「論」も愉しとは、故筑紫哲也氏の言葉である。 近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。 その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。 そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、 失なわれるのは自由の気風。 そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。 ・・・・「論」を愉しむためには、いろいろな事を知っていた方が良いと自分は考える。沢山引き出しを持っていた方が、人生を愉しめるような気がする。
2011年5月30日月曜日
原発コスト
原発の本当の発電コストを考える
災害確率か予防原則か
福島第1原発の事故は国内はもちろんのこと、世界に大きな影響を与えた。未だ収拾の見通しが明確に立っているわけではない。放射能汚染の実態把握も十分とは言えず、今後被害がどれほどになるのか予断を許さない。
エネルギー供給の面では今夏の電力不足への不安が顕在化しているが、与えた影響はそれだけにはとどまらない。2030年までに原発を13基新増設するとしていた政府のエネルギー基本計画を維持するのは難しくなった。菅直人首相は「白紙からの見直し」を表明している。
何よりも、電力供給施設としての原発の安全性や信頼性が根底から疑われることになった。原発の過酷事故(severe accident)への対応策ができていなかった。多重保護という「建前」が機能しなかったのだから、安全基準や審査体制にも不備があったと言わざるを得ない。今回の惨事で図らずもそのことが明らかになった。今回被災しなかったほかの原発の安全性も問われてくるだろう。
政府は浜岡原発の停止要請をした。想定される東海地震の震源域の真上に立地しており、大きな地震に襲われる可能性が特別に高いことを根拠にあげている。ほかの原発は現時点で30年以内に震度6以上の地震が起こる確率が1%以下だとし、直ちに停止は求めないという。
ただ、今回の震災の教訓は、災害発生確率が低いことを理由に安全対策のレベルを下げていいということにはならないということである。
東北沿岸では今回と同程度の規模の津波が平安時代の貞観地震(869年)の際に襲来していた。この事実を突き止めた産業総合技術研究所の岡村行信博士が政府の審議会の場で強く警告を発していた。警告を受け入れて対策を講じていれば、今回の震災による被害はかなり軽減できたはずである。
つまり、今回の津波は想定外ではなかった。千数百年に1度は起こる津波だったのである。しかも地震や津波がもたらす被害は想定可能なものだ。気候変動のように具体的に何が起こるか正確に予見できない類のものではない。その意味で、津波や地震への対策は無知(unknown)や不確実(uncertain)な下での意思決定ではない。
いつ起こるかを正確に予測はできなくてもいつかは起こる。明日起こるかもしれないし、数十年後に起こるかも知れないのである。予防原則(precautionary principle)を適用するならば、過去の経験と現在の科学的知見が示唆する最大の地震や津波への対処策を講じる必要がある。
政府推計と大島推計
最大の対策をとっても残る危険はある。我々の自然に対する知識はもとより完全ではない。原発のあり方についてその分野の専門家だけの議論で決めるのは適切ではない。現在の科学的知見をもとに安全性に関してより広い観点から議論する場がなくてはならない。どこまで危険を軽減できればよいのか、最終的には社会的、政治的意思決定の問題になる。
安全対策の強化は不可避だが、これは原発の安全対策費の上昇を意味する。つまり、発電コストが上昇する。これまで原発は通説的には安価といわれてきた。政府が原発を推進してきた大きな理由もそこにあった。しかし、その根拠はそれほど堅固なものとは言えない。
原発の電力が安価だというのは、2004年に出された総合資源エネルギー調査会電気事業コスト分科会の報告書が根拠になっていた(表参照)。しかし、原発の発電コストは他の電源の発電コストよりも高いという研究結果が最近、立命館大学の大島堅一教授によって出されている。
(1)電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(2004年1月23日) 設備規模、設備利用率、運転年数に想定値が置かれている。割引率3%で試算。 (2)大島堅一『再生可能エネルギーの政治経済学』東洋経済新報社(2010年)
表で両者を比較すると、原発の発電コストは、報告書推計では5.3円/kWhと最も安価であるのに対して、大島推計では1970年度から2007年度までの実績値で10.68円/kWhと火力や水力よりも高くなっている。しかも、これは震災前の評価だ。つまり、今回の原発事故に伴う対策費や賠償費、今後上昇が予想される安全対策費を考慮しないとしても、大島推計では原発はほかの電源より高かったのである。
なぜ両者の推計にこれほど大きな違いが生じているのだろうか。推計方法の違いと用いるデータの違いをまず指摘できる。
報告書推計では、モデルプラントを想定して発電に要する種々の費用を集計している。これに対して大島推計は実績値である。電力各社が公表している『有価証券報告書』に基づいて電源別発電コストを推計する方法が、同志社大学の室田武教授によって開発され、大島教授が発展させた。
推計の正確性には、いずれの方法についても議論があるかもしれない。モデルプラント方式では様々な前提が仮定されている。実績値は「実態」が反映されているわけだが、その場合も集計範囲などで何らかの標準化を図ることは避けられな原発の見えないコスト
いずれの方法をとるにしろ、発電コスト比較で最も重要なのは、発電に伴うすべてのコストを勘定に入れることである。これは誰もが納得することだろうが、実際には容易ではない。
例えば発電のために何らかの資源を海外から購入するとしよう。化石燃料でもウランでもよい。その採掘現場がすさまじい環境破壊を起こしていたとして、何も対策が取られていない場合には、購入した資源の価格には環境損害費用が含まれていない。環境損害の被害者や社会に転嫁されているのである。だが、規制がかかったり、賠償問題に発展したときには、そうした費用を価格に反映させる必要が出てくる可能性がある。
しばしば推計が困難と指摘されるバックエンド(使用済み核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分など)費用だが、報告書推計はこれを発電コストに算入している。その点は評価できるが、問題はバックエンド費用の見積もりが、核燃料サイクル政策が政府の計画通りに進むことが前提になっている点である。周知のように、核燃料サイクル政策は不確実性がきわめて大きく、現にまったく計画通りには進行していない。したがって、バックエンド費用の見積りは過小評価の疑いが大きい。
大島推計は電力会社の実際の支出をまず集計している。発電に要する電力会社の支出は『有価証券報告書』に記載されている。しかし、電力会社の支出費用だけでは原発での発電は成り立たない、と大島教授は指摘する。発電技術の開発や発電所の立地や維持に巨額の財政支出が充てられている。立地地域への財政支出は火力や水力などに対してもあるが、原発はいわゆる電源三法交付金によってほかの電源に比べてきわめて手厚い財政支出がなされている。
もしこの財政支出が原発に不可欠な支出ということであれば、仮に電力会社の費用にはカウントされていなくても(電力会社の『有価証券報告書』に計上されていなくても)、原発の発電コストの一部として計上すべきであろう。
すべての電源に対して大島推計では、財政支出を含めた発電に要する総費用を集計している。すると原発は最も高価な電源ということになる(表の「財政支出を含む総計値」)。原子力発電は出力調整ができないため揚水発電で補完せざるを得ないと考えるとさらに高価になる(表の「原子力+揚水」)。
大島推計に基づくならば、今回の事故によって原発の安全性に疑問符がついただけでなく、これまで喧伝されてきた経済性も疑わしいということになる。原発の経済性は巨額な財政支出による下支えがあって初めて成り立つ。「安い」というこれまでの評価は国家によってつくられた虚構と言わざるを得ない。
原発が高価な電源ということになるならば、原発を推進してきた論拠の1つは崩れることになる。それでも原発を推進する場合、推進の論拠はどこにあるのだろうか。
いずれにしろ、発電コストの徹底的な検証は、今後のエネルギー政策を考える前提と言わなければならない。
2011年5月26日木曜日
冷却系破損の可能性(追記)
冷却系破損の可能性 耐震設計見直しにも影響?
2011.5.25 20:02 (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052520070022-n1.htm
東京電力福島第1原発で、
津波ではなく地震の揺れによって破損の可能性が浮上した緊急時の炉心冷却系の配管は、最も高レベルの耐震性が求められている重要機器の一つだ。
東電はこれまで「津波到達まで主要機器に破断など異常はなく、地震の揺れによる損傷はない」との見解を示してきた。しかし、実際に地震で重要配管が傷んだとすれば、全国の原発の耐震設計の見直しにも影響する事態となりかねない。
経済産業省原子力安全・保安院によると、3月11日の地震による同原発2、3、5号機の揺れは、
事前に想定した最大の揺れの強さ(基準地震動)を最大3割超えていた。
揺れは0・2~0・3秒の比較的短い周期で強く、燃料集合体が揺れやすい周期とほぼ同じだった。炉心冷却系の配管損傷の疑いが浮上した3号機では、周期0・31秒で1460ガル(ガルは加速度の単位)という最大値を記録している。
東電は、解析結果について「計測機器の故障も考えられる」としているが、
同原発1号機では、地震発生当夜に原子炉建屋内で極めて高い放射線が計測され、揺れによる機器や配管の破損が疑われた。
こうした経緯から、大阪大の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)は「(配管の)損傷は地震によるものと推測できる。老朽化していた可能性もあるが、他原発の安全確保のためにも、本当に地震による損傷なのかを徹底的に検証する必要がある」と話す。
政府は「今回の事故の最大原因は津波」との前提に立ち、全国の原発に津波対策を指示している。この前提が崩れれば、全原発での地震対策や、国の原発耐震指針の見直しも避けられないことになる。中部電力浜岡原発(静岡県)に続いて運転中止となるケースが出ることも考えられる。
国の原発耐震指針では、基準となる地震の揺れを原発ごとに想定、重要機器が損傷しないよう求めている。東日本大震災でも福島第1原発に関して、経産省や東電は「安全性に十分な余裕があるので、想定を上回っても問題ない」と強調してきた。
だが、京都大原子炉実験所の小出裕章助教(原子核工学)は「東電は計器の信頼性の問題を挙げるが、これまでも都合の悪いデータはそういった説明をしており、信用できない。実際に揺れによって損傷していれば、日本中の原発が当然問題となる。耐震指針の見直しが必要で、影響は計り知れない」としている。(原子力取材班)
2011年5月23日月曜日
小出裕章教授
北スウェーデン地域でのガン発生率増加はチェルノブイリ事故が原因か?
マーチン・トンデル (リンショーピン大学病院、スウェーデン)
プルトニウムの毒性はアルファ線によるもの。吸いこんだ場合に、大きな影響が出る。 |
■放射線の毒性 | |
プルトニウムの毒性には、放射線の毒性と化学的な毒性が考えられる。 放射線の毒性は、プルトニウムが放出するアルファ線によるもので、このアルファ線は人体の中を極めて短い距離しか透過しない(組織の中で約40ミクロン、骨では約10ミクロン)。 この短い距離の間に、アルファ線は細胞や組織、器官に全部のエネルギーを与え、それらの機能を損なわさせる。プルトニウム1g当たりの放射能の強さは、同じようにアルファ線を放出するウランに比べてかなり高くなるので、放射線の毒性も強くなる。 プルトニウムは、半減期が長いことも毒性に関係している。一番存在量の多いプルトニウム239の半減期は、約2万4000年で、長い間にわたってアルファ線を出し続けている。しかし、人体は異物を排除する排泄機能があるから、プルトニウムを体内に取り込んでも一生体内にとどまっているわけではない。プルトニウムが体内にとどまる時間を表す生物学的半減期は、骨では50年、肝臓で20年と評価されている。 | |
■化学的な毒性 | |
プルトニウムは、ウランと同様に腎臓に対する化学的な毒性が考えられる。しかし、化学的な毒性は放射線の毒性よりもはるかに小さいと考えられている。 |
プルトニウムは無傷の皮膚からは体内に吸収されない。傷があると、そこから侵入し、比較的長い時間その場所にとどまり、ゆっくりとその部分のリンパ節に集まる。また、血液の中に入ったものは、肝職や骨に付着する。 プルトニウムが体内に取り込まれるのに、飲食物などを介して口から入る(経口接取)か、呼吸を通して吸入される(吸入摂取)かの二通りが考えられる。 飲み込んだプルトニウムは、消化管にほとんど吸収されずに排泄されてしまう。消化管から吸収される割合は、年齢や化合物の種類で異なり、大人の場合、酸化プルトニウムで約0.001%、硝酸プルトニウムで約0.01%とごくわずかである。 |
■肺に付着する吸入摂取 |
一番影響が大きいのは吸い込んだ場合だ。吸い込まれたプルトニウムは、長い間、肺に付着する。しかし、人体は、器官に生えている繊毛という毛がチリなどの異物をつかまえ、粘液と一緒に食道に送り排泄するメカニズムを持っている。吸い込まれたプルトニウムもこの働きによって体外へ排泄されるから、肺に付着するのは4分の1程度。肺に付着したプルトニウムは、徐々に血液の中に入り、リンパ節や肝臓、骨などに集まり、排泄されずに長くとどまる。 |
日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない。地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ。 使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認めている。
日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない
地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ(※編集部注)。もちろん事故や労災などの危険性も増大するが、仮にそうした恐れが高まるとして、それが絶対とは誰も言えない。ウラン燃料でも大事故や大労災は起こり得る。しかし、使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認める。100%疑いようの無い事実だ。しかも原子炉から取り出した後の使用済MOX燃料の始末は不透明で、何の見通しも無い。
プルサーマル計画の申入れを受けた地元としては、確実に危険性の増すことへの了解を求められているということだ。安全性の向上を常に求めてくる県民の命・財産を預かる県が、容易にゴーサインを出せないのは当然であろう。
こうした問に対して電力・国から返ってくる答は、「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」というものである。再度再処理して再々利用するかのように思わせるのだ。ところがこれが偽装・欺瞞なのである。なぜなら・・・・・
ここに格好のモデルがある
何かにつけプルサーマル先進国として引き合いに出されるフランスの例だ。出典は核燃料サイクル開発機構(現独立行政法人日本原子力研究開発機構)の2004年度契約業務報告書「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」。発行は昨年3月、委託先はアイ・イー・エー・ジャパンとしてある。
1/3を図表で占め、300ページほどもある労作だ。わが国の推進側資料としては珍しく比較的客観的な表現に終始している。プルトニウム利用としてあるが、話題はほとんどプルサーマル、海外とはヨーロッパ、すなわち「ヨーロッパのプルサーマル動向調査」といったところである。
その報告書の中に、フランスにおいて使用済MOX燃料は、「約100 年間貯蔵され、その後に再処理するか、再処理しないかの判断を下す」(2001年6月28日発表の国家評価委員会(CNE)の第7回レポートより)とあるのだ。
フランスと同様に日本でも、今回の原子力利用長期計画見直し(原子力政策大綱と改め)において、原子炉から取り出した使用済MOX燃料は再処理するかそれとも直接処分するか、決められていない。発熱量だけ考えても、地下に直接処分するには表面温度が100度より低くならなければならないが、使用済ウラン燃料でも50年位もの時を経なければその条件を満たさないというのに、使用済MOX燃料ではその10倍、すなわち500年の時間がかかると見積もられているのだ。(グラフ参照)
再処理するにしても、ウランの使用済核燃料で数年のところ、MOXの使用済核燃料ではその何倍もの期間冷却する必要がある。プルサーマルとは、借金を解消しようとしてさらに借金を増やしてしまうような話ではないか。
人類にとって未経験、発熱し続ける物体
われわれの生活圏の中での冷却というのは、一定の有限な量の熱を取り去ることである。ところが原子核による発熱は有限ではなくて、核反応の続く限り、何年、何万年と発熱し続けるのである。火が消えないと考えればわかりやすいだろうか。それも恐ろしく長寿命で、早く冷ましたりゆっくり冷ましたりと調節することもできない。
核反応には2種類ある。原子炉の運転を止めれば「核分裂」の方はほぼ収まるが、「核崩壊」は原子核の種類ごとに自然の理によって定められた時間をかけて、それぞれのスピードでしか消えていかない。寿命の早いものは早々に消えてしまうが、原子炉の中には恐ろしく長寿命の原子核が大量に生まれているからだ。この熱を「崩壊熱」と呼ぶ。
核をいじる・・・原子力の利用、とはこういうことを承知の上でなければできないはずだが、そんなことは聞いたことも無い人々までが、推進だ、事前了解だ、と判断してきた。知っている側は知っている側で、都合の悪いことは隠し、偽装と欺瞞によってここまで引っ張ってきた。
都合の悪い情報は公開されない
フランスのこのような大失策を筆者が知ったのは、この報告書によってであり、昨秋、すなわち原子力政策大綱が確定した直後であった。もちろん、長期計画策定論議の中で海外の事例はレビューされたのだが、実績ばかりが強調され、この報告書の存在はおろかフランスの失策は紹介された形跡もない。まして、プルサーマル論議の繰り広げられている原発立地地域で紹介された例など皆無であろう。
こうしたきわめて重要な、しかし推進側にとって不利な事実を隠してプルサーマルは進めようとされてきた。プルサーマルに限らない。そうした不誠実とご都合主義は一連の不正事件を通して、国や電力に対する大きな不信に成長している。原子力発電推進に熱心であった立地自治体関係者らが、いったん了解したプルサーマル地元了解を白紙撤回し、そのまま未だに固い対応を崩さないのも故なしとしない。
これまで政府の旨い言葉に釣られてきたものの、時が経つにつれ深刻な現実が姿を現しクローズアップされてきた。後続の県もやがてそうしたことに気がつくだろう。
「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」と何遍繰り返しても、もうその手には乗らない。原子力政策大綱には、「使用済MOX燃料の処理の方策は2010年ころから検討を開始する」(p.38)とある。それまでは検討もしないと言っているではないか。さらに付録の資料p.134には、「2050年度頃までに相当規模の再処理施設が必要」とあり、いきなり2050年頃に跳んでしまうのである。
奇妙なのは、先に紹介した「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」なる資料が現在お蔵入りなのである。というのは、昨年10月1日に新機構に改組してからずっとデータベースが準備中のままなのだ。2ヶ月ほど前に問い合わせた時には2~3ヶ月かかると言われた。それもとうに過ぎた。独立行政法人たるもの、そんな怠慢は許されない。
原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ
2011年05月16日付けです。これとほぼ同内容の記事を過去に読んだ記憶もあり、自分のブログで書いた内容もこれに近いものになったことから公開をしないで下書き状態で捨て置かれています。
記事をそのまま転載しておきます。
なぜ原発がこの地震列島に54基も作られたのか。巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に投下され、「持ちつ持たれつ」「あご足つき」で骨抜きにされていった過程を暴く
永田町は原発推進派だらけ
政府の原子力関連予算が、1年間で約4556億円。
主に原子力関係の促進・研究などに使われる電源開発促進税の税収が、年間およそ3500億円。
福島第一原発がある福島県に、1974年から2002年までに支払われた交付金の累計が、約1887億円。
敦賀原発と高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県に出された交付金は約3246億円(1974~2009年)・・・。
現在、日本国内で稼動している原子炉は、54基に及ぶ。国=歴代政権、官僚機構と電力会社は、一体となって「原子力は日本に必要不可欠だ」とのキャンペーンを数十年にわたって繰り返し、世界で第3位の「原発大国」を作り上げてきた。
ちなみに、原子力安全委員会の委員長・委員らの年俸は約1785万円。学者たちを多く輩出してきた東京大学には、東京電力から「寄付講座」として計6億円の寄付金が支払われている。
これまで「原子力」のため、いったいどれほどのカネが費やされてきたのか。マネーの奔流は「利権」となり、「原子力絶対主義」に繋がり、関係者たちの正気を失わせてきた。そして、その結果起きたのが、福島第一原発における、破滅的な大事故である。
当事者の一人として原発問題と向き合ってきた、前福島県知事の佐藤栄佐久氏は、こう語る。
「日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っています。『原子力発電は、絶対に必要である』『だから原子力発電は、絶対に安全だということにしなければならない』。
これは怖い理屈です。危ないから注意しろと言っただけで、危険人物とみなされてしまう。リスクをまともに計量する姿勢は踏み潰され、事実を隠したり、見て見ぬふりをしたりすることが、あたかも正義であるかのような、倒錯した価値観ができてしまう」
政府と東電は現在、数兆円以上に及ぶ賠償金を捻出するため、なんと電気料金の大幅アップを画策している。これも国民の意思から乖離した〝倒錯〟だ。
この国はいったい、どこでおかしくなったのか。周期的に必ず巨大地震や大津波が襲ってくることを知りながら、なぜ54基もの原発を作ってしまったのか。そもそもレールを最初に敷いたのは、言うまでもなく「政治」である。
自らが原発誘致にも関わったことがある自民党の長老議員は、その〝発端〟についてこう語る。
「原発というと、初代原子力委員会委員長の正力松太郎氏(元読売新聞社主)と、その盟友の中曽根康弘元首相の名が挙がる。ただその背景には、かつての米ソ冷戦構造下における『日本の核武装化』への布石があった。それが'70年代のオイルショックを経て、『資源のない日本における原子力の平和利用』と大義名分がすり替わり、政官民が一体となって原発を推進した」
1基あたりの建設費用が5000億円以上とされる原発の建設は、政治家にとっては巨大な公共事業であり、利権となってきた。
「原発を地元に誘致すれば、交付金はじゃぶじゃぶ入って来るし、選挙も安泰になります。東京電力の役員が個人名で自民党に献金をしていたことが発覚しましたが、一方で民主党も、労組側、つまり電力総連の支持を受けた議員がいる。そうやって原発は、これまで60年以上も乳母日傘で国の厚い庇護を受けてきたわけです」(社民党・福島瑞穂党首)
昨年1年間に、電力各社が会長・社長ら役員の個人名義で自民党の政治団体「国民政治協会」に行った献金の総額は、およそ3500万円に上る。
原発利権を、いわゆる土建屋的な見地で利用したのが田中角栄元首相だ。地元の新潟に柏崎刈羽原発を誘致する際、田中氏は土地取引で4億円の利益を上げたことが知られている(『原発と地震—柏崎刈羽「震度7」の警告』新潟日報社特別取材班・講談社刊)。
原発立地の地元にカネを落として住民を懐柔する、電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法)交付金の仕組みを作ったのも、自民党の有力者だった田中氏である。
「原発建設はゼネコンや地元の土建業者に大きな利益をもたらし、それがそのまま選挙における票田になる。選挙の際には、電力会社やメーカー、建設会社の下請けや孫請けの業者が、マシーンとして作用してきた。そういう田中氏の手法を引き継いだのが、その弟子である竹下登元首相らであり、さらに渡部恒三元衆院副議長や、小沢一郎元民主党代表らに受け継がれていった」(自民党閣僚経験者)
原発推進に関して言えば、政界には右も左も、大物議員もそうでない議員も、まったく区別がない。中曽根氏の直弟子で日本原子力発電出身の与謝野馨経財相。身内の警備会社が原発警備を請け負っている亀井静香・国民新党代表。日立製作所で原発プラントの設計に携わり、日立労組や電力総連から絶大な支持がある大畠章宏国交相・・・。
ちなみに菅首相にしても、有力ブレーンの笹森清元連合会長は元東京電力労組委員長だ。仙谷由人内閣官房副長官や前原誠司前外相も、原発プラントの輸出を進めてきた経緯があり、原発推進派に数えられる。社民党や共産党を除き、政界で原発の危険性を訴えてきた政治家は、数えるほどに過ぎない。
マネーに「感電」していく
国策決定に大きな責任がある政治家がここまで一色に染まっているのだから、日本が容易に原発推進の渦から抜け出せないのも当然だ。一方で、そんな政治家と結びつき、ある時には無知な政治家たちを操ってきたのが官僚機構である。
「政治と電力会社を結びつけ、橋渡し役をしていたのが官僚です。官僚にしても、どっぷり〝原発マネー〟に漬かっているんですよ」
そう語るのは、経産省キャリアの一人だ。
「たとえば自民党の電源立地調査会というのがあるのですが、経産省内では調査会の議員を原発推進への貢献度に応じ、A~Cにランク分けをしていました。
選挙の際にはランクに応じて、Aの議員なら50万円、Bなら20万円という具合に、電力会社から〝政治資金収支報告書に載せなくていいカネ〟を届けさせる。そういうことをする官僚は電力会社の接待漬け。完全に〝あっち側〟に行ってしまい、有力議員に頼まれ、その息子のパリ旅行に際して、電事連(電気事業連合会)のパリ事務所にアテンドさせたりしていました」
一方で電力会社のほうも、常に官僚の動きをウォッチして、対策に余念がない。別の経産省元キャリアはこう証言する。
「役人が少しでもおかしな動き、例えば電力のライバルであるガス会社に有利なことを発言したら、電力会社の担当者がすっ飛んできて『ご説明を』となる。その際には、説明資料にビール券が挟まれたりしています。省内では、それらを集めて年末の忘年会や課内旅行の資金にしていました。
他にも生まれ年のワインをもらったり、子どもの誕生日に豪華プレゼントをもらったり・・・。仲間内では、接待漬けで電力会社寄りになった奴を『感電した』、逆にガス会社寄りの奴を『ガス中毒になった』と言って区別していたくらいです」
経産省と電力会社の癒着の象徴が、5月2日に明らかになった「電力会社への天下りリスト」だ(次ページ表参照)。経産省の発表によれば、過去50年に68人の官僚が電力会社に天下りしていた。東京電力に天下った石田徹前資源エネルギー庁長官は4月末に辞任を余儀なくされたが、現在も13人が役員や顧問として電力会社に在籍している。
「石田氏などはエネ庁長官時代に電事連の意を受け、再生可能エネルギーでなく原発を推進するエネルギー基本計画を立てた張本人です。彼らは、いったん政府系銀行などに天下り、そこをクッションにして電力会社に再就職する。そして東電副社長などの〝指定席〟に収まるのです」(天下り問題を国会で提起した共産党の塩川鉄也代議士)
官僚と電力会社が〝ズブズブ〟だったのは、何も経産省だけではない。原子力関連予算4556億円のうち、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院を抱える経産省の取り分は1898億円だが、日本原子力研究開発機構を管轄する文部科学省は2571億円、原子力安全委員会が所属する内閣府には17億円の予算が計上されている。
いま政府は、福島県内の子どもの被曝量の許容値を年間1ミリSvから20ミリSvに引き上げるなど、「放射能は危険がない」との正気を疑うキャンペーンを張っているが、原発を監視し、安全性を確保すべき立場の監督官庁が電力会社と一蓮托生なのだから、政府内でのまともな議論など、ハナから望むべくもないわけだ。
そして、この政官財一体となった原発推進キャンペーンに、資金や研究環境の便宜供与を受けて加担しているのが、いわゆる〝御用学者〟たちだ。
事故発生後、「原発は絶対に爆発しません」と菅首相に吹き込んでいた原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大工学部教授)を筆頭に、空疎な〝安全神話〟を唱える学者たちの存在が表面化した。端から見たら非常識としか思えない、こうした御用学者が居並ぶ理由を、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二氏はこう説明する。
「電機や機械と違い、原子力の場合は研究におカネがかかり過ぎるのです。国や電力会社がカネを出さなければ研究ができない異質の分野が原子力なのです。だから研究の裾野が広がらず、異なる価値観が共存することもない。したがって原子力村には相互批判がなく、いつでも『原発は安全』になってしまう」
原子力村では、准教授になった途端に国から声がかかり、各種委員会など原子力関連の政府組織に名を連ねることができるようになる。すると、より詳しい研究資料の入手もできるようになり、学生の指導もしやすくなる。電力会社から多額の謝礼で講演の依頼なども入るようになり、定年後には各社が運営する研究所所長などのポストも用意されるという。
しかし、正直に原発や放射線の危険性を指摘して、〝ムラ〟に反逆したと判定されてしまうと、御用学者とは正反対の恵まれない学究生活が待ち受けているのだ。東京大学工学部原子力工学科の1期生で、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏はこう語る。
「大学院生だった1960年代後半、日本科学者会議などの場で原子力行政を批判したところ、たちまち学内で干されました。その後、米国製軽水炉の欠陥を指摘したり、原発予定地の住民の相談に乗って反対運動に加わると、『反原発を扇動している』などと言われるようになり、各電力会社に〝安斎番〟の社員まで置かれるようになりました」
その当時、安斎氏が講演すると、必ずそうした〝番〟の社員が内容チェックにやってきて、彼らや公安関係の刑事から尾行されることもあったという。
「東電の社員から、『3年くらい海外に行ってくれないか。カネは用意するから』と言われたこともあります。もちろん断りましたが、私に消えてほしかったのでしょうね。東大には17年間勤務しましたが、最後まで助手のままで、その間、補助金はほとんどもらえませんでした」(安斎氏)
原発は絶対に安全だという〝宗教〟を信じない者は、「偏ったイデオロギーの持ち主」などと言って、研究費も与えずパージしてしまう。それが、官僚と電力会社の手口だ。そして、自分たちに都合のいい学者を出世させて権威として持ち上げ、原子力安全委員長などの重要ポストに据える。
本来、委員長は「原子力行政に絶大な権力を持っていて、原子炉メーカーが視察を受ける際、かつては工場の入り口に赤じゅうたんを敷いたほど」(大手電機メーカー社員)の存在だという。だが、委員長を指名するのはスポンサーである役所。産官学が同じ「原子力推進」で染まってしまっているのだから、そこには批判や反省が存在する余地はまったくない。
「クスリ」はすぐ切れる
国策として巨額の国費=税金を投入し、原発建設を推し進めてきた政治家と官僚機構。彼らの庇護を受け、原発運用で巨額の利益を上げ続けてきた電力会社と関連企業。そして、そこに「安全だから」とお墨付きを与えてきた学者たち---。
この渦の中で、原発マネーに翻弄されてきたのが、原発を誘致してきた「地元」である。
冒頭で触れたように、原発が稼動する地域では、住民懐柔の手段あるいは〝迷惑料〟として、国費から多額のカネが交付されてきた。福島県の場合、電源三法による交付金は'08年度で約140億円に達しており、そのうち56億円が、福島第一原発、第二原発が立地する浜通りの4町(双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町)の収入になっている。
これらの町の周辺には、原発マネー由来の健康施設や、運動公園、野球場が立ち並ぶ。東電が出資して運営し、現在は事故対策の現地本部が置かれているスポーツ施設「Jヴィレッジ」(楢葉町)もその一つだ。
原発マネーにより、こうした地域の一部の人々は、確かに恩恵を受けてきた。双葉町議を8期務めた、丸添富二氏がこう話す。
「第一原発ができた当時は、ほとんど皆もろ手を挙げて賛成していましたね。政府や県、東電は、明るい未来・安全な原発を喧伝した。歴代の町長は地元で建設会社や水道工事会社、商店などを経営していましたから、原発の恩恵をずいぶん受けたはずです。一般住民も、漁業関係者で1億円もらったような人もいた」
カネが落ちるとともに地域には雇用が生まれた。学校では子どもたちが原発の素晴らしさを教え込まれ、「なぜ原発を批判する人がいるのか信じられません」などと、作文に記した。
だが実際には、町々は事故の以前から、原発マネーによる〝バブル〟の後遺症に苦しんでいたのだった。
「最初は大きなおカネが落ちても、10年も経つと交付金の額も下がってきて、今度は作りすぎたハコモノ施設の維持費でクビが回らなくなってしまった。クスリの効果が切れるようなものです。よその人から見たら相当のおカネで潤ったように見えるのでしょうが、実際には当初いた原発長者の大半が消滅したのですよ」(富岡町の元郵便局員で原発問題に40年取り組んできた石丸小四郎氏)
原発が落とすカネで、過疎地だった町はしばらくの間、賑わったように見えた。だが、やがて原発の出入り業者の決定が入札制に変わり、地元業者は弾き出されるようになった。夢の町になるはずだった双葉町は、'08年度には原発のある町で全国唯一、財政の早期健全化団体に転落している。
結果的に、これらの町の住民の多くが、原発の事故によって帰る家と土地すら失いつつある。関係のない人々が「カネをもらったクセに」と批判するのは簡単だが、そう仕向けて地元を骨抜きにしたのは国であり、電力会社なのだ。住民の信頼を裏切り、「想定外」という言葉の連発で責任逃れをする者たちの罪は、あまりに大きい。
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は、「産官学が一体化した原子力村を解体しなければならない」として、こう語る。
「原発推進によって利益を得るごく一部の人間たちのために、消費者も世界一高い電気料金を払わされているのが現状です。今後は原子力安全委員会など、官僚と電力会社にとって都合のいい人たちだけのクローズド・コミュニティを解き、第三者や市民の目が行き届く組織に変えていかなければなりません」
前出の佐藤氏もこう語る。
「私はいまある原発をすべて止めてしまえ、とは言いません。しかし、有名無実化している原子力安全委員会を独立した存在にするなど、信頼できる組織に作り直す必要があります。安心とは、信頼です。そうしないと、日本は世界からの信用も失うでしょう。すでに失って三流国になりつつあるかもしれないのに、四流国へと成り下がってしまうかもしれません」
福島第一原発の爆発は、原子力村が作り上げて来た虚構を同時に吹き飛ばした。日本の未来にとって、原発は必要なのか否か。いま国民全体が問われている。