5月30日の日経エコジャパンに京都大学教授で環境経済・政策学会会長でもある植田和弘氏が原発コストに関する記事を書かれ載せられている。http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110526/106571/
原発の本当の発電コストを考える
災害確率か予防原則か
福島第1原発の事故は国内はもちろんのこと、世界に大きな影響を与えた。未だ収拾の見通しが明確に立っているわけではない。放射能汚染の実態把握も十分とは言えず、今後被害がどれほどになるのか予断を許さない。
エネルギー供給の面では今夏の電力不足への不安が顕在化しているが、与えた影響はそれだけにはとどまらない。2030年までに原発を13基新増設するとしていた政府のエネルギー基本計画を維持するのは難しくなった。菅直人首相は「白紙からの見直し」を表明している。
何よりも、電力供給施設としての原発の安全性や信頼性が根底から疑われることになった。原発の過酷事故(severe accident)への対応策ができていなかった。多重保護という「建前」が機能しなかったのだから、安全基準や審査体制にも不備があったと言わざるを得ない。今回の惨事で図らずもそのことが明らかになった。今回被災しなかったほかの原発の安全性も問われてくるだろう。
政府は浜岡原発の停止要請をした。想定される東海地震の震源域の真上に立地しており、大きな地震に襲われる可能性が特別に高いことを根拠にあげている。ほかの原発は現時点で30年以内に震度6以上の地震が起こる確率が1%以下だとし、直ちに停止は求めないという。
ただ、今回の震災の教訓は、災害発生確率が低いことを理由に安全対策のレベルを下げていいということにはならないということである。
東北沿岸では今回と同程度の規模の津波が平安時代の貞観地震(869年)の際に襲来していた。この事実を突き止めた産業総合技術研究所の岡村行信博士が政府の審議会の場で強く警告を発していた。警告を受け入れて対策を講じていれば、今回の震災による被害はかなり軽減できたはずである。
つまり、今回の津波は想定外ではなかった。千数百年に1度は起こる津波だったのである。しかも地震や津波がもたらす被害は想定可能なものだ。気候変動のように具体的に何が起こるか正確に予見できない類のものではない。その意味で、津波や地震への対策は無知(unknown)や不確実(uncertain)な下での意思決定ではない。
いつ起こるかを正確に予測はできなくてもいつかは起こる。明日起こるかもしれないし、数十年後に起こるかも知れないのである。予防原則(precautionary principle)を適用するならば、過去の経験と現在の科学的知見が示唆する最大の地震や津波への対処策を講じる必要がある。
政府推計と大島推計
最大の対策をとっても残る危険はある。我々の自然に対する知識はもとより完全ではない。原発のあり方についてその分野の専門家だけの議論で決めるのは適切ではない。現在の科学的知見をもとに安全性に関してより広い観点から議論する場がなくてはならない。どこまで危険を軽減できればよいのか、最終的には社会的、政治的意思決定の問題になる。
安全対策の強化は不可避だが、これは原発の安全対策費の上昇を意味する。つまり、発電コストが上昇する。これまで原発は通説的には安価といわれてきた。政府が原発を推進してきた大きな理由もそこにあった。しかし、その根拠はそれほど堅固なものとは言えない。
原発の電力が安価だというのは、2004年に出された総合資源エネルギー調査会電気事業コスト分科会の報告書が根拠になっていた(表参照)。しかし、原発の発電コストは他の電源の発電コストよりも高いという研究結果が最近、立命館大学の大島堅一教授によって出されている。
(1)電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(2004年1月23日) 設備規模、設備利用率、運転年数に想定値が置かれている。割引率3%で試算。 (2)大島堅一『再生可能エネルギーの政治経済学』東洋経済新報社(2010年)
表で両者を比較すると、原発の発電コストは、報告書推計では5.3円/kWhと最も安価であるのに対して、大島推計では1970年度から2007年度までの実績値で10.68円/kWhと火力や水力よりも高くなっている。しかも、これは震災前の評価だ。つまり、今回の原発事故に伴う対策費や賠償費、今後上昇が予想される安全対策費を考慮しないとしても、大島推計では原発はほかの電源より高かったのである。
なぜ両者の推計にこれほど大きな違いが生じているのだろうか。推計方法の違いと用いるデータの違いをまず指摘できる。
報告書推計では、モデルプラントを想定して発電に要する種々の費用を集計している。これに対して大島推計は実績値である。電力各社が公表している『有価証券報告書』に基づいて電源別発電コストを推計する方法が、同志社大学の室田武教授によって開発され、大島教授が発展させた。
推計の正確性には、いずれの方法についても議論があるかもしれない。モデルプラント方式では様々な前提が仮定されている。実績値は「実態」が反映されているわけだが、その場合も集計範囲などで何らかの標準化を図ることは避けられな原発の見えないコスト
いずれの方法をとるにしろ、発電コスト比較で最も重要なのは、発電に伴うすべてのコストを勘定に入れることである。これは誰もが納得することだろうが、実際には容易ではない。
例えば発電のために何らかの資源を海外から購入するとしよう。化石燃料でもウランでもよい。その採掘現場がすさまじい環境破壊を起こしていたとして、何も対策が取られていない場合には、購入した資源の価格には環境損害費用が含まれていない。環境損害の被害者や社会に転嫁されているのである。だが、規制がかかったり、賠償問題に発展したときには、そうした費用を価格に反映させる必要が出てくる可能性がある。
しばしば推計が困難と指摘されるバックエンド(使用済み核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分など)費用だが、報告書推計はこれを発電コストに算入している。その点は評価できるが、問題はバックエンド費用の見積もりが、核燃料サイクル政策が政府の計画通りに進むことが前提になっている点である。周知のように、核燃料サイクル政策は不確実性がきわめて大きく、現にまったく計画通りには進行していない。したがって、バックエンド費用の見積りは過小評価の疑いが大きい。
大島推計は電力会社の実際の支出をまず集計している。発電に要する電力会社の支出は『有価証券報告書』に記載されている。しかし、電力会社の支出費用だけでは原発での発電は成り立たない、と大島教授は指摘する。発電技術の開発や発電所の立地や維持に巨額の財政支出が充てられている。立地地域への財政支出は火力や水力などに対してもあるが、原発はいわゆる電源三法交付金によってほかの電源に比べてきわめて手厚い財政支出がなされている。
もしこの財政支出が原発に不可欠な支出ということであれば、仮に電力会社の費用にはカウントされていなくても(電力会社の『有価証券報告書』に計上されていなくても)、原発の発電コストの一部として計上すべきであろう。
すべての電源に対して大島推計では、財政支出を含めた発電に要する総費用を集計している。すると原発は最も高価な電源ということになる(表の「財政支出を含む総計値」)。原子力発電は出力調整ができないため揚水発電で補完せざるを得ないと考えるとさらに高価になる(表の「原子力+揚水」)。
大島推計に基づくならば、今回の事故によって原発の安全性に疑問符がついただけでなく、これまで喧伝されてきた経済性も疑わしいということになる。原発の経済性は巨額な財政支出による下支えがあって初めて成り立つ。「安い」というこれまでの評価は国家によってつくられた虚構と言わざるを得ない。
原発が高価な電源ということになるならば、原発を推進してきた論拠の1つは崩れることになる。それでも原発を推進する場合、推進の論拠はどこにあるのだろうか。
いずれにしろ、発電コストの徹底的な検証は、今後のエネルギー政策を考える前提と言わなければならない。
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