2011年5月23日月曜日

小出裕章教授

5月23日、参議院行政監視委員会に京大・小出裕章教授が参考人として出席をしている

この中で、一部画像が見辛い部分があることから、過去(平成17年12月25日)に京大・小出裕章教授と東大・大橋弘忠教授のシンポジュウムで用いた図をはさみこむで理解しやすいようにしてみた。


「今日はこれまで原子力をすすめてきた行政に一言いいたいと思ってうかがいました。私は原子力に夢を持って原子科工学科に入った人間です。なぜそうなったかというと原子力こそ未来のエネルギー源だと思ったからです。原子力は無尽蔵にあるが、石炭や石油は枯渇してしまうから将来は原子力だと信じて入ったのです。」

「しかし、入ってみて分かったのは原子力は大変貧弱なエネルギーだと気が付きました。今このスライドに再生不能エネルギーというものの量を順番にあげていこうとおもいます。」

「まず1番多い資源は、石炭です。大変膨大に地球上に大変たくさんあることがわかっています。ただし今書いた四角は、究極埋蔵量です。実際に経済的に掘れるとわかっているのは確認埋蔵量と言われてるものなわけですが。この青い部分だけだということになっています。」




「ではこの四角がいったいどれくらいのことを意味しているかというと、右の上に今、ちいちゃな四角を書きましたが、これは世界が一年ごとに使ってるエネルギーの総量です。ということは石油の現在の確認埋蔵量だけで言っても、あそうですね、数字で書きますとこんなことになりますが、60~70年はあるし、究極埋蔵量が全て使えるとすれば、800年ちかくあると。いうほど石炭はたくさんあると。いうことがすでにわかっている、わけです」

「その次に天然ガスもあることがわかっている。石油もある。そして、オイルシエール、タールサンドといった現在はあまり使ってない資源もあるということがすでにわかっている、わけです。」

「そして私自身は、はこういう化石燃料と呼ばれているものが、いずれ枯渇してしまうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源であるウランは実はこれしかない、のです。石油に比べても数分の一、石炭に比べたら数十分の一しかないという大変貧弱な資源であった、わけです。」

「ただ私がこれを言うと原子力を進めてきた行政サイドの方々は、いやそれはちょっと違うんだと。そこに書いたのは核分裂製のウランの資源量だけを書いたろうと。実は、自分たちが原子力で使おうと思ってるのは、核分裂性のウランではなくて、プルトニウムなんだと、言うわけです。」

「つまり非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うから、エネルギーとして意味があることになると。いうことを言っているわけです。」

「どういう事かというとこういうことです。」

「まず、ウランを掘ってくるということはどんな意味でも必要です。それを濃縮とか加工とかいう作業を行って、原子力発電所で燃やすと。これが現在やっていることなわけです。しかしこれをいくらやったところで、今聞いていただいたように、原子力はエネルギー資源にならない、のです。

「そこで原子力を推進している人たちは、実はこんなことではないと言っているわけですね。」



「ウランはもちろん掘ってくるわけですけれども、あるところからプルトニウムというものにして、高速増殖炉と言う特殊な原子炉を作ってプルトニウムをどんどん増殖していくと。でそれを再処理とかしながら、ぐるぐる核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだ、と言ったわけですね。で最後は高レベル放射線廃物と言う大変厄介なゴミがでてきますので、それをいつか処分しなければいけないと、いう仕事を描いた、わけです。」

「ただプルトニウムという物質は地球上には一滴もありませんので、しかたないので、現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して、高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すという、こういう構想をねった、わけです。」




「しかし、この構想の一番中心は高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉御は実はできない、のです。」

「日本の高速増殖炉計画がどのように、計画されて破綻して行ったこと言うことを今からこの図に示そうと思います。」



「横軸は1960から2010まで書いてありますが西暦です。何をこれから書くかというと原子力開発利用長期計画というものができた年度を横軸にしようと思います。縦軸の方は1980から2060まで数字が書いてありますが、これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかというふうに考えたかというその見通しの年度を書きます。」



「原子力開発利用長期計画で一番初めに高速増殖炉に触れられたのは第3回の長期計画1968年でした。その時の長期計画では高速増殖炉は1980年代の前半に実用化すると書いてあります。」

「ところがしばらくしましたらそれは難しいと、ということになりまして、次の原子力開発利用長期計画では1990年前後にならないと実用化出来ないというように書き換えました。」

「それもまたできなくて5年経って改訂されたときには高速増殖炉は、2000年前後に実用化すると書き換えたわけです。ところがこれも出来ませんでした。」



「次の改訂では、2010年に実用化すると、書きました。これも出来ませんでした。」



「次は2020年台に、もう実用化ではありません、技術体系を確立したい、というような目標に変わりました。ところがこれも出来ませんでした。」

「次には2030年には技術体系を確立したい、ということになった。」

「では次の長期計画でどうなったか、というと実は2000年に長期計画の改訂があったのですが、とうとうこの時には年度を示すこともできなくなりました。私はしかたないのでここにバッテンをつけました。」



「そしてまた5年後に長期計画が改定されまして、今度は原子力政策大綱というような大仰な名前に改定されましたが、その改訂では2050年に1機目の高速増殖炉をとにかく作りたいというような計画になってきた、わけです。」


「みなさん、この図をどのようにご覧になる、でしょうか。私はここに1本の線を引きました。どんどんどんどん目標が逃げていく、ことが分かっていただけると思います。」



「横軸も縦軸も1マスが10年。で、この線は何を示しているかというと、10年経つと、目標が20年先に逃げるということ、なのです。」



「10年経って目標が10年先に逃げたら、絶対にたどり着けません。それ以上にひどくて、10年経つと20年先に目標が逃げているわけですから、永遠にこんなモノには辿りつけないと、いう事を分からなければいけないと、私は思います。」

「ところがこういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるいはそれを支えてきた行政は一切責任を取らない、いうことで今日まで来ている、わけです。」



「日本はもんじゅという高速増殖炉の原型炉だけでも、既に1兆円以上のカネを捨ててしまい、ました。現在の裁判制度で行くと1億円の詐欺をすると1年実刑になるんだそうです。では1兆円の詐欺をしたら何年の実刑を喰らわなければいけない、でしょうか。1万年、です。原子力委員会、原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省、等々、行政に関わった人のなかでもんじゅに責任のある人はいったいなんにんいるのか、私はよく知りません。でも仮に100人だとすれば一人ひとり100年間実刑を処さなければいけないという、それほどのことをやってきて、結局誰も未だに何の責任もとらないままいるという、そういう事になっている、わけです。」



「えー、原子力というばというのは大変異常な世界だと私には思えます。」


「次は、今、現在進行中の福島の事故のことを一言申し上げます。」


「皆さんご存知だろうと思いますけれども、原子力発電というのは、大変膨大な放射能を取り扱うというそういう技術です。いまここに真っ白なスライドがありますが、左の下の方に今私はちいちゃい四角を書こうと思います。」



「書きました。これは何かというと、広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。800グラムです。みなさんどなたでも手で持てるというそのくらいのウランが燃えて広島の町が壊滅した、わけです。」



「では、原子力発電。この電気も原子力発電所から来てるわけですけれども、これをやるためにいったいどのくらいのウランを燃やすかというと、」



「1つの原子力発電所が1年動くたびに、1トンのウランを燃やすと、それほどのことをやっている、わけです。つまり、それだけの核分裂生成物という放射性物質をつくりだしながらやってるということに、なります。」



「原発は機械です。機会がときどき故障をおこしたり事故を起こしたりするのは当たり前、のことです。動かすのは人間、です。人間は神ではありません。時には誤りをおかすと。当たり前のこと、なわけです。」



「私たちがどんなに事故が起きてほしくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に残ります。いつか起きるかもしれないと言うことになっている、わけです。そこでじゃあ、原子力を推進する人たちはどういう対策をとったかというと。破局的事故はめったに起きない、そんなものを想定することはおかしいと。」



「だから想定不適当という烙印を押して無視してしまうということにした、わけです。」

「どうやって破局的事故が起きないかと言うと、これは中部電力のホームページからとってきた、説明の図ですけれども、たくさんの壁があると。放射能を外部に漏らさないための壁があると言っているのですが。」



「このうちで特に重要なのは、第4の壁というところに書いてある原子炉格納容器というものです。巨大な鋼鉄性の容器ですけども、これが、いついかなる時でも放射能をとじこめるというそういう考え方にした。わけです。」



「原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大仮想事故という、ま、ま、かなり厳しい事故を考えてると彼らはいうわけですけれども、そういう事故では、格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は、ゼッッタイ(※かなり大きな声で発言)に壊れないという、そういう仮定になってしまっている、のです。絶対に壊れないなら放射能は出るはずがない、いうことになってしまいますので、原子力発電所はいついかなる場合も安全だと。放射能が漏れてくるような事故を考えるのは、想定不適当と。そして想定不適当事故という烙印を押して無視することにした、わけです。」



「ところが実際に、破局的事故はおきて、今現在進行中です。たいへんな悲惨なことが、今、福島を中心に起きているということは、多分みなさんも御承知頂いていることだろうと思います。ただ、その現在進行中の事故にどうやって行政が向き合ってきているかと、言う事についても、大変不適切な対応が、わたくしはたくさんあったと思います。」



「防災というものの原則は。危険を大きめに評価してあらかじめ対策をとっていく。住民を守ると。もし危険を過大に評価していたのだとすれば、あ、これは課題だった。でも住人に被害を与えないで良かったと胸をなでおろすという、それが防災の原則だとおもいますが。」


「実は日本の政府がやってきたことは、一貫して事故を過小評価して楽観な見通しで行動してきました。国際事故評価尺度で、当初レベル4だとか、いうようなことを言って、ずーっとその評価を変えない、まぁレベル5といったことは有りましたけれども、最後の最後になって、レベル7だと。あまりにも遅い対応の仕方をする。」



「それから避難区域に関しても、一番初めは3キロの住人を避難指示だす。これは万一のことを考えての指示です、と言ったのです。しかししばらくすると今度、10キロメートルの人たちに避難指示を出しました。その時も、これは万一の時を考えての処置ですと、言ったのです。ところがそれからしばらくしたら20キロメートルの人たちに避難の指示を出す。その時も、これは万一を考えての指示です、と。いうようなことを言いながらどんどんどん後手後手に対策がなっていった。いう経過をだどりました。」



「私は、パニックを避ける唯一の手段は正確な情報を常に公開するという態度、だろうと思います。そうして初めて、行政や国が住民から信頼をうける。そしてパニックを回避するのだと、私はおもってきたのですが、残念ながら日本の行政はそうではありませんでした。常に情報を隠して危機的な状況でないということを、常に言いたがるということでした。」



「えー、SPEEDIという100億円以上のお金をかけて、25年もかけて築きあげてきた事故時の計算コード???。それすらも隠してしまって住民には知らせないというようなことをやった、わけです。」


「それから現在、まだ続いていますが、誰の責任かを明確にしないまま労働者や住民に、犠牲を強制しています。福島の原発で働く労働者の被ばくの限度量をひきあげてしまったり、あるいは住民に対して強制避難をさせる基準を現在の立法府が決めた基準とは全く違ってまた引きあげてしまうと、言うようなことをやろうとしている。」



「本当にこんなことをやっていていいのだろうかと、私は思います。」



「現在進行中の福島の、原発事故の本当の被害って、いったいどれだけになるんだろうかと私は考えてしまうと、途方に暮れます。」



「失われる土地というのは、もし現在の日本の法律を厳密に適応するなら、福島県全域といってもいい位の広大な土地を放棄しなければならなく、なるとおもいます。それを避けようとすれば、住民の被ばく限度を引き上げるしかなくなりますけれども。そうすれば住民たちは被ばくを強要させるということになります。」



「一次産業は、多分これからものすごい苦難に陥るだろうと思います。農業漁業を中心として商品が売れないということになるだろうと思います。」



「そして住民たちは故郷を追われて、生活が崩壊してくことになるはずだと私は思っています。」



「東京電力に賠償をきちっとさせるという話もありますけれども、東京電力がいくら賠償したところで足りないのです。何度倒産しても多分足りないだろうと思います。日本国が倒産しても、多分あがないきれないほどの被害が、私は出るのだろうと思っています。」



「本当に賠償するなら。ということです。」

「最後になりますが、ガンジーが7つの社会的罪ということを言っていて、彼のお墓にこれが碑文で残っている、のだそうです。」



「1番始めは「理念なき政治」です。この場にお集まりの方々は政治に携わっている方ですので、えー、十分にこの言葉をかみしめて頂きたいとおもいます。」



「そのほかたくさん、『労働なき富』、『良心なき快楽』、『人格なき知識』」

「『道徳なき商業』。これは多分、東京電力始めとする電力会社に私は当てはまると思います。」



「そして『人間性なき科学』と。これは私も含めたアカデミズムの世界がこれまで原子力に丸ごと加担してきたと、いうことを私はこれで問いたいと思います。」


「最後は献身なき崇拝。宗教お持ちの方はこの言葉もかみしめて頂きたいと思います。えー終りにしますありがとうございました。」



平成17年12月25日のシンポジュームの画像です


























元駐スイス大使の村田光平氏が2002年4月26日、27日にスイス、バーゼルにて開催された「核戦争防止のための国際医師団」(IPS/IPPNW)主催のシンポジウムにおける発言を載せておく。

             
                             
「9月11日以後の原子力政策と民主主義のあり方」


 原子力政策の決定過程に関するこのセッションの議長を務めさせていただくことは、私にとって大変光栄であり、嬉しいことであります。

 まず、原子力政策に対する私の立場を述べさせて頂きます。

 1997年1月、私がスイス大使をしていた時、私は日本の指導者に対して、スイスが2,3ヵ月以前に実施したように、日本でも原子力事故のシミュレーションを行って欲しいと訴える私信を発出しました。このことにより私は言わばタブーを犯したわけです。

 つまり、日本では、原子力の危険性を述べることは、反原発の立場をほのめかすこととなり、厄介な問題や不利な結果を招くので避けなければならないと思わせる独特の風潮があります。

 その2ヶ月後、東海村の再処理工場で爆発事故がありました。そしてさらに一年半後には皆さんご存知の通り、再び東海村で、JCOウラン加工工場で1ミリグラムのウランが誤った作業手順により臨海に達し、大変な事故となりました。

 そうして私は大使を辞めた2年半前から、国内外で地球の非核化、つまり軍事利用、民事利用を問わないすべての核エネルギー利用の禁止を唱えて参りました。

 同じ主張を2年前にインドのTATAエネルギー研究所の25周年記念国際会議で発表した際、出席していたロバート・マクナマラ元米国国防長官は、人的ミスにより破局的事故が惹起される危険性が大変高いことを強調しつつ、核兵器の一日も早い廃絶を熱烈に訴えました。

 9月11日の同時多発テロ、米原子力潜水艦と訓練船「えひめ丸」との衝突事故、台湾海峡上空における米・中戦闘機の衝突事故などは、いずれもこうした議論が正しいことを示していると思われます。ニューヨーク市議会が、今年3月19日に、満場一致でインディアンポイント原子力発電所の閉鎖を検討することを決めたこともうなずけます。

 日本の原子力政策の現状について見ますと、日本は多くの重大な事故から教訓を学んだとは言えず、依然原子力推進政策を続けております。日本という唯一の原爆被曝国が、このようなことをしていることは大変な皮肉と言わざるを得ません。現在53基の原発を抱えた日本は、国家の安全保障の観点からも、最も脆弱な国となってしまいました。

 一年前に私は著書を出版しました。本のタイトルは「新しい文明の提唱―未来の世代に捧げる」です。核の軍事利用の犠牲国である日本が、今度は核の民事利用の犠牲国になる道を進んでいると指摘しました。「日本病」という言葉をこの本で初めて使い、このような特殊な現象を説明しました。

 私は倫理と連帯に基づき、環境及び未来の世代の利益を尊重する新しい文明を提唱しています。このような新しい文明は、物質から精神の優先順位の転換を求めるものであり、エネルギー消費がより少ない社会を生むでしょう。

 また、1ヶ月後には朝日新聞社から2冊目の本を出します。この本のタイトルは、「原子力と日本病」です。日本病は三つの感覚の欠如から生じたものであると書いています。つまり、責任感、正義感、倫理観です。世界も日本ほどではないかもしれませんが、同じ病に苦しんでいると言えるでしょう。私はこのような現象は全て思いやりや想像力などの源泉となる感性の欠如に起因すると思っています。

 さらには、原子力と日本病が世界を破滅することもあり得ると論じています。特に私は2つの具体例を挙げました。一つは国の公的機関によりマグニチュード8クラスの地震の発生が予測されている震源域のど真ん中に建設されている4基の浜岡原発です。もう一つは、青森県六ヶ所村の再処理工場です。この工場では、広島原爆の実に100万発分もの放射能が蓄積される予定です。

 もし最悪の事態が生じれば、先の戦争での被害を遥かに上回ることになるでしょう。しかしながら日本の社会においては、この問題を報道することに関して暗黙裡に課せられた自主規制のために、かくも恐ろしい危険に対する認識は全くありません。

 この風潮は、先の戦争が始まる以前の日本を彷彿させるものであります。本の中で、私は浜岡原発の即刻閉鎖を求めております。現在、この問題に関して世論を目覚めさせるため、影響力のある人々と連名の声明を用意しています。

 日本の原子力政策は、エネルギー源の不足に対処するために貢献してきました。しかし、この巨大技術の致命的な欠点を目の当たりにし、政策転換の必要性についての認識は高まりつつあります。しかしながら原子力政策の変換は至難であり、そのため計り知れない危険に日本は晒されているのです。

 ここ数年、私は指導層に原子力の危険を警告するために、あらゆる機会をとらえ個人的な手紙を送り続けてきました。しかし、その成果には失望を禁じ得ず、私は原子力政策の転換を図るには市民社会の関与が不可欠であるとの結論に達しました。幸いに、私は最近いくつかの市民グループから協力の申し出を受けました。これら小市民グループが浜岡原発に関して声明を出すよう示唆してくれたのです。

 現状における最良の方策は、市民グループが地方自治体に働きかけ、これを受けて地方自治体が国会を動かすようにすることではないかと思っています。政府もこのような動きがあれば、影響を受けざるを得ないでしょう。近々発表する声明は、世論を動員することをも目的としており、これによって地方自治体が正しい方向にむけてイニシアティブを開始することを期待するものであります。

 私は市民社会が、原子力政策の決定過程において不可欠な役割を果たすと確信しています。このことは人間社会の決定要因に変化が見られ出したことを反映しています。つまり、知性から感性へ、権力から哲学へ、技術から直観へ、専門家から市民への重要性の転換です。

 優れた直観と哲学の感覚を持った市民なら専門家に立ち向かい、1500kmに及ぶ配管と40万ヶ所に及ぶ溶接部を有する再処理工場の長期的な安全を確保することは全く不可能であると断言出来るはずです。

 最後に、国際社会が取り組むべき3つの課題につき、述べたいと思います。

一つ目は原子力エネルギーに関する基本的な事実、即ち安全確保のために必要な全てのコストを計算に入れる価格の内部化が実施されれば、原子力利用は商業的に成り立たないということを周知させることです。そのような原子力に依存し、大変な危険を犯す理由はどこにもないはずです。原発の輸出などは言語道断です。

二つ目は既存の原発に対する国際的な管理強化の必要性です。国家主権は、必要な調査を受けることを拒否する口実にはもはやなり得ません。破局的な事故が起きれば、それは一国にとどまらず、世界を破滅することにもなり得るからです。

 三つ目の点は文明間の対話に関することです。原子力の問題はエネルギー消費を減らすような我々の生活スタイルの変化を視野に入れて対処していかねばなりません。この問題は文明間の対話の枠組みの中で扱うのが最も適していると思われます。

 原子力事故の深刻な影響に鑑みれば、核施設を持たない国も、関係国が取るべき安全対策について関与し、協議を受けるべきだと思います。これも文明間対話にとり、大変時宜を得た話題だと思います。

 原子力の問題は倫理と責任の問題に集約されると思います。危険であり、商業的にも採算に合わないものであると知りながら、原子力施設を他国に輸出することは倫理にかなっているでしょうか?危険やコストの問題を承知の上で、政策決定者がこのような施設を輸入する側に加担することは倫理的でしょうか?

 核廃棄物の処分の仕方も知らずに、また何十万という人員の動員を必要とする事故を鎮圧する備えもなくして、36カ国において430基以上もの原発を稼働させ続けることは責任感の欠如ではないでしょうか?

 そして誰にとっても自明な悲惨な破局の種を取り除くために何もしないでいるということは、正義感の欠如であると断じざると得ないと思います。 私は、良識ある医師の方々が組織した今回のシンポジウムが、世界が患っている病気を癒し、3つの感覚―倫理観、責任感、正義感を取り戻すことに貢献することを期待してやみません。

 我々には二つの選択が残されています。
 一つ目は地球の非核化を開始すること、二つ目は破局的な災害により、一つ目の地球の非核化を選ばざるを得なくなることであります。








北スウェーデン地域でのガン発生率増加はチェルノブイリ事故が原因か?
マーチン・トンデル (リンショーピン大学病院、スウェーデン)


プルトニウムの毒性はアルファ線によるもの。吸いこんだ場合に、大きな影響が出る
プルトニウムが放出するアルファ線は、短い距離しか体内を透過しない。飲みこんだ場合は、ほとんど排泄されてしまう。しかし、吸いこんでしまうと長い間、肺に付着し、徐々に血液中に入る。
■放射線の毒性
プルトニウムの毒性には、放射線の毒性と化学的な毒性が考えられる。
 放射線の毒性は、プルトニウムが放出するアルファ線によるもので、このアルファ線は人体の中を極めて短い距離しか透過しない(組織の中で約40ミクロン、骨では約10ミクロン)。 この短い距離の間に、アルファ線は細胞や組織、器官に全部のエネルギーを与え、それらの機能を損なわさせる。プルトニウム1g当たりの放射能の強さは、同じようにアルファ線を放出するウランに比べてかなり高くなるので、放射線の毒性も強くなる。
 プルトニウムは、半減期が長いことも毒性に関係している。一番存在量の多いプルトニウム239の半減期は、約2万4000年で、長い間にわたってアルファ線を出し続けている。しかし、人体は異物を排除する排泄機能があるから、プルトニウムを体内に取り込んでも一生体内にとどまっているわけではない。プルトニウムが体内にとどまる時間を表す生物学的半減期は、骨では50年、肝臓で20年と評価されている。
■化学的な毒性
 プルトニウムは、ウランと同様に腎臓に対する化学的な毒性が考えられる。しかし、化学的な毒性は放射線の毒性よりもはるかに小さいと考えられている。
■ほとんど排泄される経口摂取
 プルトニウムは無傷の皮膚からは体内に吸収されない。傷があると、そこから侵入し、比較的長い時間その場所にとどまり、ゆっくりとその部分のリンパ節に集まる。また、血液の中に入ったものは、肝職や骨に付着する。
 プルトニウムが体内に取り込まれるのに、飲食物などを介して口から入る(経口接取)か、呼吸を通して吸入される(吸入摂取)かの二通りが考えられる。
 飲み込んだプルトニウムは、消化管にほとんど吸収されずに排泄されてしまう。消化管から吸収される割合は、年齢や化合物の種類で異なり、大人の場合、酸化プルトニウムで約0.001%、硝酸プルトニウムで約0.01%とごくわずかである。
■肺に付着する吸入摂取
 一番影響が大きいのは吸い込んだ場合だ。吸い込まれたプルトニウムは、長い間、肺に付着する。しかし、人体は、器官に生えている繊毛という毛がチリなどの異物をつかまえ、粘液と一緒に食道に送り排泄するメカニズムを持っている。吸い込まれたプルトニウムもこの働きによって体外へ排泄されるから、肺に付着するのは4分の1程度。肺に付着したプルトニウムは、徐々に血液の中に入り、リンパ節や肝臓、骨などに集まり、排泄されずに長くとどまる。






日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない。地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ。 使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認めている。


日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない

 地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ(※編集部注)。もちろん事故や労災などの危険性も増大するが、仮にそうした恐れが高まるとして、それが絶対とは誰も言えない。ウラン燃料でも大事故や大労災は起こり得る。しかし、使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認める。100%疑いようの無い事実だ。しかも原子炉から取り出した後の使用済MOX燃料の始末は不透明で、何の見通しも無い。

 プルサーマル計画の申入れを受けた地元としては、確実に危険性の増すことへの了解を求められているということだ。安全性の向上を常に求めてくる県民の命・財産を預かる県が、容易にゴーサインを出せないのは当然であろう。

 こうした問に対して電力・国から返ってくる答は、「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」というものである。再度再処理して再々利用するかのように思わせるのだ。ところがこれが偽装・欺瞞なのである。なぜなら・・・・・

ここに格好のモデルがある

 何かにつけプルサーマル先進国として引き合いに出されるフランスの例だ。出典は核燃料サイクル開発機構(現独立行政法人日本原子力研究開発機構)の2004年度契約業務報告書「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」。発行は昨年3月、委託先はアイ・イー・エー・ジャパンとしてある。

 1/3を図表で占め、300ページほどもある労作だ。わが国の推進側資料としては珍しく比較的客観的な表現に終始している。プルトニウム利用としてあるが、話題はほとんどプルサーマル、海外とはヨーロッパ、すなわち「ヨーロッパのプルサーマル動向調査」といったところである。

 その報告書の中に、フランスにおいて使用済MOX燃料は、「約100 年間貯蔵され、その後に再処理するか、再処理しないかの判断を下す」(2001年6月28日発表の国家評価委員会(CNE)の第7回レポートより)とあるのだ。

 フランスと同様に日本でも、今回の原子力利用長期計画見直し(原子力政策大綱と改め)において、原子炉から取り出した使用済MOX燃料は再処理するかそれとも直接処分するか、決められていない。発熱量だけ考えても、地下に直接処分するには表面温度が100度より低くならなければならないが、使用済ウラン燃料でも50年位もの時を経なければその条件を満たさないというのに、使用済MOX燃料ではその10倍、すなわち500年の時間がかかると見積もられているのだ。(グラフ参照)

 再処理するにしても、ウランの使用済核燃料で数年のところ、MOXの使用済核燃料ではその何倍もの期間冷却する必要がある。プルサーマルとは、借金を解消しようとしてさらに借金を増やしてしまうような話ではないか。

人類にとって未経験、発熱し続ける物体

 われわれの生活圏の中での冷却というのは、一定の有限な量の熱を取り去ることである。ところが原子核による発熱は有限ではなくて、核反応の続く限り、何年、何万年と発熱し続けるのである。火が消えないと考えればわかりやすいだろうか。それも恐ろしく長寿命で、早く冷ましたりゆっくり冷ましたりと調節することもできない。

 核反応には2種類ある。原子炉の運転を止めれば「核分裂」の方はほぼ収まるが、「核崩壊」は原子核の種類ごとに自然の理によって定められた時間をかけて、それぞれのスピードでしか消えていかない。寿命の早いものは早々に消えてしまうが、原子炉の中には恐ろしく長寿命の原子核が大量に生まれているからだ。この熱を「崩壊熱」と呼ぶ。

 核をいじる・・・原子力の利用、とはこういうことを承知の上でなければできないはずだが、そんなことは聞いたことも無い人々までが、推進だ、事前了解だ、と判断してきた。知っている側は知っている側で、都合の悪いことは隠し、偽装と欺瞞によってここまで引っ張ってきた。

都合の悪い情報は公開されない

 フランスのこのような大失策を筆者が知ったのは、この報告書によってであり、昨秋、すなわち原子力政策大綱が確定した直後であった。もちろん、長期計画策定論議の中で海外の事例はレビューされたのだが、実績ばかりが強調され、この報告書の存在はおろかフランスの失策は紹介された形跡もない。まして、プルサーマル論議の繰り広げられている原発立地地域で紹介された例など皆無であろう。

 こうしたきわめて重要な、しかし推進側にとって不利な事実を隠してプルサーマルは進めようとされてきた。プルサーマルに限らない。そうした不誠実とご都合主義は一連の不正事件を通して、国や電力に対する大きな不信に成長している。原子力発電推進に熱心であった立地自治体関係者らが、いったん了解したプルサーマル地元了解を白紙撤回し、そのまま未だに固い対応を崩さないのも故なしとしない。

 これまで政府の旨い言葉に釣られてきたものの、時が経つにつれ深刻な現実が姿を現しクローズアップされてきた。後続の県もやがてそうしたことに気がつくだろう。

 「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」と何遍繰り返しても、もうその手には乗らない。原子力政策大綱には、「使用済MOX燃料の処理の方策は2010年ころから検討を開始する」(p.38)とある。それまでは検討もしないと言っているではないか。さらに付録の資料p.134には、「2050年度頃までに相当規模の再処理施設が必要」とあり、いきなり2050年頃に跳んでしまうのである。

 奇妙なのは、先に紹介した「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」なる資料が現在お蔵入りなのである。というのは、昨年10月1日に新機構に改組してからずっとデータベースが準備中のままなのだ。2ヶ月ほど前に問い合わせた時には2~3ヶ月かかると言われた。それもとうに過ぎた。独立行政法人たるもの、そんな怠慢は許されない。

 

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