2000年1月2日日曜日

【北朝鮮】 北朝鮮賞賛記事

 別に朝日や毎日の肩を持つつもりもない。

ただ、最近は落ち着いたのだが、北朝鮮の問題が出てくるとやたらと産経と読売は、朝日が北朝鮮への賞賛記事を書いたと騒ぐ。 

当時、こういう北朝鮮ヨイショ記事を書きまくってたのはどこも似たようなものなんだから、自分の過去を棚に上げて他人様のことばかり非難するのはどうかと思うよ。

産経さんも読売さんも、まさかこの記事を知らないとは言わないでしょうね。

拉致問題は、早々に解決をしなければならない問題である。また同時に拉致を北朝鮮は何故にしなければならなかったのか。そこに拉致問題解決の緒が見えないだろうかと思う事がある。北朝鮮が何故に拉致という犯罪を起こしたのかを明確に書いた記事には出会わない。


産経新聞 1959年12月24日夕刊
「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」

【清津で坂本記者】…出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。

 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、千人近い帰国者をすっぽり収容してまだおつりのくる広さだ。こういうことのできる母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。

 宿舎は6キロ離れた市内に別につくってある。帰国者のためにこの夏、わずか四〇日間の超スピードで完成した五階建ての長さ百メートルもある大ア パート、これも千人すっぽりはいれる。六畳くらいの部屋にはタンス、家具はもちろん小型ラジオまでついて至れりつくせりだ。私たちがみて感銘を受けたのは五万人の人が押し合いへし合いの混乱もなく秩序が整然としている ことだ。

それでいてみんなが同胞を迎える喜びにあふれていたこと。迎える準備が実に行き届いて、たとえば料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎるものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり万事に細かい心づかいがあらわれている点だった。

 帰国者の一人…は「この歓迎のありがたさはなんともいえません。肉親でもこんなにあたたかく迎えてくれるとは思えませんでした。私には手に職がありませんので何でもやって働きます」と語っていた。


読売新聞 1960年1月9日朝刊
「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」

 はじめてみる夫の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰った日本人妻たちはどんなお正月を迎えたでしょうか。

平壌でともに新春をすごした島元読売新 聞特派員から、第一船と第二船の帰国者や日本人妻たちの帰国後の模様、と くに北朝鮮で迎えたその日本人妻たちのはじめてのお正月の感想などを伝えてきました。

★「夢のような正月」〝ほんとうに来てよかった〟

 夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新 潟を出港するまでの不安や心配は、国をあげての大歓迎にすっかり消しとんでしまったようです。まだ言葉は通じないし習慣にもなじんでいませんが、日本人妻の代表が金日成首相に招かれて新年宴会に出席したり希望の職場につくなど日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていたその妻たちには夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに
「早く来るように伝えてほしい」と口をそろえて語っているのです。

★おモチも特配

 第一船で夫の…さんと帰国した…さんは、まず平壌スターリン通りのアパートに入っておどろきました。机からイス、食卓の家具はもちろん、台所にはじゅう器一切、一か月分のお米、三か月分の燃料、ミソ、しょう油、マッチ、ゾウキン、買い物カゴまですぐ生活できるように揃っていたからです。

…さんは、夫が朝鮮人で何度も失業し、そのうえ四人の子どもをかかえていたため、これまで満足なお正月を迎えたことがなく、雑煮、菓子、くだもの、酒、しることそろったお正月ははじめてでした。「かあちゃんこれからもここでお正月をしようや」と日本語で喜ぶ子どもたちの姿を見て、本当に来てよかったと安心したそうです。

★どっちが祖国か
 …女性同盟から日本語のわかる人が来て、手をとって朝鮮語や料理を教えてくれたばかりか、大みそかなどは日本式の雑煮を作ってくれたほどの気の くばりようです。町でバスに乗っても「どうぞ、どうぞ」と座らされ、かえって恥ずかしいくらいだそうです。日本での冷たい目を思うと、どちらが本当の祖国なのかわからなくなることもあるほどで、純粋の日本人である自分でさえそう思っているのですから、朝鮮籍の子どもたちはどんなに喜んでいるでしょうと目をうるませるのです。


★決まる夫の勤め
 …

★金首相が招待

 こんなに感激しているのは何も…さんだけではありません。

記者の見たすべての日本人妻が、朝鮮に来てほっと解放されたような安らぎをみせているのです。肉親とわかれた感傷やノスタルジアなんかはみじんもなく、みんなが希望にあふれて前方を見つめているのです。…さん妻…さんは、大みそかに突然金首相から新年宴会の招待状を受けました。…東京から着たきりスズメのピンクのセーターに茶色のズボンで出席した…さんに、金首相はみずから「乾杯しようか」とサカズキをしたそうです。

★裏切らぬ期待

…さんは、六歳のとき父を失い母が女一人で六人の子どもを育ててくれた 環境に育ち、結婚後もオカラばかり一か月食べたこともあるそうですが「こんな私まで招いてくださって」と感泣していました。…

★朝鮮人への自信

 最後に、日本人妻の就職問題について述べてみましょう。言葉のわかる人 が少ないため、まだはっきり職場の決まっていない人も多いようですが、いつでも希望通りにするという確約があるそうです。帰国者たちの就職状況からみても、額面通りに受けとってよいでしょう。日本人妻たちは、「私たちは、この国に来て日本人妻ではなく本当に朝鮮人になりきることができ、またなりうる自信がわきました」と語っていました。


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 それに、この読売の記事なんか数あるヨイショ記事の中でも相当に罪深い。在日朝鮮人だの日本人のくせに在日とくっついた女なんぞは日本にいる限り貧困と屈辱の中で生きねばならないことを「当然の前提」とした上で、北朝鮮に行きさえすればこんなに素晴らしい生活が待ってるんですよ、と事細かに描き出している。この記事を食い入るように読んで「帰国」を決意した「日本人妻」たちの姿がつい目に浮かぶくらい。

 難民となって逃れてきた元帰国者やその子どもたちの口から語られるのは、「港が見えてきたとき、あまりのみすぼらしさに何かの間違いだと思った」とか、「(歓迎の席で出された食事は)まずくて食えなかった」とか、「日本生まれの子どもを連れて北に渡った母親は船を降りた瞬間から死ぬまで子どもに謝り続ける」とか、そういう話ばかりなのに、この「記者」たちはいったい何を見てきたのか。(だいたい、行ったのがどんな国だろうが肉親と別れた感傷すらないなんて、そんなはずあるわけないだろ。)

 ついでに言えば、当時日本人がみ~んな北朝鮮を賛美してたのは、それが「厄介者の朝鮮人」をタダで引取ってくれるとっても都合のいい存在だったから。北朝鮮がボロボロの貧乏国では在日が行きたがらないから、そういう現実は見なかったし見せなかった。

 そして今、まるで悪魔の国みたいに北朝鮮を非難罵倒しているのは、崩壊寸前の国内経済から貧乏人どもの目をそらし、アメリカのやらかす戦争に便乗して自分のちっぽけなプライドやフトコロを満たしたい人たち。彼らにとっては再び北朝鮮が実に都合のいい道具になってくれてるわけ。かつても今も、現実を見るんじゃなく見たいイメージを投影して見てるだけなのは同じこと。

 それにしてもこの国で一番情けないのは、「『構造改革』の痛みを一方的に負わされた側」、「税金はむしられ年金は減らされる側」、「リストラされる側」、「ホームレス状態に追い落とされる側」。それでいながら、安全な反対側にいる連中の口車にあっさり乗せられて国家権力様とその駒に過ぎない自分の区別すらつかなくなってることである。

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毎日新聞 1959年10月28日朝刊

「帰国」に実った超党派の友情/願いは一つ・人類愛/はればれ あっせん二人男」

 ただならぬ雲行きだった北朝鮮帰還問題も二十七日、すみきった秋空のように〝笑顔の解決〟にゴールインした。「帰還案内」をめぐる日本側と北朝鮮側のはげしい対立を思うと、鮮やかな逆転劇でもあった。だがそのうらには自民、社会という与、野党の立場を捨てて、在日朝鮮人の帰国という〝人道主義〟の旗じるしのもとにしっかりと手を結び合った二人の政治家―自民党の…代議士(帰国協力会代表委員)と社会党…代議士(同幹事長)の〝超党派友情〟があった。…


(「厄介払い」を「人道主義」だと解釈するという自己欺瞞もオマケでついてたということである)