2006年11月23日11時16分
沖縄密約
「国家賠償訴訟」で西山氏が核心に迫る証言 沖縄「密約」裁判 池田龍夫(ジャーナリスト)
「西山太吉・国家賠償訴訟」第8回口頭弁論が2006年11月7日、東京地裁で開かれた。昨年7月5日の第1回弁論から約1年半、今回は原告本人(西山氏)の尋問が行われ、核心に迫る証言が胸に響いた、今訴訟最大のヤマ場とあって、110人が長い列を作り、抽選によって49人に傍聴が許された。加藤謙一裁判長が原告代理人・被告指定代理人に対して原告側提出書証の確認をしたあと、原告指定代理人・藤森克美弁護士から西山氏への尋問が行われた。尋問時間は40分余、西山氏は米外交文書・吉野文六発言などの新事実を挙げて「沖縄返還交渉の“密約”の存在」を指摘。淡々と語る姿勢が強く印象に残った。
[沖縄返還交渉と『密約』]
沖縄返還協定は1971年6月17日に調印、72年5月15日発効し、25年ぶりに祖国復帰した。返還米軍用地の原状回復補償費につき「米国の自発的支払い」と協定に明記されていたのに、実際は400万ドルを日本側が肩代わりする約束を密かに交わしていた疑いが濃くなった。
西山太吉・毎日新聞記者(当時)が外務省の電信文を極秘入手、暴露したのが「沖縄密約事件」の発端。日本政府は、国会や法廷で終始「密約」の存在を否定してきたが、2000年と2002年の米外交文書公開によって「密約」を裏付ける事実が明らかになった。さらに2006年2月、返還交渉当時の責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長が密約否定発言を翻して、「返還時に米国に支払った総額3億2000万?の中に原状回復費400万ドルが含まれていた」と証言、「密約」の存在を認めた。
一方、西山氏と外務省女性事務官は1972年4月、国家公務員法の「そそのかし」と「秘密漏えい」の疑いで逮捕。東京地裁の一審では無罪だったが、東京高裁では懲役4月・執行猶予1年と逆転、78年の最高裁審理で西山氏の上告が棄却されて有罪が確定した。
長い間屈辱に耐えていた西山氏が2005年4月、「密約を知りながら違法な起訴で名誉を侵害された」として国に謝罪と約3300万円の賠償を求めて提訴したのが、「西山国賠訴訟」をめぐる経緯である。
「原告代理人が米公文書や刑事一審の弁論要旨、刑事判決、電信文、新聞記事等を示しながら、沖縄返還交渉において密約に至ったプロセスや事情、刑事公判における検察側証人の偽証、最高裁決定の誤判とその原因をどう考えるか、『情を通じ』という文言が盛り込まれた異例の起訴状によって流れがどう変わったか、提訴に至った原告の理由・心情等について尋ね、原告は、佐藤・ニクソン共同声明の嘘や、密約にしなければならない事情が日本政府のみにあったこと、沖縄返還協定は裏に3つの秘密書簡を含む虚偽協定であること、起訴状によって流れが激変し機密論は一気に消え取材論のみになったこと、沖縄返還に始まるいびつな構造は今日につながる重大な問題であり、米公文書や吉野発言等によって明らかな密約を政府が否定するのであれば、立証責任・説明責任を負うところ、政府はただ否定し続けているという恐ろしいことが罷り通っており、有利な情報のみ一方的に流し都合の悪い情報は隠蔽する国の行為は“情報操作”ではなく“情報犯罪”である等と証言しました。
また、原告は、自らが受けた精神的苦痛は到底言葉で言い表せるものではないとしながらも厳密な証拠に基づく公正な刑事裁判ではなく、検察側による偽証や公然と行われた不公正な裁判を受けさせられたことからくる“人間としての怒り”“不条理感”という言葉を使ってこれを表現しました」
――藤森法律事務所HPに掲載された「裁判の様子」全文だが、西山氏が法廷で語ったナマの言葉を紹介し、参考に供したい。
西山氏は尋問に先立って、詳細な「陳述書」を東京地裁に提出、この日の法廷陳述もその内容に沿ったもので、「密約」の存在は、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』の発掘」で証明されていると強調した。
▼「日米共同声明」の嘘
「1969年の佐藤・ニクソン共同声明には、嘘が書かれている。『財政問題はこれから協議を開始する』とあるが、柏木・ジューリック財政担当官によって5億2000万ドルの掴み金を米国に払う密約が共同声明前に合意されていた。米国が負担すべき現状回復費400万ドルなどは“氷山の一角”であり、沖縄返還交渉そのものに密約があった。また、『核は撤去する』と書いてあるが、緊急時の核持ち込みを佐藤首相は飲まされていた。極秘事項だったが、対米交渉に当たった人物(若泉敬・京都産業大教授=故人)が返還後に真相を明らかにしている。まさに協定の偽造であり、密約どころの話ではない」。
▼最高裁の誤判
「検察側が偽証を誘導しており、裁判は公平でなかった。厳密な証拠に基づいた裁判で負けたのらよい。だが、検察は証拠を全部開示しないばかりか、悪用・乱用して10幾つかの偽証を行った。こんなに偽証の多い裁判を、今まで聞いたことがない。この問題(沖縄返還交渉の経緯)が国会で審議されることを避けるために偽装が行われた。この点を究明せず、問題の本質を理解しないまま判決が下された。司法のレベルの低さと不条理感を味わった」。
▼政府に「立証責任」がある
「政府は『密約はなかった』と一貫して主張しているが、日本の矛盾を世界に示してしまった。米国の外交機密文書と吉野氏発言を政府が全部否定するなら、それを立証する責任がある。先進国なら必ず行うことで、説明責任を果たさないことは大変なことだ。検察が政府を擁護し、検察が組織犯罪に加担している」。
▼「情報操作」どころか「情報犯罪」
「起訴状の『情を通じて』という言葉で、世の中の流れが変わった(『言論・報道の自由』と『取材方法』の問題は別途論じるべきだが)。検察側が情報操作したことだが、メディアにも責任があったと思う。政府は情報を操作して不利なものを隠蔽、沖縄が無償返還されるイメージを国民に与えた。これは情報操作といったものではなく、情報における犯罪だ。それは、『米軍再編』にもつながる今日的問題であり、国賠訴訟を提起した動機だ」。
[裁判後、藤森克美弁護士のコメント]
裁判を起こした時には、2002年発掘の米公文書と(もしくわ1~3審の)判決文程度しか手許になかった。その後「米国のケーススタディー」「柏木・ジューリック秘密合意」「吉野・シュナイダー秘密文書」の3つの重要文書が入手できた。米公文書と吉野発言に追加して、『密約の存在』を立証できたと思う。
国側は当初、20分の反対尋問を要求していた。40分の原告側尋問のあと裁判長が被告側(国代理人)に「質問を…」の求めたところ、「ありません」と答え、すぐ閉廷になった。普通、反対尋問がない場合は認めたことになるが、国は中身で争うのは不利とみて、『除斥期間』や『時効』で争うつもりかもしれない。
職業的な魂を持った裁判官なら『誤判』と言わなければおかしい。本来なら、米公文書が見つかった時点で、検察が再審を請求すべきケースだった。時効にもかかっていない。
今後さらに証拠を集め、検察の嘘に迫りたい。加藤裁判長はこれまでいい判決を書いており、良心的裁判官ではないか(刑事記録の提出要求には応じなかったが)。高いモラルを持っている裁判官なら正しい判断をしてくれるはずだ」。 (了)
2006年11月06日14時42分
安倍政権をどう見るか
「核持ち込み」の怖れ…非核3原則堅持の再確認を
北朝鮮の核実験強行によって。世界は揺れに揺れている。「北朝鮮への国連制裁」「ミサイル防衛網強化」「核ドミノ現象の恐れ」……物騒な動きが危機を増幅している。この時代状況に乗じ、不安感を煽ってナショナリズム(愛国心)喚起のテコにしようとの謀略に騙されたら一大事だ。憲法9条はもとより、「非核3原則」を堅持してきた日本国民は、今こそ「国是を守る」覚悟を固めなければならない。
▽「核保有の議論も…」と外相、政調会長の暴言
北朝鮮の暴挙に対して国連安全保障理事会は10月14日(日本時間15日未明)、国連憲章第7章に基づく制裁決議を全会一致で採択した。中国・ロシアに配慮して、非軍事的な経済制裁になったが、一部タカ派政治家から驚くべき発言が飛び出した。15日朝「テレビ朝日」に出演した中川昭一・自民党政調会長が「(日本に)核があることで、攻められないようにするために。その選択肢として核(兵器の使用)ということも議論としてある。議論は大いにしないと(いけない)」と熱っぽく語ったのである。「もちろん非核3原則があるが、憲法でも核保有を禁止していない」とも付け加えている(毎日10・16朝刊)。
18日には麻生太郎外相が衆院外務委員会で「核保有の議論を全くしていないのは多分日本自身であり、他の国がみんなしているのが現実だ。隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と述べた(朝日10・19朝刊)。
核拡散を防ぐため全世界が懸命に努力してい最中に、自民党の政策責任者と外相の相次ぐ暴言には呆れ果てる。安倍晋三首相をはじめ他の閣僚・党幹部は「非核3原則は、一切変更しない」と述べて両発言を打ち消しているが、北朝鮮危機に便乗して、自民党政府の“本音”が口をついて出たとも勘ぐれる。
核保有・ミサイル防衛に関し、安倍首相が官房副長官時代の2002年5月13日に行った講演の衝撃が蘇る。早稲田大学客員教授・田原聡一朗氏主催「大隈塾」のゲストとして「危機管理と意思決定」と題する講演で述べたもので、当時ホットな政治課題になっていた「有事法制関連法案」が主要テーマだった。有事法制の必要性を講演したあと、田原氏との質疑応答で“踏み込んだ発言”をしているので、参考のため問題個所をそっくり引用しておきたい(サンデー毎日2002・6・2号)。
田原氏「有事法制ができても、北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう。これは撃っちゃいけないんでしょう。先制攻撃だから」
安倍氏「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』と見なすんです。(日本に向けて)撃ちますよという時には、一応ここで攻撃を『座して死を待つべきでない』といってですね、この基地をたたくことはできるんです。(略)撃たれたら打ち返すということが、初めて抑止力になります」
田原氏「じゃあ、日本は大陸間弾道弾を作ってもいい?」
安倍氏「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない」
「ええっ」と、驚いたような声を上げる田原氏。そして、安倍氏は
「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね。憲法上は。小型であればですね」とも断言した。田原氏が「今のは、むしろ個人的見解と見たほうがいいの? 大陸間弾道弾なんて持てるんだよ、というのは」と念を押すと、
「それは私の見解ではなくてですね。大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは、日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることは全部やるわけではないですから」
この「安倍発言」を受けて、福田康夫官房長官(当時)は2002年5月311日「非核3原則は今までは憲法に近かったけれども、これからはどうなるのか。憲法改正を言う時代だから、非核3原則だって、国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」(毎日02・6・1朝刊)と語って、物議を呼んだ。これは番記者に対するオフレコ発言だったため「政府首脳言明」と固有名詞を伏せて報道されたが、小泉純一郎首相(当時)は「私は何も言ってない。誤報はやめてくれ」と記者団に不満を述べ、その直後に福田官房長官が「実名報道に同意した」という毎日6・4朝刊の裏話も興味深い。
▽「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」と煽る中西京大教授
以上、政府・与党首脳の“問題発言”を概観したが、安倍首相のブレーンといわれる中西輝政京大教授の「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」との緊急提言に驚愕した。同氏が今まで主張してきたことを「週刊文春」(06・10・19号)誌上で最も刺激的に発表したもので、非核3原則を骨抜きにする恐るべき提言だ。数十万部の大衆週刊誌に、このようなプロパガンダが掲載されたことに、日本国の“危機的状況”を痛感した。非核3原則の「持ち込ませず」の1項を取り払って「米の核ミサイルを日本に配備せよ」ということ。俗耳に入りやすい論理で、ナショナリズムを刺激して“核保有”の道を開こうとの意図を感じる。
中西教授は同誌で、「日本が独自に核を持つという選択肢は現実にはありえない。ではどうするか。日本が北朝鮮の核を抑止する唯一の方法、それは米国の核を在日米軍に配備することです。それも核を搭載したイージス艦や潜水艦を日本海に展開しただけでは抑止力になりません。日本国内の在日米軍の基地に、北朝鮮に向けたミサイルを目に見えた形で配置して、初めて核は抑止力たりえるのです。もちろんそのためには、非核3原則のうちの『持ち込ませない』の撤廃が必要となる。……日本が独自に核を持つよりは、米国にとってはるかに受け入れやすいプランであるのも確かです」と得々と持論を吹聴しているのである。
この「中西提言」が安倍政権の政策にどう影響するかは、もちろん定かでないが、安倍首相の“ご意見番”が発した提言だけに今後の行方を厳しく監視することが緊要だ。
▽「核積載の米艦寄港」…ライシャワー証言の衝撃
安倍晋三・福田康夫両氏の「核保有、ミサイル防衛」に関する4年前の発言を検証したが、その時の考えと現在の姿勢が大きく変化したとは思えず、首相になった安倍氏が「非核3原則変更は考えてない」といくら強調しても俄かに信じ難い。「非核3原則を堅持する」と言いながら、国是を踏みにじる“密約”が存在していたことが暴露されてきた歴史的経緯があるからだ。そこで、「非核3原則」をめぐる約40年の変遷をたどってみたい。
「非核3原則」は、1967年12月11日の衆院予算委員会で核兵器の有無が問題化した際、佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁したのが最初。沖縄の本土復帰を悲願とした佐藤政権にとって、「核抜き」を国民に約束せざるを得ない背景があったようだ。その後、1971年11月24日の衆院本会議(沖縄返還国会)で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択された。
「1.政府は,核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核3原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。
1.政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。
右決議する。」という画期的な国会決議だった。
さらに1976年6月8日の「核不拡散条約(NPT)批准に合わせて衆参両院外務委員会が同年「非核3原則を国是として確立されていることに鑑み、いかなる場合も忠実に履行、遵守することに政府は努力すべき」と決議している。
ところが、非核3原則の陰に密約があったことを裏付ける「ライシャワー発言」が1981年5月17日、明るみに出て大騒ぎになった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎日新聞のインタビューに応じたもので。「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言だった。
これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けていたが、1999年それを覆す米外交文書が見つかった。朝日新聞が同年5月15日夕刊に特報したもので、「事前協議」の虚構性が暴露されてしまった。この公文書は池田勇人内閣時代(1963年)のものであり、朝日の記事から主要点を引用し参考に供したい。
「核兵器を積んだ米艦船などの日本への寄港・通過を、1963年4月に大平正芳外相(当時)が米側に認めていたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。核搭載の一時通過をめぐってはライシャワー元駐日大使が81年に『日米間に口頭了解があり、実際に核を積んだまま寄港している』などと発言して問題化したが、公文書で大平氏の『了解』が明らかになったのは初めて。文書は米国防長官が国務長官にあてた書簡で、大平氏の了解が、その後も米政府内の基本認識として生き続けてきたことをうかがわせる。日本政府は今も『核搭載船の寄港も事前協議の対象』と主張しているが、事前協議の虚構性が米政権幹部の最高レベルが交わした文書で裏付けられたことになる。
問題の文書は、72年6月にレアード国防長官が、攻撃型空母ミッドウェーの横須賀母港化や2隻の戦闘艦の佐世保への配備などを日本政府に認めさせるようロジャース国務長官に要請した書簡。昨年末に米国立公文書館で解禁された資料で、我部政明・琉球大教授(国際関係論)が入手した。書簡では、国務省側が核兵器を搭載している航空母艦を日本に寄港させる場合は日米両政府で事前協議の問題が生じることを心配したことに対し、国防長官は『事前協議は法的にも日米間の交渉記録で問題がないことは明らかだ。ライシャワー大使が63年4月に大平外相と話し合った際、核搭載船の場合は日本領海や港湾に入っても事前協議が適用されないことを大平外相も確認した。以後、日本政府がこの解釈に異議を唱えてきたことはない』とつづっている。
また、核を搭載せずに航空母艦を配備することができないか、という国務省の提案に国防長官は『それでは軍事的に意味がない』と拒否。結局、両長官のこの書簡から1年4カ月後の73年10月にミッドウェーは横須賀に配備された。大平・ライシャワー会談の交渉記録そのものは明らかになっていないが、我部教授は『大平外相とライシャワー大使の密約のあった当時は米原子力潜水艦の寄港問題などで日本国内に論議が巻き起こっており、ライシャワー氏とすれば口頭でも確認しておく必要があった。書簡のやりとりを見れば、その後も米側が事前協議制度を何とか形がい化させようとしていたことがわかる』と話す」
▽「核兵器の抑止力」が通じない時代状況
60年案保改定時からの経緯を検証してみて、核問題が戦後政治を揺さぶってきたことが明らかになった。周期的に政治問題化してきたが、今度の北朝鮮核実験が投げかけた問題は一層深刻である。米下院・情報特別委員会が10月3日公表した報告書で「北朝鮮が核実験を行えば日本、台湾、韓国は自身の核開発の計画を検討するだろう」との警告を発したことを、東京新聞(10・13朝刊)が報じている。
さらに「日本の核武装については、安倍政権もその意思がないことを強調するが、ドミノ現象は北東アジアだけでなく、イランを起点にして中東地域にも飛び火しかねない。『サウジアラビア、エジプト、シリア、場合によってはトルコまでもが核武装に走る可能性がある』と米シンクタンクCNSの部長は分析する。……半面、北朝鮮を核実験に追い込んだのは米国自身との皮肉な側面もある。ブッシュ政権はイラク、イラン、北朝鮮の『悪の枢軸』のうち、大量破壊兵器保有の裏づけを得られなかったイラクを攻撃した。核兵器を持たなければイラクの二の舞いになると考えた北朝鮮、イランを核開発に追い立てたともいえる米国。そんなねじれた立場で、いかにしてドミノ倒しを防げるか…」と、同紙は鋭く迫っていた。
前段で指摘した中川・麻生発言が、核拡散の引き金になるようだったら一大事である。二人の“核発言”は北朝鮮への抑止効果を狙っただけとの見方もあるようだが、果たしてそうだろうか。NPTを脱退して核実験を強行した北朝鮮外交に対抗して、日本がNPTを脱退することは国際信義上不可能なこと。「議論するのはいいではないか」と麻生外相が言い張っても、憲法9条・非核3原則・NPTの縛りがある現状で、性急な“核論議”は不毛であり、前向きな結論は導き出せない。例えば、「米国にならって、日本を銃社会にしよう」との問題提起をしたら“時代錯誤”との非難を受けるに違いないが、「北朝鮮に対抗するため、核武装について議論しよう」との発言も同様に愚かな発想ではないか。
中西教授が言うように、米国の核を日本に配備することが抑止力になるとは考えられない。“米ソ核均衡の時代”より複雑化した世界になったことに加え、追い詰められた北朝鮮のような国家は自暴自棄の戦術で抵抗する。従って、核抑止力が相手には通じないばかりか、却って暴発を招きかねない。
この点につき、田中宇氏(国際問題評論家)は「核兵器をめぐるブッシュ政権の政策のもう一つの特徴は、イランや北朝鮮などの反米国を脅し、逆に核兵器を持たせてしまうように扇動した結果、世界で核保有しそうな国が急増し、従来の『核抑止力』が無効になってしまったことである」と指摘。さらに「日本人は、核兵器が抑止力を失いつつある今ごろになって、核武装したがっている。本当は『核兵器は抑止力が失われたので、もう全世界で核廃絶した方が良いのではないか』と主張した方が外交的に得策なのに、世界の変化が見えていない。対米従属の気楽さが、日本人を浅い考え方しかできない人々にしてしまった」と、日本外交の非力と構想力の貧困を糾弾していた(田中宇HP10・24)。
非核3原則は、「核艦船の寄港」によって「2・5原則」に変質しているが、本土への「核持ち込み」を許して「2原則」になったら、「非核3原則の国是」は解体の運命をたどる。この危機的状況を厳しく捉え、「核廃絶」を全世界に訴え続けることこそ日本の責務である。
2006年09月22日21時51分
沖縄密約
沖縄「密約」事件と国家犯罪 国賠訴訟と「西山陳述書」
日米両政府は2006年5月1日、「在日米軍再編」最終報告書にサインした。前年秋から「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)で協議していた重大案件で、米政府が全世界をにらんだ米軍トランスフォーメーションの一環としての「在日米軍再編」であるとの認識が必要だ。その観点から最終報告書を点検すると、「日米軍事一体化」がますます鮮明になってきたことが読み取れる。
日米が合意した「ロードマップ」には、「①米ワシントン州にある『米陸軍第一軍団司令部』を、2008年9月までに神奈川県の米軍キャンプ座間に移転させる。②沖縄駐留米海兵隊約1万5000人のうち約8000人と家族約9000人を、2014年までにグアムへ移転させる。③米軍普天間飛行場を、2014年までに名護市の米軍キャンプ・シュワブ区域の辺野古岬へ移転させる」と記されており、この3点が再編計画の柱といえる。
特に「(d)沖縄再編案間の関係」の項に、米国の対日政策の強固な布石を感じた。「▼全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている。▼特に、嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かっている。▼沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、①普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展②グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献に懸かっている」と、明らかに“パッケージ決着”を日本側に迫る内容である。
この取り決めに基づいて、グアム移転経費として約60・9億㌦(約7000億円)の負担を日本側に押し付けた。米側負担分が、日本側負担より少額の41・8億㌦だから、法外な移転経費の請求だ。また、ローレス米国務副長官が最終合意のあと「米軍再編に伴う日本側の負担総額は3兆円」と口走った背景に、米国の腹黒い対日戦略を感じる。合理的な積算根拠を示さずに“掴み金”的なカネを日本側に強要する、米外交の常套手段は相変わらずで、「日米同盟」の名のもとに騙され続ける日本外交の非力が嘆かわしい。
敗戦後61年、沖縄の本土復帰から34年の歳月が流れたが、沖縄は今も「米軍基地の島」である。米軍再編→日米軍事一体化が進行する現在、奇しくも沖縄返還時の密約問題がクローズアップされてきた。佐藤栄作政権が推進した沖縄返還に関し、毎日新聞記者が暴いた「沖縄密約事件」。有罪判決を受けた西山太吉・元記者が2005年春、国を相手取って「国家賠償訴訟」を起こし、現在も東京地裁で審理が続いている。
2000年と2002年の米外交文書公開によって、30数年前の佐藤・ニクソン日米首脳が調印した「沖縄返還協定」の中に密約があったことが暴露されてしまった。しかし、日本政府は情報公開に応じないばかりか、「密約はなかった」と否定し続けている。2006年2月には「吉野証言」が飛び出して、「佐藤政権時代の国家的犯罪」の様相が一層濃くなってきた。「吉野証言」については既に本欄で取り上げたが、当時の日米交渉のキーマンと言える吉野文六・外務省アメリカ局長(当時)が、長年の“密約否定発言”を翻して、密約の存在を認めた証言の重みは頗る重い。
新事実が次々明るみに出てきている中で、「西山国賠訴訟」口頭弁論が1年半近く東京地裁で続けられ、2006年11月に大きなヤマ場を迎えようとしている。8月29日の第7回弁論で、加藤謙一裁判長が「次回に、原告本人の当事者尋問を行う」と伝えたからである。第6回弁論(6月6日)の際に裁判長が「陳述書提出」を求め、原告側代理人・藤森克美弁護士から「原告本人(西山太吉氏)の陳述書」「米国務省(国防分析研究所)の報告書」 「我部政明・琉球大教授の著作」などが8月中旬までに提出されていた。それらを確認のうえ、原告本人尋問が決まったわけで、次回(11月7日)の尋問時間は、主尋問(原告側代理人による尋問)40分、反対尋問(国側代理人による尋問)20分の予定である。
藤森弁護士は「原告本人の尋問時間を90分で申請していたが、半分弱の40分に削られた。しかし、立証趣旨や尋問事項を制限されなかったので、制約を受けず網羅的に尋問を行う機会が確保されたという点で、評価したい」と感想を述べている。
東京地裁に8月提出された「原告本人の陳述書」を精読したが、最新資料にまで目を通して密約問題を分析した記述に説得力があった。日米交渉の経緯を追究し、第4章(『密約隠し』の再生産)では、「2000年の米公文書は沖縄返還協定調印後間もなく国務省が、2002年のそれは協定発効後に米国の国家安全保障局が作成したもので、いずれも外交交渉の過程ではなく、その終了後に用意された文書である。そして、吉野氏といえば協定調印時の外務省アメリカ局長であり、かつ二通の秘密文書のイニシアルの本人であって、それこそ実務の最高責任者として交渉の全容に精通している人物である。
米公文書の内容は電信文のそれとも完全に整合し、また、吉野氏がその重要部分を認めたことからも、そこに一語の狂いもあろうはずのない性質のものである。もし、現政府が、このような厳正な事実をあえて否定しようとするのなら、それ相応の立証責任をともなわねばならない」と鋭く迫っている
西山氏が30数年前「沖縄密約」を暴いたきっかけは「基地返還に伴う米軍用地復元補償費400万㌦」の疑惑だったが、それは“氷山の一角”。沖縄返還実現を“花道”に引退を目論んだ佐藤栄作政権が、ベトナム戦争で財政ピンチに直面した米政府の無謀な要求を次々呑み、“密約”の形で日本が巨額のカネを貢いだ構図が、白日のもとに曝されてしまった。その後発掘された新資料で明らかになったように、「密命を受けた柏木雄介―ジューリック両財務担当官によって敷かれたレールに乗って、作為的な沖縄返還定案が出来上がった」と判断するのが妥当な分析である。
澤地久枝さんの名著『密約』は30年近く絶版になっていたが、最近、岩波現代文庫から復刊された。執拗に不条理な事件を追った澤地さんの思いは深く、巻末の「沈黙をとくー2006年のあとがき」の文章が素晴らしかった。沖縄問題の底の深さ。「佐藤栄作内閣のもとに、本土復帰した沖縄は、今なお依然として米軍基地の島でありつづけている」と、次のように今日的問題点を指摘している。
「米軍独自の戦略によって、沖縄にいる海兵隊の一部はグアムへ移駐する。その費用は7000億円の支出を日本は求められて支払う。米軍再編成費の日本分担金は3兆円といわれる。日米安保条約にはじまる日米間の『密約』の堆積。国家機密の壁によって阻まれ、主権者が知り得ず、したがって論議はされず、効果的な反対表明もない長年月の結果がいま、事実として日本の主権者に課せられつつあるのだ。この本で私は政府の対米『密約』と男女関係との比重の倒錯、本質のすりかえを初心者らしいしつこさで追及した。当時、『氷山の一角』という認識はあったが、隠された全容が、主権国家であることを揺るがすほどのものであること、憲法とくに第9条改変へ向かわざるを得ない本質を含むことまで考え及ばなかった」と率直に告白し、「低次元の問題にまんまとすりかえられた『密約』問題は、世紀を超えて日本を拘束する対米関係からこぼれた『ほころび』であった。責任を問われるべき佐藤首相以下、ほとんどが故人となった。本質を見抜けず、『すりかえ』を許した主権者の責任は、現在の政治状況の前に立つ私たちに示唆と教訓を残しているはずである」と結んだ文章に感慨を覚えた。
「沖縄密約」事件をきちんと総括することが、日本の今後を考える上で極めて重要であると、痛切に感じた。
「西山陳述書」の一部を抜粋
「西山陳述書」は第1章から第5章まで多岐にわたっているため、「対米支払い」に関する記述の一部をピックアップして紹介させていただく。(原文のまま)
▼沖縄の1972年返還は、それより2年半前の1963年11月、ワシントンで行われた当時の佐藤首相とニクソン米大統領との会談の結果、発表された「日米共同声明」により決定した。この共同声明が出来上がるまでの日米間の交渉については、返還が実現した1972年5月15日から2ヵ月後に完成した「沖縄返還――省庁間調整のケース・スタディ」と題する米国務省の秘密文書の中に、克明に記述されている。この文書については、秘密解除後まもなくの1996年4月、朝日新聞が核密約問題に限って、一部報道したことがあるが、文書全体の内容と問題点は、これまで紹介されないまま今日に至っている。この文書は、米国務省が3人の情報関係の専門家に委託し、これら専門家が、交渉に携わった関係者の一人一人に面接、聴取した結果を「誰々が何月何日に……」といった具合に、日取りを追って、その実態を詳細かつ綿密に記録したもので、恐らく沖縄返還交渉の核心を知る上で、これ以上の外交文書はないといっても過言ではない。(ちなみに、日本の外務省は、沖縄返還については、戦後の他の重要な外交案件、例えば日韓交渉、日米新安保条約交渉などとともに、いまだに、その関連文書のほとんどを開示していない。)この文書によって判るのは、沖縄返還交渉は、1969年11月の日米共同声明発表の時点で、その骨格というべきものは、すべて固まっていたという事である。もちろん、最大の難点とされた財政問題、すなわち、対米支払い問題も日米双方の間で、5億㌦以上の額で合意に達し、合意議事録まで作成されたのである。にもかかわらず、この事実は日本側からの申入れで伏せられ、声明には一切盛り込まれないまま,後になって、協定に,ウソを書いてみせかける(秘密電文中にあるアピアランス)か、あるいは、交渉結果そのものを隠してしまう外交上、あまり例のない国家犯罪へと発展していくのである。
▼沖縄返還の“密約”問題の焦点ともいえる財政問題に移るが、その前に、強調しておきたいことがある。それは、本件の“密約”なるものは、通常いわれる“裏取引”にとどまるものではなく、条約、協定案にかかわるという点である。いうまでもなく、条約、協定案は、国の予算案同様、衆院通過後の“自然承認”が認められている最高度の承認案件である。憲法上、国会は、国権の最高機関であり、その国会の最高度の承認案件に、かりにもウソ、ゴマカシがあるとすれば、そのこと自体が、違憲・違法であることは、まさに、自明の理であり、司法の世界では、イロハの「イ」に属する話であろう。しかるに、審理を尽した一審においてさえ、“密約”を“遺憾”としながらも“違法”の判示までは下せなかった。有価証券報告書の“虚偽表示”あるいは、“粉飾決算”の場合、株主に損害を与えるとして、必ずといってよいほど“有罪”となる。納税者(主権者でもあるが)の権利・義務に、直接かかわる財政関係の協定案の“虚偽表示”は、そのような部類のものとはグレードの異なる重大犯罪ではないのか。こうした原則的疑問を呈すること自体、極めて不自然なことであるが、ある意味では、それは国の水準を如実に示していることにもなる。“承認案件”に触れることは、自らの退路を断つという心理が、裁判官に働いたのかもしれないが、最高裁のこれについての初歩的な誤判からも窺えるように、検察側証人による徹底した偽証とその偽証を利用して訴訟を主導した、検察側のこれまた徹底的な“裁判妨害”こそが“違法”回避の判示をもたらした最大の要因であったといえる。
▼財政問題については、1969年6月頃から、まず、日米双方の閣僚レベルで原則的な話し合いが始まった。ここで、わが方の福田蔵相は、一見、不可解な態度を取り始める。ケネディ財務長官との会談で「今度の財政問題の折衝は、日本の大蔵省と米財務省、つまり,両財務当局の間だけで、余人を交えずに、進めていきたい」といった具合に、普通、外務省中心に行われる外交交渉とは、やや異なる交渉のやり方を提案したのである。また、「沖縄をカネで買った」(米秘密文書)という日本の議会の批判をかわすため、財政問題の決着は共同声明発表後まで持ち越したいとも提案した。交渉方式を財務当局に厳密に限定しようとする背景には、もともと困難な事態が予想されていたこの問題を打開するには、まず政府内部からの横ヤリや批判を排しながら、ことを秘密裡に運ばなければならない場面が必ず出てくる。それには、交渉の主体を、佐藤―福田ラインの直接指導下におく必要があるという判断があったからで、この点については、吉野文六元外務省アメリカ局長も、そのオーラル・ヒストリー(2003年)の中で、いみじくもこう語っている。「……沖縄に関わる資金の問題は、我々から言えば『けしからん』と思うけれども、それはアメリカ大使館が柏木財務官とか、その他の国際金融局(注・大蔵省)の事務方と、我々の知らぬ間にひそひそと計算して、数字を積み上げていたんです。最後になって、大蔵省の方から『これだけになるよ』と言って来たわけです。『そんなものは知らんよ。お前の方でこそこそやっていたのだから、協定に書くわけにはいかん』と我々は頑張っていたのです……」と述懐している。しかし、いくら外務省が頑張ってみても、もとはといえば、佐藤―福田ラインの了承の下に決まったのであるから、どうしようもなかったのである。
▼1969年11月10日にまとまった柏木―ジューリック合意は、日本側の意向により、差し当たっては、口頭(オーラル)によるものとし、佐藤・ニクソン共同声明発表後、10日経った12月2日に両代表が秘密覚書(SECRET-MEMO)にサインした。それによる対米支払いの概要は次のようなものである。
(1)電力、水道などの米資産の買い取り費として、1億7500万㌦
(2)基地移転及び返還に関係する一括解決金として2億㌦(返還後、5年間に、
物品、役務で提供)
(3)日本銀行は、ニューヨーク連銀に、最低6000万㌦を25年間、無利子で預金する。(注・それにより、米側に、1億1200万㌦を供与することになる)
(4)米軍関係の日本人労働者に、日本の社会保障制度を適用することにともなう費用として3000万㌦
このような財政問題の取り決めに当たって日米間で最も難航したのは、日本側が、国会対策上、費目ごとの厳正な積み上げ方式を主張したのに対し、米側は、それでは、期待する金額には、到底届かないとして、掴み金方式を提示し、そのいずれを採用するかで争った点であった。しかし、米側の主張は固く、結局、日本側が歩み寄り、大ざっぱな費用計算でハジキ出した米資産買い取り以外は、基地移転や返還関係費用の名目で2億㌦の掴み金をしはらうことになった。これを合計すると、3億7500万㌦となる。これに、預金利子相当分の1億1200万㌦その他を加えると5億2000万㌦近くの金額となる。ケース・スタディは、これについて「5億2000万㌦で合意」と記述し、米国防省あたりは、6億ドルを要求していたが、国務省は、期待以上の金額として歓迎の意向を示したと書いている。端的に言えば、沖縄返還の対米支払いを米側は、その内訳を問題にせず、常に「掴み金」としてとらえていたのである。2000年、2002年の米外交機密文書及び最近の“吉野発言”で証明されたように、後になった柏木―ジューリック秘密合意に加算されたのが、米軍用地復元補償費400万㌦、VOA施設の海外移転費1600万㌦、計20000万㌦であり、この総額の中身を国内説明できるように、編成(いわば偽装)し直した上で、協定化する作業が70年から71年前半にかけて行われたのである。
▼柏木―ジューリックで決った対米支払いのうち、預金利子の免除や基地従業員への社会保障の適用を除いたいわば“真水”部分の額は、合計で3億7500万㌦である。2000年発掘の米外交文書にあるように、「……もともと財政的には、3億㌦で解決するはずが、3億2000万㌦に増えてしまった。……増加分は、返還土地の原状回復要求に対する400万㌦とVOAA施設の移転費1600万㌦。日本政府がこれらのコストを特別に追加支出することは伏せなければならない……」ということに照らせば、この3億7000万㌦はまず、3億㌦と7500万㌦に分離され、この7500万㌦が米軍施設改善移転費6500万㌦と返還に伴う基地従業員の労務管理費1000万㌦として特別扱いになったということができる。もとは1本のものだったのだ。この点で、米公文書は「日本政府が…基地施設改善移転費枠が設けられている事実を極秘にしているのは…3億2000万㌦を超える解決では国会を納得させられないと考えているからだ」と明確に解説している。さらに、この費用が極秘になったのは、単なる基地の移転や改良は、米側の負担とするという日米地位協定の枠をはみ出すので、(877号電信文中の“リベラルな解釈”の部分)国会通過は容易でないと見たからでもある。要約すれば、3億2000万㌦という対米支払いは、柏木・ジューリック合意から派生したもので、それは、1億7500万㌦という米資産買い取り費、軍用地復元補償及びVOA移転費の日本側による肩代わり金(追加支出)2000万㌦それに残余の1億2500万㌦の「掴み金」から成り立っているのである。
米公文書の「3億2000万㌦に関する合意は、返還協定7条にある通り、資産買い取りのための1億7500万㌦は例外だが、内訳を合意する気はなかった。それはできないことだった。……日本政府が内訳をどう説明しようと自由だ。……」という記述は、この問題の実態をずばりと突いている。「3公社、労務関係費、第8項(注・核抜き)のそれぞれにいかに割り振るかは日米でよく打合せ、対議会説明の食違いなく必要以外の発言はせざるよう米側と完全に一致する必要がある」(1034号電信文)――という日本政府の懸念は、もし、米側がもらう額の立場上、気がゆるんで国内の報道機関などに、「あの中には日本側からの追加支出2000万㌦が含まれている」ことを漏らすようなことにでもなれば、大変な事態になるという恐れからきている。この間の事情は、2002年に発見された米秘密文書を見ればよくわかる。同文書は次のように記述している。
「2、日本の立場――日本政府のこの問題に対するアプローチは、いかなるアメリカとの密約の存在もきっぱりと否定するというものである。さらに、アメリカへのいかなる資金提供もないと否定するものである(原告注・だから、いまでも日本政府は否定し続けている)。日本政府は、報道機関からの追及に対して、我々(アメリカ政府)も同一歩調をとるように要求してきている。
3、推奨されるアメリカの立場――我々は、上院に対しては、条約に関する聴聞会において、密約事項として、この補償問題の処理について告知しているが、もしこの問題が今後、議会や報道機関の厳密な追及の対象になるとすれば、我々は、補償額が推定400万㌦を超えないことを追認することは避けられないだろう。また、この問題で密約が存在するという事態を追認することは避けられないだろう…」。
密約発覚後の事態ではあれ、このように、日本側と米側の立場は明確に異なっている。だから、3億2000万㌦の内訳について電信文中の日本側の懸念は深刻なものだったと言えよう。
検察側証人は、この3億2000万㌦について、5億㌦、6億㌦もする本来の主張を譲歩させたとウソの証言をし、地裁もそれを前提に判示した。しかし、事実はこれまで述べてきたように、米側は、実質5億数千万㌦に達する支払額を獲得して満足していたのである。同証人は、この3億2000万㌦の内訳は、資産買い取り費1億7500万㌦、人件費増加分7500万㌦、核兵器撤去費7000万㌦から成り、密約事項は、一切ないと証言した。
さらに請求権については協定上、規定された米側による「自発的支払い」は、文字通りの「自発的支払い」であり、電信文の「請求権」の項目で「財源の心配までしてもらっていることは多としている…」と述べている点についても、それは、3億2000万㌦という金額全体についての謝意を表明したものと証言した。この点は、さすがに地裁も納得せず、「合理的根拠がない」と突っぱねたが、事実は、米外交文書による説明に留まらず、最近になって、吉野証人もそれが“偽証”であることを認めたのである。
2006年04月01日09時32分
沖縄密約
沖縄返還密約「吉野文六証言」の衝撃と米軍再編
外交でも、内政でも重大案件の処理を誤ったため、後世にツケを残したケースは枚挙にいとまがない。いま問題化しているBSE(牛海綿状脳症)ライブドアなど〝四点セット〟の混乱もその例証だが、今月の論稿では35年もベールに包まれていた「沖縄返還密約」の背景を探り、直面する「米軍基地再編」問題との関連を考察してみたい。
「沖縄密約事件」は、西山太吉・元毎日新聞記者が1971~72年の取材過程で入手した外交秘密電文を暴露したのが発端。これに対し、時の佐藤栄作政権は「密約はなかった」と強弁し、逆に西山記者と外務省女性事務官(安川壮審議官付き)とのスキャンダルにすり替えて「外交機密漏洩事件」として断罪、真相を隠蔽してしまった。
事件から30年経過したため米国外交文書が公開され、日本の研究者とメディアが究明した結果、2000年と2002年に「日本の400万ドル肩代わり密約」を裏づける外交文書が発掘された。ところが、日本の外交文書公開はいぜん不完全で、政府は〝密約〟を否定し続けている。このため西山氏は昨年4月「不当な起訴で記者活動を停止させられた」として、国に3300万円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こし、現在審理中である。
▽ベール剥ぎ取った北海道新聞のスクープ
店ざらし状態の外交責任を問うための「西山・国賠訴訟」だったが、新聞の関心は何故か薄く、雑報程度の扱いに終始しており(沖縄県紙は相当の扱いだが)、沖縄密約事件が投げかけた〝今日的意味〟が伝えられていないことに不満を感じてきた。このモヤモヤを吹き飛ばしたのが、北海道新聞2月8日朝刊の衝撃的スクープだった。
「沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる1971年署名の沖縄返還協定について、当時、外務省アメリカ局長として対米交渉に当たった吉野文六氏は、2月7日までの北海道新聞の取材に『復元費用400万ドル(当時の換算で約10億円)は、日本が肩代わりしたものだ』と政府関係者として初めて日本の負担を認めた」との特ダネ証言に、度肝を抜かれた。35五年前、スナイダー米公使と交わした「密約文書」の存在につき、吉野氏は今まで自筆のサインは認めたものの、「交換公文の内容は一切覚えていない」とシラを切り続けてきたからである。
西山氏は1971年入手した秘密電文をもとに「沖縄にある米国資産などの買い取りのため、日本が米国に支払う3億2000万ドルの中に400万ドルが含まれている」との疑惑を発掘、特ダネとして追及した。この400万ドルは、米軍が接収していた田畑などの復元のため米国が日本に支払うと約束していた費用。吉野氏がこのほど北海道新聞記者の取材に応え、「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還で金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れがあったため、沖縄が返るなら400万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と、〝密約〟の経緯を証言した事実は極めて重い。
審理中の西山・国賠訴訟で原告側は「国家権力中枢の組織犯罪という巨悪が隠蔽され、公正な刑事裁判を受ける権利を奪われた」として、虚偽公文書作成罪・偽計業務妨害罪・憲法七三条三号(条約の国会承認)違反…等を掲げて弁論を展開。「できれば、吉野氏を弁護側証人に申請したい」との構えをみせている。(社民党は証人喚問を要請)
北海道新聞2月8日朝刊特ダネに即座に反応したのは共同通信。吉野氏に確認取材したうえで、同日夕刊用に配信した。際どい時間帯だったのに、共同電を夕刊一面大トップに仕立てた琉球新報・沖縄タイムスの価値判断を評価したい。他の主要地方紙も夕刊で追っていたのに、全国紙の感度の鈍さに驚いた。共同加盟社の東京(中日)新聞は8日夕刊に掲載したものの第二社会面3段扱い。毎日・朝日が2日遅れの10日朝刊、読売が11日朝刊掲載になったのは、ニュース判断を誤った失態と言わざるを得ない。朝日の二度にわたる関連特集や社説掲載など、主要各紙の〝紙面修復〟への努力は認めるものの、全国紙の扱いから受けるインパクトが希薄だったように思う。
87歳の吉野氏は、各新聞社の相次ぐインタビュー(民放ではテレビ朝日)に応じ、「400万ドル肩代わり」以外に、「当時公表されていなかったVOA(米政府短波放送)移転費1600万ドルも、日本が支払った3億2000万ドルに含まれていた」などの新証言を次々明かしている。「大蔵省(当時)のやったことだから細かいことは分からない」と言うが、積算根拠の薄弱な〝掴み金〟を支払って、沖縄を返還させた構図が透けて見える。
3月8日の参院予算委では福島瑞穂・社民党党首が政府の隠蔽体質を執拗に迫ったが、「密約は無かった」と繰り返すばかりだった。まさに〝臭い物に蓋〟…説明責任を果たさない政府の傲慢さは噴飯ものである。「米側の公文書と吉野証言で(密約は)歴史の事実として確定したものとしか言いようがない。政府がいくら否定しても説得力を持たない」(毎日2・11社説)など、各紙社説は一様に正確な情報開示を政府に求めている。
「問題は『機密漏洩』ではなく『密約』にこそあったはずだが、情報源をめぐるスキャンダルになり、密約追及はかすんでしまった。当時のマスコミ報道も含め、世論が操作される怖さを教訓として記憶しておきたい」(北海道新聞2・14社説)「名誉を回復し国家賠償と謝罪を求めるために起こした裁判の長さを考えれば、政府の責任はより重くなろう。もう一つ付け加えれば、西山氏と取材を続けながら、政府の意図に乗る形で『記者と外務省職員のスキャンダル』に終わらせてしまったメディアの責任も問われなければなるまい」(沖縄タイムス2・9社説)……等々の指摘もまた重要で、過去の報道姿勢を謙虚に反省し、今後の取材・紙面づくりに生かすよう望みたい。
▽巨額な沖縄海兵隊グアム移転費要求
現在、「在日米軍再編」をめぐる日米交渉が大詰めを迎えている。キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部移設など、自衛隊と米軍一体化運用が重点とみられ、沖縄駐留米海兵隊数千人のグアム移転、普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設などの行方も注目されている。米側は海兵隊約1万8000人のうち8000人削減が可能と提案しているが、グアムへの移転費用(基地整備費なども含む)の日本側負担を求めてきた。その負担額は、総額100億ドル(約1兆1800億円)の75%…75五億ドル(約8850億円)もの巨額要求である。積算根拠が曖昧なことは、35年前「沖縄返還交渉」時の3億2000万ドル(当時の換算で約980億円)要求とそっくりな手口ではないか。「米側は過去の日米協議で『約80億ドル』と伝えているが、『建設する具体的な施設の数や内容など積算根拠がなく、腰だめの数字に過ぎない』(防衛庁幹部)という」との指摘(読売2・11朝刊)通りのお粗末さだ。
一事が万事、今回の米軍再編協議を通じて、米国の対日交渉のしたたかさ・冷徹さ、日本外交の詰めの甘さを痛感するばかりである。3月末までに、「米軍再編に関する日米最終報告」が出る予定だったが、「中間報告」(昨秋)に盛られた普天間飛行場の名護市移設と米海兵隊のグアム移転費用の日本側負担などをめぐって政府と地元自治体、日米政府間の具体的調整が難航、最終決定は四月に持ち越された。米軍基地に悩まされてきた地元感情を無視して強行を図る「米軍再編」の行方が、極めて憂慮される事態である。
▽「政府の政治責任を厳しく問え」
「沖縄密約問題は協定が結ばれた当時のウソばかりでなく、いまの日本の姿もあぶりだしている。それは、説明責任を放棄したまま根拠なく否定を続ける政府や外務省の体質であり、それを十分に追及しきれていないメディアの姿勢だ。国会で承認された協定に反する密約を交わし、ウソをつき続ける政府が責任を問われないこの国に、民主主義があると言えるのだろうか」――沖縄密約問題をウオッチしている田島泰彦・上智大教授(メディア法)の指摘(朝日3・9朝刊)に共感する。
「沖縄」をめぐる新旧の大テーマを比較検討してみて、35年前の「沖縄密約」のツケが、「日米同盟」の名のもとに悪影響を及ぼし続けている現実を改めて痛感させられた。
「基地の島オキナワ」の厳しい状況はなお継続している。険しい日米関係の現状を踏まえ、「吉野証言」の重みを反芻し、「西山国賠訴訟」を見詰めていくべきだろう。
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