週刊現代の記事です。
2011年05月16日付けです。これとほぼ同内容の記事を過去に読んだ記憶もあり、自分のブログで書いた内容もこれに近いものになったことから公開をしないで下書き状態で捨て置かれています。
記事をそのまま転載しておきます。
なぜ原発がこの地震列島に54基も作られたのか。巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に投下され、「持ちつ持たれつ」「あご足つき」で骨抜きにされていった過程を暴く
永田町は原発推進派だらけ
政府の原子力関連予算が、1年間で約4556億円。
主に原子力関係の促進・研究などに使われる電源開発促進税の税収が、年間およそ3500億円。
福島第一原発がある福島県に、1974年から2002年までに支払われた交付金の累計が、約1887億円。
敦賀原発と高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県に出された交付金は約3246億円(1974~2009年)・・・。
現在、日本国内で稼動している原子炉は、54基に及ぶ。国=歴代政権、官僚機構と電力会社は、一体となって「原子力は日本に必要不可欠だ」とのキャンペーンを数十年にわたって繰り返し、世界で第3位の「原発大国」を作り上げてきた。
ちなみに、原子力安全委員会の委員長・委員らの年俸は約1785万円。学者たちを多く輩出してきた東京大学には、東京電力から「寄付講座」として計6億円の寄付金が支払われている。
これまで「原子力」のため、いったいどれほどのカネが費やされてきたのか。マネーの奔流は「利権」となり、「原子力絶対主義」に繋がり、関係者たちの正気を失わせてきた。そして、その結果起きたのが、福島第一原発における、破滅的な大事故である。
当事者の一人として原発問題と向き合ってきた、前福島県知事の佐藤栄佐久氏は、こう語る。
「日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っています。『原子力発電は、絶対に必要である』『だから原子力発電は、絶対に安全だということにしなければならない』。
これは怖い理屈です。危ないから注意しろと言っただけで、危険人物とみなされてしまう。リスクをまともに計量する姿勢は踏み潰され、事実を隠したり、見て見ぬふりをしたりすることが、あたかも正義であるかのような、倒錯した価値観ができてしまう」
政府と東電は現在、数兆円以上に及ぶ賠償金を捻出するため、なんと電気料金の大幅アップを画策している。これも国民の意思から乖離した〝倒錯〟だ。
この国はいったい、どこでおかしくなったのか。周期的に必ず巨大地震や大津波が襲ってくることを知りながら、なぜ54基もの原発を作ってしまったのか。そもそもレールを最初に敷いたのは、言うまでもなく「政治」である。
自らが原発誘致にも関わったことがある自民党の長老議員は、その〝発端〟についてこう語る。
「原発というと、初代原子力委員会委員長の正力松太郎氏(元読売新聞社主)と、その盟友の中曽根康弘元首相の名が挙がる。ただその背景には、かつての米ソ冷戦構造下における『日本の核武装化』への布石があった。それが'70年代のオイルショックを経て、『資源のない日本における原子力の平和利用』と大義名分がすり替わり、政官民が一体となって原発を推進した」
1基あたりの建設費用が5000億円以上とされる原発の建設は、政治家にとっては巨大な公共事業であり、利権となってきた。
「原発を地元に誘致すれば、交付金はじゃぶじゃぶ入って来るし、選挙も安泰になります。東京電力の役員が個人名で自民党に献金をしていたことが発覚しましたが、一方で民主党も、労組側、つまり電力総連の支持を受けた議員がいる。そうやって原発は、これまで60年以上も乳母日傘で国の厚い庇護を受けてきたわけです」(社民党・福島瑞穂党首)
昨年1年間に、電力各社が会長・社長ら役員の個人名義で自民党の政治団体「国民政治協会」に行った献金の総額は、およそ3500万円に上る。
原発利権を、いわゆる土建屋的な見地で利用したのが田中角栄元首相だ。地元の新潟に柏崎刈羽原発を誘致する際、田中氏は土地取引で4億円の利益を上げたことが知られている(『原発と地震—柏崎刈羽「震度7」の警告』新潟日報社特別取材班・講談社刊)。
原発立地の地元にカネを落として住民を懐柔する、電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法)交付金の仕組みを作ったのも、自民党の有力者だった田中氏である。
「原発建設はゼネコンや地元の土建業者に大きな利益をもたらし、それがそのまま選挙における票田になる。選挙の際には、電力会社やメーカー、建設会社の下請けや孫請けの業者が、マシーンとして作用してきた。そういう田中氏の手法を引き継いだのが、その弟子である竹下登元首相らであり、さらに渡部恒三元衆院副議長や、小沢一郎元民主党代表らに受け継がれていった」(自民党閣僚経験者)
原発推進に関して言えば、政界には右も左も、大物議員もそうでない議員も、まったく区別がない。中曽根氏の直弟子で日本原子力発電出身の与謝野馨経財相。身内の警備会社が原発警備を請け負っている亀井静香・国民新党代表。日立製作所で原発プラントの設計に携わり、日立労組や電力総連から絶大な支持がある大畠章宏国交相・・・。
ちなみに菅首相にしても、有力ブレーンの笹森清元連合会長は元東京電力労組委員長だ。仙谷由人内閣官房副長官や前原誠司前外相も、原発プラントの輸出を進めてきた経緯があり、原発推進派に数えられる。社民党や共産党を除き、政界で原発の危険性を訴えてきた政治家は、数えるほどに過ぎない。
マネーに「感電」していく
国策決定に大きな責任がある政治家がここまで一色に染まっているのだから、日本が容易に原発推進の渦から抜け出せないのも当然だ。一方で、そんな政治家と結びつき、ある時には無知な政治家たちを操ってきたのが官僚機構である。
「政治と電力会社を結びつけ、橋渡し役をしていたのが官僚です。官僚にしても、どっぷり〝原発マネー〟に漬かっているんですよ」
そう語るのは、経産省キャリアの一人だ。
「たとえば自民党の電源立地調査会というのがあるのですが、経産省内では調査会の議員を原発推進への貢献度に応じ、A~Cにランク分けをしていました。
選挙の際にはランクに応じて、Aの議員なら50万円、Bなら20万円という具合に、電力会社から〝政治資金収支報告書に載せなくていいカネ〟を届けさせる。そういうことをする官僚は電力会社の接待漬け。完全に〝あっち側〟に行ってしまい、有力議員に頼まれ、その息子のパリ旅行に際して、電事連(電気事業連合会)のパリ事務所にアテンドさせたりしていました」
一方で電力会社のほうも、常に官僚の動きをウォッチして、対策に余念がない。別の経産省元キャリアはこう証言する。
「役人が少しでもおかしな動き、例えば電力のライバルであるガス会社に有利なことを発言したら、電力会社の担当者がすっ飛んできて『ご説明を』となる。その際には、説明資料にビール券が挟まれたりしています。省内では、それらを集めて年末の忘年会や課内旅行の資金にしていました。
他にも生まれ年のワインをもらったり、子どもの誕生日に豪華プレゼントをもらったり・・・。仲間内では、接待漬けで電力会社寄りになった奴を『感電した』、逆にガス会社寄りの奴を『ガス中毒になった』と言って区別していたくらいです」
経産省と電力会社の癒着の象徴が、5月2日に明らかになった「電力会社への天下りリスト」だ(次ページ表参照)。経産省の発表によれば、過去50年に68人の官僚が電力会社に天下りしていた。東京電力に天下った石田徹前資源エネルギー庁長官は4月末に辞任を余儀なくされたが、現在も13人が役員や顧問として電力会社に在籍している。
「石田氏などはエネ庁長官時代に電事連の意を受け、再生可能エネルギーでなく原発を推進するエネルギー基本計画を立てた張本人です。彼らは、いったん政府系銀行などに天下り、そこをクッションにして電力会社に再就職する。そして東電副社長などの〝指定席〟に収まるのです」(天下り問題を国会で提起した共産党の塩川鉄也代議士)
官僚と電力会社が〝ズブズブ〟だったのは、何も経産省だけではない。原子力関連予算4556億円のうち、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院を抱える経産省の取り分は1898億円だが、日本原子力研究開発機構を管轄する文部科学省は2571億円、原子力安全委員会が所属する内閣府には17億円の予算が計上されている。
いま政府は、福島県内の子どもの被曝量の許容値を年間1ミリSvから20ミリSvに引き上げるなど、「放射能は危険がない」との正気を疑うキャンペーンを張っているが、原発を監視し、安全性を確保すべき立場の監督官庁が電力会社と一蓮托生なのだから、政府内でのまともな議論など、ハナから望むべくもないわけだ。
そして、この政官財一体となった原発推進キャンペーンに、資金や研究環境の便宜供与を受けて加担しているのが、いわゆる〝御用学者〟たちだ。
事故発生後、「原発は絶対に爆発しません」と菅首相に吹き込んでいた原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大工学部教授)を筆頭に、空疎な〝安全神話〟を唱える学者たちの存在が表面化した。端から見たら非常識としか思えない、こうした御用学者が居並ぶ理由を、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二氏はこう説明する。
「電機や機械と違い、原子力の場合は研究におカネがかかり過ぎるのです。国や電力会社がカネを出さなければ研究ができない異質の分野が原子力なのです。だから研究の裾野が広がらず、異なる価値観が共存することもない。したがって原子力村には相互批判がなく、いつでも『原発は安全』になってしまう」
原子力村では、准教授になった途端に国から声がかかり、各種委員会など原子力関連の政府組織に名を連ねることができるようになる。すると、より詳しい研究資料の入手もできるようになり、学生の指導もしやすくなる。電力会社から多額の謝礼で講演の依頼なども入るようになり、定年後には各社が運営する研究所所長などのポストも用意されるという。
しかし、正直に原発や放射線の危険性を指摘して、〝ムラ〟に反逆したと判定されてしまうと、御用学者とは正反対の恵まれない学究生活が待ち受けているのだ。東京大学工学部原子力工学科の1期生で、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏はこう語る。
「大学院生だった1960年代後半、日本科学者会議などの場で原子力行政を批判したところ、たちまち学内で干されました。その後、米国製軽水炉の欠陥を指摘したり、原発予定地の住民の相談に乗って反対運動に加わると、『反原発を扇動している』などと言われるようになり、各電力会社に〝安斎番〟の社員まで置かれるようになりました」
その当時、安斎氏が講演すると、必ずそうした〝番〟の社員が内容チェックにやってきて、彼らや公安関係の刑事から尾行されることもあったという。
「東電の社員から、『3年くらい海外に行ってくれないか。カネは用意するから』と言われたこともあります。もちろん断りましたが、私に消えてほしかったのでしょうね。東大には17年間勤務しましたが、最後まで助手のままで、その間、補助金はほとんどもらえませんでした」(安斎氏)
原発は絶対に安全だという〝宗教〟を信じない者は、「偏ったイデオロギーの持ち主」などと言って、研究費も与えずパージしてしまう。それが、官僚と電力会社の手口だ。そして、自分たちに都合のいい学者を出世させて権威として持ち上げ、原子力安全委員長などの重要ポストに据える。
本来、委員長は「原子力行政に絶大な権力を持っていて、原子炉メーカーが視察を受ける際、かつては工場の入り口に赤じゅうたんを敷いたほど」(大手電機メーカー社員)の存在だという。だが、委員長を指名するのはスポンサーである役所。産官学が同じ「原子力推進」で染まってしまっているのだから、そこには批判や反省が存在する余地はまったくない。
「クスリ」はすぐ切れる
国策として巨額の国費=税金を投入し、原発建設を推し進めてきた政治家と官僚機構。彼らの庇護を受け、原発運用で巨額の利益を上げ続けてきた電力会社と関連企業。そして、そこに「安全だから」とお墨付きを与えてきた学者たち---。
この渦の中で、原発マネーに翻弄されてきたのが、原発を誘致してきた「地元」である。
冒頭で触れたように、原発が稼動する地域では、住民懐柔の手段あるいは〝迷惑料〟として、国費から多額のカネが交付されてきた。福島県の場合、電源三法による交付金は'08年度で約140億円に達しており、そのうち56億円が、福島第一原発、第二原発が立地する浜通りの4町(双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町)の収入になっている。
これらの町の周辺には、原発マネー由来の健康施設や、運動公園、野球場が立ち並ぶ。東電が出資して運営し、現在は事故対策の現地本部が置かれているスポーツ施設「Jヴィレッジ」(楢葉町)もその一つだ。
原発マネーにより、こうした地域の一部の人々は、確かに恩恵を受けてきた。双葉町議を8期務めた、丸添富二氏がこう話す。
「第一原発ができた当時は、ほとんど皆もろ手を挙げて賛成していましたね。政府や県、東電は、明るい未来・安全な原発を喧伝した。歴代の町長は地元で建設会社や水道工事会社、商店などを経営していましたから、原発の恩恵をずいぶん受けたはずです。一般住民も、漁業関係者で1億円もらったような人もいた」
カネが落ちるとともに地域には雇用が生まれた。学校では子どもたちが原発の素晴らしさを教え込まれ、「なぜ原発を批判する人がいるのか信じられません」などと、作文に記した。
だが実際には、町々は事故の以前から、原発マネーによる〝バブル〟の後遺症に苦しんでいたのだった。
「最初は大きなおカネが落ちても、10年も経つと交付金の額も下がってきて、今度は作りすぎたハコモノ施設の維持費でクビが回らなくなってしまった。クスリの効果が切れるようなものです。よその人から見たら相当のおカネで潤ったように見えるのでしょうが、実際には当初いた原発長者の大半が消滅したのですよ」(富岡町の元郵便局員で原発問題に40年取り組んできた石丸小四郎氏)
原発が落とすカネで、過疎地だった町はしばらくの間、賑わったように見えた。だが、やがて原発の出入り業者の決定が入札制に変わり、地元業者は弾き出されるようになった。夢の町になるはずだった双葉町は、'08年度には原発のある町で全国唯一、財政の早期健全化団体に転落している。
結果的に、これらの町の住民の多くが、原発の事故によって帰る家と土地すら失いつつある。関係のない人々が「カネをもらったクセに」と批判するのは簡単だが、そう仕向けて地元を骨抜きにしたのは国であり、電力会社なのだ。住民の信頼を裏切り、「想定外」という言葉の連発で責任逃れをする者たちの罪は、あまりに大きい。
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は、「産官学が一体化した原子力村を解体しなければならない」として、こう語る。
「原発推進によって利益を得るごく一部の人間たちのために、消費者も世界一高い電気料金を払わされているのが現状です。今後は原子力安全委員会など、官僚と電力会社にとって都合のいい人たちだけのクローズド・コミュニティを解き、第三者や市民の目が行き届く組織に変えていかなければなりません」
前出の佐藤氏もこう語る。
「私はいまある原発をすべて止めてしまえ、とは言いません。しかし、有名無実化している原子力安全委員会を独立した存在にするなど、信頼できる組織に作り直す必要があります。安心とは、信頼です。そうしないと、日本は世界からの信用も失うでしょう。すでに失って三流国になりつつあるかもしれないのに、四流国へと成り下がってしまうかもしれません」
福島第一原発の爆発は、原子力村が作り上げて来た虚構を同時に吹き飛ばした。日本の未来にとって、原発は必要なのか否か。いま国民全体が問われている。
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