する術がありません」と答えた。
政治資金収支報告書に記載されている支出の内訳の程度では、政治資金の使途の説明として十分とは言い難いというのが一般的な感覚であろう。ただ、検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、それ以上の詳細の開示ができないということであれば、現時点では、収支報告書上の支出の内訳以上の開示は困難である。結局のところ、今後の刑事手続の推移の中で、押収物の還付が受けられた時点で、改めて検討することになろう。
今回、小沢前代表に説明責任を問う契機となった政治資金規正法違反の刑事事件が、一方で、皮肉にも、小沢前代表の政治資金についての開示を阻む要因になっているという見方もできよう。今後、刑事手続が進展し、公判において事件の内容が明らかにされる中で、背景事実として小沢前代表の政治資金の問題も立証の対象となり得るのであるから、小沢前代表の側でも、公判での立証の状況に対応し、また、第1章で述べた検察の捜査・処分に対する疑念が解消されるかどうかも見極めながら政治資金問題についての説明を行っていくべきであろう。
5.まとめ
これまで述べてきたように、今回の事件に対する民主党および小沢前代表の対応は、政党の危機管理対応という観点からは問題がある。発端となった検察捜査自体に第1章で述べたような多くの疑念があり、また、それに関するマスコミ報道にも第4章で述べたような問題があることは確かであるが、政党としての危機管理に失敗した結果、政党支持率の低下、小沢代表(当時)の辞任を求める世論の高まりを受けて総選挙を目前に控えた時期の代表辞任という事態に至ったことは厳然たる事実であり、それは、多くの国民の支持を受け、その期待を担う政党にとって反省すべき事柄である。民主党にとっては、その危機管理の失敗を、今後、危機管理対応のみならず党運営全般に活用していくことこそが、今回の事件を乗り越えて国民の信頼を回復するための最良の手段である。
危機管理の失敗の最大の原因は、今回の事件に関して、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したことである。そのため、検察の捜査・起訴に関する問題やマスコミ報道の問題などがあっても、それらの問題を客観的な観点から的確に指摘することができず、事態の一層の悪化につながった。
問題は、なぜ、当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのか、ということである。危機管理の失敗の根本原因は、多くの場合、組織の日常の中にある。民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性を持ったリーダーの指導力と、党としての判断や対応を客観化するシステムとの調和という面で問題がなかったのか、という観点から、今回の事件における危機管理の失敗の原因を検証してみることが必要であろう。
第6章 政治的観点から見た民主党の対応
本章の目的は、民主党の求めに応じて、「小沢前代表および民主党の対応、説明責任について検討する」ことである。今回の政治資金規正法違反事件に関連して、小沢前代表や民主
党の「説明責任」を問う声は根強いが、具体的にどういう説明を求めているのかについて、さまざまな論点が錯綜(さくそう)し、小沢前代表や民主党が対応に苦慮したようにも見られる。そもそも、当委員会の設置自体、そうした戸惑いの現れとも見ることができる。そこで、本章では、広く国民の支持を獲得しようとする政党がとるべき政治戦略の観点から、小沢前代表および民
主党の対応を検討し、党内運営のあり方についての方策を示す。
政党や政治家は広く国民の支持を獲得することを目的とする存在であり、問題がなければ、関心を持たれなくてもよい、というわけにはいかない。その意味で、政党や政治家は、積極的に自己の立場をアピールし続けなければならないのである。不利な状況においても、単に疑惑を解消するだけではなく、説明を通して、国民のなかに共感を広げるという積極的な姿勢が欠かせない。その点で、あまりに防衛的になるばかりでは、事態を有利に打開することにはならないことに注意が必要である。
1. 対応の前提
1-1.当事者的立場にある政治家と政党の区別
すでに、第5章で見たように、今回、小沢前代表の問題と民主党の問題が、渾然一体としてイメージされたことは反省すべき点である。
今回の政治資金規正法違反事件は、あくまで小沢前代表の個人事務所をめぐる問題であって、論理的に考えれば、民主党全体の問題ではない。しかし代表職にあって、政党を率いる立場にある政治家の問題である以上、一般の印象として、民主党そのものに問題があるとみられてしまう危険性がある。それを防ぐには、両者の区別を積極的に訴えていくことが何よりも必要であった。
また、事件によって代表の進退が取りざたされるとき、まず、強調されないといけないのは、当事者的立場にある政治家と政党との区別であり、それを前提に議論を進めないと、代表辞任論に抵抗することは難しいし、万一、代表辞任という事態に立ち至った場合には、政党に対するダメージは大きくなる。その意味で、この両者を区別していくことは必須であった。
1-2.今回の事件の特殊性
今回、小沢前代表の進退が大きな問題になった背景には、一般の刑事案件において、疑惑が生じ、捜査が行われた場合には、事柄の成否が明らかになる前でも、とりあえず疑惑を抱かれたことをもって、いったん身を引く事例が過去に多かったことがある。
しかしながら、本件についてみれば、政治資金規正法の解釈をめぐって、検察側と小沢前代表側との間に見解の相違が見られ、それが事件の本質的な問題となっているため、贈収賄などの刑法犯の場合とは、大きく事情を異にする。
ただ、そのことは、法律問題に必ずしも精通していない、一般の国民などには理解しにくいため、丁寧な説明によって、問題の所在に関する一定の理解を確保する努力が求められていた。
また、長く見積もっても半年以内に総選挙を控えている時期の強制捜査であることは、政治情勢に対して重大な影響を与えるものであり、この点についての考慮も欠かせない。
1-3.検察に関する発言の問題
強制捜査の時期などから、政府の一部に属する検察が、現政権側の利益のために、野党に打撃を与えるための捜査・起訴ではないかという疑いについては、あってはならないことではあるが、理論上は排除することはできない。
そこで、当事者がそのような可能性に思い至って、それに憤慨するのを否定することまではできない。しかしながら、法的秩序の安定性を考えれば、司法に対する政治的介入を意図していると誤解されかねず、問題が大きい。
その意味で、当事者的立場にある政治家が、総選挙の時期とからめて検察の措置を批判し、さらに進んで、検察のあり方そのものを直接批判することは、控えるべきであり、慎重な言い回しが求められる。総選挙の結果次第では、内閣総理大臣になることが予想される民主党の代表として、検察の独立性に疑問を呈するのは、政権の座に着いたら、逆に検察の活動に介入するのではないかという疑いを抱かせかねないからである。
会見の記録などから、小沢前代表もこの問題の所在を理解していると推測されるが、秘書逮捕直後の会見では、やや感情的になったという印象のある発言があり、それが広く報道されたのは反省点である。
もちろん、第1章で述べたような問題があるので、検察の措置に対抗するために、当事者的立場にある政治家が、検察の立場とは違う立場を取っていることを説明することは必要である。
これに関して、民主党、とりわけ幹部は、先に述べた当事者的立場にある政治家と政党の立場を区別するという観点から、検察批判的な発言を抑制することが、より強く求められる。ところが、幹事長など党の幹部によって「国策捜査」という言葉が使われ、また検察に圧力を加えると誤解されかねない発言が相次いだのは、適切ではなかった。
ただ、検察の措置に問題があるということを、全く論じていけないわけではなく、そうした問題の所在に人々の関心を向けさせる発言は認められる。政治的有効性からすれば、民主党関係者が抑制の効いた発言を続けるなかで、第三者の間から、検察の措置に関する批判がわき起こるといった事態の方が、より民主党にとって、好ましい事態であったと考えられる。
2. 民主党代表としての小沢前代表の説明について
当事者的立場にある政治家としての小沢前代表の立場とは別に、民主党の代表としての小沢前代表には、説明すべきことはなかったのであろうか。もちろん、党の代表としての記者会見で、事件について聞かれることもあろうが、これについては、当事者的立場にある政治家として別に回答すると述べて、立場が違うことを明確にすべきである。
しかし、今回の事件を契機に、小沢前代表の政治資金問題一般に関する認識や行動、さらには政治姿勢が問題とされたことについては、政党の代表をつとめる政治家として、積極的に自らの心情と行動を訴え、広く支持を求めるという行動をとることもできた。
とりわけ惜しまれるのは、かつて代表選挙の際に「私も変わらねばなりません」と述べて、大きな共感を呼んだような展開がなかったことである。批判者のなかには、小沢前代表がかつて自民党の要職にあり、さまざまな利権にもかかわっていたはずで、その「体質」が今でも変わっていないという前提から、今回の事件を奇貨として、小沢前代表に対する批判を活発化させた論者も多い。そうしたときに、政治資金に関しても、時代の変化や社会の要請にかんがみ、かつての「体質」から脱却したと国民から認められるよう努力しているところである、といったことを述べるべきであったのではないか。
そして、いわゆる政治資金の出所と使途に関する疑問に関しても、自民党など他の政治家と比べて、それほど突出した政治資金を集めているわけではないことを説明するほか、どういう目的で政治資金が使われるのか、例を挙げるなどして説明するということがあってもよかった。
この点について、小沢前代表には、なぜ自分についてのみ政治資金の問題がとりあげられるのか、という思いがあったことは理解できるが、内閣総理大臣になりうる立場としては、何事によらず、国民一般への説得力を備えることは、大変重要なことである。現代社会においては、政治家とりわけ最高指導者には、高度な説明あるいは説得能力が求められるのであって、政治資金や政治姿勢に関する問題も、それに含まれるからである。
これに関連して、集中豪雨的な小沢辞任論など、一方的な報道にさらされたために、やむをえない面もあるが、小沢前代表は、もっと積極的にマスコミに訴えかけるという姿勢があってもよかったのではないか。多くの国民が、報道を通じて政治状況を知ることを考えれば、説明の努力を続け、報道内容を変えていこうという姿勢を維持すべきである。「マスコミが悪い」といっても、報道内容の当否を一般の有権者が知ることは容易ではない以上、できるだけ有利な報道が行われるように努力し、少なくとも、努力している姿が伝わるように努めるべきなのである。そう考えると、記者会見においても、記者の背後に一般の国民がいることを考え、小沢前代表は言葉遣いを含めて、広く国民に訴えているのだという姿勢を保つ必要があった点も指摘しておきたい。
また、民主党代表としての小沢前代表は、事件にもかかわらず、できる限り平常通りの執務に努めて、事件の影響を最小化すべきであった。政治資金規正法違反事件の帰趨にかかわらず、事件対応のために代表としての職務に差し障りがあるとすれば、別の批判を受けかねないからである。
3. 民主党の対応について
3-1.立場の区別と党外への訴えかけ
政党において、所属議員に問題が起こったときの対応には、固有の難しさがある。それは、政党が集団でありながら、所属議員は国会議員として、固有の独立性を持っている点である。そこで、所属議員の問題を、政党全体の問題と区別し、所属議員が問題を処理できるように支援しつつ、問題の分離を図ることが必要となる。まして、今回の場合には、政党の代表者
について疑惑を持たれるという難しい事案であって、処理に苦慮したことは理解できるが、これについても、より洗練された対応が行われるべきであったと考える。
先に述べたように、政党として、事件の当事者的立場となった代表とは、独立の立場で問題に対処しうることを示すことは重要であり、実際に、そのための体制整備が求められる。たとえば、問題に関する判断までも、民主党として、小沢前代表に委ねるということになれば、立場の区別ができないために、政党としての判断に問題が生じることも考えられる。従って、代表を除く執行部がこの問題について、自律的に対応できるための方策を考えておかねばならない。つまり、小沢前代表の政治家個人の問題と、政党の問題を区別するためには、小沢前代表が自身の問題にかかわる側面では行動しにくくなった状況において、民主党が政党として独自の立場を持つことを示す仕組みを備えるべきであった。
今回、民主党内から代表の対応についての批判が噴出しなかったことは、代表に対する信頼と党内の一致結束を優先した多数の所属議員の判断によるものとみられる。しかし、党内の議論を行って、その姿を示しながら党内の認識統一を図る方が、好感を持ってみられたのではないか。その点で、政治家個人の問題に関して、民主党内で弁明ないし説明する機会を設け、小沢前代表と所属議員など民主党関係者が、疑問点について直接意見を交換する姿勢を社会に示すことが求められた。また、これを踏まえ、民主党が代表の問題に関して、代表個人の判断とは別に、政党としての意思決定を適切に行いうることを示すべきであった。そうした手順を経て、代表の置かれた状況を民主党として正しく理解し、多くの所属議員が代表を支持するという形になれば、より説得力のあるかたちで民主党の立場を主張することも可能であったであろう。
いずれにせよ、党首に疑惑が提起され、批判を受けるという事態のなかで、政党がとるべきことは、党内状況の流動化を防いで、政党としての活動を正常に継続することだけではなく、対外的に積極的なアピールによって、ダメージを最小にすべく努力することである。
これに関連して、民主党の仕組みとして、代表に問題が生じたときに、その問題に関して代表ぬきで党の方針を決める仕組みがないことが明らかになった。確かに、議員に問題が生じたときの機関に、常任幹事会の諮問機関と位置づけられている倫理委員会がある。ただ、倫理委員会は倫理的に問題のあった議員の処分を決めるためのもので、今回の場合には使えない。その点で、政治家個人の問題が発生したとき、党外から見て、問題を審査・評価するための仕組みが見えにくいのは問題である。
なお、当委員会は、民主党から独立した純粋な第三者委員会であり、また実態の究明を目的とする機関ではない以上、民主党の説明責任を肩代わりすることはできないことを付言しておきたい。
おわりに
半年以内に総選挙が行われるという時期に、政権獲得をめざす野党第一党が、党首の政治資金問題による検察の強制捜査によって深刻な打撃を受け、国民の政権選択にも大きな影響を及ぼした今回の問題は、日本の民主主義の基盤そのものにかかわる多くの重要な問題を提起することとなった。
今回の政治資金規正法違反による検察捜査については、第1 章で述べたように、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか等、多くの点について疑念がある。そのことが、政治活動と政治資金の関係に関して公開のルールを定める政治資金規正法の制度の枠組み、運用の在り方は、現在のままで良いのか、不当な捜査権限の行使や起訴に対して検察組織の外からのチェックシステムが設けられていない現在の制度に問題はないのかなど、第2 章及び第3章で述べた問題を提起することとなった。
また、第4章で述べたように、今回の政治資金問題に関する報道のあり方には、情報源の偏り、公正さに欠ける報道内容などの問題があった。それによって、主権者たる国民による適切な判断の前提となる情報を提供するという報道機関の存在意義が、根本的に問われることになった。
一方で、このような検察の捜査・起訴によって打撃を受けた民主党の側にも、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したために、事態を客観的に把握し、党として適切に問題を指摘することができなかったことなど、政党としての危機管理の面の問題があった。また、広く国民の支持を獲得すべき政党の党内運営のあり方にも、情報発信のまずさなど政治戦略上の問題があった。それが、代表の政治資金にかかわる問題で民主党が政治的に窮地に立たされる大きな原因になった。
民主党は、本報告書で述べた政治資金規正法の枠組み、検察のあり方、マスコミ報道などに関する問題などを的確に認識し、今後の党としての政策立案、制度論に生かしていくとともに、今回の問題を教訓として、党運営、党の組織に関する問題についても改善を図っていくべきである。
今回の問題の教訓を生かすためには、民主党が政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使、マスコミ報道の被害者的立場にあるかのように受け止めることは適切ではない。今回の問題で露呈したさまざまな問題は、政治資金制度、検察制度、メディアに関する制度などに関する構造的な問題に根ざしたものであり、今、重要なことは今回のような事件で政党政治に対する脅威が生じさせないようにするために、その構造自体を改めることである。そのためには、むしろ政治的には対立する現在の政権政党などと協力しながら、政党間の共通の課題として、超党派的な立場から取り組むのが望ましい。
民主党は、今回の一連の問題を、政権獲得をめざす政党に降りかかった災難ととらえるのではなく、民主主義国家における政治・検察・メディアの関係に関する重要な問題を顕在化させ、今後取り組むべき課題を認識する契機と受け止めるべきである。そのような前向きの取り組みを行うことができるかどうか、そこに政権を担い得る責任政党としての真価が問われているといえよう。
(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈および事実関係についての検討結果
1.「寄付をした者」についての有識者見解の検討
第1章の2-1.(1)で述べたように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、法務省は、「寄付をした者」の判断を、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解を示している。その前提として、政治資金規正法4 条3 項の「寄付」の定義規定との関係をいかに考えているかは不明であるが、当委員会の有識者懇談会にも参加した堀田力氏は、別の場において、この点について、「寄付とは財産上の利益を提供することで、法律が『交付』を含むとしたのは、使者や機関に対し手渡した場合も含むことを明らかにしたのであり、『交付』という外形があればすべて寄付になるわけではない。たとえば同法は寄付の斡旋(あつせん)に関する制限を設けているが、斡旋(あっせん)者に寄付金を託した場合でも、斡旋は斡旋で、寄付の受領ではない」と述べて、同法が、寄付者について、「形式」ではなく「実質」に基づいて記載を行うことを求めているとの見解を示している。
同氏の見解は、法務省見解の根拠を推測する一つの手がかりになると思われるが、以下のような疑問がある。
堀田見解のように、「使者や機関に対して手渡しをした場合も含む」という趣旨であれば、「寄付」の定義に「交付」という文言を含めるまでもなく、「供与」に含めて解することは可能である。例えば、実質判断を行う場合の典型である贈収賄の事例において、贈賄者が、収賄者と意思を合い通じた使者に現金を手渡した場合は、当然「供与」したと認定できるのであり、「交付」などという概念を持ち出す必要はない。公職選挙法は、民主主義の制度的基盤を支える法律という面で政治資金規正法と共通の性格を有するものであるが、同法は、当選を得る等の目的で、「選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益」を「供与」する行為の禁止(同法221条1項1号)のほかに、「選挙運動者に対し金銭もしくは物品の交付、交付の申し込みもしくは約束をし又は選挙運動者がその交付を受け、その交付を要求しもしくはその申し込みを承諾」する行為を禁止しており(同条項5号)、「交付」という概念を用いているが、その意味は、「供与」が選挙人、選挙運動者に対して「金銭、利益を得させること」であるのに対して、「交付」は、選挙運動者に対して単に「金銭、利益を移転すること」である(典型的なのは、選挙人を買収する資金を運動者に託す行為)。
このような公選法における「交付」という文言の意味との比較に照らしても、上記堀田見解のような「交付」の解釈を取る余地はなく、「寄付」の定義に「交付」が含まれているのは、前記のように、金銭、利益を「得させる」という「供与」の形態とは異なる、「単なる移転」の場合も「寄付」に含める趣旨だと考えられる。
また、収支報告書に「寄付の斡旋者」の記載に関する規定があるが(同法12条1号ハ)、それも会計責任者が「寄付の斡旋」を受けたと認識できる範囲で形式的な判断によって記載すべき事項だと考えられる。斡旋者自身が政治団体等に現金を持参してきたとしても、「寄付者」として現金の交付ではなく、斡旋者が使者として現金を持参しただけである。いずれにしても同法が実質判断に基づく記載を求めていることを示すものではない。
この点に関して、当委員会の有識者懇談会に出席した政治資金問題の専門家の日本大学教授の岩井奉信氏も、「今までの政治資金規正法の実質上の運用を見ていると、実質が誰であったのかまでは求めていない。実質まで確認することを求めるのは実際には無理だろう。したがって、有罪になるのは難しいだろうし、もしこれで有罪が取れるということになると、政治資金規正法の根幹がひっくり返ってしまうことになる。本件で虚偽記載を認めてしまうと、政治資金制度、収支報告書の根幹が揺るがされることになる。今回の事件を違法と言ってしまえば、違法は山のようにある。その摘発が検察の裁量権に任されているのであれば、ある種怖いことである。今回はそれが問題になったということで、非常に皮肉な言い方をすれば、検察が必ずしも正義ではないということが明らかになった」と述べている。
2.西松建設内部調査報告書に基づく検討
西松建設内部調査報告書は、同社が、平成7年に施行された政治資金規正法の改正により、企業から政治家個人への献金が禁止されたことから、政治団体からの献金を装って政治家個人の政治団体等に献金することを画策し、そのために、「新政治問題研究会」と称する政治団体を設立したと述べており、同団体が、企業から政治家個人への寄付の禁止を潜脱する「脱法目的」のものであったことを認めている。
しかし、同報告書は、一方で、「会員とする社員は、当時の幹部社員が全国の支店を回って、一人一人勧誘し、会員となる旨の了解を得ていた」と述べており、政治団体への加入が会社からの強制ではなく、社員の意志によって行われていたことを明らかにしている。
そして、社員が政治団体に加入して支払う会費については、西松建設が「一部の社員に対して特別賞与の名目で金銭を交付し、その代わりに当該社員から年に2回、政治団体への寄付をさせていた」と述べているが、この特別賞与加算については、「具体的な上乗せ金額は本人には知らされず、政治団体への加入の勧誘を受けた際には『賞与で上乗せするから寄付をしてくれ』といわれていたに過ぎなかった」とされており、特別賞与加算が、社員が政治団体の会員として支払う会費の補填(ほてん)であることが明確に認識されていたわけではないようである。しかも、両者の金額を対比すると、特別賞与加算の金額が約11億円であるのに対して、政治献金、パーティー券の購入等に充てられた金額は、約5億9000万円であり、社員が源泉徴収される所得税等を考慮しても、両者の金額の差はあまりに大きい。賞与特別加算は、社員の会費支払いの単純な補填ではなく、政治団体への加入も含めた会社の意向への忠誠の程度などの総合的評価に基づいて支給されていたのではないかと考えられる。
同政治団体の献金先と金額が西松建設によって決定されていたことなど、西松建設の統制下にある団体であったことは明らかであるものの、それは、親会社と連結100%子会社の関係と同様のものであって、上記のような同団体の活動や会費支払いの実態からすると、西松建設の役職員およびその家族を会員とする団体としての会員と組織の実体はあり、まったく実体のない、政治家に献金するための「トンネル」的な存在であったとは認め難い。
このような実態に照らすと、連結100%子会社が親会社の指示にしたがって寄付を行った場合に、親会社が寄付者とならないのと同様に、同政治団体による寄付について西松建設を寄付者と認めることには相当な無理があるのではないかと思われる。