2011年12月11日(日曜日)18時36分 低線量被曝リスク軽視派にヒロシマの被ばく医療界のドン、広島赤十字・原爆病院長が宣戦布告 http://kyumei.me/?p=441 kyumei /カテゴリ:コラム / 放射線影響研究所(放影研)といえば、前身のABCCが被爆者をモルモット扱いしたという逸話やチェルノブイリ原発事故の影響を過小評価してきた重松逸造、長瀧重信両氏が歴代の理事長を務めてきた歴史があるためか、原発事故が撒いた放射能による被曝の被害を食い止めようとする市民からはすこぶる評判が悪い。しかし、最近、大久保利晃理事長が放影研を現在の日米共同運営の機関ではなく、日本の独立した研究機関にすべきではないかと地元テレビの取材に答え、前身のABCC以来放置されていた「黒い雨」のデータの公開を検討し始めるなど、状況が大きく変化している。その放影研が広島では原発事故後初めて「低線量被曝リスク」等をテーマに市民公開講座(12月10日・広島原爆資料館地下メモリアルホール)を開催するというので、出かけてみた。 原発維持派にも反原発派にも見られない多元主義的な解説の新鮮さ 今回の市民公開講座では、放影研・中村典主席研究員による「低線量被曝のリスクをどう考えるか」、野田朝男放影研遺伝学部副部長による「線量評価の方法」というふたつの講演と質疑応答がメインのプログラムだった。内部被曝問題では両者とも楽観的な見解を一方的に取り上げる場面もあったが、低線量被曝問題では、放影研が妥当と考えている説以外の見解も紹介する多元主義的な解説に徹していた。 低線量被曝について放影研では現在、理事長、主席研究員以下、放射線被曝はどんなに低線量でもリスクを有すると仮定するLNT(しきい値なし直線)仮説を妥当としているが、講演では、これ以外のホルメシス説や100ミリシーベルト(以下、mSvで表記)までの被曝については健康への影響はない(閾値が存在する)」という「しきい値仮説」も紹介した上で、それぞれの科学的な根拠の希薄さや低線量被曝を無視する社会的・政治的背景を指摘し、否定に至っている。原発事故後、USTREAM等も含めて多くの低線量被曝問題の専門家やジャーナリストらの講演を聞いたが、この解説方法のものが少なかったため、新鮮に感じた。原発維持派、低線量被曝リスク軽視派の講演となると、一方的な洗脳、集団催眠術の手法が基本であり、このような手法をとった講演は皆無だ。するとしても、放射線被曝はどんなに低線量でもリスクを有すると仮定するLNT(しきい値なし直線)仮説への一方的で徹底的な「こきおろし」が目立つ。 多元主義的な解説は、放射線被曝影響の市民に対する社会教育では不可欠な方法といえるだろう。 LNT(しきい値なし直線)仮説を支持する医師、研究者を応援する必要性 低線量でもリスクを有すると仮定するLNT(しきい値なし直線)仮説を妥当とする放影研の主張に対して、脱原発派の講演会でも活躍する高木学校の崎山比早子・元放射線医学総合研究所主任研究員も、是とする立場だ。 崎山元主任研究員は、インタビューや講演でも放影研のデータにもとづくLNT(しきい値なし直線)仮説を紹介してきたが、「崎山さんは放影研支持者」だとの誤解を受けることもあったことだろう。この記事を書く前に予備的な情報をTwitterに流していたら、LNT(しきい値なし直線)仮説は放影研がアメリカから押し付けられたもので、世界の常識でもあるので放影研がLNT(しきい値なし直線)仮説をことさらに強調してもなんら評価の対象ではないとの趣旨の反応があった。 確かに、アメリカ放射線防護委員会(NCRP)は、LNT(しきい値なし直線)仮説を支持している。核兵器開発を推進し、原発を世界に広めたアメリカの放射線防護組織が支持しているLNT(しきい値なし直線)仮説には有り難みはないという考え方もあるだろう。 しかし、放射線被曝のリスクを重視し、被曝を避けたい市民にとって、どんなに低線量でもリスクを有すると仮定するLNT(しきい値なし直線)仮説は重要な根拠となるものだ。しかも、最近、大久保利晃理事長が放影研を現在の日米共同運営の機関ではなく、日本の独立した研究機関にすべきではないかと地元テレビの取材に答えた経緯もある。 また、「低線量被曝リスク」に関する放影研・中村典主席研究員の講演と質疑応答のなかで、「原爆症認定訴訟の政府側の根拠となっているしきい値仮説は間違っている。電力会社系の学者が支持するしきい値仮説を支持すると利益相反になるので好まない」との言明もあった。 低線量被曝リスクを重視しようとする学者や医師がいても、「それは世界の常識だから当たり前。評価しない」と醒めた顔で、応援しないという人が脱原発派の中にいて驚いた。低線量被曝のリスクを重視する市民の応援を抜きにして、低線量被曝リスクを語る医師や学者たちが診療や研究で頑張れるはずがない。 被曝リスクを過小評価した診断を「寝ぼけるな」と一喝した広島赤十字・原爆病院長 この公開講座のメインイベントは、広島赤十字・原爆病院の土肥博雄院長の「特別発言」だったといってよいだろう。土肥院長は、「放影研の立場ではいいにくいこと」と前置きした上で、福島第一原発事故での政府の被曝線量基準の設定の甘さにも触れた。 土肥院長は、福島県内等の高線量地域の住民に思いを馳せ、さらに原発事故の収束のために被曝労働に従事する作業員の中に被曝線量が高い人がいることを指摘した。なかでも最も高い680mSvの線量を受けた作業員に対する現地医療の「特に異常がなく大丈夫」とした診断結果を取り上げ、「寝ぼけたことをいっちゃあいかん」と厳しく批判した。 土肥院長は「広島・長崎でもチェルノブイリでも数年たって白血病等様々な障害が起こった。福島でも長期的に健康診断を行い、経過を観察していく必要がある」と、楽観視しないで事態の深刻さを直視する必要性を強調した。 土肥院長は、白血病臨床の権威。250mSv以上の被爆の数年後に白血病に至る症状がでてくる可能性を熟知している専門医だ。 土肥院長の「特別発言」の中での批判は、内閣官房が設置した、放射性物質汚染対策顧問会議の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」の長瀧重信元放影研所長や福島県立医科大学・山下俊一副学長らの低線量被曝リスク軽視派の人々や、福島第1原発の吉田昌郎・前所長の病状について「病気と被ばくとの因果関係は考えにくい」と東電に伝えた放射線医学総合研究所の明石真言理事らに向けられたものと考えても特段の支障はないと思う。 この土肥院長の「特別発言」について、司会を担当した放影研・寺本隆信業務執行理事(元厚労省官僚)が「感激しました」と支持の意を露にしたのも、驚きの一つだった。 ちなみに、3月21日の山下俊一の福島テルサでの発言、「もう広島と長崎は負けた。福島の名前の方が世界に冠たる響きを持ちます」は、広島・長崎の犠牲を自らの立身種世の踏み台にし、さらに福島の人々を踏み台にして、世界的な有名人になろうとする山下の狂気を表している。広島・長崎に研究拠点を持つ放影研の人々や、広島・長崎に赤十字原爆病院を有する日赤病院関係者たち、そして何よりも広島・長崎の被爆者と犠牲者の遺族の人々はこの発言をどう思っただろうか。 放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)と国際原子力機関(IAEA) 土肥院長は放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE=ハイケア)の会長でもある。HICAREは、広島赤十字・原爆病院、広島大学医学部、広島大学病院、放射線影響研究所、広島原爆障害対策協議会、広島原爆被爆者援護事業団が協力し、広島市、広島県、広島県医師会、広島市医師会が協力して世界の被災地で直接治療にあたる医療従事者等に対する指導、技術支援と医療情報の提供を効果的に行うため、地元広島における総合調整窓口としての機能を果たそうというもの。 チェルノブイリ原発事故の過小評価に絡んだ組織かと私も疑いの目で見ていたが、実際にはチェルノブイリの被害をかなり深刻に受け止めている記述がホームページのQ&Aにも掲載されている。 原爆被爆者治療の実績等を活用して、セミパラチンスク、チェルノブイリ等の現地被曝者のどのようなことがわかるのですか? 広島での原爆被爆者の治療経験から、セミパラチンスク、チェルノブイリの被曝者に血液の異常やリンパ球の染色体異常、甲状腺の機能異常等が、放射線を被曝した早期から起こっている可能性が考えられます。チェルノブイリ原発事故当日の労働者や、事故処理に入った人達には白血病発生も心配されましたし、周辺住民には、甲状腺癌の発生が心配されました。事実、チェルノブイリでは放射線感受性の高い小児に、事故後4年という早期から甲状腺癌が発生することが分かってきました。 HICAREは、近年、ベラルーシやカザフスタンから研修を希望する医師や技師を受け入れている。11月23日・24日ののHICARE国際シンポでも低線量被曝のリスク問題に注目が集まり、地元の医師らからも、軽視できないとの認識が高まってきている。 HICAREとIAEA=国際原子力機関(IAEA)との接近の評価 ところで、土肥院長の「特別発言」のなかでも国際原子力機関(IAEA)との協力関係強化についてふれられていた。国際原子力機関(IAEA)は、原発の推進機関だといわれている。そのIAEAとHICAREが接近しているということはどういうことなのか。少なくない人が疑念を抱くことだろう。確かに、国際原子力機関(IAEA)は、基本的には原発推進の組織で、放射線防護の際も国際的な原発利益共同体の「既得権益」保護のために動いているはずだ。けれども、今回の福島第一原発で、国際原子力機関(IAEA)は、住民の被曝の加害者だったのかどうか。 報道によれば、国際原子力機関(IAEA)は、原発事故後の3月30日、福島県飯舘村についても、独自の基準では避難が必要だとして日本側に避難勧告を出すよう促したという。今回の原発事故で、国際原子力機関(IAEA)が果たそうとした役割を率直に評価する脱原発派の人が少なくないのはこのためだ。 HICAREのような人道的な機関の場合、原発をつくったのは原発を許した国民の責任だから、万が一事故が起き、多くの人々が被曝しても救援しないということはできない。原発事故の人的被害を軽減することが、結果的に賠償金額の圧縮に繋がり、原発共同体の利益になったとしても、人命と人々の健康を守ることを最優先するべきだ。 神谷研二・広大原医研所長は低線量被曝リスク軽視派か? HICAREの役割と立場が理解できても、その役員の中に「御用学者」がいれば、脱原発派、低線量被曝リスク重視派の市民たちは、この組織を信用しないだろう。私も、実は、HICAREの役員のなかに、非常勤の福島県立医科大学副学長の神谷研二・広大原医研所長がいることを見つけて、HICAREを要注意のリサーチ対象にしてきた。 しかし、神谷研二・広大原医研所長が山下俊一と同じ「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」に選ばれた経緯は、広大原医研としていち早く福島県に医療チームを出したことに端を発するのであって、「100mSv以下なら大丈夫」論などをふりまいて福島県知事に取り入った低線量被曝リスク軽視派のリーダーともいうべき山下俊一とは全く違うものであることは、原発事故後に「御用学者情報」を集めていた脱原発派、低線量被曝リスク重視派の人々の間ではあまり知られていなかった。 神谷・広大原医研所長は、実はもともと低線量被曝リスク重視派なのだ。中国新聞の記事でも「低線量被曝が健康に及ぼす長期的な影響については十分に解明されておらず、少しでもリスクを減らすことが放射線防護の基本である。足元を見つめ、科学的な調査に基づいて住民の健康を守る」との意思が明確に表明されている。 神谷・広大原医研所長の低線量被曝についてのあまりに慎重な説明の仕方がマスメディアの歪曲報道のなかで、歪められて「心配ない」「安心」といった発言だけが切り取られ、いつの間にか山下と同じ低線量被曝リスク軽視派のリーダーのひとりにされてしまっただけだ。 福島県民健康管理調査のゆくえ 広島赤十字・原爆病院の土肥院長も、福島県民の長期的な検診等の医療支援が必要だと強調していた。土肥院長は、IAEAのチェルノブイリ調査プロジェクトに同行し、かつてのABCCと同様、「調査すれども治療なし」だと現地住民から反発を受けたという。 土肥院長は、「被爆者が治療してほしいと思うのは当然だ」といい、放射線被曝事故の緊急被曝医療への体制確立の必要性を強調している。 福島県民健康管理調査には、HICAREに参加する放影研も広島大学も協力しており、広島大学からは神谷原医研所長、放影研からは児玉和紀主席研究員が「県民健康管理調査」検討委員会の委員として選ばれている。 放医研にも広大医学部にも疫学調査の際には、倫理審査を行う委員会が存在しており、個別に調査事業を受託した場合も倫理審査は受けている。ところが福島県民健康管理調査には、独立したチェック機関や「倫理審査委員会」はなく、問診票の調査と回収、分析に関してのみ、福島県立医科大学で倫理審査を済ませただけという杜撰な取り組みになっている。県民からも信頼されていないためか、6月下旬から先行実施している、高線量地域の飯舘村、浪江町、川俣町山木屋地区の約2万9千人からの回収率でさえ50%に達していないという。 報道によれば、福島県浪江、川俣、飯舘の住民約1730人が受けた外部被ばく線量は推計で平均1mSv強、最高約37ミリmSvだったことがこの県民健康管理調査の結果として福島県から発表されている。 放影研の児玉和紀主席研究員は、国際放射線防護委員会(ICRP)の「緊急時は20~100ミリシーベルト、緊急事故後の復旧時は1~20ミリシーベルト、平常時は1ミリシーベルト以下」という段階的な許容量引き下げの指針を紹介しており、「チェルノブイリでは、汚染地域に戻って暮らす人がいた。福島でも同じことが想定される。累積線量をしっかり測って、健康管理をしてあげないといけない」とも語っている。山下俊一の100mSv以下ならどんなに長い間被曝しても大丈夫とする楽観論には組みしていない。 「福島県民健康管理調査」は、そもそも低線量被曝リスク軽視の立場からスタートし、福島でずっと暮らしても安全であることを証明するために行われているものだ。 「福島県民健康管理調査」の迷走に、広島赤十字・原爆病院の土肥院長ら、原爆被爆者の疫学調査の難しさや目的の明確化、個人情報の管理やデータの医学者どうしでの共有化と活用の難しさを知る医学関係者の苛立ちも、尋常なものではないと思う。 低線量被曝リスク重視をステップに、内部被曝リスクの研究へ 放影研の広島での原発事故後初めての市民公開講座は210名の参加、研究員ひとりあたり30枚にも及ぶ質問用紙の回収という、かつてない盛り上がりのうちに終了した。 低線量被曝のリスクを軽視しないでほしいという市民の願いと放影研の研究者、運営側、地元医師会、HICARE等の関係者の低線量被曝リスク重視のスタンスがひとつになり、熱気に溢れた集まりでもあった。 放影研の大久保理事長は、研究員と市民との質疑応答の際に、特別に発言の機会を求め、「内部被曝リスクはないといったことはない。内部被曝リスクも視野に入れて研 究を続ける」と明言した。放影研やHICAREが国民が望む研究や被曝緊急医療活動をすすめるように、日常的に活動内容をチエックし、意見交換していくことがとても重要な時期になっている。 放影研・中村典主任研究員はレジュメでも口頭でも放射線被曝のリスクについて心配なことがあれば、「放影研に電話でして下さい。科学者にはそういう質問に答える社会的責務があると思うので、遠慮はいりません」と明記、明言していた。 低線量被曝のリスクを軽視しない医学者や医師を応援する気持ちがある市民は、率直に放影研やHICARE等にその意思を伝えよう。 激励先 広島赤十字・原爆病院の土肥院長が会長を務める・放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE) hicare1991@hicare.jp 放射線影響研究所 事務局 広報出版室 research-info@rerf.or.jp. なお、この記事で書けなかった逸話を14日配信のメールマガジンでお伝えします。お楽しみに。
「論」も愉しとは、故筑紫哲也氏の言葉である。 近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。 その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。 そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、 失なわれるのは自由の気風。 そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。 ・・・・「論」を愉しむためには、いろいろな事を知っていた方が良いと自分は考える。沢山引き出しを持っていた方が、人生を愉しめるような気がする。
2011年12月12日月曜日
低線量被曝リスク軽視派にヒロシマの被ばく医療界のドン、広島赤十字・原爆病院長が宣戦布告
2011年6月16日木曜日
転載禁止の記事をあえて転載
2011年06月14日
計画的避難区域に指定された福島県の飯舘村で、5月31日時点で全村民6177人のうち23%にあたる1427人が区域内に残っていることがわかった。政府は5月末の避難完了を目標としていたが、避難先の確保が困難なこともあり、当初から「間に合わない」との異論も出ていた。
放射性テルルが検出されたことの意味
その飯舘村の南に隣接する浪江町、さらにその南の大熊町。この二つの町で、福島第一原子力発電所の事故発生の翌12日午前8時半過ぎ、放射性ヨウ素や放射性セシウム、放射性テルルが検出されていたという。経済産業省原子力安全・保安院が6月3日になって公表した緊急モニタリング調査データから明らかになった。
ここで問題なのは「放射性テルルが検出された」ということである。テルル132は代表的な核分裂生成物で、融点が450度、沸点が1390度であるから通常は固体である。固体が何キロも飛散することは考えにくいので、炉心溶融の結果出てきたと推測される。
核燃料の主成分はウラン酸化物で、それが溶けるのは2800度である。この温度になるとテルルが酸化して二酸化テルルになっている可能性が高い。沸点は1390度だから炉心溶融した超高温の環境下では蒸発して飛び散る可能性が高い。最近検出されたストロンチウム、アメリシウム、キュリウムなども同様である。
国民に即座に知らせるべき事実だった
そのような放射性物質が事故の翌朝に原発から10キロ近くも離れた場所で検出されたということは、私たち国民が知らされていたよりも早く炉心溶融は起きており、圧力容器や格納容器、建屋までもが損傷していたことになる。
本連載でも私は「炉心溶融は間違いなく起っている」と述べてきたが、それは格納容器の圧力、黒煙、二本の水蒸気、水素爆発などの状況証拠を積み重ねて推論した結果である。外部に気体以外のテルルのような物質が飛散していれば、燃料が溶融していることは間違いない。
炉心溶融ではなく被覆管が破損している程度ならヨウ素などの気体か、融点がほぼ常温であるセシウムが水と反応して外部に出てくることは考えられるが、テルルやストロンチウムは出てこない。つまりテルルが広範囲に散っていたということは、炉心溶融が起り、しかも圧力容器と格納容器がその密閉機能を失ってしまっていた、ということである。
保安院は、3月12日の午前8時半には福島第一原発が深刻な事態になっていることを認識していたのだ。この事実は即座に国民に知らしめなくてはいけないものである。にもかかわらず保安院は3カ月近くも事実を隠し、しかも「発表するのを忘れていた。隠す意図はなかった。申し訳ない」の一言で済まそうとしている。言語道断というべきであろう。
米国に伝えていたと考えれば辻褄が合う
あくまでも私の推測だが、保安院はテルル132が検出された事実を米国には伝えていた可能性がある。米国政府は3月16日、在日米国人に対して半径50マイル(約80キロメートル)圏内から避難するよう勧告し、大使館業務を大阪に移したとき、「ずいぶん大袈裟な反応だ」と感じた人も少なくなかったろう。しかし、それも正確な情報をいち早く保安院から得ていたと考えれば辻褄が合う。
米国が独自調査でテルル132を検出していた可能性もなくはないが、「事故の翌朝8時半」というのはかなり早い段階のことであり、米軍とはいえ、そこまで迅速に行動できたかどうかは疑問が残る。したがって、やはり政府・保安院が米国に一早く知らせたと考えるのが自然だ。
米国は事故の数日後から独自の無人機を福島第一原発上空に展開しており、その分析で水素爆発した2、3日後には炉心溶融を確信していたと思われる。しかし官邸がその事実を認めないので日本が事故を隠蔽しているということで、その後は独自の判断で行動することになったようだ。
米軍の無人機は北朝鮮などの核実験などを検出するために開発されており、炉心溶融で検出される放射性同位体は核爆発とほぼ同じなので、むしろ「得意技」の範疇に入るに違いない。
まったく国民を馬鹿にした話だ
保安院の西山英彦審議官は「発表しなかったことに特別な意図はなかった」と弁明しているが、本当は「意図があった」はずだ。あるいは米軍に証拠を突きつけられて、自分たちもそのくらいの証拠は持っている、と応じた可能性もある。
私たち国民の健康を犠牲にしても、米国には本当のことを伝え、在日米軍をはじめ米国関係者に適切な対応をとってもらおうという「意図」があったのではないか。まったく国民を馬鹿にした話である。
もし保安院を徹底的に追及して本音を引き出したら、きっと次のような回答が返ってくるだろう。
「3月12日朝の段階で、炉心溶融していることは認識していた。圧力容器はもとより格納容器が破損し、放射性物質が漏れ出ていた」。しかし、「それを発表したら国民がパニックになると心配した」。つまり、「情報を出さなかったのは、パニック発生を防ぐための親心のようなものだ」。そして実際、「現場の努力で大事には至らずに3カ月が経過している。結果オーライではないか」。今回発表したのは、パニックを避けるためにむしろ良かったのではないか、という開き直りである。
いささか意地悪すぎる見方なのかもしれないが、私は保安院の答弁を見てそう感じた。そうでなければ「特別な意図はなかった」などと、いかにも意図があった人にしか言えないセリフが出てくるわけがない。
どういう状態になったら自宅に戻れるか明らかにせよ
私は3月27日に公開したYouTubeの動画で、「福島第一原発の1~3号機は炉心溶融している可能性が高い」と述べた。原子炉周辺からストロンチウムが検出されたことや、黒い煙が上がったことなどからそう判断したのだが、実は事態はもっと早く進行していたのである。
幸いなことにその後の懸命な作業によって、米国の心配が今のところ杞憂に終わっている。同盟国に対して原発事故の正確な情報を伝え、しかるべきアクションを促すのは政府として当然のことである。だが、そこに「国民には知らせず、関係国だけに教える」というオプションがあっていいはずはない。政府はあまりにも国民をなめている。
いま、福島第一原発周辺の放射能のレベルに関してもさまざまな情報が交錯している。「避難している人が戻っても問題ない」と考えられる情報もあれば、「とてもそれどころではない」というデータもある。政府のしかるべきポジションにある人がどのデータが正しいのか、どういう状態が整ったら避難している人は自宅に戻れるのか、を明らかにしなくてはいけない。
同時に、ほぼ永久的に戻れない範囲はどのくらいと見込まれるのか(その地域から避難した人には移住を一刻も早く斡旋してあげなくてはならない)、などを明確にしなくてはならない。
残念ながら政府の発表は信用できない
放射線レベルでも私は政府の発表を信用していない。福島第一原発の現場で働く人々の被爆に関しても、実態はもっとひどいものだと思っている。「もともと人が働けるような環境ではないところで働かざるを得ない」とうことで、線量計や被爆情報を操作していると考えるからである。海外が疑いの目で日本を見ているが、実は政府を信用しているのは日本人だけかもしれない。
政府と保安院は事故発生から2カ月間、「炉心溶融はしていない」という態度で一貫していた。だから保安院の中村幸一郎審議官が3月12日に「1号機の炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表したとき(つまり技術系の彼はテルルのことを知っていた可能性が高い)、菅直人首相は即座に彼をクビにした(代わりにそのポストに就いたのが前出の西山氏である)。
正しいことを述べた人を“更迭”し、政府の意をくんで「大本営発表」してくれる人を起用する。これは、はっきりいって異常なことだ。生命にかかわるかもしれない重要な情報を国民よりも米国に先に伝えるのは、さらに異常な事態である。原発事故をめぐる政府の対応には様々な批判があるが、この問題はとりわけ強く批判されなくてはならない。私たちは断固とした怒りの声を上げるべきではないか。
2011年6月12日日曜日
マイケル・シュナイダー氏のインタビュー記事
非常に興味深い内容であったので、備忘録に残しておきます。本来このように転載の了解を得ていない場合は、公開をせず「下書き保存」をして備忘録に残しておくのだが、少しでも多くの方の目に止まることを願ってあえて公開をしています。
「マイケル・シュナイダー: “原子力にすでに未来はない”」、仏メディアパール誌インタビュー記事全訳
マイケル・シュナイダー:「原子力にすでに未来はない」
2011年5月31日 ミシェル・ド・プラコンタル
福島の惨劇も、ドイツによる脱原子力の決断も、フランスの指導者たちの判断を揺るがすことはなかった。彼らにとって、「原子」の他に救いはない。では、原子力が我々にとって、必要不可欠なものであるどころか、打開策のない行き止まりであったとしたら? エネルギーの専門家であり、もうひとつのノーベル賞と言われ、環境保護や人権活動などに貢献した個人や団体に贈られるライト・ライブリフッド賞の1997年の受賞者であるマイケル・シュナイダーが、30年の原子力産業分野での研究実績を元に語る。
記者:アンゲラ・メルケル独首相は、2022年までにドイツは原子力から脱却するとの決議を行いました。これは、エネルギー史においても大きな転換となる出来事に思えますが?
マイケル・シュナイダー:目覚ましい決断であったと思います。現ドイツ政権はドイツ国内の政界においても最も急進的な原発推進派とみられていただけに、ドイツでのこの度の出来事は、単なる政治の出来事ではなく、歴史の一つの転換であると言えるでしょう。アンゲラ・メルケルの選択は、エネルギー確保のための倫理委員会の報告書が述べているエネルギーの現状分析と、核を代替するための一貫性のあるエネルギー施策の提案に基づいています。
同報告書は、政府の要請に応じてまとめられたもので、元環境相であり、国連環境計画 (UNEP) 事務局長を務めたクラウス・テプファーがまとめたものです。テプファーの倫理委員会は、脱原発までの期間を10年と試算し、さらに短期間で実現することが望まし(!)とも述べています。
また、同報告書は、エネルギーのマネジメントにおいて、組織的かつ抜本的な改革が必要であるとしています。テプファー氏は、脱原発は「経済成長の原動力」になる可能性があるという興味深い見解を支持しています。2013年のドイツ総選挙においては、「脱原発を最も早く実現できるのは誰なのか?」ということが論点の一つになるのではないでしょうか。
記者:ドイツのこのような決断がある種の目くらましであるとする見解もあります。結局のところ、脱原発といったところで、フランス産の核エネルギーに頼ることになるのではないか、また、そのことによりドイツの脱原発はフランスの脱原発を遅らせることになるのではないかという意見もありますが。
マイケル・シュナイダー:それは非常に面白い、しかしながら、誤った見解であると言えるでしょう。フランスはむしろここ数年、ドイツ電力の純輸入国でした。つまり、両国間の輸出入総額の収支においては、フランスのドイツからの電力の輸入額は、輸出額に上回っていたということです。2010年においては、フランスは、6.7テラワット(67億キロワット)の電力をドイツから輸入しており、これは、原子力発電所一つ分の生産量に該当する電力(!)です。ただし、フランスの輸入は、冬に集中しており、その電力もドイツの石炭火力発電所から供給されるものです。また、フランスの冬季における電力消費のピークは、96ギガワットを記録しているのに対して、フランスの人口を1600万人も上回るドイツの数字は80ギガワットにとどまっているのです!
ヨーロッパにおける電力の流通を左右するのは、あくまでも市場価格の論理であり、生産量の多い少ないではありません。現在の調査結果は、ドイツがフランス産の電力に依存しえないことを明らかにしています。であるならば、今回のドイツの決定がどのようにしてフランスの脱原発を遅らせるというのでしょうか?
「何一つ解決をみない福島の現状」
記者:現産業相のエリック・べッソンは、リベラシオン誌で「福島は結果的に原子力の安全性を底上げする」と宣言し、また、日本政府が「自国の原発を停止する意志を全く持っていなかった」と言及しています。彼が言うように福島原発事故はすでに決着を見たのでしょうか?
マイケル・シュナイダー:いいえ、この見解は現実と符合していません。25回の訪問を経て、わたしも日本をそれなりに知っているつもりですが、福島の惨劇を過小評価すべきではないと考えています。ある種の技術信仰と決定権を持つ集団による盲信が今回の一件の発端にあります。そして、状況は何一つとして解決をみていない。それどころか、日に日に悪化していると言えます。
事故から2カ月半が経とうとしていますが、放射性物質の放出は続いており、東京電力は未だに安全を確保するための一貫性のある戦略を持っておらず、また、日本の保健当局は日本国民を保護するための包括的な計画を何一つ実装していません!
原子炉とその燃料が如何なる状況にあるのか、信頼できる情報源が一つもないにもかかわらず、状況は何一つ安定していません。
5月25日付の報道発表によれば、東電は、原子力安全保安院の要請を受けて、線量計を社員各自に装備させたそうですが、それはつまり放射線の汚染が著しい区域で作業していたにもかかわらず、東電社員はこれまで同様の装備がされていなかったということを意味しています。これは信じがたいことです。
さらに恐ろしいことに、東電は、社員全員への装備が行きわたるまで、放射線の用量が介入地域毎に単一であるという論拠に基づいて、技術者一グループにつき、一台の線量計を配備するとしています。しかしながら、半日間、電離放射線下で働いた場合の放射線汚染容量には、数メートル単位での位置の差で10倍の差があることは周知の事実です。つまり、チェルノブイリの事故処理に従事した人々と同じように、今回も労働者たちは全く保護されていないのです。事故から2カ月経つ現在にいたっても、放射線防護の基本中の基本すら無視されています。
原子炉の状態を正常化する施策についても、非常に断片的なデータを根拠とする推論に留まっているのです。三つの原子炉においてメルトダウンが起こったことは確実だと言えますが、では具体的にどの程度の比率で燃料に損傷があったのか、ということは分かっていません。東電の分析は、不十分な数のデータや、センサーの破損により多くの場合が正確とはいえない実際の測定値から類推したシナリオを頼りとしているに過ぎません。これはただの切り張り作業です。おまけに、廃棄物や汚染水の管理に至っても同様の対応しか見せていません。
記者:東電と日本政府は、もっと国際的な支援を呼び掛けるべきなのではないでしょうか?
日本国が問題を解決する能力がないことを2カ月に及びデモンストレーションしてきたわけですから、国際社会に課せられた責任は重いと思われます。現在、アメリカ、フランス、ドイツが、日本に援助を行っていますが、介入国間の協議は特に行われておらず、日本との二国間の援助に留まっていることも問題です。
マイケル・シュナイダー:日本との関係の深いアメリカに関しては、無人偵察機を配備しているため、他国に比べてより多くの情報を保有している可能性がありますが、特に福島近隣の米軍基地周りの状況把握など、彼らには彼ら固有の利害があります。
フランスはフランスで、アレバ社(訳注:フランスに本社を置く原子力産業複合企業)のビジネス上の利害関係を日本と持っている。こうしたように、結局のところ、一連の二国間援助の動きの狭間で東電は行ったり来たりしているに過ぎず、多国間で協調する形で包括的な施策は何一つ行われていないのです。これではうまくいきようがありません。
そして私には、数ある原子力大国が何故このような状況に甘んじているのかがわかりません。世界最高峰の専門家を集めて国際的なタスクフォースの類を編成するといったことがむしろ求められていると考えます。
チェルノブイリを上回る健康への被害
記者:日本国民の保護、そして福島原発外の環境への影響はチェルノブイリと比較してどうなっているのでしょうか?
マイケル・シュナイダー:チェルノブイリより良い状況だとは全く言えません。チェルノブイリでは起こって、福島では起こらなかったことが、二つの間に大きな差を作っていると言えます。たとえば、ウクライナで起こった十日間に及ぶ火災の原因となった大爆発は、汚染物質を標高三千メートルの高さにまで運び上げました。結果、チェルノブイリの一件で発生した汚染物質の約半分の量が、旧ソ連の三共和国(ウクライナ、ベラルーシ、ロシア)以外の地域まで飛散したということが現在わかっています。
逆に、福島の場合は、汚染物質は継続的に排出されつづけ、原発の周辺が主な汚染地域となりました。半径100キロから200キロ圏内が特に被害を受けた地域であり、数千キロ先まで被害が及んでいるわけではありません。
外国にとってはこれは幸い、しかしながら、日本にとっては最悪の事態であると言えるでしょう。そして現時点においては、汚染地域を地図上で特定することは非常に難しいのです。なぜならば、汚染が進むのに一定の規則性はなく、天候に左右されながら、地表上に染みのように広がっていくからです。
最も危険な地域を特定するには、非常に多くの計測を行う必要があります。日本ではガイガーカウンターは売り切れ状態になっています。この点においても、日本は今も散々な状況にいると言えるでしょう。
日本在住のアメリカ人による民間プロジェクトが日本で結成され、約四十程度の移動型の測定ラボが設置されようとしていますが、個人的にはこのような動きに賛同します。しかし既存の施設を活用して固定型のラボも同様に設置されるべきでしょう。
たとえば、食品会社の持つ研究所に放射能測定可能な分光器を配備することなどが考えられます。しかし、こうしたことは現状を反省し、国家レベルで一貫した協調的な施策として組織されなければなりません。特定の地域、例えば学校などの施設における住民が曝されている放射線量の計算も酷く混乱しています。
日本政府は、年間20ミリシーベルトの摂取を学童に認可していますが、これは、原発労働者の年間の摂取量に相当します。これは子供たちの危険を二十倍に倍増していることを意味するのです!
国民の背負うリスクを軽減するための本当の意味での施策はまだ存在しないのです。
このまま何も状況が変わらなければ、今後放射能の影響によるガン患者が何千人と生まれることは明白です。
記者:福島の地域住民の被害状況は、チェルノブイリ事故の後にベラルーシの人々がさらされた状況と同じくらい酷いものであると言っていいのでしょうか?
放射能の排出量が低いといっても、人口密度がより高い限られた面積の上に集中して散布されているわけですから、健康への影響という意味ではチェルノブイリを上回っていると私は考えます。このままでは大勢の人が見殺し状態になる可能性があります。
「原子力に未来はない」
記者:このような劇的状況にもかかわらず、日本は脱原発を宣言していませんが・・・。
マイケル・シュナイダー:事実を観察すれば、脱原発の方向に進んではいます。繰り返しますが、福島の傷跡は、たとえそれが外からはわからないものであったとしても、とても大きいものです。加えて日本は、この半世紀で初めて自民党ではなく民主党が与党につくという政治的にも特殊な状況に置かれています。そしてこの民主党は原子力推進派の政党ではなく、党員の多くが、たとえばフランスの社会党と比較してもそれを上回るほどの反原発の立場を取っています。重要な立場にある人間が原子力批判をするということもあり、またそれは決して孤立した意見ではありません。
確かに原子力推進派のロビー団体は日本において非常に大きな勢力を持ち、国自身も、電力の輸出国になるために一貫した転換を図ろうとしていました。
しかしながら、民主党は、この遺産を継承する必要はありません。それどころか、この動きに対し一定の距離を保つことに利益を見いだすはずです。
管直人首相は、福島の危機に対する管理能力から多くの批判を受けていますが、前任者たちの政治からの離脱という点において突破口を見いだせるかもしれません。面子を失うことが政治家にとって最も恐れられる国において、自民党に危機の責任を負いかぶせる形で、身の振り方を見出すのは、民主党にとっては魅力的な方法に思えることでしょう。
管の支持率は過去最低を記録しており、脱原発を宣言したところで失うものはもはや何もありません。実際に彼はそうしようとしていますね。具体的には、新規の原発を作らないことを先日宣言しました。
また、福島同様、沿岸に位置する浜岡原発の閉鎖を要請しました。浜岡には五つの原子炉がありますが、2009年には、新たな耐震基準に合わせた改修工事がコスト的に見合わないという理由からそのうちの二つを閉鎖しました。現在残る三つの原子炉も活動を停止しています。五番めの原子炉は2005年に完成したばかりでしたから、「ボロだったから停止した」というわけではありません。
合計すると日本にある54の原子炉のうち、現在半数近くが活動を停止しています。日本が過去の政治の遺産と完全に離別する日が訪れる可能性は極めて高いと思います。国内の政治の状況のみならず、国際的な世論もこの動きを後押しするでしょう。
記者:世界で最も多くの原発の稼働を誇るアメリカの状況はどうでしょうか?
マイケル・シュナイダー:オバマ政権は、原発の改修について好意的な宣言をしています。ただし実際には、原発の実権を握るのは、政府ではなく電力会社です。今日、電力会社は撤退の動きを始めています。中でも最大級の規模だった南テキサスの建設計画( 「South Texas Project」)は白紙となり、4億8100万ドルの投資は泡と消えました。
現在アメリカで唯一建設が続けられているのは、テネシーにあるワッツバー原発です。
これは1972年より開始された計画で、順当にいけば、来年からの稼働が予定されています。しかし、順調に活動を開始したとしても、それまでに40年の月日が掛けられているということは考察に値するでしょう・・・。アメリカの電力大手の一つであるExelonの代表であるジョン・ロウは、福島の事故より以前から、新しい原子炉の建設は経済的に何の意味もなさないことをすでに公言していました。
原子炉の新築コストは、2008年から2010年にかけて倍以上に跳ね上がっており、福島以降、さらに高騰することが予想されています。この技術に未来への展望はありません。アメリカは間違いなく、原子力ルネッサンス(訳注:サルコジ仏大統領がフランスの原子力産業を形容する際の表現)の国ではないでしょう。
原発の建設を続けるのは、中国やインドといった国のみでしょう。そして中国は、クリーンエネルギーの開発を原子力と同等、もしくは、それ以上に続けています。2010年には、380億ユーロの投資を行い、すでに世界を牽引する立場にあります。2010年末には、中国では風力発電による電力の生産が原発のそれを4.5倍上回ったとの数字も出ています。
記者:しかしながら、原子力は、そもそも地球温暖化による脅威への一つの解決策ではなかったでしょうか?
マイケル・シュナイダー:原子力産業に残された最後のセールストークは、温室効果ガスの排出量を軽減できるという点でした。地球温暖化のリスクを回避するという目的は別として、エネルギーというものはそもそも、安くつき、かつ生産基地の開発に時間がかからないことがよしとされているはずです。一方原発は、高くつく上に、建設にも時間がかかります。
「フランスは時代に乗り遅れようとしている」
記者:ではどのようなエネルギーに我々は賭けるべきなのでしょう?
マイケル・シュナイダー:再生可能エネルギー以外にないでしょう!そして、何よりも、エネルギー産業の効率化も欠かせません。
たとえば、カリフォルニアのように、いくつかのアメリカの州ではすでに進んだ施策が取られています。少なくとも、現在転換期を迎えようとしているドイツよりははるかに進んでいるのです。
ドイツでは2007年までは、風力と太陽光によって生産された新たな電力は、全体の消費電力の上昇分を補う役割しか果たせていませんでした。しかしながら、ドイツ人は太陽光発電による電力料金の低下については楽観的な見解を見せており、2015年までには「グリッド・パリティ」、つまり再生可能エネルギーによる発電コストが既存の商用電力の価格と同等かそれ以下になる分岐点を迎えるとしています。
アメリカには、すでにそのような状況を迎えた自治体も存在しています。
しかしアメリカが最も進んでいるのは電力網の構築においてでしょう。電力の未来はエネルギー源の選択の問題を除くと、そのネットワークをどのように構築するかにかかってきます。
限られた生産者が消費者への電力の供給を担う現行のシステムは時代遅れと言えるでしょう。供給者が需要者になるという新たなパラダイムに転換すべきです。
将来、各世帯に太陽光もしくは風力による発電装置が配置されれば、無数の供給者が出現することになります。例えば、冷蔵庫が電力網の構成要素になる、ということでもいいのかもしれません。
記者:どういうことですか?
マイケル・シュナイダー:つまり、電力消費がピークを迎える1,2時間の間、その機能を失うことなく電源をオフにするためのチップを、各世帯の冷蔵庫に内蔵することができるのです。これが「スマートグリッド(訳注:アメリカで考案された新しい電力網。
発電設備から末端の電力機器までをデジタル・コンピュータ内蔵の高機能な電力制御装置同士をネットワークで結び合わせて、従来型の中央制御式コントロール手法だけでは達成できない自律分散的な制御方式も取り入れながら、電力網内での需給バランスの最適化調整と事故や過負荷などに対する頑健さを高め、それらに要するコストを最小に抑えることを目的としている)」という発想です。
インテリジェントなネットワークが世帯毎の電力の消費を調整し、電力消費グラフを平坦化する、つまり急激な電力消費の変動を和らげるのです。もしくは、ある時間帯を避けて稼働する洗濯機なども考えられます。換言すると、定められた時間割にのみ稼働するサービスを使うことによって効率的に電力を使用できるようになりますが、それが嫌だという人はより高い電気代を払って、好きなように電力を使えばいいのです。
電子機器を活用することによって、電力供給者を素早く切り替えることができます。たとえば、アメリカのメーカーであるワールプールは2015年以降、「スマート・グリッド互換」の商品のみを生産することを発表しました。後は「インテリジェント」な電力メーターさえあれば実用化できるでしょう。ヨーロッパにはこのメーターの生産ノウハウはありますが、実用化するための法規がありません。対照的に、アメリカでは非常に速く事態が進展しています。
ル・モンド紙(2010年8月12日付)の発表によれば、キャップジェミニ(訳注:情報サービス・コンサル ティングファーム)代表のコレット・レヴィネールは、電力産業の発展の鍵となるのは、「電力網のインテリジェント・ネットワークへの転換である」としています。この問題をおざなりにしたならば、ヨーロッパは近い将来アメリカに大きな後れを取ることになるでしょう。
記者:EPR(訳注:European Pressurized Reactor、あらため、Evolutionary Power Reactor の略。第三世代の原子炉開発プロジェクトの総称で、フランスのアレバ社によって1990年代~2000年代にかけて推進された。なおアレバ社によるフィンランドのEPR建設は予算オーバーと建設の遅滞によって問題となっている。)や第四世代原子炉などはまだ先の話ですね!
マイケル・シュナイダー:私は原子力産業を三十年にわたり研究してきましたが、ほとんど自閉的とも言えるような、自己中心的な態度をこの産業は取ってきました。この業界ではいつも同じ人物同士で会議が開催され、堂々巡りを続けているのです。
アンリ・プログリオがル・モンド紙のインタビューで、日本の原発が地震によく耐え、事故が原子力産業の今後に何ら影響を与えなかったと発言しているのは、無責任である以前に、現実を否定している以外の何物でもありません。
フランスの原子力産業に関わる官僚たちに、はたして新聞を読んでいるのか、と問いたくなります。世界第五位の経済大国がエネルギー問題に関しては、1970年代のレベルに止まっていることは大問題でしょう。
原子力が重く、堅く、中央集権的なものの象徴であるのに対して、現在のキーワードは「軽やかさ」と、「柔軟性」と、「地方分権」といった言葉です。フランスは時代の波に取り残されつつあるのです。オバマは2010年2月のスピーチで、クリーン・エネルギーを制する国家が21世紀を制すると宣言しました。このままではフランスは分が悪いでしょうね…。
2011年5月30日月曜日
原発コスト
原発の本当の発電コストを考える
災害確率か予防原則か
福島第1原発の事故は国内はもちろんのこと、世界に大きな影響を与えた。未だ収拾の見通しが明確に立っているわけではない。放射能汚染の実態把握も十分とは言えず、今後被害がどれほどになるのか予断を許さない。
エネルギー供給の面では今夏の電力不足への不安が顕在化しているが、与えた影響はそれだけにはとどまらない。2030年までに原発を13基新増設するとしていた政府のエネルギー基本計画を維持するのは難しくなった。菅直人首相は「白紙からの見直し」を表明している。
何よりも、電力供給施設としての原発の安全性や信頼性が根底から疑われることになった。原発の過酷事故(severe accident)への対応策ができていなかった。多重保護という「建前」が機能しなかったのだから、安全基準や審査体制にも不備があったと言わざるを得ない。今回の惨事で図らずもそのことが明らかになった。今回被災しなかったほかの原発の安全性も問われてくるだろう。
政府は浜岡原発の停止要請をした。想定される東海地震の震源域の真上に立地しており、大きな地震に襲われる可能性が特別に高いことを根拠にあげている。ほかの原発は現時点で30年以内に震度6以上の地震が起こる確率が1%以下だとし、直ちに停止は求めないという。
ただ、今回の震災の教訓は、災害発生確率が低いことを理由に安全対策のレベルを下げていいということにはならないということである。
東北沿岸では今回と同程度の規模の津波が平安時代の貞観地震(869年)の際に襲来していた。この事実を突き止めた産業総合技術研究所の岡村行信博士が政府の審議会の場で強く警告を発していた。警告を受け入れて対策を講じていれば、今回の震災による被害はかなり軽減できたはずである。
つまり、今回の津波は想定外ではなかった。千数百年に1度は起こる津波だったのである。しかも地震や津波がもたらす被害は想定可能なものだ。気候変動のように具体的に何が起こるか正確に予見できない類のものではない。その意味で、津波や地震への対策は無知(unknown)や不確実(uncertain)な下での意思決定ではない。
いつ起こるかを正確に予測はできなくてもいつかは起こる。明日起こるかもしれないし、数十年後に起こるかも知れないのである。予防原則(precautionary principle)を適用するならば、過去の経験と現在の科学的知見が示唆する最大の地震や津波への対処策を講じる必要がある。
政府推計と大島推計
最大の対策をとっても残る危険はある。我々の自然に対する知識はもとより完全ではない。原発のあり方についてその分野の専門家だけの議論で決めるのは適切ではない。現在の科学的知見をもとに安全性に関してより広い観点から議論する場がなくてはならない。どこまで危険を軽減できればよいのか、最終的には社会的、政治的意思決定の問題になる。
安全対策の強化は不可避だが、これは原発の安全対策費の上昇を意味する。つまり、発電コストが上昇する。これまで原発は通説的には安価といわれてきた。政府が原発を推進してきた大きな理由もそこにあった。しかし、その根拠はそれほど堅固なものとは言えない。
原発の電力が安価だというのは、2004年に出された総合資源エネルギー調査会電気事業コスト分科会の報告書が根拠になっていた(表参照)。しかし、原発の発電コストは他の電源の発電コストよりも高いという研究結果が最近、立命館大学の大島堅一教授によって出されている。
(1)電気事業分科会コスト等検討小委員会報告書(2004年1月23日) 設備規模、設備利用率、運転年数に想定値が置かれている。割引率3%で試算。 (2)大島堅一『再生可能エネルギーの政治経済学』東洋経済新報社(2010年)
表で両者を比較すると、原発の発電コストは、報告書推計では5.3円/kWhと最も安価であるのに対して、大島推計では1970年度から2007年度までの実績値で10.68円/kWhと火力や水力よりも高くなっている。しかも、これは震災前の評価だ。つまり、今回の原発事故に伴う対策費や賠償費、今後上昇が予想される安全対策費を考慮しないとしても、大島推計では原発はほかの電源より高かったのである。
なぜ両者の推計にこれほど大きな違いが生じているのだろうか。推計方法の違いと用いるデータの違いをまず指摘できる。
報告書推計では、モデルプラントを想定して発電に要する種々の費用を集計している。これに対して大島推計は実績値である。電力各社が公表している『有価証券報告書』に基づいて電源別発電コストを推計する方法が、同志社大学の室田武教授によって開発され、大島教授が発展させた。
推計の正確性には、いずれの方法についても議論があるかもしれない。モデルプラント方式では様々な前提が仮定されている。実績値は「実態」が反映されているわけだが、その場合も集計範囲などで何らかの標準化を図ることは避けられな原発の見えないコスト
いずれの方法をとるにしろ、発電コスト比較で最も重要なのは、発電に伴うすべてのコストを勘定に入れることである。これは誰もが納得することだろうが、実際には容易ではない。
例えば発電のために何らかの資源を海外から購入するとしよう。化石燃料でもウランでもよい。その採掘現場がすさまじい環境破壊を起こしていたとして、何も対策が取られていない場合には、購入した資源の価格には環境損害費用が含まれていない。環境損害の被害者や社会に転嫁されているのである。だが、規制がかかったり、賠償問題に発展したときには、そうした費用を価格に反映させる必要が出てくる可能性がある。
しばしば推計が困難と指摘されるバックエンド(使用済み核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分など)費用だが、報告書推計はこれを発電コストに算入している。その点は評価できるが、問題はバックエンド費用の見積もりが、核燃料サイクル政策が政府の計画通りに進むことが前提になっている点である。周知のように、核燃料サイクル政策は不確実性がきわめて大きく、現にまったく計画通りには進行していない。したがって、バックエンド費用の見積りは過小評価の疑いが大きい。
大島推計は電力会社の実際の支出をまず集計している。発電に要する電力会社の支出は『有価証券報告書』に記載されている。しかし、電力会社の支出費用だけでは原発での発電は成り立たない、と大島教授は指摘する。発電技術の開発や発電所の立地や維持に巨額の財政支出が充てられている。立地地域への財政支出は火力や水力などに対してもあるが、原発はいわゆる電源三法交付金によってほかの電源に比べてきわめて手厚い財政支出がなされている。
もしこの財政支出が原発に不可欠な支出ということであれば、仮に電力会社の費用にはカウントされていなくても(電力会社の『有価証券報告書』に計上されていなくても)、原発の発電コストの一部として計上すべきであろう。
すべての電源に対して大島推計では、財政支出を含めた発電に要する総費用を集計している。すると原発は最も高価な電源ということになる(表の「財政支出を含む総計値」)。原子力発電は出力調整ができないため揚水発電で補完せざるを得ないと考えるとさらに高価になる(表の「原子力+揚水」)。
大島推計に基づくならば、今回の事故によって原発の安全性に疑問符がついただけでなく、これまで喧伝されてきた経済性も疑わしいということになる。原発の経済性は巨額な財政支出による下支えがあって初めて成り立つ。「安い」というこれまでの評価は国家によってつくられた虚構と言わざるを得ない。
原発が高価な電源ということになるならば、原発を推進してきた論拠の1つは崩れることになる。それでも原発を推進する場合、推進の論拠はどこにあるのだろうか。
いずれにしろ、発電コストの徹底的な検証は、今後のエネルギー政策を考える前提と言わなければならない。
2011年5月26日木曜日
冷却系破損の可能性(追記)
冷却系破損の可能性 耐震設計見直しにも影響?
2011.5.25 20:02 (産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052520070022-n1.htm
東京電力福島第1原発で、
津波ではなく地震の揺れによって破損の可能性が浮上した緊急時の炉心冷却系の配管は、最も高レベルの耐震性が求められている重要機器の一つだ。
東電はこれまで「津波到達まで主要機器に破断など異常はなく、地震の揺れによる損傷はない」との見解を示してきた。しかし、実際に地震で重要配管が傷んだとすれば、全国の原発の耐震設計の見直しにも影響する事態となりかねない。
経済産業省原子力安全・保安院によると、3月11日の地震による同原発2、3、5号機の揺れは、
事前に想定した最大の揺れの強さ(基準地震動)を最大3割超えていた。
揺れは0・2~0・3秒の比較的短い周期で強く、燃料集合体が揺れやすい周期とほぼ同じだった。炉心冷却系の配管損傷の疑いが浮上した3号機では、周期0・31秒で1460ガル(ガルは加速度の単位)という最大値を記録している。
東電は、解析結果について「計測機器の故障も考えられる」としているが、
同原発1号機では、地震発生当夜に原子炉建屋内で極めて高い放射線が計測され、揺れによる機器や配管の破損が疑われた。
こうした経緯から、大阪大の宮崎慶次名誉教授(原子力工学)は「(配管の)損傷は地震によるものと推測できる。老朽化していた可能性もあるが、他原発の安全確保のためにも、本当に地震による損傷なのかを徹底的に検証する必要がある」と話す。
政府は「今回の事故の最大原因は津波」との前提に立ち、全国の原発に津波対策を指示している。この前提が崩れれば、全原発での地震対策や、国の原発耐震指針の見直しも避けられないことになる。中部電力浜岡原発(静岡県)に続いて運転中止となるケースが出ることも考えられる。
国の原発耐震指針では、基準となる地震の揺れを原発ごとに想定、重要機器が損傷しないよう求めている。東日本大震災でも福島第1原発に関して、経産省や東電は「安全性に十分な余裕があるので、想定を上回っても問題ない」と強調してきた。
だが、京都大原子炉実験所の小出裕章助教(原子核工学)は「東電は計器の信頼性の問題を挙げるが、これまでも都合の悪いデータはそういった説明をしており、信用できない。実際に揺れによって損傷していれば、日本中の原発が当然問題となる。耐震指針の見直しが必要で、影響は計り知れない」としている。(原子力取材班)
2011年5月23日月曜日
小出裕章教授
北スウェーデン地域でのガン発生率増加はチェルノブイリ事故が原因か?
マーチン・トンデル (リンショーピン大学病院、スウェーデン)
プルトニウムの毒性はアルファ線によるもの。吸いこんだ場合に、大きな影響が出る。 |
■放射線の毒性 | |
プルトニウムの毒性には、放射線の毒性と化学的な毒性が考えられる。 放射線の毒性は、プルトニウムが放出するアルファ線によるもので、このアルファ線は人体の中を極めて短い距離しか透過しない(組織の中で約40ミクロン、骨では約10ミクロン)。 この短い距離の間に、アルファ線は細胞や組織、器官に全部のエネルギーを与え、それらの機能を損なわさせる。プルトニウム1g当たりの放射能の強さは、同じようにアルファ線を放出するウランに比べてかなり高くなるので、放射線の毒性も強くなる。 プルトニウムは、半減期が長いことも毒性に関係している。一番存在量の多いプルトニウム239の半減期は、約2万4000年で、長い間にわたってアルファ線を出し続けている。しかし、人体は異物を排除する排泄機能があるから、プルトニウムを体内に取り込んでも一生体内にとどまっているわけではない。プルトニウムが体内にとどまる時間を表す生物学的半減期は、骨では50年、肝臓で20年と評価されている。 | |
■化学的な毒性 | |
プルトニウムは、ウランと同様に腎臓に対する化学的な毒性が考えられる。しかし、化学的な毒性は放射線の毒性よりもはるかに小さいと考えられている。 |
プルトニウムは無傷の皮膚からは体内に吸収されない。傷があると、そこから侵入し、比較的長い時間その場所にとどまり、ゆっくりとその部分のリンパ節に集まる。また、血液の中に入ったものは、肝職や骨に付着する。 プルトニウムが体内に取り込まれるのに、飲食物などを介して口から入る(経口接取)か、呼吸を通して吸入される(吸入摂取)かの二通りが考えられる。 飲み込んだプルトニウムは、消化管にほとんど吸収されずに排泄されてしまう。消化管から吸収される割合は、年齢や化合物の種類で異なり、大人の場合、酸化プルトニウムで約0.001%、硝酸プルトニウムで約0.01%とごくわずかである。 |
■肺に付着する吸入摂取 |
一番影響が大きいのは吸い込んだ場合だ。吸い込まれたプルトニウムは、長い間、肺に付着する。しかし、人体は、器官に生えている繊毛という毛がチリなどの異物をつかまえ、粘液と一緒に食道に送り排泄するメカニズムを持っている。吸い込まれたプルトニウムもこの働きによって体外へ排泄されるから、肺に付着するのは4分の1程度。肺に付着したプルトニウムは、徐々に血液の中に入り、リンパ節や肝臓、骨などに集まり、排泄されずに長くとどまる。 |
日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない。地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ。 使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認めている。
日本では現在1機たりとプルサーマル実施について地元の了解の得られている号機はない
地元が二の足を踏む最大の理由は安全性の問題である。中でも使用済MOX燃料の存在だ(※編集部注)。もちろん事故や労災などの危険性も増大するが、仮にそうした恐れが高まるとして、それが絶対とは誰も言えない。ウラン燃料でも大事故や大労災は起こり得る。しかし、使用済MOX燃料については、危険性が数倍になることを電力会社や国も認める。100%疑いようの無い事実だ。しかも原子炉から取り出した後の使用済MOX燃料の始末は不透明で、何の見通しも無い。
プルサーマル計画の申入れを受けた地元としては、確実に危険性の増すことへの了解を求められているということだ。安全性の向上を常に求めてくる県民の命・財産を預かる県が、容易にゴーサインを出せないのは当然であろう。
こうした問に対して電力・国から返ってくる答は、「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」というものである。再度再処理して再々利用するかのように思わせるのだ。ところがこれが偽装・欺瞞なのである。なぜなら・・・・・
ここに格好のモデルがある
何かにつけプルサーマル先進国として引き合いに出されるフランスの例だ。出典は核燃料サイクル開発機構(現独立行政法人日本原子力研究開発機構)の2004年度契約業務報告書「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」。発行は昨年3月、委託先はアイ・イー・エー・ジャパンとしてある。
1/3を図表で占め、300ページほどもある労作だ。わが国の推進側資料としては珍しく比較的客観的な表現に終始している。プルトニウム利用としてあるが、話題はほとんどプルサーマル、海外とはヨーロッパ、すなわち「ヨーロッパのプルサーマル動向調査」といったところである。
その報告書の中に、フランスにおいて使用済MOX燃料は、「約100 年間貯蔵され、その後に再処理するか、再処理しないかの判断を下す」(2001年6月28日発表の国家評価委員会(CNE)の第7回レポートより)とあるのだ。
フランスと同様に日本でも、今回の原子力利用長期計画見直し(原子力政策大綱と改め)において、原子炉から取り出した使用済MOX燃料は再処理するかそれとも直接処分するか、決められていない。発熱量だけ考えても、地下に直接処分するには表面温度が100度より低くならなければならないが、使用済ウラン燃料でも50年位もの時を経なければその条件を満たさないというのに、使用済MOX燃料ではその10倍、すなわち500年の時間がかかると見積もられているのだ。(グラフ参照)
再処理するにしても、ウランの使用済核燃料で数年のところ、MOXの使用済核燃料ではその何倍もの期間冷却する必要がある。プルサーマルとは、借金を解消しようとしてさらに借金を増やしてしまうような話ではないか。
人類にとって未経験、発熱し続ける物体
われわれの生活圏の中での冷却というのは、一定の有限な量の熱を取り去ることである。ところが原子核による発熱は有限ではなくて、核反応の続く限り、何年、何万年と発熱し続けるのである。火が消えないと考えればわかりやすいだろうか。それも恐ろしく長寿命で、早く冷ましたりゆっくり冷ましたりと調節することもできない。
核反応には2種類ある。原子炉の運転を止めれば「核分裂」の方はほぼ収まるが、「核崩壊」は原子核の種類ごとに自然の理によって定められた時間をかけて、それぞれのスピードでしか消えていかない。寿命の早いものは早々に消えてしまうが、原子炉の中には恐ろしく長寿命の原子核が大量に生まれているからだ。この熱を「崩壊熱」と呼ぶ。
核をいじる・・・原子力の利用、とはこういうことを承知の上でなければできないはずだが、そんなことは聞いたことも無い人々までが、推進だ、事前了解だ、と判断してきた。知っている側は知っている側で、都合の悪いことは隠し、偽装と欺瞞によってここまで引っ張ってきた。
都合の悪い情報は公開されない
フランスのこのような大失策を筆者が知ったのは、この報告書によってであり、昨秋、すなわち原子力政策大綱が確定した直後であった。もちろん、長期計画策定論議の中で海外の事例はレビューされたのだが、実績ばかりが強調され、この報告書の存在はおろかフランスの失策は紹介された形跡もない。まして、プルサーマル論議の繰り広げられている原発立地地域で紹介された例など皆無であろう。
こうしたきわめて重要な、しかし推進側にとって不利な事実を隠してプルサーマルは進めようとされてきた。プルサーマルに限らない。そうした不誠実とご都合主義は一連の不正事件を通して、国や電力に対する大きな不信に成長している。原子力発電推進に熱心であった立地自治体関係者らが、いったん了解したプルサーマル地元了解を白紙撤回し、そのまま未だに固い対応を崩さないのも故なしとしない。
これまで政府の旨い言葉に釣られてきたものの、時が経つにつれ深刻な現実が姿を現しクローズアップされてきた。後続の県もやがてそうしたことに気がつくだろう。
「2010年ころから第2再処理工場の建設を検討する」と何遍繰り返しても、もうその手には乗らない。原子力政策大綱には、「使用済MOX燃料の処理の方策は2010年ころから検討を開始する」(p.38)とある。それまでは検討もしないと言っているではないか。さらに付録の資料p.134には、「2050年度頃までに相当規模の再処理施設が必要」とあり、いきなり2050年頃に跳んでしまうのである。
奇妙なのは、先に紹介した「プルトニウム利用に関する海外動向の調査(04)」なる資料が現在お蔵入りなのである。というのは、昨年10月1日に新機構に改組してからずっとデータベースが準備中のままなのだ。2ヶ月ほど前に問い合わせた時には2~3ヶ月かかると言われた。それもとうに過ぎた。独立行政法人たるもの、そんな怠慢は許されない。