2010年6月19日土曜日

【原子力発電】 福島第1原発:2号機トラブル

福島第1原発:2号機トラブル 原子炉水位が低下 11年半ぶり自動停止 /福島
6月18日12時19分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100618-00000142-mailo-l07

 運転中の福島第1原発2号機(大熊町)が17日、発電機の故障で自動停止したトラブルは、原発を安全に停止するために必要な外部からの代替電力の供給が行えず、原子炉の水位が約2メートル低下する深刻な事態だった。東京電力は同日、県と原子力安全・保安院にトラブルを報告したが、復旧のめどは立っていない。

 東電によると、同日午後2時50分ごろ、タービン建屋内の主発電機を制御する「界磁遮断機」が故障し、発電機とタービンが停止。タービンを回す蒸気の発生を止めるため、原子炉も停止した。原子炉本体に問題はなく、放射能漏れなど外部への影響はないという。同原発の自動停止は98年11月の3号機以来、約11年半ぶりだった。

 原子炉が止まった場合、外部の送電線から発電所内の電力を供給するが、切り替え装置が機能せず、2号機全体が停電。このため、原子炉内に冷却水を給水するポンプが動かなくなった。十数分後に非常用のディーゼル発電機が起動し、代替ポンプで水位を回復させた。

 水位の低下は炉心の燃料棒を露出させ、原発にとって最も危険な空だき状態を引き起こす恐れがある。原子炉は停止しても、停止直後の燃料棒には熱が残っているため、重大な事故になる可能性がある。今回も水位の低下が止まらなければ、緊急炉心冷却装置が作動していた。【関雄輔】

6月18日朝刊

福島第1原発:2号機トラブル 原子炉水位が低下 11年半ぶり自動停止 /福島
毎日新聞 2010年6月18日 地方版
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20100618ddlk07040183000c.html

 運転中の福島第1原発2号機(大熊町)が17日、発電機の故障で自動停止したトラブルは、原発を安全に停止するために必要な外部からの代替電力の供給が行えず、原子炉の水位が約2メートル低下する深刻な事態だった。東京電力は同日、県と原子力安全・保安院にトラブルを報告したが、復旧のめどは立っていない。

 東電によると、同日午後2時50分ごろ、タービン建屋内の主発電機を制御する「界磁遮断機」が故障し、発電機とタービンが停止。タービンを回す蒸気の発生を止めるため、原子炉も停止した。原子炉本体に問題はなく、放射能漏れなど外部への影響はないという。同原発の自動停止は98年11月の3号機以来、約11年半ぶりだった。

 原子炉が止まった場合、外部の送電線から発電所内の電力を供給するが、切り替え装置が機能せず、2号機全体が停電。このため、原子炉内に冷却水を給水するポンプが動かなくなった。十数分後に非常用のディーゼル発電機が起動し、代替ポンプで水位を回復させた。

 水位の低下は炉心の燃料棒を露出させ、原発にとって最も危険な空だき状態を引き起こす恐れがある。原子炉は停止しても、停止直後の燃料棒には熱が残っているため、重大な事故になる可能性がある。今回も水位の低下が止まらなければ、緊急炉心冷却装置が作動していた。【関雄輔】


東京電力:福島第1原発で原子炉緊急停止、放射能漏れなし
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100618k0000m040065000c.html
 東京電力は17日、福島第1原発2号機(福島県大熊町)の発電機にトラブルが発生、原子炉が自動で緊急停止したと発表した。原子炉本体に問題はなく、放射能漏れなど外部への影響はないという。

 東電によると、同日午後2時50分ごろ、タービン建屋内の主発電機を制御する「界磁遮断機」が故障し、発電機とタービンが停止。タービンを回す蒸気の発生を止めるため、原子炉も停止した。

 原子炉が止まった場合に外部から電力を供給するための切り替え装置も機能せず、2号機全体が停電した。このため冷却水を送るポンプが動かず、原子炉内の水位が約2メートル低下。緊急炉心冷却装置が稼働する可能性もあったという。【関雄輔】


福島第1原発:2号機が緊急停止
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100618ddm041040085000c.html

 東京電力は17日、福島第1原発2号機(福島県大熊町)の発電機にトラブルが発生、原子炉が自動で緊急停止したと発表した。原子炉本体に問題はなく、放射能漏れなど外部への影響はないという。東電によると、同日午後2時50分ごろ、タービン建屋内の主発電機を制御する「界磁遮断機」が故障し、発電機とタービンが停止。タービンを回す蒸気の発生を止めるため、原子炉も停止した。


福島第1原発・2号機緊急停止 東電「発電機に不具合」
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/06/20100618t63025.htm

 東京電力は17日、福島第1原発2号機(福島県大熊町、78万4000キロワット)の発電機にトラブルが生じ、同日午後2時50分ごろ、原子炉が緊急停止したと発表した。ほぼ同時に2号機全体への送電もストップしたため、東電が関連を調べている。復旧のめどは立っていないが、周辺に放射性物質の影響はないという。
 東電によると、タービン建屋内の発電機に電流を流す回路のスイッチに相当する「界磁遮断器」に不具合が生じ、警報が鳴った。発電機が最初に止まり、接続しているタービンも停止。原子炉からタービンに蒸気を送り込めなくなり、原子炉内に制御棒が自動挿入され、緊急停止した。

 ほぼ同じ時間に、2号機のプラント全体を動かす電気の供給もストップ。本来は東北電力からの送電に切り替わるはずだが、非常用のディーゼル発電機が起動した。原子炉の給水ポンプが作動しなくなったため、炉内の冷却水の水位が一時的に低下したという。

 東電は「発電機のトラブルと、2号機のプラント全体への電気の供給停止の因果関係はまだ分からない。原因究明を急いでいる」と説明している。東電は福島県と地元自治体、経済産業省原子力安全・保安院にトラブルの経緯を報告した。

 第1原発では1998年11月、3号機が原子炉内のトラブルで緊急自動停止しているという。

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いわき市議会議員 佐藤かずよし氏のブログから
http://skazuyoshi.exblog.jp/12828796/

あわやメルトダウン、福島第一原発2号機電源喪失水位低下
2010年 06月 19日

今日19日から、東京電力は福島第一原発3号機の定期検査に入り、9月23日までの間に、安全審査の想定外のMOX燃料を装荷しプルサーマルをはじめようとしています。

しかし、17日午後、第一原発2号機であわやメルトダウンの事故が発生しました。発電機の故障で自動停止したものの、外部電源遮断の上に非常用ディーゼル発電機がすぐ作動せず、電源喪失となり給水ポンプが停止、原子炉内の水位が約2m低下、約15分後に非常ディーゼル発電機が起動し隔離時冷却系ポンプによる注水で水位回復するという、深刻な事態でした。東京電力は事実経過を明らかにしておらず、真相はまだ闇の中ですが、この事故は誠に重大です。

原子炉緊急停止後、電源喪失が長引けば、燃料の崩壊熱を冷却する冷却水が給水されず、水位がさらに低下し、むき出しの燃料棒が崩壊熱により溶け、炉心溶融=あわやメルトダウンという、スリーマイル原発型の最悪の事態に至る可能性があったのです。

本来、冷却材喪失事故時に緊急炉心冷却装置により原子炉への注水を行い、燃料の露出による破損を防止し、冷却材喪失事故と外部電源喪失事故が同時に発生した場合でも、非常用ディーゼル発電機が起動し緊急炉心冷却装置への電源供給を確保することになっていますが、今回の事故では、非常用ディーゼル発電機の起動が大幅に遅れました。

保安規定上は外部電源の喪失信号を受け、非常用ディーゼル発電機は10秒以内で自動起動し、緊急炉心冷却装置ポンプへ電源を供給することになっていますが、今回は約15分との報道もあります。外部電源喪失を模擬した柏崎刈羽1号機系統機能試験のデータでは発電機起動が7,6秒とされています。これは誠に由々しき事態です。

東京電力は当初、発電機が停止した原因を「発電機そのもののトラブル」と説明していましたが、18日になり「外部からの電源の供給が何らかの原因でストップしたため保護装置が働いて発電機が止まり、その結果、原子炉の自動停止に至った」と福島県に報告したといいます。しかも東京電力はこの件を報道機関に発表していませんでした。

東京電力は事実経過を明らかにすべきです。今なお隠蔽的対応をすることは福島県民を冒涜するもので、許されるものではありません。福島県と県議会は事態を深刻受け止め、東京電力に厳正に対応しなければなりません。

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定期検査中の福島第一原子力発電所2号機の発電開始について



                             平成20年5月21日
                             東京電力株式会社

 当社・福島第一原子力発電所2号機(沸騰水型、定格出力78万4千キロワット)
は、平成20年3月12日以来、第23回定期検査を実施してまいりましたが、5月21日
午後3時50分、発電を開始いたしましたのでお知らせいたします。
 今後、出力を定格出力まで上昇させ調整運転を続けたのち、6月下旬に経済産業
省の総合負荷性能検査を受け、定期検査を終了する予定です。

 今回実施した主な工事は、以下の通りです。

(定期検査中に実施した主な工事)

1.燃料集合体の取替え
   燃料集合体548体中120体を取り替えました。

                                  以 上

<参考>当社原子力発電所の現況

福島第一・1号機( 46万キロワット)   運転中
     2号機( 78万4千キロワット) 5月21日から発電開始
     3号機( 78万4千キロワット) 運転中
     4号機( 78万4千キロワット) 定期検査中
     5号機( 78万4千キロワット) 定期検査中
     6号機(110万キロワット)   運転中

福島第二・1号機(110万キロワット)   運転中
     2号機(110万キロワット)   運転中
     3号機(110万キロワット)   運転中
     4号機(110万キロワット)   調整運転中

柏崎刈羽・1号機(110万キロワット)   定期検査中
     2号機(110万キロワット)   定期検査中
     3号機(110万キロワット)   定期検査中
     4号機(110万キロワット)   定期検査中
     5号機(110万キロワット)   定期検査中
     6号機(135万6千キロワット) 定期検査中
     7号機(135万6千キロワット) 定期検査中

 これにより、停止中のプラントは、9基、合計978万キロワット、運転中のプラ
ントは、8基、合計752万8千キロワットとなります。


【鳩山内閣】 藤井辞任から半年

 ブログの中で、他人を罵倒するのはり好ましいものではない。なのだが、流石に藤井財務相が辞任をした翌日には、平野官房長官を罵倒しないではいられなかった。

原因は、藤井財務相を留任し続けたとの情報が入っていたからである。「引き際」を上手に演出をしてあげられない人物は後々恨みを買うことが多い。平野官房長官は、それが不得意な人物なのであろう。

そんな中、6月19日に神奈川新聞から「藤井財務相辞任の真相」というタイトルの記事が出ていた。そこで、藤井氏が辞任直後に書かれた、「田原総一郎氏」・「雑感」・「毎日新聞」の3つの記事を並べて保存をしておこうと思う。

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小沢氏と確執「虚報」、藤井氏が財務相辞任の真相を詳述
2010年6月19日

 通常国会が閉会し、政界は参院選に向け事実上の選挙戦に突入した。「政治とカネ」の問題、社民党政権離脱、そして首相交代など、2010年上半期も政界は大きく揺れたが、新春早々の激震は、藤井裕久の財務相辞任だった。「体調不良」という説明にもかかわらず、小沢一郎との確執が原因では、などという憶測の報道が相次いだ。真相は何だったのか。藤井が詳述した。

 09年12月23日、天皇誕生日。宮中行事に出席後、藤井は官邸に出向き、官房長官の平野博文と相対した。

 「もう、体が持たない」。初めて辞意を明かした藤井に、平野は「今辞められたら、困ります」「総理には、言えません」。

 藤井はその後、周囲のごく一部にも辞意を伝えた。「ギリギリやった。これ以上は無理だ。民主党は役人と敵対するんじゃないかとか、バラマキじゃないかという指摘への、答えは出せる。この予算で、軟着陸できる」。1人は、涙を流しながら慰留をした。

 10年度予算編成作業が大詰めを迎えていた。鳩山内閣が秋に決めた年内編成方針は日程的にタイトになっていたが、藤井は「25日に絶対できる自信があった」。それゆえ、このタイミングで辞意を伝えたのだった。

 年明け、1月5日午前、首相官邸。検査のための入院先から出てきた藤井は、閣議後に首相の鳩山由紀夫と2人だけで約15分間向き合った

 「威一郎先生(鳩山の父)は75歳でお亡くなりになり、一郎先生(鳩山の祖父)は76歳でお亡くなりになりました。私は、77歳ですよ」

 「官房長官を呼んで、もう一回相談をしましょう」

 午後。2人は再び会い、平野が加わった。慰留に対し、「ここで続けて途中で倒れたら、鳩山内閣に、もっと失礼なことになる」と藤井。「財務相を辞めても必ず鳩山内閣を支えます」と続けた。

 が、「体調不良」という藤井の説明にもかかわらず、小沢や菅直人との確執、鳩山への失望があったのでは、などといった報道が相次いだ。藤井は「いずれも、うそ。完全なる誤報で、虚報だ」。

 マニフェストの一部変更などを盛り込んだ予算要望を小沢が行ったことへの反発が要因ではとの憶測に対しては、「党内にあるいろんな意見を小沢さんが抑えてくれた。あの要望は天の助けだった。おかげでいい予算ができた」と全否定。むしろ、ある関係者は予算編成の過程について、「(小沢、藤井の2人の間に)意思の疎通があったのではないか」と指摘する。

 それでは、藤井は一体いつ、辞意を固めたのか。実は、9月の財務相就任前から、高齢ゆえに短期間で辞任する意向だった。

 「昭和2(1927)年、金融恐慌の中で首相となった田中義一は、自由人になっていた高橋是清=当時(72)=を蔵相に任命した。是清は恐慌を打開するための基本的な方向付けを果たし、40日余りで辞職した。当時の内閣書記官長は鳩山さんの祖父、鳩山一郎さんだったんだよね」

 高橋是清の例を引き合いに出すことを「あまりにも、おこがましい」と思いながらも、藤井は鳩山側近にこう言い、短期間で辞職する意思を示唆。身を引く時機を計っていた。そして、期せずして体調を崩した。予算編成など過度の緊張の下では、血圧が急速に上がる状態になってしまった。

 09年12月25日、鳩山内閣は10年度予算案を閣議決定。公約通りに年内編成を果たした。「一つの区切りがついた」(藤井)

 4カ月弱で閣内を去り、静養を続けていた藤井は今月18日、活動を再開した。今後も、民主党政権を支え続けていく意向だ

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小沢VS検察、藤井財務相辞任の真相 (田原総一郎)
2010年1月8日

 今、この国で死に物狂いの攻防戦が繰り広げられている。戦っているのは小沢一郎・民主党幹事長。相手は東京地検特捜部だ。これはもう、すさまじい戦いである。
その権勢を見せつけた私邸での新年会

 元日に小沢さんは東京・深沢の私邸で恒例の新年会を開き、菅直人副総理ら閣僚を含め国会議員が過去最高の166人出席した。これは大賑わいで、新聞は「権勢の頂点にある」と表現し、彼の実力者ぶりを書きたてた。

 記事の脇には笑みを浮かべる小沢さんの写真があった。

 それを見て、私はロッキード事件の田中角栄さんを思い出した。当時の状況と似ている。これは、「俺の政治力を見よ」とばかりに誇示する、小沢さんの懸命なデモンストレーションだと感じたのである。

 小沢さんが前代未聞の新年会を開いた元日に読売新聞が、そして3日に日本経済新聞が小沢さんの資金管理団体「陸山会」の土地購入問題を報じた。これらは検察側のリークによるものと思われ、検察はひたひたと小沢さんに迫っている様子が感じられる。

 その検察は、小沢さん以上に必死である。なぜか。
 東京地検特捜部は昨年3月、小沢さんの公設第一秘書の大久保隆規氏を政治資金規正法違反(虚偽記載など)の疑いで逮捕した。このとき、私もそうだったが、誰もが大変驚いた。なぜこのようなことが起きるのか、と。
「この奥に、何かが隠されている」

 当時、小沢さんは民主党代表で、総選挙がいつあってもおかしくないような状況にあった。明らかに、民主党にダメージを与える、つまり小沢さんに代表を辞めろとプレッシャーをかけているように思われた。結局、小沢さんは5月に入って代表を辞任する。

 元東京地検検事の郷原信郎さんは、「全くの不当逮捕である」とさえ言っていた。

 私は何人かの元検事や弁護士に取材したが、誰もが口をそろえて言ったのは、「この奥に、何かが隠されている」だった。彼らの口ぶりからは、西松建設をさらに追及すれば限りなく収賄に近い事件に発展するのではないかということがうかがえた。

「検察の正義」で攻め込む東京地検特捜部

 検察には、「検察の正義」というものがある。罪を犯した。人を殺した。政治家でも悪質な罪を犯している……。そうした者を取り締まる。そして罰する。これが「検察の正義」である。

 ところが、小沢さんの第一秘書逮捕に関する限りは、「検察の正義」は全くうかがえない。極めてアンフェアだと見られた。おそらく検察は、相当焦ったことだろう。

 その後、東京地検特捜部の事情聴取に対し、水谷建設の水谷功・元会長が小沢幹事長側に「1億円を渡した」と供述したことが新聞に報じられた。しかし、水谷氏は脱税をやっていて、脱税問題を穏便に済ませてほしいために供述したものとされ、このときもあまり客観性がないとされた。

 そして、世田谷の土地購入問題である。土地の購入原資4億円、最近では14億円とも言われているが、そのお金は小沢さんが持っていたものなのか。いったい、どこから手に入れたのか。特捜部は昨年末、陸山会の事務担当者で元秘書の石川知裕衆議院議員(民主党)を事情聴取した。

 このあたりから検察の意地が見え始めた。「小沢氏の第一秘書を逮捕し、民主党の代表辞任に追い込んだ。今度は土地購入問題に斬り込む。我々は『検察の正義』のためにやっているのだ」。必死の検察は、そう国民に訴えているのである。

 検察はこれまでに、ゼネコン各社の一斉捜査をやっている。当然、小沢がらみである。水谷建設では不発に終わったので、各ゼネコンから小沢氏との関係を探ろうとする、なりふり構わぬ検察の戦いだ。私はそう捉えている。
検察の動きを牽制するデモンストレーションか

 現在、東京地検特捜部は小沢さんに任意での事情聴取を要請し、小沢幹事長側が聴取に応じる意向を示しているという。通常国会が召集される18日よりも前、近々、事情聴取は行われるだろう。

 私は、はっきり言えば、検察の現場は小沢さんを逮捕したいと考えていると思う。それを牽制するかのように、小沢サイドは前代未聞の新年会を開き、「俺にはこんなに政治力があるのだ」と必死にデモンストレーションしているように思えてくる。

 検察の上部は法務省とつながっている。検察上層部に対して、政治力はある程度効力を発揮するだろう。だが検察の現場は、小沢さんのデモンストレーションがあればあるほど、意地になる。だから今、検察上層部と現場との間に、相当な軋轢(れき)が生じているに違いない。

小沢氏と鳩山首相に「キレた」藤井氏の辞任

 こうしたすさまじい戦いが繰り広げられるなか、藤井裕久財務大臣が6日に辞任した。この辞任の背景にあったのは、小沢さんとの軋轢だ。

 昨年末、民主党のマニフェストについて、小沢さんがその政策内容を変えるように要請した。たとえば、子ども手当には所得制限を設けろ、ガソリン暫定税率の廃止を撤回しろ、といった申し入れだった。

 そのとき小沢さんは報道陣が去ってから、「民主党は政治主導と言いながら、そうなっていないじゃないか」と怒鳴りつけた。その相手は、藤井さんだったという。「もうついていけない」と藤井さんは思ったことだろう。

 藤井さんはもともと、予算を組む際にガソリン暫定税率を維持しようとした。しかし鳩山首相から、それではマニフェストと食い違うので、せめて「半額はなくす」ということにしてくれと頼まれたため、その線で予算編成を始めた。

 それなのに、鳩山さんは小沢さんの要求を全面的に受け入れ、藤井さんを捨てて裏切ったのだ。つまり、小沢さんと鳩山さんに対して、藤井さんは二重に「キレた」のである。これが今回の辞任につながったと私は見ている。
 だが逮捕後、検察は大久保秘書を攻めたが、何も出てこなかった。つまり、空振りだ。

小沢VS東京地検特捜部、戦いの本番が始まる

 新聞・テレビなどのメディアは、「体調が悪いため検査入院をしている」とだけ報道していた。だが、それは表面的な理由でしかない。

 藤井さんは財務大臣に就任した当初、死んでもその職務を全うする考えだったと思う。だが、ここに来て、天皇会見の「1カ月ルール」問題をはじめ、小沢さんはどんどん強気に出てきている。「もう我慢できない。これ以上ついていけない」と藤井さんは思い、一種の宣戦布告をしたのである。

 小沢VS東京地検特捜部の戦いは、これから後半戦に入る。検察は事情聴取をして、その後どうするのか。小沢さんは徹底的に戦うだろう。だから、この戦いは、これからますます激しくなる。

 小沢さんが粘り勝つか、検察が小沢さんをねじり倒すのか。戦いの本番が始まる。


ブログ:雑感 

2010/01/07

http://udonenogure.iza.ne.jp/blog/entry/1402710/


  藤井裕久氏が財務大臣を辞任をした事で、昨日は大騒ぎであった。9月16日に鳩山内閣が誕生をする前に、藤井裕久氏が財務大臣になるのならないの、やれ小沢氏が反対しているだのと大騒ぎをしていたのを思い出した。


小沢氏自身は、現実には組閣に口出ししていないというのが、本当のところであるが、周りが小沢氏に気を使ったものまで小沢氏のせいにされたのではたまらない。

まぁ~、中には居酒屋で小沢氏の悪口を言って新聞にスッパ抜かれた「間抜け」もいたのだが、それも小沢氏が「あいつは入閣をさせるな」と言った訳ではなく、周りの思い込みでしかない。

そんな中で、藤井裕久氏の財務大臣起用には、ひとつの思惑があったのではないかと思えてならない。9月16日以降に何度かこのブログでも書いたのだが、彼・藤井裕久のアルコールの問題である。つまり、アルコールの問題が一番心配であった。故にはじめから長くは続かない考え、小沢氏も藤井裕久氏の財務大臣起用に異を唱えなかったのではないかと思っている。

「激務に耐えられるなら、どうぞ頑張ってください」というのが、小沢氏の考えだったのではないだろうか。まぁ~、「一度だけ予算を組んで若い衆に教えてやってくれや」と言ったところだと思っている。

何よりも、今日テレ朝のワイドスクランブルに渡部恒三が出演をしていた。その時に藤井・管・仙谷・野田氏が写しだされていたのであるが、はじめに藤井氏の画面がされた時に、渡部恒三氏が酒をあおる仕草をした事に気がついた方がおったろうか。その後の話は、いつものように当の本人を大きく見せたいような素振りの話ばかりであった。

元々財政規律派とみられていた藤井氏であるが、9月7日の常任幹事会で「財源にはそこまで触れなくていいんだ。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」と。それに対して鳩山氏は、これ以上赤字は増やさないという趣旨の発言をしているのである。

テレビや新聞で、小沢氏が党の要望を突き詰けたことから、「嫌気」がさしたなんて話はトンでもない話である。確かに、一時期鳩山氏と藤井氏の話の内容が間逆になったこともあるのは事実ではある。

しかし、小沢氏は一貫してマニフェストを重視をし、財源が足らなくなくなり予算が組めない状態で「暫定税率」を言い出し財源を作ったのである。あえて言うと、財務省が最後に信じたのは藤井氏ではなく小沢氏だと言うことになる。その時点で藤井氏の存在価値は無くなったに等しいのである。

まずは、断っておきたいには、財政規律派が良いか開放派というか景気重視派が良いかを論ずるつもりはない。どうせ、規律派の論をとれば、成長やなにやらができないとほざくだろうし、開放派の論を書いたら、孫・子の代まで借金を残すのかと吼える輩が出てくることだろう。そんなものに一々付き合ってはいられない。現に自民党内でも財政規律だ!と叫ぶ議員もいれば、景気が優先!だと騒ぐ議員もいる。

話を、藤井氏の話に戻そう。
小沢氏と衝突してまで鳩山氏が藤井財務相に固辞をしたのとはどうも様子が違うと自分は思っていた。同時にやけに高橋是清を持ち出すのも変な感じがしていた。ところがよく考えると高橋是清は過去に7度だったかな?の大蔵大臣をつとめてはいるのだが、短期(40日・実際には45日だったかな)での大蔵大臣を受けているのである。つまりこの度も、22年度予算を組むまでと鳩山との約束であったのではないかと思えてしまう。

同時に、藤井氏は間違いなく次の選挙には出馬はしないであろう。その時に藤井氏と同い年の渡部恒三氏の先は見えたと言うことになる。渡部恒三氏の顔を見ていて、仙谷由人氏や野田佳彦氏の顔が映し出された顔と小沢氏・菅氏・鳩山氏の顔が映し出された時の顔の表情の違いに気がついた人間はかなりいるはずである。まぁ~、好きにさせておこう。

一見、ガチガチの緊縮財政派(実際は?)だと考えられていた藤井が菅直人へ財務相の座を譲ったことで、必ずしもマイナスにはならないとの意見が多いのも面白い話である。

これからは、テレ朝・朝日新聞&産経が生き死にの総攻撃をかけてくると思われる。しかし、マスコミは視聴者・新聞の購読者がかなり今のマスコミ報道を懐疑的な見方というより信用をしていない事に気がつくべきであろう。


幻の仙谷財務相(その1) 鳩山首相、「小沢氏配慮人事」で一転
http://mainichi.jp/select/seiji/choice/news/20100111ddm001010084000c.html

 「仙谷由人財務相、枝野幸男行政刷新担当相がいいと思うんだ」。藤井裕久財務相が辞意を伝えた翌日の6日昼過ぎ、鳩山由紀夫首相は後継人事について側近議員に腹案を漏らした。菅直人副総理兼国家戦略担当相に財務相を打診したが、菅氏が「今のまま副総理と国家戦略がやりたい」と固辞。首相の次なる一手だった。

 「事業仕分け」を手掛け、脚光を浴びた行政刷新担当相の仙谷氏を横滑りさせ、後任に「仕分け人」統括役の枝野氏をあてる「仕分けコンビ」案。内閣支持率が下降する中、攻勢に打って出るのに最適の布陣との判断があった。

 一方、菅氏は断った際、首相に「野田さんはどうか」と野田佳彦副財務相の「昇格」を提案した。野田氏は、平野博文官房長官も起用を薦め、藤井氏も推挙した。首相の「仙谷案」と菅氏らの「野田案」がテーブルに載ったが、首相はまだどちらにも打診していなかった。

 藤井氏が診断書と共に正式に辞表を首相あてに提出したのは同日午後3時ごろ。平野氏は経済団体の会合を中座して官邸に戻り、首相と対応を協議した。

 菅氏は小沢一郎民主党幹事長と良好な関係だが、仙谷氏は09年、小沢氏の秘書が西松建設献金事件で逮捕された際、党代表の自発的辞任を要求し、枝野氏も「説明責任を果たすべきだ」と批判。野田氏は予算編成で省内から評価されたことで逆に党内に「取り込まれた」との懐疑心を植え付けた。

 小沢氏周辺からは「菅氏はいいが、仙谷、野田両氏の起用は望ましくない」との声が伝えられた。党側の抵抗は予期していた首相だが、パフォーマンス人事で党との関係をこじらせるのは得策ではないと最終的に判断したようだ。

 同日夕、内閣府で政務三役会議中だった菅氏を電話で呼び、官邸に着くなり「財務相をお願いしたい」と要請。「野田氏か仙谷氏」と思い込んでいた菅氏は驚いたが、首相は揺るがず、続いて仙谷氏を呼び国家戦略担当の兼務を求めた。

 だが首相の「小沢氏配慮」の人事はしこりも生んだ。

 「この部屋は使えるんだよな?」。同日夜、首相官邸の副総理執務室。菅氏はテレビ中継で流れる首相の記者団とのやりとりを見ながら、同席していた官邸関係者に尋ねた。鳩山首相から「財務相起用」を申し渡されたばかりにもかかわらず、まず気にしたのは、今後も自らが副総理として官邸を拠点に活動できるかどうかだった。(肩書は当時)


幻の仙谷財務相(その2止) 藤井氏、12月に漏らした辞意
http://mainichi.jp/select/seiji/choice/news/20100111ddm003010176000c.html
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 ◇もう、やれない 「重圧」の陰に小沢氏
 「体調不良」を理由にした藤井裕久前財務相の辞任。鳩山由紀夫首相に辞意を伝えたのは5日だったが、年末から「辞意」を周辺に漏らしていた。その陰には、小沢一郎民主党幹事長の存在が浮かび上がる。

 先月16日、10年度予算編成での党の重点要望提出のため首相官邸に乗り込んだ小沢氏は「財務省は予算編成を急げといっているようだが、国民の要望を踏まえて決定してもらいたい」と露骨に批判し周囲を驚かせた。

 小沢氏は申し入れ前、党幹部に関係閣僚だけでなく副大臣や政務官も同席させるよう指示し、「政治主導になっていないと、はっきり言う」といきり立った。党幹部が「やめた方がいい」と説得しても聞かず、重ねて反対する側近の細野豪志組織・企業団体委員長を「お前は若い!」と怒鳴りあげるほどだった。

 藤井氏は旧大蔵省出身。就任後、事務方には「菅直人国家戦略担当相(当時)、仙谷由人行政刷新担当相に協力しなさい」と指示。「脱官僚」より「官僚活用」に力点を置き、小沢氏側には「財務省寄り」と映っていた。

 ある閣僚は「財務省をコントロールできてない」との小沢氏のぼやきを聞いている。小沢氏の発言を党幹部は「藤井さんへの批判だった」と語る。この夜、藤井氏は関係者に「もう大臣をやってられない」と漏らした。

 予算編成後の同28日に検査入院。親しい人には「体力の限界」と打ち明け、翌29日の与党3党幹事長らの忘年会で小沢氏が「検査入院なんかじゃない」との見方を示すに至って「辞意」に現実味が帯びた。続く30日の記者会見では予算編成について「相当な重圧」「しんどかった」「相当疲れた」と連発。公然と「弱音」を吐いた。

 藤井氏は菅直人副総理、仙谷由人行政刷新担当相、平野博文官房長官と「四人会」と称する秘密会合を開いている。最近の会合でも「この4人がしっかりまとまれば、政権はもつ」と熱意を語ったばかりだった。

 旧知の渡部恒三元衆院副議長は今月10日、民放テレビ番組で「『心身ともに疲れてしまいました』と電話で言っていた。この人がもっとおれを理解してくれてもいいはずなのにという苦労があったと思う」と裏話を披露。個人名こそ避けたが、「この人」と称した小沢氏との関係に疲れたのではと心中を察してみせた。

 後継に推した野田佳彦副財務相は52歳。「親分肌」で約30人のグループを率いる次期リーダーの一角で「反小沢」であるのは承知の上だ。辞任劇は「ポスト小沢」もにらんで世代交代を促そうとした思惑も透けて見える。

 ◇菅氏、成長戦略の主導権手放さず 財務相、快諾なんかしてない
 突然の藤井氏辞任は、鳩山政権内に新たな火種も生んだ。

 「菅さんが成長戦略の取りまとめをやると首相指示書にはあるが、スタッフは国家戦略に残っている。できるんですか」

 7日午後、首相官邸。仙谷国家戦略兼行政刷新担当相は鳩山由紀夫首相から辞令を交付された後、そのまま菅氏と2人で1時間ほど話し込んだ。菅氏が国家戦略担当相として先月30日にまとめたばかりの「成長戦略」を今後どちらが担当するのかが焦点だった。

 仙谷氏は7日朝、内閣府で行われた事務方との打ち合わせで、古川元久副内閣相から成長戦略の現状について説明を受けていた。国家戦略担当を菅氏から引き継いだ時点で、成長戦略も当然のごとく引き受けるつもりでいたからだ。

 菅氏は財務相を引き受けた直後の6日夜、鳩山首相が記者団に「快諾いただいた」というのを聞き、周辺に「快諾なんかしてない」とこぼした。「国家戦略室はこれまでさんざん機能不全などとたたかれた。ようやく本格的に動ける態勢が整い、これからが本番だ」との思いだ。当然、自らが国家戦略担当相としてまとめた成長戦略には強いこだわりがある。

 国家戦略担当の荒井聡首相補佐官も、仙谷氏ではなく引き続き菅氏の下で働くことになる。仙谷氏の周辺は「鳩山首相が菅、仙谷両氏を官邸に呼んで後任人事を決めた6日の時点であまり詰めていなかったのではないか」と戸惑いを見せる。

 その時点で詰められたのは「経済財政担当は引き続き菅氏」との役割分担。菅氏が自ら「経済財政は私がやりますから」と宣言した。周辺はその理由を「財務省だけに閉じこめられたくないからだ」と解説する。

 菅氏は「脱官僚依存」の急先鋒(せんぽう)だ。「官僚の中の官僚」とされる財務省とのバトルを前に独自の防衛策を講じてもいる。財務相としての初の閣議後会見を首相官邸で従来と同じように副総理として行った。これまでも公務で使用する車に財務省出向の秘書官を同乗させておらず、「財務省に取り込まれまい」とする