2009年6月30日火曜日

【社会保障費】 森永卓郎(消費税引き上げ反対論)

社会保障の財源に消費税を充てるのは不適切である

消費税の引き上げが、解散総選挙の争点の一つになろうとしている。麻生総理自身、景気回復後に消費税率を引き上げる方針を明確にしており、総選挙の争点にするとも述べている。

 政府はまた、今年度の税制改正法案において「消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずる」とする付則を盛り込んでいる。つまり再来年中に消費税率引き上げの法律をつくると明言しているわけだ。

 これに対して、民主党はどうか。わたしは、真っ向から反対すると思っていた。というのも、民主党は「霞ヶ関の改革が先決」としており、鳩山代表も「消費税は4年間議論しない」と述べていたからだ。

 ところが、民主党の議員に話を聞くと、ちょっとニュアンスが違う。まず、霞ヶ関を改革して無駄遣いをなくすとはいうのだが、それでも社会保障費の財源が足りなければ、消費税率の引き上げもやむをえないという意見が多いようなのである。

 一方、公明党も消費税率引き上げを容認する姿勢を示していることから、総選挙後にどういう政権ができても、遅かれ早かれ消費税の引き上げは避けられてない情勢である。

 だが、ちょっと待ってほしいのだ。今後、社会保障費が増大するだろうことはわたしもわかっている。だが、その財源として本当に消費税率の引き上げが適切なのか。それは疑問に感じざるをえない。それは、消費税という税金の根本にかかわっている問題なのだ。

 その議論を抜きにして、税率を上げるとか上げないとかいう話ばかりが優先することで、国民はどうも巧妙なトリックに引っかかっているように思えてならないのだ。

消費税は低所得層に厳しい逆進的な税制
 消費税を社会保障財源にあてるという議論には、大きなインチキが2つあるとわたしは考えている。

 1つ目のインチキは、消費税という逆進的な税制によって社会保障をまかなおうと考えている点である。逆進的というのは、低所得者ほど税負担が重くなり、所得が高くなるにつれて負担率が軽くなる性質を指している。

 こういうと、「消費税率は誰に対しても等しく5%ではないか」と反論されるかもしれない。だが、消費に対する税率は同じであっても、年収に対する税負担の比率を考えると数字が違ってくるのだ。そう、消費税は文字通り消費にかかる税金であって、所得に応じてかかる所得税とは異なる性質をもっているのだ。

 財務省の試算によると、年収146万円の人は消費税負担が収入の3.7%を占めるのに対して、年収2135万円の人は1.4%に過ぎないという。倍以上の税負担率である。

 なぜ、このようなことになるのか。それは、低所得層と高所得層とでは、収入に対する消費の割合が大きく異なるからだ。低所得層も、最低限の生活必需品は購入せざるをえない。そして、生活必需品の額は、庶民も金持ちもそれほど大きく変わらない。

 その結果、低所得層は年収の多くの部分を消費にあてざるを得なくなり、年収に対する消費税の割合が高くなる。ところが高所得層は、収入の大半を消費にまわすということはない。大部分を貯蓄に回してしまうから、税負担が小さくなるのである。

消費税を社会保障財源とすることで金持ちと企業の負担が軽くなる
 これまで、社会保障の財源となる社会保険料というのは、雇用保険にせよ、厚生年金にせよ、健康保険にせよ、収入(所得)に応じて課せられてきた。ところが、それではまかない切れなくなったから、消費税にしようというのが現在の動きである。

 だが、根本の思想として、これまでと連続性を持たせるならば、今後も収入に比例して徴収しないとおかしい。さもなくば、これからは思想自体を変えるということを広く伝えて、国民的な議論にすべきではないか。

 社会保障の財源を消費税に頼るというのは、どういうことを意味するのか。それは、前述のように金持ちの負担率が庶民の半分以下で済むということである。さらにいえば、金持ちがこれからの高齢化社会のコストを、庶民の半分以下しか担わないということになる。

 しかし、これは本来の社会保障の思想とは相反するものだ。そもそも社会保障には、「そのままでは格差が拡大して社会不安を起こすといけないので、所得を再分配する」という側面がある。だから、社会保障の財源は累進課税によるのが当然である。それなのに、むしろ逆進して課税するというのはおかしな話ではないか。これが1つ目の大きなインチキではないのか。

 そして2つ目のインチキは、不思議なことに誰も指摘していない。それは、厚生年金、雇用保険、健康保険が、これまで労使折半で支払われてきたという事実と関連している。こうした社会保険の支払いを消費税に移行すると、いったい何が起きるのか。

 それは自明である。消費税にすれば使用者側の負担はゼロになるのだ。労使折半だった支払いを、今後は100%労働者側が負担しようというわけである。

 以上、2つのインチキをまとめると、消費税を社会保障の財源に充てるという考え方は、金持ちと企業の負担を軽くすることにほかならないのである。

 これはいくらなんでもひどいのではないか。現在の消費税議論はこうした論点を隠しているから、国民はごまかされてしまう。お人好しの国民は、「財源が足りないから消費税を上げるのもしかたない」「日本の将来はみんなで負担しなくてはならない」と思わされてしまっているのだ。

御用学者が繰り返す論点隠しの消費税擁護論
 ところが奇妙なことに、日本の名だたる経済学者が、消費税の逆進性を否定する発言を繰り返している。

 例えば、経済財政諮問会議の議員を務める吉川洋東大大学院教授である。

「消費税に逆進性があったとしても、社会保障は給付の段階で低所得層に手厚いのだから、生涯にわたってみれば、消費税の逆進性は深刻ではない」

 いかにも、もっともらしく見えるが、この主張は明らかにおかしい。前述したように、社会保障制度はそもそも所得の再分配機能を持つものでなければならない。弱い人を助けるのが社会保障なのだ。

 ところが、彼の主張によれば、まず逆進的に税金を徴収して、あとで再分配をするというわけだ。だが、それでは現在の所得再分配を否定することになるではないか。現在の格差を拡大しておいて、「最終的には割がいいよ」と言われても困る。なぜ、そんな回りくどいことをしなくてはならないのか。問題は、まず今なのだ。

 この発言は、社会保障のなんたるかを意図的に無視したとしか思えない暴論である。

 大竹文雄大阪大学教授の発言は、さらに巧妙にインチキを仕組んでいる。

「確かに、一時点で低所得層と高所得層の負担を比較すると、消費税には逆進性がある。だが、一生のうちに得る『生涯所得』と『生涯消費税支払額』は、ほぼ比例している」

 なんだか分かりにくいが、こういうことだ。つまり、高所得層は現役時代の消費が少ないために、その時点では消費税は逆進的になるかもしれない。だが、高齢期になれば、そういう人たちも貯蓄を引き出してガンガン使う。結局は、一生の間にすべて使うことになるので、それにどっと消費税がかかり、負担は同じになるというわけだ。

 彼は、家計調査などのデータを引用して、いかにもそれらしく説明している。しかし、それは間違いだ。高齢層になって支出が増えるのは確かだが、金持ちが老後に貯蓄を使い切ることはまずない。貯蓄を使い切って死ぬのは庶民なのだ。

 金持ちは多額の遺産を子どもたちに残して死に、その遺産は消費税で捕捉されないので、社会保障の負担には充てられないのである。その点が巧妙に隠されている。

 彼らは意図的に事実を隠蔽して、権力の喜ぶような発言をしていると言わざるをえない。こういう人たちのことを、世の中では「御用学者」と呼ぶのである。

資産課税を検討すべき時が来た
 では、社会保障の財源をどうすればよいのか。現在の制度と連続的な思想のもとで、収入(所得)に税金をかけるとするならば、消費にかけると同時に純貯蓄にもかけなくてはいけない。なぜなら、収入は消費と貯蓄に分けられるからだ。

 だが、例えば貯蓄に10%の税金をかけるとなると、キャッシュや金をため込んだり、ありとあらゆる手段を使って税金逃れをするだろう。そうなると捕捉しきれない。

 もっとも、貯蓄自体を捕捉するのは難しいが、貯蓄の行き先を押さえることは可能だ。つまり、金融資産を対象に税金をかけるのである。

 そして、消費税率を引き上げることが避けられないのであれば、同時に1%とか2%という低率で、個人や企業が保有している金融資産のストックに課税すればいい。それができれば公平であり、従来との整合性も保てる。

 しかし、これには猛反発があって、まず受け入れられないに違いない。あるいは、以前からわたしが主張しているように、所得税の最高税率を以前の率に戻したり、相続税を変えて金持ちからもっととるようにしてもいい。

 そうした根本策が無理ならば、とりあえず、所得に応じて低所得者に給付金を支払ったり、食料品などの生活必需品などの消費税率をゼロにするなど、完全ではないものの消費税の逆進性を緩和する方法はいくつか存在する。そうした方策のなかから最良のものを考えるのは政治家の仕事である。

 世の中では、税率を上げる、上げないという点ばかりが先行しているが、こうした「消費税とはそもそも何なのか」という議論が一切なされていないのは不満だ。これまで収入(所得)に対して課税されていたのが、消費に課税されるとはどういうことなのか。企業や金持ちの負担が軽くなることに対してどう考えるのか、という点について、もっときちんと議論するべきである。

2009年6月19日金曜日

【西松事件】 第一回公判記録

【西松事件公判(1)】「間違いありません」…検察側、裏金捻出の実態指摘(9:59~10:15)
2009.6.19 11:14

《民主党の小沢一郎代表代行側への違法献金事件で、政治資金規正法違反と外為法違反の罪に問われている準大手ゼネコン「西松建設」(東京)前社長、国沢幹雄被告(70)に対する初公判が19日午前9時59分、東京地裁102号法廷で開廷した。国沢被告が起訴事実を認め、夕方までに結審する見通しで、公判手続き上の争点は量刑に絞られている。公判は、外為法違反罪に問われた元副社長、藤巻恵次被告(68)と併合して行われる》

 《最大の注目点は、小沢氏の公設第1秘書で資金管理団体「陸山会」の会計責任者、大久保隆規被告(48)=政治資金規正法違反罪で起訴=が起訴事実をおおむね認めていたとされる取り調べ段階の供述が、どこまで明らかになるかだ。大久保被告は総選挙後に開かれる見通しの初公判で、起訴事実を否認する方針とみられている。また、検察側は小沢氏側の関与については今回、立証に必要な最小限しか言及しないとみられるが、特捜部では小沢氏側への違法献金の動機が東北地方の公共工事受注にあったと判断しているとみられ、建設業界と小沢氏側との具体的なやり取りがどの程度明らかになるか注目される》

《開廷直前、5月1日に保釈されている国沢被告は傍聴席から向かって左、藤巻被告は向かって右のとびらから別々に入ってきた。2人とも紺系のスーツにネクタイ姿で、入廷直後に深々とおじぎをした藤巻被告に対し、国沢被告は弁護人の前の被告人席まで来てから軽く頭を下げた》
 山口雅高裁判長「ちょっと前に立っていただけますか」
 《両被告が中央の証言台に移動する。裁判長は2人の名前や住所などを確認。職業を問われると藤巻被告は「今は無職でございます」、国沢被告は「(無職で)けっこうです」とそれぞれ述べた》
 裁判長「それでは検察官に起訴状を読んでもらいますので、よく聞いていてください」
 《スーツを着た大柄の男性検察官が立ち上がり、起訴状を読み始めると、両被告は立ったまま検察官のほうに体を傾けた。起訴状によると、国沢被告は平成18年10月ごろ、新政治問題研究会など2つのダミー団体名義で陸山会などに計500万円を企業献金した(政治資金規正法違反罪)。また、藤巻被告らと共謀し、18年2月~19年8月、税関に無届けのまま海外から計7000万円の裏金を持ち込んだ(外為法違反罪)とされる》
 裁判長「まずは被告人藤巻ですが、今読み上げられたことで、どこか間違っていることはありますか」

藤巻被告「ございません」
 裁判長「弁護人のご意見は?」
 藤巻被告の弁護人「被告と同意見です」
 裁判長「被告人国沢は?」
 国沢被告「間違いありません」
 裁判長「弁護人は?」
 国沢被告の弁護人「被告と同意見です」
 《両被告は起訴状の内容を全面的に認めた。予想された展開だ》
 《続いて、起訴状朗読のときとは違う男性検察官が冒頭陳述の読み上げを始めた。最近の公判では裁判員制度を意識し、法廷に設置された大型モニターを使って説明するケースが多いが、今回の法廷にはモニター自体がない》
 検察官「西松建設では、かねてより海外で捻出(ねんしゅつ)した資金を無届けで輸入し、本社における公表できない営業活動資金にあてるなどしていたところ…」
 《まずは西松建設の海外業務を利用した裏金づくりや、裏金の「輸入」に両被告がかかわっていたとする、外為法違反事件の背景の説明を始めた。海外で高額の裏金が必要になる局面がしばらくないと見込まれたため、藤巻被告から相談を受けた国沢被告が「公表できない国内での営業活動資金に充てようと考えた」のだという。西松建設では5月に公表した内部調査で、使途秘匿金が20年度までの5年間で約26億円にのぼっていたと指摘。国沢被告が単独で支出を決めていたとして、ワンマンぶりが違法行為の背景にあったと指摘していた》

【西松事件公判(2)】「ゼネコン、小沢事務所の『天の声』で談合取りまとめ」と検察側(10:15~10:30)
2009.6.19 12:16
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191216009-n1.htm

《検察官は、一連の西松建設事件が発覚した経緯について、冒頭陳述書を読み始める。国沢幹雄被告も藤巻恵次被告も、じっと検察官の冒頭陳述を聞いている。表情に変化は見られない》
 検察官「(裏金持ち込みの実行役だった)高原(和彦被告)は会社のために犯罪まで犯している自分が十分な評価を受けていないなどとして、藤巻被告に不信感を持つようになり、東京地検に事実を申告するに及んで事実が発覚した」
 「両被告は同人(高原被告)が内部告発する恐れがあると考え、露見しないように貸し金庫内の残金6000万円を公表経理に繰り入れ…」
 《検察官は国沢被告らが裏金の存在を隠そうと、証拠隠滅を図ったことを指摘した。いよいよ冒頭陳述の内容は、ダミー団体を通じて民主党の小沢一郎代表代行の事務所などに献金した違法献金事件に移っていく。検察官はまず、平成7年の政治資金規正法改正で企業献金の規制が強化されたことを、事件の背景として説明した》
 「ゼネコンである西松建設が特定の政治家に多額の献金していることが公になれば、癒着していると非難される可能性があり、政治家サイドとしても西松サイドとしてもこれを避けなければいけなかった」
 「当時、総務部長、事務本部長をしていた国沢被告が当時の社長・会長を務めていた柴田平から対処法を指示された」

「国沢被告はA(西松建設子会社の松栄不動産元社長)から提案を受けて、これを了承し、ダミーの団体を設立、仮装することとし、Aに実行を指示した」
 《検察官は、国沢被告が会社幹部を退職させ、政治団体の代表に据え、東京都千代田区のマンションの一室を事務所にするなどして、ダミー団体「新政治問題研究会(新政研)」を設立した経緯を説明した》
 「その後、Aは新政研の献金額がほかの団体より多かったことから、西松のダミーであることが露見しかねないと考え、国沢被告の了承の下、ダミーをもう1つ用意して献金を分散することを考えた」
 《これがもう1つのダミー団体「未来産業研究会」の設立の経緯だ。検察官は、両団体とも活動実体はなく、完全な西松建設のダミーであったことを強調し、政治献金資金の出所について、説明を始める》
 「(団体の)会費収入については、会員名を公表する必要がないことから、国沢被告は西松建設の資金を移動して原資とすることとし、社員の参事以上の者から、口が堅く信用できる者を選んで本人と家族の名前を借りることを了承させた」
 「賞与に一定額を上乗せして支給。いったん社員に支給した相当額を会費名目で西松建設に戻させることにより裏金とし、献金の原資としたのである」
 《これまで明らかになった、献金システムについて説明する検察官。国沢被告は、ときおり、下を向いたり、検察官の顔をのぞき込んだりしながら、じっと聞いている》

「会費名目で支払わせる金額は理事が24万円、参事1級18万円、参事2級は12万円…」
 「架空政治資金パーティーで、資金を振り込んで裏金とし、献金の原資とする方法が併用されるようになった」
 「献金はすべて西松建設が決定し、実行させていたのであり、西松による献金であった」
 「平成13年までは当時の総務部長から指示を受けたAが、13年のA退職後は総務部長に加えて、Aの後任の経営企画部長○○(元総務部長兼経営企画部長、処分保留で釈放)が振り込みを指示して、プールした資金から寄付を行っていた」
 「原資を保管していた銀行口座については、キャッシュカードの発行を受けず、届出印についても本社で管理しており、ダミー団体の代表自身はこれを出金できず、西松の指示で振り込みをしており、小沢一郎衆院議員側の政治団体に対する寄付もこの内容で行われた」
 《検察官は、西松建設の献金実態を詳しく冒頭陳述で述べていった。さらに、ダミー団体解散の経緯にも触れる。そのきっかけはまさに「脱談合宣言」だった》
 「17年ごろ、業績悪化により賞与が減るのに従い、会員とされた社員から不平不満が聞かれるようになり、○○は献金スキームを終了したいと国沢被告に相談した。国沢被告も、当時、脱談合宣言に向けた業界の動きがあり、『談合がなくなれば献金の必要がなくなる』と考えた。17年末に脱談合宣言がなされ、談合と決別する流れが確実になったので、了承した」

《解散の理由が談合なら、献金システムができた理由も、談合だった。検察官は、談合システムの中で小沢事務所が果たした“重大な役割”を、検察官が説明していく》
 「東北地方では昭和50年鹿島が中心となって公共工事の受注業者を決めていた」
 「そんな中、岩手県では50年代終わりごろから小沢事務所が影響力を強め、小沢事務所の意向が『天の声』とされるようになった。平成9年ごろから、秋田県の公共工事に対しても影響力を強め、一部では小沢事務所の意向が『天の声』となった」
 「岩手県と一部秋田県で受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対して『天の声』を出してほしいと陳情し、了承を得られれば談合の仕切り役に連絡し、仕切り役が直接、事務所に確認の上、本命業者とする談合がとりまとめられていた。西松を含むゼネコンは、天の声を得るために、小沢議員側に献金を行わせるなどした」

【西松事件公判(3)】西松経営難で蜜月崩壊…「献金減額」に渋い顔の大久保被告(10:30~10:45)
2009.6.19 12:18
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191220010-n1.htm

《検察側の冒頭陳述が続く。国沢幹雄被告は姿勢をピンと伸ばし、まっすぐに検察官を見据えている》
 検察官「国沢被告は平成7年、○○(元総務部長兼経営企画部長、処分保留で釈放)らから東北地方、特に岩手県下の公共事業については、小沢事務所の意向で、受注業者が決定されることや、小沢事務所と西松建設は必ずしも関係良好ではなく、思うように公共事業を受注できない状況にあったと説明を受けた。さらに多額の献金をして便宜を図ってもらう必要があるとの説明も受けた」
 《検察官は、東北地方で小沢事務所が強い影響力を持っていたことを強調した》
 「国沢被告は、同年中に小沢事務所からの要求に応じ、複数の名義を用いて1000万円を超える献金をすることについて、○○らから了承を求められた。そこで、新政研名義なども合わせて計1319万5000円を寄付した」
 《これが小沢氏側への初めての献金となった。「事務所からの要求」の部分は検察官の声が少し大きくなったように聞こえた》
 「そのうえで、西松建設は、平成8年の岩手県内の国道283号トンネル発注工事を受注したいことを小沢事務所に陳情して、その了解を得て、談合における本命業者となった。そして実際に西松建設側が25億3000万円で落札した。このことから8年は西松建設名義で1112万円、新政治問題研究会(新政研)名義で1700万円の計2812万円の寄付を行った」
 《小沢事務所の天の声が奏功し、献金は膨らんでいった。国沢被告は目を閉じて聞き入っている。検察官は年ごとの寄付金の推移を説明していく》

「(西松建設は)9年、小沢事務所と交渉し、年間2500万円を継続的に支払っていくことを申し合わせを行った。1500万円は西松建設から支払うが、残りは西松建設から要請を受けた下請け企業群から寄付するという枠組みを取ることにした」
 《検察官は小さくせき払いをした》
 「(1500万円は)9年から11年は西松建設と新政研の2つの名義から支払った。12年には、小沢事務所から『多額の献金として社会の耳目を引かないように分散してほしい』と依頼を受け、12年から14年分については、未来産業研究会(未来研)名義の献金を加えるほか、関連会社にも負担させることにした」
 《「多額献金」の批判をかわすための分散工作も、小沢事務所からの要請だったと断定した》
 「小沢事務所についてはそのころから、大久保隆規秘書が東京における秘書の取りまとめ役として、献金を巡る企業との交渉や談合における天の声に携わるようになった」
 《ここで初めて、小沢氏の公設第1秘書の大久保被告=政治資金規正法違反の罪で起訴=の名前が読み上げられた。いきなり“談合の仕切り役”としての登場だ》
 「○○は、どの名義でどの受け皿にいくら寄付を受けるか割り振り案を示した一覧表を大久保被告から示され、打ち合わせを行うようになった。15年以降は小沢事務所側の意向で、小沢議員側の受け皿は陸山会など3団体となった」

《そんな蜜月関係も西松建設の経営状態により、変化が生じるようになる》
 「17年、国沢被告は○○から、業績が悪化していることなどから、1500万円の寄付を減額したいとの相談を受けた。○○が大久保被告のもとに相談に行った。大久保は『急に減額といわれても困る』と難色を示したが、最終的には200万円の減額を受け入れた。この年は1300万円の寄付を行った」
 《しかし業績の悪化には歯止めが掛からない》
 「国沢被告は、平成18年に入ると、○○から『献金を終了させたい』という相談を受けた。国沢被告は、不快感を持たれない形で終了させるよう○○に指示した。同年10月、○○は大久保被告のもとへ相談に行ったが、大久保被告は、業績悪化については理解を示しつつも、ただちに寄付をやめられることには難色を示した」
 《大久保被告が献金カットを嫌がり、食い下がる様子を指摘する》
 「最終的には譲歩し、18年には500万円を寄付するがこれを最後にするということを申し向けて、(大久保被告から)了承を得た」
 《検察官はここで一息ついた。国沢被告はじっと検察官を見つめたままだ》
 「こうして西松建設は7年から18年まで、小沢議員に対し、多額の寄付を行う一方、東北支店長や盛岡営業所長らが、東京の小沢事務所を訪れて工事受注に関して陳情し、天の声を得た。天の声を背景に談合が成立し、西松建設が落札したその落札額は合計122億7000万円。落札率は94・5~99・2%だった」
 《最後に献金のうまみを強調し、検察官は冒頭陳述を終えた。国沢被告は一瞬天を仰いだが、またすぐに顔を正面にむき直した。表情からはどんな感情が浮かんでいるか読み取れなかった》

【西松事件公判(4)】西松の献金「ゼロ回答」に「そういう訳にはいきません」(10:45~11:05) 
2009.6.19 12:57
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191259011-n1.htm

《検察側の冒頭陳述が終了した。検察側は公判に提出した関係者の供述書類など証拠書類についての説明を始めた。検察官は立ち上がり、左手に持った水色のファイルにとじた書類一覧を読み上げる》
 《国沢幹雄、藤巻恵次両被告とも、冒頭陳述中は検察官を見据えていたが、手元の書類に目を落とし、めくりながら聞き入っている。国沢被告は時折、検察官に視線を向ける。藤巻被告は一息つくように、それまでかけていた眼鏡を外した》
 《検察側が読み上げる証拠書類は、西松建設元経営企画部長の供述調書、「新政治問題研究会」(新政研)と「未来産業研究会」(未来研)の収支報告書、西松建設の献金スキームの構築状況などだ。説明は新政研代表者の供述調書に移った》
 検察官「(代表は)献金は西松の決定で行われ、(送金は)機械的に行ったと供述している」
 《西松建設の東北支店長や事務担当者の供述調書も提出されたと説明が続く。国沢被告は出入りする傍聴人の音が気になるのか傍聴席に顔を向ける。藤巻被告は手元の資料に目を落としたままだ》
 《続いて検察官は、東北地方のゼネコンに勤め、談合の指示役を担ったとする別の関係者の供述調書を読み上げる。落札業者の決定方法についてこう供述したという》
 「『(関係者は)小沢事務所の影響があった』などと供述している」
《国沢被告は下を向いたり、左に首を傾けたりしながら、表情を変えずに聞き入っている。読み上げは続く》
 「『岩手県、秋田県では小沢事務所に逆らって本命を決めることができなかった。意向に沿って決めざる得ませんでした』と供述している」
 「小沢事務所の天の声を利用し、受注していたのは、力を持っていた鹿島建設でさえ行っていたことである」
 《さらに検察官は、東北地方の別の建設業者も「小沢事務所に真意を確かめる必要があった。業界としては小沢事務所の意向には逆らえなかった」と供述しているとして、東北地方の工事の受注で小沢事務所の威光が強かったことを繰り返し強調した》
 《西松建設が落札した岩手県の簗川ダム建設工事について、ゼネコン関係者が大久保隆規被告に「西松でよろしいか」と聞くと、大久保被告が「そういうことで結構です」と答えたとする具体的なやり取りも、読み上げられた》
 《検察官は西松建設の元総務部長兼経営企画部長の○○(処分保留で釈放)の供述調書の説明に移った。検察官は、○○が国沢被告から指示されて大量に献金したこと、毎年の寄付の割り振り、小沢事務所側からの請求書に基づき献金したことなどについて記載されていると説明した》
《さらに検察官は、○○が大久保被告と平成18年分の寄付の打ち合わせをした場面の供述内容について、長めに抜粋して説明を始めた。冒頭陳述によると、この場面では、西松側が業績悪化を理由に、献金をやめたいと持ちかけたとされている》
 「いつもより早い時期に大久保被告に来てもらい、1階応接室で対応した」
 「(西松建設の)業績の悪化から献金の値下げを申し出た。大久保被告はゼロ提示に『厳しいのは分かっていますが、そういう訳にはいきません』」
 「『厳しいんですよ』(○○)。『そう言わずにお願いします』(大久保被告)と繰り返し、『今年は500(万円)ということで』と予定の額を提示すると、ようやく(大久保被告が)『分かりました』と納得しました」
 《証拠書類の読み上げは続く。弁護人はほおづえを付いたり、所々、何か手元に書き留めている様子だ。国沢、藤巻被告は表情を変えず、前を向いて聞き入った》

【西松事件公判(5)】“力添え”を頼まれた大久保被告「よし、わかった。西松にしてやる」(11:05~11:15)
2009.6.19 13:30
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191331012-n1.htm

《男性検察官が証拠の説明を続ける。手に持った分厚いファイルには、関係者の調書などがおさめられているようだ》
 検察官「甲88から90号証は、松栄不動産の歴代総務部長、グリーン開発の代表取締役の調書です。平成12~16年に松栄不動産、グリーン開発の名義で行った寄付について、いずれも西松建設の指示だったことを供述しています」
 《冒頭陳述によると「松栄不動産」は西松建設の子会社で、元社長は西松建設の経営企画部長を務めたこともある。国沢幹雄被告と親交が深く、元社長はダミーの政治団体を使った献金方法を提案するなど、トンネル献金に深く関わっていたという。また、「グリーン開発」は宮城県丸森町にあるゴルフ場運営会社で、西松建設の実質的子会社にあたる》
 「甲92号証は平成8年以降の秋田県、岩手県発注工事のうち、落札額10億円以上の案件の落札率を捜査した結果です。落札率は94・5%から99・2%。落札額の合計は122億7000万円になります」
 《検察側は冒頭陳述で、東北地方では昭和50年代から、ゼネコン各社で作る「東北建設業協議会」を中心に、談合が行われていたと指摘。同協議会は平成3年に解散したが、その後も談合が続けられていたことを裏付ける一環として、落札率の高さを示したようだ》

「甲93から101号証は西松建設の東北支店長以下、談合を担当した社員の調書です。内容は、岩手県と秋田県の一部で受注業者選定にあたり、小沢事務所の意向が『天の声』と呼ばれていたことなどです」
 《検察官は、平成15年に西松建設が落札した岩手県発注の簗川(やながわ)ダムに関連するトンネル工事をめぐり、生々しいやり取りの証言を紹介した》
 「西松建設は5件について『天の声』を得て、このうち4件を受注しました。簗川については、東北支店長が何度も東京の小沢事務所を訪ね、大久保(隆規・小沢氏の公設第1)秘書に『簗川トンネルの件はよろしくお願いします』と述べ、西松建設が受注することができました」
 《政治資金規正法違反の罪で起訴された大久保被告について、検察側は冒頭陳述で「献金をめぐる企業との交渉や談合における『天の声』の発出などを行っていた」と指摘している。「天の声」は岩手県が発注し、18年に入札が行われた遠野第2ダム建設工事にも及んだようだ。当時の支店長の証言を、検察官が述べる》
 「何度も大久保秘書を訪ね『どうぞお力添えをお願いします』と頼みました。大久保秘書は『他のところも来ている』と色よい返事はしてくれませんでしたが、再度1人で訪ねたところ、『よし、わかった。西松にしてやる』と言ってくれました。しかし、脱談合宣言もあり、結局受注はできませんでした」

 《ゼネコン業界は17年末に、談合との決別を宣言している》
 《続いて検察官が読み上げたのは、大久保被告の調書だ。献金事件のキーマンだけに、法廷が静まり返った》
 「私は○○さん(西松建設の元総務部長兼経営企画部長、処分保留で釈放)から『今まで小沢先生をお支えしてきましたが、もう限界です』と平成18年を最後に献金を打ち切る旨を伝えられました」
 《検察側の冒頭陳述によると、国沢被告は脱談合に向けた動きが業界内で広がる中、政治家への多額の献金を続ける必要もなくなると考え、献金の終了を決めたという》
 「私は新政治問題研究会、未来産業研究会からの献金が、実質的に西松建設側からの献金だと知っていました」
 《献金の核心に触れる証言に、法廷に緊張が走った。大久保被告は、脱談合の流れなどで西松建設の受注が減り、懐が苦しいことを知っていたため、打ち切りの申し出を了解したという》
 「私(大久保被告)は『はい、分かりました。これまでのご支援、心から感謝します。今後、業績等改善されたら、小沢へのご支援をお願いします』と言いました。その後、赤坂の事務所に、西松の献金が計500万円で、今年を最後に打ち切られることを伝えました」
 《「赤坂の事務所」とは、小沢氏の東京事務所を指すようだ》

《検察官はこの後、自民党の岩手県連関係者の調書などを読み上げ、西松建設の元副社長、藤巻恵次被告の調書に進んだ》
 《調書は、外為法違反と業務上横領の罪で起訴された元海外事業部副事業部長、高原和彦被告が、裏金の管理について藤巻被告の判断を仰いだ場面についても触れている》
 「高原から『コープリーに金がたまってきたからどうしましょう』と言われ、国沢社長に『日本に持ってこさせようと思うが、どうか』と聞いたところ、国沢社長に『持ってこさせればいいだろう』と言われたため、私は『はい、分かりました』と答えました」
 《「コープリー」とは、タイやベトナムの工事に絡めた架空契約への支払いなどを装うために作った香港のペーパーカンパニーのことだ。国沢被告らはコープリー社の口座を使い、裏金の送金などを行っていた。続いて検察官は、国沢被告の調書も読み上げた》
 「岩手、秋田の工事については、小沢事務所がいわゆる『天の声』を出しており、小沢先生の歓心を買い、業績を上げるために違法な献金を行っていました」
 《午前11時15分、裁判長が約2時間の休憩を挟むことを伝えた》

【西松事件公判(6)】「会社のためとはいえ…悔悟の念で一杯」藤巻被告が吐露(13:15~13:35)
2009.6.19 15:15
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191520017-n1.htm

 《午後1時15分、公判は再開。国沢幹雄被告と藤巻恵次被告は、午前の入廷時と同様に、左右の扉から別々に入廷。裁判長らに2人同時に一礼して腰を下ろした。裁判長の指示のもと、弁護人が証拠請求をした陳述書などについて検察側が同意。まずは、藤巻被告に対する弁護人の質問が始まった》
 弁護人「この度、外為法違反で裁判となったが、現在の心境は」
 藤巻被告「はい…。会社のためとはいえ、法に抵触し、違法な金を持ち込んだ。罪を犯して、悔悟の念で一杯です。多くの方々にご迷惑をおかけして、ただただ反省し、後悔しております」
 《この後、弁護人が藤巻被告の西松入社以降の経歴について確認。藤巻被告が昭和46年以降たびたび海外で勤務し、香港や台湾、シンガポールなどアジア各地で、ターミナル基地やトンネル工事にかかわってきた経歴について質問した》
 弁護人「香港、シンガポール、台湾などでは、西松のためと思い、それぞれのインフラ整備に使命感を持っていたんですか?」
 藤巻被告「そういうことでございます」
 弁護人「そこで記憶に残ったことは」
 藤巻被告「私たちが完成させ、竣工(しゅんこう)させると地元の人たちが喜んでくれました。もう1つは、インフラが地元社会をどのように変えるか目の当たりにして満足しました」
 《その後、弁護士は特捜部の聴取を受けた期間、調べの時間などについて質問。藤巻被告が誠実に調べに応じてきたことを強調した。藤巻被告は低い声で、ゆっくりと質問に応じた》

弁護人「証拠には奥様の診断書もあるが、どういう状況ですか」
 藤巻被告「心臓が悪く、いつも朝には、夕べの(心臓の)状況がどうだったか確認しています。寝ているときに心拍数が上がったり、心臓の変化が出ている。私がこういう状況というのもあると思いますが…。できる限り世話をしたいと思います」
 弁護人「介護が必要ということですが、あなたがするのか」
 藤巻被告「そうでございます」
 《ここで再び弁護人に促され、藤巻被告が改めて現在の心境について問いただす。再び違法行為についてわびた後、声を落とし、こう続けた》
 藤巻被告「私も西松に45年勤め、もう自分としては手伝うこともできないが、会社が再開することを、影から心から祈っているところです」
 《ここで、弁護側の質問は終了。検察官が立ち上がった》
 検察官「あなたに関しては、裏金とかその他いろいろあり、金額も相当なものだった。その辺については取り調べで話しましたか」
 藤巻被告「金額は●(聞き取れず)についてではありません」
 検察官「あなたは『6000万円ですべて』と事実と違うことをおっしゃっていたようだが、調べでは違うことを主張していたのですか」
 藤巻被告「はい」
 《検察官の質問はごく短時間で終了。最後に裁判長が質問を始めた》
 裁判長「継続的にこのような金をつくった目的はなんですか」

藤巻被告「まあ、海外で、国によっても違いますが、地元で工事を円滑に進めるために、協力をえるために金が必要になる。JVから拠出を求められるので…」
 裁判長「高原和彦被告(元海外事業部副事業部長、外為法違反罪などで起訴)が言ってる内容についてはご存じですか。何か、(自分の主張に)反することがあれば言ってください」
 藤巻被告「フィリピンで金をつくった経緯ですが、私に報告したと言っているが、全部報告があったとは思っておりません。その後、横領などもあったので、報告していないのも調書を見るとありました」
 裁判長「あなたの指示していないことを『指示された』とした供述はあったか」
 藤巻被告「微妙な言い方だが、彼は外国で金がたまると国内に持ってきます。その際に『持ってこい』と指示してはいないが『持ってくる』と言ったから了解しました。基本的には間違えていないが…」
 《裁判長の質問に、落ち着いた口調で答え、藤巻被告の被告人質問が終わった》

【西松事件公判(7)】談合「あったほうが楽? なかったほうが楽?」裁判長の問いに国沢被告は…(13:35~13:55)
2009.6.19 15:44

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191546018-n1.htm

《国沢幹雄被告の被告人質問が始まる。被告席を立ち、証言席に座った国沢被告。あまり表情はなく、低い張りのない声で訥々(とつとつ)と語る》
 弁護人「本件についてのあなたの認識は、供述調書の通りでいいですか」
 国沢被告「そうです」
 弁護人「この陳述書はあなたのものですか」
 国沢被告「間違いありません。私のいまの考え、心境を書かせて頂いたものです」
 弁護人「政治献金は誰のために行ったものですか」
 国沢被告「会社のためになると思ってやったことです」
 弁護人「外為法違反は誰のためにやったことですか」
 国沢被告「会社のためになると思ってやったことです」
 《弁護人は、裁判官に情状を酌量してもらうため、個人の利益のためではなく、会社のためにやった犯罪であることを国沢被告に強調させているようだ》
 弁護人「西松建設に入社したのはいつですか」
 国沢被告「昭和36年6月です」
 弁護人「あなたは平成元年に取締役になり…」
 《弁護人は国沢被告の経歴を確認した後で、さらに質問を続けた》
 弁護人「建設業界で役員を務めたことはありますか」
 国沢被告「土工協、日建連の役員をやらせて頂いたと思います」
 弁護人「土工協というのは日本土木工業協会、日建連というのは日本建設業団体連合会ですね」
 国沢被告「そうです」
 弁護人「社会奉仕はやったことはありませんか」
 国沢被告「地震災害の救援活動です」
 弁護人「具体的には?」
国沢被告「新潟県中越地震の際には寄付を募り、人も出しました。感謝状を頂いたと記憶しています」
 弁護人「あなたは会社に貢献したと思いますか」
 国沢被告「会社のために働いてきましたし、管理本部長の時は会社の業績を向上させたと思います。(兵庫県)尼崎市の開発、浜松市の開発…。総額1500億円の事業で売り上げに貢献したと思います。失敗したことはなかったと思います。会社のために一生懸命やってきました」
 弁護人「会社のためとはいえ、法を犯してはよくないのではないですか」
 国沢被告「いま考えると、おっしゃる通りです」
 弁護人「ではなぜ、法を犯したのですか」
 国沢被告「規範意識が希薄だったと思います。法を犯してまでやるべきではありませんでした。深く反省しています」
 弁護人「初めに外為法違反で逮捕されたのは?」
 国沢被告「(今年)1月20日です」
 弁護人「(その後、身柄拘束が続き)政治資金規正法違反で起訴された後、いつまで拘束されていましたか」
 国沢被告「保釈される本年5月1日までです」
 弁護人「身柄を拘束されたのは初めてですか」
 国沢被告「初めてです」
 弁護人「いまも社長ですか」
 国沢被告「本年の1月20日に辞任しました」
 《1月20日、国沢被告は逮捕直前に辞任したことが明らかになっている》
 弁護人「なぜですか」
 国沢被告「『会社が捜索を受けている』と聞き、これは辞任すべきだと考えました」
《西松建設は昨年6月と11月の2回にわたって、東京地検特捜部の家宅捜索を受けたことが明らかになっている》
 弁護人「今後はどう生活していくつもりですか」
 国沢被告「年金生活だと思います」
 弁護人「この診断書通り、いまも(病気の)治療しているのですか」
 国沢被告「お医者さんに薬を出していただき、治療しています」
 弁護人「いまはどなたと暮らしていますか」
 国沢被告「妻と暮らしています」
 弁護人「今後はどうしたいですか」
 国沢被告「出身地の愛媛に帰って、妻とともに反省して暮らしていきたいと思います」
 弁護人「最後に何か、言っておきたいことはありませんか」
 国沢被告「大変ご迷惑をかけました。他のゼネコンが大なり小なり行っているから競争に勝つための必要悪と思っていましたが…。今回起訴されて、なぜ談合をなくすために何かしようとしなかったのか、何かできることはないか、そういう観点でできなかったのか、私の経営者として不徳の致すところです」
 《ここで弁護人の質問が終わる。次に検察官が立ち上がり、短い質問をする》
 検察官「あなたの供述調書に間違いはありませんか」
 国沢被告「はい」
 検察官「では結構です」
 《山口雅高裁判長は、藤巻恵次被告に関係する質問がないことを弁護人に確認したうえで、自ら質問をする》
裁判長「小沢氏(一郎・民主党代表代行)側への献金の出所を知っていましたか」
 国沢被告「知っています」
 裁判長「どういう金ですか」
 国沢被告「平成7年ごろ、他社が政治団体をもっており…」
 裁判長「それは分かっています。簿外資金だということは知っていましたか」
 国沢被告「簿外資金からは出してないと思います」
 弁護人「談合があったときと、談合がなくなったとき。どっちが楽でしたか」
 国沢被告「談合がない方が楽だったと思いますが、談合がなくなると、競争が激しくなって実績はそう上がりませんでした」
 《「ない方が楽」といいつつも、言葉の端に複雑な心境をのぞかせた被告。裁判長もこれで質問をやめた。被告人席に戻った国沢被告は、後ろを向いて弁護人と何かしゃべり、また、向き直った。被告人質問も大きな争点は浮かび上がらないまま終わった。今度は検察官が立ち上がり、論告求刑を始める》
 検察官「本件公訴事実は、当公判廷で取り調べられた関係各証拠により証明十分です…」
 「外国為替及び外国貿易法(外為法)違反事件について。本件は簿外資金、いわゆる裏金を日本国内での工事受注のための資金など表だって支出できない使途にあてるため、輸入したものであって、動機に酌量の余地はない…」
 「西松建設は昭和60年代から長年にわたり裏金を隠匿輸入することが恒常化していたところ、両被告も本件を引き継いで犯行に至った…」
 「両被告はいずれも西松建設の社長と副社長という重責にあり、両被告が共謀の上、(外為法違反罪などで起訴された)高原(和彦被告)に命じて実行させたものであり、まさに両被告が犯行の首謀者であり、責任は重い…」
 《検察官は、両被告を厳しく指弾しながら、論告を読み上げ続ける》


【西松事件公判(8)】「規正法を踏みにじる犯行」「周到かつ巧妙な偽装工作」(13:55~14:15)
2009.6.19 16:07
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191609020-n1.htm

《国沢幹雄被告は椅子(いす)に腰掛けたまま、目を閉じている。男性検察官が国沢被告への論告を続ける》
 検察官「本件は、西松建設が岩手県下などの公共工事の受注に掛かる談合について、小沢一郎衆院議員の事務所から天の声を得るために多額の寄付を行う中、平成7年から18年までの間、西松建設の献金であることを目的として新政治問題研究会(新政研)と未来産業研究会(未来研)の名義を使って総額1億2900万円の寄付を行った事案である」
 《早口でここまで語った検察官は一息ついた》
 「これは、建設業者と特定政治家との癒着を国民の目から覆い隠した犯行である」
 《検察官は語気を強めた》
 「そもそも、政治資金規正法は、政治活動の公正を確保することを目的とした議会制民主主義の根幹をなす法律である。政治腐敗を防止するため、収支報告書提出を義務づけ、これを公開することで、資金をガラス張りにすることを目的に昭和23年に制定された。その当時から、虚偽記入については禁固5年を上限とする重い罰が定められていた」
 《ここから検察官は、政治資金規正法の歴史を振り返り始めた》
 「その後も事件の発生をふまえ、改正が重ねられた。第三者名義による寄付の禁止は、昭和50年に追加された。平成11年には資金管理団体に対する企業献金も禁止するなど抜本的改革が図られた。このように一貫して、政治腐敗防止のため、改正が続けられた。それを軽視することは、法の本来の重要性や改正の努力を顧みないものである」
《その力強い語り口は、規正法を武器に政治家と対峙(たいじ)した先輩検事たちが乗り移ったかのようだ》
 「特に本件の寄付は、天の声を得ることを目的としたものであり、西松建設は多額の寄付をしながら、新政研、未来研の名義を使用して、寄付の主体を偽った。これは業者間の談合により、公共工事を受注してきたという談合の構造や実態を隠蔽(いんぺい)したものである。西松建設と小沢議員との関係を国民の目から覆い隠したという意味で、ヤミ献金と何ら異ならない」
 「西松建設はこうして4件の公共工事を122億円で落札し、納税者である国民に負担を強いた。まさに政治資金規正法の目的を踏みにじる悪質な犯行である」
 《再度、規正法の趣旨を強調した検察官。国沢被告は目を閉じたままだ》
 「なにより違法献金の形が巧妙で悪質だった。現役の社員を退職させて、新政研の代表者として届け出るとともに、新政研名義の献金規模が増えると、2つ目のダミー団体未来研を設立した。政治資金パーティーの開催を偽装し、関連会社からパーティー券購入名目で資金を移動させもした。きわめて周到かつ巧妙な偽装工作がなされていた」
 《さらに犯行の継続性を鋭く指摘する》
 「小沢議員側政治団体への献金は平成7年からの12年間で1億2900万円に上る。またその間、収支報告書に表れる現金額が高額となって社会の注目を集めないよう、西松建設側の献金名義、小沢議員側の受け皿のいずれについても複数に分割して、1口当たりの寄付金額を極力抑えるなどの工作も行われていた」
 《そして、国沢被告が主導的に関与していたことに言及した。検察官は、国沢被告を一瞥(いちべつ)した》
「事務部門のトップである事務本部長当時、献金スキームを構築し、その後も社長という立場から一貫して関与していた。その責任は重い」
 《ここで息もつかず、検察官は求刑に入った》
 「以上諸般の事情を考慮し、相当法条適用のうえ、国沢被告に禁固1年6月、藤巻被告に懲役6月を求刑する」
 《求刑の瞬間、2人の被告は眉一つ動かさなかった。検察官は着席した。裁判長はここで弁護側に「休憩を入れますか」と持ちかける。弁護人が国沢被告と相談したが、国沢被告は手を振って断った。国沢被告は顔色が優れないようにも見えた》
 《続いて、弁護側の最終弁論が始まった。まずは藤巻恵次被告の外為法違反罪についての弁論だ。藤巻被告の行為は、事前に届け出をせずに現金を持ち込んだという形式犯にすぎないことを強調。国外からの現金持ち込みが、前任から引き継がれていたことを指摘し、「会社組織が責任を負うべきだ」と主張した》

【西松事件公判(9)】「トンネルの神様」の話で政治団体誕生(14:15~14:35)
2009.6.19 16:20
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191624022-n1.htm

《藤巻恵次被告の弁護人による最終弁論が続き、情状のくだりにさしかかる》
 弁護人「被告人は長年に渡り会社に貢献してきた。社会にも貢献し、前科前歴もない」
 「高齢であり、余生を静かに過ごすしかない。夫婦とも病弱である」
 「(今回の外為法違反事件は)届け出義務違反であり、長期の勾留(こうりゅう)の必要がなかった。必要以上の拘束は刑を科せられたのと同じである」
 《弁護人は現金の無届け輸入を「形式犯」と主張した上で、報道各社が「実質犯」のように報道したと批難し、最終弁論を結んだ》
 「社会への影響が小さいとはいえないが、実質犯の憶測報道と峻別(しゅんべつ)する必要がある。以上のことから、執行猶予判決を下されたく、よろしくお願いします」
 《前を向いて座っていた藤巻被告だったが、自身の最終弁論が終わると、わずかに下を向いた》
 裁判長「それでは被告人、国沢の関係を」
 《弁護人が国沢幹雄被告の担当に代わった》
 弁護人「被告人は本件公訴事実を争いませんので、以下、情状について述べます」
 《被告席に少し足を開き気味にして座って国沢被告はうつむき、つま先を数回、上げ下げした。まず、弁護人は外為法違反事件について述べ始める。藤巻被告と同じく無届けの現金輸入が「形式犯」であると主張し、マスコミ批判を展開した》
 弁護人「西松建設が犯罪で取得した現金を輸入したというのは誤りであり、マスコミの報道などにより、根拠のない疑惑が持ち上がりました」
 「政治資金規正法違反は本件(外為法違反事件)と関係は全くなく、(事件捜査の)端緒になったにすぎない」
《最終弁論は建設業界の「裏金」体質にも言及する》
 弁護人「(海外の)現地企業と工事を円滑に進めるための資金を求められることはあり、表の金で処理するのは難しい。帳簿に載せないことは望ましくないにせよ必要不可欠」
 《さらに、「裏金」作りは西松建設内部で受け継がれてきたものだとした。個人犯罪ではなく、会社の体質が犯罪の温床になっていたことを印象付ける狙いのようだ》
 「一企業人である被告が正義を貫くのは著しく困難だった」
 「どれくらいの金がいつ、どのように持ち込まれるのか全く知らなかった」
 《最終弁論は核心の政治資金規正法違反事件の部分に移る。弁護人は同法の立法精神から説き起こし、違法性の認識に焦点が移る》
 弁護人「政治資金のあり方について定めたもので、一種の行政法規であり、実質犯と異なり形式犯である」
 「あたかも贈収賄ととられるような適切な報道であったとはいえない。罪刑を越える非難を加えることはできない」
 「実質は西松建設からであり、公明公正を害したと言えるが、違法性には留意しなければいけない」
 《弁護人は政治資金規正法が寄付者を記すべきだという説と、資金の拠出者を示すべきだという説があると主張する》
 「仮に(寄付者を記すべきだという)形式説が正しいとしたら、法の趣旨は収支の公開であって、違法性はさらに低いものになるのではないか」
 《続いて、新政研と未来研を設立した経緯に話は及ぶ。弁護側は2つの政治団体を国松被告が「主導して設立したのは間違いない」と認めた。新政研の設立は同社OBにすすめられてのものだという》
「『西松もそのような政治団体を作ってはどうか』という話だった」
 《OBは『他のゼネコンも政治家に献金するための政治団体を作っている』と話したという》
 「OBは『トンネルの神様』と呼ばれる技術者だった。被告人は、その話を信じ、(政治団体を)作ることにしたのである」
 「その際、他のゼネコンの仕組みを詳しく聞いたわけではない」
 「(資金を)西松建設から拠出する仕組みを考えたが、脱法的で違法性の認識がなかったとはいえない。『他(のゼネコン)もそうだろう』」と、違法性の認識はあいまいだった」
 《弁護人はあくまで違法性を認識しての違反ではなかったと強調し続ける。国沢被告は下を向いたままだ》

【西松事件公判(10)完】「競争に勝つため献金は不可欠 西松だけしないのは不可能」(14:35~14:45)
2009.6.19 16:37
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090619/trl0906191641023-n1.htm

《国沢幹雄被告の男性弁護人が、最終弁論を続ける。国沢被告はまっすぐ前を見つめたままだ》
 弁護人「ゼネコン各社は、西松建設と方向は違うにせよ、小沢氏側に多額の献金をしています。西松建設以外に政治団体を持っているところがない、という確証はありません」
 《さらに、西松建設が献金をした背景にも触れた》
 「公共工事の受注業者を決める際に影響を及ぼす政治家に、少なくとも嫌われたくないから多額の献金をするんです。ゼネコン各社にとって、競争に勝つためには献金は不可欠だと考えられてきました」
 《弁護人は声の調子を強めて言い切った》
 「西松建設だけが献金をしないことは不可能です。西松建設が政治団体を使って献金をしたのも、無理からぬことです」
 《ダミー団体をつくってまで献金を行ったことについては、こう説明した》
 「平成11年までは、新進党ないし自由党の政治資金団体『改革国民会議』のみに献金をしていました。政党への献金は本来、西松建設名義ですることも可能です。それを政治団体名義でしたのは、それが違法であるという意識よりも、西松建設が献金していることを(世の中に)知られたくなかったからです」
 《加えて、小沢一郎氏側からも働きかけがあったことを明らかにした》
 「小沢氏側から『献金先を分散させるために陸山会以外にも寄付をするように』と要請があったため、これに応じました」
《続いて、情状について説明した》
 「被告人は深く反省しています。入社以来、会社を愛し、懸命に働き、業績にも貢献してきました。地震被害の際には、会社をあげて救援するなどし、業界の発展にも貢献してきました」
 《しかし、裏金作りや献金をめぐって検察から聴取を受けることになる。今年1月には、責任を取って西松建設の代表取締役を辞任している。弁護人は体調面にも言及した》
 「平成18年に心筋梗塞(こうそく)を起こしました。このほかに高血圧、糖尿病、逆流性食道炎など複数の疾患を抱えています。被告人は本件犯行により、今後、会社とは縁を切るしかないと考えています。70歳という高齢でもあり、今後は妻と2人、年金生活を送ることにしています」
 《さらに、捜査方法にも疑問を呈した》
 「被告人は102日間という長期に渡り、身柄を拘束されました。実質上、取り調べが終了した後も保釈が認められず、罪刑に比べてあまりにも長期に渡り、拘束されました」
 《社会的影響についてはこう述べた》
 「確かに、民主と自民の支持率など社会的な影響はありました。しかし、(逮捕された)時期や政治状況、過熱したマスコミ報道によるところも大きい」
 《弁護人が「執行猶予付きの判決をお願いいたします」と締めくくると、裁判長が国沢被告らに証言台へ進むよう促した》
 山口雅高裁判長「これで審理を終わりますが、最後に何か言っておきたいことはありますか」
 《裁判長が尋ねると、まず右側に立った藤巻恵次被告が一礼し、はっきりとした口調で謝罪の言葉を述べた》
 藤巻被告「(言いたいことは)特別ございません。大変申し訳ございませんでした」
 《続いて、国沢被告も口を開いた》
 国沢被告「誠に申し訳なかったと思っています」
 《2人が深々と頭を下げると、裁判長は午後2時45分、閉廷を宣言した。国沢被告と藤巻被告は、いずれも特に疲れた様子は見せずに法廷を後にした。判決公判は7月14日午前10時から開かれる》

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追記(6月24日)

「天の声」とは、いったい何を意味するのか

西松建設「無条件降伏」公判での検察側「立証」への疑問

日経ビジネスオンライン  2009年6月24日

郷原 信郎
 6月19日に東京地裁で行われた、西松建設前社長らに対する外国為替及び外国貿易法違反及び政治資金規正法違反の事件の第1回公判で、検察側は、西松建 設が、社員らを会員にして作っていた政治団体の名義で小沢一郎前民主党代表の資金管理団体「陸山会」への寄附が行われた背景などに関して、詳細な冒頭陳述 を行った。

「欠席裁判」に近い西松建設公判での検察側冒頭陳述

 この事件では、小沢氏の公設秘書で「陸山会」の会計責任者の大久保隆規氏も逮捕・起訴され、弁護人のコメントなどによれば、政治資金規正法違反の 事実を全面的に争う方針とされているが、西松建設側は、株主総会までに事件を早期に収束させて企業として受けるダメージを最小限に抑えたいとの方針から、 第1回公判で事実を全面的に認め、即日結審するというスピード審理となった。

 いわば「無条件降伏」の状態にあり、検察側の主張について争う意思が全くない西松建設側の公判での検察の主張は、相手方当事者の反論、反対尋問を 全く受けない一方的なもので「立証」などと言えるレベルではない。事実を全面的に争う姿勢の大久保氏側、そして当該資金管理団体の代表で当事者的立場にあ る小沢氏にとって、この公判で検察側が主張したことがそのまま報道され世の中にすべて真実のように受け取られるとすれば「欠席裁判」そのものだ。

 裁判員制度が開始されようとしている状況において、同一事件または関連事件について、共犯者の一部が自白し、一部が否認している場合に、このよう な一方的な欠席裁判のような公判立証を行い、それをマスコミに報道させることは、一般市民の裁判員に不当な予断を与えるもので絶対に許されないはずだ。

 しかも、冒頭陳述などによる検察側の主張の内容は、私が、かねて本コラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」など)で指摘し、政治資金問題第三者委員会報告書でも指摘した、検察の捜査・起訴に対する疑問に答えるものにはなっていない。

 それどころか、検察が、この事件の事実関係を歪曲し、それをそのまま報道させることで世論を誘導しようとする意図が窺われる。それが端的に表れているのが「天の声」という言葉の使い方だ。

「天の声」が冒頭陳述で多用された意味

 このような西松建設の公判での主張の中で、検察側が冒頭陳述などで繰り返し用いたのが、「天の声」という言葉である。

 以下は、関連する冒頭陳述の一節である。

 東北地方では、昭和50年代初め、E社が中心となって、東北建設業協会連合会と称するゼネコン各社による談合組織を立ち上げ、以後、E社社員を仕 切り役として、談合によって公共工事の受注業者を決めていた。東北建設業協会は平成3年頃表向き解散したが、その後もE社を中心とする談合組織・体制は存 続し、談合が続けられた。

 そのような中、岩手県下の公共工事については、遅くとも昭和50年代終わり頃から、小沢議員の事務所(以下「小沢事務所」という)が影響力を強 め、前記談合において、小沢事務所の意向がいわゆる「天の声」とされ、本命業者の選定に決定的な影響を及ぼすようになった。また、平成9年頃から、小沢事 務所は、秋田県下の公共工事に対する影響力も強め、以後、一部同県下の公共工事に係る談合においても、小沢事務所の意向が「天の声」となった。

 すなわち、岩手県下または一部秋田県下の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対し、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出して ほしい旨陳情し、同事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し、仕切り役において、当該ゼネコンが真実「天の声」を得ている ことを直接同事務所に確認のうえ、当該ゼネコンを当該工事の本命業者とする旨の談合が取りまとめられていた。

この「天の声」という言葉が、新聞、テレビなどでそのまま報じられ、小沢氏側が西松建設関連の政治団体から受け取っていた政治献金は、小沢事務所側 が「天の声」を出して西松建設に工事を談合で受注させた見返りであったことが、あたかも確定的な事実であるかのように扱われている。しかし、ここでの「天 の声」という言葉の使い方自体が、従来の業界内での用語とは異なるだけでなく、冒頭陳述の内容にも重大な疑問がある。

 かつてのゼネコン業界の談合の世界における「天の声」というのは、一般的には「発注者側のトップつまり、知事、市町村長など地方自治体の首長の意向」を示すものであり、その意向に従って受注予定者が決まるという談合ルールを「天の声」談合と呼ぶことがあった。

「天の声」談合の由来

 「天の声」という言葉が公共工事を巡る談合に関して初めて具体的に使われるようになったのは、ゼネコン汚職事件の皮切りとなった1993年6月末 から7月にかけてのゼネコン汚職事件仙台市長ルートの捜査の頃であった。ゼネコン4社から2500万円ずつ合計1億円が石井仙台市長側に提供されたという 贈収賄事件であったが、この事件で、仙台市発注の公共工事は、すべて発注者側の意向に従って受注予定者を決めるルールで談合が行われ、大規模工事について は市長自身の意向で受注者を決定している談合の実態が明らかになった。

 それが、「『天の声』談合」という言葉を世の中に知らしめることになった。そして、その後、宮城県知事や茨城県知事などが収賄罪で摘発されたが、これらの事件の背景にも、このような「天の声」談合の存在があると報じられた。

 このようにして、発注者側のトップの意向に従って談合による公共工事の受注予定者が決定される「天の声」型談合の構図が出来上がった背景には、次のような背景があった。

 日本の公共工事を巡る談合は、昭和30年代頃からは、非公式のシステムとして建設業界で定着していたが、かつては、入札の前に受注者を話し合いで 決めること自体は、形式上は違法な行為であっても社会的には悪ではないと思われてきた。受注調整は、工事現場の所在地、周辺での受注実績や過去の同種工事 の受注実績、特殊技術に関する技術力を考慮することで、その工事を受注するのに最も相応しい業者を話し合いで決めるものだったが、その決定に当たっては、 発注者側や政治家などの有力者の意向が考慮されることもあった。このような調整は、業界団体や業界の親睦団体の会合の場で「民主的」に「半ば公然」と行わ れていた。

 その状況を大きく変えたのが、1990年頃からの日米構造協議における米国からの独禁法の運用強化の圧力だった。刑事告発の動きが現実化した埼玉 土曜会事件を機に、大手ゼネコンは、表面上は談合排除を宣言し、受注調整のための親睦団体は次々と解散した。しかし、業界調整という非公式のシステムの中 で話し合いによって受注者が決定されていた実態には基本的に変わらなかった。

談合システムは非公然化し、社内でもごくわずかな特定の者にしか調整の実態は知らされず、業者間の会合に一堂に会して決定する方式ではなく、受注を 希望する業者同士の個別の話し合いや情報交換によって受注希望を調整して、受注予定者を1社に絞り込むという形態に変化していった。

 しかし、会合による「民主的」な受注者の決定と異なり、個別の話し合いで受注希望を調整することは容易ではなかった。多数の業者が受注を希望する 工事については、個別に話し合っているだけではなかなか、受注希望を調整して1社に絞り込むことができない。それが、業界内の受注調整において、それまで 以上に自治体の首長などの意向が尊重されることにつながった。それが、多くの地方自治体発注の工事について、首長など発注者側の意向によって受注者が決定 される「天の声」型談合が定着することにつながった。

談合構造の「進化」

 ゼネコン汚職事件で複数の首長が逮捕され、「天の声」型談合の実態が明らかになったのを機に、談合の構造は再び変化することになった。発注者側の 意向は、談合による受注者決定において「客先意向」として尊重されることに変わりはなかったが、そのような意向がストレートに受注業界側に出されることは 少なくなった。刑事事件で摘発されることを恐れ、首長自身は受注業者側と接触しなくなり、首長と何らかの形で意思疎通ができる人物に、その自治体の発注工 事に関する「首長の意向」が間接的に伝えられるという形態に「進化」した。

 その工事を受注するのに最も相応しい業者を選定するという業界内の受注調整の構図は基本的に変わらなかったが、そこに、間接的に伝えられる首長の 意向や、発注自治体に予算や補助金の配分などで影響を与え得る立場の政治家や、地域の有力者の意向なども、受注者の決定に強い影響力を持った。これらの要 因が複雑に交錯して、業界内での情報交換や話し合いを通じて受注予定者が絞り込まれていくという構図が出来上がっていった。

 このような談合構造の下での受注予定者となるために重要だったのは、その工事を受注することについての地域内での有力者のコンセンサスを得ること であった。それは、受注した場合の工事施工を円滑に行うための条件であり、逆にその条件を満たしていないと、受注予定者になる資格がないと見なされる恐れ があった。

 そのような構造の下で、発注自治体の首長の側や発注者に影響力がある政治家などに対して金銭の提供が行われることもあった。「意向」を出しても らって受注したことの対価そのものである首長側への金銭等の提供は、通常、「意向の伝達役」に対して行われ、首長自身には刑事事件の捜査などが波及しない ようにするという方法がとられた。

 公共工事受注業者から政治家に対して行われる政治献金には、2通りあった。1つは、発注者側の意向、つまり「客先意向」に強い影響力を与える立場 の政治家に対するもの、例えば、当該工事の事業に関して補助金を交付する官庁に関係している政治家や、その官庁から予算の割り当てなど、工事の発注予定に 関する情報を提供してくれる族議員に対する政治献金だ。これらは、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難や、あっせん利得罪、収 賄罪での摘発につながりかねない性格の政治献金であり、裏金による献金か、下請会社名義などで、絶対に他者には分からないような形態で行われた。

もう1つは、地域において強い影響力を及ぼす有力な政治家や政党に対する献金である。例えば、その自治体の議会の与党の幹部などに対して行われる政 治献金は、工事受注との直接的な対価関係を持つものではない。業界内の談合で受注予定者となることを希望している業者にとっては、工事を円滑に受注し施工 するために地域の有力者の間で受注予定者になるためのコンセンサスを得ておくことが重要であり、有力者からの横やりで、そのコンセンサスが破られることを 強く警戒する。そこで、地域における有力な政治家や政党に対しては、特定の工事の受注とは関係なく、恒常的に相当な金額の政治献金が行われることになる。 この場合の政治献金は、受注を妨害されないための保険料的な性格が強かった。

 県発注工事について、県議会で圧倒的な多数を有する与党の地方組織に対してこのような趣旨の政治献金が行われていた実態を明らかにしたのが、自民党長崎県連違法献金事件であった。

 筆者は、日米構造協議における米国側からの圧力で談合など独禁法違反に対する制裁強化が図られていた90年から93年にかけて公正取引委員会に出 向し、埼玉土曜会談合事件の摘発に関わったほか、ゼネコン汚職事件でも、上記の仙台市長ルートの仙台現地捜査班に加わって「天の声」談合の構造を解明し、 長崎地検次席検事時代には、上記の自民党長崎県連事件の捜査を指揮、多くの談合事件や贈収賄、違法献金事件の摘発に関わった。そして、これらの経験に基づ き、この分野に関する唯一の捜査実務書(『入札関連犯罪の理論と実務』)を著している。

 上記のようなゼネコン談合と「天の声」、政治資金に関する実態は、筆者が、この問題に関する一般的な認識として、著書などでも述べているところだ。

小沢氏への政治献金と公共工事との関係

 小沢氏がゼネコンから長年にわたって政治献金を受けていた背景に何があったのか、筆者は直接知り得る立場ではない。しかし、上記のようなゼネコン談合と 政治献金の関係に関する私の一般的な認識からすると、業界用語として「発注者のトップの意向」を意味する「天の声」という言葉が、検察の冒頭陳述におい て、何の理由も示されず「国政レベルの政治家側の意向」として使われていることには大きな違和感がある。

 しかも、冒頭陳述の中で、ゼネコン側が「自社を談合の本命業者とする『天の声』を出してほしい旨陳情し、事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し」と書かれている部分は、業界調整の常識からは考えられない。

 政治家の意向が「天の声」に影響を及ぼすとしても、それは、発注者側に対して影響力を行使し、その意向が発注者側から業界側に伝わるということであって、政治家側から業界側に直接伝わることは、通常は考えられない。

 小沢氏が自民党幹事長として、与党内で絶対的な権力を握っていた時代においては、岩手県など東北地方の一部において、公共工事の発注自体に大きな 影響力を有していたと考えられるので、小沢事務所の意向が、発注者の地方自治体首長の「天の声」をしのぐ絶対的な力があった、ということも十分に考えられ る。しかし、小沢氏の国会議員としての立場は、その後、細川政権側の有力政治家という政権与党側の立場から、新進党、自由党などの野党の立場に大きく変 わっている。そのような政治的立場の変化によって、小沢事務所の公共工事の発注に対する影響力は異なったものになったと考えられる。

今回の西松建設関連の政治団体の名義での政治献金が行われた時期のほとんどは、小沢氏が野党の国会議員の立場にあった時期だ。その時期に、小沢氏の 側に、公共工事に関連してゼネコンから多額の政治献金を受ける理由があるとすれば、発注自治体への影響力というより、地元の政治家としての、地元の公共工 事関連業者や、公共工事と利害関係を持つ有力者などに対する影響力が背景になっていたと考えるのが合理的であろう。

 ゼネコン側にとって、小沢氏側に恒常的に多額の政治献金をする理由として考えられるのは、地域の住民や有力者、業者などと密接な関係があり、地元 建設業者や建設資材供給業者などとも関係が深い小沢事務所や秘書と良好な関係を維持することが、ゼネコンがその地域で工事を受注して円滑に施工するために 重要と考えられていたことによるものであろう。小沢事務所との良好な関係を維持することは、その地域の有力者のコンセンサスを得て、業界内の談合で受注予 定者になることについての保険料的な性格が強かったものと思われる(今年の5月16日に公表された西松建設の内部調査報告書では、「献金を行う趣旨に関し ては、工事の発注を得たいという積極的な動機よりも、受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由もあったと供述する者もいた」とだけ述べられてい る)。

検察冒頭陳述を裏づける供述の「質」

 「天の声」に関する検察の冒頭陳述の内容は、談合構造の歴史的経過から考えると、極めて不自然であり、西松建設の関連団体から小沢氏側への政治献金の原因・動機に関して真実を述べているとは到底思えない。

 西松建設側にとっては、政治献金の事実を積極的に隠したいと考えたのは、むしろ、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難 や刑事事件での摘発につながりかねない与党議員側への献金の方だと考えるのが合理的であろう。「新政治問題研究会」という西松関連団体と同一名称の故橋本 龍太郎氏の政治団体が同じ千代田区に存在していることで、自民党議員に対する献金が特定できないようにすることが、政治団体設立の主たる目的ではないかと の政治資金問題第三者委員会報告書(10頁)の指摘を、改めて注目すべきであろう。

 このような検察の冒頭陳述の内容を裏づけるゼネコン関係者の供述調書が存在していて、ゼネコン関係者が署名しているとしても、それを額面通り受け取るこ とはできない。既にゼネコン間の談合構造が3年以上も前に崩壊し、談合が過去のものとなってしまった現在、過去の談合の事実に関してどのような供述を行お うと処罰や処分を受けることはないのであるから、ゼネコンの談合担当者にとっては「どうでも良い話」である。検察側の誘導によって、そのような内容の調書 に署名している可能性が高い。

 重要なことは、これらの点は、事実を争っている大久保被告人の公判において、反論・反対尋問に耐え得る立証によって明らかにされるべきだということだ。



「無条件降伏」公判でも認定されなかった
「天の声」

検察は検察審査会の民意を本当に反映させたのか

日経ビジネスオンライン  2009年7月24日

郷原 信郎

 7月17日、東京地裁で、西松建設の国沢幹雄元社長の政治資金規正法違反などの事件に対する判決が言い渡された。

 この事件では、西松建設側が検察側の主張立証を全面的に受け入れる「無条件降伏」状態であったことに乗じて冒頭陳述で、「天の声」などの言葉を多用して小沢前代表秘書の有罪と行為の悪質性を世の中に印象づけようとする検察の「欠席裁判」的なやり方が問題になった(「天の声」とは、いったい何を意味するのか)

 もう一つの問題は、検察審査会での議決と公判審理との関係だった。検察は、「他の事件で起訴済みで求刑にも量刑にも影響しない」との理由で一旦は起訴猶 予にしていた二階俊博経済産業大臣の派閥の政治資金パーティー券の購入の余罪を、検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて論告求刑後に起訴した。判決期日 が取り消されて弁論が再開され、追起訴に伴って求刑が変更されるかが注目されたが、検察は、求刑を従前どおりに維持し、立証も最小限のものにとどめた。検 察審査会の議決を受けて追起訴を行っても、追起訴事実についての公判での立証が十分に行われなければ、民意が実質的に反映されたとは言えない。

判決は政治献金の談合受注との対価性を否定

 今回の判決は、政治団体名義での寄附を西松建設による「第三者名義の寄附」と認め、政治資金規正法違反が成立するとしたが、寄附の動機について は、「公共工事の受注業者の決定に強い影響力を持っていた岩手県選出の衆議院議員の秘書らと良好な関係を築こうとして平成9年ころから行ってきた寄附の一 環であり」と認定するにとどめた。

 また、検察が受注工事一覧表まで示して寄附が公共工事の談合受注の対価であったことを主張したにもかかわらず、判決は、量刑面で被告人に有利な事 情として、寄附は「特定の公共工事を受注できたことの見返りとして行われたものではない」と認定し、検察の主張を正面から否定した。判決の認定の前提は、 検察側の冒頭陳述より、むしろ、筆者が前記拙稿で述べたゼネコン談合の実態に近いと思われる。

 検察側は、寄附が談合受注の対価であることを具体的に認める西松建設などゼネコン関係者の供述調書などを証拠請求したものと思われるが、裁判所 は、「工事の受注を得たいという積極的な動機より受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由」を指摘する西松建設の内部調査報告書の方が実態に近い と判断したのであろう。

 「無条件降伏」状態での西松建設側の公判ですら、このような状況なのであるから、被告・弁護側との全面対決となる小沢氏秘書公判での審理において、検察側の主張立証が一層困難になるのは必至だ。

宙に浮いた検察側冒頭陳述

 今回の西松側公判では、検察側が冒頭陳述で9ページにもわたって詳述した小沢氏側への寄附の背景については判断を示さず、冒頭陳述は宙に浮いた形 になってしまった。それは、検察側が行った詳細な主張立証が、国沢被告人に対する起訴事実の立証に必要な範囲を大幅に逸脱していることが根本的な原因と見 るべきであろう。検察側は、本件の小沢氏秘書に対する捜査で重大な政治的影響を生じさせ説明責任を問われたことを意識し、その「説明」の意味も含めて詳細 な主張立証を行ったものと思われるが、それは起訴事実の範囲とは余りにバランスを失している。

 このことは、今後開始される小沢氏秘書の大久保隆規被告人に対する公判にも共通する問題である。そこでの審理の対象になるのは、大久保秘書個人の 犯罪事実と情状に関する事実であるが、同秘書に対する起訴事実は、2003年以降の寄附に関する収支報告書の虚偽記入の事実で、しかも、同秘書が政治資金 の寄附の受け入れにかかわるようになったのは、検察側冒頭陳述によれば2000年ころからである。検察側の冒頭陳述のうちの寄附の経緯や背景、そして公共 工事をめぐる談合と小沢事務所との関係に関するかなりの部分は、仮にそれが事実だとしても、大久保秘書の前任の秘書に関するものであり、大久保秘書個人の 刑事責任とは直接関係ない。

大久保秘書の公判で、検察側が今回の公判と同様に詳細な冒頭陳述を行ったとしても、それを裏付ける供述調書などの証拠請求に対しては弁護側が不同意 とするであろうし、検察側が調書の内容を証人尋問で立証しようとしても、大久保秘書個人の起訴事実と関連性が希薄な事実について裁判所が証人尋問を採用す る可能性は低いであろう。結局、検察が、詳細な主張立証を行おうとしても、公判審理の対象にすらならず、今回と同様に冒頭陳述が浮いた形になるものと考え られる。

 刑事事件の公判は、あくまで当該被告人の刑事責任の有無と量刑を決する場であって、検察の捜査・起訴の社会的、政治的影響についての説明責任を果 たすことを目的とするものではない。検察は、公判での立証は、刑事事件の立証として許される範囲内にとどめるべきであり、それで不十分であれば、公判への 影響に配慮しつつ、別の場で説明責任を果たすべきであろう。

 要するにいくら検察が重大性・悪質性を強調しようとしても、今回の事件で、検察が実際に起訴した事実は、政治資金規正法としては極めて小規模で軽 微なものであり、その起訴事実と情状に関する立証の範囲を超えて過大な主張立証を行うことは、本来、刑事裁判として許容されないものだ。

 今回の判決では、刑事事件の公判を、マスコミを通じて世の中に事件を過大に評価させようとするパフォーマンスの場にしようとする検察と、刑事事件の公判として必要な範囲で事実認定を行おうとする裁判所との立場の違いが極端な形で表れたものと言うべきであろう。

判決についての報道は正しく行われたか

 このような判決の内容は、正しく報道され論評されたのであろうか。

 第1回公判の段階では、「欠席裁判」のような検察の主張立証が不当であることを指摘する論調はまったくなく、多くの新聞、テレビが、小沢事務所の意向が公共工事の談合受注での「天の声」になっていたとの検察の冒頭陳述での主張を、あたかも確定的な事実のように報道した。

 そのような報道が行われた背景には、西松建設側が全面的に事実を認め「無条件降伏」している裁判だから、判決でも、「天の声」などの検察の主張が そのまま全面的に認定されるだろうとの予想があったのかもしれない。いずれにしても、小沢事務所の「天の声」を大々的に報道したマスコミにとって、裁判所 が工事受注と政治献金との対価関係を明確に否定し「天の声」に関する検察の冒頭陳述が完全に宙に浮いてしまったことは予想外だったはずだ。

 しかし、この判決についてのマスコミの報道には、小沢事務所側の「天の声」を強調する検察の冒頭陳述での一方的な主張を、確定的な事実のように報じたことに対する反省は感じられない。

 新聞の社説の中には、「有罪とされた事実の一部は、分離公判となった小沢氏の公設第1秘書の起訴事実と重なっている。今回の判決で、間接的に認め られたという見方もできる」などと、国沢被告人に対する判決で政治資金規正法違反の事実が認められたことをもって、違反を全面的に争っている小沢氏の秘書 についても違反事実が認定されたかのように述べているものがある(7月19日読売新聞社説)。

 被告・弁護人が公判で公訴事実を全面的に認めていても、裁判所の独自の判断で無罪判決を出すというのは、理論上はあり得ないことではない。しか し、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持っている現行法制の下では、検察の起訴は「有罪の確信」に基づいて行われることが事実上前提となっている。被 告人が事実関係を全面的に認め、まったく争っていない事件で裁判所が独自の判断で無罪判決を出すことは、起訴を行った検察の判断そのものを正面から否定す ることになるのであり、実際にはほとんど考えられない。被告・弁護人側が全面的に事実を認めている場合には、有罪判決を出すのは当然のことであり、事実を 争っている公判で、「弁護人の主張」に対する判断を示して有罪判決を出すのとはまったく意味が異なる。

また、判決が、小沢氏秘書の談合受注への影響力について言及していることに関して、「小沢氏は判決をどう受け止めるのか。これまでの説明は根拠を 失った」などと述べている社説もある(同日付産経新聞「主張」)。しかし、判決は、西松建設側の寄附の動機という同社側の認識について前記のように判示し ただけで、寄附受領者側の行為は一切認定していない。それどころか、寄附と公共工事の談合受注の対価関係について明確に否定している。これで「小沢氏側の 説明」が根拠を失った、と述べているのは、判決の趣旨を正しく理解しているとは言い難い。

 裁判員制度の下では、共犯者間で、捜査段階で自白していて公判でも事実を認める予定の被告人と、事実を否認していて公判でも争う予定の被告人とが いる場合、自白している被告人の公判の経過や結果が報道されることが、否認公判における裁判員の心証に不当な与えることのないよう、十分な配慮が必要とな る。

 刑事事件の報道においてそのような配慮を行うに当たっては、まず、裁判における当事者の主張立証のルールと、一部共犯者の判決の事実認定が他の共 犯者の公判にどういう意味を持つのかについて十分な理解が必要であろう。今回の西松建設側の公判の報道を見る限り、その点についての基本的理解が欠けてい るのではないかと疑問に思われるものが少なくない。

 裁判員制度施行後の刑事公判の立証の在り方の問題も含めて、十分な検討が必要であろう。

検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて行われた追起訴

 この判決に至るまでの経過には、もう一つ大きな問題があった。

 国沢元社長の当初の起訴は、3月24日に、小沢氏の大久保秘書の起訴と同時に行われた小沢氏側への資金提供500万円についての「第三者名義の寄附」の事実と、7000万円の現金の海外からの無届持ち込みの外国為替貿易法違反だけであった。

 しかし、その後、同一の政治団体名義で行われた、二階俊博経済産業大臣の派閥の政治団体「新しい波」の政治資金パーティー券340万円分の第三者 名義での購入という同種の犯罪事実について、大阪市の市民団体によって告発が行われた。検察は、「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」という理由 で不起訴(起訴猶予)にしていたが、6月19日の第1回公判の直前の6月16日、東京第3検察審査会が、この不起訴処分について「起訴相当」の議決を行っ た。

 今年5月に施行された検察審査会法の改正によって、「起訴相当」の議決が2回行われると起訴が強制され、しかも、起訴の手続きや公判立会は裁判所 が指定する弁護士が行うことになる。検察審査会の「起訴相当」の議決は重要な意味を持つものになっていた。6月19日の第1回公判の時点では、この検察審 査会の「起訴相当」の議決が行われており、検察は、この事件について、不起訴処分を維持するのか、それを覆して起訴するのかの判断を迫られていた。

 第1回公判が、当初の起訴事実の審理だけで結審し、次回の第2回公判で判決予定とされたのは、この時点では、検察としては追起訴を予定しておら ず、検察審査会での「起訴相当」の議決が出された二階派の政治資金パーティー券購入の事実についても、不起訴処分を覆して起訴を行うことは予定されていな かったからであろう。

 ところが、それから1週間後の6月26日、検察は、この政治資金パーティー券の購入の事実について不起訴処分を覆し、国沢元社長を追起訴した。これによって、7月14日の判決期日は取り消され、この日にこの追起訴事実についての審理が行われることになった。

2回目の「起訴相当」の議決が行われて、裁判所の指定する弁護士が起訴手続きや公判立会を行うことになれば、その指定弁護士に事件に関する資料をす べて提供しなければならなくなる。提供する資料に情状立証に関連する資料も含むということになると、西松関連団体から二階氏側への起訴されていない資金提 供に関する事実も提供せざるを得なくなることも考えられるが、その結果、検察のそれまでの捜査・処分の妥当性が問われることになりかねない。検察は、その ような事態になることのないように、1回目の「起訴相当」の議決にしたがって追起訴を行ったのであろう。

注目された追起訴分についての求刑

 検察が検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて追起訴したことで、当初1年6月の禁錮としていた求刑をどうするのか、追起訴後も求刑を維持するの か引き上げるのかが注目された。求刑を引き上げると、検察が当初の不起訴処分の理由としていた「追起訴しても求刑も量刑も変わらない」という考え方が誤っ ていたことを認めることになる。

 しかし、同種の340万円の違反が加わっても求刑が変わらないということになると、500万円の「第三者名義での寄附」の事実と外国為替貿易法違 反についての禁錮1年6月の求刑との(外国為替貿易法違反は懲役6月以下なので政治資金規正法違反を少なくとも禁錮1年相当としたことになる)バランスが とれないことになり、当初の本起訴分で禁錮1年6月という求刑が不当だったことになる。

 7月14日の第2回公判で、検察は、追起訴分についての立証を行った後に行った論告求刑で、「政治家側との癒着の実態や献金規模等から見て今回追 起訴分よりはるかに悪質な政治資金規正法違反の事実につき・・・相当と考える求刑を行っており、今回追起訴分に対する刑事責任もその中で十分に評価し得 る」として、求刑を従前どおり「禁錮1年6月」のまま維持した。

 しかし、求刑を維持した理由として検察が示した、本起訴分の「第三者名義による寄附」の事実が、追起訴分の同種の「第三者名義によるパーティー券購入」の事実より「はるかに悪質」という見方には重大な疑問がある。

 「献金規模」という面では、本起訴事実が合計500万円の第三者名義による寄附であるのに対して、追起訴事実は第三者名義での政治資金パーティー 券340万円の購入であり、起訴にかかる金額は遜色のないものだ。時効完成済みのものなど起訴されていない事実も含めて「献金規模」を比較するのであれ ば、西松建設関連団体が平成7年に設立されて以降、その名義で行われた政治資金の提供の総額を比較しなければならないはずであるが、総額が概ね示されてい るのは小沢氏側への資金提供だけで、二階氏側については起訴された事実以外はまったく明らかにされていない。

 また、「癒着の実態」についての指摘は、政治資金規正法の趣旨を取り違えているように思われる。政治資金規正法は、収支報告書の記載の真実性につ いて基本的には会計責任者に義務と責任を集中させ、一方で、寄附者側にも「本人以外名義の寄附」を禁止し、(会計責任者より軽い法定刑で)処罰の対象とし ている。それは、本人以外の名義で寄附が行われた場合、会計責任者がその事情を知らない場合には、収支報告書に寄附者を誤って記載する恐れがあり、それ が、政治資金の収支にかかる真実を公開するという政治資金規正法の趣旨に反するという理由によると考えられる。このような「第三者名義の寄附」の処罰の趣 旨は、贈賄者と収賄者の結託を本質とする贈収賄とは決定的に異なる。

つまり、「政治家側との癒着の実態」があったからと言って、「第三者名義の寄附」という政治資金規正法違反の悪質性が高まるわけではないし、逆に、 「癒着の実態」があって、寄附を受領した会計責任者側が、「本人以外の名義の寄附」であることを認識した上で、敢えて寄附者として収支報告書に記載したの であれば、会計責任者側が収支報告書の虚偽記入の責任を厳しく問われることはあっても、寄附者側の「第三者名義の寄附」についての責任が重くなるわけでは ない。

 本起訴分の政治資金規正法違反が追起訴分より「はるかに悪質」だという検察の主張の妥当性には問題があり、追起訴分も含めて「禁錮1年6月」の求刑を維持したことが妥当だとは思われない。

二階氏側への資金提供についての検察立証は不十分

 今回の判決は、国沢被告人に対して禁錮1年4月執行猶予付の量刑を行った。そして、判決理由の中で、同追起訴事実については「証拠から西松建設か らの支払であることを公表されないようにする以上の背景をうかがうことはできず。(本起訴分)とともに処罰するのであれば、これを量刑上有意に評価するこ とはできない」と判示した。この指摘は、検察側が「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」との理由で起訴猶予にし、追起訴分が加わっても禁錮1年6 月の求刑を維持したことを正当と認めたようにも思える。

 しかし、重要なのは、この判示の「証拠から」という文言である。要するに、検察が、二階派のパーティー券購入については、「西松建設からの支払で あることを公表されないようにする」という目的しか追加冒頭陳述でも述べていないし、証拠も提出していないので、その程度の犯行動機しか認定しようがな い、だから、悪質性を認めることができないという趣旨と理解すべきであろう。

 西松建設の関連団体名義の二階派の政治資金パーティー券購入の購入額は、平成16年以降、総額で844万円に上るのであり、常識的に考えれば、そ れが公共工事の受注と無関係だとは思えない。二階派への資金提供の悪質性については、小沢氏側への資金提供と同様に捜査をしなければ明らかにできないはず だ。検察が一度起訴猶予にしているこの事件については、その点についての捜査は尽くされていない。

 追起訴分の事実に関しては、判決が指摘している「寄附の背景」以外にも、過去からの二階氏側への寄附の総額など、小沢氏側への資金提供の事実と比 較して立証が不十分な点が多々ある。本件のように、検察が起訴猶予処分にした事案について検察審査会が「起訴相当」の議決を行った場合、議決で示された 「民意」を尊重するというのであれば、議決にしたがって起訴をするだけでは足りない。

 起訴した事実について公判で十分な立証を行うことで初めて議決で示された「民意」を尊重したことになるのである。今回の件での検察の姿勢は、形式 的には検察審査会の議決にしたがったものの、公判で十分な立証を行わないことで、実質的には議決に示された民意を軽視したものと言わざるを得ないであろ う。

大久保被告弁護人の所感

西松建設前社長、国沢幹雄被告(70)の初公判を受け、政治資金規正法違反の罪で起訴された小沢氏の公設第1秘書、大久保隆規被告(48)の弁護人は、大久保被告に関係する部分の所感として、コメントを発表した。コメント全文は次のとおり。

 本日の国沢氏の公判に関し、特に大久保隆規氏に関係すると思われる部分について、弁護団としての所感を申し上げます。

西松関係の2つの政治団体による政治献金やパーティー券購入の相当部分は、他の団体へのものも相当あるにもかかわらず、国沢氏の起訴事実は、陸山会と民主党岩手県第4区総支部に対する献金だけに限られています。

政治資金規正法上、献金を行うことの違法性は、献金を受ける側が違法と思っていたかどうかとは全く関係ありません。検察官が、ダミーによる、西松建設株式会社自身の献金と断じる多くの部分を不問に付し、特定の団体分のみを起訴したことに正当な理由があるのか、先日報道された東京検察審査会のご指摘にもありますが、疑問と言わざるを得ません。
また、献金を受けた側から見ても、本日の公判における検察官の冒頭陳述については、検察審査会が自民党関係の政治団体の事件に関し指摘した事項がそのまま当てはまります。

すなわち、係る団体ほか自民党関係の団体が西松関係の政治団体から献金を受けた事実については、検察官は、証拠が十分にあるにもかかわらず、その実態を明らかにしておりません。

結局、大久保氏のみを狙い撃ちしたものであることは誰の目から見ても明らかです。このような冒頭陳述は、大久保氏にとって欠席裁判に等しいだけでなく、著しくバランスを欠くものであり、到底容認できるものではありません。
検察官は「特に岩手県下の公共工事については小沢事務所の意向に基づいて受注業者が決定され」ていたなどと主張しました。一部の者の一方的供述に基づくものであり、その主張内容もそれ自体が極めて抽象的です。

大久保氏が、具体的な工事について、検察官の言う、小沢事務所の「決定的な影響力」なるものをいつ、いかに行使したのか、そもそも公共工事における「決定的な影響力」とは何であったのか、全く具体性を欠いています。

検察官主張のように、大久保氏が公共工事の受注者を決めていたなどという事実は一切なく、大久保氏がこの点に関する取調べを受けたこともありません。現に、本日の証拠の要旨告知においても、大久保氏の調書に関する限り、この重要な点について、何も触れられていません。
結局、検察官の主張は、ゼネコン関係者の一方的な供述に基づくものに過ぎません。しかも、受注業者の選定に決定的な影響力、などという、極めて抽象的な内容に終始しています。それを具体的に裏付ける証拠も何一つ出されていません。
 大久保氏の裁判に関する当方の主張は、また公判廷において明確にして参ります。

   以上

   2009年6月19日

   大久保隆規氏弁護人

   弁護士 伊佐次啓二
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産経新聞
検察審査会の不起訴不当に河村長官「議決踏まえ適切な処理を」
2009.6.17 12:34

自民党・二階派の政治団体「新しい波」が西松建設のダミーとされる政治団体にパーティー券を購入させていた問題に関し、東京地検が当時の会計責任者らを不起訴とした処分を東京検察審査会が不当と議決したことについて、「個別の事件なのでコメントは差し控える。検察当局は議決を踏まえ適切に処理されるものと思う」と述べた。




2009年6月17日水曜日

【冤罪事件】 足利事件

 この足利事件は、過去にブログでも3度記事にしているのであるが、非常に嫌な思いのする事件であるし、腹立たしい事件でもあった。この事件発生当事の新聞記事を図書館で調べた事があるのだが、初めから菅家氏を犯人と決め付けた記事である。これは断定をしても良いと思う。

多くのジャーナリストは、この事件に関して皆検察・警察の捜査の杜撰さを記事にし、再発防止を記事にしている。それでありながら、小沢事件は、検察からのリークで記事を書き続けているのであって、まったく反省をしていないのではないかと思えてしまう。

また、読者も新聞記事・テレビ報道が正しいという前提で見てしまっているのであるが、検察からの情報そのものの真偽の検証が果たして行われているのであろうか。

とかく最近は、マスコミと検察の関係に疑問を感じているネットユーザーが増えている事をマスコミ各社も頭の片隅に置かない限り、経営の悪化はどんどん進んでいくと予想される。

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足利事件から学ぶこと(江川)

2009年06月13日

 栃木県で1990年に発生した幼女殺害事件(足利事件)で、無期懲役の判決が確定し、服役していた菅家利和さんが、6月4日に釈放された。東京高裁の再審請求審で認められたDNA再鑑定の結果、真犯人とは別人であることがほぼ明らかになったためだ。再審開始が決まる前に検察側が刑の執行停止に応じるのは、おそらく初めて。検察側も、今回の件では完全に白旗を揚げた格好で、最高検の次席検事がその後、謝罪のコメントを発表する展開となっている。

 事件が起きた頃は、ちょうど警察がDNA鑑定を科学捜査の手法として導入し始めた時期だった。十分な鑑定試料さえあれば、指紋と同じように、百発百中で犯人を特定できるかのようなイメージが流布されつつあった。

 しかし、今からみると、当時の鑑定方法はまだ精度が低かったうえに、それを扱う技官たちの技術も未熟だったようだ。今回の再鑑定で、当時と同じやり方で検査をしてみても、菅家さんと犯人が残した精液のDNA型は異なる、という結果が出ている。最先端の技術であっても、それを使うのが人間である限り、間違いはありうる、ということを、今回の事件から私たちは、よくよく学び取る必要がある。

 特に、刑事裁判の世界では、まもなく裁判員制度での裁判が実際に始まろうとしている。裁判では、DNA鑑定に限らず、様々なジャンルの専門家が、最新の技術を駆使した鑑定結果を説明する。それぞれの道で、それなりの権威を持っている人が出てくることも多く、自分の学説や技術には確信を持っているので、自信たっぷりに説明をするだろう。

 その道の素人は、専門家の自信や、技術のすごさに圧倒されがちだ。だが、どんなに権威を言われる人のやったことでも、人間がやる限り、間違いや失敗はありうる。
 裁判員となる人たちには、そのことをよくよく理解してもらったうえで裁判に臨んでもらう必要があるだろう。裁判所は、足利事件からしっかりと教訓を学んでもらいたい。
 
 ところで、足利事件を裁いた裁判官たちは、もちろん裁判のプロである職業裁判官たち。1審から最高裁まで、少なくとも11人の裁判官がかかわっていながら、無実の人を無期懲役刑にして刑務所に送り込むようなことになったのか。

1)裁判官もDNA鑑定の魔術に幻惑されてしまった
 科警研のDNA鑑定が間違うなどとは、裁判官にとっては「想定外」のことだっただろう。

2)菅家さんの自白があった
 それも、捜査機関だけでなく、裁判所でも一審の第6回後半で突然否認するまで、自白を維持していた。一審の裁判官からすれば、自分が強制したわけでもないのに、犯行状況を語るのだから、これは間違いない、と思っただろう。しかも、一度否認した後、すぐそれを撤回し、その理由を、被害者の遺族が死刑を望んでいると知らされて怖くなったから、と説明する上申書を提出されている。よもや、弁護人が説得して、そういう上申書を書かせたとは、裁判官も思わなかったろう。なので、再度否認に転じても、一審の裁判官たちが自白を信用したくなった気持ちは、分からないではない。

 自白は、おそらく裁判官たちにとっては、DNA鑑定以上に大きな影響を及ぼしただろう。裁判官も法医学に関しては専門家ではないので、DNA鑑定について、弁護側が学者の意見をあれこれ提出しても、専門的な目でそれを判断することはできない。しかし、自白に関しては、何と言っても「裁判官の前で罪を認めた」という事実は分かりやすい。

 二審以降、弁護人がDNA鑑定への疑問をいくら呈示しても、主張が認められず、再鑑定も行われずに来たのは、裁判官たちがどれほど自白に引きずられていたかを物語っている。

 では、菅家さんはなぜ自白したのか。そして、それを維持したのはどうしてだろうか。

 菅家さんに話からは、次の4要素が浮かび上がってくる。二つは捜査側の構造的な問題点、二つは菅家さんの側の事情だ。
 前者としては、
A)強引な取り調べ
B)被疑者を孤独を強いる
という点が挙げられる。
 後者としては
C)気の弱い性格で、対立的な人間関係でのコミュニケーションが極めて苦手
D)黙秘権など被疑者の権利についても、検察官や弁護人の存在など刑事手続きの仕組みについて全く知らなかった
という事情がある
 
 取り調べに関しては、任意同行したその日が全てだった。

 菅家さんによれば、朝、いきなり捜査員がやってきて、有無を言わさぬ態度で、”任意”同行された。実際は「強制」だったと菅家さんは言う。

 黙秘権を告知されたことは、まったく記憶にない。形式的に告知はあったのかもしれないが、黙っている自由はまったくなく、頭ごなしに「子どもを殺したな」と決めつけられた。否定しても、「証拠がある」と聞き入れてもらえない。「やった」「やらない」のやりとりが夜遅くまで延々続いた。

 当時の新聞記事を見ても、その厳しさは伺われる。

<「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声で真実ちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、ポロリと涙を流した。「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。

 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取り調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった>(1991年12月2日付読売新聞)。

 ましてや、菅家さんは気が弱く、これまで不当に職場を解雇されても、経営者に文句を言うどころか、理由を問い詰めることさえしなかった。そんな風に、争いを避け、無難に、角が立たないように人生を生きてきた。

 捜査員に対しても、「やってない」と繰り返すのが精一杯だったという。

 認める時、菅家さんは捜査員の手を取って泣き出した、という。

 おそらく、捜査員はこれを「悔悟の涙」と受け取ったのだろう。しかし、菅家さんにとっては「やってもいないことを言わされた悔し涙」だった。

 この日の取り調べで、菅家さんの自分を守る砦は完全に崩れた。日常とあまりにもかけ離れた環境にいきなりおかれて、現実感も希薄だったろう。ましてや、事件には無関係なので、このままいけば、死刑や無期懲役などの厳しい刑罰を受けるという実感もわかないとにかく、初日の取り調べに気圧されて、すっかり萎縮したまま、すべてが夢の中のような、非現実的な時間が流れていったようだ。

 当時の心理状態を、菅家さんは「ただ怖かった」という。誰も信じてくれる人は周りにおらず、まったく孤独な状態。そんな中で、「やった」という前提で話していれば、平穏な状態が続く。菅家さんは、ひたすら周囲に迎合し、悪夢が覚めるのを待つように、ただ時間をやり過ごす。

 警察に関しては「市民を守ってくれるところ」というイメージがあったが、自分が責められることで、その思いは崩壊した。弁護士や検察官に関しては、その役割もよく分かっていなかった。弁護士は自分より年上で、取っつきにくく、この人は自分の味方という風には感じることができなかった。なので、弁護士に対しても、ただただ頭を下げるだけ。

 とにかく「やった」といれば、無難に時間が過ぎていく。そのままの状態で、裁判が始まった。高いところから見下ろす裁判官には威圧感があった。なので、やはり怖く感じた。自分が犯行を認めている限り、裁判は平穏に進み、無難に時は流れていく。裁判官は偉い人なので、自分があれこれ説明しなくても、すべてをお見通しだろうという期待もあったようだ。なんか、このままではマズイなと思いながらも、流れを変えるきっかけもなく、重罰への実感も持てないまま、ズルズルと公判の回数を重ねてしまった……
 
 その菅家さんが、新たに自分を守る砦を築くきっかけとなったのは、一人の主婦の手紙。その主婦は、新聞で裁判の報道を読み、菅家さんがいったん否認し、すぐにそれを撤回したことを知った。撤回は、弁護士に諭されてのことだったが、そうした事情は知らないまま、手紙を書き、拘置所に面会に行った。

「なんだかおかしいな、と思った。それで、もし本当にやったのなら、被害者のことを考えて心から償って欲しい、でもやってないのなら、真実を貫くべきだ、と言ったんです」とその主婦は言う。

 菅家さんが、無実を訴えると、信じてくれた。警察の取り調べを受けて以来、初めて自分のことを信じ、励ましてくれる人と出会えたことで、彼は真実を貫く決意をする。それまで、怖かった弁護士にも、思い切って手紙を書いた。

 この支援者が、弁護士としては早くからDNA鑑定の問題点に着目していた佐藤博史弁護士を訪ね、控訴審の弁護人になってくれるよう頼んでくれた。
 
 多くの人は、「やってもいないのに、自白するわけがない」と思う。その点では、裁判官もあまり変わらない。

 激しい拷問があったのなら、まだ分かりやすい。捜査員が巧妙な誘導や強制をしたのであれば、詳細な嘘の自白調書ができあがるのも、まだ理解できる。また、警察の取調室など、密室の中ならともかく、公開の法廷で嘘の自白をするわけがない、と裁判官もマスコミも一般市民の大半が思っていることだろう。

 しかし、菅家さんの自白は、多くの人が冤罪事件でイメージするより、早い段階で行われ、誘導や強制も少ないうえに、法廷でもしばらく維持された。

 こういう事態は、法律や制度を作った時には、想定されていなかったのではないだろうか。

 しかし、これは決して菅家さんに特有な出来事だったわけではない、と思う。強姦・同未遂事件で実刑判決を受けた男性が、服役後に、真犯人が現れて再審無罪となった富山の冤罪事件でも、いったん自白をした後は、それを公判廷でも維持し、一審で判決が確定した。

 この柳原さんの場合も、孤独と無理な取り調べにより、すっかり打ちのめされ、事実を語っても無駄だと諦めてしまったようだ。大人しく、自己主張が強くない人が、孤独な状況におかれれば、ひとたび崩壊してしまった自分を守る砦は、そう簡単に再構築されることはない。そのことを、この二つの事件はよく示している。
 
 釈放されて4日目の日曜日、菅家さんはテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」に出演していた。

 その時、自白の内容を説明する様に、視界の田原さんも少し慌てている様子だった。事情をよく知らない人が菅家さんの話を聞いていると、テレビカメラの前で自白を始めてしまったように思っただろう。

 実は、佐藤弁護士の家族も、テレビの前でパニック状態に陥っていたそうだ。「うちのお父さんの弁護士生命も、これで終わりじゃないか…」と思ったらしい。

 しかし、佐藤弁護士は平然としていた。菅家さんの話した、「……と自分は自白しちゃったんです」という風に落ち着くことが分かっていたからだ。

 テレビはもちろんだが、他人に自分の事情を説明したり、説得したりする経験があまりない菅家さんは、多くの交渉事や説明では「結論から言う」ということを知らない。そういう場でのコミュニケーションの機会があまりなかったからだ。

 身柄を拘束されていた頃には、コミュニケーションの能力はもっと弱く、佐藤弁護士も裁判で知的障害の可能性があると主張していたくらいだ(ところが、釈放後、こうやってインタビューを受ける機会が増えて、菅家さんのコミュニケーション能力が飛躍的に向上。人が言うことに、オヤジギャクを交えて返すほどになった。その変化に、佐藤弁護士も驚いている)。

 そして、菅家さんの特集が終わった後、政治家たちが登場して、政局に関する議論になった。石原伸晃氏や辻本清美氏ら、0.5秒でも空白があればすかさず自己主張をし、人が話している間でも、より大きな声で圧倒しようとする、雄弁な政治家たちが”活発な”議論を展開した。なんと菅家さんと対象的な人たちだろう。

 しかも、日本の刑事手続きを作るのは、こういう雄弁な人たちなのだ。彼らが法律や制度を作るうえで、菅家さんのような人をまったく想定してこなかっただろう。

 権利に精通した裁判官も、弁護士も、あるいは悪事を働きながら何とか言い逃れようとする犯罪者に対峙してきた警察の捜査員も検察官も、菅家さんのような、気が弱くて、波風を立てることが何より苦手な存在は、想定せずに仕事を進めている。しかし、現実には、そういう人たちは決して例外的に少ないわけではなく、それどころか知的障害者など、自己主張の能力が極めて弱い人たちも刑事手続きに乗っかってきている。けれど、それはないものとして、多くの手続きが進んでいる。つまり、みんなが見て見ぬふりをしてきたのだ。

 今回の事件は、これまで見ないで(あるいは見ないふりをしてきて)いた事柄を、きちんと直視し、そのうえで法や制度を変えなければなければならないのだと教えている。
 
 その一つとして、現在、捜査過程をもっと透明化するために、「可視化」の必要性が論議されている。

 取り調べをすべて可視化する必要性を訴える声に対して、捜査機関は反対を唱え、取り調べの最終段階、自白をまとめて喋る程度ならOKと言っているようだ。

 しかし、菅家さんのように、”任意”の段階で事故を守る砦を完全に破壊されてしまっている例があるわけで、冤罪を防ぐためには、取調室に入った時から、被疑者の様子も分かる形で映像に残しておく必要があるのではないか。
 菅家さんの父親は、息子が逮捕されたショックで亡くなり、母親も無実が明らかになるのを待たずに世を去った。きょうだいなどは、犯罪者の家族ということで、苦労させられてきただろう。冤罪は、その被害者だけでなく、その周囲の人たちの人生をもめちゃめちゃにする。

 そればかりか、被害者や遺族にとっては、真犯人が分からないということになり、まさに何重もの悲劇だ。

 それを考えると、冤罪をなくすための対策は、本当に急務だ。「想定外」のこと、見ぬふりをしてきたことも、しっかりを直視をしなければならない。


足利事件・菅家さんインビュー
http://www.egawashoko.com/c006/000290.html

2009年06月13日

――よろしくお願いします

「テレビでいつも見てましたよ」

――刑務所の中で? 何の番組を?

「あれは確か、関口宏さんの」

――サンデーモーニング?

「そうです。それ見てました」

――日曜日は作業はないから…

「そうなんです。見られるのは9時からなんですが」

――菅家さんがいらしたのは、雑居房?

「雑居房です。今はですね、日曜日だけは、9時から3時半頃まで、それから、また夜7時から9時までは見られるんですよ。それで9時になると寝る時間なんです」

――その時間になると、切られるんですよね。

「自動的に消えちゃうんです」

――何を見ようか、っていうのは?

「自由です」

――誰が決めるの?

「やはりですね、一週間交替で、決める。今週は自分だとすると、来週は相手。一週間おきになっちゃうんですよ」

――刑務所にいたときに、誰かとケンカしたことあります?

「そういうことはないですね」

――でも嫌なこと、いっぱいありましたでしょ?

「嫌なことはありますね」

――例えば?

「自分がね、入所してすぐ、(同房の人に)一週間は菅家さんはお客なんだからと言われました。それで、一週間のあいだに、見ててもらって、全部覚えろというんですよ。布団のあげかた、毛布の揃え方、トイレ掃除、窓の拭き方、全部覚えろっていうんですよ。ところが、誰も一週間じゃ覚えることはできなかったんです。自分だけじゃなく。新しい人が来るとみんなその人が命じるんですよ。絶対一週間以内で全部覚えろと。誰も覚える人いないんですよ。全然無理ですよ」

――できなかったら、怒鳴られたりするんですか?

「怒鳴られましたよ」

――どんなふうに?

「殴られたり、肋骨を2本折られて。洗面器の中に水をいっぱい入れられて、顔を頭から押さえつけられて、もがきましたよ、私は」

――どういう人なんですか、そんな事をするのは?

「その人は昔、暴走族だったんですよ。ものすごい乱暴者で。自分だけじゃなくて、他の人にもやったらしいんですよ」

――そういう人と同じ房だった

「そうです、そうです」

――それに対して、抗議したりしなかったんですか?

「できないですよ、自分は。入ったばかりで…。その人は17年いるんですよ。無期懲役で。だから、あれから8年経ちましたから、20何年いるんです」

――でも、そういう時のために刑務所の職員がいるじゃないですか?

「それを(刑務官に)言ったら大変ですよ。殺されちゃいますよ。自分はそんな目にあいましたから。12月の寒い時ですよ。トイレの中へ、裸で、すっぽんぽんですよ。閉じこめられたんですよ、一晩中ですよ。『てめえ、中入ってな、こごんでろ!』こういう風に、(便器を)またいでろって言われたんですよ。

 しまいには、『しょんべん飲め』とか。溜まってるんですよ。タワシの中にこういう、タワシを置く入れ物がありますよね。溜まっちゃうんですよ、どうしても。それを飲めっていうんですよ。それからあと、もう一つ。うんこですよ。食えっていうんですよ。そういうんですよ。

――そんなひどい事されて、房を変えてくれって言えなかったの?

「その時は、入ったばかりで…。「言ったら殺す」っていわれるんですよ(だから言えなかった)」

――いじめられた時に、抗議とかしない方ですか?

「できなかったですよ。もう、性格ですよね。自分は気が弱くて、言い返す、それは出来なかったですよ」

――事件の前にお仕事されてましたけど、社会でも嫌なこととかあっただろうけど、そういう時は抗議したりケンカしたりはしなかった?

「そういうことは、ありませんでしたね。おとなしい性格で、人に対して攻撃、できない質でした」

――ましてや、刑事さんに言われたときに、言い返すっていうのは?

「出来なかったですね」

――思いもよらなかった?

「思いも寄らなかったです」

――事件が起きる1990年まで普通に生活してて、それまで、警察ってどんな所だと思ってました?

「やはり警察というところは、市民を守る。そういう風に思ってました。ところが、実際に自分がね、無実の罪でね、捕まって、取り調べをされて、髪の毛をひっぱったり、蹴飛ばされたりしてね。取り調べのときね、私はね、『やってない』『やってない』と言ってたんですよ。ところがね、頑として聞き入れてくれなくて。(語気を強めて)『お前がやったんだ!』と、こうですよ。デカい声で。『証拠があるんだ』と。でもその時、言い返すことが、自分はできなかったんですよ」

――その時はどんな気持ちでしたか?

「もう、ムヤムヤもやもやしてて…。何も考えてなかったですね」

――この時に、「やりました」と言ったら、自分は刑務所へいっちゃうとか、死刑になっちゃうとか、そういうことは考えていました?

「考えてません。やはり、自分は事件のことは、全く身に覚えがないので、死刑になるとか、刑務所に送られるとか、全然考えてません。はい」

――例えば自白したら、逮捕されて裁判になるとは考えてました?

「それは考えてましたけど、でも、死刑とかは全く考えてなかった」

――逮捕される前、事件があって、その後に交番のおまわりさんが訪ねてきたときがありましたよね?その時も、そういうことは全然考えていなかった?

「もう全然。ビクビクなんて全然してませんよ。事件には関係ないんですから。やってないんですから。だから、1年間(警察に)尾行されていたと(後から)言われたんですが、自分は全然気がつかなかったです」

「(逮捕の)確か1年前だと思うんですが、交番のおまわりさんが来たんですよ。それで、『上がってもいいか?』っていうんですよ。『いいよ』っていって。もう自分としては、何のやましいところはないんですから。上げたんですよ。それで、『ちょっと悪いけど、押入れ開けてくれる?』って言われたんですよ。そうすると、自分が秋葉原で買ってきた、そういうテープレコーダーですね、何が入ってるんだ?っていうから見せたんですよ。『ああ、そうかそうか』と。それから、『灰皿貸してくれないか?』というんですよ。『ああ、どうぞどうぞ』って(灰皿を出した)。何本吸ったんだろうな、すごいですよ。30分の間に10本くらい吸ってましたよ」

――その時に『お前があやしい』というような話は?

「全然ありません」。

――では、自分が疑われているって、いつ気がついたんですか?

「(仕事で)幼稚園の送迎やってました。それで、まあ、刑事がきたわけですよ、幼稚園に。それも、後になって聞いたんですけど、刑事が来たとか。それで、自分がね、解雇されたんですよ。その後ですけどね。気がついた、っていうか、教わったっていうか…」

――誰かから言われたんですか、疑われるぞ、って?

「自分は辞めさせられて、他の幼稚園に行ったんですよ。もう一度送迎やろうと。そこの幼稚園行っても、二日間でまた辞めさせられたんですよ。その辺で、おかしいと思ったんです」

――そういう辞めさせる時に、相手を問いつめたりしなかったんですか?

「全然しなかったんですよ」

――だって真面目にやってる訳でしょ、仕事は?

「そうそう、自分としてはね。真面目にやってるつもりなんですよ。一切事故も起こしたこともないし。だから、保育園の送迎やったときも、先生に、信頼されていた訳ですよ、私は」

――なのに、クビにするのおかしいじゃないか、って言わなかったんですか?

「言わなかったんです、そこが。だから、自分、何回も言いますけど、気持ちが小さいんですよ。気持ちが小さくて、問いつめるってことが全然出来なかったんですよ。今ならですね、聞きたいですよ。どうして、クビにするんだ、と。今ならですよ。その時は、なんて言うんですかね。性格というんですかね、気が小さいというんですかね。気が小さかったですよ。

 少し気持ちが変わったのは、刑務所に入ってからですよ。入ってから、入所したときは殴られましたよ。しかし、1年から2年経った時点で、同僚の人に、『菅家さん、気が小さいなあ。もっと強くなれよ』と言われたことがあるんですよ。

 それまでは、中でケンカしてる人を見ても、自分は壁の方へ離れていったんですよ。関係していたくないから。端のほうへ行って、知らんぷりしてたんですよ。でも、『そうか、やっぱりもっと気を強く持とうと、決心したわけですよ』

――菅家さん自身は、ケンカしたことあります?

「いや、ないですけど……」

――じゃあ、ケンカしてる人を注意したり?

「したことあるんですよ。『ケンカしない方がいいよ』なんて言ったんですよ。で、何て言うんですかね。自分も気が強くなっちゃったんですよ、急に。ケンカするのだったら、自分からね、注意してやろうと思いましたね。

――菅家さん、中にいたときに懲罰受けたことあります?

「ないです。一度もありません。一回もないです」

――そうでしょうね…。争い事とか、モメ事とかは好きじゃないのね?

「全然ダメです」

――論争なんかも苦手だろうなと思うんですけど。

「苦手ですよね」

――事件に戻りますが、いわゆる事情聴取っていうのは、逮捕の前にはなかったんですか?

「全然ありません」

――では、いきなりですか?

「いきなりです。刑事が、いきなり来たんですよ。

――連れて行かれる時は、どんな状況だったんですか?

「自分がね、午前7時頃に起きたんですよ。パジャマ姿です。玄関の方で音がするんですよ。誰だろうな、と。カーテンと鍵を開けましたら、『菅家、いる?警察だ』っていうんですよ。開けたら、ドカドカって入り込んできて。なんだこの野郎、と思ったら、『おう、そこ座りや』」って言うんですよ、刑事が。で、言われたまま、座ったわけですよ。そしたら、『お前、子ども殺したな』って言うんですよ。『子ども?! 知りませんよ』って言ったんですよ。そしたら、言った途端に肘鉄砲ですよ。自分をドーンと突き飛ばして。自分はどんとひっくり返って、ガラスが割れるわけですよ。もう少しで頭ぶつかりそうでしたよ。もしぶつかってたら、切っちゃってましたよ。

 もう1人の刑事が、ポケットから写真を出したんですよ。その写真が、真美ちゃんなんですよ。自分も、真美ちゃんの写真に見覚えがあるんですよ。その見覚えっていうのは、パチンコ屋さんの、入り口に貼ってあるのと同じなんですよ。

――情報提供を求めるポスターね?

「そうです、そうです。そうか、それと同じなんだな。と。それで、自分が疑われてるんだなって」

――じゃあ、本当に当日なんだ、自分が疑われてるってはっきり知ったのは?

「それまでは(よく分からなかった)。自分がね、『今日は保育園の先生の結婚式に行くんですよ』って言った。そしたら、『そんなの、どうでもいいんだ!』って。頭きましたよ。

――頭に来ても、反抗はできなかった…。

「ダメです。それで、今から警察いくからな、と。そのまま」

――着替えはしたんですか?

「着替えはしました。着替えてそのまま。任意同行じゃないですよ、強制ですよ」

――今は、任意同行って分かってらっしゃるけど、当時は?

「よく分からなかったですよ。今思うと、任意と強制、違いますよね。でも、当時は全然分からなくて…」
江:警察が行くと言うからには、行かないといけない、と?
「そうですよ」

――それで行ったら?

「取り調べですよ。30分位待った、中で。刑事が入ってきて、今から調べを始めるからと」

――取り調べの時に、自分が喋りたくないことは喋らなくてもいいという黙秘権は告げられました?
「それは、自分は聞いてないと思う。裁判の時は、聞いたと思う。その時は聞かなかった」

――その日は遅くまで取り調べを受けましたよね?

「今からやるからと。「お前は子どもを殺したんだな」と。自分はやってないですから、『やってませんよ!』と。『お前がやったんだ』『やってませんよ』と。それの繰り返し。一日中。それで、夕飯が終わってから、『証拠がある』と。証拠があるとしても、自分は何の事か分からないし。当時、DNA鑑定のことは自分も分からないし。刑事も知らないと思う、DNAって。『やってる』とか、『やってない』って。同じようなこと(をずっとやりとりしていた)。夜10時くらいになって、これじゃあ、自分は帰れないと。もういいや、どうにでもなれと。『はい、分かりました、自分がやりましたよ』と言ったら『おお、そうか』と。こうですよ。その日は(取り調べは)それで終わったんです」

――その自白の時に、警察の人が言うのは、菅家さんが警察官の手をとって泣き崩れたと?

「それはありました」

――その時の気持ちは?
「悔しい涙でしたよ。やったとか、やらなかったとか、そういうんじゃないですよ。悔し涙ですよ。自分はやってないのに、どうしてこんな事されなきゃならないの?って、ずーっと思ってました」

――悔しさのあまり?

「そういうことですよ。やって、泣いてたんじゃないですよ。悔し涙ですよ。本当に。だから今だったらハッキリと言いますよ、やってないと。当時は、何も分からないですから。本当に初めてで。警察というのは、市民を守ってくれると、ずっと思ってましたから。なのに『お前がやったんだ』と言われるとは思ってないし」

――お前がやったとなった後、結構細かいストーリーが出てきますよね?それはどういう風に作られた?

「事件当日、幼稚園の勤めに行ってたんですよ。送迎で。それで、実家から幼稚園まではバイクで通勤してたんですよ。それで、幼稚園の送迎が終わって、土曜日ですから、車の中を少し掃除して、実家に帰っていったわけですよ、バイクで。それで、うちへ帰ってきて、即席ラーメンですけど、食べて、バイクでなくて、自転車で行ったわけですよ、菓子屋まで。それで、菓子屋まで行ったんですけど。その日は、事件があった日なんですけど、私は自転車で行ったんですよね、菓子屋まで。その日は、自転車を使ってたんだから、自転車で、真美ちゃんを乗せたことにして、現場まで行ったことにしたんですよ。自分で作ったんですよ、それは」

――なんで、そんな話まで作っちゃったんですか?

「やはり、そういう風にね、言わないと、なかなか刑事っていうのは、なんていうんですかね、『おお、そうか』とか言ってくれないですからね。適当に、自分で、作っちゃったんです」

――作ると、刑事さんは納得するんですか?

「分からないですもん、真犯人がどうやったか。だから自分で適当に、真美ちゃんをパチンコ屋さんから、載せて、土手から下りになるんですよ。下って野球場がある。ネットの後ろいって、河川敷いって、おろして、自転車そのままにして、真美ちゃんをおろして、なんていうんですか、ムラムラっていう言葉を使って、真美ちゃんのクビ締めて殺して、抱いて、現場まで行ったと言ったんですよ。

――そのストーリーは、刑事は納得した?

「納得したというか、そうですよ」

――現場は行ったことのある場所だったんですか?

「そこはないですよ。全然」

――行ったことない場所については、想像したんですか?

「想像です。橋の上から見えるんですよ、だいたい。河川敷も見えますし。それで、自転車おいて、真美ちゃんのクビ締めて、抱いて、おいて、自分は逃げたと、と(言ったんです)」

――客観的な事実と、菅家さんのストーリーが違うときはありませんでしたか?

「それは、たまにありますね」

――そういう時は、どんな風に言われましたか

「それは、(実況見分で)。警察官と現場に行ったときに、刑事が、『真美ちゃんの死体はどこにあるんだ?』と。自分は分からないから、(適当に)『ここです』と言った。すると刑事は『違う、もうちょっと向こうだ』と言って、『ここだ』と(別の場所を示した)。それで、ここかと思った。自分は(遺体のあった場所を)分かりませんから」

――違うって、警察官が教えてくれた?

「教えてくれるんですよ、違う、ここだって」

(ここで佐藤弁護士が補足説明。「殺した場所以外は、彼の言うことで警察は納得するんです。遺体があった場所教えて貰って、あとは、彼が言う通りに調書とってるんですよ。警察も(犯人の経路や行為の詳細は)分からないし」。首の絞め方も、菅家さんが説明する通りの両手で絞める方法が調書にされた。法医学者によれば、遺体の状況からは、そうではなく、片手で絞めたと考えられるが、この時の栃木県警はそうした殺害状況にはあまりこだわらなかった。「普通は、これじゃ満足しないですよ。でもDNA鑑定があるから、もうそれで、いいんだ、と。判決でも、足りない部分はDNAが補っているんですよ」と佐藤弁護士)

――捜査の途中で弁護士さんがつきましたね。自分がやってないっていうのを、会った弁護士さんに訴えよう、というのは思いませんでしたか?

「その時は、思わなかったですよね」

――なんでかしら?弁護士さんに対して、本当の事言いたいという気持ちはなかった?
「それはありましたけど、でも、それを言うと怒られるとか、そういう風に思ってましたね」

――え、誰に?!

「弁護士に」

――え? じゃあ、弁護士はやってると思いこんでる感じ?

「そうです、そうです」

――それなのに、やってないと言ったら怒られると思った?

「そうです、そうです」


――弁護士さんについては、どんなイメージを持っていました?

「いや、イメージも何も、分からないですよ。何も知らない。弁護士という言葉も分からなかったし、検察も分からなかったし。ただ分かっていたのは警察ですよ。市民を守る。それぐらいしか分かってません」

――じゃあ、弁護士の役割って分からなかったんだ?

「全然分かりません。何も分からなかったんですよ」

――弁護士から「君を守るために来たんだ」という説明はなかった?

「全然ないですよ。だから、何も分からないですよ、自分は」

――検察と弁護士の違いも?

「全然分かりません。本当に」

佐藤「今の点は、弁護士に非常に深刻な反省を迫ってる所なんです。DNA鑑定で捕まったと報道されている中、お兄さんがなけなしのお金をはたいて、私選弁護士を頼んだんですよ。

弁護士さんも犯人だと思っちゃったんですよ。それで、『菅家さん、本当にやったんですか?』って聞いたんです。そう聞かれるから、『この弁護士さんも、自分のこと犯人だと思っちゃってるな』と思って、最初はメソメソ泣いてたんですって。

それでね、3回目かなんかに『やりました』って言っちゃって。それを聞いて弁護士さんも安心しちゃって、外の待ってる記者に向かって、『とうとう私の前でも自白しました、間違いありません』って言って、これで良かったと弁護士さんも思ってしまった。

 こんなおとなしい人で、(警察で)すぐ潰されちゃってるでしょ。そのうえ、弁護士の役割も分かっていない。弁護士は、よっぽど『本当のことを言っていいんだよ』って言ってあげないと、本人の心には届かないですよね。

 起訴された後、警察から拘置所に移って、家族に対して手紙が書けるようになった。弁護士には、全然真実は言えなかったんだけど、唯一、家族には、僕はやってませんと書き続けるんですよ。お兄さんは、おかしいなと思って、ある日弁護士に19通の手紙を届けるんですね。ところが、お兄さんがまた大人しい人で、弁護士さんが留守だったので、(事務所に)手紙を届けただけで帰っちゃうんですよ。

弁護士さんは手紙を読みまして無実って書いてますね。ずっとやってますと認めてて、家族に無実って書いてあるの、どういう意味だった聞いたんですよ。そしたらね、菅家さんは『無実ってことは、やってないっていうことで』って言ったんですよ。『やってないって、どういう事だ、今まで言ってたことは違うのか?』って問い詰められて『はい、そうです』って泣き崩れちゃうんですよ。

――弁護士さんに最初会ったとき、どんな人でした?
「年がいった人で、なんか、怖いような印象が残ってる。だから、やってないと言うと、怒る、そういう風に思ってました」
――実際に、弁護士さんに怒られたこともありますか?

「それはないですけど、でも、やはり自分としては、気が弱いから、何言われるか分からないと思って…。本当に辛かったですよね。今ならね、絶対ハッキリ言います。当時は、何も分からないもの。弁護士とは、どういう役割。検事さんはどういう役割。当時なんか、何も知らないですもん。突然ですから、本当に分からなかった。何も分からないで…」

――裁判が始まって、法廷でも自白を維持されてましたね。裁判官に本当のことを言おうとは思いませんでしたか?

「その当時は、思わなかったんですね。どうしてかと言われると、あれなんですけど。本当にね、何にも分からないですから。ただ、怖い。それしか思ってなかったですね。当時は、刑事がいると思ってたんですよ、傍聴席に。だから、何かやだな、やだな、と思ってて。そのまま、やった風になっちゃったんですよ」

――裁判官も怖かったんですか?

「そうです、そうです。そうです。だから周りの人はみんな怖い人だと思ってましたよ」

――裁判でも犯行の状況を身振りまで混ぜてされましたよね?なんでそこまで具体的にされてた?

「やはり、そういう風に説明しないと、何ていうんですかね、怒鳴られる、怒られる、そういう気持ちだけでしたよ。だから、当時のことを思うと、今ですけど、なんで自分はハッキリものが言えなかったんだろう、そう思ってますよ、今は」

――裁判始まったとき、このままだと自分は刑務所に入れられるとか、死刑になるかもとか?

「死刑とかそういうことは、全然頭になかったですよ。全然なかった。自分はやってない、そういう気持ちでいましたから」

――被害者のご遺族が、菅家さんを極刑にして欲しいと調書の中で言っているでしょう? それを聞いて、どうでした?

「やっぱり、動揺はしましたよ。自分はやってないけど、もし死刑にされたら困るなと、その時思いましたけど、それで求刑になって、無期懲役ですよね。それで、弁護士の先生に、『無期懲役は嫌ですよ』って言ったんです。『そうか、嫌か』と。それで終わっちゃったんですよ。もう、話なんか聞くような関係じゃないですよ」

――判決で、無期懲役と言われたときは、どんな気持ちでしたか?

「冗談じゃない、と。やってないのに、なんで無期懲役だと。そう思いましたよ」

――一審の途中で一度否認をして、すぐに撤回して、その後論告・求刑の後、再び否認に転じて、以後は否認を貫いていますね。真実を言うと強い決心をしたのは、何かきっかけがあった?

「それは、支援者の方が面会に来てくれたんですよ。それからですよ。

――支援者の方っていうのは、どういう繋がりなんですか?

「繋がりはないんですよ。全く知らない人で」

――どういうところから、支援してくれるようになったんですか?

「最初、その人から手紙をもらったんですよ。手紙をもらった後に、1か月くらい先だったと思いますが、面会に来てくれたんですよ。それで、『私は絶対やってません。これからもお願いします』と頼んだ訳ですよ。それからです」

――その人の手紙を読んだり会ったりした時に、どんな気持ちになりましたか?

「『そうか。こういう人がいるんだ』と。自分は、気が強くなっちゃった訳ですよ。それまでは、誰もいないんですよ、周りには」

――信じてくれる人が?

「そうです。で、その人が来てくれたおかげで自分は、よし、これから頑張ろうと。そういう気持ちになりましたよ」

――その方が、真実はちゃんと言った方がいいですよと?

「言われましたよ。本当のことを言いなさい、と」

――信じてくれる人がいるって、違いますか?

「そうなんですよ。だから、そういう人が出てきたおかげで、自分も救われたんですよ。もし、その人が来てくれなかったら、自分は、終わりでしたよ。無期懲役のまんまで。もう、終身刑と同じですよ」

――それで、頑張ろうと思って?

「そうです」

――その後、控訴審から佐藤弁護士が着きましたよね。佐藤先生は、自分のことを信じてくれてると、感じました?
「感じました。感じましたよ。もし、佐藤先生がついてくれなかったら、今の自分はなかったですよ。釈放もありません。なにもありません。人生終わりですよ」

――佐藤先生が、最初面会に来てくれたこと、覚えていますか?

「ええ、覚えてます。この先生なら絶対俺を救ってくれるんだと、思いましたよ。ピンときましたよ。本当に」

――でも、それから15年。佐藤先生がついてくれたからと思ったけど、すんなり順調にはいかないですね。

「順調にはいかないけど、でも、私は、佐藤先生を絶対信じてましたから、本当に。本当に信じてましたよ」

――でも、高等裁判所は信じてくれなかった。高裁の判決聞いたときは、どんな気持ちでした?

「やっぱり悔しかったですよ。ふざけんな、この野郎!と思いましたよ」

佐藤「控訴棄却と言われるでしょ、そうしたら菅家さんは『裁判長』って手を挙げたんですよ。『私、やってません』って。もう判決終わりですよ。で、裁判長が、『そういう事は弁護人に相談するように』って終わっちゃった」

――裁判官には一言言わずにはおれなかった?

「そうです、そうです」

――その判決を受けた後、拘置所に戻りますよね。どうして一晩過ごしてました?

「全然眠れなかったですよ」

――悔しくて?

「そうです」

――もう、これダメかな、と思いました?

「いや、そういう事は全然考えてません。ダメかなとは、考えてません。本当にダメかな、と思ったのは一審ですよ。あの弁護士はもう、ダメだと思いましたよ」

――佐藤先生がついたあと、弁護士さんが何人かつきましたよね、みんな信じてくれました?

「信じてくれましたよ。本当ですよ、それは」

――それはやっぱり心強いですか?

「心強かったですよ。だから、まあ、今も話しましたけど、もし佐藤先生がいなかったら、今の自分は無いですよ。(涙)本当に。本当に感謝してますよ。これだけね、すごい弁護士さんいないですよ。自分はそう思いましたよ。本当に。

――いい出会いがあって良かったですね。

「そうですよ」

――それを引き合わせてくれたのは支援者の方ですよね?

「そういうことですよ。その支援者の方にも、自分は感謝してますよ。本当ですよ」

――逆に、怒っているのは、誰に対して怒っていますか?

「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね」

――謝ってほしいとおっしゃいましたね?

「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ちと同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。そのためにね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さないですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」

佐藤「ここへ来る途中ね、空を見ながら『お母さんと、前来たことがある』って」

――この辺(横浜)に?

「東京見物ですよ。当時ね、自分の母親が生きてるときに、自分と兄と、妹、兄の息子で来たんですよ。東京見物に。一緒に来たんですよ。その時の母親、喜んでくれてましたよ(涙、涙、涙)。お前ら、絶対許さないからな。絶対許すもんか(涙)。無実の人間をね、今日まで苦しめてきたんですよ、あの刑事たちは。それも何の話もないんですよ。謝罪もないんですよ。一生許さないですよ、私は。だから、当時の刑事がね、私の家庭をめちゃめちゃにしたんだから……」

――これから、再審やったり、国賠請求やったりすると思うんですけど、これからどうやって生活していきたい?
「自分としては、地元へ帰りたいです。免許証もありますよ。当時、次の年、免許証書き換えの時期だったんですよ。それができなくなっちゃったんですよ」

――でも、帰るのは、なかなか簡単じゃない?
「簡単じゃないですよ」

――一度犯人にされちゃうと、その後…

「大変ですよ、本当に。本当に。もう」

――足利に帰れたら、どんな生活しますか?

「静かに生活したいですよ。またですね、子どもたちの相手をして、送迎をやりたいなー、という気持ちがありますよ」

――子ども、好きなんですね。

「当時の子どもがもう、30いくつになってるんですよ。また会いたいなと思いますよ。

――テレビきっと見てますよ。

「絶対見てますよ。当時の子どもが私のこと『やってない、やってない』って言ってくれていたらしいんですよ。自分はね、(それを聞いて)本当に嬉しかったですよ、だから今ね、30すぎて、どうしてるかなーと思って。会いたいと思ってるんですよ。まあ、それと(会いたいのは)保育園の先生ですね」

――今となっては、もう時効で、被害者のご両親は、真犯人に対して「子どもを返して」と叫ぶことさえできなくなってしまいました

「だから、自分としては、時効、これがあっては絶対ダメだと思ってるんですよ」

――真美ちゃんたちのご両親のことを思うこともありますか?

「あります、あります。だからね、自分は、真美ちゃんの両親に会いに行って、話したいんですよ。本当に」

――ありがとうございました。

(2009年6月7日 横浜市の佐藤弁護士の自宅で)


 冤罪「足利事件」で、栃木県警の石川正一郎本部長が菅家利和さんに直接謝罪することになった、という。

 謝罪ということであれば、謝る側の方が出向くべきであって、謝られる菅家さんの方がわざわざ足を運ぶというのは、なんだか変な気がする。とはいえ、住まいも当面の生活費も用意されることなく、事前の告知もないまま、いきなり釈放されてしまった菅家さんは、主任弁護人の自宅に身を寄せている状態で、県警本部の人たちがどやどやと来られても困る、ということがあるのかもしれない。

 先日、石川本部長名のコメントを刑事部長の記者クラブで代読させ、「これが謝罪とは言えるのか」と批判を招いたこともあったのだろう。比較的早い時期での直接謝罪となったのは、悪いことではない。どういう文言や態度での謝罪になるのか、注目したい。

 いきなり引っ張っていかれて、無理やり自白させられ、挙げ句に刑務所に送られて、合計17年半も拘束されていた菅家さんにとっては、本部長が1回謝っただけで、許せる心境にはならないだろうし、当時の捜査関係者、とりわけ自分に自白を迫った人たちに直接謝ってもらいたいという思いはあるだろう。

 警察や検察の謝罪が、通り一遍のものではなく、本当に実のあるものとするには、直接当人に謝ること以外にも、やらなければならないことがある。たとえば――
 
 *きちんと賠償をする

 *このような冤罪が生まれた原因を究明する
 
 再審で無罪が確定すれば、菅家さんには刑事補償が払われる。その金額は、1日当たり1000円以上12500円以下で、おそらく菅家さんには最高金額が支払われるだろう。

 しかし、刑事補償は失われた財産を補填するという趣旨で行われるもので、警察や検察、裁判所などの誤った権力行使に対する償いとは異なる。失われた17年半を取り戻すのは不可能でも、せめて一定の賠償金を支払って、償いの意思を示してもらいたい。

 しかも、菅家さんには生活の拠点もなければ、生活のあてもない。62歳という年齢を考えれば、これから老後の蓄えをすることは難しいだろうし、十分な年金も得られないだろう。また、無実を晴らすためには、多くの弁護士がこれまで手弁当で弁護活動をやってきたわけで、彼らに対する報酬も払われるべきだ。そのためにも、国と栃木県は話し合って、なるべく早い時期に菅家さんへの賠償金を支払えるように準備をして欲しい、と思う。

 また、菅家さん側は、なぜ無実の罪を着せられることになったのか、その原因を知りたいと願っている。その要請には、警察や検察も、なるべく協力をすべきだ。たとえば菅家さんと弁護団は、再審請求審に、捜査段階で最初のDNA鑑定を行った警察庁科学警察研究所の技官らを証人申請している。そういう申請には反対をすることなく、速やかに証人尋問が実現するようにしてもらいたい。取り調べを担当した栃木県警の捜査員にも、再審などの課程で、どういう経緯で菅家さんに自白をさせるに至ったのか、正直に述べて欲しい。

 警察や検察は、今回の捜査や裁判の進行について、それぞれ内部で検証を行う意向らしい。しかし、特に警察の場合、これまでも誤ちがあっても検証の結果を公表してこなかった。そのため、他の警察が教訓を学ぶこともなく、同じような過ちが繰り返されてきた。今回のことで、そのようなことがあってはならない。ぜひとも、公開の裁判の場などで、原因究明がなされるべきだ。

 それは、何も担当した捜査員をさらし者にして断罪するためではない。

 もしかすると、取り調べを担当した捜査員も、どうしてこのような結果になったのか分からないでいるかもしれない。

 菅家さんを恐怖させ、絶望させた初日の取り調べだが、日頃から凶悪事件の容疑者に対峙している捜査員にとっては、さほど厳しく取り調べた実感はないのではないか、という気がする。最後に、菅家さんが悔し涙にくれながら自白する場面を、捜査員たちは、悔悟の涙と受け取っただろう。ひとたび犯行を認めてしまった後の菅家さんは、捜査員の目には、スラスラと犯行を供述したように映っただろう。

 なのになぜ、このような間違いが起きてしまったのか。それを検証することは、こうした悲劇が繰り返されないために、何をどうすればいいのかを捜査関係者が考えるためにも、どうしても必要なことだ。

 取り調べ課程の全面可視化が必要なことは言を俟たないが、それ以外にも、私たちは考えなければならないことがあるように思う。捜査員らの証言を公開の場で行ってもらいたいのは、これが警察などの捜査関係者だけの問題ではないように感じられるからだ。

 これは私の想像だが、警察庁からDNA鑑定の結果を受けた、栃木県警の捜査本部は、菅家さんが犯人で間違いないと確信しただろう。同時、DNA鑑定はあたかも百発百中の最先端技術であるかのように喧伝されていた。捜査員たちは、DNA鑑定の仕組みや精度なども分からず、とにかく「間違いない」という結論だけを教えられ、取り調べに臨んだのではないだろうか。 

 凶悪事件であればあるほど、犯人が自白して謝罪することを、マスメディアも、一般市民も、そして検察や裁判所も期待している。この事件でも、捜査員たちはそうした期待に応えるべく、使命感をもって取り調べを行ったに違いない。捜査員たちは、社会からの期待を、どのように感じていたのだろうか。そうした期待がプレッシャーとなって、嘘の自白を招くような強引に取り調べに至ったのだとしたら、担当した捜査員や当時の栃木県警の捜査本部だけを責めてすむ問題ではなくなる。

 私たちの社会が、この事件から教訓を得るためにも、公の場での原因究明をしてもらいたい。
 
 また、謝罪がなされるべきは、菅家さん一人だけはない。
 真犯人を取り逃がす結果になったわけで、被害者遺族、地元の市民に対しても、当然、真摯な謝罪がなされるべきだ。

それにしても、この事件で警察や検察以上に責めを負うべき人たちが、責任を認めるわけでもなければ、謝罪するわけでもないことに、とても疑問を感じている。

 冤罪が明らかになると、メディアでも警察や検察が厳しく批判される。それは当然としても、それ以上に批判されて然るべき人たちに対しては、あまり批判がなされない。それどころか、冤罪の被害者を救ったかのような扱いをされることすらある。

 私が冤罪事件で最も責めを負うべきだと思うのは、裁判官である。今回の事件で言えば、とりわけ菅家さんの上告を棄却し、無期懲役刑を確定させてしまった最高裁の裁判官たちだ。具体的に言うと、亀山継夫裁判長と、河合伸一、福田博、北川弘治、梶谷玄ら4裁判官である。

 弁護団は、最高裁の段階で菅家さんの髪の毛を使って独自のDNA鑑定を行った。その結果が科警研の鑑定と違っていることから、再鑑定を請求すると共に、鑑定試料(被害者の衣服)を適切に保存するよう要請した。

 ところが、再三にわたる弁護側の請求を最高裁は無視し続け、上告から5年半後に菅家さんの無実の訴えを退けた。最初の上申書が出されたのは1997年10月で、菅家さんの逮捕からは5年10ヶ月後だ。この時に、再鑑定を行っていれば、もっと早くに菅家さんの無実は明らかになった。菅家さんの失われた17年半のうち、少なくとも11年間は最高裁の5人の裁判官(及び調査官)の責任だ。

 また、上申書が出された時期は、事件発生から7年5ヶ月後で、また公訴時効まで7年半あまりの時間があった。この時点で捜査をやり直せば、真犯人を逮捕する可能性はあったのだ。その点では、被害者に対しても、最高裁は大きな責任を負っている。

 一部報道で、最高裁の関係者が「当時としてはベストのベストを尽くした結果」と述べていると報じられたが、とんでもない話だ。

 最高裁を擁護する意見として、「事実審は高裁までであって、最高裁は法令違反や判例違反を審理する所だから」というものがある。しかし、最高裁が事実について判断してはならない、という決まりがあるはずがない。実際、この4月には、電車内の痴漢事件で罪に問われた防衛大学校の教授が1審2審と有罪判決を受けていたのを、最高裁が破棄して、無罪を自判した。下級審の事実誤認を、最高裁が訂正しただけでなく、早く被告人の座から解放するために、高裁に差し戻すのではなく、自ら判断をしたのだった。私が以前取材したひき逃げ事件でも、同じように1、2審の有罪判決を最高裁が破棄して自ら無罪判決を出していた。

 再鑑定をして自ら事実を判断するのが嫌なら(そういう横着者は、そもそも裁判官にならないでもらいたいが)、高裁に事件を差し戻し、高裁で再鑑定など事実に関する吟味をもう一度行うように命じることだってできた。

 菅家さんを裁いた最高裁の5裁判官は、いずれの道もとらず、しかも被害者の衣服を冷凍保存するなどして、付着した犯人のDNAが破壊しないように努めることすらしなかった。幸いなことに、今回の再鑑定では、無事DNAが完全な形で検出できたからよかったようなものの、そうでなければ、菅家さんの無実を証明するのは難しかっただろう。

 亀山裁判長ら最高裁の裁判官たちは、事実に対する謙虚さに欠け、事実を知ろうという好奇心すら希薄で、その怠慢により無実の人を刑務所に送り込んでしまったのだ。
 
 有罪判決が確定から1年5ヶ月して、菅家さんは宇都宮地裁に再審を請求した。

 この再審請求審で、ようやく被害者の衣服が冷凍保存されることになった。しかし、弁護側が行った再鑑定について、「鑑定に使った毛髪が菅家さんのものである証明がない」として証拠価値を認めず、結局5年2ヶ月近くの歳月をかけて、棄却決定が出された。

 弁護側の再鑑定に使われた髪の毛は、菅家さんが自ら引き抜いて、弁護人への手紙の中に同封したものだ。そういう手法を取らざるをえなかったのは、拘置所・刑務所では、弁護人は面会室でアクリル板越しに会うしかなく、直接の受け渡しができないからだ。もし、鑑定に使われた髪の毛が菅家さんのものではない可能性があると考えるのであれば、裁判所自ら髪の毛を採取して、鑑定を行うようにすればよいのだ。やるべきことをやらずにいた宇都宮地裁も、真実発見に対する姿勢があまりにも薄弱であり怠慢であったと言わざるをえない。 
 結局、最高裁と再審請求の宇都宮地裁で、9年以上の歳月が無駄に費やされたのだ。その間に、事件は公訴時効を迎えた。いったいこの責任は誰が取るのだろうか。
 
 再審請求の宇都宮地裁の裁判官たちにとっては、最高裁の判断と”法的安定性”が、菅家さんの人生や人権、真実を発見することよりも大きかったのだろう。

 確定判決を死守し、めったなことでは改めないことが、司法の信頼につながると多くの裁判官たちは信じているらしい。そういう裁判官たちにとっては、再審を開いて、過去の裁判の過ちを正すことは、裁判所の沽券や面子にかかわることなのだろう。だから、事実を知る努力をするより、どうしたら再審を開かずに済ませられるかが先に立つ。

 今回の事件は、不幸中の幸いで、東京高裁の段階で再鑑定が行われ、菅家さんの無実が明らかになったが、名張毒ブドウ酒事件などでは、有罪を支えた物的証拠がすべて崩れた後になっても、「まだ、捜査段階の自白があるじゃないか」と、再審を認めてもらえない。

 この現実を考えると、再審請求審こそ、国民の司法参加が必要ではないか、と思う。

 一般市民であれば、先輩裁判官に対する遠慮やしがらみはない。”法的安定性”より、事実や人の人生の方を大事に考えるだろう。再審請求が行われるような事件は、発生から時間が経過しており、事件の衝撃や怒りなどの感情も落ち着いて、一般市民も冷静な目で判断できるはずだ。

 そう考えると、一審を裁判員でやるより、むしろ再審請求審の方が、市民が参加する意義やメリットは大きい。

 検察審査会のように、一般市民が法律家などの専門家の助言を受けて判断した方が、最高裁の”権威”や裁判所の面子にとらわらず、まっとうな判断ができるのではないか、と思う。せめて、裁判官だけでなく、それ以上の数の一般市民が加わって判断をする裁判員方式とすべきだ。
 
 それに、そもそも警察の捜査員は自白にこだわるのは、自白調書を裁判所が安易に証拠採用してきた、長い慣例があるからだ。

 無理な取り調べを生む土壌は、裁判所が作り上げてきた、とも言えるのではないか。

 判決だけではない。裁判所は、捜査機関から請求があればホイホイ逮捕状や勾留状や捜索令状を出している。人権の砦であるべき裁判所が、その役割を果さないことが、多くの冤罪を生んでいる。

 なのに、裁判所にはその自覚がなさすぎる。
 
 富山の冤罪では、再審が開かれたが、その公判で裁判長が「被告人、前に出なさい」と命令する偉そうな態度をとっているのを傍聴席から見ていて、怒りがこみ上げてきた。

 自分たちの先輩が、一人の人間の人生をめちゃめちゃにしたという自覚も反省も謝罪も、まるでないのだ。
 誤ったら謝る――子どもにも分かる、こんな当たり前のことを、改めて裁判官に説かなくてはならないのは淋しい限りだが、間違ったら誠実に謝ってこそ、国民の裁判所に対する信頼は取り戻せることを、よくよく認識してもらいたい。

 そこで思い出すのは、吉田巌窟王事件と呼ばれる冤罪事件の再審判決だ。大正時代に起きた強盗殺人事件で、犯人の二人が自分たちの責任を軽くするために第三者を主犯にでっち上げる供述を行ったことから、吉田石松さんが逮捕された。一審は死刑だったが、二審は無期懲役となり、最高裁で確定した。事件発生から22年後に仮出所してから、自分を罪に陥れた男たちを探し出し、再審請求を重ね、事件から約50年後に、ついに再審を勝ち取った。

 名古屋高裁で行われた再審で無罪が言い渡された。その判決文を、小林登一裁判長は、次のように結んでいる。
 
「当裁判所は、被告人、否、ここでは被告人というに忍びず、吉田翁と呼ぼう、われわれの先輩が翁に対しておかした過誤を、ひたすら陳謝すると共に、実に半世紀の久しきに亘り、よくあらゆる迫害にたえ、自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈の正に驚嘆すべき精神力、生命力に対して、深甚なる経緯を表しつつ、翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である」
 
 そして小林裁判長は、左右の陪席裁判官を促して、裁判官席から被告人席の吉田氏に頭を下げた、という。
 検察側は上告を断念し、無罪が確定。だが吉田氏は、それから1年もしないうちに亡くなった。まさに雪冤のための人生となってしまった。さぞかし悔しかったことだろうと思うが、裁判官たちの謝罪があったことで、少しは報われた気持ちになったのではないだろうか。
 
 果たして、菅家さんの再審請求審や再審で裁判官たちはどういう対応をするのだろうか。 そこに、私は注目したい。
 
 
 さらに、一審を担当した弁護人の責任も大きい。

 公判中、面会にもほとんど行っていないようだし、菅家さんが勇気をふるって無実を訴えた時に、それを再び引っ込めてしまったのは、弁護士に諭されたからだったという。

 富山事件でも、弁護士が弁護人としての職責をきちんと果たさなかったことが指摘されている。
 足利事件も、一審での弁護活動がもう少しまともになされていれば、菅家さんが服役するような事態は避けられたかもしれない。

 未だに当時の弁護人から謝罪の言葉は出ていないようである。この問題について、弁護士会はどう取り組むのかについても、合わせて注目していたい。 

【東京地検特捜部】 朝鮮総連本部ビルの売却問題

 この緒方氏の朝鮮総連本部ビルの売却問題も少々異様な事件であった。2009年6月17日に最終弁論が行われている。いろいろな噂が流れ、何が真実なのか見えてはこないのであるが、官邸の力や時の総理を忖度したのと言われた事件であった。


07年6月、安倍晋三政権下で社会的耳目を集めた「朝鮮総連本部ビル売却問題」。この事件は当初、東京地検特捜部が電磁的公正証書元本不実記録などの疑いで関係先を家宅捜索したことから、朝鮮総連およびその代理人弁護士らを含む「競売妨害」事件として立件されるのではないか、と見られた。ところが、ご存じのように、事件はいつの間にか朝鮮総連を被害者とする詐欺容疑に切り替えられ、元公安調査庁長官の緒方重威(しげたけ)、元不動産会社社長の満井忠男被告ら3人が逮捕・起訴された。

こうして詐欺罪に問われた緒方、満井両被告の公判は37回を重ね、今月17日に結審した。その中で緒方被告は「(中央本部を差しおさえられそうだった)朝鮮総連の窮状を見かねて取引を行った。利得目的ではない」と無罪を主張。弁護側も「大声で脅迫するなど異常な取り調べを行い、検察側が思い描いたストーリーに沿うように供述を作り上げた」と批判したという。一方、検察側は「公安調査庁長官などの経歴を利用した巧妙かつ悪質な犯行」として両被告にそれぞれ懲役5年を求刑した。

ここで改めて、検察側が描く「事件の構図」を簡単に振り返っておきたい。緒方被告らは総連側から、購入代金35億円を提供する投資家がいるかのように装い、所有権移転登記をして総連中央本部の土地・建物をだまし取り、実体のない事業の違約金名目で総額4憶8400万円を詐取した、というものだ。

ところが最近になって、この取引のスキームをつくったとされる元銀行員の河江浩司氏(=有罪確定)が上申書(=左写真)を出していたことが分かった。その中で河江氏は、総連本部ビル買収の資金調達先として「富士薬品」(さいたま市)に話を持ち込み、同社役員らと複数回にわたる具体的な交渉を続け、「富士薬品でも『非常に面白い』と取引に強い関心を示し」た、との驚くべき証言をしている。

ところが、総連本部ビル事件が発生したため、社会的信用の失墜を極端に畏れた富士薬品側は態度を豹変させ、「その話は確かにあったが、すぐにお断りした。従って交渉ごとなどは一切無かった」の一点張りで検察の事情聴取に対応したという。河江氏は上申書の最後を次のように締めくくっている。

<正直私は呆然としました。今にも取引を成立させるといった勢い、意気込みを見せていたのは他ならぬ富士薬品だったからです。それをひた隠しにして「何もなかった」と検事の前で言を繰り返したことで、私は裏切りそのものだと実感を持つと同時に、無実の証が潰えたと落胆しました。私は交渉が間違いなくあったことを何度も繰り返し申し述べたのですが、取調べ検事に受け入れられなかったことが今でも悔しくてなりません。> 

もっとも、この上申書が公判で証拠として採用されたかどうかは今のところ不明だ。MSN産経ニュース(=左写真)を見る限り、緒方被告の弁護人最終弁論でも、「自己の虚偽供述により、被告人や満井を陥れてでも、巧みに立ち回り最小限の責任しか取らずに逃げ切るべき強烈な動機も存在したことも見逃されるべきものではありません」と、二転三転した河江氏の供述、証言は「任意性がない」と断じている。しかし、この上申書は河江氏の有罪が確定した後に作成されたもので、すでに「逃げ切るべき強烈な動機」も存在しない。したがって、真実が含まれている可能性は非常に高いのではないか。仮に河江氏の言うことが本当なら、具体的な資金調達の交渉は存在し、総連本部ビルなどを詐取する目的だったという検察側の構図は大きく崩れることになる。

しかも、「富士薬品」という会社は資金量も豊富で、調達先として非常に有力だった。同社は未上場ながら、従業員4082人(=09年3月末現在)を抱える配置薬販売の最大手で、民間調査会社の資料などによると、08年3月期の売上高は1367億円に達する。同社は高柳一族が支配しているが、現在は2代目の高柳昌幸氏が社長に就任している。
「先代の貞夫氏は昨年、体調を崩し、経営の一線から身を引いた。実は、この貞夫氏は仕手筋の金主として有名な人物で、不動産投資にも相当のめり込んでいた。河江の総連本部ビル売却話に飛び付く素地は十分にあったと思う。貞夫氏が抱え込んでしまった不良債権は200億円を超えるとさえ言われている。その中にはいわゆる事件物も少なくない」(関係者)

この間、本誌は、河江氏の上申書の内容を「富士薬品」社長室に伝え、事実確認などを求めてきたが、現在に至るまで回答は一切ない。しかし、朝鮮総連本部ビルの他にも、同社の不動産投資案件は反社会勢力と思われるフロント企業、事件屋などが数多く関わっている。すでに本誌は、その個別案件を複数把握しており、詳細が分かり次第お伝えしたい。
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朝鮮総連ビル売却、緒方重威元公安調査庁長官問題メモ

 気乗りのしない話題だし私なんかに真相に迫れるはずもないが、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)中央本部のビルと敷地が、緒方重威元公安調査庁長官(七三)を代表取締役とする投資顧問会社に売却されそうになった件について、自分なりのメモを記しておこう。
 まずシンプルに何が問題なのか。一般向けに書かれた十五日付朝日新聞社説”総連本部売却―取引にも捜査にも驚いた”(参照)を借りる。

 公安調査庁といえば、暴力的な活動をする恐れのある団体の調査が主な仕事だ。朝鮮総連も対象とされる。監視する側の元トップが、監視される側と土地取引をしていたわけだ。
 さらに驚いたことに、東京地検特捜部がすかさず元長官の自宅などを捜索した。所有権移転の登記に偽装の疑いがあるというのだ。

 ここでの朝日新聞的な問題点をまとめると、(一)危険性のある団体を監視する機関の元トップがその団体と金銭取引をしていた、(二)取引に偽装の疑いがある、の二点ということになる。
 一点目の問題については朝日新聞の説明だけ聞いていると違法性があるとも言えないように思える。では二点が問題かというと常識的に考えてもそういう話でもあるまい。この先、朝日新聞社説は、朝鮮総連ビルが競売されることを避けるためだろうという話を説明している。ただ、そこが私などにはわかりづらい。
 この点は朝日新聞より一日早く論じた十四日付け読売新聞社説”元公安庁長官 朝鮮総連との取引は論外だ”(参照)がわかりやすい。

 しかし、今の時点で朝鮮総連が保有資産を売却すること自体、極めて問題のある行為と言わざるを得ない。
 在日朝鮮人系の計16の朝銀信用組合が1990年代後半以降、相次いで破綻(はたん)した。各信組が架空名義などを使って朝鮮総連に融資し、焦げ付いた額は約628億円に上り、整理回収機構が返還を求めて総連を提訴していた。
 その判決が来週18日に東京地裁で言い渡されることになっている。
 同機構は旧経営陣などに対する刑事告訴・告発や損害賠償請求の訴えを起こしてきた。そうした裁判の中で、朝鮮総連が朝銀信組を長年にわたって私物化していた実態がわかっている。朝銀信組の破綻は、朝鮮総連に対する乱脈融資が大きな要因だった。
 しかも、朝銀信組には、預金者保護などの名目で総額1兆円以上の公的資金が投入された。朝鮮総連からの債権の回収に全力を挙げるのは当然である。
 判決を前に、敗訴に備えた取引だったとすれば悪質だ。本部の明け渡しや将来の競売を逃れる意図はなかったのか。同機構の活動を妨害することにもなる。

 つまり、朝鮮総連が保有資産を売却すること自体が問題なのだ、と。
 明日十八日の東京地裁判決で、朝鮮総連から債権が回収される公算は大きい。その時、朝鮮総連ビルの競売を避けるために。話のわかるスジに売却したのではないか。
 そうなのだろう。つまり、緒方重威元公安調査庁長官は、朝鮮総連の拠点を守りたかったというのが、この事件のある意味でマクロ的な意味なのだろうし、同社説では次のように、緒方の言葉を伝えている。

元長官は、「在日朝鮮人が中央本部で活動している現実を踏まえ、在日朝鮮人の権利擁護のために行った。北朝鮮を利するつもりはない」と説明している。

 弁明は十三日付け朝日新聞記事”資金調達難航、断念の可能性も”(参照)が詳しい。

引き受けた理由については「総連は違法行為をし、日本に迷惑をかけている。だが中央本部は実質的に北朝鮮の大使館の機能を持ち、在日朝鮮人の権利保護の機能も果たしている。大使館を分解して追い出せば在日のよりどころはなくなり、棄民になってしまう」「満州(現中国東北部)から必死に引き揚げ、祖国を強く感じたことを思い出し、自分の琴線に触れた」などと語った。

 十五日付け産経新聞産経抄では次の一言を伝えている。

緒方氏は会見で、「いずれ歴史が私のしたことを分かってくれる」と言うばかり。小欄が歴史からくみ取るのは、北朝鮮が繰り出す謀略に、日本の対応が甘すぎたという反省ばかりなのだが。

 緒方重威元公安調査庁長官は今回の行動になぜだか信念をもっていたと見ていいだろうし、率直に言って、私の印象だが老人惚けの一種なのではないか。
 だが、巨額なカネのからむ件でもあり、緒方の信条とか惚けとかで済む話ではない。この点は先の朝日新聞社説の(二)の問題点の補足が詳しい。

 元長官に売ったのは、競売されることを避けようとしたからだ。それ自体に違法性はないが、問題は本当に売買が成立していたか疑わしいことだ。移転登記がされたのに、実際の支払いは済んでいなかった。外から見れば、売買を装ったと言われても仕方があるまい。
 こんな方法を取ったのは、実際に資金を出す人の強い意向だった。判決前に受け取るめどが立っていた。判決前に調達できなければ登記は元に戻す。これが、元長官に取得を頼んだ総連側代理人の土屋公献・元日弁連会長の説明だ。
 しかし、土屋氏も認めるように、金を受け取る前に移転登記をするのは異例のことだ。
 土屋氏は出資者とは面識もないという。出資者とどこまで具体的な合意ができていたのかもはっきりしない。

 ポイントは二つある。(一)緒方重威元公安調査庁長官を表向きたてて実際のカネを出す人が誰なのか現時点で不明。(二)このスキームを実際上実行したのは土屋公献・元日弁連会長(八四)であること。

 言い方が卑近すぎるが、黒幕は誰なのか? 候補は三人。

 一人目。緒方重威元公安調査庁長官か。信条的には関わっているが黒幕ではなさそうだ。というか惚け臭い。なお、このご老体の親族にその後問題が出てはいるが。

 一人目。土屋公献・元日弁連会長か、黒幕の可能性は高いが、オモテに出てくるだけ強い関係者の一人という書き割りかもしれない。というかさらに惚け臭い。

 三人目は謎の出資者だ。単純に考えてこれが黒幕なのだろうし、当然朝鮮総連の関係者であろう。しかし、先の朝日新聞記事にもあったように、資金調達は転けている。大惚けなのか、この黒幕。

 私の印象では、日本国家の中枢が北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連に籠絡されているというより、偉すぎるけど惚け老人たちのスラップスティックのように見える。というか、元からそんなカネ出せるはずだったのか? 

 いや、出せると目論んだスキーマだったら、そのカネはどういう絵のなかにあったのだろうか。

 ところで、今回のこの件、どういう経緯で浮上したのだろうか。そのあたりがよくわからない。政権側だろうか。あるいは、北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連側の内紛だろうか。一三日付け統一日報”朝鮮総連 中央本部を売却  揺れる在日朝鮮人社会”(参照)を見る限り、「朝鮮総連の内部関係者もほとんど事実を知らされてはいない」ようだ。そうなんじゃないだろうか。すごい組織だなというかすごいリーダーシップ。これが絵の通りだったらもっとすごかったのだけど。
 余談だけど、公安調査庁は、略すと、「公安庁」「公調」「PSIA」。法務省の外局(参照)。調査活動をする組織であって逮捕権はない。これに対して、いわゆる「公安」は公安警察を指すことが多い。こちらはウィキペディアによると。

公安警察(こうあんけいさつ、英:security police)とは、公共の安全と秩序、すなわち「公安」を維持することを目的とする警察の捜査部門の総称。

 両者の違いの詳しい説明もある。

 法務省外局である公安調査庁(公安庁、公調)とは、捜査対象が重複するためにライバル関係にあると言われる。その一方、内閣情報調査室や防衛省情報本部(特に電波部)などの幹部の多くは、警察(キャリア職員)からの出向者である。

 公安警察は、事件解決や対象の継続的な監視を目的としており、収集した情報を首相官邸や関係省庁等に提供することはほとんどない。一方公安調査庁は、政策の判断材料となるように情報を分析・評価し、首相官邸や関係省庁等に提供する点で違いがある。例えば、同じ北朝鮮情報を扱うにしても、公安警察が日本国内の工作員の存在という違法行為の把握を第一目標とするのに対し、公安調査庁は北朝鮮本国の政治・経済情勢の把握を優先する。公安警察には逮捕権等が付与され、公安調査庁に与えられていないのはこのためである。

 一見、同様の活動をしているかに見える両機関であるが、収集した後の情報の扱い方によって、公安警察は捜査機関、公安調査庁は情報機関に分類される。

 今回の件の浮上についてはよくわかんないが、安倍政権側からの公安調査庁へのお灸だったのではないか。お灸とか言っても、現代語じゃないけど。







【朝鮮総連事件】「犯罪にあたらないと確信」 緒方被告の弁護人証言
2009/01/19 22:22

ドナルド・ラムズフェルド国防長官は自らの主張を胸の内に留めておくようなことを滅多にしない人物である。敵に対しても妥協するようなことはない。そして、彼は北朝鮮の共産主義政権について明確に軽蔑している。そういうわけで、合衆国政府が北朝鮮に対して、核兵器開発計画の断念と引き換えに2基の軽水炉建設計画に同意し論議を呼んだ1994年の取り決めについて、国防長官の見解に関する公的記録が全く存在しない事実には非常に驚かされる。さらに驚くべきことは、その北朝鮮の軽水炉建設の設計と基本部位を提供する2億ドルの事業を受注した企業の役員に就いていた事実について、ラムズフェルド氏が沈黙していることである。

その会社は、スイス・チューリッヒを本拠とする巨大企業ABB社で、北朝鮮との契約は2000年に締結されており、ラムズフェルド氏が役員職を辞任してブッシュ政権に入閣するずっと前のことであった。ラムズフェルド氏は、1990年から2001年初頭まで、唯一のアメリカ人役員としてABB社取締役会に名を連ねていたが、当時その会社が北朝鮮の軽水炉開発事業契約受注競争に加わったことを公的には口にしていなかった。フォーチュン誌の調査でも、彼が同事業についてどういう考えをもっていたかについて示した公的記録は一切発見できていない。今年2月、北朝鮮の軽水炉開発について国防長官が果たした役割についてニューズウィーク誌に問われた際、国防長官の広報担当者ビクトリア・クラークは「(役員として)決済が問われた事項ではなく、」彼女の上司であるラムズフェルド長官は「そうした事業がいかなる時点で役員会に提示されたのか思い出せない」と回答した。

ラムズフェルド氏が果たした役割についてフォーチュン誌は詳細な説明を求めたが、同氏は回答を拒否している。しかし、ABB社広報担当者ビョルン・エドランド氏は、フォーチュン誌の取材に対して「役員達は当該事業について説明を受けていた。」と語った。さらに、他のABB社職員の話によれば、そのような巨額の重要な事業の場合は、複雑な法的責任問題も絡むために、取締役会の監査を通さないことはありえないという。「おそらく契約締結前に、事業概要を記した書類が役員会で提示されているはずです。」ABB社米国支社核開発事業部の前社長で、当該事業を指揮したロバート・ニューマン氏は言う。「役員なら当然知っていたはずですよ。」

平壌の開発事業に入札していた頃にABB社の役員を務めていた15人に本誌が問い合わせたところ、1人を除いて全員がコメントを拒否した。匿名を条件に回答したその役員は、当時のABB社会長パーシー・バーネヴィク氏が、1990年代中盤に役員会で北朝鮮の軽水炉開発事業について説明したという。「ABB社にとっては大きな出来事でした」前役員は言う。「それで、大規模な政界ロビー活動が行われたんです。」

前役員は、1990年代半ばにライバルのアメリカ企業が“外資系企業が政府の仕事を受注しようとしている”と不満を表明した件で、ラムズフェルド氏が「ワシントンでABB社のためにロビー活動を行うように依頼された」という話を憶えていた。前役員は詳しく説明できなかったが、1995年までABB社の発電設備事業を指揮していたゴラン・ランドベルグ氏は、「一時期ドン(ラムズフェルド)が関わっていたのは確実ですよ」と語った。ゴラン氏によれば、「合衆国政府との契約が必要な際は」役員の助けを借りて事業を受注することは珍しいことではなかったという。他の幹部経験者達はラムズフェルド氏の関わりについて憶えていなかった。

現在のラムズフェルド氏は、イラク戦争以来戦勝気分のせいか、北朝鮮の「体制変革」計画について検討していると伝えられている。しかし、原子炉開発をめぐるラムズフェルド氏の沈黙は、彼がABB社役員時代に何をしたのか-あるいは、しなかったのか-について重大な問題を提起している。ABB社の核開発事業に鋭敏な関心を示し、ほとんどの取締役会に出席してきたラムズフェルド氏が、他の役員を相手に自身の見解について示した証拠はない。確かに彼は当該事情を公にしたことがないが、ラムズフェルドを知る多くの人々は、軽水炉から核兵器使用可能な核物質を抽出可能として同氏に批判的な見方をしている。ラムズフェルドの同僚であるポール・ウォルフォウィッツ、ジェイムズ・リレイ、リチャード・アーミテージらは、北朝鮮との軽水炉開発取引に反対していた事実が記録に残っている。かつてラムズフェルドが選挙責任者兼国防アドバイザーを務めた大統領候補ボブ・ドール氏も反対だった。さらに、ラムズフェルド氏が役員に就任した基金から資金提供を受けたシンクタンク『核不拡散政策教育センター』所長のヘンリー・ソコルスキ氏は、1994年の取引に関して反対する急先鋒の1人だった。

ラムズフェルド氏の意図を知るひとつの手がかりとなるのは、1998年にヘリテージ財団で行ったスピーチである。その際、彼は軽水炉開発については触れなかったが、1994年の北朝鮮との枠組み合意は「核の脅威を終結させるものではなく、ただ単に罰を先延ばしするだけのもので、北朝鮮がどれだけの爆弾材料を入手するかについては確約がないままである。」複数の記事データベースを検索して当時の記事を調べた結果、1990年代を通じて、ラムズフェルド氏が北朝鮮の軽水炉を開発した企業の役員であった事実を伝える報道は見当たらなかった。そして、ラムズフェルド氏もそれを表明することはなかったのである。

すでに韓国で8基の原子炉を建設しているABB社は、合衆国政府がスポンサーとなった40億ドルの北朝鮮軽水炉開発事業計画に関して有利な立場にあった。同社は「事業受注は間違いなし」と伝えられていたと、同事業計画の責任者を務めたフランク・マレイ氏は言う。(同氏は、現在ウェイスティングハウス社で同じ役職に就いている。ウェイスティングハウス社は1999年に英国BNFL社に買収された。英国BNFL社はその1年前にABB社核開発部門を買収している。)北朝鮮の原子炉は、もともと韓国と日本の輸出入銀行から資金提供を受け、ニューヨークのKEDO(Korean Peninsula Energy Development Organization、朝鮮半島エネルギー開発機構)によって監査されることになっていた。「えこひいきではありませんよ」1997年から2001年までKEDOの事務局長を務めたデザイク・アンダーソン氏は言う。「単に実務的理由からでした。」

それでもなお、ABB社は同事業への関与を内密にしようと試みている。フォーチュン誌が入手済みの、ABB社からエネルギー省に送られた1995年の或る手紙によれば、同社は北朝鮮への技術供与に対し承認を申請すると共に、その当たり障りのない手紙を機密扱いにするよう求めている。「内密にされる理由は様々です。」ABB社の米国広報担当者ロナルド・カーツ氏は言う。「この巨額の事業は典型的ですが、契約というものはそんなに人目に触れるものではないのです。」

ABB社は事業にあたって目立たぬようにしているが、カーツや他の職員の話では、役員達は事業内容について知っていたはずだと言っている。前ABB社幹部のニューマン氏によると、リスク評価の概要を記した書類がバーネヴィク氏(前会長)宛てに渡っているという。バーネヴィク氏はフォーチュン誌の電話取材に回答しなかったが、チューリッヒ本社勤務でニューマン氏の上司ハワード・ピアース氏は、ラムズフェルド氏についてこう言った。「役員会に居たから、知っていて当然だと思うがね。」

関係者の話によれば、ラムズフェルド氏は実践的な役員だったようだ。かつてABB社世界核開発事業を率いたディック・スレマー氏によれば、ラムズフェルド氏は時々電話で核拡散問題について語ることがあり、その際「正しい方向性を理解させるのに苦労した」という。ピアース氏は、ラムズフェルド氏がABB社の核開発事業受注のために中国を訪問した事を思い出し、「一端思いついたら、考えを変えさせるのが困難な人物だった。彼の意見を変えるには猛烈にやらないといけない。」ABB社米国核開発事業部の前部長シェルビー・ブルワー氏は、コネチカット本社の会議でラムズフェルド氏と会ったことを思い出し、「素晴らしく才気ある人物だと思った。ヨーロッパ連中を相手に熱いナイフでバターを切るみたいにやりあったもんだ。」

関係者の誰も、北朝鮮の事業について話すラムズフェルド氏については記憶にないという。しかし、仮に彼が意見を隠しているとしたら、他の人たちは隠していない。共和党は最初から北朝鮮核開発事業に反対を表明しており、特に1994年に両院を制してからは顕著だった。「枠組み合意は署名して2週間後には政策上の孤児になっていた。」KEDOの初代事務局長で前駐韓国米大使のスティーブン・ボスワースは言う。枠組み合意がなぜ問題なのか理解するのは易しい。北朝鮮はテロ支援国家リストに含まれており、核拡散防止条約にたびたび違反している。1994年の枠組み合意の指揮を執った国務次官ロバート・ガルッチは批判に同意せず、言った。「もし合意がなかったら、北朝鮮は戦争するか核兵器を作るかのどちらかしかなかった。」

複数の専門家が指摘する問題は、軽水炉から兵器への転用可能な核物質を抽出するのは困難だが可能という部分である。「再処理はそれほど大変じゃありません」原子力委員会と原子力規制委員会の上級委員ビクター・ジリンスキー氏は言う。「特別な機材は要りませんよ。KEDOの連中はそこがわかっていない。未だにヘマを続けている。」

軽水炉開発に対する共和党勢の抗議の声を考えると、ラムズフェルド氏の沈黙はほとんど防音装置のようだ。「共和党員のほとんどは文句を言ってましたね」クリントン政権の東アジア・太平洋問題担当国務次官ウィンストン・ロード氏は言う。ロード氏はラムズフェルド氏の主張について憶えていないという。反KEDOを熱烈に唱える国防政策センターのフランク・ギャフニー・ジュニアもまた同じだ。ギャフニー氏によると、ラムズフェルド氏はABB社役員としての立場が議論を巻き起こすことを避けているという。

1998年には、ワシントンで議論が沸騰し、軽水炉開発の遅れは北朝鮮を苛立たせた。兵器査察官はもはや北朝鮮の核物質の在庫を確認できなくなった。それでもマレイ氏によれば、1998年のある時点で、ABB社は公式な「入札の招待」を受けたという。その時ラムズフェルド氏は何処に?その年、彼は下院主催の研究会議で大陸弾道ミサイル危機に関する機密情報を検証していた。その会議では、北朝鮮が合衆国本土を5年以内に攻撃可能になると結論が出た。(報告書が出されて数週間後、北朝鮮は日本に向けて3段ロケットを発射した。)さらにそのラムズフェルド氏の会議では、北朝鮮が核兵器開発プログラムを継続していると結論づけたが、そのようなプログラムを阻止するはずの軽水炉事業の件については巧妙に省かれていた。同会議の報告書に記されたラムズフェルド氏の経歴には、彼がABB社役員であるとの記述もなかった。

ホワイトハウスを去る直前、クリントン大統領は北朝鮮がミサイル開発と核開発を諦める代わりに支援再開と関係正常化を図る大胆な取引を持ちかけるつもりでいた。しかしブッシュ大統領は北朝鮮側の意図に懐疑的で、2001年3月に政策再考を呼びかけた。その2ヵ月後にエネルギー省は、ラムズフェルド指揮下の国防総省と相談した結果、北朝鮮への核開発技術供与の再承認を行った。ウェスティングハウスと北朝鮮高官が出席する起工式は2001年9月14日に開催された-米国本土に対する史上最悪のテロ攻撃が発生してから3日後である。

ブッシュ政権は未だに北朝鮮核開発事業計画を破棄していない。エドワード・マーキーと他の議員達は、ブッシュとラムズフェルドに対し、彼等が「核爆弾製造工場」と呼ぶ軽水炉事業への支援を取りやめるよう手紙で要請した。それにもかかわらず、コンクリート注入セレモニーが昨年8月に開催され、ウェスティングハウスは北朝鮮に対し10月まで技術訓練プログラムへの支援を行った。その直後に北朝鮮側は極秘ウラン再処理計画を認めて、武器査察官を追い出し、プルトニウム抽出を行うと発表した。ブッシュ政権は核開発技術供与の延長を停止したが、1月に北朝鮮の事業計画に対し350万ドルの予算を承認している。

遅かれ早かれ、率直な物言いで知られる国防長官は自身の沈黙理由について説明してくれるはずだ。


【総連事件 最終弁論(1)】「足利事件と何ら変わらない」弁護側が無罪主張(13:17~13:35)
2009.6.17 15:02
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171503011-n1.htm

《在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の不動産や資金をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた元公安調査庁長官、緒方重威(しげたけ)被告(75)と元不動産会社社長、満井忠男被告(75)に対する第37回公判が17日午後1時17分、東京地裁104号法廷で開廷した。前回公判で検察側は両被告に懲役5年を求刑。今回は弁護側が求刑を受け、最後の主張となる最終弁論を行う》
 《今回も、緒方被告、満井被告ともにスーツにネクタイ姿。満井被告のネクタイは、明るいピンク色でひときわ目立っている》
 林正彦裁判長「満井被告と○○(共犯とされる元銀行員の男性、有罪確定)間の判決の写しの請求がありました。検察側のご意見は?」
 《公判での新たな証拠として、満井被告が当事者となっていた民事訴訟の判決を採用するよう、弁護側が裁判所に求めた、という意味だ》
 検察官「この判決は確定しておらず、本件の争点に関連性はありません」
 満井被告の弁護人「満井被告が、(朝鮮総連への)弁済に努力しているという趣旨です」
 裁判長「それでは証拠決定します。内容を説明してください」
 満井被告の弁護人「満井被告に対し、○○には8000万円の債務があり、○○の預かり証が存在することを認めている、という内容です」
 裁判長「それでは続いて、各弁護人のご意見をうかがいます」
 《最終弁論が始まる。緒方被告の主任弁護人の男性が立ち上がった》
 《両被告が問われている罪は、朝鮮総連側から現金計4億8400万円をだまし取ったとされる「現金詐欺」と、代金支払いの意思がないのに、朝鮮総連中央本部の登記を移転させて土地・建物をだまし取ったとされる「不動産詐欺」の2つだ》

《論告によると、重要な争点は、(1)現金詐欺をしようとして両被告が共謀したか(2)朝鮮総連側に対し、満井被告または満井被告が支配する投資家グループが運用している資金を引き揚げる際の違約金などの名目で、立て替え払いを要求したか(3)満井被告から緒方被告にわたった1億円は詐欺の報酬だったか(4)事件当時、両被告が東京・六本木の通称「TSKビル」の地上げに関与し、資金調達の必要に迫られていたか(5)朝鮮総連中央本部の土地・建物の所有権移転登記が完了後、両被告はすぐに35億円を支払う投資家がいると信じていたか-の5点に絞られている》
 《論告で検察側は、両被告が当時、最大で数百億円の利益が見込めるとされた「TSKビル」の地上げに関与し、金を必要としていた背景を説明。満井被告が「自分の支配するファンドから資金を調達するために必要な違約金」名目で、朝鮮総連側から金をだまし取ったと主張し、2人が共謀して、2つの詐欺を行ったと結論づけた。(3)の争点についても、報酬だったと断定した。弁護側は全面的にこうした内容を否定することが想定される》
 緒方被告の弁護人「被告は2つの詐欺事案で起訴されたものですが、いずれの事案についても無実であり、無罪です」
 《法廷の左右の壁に設置されている大型モニターには、「第1 はじめに」という文字から、「第2」に変わる。「被害者側の被害申告がないまま捜査が強行され、起訴に至っているという著しい特殊性は、捜査機関の思惑により無理やり事件が作り上げられたことを強く推認させる」といったことが書かれている》

 《緒方被告の弁護人は、朝鮮総連が整理回収機構(RCC)との民事訴訟に敗訴することにより、拠点となっていた中央本部の土地・建物を失う可能性が強まっていたことを説明していく。RCCとの間で、分割払いによる和解ができなかった背景としては、北朝鮮に厳しい姿勢を取っていた安倍晋三首相(当時)ら「官邸の意向」があったと説明した》
 「土屋(公献)弁護士(総連側の代理人)や趙氏(孝済・朝鮮総連の財務担当幹部)は債務減免などを金融庁に働きかけるなど奔走しましたが、日本政府、特に当時の安倍首相の強硬な態度により頓挫しました」
 「こうした中、協力を申し出たのが満井であり、緒方被告でした」
 《緒方被告の弁護人は続いて、朝鮮総連側の被害感情の薄さについても指摘する。検察側は被害感情が強いとしており、見方がまったく違う》
 「(朝鮮総連側は)捜査機関に被害届を出すなどした事実はなく、被害意識を感じた事実も一切ありません」
 《さらに捜査への批判を始めた》
 「通常は取り調べを行うことなどない特捜部副部長が、突如、東京拘置所に現れ、大声で怒鳴り机をたたき上げ脅迫するなど、極めて異例かつ異常な取り調べを行って無理やり自白させるなど、捜査は異例、異常ずくめの経過をたどっているのです」
 《そして“時事性”を交え、このように痛烈に総括した》
 「思い描いたストーリーに沿うように、供述をつくりあげていく過程は、過去の鑑定の誤りが明らかになり、確定判決がありながら受刑者を釈放せざるを得なくなった、冤罪(えんざい)であることが明らかな幼女誘拐・殺人事件と何ら変わることはありません」

《事件の固有名詞は出さなかったが、「足利事件」を指しているのは明白だ。続いて緒方被告の弁護人は、「いい加減に目を覚ませ。狂っているとしか思えない」「一生刑務所から出さない」「否認すれば刑が2割り増しだということを知っているだろう」「刑務所から生きて帰れると思ったら大間違いだ」などと、19年7、8月の取り調べで検察官から緒方被告がいわれたとされる言葉を列挙しながら、手法の不当性や、当時の緒方被告の「自白」が虚偽だったことを強調していった》
 「執拗(しつよう)な脅迫、恫喝(どうかつ)により絶望、動揺し、供述の自由を完全に失ったまま、緒方被告は『認めます』と口にしてしまいました」

【総連事件 最終弁論(2)】「獄中日誌」「取引」「証言迷走」…勢いづく弁護人(13:35~13:55)
2009.6.17 15:33
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171537013-n1.htm

《緒方重威被告の弁護人は引き続き、緒方被告が拘留中につづっていたメモ類の信憑(しんぴよう)性を主張する。その一方で、検察側が立件に向け、“ストーリー”に沿うように証言をゆがめるなどしたとして、その取り調べ過程に強い疑念を呈した》
 《弁護人はまず、緒方被告が拘留中につけていた「獄中日誌」の信用性を強調する》
 緒方被告の弁護人「検察官は証拠調べで、獄中日誌の中で、インクの色やペンの大きさが異なる部分があることから、後日、加筆したなどとしています」
 「しかし、インクやペンの太さについては、東京拘置所内で複数のボールペンを使用し、同所の規則により夜間になるとボールペンの芯のみが手元に残された状況で獄中日誌への記入を行うなど、筆記状況が一定ではありませんでした。インクの色やペンの太さが一定していないから恣意的、作為的であるなどとは到底言えません」
 「また、特に獄中日誌は、筆跡も乱れ、被告人の動揺したり迷ったりしていた心理状況が反映されています。そういう中で理路整然とした記載ではないから信用できない、などとも到底言えません」
 《弁護人が最終弁論書を読み上げる間、緒方被告は同じ文書をめくりながら、目で追っていた。一方、満井忠男被告は、自らのパートではないため、前方を向いて聞き流しているように見える》
 《このあと弁護人は、これまでの法廷で幾度となく主張してきた検察官の取り調べの不当性を改めて訴えた。そして、再び「足利事件」についても言及し、裁判所に訴えかけた》

「市井の無名な一私人であっても、重々しい経歴を有する元検事長の弁護士であっても、『お前がやったことは鑑定で明らかなんだ、お前が有罪であることは共犯者の自白から明らかなんだ』などと連日連夜、責め立てられれば、自暴自棄に陥り、絶望的な気持ちになり、虚偽の自白に追い込まれてしまうというのが、現在の日本の刑事司法における実態であるということに、裁判所はぜひ目を向けていただきたい」
 《弁護人は満井被告の調書についても、任意性が欠如していることを強調したが、詳細は省略した。続いて、朝鮮総連中央本部の土地・建物の購入資金の調達役とされる○○=元銀行員、有罪判決が確定=の証言について、弁護人の考えを述べ始める》
 「○○の検察官面前調書や当公判廷での証言にも問題が多々存在し、○○の調書と法廷での証言のみを特に信用すべき理由は見あたりません」
 《こう結論から述べた弁護人は、まず、○○が検察官から取引をもちかけられたような場面から切り出す》
 「1人だけ逮捕されていなかった○○が、検事から『現金詐欺では逮捕されていないんだから、ここは協力してもらうぞ』と言われ、自らの逮捕の可能性を認識しなかったとは到底考えられないのであり、むしろ、その可能性を強く認識、危惧(きぐ)して虚偽調書の作成に応じざる得なかったと認めるのが合理的です」
 「検察官は、起訴後の○○が検察官の取り調べそのものを拒否できたはずであるなどと強弁していますが、○○の置かれた状況を考えれば、単なる絵空事でしかありません。逮捕の可能性を強く認識していたとみとめられる○○が、取り調べの拒否などできたはずがありません」

《ここでも、弁護人は検察官の取り調べ手法を指弾し、元銀行員の証言に任意性がなかったと強調したいようだ。さらに、厳しい口調で検察側の捜査に疑問点を突き付けていく》
 「○○の供述は、捜査段階で取り調べに抵抗を示しつつも、結局は屈服し、あるいは迎合して検察のストーリーに沿った検察官面前調書の作成に応じました」
 「起訴後、○○は自らの公判を迎えるに当たり、おそらくは真実を述べる必要性を感じ、従前の検察官面前調書の内容を大幅に否定しました」
 「それにもかかわらず、検察官申請の証人として法廷に出廷するや、一度は否定した調書内容を再び肯定する証言をしたり、また、別の調書内容を否定するなど支離滅裂な状態にありました」
 「検察官も、○○の証言の一部を信用できるとしつつ、一部を信用できないとしています」
 《○○の“迷走ぶり”を強調した弁護人は、こう結論づけた》
 「○○には、自己の虚偽供述により、被告人や満井を陥れてでも、巧みに立ち回り最小限の責任しか取らずに逃げ切るべき強烈な動機も存在したことも見逃されるべきものではありません」
 《緒方被告は相変わらず、最終弁論書のページを表情を変えずに目で追っていた》

【総連事件 最終弁論(3)】「拉致問題にも悪影響」“義憤”にかられた?緒方被告(13:55~14:15)
2009.6.17 15:46
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171552014-n1.htm

《最終弁論を読み上げてきた緒方重威(しげたけ)被告の弁護人は、ここで女性に交代。緒方被告が朝鮮総連の窮状に共感し、資金確保に奔走した経緯を説明していく。口調は「です、ます調」ではなく、時折早口になりながらも、はっきりと書面を読み上げていく》
 緒方被告の弁護人「被告は満井(忠男被告)から、朝鮮総連がRCC(整理回収機構)から627億円の支払いを求める民事訴訟を起こされ、敗訴が見込まれていることを聞いた。『総連が中央本部としての土地・建物を確保し、引き続き使用するため、将来の買い戻しを条件としつつ、売却することを目指しているので協力してほしい』といわれた」
 《当初は元公安調査庁長官という立場もあり、断ろうと緒方被告が考えたことに触れた後、その“心意気”に触れた》
 「被告は検察庁内において、おもに公安畑を歩み、公安調査庁長官の地位にもあった経緯から、朝鮮総連を見守っていくうえで、拠点が固定されていた方が大局的に見れば、むしろ日本の国益に沿うと考えた」
 《検察官としての経歴から、緒方被告はきわめてマクロな視点で総連を見ていたという》
 「5年以内に日本と北朝鮮の国交樹立があると認識し、在日朝鮮人の権利保護に関して、被告が理解を示していることは有益に作用するであろうと考えた。また、現時点で在日朝鮮人を圧迫した場合、拉致問題のみならず、日本とアメリカによる北朝鮮との交渉にも悪影響を及ぼすと考えた」
 《国際ジャーナリストさながらの見立てで、民間人ながら日朝の架け橋になろうとした緒方被告の“志”を強調した。さらに、詐欺をしてまで利益をもくろむ理由がないことを語る》
 「(朝鮮総連中央本部の)土地・建物は、朝鮮総連が日本における大使館機能を有する中央本部として使用し続けてきた。しかも、多数の朝鮮総連関係者が日常的に使用している土地・建物なので、現実問題として、転売など利益の取得は到底不可能である。被告や満井(被告)はそれほど非常識で愚かな人間ではない」

 《ここで弁護士は語気を強めた》
 「被告は満井から送金された1億円が報酬であるとは一切考えなかった。満井が総連から受領した資金に由来することが分かるや、自己資金の5000万円を加えて、総連に返還している。このような行動自体が検察が指摘する(現金をだまし取るという)動機にはなりえない」
 《ここで男性弁護人に交代する。「風邪気味なので飲み物を飲むかもしれません」と断り、裁判長も了解した。緒方被告が終始、土地・建物が永続的に朝鮮総連本部として使えるようになることを目指していたと主張する》
 「土地・建物を30億円で売却するという話が進んでいたが、鑑定評価額が34億円だったことから、代金を35億円に増やすよう提案した。検察官はこの提案が現金追加詐取の一環として行われたとするが、売却が困難になるというリスクをあえて犯しつつ、35億円に引き上げるのは不合理であります」
 《そして、弁護士は力を込めて、緒方被告の無実を主張する》
 「資金調達が困難になったことを知った後も、投資家確保の努力を続けています。刑事事件の弁護を通じて知り合った不動産業界に精通した人物から『20億円なら提供できそうだ』という申し出を受けている。これらのことが、なにより被告人の無実を示しています」
 《さらに緒方被告が共犯として起訴され、1審で有罪判決を受けた元銀行員=有罪が確定=の○○に対して資金調達を厳しく催促したことに触れる》
 「滞在中の中国からも○○に催促の電話を繰り返したうえ、帰国した翌日も自身の法律事務所に呼び出して、資金の準備状況を確認しています。(総連の土地・建物の)所有権移転が完了してからは、『きょう35億円を持ってきてくれ』と強い口調で詰問しています。これに対し○○は、『まだ司法書士から登記簿を受け取っていない』『送金が遅れている』などと返答しました」
 《あくまで朝鮮総連のためを考えた行動を取っていたことを、弁護側は繰り返し強調していく》

【総連事件 最終弁論(4)】「検察官が事件捏造」“トホホメール”で反論(14:15~14:35)
2009.6.17 16:10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171612015-n1.htm

 《緒方重威(しげたけ)被告の男性弁護人が、手元の資料を見ながら最終弁論を続ける。弁護人は、「(朝鮮総連に出資者として紹介した)航空ベンチャー会社社長のAさんが『明日でもあさってでも(資金が用意できる)』と話していた」という共犯の元銀行員の○○証人=有罪判決が確定=の言葉を緒方被告が信じ込み、自身も最後まで資金調達に奔走していたと主張。「Aさんに資金調達を断られたにもかかわらず、○○と共謀の上、朝鮮総連側にはすぐにでも調達が可能であるかのような説明をし、中央本部の土地・建物の売買契約を結んだ」とする検察側の筋書きに反論した》
 緒方被告の弁護人「送金日時などを確認する緒方被告の詰問に対する○○の返答は、ごまかしを述べながら時間を引き延ばそうとしている様子がありありと見て取れ、○○独自の打算に基づく行動であることがあらわになっています。Aさんが資金調達を断ったのが事実であるとすれば、緒方被告が○○に何度も資金調達結果を問い合わせたり、督促することはあり得ません」
 《○○証人の独断である証明として、○○証人がAさんへ送った携帯メールを持ち出した。その内容は、「案の定、緒方、土屋(公献・元日弁連会長)弁護士からお呼びがかかってしまいました。トホホ。」というものだ》

 「○○は予定通りの資金調達ができないため、追及を受けざるをえない哀れな心境にあったということです。緒方被告が○○と共謀して土地・建物を詐取しようとしていたのなら、○○が緒方被告から詰問を受けたりすることはありません。緒方被告は○○とAさんの言を信じてぎりぎりまで資金調達を期待し、その一方、○○は資金調達ができないことを知りながら、言い訳をしていた構図が浮かび上がってきます。それを、この“トホホメール”が物語っています!」
 《緒方被告の弁護人は強い口調で、緒方被告と○○証人の共謀を否定した。また、所有権移転登記の完了後も資金調達ができなかったことから、直後に緒方被告が登記を抹消したことを挙げ、緒方被告には土地・建物を詐取する意図がなかったことを説明。検察側の主張を批判した》
 「緒方被告は資金調達ができず、『総連側に迷惑をかけてしまう』と考え、直ちに対応しました。この姿は『緒方被告と満井忠男被告に、朝鮮総連からの返還要求をごねて拒み続けながら高値で転売する企図があった』とする検察官の論告要旨が、いかに真実とかけ離れたものであるかを明らかにしています」
 《検察側は、緒方被告が満井被告から受け取った1億円について「詐欺行為に対しての報酬であり、これを隠蔽(いんぺい)するため弁護人に借用書の作成を依頼した」と主張していたが、これについても弁護人は「検事の作文だ」と反論した》
 「弁護人2人を交えた検討の結果、(中央本部の)不動産取得税を納付するために、満井被告から預かっていた1億円を借用しようという結論に達し、借用書を作成しました。検察官側は、2人の弁護人が罪証隠滅工作に加担したとでも言いたいのでしょうか。そもそも、犯罪行為の報酬を隠蔽(いんぺい)するつもりだったら、弁護人に相談などしないはずです」
 《そして、最後にこう締めくくった》

「論告要旨は、借用書の作成経緯などについて根拠のない客観的裏付けを欠く暴論を振り回しています。このことは、本件が到底、犯罪とはならないものであるのに、検察官によって刑事事件として捏造(ねつぞう)された事件であることを示しているものであります。緒方被告は朝鮮総連の希望を実現するため、時には自ら関係者と会うなどの行動をしていました。検察官が思い描くような、当初から金目当ての計画的な詐欺であれば、わざわざ自ら動く必要もなく、適当な投資家をでっち上げ、現金や土地・建物を詐取すれば足りることです」
 《ここで、別の男性弁護人に交代した。休憩時間を意識したのか、弁護人が「私の読み上げは45分ぐらいかかりますが…」と言うと、裁判長が「(休憩は)それが終わってからにしましょう」と促した。法廷内の大型モニターには「第8 被告人が朝鮮総連からの現金詐取を行った事実がなく、被告人満井と共謀した事実もなく、(平成19年)6月11日ころに至るまで満井が現金を受け取った事実すらなかったこと」と表示されている》

【総連事件 最終弁論(5)】「検察官はでっち上げのストーリーを押しつけた」(14:35~14:55)
2009.6.17 17:10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171712017-n1.htm

《緒方重威(しげたけ)被告の弁護人は、満井忠男被告が朝鮮総連から受け取った4億8400万円のうち、緒方被告へ渡った1億円が、詐欺の報酬ではなかったことを主張する》
 緒方被告の弁護人「緒方被告が報酬を要求したり、満井被告が朝鮮総連から受け取る金の中から、1億円を緒方被告の報酬として支払う約束をした事実はなく、満井被告も公判の中で『朝鮮総連から受け取った金から1億円を支払う約束した事実はない』と話しています」
 《さらにあくまでも朝鮮総連中央本部の土地・建物の売買交渉とは無関係の金であることをアピールする》
 「満井被告が『緒方被告に朝鮮総連から受け取った金の中から1億円を支払う』と告げたという検察官がでっち上げたうそのストーリーを、脅しと利益誘導を手段に満井被告に押しつけ、事実に反する供述調書に署名させていった。そのような調書は到底信用し得ません」
 《公判を通じて検察官の取り調べ手法を批判していた弁護側。続いて、緒方被告に詐欺報酬1億円が支払われたとする検察側の主張に具体的に切り込んだ》
 「緒方被告は18年5月ごろ、満井被告から『○(韓国の投資家)から(満井被告が実質支配する)医療電子科学研究所に対する事業資金として新たに60万ドル(約7000万円)が振り込まれる。その中に緒方被告への報酬も含まれている』と聞きました。また、○からも医療電子に対する事業資金に報酬を含めて60万ドルを送金する旨書かれたファクスが届きました」
 《弁護側は、緒方被告への報酬とされる1億円のうちの60万ドルについては、満井被告の依頼により、緒方被告が○氏に返金するために預けられたもので、報酬ではないと主張しているのだ》
 「満井被告は平成19年2月から3月ごろ、緒方被告に『○から18年3月10日に送ってきた60万ドルについては○に返さなくてはならない』と告げました。一方、満井被告は3月から4月ごろ、満井被告の通訳に対しても『医療電子の決算があるから、60万ドルを○に返さなくちゃいけない』と話した上、後日、来日した○に対し、60万ドルを返す方向で話をしていました」

《満井被告も、60万ドルは報酬でなく、○に返さなくてはならない金という認識だったことを強調する》
 「緒方被告もそのような満井被告の考えを了解していたところ、満井被告から電話で『前に話した○に返す金を医療電子から緒方被告の口座に送金するので、ドルに換えて○の口座に振り込んでほしい』と告げられたため、未返済のままになっている資金のうち、緒方被告の口座に振り込まれた60万ドルが、口座を経由して返済されることになったことを知りました」
 「そこで満井被告は、通訳を通して○に送金先の口座番号を聞きましたが、○は満井被告と進めていた航路ビジネスに関して満井被告が出資予定だった70万ドルの話と取り違えました。自分の口座番号と70万の送金を依頼するファクスを送信。満井被告は通訳を介して『今度送金するのは70万ドルでなく、緒方被告に関する60万ドルだ』と伝え、○の口座番号が書かれた紙片を緒方被告に渡しました」
 《弁護側は満井被告の通訳だった韓国人女性の証言内容を述べた。通訳によると、緒方被告と満井被告との間でなされていた60万ドルの返還手続きについて、具体的なやり取りがあったことから信用性が高いことを主張した》
 「通訳は偽証の危険を冒してまで特に有利な虚偽証言をする理由がなく、客観的事実を話している。ファクスを送信した経緯についても合理的に説明しています」
 「検察官は、満井被告が『19年4月末までに返金しなくてよいと緒方被告に告げた』とする供述などを根拠に、満井被告が緒方被告に60万ドルを○に返金して欲しいと依頼するはずがないと断じているが、それは通訳の証言を完全に無視したもので、極めて不当です」

【総連事件 最終弁論(6)】力こもる検察批判 総連側の証言も巧みに引用(14:55~15:10)
2009.6.17 17:23
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171725018-n1.htm

《緒方重威(しげたけ)被告が、満井忠男被告から受け取った1億円についてどのように認識していたのか、緒方被告の弁護人が、改めて主張する。緒方被告は「1億円が朝鮮総連の資金であったとは知らず、韓国人の知人に返済するため、振り込まれた資金だと信じ込んでいた」という主張だ》
 緒方被告の弁護人「満井の供述のうち、『平成19年4月25日に(緒方)被告の口座に振り込まれた7000万円について、もっぱら医療電子の決算対策であったという点は信用できないが…」
 《緒方被告の弁護人は、共犯者とされる満井被告の供述に疑問を呈しながら、緒方被告の弁護を展開していく》
 「(1億円のうち)平成19年4月25日に振り込まれた7000万円は、詐欺の報酬でなかったことは明確であります。被告の顧問税理士が、送金された60万ドルについて(満井被告が実質経営する)医療電子(科学)からの返済と誤認し…」
 《弁護人は、検察が緒方被告の税理士の経理処理ミスを鵜呑みにし、誤った見立てに基づいて、取り調べを行ったと主張する》
 「(検察は)7000万円は返済のための送金などではなく、本件詐欺の報酬であると決めつけた取り調べを行ったのです」
 「税理士の誤りは、極めて容易に発見できたにもかかわらず、検察官が作り上げた筋書きに沿うものであったために、誤りととらえられることなく簡単に見落とされました。被告を厳しく追及する手段として利用されたのであって、かような検察官の態度は極めて不当であり、厳しく指弾されるべきなのです」
 《弁護人は、東京地検特捜部の捜査や取り調べ手法を厳しく批判した。さらに、満井被告の供述調書についても批判を続け、「不自然」な点を次々に指摘していく》

「満井の検察官面前調書は、(緒方)被告が1億円の報酬を得たという検察ストーリーに照らして座りのよい調書にするため、圧力によって押しつけられたものです」
 「1億円の入金を7000万円と3000万円の2回に分けた理由として『1回で1億円を入金するという目立つことをしないため』と供述したことになっているが、2回に分けたところで、それぞれが高額であることには変わりなく、平成19年4月25日、と5月1日という近接した日時に行われているのです。目立たなくなるはずもなく、極めて不自然、不合理…」
 「(1億円のうち)3000万円は、被告の医療電子に対する貸付金の一部返済であって、詐欺の報酬ではあり得ないことは明白なのです》
 《弁護人は、準備された最終弁論を読み上げているようだが、検察側の捜査批判や要点は、力を込めて主張している。緒方被告と満井被告は、じっと聴いている。弁護人は、1億円の意味について、弁論のまとめに入る》
 「よって1億円は、7000万円が○(韓国人の投資家)に返済する資金、3000万円が被告の医療電子に対する返済であり、詐欺に関する被告への報酬ではあり得ません。そもそも、満井が朝鮮総連から現金を受け取っていることを(緒方)被告が初めて知ったのは6月11日ころです。満井との間で現金詐欺を共謀したことはなく、6月11日ごろ、現金交付の事実を総連側から聞かされ、驚愕したことも明らかなのであります」
 「許(宗萬・総連責任副議長)氏らは満井被告に渡した現金が4億数千万円にのぼることを打ち明け、驚愕した被告は手帳の6月11日の欄に『許さん 満井に4億 緒方先生用1000万円渡してある』と記述しました」

「満井の検察官面前調書は、(緒方)被告が1億円の報酬を得たという検察ストーリーに照らして座りのよい調書にするため、圧力によって押しつけられたものです」
 「1億円の入金を7000万円と3000万円の2回に分けた理由として『1回で1億円を入金するという目立つことをしないため』と供述したことになっているが、2回に分けたところで、それぞれが高額であることには変わりなく、平成19年4月25日、と5月1日という近接した日時に行われているのです。目立たなくなるはずもなく、極めて不自然、不合理…」
 「(1億円のうち)3000万円は、被告の医療電子に対する貸付金の一部返済であって、詐欺の報酬ではあり得ないことは明白なのです》
 《弁護人は、準備された最終弁論を読み上げているようだが、検察側の捜査批判や要点は、力を込めて主張している。緒方被告と満井被告は、じっと聴いている。弁護人は、1億円の意味について、弁論のまとめに入る》
 「よって1億円は、7000万円が○(韓国人の投資家)に返済する資金、3000万円が被告の医療電子に対する返済であり、詐欺に関する被告への報酬ではあり得ません。そもそも、満井が朝鮮総連から現金を受け取っていることを(緒方)被告が初めて知ったのは6月11日ころです。満井との間で現金詐欺を共謀したことはなく、6月11日ごろ、現金交付の事実を総連側から聞かされ、驚愕したことも明らかなのであります」
 「許(宗萬・総連責任副議長)氏らは満井被告に渡した現金が4億数千万円にのぼることを打ち明け、驚愕した被告は手帳の6月11日の欄に『許さん 満井に4億 緒方先生用1000万円渡してある』と記述しました」


【総連事件 最終弁論(7)】被告は「“無理筋”捜査の同情すべき被害者」(15:30~15:50)
2009.6.17 17:35
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171738019-n1.htm

《緒方重威被告の弁護人は続いて、緒方被告が朝鮮総連からの土地・建物を詐取しようと満井忠男被告や資金調達役とされた元銀行員=有罪判決が確定=と共謀した事実はないことを述べ始める。弁護人の狙いはあくまでも緒方被告を事件の“被害者”として位置づけることのようだ》
 緒方被告の弁護人「検察官は登記先履行により、朝鮮総連の土地・建物を支配下に置くことができ、被告人らが、その優位な状態を利用して巨利を得ようとたくらんでいたという構図を描いています」
 「しかし、土地・建物は、そもそも朝鮮総連の中央本部として利用中であり、今後もその利用を続けたいからこそ、(朝鮮総連側代理人の)土屋(公献)弁護士らが苦心してその確保のため動いてきたという経緯があり、登記移転を受けたからといって、被告人らが巨利を得るような現実的な方法は皆無でした」
 《検察側の事件の見立ての“強引さ”を主張したあと、こう厳しい口調で批判した》
 「検察ストーリーに沿って無理やり作成された被告人の検察官調書中の、資金調達の見込みがないまま土屋弁護士らをだまして売買契約を締結したという記載は、そもそもあり得ないことをあったとしているもので、荒唐無稽(むけい)であり、信用できません」
 《検察側の捜査の“不当性”を語気を強めて訴える被告人。一方、緒方被告については事件の構図の中で、“被害者”として位置づけようとしている》

 「高等検察庁検事長まで務めた法律家であるとはいえ、弁護士経験に乏しく、○○(元銀行員)やA(航空ベンチャー会社社長)のような合法と違法の境目でうごめくような人間の思惑を見抜く目がありませんでした」
 「○○らが被告人らを巧みに口車に乗せたというのが実態と認められます」
 《弁護人は元銀行員が犯行で中心的な役割を果たしたと強調したいようだ。さらにその矛先は元銀行員に向けられる》
 「○○がAに対しては資金調達を必至に依頼しつつ、被告人や満井に対しては資金調達が確実であると強調しました。被告人や満井は○○の言葉を信用し、(朝鮮総連側との)契約に至ったものと思われます」
 「○○は起訴後、『Aによる資金調達が可能であった』と供述を変遷させました。当公判廷での証言は変遷した末でのものであるこは見逃すべきではありません」
 「被告人および満井は、○○およびAにだまされ、資金調達が確実であると信じ込まされたものであって、詐欺の共犯ではなく、むしろ被害者なのです」
 《事件の“被害者”とされた緒方、満井両被告は、表情を変えることもなく最終弁論に目を通す。一方、弁護人はたたみ込むように読み上げを続ける》
 「生の経済活動に対する知識、経験の乏しさから、被告人が○○やAを安易に信用してしまったという側面が多分に認められます」
 「しかし、そういった『安易さ』『うかつさ』と、検察官が主張するような『詐欺の犯意を持って欺くこと』とは、全くの別物であって、同一視することはできないし、同一視してはならないのです」

 《ここで弁護人が交代し、ついに緒方被告弁護の総括に入る》
 「弁護団としては、裁判所が約1年余にわたり37回に及ぶ集中的な審理を重ね、真実解明のために多大な労力と時間を惜しまれなかったことに心から敬意を表します」
 《弁護人が裁判長の方を向きながらこう述べたが、裁判長は最終弁論書を読むため下を向いたままだった。弁護人はそれをやりすごして再び弁論書を読み上げ始めた》
 「本件は被告人が元公安調査庁長官・元検事長であり、また、被害者が国交のない国の在日組織であったことから、捜査、公判を通じ、社会の関心を集めた特異な事件であります」
 「本件の発覚後、当時北朝鮮に対する対立感情を強めていた安倍(晋三)内閣総理大臣(当時)が早々に不快感を表明したことから、法務・検察は内閣の意を体し、東京地検特捜部による独自捜査を指示し、間髪を入れずに捜査に乗り出している点がすこぶる特徴的であります」
 《弁護人は事件捜査の不当性を、当時の政治状況と重ね合わせながら早口で読み上げた》
 「本件捜査は、法務・検察の元身内に甘いという批判の高まりを避けたいという強い意向が反映されました」
 「そのため、被告人をしゃにむに断罪するべきであるという結論が先行し、組織防衛的な色彩を帯びた捜査となり、証拠を冷静、かつ細密に分析、検討したとは思われません」
 「朝鮮総連側も捜査機関に進んで被害届を出したり、被害を申告したりした事実はないし、終始被害にあったという認識がないのです。このような事実は、詐欺罪の成否を考える場合には、決定的ともいえます」

「そうした事実があるのに、検察官はその事実に目をつぶり、朝鮮総連をその被害者に位置づけ、強引に起訴に踏み切りました」
 「本件は、当初から予断と偏見による、いわゆる“無理筋”の事件として仕立て上げられたと批判されてもやむを得ません」
 《弁護人のリズム感のある検察批判は止まることはない》
 「被告人の法廷での供述は、誠実な性格と真剣な生き方を反映して、冷静沈着かつ理路整然としていました。客観的事実と符合する真実を一貫して供述しており、その内容は十分に信用するに値するものであって、公判審理が進むにつれ、起訴当時の検察官の構図は徐々に崩れ、今や起訴状記載の公訴事実は到底証明されたとは言い難い状況にあります」
 「本件起訴により、法務・検察に人生の大半をささげ、営々として築きあげた社会的地位と名誉を失った被告人こそ同情すべき被害者であり、その心情たるや察するにあまりあります」
 《最期に弁護人は、裁判長に無罪を訴えかけた》 
 「願わくば、裁判所におかれては、曇りない眼をもって虚心に証拠について検討、吟味されるならば、公訴事実について被告人が無罪であることは明白であると信じます」
 《最終弁論書を読み終えた弁護人は、安堵(あんど)した表情をみせた。緒方被告も弁論書から顔をあげ、前方の検察官をみすえた》

【総連事件 最終弁論(8)】「満井は裃(かみしも)を着る心」弁護人が決意表明(15:50~16:10)
2009.6.17 17:46
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171749020-n1.htm

《緒方重威被告側の最終弁論が終わった。法廷の空気が一瞬緩むが、満井忠男被告の弁護人が立ち上がると、スーツに派手なピンクのネクタイを締めた満井被告は、うつむいていた顔を上げた。弁護人はまっすぐ満井被告を見据える》
 満井被告の弁護人「被告人・満井は本日、裃(かみしも)を着る心。相当の覚悟で来ました」
 《正装をして“お白洲”に出てきた武士の心境ということだろうか。満井被告はまんじりともしなかった》
 「だまして金を奪ったということで起訴されているが、それは心外というものです」
 《弁護人は手元の書面に目を落とした》
 「そもそもは朝鮮総連がRCC(整理回収機構)から民事訴訟を起こされたということが発端です。RCCという会社は、国によってできた国策会社です。RCCの取り立ては大変厳しいものでした。朝鮮総連は(中央本部の)土地・建物を売却することで、お金を捻出しようとしました。大使館代わりに使っていた土地・建物ですから、売却できても、確実に(再び)買い取ってまた使わなくてはならない。そして買い主を探しましたが、難航しました。趙さん(孝済・朝鮮総連の財務担当幹部)らが、債務減免などを金融庁に働きかけましたが、うまくいきませんでした」
 《ここで弁護人は傍聴席を向き、訴えかけるように話し出した》

「RCCは国策会社です。RCCと朝鮮総連が、分割払いによる和解などができなかったのは、(北朝鮮に厳しい姿勢を取っていた)安倍晋三首相(当時)らの意向があったのです。記者たちの前で安倍首相は『(朝鮮総連中央本部の土地が)更地になったら見に行きます』などと言ったということです」
 《憤りを露わにする弁護人は、朝鮮総連側の代理人である土屋公献弁護士のメモを紹介しながら、一連の売却問題が「安倍マター」であったことを強調した》
 「当初、同胞の間でも売却の相手を探しましたが難しく、日本人の売却相手を探すことにしました。この売却相手を探すことの難しさについては…」
 《ここで大きく対面に位置する検察官の方向へ手を差し出した》
 「ここにいる検察官も論告公判で指摘した通りです。(買い手が)3社にまで絞り込まれたこともあったが、うまくいかなかったといいます」
 「こうした中、満井被告は平成19年3月、紹介者を介して、朝鮮総連側と引き合わされました。『(RCCとの訴訟で敗訴することを見越して)相当価格で売り、これを5年後に買い戻すことで対処したい。この売買話は公表できない』という依頼でした」
 《ここで弁護人は一息ついた》
 「満井被告とすれば、とことん身を投げ打って、(売却できる)相手を探したということです。真剣に支援していた。;詐欺に問われるのは心外と言えます」
 《“裃を着た心境”の満井被告はじっと前を見つめたままで、弁護人の声を聞き入っていた》

【総連事件 最終弁論(9)】傍聴人置き去り…「満井は無罪です。そういうわけです」(16:10~16:40)
2009.6.17 18:06
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171808021-n1.htm

 《満井忠男被告の男性弁護人は、満井被告が朝鮮総連中央本部の土地・建物売買にかかわることになった当時の状況について、説明を続ける》
 満井被告の弁護人「満井は政界情報を収集するために動きました。元外務大臣に相談し、マスコミの人にもこの件について聞きました。いずれも『これは安倍マターだ』ということでした。現総理大臣の麻生(太郎)さんも、そのようなことを言ったという経緯もあります」
 《これまでの公判によると、「安倍マター」とは、安倍晋三元総理の関わる案件、という意味であり、「元外務大臣」とは武藤嘉文氏を指している》
 《次に弁護人は、平成19年3月10日ごろ、都内のホテルで満井被告が朝鮮総連の許宗萬責任副議長と面会した場面について言及。この話し合いの結果、中央本部について売り渡し価格が30億円、使用損害金が年間3億円、5年後の買い戻し価格が35億円といった条件が決まったという》
 「満井としてはどういう立場だったかというと、金主を探すということで基本的にやっていました。満井が中央本部の土地・建物を買うつもりだったという話が検察官の主張の中でありましたが、これはありえません。満井が物件を買えば、名義が満井になる。どういう効果があるかは、みなさんもお分かりだと思います」
 《満井被告の弁護人は傍聴席の方を向いて訴えかけた。満井被告にとっては、中央本部を自分のものにしてもうま味がない、ということを言いたいようだ》

「安倍マターでもあるこの件で、お金を借りて所有権を移すのは大変な話です。(投資話を持ちかけた相手は)みんな『難しいよ』と言っていました。満井としては、そんな中で何とかしないといけないと考えていたのです。朝鮮総連側の人と、新宿のあるビルに受け皿会社を探しに行ったこともあります」
 《資金調達のために満井被告が奔走していたことを説明したところで、別の男性弁護人に交代した》
 「この事件そのものは、緒方(重威)さんが脚光を浴びてきていますが、実務は不動産の専門家である満井が担当していました。結果的にだまされましたが、○○(共犯で有罪が確定した元銀行員)を連れて来たのも満井です。そういう意味では満井の責任は重い。しかし、刑事ではなく、民事の交渉責任です。そういう意味では朝鮮総連、朝鮮民主主義人民共和国、在日同胞の方々に非常に迷惑をかけたことについて、満井は非常に真摯に思っています」
 《弁護人は満井被告に代わり、重々しく、関係者への謝罪とも取れる言葉を述べた。しかし、続いて「ですが、時間がないので省略をさせてください」と断ると、淡々とした様子で最終弁論の書面の内容について説明を始めた》
 「はじめに目次の1。満井は無罪です。そういうわけです。2は交渉経過ですね。申し訳ないんですが、傍聴の方々には分からないと思いますが、書面提出で代えさせてください」
 《手元の資料をめくりながら、弁護人はどんどん説明を進めていく》
 「9ページです。(19年)4月13日ごろの話です。ここも飛ばしながら読ませていただきます」

《満井被告はこの日、都内で○○証人と会う。○○証人は自ら投資家探しをしたいと申し出、候補として薬品販売会社の名前を挙げたという》
 「4月14、15、16日とこういう風に時間が経過します。時間がないので読み飛ばします。11ページが4月下旬の経過。そしてこっちが、4月下旬以降の経過。4月24日に(投資家候補として)都内の弁護士グループに会います。ここまで読んだことにしてください」
 《資料を持っていない傍聴人にはさっぱり内容が分からないが、弁護人はかまわず説明を続けた》
 《一連の経過を説明した後、弁護人は朝鮮総連側の代理人を務めた元日弁連会長、土屋公献弁護士の証言について触れた。土屋弁護士については体調などを考慮して、昨年3月、非公開で保全尋問が行われている》
 「土屋弁護士は当時、84歳という高齢でした。(元)日弁連会長ですが、記憶が正しいとは限りません。大弁護士ですが、年齢に伴う記憶の減退は別問題です。裁判所には予断なく判断をしていただきたいと思います」
 《土屋弁護士の証言の信憑性について、容赦なく疑問を呈する弁護人。また、弁護人は2件の冤罪事件を引き合いに出し、こうも話した》
 「氷見事件もそうだし、足利事件もそうですが、立証責任は検察官にあります。『完全にシロです』と証明するのは、DNA鑑定じゃないから無理です。土屋先生の記憶は大丈夫なのかということです」

【総連事件 最終弁論(10)】「西のナントカ、東の満井」 法廷に“真犯人”問う弁護人(16:40~17:10)
2009.6.17 19:11
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171912022-n1.htm

《満井忠男被告の弁護人は、平成19年4月23日、緒方重威被告が朝鮮総連中央会館の売買価格を30億円から35億円に上げるよう提案した経緯について、改めて説明している。価格を上げる交渉は、総連代理人だった土屋公献弁護士の事務所で行われたとされる。弁護人は準備した弁論書を読み進めているが、ときどき“脱線”気味に、自分の言葉で熱く語る》
 満井被告の弁護人「検察官の主張では、緒方被告が売買価格を従来の30億円から35億円に上げるよう提案したのは、(総連本部に毎年支払わせる)使用料を年間3億円から3億5000万円につり上げるためだとしていました」
 「しかし、実際には、この35億円というのは、『鑑定価格に合わせましょう』ということから出てきた話。RCC(整理回収機構)の判決が近かった手前、(鑑定)価格に合わせた方が、(財産隠しなどの批判を受けにくいため)安全ということになったんです」
 《弁護人は、売買価格を上げたのは利益目的ではないと強調しているようだ。23日の夜、満井被告と総連の許宗萬責任副議長が35億円という価格について、細かな取り決めがされた場面を、弁護人は改めて再現する》
 「ホテルで落ち合った2人は、改めて細かな取り決めを行いました。許さんは、年間の使用損害金が3億円から3億5000万円になることに難色を示していました。そこで、満井被告は自分に支払われた手数料1億1500万円から毎年2000万円、5年で計1億円を払うことを提案し、許さんはそれで承諾したんです。誰が詐欺をするのに2000万円出しますか」

 「その代わりに、朝鮮総連としても満井被告に配慮しようということになりました。『年間固定資産税の日割り負担分(1400万円)を満井被告にお持ちしよう』と許さんは言いました。それについて、許さんは翌日、総連の趙(孝済財務担当幹部)さんに説明しています」
 「法廷で趙さんは『(許さんから)あなたはそこまで出なくていい、と言われた』『取り調べでも重要だと思わなかったから、きちんと説明せずに流していた』と証言していました。誰が決めていたんですか。許さんじゃないのですか」
 《総連側で、主に満井被告らとの交渉に当たったのは趙氏だとする検察側のストーリーも改めて否定した。弁護人は、満井被告が「総連本部の売買代金が出資される」と信じていたと強調するため、共犯として有罪判決が確定した元銀行員の言動を“引用”する》
 「(19年5月下旬、元銀行員は)『カネは間もなく来る』と言っているんですよ。その日の夜に(満井被告が)『間違いないのか』と○○(元銀行員)に聞いているんです。土屋先生も聞いているんです。それで、『(総連本部の)登記(移転)が終わったら、カネが来ます』ということになったんです。それは詐欺でもなんでもないですよ」
 《弁護人はこう言って、改めて総連本部の登記移転が詐欺でないと強調した。そのうえで、元銀行員や、売買代金出資を約束したといわれている東京都内の航空ベンチャー会社社長のAさんの言動にも、疑問を呈してみせる》

「○○はAに、5月下旬から6月十何日まで、カネを頼むメールをしているんです。誰が真犯人でしょうか。本当に○○はAにカネを頼むつもりだったのか。Aは初めから、カネを出すつもりだったのか、なかったのか。(Aさんには金銭トラブルをめぐる)民事訴訟で敗訴したり、そういう話があります。しかし、弁護人には疑惑を指摘することしかできません。真相を明らかにすることはできません。なぜなら、権力がないからです。できるとしたら検察でしょうが、検察がするわけがない。…まだまだいいたいことがあるんですが、もう(午後)5時ですし、時間がないので、そろそろまとめに入ります」
 《「次に本件預かり金(総連から引き出した4億8400万円)の返済についてですが…」。弁護人は再び、弁論書を読み上げ始めたが、すぐに自分の言葉で話し始めた》
 「満井被告は○○に1億5000万円を(総連本部の)登記費用として交付しています。しかし、(売買)契約の不成就になりましたから、○○に返済を求めるべきですが、○○は2000万円戻したので、残額は1億3000万円になります。そういうことで(返済のために)民事訴訟を起こしています」
 《弁護人は、満井被告が総連から引き出した資金を返済しようとしていることを強調する》
 「満井被告は『保釈後、30日で返す』と言いました。『西のナントカ、東の満井』と言われましたが、満井は大変な業者です。しかし、全額は払っていません。一部の金額しか返していません。起訴されて、スポンサーでもいないかぎり、払えないのです。…(弁論書に)書いていることについては、朗読を省略しますが、読んだことにしておいて下さい」

《こう言って、満井被告の弁護人は弁論のまとめに入る》
 「検察のストーリーは架空のストーリーです。本件案件(総連本部売買)は非常に困難な案件で、それは検察側も認めています。(満井被告らが)『35億円で買ったもの(総連本部)を60億円で売れば、大きな差益が期待できるではないか』と考えたといいますが、総連の中枢機関が入っているんですよ」
 《満井、緒方両被告らが「総連本部の登記さえ移転させれば転売が可能になるから、後から売買代金も調達したうえで大きな利益を得られる」と考えたとする検察側のストーリーを、根底から否定しようとしている》
 「私の知人が担当している朝鮮学校も、占有権が問題になり、固定資産税をかけられたりしていますが、でも立ち退いていますか? 総連の合意がなければ立ち退かせることなんかできないのです。そうすると、目的がない。これは詐欺ではないんです。満井被告は無罪ですし、緒方被告は金銭(詐欺)にまったく関係ない。こう申し上げて弁論を終わります」
 《最終弁論が終わった。林正彦裁判長は、緒方、満井被告を証言席に立つように促し、「最後に言いたいことがあれば、言って下さい」。すると、緒方被告の弁護人が立ち上がって「緒方被告は書面で準備しています」と告げた。裁判長の許可を得て、緒方被告はゆっくりと準備した書面を読み上げ始めた》
 「公訴事実に関する私の主張は弁護人の弁論に尽きており、特に捕捉して多く述べることはありませんが、最後の機会でもあり…」

【総連事件 最終弁論(11)完】緒方被告「冤罪に泣く人つくらないで」 満井被告は涙を流して…
2009.6.17 19:28
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090617/trl0906171929024-n1.htm

《緒方重威被告は、林正彦裁判長の前の証言台に立った。陳述書を手に持ち、ゆっくりとはっきりとした声で最後の意見を述べ始めた》
 「まず、私はもっぱら朝鮮総連の窮状を見かねて本件取引に及んだものであり、検察がいうような利得目的で行ったものでは断じてありません」
 《冒頭から罪を否認する》
 「昨今、緊張の度を増している日朝関係の政治情勢下において、北朝鮮の対応には非難されるべきものがあることは確かです。そのことを決して否定するものではありません。しかし、だからといって朝鮮総連会館は、在日朝鮮の方々の権益擁護や故郷に残している家族、知人との大事な拠点であり、長らく大使館的機能を果たしてきたのであり、これが失われると、在日朝鮮の方々をいわゆる『棄民』の立場に追いやることになりかねません。従いまして、会館の問題はこのまま放置されてよいとは思われず、これがまさに私が本件取引にかかわった動機にほかなりません」
 《あくまでも人道上の観点から、土地・建物の取引にかかわったと強調した。初公判とほぼ同じ主張だ》
 「今回の事件で注目されるべき点は、検察が当時の安倍(晋三)政権の意向を鋭敏に察知するとともに、元身内の私に厳しく対処することによって、組織に対する批判をかわし、組織の防衛を図る必要があると考え、最初から極端に予断をもった捜査・処理を行い、『逮捕即起訴』という結論を先行させて、捜査段階における私の弁解には一切耳を貸さなかったことです」
 《元検事ならではの検察批判を展開し始めた。気持ちが乗っているのか、読み上げる速度が上がってきた》

「私は長年検察に奉職しましたが、検察には厳正公平、不偏不党という輝かしい伝統があり、多くの先輩から被疑者の取り調べに当たっては、一切の予断・偏見を排し、被疑者の弁解には虚心に耳を傾け、証拠によりその真偽を綿密に検証し、真実を確定していくということこそが、冤罪(えんざい)を生まないための鉄則であると教えられ、及ばずながらこの伝統に従い、自らを律し実践してきました」
 「しかし、今回の事件では、検察は『国益』と法務・検察の『省益』ないしは『庁益』を守るためには、初めから『緒方の起訴ありき』との結論を強引に決めて、真実をゆがめたストーリーを作り上げ、関係者の供述を不自然に操作して私を訴追したものです。もはや、その捜査手段は、目的のためには手段を選ばないという、なりふり構わぬ行き過ぎたものであり、およそ社会正義の実現というにはほど遠く、到底容認できるものではありません」
 《緒方被告の厳しい言葉を、検察官は身動きせずに黙って聞き続ける》
 「私は無実であり、無罪であります。そのような私にいわれなき嫌疑をかけ、全人生を奈落の底に陥れて恥じない検察に対し、憤りを禁じ得ません。これからの検察は、今回のような無理筋の事件処理を繰り返し、冤罪に泣く人をつくらないでほしい。国民の信頼を得る検察の存在意義を回復してほしいと願います」
 《「古巣」を批判した緒方被告は、ここで自らの反省点も語り始めた》
 「一方、私は自分にも反省すべき点がまったくなかったとまで思ってはいません。刑事責任に結びつくようなものではないにせよ、私の判断に甘さがあったことは率直に認めます」

「端的にいって、私は満井(忠男)被告らの話をひたすら信じて行動してきました。私はどちらかといえば、生来人を疑うことを快しとしない人間です。その意味で他人は私を『お人よし』と評するでしょう。そのような性格の持ち主だけに他人を疑わず、たやすく信用したために、結果として総連関係者に多大のご迷惑をお掛けするようなことになりました。誠に申し訳なかったと深く反省しております」
 《反省の弁を述べつつ、満井被告らに乗せられたということをアピールした》
 「今回の事件で逮捕、起訴されたことにより、私はこれまで築いてきた信用や地位のすべてを失いました。そして不本意ながら妻子をはじめ家族に苦労をかけ、さらに先輩、友人の信頼を裏切るような結果となりました」
 《緒方被告は陳述を始める前、陳述時間を5分程度と話していたが、すでに10分近くになっている》
 「有罪判決が確定するまでは、無罪の推定がはたらくという原則は、法律の教科書には書かれておりますが、現実の社会では逮捕、起訴という厳然たる事実によって、人はたやすく社会的生命を絶たれるということを身をもって体験しました。特に捜査段階における検察あるいはその関係者を情報源とするしか考えられない一連の事件報道は、あたかも私を早々に有罪と決めつけるかのように意図的に過大に歪曲(わいきょく)され、私や家族を嘆き悲しませるものでした」

《批判の矛先はマスコミにも及んだ。あくまでも自分は被害者と主張する》
 「しかし、そうした責め苦を負った私でも家族や先輩、友人が私を信じてくれたことで、それを支えに無罪判決を信じ、多数回の公判審理に耐えて今日に至りました。75歳を迎えた私にとって、今後どのような人生が待ち構えているかは知るよしもありませんが、かなうならば社会的弱者のための支援活動に微力を尽くしたいと考えております。どうか裁判所におかれましては、証拠を適正公平にご評価いただき、無罪の判決をたまわりますようお願い申し上げ、最終の意見陳述といたします」
 《最後に改めて無罪を主張。続いて隣に立っていた満井被告が意見陳述を始めた》
 「1年余りの裁判も今日で結審を迎えましたが、最後に一言いいたいことがあります。私は絶対に事件となるような行いをしていません。このたびの事件に関し、私は突如、予告なしに302日間も身柄拘束を受け、さらに1年以上も裁判をするという生活をしてきました。どう振り返って考えてみても、総連をだますつもりは毛頭ありませんでした。朝鮮総連側とは誠意を持って相談して事を進めてきましたが、迷惑をかける結果になったことはおわび申し上げます」
 《満井被告も冒頭から無罪を訴えた。陳述書は手に持っていない》
 「私は幼いときから、この日本が大好きでした。取り調べもそういう思いを持ちながら、取り調べに応じたこともありました。その私を検察は完全にだましました。どこに持っていったらいいか、この思いを1人でかみしめながら耐えた2年数カ月でした」

 「どうかこの事件を通してこの日本がよくなることを願いながら、自分をここまで励まし支えてきました。本当に長い時間を裁判長からいただきました。3月に判決にならずによかったと思うほど、時間が足りなかったように思います」
 《ところどころ意味が判然としないながらも、時折涙を流しながら自分の意見を述べた》
 「今はただ、本法廷で真心を持って訴えたことを固くお誓いし、本陳述とさせていただきます」
 《30回以上に上った公判もついに判決を残すばかりとなった。緒方被告がはっきりと意見陳述をしていたのに対し、満井被告はいすにつかまりながら終始疲れた様子だったのが印象的だった。判決公判は7月16日午前10時から開かれる》











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