DNDメディア局の出口氏のコラムから(産経 石塚健司)
これは、きっとブレークし、多くの議論のテーマを提供することでしょう。 それというのも、民主の小沢一郎代表の公設秘書の違法献金事件をめぐる一連 の検察捜査の不確かな行方と、リーク情報をまき散らす新聞メディアの問題が クローズアップされている、という絶妙のタイミングと、「厚いベールに包ま れた特捜部の内部で何が起きているのか」を、事件捜査の核心を突いて、取材 メモや長年の蓄積から"危険な構図"を浮かび上がらせることに成功しているからにほかなりません。加えて、 これが単なる事件の暴露本という次元に留まらず、捜査機関とメディアの関係、 刑事訴訟法の運用、組織の人事、適法と適正の問題などに言及し、そしてなに より人間物語として読む人の心に強く響いてくるのです。
例えば、ノーパンしゃぶしゃぶと揶揄されて世間にその愚劣さを印象づけた 旧大蔵省キャリアと証券会社の接待汚職事件、そのキャリアは収賄罪で起訴さ れるのですが、当時は官官接待がごく一般的で恒常化していた状況にありまし た。そこで、このキャリアの逮捕にむけてさらに悪質さを加えないと逮捕令状 が取れない懸念があったため、「女性関係の遊興費も証券側に負担させてい た」とする、情報を持ち込むのです。捜査の結果、それはでっち上げと判明するのですが、この重要な逮捕 の決め手となる事実を隠し、「嘘をついてキャリアの逮捕を了承させた」との 疑念が、法務省首脳から持ち上がることになったという。
しかも、その接待した大手証券のMOF担側は、実は、捜査する側の現職検事 をも接待している事実が浮上するが、組織を守るためその事実は隠ぺいされて いたのです。これが産経新聞のスクープとして暴かれるのは、捜査終了後のこ とでした(71P「不祥事にフタをした東京地検」)。
産経新聞の取材に対応した、当時の法務省官房長の但木敬一氏(後の検事総 長)は、事が発覚する数日前に大蔵省からの連絡で、現職検事接待の件を知っ たのですが、接待回数が多かった検事について、こういうのです。「A証券のM OF担と(検事)は、もともと高校、大学の同窓だったそうだから、飲食代金を 相手に払わせたとはいっても、友人としての付き合いという面があったのでは ないか」と。
こう擁護するのは、おそらく但木は知らなかったのだろう、収賄 で起訴された旧大蔵キャリアが、贈賄側のE銀行のMOF担とは学生時代からの友 人だったということを、と書いているのです。「特捜部は、旧友との飲食であ っても容赦しなかった」と指摘し、これらが事前に分かっていれば、旧大蔵キ ャリアの逮捕はなかった可能性があるとみているのです。
現職検事も接待というのは、石塚さんのスクープだったのですね。「但木が あの夜、初めて接待検事について質問をぶつけられたときに見せた沈痛な表情 は、今も忘れがたい」と述懐し、深夜、ほろ酔いの顔で宿舎に帰宅したところ を表玄関で待っていた私(石塚さん)に気付くと、「ついに来たかという顔で、 単身で暮らす部屋に招き入れ、訥々と語り出した」という。
但木にとっては、接待を受けた二人の検事は、大学の後輩で期待をかけた人 材で、旧大蔵省への出向という新たな分野を切り開く先駆者でもあった。
「郷に入れば郷に従えじゃないが、どっちもまじめな奴だから、大蔵の空気 になじもうと懸命だっただろうな」とかばいながら、法務省の但木の立場から すれば、この事実をもっと早く把握したかった、とその怒りの矛先を東京地検 特捜部に向けられ、「地検特捜の幹部たちが信用できない存在と映ったに違い ない」と、石塚さんは書いているのです。
そして、事件から11年後の冷静な目で、改めてこの捜査を振り返ると、「時 代」が求める生贄とされた大蔵キャリアの姿は、「やはり哀れに思える」と同 情を寄せながら、地検特捜の強引な捜査手法に憤りを隠さないのです。接待汚職の 捜査が「適法」だったことは、裁判の結果が物語っている通りだが、果たして 「適正」だったといえるだろうか、と自問し、地検の首脳の次の言葉を伝えて います。
「地検は二つの過ちを犯したと思っている。ひとつは、接待検事の件を隠し たこと。もうひとつは、大蔵キャリアの女性関係費用のこと。最高検がこの二 つをきちんと把握できていたら、逮捕は許されなかったのではないかと思う」。
特捜検事には、法律という武器を駆使する知力、供述を引き出す気迫ととも に、何より病巣の本質を見抜く確かな眼力が求められてきました。彼らを支え てきたのは、戦後日本の健全な発展を支えてきたのだという、強い自負と使命 感で、私(石塚さん)たち記者は、そんな使命感に共感し、より早くよりつぶ さに特捜部の捜査を伝えるため、互いに鎬を削ってきた。
根底には、彼らの眼 力に対する揺るぎない信頼があったと思う、という。特捜の機能不全、捜査職 人がいない、停滞する事件処理、それに人事、その信頼が崩れた理由をいくつ かこう指摘し、とくに特捜副部長のポストが、法務官僚の経歴に箔をつけるた めのものになり下がってしまったのが大きな原因だという。法務省に戻って政 治家らと付き合う立場になったとき、その紹介の場面で、特捜と聞くと、政治 家の態度が著しく違ってくる。そのための特捜副部長ポスト、というのですか ら、悲しい話です。
「特捜部の能力の低下は、事件処理の停滞を招いているなら、まだ問題は少 ない。それより恐ろしいのは…」と石塚さんは続けて、「素人が多くなった特 捜部が、誤った情報に乗せられて独自捜査に打って出た場合だ」と指摘し、誤 った情報をもとに捜査の筋書きが描かれると、その結果として行きつく先は、 捜査が途中で空中分解するか、無理やり筋書きにあてはめた強引な捜査が行わ れるからだ、という。
なるほど、ねぇ。じっとしていればいいものを、力もないのに勢い、傲慢に 権力を振りかざす、行き詰ると、さらに組織を増強し、無理するから真っ当な 判断ができなくなってさらにおかしくなる。それでも辻褄をあわせようと、今 度は世論操作に訴えて、背後の黒い噂を印象づけるようなリークをメディアに 流す。最近、これと似たようなニュースをどっかで聞いたような…。
しかし、これは週刊誌のゴシップじゃないのです。それらすべてが、実際事 件として扱われ、逮捕・起訴、そしてメディアから悪として仕立てら れるのですから、恐ろしいことです。第2章:「あり得ない」逮捕劇、第3章: 恫喝(全部で4章の構成)が、この本の核心となります。それが、「防衛利権 のフィクサー」とマスコミに取り上げられた秋山氏に及ぶ、なんとも裏情報に 基づいた、"でっち上げ"の事実、背後にさまざまな利権がうごめいているよう な逮捕劇、政治家への資金還流のデマゴギー、不合理な勾留延長、恫喝まがい の取り調べ、脱税容疑で起訴という一連の捜査のプロセスで地検特捜が意図した、 「強引な捜査」の内幕を次々に暴露しているのです。
詳細は、あえて控えますが、この2つの章の凄いところは、これまでどこに も書かれていない新事実が盛りだくさんであること、秋山氏と石塚さんが長年 の友人であったこと、その秋山氏にやはり石塚さんが紹介した弁護士が永野 義一氏でした。昭和42年に検事任官し、在職27年のうちほぼ半分を東京地検特捜部 と同地検刑事部で過ごした、「職人肌の捜査検事」で、やはり親密な間柄と紹介されていました。
特捜に入って最初の上司が後の検事総長となる、ミスター特捜こと吉永佑介 氏で、吉永イズムの源流は、昭和39年当時、特捜部長で、「特捜の鬼」と称さ れた河井信太郎氏の「河井イズム」だという。永野氏のその特異な経歴と手腕 を評価し、ある上司と対立して地方に飛ばされたのだが、吉永氏が東京地検検 事正のとき、特捜副部長に復帰させて元閣僚らを逮捕した共和汚職事件などの 捜査を指揮した、という。平成9年に最高検検事を最後に退職し、赤坂で開業 し、「市井の弁護士」を貫いているのだそうだ。
そこから、秋山氏、永野弁護士、そして石塚さんの苦悶が始まることになる のです。平成20年のことです。この裁判は、秋山氏が家族や息子、息子の友人 らに捜査が及ぶと"恫喝"されたにせよ、その自白調書に署名し、検察側の証拠 に同意してしまったことを覆して検察と争うことを選択した秋山氏に勝ち目は 薄い戦いになったとしても、この本で明らかにしたように「存在しなかった政界工 作資金」、「特捜部の面目を保つための強引な捜査」、「真実の究明より有罪 の判決を得ることのみに全力を注いだような取り調べ」が、次々に法廷で明ら かにされていくのは確かです。
石塚さんは、「あとがき」で、友人が特捜部の捜査によって追い詰められて いく過程をつぶさにみた体験は、私の考えを大きく変え、それが今回の執筆の 原動力にもなった、と語り、「今やこれほど信頼できない官僚集団になってし まったのだと事実を知った後では、番記者の立ち位置にも少し修正を加える必要 があるのではないかとすら感じている」とも付け加えています。
秋山氏に捜査が及んだ300日、社会部を統括する職責のある立場では、現場 記者が書くことに制限を加えることは控えねばならならず、紙面化されたもの と矛盾する事実を伝えることを避けてきた、という。これも、いつも私心がな い石塚さんらしい対応ですが、人一倍正義感の強い彼ですから、本音のところ は、どんな思いだったのでしょう。
『特捜崩壊』を小沢代表の公設秘書の違法献金事件と重ね合わせて読んだ方 も多いのではないか、と思います。新聞記者は、番記者もいいが捜査当局が、 この状態が続くのであれば、新聞の責任も大いにある、ということを肝に銘じ なければなりません。まず、各紙、ぜひ一度、拘置所からの秋山氏の手紙を読 んで、フィクサー秋山氏に関わる犯罪捜査のプロセスと、それに基づいてどん な記事をこれまで書き飛ばしてきたかーを総点検し、新聞社の事件取材のあり 方を考えてみる時期にきているのではないか、と思います。
石塚さんは、そのとっても大事なメディアの責任についてリスクを覚悟で出 版という形で問いかけました。さすがに新聞記者です、秋山氏の帳簿や 資金管理のずさんさを「ザル勘定」と指摘し、その危うい状態にも容赦なく突 っ込んでいました。彼の、ぎりぎりの抑制の効いた執筆ぶりは、その行間から 熱いものが伝わってきました。この本で、いったいどれだけの人が救わ れることでしょうか。
『特捜崩壊』の第4章「特捜部がなくしたのも」は、「特捜に撤退なし、は 吉永だからできた」、「検察ファッショへの戒め」、「ミスターが憂えた未 来」、「法務と大蔵、夜の接点」などの見出しが並んでいます。往年の名物、 特捜部長ら歴代の検察首脳の顔触れが列伝風に綴られていました。
読みながら、毎日新聞の司法記者でロッキード事件などで名をはせた山本祐 司記者の『東京地検特捜部、日本最強の捜査機関・その光と影』(現代評論 社)を思い起こしていました。そこで山本氏は、「検察の外と内に現れた地殻 変動―その地響きの中で、東京地検特捜部はどんな位置づけをされ、どこへ行 くのか」と問いかけていました。私には、石塚さんの『特捜崩壊』が、山本氏 の『東京地検特捜部・その光と影』の続編に思えてくるようです。山本氏のこ の本の出版は、1980年4月24日とあり、それから数えてほぼ30年の歳月が経っ ているのですね。
地検特捜の、その捜査のあり方や、手順がいつも熱心に語られるのは、ある いは繰り返し批判が浴びせられるのは、それほど地検特捜への期待が強いとい う証左だと思います。石塚さんも原稿の末尾に、次の世代の特捜検事たちへの 期待を込めて、何年か先に今度は『特捜再生』の物語を書ける日がくる事を祈 っている、と筆を置いています。
さて、いい仕事をしましたね、石塚さん、GOOD JOB!でした。今度、慰労 会をやらなきゃなりませんね。この本の中でも、シークレット情報が散りばめ られていますが、弁護士の永野さんが触れた総理って?官房長官って?あるい は、闇に消えた疑獄の数々を聞かせてほしいものです。
http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm090422.html
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