2005年6月9日木曜日

【沖縄資料】 下河辺淳氏メモ インタビュー ③

下河辺淳氏メモ 前書き ①

●亜熱帯総合研究所と大学院大学

江上:今日の「沖縄タイムス」に出てたんですけども、沖縄県の財団法人である亜熱帯総合研究所が、11月

21日に沖縄科学技術大学院大学の先行的研究事業に有償貸与する研究棟の建設を決めたそうです。

下河辺:あ、そうですか.

江上:だから、先生が再三、言及されてきた亜熱帯総合研究所も、この大学院大学構想の実現に向けて関

与し始めたようですね。

下河辺:入っちゃうんですね。

江上:お手伝いしようという形になってきたみたいですね.

下河辺. :ああ、そうですか。

江上:それで、建設資金3億1300万円ぐらいを上限にして大学院大学の建物をつくるみたいですね。

下河辺:ああ、そうですか。

江上:それを大学院大学のほうに有償貸与する、要するに先行投資するんですね.


下河辺:あ、そうですね。はい。

江上:そういう話が地元紙に出ていました.それではまた、お話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

下河辺:はい。

●国際都市構想と三次振計の相関関係

江上:_前回も先生の「下河辺メモ」と言われるものを中心にお聞きしたんですけども、沖縄問題を解決するた

めに、国際都市構想の下にさまざまな施策を講じられています。それらは、進行中の三次振計とはぜんぜん別

枠だったんですか。

下河辺:別枠ってどういう意味?

江上:一次振計、二次振計、三次振計っていうのは、それぞれ、やっぱり、10年計画で作られていきますですよ

ね。
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下河辺:ええ。

江上:それは、10年計画で進んでいきますが、先生の「下河辺メモ」で出てくる、その国際都市構想っていうの

は、そういった三次振計といった沖縄振興開発計画と関連させながらの提言だったんでしょうか。
下河辺:いえいえ、関連はしませんよ。

江上:関連はしませんよね。

下河辺:県は県でやっているわけだし、私は知事と総理との調整役のために作ったメモですからね。

江上:そうですよね。

下河辺:ええ。

江上:だから、三次振計にあることをわざざわざ先生が持ち出されたら、そういう調整の意味がなくなるわけですよ

ね。

下河辺:いえ、あんまり県に干渉するっていう目的はなかったわけですよね。敵と味方の知事と総理との間を仲

良くさせるっていうだけですからね。

江上:そうですよね。それで、先生がその調整作業に入られる前に、すでに沖縄県は「国際都市形成構想」とい

うのを打ち出していましたね。

下河辺:ええ、そうですよ。

江上:そうですね。

下河辺:あの、基地返還と関連しているわけですから。

江上:そうですよね。基地を15年間で、基地を段階的に縮小、撤去しするという。下河辺:いや、場所自体が。

江上:場所がですか。ただ、国際都市形成構想も打ち上げたものの、沖縄県としては財源を持っていなかったん

ですよね。

下河辺:財源っていうのは何かなあ。

江上:構想だけで、一応、それを具体化するための財源までは準備できていなかった。

下河辺:だって、市の事業ですからね。

江上:えっ、市の事業ですか?

下河辺:那覇市の仕事だから。

江上:はあ。

下河辺:県は面白くないすよ。

江上:でも、沖縄県の「国際都市形成構想」は、県が出したものですよね。

下河辺:いや、だから、構想は出したけども、実施は市ですよ。

江上:あ、実施は市ですか。

下河辺:県の計画っていうのは、自分でやるのと、市町村がやるのと、. みんなあるわけで
す。
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●大田知事が「下河辺メモ」を受諾した目的・理由

江上:ああ、そうですね。そういうことですね。わかりました。

それで次の質問ですがまず、大田知事が先生のメモを受諾したその日的もしくは理由は何だったんでしょうか。

下河辺:だって、私のメモっていうのは、私の意見はないんだもの. 知事の意見と総理の意見をまとめたんだもの

。両方がそれを了承しただけなんです。

江上:ということは、「下河辺メモ」には大田県政側の意見が十分、、反映されていたと太田知事は判断したわ

けですか。

下河辺:そう思います。

江上:そういうことですね。′それでは橋本首相にも同じことが言えるわけですね。

下河辺:そうです。

江上:先生のメモの中に橋本総理の意向が十分汲まれていたということですね。

下河辺:だから、選挙を超えて、両方で合意してやりましょうっていうのが、私のメモだから。

江上:それはやはり、両方とも、大田知事も橋本総理も、先生のメモを通してできることなら仲直りしたいという

状況にあったんですね、その当時は。

下河辺:仲直りはできなくとも、両方で協力して、沖縄なんとかしなくちゃいけないっていう点では、知事と総理は

一致してたんじゃないすか。

江上:そういう状況下で両者が歩み寄っ′たということですね。

下河辺:そうですね。

江上:その歩み寄らせるための作業を先生がなさったわけですね。

下河辺:なにしろ、歩み寄るのに半年かかったわけですから。

江上:時間がかかりましたね。

下河辺:6月から始まって、何月かな? 9月、やっと、3月から9月までかかった。

江上:そうですよね。9月まで約半年かかりましたからね。最初のうちはぜんぜん両方ともとりつくしまがなかった。

下河辺:ええ、敵同士。

江上:敵同士。それを先生が一所懸命つないで握手にこぎつけた。

下河辺:知事も総理も相手を誤解していたっていう形の和解だったですから。

江上:そうですか。なるほど、そういった誤解を解くためこ、先生は両方に懸命に働きかけたわけですね。

下河辺:ええ。両方にせっせとしゃべったわけです。

江上:そうですね。

下河辺:それで、半年たらたら、わかったって話になって、両方が直接会って話をするようになったわけですよね。
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江上:橋本首相は大田さんの『高等弁務官』を読んだそうですね。

下河辺:あ、そうですね。

江上:それは先生がお勧めになったんですか。

下河辺:そうですよ。

江上:そうですか、やはり(笑)橋本首相が沖縄の高等弁務官に関する専門的な本を読まれたというのは、ちょっ

と不思議な気がしたものですから。やはりそうですか(笑)それで分かりました。

● 「下河辺メモ」と予算措置

眞板:ちょっと、前後して恐縮なんですけど・、「下河辺メモ」とですね、予算措置という部分で、ちょっとお尋ねし

たいんですけれども、「下河辺メモ」の入り口の部分としては、50億の調整金で、その下河辺メモに書かれたプ

ロジェクトの調査費というかですね、をつけていくという、ようなお話を前回伺ったと思うんですが、で、これがもし、

軌道に乗った場合ですね、下河辺メモのプロジェクトというのは、予算項目でいくと、これは沖縄開発費の方に

入ってしまうのか、あくまで官邸の直接の別立てのメニューで考えられていたのか。

下河辺:そこはちょっと、誤解があるのが、、、、

眞板:はい。

下河辺:私のメモが50億には関係ないんです。

眞板:関係ない.

下河辺:で、50億は岡本さんのお金なの。

江上:岡本さんのラインですか。

下河辺:岡本さんが、その沖縄の市町村長との相手役を仰せつかってやっていたわけです。それで、岡本さんに

50億渡して、市町村に自由に配んなさいっていう形になったわけです。そのこと自体は私には関係ないし、県も

関係ない。

江上:ああ、そうですか。じゃあ、50億は岡本さんのラインから入ったんですか。

下河辺:そうです。

江上:あ、そうですか。50億の調整費が報道されたときに、この金額だけが一人歩きして前面に出てしまって、

50億で和解するのかという批判がでましたね。

下河辺:いや、50億で市町村長は納得したかどうか、つていうのが話題だったけど、50億はさし当たってのお金

であって、必要があったらまた出すんだから、ちょっと`50億で打ち切りなんて思うはうがおかしかったね。

江上:そうですね。あれは、調査費としてでしたからね。
下河辺:んっ?
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江上:調査費というか

下河辺:調査費?

江上:調整費ですからね。

下河辺:そうです。

江上:そうですよね。

下河辺:市町村の事業を調整して、岡本さんがちゃんと整理したわけですよ。

江上:ああ、なるほど。

眞板:ちょっと、誤解していのかもしれませんが、確か50億という数字は、御厨先生のオーラルによりますと、先生

が20億か30. 億より、50億くらいがいいんじゃないかと。で、50億という根拠を聞かれると、いやあ、ちょっと、弱

っちゃうんだよと、先生、お答えになっているですけど、その50億はそっくりそのまま岡本さんの方へ行っちゃったん

ですか。

下河辺:そうです。

眞板:あの、当初、大田さんが雇用対策をしてくれということで、そ. の50億のうち、30億を使うという話がござい

ましたよね。

下河辺:それはちょっと、別の話でだと思います。

江上:御厨先生たちのオーラルのときに、50億のことはちょっと困るとおっしゃっていますが、それは先生の出したア

イディアではないからですか。

下河辺:いやいや、そういうことよりも、なんか岡本さんに市町村を任せて、沖縄県に対する補助金は、別の議

論で政府でやろうっていうふうたしたわけですよね。

江上:はあ、そうですか。

下河辺:国としては県への補助金が中心テーマですから。

眞板:というと、下河辺先生の「下河辺メモ」をベースにした構想とか、いろんなものに対して、予算措置と_いうこ

とはなされなかったんですか。

下河辺:しませんよ。

眞板:あっ、そうなんですか。

下河辺:はい。実施したら、実施することが決まったら、金つけるっていう話です。

江上:そういうことですね。これにいちいちいくらとはつけてないですよね。

下河辺:事前のお金ってないですよ。

眞板:そうなんですか。いや、調査費くらいついてたのかなあって、勝手に理解してたもんで。

下河辺:いや、調査費はついているわけですよ. 実施の50億っていうことは別の問題なんです。
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● 「下河辺メモ」 A項一一国際交流会館構想

江上:それでは次の質問に移ります. 先生の「メモの6」で挙げられた検討すべき事業のA、B、C、D、E、F、G、

H、I、Jの10項目についてです. 国家的プロジェクトということで、AからJまで先生が提示されています。これはい

ろんなそれまでの沖縄との付き合いで、あるいは先生独自のそういった行政経験からこのアイディアが生まれてき
たんだろうと推察いたしますが、ひとつずつお伺いしていきます. まず最初に、A項では、国際交流会館について

先生は言及しています。先生のメモを読み上げますと、「APEC、サミット、G7、アジア・ヨーロッパ会議、拡大ア

セアン会議等の開催地としての沖縄の役割を具体化するため、国際交流会館を建設し、日本と世界の交流

拠点を形成すること」と記されています。

下河辺:そうです。

江上:これについては進展状況はどのようになっているのでしょうか。

下河辺:あの、沖縄でこういう建物は立ってんですよね。国際会議をやるための。

江上:万国津梁館ですか。

下河辺:万国津梁館。

江上:はい。

下河辺:だけど、それは建物であって、このA項で言ったのは、なんか会議をきちんと作ろうとしたんですね。たくさんある国際交流の事業をこの会館に収容すると同時に、会館主催の交流事業を作ろうとしたわけです。

江上:というと、その会館自身がもっと主体的かつ積極的に国際会議のかなめとなり、また、会議をいろいろ実施できるようなシステムを作ろうとということですか。

下河辺:そう

江上:そういうもっと広い意味だったんですね。

下河辺:だから、会議場の建物の話だけが進ん′でいたけれでも、実際の交流事業をやろうじゃないかって言ったわけです。

江上:国際交流会館を建設して、建物だけじゃなくて、そうした国際交流事業の機能も持たせて、日本と世界の交流拠点を形成しようということですね。

下河辺:それがあんまりうまくいかなかったですね。

江上:そうですねこ万国津梁館っていう建物は実際、完成しましたが。

下河辺:沖縄の大学の学者が反対なんですよ。

江上:そ_うですか。

下河辺:世界の優秀な人が来て、俺たちは認められないっていう。

江上:そうですか(笑)0 いやあJ世界の学者が来たら、沖縄の先生方もその人たちと一緒に研究交流が下きるから喜ぶんじゃないかと思いますが。

下河辺:喜ぶ先生は優秀な先生。

江上:(笑)。 そうですか。これを最初の項目に上げられていますので、先生としては非常に強い期待があったんじゃないかと思います。一応、サミットは沖縄で、小渕総理の志もあって実現しましたけども、国際会議を頻繁に行うような意味での世界の交流拠点Iとはまだなっていませんね。最近、沖縄で開催される国際会議は増えてきてはいますけど。
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眞板:万国津梁館、大人気みたいですけどね。

江上:そうなんですか?

眞板:サミット以降、予約が入りっぱなしだそうですよ。

江上:そう?

眞板:はい。

江上:そんなに頻繁に沖縄で国際会議やっているの?

下河辺:ええ、やっていますよ。

江上:あ、そうセすか。

眞板:多いみたいですよ。

下河辺:非常に多いです。

眞板:学会もやっていましたし。

江上:国内も使うでしょ。

眞板:あ、国内もそうです。

江上:要するに国内と国際とで、万国津梁館は国際会議だけではなぐて国内会議に使っている、それで予約がいっぱいになっているんでしょう。

眞板:そうです。

江上:そういうことですね。万国津梁館はそういう意味では建ててよかったんで-しょうね。

でも下河辺先生の仕掛けがはもっと大きかったんですね。

眞板:そうですね。

下河辺:いいんですよ。そんなに賛沢言わなくても。
江上:(笑)。いいんですか?

●宜野湾・コンベンションホールとの相違点

眞板:先生、宜野湾に県が作りましたコンベンションホールというのがございますが、それを核にということには、また先生のイメージとは違うんですか。

下河辺:また別なんです。

眞板:別なんですか。

下河辺:それは宜野湾市にとってのテーマだったわ,けです。それで、普天間基地というものを持った市長さんが、基地問題だけで終始するのはまずいと、市民のた釧こ何かってっ言って、始まったわけです。そして、具体的にこないだやったのが、なんか民話とか伝説みたいな全国大会をあそこで開いたわけですね。
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●沖縄国際センターとの相違点

江上:沖縄国際センターもありますけども、あそこは、JICAが管轄してて、あんまり沖縄の国際交流事業とは関係ないんでしょうかね。

下河辺:いや、関係ないことはないでしょうけどね. だけど、財界は財界でやりたいし、新聞社は新聞社でやりたいわけですよね。だから、われわれみたいな、あいまいな人たちでやろうっていうのも、認めてはいるけれど. も、沖縄は自分で主催してっていうのをとても期待してんじゃないすかね。

江上:ああ、沖縄県のはうがですね。そういう意味ではネットワークがもっとうまくできるといいですねJICAもこの10月から独立行政法人になりましたので、そういう意味ではだんだん、国と県との権限の違いとかなんとは少しずつなくなっていくと思われます。

下河辺:そうです。

江上:もっと自由にいろんな行き来はできるようになってくるかもしれませんね。

下河辺:そうです。

● 「下河辺メモ」 B項一一国際情報センター構想

江上:それでは、次の質問に移らせていただきます。B項はこれまでの先生の話でしばしば登場した国際情報センターの話ですね。「沖縄の3000キロ構想によって、圏内各都市間の経済交流・文化学術の情報サービス、コンサルタント・サービスのための国際痛報センターを創設すること」とあります。

この場所は先生どこを想定されていたのですか?
以前に西銘さんが言ってし_1たように、浦添市にある沖縄国際センターの前の敷地ですか。

下河辺:いやあ、そうじゃなくて、これはまだ固まってなくて、米軍の施設を利用した方がいいっていう意見が出ているわけです。

江上:米軍の施設ですか。

下河辺:米軍もすでに、5000キロぐらいの

江上:そうですね。

下河辺:情報技術的なネットワークを持っていますから、それは戦争のために作って、いまはもう、利用がなくなったから、沖縄で使ったらどうかっていうのが米軍の意見で、私はそれに賛成したんですけれども、まあ、沖縄県民には米軍の占嶺を認めることになるのが嫌だと言って、あまりはっきりした返事していないんですよ。

江上:そうですか。この当時の大田県政側から、このB項については、あんまり前向きな返事は返ってこなかったんですか。

下河辺:そうです。たまたま、基地返還論の一環だったものですからね。
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● 「下河辺メモ」 C項-1蓬莱経済圏構想

江上:なるほど。大田県政の政策としては、ーちょっと矛盾することになったんでしょうかね。それで、C項は「蓬莱

経済圏構想」ですね。これについても再三、下河辺先生からいろいろとこれまでも話していただきました。「福建

、台湾、沖縄に広がる広域経済圏(蓬莱経済圏)を形成するため、貿易、直接投資、雇用機会、文化学輝

交流、観光事業等の交流が.活発化するような各地域が協力して特別な処遇捨置を講ずること。特別な処

遇措置として、免減税、入国ビザ、交通通信システム、資源共同開発、自由_貿易地域」と記されています。
これについてはどうですか。

下河辺:いや、吉元がひとりでまとめ上げたわけですよ。

江上:そうですか.

下河辺:それで、私がそれをバックアップしたんですけれども、政府が了解しなかったんです。

江上:政府がね。外務省とか大蔵省とかがですか。

下河辺:やっぱり、法務省ですね。

江上:法務省ですか。

下河辺:入国管理上、ちょっと面倒臭い問題なんですよ。

江上:入国ビザとか。

下河辺:それで、将来の問題にされちゃったから、ほとんど実現しなかったんですけどね。

江上:先送りになってしまったんですね。

下河辺:だから、闇の貿易になってんじゃないすかね。

江上:(笑)昔、戦争直後の混乱期に沖縄には闇貿易の時代がありましたが。

下河辺:そうです。

江上:梶山官房長官が沖縄に来られたときに、よくこの構想を提唱していましたが、これは本当は吉元きんのア

イディアだったんですか。

下河辺:吉本さんたちとわれわれがやったわけです。

江上:先生たちと。

下河辺:それで、吉元が福建省へ行って、福建省が了解して、事務所まで作ったわけです。

江上:立派な建物を作りましたよね。

下河辺:ええ

江上:完成しましたね。

下河辺:それっきりで終わっているわけですね。

江上:そうなんですよね。

下河辺:だけど、また台湾問題の情勢がちょっと違ってきたから、もう一度やる人がいたら、まとまるかもしれない


江上:そうですね。あここまでいって建物まで造って、活用しないともったいないですよね。うまくいっていないのは、

入国ビザとか免減税とか、そういった規制緩和の部分でやはり、日本政府の抵抗がかなり強かったんでしょうか

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下河辺:そうですよ。抵抗っていうか、なかなか法律的には、難しいんですよ。

江上:阜うですね。沖縄だけ例外扱いする形になりますから、それが難しかったんでしょ
うね。

眞板:外務省は特に文句言わなかったんですか。

下河辺:文句って言うよりも、不可能って言ってたですからね。文句以前ですよ。

江上:外務省ははなから相手にしなかったんですね。

下河辺:そういうローカルな国際交流を認めてなしiんですからね。ロシアと北海道のさえ、認めなかったわけで、

日本はそういう意味じゃ、外務省も法務省も非常に鎖国的ですよね。

江上:そうですよね。地方からの国際交流を、という時代がありました。沖縄も西銘県政のときにかなり盛り上げ

ようとしましたが、国際交流事業は外務省を通さないと、なかなか実施するのが難しかったんですね。

眞板:ちょうど西銘さんのころに、台湾に事務所を作ろうとしてですね、それが、上りの情報になってしまって、外

務省の目に留まることになって、県がものすごく叱られてですね、結局、事務所は地元の民間企業が作った法

人が、事実上、県の出先事務所みたいな形で。

下河辺:そうですね。

眞板:何とかこぎつけた、なんて話がありましたけど。

江上:C項の特別な処遇措置のひとつに「資源共同開発」とありますけど、これについては先生はどういうことをイ

メージされているんですか。

下河辺:自然?

江上:資源の共同開発

下河辺:それはどれです?

江上:C項の中で「免減税、入国Iビザ、交通通信システム、資源共同開発、自由貿易地域」と列挙されていますが、その中の「資源の共同開発」ですね。

下河辺:資源の共同開発っていうのは、そのひと′っのテーマは砂糖でしたね。

江上:ああ、砂糖ですか。

下河辺:それから、深海の海水の利用ですね。

江上:海洋深層水といま言われているものですか。これを福建とか台湾とか沖縄で共同でやったら、どうかということですか。

下河辺:そうです. それで尖閣列島を一緒にやろうと。

江上:尖閑の近辺には油田があるのではないかといわれていますが、油田発掘も共同作業でやればいいじゃないか、というお考えだったんですか。

下河辺:イメージだった。

江上:なるほど、そういうイメージだったんですね。この蓬莱経済圏構想は、今からでも可能性があるでしょうか。
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下河辺:いやあ、それは具体的な中身の討論のし直しでしょうね。

江上:なるほど。

下河辺:時間が経っちゃったから。

江上:先生が考えられたときとは、状況が変わってきた。

下河辺:ちょっと達うんじゃない。

● 「下河辺メモ」 D項一一国際学術交流研究所構想

江上:違ってきましたね。

そして次のD項は、要するに熱帯・亜熱帯の国際学術交流研究所を、ということなんですが、D項は先生のメモを全部読ませていただきますと、「南アジア、太平洋諸島における食料生産と環境保全のための技術を発展させ交流するために熱帯亜熱帯農林水産畜産に関連する国際学術交流研究所を設置すること. 一つの事例として、環境問題(ゼロ・エミッションズ)とサトウキビ関連産業の振興を連動し、研究開発と起業化を図ること」というふうになっています。これは結局、その後、ト沖縄県の亜熱帯総合研究所になるんですか。

下河辺∴いや、亜熱帯総合研究所っていう前提じゃなくて、何か日本の大学が、なんか国産型の大学しかないから、国際的な大学を沖縄に例外的に認あられないかって議論したんですね。そしたら、沖縄から反対があってつぶれたんです。

江上:先生のこの文章を読むと、これは要するに大学院大学の構想そのものですね。

下河辺:いやあ、大学院大学の構想も、国産型の大学院大学を言っているから、国際的な大学を作りたいって私は思ったわけです。

江上:そうですね。国際学術交流研究所と、たしかに「国際」がついていますね。

下河辺:国立じゃないっていう。

江上:国立ではない。国立だったら文部科学省の管轄になりますからね。

下河辺:入っちゃって、またカリキュラムから、なんか教授から、みんな決まっちゃうわけでしょ。

江上:そうなりますね。

下河辺:だから、そうじゃなくて、沖縄には例外的に国際的な大学を作ろうって言ったんですね。そしたら、政府のほうは、本当にできるのならっていうぐらいの関心は持ったわけです。

そしたら、案の定、沖縄の大学が反対でできなかったんです。沖縄にそんなに立派な大学はいらないって
江上:そうですか。

眞板:いま進んでいるのは、文部省の所管外に。

下河辺:そうそう。
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眞板:ということですよね。易の、尾身さんの構想では、文部省の所管外で国際的なノーベル賞級の人を学長だか何かに迎えて、世界中から学者を集めて沖縄で研究してもらうという、構想でしたよね。

下河辺:で、その構想、誰がやるんですかね. 国がやらなくて、できんですかね。

江上:内閣府が大学院大学構想を推進しているけれども、最終的にその大学もできたら文部科学省が管轄するんですよね、いまのままだったら?

眞板:そうですか。

江上:だから、先生はそうじゃなくて、日本政府の所管に入らない、まったく別個の大学を構想しておられたんですね。

下河辺:まあ、最初はアメリカがノース・イーストのイースト・ウエストセンター持っているから、沖縄はノース・サウス・センターを作ろうっていう話し合いから始まったんですよね。

江上:そうですね。

下河辺:そしたら、アメリカのほうで、そのイースト・ウエスト・センターはちょっと、おかしくなっちゃったから、なんか、 サウス・ノースっていう言葉の意味がなくなって、野村総研の人がまとめてくれてたのが、ちょっと挫折しちゃったんですよね。

江上:でも、ここで先生が言われている国際学術交流研究所は、いまの科学技術系の大学院大学構想につながっているんですね。

下河辺:考えていいでしょうね。

江上:そうですね. ま、だからそういう意味では、この大学院大学構想がこのまま順調に進展していけ. ば,このなかに先生の構想のひとつが結実するということになります。ただ、それが本当に国際的な大学院になるかどうかという問題は残るでしょうね。これは、環境問題とか、ゼロ・エミッションとかサトウキビ関連の振興ですから、やはり農林畜産寒の大学院大学でしょうか?

眞板:基本的には自然科学系

江上:自然科学系。あれバイオか。それは特にいま科学技術系の沖縄の大学院大学は、バイオテクノロジーつていうのを全面に出していますね。

下河辺:バイオの仕事をやろうっていうのもありますけどね. だけど、むしろ、インフォメーション・テクノロジーつていうか、ITの方がむしろ興味が彼らに深いんじゃないすか。

江上:ITの方がですか。「彼ら」というのは、尾身さんたちのことですか。

下河辺:そう。

江上:この国際学術交流研究所は、関連産業の振興と連動させ、研究開発と起業化をともに図ることを織り込んであります. だからこれはビジネスにつながるわけですね。
下河辺:そうです。
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● 「下河辺メモ」 E項一一国際医療センター構想

江上:次のE項は、国際医療センターについてですね。

下河辺:そうです。

江上:これは、とくに米軍関係の医療施設を利用するということですか。

下河辺:そうです。海軍病院っていうものの役割をどう評価するかだと思うんですね。

江上:そうですか。

下河辺:だけど、日本は医師会が頑張ってて、海外からのサービスを受けようとしてませんからね。ちょっと難しさがあるわけです。

● 「下河辺メモ」 F項--アメリカントレードセンター構想
江上:なるほど。
それで、次のF項は「AmEx951nOkinawa'を発展させて、アメリカのアジア市場への玄関口として、日米共同してアメリカントレードセンターを建設すること」とあります. AraEx95inOkinawaに先生が携わって協力されたんですよね。

下河辺:そうですね。

江上:95年に行われたんですね。

下河辺:そうです。それも、返還土地の利用ってことと絡んだり、あるいは、那覇の港の機能と絡んだりして、総合的な問題にしようと、したんですけどね。そしたら、大阪のアメリカントレードセンターのほうが、先にいったんで、沖縄のはうが、ちょっと、動いていない状態ですね。
.
江上:大阪の方へ行っちゃったんですね。

眞板:大阪のトレードセンターって、第三セクターでやっているものですか。

下河辺:そうです。

眞板:かなり、財政的に悪化しているところですよね。

下河辺:いまは、悪化してますけど、悪化は当然、予想されてたんじゃないすか。これから時間かけて、何とかしてくんでしょう. 大阪の復活については、一番重要なテーマですからね。

江上:これは要するに、アメリカの企業がもっと沖縄に来てくれないか、ということですよね.。そういう願望は沖縄の人々からもずいぶん、聞いたことがあります。たとえば、フェデイクスですね。
フィリピンのス-ピックの基地を私はかつて視察に行ったことがありますが、あそこにはフェディクスの輸送機が群がっていましたね。

下河辺:ええ、そうです。

江上:沖縄にも来てくれないかという要請を受けて、フエディクスも調査にきたことがあったようですが、その後、やはり何の反応のないままです。
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下河辺:いや、反応がないんじゃなくて、アメリカの企業は、小泉さんの姿勢がちょっと解せないんですよ。小泉さんは沖縄とアメリカの関係は、有事のためだっていうことしか言わないんですね。有事のためなら、行ってもしょうがないっていうことになっちゃうんですね。

江上:平時にならないわけですね。

下河辺:ビジネスの市場には何ないですね。

江上:なるほど。

下河辺:一番最初はアメリカの企業は、沖縄を基地にして中国市場を狙うっていうことを考えたんですね。それを小泉さんが、断った形になるんすね。

・江上:そうですか。

下河辺:有事のときしか、沖縄考えないっていう、話になっちゃうんで。

江上:それは、・最近の話ですか。

下河辺:最近っていうか、小泉さんが最初、総理になってからずっと、一貫してんじゃないすか。

江上:2年前から

下河辺:とにかく有事論が、あの人、好きだから。

江上:アメリカのビジネスが沖縄に入ってきて、沖縄の経済にも大きく寄与するというのはいいんじゃないかと沖縄の指導者から聞いたことがあります。

下河辺:いや、ですから、、、、

江上:それはやはり中央政府のはうが反対なんですか。

下河辺:-中央政府がだめなんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:台湾っていうのが問題地域だっていう認識が、かつて強かったわけですからね。
北朝鮮と台湾問題っていう形の議論を一所懸命してたときだから。

江上:そのようにはならなかったわけですね。

● r下河辺メモ」~G項-国際大学構想

次のG項に移りますけど、G項は国際大学の設置ですね。「MITなどアメリカの大学と共同して、国際的な学術交流を行い、アジアの留学生を受入れ、アジアの発展の人材を育成するため国際大学を沖縄に設置すること」ということですけども、これは、さきほどのの亜熱帯の国際学術交流研究所とは別の話ですよね。

下河辺:別です。

江上:こちらは人材育成の話ですね。

下河辺:ええ。ですから、さっき言ったように、現地の大学、みんな反対だったんです。

江上:(笑). そうですか. 「沖縄国際大学」があるからでしょうか。
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下河辺:そう。

江上:そうか. 現地の大学からぜ、んぜん、協力が得られなかったんですね。むしろ協力を得られるどころか、反対意見が相次いだんですか。

下河辺:そうです。

江上:先生は既存の大学にはないような、もっと国際的な学術交流や留学生の受け入れがアジアを中心に展開されるような大学を構想されていたんですか?

下河辺:沖縄と北海道にちょっといままでの大学とは違った国際的な意義をもった大学を作ろうっていうのを沖縄や北海道の人たちとだいぶやったんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:両方ともうまくいかなかったですね。

江上:北海道のほうもやはり既存の大学から反対があったんですか。

下河辺:いや、既存の大学が賛成と反対に分かれちゃって。

江上:あ、賛否が分かれたんですか。

下河辺:賛否が分かれたです。

江上:沖縄の方はぜんぶ反対だったんですか。

下河辺:ぜんぶ反対

● 「下河辺メモ」 H項-一国際ニュービジネスコンサルタント協議会構想

江上:そうですか。そういう事情があったんですか. 沖縄の大学は、立派な大学ができると自分の大学が圧迫されると考えたんでしょうかと(笑)

それで、次のH項に行きますけども、これは国際ニュービジネスコンサルタントの提唱です。「沖縄に新産業構造を創造するためにベンチャー型のニュービジネスに便宜を提供し、全世界の起業家に機会を与えるため、助成、免減税など特別支援を講じ、国際ニュービジネスコンサルタント協議会を設置する」とあります。

下河辺:斡旋をするための協議会を作りたかったんですね。・で、アメリカやヨーロッパへ行って、宣伝してくるような仕事をやろうって言ったんですね. ただ、日本の企業さえ行かないのに、欧米の企業が行くわけないじゃないか、なんて冷やかされたことは多かったですけどね。

江上:このビジネスコンサルタントって、これから重要になりますね。

下河辺:これはとても大事です。

江上:大事ですよね。

下河辺:ただ、なかなか沖縄の立地条件から言うと、受けて立つっていう企業は、あんまりないでしょうね。

江上:ずいぶん努力しました,が、国内での企業も来ませんでしたからね。
そうとう思い切った仕掛けとか特別措置を講じなければ無理でしょうね。でもビジネスコンサルタントはこれから沖縄が経済発展しようと思ったら、特にベンチャー型のニュービジネスを育てようとしたら、とても大事ですね。
303

下河辺:いやあ、そうですよ. ニュービジネスっていうことは、製造環境じゃなくなってきでんですね。情報産業とか観光産業っていうことで、具体化することが必要なんでしょうね。

J 「下河辺メモ」 I項-1観光企画機構構想

江上:そうですね。

それでは次にI項ですが、これは観光企画機構の設置についてです。「沖縄観光500万人を目標に、官民協力して、観光のテーマとイベントを発掘するた臥観光企画機構を設置すること」と記されています。

下河辺:そうですね。

江上:沖縄県にコンベンションビューーローがありますけれど、これとはぜんぜん別ですか。

下河辺:いやあ、それはまだ、ひとつも固まってないんじゃないすか。

江上:固まってないですね. 要するに沖縄観光業の抜本的な計画あるいは企画を作る機構が必要だということですか。

下河辺:いや、機構って言うよりも、沖縄観光って何だっていう、そもそも論をもっと議論する必要がありますね。

江上:要するに、再三、先生が指摘されてIゝるように、沖縄観光の質を考えるべきだということですね。

下河辺:だから、県庁でもそれを認めてて、県計画の中の観光計画をどうするっていうのは、宿題になってんだけども、現在の審議会の委員で、そういうことを議論する人がいないんですね。

お客の立場に立つ人がいっぱいいても、なんか、観光を動かしていく専門家がいないんですね。

江上:沖縄県には観光課がありますけども、観光政策をもう少し、きちっと打ち出すべきじゃないかということですか。

下河辺:観光業者を監督する役所であって、観光を創造するような仕事をしていないんですよね。

江上:そうですか。

下河辺:結果的に人数が増えたの減ったのっていうことで、一喜一憂しているわけです。江上:ということは、この観光企画機構は沖縄県などの役所とは別枠で構想されたんですか?

下河辺:そうですね. ま、県庁辞めて来てくれる人がいてもいいとは思いましたけどね。全県に詳しい人がいた方がいいですからね。それは、行政の仕事としては限界があるっていう。
304

江上:沖縄コンベンションビューローは民間の人と県からの出向の人とが一緒にやっていますけどね。

下河辺:そうですね。

江上:まだ十分な成果が上っていないようです。

下河辺:中身がないと、成果は上んないですよね。

● 「下河辺メモ」 J項一一国際通信、国際空港、国際港湾整備

江上:それで、最後の項であるJ項に移りますけども、これは「国際都市沖縄構想を実現するための諸事業の共通する基本的インフラストラクチャーとして国際通信、国際空港、国際港湾を整備すること。これらの整備のため、米軍基地との調整を図ること」と先生は記されておられます. 沖縄の国際空港の機能は弱いですね。国内空港としては新しく立派なものができましたけども、国際空港としては貧弱ですね。

下河辺:お客がいないもの。

江上:確かに客がいない(笑)
沖縄の国際空港は国内空港はおろか離島垂港よりもずっと小さくてお粗末ですよね。

下河辺:そう。

江上:国際空港というイメ「ジではないですね。

下河辺:所詮は嘉手納の空港を官民両用にすると号が、やがてきますよ。

江上:そうですか。

下河辺:それ待つ方が懸命だね. 新たに自分で造るなんて、大変なことだからね。

江上:かつて嘉手納の軍民共用については少し沖縄で議論されたことがあーりますが。
下河辺:いや、いまだって。

江上:そうですか。

下河辺:地元は言っているわけでしょ。だけども、地元の名護市の市長が言っているのは、なんか米軍の飛行場論とちょっと違ってんですよね。せっかく移転するなら、小規模空港でいいって、言ってんのに、併用すると、大きな飛行場を造んないとだめなんですね。だから、最低1000メーターの滑走路がいるっていうことになって、それを軍用として造ってくれって言ってるわけですね。それを軍の方は、50メーターの滑走路で十分って言っているから、なんか併用っていう言葉の意味が、技術的には混乱するんですね。

江上:ずいぶん大きくなってしまいましたよね. 軍民共用ということになって民の部分を付け加えたからですね。

下河辺:だけど、まだ決まんないんでしょうあれ。つていうのは、普天間を移転する前に、もう、撤去するっていう議論がまともに出てき-たからじゃないすか。

江上:あ、そうですか。

下河辺:はい。
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江上:晋天間から撤去するというのは、海兵隊がですか。

下河辺:海兵隊が。

江上:はあ。

下河辺:それで、ちょっと様子が、事情が変わりすぎて、複雑ですね。だから、アメリカにすりやあ、グアムに移す方が、よっぽど、合理的かもしれない。

江上:そうですね。海兵隊の_グアム移転は前から話が出ていますね。でもやはり米軍としては、対中国との関係で沖縄に置いといたほうがいいんじゃないでしょうか。

下河辺:対中国との関係で、いらなくなったって見ているわけです。

江上:いらなくなったんですか。それは中国との緊張関係がなくなってきたから、ということですか。

下河辺:軍事協定するんじゃないすか。もう間もなく。

江上:そうですか。そうすると、確か′に沖縄の基地の重要性は減少しますね。

下河辺:沖縄は朝鮮と台湾のために、置いてあったようなもんだから、朝鮮の問題も台湾の問題も、ほぼ終わっちゃうんじゃないすかね。

江上:そうなると、もう沖縄に米軍基地がある必然性はなくなりますね。

下河辺:だから、小泉さんは慌てて、有事のために米軍が必要なんてことを積極的にしゃべっているわけ。

江上:あ、そうですか。小泉さんの方は一所懸命、米軍の引止め策にかかっているんですか(笑)

下河辺:海兵隊に会うと、もう有事なんて言っている時代じゃないって言って、いますよね。

江上:そうですか。

下河辺:北朝鮮が攻めてくるわけはないし。

江上:、そうですね。

下河辺:中国とは軍事協定したし、ぜんぜん状況が違うって、思ってんじ_やないすか。

江上:台湾と中国の関係が荒れることなく治まれば、沖縄の周閲の危険性は大幅に緩和されます。

下河辺:いやあ、もう、治まったんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:それは台湾っていうのが、反中国の蒋介石の軍隊が占拠したっていう意味で緊張してたわけでしょ。それで、蒋介石親子が死んで、兵隊は年取っちゃって、いまや台湾に軍事的なテーマないですよ。むしろ、残った年取った兵隊を老兄と称して、老兄をどう処理するかのテーマでしかないすもんね。

江上:ということは、その世代が消えていけば。

下河辺:おしまいになっちゃう。

江上:そうなったら、ふたつの中国とか、ひとつの中国とかの問題も、おのずから解決の方に向かうということですか。
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下河辺:そんなのいまや、誰も考えないじゃない. 台湾は台湾人の島っていうことで、はっきりしたんじゃないすか。だから、中国だって、台湾人の島っていうのを否定なんかしていませんよね。

江上‥なるほど。そうすると近いうちに、沖縄の基地が大幅に縮小撤去される可能性が十分出てくるんですか。

下河辺:出てきますね。

江上‥そうですか。でも、小泉さんが有事だ、有事だ、と言っている限りだめなんだ(笑)

下河辺:えっ?

江上:小泉さんが有事だ有事だって言っている限りはだめなんでしょう?

下河辺:有事だめづて言うのは、撤去できないってこと?

江上:ええ、アメリカに対して有事のために米軍が必要だということを、小泉さんが言い続ける限りにおいては。
下河辺:それをアメリカに?

江上:ええ、アメリカに(笑)

下河辺:アメリカに言ったって、どうしようもないでしょ。そんな有事なんかありませんって言うだけでしょ。

江上:そうですね。

下河辺:それは小泉さんも知っているから、アメリカには言わないんじゃないすか。

江上:アメリカには言わない。

下河辺:日本の憲法と自衛隊との関係でだけ、言うんじゃないすか。

江上:ああ・そういうことですか。先日、ラムズフェルド国防長官が沖縄にも韓国にも自ら出向いて視察したように、アメリカは自国の軍事戦略を自らの眼で確かめ国益に則して決定していきますからね。

下河辺:だから、彼はもう決めてきたんですよね。

江上:そうでしょうね。

下河辺:沖縄っていうのは、平和の島がいいんじゃないかっていう感覚で来たら、なんか米軍がいることのトラブルだけが話題になったから、なんか話し合いになんないと思ったんじゃないすか。

●沖縄特別県制構想についての検討

江上:(笑)なんかそんな感じでしたね・鳩が豆鉄砲食らったような(笑)
稲嶺さんが要求7項目をつきつけたんで、びっくりして(笑)

これまで検討すべき事業として先生のメモにあらた10項目について逐次、説明を加えていただいてありがとうございました。それでは次の質問に移りますが、先生のAからJまでの10項目は、大田県政と橋本総理をつなぐ、言い換えれば、歩み寄らせるための大きな方策だったんだと思うんですけども、このときの調整では吉元さんたちがかつて主張していた、沖縄特別県制構想のような沖縄の自治の問題が入る余地は、ぜんぜんなかったんですか。

下河辺:その、自治っていうことの自治労との論争が、ちょっと失敗っていうか、うまくいかなかったんです。

江上:そうですか。そういう経緯があったんですか。

下河辺:というのは、失業率がこんなに高くなって、労働組合の役割が大きくなったって吉元が理解したら、組合の組織率が下がる一方なんですよ。

それで、労働組合っていったいなんだって、根本論に移っちゃったんですね。で、日本からフォーラムへ来た学者たちは、古い労働組合論の人たちぽっかりだったんで、答えが出なくなっちゃったんですね。

私はもともと、沖縄で労働組合って古い組織では、労働問題に対応できないっていう立場だったから、なんとなく学者も吉元さんも困ってましたよ。だけど、いまやまさにそうなっちゃったんじゃないすか。

江上:ということは、そういった自治の問題っていうのは、労働組合との関係でうまく浮かび上ってこなかったわけですね。

下河辺:ちょっと、むしろ沈んでっちゃった。

江上:沈んでしまったんですね。労働組合の考え方がこういう沖縄のターニングポイントで、うまく主張とか政策を反映させるような状況にはなかったということですか。

下河辺:実際問題として、企業と戦う賃金の問題っていうことだとすると、そういう条件って沖縄にはなかったわけですね。

江上:はあ。

下河辺:企業がないんですから。

江上:小さな企業しかありませんからね。

下河辺:それでいて、一人当たり所得の低い過疎県であるにもかかわらず、人口増加が激しい唯一の都道府県の中のひとつだったわけですね。だから、実際、労働組合の連中は、どうしていいか、わかんなくなフちゃったんじゃないすか。

江上:沖縄には、先生がおっしゃるように大企業はありませんので、中小企業ばかりですので、そういう意味では自治体が職場としては-番大きいんですよね。組織としては、沖縄県庁が7000名くらい職員がおりますから、で、そういう意味で、沖縄労働組合の主力は自治労だったんですよね。

下河辺:自治労は強かったんですけども。

江上:強かったんですよね。

下河辺:ただ、それが、県庁の中で、自治労から脱退する職員が、どんどん増えるんで、困っていたわけですね。

江上:-その当時からですか。
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下河辺:はい。

江上:自治労が職場の人たちにアピールする力を失ってきたんでしょうか。

下河辺:そうですね. なんか、労働者個人が自分の問題として考える時代になっていったわけですね。自治労に頼って、賃上げしようなんて思う職員が、いなくなっちゃったのね。

江上:ということは、かつてのように沖縄の自治とか、あるいは沖縄特別県制とかの構想を、当時の自治労としては、もうあまり支える人たちもいなかったんでしょうか。

下河辺:彼らはやりたかったんでしょうけども、組合員がみんな離れていっちゃちゃできようがないですよ。

江上;そうですね。自治の要求を阻むを要素や作用ががあったんですね。そういうのより、現実的な経済政策の方はやはり、良かったんでしょうかね。

下河辺:ま、経済政策って言っても、国に援助を頼むとか、米軍に期待するっていうような姿勢が、労働組合でも捨てられなかったからね。

江上:そうですね。

下河辺:だから、かってのように、独立運動なんていう青年がどんどんいなくなっちゃったんですね。

2015年期限問題

江上:そう′ですね。それでは3番目の質問に移りますけども、2015年期限の問題がありましたね。先生はもうちょっとうまくやればよかったんじゃないかというを発言なさっていますけども、これはどういうことだったんでしょうか。

下河辺:いやあ、沖縄にすれば、15年っていう長さの中で、話し合いする約束だけしちゃいたかったんですね。だから、遅くとも15年後には、復帰するっていうことを思っていたわけです。で、私は、よくまあ15年も待つ気になったねえっていうことを言っていたんですね。だけど、早くもあと12年になりましたから、ぼやぼやしていると期限が来
んのかもしれませんね。

江上:あっという間に15年、20年経っちゃって(笑)何も変わらないままでは困りますね。

下河辺:それでも、米軍のほうが、国際情勢の変化かち、撤去する可能性はいままでより、はるかに高くなっていますね。

江上:でも、この2015年という期限は実際、計画をアメリカにぶつけるような形_になって、アメリカからはとんでもないっていう話になっちゃったんですか。

下河辺:とんでもないっていうのは、時間は決められないって言ったけど、もっと早くちやいけないのっていう質問さえ出たんですね。

江上:アメリカからですか。

下河辺:そうです。
309

江上:はあ、そうですか。

下河辺:アメリカは沖縄有事っていう問題はなくなったっていう認識で議論していますから、アメリカのタックスペイヤーが、沖縄に軍を派遣することを認めるかどうかさえ、わかんないっていうようなことを言ってましたね。

江上:なるほど、そういう意味ですね。

下河辺:これから、また緊張状態なんかが出れば、10万以上いるっていう意見が、アメリカから出る可能性があるかもしれませんが、いまだったら、15年もいないっていう気持ちの方が強いんじゃないすか。

江上:じゃあ、稲嶺さんが1988年の知事選で当選したときに出した15年期限論ですが、あれについても先生はだいたい同じような考えですか。

下河辺:いや、まさにそのことを言ってたわけです。

●橋本・大田の信頼関係破たんについて

江上:そうですね。別に15年じゃなくても、もっと早めで、たとえば、5年とか10年とかでもいいじゃないかということですね。

それで、先生を始めとするいろんな方々の努力で、いったん大田県政と橋本総理が歩み寄りまして、それで政策協議会も設置され、いろんな経済振興策も動いていくということになりました。阜れでしばらくは良かったんですけども、結局、ご存知のように、せっかく築き上げた信頼関係が破たんしていくことになります。そういった破たんに向かっていく分岐点はどのへんだったんでしネうか。

下河辺:破たんしたんですかね。

江上:大田さんと橋本さんは結局、最後は再び対立しましたね。

下河辺:それは、ちょっと、私のメモで提携したっていう話と別の話ですね。

江上:それとは別の局面です、もちろん。

下河辺:だから、政治的には選挙なんかになれば、当然、敵と味方ですよ。

江上:総選挙までは良かったですよね。

下河辺:選挙後もいいですよ。

江上:そうなんですか. でも結局、両者の関係がおかしくなっていったのは、名護の住民投票などもあって大田さんが次第に海上基地建設に反対に傾いていってからです。

下河辺:それはよく、大田さんと話し合ったけども、名護の市長の選挙だけじゃなくて、いろんな県民投票っていうか、アンケート調査なんかでも、もう大田政権の時代じゃないことを大田さんがよく知ってんですね. で、私は大田さんに大田政権続けるのなら、那覇のヤングを捕まえるっていうことを特別にしないと、選挙は負けだよって言ったら、大田さんは負けていいんじゃないかと、自分の沖縄戦以来の政治姿勢を変えないまま辞めていきたいって言いましたよ。だから、私はそれは立派なことで、大田さんは最後まで自分の政治姿勢を崩さなかったっていう歴史を残しましょうって言ったら、彼は喜んでたよ。
310

江上:それは沖縄県知事選挙の直前に大田知事と会われたときの話ですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときに、基地に「ノー」と言って、準挙で負けてもいいと大田知事が先生に話されたんですね。

下河辺:そう。

江上:大田さんは平和学の研究者として筋を通す形となりました。

下河辺:そう、筋を通したかったわけですよ。

●大田知事と岸本市長の移設先基地イメージのギャップ

江上:通したかったわけですね. 橋本首相との関係で大田知事が海上基地を応諾しようとした時期もずいぶんあったようにみえましたけでね。

下河辺:いやいや、応諾っていうのは、また別の問題ですよ。それは、何ていいますかね。普天間の移転っていうことは、・知事のテーマだし、移転してくれるのはありがたいことだし、そして、規模縮小案だったから、余計、知事はうれしかったんですね。ところが、名護の市長が併用論を出してから、小規模基地でなくなったんですね。

1000メーターの滑走路を持つなんて話に戻っていったから、知事はそのころは、もう地元の話に任せていて自分の意見を言いませんでしたね。

江上:なるほど. 海上へリポートから海上基地に変わっていって、大田さんが想定していたような規模の小さな移転先でなくなってしまった. それで、大田知事自身もだんだん身動きが取れな_くなっていったっていうことでしょうか。

下河辺:身動きが取れないっていうか、むしろ名護の市長の言うとおりにしようと思ったわけですよ。米軍とはまた意見が違っちゃって、で、知事と米軍とは考え方が一致しての移転だったんすね。それが市長さんの意見で、ちょっと大規模化が進んじやったっていう。

江上:岸本名護市長の考え方に従うと結局、大幅な縮小という形で移転したいという大田さんの本来の考えから離れていったんですね。

下河辺:そうです。

江上:普天間移設をめぐっては県民も意見が分かれました。

下河辺:そう、で、まあ、アンケート調査とか選挙のたんびに、どうもちょっと、厳しい意見ではなくなってきたわけですね。だんだん沖縄で、米軍の駐留を認める方向へ、世論は動いていちやったから、そのときに世界情勢が転化して、米軍が出て行くっていうような情勢とまったから、ちょっと意見がすれ違っているんすね。そこへ小泉さんが出てきて、有事の沖縄なんていうことを古めかし'く言ったから、米軍とも離れ、県民とも離れちゃってこいるのが現在じゃないですかね。

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江上:日本政府と大田県政は結局、関係修復ができなかった。大田さんは知事選で「海上基地反対」を掲げて、学者知事としての筋を通した形になりました。下河辺先生のお話によると、大田さん自身がそれを望んだということでしたが、しかし橋本首相をはじめ日本政府としては、それは約束が違うじゃないかという思いだったでしょうね。

下河辺:約束っていうのは。

江上:ですから、沖縄側が望んだ普天間返還を橋本総理がアメリカ政府と一所懸命、掛け合って実現したわけですから、それで、それが条件付だったわけですけれども、名護移設に向けて大田知事が骨を折るのが筋じゃないかと橋本首相は考えられたんではないですか。

下河辺:いやあ、あまりそう思っていないんじゃないすか。

江上:そうですか。

下河辺:移転ということはいまだに消えてないわけでしょ。だから、移転するんじゃないすか。それで、不思議なことになったのは、大田知事が国会議員になっちゃったっていうことで、あんな当選したって、国会での発言権って小さいけれども、1回発言しましたよね。それは、米軍の沖縄から撤去するのはいつかっていうような質問に終始したんですね。

そうすると、情勢しだいでやがてでしょっていうような答弁しか期待できませんよね。

江上:そうですね。まあ結局、国政では沖縄のために活躍する場は小さくなりますね。

下河辺:だから、私は彼は学者になって、戻ってりやあいいのにと、思ったのね。で、学者としての発言の方が、みんなから注目されると思うんですね0 だから、参議院議員からなんか言っても、当然のような話になるんで

江上:いろんな事情があったのかもしれませんね、参院に出ざるを得ないような。社民党に担がれたというのもあるのでしょうし。

下河辺:社民党とともに滅びちゃうんじゃないすか。

江上:でも今度の選挙で、社民党は2議席を沖縄で取りましたからね。
下河辺:そうね。

●吉元副知事、不再任の影響

江上:共産も1議席を取りましたから(笑)。この結果は日本全体の社民、共産退潮の流れとまったく逆ですから(笑). これも不思議な現象です。

話は変わりますが、吉元副知事が結局、再選されなかったということは、先生がいろいろ作業なさる上でマイナスとなることが大きかったんでしょうね。

下河辺:いや、辞めたからプラスになったから. どっちがいいかわかんない。
江上:プラスもあったんですか。

眞板:プラスはどういうのがあるんですか。

下河辺:いやあ、知事の考え方と違う場合なんかは、やりやすかったよね。吉元が担当してやっていると、反対するのが、ちょっと悼られた感じだ、でも、だんだんと吉元が県庁や大田県政から離れると、私にとっては頼みやすかったね。

で、政府の方も吉元を信頼して、大田知事を信頼してたわけじゃないから、~辞めても政府は吉元に相談したりしていたからね。`
312

江上:稲嶺県政になってからも、吉元さんは政府とのパイプ役をやっていましたね。

下河辺:そう、やってましたよ。

江上:そうですよね。

眞板:あの、じゃあ、そうすると、前後しちゃうんですけど、先生のご認識では政府と大田さんというのは、大田県政がなくなるまで、そんな関係は悪くなかったという。

下河辺:悪くなかったですよ。

眞板:実は県内のマスコミの方に伺うとですね、だいたい、吉元さんが再任を否決される97年の秋口くらいからですね、その政府とのパイプが目詰まりしだして、関係が悪化していくというような分析をなさっているかたが、案外、多ございまして、で、最終的に政府から見放されちゃうと、沖縄はどうしても、こう財政依存していますんで、不利益をこうむるというこ. とで、地元の財界の方は、じゃあ大田の対抗馬を立てようということで、稲嶺さんを立てて、という解説を。

下河辺:それは、おかしい、そんな講じやつながんないと思うの. 自民党系の人で、知事を立てたいっていう仕事は、政治的に当然なわけよね. 革新系の知事でいい、なんて思わないですよ。だけせ、そのことと、吉元がどうだっていう話とは関係ないのね. 吉元を使って、政府の窓口をして欲しいわけ、それは革新系も保守系も両方ともそうなんです。

江上:いっしょなんですね。

下河辺:そいで、彼がともかく東京へ来て、政府との折衝をして、補助金のことから何からみんな整理していたわけです。

江上:そうなんですか。

下河辺:大田さんっていうのは、結果だけを聞きに来たことはあっても、折衝する人じゃない。

江上:ということは、副知事を降りてからも吉元さんは政府とのパイプ役をやり続けていたんですね。そのことと知事選の動向とは関係ないわけですか。

下河辺:私と古川官房長官と吉元の関係は、ずっと続いていましたよね。

江上:そういうことですか. 確かに、保守系の人たちや経済界の人にとっては、革新系の知事よりはやはり、自民党系の知事の方がいいですからね。

下河辺:そりゃそう。

江上:そっちのほうを担ぎ出そうとしますよね。特に海上基地反対というようになると、真っ向から政府と対立する形になりましたからね。それと吉元さんの再任否決はちょっと達うんですね。

下河辺:橋本さんた. ちにすると、ずるく構えて、自分たちでアメリカに言い辛いところは。

大田知事なら言うだろうっていうような悪さもあったと思うね。

313
眞板:ただ、吉元さんが、副知事という立場からお離れになってしまうと、知事の公式的なメッセージを、公式的というか本音ですね、たとえば、海上へリポート基地に反対表明って言っても、選挙民向けにそうは言うけども、本音としてはこうですよ、みたいな、えーなって言いますかね、ネゴシエイションというか、を言う人間がいなくなっちゃうんじゃないですか。

下河辺:いなくて、いいじゃないの。知事が本当にどう思っているっていうことが、政府としては聞きたいわけで、戦略的な話を聞いてもしょうがないわけでしょ。だから、知事は本当は何を考えているのっていうことを吉元あたりからちゃんと聞きたいんじゃない。

眞板:それは副知事を離れても、あまり差し支えはなかったということですか。

下河辺:差し支えって-いうよりも、彼がよく勉強しているから、役に立っているよね。

江上:でも大田さんはその吉元副知事がいなくなったことで、かなり困ったでしょうね。各方面の交渉の大半を吉元さんに任せていましたからね。

下河辺:いや、それはもちろんそうでしょうね。

●海上基地のプラン

江上:やはり吉元副知事が否決されたあたりから、大田県政はいろんな面でギクシヤクしてうまくいかなくなっていきますね。

ところで海上基地についてですけども、先だっての話で60年代にアメリカ海兵隊にプランがありましたけども、その辺のプランと先生はずっとやっぱり関わってきたということですか。

下河辺:いやいや、そうじゃなくて、この60年代のプランっていうのは、どのことを言っているかによって達うんですよね。

江上:いろいろあったんですか。

下河辺:60年代のプランっていうのは、私たちの認識だと、アメリカの埋め立て業者のプランっていうことで、梶山官房長官のところへそれが送られてきて、官房長官が、普天間移転ということをアメリカが認めたから業者が出してきたんじゃないかっていう認識になったわけですね。

江上:はあ、そういうことですか。

下河辺:そして、どうなっちゃうか、反対が激烈になっちゃうんじゃないかって、言っていたら、意外と漁民が賛成しだしたから、そういう方向にちょっと向いたんですね。

眞板:というと、海上へリポートのような案がベクテルからあったという話がございましたよね。この埋め立ての業者のプランっていうのは、また違う業者?

下河辺:いや、その、そのことです。

眞板:あっ、そうですか。

江上:ベクテルですね。このベクテル以外にもあったんですか。

下河辺:いやいや、なかったんじゃないすか。
314

江上:でも、橋本首相が海上へリポート構想を打ち上げたその前あたりに、すでに日本の業者やアメリカの業者がいろんなプランを先生のところに持ってきたんですよね。

下河辺:そうですね。

江上:何社くらい持ってきたんですか。

下河辺:いやあ、そのアメリカのプランが中心で、梶山さんが議論してましたから、我々もそういう議論してましたけど。

江上:日本の業者もいましたですよね。海上の、なんといいましたかね。

眞板:ヘリポートみたいな、ぷかぷか浮いた、フローテイングですね。

下河辺:フローテイングのあれ。

江上:ありましたよね。そういうのが。

下河辺:あったんですけども、フローテイングっていうことで、漁業を守ろうとしたわけですね。

江上:そうですよね。

下河辺:ところが、漁民が賛成しちゃったら、そんなお金かけないで、安上がりの埋め立ての方がいいっていうこと

にすぐなったんじゃないすか。

●海上へリ基地と日米建設摩擦の関係

江上:それで海上へリポートも消えていくんですよね。沖縄の海を傷つけないようにといろいろ苦心惨憤して海上

へリポート案が出てきたんですが、地元の業者たちが地元に多くの金を落とすためこは大規模にやったほうがい

いとなっていくんですから、皮肉な話ですよね。

ところであの海上基地については当時の日米構造協議とか日米建設摩擦とのからみがあったんでしょうか。

眞板:確か橋本内閣が課題としていたのは、日米構造協議があったと思うんですよ。で、その中に先生もお関わ

りになられていますけど、保険問題とか、あと通信の問題とか⊥あと建設の問題。建設摩擦. だいたい大きく3つ

くらいのテーマがあったと思いますが、その時期的なタイミングでこれは邪推かもしれないんですが、建設摩擦を

回避するた馴こ、アメリカのゼネコンを日本の公共事業に参入させて、それのパイロットケースとして、普天間の

跡地の建設をこうやらせようとしたんじゃないのかと、いうように思ったんですけども、そういうこう日米関係との関

連性っていうのはどの程度あったのかなと思ったんですけど。

下河辺:いや、そういう議論はあったけども、結局、アメリカの建設業者が、日本へ来て建設事業やる気はなかっ

たんです。

眞板:あ、そうなんですか。
315

下河辺:だって、何がメリットになるの? 入札価橡でアメリカから持ってきて、勝てるわけがないじやない。だから、

彼らは日本の建設業者を使う発想しかできない、わけなんです。そうすると、使う分だけコストが高いじゃない。

だから、現実的にはあまり日米構造協議でアメリカの建設業者を使え、なんて話は話だけで現実的じゃないわ

け. むしろ、それよりは日米構造協議としては日本が公共事業をやることで、内需拡大をすると、日米の貿易に

いろいろプラスが出てくるんじゃないかっていう、ことだけ議論したのね。

眞板:県内的に見ますとi国場組がベクテルとJVを組もうとして、ベクテル案を国場組は一所懸命、推していたと

いうような話も地元では伝わってはいるんですよね。

下河辺:いや、だから、日本にやらせることで、自分でやるんじゃないってアメリカの企業が、もし、アメリカの業者

に頼まれることがあったら、国場組に下静'けさせようとしていたわけでしょ。

江上:そういうことですか。

下河辺:だけど、実らなかったんじゃないですか。

江上:・昔から国場組アメリカの基地の仕事をやっていましたからね。

下河辺:そうです。

●大学院大学構想について

江上:あとは大まかな話をお伺いして、そろそろ総括の方へ移りたいと思いますけども、先生はこのメモでいろんな

構想を出されて、その中でまだ実現していないのもありますし、まだこれから可能性があるのもありますけども、い

まの大学院大学構想がもっとも実現に向っているような感じがしますが。

下河辺:いやあ、もう年取ったから、関係ないけれども、いま、大学についての討論がようやく政府の中で始まっ

たわけでしょ。

江上:はい。

下河辺:だから、大学の改革論っていうのは、どういう結論になるかっていうのと、沖縄の大学院大学構想と、非

常に関係が深くなりましたね。

江上:そうですね。大学改革のいろんなプランとかアイディアがいま、いろいろと出てい
ますね。

下河辺:そうですよね。

江上:そうすると、沖縄の大学院大学構想もそういった大学改革の一環となる可能性があるということですか。

下河辺:一環になってきている。

江上:前例のない大学として。

下河辺:独立法人としての新しい沖縄の大学の構想を練る必要が出てきてんじゃんないすか。

江上:そうですね。国立大学はまもなく全部が消滅しますからね。
316

下河辺:そうですね。

江上:そういう意味では、大学改革という組織論の観点から見ても、この沖縄の大学院大学構想というのは面

白いということですか。

下河辺:そうです。

江上:新しい大学のあり方が検討されている時期での構想ですからね。

下河辺:私は具体的な点では、. 終身雇用制なくそうと、で、5年契約っていうことが可能なような道を開けって

いうのが、沖縄大学院に対するひとつの見方ですね。それで、大学の自治っていうことを本格的なものにするって

いうことで、もうちょっと知恵が要るんじゃないかっていう。

なんか、文部省の監督の下に、なんか自治って言っているような感じがあって、ひとつも自治じゃないって言って

んですけどね。

江上:(笑)いまの大学の独立行政法人化はそんな感じがします. 文部科学省の監督がとれないままで大学の

自主性を誇っても中途半端な感じがします。教員の任期制については、すでに取り組んでいる研究所や大学

があります。

下河辺:あるんだけれども、なんか生活の保護とか、失業手当とか、社会保障の点ができないのね。

江上:なるほど。

下河辺:終身雇用を前提にして作ってあるからね。だから、時間制の簡単に言えば、パートタイムの人たちの厚

生福利事業が、どうなるって問題と同じになっちゃったのね。なんかこのへんの喫茶店で働いている女の子と大

学の先生が同じテーマになっちゃう。そのあたりは、なかなか解決しないかもしれないね。

江上:確かに難しい点があるでしょうね. でも5年くらいの契約にしたら、むしろ外国からは研究者が来やすいんで

はないでしょうか。

下河辺:いや、むしろそう望んでいるわけでしょ。

江上:そうですよね。

下河辺:だから、沖縄なんかでも、アメリカの先生たちが来たいっていう面はあんですよね。特に志願兵の中にい

るんですね。医者でも哲学者でも、沖縄の大学で勉強したいっていう。

だけど、なかなかちょっと日本の文部省が、大学論をそこまで弾力的に考えることが、いまんとこ. ろはちょ`っとで

きないんじゃないですかね。

江上:そうですか。もうちょっと、日本の大学の先生たちをもう少し動けるようにしたはうがいいと思いますね. 私は

早稲田大学に移る前に、琉球大学に25年半いましたが、その間、できたら北海道とかあちこちの大学に行って

みたかったなあといまでも思います。

下河辺:いや、動けっていうと、現在の自分たちを守ってくれっていう動きにしか、なんないだよ。

江上:そうですか。

下河辺:国際化しようなんて先生、いないんじゃない?

江上:(笑)そうですか。そういう意味では、大学院大学に、先生は期待をもっておられるんですか。
317

下河辺:いやあ、日本の大学を沖縄でなくてもいいから、そういう大学できないかなあって思うね。そういうとき、

国として作りやすいのは、新しく作るんなら、沖縄じゃないかなあっていう。

江上:沖縄の. 方が作りやすいですね。北海道も前に検討されたことがあったとおっしゃってましたけども。

下河辺:あるんですけども、北大が強くて、国立大学だから、拘束されてて、なかなかうまくいかなくて。

江上:そうですね。北海道で北大が強いですね。

下河辺:本当は北大の連中が自分たちの大学潰して、新しい大学作るくらい元気があるといいんだけども。

江上:まあ、大学という組織は保守的な傾向がありますから(笑)。

眞板:沖縄開発庁の事務次官経験者の方に、大学院大学構想について、ちょっと聞いてみたんですよ。そした

ら、国が旗振り役で作るは結構だけれども、地元が欲しいって言ったわけじゃないんでしょと。で、そんなもの沖

縄に作ったって、場所だけ貸しているだけで、地元はありがた迷惑なんじゃないのかねっいうようなお応えが返って

きましたよ。

下河辺:それは、沖縄頼んだことがないんじゃないすか。だから、文部省の役人にすれば、頼まれなきややんない

すよ。だけど、頼事ない方がいいね. 新しい大学を作ることが消えてっちゃうよ。頼んだら。

●沖縄問題に関わってきた感想

江上:それで、おおまかな感想でよろしいんですけども、先生は復帰前の1970年から今日まで34年間の長きに

わたって沖縄に関わってこられました。沖縄の問題は、基地の問題と経済振興の問題がいつも出てきて今日ま

で変わらないのですが、まあ、そういった沖縄問題に長い間、関わってこられて、どんな感想をお持ちでしょうか。

下河辺:いやいや、要するに時代の変化が激しくて早いっていうことに、ひたすら驚いているね。だから、その時代

、なんかの変化の大きさと速度っていうものに、対応した沖縄を論ずることをやらないと、現実的なテーマになら

ないね。だから、復帰のときから付き合った、私にすると、その国際的な状況の変化が、一番大きなテーマね。も

う、戦争のためとか有事のためとか、そんなテーマがまうたくなくなったっていうのは、当時からみると考えられないも

んね。

江上:ということは、沖縄を取り巻く国際状況は非常に早く変化しているので、そういった変化に対応していきな

がら、沖縄の将来の方向性を見つけるべきであるという御意見でしょうか。

下河辺:見つけるべきっていうよりも、それしかないんじゃない。
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江上:確かに、東南アジアや東アジアの諸国もかつては貧しいと言われていましたけども、ずいぶん発展しました

よね。

下河辺:いや、それでもまだ、貧しいっていうのは、たとえば、医療の点とか、なんか福祉行政の点とか、遅れてい

る面がいっぱいあるわけでしょ。

江上:それはありますね。

眞板:経済振興に関連しますけれども、沖縄にとってのテーマっていうのは、常に自立型の経済へ進んでいくんだ

というようなことが、叫ばれておりましたが、先生のお考えとしたら、目立っていうのは、どういう状態になったら自立

とか、経済的に見ると、これが自立型の経済であると、いうふうにお考えでしょうか。

下河辺:目立っていう言葉は、いろんな理解があるけれども、いま言っている目立っていうのは、成功してんじゃ

ない。というのは、あれだけ、たくさ4Jめ若者が、入り込んで、めし食ってんだもんねえ。人口があんなに増えるな

んていうことは、倒産以外ないって、我々は思って血わけだから、それがいま人口が百、、_、、

江上、眞板:135万くらいです。

下河辺:くらいでしょ。70万超えたら、大変だってなことを議論していた時代から見ると、物凄いよね。で、彼ら、

本当にどうやって食ってんだろうね。

江上、眞板:(笑)

下河辺:結構、楽しそうだもんね。失業率が高いことで、まためし食っている面もあんじゃない。失業手当を当て

にした生活も出てきていて、なんかさっきの労働組合なんか、がっかりするほど組合に頼ろう、なんていう青年じゃ

ないんじゃない。で、戦争を知らないっていう、青年があれだけ集まっちゃったっていう、それは過疎県にしたら珍し

いしねえ。

沖縄戦争知っている人から見りや、あ、なんか、ぜんぜん、不可思議な青年が、いっぱい集まっちゃったわけでし

ょう. それでもその青年たちが、琉球の伝統を守ろうとしたりしてんのはいいね。そういう意味じゃ、本当に戦争の

ころから、復帰のころから、こんにちまでの沖縄との付き合いっていうのは、まったく変化したね. いまの心境とした

ら、私が沖縄に対応する必要はまったくなくなったって思うね。もう自力でなんとかなっていくから、私のような年寄

りが、でしゃばって、口をきくようなことは、一切なくなったね。

眞板:じゃあ、その意味で、本土並みになったということなんですか。

下河辺:「並」って言葉はなんなのかね。並にはなんなくていいんじゃない。あの当時、核抜き本土並みって言っ

たのは、一人当たり所得を47都道府県の中で、何番目に持っていくかってな議論しかしてないわけでしょ。何番

目でもいいんじゃないすかね。幸せなら。

江上:先生は別に本土並みを目指す必要はないと、常々、おっしゃっていますね。

下河辺:本土並みって意味がわかんないから、答えようがないよね。

江上:別に沖縄は沖縄独自のやり方で、やっていけばいいんじゃないかと。

下河辺:そう、だから、人によると、なんか一人当たり所得が、同じになるかそれ以上になれば、沖縄、本土並み

って言うんだっていうけれども、それは単なる算術上の問題でね。幸せかどうかっていう考え方とは違うよね。

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眞板:ただ、やはり所得格差の部分はよく出てきますね。県内では。
下河辺:高すぎるって?

江上:(笑)

眞板:全国平均から比べると、7割だとか、やれ7割きっちゃったとか、そういう話ぽっかりですね。で、要は平均値

になれば、そういう意味では、ああ県内的には本土並みっていうことなのかなとっていう気もするんですけど。

下河辺:そんな気するかねえ。

眞板:いやあ、よくわからないです。

下河辺:無理矢理して、公害で自然が壊れたり、人々の気持ちがすさんだ'り、つていうようなことになっちゃうとし

たら、嫌なんじゃない。

●新全総の「沖縄開発の基本構想」

江上:ところで新全総の中に、沖縄が返還された後で、第4部に「沖縄開発の基本構想」が付け加えられます。

ここの文章は先生が書かれたんですか。

下河辺:そうですよね。あのころ、私がやってたから、なんか復帰したとたんに追加したんですよね。

江上:そうですね。だから、新全総の改訂版にはこの沖縄の部分が入っていますね。

下河辺:そうです。

江上:そうですね。

下河辺:だけど、そのころは、70万っていう人口にこだわって書いたから、いま見ると実態とはずいぶん違っちやい

ましたね。

江上:この「沖縄開発の基本構想」には、先生の沖縄に対する考え方が一番よく表われているなあと私は恩う

んですが。

下河辺:考え方をまとめたと思って、いまでもそれでいいと思うんですけどね。

江上:そうですよね。沖縄に対する先生の基本的な考え方がよく出ている感じがします。

下河辺:その人口についても、沖縄から人々が海外流出することが、いまでも重要だと思うんですね。だから、

100何万っていうようなことの方が、不自然であって、もっと出たらいいと思うんですけども. ただ、人口増加が、

本土からの流入人口が多いってなると、変な話ですよね。

江上:たしかに変な話です(笑)いやあ、ほんとに。この「沖縄開発の基本構想」には、沖縄の進路はこうあるべき

だという先生の基本的な考え方がよく出ていると思うんですが、残念ながら、一次振計、二次振計、三次振計

の結果は、必ずしもその通りにはならなかったですね。

とくに先生が強調されたアジアとの国際交流の推進とか亜熱帯の特性の活用などは一次振計などではずいぶ

ん優先順位が落ちてしまいました。
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下河辺:そう。ただそれをやったのは、昭和47年ですから、だから、元の沖縄県の計画がずっと出てきたけども、そ

れを基本にしてますということは、毎回言ってんですね。だけども、具体性のテーマってなると、あんまり具体的じ

ゃないから、やっていないような感じになるわけですけどね。

●沖縄の日本復帰の是非

江上:いま沖縄は日本の中にあるわけですけども、沖縄は日本に復帰してやはりよかったんでしょうか。
下河辺:いや、良かったって、、、、

江上:難しい質問でしょうが。

下河辺:九州だって、独立したいっていう意見はいっぱいあるわけだし。

江上:そうですね。私も九州出身ですから、子供に頃、そういう話をよく聞きました(笑)

下河辺:沖縄だって独立したいっていう意見があって当然であって、だけど、佐藤内閣が折衝して、戻ってきて、

ノーベル賞までもらったっていう歴史は、やっぱり、記録されるんじゃないすかねこだけど、これからどうなるかってい

うのは、誰にもわかんないんじゃないすか。

ただ、ちょっと言えんのは、沖縄の若者に独立するエネルギーがないんじゃないかっていう、ふう~には思いますね


江上:そうですね。実際に独立する、独立しないは別として、独立するくらいの気概は必要ですよね

下河辺:いやあ、それはあったほうがいい. と思いますよ。

江上:あったほうがいいですよね。確かに先生の御指摘のように、いまの沖縄の若い人たちの中で独立したいと

言う人はいませんね。

下河辺:だけど、大田さんじゃないけれども、戦争を知らないよそ者の沖縄ですからね。

江上:そうですね。

下河辺:そんな激しい意見になりっこないですよね。

江上:ならないですね。大田さんは過酷な沖縄戦を体験していますからね。

下河辺:あの人は、初めから終わりまで沖縄戦をベースに考える人ですからね。

江上:そうですよね。それだけの体験をしておられますからね。

下河辺:そうなんです。

江上:そういう体験をした沖縄の人びとは非常に少なくなりましたからね。それと同時に、やっぱり沖縄が豊かにな

ったんでしょうね。

下河辺:それは豊かになってますよ。

江上:だから、ハングリー精神もないですよ(笑)。豊かなんですから。

下河辺:豊かっていう意味は、お金の上でフィジカルに豊かっていう意味では、まさに豊かですよね。そのことが幸

せかどうかっていうと、琉球時代の方が幸せだったかもしれないよね。
321

●これからの沖縄の視点

江上:そうですね。先生も当初から考えておられたと思うんですけども、沖縄は東京ばかりに目を向けずに、もっと

アジアのいろんな国々に目を向けて出かけるべきではないでしょうか。

かつての大航海時代のように近隣アジアとのいろんな交流の中で進路を見つけられるような、そういうふうに時

代が来ればなあと私も思います。先生もそういうことをお考えになりながら、蓬莱経済圏などを構想されたんじゃ

ないかなあと考えます。そういう時代がこれから先、沖縄にやって来るでしょうか。

下河辺:来るっていうよりも、来させないといけないんじゃない。

江上:来させないと。

下河辺:だから、県民たちが東南アジアとの交流について、具体的な提案をする時代に来てんじゃない。 それは

、米軍の医療のこともあるけれども、いろんな情報センターとしての役割っていうところも来たけども、それ以上に

何か、共通のビジネスを作るっていうことができるといいって、思うのね。

江上:そういう意味では沖縄自らがこれから努力して必要もありますが、まだまだ沖縄には可能性があるというこ

とでしょうか。

下河辺:いやあ、とにかくそういう人が出てこなきゃ、だめなわけよね。だから、沖縄人、琉球人っ七いう人の中で

、どういう人が出てくるかっていうことが、期待ですよね。

江上:沖縄を新しい世界に導いていき、沖縄の新しい時代を築くような人材を撃出して欲
しいということですか。

下河辺:それは、小さな仕事でいいんですよね. 大げさ. に世界を引っ張っていくなんていうことを期待しない方が

いいと思うけど。特に漁業なんていうのは、これからどうなりますかね。糸満漁業がどうなる、なんていうことで、糸

満の青年たちが、いろいろ考えるといいと思ったりするしね。

江上:そういう小さいところから育っていく人材が、、.
下河辺:そう。

江上:そういうことですね.

下河辺:砂糖なんかでも、沖縄の砂糖が、キi-バの砂糖と違う何かを訴える必要があって、量的に戦おうと思うと

、生産性が低くて、とても勝てませんけどね。だから、塩でも砂癖でも、このごろは少数の特色のある砂糖とか塩

を売るようになってきましたよね。塩のはうが先に、いまそうなって。

江上:そうですね。そうなってますね。

下河辺:いますけどねえ. これから、いま、日本じゃあ、なんかエベレストのなんか西洋型の塩の種類をたくさん売

ったりしているけども、琉球砂糖っていう、たくさんの種類の砂糖を作ったりしたら、面白いと思うけどね。
322


江上:私は常々、不思議に思っていたんですけども、サトウキビを栽培しているところはほとんどラム酒があります

よね。

下河辺:んっ?

江上:ラム酒です。

下河辺:ああ、ラム酒。

江上:沖縄はラム酒がないんですよね。

下河辺:ああ

江上:これはなぜかなと(笑)

眞板:'先生、復帰前に一軒あったんです。

江上:あ、ラム酒屋があったんですか。

眞板:はい。中城あたりに。′潰れちゃったの。

江上:泡盛に勝てないの?

眞板:はい。主に米軍向けに売っていたみたいで、アメリカ兵は飲むんだけれども、どうも沖縄の人は飲まない。

江上:ラム酒を飲まな. い?

眞板:ええ。

江上:だって、奄美は黒糖酒がありますよ。

眞板:ありますからね。

江上:黒糖焼酎だから。

眞板:そういう意味では、沖縄って不思議なところなんですよ. 自分のところで作れる作物で、酒を造るんじゃな

いんですね。輸入物ですから。

江上:タイからね、いまでもタイのコメを輸入して泡盛造っていますからね。

眞板:酒文化論で考えると、すごく面白い。

江上:しかし、泡盛の酒の文化が長かっ_たから、それに比べればアメリカ支配の時間って短いからね。

下河辺:でも、泡盛だって、国産じゃないでしょ。沖縄産じゃないんじゃないすか。本来。

江上:タイに泡盛のルーツがあります。

下河辺:どっからか、知らんけども、入ってきたんじゃないすか。

江上:そうそう、タイからですよ。いまでもタイの奥地に行くと、泡盛に似た味の古い酒があります。もう一般には販

売されておりませんけども。それは本当に昔の泡盛の味とよく似ています。

下河辺:そうですか。

江上:だから、泡盛は本来、輸入物だったんですね。輸入物だったのをその造り方をまねして、沖縄で造るように

なったんですね。

下河辺:沖縄っていうのは、そういう国際的文化センターだったんですよね。
323

江上:いろんなものを海外から取り入れてミックスさせるんですね。

眞板:ただ、土着的なお祭りですと、やはり、お神酒みたいなのが出てくるんですよ。本土の方のお祭りと同じ、ど

ぶろ-くみたいなのをみんなに振舞ったりして。

下河辺:島津藩と付き合ったあたりから、そういう影響を受けたんじゃないすかね。

眞板:かもしれないですね。

江上:どぶろくみたいなのがあるの?

眞板:ありますよ。

江上:ふうん。

眞板:あの大宜味の塩屋湾あたりで2年に1度やるんですが、うんじやみ、あの海神祭っていうんですけど、網元

の家がだいたい3軒くらいあって、それを持ち回りで。

●下河辺氏にとっての沖縄の未来

江上:そうですか。それは、先生がおっしゃるように島津藩あたりと接触したあたりからでしょうね。

さて、最後の質問になりますけども、下河辺先生が長い間、沖縄と関わられてきましたが、下河辺先生にとって

沖縄というのはどういう存在だったんでしょうか。

下河辺:どう言ったらいいでしょうね。まあ、佐藤内閣の復帰の問題あたりから付き合って、楠田賓っていう新聞

記者が盛んに追い回してきたりして、なかなか面白かったですけどね。

しかし、さっき言ったように、世界やアジアの政治的な軍事的な情勢が激変したから、最初、考えたり言ったりし

てたことと違った沖縄になりましたよね。そして、こんにちになって、やっと有事としての沖縄よりは平和の沖縄って

いうテーマに戻ってきたから、この歴史が将来、どういう展開を示すかっていうことに、一番興味がありますね。

だけど、′
私の命はここでおしまいだから、沖縄どうなるか、楽しみにして、ま、去っていくことになるでしょう。

江上:そういう意味では、先生は沖縄の未来については明るい見通しをお持ちなんでしょうか。

下河辺:ええ、とても明るいと。

江上:そうですか。

下河辺:ええ。その20世紀っていうのが異常でしたよね. 世界大戦が繰り返されたりして、最後は冷戦っていう第

三次大戦を経験して、それが終わって、21世紀、22世紀はどうなるかで、私は22世紀が非常に期待される世

紀だと思うんですね。

そのためこ、21世紀をみんなで頑張んなきやならん、と。地球と人類との関係をひとつの方向を見つける一世紀

であって欲しいって思うんですね。

江上:20世紀は戦争の世紀だったといわれますが。

下河辺:そう。
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江上:先生のお言葉を借りると、21世紀は平和を創り出す世紀であって欲しいと。沖縄も本来、平和を愛する

人々の島ですからね。

下河辺:人類が地球に住んだことや、地球が宇宙の中でどういう惑星であるかっていうことを思いながら生きてい

く世紀になるんじゃないすかね。

江上:そうですね。是非そうあって欲しいと思いますし、沖縄もその中で平和に貢献できるような役割を是非担っ

ていってほしいですね。

下河辺:沖縄っていうのは、東京からの遠隔地じゃなくて、地球の一点です車んねえ。

江上:そうですね。

下河辺:すべての地点が地球のワンポイントという形で存在を議論するようになるでしょう。人類と宇宙とか地球

っていうのは、これから面白いテーマにどんどんなっていくんじゃないすかね。

江上:ありがとうございました。最後は含蓄のあるお話を聞かせていただきまして本当にありがとうございました。

下河辺:ご苦労さまでした.
(了)
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