「論」も愉しとは、故筑紫哲也氏の言葉である。 近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。 その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。 そうやってひとつの「論」の専制が起きる時、 失なわれるのは自由の気風。 そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。 ・・・・「論」を愉しむためには、いろいろな事を知っていた方が良いと自分は考える。沢山引き出しを持っていた方が、人生を愉しめるような気がする。
2012年12月2日日曜日
日本未来の党1次候補者&大地・真民主
【北海道】1区 清水やすみろ▽3区 町川ジュンコ▽4区 とまべち英人▽7区 鈴木たかこ▽8区 北出美翔 ▽10区 あさのタカ貴博▽11区 石川ともひろ▽12区 松木けんこう
【青森】1区 横山北斗▽2区 中野渡詔子▽3区 山内卓
【岩手】1区 達増陽子▽2区 畑浩治▽3区 佐藤奈保美▽4区 小沢一郎
【宮城】1区 横田匡人▽2区 斎藤恭紀▽5区 阿部信子
【秋田】1区 高松和夫▽3区 京野公子
【福島】1区 石原洋三郎▽2区 太田和美▽5区 松本喜一
【茨城】1区 武藤優子▽3区 小泉俊明▽6区 栗山天心
【栃木】4区 山岡賢次
【群馬】1区 後藤新▽3区 長谷川嘉一
【埼玉】7区 小宮山泰子▽8区 西川浩▽9区 松浦武志▽10区 松崎哲久 ▽15区 小高真由美
【千葉】2区 黒田雄▽3区 岡島一正▽4区 三宅雪子▽5区 相原史乃 ▽6区 白石純子▽7区 内山晃 ▽8区 姫井由美子▽9区 河上満栄 ▽11区 金子健一▽12区 中後淳
【東京】1区 野沢哲夫▽3区 池田剛久▽5区 丸子安子▽7区 岡本幸三 ▽9区 木内孝胤▽10区 多ケ谷亮▽11区 橋本久美▽12区 青木愛 ▽13区 本田正樹▽14区 木村剛司▽15区 東祥三▽16区 初鹿明博 ▽18区 杉村康之▽19区 渡辺浩一郎▽21区 藤田祐司▽23区 石井貴士 ▽25区 真砂太郎
【神奈川】3区 岡本英子▽5区 河野敏久▽7区 山崎誠▽12区 阿部知子 ▽17区 露木順一▽18区 樋高剛
【新潟】1区 内山航
【石川】1区 熊野盛夫
【長野】4区 三浦茂樹▽5区 加藤学
【岐阜】1区 笠原多見子▽2区 橋本勉
【静岡】4区 小林正枝▽6区 日吉雄太▽7区 野末修治
▽8区 太田真平
【愛知】1区 佐藤夕子▽2区 真野哲▽3区 磯浦東▽4区 牧義夫▽5区 前田雄吉 ▽6区 水野智彦▽7区 正木裕美▽8区 増田成美▽9区 井桁亮▽10区 高橋一 ▽12区 都築譲▽13区 小林興起▽14区 鈴木克昌
【京都】4区 豊田潤多郎▽5区 沼田憲男
【大阪】1区 熊田篤嗣▽2区 萩原仁▽6区 村上史好▽7区 渡辺義彦 ▽15区 大谷啓▽17区 辻恵▽18区 中川治
【兵庫】3区 三橋真記▽6区 松崎克彦
【奈良】2区 中村哲治
【広島】1区 菅川洋▽6区 亀井静香
【山口】1区 飯田哲也
【愛媛】2区 友近聡朗
【福岡】2区 小谷学▽4区 古賀敬章▽5区 浜武振一
【長崎】3区 山田正彦▽4区 末次精一
【熊本】2区 福嶋健一郎
【大分】1区 小手川裕市
【宮崎】1区 外山斎
【鹿児島】1区 渡辺信一郎
【沖縄】3区 玉城デニー
2012年6月27日水曜日
虚偽報告書問題
<虚偽報告書問題>検察幹部 組織的関与の否定に追われる
毎日新聞 6月27日(水)22時4分配信
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「田代政弘元検事の捜査報告書は虚偽とは言えない」「上司らが不適切な取り調べを指示したことはない」。小沢一郎元民主党代表が強制起訴された陸山会事件を巡る「虚偽」報告書問題で、最高検は27日、処分内容を公表した。フリージャーナリストも受け入れ2時間余の「説明会」で、検察幹部は組織的な関与の否定に追われた。【山田奈緒、吉住遊】
説明会には林真琴・最高検総務部長ら4人が出席。報告書について「誤解を受けかねないが、意図的な虚偽記載ではない」とし、問題の根幹を「衆院議員の石川知裕被告の供述を維持することに固執した田代元検事の個人の判断」と強調。佐久間達哉・前特捜部長ら上司については「再捜査にあたり、具体的にどういう調べをするのか検事同士に共通の認識がなかった」と田代元検事に対して特別な指示をしていなかったとの認識を示した。
また、11年1月の段階で報告書と実際の取り調べ内容に食い違いがあることを認識していたにもかかわらず、公表しなかった点を問われると「発覚時に調査したが、石川被告の裁判が進行中で影響を与えたくなかった」と釈明した。
一方、元代表の弁護団も同日夕、東京・霞が関で記者会見を開いた。弘中惇一郎弁護士は「田代元検事の弁解をうのみにし、刑事責任を追及せず、懲戒処分も軽い。他人に厳しく自分の組織に寛大で検察の威信を下げた」と批判した。
★田代政弘検事 98年任官。45歳。横浜、甲府地検などを経て05年4月~06年3月と09年4月~11年3月の計3年間、東京地検特捜部に在籍。06年4月から3年間、証券取引等監視委員会にも出向した。「優秀で熱心な『調べ検事』。先輩や部下の信望も厚い」(元同僚)との評もあり、2度目の特捜部時代は主に陸山会事件で小沢一郎・民主党元代表の元秘書、石川知裕衆院議員の取り調べを担当。元代表の関与を認める供述を引き出した。
★捜査報告書問題 小沢一郎・民主党元代表が強制起訴された陸山会事件で、東京地検特捜部(当時)の田代政弘検事が元秘書の石川知裕衆院議員を再聴取した際、実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記した問題。石川議員の「隠し録音」で発覚した。報告書は検察審査会に送られ、2度目の起訴議決に影響したとして市民団体が刑事告発、東京地裁も元代表への判決(4月)で検察に調査を求めた。
◇「処分が軽い」石川被告
小沢元代表の元秘書で衆院議員、石川知裕被告(39)は毎日新聞の取材に「田代検事の思い違いはあり得ない」と最高検の調査結果を批判。大阪地検特捜部の証拠改ざん・隠蔽(いんぺい)事件と比較し「処分が軽い。田代検事だけに責任を押しつけているからではないか。これではトカゲのしっぽ切りだ」と話した。
また、刑事告発した市民団体は「検察は動かぬ証拠があるにもかかわらず不起訴とし、非常に軽い行政処分のみで終わらせようとしている。容認できるものではなく、強く抗議する」とのコメントを出した。【鈴木一生】
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毎日(自前)
虚偽報告書問題:検察幹部 組織的関与の否定に追われる
毎日新聞 2012年06月27日 22時04分(最終更新 06月27日 22時08分)
「田代政弘元検事の捜査報告書は虚偽とは言えない」「上司らが不適切な取り調べを指示したことはない」。小沢一郎元民主党代表が強制起訴された陸山会事件を巡る「虚偽」報告書問題で、最高検は27日、処分内容を公表した。フリージャーナリストも受け入れ2時間余の「説明会」で、検察幹部は組織的な関与の否定に追われた。【山田奈緒、吉住遊】
説明会には林真琴・最高検総務部長ら4人が出席。報告書について「誤解を受けかねないが、意図的な虚偽記載ではない」とし、問題の根幹を「衆院議員の石川知裕被告の供述を維持することに固執した田代元検事の個人の判断」と強調。佐久間達哉・前特捜部長ら上司については「再捜査にあたり、具体的にどういう調べをするのか検事同士に共通の認識がなかった」と田代元検事に対して特別な指示をしていなかったとの認識を示した。
また、11年1月の段階で報告書と実際の取り調べ内容に食い違いがあることを認識していたにもかかわらず、公表しなかった点を問われると「発覚時に調査したが、石川被告の裁判が進行中で影響を与えたくなかった」と釈明した。
関電株主総会
関西電力(1)「原発いらない!」会場前に反対派が占拠…株主の関心は橋下市長の発言
2012.6.27 09:57 (1/2ページ)[株式・株主]
関西電力の株主総会の会場前で、株主に原発再稼働反対を訴える人たち=27日午前、大阪市北区
関西電力の株主総会が27日午前10時から、大阪市北区の梅田芸術劇場で開かれる。大飯原発3、4号機の再稼働に加え、筆頭株主の大阪市の橋下徹市長が直接会場入りするとあって関心は高く、午前8時ごろから続々と会場に向かう株主たちの姿がみられた。会場前の広場は反原発グループで埋め尽くされ、拡声器で「原発はいらない」などと叫び声を上げるなど騒然とした。
発言ブレてるけど…橋下市長に注目
京都市伏見区から来た無職の男性株主(75)は「原発には反対だけど、夏場の電力供給を考えると運転は仕方ないと思う」。会場に来る予定の橋下市長については「最近の橋下さんは発言がぶれているのが気になる。今日はどうなるのだろう」と話した。
大阪市東淀川区の無職の女性株主(84)は「原発が良いか悪いかなんて神様しかわからないと思う。地震は怖いけど、電気がなければ始まらないでしょ。橋下さんが来ているので興味があって来た」。
大阪市天王寺区の無職の女性株主(44)も「知り合いに株主がいるので、橋下さんを見に代わりに来た」と話した。
会場入りする一般株主からは橋下市長の発言に注目が集まっている。
関西電力(2)静寂のなか総会スタート 混乱前の静けさ
2012.6.27 10:53 [株式・株主]
株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市福島区のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)
関西電力の定時株主総会が27日午前、大阪市北区の梅田芸術劇場で始まった。株主の大阪、神戸、京都の3政令市は「脱原発」関連の計13議案を提案。大阪市の橋下徹市長らは自ら出席して持論を唱える構えだ。これまで「物言わぬ大株主」だった地元自治体の異変で“大荒れ”の様相も。関電と橋下市長らの攻防に注目が集まる。
《午前9時過ぎから続々と集まる株主。9時58分に会場内の音楽が消され、森詳介会長ら役員が登壇。株主に向かって一礼し、着席する。10時、議長の森会長が発言》
森会長「ただいまから第88回定時株主総会を始めます」
《事務局職員から「議決権888万9868個のうち本日出席者と前日までに行使された議決権が計609万4個。株主総会が成立する」と報告される》
《前面の大型スクリーンで平成23年度の事業報告がビデオ上映された。原子力発電所の稼働率低下、火力発電用の燃料費増加などで連結最終損益が2422億円の大幅赤字だったことが説明されたが、ここまでで役員陣が頭を下げる場面はなかった》
関西電力(3)「原子力は重要」八木社長の発言に拍手とヤジ
2012.6.27 11:44 (1/3ページ)[株式・株主]
株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)
《ビデオ上映が終わり、八木誠社長が「対処すべき課題」について報告を始めた》
八木社長「平成23年度は東日本大震災の影響で原発プラントが再稼働できず、過去最大の赤字を計上し、非常事態の1年となりました。この夏の電力需給安定に向けて全力尽くしています。大飯3、4号機の再稼働の判断をいただいたが、節電のご協力をお願いする事態になってしまいました。深くおわび申し上げます」
《一礼した後、報告は続く》
「さまざまな課題が山積し、厳しい状況が続いております。24年度は原発再稼働、電力安定供給に全力を尽くします。足下をしっかり固め、成長軌道への回帰を目指している。社会的要請に対し、全部門をあげて原発の保全計画、東京電力福島第1原発事故を踏まえた安全対策、信頼回復、地震、津波、台風など大規模災害に備える対策も強化します。低炭素社会に向けて、火力、太陽光、風力発電の導入、スマートグリッドの構築に取り組みます。厳しい状況が続きますが、この難局を乗り切るため、新たな期待やニーズを真摯(しんし)にうけとめ、誠実に対応し、使命を果たしたい。株主の皆様におかれましては今後もご指導、ご鞭撻(べんたつ)たまわりたい」
《時折、株主からやじが起きるが、八木社長の報告に会場から拍手が起こる。この後、株主からの事前質問に対する一括回答を開始。まず、八木社長が経営全般について回答した》
八木社長「まずは原子力について。現在、エネルギー源の多様化などの観点から議論が進んでいます。再生可能エネルギー、化石燃料への依存度を高めれば、コストが高く、原子力は引き続き重要なエネルギーだと考えています」
《会場からは、やじが起きるが、八木社長の回答は続く》
「電気料金の値上げは今のところ考えておりません。財務体質が悪化し、安定、安価な提供が難しくなれば、あらゆる対策を講じなければなりません。さらなる効率化、原子力の再稼働に全力を尽くします。再生可能エネルギーについては電力会社間で協力し、さらなる導入を考えています。しかし、エネルギー自給率の向上、導入に伴うコストへの影響についても考えなければなりません」
《ピーク抑制のための需給計画や、環境対策、液化天然ガス(LNG)の輸入問題、役員報酬などについて、八木社長の回答は続く》
「ピーク抑制のための需給計画については、需給調整契約に多く参加していただけるよう、割引幅を拡大しています。環境問題では中長期的に地域の低炭素化を進めています。再生可能エネルギーについては福島第1原発事故の影響で、お客さまからの問い合わせは増えており、営業所を通じて説明しています」
「燃料調達について。わが国では天然資源の埋蔵量が少なく、パイプラインも整備されていません。将来の北米からの輸入について、調達先のひとつとして検討します。役員報酬の総額は事業報告書で開示しています。個別の開示を義務づけられている(1億円以上の)役員はいません」
関西電力(4)「静粛にしてください」激しくなるヤジ 騒然とする会場
2012.6.27 12:27 (1/4ページ)[株式・株主]
関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)
《開会から約1時間が経過、書面による事前質問への回答が続く。経理に関して廣江譲常務が説明に立った》
廣江常務「平成23年度の有利子負債残高は3兆8649億円、支払い利息は513億円。使用済み核燃料は資産として計上していますが、処理方法によって価値が左右されるものです」
《原子力発電所を廃止した場合の財務的影響についての質問も》
廣江常務「原子力発電所設備の帳簿価格は3666億円、解体費総見積もり額は5278億円となっています。原子力発電は引き続き重要と考えており、現時点で廃止する予定はございません。仮に廃止すると、これら帳簿価格や引当金が一時的に費用として発生する可能性があります」
《答弁に会場から拍手が起きた。続いて原発関連の質問について答えるため、豊松秀己副社長が登壇した》
豊松副社長「原子力に関する質問についてお答えいたします。東京電力福島第1原子力発電所の事故により、皆様に大変なご心配とご迷惑をおかけしておりますことを、同じ原子力を扱う者として重く受け止めております。当社は二度と同じ事故を起こさない固い決意を持ち、緊急対策を直ちに実施してまいりました」
《福島事故について緊張した様子で話した後、大飯原発の安全性について言葉に力を込めた》
豊松副社長「政府においても、大飯3、4号機について福島事故のような地震、津波が起こったとしても、事故対策は整っており、炉心損傷に至らないことが確認されています。当社は規制の枠組みにとらわれず、安全性向上の対策を自主的かつ継続的に進めることが不可欠と考えており、今後も新たな知見への対応、諸外国の動向をふまえた対策を着実に実施してまいります」
《女性のやじが飛び、さらに豊松副社長の声に力が入る》
豊松副社長「6月8日、政府から再稼働のご判断を賜りました。大飯3、4号機が再稼働に準備作業を進めております」
《大飯の安全対策について技術面の説明を続けるが、ヤジはどんどん激しくなる。豊松副社長は大飯原発が加圧水型原子炉で、福島第1原発の沸騰水型原子炉とは違うことを説明》
豊松副社長「漏洩した水素は廃棄設備を用いて滞留することなく排出されるため、爆発しない」
《豊松副社長は、やじに立ち向かうように言い切った。大飯の社員常駐態勢、事故時態勢や現場へのアクセスルートも、陸路だけでなく船やヘリを確保していることを強調。大飯3、4号機は中央制御室の会議室において十分な広さ、耐震性、津波回避できる高さ、空調設備を備えているとした》
豊松副社長「事故時の対応に問題はありません。免震事務棟を着実に実行します。運転期間については、技術的に運転開始後60年の長期的安定運転が可能であることを確認しており、この内容は国にも審査、了承を得ております。しかしながら、美浜1号機および今後、40年を超える原子力プラントの運転については原子力規制法の改正をふまえ対応します」
《説明から約10分、会場が騒然とする中、議長が「静かにお聞きください」とヤジをいさめた》
豊松副社長「耐震安全性に関しては『止める』『冷やす』『放射能物質を閉じこめる』ため、万全の地震対策を行っています。耐震向上にも自主的に取り組んでいます。活断層の連動も想定したうえで、耐震安全性を評価しています」
《話が高速増殖炉に及ぶと、ヤジもヒートアップして会場が混乱している様子。議長「静粛にしてください」とおさめる。豊松副社長の約15分の答弁が終わると、会場は大きな拍手が起こった》
関西電力(5)「原発に依存しないエネルギーの構築が求められる」神戸市長迫る
2012.6.27 12:46 (1/3ページ)[株式・株主]
株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)
《午前11時現在、昨年の1・6倍にあたる3673人が会場に詰めかけた。多くの株主のお目当ては筆頭株主である大阪市の橋下徹市長だ》
森詳介会長「ご出席の皆様の質問をおうかがいします。質問は簡潔に3分以内でお願いします。質問は原則1問、最大2問とします」
《「はい」という声が会場内のあちこちから聞こえる》
女性株主「去年、東京電力福島第1原発で想定外の事故が起きました。大飯原発における想定外の事故はどんなことなのか。いま原発を動かすのは危ない」
豊松秀己副社長「若狭湾には(太平洋側にあるような)海溝型プレートがなく、想定される津波は2~3メートルと考えています。関電では福島と同じような津波、そこからプラス9メートルほどの津波を想定して安全対策を進めています。再稼働の判断について、昨年7月に国によるストレステスト(耐性検査)導入が決まって以降、外部有識者による検討の結果、追加の安全対策を含め福島と同じ津波が来ても安全上問題がないとされました。福島での知見を踏まえ、さらなる安全対策30項目について、法制化を先取りするかたちで対応を進めています。福井県、おおい町の了解の下、安全性の確保を踏まえた上で再稼働を判断しています」
《場内から拍手が起こる》
森会長「続いて新聞を持った男性株主、どうぞ」
《男性がマイクを持つ。神戸市の矢田立郎市長だ》
矢田市長「この総会では大阪、京都両市と一部共闘しながら6つの議案を提案しています。質問は2つ。原発事故が起きれば広範囲に影響が出ます。再生可能エネルギーなど多様な代替電源を確保し、原発に依存しないエネルギー体系の構築が求められています。御社には経営の透明化、市民への説明責任を図り、日々の安心安全の確保と電力の安定供給をお願いしたい」
「質問ですが、原発の依存度低減、エネルギーミックスのあり方が国から示されていますが、関電においても原発依存度の引き下げ、代替電源確保に関するロードマップの作成が必要となります。そして、その作成には市民の理解が求められます。どうやって取り組むかを伺いたい」
八木誠社長「エネルギーミックスについて、現在、国の国家戦略室エネルギー環境会議で議論が進められています。経済性、地球温暖化への対応などから多様なエネルギー源の導入が議論されています。関電でも火力発電所の高効率化、原発の安全性の確保など多様なエネルギー源に向けた導入を考えています。そして自治体からの理解や協力は不可欠。再生可能エネルギーの導入、スマートコミュニティー導入にも自治体や市民の皆様とも連携を深めることは重要です」
関西電力(6)橋下徹市長ほえる「関電はこのままではつぶれる」
2012.6.27 12:59 (1/4ページ)[株式・株主]
関西電力の株主総会で発言し、会場を出る大阪市の橋下徹市長=27日午前、大阪市北区
《矢田立郎・神戸市長の質問に対する関電側の回答が終わった》
森詳介会長「次に発言を求めます。2階席の男性の方どうぞ」
《大阪市の橋下徹市長だ》
橋下市長「大阪市長の橋下です。関電はこのままではつぶれると危惧(きぐ)しています」
《拍手が場内に響き渡る》
橋下市長「(関電は)衰退産業が歩んだ道を歩んでいます。関電経営陣は経営上の将来リスクに関する株主への説明が不十分。2つについて質問しますが、細かな事実に積み重ねてうかがいます」
「核燃料サイクル、核燃料の再処理事業は今後も継続するのですか。中間貯蔵施設は増設するのですか。高放射性廃棄物の最終処分地はいつまでに作るのですか。このような状況で関電管内の使用済み核燃料をいつまでもたせるのですか」
「将来の経営上のリスクについてうかがいます。家庭用電力の自由化は2年後ですか。発送電分離は実現するのですのか。原発について、国際標準の安全基準が議論されていますが、コスト上昇分はいくらなのでしょうか。国は発電電力量に占める原子力依存度を15%と打ち出すつもりですが、関電として何%を想定しているのですか。2030年の時点で関電の原発依存度は何%なのですか。そして、原発は何基止まれば赤字になるのですか。これから…」
《一気にまくし立てる橋下市長》
森会長「3分を超過しています」
橋下市長「あと少し。政権が変わりエネルギー政策が変わり、依存度がゼロになったとき、関電はどう対応するのですか」
《「早く質問を終わらせろ」などの怒号が出始める》
橋下市長「今は転換点。そのリスクを念頭に置いて新たなエネルギー供給体制を築いてください」
《質問を終えた市長。会場から大きな拍手を浴びる》
白井良平常務「わが国はエネルギー自給率が低いため、さまざまなリスクがあります。原子燃料サイクルは安定供給のためには重要と考えています。6月21日に国の会議で、全量処分再処理などの選択肢が示されましたが、使用済み核燃料を再処理し、原子燃料サイクルが必要とされています。日本原子力発電は安全と品質確保を最優先し、再処理工場稼働開始に向け試験を進めています」
「中間貯蔵について、当面は利用可能となる範囲で再処理を行い、それ以上は中間貯蔵するとしています。ただ、関電として中間貯蔵施設について具体的に話できる段階ではありません。最終処分の実施を円滑に実施のために国民の理解強力が不可欠です」
《再び怒号が大きくなる》
岩根茂樹副社長「まず家庭向け電力の自由化について、小売りの自由化を全顧客に拡大する場合、電力の安定供給の確保、公益性を確保しないとお客さまの利益が損なわれる可能性もあります。制度設計にあたっては検討が必要と考えています」
「発送電分離は国の審議会で検討されています。広域的な視点が重要と考えており、逼迫(ひっぱく)時には協調し合って融通するようにしています。公平なネットワークの構築が議論の目的と思われる一方、これまで発送電一体で効率的な運営がなされたこともあり、目的と手段とをしっかり分けて議論していきたい」
「将来的な原発比率ですが、大事なのは安全の確保と長期的なセキュリティーの確保。すべての課題を克服しながら安定で安価な電気を提供するといった観点から検討していきます。現時点で何%が適正かは言えません。原子力が何基止まれば、赤字が解消するかについて、平成23年度は原子力の利用率が38%程度でしたが、その前年は80%あり、利用率半減で代替火力の燃料調達費など5千億円のコスト増となりました。今後、原発の稼働がなければさらに4千億円コストが増えます。すべての原発が止まれば9千億円のコスト増となり、原発の再稼働がなければ継続的な経営が難しいと思っています。関西に電気を安価に提供することで企業価値を高めていきたい」
《会場から拍手が起こる》
関西電力(7)株主「原発ゼロ考えられぬ」、関電副社長「安住することなく安全向上」
2012.6.27 13:13 (1/3ページ)[株式・株主]
関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)
《大阪市の橋下徹市長への答弁が終わった後、聞き取れないほど騒がしいやじが飛ぶ。そんな中で、株主と経営陣の質疑応答が続いた》
男性株主「原発については、客観的な情報を広く知らせるのが重要だ。ベトナム、トルコは日本の原発技術を高く評価しているが、国内では原発に対するヒステリーが蔓延(まんえん)している。22世紀には化石燃料が使えなくなる。そういう中で、原発ゼロというのは考えられない」
岩根茂樹常務「資源の乏しいわが国では、電源のベスト構成が重要。すべての電源に長所があり、課題もあります。長所を生かして検討するのが重要です。化石燃料は価格が高く、CO2(二酸化炭素)の排出量が多い。再生エネルギーもコストがかかる。原子力は安全性向上が必要。それぞれの強み生かし、ベストミックスで考える必要があります」
《この後、京都市の門川大作市長が発言。3つの提言を行った》
「第1に持続可能な電力供給体制構築のため、脱原発依存を明確に経営方針に記してほしい。第2に分散電源、省エネ、創エネのための環境作り。3点目は発送電分離です。関電はこれまで関西の市民生活と産業の発展に尽力してきたが、福島第1原発事故を教訓とした転換が必要だ」
《森会長は「貴重なご意見としていただきます」と応じ、株主からの質問を受け付けた》
男性株主「先ほど豊松(秀己)副社長が縷々(るる)と述べられたが、今までの安全神話から一歩も出ていない。原発大国フランスでは過酷事故のためにフィルターベントを設置している。こうした中で大飯再稼働に着手したのは世界では通用しない。鴨長明の『方丈記』が記された800年前、琵琶湖では大津波が起きた。そういうことについて、それを検討したのか」
豊松副社長「福島第1原発と同じレベルの事故が起きても炉心損傷しないのかが重要なポイント。そこに安住することなく、安全向上に取り組んでおります。シビアアクシデントも着々と進めております。フィルターベントは、米国の加圧式軽水炉では不要としているが、われわれは採用します。前倒しで対策を立てております」
橋本徳昭常務「耐震に対応するため、周辺の活断層や過去の地震は徹底的に調べています。地震、津波を検討していないわけではありません」
《株主からの質問は、社外取締役の選任についても及んだ》
男性株主「大阪府市特別参与を務める村上憲郎氏の社外取締役の選任するとの株主提案を取締役会が反対しているが、その理由は」
八嶋康博常務「村上氏は大飯原発3、4号機の再稼働に反対している立場。原子力の停止を求める方が取締役に就任したら、株主様の利益に反すると判断しました」
関西電力(8)会場騒然!議長不信任動議を提案
2012.6.27 13:52 (1/5ページ)[株式・株主]
株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市内のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)
《株主質問が続く。議長の挙手を促す声に「はーい」「おーい」と声が上がり、会場ではうちわやノートを手に、盛んに手が上がる》
女性株主「大飯原発の破砕帯調査に関してですが、すぐできるはずのトレンチ調査さえしないのですか。安全対策をしてから動かすというなら、石橋をたたいてたたいて、それくらいしないと原発再稼働はしないでほしいです。質問に関しては具体的に回答を。橋下徹市長への回答も具体的ではありませんでした。事故や津波が起きたとき、橋が落ちたとき、どのように現場に行くのですか。それと…」
議長「質問は2問にしてください」
女性株主「では、意見を言います。福島事故の調査結果が完全には出ていないのに、原因を結論づけるのはおかしいです。それについてお答えください」
議長「ただいまのご発言は意見として承ります。質問は2問までと申し上げました」
《「2問なんていっていた?」と女性株主は不服そうだが、答弁が始まった》
橋本徳昭常務「大飯3、4号機の調査ですが、私どもは徹底した調査をした上で先生方にみていただいたわけです。これは当時の新聞記事でも『審議会では活断層問題でしっかりとした議論が行われた』と高い評価もされています。私どもはこれ以上の調査をする必要はないと考えております」
豊松秀己副社長「発電所のアクセスについてご説明いたします。事故が起きた場合、別の陸路がございます。まず第一は、54人が現地に常駐しており、対策は十分です。あとの人員は橋が落ちても他のヘリや船のルートで向かうなど万全の対策をとっています」
《議長が第2会場に質問を振った》
男性株主「原子力損害賠償支援機構法について、関電はいくら費用負担しているのでしょうか。福島事故は東電と国の責任なのに、なぜ関電が費用負担するのですか」
岩根茂樹副社長「原子力損害賠償支援機構について、機構法は被災者への迅速かつ適切な賠償を行うものです。電気の安定供給や原子炉の運転など円滑な運営に資すること、将来にわたり原子力損害賠償の支払いに対応できる相互扶助スキームで、一定の合理性はございます。当社は23年度に157億円を支払っております。今後、国との役割分担は機構法が成立してから見直しをすすめていくということでございます」
《議長が質問をあと2人受け付ける、と宣言した》
男性株主「社外取締役の選任についてですが、その基準は? 井上礼之さんは9年任期を続けています。玉越良介さんは融資をしている金融機関の担当者です。株主の利益と金融機関の利益は対立します。独立性の観点から適切ではないのではないですか。また、日本生命との取引関係は? 白紙で議決権行使するのは日本の資本主義にとって問題ではないかと思います」
八嶋康博常務「役員の選任にあたりましては、年齢、就任年数、特定の企業という画一的基準で選んでいるわけではありません。総合的に勘案し、提案しています。それぞれ経営者としての経験や識見を当社経営に生かしていただくため、候補者とした次第です。玉越取締役は融資関係にある三菱東京UFJ銀行の関係者ですが、借入額全体が大きな割合を占めるものでなく、当社営業に影響を与える重要な関係はなく、特別な関係には当たらないと考えています」
廣江譲常務「日本生命は重要な融資先です。これからも引き続きしっかりと取引を願いたいと考えています。委任状については、複数の株主からいただいておりますが、個別の議決権行使にかかわる事項になるので、ここでの回答は差し控えたいと思います」
男性株主「議長解任の動議をしたいと思います。社外取締役の案件は議案の時に討議されるべきです。それなのに質問を2人に限っています。そうでないですか、みなさん。だから議長不信任動議です」
《会場から一部拍手が起きる》
議長「ただいま、株主から議長不信任の動議が提出されました。私としては心外ではございますが、一応採決を行います」
《反対多数で動議は否決されたが、会場はざわめいた状態が続く。議長は「静かにしてください」としきりにいさめ、関電側関係者が「これは株主総会ですよ、退場、退場」と声を張り上げる》
男性株主「原子力の安全対策について、新聞やテレビでもっと広報してほしい。これを聞いたら国民は関電を信用すると思います」
八嶋常務「震災をふまえた原子力の対策について、随時記者会見をひらいたり、ホームページなど丁寧な説明に努めて参りたい。社会の皆様によりご安心いただける広報に努めて参りたいと思います」
《12時46分、議長が質疑を打ち切り、議案の審議に移った》
関西電力(9)「関電の皆さん、悪徳商売やめて」福島の女性株主辛辣提案
2012.6.27 14:02 (1/4ページ)[株式・株主]
株主に報告を行う八木誠・関西電力社長=27日午前、大阪市福島区のプレスルームで画面複写(彦野公太朗撮影)
《議長の森詳介会長が発言する》
「質疑が十分尽くされましたので、議案審議に移りたいと思います。いかがでしょうか」
《会場から拍手が起こる》
森会長「賛成多数と認められましたので、議案審議に移ります」
《「おい、勝手にとめるな」のヤジが飛ぶ中、森会長は会社から2議案、株主から28議案、計30議案について、関連性のある議案の一括審議を提案し、拍手多数で認められる》
森会長「まず、会社側の1号議案と株主さまからの12号議案を一括審議します。1号議案は剰余金の処分案です。安定的な配当の維持、財務体質の健全性確保を前提として、配当金は1株あたり30円としたい。一方、株主さま提案の12号議案は、配当金を会社提案より10円高くするというものです。取締役会としては、配当維持のためには1号議案の剰余金処分案が最適と考えており、12号議案には反対します」
《森会長は、12号議案の提案者に趣旨説明を求める》
女性株主「福島から参りました」
《会場から拍手》
「元中学校教師で定年退職して10年目です。原発の危険さ、安全神話のうそを30年前から知っていましたが、昨年3月11日、恐れていたことが現実になった。子供たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。一時帰宅した被災者が、命を絶ったという新聞記事も載っています。甘い汁を吸っている原子力村の皆さん。関電の皆さん、悪徳商売はやめてください。私たちはふるさとを失った。第2、第3の福島をつくらないでください」
森会長「それでは、1号議案と12号議案の採決をお願いします。賛成の人は挙手をお願いします」
《拍手はぱらぱら》
森会長「反対の人は挙手をお願いします」
《拍手多数》
森会長「反対多数で否決されました。次に1号議案の採決を行います」
《拍手多数》
森会長「賛成多数で可決されました」
《続いて、森会長は、定款変更を求める株主提案の5号、27号議案を提案。5号議案は取締役を12人以内、27号議案は同10人以内とする内容》
森会長「取締役会は両議案とも反対であります。それでは、提案者は趣旨説明を3分以内でお願いします」
男性株主「株主総会の招集通知では、5号議案に対する取締役会の意見として、多岐にわたる課題に対処するため、議案に反対すると書かれているが、まったく課題に対応できておらず間違っている。社会のニーズにこたえているのか。まったく逆だ。株主であることを情けなく思う。関電の取締役の報酬額は4千万円から5千万円。これでは従業員と労働者に犠牲を求める態度なので、経営陣の削減を強く求めます」
《続いて、27号議案を提案した大阪市の代理人弁護士が趣旨を説明する》
弁護士(男性)「取締役会は招集通知に書かれた反対理由で『原子力発電の自主的かつ継続的な安全性向上のため』としているが、あきれる。現経営陣は無用。関電の役員報酬は日本一高いといわれ、東京電力より高いといわれています。関電の取締役は東電の半分程度で十分。取締役の削減に踏み切ってもらいたい。自ら身を切る覚悟なくして、どうするのでしょうか」
《ここで、5、27号議案が一括審議され、ともに賛成の拍手は少数》
森会長「反対多数で、否決が確定しました」
関西電力(10)社長解任、大阪市提案の社外取締役人事案 反対多数で否決
2012.6.27 14:48 (1/4ページ)[株式・株主]
関西電力が株主総会=27日午前、大阪市内(モニター画像の複写)
《午後1時を回ると、会場の株主から「動議」の声が響く》
男性株主「長丁場なのでこのへんで食事休憩はいかがでしょう」
《緊張した空気が和み、拍手と笑い声が起きる》
森詳介会長「議事運営に関わるため、動議としては取り上げないことにします」
《大阪市が提案した議案の審議に入り、同市の代理人である男性弁護士が、取締役の人事などについて発言する》
男性弁護士「関電は当社の取締役としてふさわしい能力や経験などを勘案しているから問題ないと言いますが、今のままでは国民のための必要なエネルギー政策の展開が出来ません。さらに就職の世話などを持ちかけて、反対派を取り込み、切り崩すことも行われてきました。官民癒着をここで止めないといけない。関電は役所から人材をもらわないとやっていけないのでしょうか。このままでは関電の体質がおかしくなります。これを阻止するには厳しい人事のルールが必要だと思います」
森会長「左側のブロックで紙を上げる株主様、発言をどうぞ」
男性株主「この提案、大賛成です。天下りがこれだけ言われているのに関電はまだやっている。ぜひ株主の皆さん、賛成してほしい。ところで議長、総会での議決についてだが、本当に賛成多数なのか。最後の1個の数まで言えとは言わないが、どの程度の賛成多数かをはっきりさせてほしい。大株主もきているのだから、それくらい説明がほしい」
森会長「ご意見として承ります」
《「採決」「議事進行」という男性の声が響く》
森会長「採決に移ります。この議案に賛成の方、挙手をお願いします。
《「おら」などの怒号が飛ぶ》
森会長「反対の方、挙手をお願いします」
「反対多数により否決されたこととします。続いて八木誠社長の取締役解任の議案について、趣旨説明をお願いします」
男性株主「福島の原発事故の原因は明確には分からない。調べようにも調べられない、これが実態です。放射能が出続けています。原発事故はそういうものです。どうして福島と同じ事故が起きないと言えるのでしょうか。電力不足を理由に再稼働を強弁するのは原発サギだ。詐欺師を取締役に置くことは許されません。これまでは運が良かっただけです。ギャンブルだ。福島の事故で原発事故はもはや仮定のものではなくなった。再稼働にあたっては責任の所在を明確にするのは当然だと考えます」
森会長「それでは採決を行います。賛成の方の挙手をお願いします」
《しんと静まりかえる》
森会長「反対の方の挙手をお願いします」
《場内から「はーい」の声が聞える》
森会長「反対多数のため否決されたとします」
《続いて会社提案の取締役選任案が審議される。森議長が予定者を読み上げられ、賛成多数で可決された。再び大阪市の代理人である男性弁護士が大阪府、大阪市の特別参与である村上憲郎氏を社外取締役に選任するよう求める提案の趣旨説明を行う》
男性弁護士「村上氏は大阪府、大阪市のエネルギー戦略会議の委員で高い見識と経験を持っています。この人(の取締役選任)に対して関西電力は拒否回答しています。大阪市も過去には天下りをやっていました。遺憾だと思います。市のOBを関電の役員に入らせていました。橋下徹市長はそれをやめました。その代わりに(見識を持った)ちゃんとした人ということで推薦しています。取締役会がなぜ拒否しているのかというと、脱原発という会社にとって不利な意見を持つ人を入れたくないという排外的な理由です。そこに原子力は絶対やると言う鉄の意志が感じられます」
森会長「3分を超過しています」
男性弁護士「大飯再稼働を見切り発車して、事故が起きた場合どうするのか。皆さんの賛同をお願いしたいと思います」
森会長「採決します。反対の方の挙手をお願いします。反対多数で否決しました」
《この後も議案の審議が続く》
2012年6月20日水曜日
核のごみ 地層処分ムリ
核のごみ 地層処分ムリ 日本学術会議でも解決見えず
2012年6月18日 07時04分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012061890070441.html
原発から出る核廃棄物の処分場はいまだに受け入れ先が白紙だ。原子力委員会の依頼で、日本学術会議(会長・大西隆東大大学院教授)が解決の糸口を探るため二年前に議論を開始。だが今月上旬に出した結論は、地下深くに埋める現行の処分方針では安全性の確保も受け入れ先を見つけるのも難しく、方針転換が必要との内容で、一から考え直すことを提起した。近く報告書をまとめるが、将来に負の遺産をつけ回す原発の最大の問題点があらためて浮かんだ。 (榊原智康)
毎時一五〇〇シーベルト(一五〇万ミリシーベルト)と人がわずか二十秒で死に至る放射線を放つ高レベル放射性廃棄物は、処分がやっかいだ。国は二〇〇〇年に関連法を制定し、廃棄物をガラスで固め、地下三百メートル以上の地層に埋める「地層処分」方式を採用した。しかし、処分場の受け入れ先はまったくめどが立っていない。
何とか打開策を見いだそうとした原子力委は一〇年、学術会議に知恵を出してもらうよう頼んだ。
「研究者の国会」とも呼ばれる日本学術会議は、人文、社会、自然科学などの研究団体から選ばれた会員でつくる。今回の「核のごみ」問題では、原子力工学や地質学、歴史、社会、経済などさまざまな分野の研究者で検討委を組織し、議論を続けてきた。
核のごみの放射線レベルが十分に下がるまでには約十万年という想像もできないような時間がかかる。
日本はもともと地震や火山活動が活発なことに加え、議論を始めた後、東日本大震災が発生し地殻変動も活発化している。
検討委は、そんな現実の中で、十万年間安全だと説明しても住民の理解は得られないとみて、地層処分からの方針転換を議論。五十~数百年にわたって暫定的に貯蔵し、その間に抜本的な解決策を探る、と先送りの案も浮上した。
「将来世代にごみを送り続けるのは現代人のエゴだ」「未来の人類の知恵にすがらなければ、最終的な決定ができないとわれわれの限界を認めなければならない」
今月七日の検討委でもさまざまな意見が出た。結局、一致したのは、地層処分では住民理解は進まず、行き詰まりは解消されない-ということだった。
検討委は八月下旬にも報告書をまとめ、原子力委に提出する予定。検討委員長の今田高俊東京工業大教授(社会システム論)は「脱原発を進めても核のごみ問題の議論は避けられない。われわれの検討結果が、国民的な議論を呼び起こすことを期待している」と話している。
(東京新聞)
2012年6月15日金曜日
小沢一郎「妻からの「離縁状」全文
小沢一郎「妻からの「離縁状」全文 週刊文春6月21日号
「愛人」「隠し子」も綴られた便箋11枚の衝撃 (ジャーナリスト松田賢弥+本誌取材班)
政局が俄かに緊迫してきた---。野田首相が政治生命を懸ける消費増税法案の採決が迫り、小沢グループの動向が最大の焦点となっている。そんな中、小誌は政治姿勢に決定的な疑問符を突きつける文書を入手した。和子夫人が支援者に宛てた悲痛な手紙を公開する!
まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。
この度の大震災ではさぞご苦労があったと思います。ご家族・ご親類はご無事でいらっしゃったでしょうか。何のお手伝いもできず申し訳ありません。被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです。長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っています。
このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました。お礼の手紙にこのようなことを申し上げるのは大変申し訳なくショックを受けられると思いますが、いずれお話しなければと思っていましたのでこの手紙を差し上げました。お聞き苦しいと思いますが今迄のことを申し上げます。
八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引きとれといわれたそうです。それで私との結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手つだってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。あげく「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。
その言葉で、三十年間皆様に支えられ頑張ってきたという自負心が粉々になり、一時は自殺まで考えました。息子達に支えられ何とか現在やってきましたが、今でも、悔しさと空しさに心が乱れることがあります。
お世話になった方々に申し訳なく、又、説明もできず、もしお会いしてやさしい言葉をかけていたゞいたら、自分が抑えられず涙が止まらなくなるのがわかり岩手に帰れなくなりました。選挙の時には、皆さんがご苦労されているのに、どうしても「小沢をお願いします」とは言えず、申し訳なさに歯をくいしばって耐えていました。
隠し子がわかって以来、別棟を建てて別居しています。SPさんや秘書の手前、料理や洗濯は変わらずやっていました。用事の時は、小沢は私に直接言わず、秘書が出入りしていました。
それでも離婚しなかったのは、小沢が政治家としていざという時には、郷里と日本の為に役立つかもしれないのに、私が水をさすようなことをしていいのかという思いがあり、私自身が我慢すればと、ずっと耐えてきました。
「なんですぐ岩手に帰らないのか!」
ところが三月十一日、大震災の後、小沢の行動を見て岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました。
三月十一日、あの大震災の中で、お世話になった方々の無事もわからず、岩手にいたら何かできることがあったのではと何一つできない自分が情けなく仕方がありませんでした。
そんな中、三月十六日の朝、北上出身の第一秘書の川辺が私の所へ来て、「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました。私の家族も既に大阪に逃がしました」と胸をはって言うのです。
あげく、「先生も逃げますので、奥さんも息子さん達もどこか逃げる所を考えてください」と言うのです。
福島ですら原発周辺のみの避難勧告しかでていないのに、政治家が東京から真っ先に逃げるというのです。私は仰天して「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないか」と聞きました。
川辺が言うには、岩手に行かないのは知事から来るなと言われてからで、国民に知らせないのは大混乱を起こすからだというのです。
国民の生命を守る筈の国会議員が国民を見捨てて放射能怖さに逃げるというのです。何十年もお世話になっている地元を見捨てて逃げるというのです。
私は激怒して「私は逃げません。政治家が真っ先に逃げ出すとは何事ですか」と怒鳴りました。川辺はあわてて男達は逃げませんと言いつくろい、小沢に報告に行きました。
小沢は「じゃあしょうがない。食糧の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と言って書生に買いに行かせました。その後は家に鍵をかけて閉じこもり全く外に出なくなりました。復興法案の審議にも出ていません。女性秘書達と川辺の家族は一ヶ月余り戻ってきませんでした。二日遅れで届いた岩手日日には三月十五日国会議員六人が県庁に行き、知事と会談したとありました。
彼らに一緒に岩手に行こうと誘われても党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです。
三月二十一日「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやって下さい」と書生が言いに来ました。しかしそのような情報は一切発表されていませんでしたので、私が「他の人と同じ様に水道水を使います」と言いましたら、それなら先生のご飯は僕達で作りますと断ってきました。
それ以来、書生達が料理をし、洗濯まで買った水でやろうとしていました。東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるようにと指示したのはその二日後です。すぐにそれは解除になりました。
三月二十五日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません。
その直後、テレビやマスコミが小沢はどこに行った?こんな時に何をしているかと騒ぎだし、自宅前にテレビカメラが三、四台置かれ、二十人位のマスコミが押しかけました。それで、あわてて避難先から三月二十八日に岩手県庁に行ったのです。ご存知のように被災地には行ってません。四月に入ってからも家に閉じこもり連日、夜岩手議員を集めて酒を飲みながら菅内閣打倒計画をたて始めました。菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議がだされ政治が停滞したことはご存知と思います。
この大震災の中にあって何ら復興の手助けもせず、放射能の情報だけが欲しいというのです。
本当に情けなく強い憤りを感じておりました。実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており後援会にまで相談していました。
もう岩手のことは頭になかったのでしょう。
放射能をおそれて魚や野菜を捨てた
こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥づかしく思っています。
更に五月には長野の別荘地に土地を買い設計図を書いています。
多くの方々が大切なご家族を失い何もかも流され仮設住宅すら充分でなく不自由な避難生活を送られている時に、何ら痛痒を感じず、自分の為の避難場所の設計をしています。●●●という建設会社の話ではオフィス0という会社名義で土地を買い、秘書の仲里が担当しているということでした。
天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称し釣りに出かけました。
千葉の漁協で風評がひどいと陳情を受けると「放射能はどんどんひどくなる」と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです。
かつてない国難の中で放射能が怖いと逃げたあげく、お世話になった方々のご不幸を悼む気も、郷土の復興を手助けする気もなく、自分の保身の為に国政を動かそうとするこんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています。
長い間お世話になった皆さんにご恩返しができないかと考えています。せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。今岩手で頑張っている方々がすばらしい岩手を作ってくれることを信じています。
ご一家には、本当に長い間お励ましお支えを頂きましたこと心から感謝しております。ありがとうございました。
七月には別のところに住所を移しました。
ご一家のご多幸を心より祈り上げております。
小澤和子
(注・受取人が特定される記述は一部省略。伏せ字は原文では実名である)
和子夫人の手紙を支援者はどう読んだか 松田賢弥
「この手紙が表に出たら、小沢一郎はもう終わりだ」
この五月、私は「和子の手紙」を求めて、数週間、小沢の地元・水沢(現岩手県奥州市)を歩き続けた。
年初から永田町では、「小沢一郎がすでに離婚したらしい」とか、「奥さんが離婚したと手紙にしたため、後援会幹部らに送ったらしい」などと囁かれていた。だがいずれも真偽不明の断片的な情報だった。私も一月以降、手紙を求めて取材を始めたが、多くの支援者や後援会関係者は、「そんなものはもらっていない」と頑なに否定するばかりで、真相はわからなかった。
そもそも、二人の結婚は、小沢の師・田中角栄が仲介したものだ。角栄の後援会「越山会」の大幹部だった新潟の建設会社「福田組」の社長・福田正(故人)の長女・和子を角栄が秘蔵っ子に娶らせた、いわば政略結婚である。しかも二人の間には三十代の三人の息子がいて、積み重ねた四十年近くの歳月がある。七十歳の小沢と六十七歳の和子が今さら離婚するなど、にわかには信じ難い話だった。
一方で、今年三月に新たな事実も明らかになった。私は本誌三月二十九日号で、「小沢一郎『完全別居』次男と暮らす和子夫人を直撃!」と題した記事を寄稿した。和子は小沢邸から徒歩三分ほどの秘書寮に次男と暮らし、自分宛の宅配便や手紙も、すべて秘書寮に届くように手配していた。その光景は、夫婦間に大きな異変が起きた事を物語っていた。
そしてこの五月、「この人なら手紙を受け取っているのではないか」と思われる長年の支援者らを、再び私は訪ね始めたのだった。
ある三十年来の支援者の家を訪ねたときのことだ。
玄関口で訝しげな顔をする支援者に、私が三月に小沢夫妻の別居を報じたこと、四月末には本誌(五月三日・十日号)で「小沢一郎に隠し子がいた!」と題し、今や二十一歳になる小沢の隠し子について報じたことなどを告げると、こう語りだした。
「あぁ、あの記事は読んだ。間違ったごどは書いてないよな」
そう言い、私を居間に招き入れた。率直に「和子さんからの手紙は来てないですか」と尋ねる私に、その人はこちらの目を見据えながら、間を置いてポツリポツリと語るのだった。
和子に泣きながら電話した
「来たよ。去年の十一月だ。長い手紙でなぁ。小沢が被災地に行かないごとに和子さんが怒ったとか、小沢が放射能を怖れて『東京から逃げろ』『水飲むな』と言ったことが情けないと思った、ど書いであっだ」
さらに、こう続けた。
「私は手紙の内容に仰天して、和子さんに泣きながら電話したんだ。『一郎でない。和子さんがいるがらごそ、(小沢の支援を)やってきたんだ』と伝えだんだ。和子さんは『息子たちは私についているから。息子たちが、別居したら、と言ってくれたの』と話していだ。
和子さんは昔から演説がヘタでなぁ。いつもまわりから怒鳴られでいだ。それでも一生懸命だった。演説の帰りに、『息子たちが楽しみにしているから』と三人分の線香花火を買っていった姿が忘れられねぇ・・・」
やはり手紙は実在したのだ。私は驚愕し、何度も「手紙を見せてほしい」と頼んだ。だがその人は、現物を見せる事を頑なに拒んだ。その理由として、冒頭の台詞を語ったのだった。
別の支援者を夜遅くに訪ねると、その人は門扉の前で言葉少なにこう語った。
「和子さんからの手紙は確かに来ました。小沢が被災地へ行かないことへの不満の他に、『離婚』と書いてあった。手紙を読んで、和子さんと電話で話をしました。『水沢に来たら』声をかけたけど、『ありがとう』としか言わなかった。一郎が和子さんを、これほど苦しめていたとはな・・・。私はもう、一郎からは離れました」
私はさらに別の支援者を何度も訪ねた。何度目の訪問だったか、早朝に訪ねると、その支援者は意を決したのか淡々と語りだした。
「和子さんの手紙は去年の十一月の初め頃に来た。『離婚しました』とあった。原因は、あなたが隠し子の記事で書かれていた通り、小沢の女性問題だ。小沢がそこまで和子さんをないがしろにしたとあっては、もう許せない。小沢は次の選挙に出られない。もし出たとしても落選だろう」
その後も取材を重ね、和子の手紙は去年の十一月頃、十名近くの支援者に送られていたことがわかった。ただ、彼らは取材に応じてくれたとはいえ、手紙の提供は拒み続けた。
協力者を守るために詳細は伏せるが、私は手を尽くして手紙のコピーをようやく二通入手することができた。そのうちの一通が全文公開したものだ。もう一通も筆跡は同じで、冒頭と末尾に、その支援者や家族を気遣う文言などが書かれている以外は、内容もほぼ同一といっていい。念のため元秘書らに筆跡を確認してもらったが、間違いなく和子のものである。
いうまでもなく、これは「小澤和子」が支援者に送った私信である。和子には手紙で再三取材を申し入れたが未だ果たせていない。私信を公開することに逡巡がなかったわけではない。
だがこれは単なる私信ではない。大げさに言えば、後に平成の政治を振り返る上でも、極めて重要な意味を持つ一級の資料である。
私が本格的に小沢を取材し始めたのは、平成元年。この年の八月に小沢は弱冠四十七歳で自民党幹事長となった。以降の平成政治史において、時に政権与党の影の支配者、時に大野党のリーダーとして、今日に至るまで政局の中心に座り続けてきた。それは消費増税をめぐる目下の政局で野田政権を揺さぶり続けていることでも明らかだろう。
その小沢一郎が、未曾有の大震災に際していかなる行動を取ったのか。その実像を、最も近くにいた人物が書き記した、極めて公共性の高い文書だと考え、公開に踏み切った。
また、これだけ多くの人に手紙を出し、隠し子の実名まで記した十一枚の便箋を、何通も書き上げた和子の心情を思った。小沢の真の姿を支援者のみんなに広く知って欲しい。そうした和子の思いが行間から滲み出ているように感じられたことも、公開を後押しした。
隠し子を養子にした愛人
いくつか、手紙の文面だけではわかりにくい箇所を補足したい。一つ目は「隠し子」についてである。
〈八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました〉とある。
これがまさに私が「健太君」という仮名で四月末に報じた男の子のことだ。
実はもう一通の手紙には、〈九年前〉とあった。これが書かれたのが二〇一一年十一月だとすれば、二〇〇二年から〇三年にかけてのどこかの時点で、和子は隠し子の存在を知ったことになる。
奇しくも私は、前述した別居報道(三月二十九日号)でこう書いていた。
「私には、和子が自身の名義で小沢邸敷地内に別棟を建てた〇二年頃を境に、小沢と和子が後戻りのできないほど、冷え切った関係になったように見える。和子が水沢に姿を一切見せなくなるのもこの頃からだ」
東京地裁は昨年九月、小沢の元秘書三人に政治資金規正法違反で有罪判決を下した。その公判で、安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)の元女性嘱託職員が検察側証人として出廷したことがあった。その証言によれば〇二年三月、和子から電話でこう言われたという。
「現金を払い戻しするから、(深沢の)自宅に来て。私と息子の名義の預金を解約し、六千万円を払い戻してもらいたい」
この時、用途について別棟の建設費用だと和子は言っている。手紙を読んだ今思えば、隠し子の存在を知った和子が、小沢のカネに頼るのではなく、自分と息子のカネで自分たちだけの城を作ろうとしたのではなかったか。登記簿によれば、その「城」が完成したのは〇二年十二月のことだ。
また、小沢の隠し子を養子として預かった愛人についても説明しておきたい。この女性は、有名料亭の若女将だった裕子(仮名)で、これまで私は、幾度も彼女について言及してきた。
例えば、九二年九月。金丸信元自民党副総裁の東京佐川急便ヤミ献金事件の処理に関する責任を取って、小沢が経世会会長代行の辞表を出した頃のことだ。東京地検特捜部の捜査の手が、小沢にまで伸びるのではなかと言われていた頃のある出来事を、元側近が私にこう明かした。
「小沢先生に言われて、資料類を段ボール箱四~五箱に詰めて、裕子さんの住むマンションに運びました」
二人の関係は続いている。陸山会事件が起こってから、小沢支持者らが開いている勉強会がある。そこではごく少人数で、陸山会事件について様々な角度から話し合われているのだが、熱心にメモを取る裕子の姿が目撃されている。
和子との結婚前から四十年以上も続く異様な関係は知悉したつもりでいたが、その背後に〈一生毎月金銭を払う約束〉があったとは驚きである。現在二十一歳の健太君を二歳半から裕子は預かっている。この約十九年間で一体どれだけのカネが裕子に渡されたのか。
次に放射能を恐れる小沢の言動にも触れておきたい。
大震災以降、小沢がことあるごとに原発について言及してきたのは周知の事実だ。例えば昨年三月二十八日、達増拓也岩手県知事との会談後に小沢は、「原子炉の制御不能状態が2週間以上放置されるのは世界で例がない。最悪の事態を招けば日本沈没の話になる」などと語っている(「岩手日報」三月二十九日付)。このような言動に違和感を持った人は少なからずいた。当時、ある岩手県議は私にこう不満を露わにしていた。
「小沢さんは被災地が逼迫した状態にあるのに、現地に行こうともせず、なんであんなに原発事故のことばかり語るのか」
昨年五月、私が陸前高田や大船渡などの被災地を訪ねた時の悲惨な光景が蘇ってきた。ある地元民が目に涙を浮かべてこう語ったのだ。
「いまでも、田園の中がら泥だらけの遺体があがってくる。いちばん政治の力が欲しい時に小沢さんは何もしてくれながった。オラたちはよう、見捨てられたのがぁ・・・」
結局、小沢がはじめて岩手の被災地に足を運んだのは、今年一月のことだった。
長野の別荘と小沢側近の会社
なお、手紙に書かれている出来事の時系列はいずれも正確だ。例えば手紙には、昨年三月二十一日に、「東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってください」と書生が言いに来て、その二日後に、東京都が乳幼児にはなるべく水道水を避けるように指示した、と書かれている。
事実、三月二十三日に東京都は、「金町浄水場の水道水から一キロ当たり二百十ベクレルの放射性ヨウ素を検出」と発表している。日記などを付けていたのか、他の諸々の記述も日時などが正確に記されている。
長野の別荘についても補足しよう。
取材班は、長野県蓼科の別荘地を訪れた。地元不動産業者に聞くと、
「去年の震災以降、別荘を新築しようという方は割りと多いんです。東京や名古屋などから。放射能の関係もあるでしょうし、地震の際の避難場所としてですね」
そこで長野県諏訪地方事務所を訪ね、昨年以降提出された建築計画概要書を閲覧すると、建築主がオフィスゼロ(0)という物件がひとつ見つかった。同社を調査すると、実質的には川島智太郎衆院議員の会社であることがわかった。小沢の元秘書で、今も側近の一人として数えられる人物だ。
川島氏に聞いた。
「あれは私の別荘にするんです。小沢さんがあの近辺で土地を探していると聞いたので、私も近くに別荘が建てられたらいいなと思って契約しました。仲里(貴行)秘書はその辺のことは詳しいので、色々アドバイスをもらいました。小沢さんはまだあの界隈で土地を探していると思いますよ」
一方、小沢事務所は、
「(別荘の件は)小沢とは全く無関係です。離婚の事実も慰謝料を払った事実もありません。(川邊嗣治秘書は)大阪での法事の為に家族を帰らせたことがありますが、周囲に避難を勧めたことはなく、京都からの出馬を検討したこともありません」と回答した。
長年小沢に仕え「懐刀」と呼ばれながら、〇三年に小沢と袂を分かった元大物秘書高橋嘉信は和子の手紙を読み、こう語った。
「私がなぜ小沢と決別し、闘うことになったのか。この手紙を読めば岩手の方々にも分かっていただけるのではないでしょうか。小沢には政治家以前に人間として問題があります。政治を志す若い人たちの魂を食い殺すなど、なんとも思っていない人間なんです。ましてや、岩手のことなど小沢の胸中にありません」
小沢は当選三回(七六年)頃から、ほとんど地元に帰らなくなった。高橋は、和子とともに水沢の地盤固めをし、支え合った時代を振り返り、こう述懐した。
「小沢は蕗の薹を生のまま刻んで味噌汁に入れたのが大好物なんです。私と奥さんは北上川の土手まで行って、頭を出したばかりの蕗の薹を摘み、袋に詰めて奥さんは東京へ持って行ったものです。そうやって必死であの人の為に働いてきた。でも、小沢には結局何も通じなかった」
小沢からは高橋のような秘書が離れ、数々の側近と呼ばれた議員が離れ、そして今、地元後援者も、三人の息子と妻さえも離れた。
和子の手紙を読めば、その理由は痛いほどわかる。小沢一郎は政治家としての終わりを迎えたのではないだろうか。(文中敬称略)
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〈来栖の独白2012/6/15 Fri. 〉
一読し、不審な個所は多くある。「せめて離婚の慰謝料を受け取ったら岩手に義捐金として送るつもりです。」などは、大きくリアリティを欠く。信じがたい。が、小「澤」和子との署名(写真)に、考え込まざるをえない。消費税増税修正協議の期限を控え政局のヤマ場のこの時にこのような記事を出すタイミングも、恐ろしさに身震いしないではいられない。強制起訴裁判は企まれたもの、事実無根のものだったが、こんなところに伏兵がいた。この伏兵は、小沢氏の命を奪うに足る十分な力を持つ。選挙になれば、勝てないだろう。小沢氏は「小沢一郎」であるから、これは単なる夫婦喧嘩、別れ話では済まないのだ。大して能力があるとも思えないこのジャーナリスト、大それたことをしでかした。(少しでもリアリティを持たせようと思ってか、和子夫人の手紙文のフォントは教科書体である)
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◆小沢氏の地元・奥州で30年間選挙支援 「水和会」解散へ 2012-04-17 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
河北新報ニュース2012年04月17日火曜日
民主党の小沢一郎元代表の地元・奥州市で、小沢氏の選挙を長年支援してきた女性組織「水和会」が、活動目的が薄れてきたとして、解散する方針を決めたことが16日、分かった。
水和会によると、会は小沢氏の妻和子さん(67)を支えようと、約30年前に結成した。市町村合併前の旧水沢市の「水」と和子夫人の「和」にちなんで名付けた。
会員は、小沢氏が立候補する衆院選のほか、各種選挙に備えて活動を展開。和子さんとともに地元を精力的に回り、女性を中心に支持者を拡大し、強力な地盤をつくり上げた。
この十数年は、和子さんが地元に入ることがなくなったという。水和会幹部は和子さんが地元に来なければ、活動を続けられないと判断。及川幸子会長(岩手県議)によると、和子さんに電話で確認したところ「もう地元に行くことはないです」との返事があり、解散の了承が得られたという。
メンバーは解散しても、小沢氏を後援会内で支える方針。及川会長は「メンバーも高齢化が進み、当時の勢いはなくなっていた。(選挙全体の)態勢には全く影響はない」と強調している。
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◆ 小沢氏、初の沿岸被災地入り 岩手で民主県連役員会出席
民主党の小沢一郎元代表は3日、岩手県陸前高田市で開かれた党岩手県連の役員会に出席し、「東日本大震災が発生した非常事態の中でも旧態依然の中央集権支配が続き、地方への予算配分も十分でない」と政府の震災対応を批判した。小沢氏が震災後、岩手県の沿岸被災地に入ったのは初めて。
小沢氏は役員会後、記者団の取材に応じ、昨年末に消費税増税の「政府案」が決まったことについて「自分の主張は変わらない」と述べ、消費税引き上げに反対する立場をあらためて強調した。
役員会では約80人を前に「皆さんの生活を一日も早く取り戻さないといけない。被災地の要望に応えられるよう努力したい」とあいさつした。
小沢氏は陸前高田市のほか、久慈、宮古、釜石、大船渡各市で開かれた党県連役員会にも出席。首長らから復興に関する要望書を受け取った。陸前高田市では仮設住宅を訪れて被災者を激励した。
河北新報2012年01月04日水曜日
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小沢・民主元代表:東日本大震災後、初の沿岸訪問 「頼もしい」「今更」 住民、期待や不満 /岩手
震災後初となった小沢一郎・民主党元代表の3日の沿岸訪問。被災地の住人からは「頼もしい」といった期待や、「今更来ても遅い」といった不満が入り交じる声が上がった。
小沢元代表はこの日、達増拓也知事や県選出の国会議員らと共に、久慈から陸前高田まで沿岸5市で開かれた同党県連の緊急役員会に出席。宮古市では「私たちの主張した地域主権が(政権交代から)2年余たっても、まだ緒にも就いていない」と持論を展開。「皆さんの抱えた課題を解決するには、本来我々の掲げた政策理念を実行しなければいけない」と訴えた。
夫婦で参加していた、宮古市大通の無職、伊藤隆さん(75)は「小沢さんのように力のある政治家がいて頼もしい。予算を確保して、復興が進むよう国に働きかけてほしい」と期待を込めた。
小沢元代表は夕方には、陸前高田市竹駒町の仮設住宅を訪問。集会場に集まった約30人の住人を前に「皆さんの生活を一日でも早く元に戻せるよう全力で頑張っていく」と力を込めると、記念写真を求められるなど歓迎を受けた。
一方で、住人の女性(58)は「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らした。【宮崎隆】
毎日新聞 2012年1月4日 地方版
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◆『誰が小沢一郎を殺すのか?』の著者カレル・ヴァン・ウォルフレン氏と小沢一郎氏が対談〈全文書き起こし〉2011-07-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア より抜粋
■お悔みを申し上げるのが政治家の仕事なのか?
上杉: まずは「3.11」の震災について、その震災後のことについてお話を頂ければと思う。今ウォルフレンさんからお話いただいたので、小沢さんの方から。「3.11」の国を揺るがすような大震災以降、どうも既存メディアでは小沢さんの影が見えなかったのでは、何もしていないのではないか、という声もあった。果たして小沢さんはどのような活動をされていたのか。「3.11」の発災以降のことも含めて、お話をいただければと思う。
小沢一郎衆院議員(以下、小沢) : 今度のいまだかつて経験したことのないような大災害、私も被災県の岩手県の出身だけれども、特に福島県の原発の損壊と放射能汚染の問題、それが非常に深刻な事態だと、私は当初から機会ある度に訴えてきた。このような時にあたって、今ウォルフレンさんが指摘されたが、世界でも非常に評価されるような日本人の長所が発揮されていると同時に、日本人の欠点も露呈されているというのが、正直なところではないかと思っている。長所というのは、それは一般的に言われているように、こんな大災害にもかかわらず、みんな一生懸命力を合わせて復興のために頑張っていること。その忍耐と努力と、そして能力というのは、当然日本人として誇っていいことだと思っている。
ただ、放射能汚染といういまだかつて(ない)、ある意味においてはチェルノブイリやスリーマイル以上に、非常に大きな危険性を秘めているこの原発の事故と放射能汚染の拡大――。これほどの大きな深刻なことになると、単なる個人的な力の発揮ということ以上に、本来もっと国家として前面に立って、そして英知を集めて思い切って対策を講じていく仕組みと姿勢が必要だと思う。けれども、どうもその意味において、政治の面だけではなくて、一般の国民の中からもそういった強い要求というか、動きというものがなかなか出てこない。まさに非常に日本的な現象だと思っている。ほかの国ならば、こんなに黙って現状を見過ごしているような国民は多分ないだろうと思う。大きな大きな国民運動にまで広がりかねないと思うが、そういう(大きな運動にならない)ところがちょっと日本の国民性というか不思議なところであって、「まあまあ」という中で個人が一生懸命頑張っている。
上杉さんがマスコミの話をしたけれども、マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきか と(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。
■財源があろうがなかろうが、放射能を封じ込めろ
上杉: 引き続いて、お二方に質問を。自由報道協会の面々は発災直後から現地に入り、取材活動をずっと行ってきた。その取材の中で相対的に、結果としていま現在、県単位で見ると岩手県の復興が意外と進んでいるという報告が上がってきている。おべんちゃらではなく。(小沢氏の)お膝元の岩手県の復興が進んだという見方もできるが、一方で岩手県だけがそういう形で支援が進めばいいのかという疑問もある。そこで、これはウォルフレンさんと小沢さんお二方に伺いたい。仮に現在の菅政権ではなく、小沢一郎政権だったらどのような形で国を復興させたのか。また、もし小沢一郎総理だったら、具体的な方法としてどのような形で今回の震災に対応したのか。ご自身のことでお答えにくいかもしれないが、まず小沢さんから。
小沢: 岩手県の震災復興の進捗具合が大変良いとお褒めいただいているが、別にこれは私が岩手県にだけ特別何かしているということではない。ただ、それぞれの国民あるいは県民の努力と同時に、地域社会を預かっている知事はじめ、それぞれの任務にある人たち、トップが先頭に立って、そしてその下で皆があらゆる分野の活動で一生懸命やっている。岩手県が他の県に比べて良いとすれば、そういう体制がきちんとされているので、復興の進捗状況が良いと言われている理由ではないかと思っている。
私の場合は、かてて加えて原子力ということ、放射能汚染ということを強く主張している。これはもちろん東京電力が第一義的に責任を持っていることは間違いのないことだけれども、日本が政府として国家として、原子力発電を推進してきたことも事実だし、原発の設置運転等については許認可を与えている。そういう意味から言っても、また今日の放射能汚染が依然として続いているという非常に深刻な事態を考えると、東京電力が第一義的責任者だといって済む状況ではないのでは。東京電力にやらせておいて、政府はその後押しをしますよ、支援しますよというシステムでは、本当に国民・県民の生活を守っていくことはできないのではないか。
やはり政府、国家が前面にその責任をもって、最も有効と思われる対策を大胆に(行う)。これはお金がいくらかかる、かからないの問題ではない。メディアも含めてすぐ財源がどうだなんていう話が、また一般(財源)の時と同じような繰り返しの話ばかりしているが、そんな問題ではない。極端な言い方をすれば、財源があろうがなかろうが、放射能汚染は何としても封じ込めなければいけない話で、それは国家が政府が、前面に立って全責任でやる。私はそういうシステムを、仕組みをもっともっと早く、今でも遅くないから構築すべきだと思っている。今なお、東京電力が第一義的責任というやり方をしていたのでは、多分解決しないのではないかと思っている。
■菅さんは一人で何でもできると思い込んでいる
上杉: ウォルフレンさん、同じ質問だが、もし菅総理ではなくて小沢一郎総理だったら、この震災に対してはどうなっていたか。
ウォルフレン: いろいろな面があると思うが、まず3月11日にあの災害が起きた当時、私は阪神・淡路大震災の時と比べて政府の対応はどうだったかと、直感的に思った。当時の政府の対応と比べて、今回はずっと早く迅速に動いたという気がした。私はそのストーリーを書き、世界中に報道された。その時に私が言ったことは、「半世紀続いた一党体制が崩れて、新しい民主党という政党のもとに政権が建った。その政権は本当に国民のことを、人のことを大事に考えて中心に置いている」という書き方をした。ところが、せっかくの初動後の時間が経過するに従って、壮大な画期的な改革をする機会が与えられたにも関わらず――それはキャリア官僚の体制の上に政治的なコントロールを敷くということだったが――そこに至らないでズルズル時間が経ってしまった感じがする。
なぜ、そうなってしまったのかを考えたわけだが、1993年という年以降、政治の改革をしようと集まった政治家たちが、新しい民主党という党をつくった。そして官僚体制に対して、政治がきちんとコントロールしよう、今までなかった真摯な政府をつくろうという人たちだったのに、どうなってしまったのかと思った。何が起きてしまったのか、正直いって私自身は分からない。ただ、ひとつ考えられるのは、首相が一人で何でもできると思ってしまっているのではないか、ということ。数日前に日本に来て、その間多くの方々といろいろ話をして感じたのは、どうも菅さんは、時々いいアイデアもあるのかもしれないが、それを自分一人でやるだけの政治力があると思い込んでしまっているのではないか、ということだ。
菅さんにしても、誰であっても、一人ではとてもできないことではないか。災害に対処しながら、また原発事故に対処しながら、今までの官僚体制に政治がコントロールしていく――それを同時にやるのは大変なことだ。細かいことは存じ上げないが、原発事故が起きたということは、多くの人たちが新しいところで生活を始めなければならない。再定着が必要になってくるわけだから、政治家一人ではとても負えるものではない。民主党をつくった人たちが、官僚制度の上に政治的なコントロールを敷こうと、そして本当に政府をつくろうと、同じ志を持った民主党の政治家たちがお互いに、一緒に協力をしていかなければできないことなのだ。
災害が起きる前年、去年の秋だったけれど、少なくとも三人(小沢氏、鳩山由紀夫氏、菅直人氏)のトロイカ体制という話を聞いた時に、ある意味では当たり前だが、私はすごく良いアイデアだと思った。明治維新ひとつをとってみても、一人で誰がやったというわけではない。志を同じくした人たちが、一緒にやったことだった。戦後の復興にしても同じ。皆で一緒にやって初めてできたこと。半世紀に渡って一党支配の体制を崩した新しい政党が、新しいシステムをつくる。それにはトロイカであれ、グループであたっていかなければならないと、私は去年思ったものだ。
小沢政権ができた場合に、この災害にあたってどう対応されたかのは分からない。けれども、私は小沢さんは「官僚を制する」というよりは、「官僚と一緒に仕事をする」能力がある方だと思っているし、権限の委譲もできるし、官僚の下に置かれることは絶対にない方だと思っている。小沢政権ができた場合には、きちんと然るべき人たちと協調体制のとれた対応をとっていかれるのではないかと思う。
2012年4月8日日曜日
民主党政権
最近、一部マスコミの中で民主党政権への批判が見られる。しかしマスコミの本質は変わってはいない。
ようは、自分たち(マスコミ)が可愛いだけで「良心の呵責に苛まれ」民主党政権を批判をしているわけではあるまい。
民主党政権 失敗の本質(朝日新聞連載1~4)
脱官僚の裏で財務省と握手〈民主党政権 失敗の本質〉(朝日新聞デジタル版から)
野田政権を取り巻く「財務省網」
「脱官僚」をうたう民主党は政権交代前夜、二つに割れていた。財務省は無駄遣いをなくす「味方」なのか、官僚の既得権益を擁護する「敵」なのか。
2009年6月、のちに民主党の初代首相となる鳩山由紀夫と2代目首相の菅直人は、みんなの党結成に動いていた渡辺喜美、江田憲司と極秘で会った。旧通商産業省OBの江田が「霞が関の本丸は財務省だ」と言うと、菅は「わかっている。官僚主導の打破に協力して欲しい」と応じた。
だが、渡辺は民主党の「脱官僚」を疑っていた。野田佳彦や前原誠司ら民主党の中堅議員を交えた当時の会合で、次のような会話を耳にしたからだ。「国土交通省や農林水産省などのできの悪い官僚はたたく。財務省とは握るけどね」
政権交代から2年半。3代目首相の野田は今、消費増税法案の成立に「政治生命をかける」と明言する。
民主党の事前審査がこじれていた3月25日夜、野田は旧大蔵省OBで党税調会長の藤井裕久に「絶対ぶれるな」と励まされ、大きくうなずいた。79歳の藤井は民主党の初代財務相で、野田を財務副大臣に引っ張った「恩人」だ。野田は野党時代の著書「民主の敵」で無駄遣いの削減や天下り根絶を訴える一方、消費増税には触れていない。それが財務副大臣になると、一転して前向きになった。
民主党は「4年間は消費増税しない」と宣言し、09年総選挙に勝った。消費増税に「命をかける」という首相の登場を、担当記者の私はまったく予想しなかった。だが、鳩山は総選挙直前、実は財務省の事務次官だった丹呉泰健や、主計局長だった勝栄二郎らとひそかに接触を重ねていた。無駄遣いをなくし、子ども手当など看板政策の財源をつくる必要があったからだ。
鳩山は今、「歳出を減らしてくれるのなら、財務省と協力してもいいと判断した。財務省の最大の使命は歳出削減だと見誤った」と後悔する。財務省の本性は官僚機構の守護神で、最大の狙いは自らの権益を拡大するための消費増税にあったというのだ。
民主党と財務省の歩み 「脱官僚」を掲げた民主党政権で、なぜ財務省は強大になったのか。 民主党は2009年総選挙の前、すでに財務省ににじり寄っていた。まずは財務省と組んで無駄遣いをなくす。財務省に切り込むのはその後だ。そんな「脱官僚」の二段階論が広がっていた。私は当時、鳩山由紀夫に近い議員から「財務省とはケンカしないよ」という言葉をよく聞いた。
鳩山の父・威一郎は旧大蔵省の事務次官だった。鳩山が初代財務相に指名したのは、父が政治家としての資質を見込み、政界への進出を促した旧大蔵省OBの藤井裕久だった。
◇
民主党がマニフェストで示した「脱官僚」の決め手は、財務省から予算編成権を奪い、首相官邸直属に新設する国家戦略局に移すことにあった。それが崩れた瞬間を、内閣府政務官(国家戦略担当)だった津村啓介はよく覚えている。
政権交代直後の09年9月末、国家戦略相の菅直人はいらだっていた。マニフェストを実行するための財源確保にメドが立たず、予算の基本方針の作成が大幅に遅れそうだった。
そこへ、財務省主計局長の勝栄二郎が現れた。菅が「いつまでに基本方針をまとめれば、年内に予算編成できるのか」と尋ねると、勝は「民主党にはマニフェストという立派なものがあります。これに沿って予算を作れ、という紙を一枚出していただければ、やりますよ」とささやいた。菅はほっとした表情を浮かべて、「だったら早いじゃないか」と応じた。
こうして民主党による初の予算編成の責任者は、国家戦略相の菅ではなく、財務相の藤井となった。
藤井は「政治家が予算の細部を正しく判断できるのか。大蔵省には百数十年の歴史がある。政治家に求められるのは決断を下すことだ」と強調する。 一方、かつて小泉内閣の閣僚として財務省と予算編成の主導権を争った竹中平蔵は「大きな財布の中でカネを配ることが財務省の権力の源泉」という。歳出削減よりも増税で予算規模を膨らませ、それを配分する実権を握ることに財務省の省益があるとの見立てだ。
実際、民主党政権で事業仕分けなどの歳出削減は進まず、これまで3回の当初予算は事実上、史上空前の規模に膨れあがった。その一方で、消費増税だけは着実に進んでいった。
2代目財務相の菅は首相就任後、10年の参院選で消費増税を唐突に打ち上げた。野田佳彦は菅内閣で3代目財務相に昇格すると、財務官僚の仲介で自民党の財務相経験者と会合を重ねて政界屈指の「財務族」となり、11年の党代表選で消費増税に言及して勝利。今年3月、党内の反発を振り切って、ついに消費増税法案の提出に踏み切った。
その野田が昨年秋、4代目財務相に閣僚経験のない安住淳を指名したのは政界を驚かせた。だが、財務省は、政権交代前から国会対策で頭角をあらわしていた安住に目をつけ、親交のある同省主計官の岡本薫明を講師役にした政策勉強会を定期的に開いていた。
岡本は今、秘書課長として安住を支える。与野党を超え、有力議員に早くから官僚を張り付けて取り込んでいくのが、財務省流だ。
その財務省が予算編成権と並んで死守したのが、官僚の人事権だった。
「政権をとったら、事務次官、局長以上にはいったん辞表を出してもらい、民主党政権の方針に従ったものだけを政治任用する」 鳩山や菅は野党時代、そう公言してきた。大統領が交代すれば政府高官がごっそり入れかわる米国ほどではないにしても、各省の事務次官から人事権を奪って、官僚を民主党政権に従わせる狙いがあった。
だが、民主党は政権交代直前に「政治任用」を撤回した。表向きの理由は「公務員の身分保障」。その結果、ほとんどの官僚は今も、首相や大臣より事務次官に忠実だ。その姿は自民党時代と変わらない。
なかでも財務省は影響力を広げている。
勝は自民党政権で官房長、主計局長の「次官コース」を歩き、民主党政権で順当に事務次官になった。野田内閣になると、旧内務省系の指定席の官房副長官(事務)に、東大在学中から勝の友人である前国交事務次官の竹歳誠が就任。消費増税と社会保障改革をまとめる内閣府の事務次官には、財務省で勝の1期後輩の松元崇が就いた。いずれも異例の人事で、野田内閣は「財務省支配」と揶揄(やゆ)されるようになった。
消費増税法案の鍵を握る自民党総裁の谷垣禎一も元財務相だ。政界では、今年2月の野田と谷垣の極秘会談に財務省がかかわったとの見方もくすぶる。
消費増税に慎重な民主党の馬淵澄夫は最近、財務省が水面下で自民党に法案成立を働きかけていると指摘し、「増税には内閣の一つや二つ吹っ飛ぶくらいは覚悟しなければならない、とうそぶいた大物財務官僚の言葉を今もハッキリと覚えている」とブログに書いた( http://mabuti-sumio.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-c334.html )。消費増税を巡る党内抗争の根底には、財務省とどう向き合うかという統治観の対立がある。
野田内閣は3日、13年4月1日付で新規採用する国家公務員を政権交代前の09年度に比べて56%減らすと発表した。なかでも財務省の削減率は60.8%で、いちばん多かった。消費増税法案を成立させるため、「財務省支配」という党内外の批判をかわす狙いがにじむ。=敬称略(村松真次)
ようは、自分たち(マスコミ)が可愛いだけで「良心の呵責に苛まれ」民主党政権を批判をしているわけではあるまい。
民主党政権 失敗の本質(朝日新聞連載1~4)
脱官僚の裏で財務省と握手〈民主党政権 失敗の本質〉(朝日新聞デジタル版から)
野田政権を取り巻く「財務省網」
「脱官僚」をうたう民主党は政権交代前夜、二つに割れていた。財務省は無駄遣いをなくす「味方」なのか、官僚の既得権益を擁護する「敵」なのか。
2009年6月、のちに民主党の初代首相となる鳩山由紀夫と2代目首相の菅直人は、みんなの党結成に動いていた渡辺喜美、江田憲司と極秘で会った。旧通商産業省OBの江田が「霞が関の本丸は財務省だ」と言うと、菅は「わかっている。官僚主導の打破に協力して欲しい」と応じた。
だが、渡辺は民主党の「脱官僚」を疑っていた。野田佳彦や前原誠司ら民主党の中堅議員を交えた当時の会合で、次のような会話を耳にしたからだ。「国土交通省や農林水産省などのできの悪い官僚はたたく。財務省とは握るけどね」
政権交代から2年半。3代目首相の野田は今、消費増税法案の成立に「政治生命をかける」と明言する。
民主党の事前審査がこじれていた3月25日夜、野田は旧大蔵省OBで党税調会長の藤井裕久に「絶対ぶれるな」と励まされ、大きくうなずいた。79歳の藤井は民主党の初代財務相で、野田を財務副大臣に引っ張った「恩人」だ。野田は野党時代の著書「民主の敵」で無駄遣いの削減や天下り根絶を訴える一方、消費増税には触れていない。それが財務副大臣になると、一転して前向きになった。
民主党は「4年間は消費増税しない」と宣言し、09年総選挙に勝った。消費増税に「命をかける」という首相の登場を、担当記者の私はまったく予想しなかった。だが、鳩山は総選挙直前、実は財務省の事務次官だった丹呉泰健や、主計局長だった勝栄二郎らとひそかに接触を重ねていた。無駄遣いをなくし、子ども手当など看板政策の財源をつくる必要があったからだ。
鳩山は今、「歳出を減らしてくれるのなら、財務省と協力してもいいと判断した。財務省の最大の使命は歳出削減だと見誤った」と後悔する。財務省の本性は官僚機構の守護神で、最大の狙いは自らの権益を拡大するための消費増税にあったというのだ。
民主党と財務省の歩み 「脱官僚」を掲げた民主党政権で、なぜ財務省は強大になったのか。 民主党は2009年総選挙の前、すでに財務省ににじり寄っていた。まずは財務省と組んで無駄遣いをなくす。財務省に切り込むのはその後だ。そんな「脱官僚」の二段階論が広がっていた。私は当時、鳩山由紀夫に近い議員から「財務省とはケンカしないよ」という言葉をよく聞いた。
鳩山の父・威一郎は旧大蔵省の事務次官だった。鳩山が初代財務相に指名したのは、父が政治家としての資質を見込み、政界への進出を促した旧大蔵省OBの藤井裕久だった。
◇
民主党がマニフェストで示した「脱官僚」の決め手は、財務省から予算編成権を奪い、首相官邸直属に新設する国家戦略局に移すことにあった。それが崩れた瞬間を、内閣府政務官(国家戦略担当)だった津村啓介はよく覚えている。
政権交代直後の09年9月末、国家戦略相の菅直人はいらだっていた。マニフェストを実行するための財源確保にメドが立たず、予算の基本方針の作成が大幅に遅れそうだった。
そこへ、財務省主計局長の勝栄二郎が現れた。菅が「いつまでに基本方針をまとめれば、年内に予算編成できるのか」と尋ねると、勝は「民主党にはマニフェストという立派なものがあります。これに沿って予算を作れ、という紙を一枚出していただければ、やりますよ」とささやいた。菅はほっとした表情を浮かべて、「だったら早いじゃないか」と応じた。
こうして民主党による初の予算編成の責任者は、国家戦略相の菅ではなく、財務相の藤井となった。
藤井は「政治家が予算の細部を正しく判断できるのか。大蔵省には百数十年の歴史がある。政治家に求められるのは決断を下すことだ」と強調する。 一方、かつて小泉内閣の閣僚として財務省と予算編成の主導権を争った竹中平蔵は「大きな財布の中でカネを配ることが財務省の権力の源泉」という。歳出削減よりも増税で予算規模を膨らませ、それを配分する実権を握ることに財務省の省益があるとの見立てだ。
実際、民主党政権で事業仕分けなどの歳出削減は進まず、これまで3回の当初予算は事実上、史上空前の規模に膨れあがった。その一方で、消費増税だけは着実に進んでいった。
2代目財務相の菅は首相就任後、10年の参院選で消費増税を唐突に打ち上げた。野田佳彦は菅内閣で3代目財務相に昇格すると、財務官僚の仲介で自民党の財務相経験者と会合を重ねて政界屈指の「財務族」となり、11年の党代表選で消費増税に言及して勝利。今年3月、党内の反発を振り切って、ついに消費増税法案の提出に踏み切った。
その野田が昨年秋、4代目財務相に閣僚経験のない安住淳を指名したのは政界を驚かせた。だが、財務省は、政権交代前から国会対策で頭角をあらわしていた安住に目をつけ、親交のある同省主計官の岡本薫明を講師役にした政策勉強会を定期的に開いていた。
岡本は今、秘書課長として安住を支える。与野党を超え、有力議員に早くから官僚を張り付けて取り込んでいくのが、財務省流だ。
その財務省が予算編成権と並んで死守したのが、官僚の人事権だった。
「政権をとったら、事務次官、局長以上にはいったん辞表を出してもらい、民主党政権の方針に従ったものだけを政治任用する」 鳩山や菅は野党時代、そう公言してきた。大統領が交代すれば政府高官がごっそり入れかわる米国ほどではないにしても、各省の事務次官から人事権を奪って、官僚を民主党政権に従わせる狙いがあった。
だが、民主党は政権交代直前に「政治任用」を撤回した。表向きの理由は「公務員の身分保障」。その結果、ほとんどの官僚は今も、首相や大臣より事務次官に忠実だ。その姿は自民党時代と変わらない。
なかでも財務省は影響力を広げている。
勝は自民党政権で官房長、主計局長の「次官コース」を歩き、民主党政権で順当に事務次官になった。野田内閣になると、旧内務省系の指定席の官房副長官(事務)に、東大在学中から勝の友人である前国交事務次官の竹歳誠が就任。消費増税と社会保障改革をまとめる内閣府の事務次官には、財務省で勝の1期後輩の松元崇が就いた。いずれも異例の人事で、野田内閣は「財務省支配」と揶揄(やゆ)されるようになった。
消費増税法案の鍵を握る自民党総裁の谷垣禎一も元財務相だ。政界では、今年2月の野田と谷垣の極秘会談に財務省がかかわったとの見方もくすぶる。
消費増税に慎重な民主党の馬淵澄夫は最近、財務省が水面下で自民党に法案成立を働きかけていると指摘し、「増税には内閣の一つや二つ吹っ飛ぶくらいは覚悟しなければならない、とうそぶいた大物財務官僚の言葉を今もハッキリと覚えている」とブログに書いた( http://mabuti-sumio.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-c334.html )。消費増税を巡る党内抗争の根底には、財務省とどう向き合うかという統治観の対立がある。
野田内閣は3日、13年4月1日付で新規採用する国家公務員を政権交代前の09年度に比べて56%減らすと発表した。なかでも財務省の削減率は60.8%で、いちばん多かった。消費増税法案を成立させるため、「財務省支配」という党内外の批判をかわす狙いがにじむ。=敬称略(村松真次)
2012年4月2日月曜日
飯田 哲也 論文
歪められた「自然エネルギー促進法」
― 日本のエネルギー政策決定プロセスの実相と課題― 飯田 哲也( 自然エネルギー促進法推進ネットワーク代表) 1998 年に始まった「自然エネルギー促進法」の法制化を目指す市民運動は、2002 年5 月31日の参議院本会議で政府提案による「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」(以下、「新エネ利用特措法」)が成立したことで、一応の区切りを迎えた。 過去3年間余りに及ぶ「自然エネルギー市民立法」は、超党派の国会議員約250 名からなる自然エネルギー議員連盟と連携しつつ、エネルギー政策ではもちろん、環境政策としても、一時は大きな運動に成長した。 しばしば「鉄の三角形」と形容される政・官・業からなる「旧い政治ネットワーク」が完全に支配してきた日本のエネルギー政策に対して環境NPO が大きな影響力を持ち得たケースとしては、例外的といってもよいと思われる。 その「自然エネルギー市民立法」を通して、何が達成され、残された課題は何か。グリーン電力制度の登場なども視野にいれ、ここ数年間にわたる自然エネルギーを巡る市民運動を、自然エネルギー促進運動の中心的な立場にあった当事者の視点から検証を試みた。 キーワード:市民立法、新エネ利用特措法、政治ネットワーク、官僚政治、「専門家」の政治性 1 .「自然エネルギー促進法」とは 本稿でいう「自然エネルギー促進法」とは、われわれ市民運動が提案した法案、およびそれを原型とする自然エネルギー議員連盟による法案を指している。これは、一定の価格で自然エネルギー( 風力、太陽光、バイオマス、小水力など1)からの電気の買取りを電力会社に義務付けるもので、ドイツが1990 年に導入した「電力供給法」2を参考にしたものである。 ここで簡単に欧州における自然エネルギー政策の展開について触れておく。 1980 年代以来、風力発電の開発と普及ではデンマークが常に先頭に立ってきたが、ドイツの風力発電は、電力供給法を施行するや、風力発電機の技術的な進展も相俟って著しい成長を見せている。「持続可能なエネルギー」としての自然エネルギーそのものへの高い関心と支持に加えて、1990 年代に国際政治の中心的なアジェンダへと浮上した気候変動問題を背景に、デンマーク( 1992 年)やスペイン(1994 年)をはじめとして、ドイツに倣った法や協定が欧州各国で整備されていった。 その結果、普及が停滞していた米国に代わって欧州は風力発電に関する「世界の普及中心」となる一方で、風力発電も欧州の政策に支援されて、1990 年代を通してもっとも成長した電源となり、今日も成長し続けている。 1990 年代後半になって、自然エネルギー普及制度の研究も進み、「クォータ制度」ないしは「R P S 制度」と呼ばれる制度が提案されるようになってきた。これは、電力供給の中で自然エネルギーに一定割合を与えるもので、「自然エネルギーの証書」の流通を用いることで、自然エネルギーの普及にも競争や市場メカニズムを働かせ、費用効率性を達成しようとする制度である。 「固定価格制度」に分類されるドイツ型の制度に対して、「固定枠制度」に分類されるこれらの制度は、その後、欧州で政策選択を巡って激しい争点となった(Haas,2001)。 欧州委員会は、地球温暖化防止京都会議の始まる直前の1997 年11 月に「欧州自然エネルギー白書」を公表し、域内の自然エネルギー供給を倍増させる方針を表明していた。その後、これを「指令」として 発効させる上で、欧州委員会内部では「クォータ制度」への統一が有力であった。欧州域内で の自然エネルギー資源の地域差を越えて、目標値を費用効率的に、しかも確実に達成できる制 度と判断されたからである。この提案はドイツや環境NGO から激しい反発と論争を呼び、結局、 2001 年9 月に発効した「欧州自然エネルギー指令」では、各国ごとに目標値は与えるものの、 それを達成する政策措置は各国に委ねられることとなった。ちなみに、英国、オランダなど現 在7 カ国が「クォータ制度」をすでに導入ないしは導入予定であるが3、風力発電普及量では固 定価格制度を持つドイツ、スペインが累積でも各年でももっとも大きい(AWEA,2002)4。 2 . 自然エネルギー促進法」市民立法前史 「自然エネルギー促進法」へと繋がる市民運動の中で、筆者が直接関わってきたものに「市 民フォーラム2001」がある。同団体は、1992 年6 月の地球サミットに参加した市民団体を中心 に、「対立から対話へ」というテーマを掲げて1993 年に開催したシンポジウムを契機として発 足した。同シンポジウムの「エネルギー分科会」の関係者が中心となって発足した研究会の一 つに「2001 エネルギー研究会」があり、筆者自身もそこへの参加がNGO 活動の出発点となった。 2001 エネルギー研究会は、脱原発をほぼ共通の価値感としながらも、活動の中心は「代替エ ネルギー政策」にあった。その2001 エネルギー研究会が取り組んだもっとも大きな活動が、1996 年春から2 回にわたって開催した「市民によるエネルギー円卓会議」であった。「円卓会議」に は、高木仁三郎原子力資料情報室代表やグリーンピースジャパンなど、反原発に関しては代表 的な市民運動が参加するだけでなく、茅陽一慶応大教授(当時)を筆頭にエネルギー関連審議会 で常連の専門家や、東京電力の取締役や新日鉄等産業界の幹部や通産省(当時)が出席するなど、 原子力やエネルギー政策を巡って鋭く対立していた顔ぶれが揃った。そこで原子力という対立 点をあえて外し、エネルギー政策全体を論点として議論を進めた結果、(1)自然エネルギーの促 進、(2)省エネルギーの促進、(3)エネルギー政策決定プロセスの公開という3 点は一定の合意 を見た。おそらくこの「円卓会議」の意味は、代替エネルギー政策に関わる人的ネットワーク が、従来からの市民運動の枠を越えて広がったことであろう。後の自然エネルギー促進法市民 立法でも、この「円卓会議」の参加者が主要なメンバーとして関わっている。 また、円卓会議の直後、「円卓会議」に参加していた勝俣東京電力取締役(当時)から「円卓会 議」の主催者であった筆者あてに、市民フォーラム2001 と協力して自然エネルギー普及のプロ ジェクトを進めたいとの呼びかけがあり、これがその後3 年間にわたる東京電力とのコラボレ ーションへとつながり、さらにグリーン電力( 基金および証書) に発展する芽となっている。 「円卓会議」の後、筆者は、1996 年から1998 年にかけて欧州に研究滞在し、欧州の自然エ ネルギー政策の発展やドイツを筆頭とする爆発的な自然エネルギー普及の状況を目の当たりに Page 3 して、1998 年に帰国した。その頃ちょうど参議院議員に初当選した福島瑞穂氏のもとに数名の エネルギー・原子力関連の市民団体関係者が集まり、今後のエネルギー政策を検討する会合を 持ち、その中からドイツ型の「自然エネルギー促進法」を進めていく戦略が誕生した。 ただし政治的な広がりを期待して、反原発運動や環境保護主義、あるいや左翼活動といった、 自然エネルギーに対する従来からのバイアスで見られることを避けるために、(1)環境よりも経 済的便益を強調、(2)原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、とい う3 点を運動の基本戦略におくことを合意した。 当時の日本では、米国カリフォルニア州で1980 年代に風力発電が成長するきっかけとなった 1978 年の公益事業規制法やドイツの「アーヘンモデル」5などの情報が散発的に伝えられてい たが、欧州の自然エネルギー政策の急速な発展が日本の専門家にはあまり認知されていなかっ たことが、「自然エネルギー促進法」のキャンペーンを急速に広める追い風となった。後述する ように、いわば、日本のエネルギー政策の空隙を衝くかたちであったと考えられる。 「自然エネルギー促進法」の運動の特徴は、1998 年に活動を開始した当初から議員立法を目 標に据えて、市民運動と政治( 国会議員) が、二人三脚ともいえる緊密なパートナーシップの もとで進められてきたことである。福島瑞穂議員と相談しつつ、まずは各政党で協力してくれ る国会議員に声をかけていった。加藤修一議員( 公明党)、佐藤謙一郎議員( 民主党)、河野太 郎議員( 自民党)、そして愛知和男議員( 自民党)と、ほぼその後のコアメンバーが揃った1999 年1 月からは、超党派の国会議員を対象とする月1 回の勉強会を超党派の国会議員の呼びかけ という形で開催し、われわれ市民運動が講師手配や運営面で協力する形をとった。 市民運動サイドでは、これを目に見える一つの「運動」のかたちとするべく、1999 年1 月頃 から協議を重ね、最終的に1999 年5 月、「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク( GEN)の 設立総会を行い、同日発足した。 このころ北海道電力では、前年に公表した「商業用風力発電用長期購入メニュー」によって 一挙に55 万キロワットもの風力発電の構想が浮上し、これをすべて長期購入メニューで契約す ると100 億円もの費用支出になることが懸念された。そのため1999 年6 月に「系統の制約」を 理由として、合計で15 万キロワットの風力発電に対する導入制限を設けると公表した。この問 題を加藤修一議員が国会で質問し、通産省(当時)として、欧州への調査団の派遣など、真正面 からの対応を余儀なくするきっかけとなった6。 国会議員サイドでも、議員連盟立ち上げの気運が高まっており、1999 年9 月3 日に当時ほぼ 完成していた北海道苫前町の風力発電群の視察を超党派で呼びかけることとなった。「呼びかけ 人」には、愛知和男議員や自民党商工族の実力者である梶山静六議員など自民党の実力者をは じめ、30 名の超党派の国会議員が顔を並べた7。当日の視察には愛知和男議員をはじめ10 名の 国会議員が参加した他、北海道電力や資源エネルギー庁も参加した。視察の後、現地で「自然 エネルギー促進議員連盟設立準備会合」も行われ、引き続いて、GEN 主催による「自然エネル ギー円卓会議」も行われた。その後、11 月24 日には参議院議員会館で「自然エネルギー促進 議員連盟」の設立総会が開催され、当日申し込みを含めて257 名が参加をする最大規模の議員 連盟が誕生した。これには、視察直後の9 月30 日に東海村臨界事故が発生したことも追い風に Page 4 はなったと思われるが、やはり苫前町への風力発電視察の呼びかけ人が実質的に議員連盟への 呼びかけ人となり、与野党の議員に雪崩現象での参加を促したことが大きいものと思われる。 総会で、愛知和男議員を会長に、加藤修一議員を事務局長に選出した議員連盟では、その後、 毎週の勉強会を重ねるとともに、法制化ワーキングチームを発足させ、法案化への検討を重ね ていった。この間GEN は、会合への参加のみならず、勉強会講師の手配から法案に対する技術 的検討まで、全面的に支援する体制を取った。こうして、2000 年4 月★ 日の総会では法案が了 承され、その後は各党での手続きに移ることが確認された。 こうして急速に大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対して、資源エネルギー庁 と自民党原子力族はそれぞれ強い危機感を募らせていた。資源エネルギー庁の危機感は、エネ ルギー政策の主導権を国会に奪われる懸念であり、その後、通産省は1999 年12 月に総合エネ ルギー調査会新エネルギー部会を発足させ、議員連盟に対する中心的なアドバイザーであった 筆者も委員として招聘された。 一方、自民党電源立地族や民主党電力総連族らからなる「原子力族」は、1999 年9 月30 日 に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したうえに、その後、 2000 年2 月24 日に、北川正恭三重県知事が芦浜原発候補地に対する白紙撤回を表明したこと を契機として、新潟県選出の桜井新議員や電力会社出身の加納時男議員が軸となって「原発促 進法」(原発立地地域振興に関する特別措置法)の検討が自民党内部で始まる。これは電源開発 特別会計だけでなく一般会計からも、原発周辺地域にさらなるバラマキを行うもので、「議員立 法」という手法において「自然エネルギー促進法」に追随したものであり、また電源開発特別 会計という財源を巡る対抗策でもあった。 とりわけ「原発促進法」の中心を担った桜井新議員は当時、自民党政策調査会の副会長であ り、「原発促進法」の党内手続きを優先的に進める反面、「自然エネルギー促進法」の党内手続 きを徹底的に拒否した。このため、愛知議員と桜井議員は当時口も訊かない関係となり、両法 案とも行き詰まったまま、2000 年6 月の衆議院解散総選挙を迎えた。そして皮肉なことに、両 氏ともに落選し、両法案の活動はいったん停滞することとなった。 3 .「旧い政治コミュニティ」からの反抗 3 . 1 官僚の玩具にされたグリーン電力 一方、資源エネルギー庁公益事業部が電力会社と謀って進めてきた「自然エネルギー促進法」 への対抗策は、グリーン電力基金と組み合わせた競争入札の導入である。1999 年末頃には、東 京電力と市民フォーラム2001 との3 年間にわたるコラボレーションの終了を目前にして、次の プログラムの議論が始まっていた。そこでは、すでに生活クラブ生協が北海道電力の協力を得 て開始していたグリーン電気料金が有力な選択肢としてあがっており、新聞報道も行われた8。 しかし、その新聞報道を契機に、グリーン電気料金の議論の場は、東京電力と環境NGO から、 電気事業連合会と公益事業部との協議へと全く変わってしまった。 すなわち、公益事業部はグリーン電力を「自然エネルギー促進法」への対抗策に仕立てよう と考え、(1)東京電力1 社ではなく電力会社10 社が一斉に導入すること、(2)その基金の一部を Page 5 「全国運用分」として拠出し、風力発電等の負担の大きな電力会社を支援すること、(3)風力発 電等が過剰に集中しないよう、「枠」と競争入札を導入すること、という指導を行った。これは 電力会社にとっては、買取り義務などの規制ではなく自主的に行えることや、北海道電力が「15 万キロワット枠」を発表してから風力発電が集中し始めていた東北電力に導入制限や競争入札 を導入する大義名分を得られることから、悪い話ではなかった。こうして、2000 年7 月14 日 の新エネルギー部会の場で、電力会社を代表して勝俣恒久委員( 東京電力) が「グリーン電力 基金」とそれに組み合わせて風力発電に対する競争入札の導入を秋から実施すること公表した9。 北海道電力や東北電力に風力発電が集中することによる費用負担は、本来、公共政策として 公平な負担と分配を考えるべきであり、グリーン電力基金として一部の善意の人々が拠出した 費用を充てることは、道義的にも仕組みとしても根本的に間違っており、公共政策とグリーン 電力の両面を歪める懸念がある。事実、2002 年時点でどの電力会社のグリーン電力基金も加入 者は行き詰まっており、東北電力の負担を賄うにはあまりに金額が小さく、明らかに破綻して いる1 0。その後、議員連盟が橋本龍太郎議員を新会長に選出して活動を再開するのを見て、公 益事業部と電力会社の本来の狙いであった「自然エネルギー促進法」への対抗策としても、失 敗であったとの評価がされたという。 ところが新エネルギー部会では、その提案の本質的な問題点である基金の使途や競争入札の 問題を「緑の衣を着た鎧」であると指摘したのは筆者のみであり、他は「グリーン電力基金」 を賞賛する声一色であった。いかに審議会委員が本質的、制度的な議論ができないか( あるい は避けたか) を象徴する会合であった。 なお、7 月15 日の新エネルギー部会で勝俣委員は、もう一つのプログラムである「グリーン 電力証書」も発表している。これは、実質的に東京電力と環境NGO( 市民フォーラム2001) の コラボレーションを後継するプロジェクトとして、環境NGO とのパートナーシップのもとで生 み出された本来のグリーン電力に近い制度である1 1。ところが資源エネルギー庁は、導入を狙 うRPS と類似の「グリーン証書」とのシステム上の競合を嫌い、意図的に無視する姿勢をとっ ている。 3 . 2 再び、原発促進法vs 自然エネルギー促進法 2000 年6 月の総選挙で会長の愛知和男議員が落選した自然エネルギー議員連盟では、8 月★ 日の総会で後任に橋本龍太郎議員を選出し、活動を再開した。事務局は、橋本氏を立てること で通産省や自民党通産族を抑えることができるとの期待があったが、これは見事に裏切られる ことになる。「自然エネルギー促進法議連案」は愛知前会長の下で4 月の総会で確認されていた が、橋本新会長は改めて独自案を検討し始めた。とくに9 月に開催された議連総会以降、法案 の検討は完全に自民党の中に閉じ、野党やGEN にもいっさい状況が聞こえてこない状況が続き、 ようやく10 月末に河野太郎議員のメールマガジンで、買取の規定もランニング補助もない骨抜 きにされた自然エネルギー促進法案の検討状況が明らかとなった(河野,2000)1 2。 その間に原発促進法は、桜井新議員に代わって島根県選出の細田博之衆議員議員が中心とな り、甘利議員と加納議員のもとで再び動き始めた。すでに同法案が自民党内の手続きを終えて Page 6 いることから、与党3 党の合意取り付けが行われ、3 党を共同提案者として衆議院商工委員会 に持ち込まれようとしていた。11 月になると、骨抜きの自然エネルギー促進法と抱き合わせで 原発促進法を通過させる動きが伝えられた。ところが折からの「加藤の乱」が始まり、橋本会 長の下での「自然エネルギー促進法案」の見直し作業は中断するが、すでに政治手続きに乗っ ている原発促進法だけは、11 月末までの臨時国会会期中に成立するぎりぎりのタイミングで成 立に向けて動きだした。途中、新潟県刈羽村の生涯学習センター「ラピカ」建設を巡る不正疑 惑などがあったものの、マスコミの動きも鈍く、最終日の11 月30 日に成立をした。 3 . 3 RPS に追い込んだ新エネルギー部 2000 年の間は、マスコミへのリークを通じてアドバルーン1 3を揚げる他は、公益事業部( 当 時)の影で控えめにしていた石炭・新エネルギー部( 当時)だが、2001 年になるとRPS に向け て新エネルギー部会での議論を急速に集約しはじめた。これには、公益事業部の「対案」であ ったグリーン電力の導入が決まっても、議連対抗策にならないことがはっきりしたことに加え て、省庁再編に伴う人事異動で両部の間でのパワーバランスが微妙に変わったこともある1 4。 新エネルギー部会では、あたかもRPS が政策上優位であるかのような印象を与える、意図的 に混乱した政策の選択肢を提示して1 5、強硬に反対すると見られていた電力会社を囲い込むた めに、筆者を含めて事前に各委員が呼ばれてRPS への意見集約が図られた。 相当強引な意見集約が図られたことは直接体験するだけでなく間接的にも耳にしているが、 ドイツ型の制度を目指すGEN の代表である筆者と、資源エネルギー庁にとって政策上の最大の 協議相手である電力会社がRPS 一本化には強行に反対したため、最終的にまとまった新エネル ギー部会の報告書( 2001 年6 月22 日)では、RPS は選択肢の一つとして例示されるにとどまっ た(経済産業省資源エネルギー庁,2001)。 この間、政治サイドでは3 つの動きがあった。橋本会長の下で身動きの取れない議員連盟は、 再び気運を盛り上げるための勉強会を2 月に再スタートさせたが、法制化は橋本会長が引き取 っていたことと、事務局長の加藤修一議員が自身の参議院選挙(2001 年7 月)のために身動きが 取れず、踏み込んだ検討をするには至らなかった。しかし、野沢太三議員と木村仁議員が中心 となって、自民党内部で6 月までに買取り約款とランニング補助を復活させた「橋本試案プラ ス」の検討が進められていたことが河野太郎議員のメールマガジンで明らかとなり、議連の新 しい統合案への気運が改めて高まった1 6。 他方、森政権( 当時) の不人気に乗じて攻勢をかけたい民主党も、橋本会長の下で身動きの 取れない議員連盟に対して、自然エネルギーを政策の対立軸の一つにするべく2001 年3 月に自 然エネルギー議員の会を開催した。その活動自体は小泉政権の誕生で頓挫したが、民主党の中 で電力総連派の議員と環境派の議員で合意案作成を行う足場になった。その後民主党でも、電 力総連の意向を汲んで競争入札の要素を取り入れ、従来からの固定価格の要素も併せ持った合 意案を6 月までにまとめた。7 月の参議院選挙後、8 月9 日の総会でこれら両案が紹介され、 その後の議連統合案作成のベースとなった。 一方、与党は、2001 年4 月に「与党自然エネルギープロジェクトチーム」( 以下、「与党自然 Page 7 エネPT」) を発足させている。座長には甘利議員が座り、原子力族の加納時男議員から自然エ ネルギー議連の加藤修一議員が座っていた。これは、野党の動きへの対抗であるとともに、RPS に対して与党内での合意形成を作りたい経済産業省の働きかけによるものである。本来、米国 や欧州に見られるRPS は、基本的に環境派や自然エネルギー事業者が支持する政策の一つであ ることを考えれば、原子力族を中心とする自民党の「エネルギー守旧派」が中心を占める与党 自然エネPT の提案がRPS に一本化されたことは一見、奇妙に見える。その裏にあるのは、与党 自然エネPT で草案段階で提案されたNPS( 非化石エネルギー . . . . . . . . ポートフォリオスタンダード)、 すなわち実質的には「原子力ポートフォリオスタンダード」である。これは、RPS( 再生可能エ . . . . . ネルギー . . . . ポートフォリオスタンダード) と同じ仕組みを利用して、一定比率の自然エネルギー ではなく、一定比率の非化石エネルギーもしくは原子力を供給することを電気事業者に義務づ けるという考えである。このNPS を主張する加納時男議員と固定価格買取制度に基づく議連の 法案を主張する加藤修一議員が真正面から対立し、最後の中間報告では本来の「RPS」に落ち着 いた1 7。経済産業省の内部でも、新エネルギー部が公益事業部など資源エネルギー庁内をRPS でまとめるために、同じ論理を利用したことも伝えられている。資源エネルギー庁は、この与 党自然エネPT によって、RPS に関する与党合意を取り付けるとともに、議連事務局長である加 藤修一議員を与党自然エネPT に加えたことで、RPS に対抗する議連の動きをある程度封じるこ とに成功したといえる。 4 . 自然エネルギー促進法から新エネRPS 法へ 4 . 1 RPS 一本化へ 新エネルギー部会でRPS への一本化に失敗した資源エネルギー庁は、8 月9 日の自然エネル ギー議連総会で橋本会長から政府法案の提出を念押しされ、法制化に向けてなりふり構わない 姿勢をとった。直前に、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」)を立ち上げ、7 月31 日から11 月までのわずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報告が取りまとめられた。しか もその間、制度間の比較はおろか、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い等、重要な論点は ほとんど積み残したままの粗雑な検討で、証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲 線を非公開のまま、わずか2 度実施しただけであった。 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が 小委員会委員を兼任するのに対して、筆者は小委員会委員から外され、しかも発言すらさせな いという露骨な「飯田外し」の小委員会運営であった。 これに対してGEN は、「自然エネルギー市民委員会」を立ち上げ、政府案の検証を試みた。と くに焦点となったのは証書取引のシミュレーションであり、費用供給曲線や現実に想定される 廃プラスチック発電事業者を独自調査した結果、経済産業省とはまったく異なる結果が得られ、 「新エネルギー」のほとんどを廃棄物発電が占め、国内の二酸化炭素排出量も「新エネルギー」 対象分だけで最大2 % もの増大をする懸念が予見された(飯田、2002)。 「小委員会報告」を審議するために2001 年12 月18 日に開催された「新エネルギー部会」で は、こうした懸念も含めて異論が続出し、筆者も最後まで承認できないと粘ったが、柏木部会 Page 8 長と事務局は「基本線は了解された」として強引に幕引きをした。もともと小委員会の設置は 「専門的な見地から政策の選択肢を検討する」と説明され、あくまでその判断は「新エネルギ ー部会」にあるはずだが、実態は、小委員会はRPS ありきで議論されただけではなく、対象に 廃棄物を加えるかどうか、証書市場の設計などの本質的な論点も事務局( 資源エネルギー庁) が委員からの異論を捌くだけで終始し、まったくまともな研究も議論も行われていない。その 後、前記の新エネルギー部会も、単に報告書を受け取る「儀式」と化した。すなわち、明らか にこの小委員会は、官僚が思うように運営できなくなった新エネルギー部会をバイパスして、 新しい「自己正当化装置」として設置され、機能したといえる。 4 . 2 新エネRPS 法の成立過程 新エネルギー部会という「儀式」を終えてからは、経済産業省の作業は完全に水面下に入り、 状況がまったく聞こえてこない状態が続いた。その後、新しい法案の概要が明らかになるのは 2 月半ばを過ぎて、経済産業省と各省との協議、ならびに与党への説明が始まってからであっ た。ここで明らかになった法案は、(1)証書取引きの欠落、(2)新エネ事業者の自由な取引行為 が困難であるなどRPS としての基本的な要件を欠き、12 月の新エネルギー部会で強引に引き取 られたときに約束された「基本線」すら満たしていない法案であった。 しかも、経済産業省による本法案の説明は、地球温暖化に関して詐欺的ともいえる対応に終 始した。小泉首相の施政方針演説でも地球温暖化に関連して本法案に触れ、説明資料でも第2 番目の目的に地球温暖化を掲げながら、法案の本文には当初いっさい「環境」の文字はなかっ た。本法案の対象に廃棄物を無制限に加えることで、国内の二酸化炭素の排出量が最大2 パー セントも増大する懸念があった。しかも、バイオマスや廃棄物など他省庁に関わる事項が多い 法案であるにもかかわらず、経済産業省単独で所管をする法案となっていることで、他省庁協 議や与党内の協議でも異論が示され、とりわけ廃棄物発電の扱いを巡ってはぎりぎりまで扱い を巡って協議され、閣議決定も当初日程からは延長されたものの3 月15 日には閣議決定された 1 8。なお、「環境」に関しては目的を微修正して追加されたものの、最後まで「地球温暖化」の 文言は入らず、これには環境省をエネルギー政策に立ち入らせないという、経済産業省の強い 意思が明らかだった。 この間、議員連盟は夏から作業を進めてきた「橋本試案」と「民主党案」とを統合した「議 連統合案」を策定し、公表すべく準備を進めていたが、橋本会長が政府案に対する対抗案とな る「議連統合案」のみを単独で公表することを拒否したために、2001 年中に総会を開催するこ とができなかった。このため議連では、年明けから「RPS 議連案」の対抗案づくりを急ぎ、よ うやく橋本会長の了解の取れた2 月13 日に総会が開催された。総会では、固定価格買取に基づ く新しい「議連統合案」と政府への助言を意図した「RPS 議連案」の2 つが提示され、承認と も報告とも判断の付かない進行であった。しかも橋本会長から直々に、当日出席していた河野 新エネルギー部長に手渡すセレモニーも演出された。ところがこのときはすでに経済産業省は 内閣法制局と綿密に調整した法案を固めた後であり、セレモニーは文字通りセレモニーにすぎ なかった。 Page 9 閣議決定後は衆議院そして参議院での与野党の攻防となるが、国会の日程や与野党の勢力か ら考えて、本法案の場合は成立の可否というよりも、どれだけの修正ないしは答弁が「取れる か」の条件闘争と考えられた。対案提出か、修正案かの選択をまず民主党内で協議した結果、 対案提出の方向でまとまり、共産党も含めて各野党( 民主党、社民党、自由党、共産党) の各 担当および幹事長レベルで確認が取られた。ところが、ここでその後の民主党内での「足並み の乱れ」のために、衆議院は無風通過に近い状況となった。野党対案が形式的にも委員会で審 議されるためには、政府提出法案の「吊しが降りる」1 9前に提出する必要があるが、民主党内 で最終的に対案提出を確認するまえに、政府提出法案の吊しが降りてしまった( 4 月17 日)。 これで野党提出法案は提出しても逆に「吊されたまま」となり、ほとんど意味をなさなくなる ことが決まった。そうすると今度は逆に、「共産党外し」を狙って野党対抗法案の提出へと民主 党が急いだ。翌週の23 日には筆者を含めた参考人招致が行われたが、同日のうちに民主党から 「付帯決議案」が提示され、協議が始まった。「付帯決議案」を出すと言うことは、もはや法案 修正要求もせず、無傷での衆議院通過を確約することを意味していた。本法は、廃棄物などを はじめ追求すべき「穴」は多く、また第154 回通常国会の目玉の一つであった京都議定書批准 の担保法ではないために急ぐ必要はけっしてなかったにもかかわらず、あたかも、連休に入る 前の4 月26 日の本会議で衆議院通過をさせるために、民主党が自ら与党法案の可決を急いでい るかのような印象を受けた。こうした民主党の一連の不思議な行動は、当該国会( 第154 回通 常国会) で見ると、衆議院経済産業委員会の民主党筆頭理事である田中慶秋議員が大きな役割 を果たしたと伝えられている。しかし今回のケースにとどまらず、民主党の構造的な問題でも ある。エネルギー政策や環境政策を巡る考え方で党内が「三つ又」( 環境派、電力総連派、経済 産業派)に分裂し、党内組織でもNC(ネクスト・キャビネット)の経済産業委員会で電力総連派 と経済産業派が優位であり、しかも衆参両院の経済産業委員会の理事を電力総連派と経済産業 派が占めている。こうして最大野党の環境政策やエネルギー政策は、自民党とそれほど変わら ない旧い政治コミュニティの影響下にある。 参議院ではもはや条文修正の可能性もなく、参考人招致すら行われず、わずか1 日の委員会 審議ののち、5 月31 日の参議院本会議で新エネRPS 法は成立した。 5 . 露呈した「エネルギー政治」の実相 5 . 1 自然エネルギー政策という「空白」 最終的には政府( 官僚) 立法に逆転されたとはいえ、市民運動や政治が大きくエネルギー政 策プロセスに食い込むことができた要因の一つに、日本の自然エネルギー政策が、とりわけ電 力分野において、ほとんど「空白」であったことが指摘できる。もちろん日本政府も、住宅用 太陽光発電に対する設置補助に代表される補助金や、主に新産業新エネルギー・産業技術総合 開発機構 (NEDO)を介した研究開発を中心に、一定の自然エネルギー普及政策には取り組んでい た。しかしながら、1990 年代に欧州を中心に大きく発展した経済的手法を活用した自然エネル ギー政策の展開からは、政策面でも研究面でも大きく立ち後れていた。 これにはいくつかの原因が考えられるが、第1 に、経済産業省と電力会社による、政治的駆 Page 10 け引きに基づく共犯関係のもとで自然エネルギー政策が行われてきたことである。つまり、太 陽光発電や風力発電は、政府が補助金を出し、電力会社が「余剰電力購入メニュー」2 0という 自主的な取り組みを行うことでかろうじて一定の普及が進んできた。ここには、( とりわけ経済 産業官僚の姿勢として) 公共目的のために公共政策を改善したり、革新していくという姿勢は なく、むしろ「予想外」に普及の進んだ風力発電に対して、なし崩しにメニューを変えていく 電力会社の姿勢を放任してきた。 第2 に、経済産業省内部の縦割り構造とその間の力学を指摘できる。資源エネルギー庁の中 で、自然エネルギー普及政策は新エネルギー部の所管であり、電力に関わる施策は電力ガスユ ニットの所管である。複数部署にまたがる施策は、ユニット調整会議等を通じて、形式的には 調整が図られる(城山,1999,城山,2002)。とはいえ、予算面や法令面での歪みや矛盾のチェック が中心であり、施策は基本的に「原課」単位で検討、提案されるため、両部署にまたがって機 能する総合的な政策措置は考えにくい。その上、両部署の力学では電力ガスユニットが「上」 であるため、新エネルギー部を原課として電力会社に関わる新たな規制や施策を提案すること はきわめて困難であったことが推察される2 1。これに対して補助金であれば、「原課」単位の裁 量で実施できるだけでなく、官僚個人も組織( 原課) も権限の拡大ないしは維持につながり、 正当化しやすい。その意味において、今回の法案は新エネルギー部にとっては原課の権限を越 える「画期的」な側面もあるが、その理由は後ほど検討したい。 第3 に、政治的なアジェンダや政策のプライオリティから見て、自然エネルギーの位置づけ が極端に低かったことを指摘できる。予算面で見ても、新エネルギー関連予算は、近年急増し ているとはいえ、原子力関係予算に比べると圧倒的な劣位に置かれてきた。政治的に見ても、 原子力や電力、石油などには、立地市町村とそこを基盤とする国会議員のように、その事業を 巡って流通する電源開発促進特別会計など特定財源などを介して形成されている既得権益を持 つ立地地域や原子力族議員、原子力産業界などの関係当事者と経済産業官僚との間に、緊密な 政策コミュニティが築かれている。これに対して、自然エネルギーの政策コミュニティは、あ きらかに貧弱であった。 5 . 2 議員連盟と環境NGO「GEN」の協働 自然エネルギー促進法を巡って、政治と環境NGO であるGEN との協力関係は、公式には自然 エネルギー促進議員連盟を通して行われた。とくに、エネルギー促進法と超党派の議員の参加 により設立された議員連盟は、梶原静六を筆頭に自民党商工族大物の加わった、これまでにあ まり例を見ない政治協力として発足した。このことが、少なくとも設立初期には、通産省( 当 時)が警戒し、「官」の支配するエネルギー政策への対抗力として議員連盟が機能した源泉とな っていたといえる。 一方、環境NGO のネットワークとして成立した「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク は、各党の議員や議員秘書では「党」が壁となって広げにくい状況を補完して、当初から議員 連盟の設立に向けて党派を超えて説明を行うなど、党派性を持たないロビーイング組織として 機能した。また、そのネットワークを生かして議員連盟の勉強会講師を手配したり、自然エネ Page 11 ルギー政策に関する知見を提供するなどの役割も果たした。つまり自然エネルギー促進議員連 盟と環境NGO とは、自然エネルギー政策を巡って成立した、典型的な「イシューネットワーク」 であった(正木,1999:91-110)。 5 . 3 むき出しになった「官僚政治」 自然エネルギー促進法および新エネRPS 法の成立に至る一連のプロセスで、「官僚政治」の実 態も明瞭に露出した。一般に、日本の政治と政策決定過程に関する見方は、官僚主導でなされ ているという見方と、多元的になされているという見方に大別されるが、専門的・体系的な知 識を要求される政策分野ほど、官僚主導の要素が強い(グライムス,2002:32)。とくに、日本の 法令システムの特徴は、国会で審議される法律はきわめておおざっぱであり、実質的に政策を 左右する要素は、政令・省令や通達、さらには口頭などによって、官僚が広範な裁量を有し非 公式な権力を行使している。 原子力施策に代表されるように、日本のエネルギー政策は自民党政治にとっての既得権益そ のものであり、「自分たちの都合のよいように法律や予算を書かせ、代償として官僚支配を許容 する」という共犯関係が長く成立してきた領域である。その意味で長い間、経済産業省は、実 質的にエネルギー政策決定の中心にあった。 自民党商工族も加わった自然エネルギー促進議員連盟が250 名を越える大所帯に拡大するの を懸念した通産省( 当時)は、1999 年秋の臨時国会が終了するのを待つかのようにして、1999 年12 月15 日に総合エネルギー調査会( 当時) のもとに「新エネルギー部会」を新設した。当 時、北畑隆生石炭・新エネルギー部長と近藤★ 公益事業部開発課長が連れ立って、与党を中心 に自然エネルギー促進法を否定的に説明するロビーイングをしていたとの間接情報があり、「新 エネルギー部会」設置の意図の一つは、通産省( 当時) によるエネルギー政策決定に関わる政 治的権限を維持するための「危機管理」であったといえるだろう。このことは、通産省官僚が 語ったと伝えられる「政治家に立法はさせない」という言葉に象徴されている。 その後、公益事業部主導で行われた「競争入札と組み合わせたグリーン電気料金の導入」か ら、新エネルギー部主導の「RPS」へと、資源エネルギー庁内部で力学変化が生じている。実際 に、2000 年末までは、リーク記事を流しながらも公式の場でRPS 否定をしていた通産省(当時) が、年が明けるや、RPS 導入を前面に押し出し始めた。新エネルギー部会委員を務めていた筆 者も、2001 年1 月に後任の新エネルギー部長に呼ばれ、電力会社を追い込むためにRPS で合意 するよう「ご説明」を受けている。 この変化は、第1 に属人的な要素が挙げられる。2000 年末に省庁再編に伴う人事異動で、そ れまで公益事業部で自然エネルギー促進法に対応していた前出の近藤氏が異動し2 2、公益事業 部と新エネルギー部間のパワーバランスに変化が生じた。第2 に、自然エネルギー議員連盟の 活動が「外バネ」として機能したことである。グリーン電気料金という「カード」を公益事業 部が使った後、通常であれば省内で比較劣位にある新エネルギー部主導で、部課を越える要素 を持つRPS の導入に向けて、自然エネルギー議員連盟の活動を「経済産業省の権限への危機」 という「外バネ」に使ったと伝えられている。第3 に、RPS の仕組みを原子力ポートフォリオ Page 12 や非化石燃料ポートフォリオとして、原子力推進に使えるという説明をすることで、省内や自 民党などの原子力族を説得することに成功したことである。こうして、RPS は、きわめて露骨 な「官僚政治」によって成立したのである。 閣議決定前に行われる省庁間の協議が「事実上の国会」として機能していることも「官僚政 治」のほかの要素である。新エネRPS 法では、当初、経済産業省が単独で所管する法案として 提案していたことから、関連する環境省( 地球温暖化および廃棄物発電)、農水省( バイオマス)、 国土交通省( 小水力発電および下水汚泥バイオマス) の各大臣の関心もあり、省庁間協議は熾 烈を極めた。できるだけ多くの質問を投げて答えに窮したところで自らの省益を取ろうとする 各省庁と、それぞれに短く形式的な答弁( 場合によってはひとまとめにして回答している) で 逃げ切ろうとする経済産業省とのやり取りは、本来であれば、国会で国会議員同士が議論すべ き、政策の本質に関わる論点がほとんどである。それが、一般の目にはけっして触れることの ない、省庁間だけに閉じた書面だけのやり取りで終わってしまい、いったん閣議決定すれば、 その後の国会の審議ではその「足並みの乱れ」が表れることは決してない。こうして国会の審 議は形骸化し、あらかじめ落としどころも決まっていることが、日本の政治空間を空疎にし、 民主的な手続きを形骸化している 5 . 4 旧い政策コミュニティの実相 一連の自然エネルギー促進運動は、エネルギー政策を支配する一握りの「旧い政治コミュニ ティ」の姿と、その歪みも明らかにした。エネルギー政策は、前述したように官僚主導の要素 が強いが、「古い政治コミュニティ」を通した多元的な側面もある。すなわち、旧公益事業部長 を日本の電力会社の会長と揶揄する言葉もあるように、経済産業省は、裁量権の大きい規制権 限を背景に、政治力や資金力の大きな電力会社( 電気事業連合会) を旧来からの政策パートナ ーとしてきた。また、自民党とは、経済産業部会とエネルギー問題特別委員会を通して、やは り相互依存関係を維持してきた。専門性と政策の履行を行う経済産業省と、与党としてその政 治権限を容認する見返りに、都合のよい法案や予算を用意させてきた自民党という関係である。 野党民主党も、電力総連を中心とするエネルギー政策を巡る「古い政治コミュニティ」が中心 を占めているために、ことエネルギー問題となると、与野党対決になりにくい状況にある。も ちろん、その周辺を公益法人や原子力産業会議や東京大学原子力工学科( 旧) といった産業界 や「族学者」が幾重にも取り巻いており、審議会などの公式の場や非公式の場で「落としどこ ろ」の仲介者の役割を果たしている。 こうした「旧い政治コミュニティ」は、大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対 してさまざまな形で対抗勢力となったが、それはけっして「鉄の三角形」と形容される一枚岩 ではなく、亀裂や離合集散が見られた。 すでに述べたように、資源エネルギー庁の危機感は、エネルギー政策の主導権を国会に奪わ れる懸念であったが、公益事業部と新エネルギー部の思惑は異なっていた。一方、自民党電源 立地族や民主党電力総連族らからなる「旧い政治コミュニティ」の危機感は、直前の1999 年9 月30 日に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したところ Page 13 に、この「自然エネルギー促進法」の政治活動が大きくなったことに対する警戒感と解釈でき る。その後、北川正恭三重県知事による芦浜原発候補地に対する白紙撤回表明を契機に「原発 促進法」につながったことはすでに述べたとおりである。 こうしたエネルギー政策決定の実相はけっしてマスメディアでは伝えられず、「旧い政治コミ ュニティ」によって実質的な政策決定が終わったあとに、ようやく争点として報道されるか、 あるいは審議会のような「儀式」が終わった事後に報道されることが多い。2000 年秋の臨時国 会での争点であった「原発促進法」も、法案提出ができるかどうかが実質的な政治問題であっ たにもかかわらず、初めて報道されたのはすでに法案が国会に提出された後であった。記者ク ラブ制度の影響もあると思われるが、こうしたメディアの報道姿勢も、官僚による非公式の政 治権力の行使を認めている一因であろう。 5 . 5 政策形成プロセスの変質 こうして、「自然エネルギー促進法」を阻止しようとする「旧い政治コミュニティ」は、 (1) 電力会社と連繋する資源エネルギー庁公益事業部(当時)、(2)新エネルギー部会の場を利用して RPS 導入を睨む資源エネルギー庁石炭・新エネルギー部(当時)、(3) 「原発促進法」を進める 自民党電源立地族という3 つの流れへと向かったがゆえに、「落としどころ」はさまよい続けた。 資源エネルギー庁の中で模索された第1 の落としどころ、すなわち公益事業部主導のグリー ン電力(当時)は、公共政策として十分に練る手続きを経ることもなく、いわば場当たり的な対 応から登場したが、これは近藤開発課長( 当時)による強い指揮のもとでまとめられたもので、 きわめて属人的な要素が強い。その結果、公共政策としては何の機能も果たさないばかりか、 競争入札や全国運用分などを組み合わせた複雑な仕組みによって、グリーン電力の性格も判り にくいものに歪ませてしまい、わずか2 年でほとんどの電力会社でほぼ破綻している。 資源エネルギー庁としての第2 の落としどころ、すなわち新エネルギー部会の場を利用した 石炭・新エネルギー部(当時)主導のRPS 導入も、石炭・新エネルギー部長としては例外的に省 内実力者であった北畑氏のイニシアティブで始まり、終盤の強引な取りまとめは実質的に平工 新エネルギー政策課長の指揮下で進められた2 3。 このように、「国」あるいは「経済産業省」の名の下に、幅広い裁量権を持った官僚が、匿名 に隠れて、きわめて属人的な裁量のもとで公共政策を左右している。 「政」の分野では、自民党電源立地族が中心となって、対抗策としての「原発促進法」を進 め、その後は経済産業省と連繋をして、与党自然エネPT を通してRPS という落としどころに乗 った。ただし、子細に見ると、自然エネルギー促進運動と東京電力出身の加納時男議員の登場 によって「政」と「官」の関係に変化が生じている。従来は専門性を提供する経済産業省にエ ネルギー政策を巡る広範な裁量権を与え、見返りに都合のよい政策や予算を練ってもらうとい う自民党との共犯関係が成立してきたが、エネルギーの専門家を自負する加納議員の登場によ って、その関係に亀裂が生じてきている。「国」が原子力政策にもっと責任を取るべきであると 考える電力会社の意思を受けた加納議員は、その後、エネルギー政策基本法の動きを起こした2 4。 経済産業省の内部では、自民党が中心となって進める原発促進法やエネルギー政策基本法に対 Page 14 して、公然に近い反発の声があった。エネルギー政策基本法そのものは、加納議員の歪んだエ ネルギー政策感覚のために、内容は貧弱であり、とても「基本法」と呼べる理念も質もない。 しかし、石油公団の巨額不良債権とでたらめな経営実態を明らかにした自民党堀内総務会長の ように、政治の側での専門性が高まる一方で、経済産業省では原課で閉じた政策をすることが ますます困難になっている状況から、エネルギー政策の軸足がますます「政」に移りつつある ことは興味深い。 6 . 審議会の役割 6 . 1 官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) としての審議会 広範な裁量権と非公式の政治権力を持つ資源エネルギー庁にとって、今回の一連の審議会( 新 エネルギー部会) は、官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) として露骨な役割を果たした(城 山,1999:)2 5。 第1 に部会委員や小委員会の人選である。筆者が部会委員に選任されたのは、(1)議員連盟へ の対応に加えて、(2)総合部会の場等を通して新エネルギー政策の相対的地位向上の2 つの役割 が期待されたものと思われる。一方、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」) では、 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が小 委員会委員を兼任するのに対して、筆者に対する排除は露骨であった。「親部会委員はオブザー バーでも出席でき、また部会で発言できる」「専門家と当時者の方々に集まっていただく」とい うことが排除の理由だが、親部会を兼務する他の委員との比較において、専門性や当事者性の どちらからも正当化できるとは思えない。しかも、4 回の小委員会を通して発言機会はわずか に1 回、それも1 分に制約され、議事録や提出資料すら記録に残さないという露骨な小委員会 運営であった。他の委員は、事業者と電力会社を除けば、RPS 支持を取り付けられそうな経済 学者や電力取引事業者などで固めていた。 第2 に、部会や小委員会の進行は、実質的に事務局( 経済産業官僚) がほとんどすべてをコ ントロールしている。座席の配置も、部会長の両脇は資源エネルギー庁長官を筆頭に事務局が 固め、部会委員からの質問もほとんどは事務局が回答する構図である。用意される資料も、す べて事務局が用意したもので、明らかな誤字や数字の間違いを除けば、修正はほとんど受け付 けられることもない。たとえば小委員会委員が提起した廃棄物への疑問に対しても、事務局が 自らの「政治的な判断」を明確に述べている2 6。 第3 に、そうして自分たちで舞台回しをした審議会の報告書は、ぎゃくに省庁間の協議や与 党・国会などの説得材料に利用される。やはり廃棄物を巡って、環境省から問われた質問に対 して、新エネルギー部会の報告書を持ち出して、正当化をしている。 6 . 2 「専門家」は専門的だったか? また、一連の審議を通して、審議会に出席をした「専門家」の資質も問われるべき課題とし て浮き上がった。前述の通り、小委員会では、わずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報 告が取りまとめられた。その間、少数ながら現実への影響を懸念した質問も見られたが、とり Page 15 わけRPS の審議を巡って顕著であったのは、固定価格制度か固定枠制度かを巡って、経済学者 を中心にほとんどの委員に共通してみられた「RPS= 証書の市場取引= より望ましい制度」とい う単純かつ乱暴な固定観念である。 反面、制度間の比較はおろか、RPS を選択するとすれば避けることのできない前述のような 本質的に重要な論点である、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い、二酸化炭素の権利の扱 い、ボランタリーなグリーン証書との関係、追加性の定義等、重要な論点はほとんど積み残し たまま、まったく議論されないか、官僚答弁に任せたまま、置き去りにされた。また、わずか 2 度実施しただけの証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲線が非公開であること に対する疑問はいっさいなく、専門家としての検証はなかったと言っても過言ではない。 6 . 3 「専門家」の政治性― 利用し利用される「専門家」 こうして、審議会が官僚の自己正当化装置にすぎない現状からすれば、そこに出席をする有 識者や専門家の果たすべき役割は、否応なく「政治的」である。 このとき、2 種の専門家に分類できる。一方は、過度に「政治的」な専門家であり、もう一 方は政治的な立場に鈍感で都合よく利用される専門家である。とりわけ前者は、官僚の自己正 当化装置であることを了解した上で、円滑な審議運営を最優先する専門家であり、審議会で部 会長や委員長を務めるほとんどの「専門家」がこのタイプであると思われる。 審議会は自己正当化装置にすぎないとしても、委員としてそこに出席する以上、審議会その ものの持つ政治性を理解することが必要であり、「過度に政治的な専門家」はもちろん、「利用 されただけの専門家」であっても結果責任を問われることも避けられない。 7 . まとめ― 新たな市民運動の可能性 すでに述べたように、自然エネルギー促進法の戦略は、(1)環境よりも経済的便益を強調、(2) 原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、という3 点を運動の基本戦 略におくことであり、これは、当初、ある程度は成功したといえる。法案そのものは成立しな かったとはいえ、旧来からの「大きな物語」(左右のイデオロギーや原発への賛否)を越えて、 議員連盟に象徴されるように、自然エネルギーへの支持は確実に広がっている。 一連の自然エネルギー促進運動が明らかにしたものは、強固な「旧い政治コミュニティ」の 中心にある露骨なまでの「官僚政治」であった。エネルギー政策を環境配慮型に転換していく 上で、この「官僚政治」に対するガバナンスを確立していくことが、あらためて大きな課題と して浮かび上がってきたといえよう。 一般に権力の源泉は、法的権限、人事システム、情報管理の3 つであるとされる。とりわけ 当面の課題は、広範な裁量権を持つ官僚の非公式な法的権限を公式かつ透明なものにしていく ことと考えれば、政省令のレベルまで書き込んだ議員立法は、その有効な手段の一つと考えら れる。 また、「鉄の三角形」と形容されてきた「旧い政治コミュニティ」からなる日本の政策形成プ ロセスの中で、自然エネルギー促進法推進ネットワークは、環境NPO と政治との協働が「イシ Page 16 ューネットワーク」として機能することを立証した。ここに「新しい政治亀裂」が出現し、す ぐに「旧い政治コミュニティ」で埋められたとはいえ、新しいエネルギー政策形成への萌芽が 見られたのではないか。 注 ( 1 )本稿では、r e n e w a b l e e n e r g y を指す言葉として「自然エネルギー」を用いている。 ( 2 ) E l e c t r i c i t y F e e d L a w の略。自然エネルギーからの電力を平均的な電気料金の9 0 %の価格で買い取ることを電 力会社に義務づけていた。その後、2 0 0 0 年4 月からは、自然エネルギー法( R E L )に改訂された。 ( 3 )クオータ制度( RP S 制度)が実施ないしは提案されている国・地域としては、欧州では、英国、デンマーク、オ ーストリア、オランダ、ベルギー、イタリア、スウェーデンの7 カ国、米国ではテキサス州など1 0 州、オースト ラリアなどがある(括弧内は施行年月)。 ( 4 ) 2 0 0 1 年末に世界全体の風力発電の累積設置量は2 4 0 0 万キロワットであり、多い国から、ドイツが8 7 5 万キロワ ット( 4 3 % 増)、米国が4 2 6 万キロワット( 6 6 % 増)、スペインが3 3 4 万キロワット( 3 3 % 増)、デンマークが2 4 2 万キロ ワット( 5 % 増)となっている。日本は3 0 万キロワット( 5 0 % 増)である。 ( 5 )ドイツのアーヘン市が1 9 9 5 年に導入した制度で、太陽光発電と風力発電をそれぞれ1 5 年で償却できる電力買 取り補助をいう。 ( 6 ) 1 9 9 9 年6 月8 日参議院経済産業委員会で、政府委員である稲川資源エネルギー庁長官は加藤修一議員の質問に 次のように答えている:「購入の義務づけその他をつとに御指摘いただいてございますけれども、そういうものも 含めて今後のよりベターな対応方式というものを検討していきたいと思います。(中略)欧米にミッションを送るこ とを今予定いたしてございます。」 ( 7 )呼びかけ人は、衆議院: 愛知和男、伊藤達也、大口善徳、大畠章宏、梶山静六、金田誠一、金田英行、河野太 郎、古賀正浩、笹山登生、佐藤謙一郎、竹村正義、武山百合子、辻元清美、並木正芳、原田昇左右、山本幸三、参 議院:加藤修一、梶原敬義、須藤良太郎、高野博師、竹村泰子、戸田邦司、中村敦夫、福島瑞穂、福山哲郎、馳浩、 林芳正、広中和歌子、渡辺孝男( 五十音順) ( 8 ) 1 9 9 9 年1 2 月1 7 日に朝日新聞の1 面で「来年4 月から東電がグリーン料金導入 自然エネルギー普及「募金」」 との報道が行われている。 ( 9 )グリーン電力基金は、一般需要家に一口月額5 0 0 円で自然エネルギーの普及に使うとの名目だが、「全国枠」と 称して東北電力に寄付するなど、使途が見えにくい。東京電力については、h t t p : / / w w w . g i a c . o r . j p / g r e e n / ( 1 0 ) 2 0 0 2 年8 月7 日現在、東京電力のグリーン電力基金の参加者は1 5 , 0 4 3 件で、電灯契約口数の0 . 0 7 %となって おり、頭打ち状態である。総枠で約1 億円規模にすぎず、東北電力への助成規模(数十億円~ 数百億円)からかけ離 れている。 ( 1 1 )グリーン電力証書については、( 株)日本自然エネルギー( h t t p : / / w w w . n a t u r a l - e . c o . j p / )とグリーン電力認証 機構( h t t p : / / e n e k e n . i e e j . o r . j p / g r e e n p o w e r / ) をそれぞれ参照のこと。参加環している環境N G O としては、環境エ ネルギー政策研究所、(財)世界自然保護基金ジャパン、グリーン購入ネットワークの3 団体。 ( 1 2 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 0 年1 0 月3 0 日 ( 1 3 ) 2 0 0 0 年5 月1 8 日にはN H K の全国ニュース、同年7 月1 0 日には日本経済新聞で、それぞれ「政府がR P S 導入を 決定」とのニュースが流れたが、いずれも通産省は事実を否定した。 ( 1 4 ) 2 0 0 0 年7 月の人事異動で、RP S 導入の中心を担った平工奉文氏が新エネルギー政策課長に着任し、2 0 0 0 年1 2 月の人事異動で、公益事業部で自然エネ議連への対応をしていた近藤賢二開発課長が転出した。 ( 1 5 )ドイツ型とほぼ同じ議連案をA 案とし、本質的に異なる英国型とドイツ型を「買取り義務」としてB 案とし、 R P S をC 案とするもので、分類方法も特徴の説明も事実誤認が多く、意図的にR P S を優位に見せるものであった。 第2 回新エネルギー部会( 2 0 0 1 年2 月2 7 日) の資料3 ( h t t p : / / w w w . m e t i . g o . j p / r e p o r t / d o w n l o a d f i l e s / g 1 0 2 2 7 y j . p d f ) など。 ( 1 6 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 1 年6 月2 9 日 ( 1 7 ) 2 0 0 1 年6 月2 1 日の「与党自然エネルギープロジェクトチーム」報告書 ( 1 8 )閣議決定前に、省庁間協議並びに与党内協議を通して修正された点は、(1 )目的に「環境の保全」が加えられ たこと、( 2 ) 対象に「バイオマス」が加えられたこと、( 3 )利用目標の決定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交 通大臣の意見を聴くこと、( 4 )新エネルギー設備認定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交通大臣と協議するこ との4 点である。 ( 1 9 )議院運営委員会によって委員会審議の付託が行われ、実質的に法案審議が始まることを指す ( 2 0 )余剰電力購入メニューとは、電力各社が1 9 9 2 年に導入した自然エネルギーや新エネルギーからの電力の自主 的な買取りを指し、太陽光や風力に対しては販売価格と同じ価格を提示していたのに対して、コージェネやゴミ発 電は低い買取価格であった。 ( 2 1 )公益事業部長は資源エネルギー庁長官へのステップだが、新エネルギー部長は「上がりポスト」と言われ、そ こから外部に転出するケースが多いことからも、両部署間の力学が明瞭である。ただし北畑氏は例外的に審議官に 出世しており、同氏の省内における位置づけが伺われる。 ( 2 2 )北畑隆生氏は2 0 0 0 年6 月3 0 日付で、大臣官房総務審議官に異動していた。 ( 2 3 )経済産業官僚から直接筆者が聞き取りをした内容に基づく ( 2 4 )荒木浩電事連会長( 当時)は原子力委員会の懇談会で廃棄物問題の大きさに触れ、国がもっと責任を取るよう 提言した( 朝日新聞1 9 9 9 年4 月2 5 日) ( 2 5 ) 城山は「中央省庁の政策決定過程」の中で、通産省にとっての審議会の役割に、( 1 )新しい政策探しと(2 )自己 正当化の2 つを挙げている。 ( 2 6 )第2 回小委員会( 2 0 0 1 年9 月2 2 日) では、木村委員( 東京電力) の産業廃棄物を外すべきではないかという 意見に対して、平工新エネルギー政策課長は「産業廃棄物は新エネ法で規定されているために今後も促進すべきで ある。また、産業廃棄物の焼却施設に発電設備をつけたとしても追加分であり、C O 2 は増加しない。このため、活 用について前向きに考えていきたい。」と回答している 文献 Page 17 AWEA (American Wind Energy Association), 2002, Global Wind Energy Market Report 2001, http://www.awea.org/ グライムス,W.W., 2002,『日本経済失敗の構造』東洋経済新報社: 3 Haas, Reinhard (ed.), 2001, “Review Report On Promotion Strategies For Electricity From Renewable Energy Sources In EU Countries”, Institute of Energy Economics, Vienna University of Technology 飯田哲也, 2002,「風力発電300 万キロワット時代の方策」『資源環境対策』38-3:11-18 経済産業省資源エネルギー庁編,2001,『見つめよう! 我が国のエネルギー― エネルギー環境制 約を超えて』経済産業調査会: 242-243 正木卓, 1999, 「<政策ネットワーク>の枠組み― 構造・類型・マネジメント」、『同志社政策科学 研究』: 91-110 城山英明, 1999, 『中央省庁の政策決定過程― 日本官僚制の解剖』中央大学出版部 城山英明, 2002, 『続・中央省庁の政策決定過程― その持続と変容』中央大学出版部
― 日本のエネルギー政策決定プロセスの実相と課題― 飯田 哲也( 自然エネルギー促進法推進ネットワーク代表) 1998 年に始まった「自然エネルギー促進法」の法制化を目指す市民運動は、2002 年5 月31日の参議院本会議で政府提案による「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」(以下、「新エネ利用特措法」)が成立したことで、一応の区切りを迎えた。 過去3年間余りに及ぶ「自然エネルギー市民立法」は、超党派の国会議員約250 名からなる自然エネルギー議員連盟と連携しつつ、エネルギー政策ではもちろん、環境政策としても、一時は大きな運動に成長した。 しばしば「鉄の三角形」と形容される政・官・業からなる「旧い政治ネットワーク」が完全に支配してきた日本のエネルギー政策に対して環境NPO が大きな影響力を持ち得たケースとしては、例外的といってもよいと思われる。 その「自然エネルギー市民立法」を通して、何が達成され、残された課題は何か。グリーン電力制度の登場なども視野にいれ、ここ数年間にわたる自然エネルギーを巡る市民運動を、自然エネルギー促進運動の中心的な立場にあった当事者の視点から検証を試みた。 キーワード:市民立法、新エネ利用特措法、政治ネットワーク、官僚政治、「専門家」の政治性 1 .「自然エネルギー促進法」とは 本稿でいう「自然エネルギー促進法」とは、われわれ市民運動が提案した法案、およびそれを原型とする自然エネルギー議員連盟による法案を指している。これは、一定の価格で自然エネルギー( 風力、太陽光、バイオマス、小水力など1)からの電気の買取りを電力会社に義務付けるもので、ドイツが1990 年に導入した「電力供給法」2を参考にしたものである。 ここで簡単に欧州における自然エネルギー政策の展開について触れておく。 1980 年代以来、風力発電の開発と普及ではデンマークが常に先頭に立ってきたが、ドイツの風力発電は、電力供給法を施行するや、風力発電機の技術的な進展も相俟って著しい成長を見せている。「持続可能なエネルギー」としての自然エネルギーそのものへの高い関心と支持に加えて、1990 年代に国際政治の中心的なアジェンダへと浮上した気候変動問題を背景に、デンマーク( 1992 年)やスペイン(1994 年)をはじめとして、ドイツに倣った法や協定が欧州各国で整備されていった。 その結果、普及が停滞していた米国に代わって欧州は風力発電に関する「世界の普及中心」となる一方で、風力発電も欧州の政策に支援されて、1990 年代を通してもっとも成長した電源となり、今日も成長し続けている。 1990 年代後半になって、自然エネルギー普及制度の研究も進み、「クォータ制度」ないしは「R P S 制度」と呼ばれる制度が提案されるようになってきた。これは、電力供給の中で自然エネルギーに一定割合を与えるもので、「自然エネルギーの証書」の流通を用いることで、自然エネルギーの普及にも競争や市場メカニズムを働かせ、費用効率性を達成しようとする制度である。 「固定価格制度」に分類されるドイツ型の制度に対して、「固定枠制度」に分類されるこれらの制度は、その後、欧州で政策選択を巡って激しい争点となった(Haas,2001)。 欧州委員会は、地球温暖化防止京都会議の始まる直前の1997 年11 月に「欧州自然エネルギー白書」を公表し、域内の自然エネルギー供給を倍増させる方針を表明していた。その後、これを「指令」として 発効させる上で、欧州委員会内部では「クォータ制度」への統一が有力であった。欧州域内で の自然エネルギー資源の地域差を越えて、目標値を費用効率的に、しかも確実に達成できる制 度と判断されたからである。この提案はドイツや環境NGO から激しい反発と論争を呼び、結局、 2001 年9 月に発効した「欧州自然エネルギー指令」では、各国ごとに目標値は与えるものの、 それを達成する政策措置は各国に委ねられることとなった。ちなみに、英国、オランダなど現 在7 カ国が「クォータ制度」をすでに導入ないしは導入予定であるが3、風力発電普及量では固 定価格制度を持つドイツ、スペインが累積でも各年でももっとも大きい(AWEA,2002)4。 2 . 自然エネルギー促進法」市民立法前史 「自然エネルギー促進法」へと繋がる市民運動の中で、筆者が直接関わってきたものに「市 民フォーラム2001」がある。同団体は、1992 年6 月の地球サミットに参加した市民団体を中心 に、「対立から対話へ」というテーマを掲げて1993 年に開催したシンポジウムを契機として発 足した。同シンポジウムの「エネルギー分科会」の関係者が中心となって発足した研究会の一 つに「2001 エネルギー研究会」があり、筆者自身もそこへの参加がNGO 活動の出発点となった。 2001 エネルギー研究会は、脱原発をほぼ共通の価値感としながらも、活動の中心は「代替エ ネルギー政策」にあった。その2001 エネルギー研究会が取り組んだもっとも大きな活動が、1996 年春から2 回にわたって開催した「市民によるエネルギー円卓会議」であった。「円卓会議」に は、高木仁三郎原子力資料情報室代表やグリーンピースジャパンなど、反原発に関しては代表 的な市民運動が参加するだけでなく、茅陽一慶応大教授(当時)を筆頭にエネルギー関連審議会 で常連の専門家や、東京電力の取締役や新日鉄等産業界の幹部や通産省(当時)が出席するなど、 原子力やエネルギー政策を巡って鋭く対立していた顔ぶれが揃った。そこで原子力という対立 点をあえて外し、エネルギー政策全体を論点として議論を進めた結果、(1)自然エネルギーの促 進、(2)省エネルギーの促進、(3)エネルギー政策決定プロセスの公開という3 点は一定の合意 を見た。おそらくこの「円卓会議」の意味は、代替エネルギー政策に関わる人的ネットワーク が、従来からの市民運動の枠を越えて広がったことであろう。後の自然エネルギー促進法市民 立法でも、この「円卓会議」の参加者が主要なメンバーとして関わっている。 また、円卓会議の直後、「円卓会議」に参加していた勝俣東京電力取締役(当時)から「円卓会 議」の主催者であった筆者あてに、市民フォーラム2001 と協力して自然エネルギー普及のプロ ジェクトを進めたいとの呼びかけがあり、これがその後3 年間にわたる東京電力とのコラボレ ーションへとつながり、さらにグリーン電力( 基金および証書) に発展する芽となっている。 「円卓会議」の後、筆者は、1996 年から1998 年にかけて欧州に研究滞在し、欧州の自然エ ネルギー政策の発展やドイツを筆頭とする爆発的な自然エネルギー普及の状況を目の当たりに Page 3 して、1998 年に帰国した。その頃ちょうど参議院議員に初当選した福島瑞穂氏のもとに数名の エネルギー・原子力関連の市民団体関係者が集まり、今後のエネルギー政策を検討する会合を 持ち、その中からドイツ型の「自然エネルギー促進法」を進めていく戦略が誕生した。 ただし政治的な広がりを期待して、反原発運動や環境保護主義、あるいや左翼活動といった、 自然エネルギーに対する従来からのバイアスで見られることを避けるために、(1)環境よりも経 済的便益を強調、(2)原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、とい う3 点を運動の基本戦略におくことを合意した。 当時の日本では、米国カリフォルニア州で1980 年代に風力発電が成長するきっかけとなった 1978 年の公益事業規制法やドイツの「アーヘンモデル」5などの情報が散発的に伝えられてい たが、欧州の自然エネルギー政策の急速な発展が日本の専門家にはあまり認知されていなかっ たことが、「自然エネルギー促進法」のキャンペーンを急速に広める追い風となった。後述する ように、いわば、日本のエネルギー政策の空隙を衝くかたちであったと考えられる。 「自然エネルギー促進法」の運動の特徴は、1998 年に活動を開始した当初から議員立法を目 標に据えて、市民運動と政治( 国会議員) が、二人三脚ともいえる緊密なパートナーシップの もとで進められてきたことである。福島瑞穂議員と相談しつつ、まずは各政党で協力してくれ る国会議員に声をかけていった。加藤修一議員( 公明党)、佐藤謙一郎議員( 民主党)、河野太 郎議員( 自民党)、そして愛知和男議員( 自民党)と、ほぼその後のコアメンバーが揃った1999 年1 月からは、超党派の国会議員を対象とする月1 回の勉強会を超党派の国会議員の呼びかけ という形で開催し、われわれ市民運動が講師手配や運営面で協力する形をとった。 市民運動サイドでは、これを目に見える一つの「運動」のかたちとするべく、1999 年1 月頃 から協議を重ね、最終的に1999 年5 月、「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク( GEN)の 設立総会を行い、同日発足した。 このころ北海道電力では、前年に公表した「商業用風力発電用長期購入メニュー」によって 一挙に55 万キロワットもの風力発電の構想が浮上し、これをすべて長期購入メニューで契約す ると100 億円もの費用支出になることが懸念された。そのため1999 年6 月に「系統の制約」を 理由として、合計で15 万キロワットの風力発電に対する導入制限を設けると公表した。この問 題を加藤修一議員が国会で質問し、通産省(当時)として、欧州への調査団の派遣など、真正面 からの対応を余儀なくするきっかけとなった6。 国会議員サイドでも、議員連盟立ち上げの気運が高まっており、1999 年9 月3 日に当時ほぼ 完成していた北海道苫前町の風力発電群の視察を超党派で呼びかけることとなった。「呼びかけ 人」には、愛知和男議員や自民党商工族の実力者である梶山静六議員など自民党の実力者をは じめ、30 名の超党派の国会議員が顔を並べた7。当日の視察には愛知和男議員をはじめ10 名の 国会議員が参加した他、北海道電力や資源エネルギー庁も参加した。視察の後、現地で「自然 エネルギー促進議員連盟設立準備会合」も行われ、引き続いて、GEN 主催による「自然エネル ギー円卓会議」も行われた。その後、11 月24 日には参議院議員会館で「自然エネルギー促進 議員連盟」の設立総会が開催され、当日申し込みを含めて257 名が参加をする最大規模の議員 連盟が誕生した。これには、視察直後の9 月30 日に東海村臨界事故が発生したことも追い風に Page 4 はなったと思われるが、やはり苫前町への風力発電視察の呼びかけ人が実質的に議員連盟への 呼びかけ人となり、与野党の議員に雪崩現象での参加を促したことが大きいものと思われる。 総会で、愛知和男議員を会長に、加藤修一議員を事務局長に選出した議員連盟では、その後、 毎週の勉強会を重ねるとともに、法制化ワーキングチームを発足させ、法案化への検討を重ね ていった。この間GEN は、会合への参加のみならず、勉強会講師の手配から法案に対する技術 的検討まで、全面的に支援する体制を取った。こうして、2000 年4 月★ 日の総会では法案が了 承され、その後は各党での手続きに移ることが確認された。 こうして急速に大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対して、資源エネルギー庁 と自民党原子力族はそれぞれ強い危機感を募らせていた。資源エネルギー庁の危機感は、エネ ルギー政策の主導権を国会に奪われる懸念であり、その後、通産省は1999 年12 月に総合エネ ルギー調査会新エネルギー部会を発足させ、議員連盟に対する中心的なアドバイザーであった 筆者も委員として招聘された。 一方、自民党電源立地族や民主党電力総連族らからなる「原子力族」は、1999 年9 月30 日 に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したうえに、その後、 2000 年2 月24 日に、北川正恭三重県知事が芦浜原発候補地に対する白紙撤回を表明したこと を契機として、新潟県選出の桜井新議員や電力会社出身の加納時男議員が軸となって「原発促 進法」(原発立地地域振興に関する特別措置法)の検討が自民党内部で始まる。これは電源開発 特別会計だけでなく一般会計からも、原発周辺地域にさらなるバラマキを行うもので、「議員立 法」という手法において「自然エネルギー促進法」に追随したものであり、また電源開発特別 会計という財源を巡る対抗策でもあった。 とりわけ「原発促進法」の中心を担った桜井新議員は当時、自民党政策調査会の副会長であ り、「原発促進法」の党内手続きを優先的に進める反面、「自然エネルギー促進法」の党内手続 きを徹底的に拒否した。このため、愛知議員と桜井議員は当時口も訊かない関係となり、両法 案とも行き詰まったまま、2000 年6 月の衆議院解散総選挙を迎えた。そして皮肉なことに、両 氏ともに落選し、両法案の活動はいったん停滞することとなった。 3 .「旧い政治コミュニティ」からの反抗 3 . 1 官僚の玩具にされたグリーン電力 一方、資源エネルギー庁公益事業部が電力会社と謀って進めてきた「自然エネルギー促進法」 への対抗策は、グリーン電力基金と組み合わせた競争入札の導入である。1999 年末頃には、東 京電力と市民フォーラム2001 との3 年間にわたるコラボレーションの終了を目前にして、次の プログラムの議論が始まっていた。そこでは、すでに生活クラブ生協が北海道電力の協力を得 て開始していたグリーン電気料金が有力な選択肢としてあがっており、新聞報道も行われた8。 しかし、その新聞報道を契機に、グリーン電気料金の議論の場は、東京電力と環境NGO から、 電気事業連合会と公益事業部との協議へと全く変わってしまった。 すなわち、公益事業部はグリーン電力を「自然エネルギー促進法」への対抗策に仕立てよう と考え、(1)東京電力1 社ではなく電力会社10 社が一斉に導入すること、(2)その基金の一部を Page 5 「全国運用分」として拠出し、風力発電等の負担の大きな電力会社を支援すること、(3)風力発 電等が過剰に集中しないよう、「枠」と競争入札を導入すること、という指導を行った。これは 電力会社にとっては、買取り義務などの規制ではなく自主的に行えることや、北海道電力が「15 万キロワット枠」を発表してから風力発電が集中し始めていた東北電力に導入制限や競争入札 を導入する大義名分を得られることから、悪い話ではなかった。こうして、2000 年7 月14 日 の新エネルギー部会の場で、電力会社を代表して勝俣恒久委員( 東京電力) が「グリーン電力 基金」とそれに組み合わせて風力発電に対する競争入札の導入を秋から実施すること公表した9。 北海道電力や東北電力に風力発電が集中することによる費用負担は、本来、公共政策として 公平な負担と分配を考えるべきであり、グリーン電力基金として一部の善意の人々が拠出した 費用を充てることは、道義的にも仕組みとしても根本的に間違っており、公共政策とグリーン 電力の両面を歪める懸念がある。事実、2002 年時点でどの電力会社のグリーン電力基金も加入 者は行き詰まっており、東北電力の負担を賄うにはあまりに金額が小さく、明らかに破綻して いる1 0。その後、議員連盟が橋本龍太郎議員を新会長に選出して活動を再開するのを見て、公 益事業部と電力会社の本来の狙いであった「自然エネルギー促進法」への対抗策としても、失 敗であったとの評価がされたという。 ところが新エネルギー部会では、その提案の本質的な問題点である基金の使途や競争入札の 問題を「緑の衣を着た鎧」であると指摘したのは筆者のみであり、他は「グリーン電力基金」 を賞賛する声一色であった。いかに審議会委員が本質的、制度的な議論ができないか( あるい は避けたか) を象徴する会合であった。 なお、7 月15 日の新エネルギー部会で勝俣委員は、もう一つのプログラムである「グリーン 電力証書」も発表している。これは、実質的に東京電力と環境NGO( 市民フォーラム2001) の コラボレーションを後継するプロジェクトとして、環境NGO とのパートナーシップのもとで生 み出された本来のグリーン電力に近い制度である1 1。ところが資源エネルギー庁は、導入を狙 うRPS と類似の「グリーン証書」とのシステム上の競合を嫌い、意図的に無視する姿勢をとっ ている。 3 . 2 再び、原発促進法vs 自然エネルギー促進法 2000 年6 月の総選挙で会長の愛知和男議員が落選した自然エネルギー議員連盟では、8 月★ 日の総会で後任に橋本龍太郎議員を選出し、活動を再開した。事務局は、橋本氏を立てること で通産省や自民党通産族を抑えることができるとの期待があったが、これは見事に裏切られる ことになる。「自然エネルギー促進法議連案」は愛知前会長の下で4 月の総会で確認されていた が、橋本新会長は改めて独自案を検討し始めた。とくに9 月に開催された議連総会以降、法案 の検討は完全に自民党の中に閉じ、野党やGEN にもいっさい状況が聞こえてこない状況が続き、 ようやく10 月末に河野太郎議員のメールマガジンで、買取の規定もランニング補助もない骨抜 きにされた自然エネルギー促進法案の検討状況が明らかとなった(河野,2000)1 2。 その間に原発促進法は、桜井新議員に代わって島根県選出の細田博之衆議員議員が中心とな り、甘利議員と加納議員のもとで再び動き始めた。すでに同法案が自民党内の手続きを終えて Page 6 いることから、与党3 党の合意取り付けが行われ、3 党を共同提案者として衆議院商工委員会 に持ち込まれようとしていた。11 月になると、骨抜きの自然エネルギー促進法と抱き合わせで 原発促進法を通過させる動きが伝えられた。ところが折からの「加藤の乱」が始まり、橋本会 長の下での「自然エネルギー促進法案」の見直し作業は中断するが、すでに政治手続きに乗っ ている原発促進法だけは、11 月末までの臨時国会会期中に成立するぎりぎりのタイミングで成 立に向けて動きだした。途中、新潟県刈羽村の生涯学習センター「ラピカ」建設を巡る不正疑 惑などがあったものの、マスコミの動きも鈍く、最終日の11 月30 日に成立をした。 3 . 3 RPS に追い込んだ新エネルギー部 2000 年の間は、マスコミへのリークを通じてアドバルーン1 3を揚げる他は、公益事業部( 当 時)の影で控えめにしていた石炭・新エネルギー部( 当時)だが、2001 年になるとRPS に向け て新エネルギー部会での議論を急速に集約しはじめた。これには、公益事業部の「対案」であ ったグリーン電力の導入が決まっても、議連対抗策にならないことがはっきりしたことに加え て、省庁再編に伴う人事異動で両部の間でのパワーバランスが微妙に変わったこともある1 4。 新エネルギー部会では、あたかもRPS が政策上優位であるかのような印象を与える、意図的 に混乱した政策の選択肢を提示して1 5、強硬に反対すると見られていた電力会社を囲い込むた めに、筆者を含めて事前に各委員が呼ばれてRPS への意見集約が図られた。 相当強引な意見集約が図られたことは直接体験するだけでなく間接的にも耳にしているが、 ドイツ型の制度を目指すGEN の代表である筆者と、資源エネルギー庁にとって政策上の最大の 協議相手である電力会社がRPS 一本化には強行に反対したため、最終的にまとまった新エネル ギー部会の報告書( 2001 年6 月22 日)では、RPS は選択肢の一つとして例示されるにとどまっ た(経済産業省資源エネルギー庁,2001)。 この間、政治サイドでは3 つの動きがあった。橋本会長の下で身動きの取れない議員連盟は、 再び気運を盛り上げるための勉強会を2 月に再スタートさせたが、法制化は橋本会長が引き取 っていたことと、事務局長の加藤修一議員が自身の参議院選挙(2001 年7 月)のために身動きが 取れず、踏み込んだ検討をするには至らなかった。しかし、野沢太三議員と木村仁議員が中心 となって、自民党内部で6 月までに買取り約款とランニング補助を復活させた「橋本試案プラ ス」の検討が進められていたことが河野太郎議員のメールマガジンで明らかとなり、議連の新 しい統合案への気運が改めて高まった1 6。 他方、森政権( 当時) の不人気に乗じて攻勢をかけたい民主党も、橋本会長の下で身動きの 取れない議員連盟に対して、自然エネルギーを政策の対立軸の一つにするべく2001 年3 月に自 然エネルギー議員の会を開催した。その活動自体は小泉政権の誕生で頓挫したが、民主党の中 で電力総連派の議員と環境派の議員で合意案作成を行う足場になった。その後民主党でも、電 力総連の意向を汲んで競争入札の要素を取り入れ、従来からの固定価格の要素も併せ持った合 意案を6 月までにまとめた。7 月の参議院選挙後、8 月9 日の総会でこれら両案が紹介され、 その後の議連統合案作成のベースとなった。 一方、与党は、2001 年4 月に「与党自然エネルギープロジェクトチーム」( 以下、「与党自然 Page 7 エネPT」) を発足させている。座長には甘利議員が座り、原子力族の加納時男議員から自然エ ネルギー議連の加藤修一議員が座っていた。これは、野党の動きへの対抗であるとともに、RPS に対して与党内での合意形成を作りたい経済産業省の働きかけによるものである。本来、米国 や欧州に見られるRPS は、基本的に環境派や自然エネルギー事業者が支持する政策の一つであ ることを考えれば、原子力族を中心とする自民党の「エネルギー守旧派」が中心を占める与党 自然エネPT の提案がRPS に一本化されたことは一見、奇妙に見える。その裏にあるのは、与党 自然エネPT で草案段階で提案されたNPS( 非化石エネルギー . . . . . . . . ポートフォリオスタンダード)、 すなわち実質的には「原子力ポートフォリオスタンダード」である。これは、RPS( 再生可能エ . . . . . ネルギー . . . . ポートフォリオスタンダード) と同じ仕組みを利用して、一定比率の自然エネルギー ではなく、一定比率の非化石エネルギーもしくは原子力を供給することを電気事業者に義務づ けるという考えである。このNPS を主張する加納時男議員と固定価格買取制度に基づく議連の 法案を主張する加藤修一議員が真正面から対立し、最後の中間報告では本来の「RPS」に落ち着 いた1 7。経済産業省の内部でも、新エネルギー部が公益事業部など資源エネルギー庁内をRPS でまとめるために、同じ論理を利用したことも伝えられている。資源エネルギー庁は、この与 党自然エネPT によって、RPS に関する与党合意を取り付けるとともに、議連事務局長である加 藤修一議員を与党自然エネPT に加えたことで、RPS に対抗する議連の動きをある程度封じるこ とに成功したといえる。 4 . 自然エネルギー促進法から新エネRPS 法へ 4 . 1 RPS 一本化へ 新エネルギー部会でRPS への一本化に失敗した資源エネルギー庁は、8 月9 日の自然エネル ギー議連総会で橋本会長から政府法案の提出を念押しされ、法制化に向けてなりふり構わない 姿勢をとった。直前に、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」)を立ち上げ、7 月31 日から11 月までのわずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報告が取りまとめられた。しか もその間、制度間の比較はおろか、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い等、重要な論点は ほとんど積み残したままの粗雑な検討で、証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲 線を非公開のまま、わずか2 度実施しただけであった。 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が 小委員会委員を兼任するのに対して、筆者は小委員会委員から外され、しかも発言すらさせな いという露骨な「飯田外し」の小委員会運営であった。 これに対してGEN は、「自然エネルギー市民委員会」を立ち上げ、政府案の検証を試みた。と くに焦点となったのは証書取引のシミュレーションであり、費用供給曲線や現実に想定される 廃プラスチック発電事業者を独自調査した結果、経済産業省とはまったく異なる結果が得られ、 「新エネルギー」のほとんどを廃棄物発電が占め、国内の二酸化炭素排出量も「新エネルギー」 対象分だけで最大2 % もの増大をする懸念が予見された(飯田、2002)。 「小委員会報告」を審議するために2001 年12 月18 日に開催された「新エネルギー部会」で は、こうした懸念も含めて異論が続出し、筆者も最後まで承認できないと粘ったが、柏木部会 Page 8 長と事務局は「基本線は了解された」として強引に幕引きをした。もともと小委員会の設置は 「専門的な見地から政策の選択肢を検討する」と説明され、あくまでその判断は「新エネルギ ー部会」にあるはずだが、実態は、小委員会はRPS ありきで議論されただけではなく、対象に 廃棄物を加えるかどうか、証書市場の設計などの本質的な論点も事務局( 資源エネルギー庁) が委員からの異論を捌くだけで終始し、まったくまともな研究も議論も行われていない。その 後、前記の新エネルギー部会も、単に報告書を受け取る「儀式」と化した。すなわち、明らか にこの小委員会は、官僚が思うように運営できなくなった新エネルギー部会をバイパスして、 新しい「自己正当化装置」として設置され、機能したといえる。 4 . 2 新エネRPS 法の成立過程 新エネルギー部会という「儀式」を終えてからは、経済産業省の作業は完全に水面下に入り、 状況がまったく聞こえてこない状態が続いた。その後、新しい法案の概要が明らかになるのは 2 月半ばを過ぎて、経済産業省と各省との協議、ならびに与党への説明が始まってからであっ た。ここで明らかになった法案は、(1)証書取引きの欠落、(2)新エネ事業者の自由な取引行為 が困難であるなどRPS としての基本的な要件を欠き、12 月の新エネルギー部会で強引に引き取 られたときに約束された「基本線」すら満たしていない法案であった。 しかも、経済産業省による本法案の説明は、地球温暖化に関して詐欺的ともいえる対応に終 始した。小泉首相の施政方針演説でも地球温暖化に関連して本法案に触れ、説明資料でも第2 番目の目的に地球温暖化を掲げながら、法案の本文には当初いっさい「環境」の文字はなかっ た。本法案の対象に廃棄物を無制限に加えることで、国内の二酸化炭素の排出量が最大2 パー セントも増大する懸念があった。しかも、バイオマスや廃棄物など他省庁に関わる事項が多い 法案であるにもかかわらず、経済産業省単独で所管をする法案となっていることで、他省庁協 議や与党内の協議でも異論が示され、とりわけ廃棄物発電の扱いを巡ってはぎりぎりまで扱い を巡って協議され、閣議決定も当初日程からは延長されたものの3 月15 日には閣議決定された 1 8。なお、「環境」に関しては目的を微修正して追加されたものの、最後まで「地球温暖化」の 文言は入らず、これには環境省をエネルギー政策に立ち入らせないという、経済産業省の強い 意思が明らかだった。 この間、議員連盟は夏から作業を進めてきた「橋本試案」と「民主党案」とを統合した「議 連統合案」を策定し、公表すべく準備を進めていたが、橋本会長が政府案に対する対抗案とな る「議連統合案」のみを単独で公表することを拒否したために、2001 年中に総会を開催するこ とができなかった。このため議連では、年明けから「RPS 議連案」の対抗案づくりを急ぎ、よ うやく橋本会長の了解の取れた2 月13 日に総会が開催された。総会では、固定価格買取に基づ く新しい「議連統合案」と政府への助言を意図した「RPS 議連案」の2 つが提示され、承認と も報告とも判断の付かない進行であった。しかも橋本会長から直々に、当日出席していた河野 新エネルギー部長に手渡すセレモニーも演出された。ところがこのときはすでに経済産業省は 内閣法制局と綿密に調整した法案を固めた後であり、セレモニーは文字通りセレモニーにすぎ なかった。 Page 9 閣議決定後は衆議院そして参議院での与野党の攻防となるが、国会の日程や与野党の勢力か ら考えて、本法案の場合は成立の可否というよりも、どれだけの修正ないしは答弁が「取れる か」の条件闘争と考えられた。対案提出か、修正案かの選択をまず民主党内で協議した結果、 対案提出の方向でまとまり、共産党も含めて各野党( 民主党、社民党、自由党、共産党) の各 担当および幹事長レベルで確認が取られた。ところが、ここでその後の民主党内での「足並み の乱れ」のために、衆議院は無風通過に近い状況となった。野党対案が形式的にも委員会で審 議されるためには、政府提出法案の「吊しが降りる」1 9前に提出する必要があるが、民主党内 で最終的に対案提出を確認するまえに、政府提出法案の吊しが降りてしまった( 4 月17 日)。 これで野党提出法案は提出しても逆に「吊されたまま」となり、ほとんど意味をなさなくなる ことが決まった。そうすると今度は逆に、「共産党外し」を狙って野党対抗法案の提出へと民主 党が急いだ。翌週の23 日には筆者を含めた参考人招致が行われたが、同日のうちに民主党から 「付帯決議案」が提示され、協議が始まった。「付帯決議案」を出すと言うことは、もはや法案 修正要求もせず、無傷での衆議院通過を確約することを意味していた。本法は、廃棄物などを はじめ追求すべき「穴」は多く、また第154 回通常国会の目玉の一つであった京都議定書批准 の担保法ではないために急ぐ必要はけっしてなかったにもかかわらず、あたかも、連休に入る 前の4 月26 日の本会議で衆議院通過をさせるために、民主党が自ら与党法案の可決を急いでい るかのような印象を受けた。こうした民主党の一連の不思議な行動は、当該国会( 第154 回通 常国会) で見ると、衆議院経済産業委員会の民主党筆頭理事である田中慶秋議員が大きな役割 を果たしたと伝えられている。しかし今回のケースにとどまらず、民主党の構造的な問題でも ある。エネルギー政策や環境政策を巡る考え方で党内が「三つ又」( 環境派、電力総連派、経済 産業派)に分裂し、党内組織でもNC(ネクスト・キャビネット)の経済産業委員会で電力総連派 と経済産業派が優位であり、しかも衆参両院の経済産業委員会の理事を電力総連派と経済産業 派が占めている。こうして最大野党の環境政策やエネルギー政策は、自民党とそれほど変わら ない旧い政治コミュニティの影響下にある。 参議院ではもはや条文修正の可能性もなく、参考人招致すら行われず、わずか1 日の委員会 審議ののち、5 月31 日の参議院本会議で新エネRPS 法は成立した。 5 . 露呈した「エネルギー政治」の実相 5 . 1 自然エネルギー政策という「空白」 最終的には政府( 官僚) 立法に逆転されたとはいえ、市民運動や政治が大きくエネルギー政 策プロセスに食い込むことができた要因の一つに、日本の自然エネルギー政策が、とりわけ電 力分野において、ほとんど「空白」であったことが指摘できる。もちろん日本政府も、住宅用 太陽光発電に対する設置補助に代表される補助金や、主に新産業新エネルギー・産業技術総合 開発機構 (NEDO)を介した研究開発を中心に、一定の自然エネルギー普及政策には取り組んでい た。しかしながら、1990 年代に欧州を中心に大きく発展した経済的手法を活用した自然エネル ギー政策の展開からは、政策面でも研究面でも大きく立ち後れていた。 これにはいくつかの原因が考えられるが、第1 に、経済産業省と電力会社による、政治的駆 Page 10 け引きに基づく共犯関係のもとで自然エネルギー政策が行われてきたことである。つまり、太 陽光発電や風力発電は、政府が補助金を出し、電力会社が「余剰電力購入メニュー」2 0という 自主的な取り組みを行うことでかろうじて一定の普及が進んできた。ここには、( とりわけ経済 産業官僚の姿勢として) 公共目的のために公共政策を改善したり、革新していくという姿勢は なく、むしろ「予想外」に普及の進んだ風力発電に対して、なし崩しにメニューを変えていく 電力会社の姿勢を放任してきた。 第2 に、経済産業省内部の縦割り構造とその間の力学を指摘できる。資源エネルギー庁の中 で、自然エネルギー普及政策は新エネルギー部の所管であり、電力に関わる施策は電力ガスユ ニットの所管である。複数部署にまたがる施策は、ユニット調整会議等を通じて、形式的には 調整が図られる(城山,1999,城山,2002)。とはいえ、予算面や法令面での歪みや矛盾のチェック が中心であり、施策は基本的に「原課」単位で検討、提案されるため、両部署にまたがって機 能する総合的な政策措置は考えにくい。その上、両部署の力学では電力ガスユニットが「上」 であるため、新エネルギー部を原課として電力会社に関わる新たな規制や施策を提案すること はきわめて困難であったことが推察される2 1。これに対して補助金であれば、「原課」単位の裁 量で実施できるだけでなく、官僚個人も組織( 原課) も権限の拡大ないしは維持につながり、 正当化しやすい。その意味において、今回の法案は新エネルギー部にとっては原課の権限を越 える「画期的」な側面もあるが、その理由は後ほど検討したい。 第3 に、政治的なアジェンダや政策のプライオリティから見て、自然エネルギーの位置づけ が極端に低かったことを指摘できる。予算面で見ても、新エネルギー関連予算は、近年急増し ているとはいえ、原子力関係予算に比べると圧倒的な劣位に置かれてきた。政治的に見ても、 原子力や電力、石油などには、立地市町村とそこを基盤とする国会議員のように、その事業を 巡って流通する電源開発促進特別会計など特定財源などを介して形成されている既得権益を持 つ立地地域や原子力族議員、原子力産業界などの関係当事者と経済産業官僚との間に、緊密な 政策コミュニティが築かれている。これに対して、自然エネルギーの政策コミュニティは、あ きらかに貧弱であった。 5 . 2 議員連盟と環境NGO「GEN」の協働 自然エネルギー促進法を巡って、政治と環境NGO であるGEN との協力関係は、公式には自然 エネルギー促進議員連盟を通して行われた。とくに、エネルギー促進法と超党派の議員の参加 により設立された議員連盟は、梶原静六を筆頭に自民党商工族大物の加わった、これまでにあ まり例を見ない政治協力として発足した。このことが、少なくとも設立初期には、通産省( 当 時)が警戒し、「官」の支配するエネルギー政策への対抗力として議員連盟が機能した源泉とな っていたといえる。 一方、環境NGO のネットワークとして成立した「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク は、各党の議員や議員秘書では「党」が壁となって広げにくい状況を補完して、当初から議員 連盟の設立に向けて党派を超えて説明を行うなど、党派性を持たないロビーイング組織として 機能した。また、そのネットワークを生かして議員連盟の勉強会講師を手配したり、自然エネ Page 11 ルギー政策に関する知見を提供するなどの役割も果たした。つまり自然エネルギー促進議員連 盟と環境NGO とは、自然エネルギー政策を巡って成立した、典型的な「イシューネットワーク」 であった(正木,1999:91-110)。 5 . 3 むき出しになった「官僚政治」 自然エネルギー促進法および新エネRPS 法の成立に至る一連のプロセスで、「官僚政治」の実 態も明瞭に露出した。一般に、日本の政治と政策決定過程に関する見方は、官僚主導でなされ ているという見方と、多元的になされているという見方に大別されるが、専門的・体系的な知 識を要求される政策分野ほど、官僚主導の要素が強い(グライムス,2002:32)。とくに、日本の 法令システムの特徴は、国会で審議される法律はきわめておおざっぱであり、実質的に政策を 左右する要素は、政令・省令や通達、さらには口頭などによって、官僚が広範な裁量を有し非 公式な権力を行使している。 原子力施策に代表されるように、日本のエネルギー政策は自民党政治にとっての既得権益そ のものであり、「自分たちの都合のよいように法律や予算を書かせ、代償として官僚支配を許容 する」という共犯関係が長く成立してきた領域である。その意味で長い間、経済産業省は、実 質的にエネルギー政策決定の中心にあった。 自民党商工族も加わった自然エネルギー促進議員連盟が250 名を越える大所帯に拡大するの を懸念した通産省( 当時)は、1999 年秋の臨時国会が終了するのを待つかのようにして、1999 年12 月15 日に総合エネルギー調査会( 当時) のもとに「新エネルギー部会」を新設した。当 時、北畑隆生石炭・新エネルギー部長と近藤★ 公益事業部開発課長が連れ立って、与党を中心 に自然エネルギー促進法を否定的に説明するロビーイングをしていたとの間接情報があり、「新 エネルギー部会」設置の意図の一つは、通産省( 当時) によるエネルギー政策決定に関わる政 治的権限を維持するための「危機管理」であったといえるだろう。このことは、通産省官僚が 語ったと伝えられる「政治家に立法はさせない」という言葉に象徴されている。 その後、公益事業部主導で行われた「競争入札と組み合わせたグリーン電気料金の導入」か ら、新エネルギー部主導の「RPS」へと、資源エネルギー庁内部で力学変化が生じている。実際 に、2000 年末までは、リーク記事を流しながらも公式の場でRPS 否定をしていた通産省(当時) が、年が明けるや、RPS 導入を前面に押し出し始めた。新エネルギー部会委員を務めていた筆 者も、2001 年1 月に後任の新エネルギー部長に呼ばれ、電力会社を追い込むためにRPS で合意 するよう「ご説明」を受けている。 この変化は、第1 に属人的な要素が挙げられる。2000 年末に省庁再編に伴う人事異動で、そ れまで公益事業部で自然エネルギー促進法に対応していた前出の近藤氏が異動し2 2、公益事業 部と新エネルギー部間のパワーバランスに変化が生じた。第2 に、自然エネルギー議員連盟の 活動が「外バネ」として機能したことである。グリーン電気料金という「カード」を公益事業 部が使った後、通常であれば省内で比較劣位にある新エネルギー部主導で、部課を越える要素 を持つRPS の導入に向けて、自然エネルギー議員連盟の活動を「経済産業省の権限への危機」 という「外バネ」に使ったと伝えられている。第3 に、RPS の仕組みを原子力ポートフォリオ Page 12 や非化石燃料ポートフォリオとして、原子力推進に使えるという説明をすることで、省内や自 民党などの原子力族を説得することに成功したことである。こうして、RPS は、きわめて露骨 な「官僚政治」によって成立したのである。 閣議決定前に行われる省庁間の協議が「事実上の国会」として機能していることも「官僚政 治」のほかの要素である。新エネRPS 法では、当初、経済産業省が単独で所管する法案として 提案していたことから、関連する環境省( 地球温暖化および廃棄物発電)、農水省( バイオマス)、 国土交通省( 小水力発電および下水汚泥バイオマス) の各大臣の関心もあり、省庁間協議は熾 烈を極めた。できるだけ多くの質問を投げて答えに窮したところで自らの省益を取ろうとする 各省庁と、それぞれに短く形式的な答弁( 場合によってはひとまとめにして回答している) で 逃げ切ろうとする経済産業省とのやり取りは、本来であれば、国会で国会議員同士が議論すべ き、政策の本質に関わる論点がほとんどである。それが、一般の目にはけっして触れることの ない、省庁間だけに閉じた書面だけのやり取りで終わってしまい、いったん閣議決定すれば、 その後の国会の審議ではその「足並みの乱れ」が表れることは決してない。こうして国会の審 議は形骸化し、あらかじめ落としどころも決まっていることが、日本の政治空間を空疎にし、 民主的な手続きを形骸化している 5 . 4 旧い政策コミュニティの実相 一連の自然エネルギー促進運動は、エネルギー政策を支配する一握りの「旧い政治コミュニ ティ」の姿と、その歪みも明らかにした。エネルギー政策は、前述したように官僚主導の要素 が強いが、「古い政治コミュニティ」を通した多元的な側面もある。すなわち、旧公益事業部長 を日本の電力会社の会長と揶揄する言葉もあるように、経済産業省は、裁量権の大きい規制権 限を背景に、政治力や資金力の大きな電力会社( 電気事業連合会) を旧来からの政策パートナ ーとしてきた。また、自民党とは、経済産業部会とエネルギー問題特別委員会を通して、やは り相互依存関係を維持してきた。専門性と政策の履行を行う経済産業省と、与党としてその政 治権限を容認する見返りに、都合のよい法案や予算を用意させてきた自民党という関係である。 野党民主党も、電力総連を中心とするエネルギー政策を巡る「古い政治コミュニティ」が中心 を占めているために、ことエネルギー問題となると、与野党対決になりにくい状況にある。も ちろん、その周辺を公益法人や原子力産業会議や東京大学原子力工学科( 旧) といった産業界 や「族学者」が幾重にも取り巻いており、審議会などの公式の場や非公式の場で「落としどこ ろ」の仲介者の役割を果たしている。 こうした「旧い政治コミュニティ」は、大きな政治運動に成長した自然エネルギー促進に対 してさまざまな形で対抗勢力となったが、それはけっして「鉄の三角形」と形容される一枚岩 ではなく、亀裂や離合集散が見られた。 すでに述べたように、資源エネルギー庁の危機感は、エネルギー政策の主導権を国会に奪わ れる懸念であったが、公益事業部と新エネルギー部の思惑は異なっていた。一方、自民党電源 立地族や民主党電力総連族らからなる「旧い政治コミュニティ」の危機感は、直前の1999 年9 月30 日に発生した東海村臨界事故によって国民による原子力への逆風が頂点に達したところ Page 13 に、この「自然エネルギー促進法」の政治活動が大きくなったことに対する警戒感と解釈でき る。その後、北川正恭三重県知事による芦浜原発候補地に対する白紙撤回表明を契機に「原発 促進法」につながったことはすでに述べたとおりである。 こうしたエネルギー政策決定の実相はけっしてマスメディアでは伝えられず、「旧い政治コミ ュニティ」によって実質的な政策決定が終わったあとに、ようやく争点として報道されるか、 あるいは審議会のような「儀式」が終わった事後に報道されることが多い。2000 年秋の臨時国 会での争点であった「原発促進法」も、法案提出ができるかどうかが実質的な政治問題であっ たにもかかわらず、初めて報道されたのはすでに法案が国会に提出された後であった。記者ク ラブ制度の影響もあると思われるが、こうしたメディアの報道姿勢も、官僚による非公式の政 治権力の行使を認めている一因であろう。 5 . 5 政策形成プロセスの変質 こうして、「自然エネルギー促進法」を阻止しようとする「旧い政治コミュニティ」は、 (1) 電力会社と連繋する資源エネルギー庁公益事業部(当時)、(2)新エネルギー部会の場を利用して RPS 導入を睨む資源エネルギー庁石炭・新エネルギー部(当時)、(3) 「原発促進法」を進める 自民党電源立地族という3 つの流れへと向かったがゆえに、「落としどころ」はさまよい続けた。 資源エネルギー庁の中で模索された第1 の落としどころ、すなわち公益事業部主導のグリー ン電力(当時)は、公共政策として十分に練る手続きを経ることもなく、いわば場当たり的な対 応から登場したが、これは近藤開発課長( 当時)による強い指揮のもとでまとめられたもので、 きわめて属人的な要素が強い。その結果、公共政策としては何の機能も果たさないばかりか、 競争入札や全国運用分などを組み合わせた複雑な仕組みによって、グリーン電力の性格も判り にくいものに歪ませてしまい、わずか2 年でほとんどの電力会社でほぼ破綻している。 資源エネルギー庁としての第2 の落としどころ、すなわち新エネルギー部会の場を利用した 石炭・新エネルギー部(当時)主導のRPS 導入も、石炭・新エネルギー部長としては例外的に省 内実力者であった北畑氏のイニシアティブで始まり、終盤の強引な取りまとめは実質的に平工 新エネルギー政策課長の指揮下で進められた2 3。 このように、「国」あるいは「経済産業省」の名の下に、幅広い裁量権を持った官僚が、匿名 に隠れて、きわめて属人的な裁量のもとで公共政策を左右している。 「政」の分野では、自民党電源立地族が中心となって、対抗策としての「原発促進法」を進 め、その後は経済産業省と連繋をして、与党自然エネPT を通してRPS という落としどころに乗 った。ただし、子細に見ると、自然エネルギー促進運動と東京電力出身の加納時男議員の登場 によって「政」と「官」の関係に変化が生じている。従来は専門性を提供する経済産業省にエ ネルギー政策を巡る広範な裁量権を与え、見返りに都合のよい政策や予算を練ってもらうとい う自民党との共犯関係が成立してきたが、エネルギーの専門家を自負する加納議員の登場によ って、その関係に亀裂が生じてきている。「国」が原子力政策にもっと責任を取るべきであると 考える電力会社の意思を受けた加納議員は、その後、エネルギー政策基本法の動きを起こした2 4。 経済産業省の内部では、自民党が中心となって進める原発促進法やエネルギー政策基本法に対 Page 14 して、公然に近い反発の声があった。エネルギー政策基本法そのものは、加納議員の歪んだエ ネルギー政策感覚のために、内容は貧弱であり、とても「基本法」と呼べる理念も質もない。 しかし、石油公団の巨額不良債権とでたらめな経営実態を明らかにした自民党堀内総務会長の ように、政治の側での専門性が高まる一方で、経済産業省では原課で閉じた政策をすることが ますます困難になっている状況から、エネルギー政策の軸足がますます「政」に移りつつある ことは興味深い。 6 . 審議会の役割 6 . 1 官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) としての審議会 広範な裁量権と非公式の政治権力を持つ資源エネルギー庁にとって、今回の一連の審議会( 新 エネルギー部会) は、官僚の「一人芝居」( 自己正当化装置) として露骨な役割を果たした(城 山,1999:)2 5。 第1 に部会委員や小委員会の人選である。筆者が部会委員に選任されたのは、(1)議員連盟へ の対応に加えて、(2)総合部会の場等を通して新エネルギー政策の相対的地位向上の2 つの役割 が期待されたものと思われる。一方、「新市場拡大措置小委員会」( 以下、「小委員会」) では、 委員長を部会長である柏木孝夫東京農工大教授がそのまま兼任し、他にも数名の部会委員が小 委員会委員を兼任するのに対して、筆者に対する排除は露骨であった。「親部会委員はオブザー バーでも出席でき、また部会で発言できる」「専門家と当時者の方々に集まっていただく」とい うことが排除の理由だが、親部会を兼務する他の委員との比較において、専門性や当事者性の どちらからも正当化できるとは思えない。しかも、4 回の小委員会を通して発言機会はわずか に1 回、それも1 分に制約され、議事録や提出資料すら記録に残さないという露骨な小委員会 運営であった。他の委員は、事業者と電力会社を除けば、RPS 支持を取り付けられそうな経済 学者や電力取引事業者などで固めていた。 第2 に、部会や小委員会の進行は、実質的に事務局( 経済産業官僚) がほとんどすべてをコ ントロールしている。座席の配置も、部会長の両脇は資源エネルギー庁長官を筆頭に事務局が 固め、部会委員からの質問もほとんどは事務局が回答する構図である。用意される資料も、す べて事務局が用意したもので、明らかな誤字や数字の間違いを除けば、修正はほとんど受け付 けられることもない。たとえば小委員会委員が提起した廃棄物への疑問に対しても、事務局が 自らの「政治的な判断」を明確に述べている2 6。 第3 に、そうして自分たちで舞台回しをした審議会の報告書は、ぎゃくに省庁間の協議や与 党・国会などの説得材料に利用される。やはり廃棄物を巡って、環境省から問われた質問に対 して、新エネルギー部会の報告書を持ち出して、正当化をしている。 6 . 2 「専門家」は専門的だったか? また、一連の審議を通して、審議会に出席をした「専門家」の資質も問われるべき課題とし て浮き上がった。前述の通り、小委員会では、わずか4 ヶ月の短期間で、RPS に一本化する報 告が取りまとめられた。その間、少数ながら現実への影響を懸念した質問も見られたが、とり Page 15 わけRPS の審議を巡って顕著であったのは、固定価格制度か固定枠制度かを巡って、経済学者 を中心にほとんどの委員に共通してみられた「RPS= 証書の市場取引= より望ましい制度」とい う単純かつ乱暴な固定観念である。 反面、制度間の比較はおろか、RPS を選択するとすれば避けることのできない前述のような 本質的に重要な論点である、証書取引制度の設計、廃棄物の取り扱い、二酸化炭素の権利の扱 い、ボランタリーなグリーン証書との関係、追加性の定義等、重要な論点はほとんど積み残し たまま、まったく議論されないか、官僚答弁に任せたまま、置き去りにされた。また、わずか 2 度実施しただけの証書取引のシミュレーションも、肝心の費用供給曲線が非公開であること に対する疑問はいっさいなく、専門家としての検証はなかったと言っても過言ではない。 6 . 3 「専門家」の政治性― 利用し利用される「専門家」 こうして、審議会が官僚の自己正当化装置にすぎない現状からすれば、そこに出席をする有 識者や専門家の果たすべき役割は、否応なく「政治的」である。 このとき、2 種の専門家に分類できる。一方は、過度に「政治的」な専門家であり、もう一 方は政治的な立場に鈍感で都合よく利用される専門家である。とりわけ前者は、官僚の自己正 当化装置であることを了解した上で、円滑な審議運営を最優先する専門家であり、審議会で部 会長や委員長を務めるほとんどの「専門家」がこのタイプであると思われる。 審議会は自己正当化装置にすぎないとしても、委員としてそこに出席する以上、審議会その ものの持つ政治性を理解することが必要であり、「過度に政治的な専門家」はもちろん、「利用 されただけの専門家」であっても結果責任を問われることも避けられない。 7 . まとめ― 新たな市民運動の可能性 すでに述べたように、自然エネルギー促進法の戦略は、(1)環境よりも経済的便益を強調、(2) 原発に対する姿勢は問わない、(3)与党政治家を積極的に巻き込む、という3 点を運動の基本戦 略におくことであり、これは、当初、ある程度は成功したといえる。法案そのものは成立しな かったとはいえ、旧来からの「大きな物語」(左右のイデオロギーや原発への賛否)を越えて、 議員連盟に象徴されるように、自然エネルギーへの支持は確実に広がっている。 一連の自然エネルギー促進運動が明らかにしたものは、強固な「旧い政治コミュニティ」の 中心にある露骨なまでの「官僚政治」であった。エネルギー政策を環境配慮型に転換していく 上で、この「官僚政治」に対するガバナンスを確立していくことが、あらためて大きな課題と して浮かび上がってきたといえよう。 一般に権力の源泉は、法的権限、人事システム、情報管理の3 つであるとされる。とりわけ 当面の課題は、広範な裁量権を持つ官僚の非公式な法的権限を公式かつ透明なものにしていく ことと考えれば、政省令のレベルまで書き込んだ議員立法は、その有効な手段の一つと考えら れる。 また、「鉄の三角形」と形容されてきた「旧い政治コミュニティ」からなる日本の政策形成プ ロセスの中で、自然エネルギー促進法推進ネットワークは、環境NPO と政治との協働が「イシ Page 16 ューネットワーク」として機能することを立証した。ここに「新しい政治亀裂」が出現し、す ぐに「旧い政治コミュニティ」で埋められたとはいえ、新しいエネルギー政策形成への萌芽が 見られたのではないか。 注 ( 1 )本稿では、r e n e w a b l e e n e r g y を指す言葉として「自然エネルギー」を用いている。 ( 2 ) E l e c t r i c i t y F e e d L a w の略。自然エネルギーからの電力を平均的な電気料金の9 0 %の価格で買い取ることを電 力会社に義務づけていた。その後、2 0 0 0 年4 月からは、自然エネルギー法( R E L )に改訂された。 ( 3 )クオータ制度( RP S 制度)が実施ないしは提案されている国・地域としては、欧州では、英国、デンマーク、オ ーストリア、オランダ、ベルギー、イタリア、スウェーデンの7 カ国、米国ではテキサス州など1 0 州、オースト ラリアなどがある(括弧内は施行年月)。 ( 4 ) 2 0 0 1 年末に世界全体の風力発電の累積設置量は2 4 0 0 万キロワットであり、多い国から、ドイツが8 7 5 万キロワ ット( 4 3 % 増)、米国が4 2 6 万キロワット( 6 6 % 増)、スペインが3 3 4 万キロワット( 3 3 % 増)、デンマークが2 4 2 万キロ ワット( 5 % 増)となっている。日本は3 0 万キロワット( 5 0 % 増)である。 ( 5 )ドイツのアーヘン市が1 9 9 5 年に導入した制度で、太陽光発電と風力発電をそれぞれ1 5 年で償却できる電力買 取り補助をいう。 ( 6 ) 1 9 9 9 年6 月8 日参議院経済産業委員会で、政府委員である稲川資源エネルギー庁長官は加藤修一議員の質問に 次のように答えている:「購入の義務づけその他をつとに御指摘いただいてございますけれども、そういうものも 含めて今後のよりベターな対応方式というものを検討していきたいと思います。(中略)欧米にミッションを送るこ とを今予定いたしてございます。」 ( 7 )呼びかけ人は、衆議院: 愛知和男、伊藤達也、大口善徳、大畠章宏、梶山静六、金田誠一、金田英行、河野太 郎、古賀正浩、笹山登生、佐藤謙一郎、竹村正義、武山百合子、辻元清美、並木正芳、原田昇左右、山本幸三、参 議院:加藤修一、梶原敬義、須藤良太郎、高野博師、竹村泰子、戸田邦司、中村敦夫、福島瑞穂、福山哲郎、馳浩、 林芳正、広中和歌子、渡辺孝男( 五十音順) ( 8 ) 1 9 9 9 年1 2 月1 7 日に朝日新聞の1 面で「来年4 月から東電がグリーン料金導入 自然エネルギー普及「募金」」 との報道が行われている。 ( 9 )グリーン電力基金は、一般需要家に一口月額5 0 0 円で自然エネルギーの普及に使うとの名目だが、「全国枠」と 称して東北電力に寄付するなど、使途が見えにくい。東京電力については、h t t p : / / w w w . g i a c . o r . j p / g r e e n / ( 1 0 ) 2 0 0 2 年8 月7 日現在、東京電力のグリーン電力基金の参加者は1 5 , 0 4 3 件で、電灯契約口数の0 . 0 7 %となって おり、頭打ち状態である。総枠で約1 億円規模にすぎず、東北電力への助成規模(数十億円~ 数百億円)からかけ離 れている。 ( 1 1 )グリーン電力証書については、( 株)日本自然エネルギー( h t t p : / / w w w . n a t u r a l - e . c o . j p / )とグリーン電力認証 機構( h t t p : / / e n e k e n . i e e j . o r . j p / g r e e n p o w e r / ) をそれぞれ参照のこと。参加環している環境N G O としては、環境エ ネルギー政策研究所、(財)世界自然保護基金ジャパン、グリーン購入ネットワークの3 団体。 ( 1 2 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 0 年1 0 月3 0 日 ( 1 3 ) 2 0 0 0 年5 月1 8 日にはN H K の全国ニュース、同年7 月1 0 日には日本経済新聞で、それぞれ「政府がR P S 導入を 決定」とのニュースが流れたが、いずれも通産省は事実を否定した。 ( 1 4 ) 2 0 0 0 年7 月の人事異動で、RP S 導入の中心を担った平工奉文氏が新エネルギー政策課長に着任し、2 0 0 0 年1 2 月の人事異動で、公益事業部で自然エネ議連への対応をしていた近藤賢二開発課長が転出した。 ( 1 5 )ドイツ型とほぼ同じ議連案をA 案とし、本質的に異なる英国型とドイツ型を「買取り義務」としてB 案とし、 R P S をC 案とするもので、分類方法も特徴の説明も事実誤認が多く、意図的にR P S を優位に見せるものであった。 第2 回新エネルギー部会( 2 0 0 1 年2 月2 7 日) の資料3 ( h t t p : / / w w w . m e t i . g o . j p / r e p o r t / d o w n l o a d f i l e s / g 1 0 2 2 7 y j . p d f ) など。 ( 1 6 )河野太郎氏メールマガジン「ごまめの歯ぎしり」2 0 0 1 年6 月2 9 日 ( 1 7 ) 2 0 0 1 年6 月2 1 日の「与党自然エネルギープロジェクトチーム」報告書 ( 1 8 )閣議決定前に、省庁間協議並びに与党内協議を通して修正された点は、(1 )目的に「環境の保全」が加えられ たこと、( 2 ) 対象に「バイオマス」が加えられたこと、( 3 )利用目標の決定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交 通大臣の意見を聴くこと、( 4 )新エネルギー設備認定に際して、環境大臣、農水大臣、国土交通大臣と協議するこ との4 点である。 ( 1 9 )議院運営委員会によって委員会審議の付託が行われ、実質的に法案審議が始まることを指す ( 2 0 )余剰電力購入メニューとは、電力各社が1 9 9 2 年に導入した自然エネルギーや新エネルギーからの電力の自主 的な買取りを指し、太陽光や風力に対しては販売価格と同じ価格を提示していたのに対して、コージェネやゴミ発 電は低い買取価格であった。 ( 2 1 )公益事業部長は資源エネルギー庁長官へのステップだが、新エネルギー部長は「上がりポスト」と言われ、そ こから外部に転出するケースが多いことからも、両部署間の力学が明瞭である。ただし北畑氏は例外的に審議官に 出世しており、同氏の省内における位置づけが伺われる。 ( 2 2 )北畑隆生氏は2 0 0 0 年6 月3 0 日付で、大臣官房総務審議官に異動していた。 ( 2 3 )経済産業官僚から直接筆者が聞き取りをした内容に基づく ( 2 4 )荒木浩電事連会長( 当時)は原子力委員会の懇談会で廃棄物問題の大きさに触れ、国がもっと責任を取るよう 提言した( 朝日新聞1 9 9 9 年4 月2 5 日) ( 2 5 ) 城山は「中央省庁の政策決定過程」の中で、通産省にとっての審議会の役割に、( 1 )新しい政策探しと(2 )自己 正当化の2 つを挙げている。 ( 2 6 )第2 回小委員会( 2 0 0 1 年9 月2 2 日) では、木村委員( 東京電力) の産業廃棄物を外すべきではないかという 意見に対して、平工新エネルギー政策課長は「産業廃棄物は新エネ法で規定されているために今後も促進すべきで ある。また、産業廃棄物の焼却施設に発電設備をつけたとしても追加分であり、C O 2 は増加しない。このため、活 用について前向きに考えていきたい。」と回答している 文献 Page 17 AWEA (American Wind Energy Association), 2002, Global Wind Energy Market Report 2001, http://www.awea.org/ グライムス,W.W., 2002,『日本経済失敗の構造』東洋経済新報社: 3 Haas, Reinhard (ed.), 2001, “Review Report On Promotion Strategies For Electricity From Renewable Energy Sources In EU Countries”, Institute of Energy Economics, Vienna University of Technology 飯田哲也, 2002,「風力発電300 万キロワット時代の方策」『資源環境対策』38-3:11-18 経済産業省資源エネルギー庁編,2001,『見つめよう! 我が国のエネルギー― エネルギー環境制 約を超えて』経済産業調査会: 242-243 正木卓, 1999, 「<政策ネットワーク>の枠組み― 構造・類型・マネジメント」、『同志社政策科学 研究』: 91-110 城山英明, 1999, 『中央省庁の政策決定過程― 日本官僚制の解剖』中央大学出版部 城山英明, 2002, 『続・中央省庁の政策決定過程― その持続と変容』中央大学出版部
2012年3月24日土曜日
これは、残しておいたほうが・・・
大飯原発「妥当」判断 「地元」の範囲めぐり見解にずれ
2012.3.23 23:00 (1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120324/fki12032413290005-n1.htm
関電大飯原発3、4号機の再稼働問題が大きく動き出した。今後は関係閣僚による政治判断が焦点となるが、最終決定の前提となる地元自治体の同意をめぐっては、「地元」の範囲について政府、自治体の間で見解がずれており、対応次第では事態が迷走する危険性もはらんでいる。
「(再稼働の理解を求める)地元の範囲は数値的、機械的に判断できるものではなく、再稼働と防災の30キロは内容的に違う。連動していない」。16日、会見でこう述べた藤村修官房長官は、福井県おおい町と接する滋賀県を政府が理解を求める「地元」には含めない考えを示した。
政府は、防災対策の重点地域(EPZ)を従来の8~10キロから半径30キロに広げて「緊急防護措置区域(UPZ)」とする方針だ。
東京電力福島第1原発事故では、影響が広範囲に及び、原発の立地自治体だけでなく、周辺自治体も再稼働に強い関心を示し、電力事業者もその意向を無視できない状況となっている。
14基の原発が立地する福井県と隣接し、一部がUPZに含まれる滋賀県は、電力事業者に稼働を了承する権限も求めており、嘉田由紀子知事は藤村氏の発言に反発。「全く理解できない。なぜUPZを広げたのか。再稼働と防災が無関係というのは根っこから理解できない」と批判した。
ところが、政府は再稼働に関して、いまだに「地元」の範囲を明確に示していない。事故時に住民の安全を確保するため、立地自治体などが電力事業者と結んでいる「安全協定」の有無が基準となりうるが、中国電力島根原発(松江市)をみると、隣県の鳥取県も締結しており、必ずしも統一されているわけではない。
政府内では、「地元」を立地自治体に限定する検討も進んでいるもようで、今後、周辺自治体からの反発も予想される。
一方、民主党の原発事故収束対策プロジェクトチームは22日の総会で、再稼働の判断について「現段階では時期尚早」とする提言を決定。理由として「地元」の範囲が不明確なことを指摘、政府・与党内でも見解統一がなされていないことがあらわになっている。「本当に難しいのは立地自治体よりも周辺自治体の理解を得ることだ」(資源エネルギー庁幹部)との危惧が現実化しており、「政治判断」以前の段階でプロセスは暗礁に乗り上げかねない。(原子力取材班)
2012年3月18日日曜日
上司の指示で書き換
産経新聞web版から「石川議員の虚偽報告書、上司指示で書き換えか 複数検事、関与の可能性」との記事が配信をされたのが3月16日(金)であった。
この記事を読んでも、驚きもしない自分がいる。「さもありなん」・・・個人的な予想でしかないが、かなりの割合の読者が上司の指示で書き換えたものだと当初から考えていたのではないだろうか?
この記事の最後が面白い。
「小沢被告の公判に影響を与えることも考慮し、判決が予定されている4月下旬以降を軸に検討を進めている」と書かれているのだが、小沢氏の裁判が行われた原因は何なのかを考えたら「
公判に影響を与えることも考慮」ということがあり得るのであろうか?
何にしてもこの国は変な国になってしまったものだ(苦笑
石川議員の虚偽報告書、上司指示で書き換えか 複数検事、関与の可能性
2012.3.16 08:57
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120316/crm12031608590003-n1.htm
強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の元秘書、石川知裕衆院議員(38)を取り調べた田代政弘検事(45)が捜査報告書に虚偽の記載をした問題で、田代検事が報告書を作成した後、上司の指示を受けて書き換えた可能性があることが15日、関係者の話で分かった。田代検事を含む複数の検事が報告書の「改変」に関与していた疑いが浮上した。検察当局は虚偽記載の背景にこうした指示があったとの見方を強めており、当時の上司らからも説明を求める方針だ。
問題の報告書は平成22年5月17日付で、小沢被告を起訴相当とした検察審査会の1回目の議決を受けて作成された。東京地検特捜部に所属していた田代検事が、石川議員を再聴取した内容が記載されている。
報告書には、石川議員が「『選挙民を裏切ることになる』と検事に言われ、(小沢被告の関与を認めた)供述を維持した」と話したことなどが記されているが、石川議員の隠し録音記録には、こうしたやり取りはなかった。田代検事は小沢被告の公判で「思い出して作成したので、記憶が混同した」などと釈明している。
関係者によると、田代検事は石川議員の聴取直後にいったん報告書を作成。当時の上司に内々に報告したところ、記載内容などについて具体的な指示を受けた可能性があるという。田代検事は小沢被告の公判廷で「(報告書は)数日かけて作成した」とも話しており、指示を受け数日間で書き直したとみられる。
報告書は検審に送付され、小沢被告を起訴すべきだとした2度目の議決の根拠の一つになったとされる。市民団体の告発を受け、虚偽有印公文書作成などの罪で捜査している東京地検は田代検事から任意で事情聴取しており、立件の可否を慎重に判断する。法務省は田代検事らの行政上の処分を検討している。
処分の時期については、小沢被告の公判に影響を与えることも考慮し、判決が予定されている4月下旬以降を軸に検討を進めている
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120316/crm12031608590003-p1.jpg
この記事を読んでも、驚きもしない自分がいる。「さもありなん」・・・個人的な予想でしかないが、かなりの割合の読者が上司の指示で書き換えたものだと当初から考えていたのではないだろうか?
この記事の最後が面白い。
「小沢被告の公判に影響を与えることも考慮し、判決が予定されている4月下旬以降を軸に検討を進めている」と書かれているのだが、小沢氏の裁判が行われた原因は何なのかを考えたら「
公判に影響を与えることも考慮」ということがあり得るのであろうか?
何にしてもこの国は変な国になってしまったものだ(苦笑
石川議員の虚偽報告書、上司指示で書き換えか 複数検事、関与の可能性
2012.3.16 08:57
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120316/crm12031608590003-n1.htm
強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の元秘書、石川知裕衆院議員(38)を取り調べた田代政弘検事(45)が捜査報告書に虚偽の記載をした問題で、田代検事が報告書を作成した後、上司の指示を受けて書き換えた可能性があることが15日、関係者の話で分かった。田代検事を含む複数の検事が報告書の「改変」に関与していた疑いが浮上した。検察当局は虚偽記載の背景にこうした指示があったとの見方を強めており、当時の上司らからも説明を求める方針だ。
問題の報告書は平成22年5月17日付で、小沢被告を起訴相当とした検察審査会の1回目の議決を受けて作成された。東京地検特捜部に所属していた田代検事が、石川議員を再聴取した内容が記載されている。
報告書には、石川議員が「『選挙民を裏切ることになる』と検事に言われ、(小沢被告の関与を認めた)供述を維持した」と話したことなどが記されているが、石川議員の隠し録音記録には、こうしたやり取りはなかった。田代検事は小沢被告の公判で「思い出して作成したので、記憶が混同した」などと釈明している。
関係者によると、田代検事は石川議員の聴取直後にいったん報告書を作成。当時の上司に内々に報告したところ、記載内容などについて具体的な指示を受けた可能性があるという。田代検事は小沢被告の公判廷で「(報告書は)数日かけて作成した」とも話しており、指示を受け数日間で書き直したとみられる。
報告書は検審に送付され、小沢被告を起訴すべきだとした2度目の議決の根拠の一つになったとされる。市民団体の告発を受け、虚偽有印公文書作成などの罪で捜査している東京地検は田代検事から任意で事情聴取しており、立件の可否を慎重に判断する。法務省は田代検事らの行政上の処分を検討している。
処分の時期については、小沢被告の公判に影響を与えることも考慮し、判決が予定されている4月下旬以降を軸に検討を進めている
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120316/crm12031608590003-p1.jpg
2012年3月11日日曜日
第15回 論告求刑
「事実でなければ、無罪にすれば足りる」指定弁護士、起訴議決の有効性を主張
2012.3.9 13:02 (1/5ページ)[小沢被告 第15回]
(10:00~11:00)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判が9日、東京地裁(大善文男裁判長)で始まった。検察官役の指定弁護士による論告求刑が行われる。求刑は午後になる予定だ》
《地裁は、虚偽記載に関する小沢被告への「報告」と「了承」を認めた元秘書らの供述調書の大部分を却下。指定弁護士側は有罪として刑を求める方針だが、共謀を裏付ける直接証拠がほぼ失われた中、どのような構図を描くのか注目される》
《指定弁護士側は「調書が採用されないのは想定内。証拠は十分にそろっている」と立証に自信をみせており、小沢被告が土地購入に際し、銀行の融資書類に自ら署名した事実や、土地原資の4億円を用立てながら、元秘書からの報告について「記憶にない」と繰り返した法廷での説明の不合理さなどを強調。間接証拠を積み上げて、小沢被告の関与を印象づけたい考えだ》
《法廷はいつもと同じく、東京地裁最大規模の104号。小沢被告が入廷する。紺のスーツに白いシャツ、鮮やかなブルーのネクタイ姿だ。裁判長に一礼して弁護側の席に座った。いつものように目を閉じた》
裁判長「それでは開廷します。新たな証拠請求はありませんね。双方から意見を伺います。指定弁護士から論告を開始してください」
《弁護側に紙が配られたのを見届けた上で、指定弁護士が席を立った》
《指定弁護士は起訴内容を改めて朗読したうえで、検察審査会の議決の有効性について論じ始める。弁護側が、虚偽の捜査報告書の内容などをもとに行った起訴議決は「無効」と主張しているためだ》
指定弁護士「まずそもそも、検察審査員が証拠の信用性について錯誤に陥った、すなわち証拠評価を誤ったとしても、そのために検察審査会の議決が無効になることはない、というべきである」
「検察審査会に提出される証拠は、反対尋問などにさらされて、その信用性について十分吟味されたものとはかぎらない」
「捜査関係者や裁判関係者であっても、証拠の信用性に関する判断を誤ることはあり得る」
「いわんや、専門家でない一般市民である審査員が、証拠の信用性につき、判断を誤り錯誤に陥ることはあり得ることである」
《指定弁護士は淡々と朗読を続ける》
指定弁護士「検察審査会法には、検察審査会の議決が無効となる場合の定めはない。検察審査会の手続きが違法であった場合は、別途の考慮が必要となるとしても、少なくとも、それ以外の事由で議決が無効になることは予定されているとは到底考えられない」
「検察審査会のよる起訴議決がなされた場合には、裁判所は取り調べに証拠を総合して評価し、その上で事実の証明がないとの判断に達したのであれば、判決で無罪を言い渡すべきであり、それで足りると解すべきである」
《起訴議決は有効と主張する指定弁護士。続いて、採用された証拠をもとにした事件の構図について説明を始める。まずは小沢被告らの経歴からだ》
指定弁護士「被告人は昭和44年12月の衆院選で初当選し、その後現在に至るまで連続して当選している。選挙区は岩手第4区。自民党内のいわゆる派閥である経世会の会長代行を務めた経験を有している」
「(元秘書の)石川知裕(衆院議員)は、早稲田大在学中の平成8年2月に被告の書生となり、住み込みで被告の私邸周辺の道路や小鳥の小屋の掃除、散歩のお供などの書生仕事をするようになった。12年11月以降は、経理の知識はなかったものの、赤坂事務所で経理を担当した」
《続いて政治団体の説明をする》
指定弁護士「(陸山会、誠山会、小沢一郎政経研究会、小沢一郎東京後援会、民主党岩手県第4区総支部の)本件5団体は形式的には別個の政治団体として設立されているが、実態としては一体として活動。陸山会は個人献金、第4区総支部は企業献金、政経研究会は政治資金パーティー収入を受け入れている」
「これら3団体が収入のある団体で、これらの収入を資金が足りない団体に移動していた。支出内容は、陸山会がその多くが不動産関連、政経研究会はパーティー関連、東京後援会と誠山会が主として人件費や経費を負担していた」
「資金を外部に出す場合には被告ないし大久保隆規(元秘書)の指示に基づき行われた。被告個人の資産と5団体の資産とは一応峻別され、5団体の銀行口座に個人資産を預けることはなかった」
《収支の記録については女性秘書らがパソコンに入力。収支報告書の提出期限の3月末までに誤りがないか領収書などと突き合わせを行い、大久保元秘書に報告書の原案を見せて、中身を確認していた、と説明した》
指定弁護士「大久保(元秘書)は『江戸家老』として、東京の秘書らの福利厚生にも目を配りながら、(秘書らの)家族用の寮を建設することを考えており、平成16年夏ごろには被告の賛同を得ていた」
《問題の土地購入に経緯について説明を始める》
指定弁護士「被告は数日後、散歩の折に現地を確認したが、良いところだと思う旨を大久保(元秘書)に伝え、陸山会でその土地を購入することを了承した」
「大久保(元秘書)は『師匠』である被告に気に入ってもらえたことで誉れにも感じ、購入の話を進めるための準備に入った」
「大久保(元秘書)は平成16年9月下旬ごろ、石川(議員)にその資金として4億円を用立てられるか確認。石川(議員)は『5団体の政治資金をかき集めれば4億円をそろえることはできるかもしれませんが、運転資金が心許なくなる』と答えた」
「大久保(元秘書)と石川(議員)は、被告のところに赴き、事情を説明して4億円を借り入れることを申し入れたところ、被告から『戻せよ』といわれて、4億円の貸し付けを受けられるようになった」
《土地購入の手続きは石川議員が担当。16年10月に売買契約を締結したという》
指定弁護士「石川(議員)は10月5日に本件土地の売買契約書を締結し、手付金を支払うとともに、この事実を被告に報告した」
《小沢被告の法廷での証言と異なる部分だ》
指定弁護士「被告は16年10月12日ごろ、石川(議員)に、現金の用意ができたので、元赤坂タワーズに取りに来るように連絡。石川(議員)は同日、自動車で受け取りに行った」
《指定弁護士は、石川議員がその後、4億円から不動産の手付金を引いた額を12回にわたって、5銀行6支店の陸山会名義の口座に分散して入金したと説明する》
指定弁護士「石川(議員)は10月20日すぎまでに、売買契約の決済を翌年に先送りして土地取得の事実の公表を遅らせて、17年分収支報告書に記載したほうが良いと考えた」
《指定弁護士の論告によると、石川議員や大久保元秘書は司法書士に相談し、17年1月7日に所有権の本登記をすることを決定。陸山会の4億円を定期預金にし、それを担保に小沢被告名義で4億円を銀行から借り入れることを計画するが、その手続きが終わる前の、16年10月29日午前10時17分ごろまでに土地代金は支払われ、決済はすべて終了する》
指定弁護士「石川(議員)は、りそな銀行衆院支店の担当者から、借り入れのために必要な融資申込書や約束手形書類を受け取り、(16年12月29日)昼ごろ、被告と面談して被告の署名を受ける」
《指定弁護士が客観証拠としてあげる重要なポイントだが、文言は意外なほどにあっさりしている。その後、石川(議員)は午後1時すぎに定期預金を設定。銀行から借り入れを受けた4億円を小沢被告の口座から引き出した》
指定弁護士「陸山会が設定した4億円の定期預金の利率は0・03%。この定期預金を担保にした4億円の貸し付けは利率1・125%で、利息額は453万6986円だった」
《小沢被告はときおり、指定弁護士側から渡された論告の紙に目を通しながら、じっと押し黙って座っている》
「荒唐無稽な弁解」「弁護人のひとつのアイデア」元秘書説明の不可解さ指摘
2012.3.9 15:44 (1/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
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(11:00~12:00)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、検察官役の指定弁護士による論告が続けられている》
《論告を読み上げる指定弁護士が山本健一氏から、村本道夫氏に代わった。抑揚を付けて読み上げていく》
《指定弁護士側は、まず争点の整理を行う。小沢被告が16年に提供した4億円の収支報告書への不記載。また、その4億円を原資として、平成16年に行った土地代支出を、17年分の収支報告書にずらしたことの2点について、弁護側と食い違うポイントを丁寧に説明していく》
《いずれも小沢被告と、16年担当の元秘書、石川知裕衆院議員=1審有罪、控訴中、17年担当の池田光智元秘書=同=との間に、共謀があったと立証したい狙いだ》
《まずは16年の4億円の不記載について、石川議員の供述についての検討を行う》
《指定弁護士は、16年の収支報告書にある4億円の借り入れの記載について、石川議員が自らの裁判では「小沢被告の4億円」としていたにもかかわらず、今回の公判では小沢被告の4億円と、りそな銀行から借りた4億円は「ひとつ」であり、「どちらを記載したかいうのは困難」と証言を覆したことについて指摘する》
指定弁護士「このような趣旨不明の供述をするのは、自らの罪責を逃れつつ、被告の弁護人の主張にも沿うような、荒唐無稽な弁解をしているにすぎず、検討に値しない」
《続いて池田元秘書の供述について言及する》
指定弁護士「池田(元秘書)は(小沢被告が提供した)本件4億円が無利息で返済期限の定めがなく、契約書面も作成されていないので、保釈後、弁護士の示唆によって『預かり金と思った』と供述する」
「しかし、池田(元秘書)は、りそな銀行の陸山会口座を始め、政治5団体の資金状況を十二分に把握していた。現に動きのある5団体の口座に混同させて、どこにあるか分からない預かり金とすることなどはおよそ考えられない」
「虚偽記入の故意を否定し、自らの罪責を免れようとするものであって、客観的な証拠に符号せず全く信用できない」
《指定弁護士は弁護側の主張の検討も行う。弁護側は石川議員が秘書の立場として小沢被告から4億円を受け取ったのであり、陸山会が借り入れたものではなく、さらに、りそな銀行の定期預金も小沢被告に権利が属すると主張する》
指定弁護士「石川(議員)は、陸山会で本件土地を購入するに当たって、その代金支払いのために被告に本件4億円の借り入れを依頼したものであり、しかも借り入れに当たって、被告から『戻せよ』と言われている」
《さらに指定弁護士は、石川議員が小沢被告から本件4億円の交付を受けた後、陸山会の金庫にしまいこみ、手付け金の一部を補填していることなどを挙げ、断言する》
指定弁護士「本件4億円が被告からの借入金ではなく、本件定期預金になっていて、被告が所有するものであるなどとは到底解することはできない」
《さらに、指定弁護士は小沢被告からの4億円を、池田元秘書が2年間かけて返済していることについて言及したうえで、こう指摘する》
指定弁護士「弁護人の主張は、実際には実行されなかったが、選択可能であったひとつのアイデアにすぎない」
「被告が用立てた4億円を『溶かさない』効果があるわけでもなく、何の実益もない」
《また指定弁護士は、石川議員が土地登記の先送りしたことについて説明した証言の不自然さについても追及する》
指定弁護士「石川(議員)はこれまで民主党代表選うんぬんと供述していたが、当公判では(前任の)樋高(剛議員)から政治状況についての判断を言われたからだと供述を翻した」
「曖昧模糊とした話で、具体性が全くなく、本件売買契約の決済のわずか数日前に、突然、しかも最終的に代金を全額支払い、登記以外のすべての契約条項の履行を完了しながら、登記を翌年送りにして、翌年の収支報告書に記載しなければならない理由があったとは考えにくい」
《こうした上で、指定弁護士は4億円の不記載や虚偽記載について、力を込めた》
指定弁護士「確定的故意が成立したことが明らかである」
《小沢被告はときおり時計を見ながら、指定弁護士の声に耳を傾けている。裁判長が休廷を宣言した。午後1時半から再開される》
「ああ、そうか」は事前了解と指摘
2012.3.9 16:18 (1/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
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(13:30~14:30)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、約1時間半の休廷を挟み、審理が再開された。午後も指定弁護士の論告の読み上げが続けられる》
《大善文男裁判長が小沢被告に入廷を促した。小沢被告は裁判官らに一礼し、疲れた表情も見せず、しっかりした足取りで自分の席に向かった》
《指定弁護士は土地の取得とその購入代金を、平成16年ではなく17年の収支報告書に記載したことの問題点の説明を始めた。小沢被告は隣に座る女性弁護士と小声で会話を少し交わした後、立ち上がって論告を読み上げる指定弁護士のほうに視線を向けた》
《指定弁護士側は、土地の所有権移転登記は16年10月29日に行われる予定になっていたが、陸山会の申し入れで、29日は仮登記にとどまり、本登記は17年1月7日に持ち越されていたと説明。この延期で、17年分の固定資産税が売り主に課税されるが、その分を陸山会が負担することで合意していたと指摘した。購入代金の支払いは29日に完了している》
指定弁護士「本登記を翌年送りにした時点で(元秘書の)石川(知裕衆院議員)は16年の収支報告書には購入代金の支払いなどを記載しないことを決め、17年3月に作成した収支報告書には記載しなかった」
「池田(光智元秘書)は石川から引き継ぎを受けた17年7月までに、17年分収支報告書に記載することを決め、18年3月に作成した17年分収支報告書に購入代金の支払いなどを記載しなかった」
《指定弁護士側は民法の解釈上、16年10月29日が土地の所有権移転の時期であることは明らかとして、16年分収支報告書に取得した土地を資産として記載すべきだったと主張した。また、16年10月29日には3億5261万円が支払われているが、この支出についても16年分に記載すべきだったと述べた》
《続いて、小沢被告が石川議員、池田元秘書と共謀関係にあったことについて話が移る。小沢被告の指示・了解のもとに一連の会計処理などが行われたことを、2人とのやりとりなど、さまざまな間接事実を積み上げ、明らかにするつもりのようだ》
指定弁護士「4億円を収支報告書に記載しなかったことの基本的な目的は、被告が4億円を拠出することが露見することを隠す目的があった」
「10月12日に被告から提供を受けた4億円の大半に当たる3億7492万円を28日までに陸山会の銀行口座に集約したが、その時点での陸山会の残高は4億3千万円を超えており、翌日の決済に必要な額は超えていた。銀行から借り入れしなくても決済は可能だった。決済で運転資金の不足を生じさせることはない。むしろ年間450万円の金利負担が生じる」
「ああ、そうか」は事前了解と指摘
2012.3.9 16:18 (2/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
「一連の行動から、4億円を原資として土地を購入したことを隠蔽する方針は16年10月から一貫しており、16年分収支報告書に記載しなかったこともその方針の一環だ」
《また、小沢被告が4億円の存在を秘書にも明らかにしていなかったことも指摘。4億円が保管されていた居室は、秘書にも関与させず、個人資産を隔離しようとする小沢被告の意志が徹底されていたという》
指定弁護士「結局、多額の現金を手元に置く理由は、多額の資金を有していること自体を第三者の目に触れさせることなく、これを隠そうとしていたものと解するほかない」
《借り入れは本来、必要なかったにもかかわらず、4億円を隠すために借りたと主張する指定弁護士。小沢被告は身動きもせず、じっと耳を傾けていた》
指定弁護士「借り入れは、陸山会にとって何ら必要のないもの。その目的は購入資金が被告の本件4億円であることの露見を避けるためであること以外にない」
「4億円を提供したことを知っている被告が、土地購入という同一目的のために多額の金利負担が生じる借り入れを承諾することは、それは被告の指示に基づくか、すでに指示・了解しているものでないかぎり、あり得ない」
「石川(議員)が借り入れの詳しい説明をしなかったことは、あらかじめ被告の指示・了解を得た上での行為でないかぎり、ありえない」
《さらに、指定弁護士は、4億円の趣旨について、メディアから「公私混同」と批判がでることが予想されながら、その趣旨を明らかにする措置を一切とっていないことも、4億円の提供が表に出ないことを、小沢被告自身が十分に理解していた証拠だと述べた》
指定弁護士「被告に相談することなく、代金全額を支払いながら、登記前に不測の事態に巻き込まれた場合、担当者として強く叱責されるだけでなく、責任を免れる余地はなくなる。その責任の重大さはなおさらである」
「石川(議員)はほぼ毎朝、被告と会っており、本登記を先送りし、代金全額を支払う処理をすることを隠す理由などは全くなかった。被告の指示・了解なしに、このような処理をすることは絶対になかったというべきである」
《小沢被告はこの公判で、「報告は受けていなかった」と繰り返している。石川議員も法廷で、登記を翌年に回すことは報告していないという趣旨の証言した。だが、指定弁護士は法廷での証言が不自然であることや、捜査段階で石川議員が「報告しています」と供述していることなどから、「報告があったことは明らか」と述べた》
《指定弁護士はさらに、石川議員から引き継いだ池田元秘書が、16年に支払った土地代金を17年分の支出として計上したことについて報告したときも、小沢被告が「ああ、そうか」といって、特にその処理をした理由について質問しなかったことも、事前に指示・了解していたからだと指摘した》
《陸山会の収支報告書に不記載や虚偽記入をする理由は、元秘書らにはないと説明する指定弁護士。逆に責任者として、処罰をうける可能性があると付け加えた。陸山会は16年以前にも、不動産を多数購入しているが、収支報告書に意図的な不記載や虚偽記載はない》
指定弁護士「取引は、被告が陸山会に対し、4億円の債権がある痕跡を薄くし、土地に関する陸山会の所有権にリスクを生じさせ、無意味に多額の金利負担を強いるなど、通常の処理をしている場合に比べ、被告・陸山会に不利なものがある。しかし、これにより、石川(議員)らは何らかの利益を得るわけではない」
「被告の関心が強い土地の購入に関し、不利益をこうむるリスクを負う被告の指示・了解なしに、独断でこのような操作をする動機が石川(議員)らにはない。いかなる意味でも、石川(議員)らが、被告の指示・了解なしに自らの判断だけで、取引自体を操作し、収支報告書に虚偽記入をする可能性はない」
《続いて、指定弁護士は小沢被告と元秘書の間に共謀共同正犯が成立することを立証しようとする》
指定弁護士「(4億円の分散入金や登記の先送りなどの)平成16年10月になされた一連の工作は、16年分の収支報告書に4億円を記載せず、17年分に土地代の支出などを記載するための外形作り、ないしは操作である」
「これが被告の指示・了解のもとに石川(議員)によって行われたことは明らかであり、被告と石川(議員)との間では16年10月に、共謀が成立していたことがゆうに認められる」
《指定弁護士はその理由について説明を始める》
指定弁護士「16年10月29日、石川(議員)は被告のもとを訪れ、(銀行から4億円を)借り入れるための融資申込書などの書類への署名を求めた。この日は土地取引の決済日であり、被告に隠すべき事情も、報告を制限される事情もないのに、その報告をしないことは到底考えられない」
「しかも、本件土地の本登記は翌年1月7日に先延ばしして、それにもかかわらず代金を支払うという異例の措置をとっていた」
「また、すでに(小沢被告が提供した)本件4億円を利用して土地代金の全額を決済したにもかかわらず、さらに4億円を借り入れるのであるから、なぜ必要なのかについて被告の了解が得られない限り、被告の署名を得ることは不可能である」
「被告と石川(議員)との共謀は16年10月になされ、石川(議員)はこの共謀に基づき収支報告書を作成したのだから、被告に刑事責任があることは明らかだ」
《指定弁護士は、やや早口で小沢被告の関与が共謀にあたるという主張を述べていく》
指定弁護士「被告が石川(議員)らを指揮命令する立場にあり、犯行を止める地位にあることは疑いない。石川(議員)らの犯行が、被告に対する批判を回避するためになされたものであろうことは容易に認められる」
「被告の法廷での供述は、きわめて不自然で、証拠上も明らかに事実と反している部分があり、到底信用できない。責任回避のための虚言だ」
《小沢被告はほとんど身動きすることなく、じっと指定弁護士の読み上げを聞いていた》
「規範意識が鈍磨」「再犯の恐れ大きい」指定弁護士、“剛腕”を追及
2012.3.9 17:24 (1/5ページ)[小沢被告 第15回]
検察官役の指定弁護士による論告を聞く小沢一郎被告(中央)=9日、東京地裁(イラスト・井田智康)
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(14:30~14:50)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、検察官役の指定弁護士による論告が続いている》
《指定弁護士は、小沢被告が公判で政治資金収支報告書の作成、提出は秘書に任せていたと証言した点の矛盾をついていく》
《土地購入についても同じで、秘書に任せ、報告を受けていないと主張していた。指定弁護士は、小沢被告が陸山会の代表であり土地購入のために個人資産から4億円もの巨額な資金を提供したことを挙げて追及する》
指定弁護士「(秘書から報告を受けていないとするのは)あまりに不自然な供述である」
《こう主張した上で、指定弁護士は、小沢被告が法廷で証言した言葉を読み上げる》
指定弁護士「『僕は任せた以上は、自分の判断でやれという風な主義の方ですので、たぶんそういう僕の気質とか考え方を知っていますので、事務的な部類の話はする必要はないという意識でいたと思います』」
「『石川も僕の性格を知っておるので、石川も、そういうことは必要ないと思ったのではないかという風に思うということです』」
《引用したのは、この2つで、指定弁護士は続ける》
「しかし、石川(議員)は、これに沿う供述はしていない」
《公判で石川議員は、小沢被告について「方針がおおざっぱであるか、細かいかはケース・バイ・ケースだ。また費用は常々節約を心がけるように指導していた」などとしていた》
指定弁護士「石川(議員)は『事務的な報告をしない』などとは全く供述しておらず、被告が供述するような、被告と秘書との関係は認められない」
《土地の売買契約についても、石川議員は「報告したと思う」と証言していたことなどを挙げ、任せきりにしていたとする小沢被告の証言は「虚偽」であると主張した。さらに、会計処理についても、池田光智元秘書=1審有罪、控訴中=の公判での証言を元に矛盾点を追及し、動機の考察に進む》
《弁護側は、小沢被告に「動機がない」と主張する。指定弁護士は、政治資金規正法違反罪の成立には、動機の有無は必要ないとしながらも、これについて反論していく》
《小沢被告が秘書らに用立てた4億円。その後に4億円を担保にりそな銀行から4億円の融資を受け、土地購入代金を支払いながらも、登記は翌年にずらす…》
指定弁護士「被告の動機は、それまでだれにも、その存在を明らかにしなかった、巨額の資金(秘書らに用立てた4億円)を有していること、およびそれを利用して、本件土地購入したことがあらわになることを避けたいというものであったことは明らかである」
《指定弁護士は、こう主張した後、犯行の悪質さについて言及した》
《政治資金規正法は、政治団体の会計責任者に対し、不実の収支報告書を作成することを刑罰をもって禁止している。代表者に対しては会計責任者が不実の収支報告書を作成することのないように、選任監督にあたり注意を尽くすことを求めている。この点を強調した上で指定弁護士は語気を強める》
指定弁護士「具体的にいかなる注意を払ったかについては、担当者を信じていたというのみで全く説明できていないだけでなく、具体的な指導はしていない旨、居直りともいうべき供述をしている」
「この供述が事実だったとすれば、法の著しい軽視であることは明らかだ。また、これが責任回避のための虚言だったとしても、責任回避のため法の要請を無視している旨、公開の法廷で供述すること自体が、法軽視の意識の反映である」
《指定弁護士は、小沢被告が公判で自らが関与しなかった理由について、「私の関心と仕事は、ちょっと口はばったい言い方をすれば、天家国家の話でありまして、それに集中する日常を送っています」「私にはもっともっと大事な関心を集中して、努力を集中してやらなければならない政治上のことがある」と主張したことを挙げて追及する》
指定弁護士「全国民を代表する選挙された議員として、国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会の一員たる衆院議員が天下国家の話に関心を集中し、これに努力を集中することは当然であり、これはひとり、被告に限り要請されていることではない」
《小沢被告はときおり顔をしかめながらも、指定弁護士の主張に耳を傾ける》
《指定弁護士は、政治資金規正法の趣旨を説明する》
指定弁護士「政治団体と公職の候補者が行う政治活動が、国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治資金の収支の公開や授受の規制によって、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的としている」
《指定弁護士は続ける》
指定弁護士「国会議員である資金管理団体の代表者が天下国家の話に関心と努力を集中すべき選挙された議員であることを前提として、そのような資金管理団体の代表者に対して、目的に沿って不実の収支報告書が作成されないよう、会計責任者の選任監督にあたり注意を尽くすように命じている」
「(小沢被告は)その趣旨を十分に知りながら、天下国家の話に関心と努力を集中しているからとの理由で、政治資金規正法の命ずる選任監督責任を具体的には何もしない旨、公言することは政治資金規正法の軽視であることは明らかである」
《さらに、指定弁護士は小沢被告の公判での証言を紹介する》
《小沢被告は「政治資金規正法は収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、その他の政治団体の会計責任者が総務省、あるいは都道府県選管に自主申告して、収支報告書を修正することが大原則」「贈収賄、脱税、横領など実質犯罪を伴わない単純な虚偽記載は、後に修正すれば足り、そもそも刑事責任を問うべきではない」としていた》
指定弁護士「収支報告書の不記載、虚偽記入の罪は、被告がいう実質犯罪を伴うか否かにかかわらず成立し、政治資金規正法は『実質犯罪』を伴い場合であっても刑罰に臨むことを規定している」
「被告の主張が、政治資金規正法についての独自な解釈であることはいうまでもない。政治資金規正法を自らの都合に合わせて解釈している点も、被告の規範意識が著しく鈍磨していることは明らかである」
《また、元秘書らが自らの公判で平成16年分、17年分の収支報告書の虚偽記載で有罪判決を受けたことにも言及する》
指定弁護士「1審とはいえ、同人(元秘書)らが作成した収支報告書が事実と異なることを裁判所によって認定された。被告は、そのような判決を自らの秘書らが受けた後にあっても収支報告書を見ていないなどと強弁した」
「しかるに被告は、この判決を受けた後でも、なおまだ収支報告書を見ていないと供述しているのであり、このような供述をすること自体、その真偽如何にかかわらず、被告として(収支報告書の)修正の要否を検討する意思がないことを示している」
《指定弁護士の追及は止まらない》
指定弁護士「被告は刑事責任を回避するため、不合理な否認を繰り返し、反省の情は全くない。規範意識の鈍磨とあいまって、再犯の恐れは大きいといわざるを得ない。確かに、被告は長年にわたって選挙民に支持され、長く衆議院議員の地位にあり、政治家として重要な地位を占め、大きな影響力を有している」
「しかし、であればこそ被告には、国民のみならず他の国会議員の模範となる行動が求められるというべきであり、それを裏切って本件犯行に及んだ以上、長く国政に尽力したとの事情を被告に有利な情状とすることは妥当ではない」
《こう締めくくった後、指定弁護士は一瞬、間を置いた。いよいよ始まる求刑に廷内に緊張が走る》
指定弁護士「被告人を禁固3年に処するのを相当と思料する」
《小沢被告は、目を閉じて微動だにしない》
裁判長「今日の審理はここまででよろしいですね」
《ここでようやく小沢被告は目を開き、軽くうなづいた。裁判長が今後の審理予定を説明した後、約3時間半にも及ぶ論告求刑公判は終わった》
小沢元代表、法廷:大詰め迎え廷内緊張 書面100ページ超、読み上げ
昨年10月に東京地裁で始まった民主党元代表、小沢一郎被告(69)の公判は9日、大詰めの論告を迎えた。これまでに計14回開かれた法廷で取り調べられた証拠を基に、100ページを超える膨大な書面で政界実力者の有罪を訴える、検察官役の指定弁護士。緊張感が張り詰めた法廷に響く朗読に、元代表、弁護団、裁判官がじっと耳を傾けた。【石川淳一、山本将克】
午前10時、東京地裁104号法廷。大善文男裁判長に促され、指定弁護士が朗読を始めた。「起訴の適法性についての弁護人の(違法との)主張に理由がないことを明らかにした上、収支報告書の記載の虚偽性、被告の共謀について弁護人の(共謀がないとの)主張に理由がないことを論証し、被告に科されるべき刑について意見を述べます」
淡々とした口調ながら、元代表提供の4億円の虚偽記載を「全てが被告の指示、了解の下に行われた不記載に端を発し、その隠蔽(いんぺい)、偽装工作として(元秘書により)実行された」と厳しく指摘。公判で虚偽記載を否定した元秘書の衆院議員、石川知裕被告(38)の証言を「公判に至って趣旨不明の供述をするのは自己の罪を逃れつつ荒唐無稽(むけい)な弁解をしているに過ぎず、検討に値しない」と一蹴した。
小沢元代表は紺のスーツに青色ネクタイ姿で、弁護人に挟まれる形で着席。論告読み上げ前には分厚い書面が弁護人席に配布され、元代表の前にも置かれた。
だが、元代表は書面に手を伸ばさず、読み上げ中は厳しい表情を浮かべたまま。正午過ぎの休廷までほとんど身動きしなかった。
◇強気の指定弁護士 複数の客観事実存在
有罪立証の柱だった元秘書で衆院議員、石川知裕被告(38)の供述調書の証拠採用を却下された検察官役の指定弁護士だが、この日の公判でも強気の構えを崩さず論告を淡々と読み上げた。再構築した立証の柱は、小沢元代表との間の「報告・了承」を認めた元秘書、池田光智被告(34)の一部調書のほか、元代表の関与をうかがわせる複数の客観的事実の存在、それに基づく法廷での証言などだ。
問題となった土地を購入する際、元代表は4億円を提供しながら自分名義の同額の銀行融資の書類に署名・押印。この銀行融資を指定弁護士は「石川議員が4億円提供を隠すために行った偽装工作」と位置付けている。
石川議員は昨秋の証人尋問で「『お預かりした4億円で預金担保を組み、それでお支払いします。預金担保の書類です』と(元代表に)説明した」と証言。だが、元代表は1月の被告人質問で「(石川議員から)サインしろと言われたからサインした」「具体的な説明を受けた記憶がない」「銀行とどうするかとかは担当者の裁量の範囲内」などと説明し、石川議員の証言とのズレが鮮明になった。
また、指定弁護士の冒頭陳述によると、巨額の「事務所費」が問題となった後の07年2月、元代表の事務所は週刊文春から土地問題の取材を受け、池田元秘書が作成した回答書案に目を通した元代表は「購入原資は銀行融資」と修正させた。池田元秘書は証人尋問で修正指示を認めたが、元代表は被告人質問で「池田に何かを指示した記憶はない」と否定。「当時は不動産所有に関しマスコミから多数問い合わせがあり、正確な記憶があるわけではない」と述べた。
指定弁護士は冒頭陳述の約3分の1を客観的事実の提示に費やし、証人尋問や被告人質問でも時間を割いた。地裁がどのように評価するかが注目される。【和田武士】
■小沢元代表の関与をうかがわせると指定弁護士が主張する客観的事実
・陸山会の不動産購入で元代表が自己資金を提供したのは問題の土地だけ
・元秘書らは問題の土地購入の前年までの不動産購入や賃料払いをほぼ正確に収支報告書に記載していた
・元代表は土地購入の際に4億円を提供しているのに、同額の銀行融資の申込書類に署名・押印している
・4億円を提供したのに国会議員の資産報告書に記載しなかった
・元秘書らには、元代表提供の4億円を政治資金収支報告書に記載しなかったり土地登記の延期や銀行融資を受ける動機はない
・問題の土地が元代表名義になっていることについて「政治資金を使った蓄財」と報道され、07年2月の記者会見で自分が土地の所有権を持たないとする偽の「確認書」を公表した
・07年2月に週刊誌から土地問題を質問され、元秘書が作成した回答書に目を通した上で「購入原資は銀行融資」と修正した
・週刊誌報道などの後の07年5月、陸山会など関連政治団体に返済余裕がないのに4億円が返済され、07年分収支報告書に記載されなかった
・05年3月にも陸山会に現金4億円を交付し、同年5月に返済を受けたがいずれも簿外処理された
■証拠採用された池田元秘書の検察官調書の内容
・05年分収支報告書の提出前に「04年に支払った土地代金を05年分収支報告書に記載している」と説明すると、元代表は「ああ、そうか」と了解した(10年1月20日付調書)
毎日新聞 2012年3月9日 東京夕刊
2012.3.9 13:02 (1/5ページ)[小沢被告 第15回]
(10:00~11:00)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判が9日、東京地裁(大善文男裁判長)で始まった。検察官役の指定弁護士による論告求刑が行われる。求刑は午後になる予定だ》
《地裁は、虚偽記載に関する小沢被告への「報告」と「了承」を認めた元秘書らの供述調書の大部分を却下。指定弁護士側は有罪として刑を求める方針だが、共謀を裏付ける直接証拠がほぼ失われた中、どのような構図を描くのか注目される》
《指定弁護士側は「調書が採用されないのは想定内。証拠は十分にそろっている」と立証に自信をみせており、小沢被告が土地購入に際し、銀行の融資書類に自ら署名した事実や、土地原資の4億円を用立てながら、元秘書からの報告について「記憶にない」と繰り返した法廷での説明の不合理さなどを強調。間接証拠を積み上げて、小沢被告の関与を印象づけたい考えだ》
《法廷はいつもと同じく、東京地裁最大規模の104号。小沢被告が入廷する。紺のスーツに白いシャツ、鮮やかなブルーのネクタイ姿だ。裁判長に一礼して弁護側の席に座った。いつものように目を閉じた》
裁判長「それでは開廷します。新たな証拠請求はありませんね。双方から意見を伺います。指定弁護士から論告を開始してください」
《弁護側に紙が配られたのを見届けた上で、指定弁護士が席を立った》
《指定弁護士は起訴内容を改めて朗読したうえで、検察審査会の議決の有効性について論じ始める。弁護側が、虚偽の捜査報告書の内容などをもとに行った起訴議決は「無効」と主張しているためだ》
指定弁護士「まずそもそも、検察審査員が証拠の信用性について錯誤に陥った、すなわち証拠評価を誤ったとしても、そのために検察審査会の議決が無効になることはない、というべきである」
「検察審査会に提出される証拠は、反対尋問などにさらされて、その信用性について十分吟味されたものとはかぎらない」
「捜査関係者や裁判関係者であっても、証拠の信用性に関する判断を誤ることはあり得る」
「いわんや、専門家でない一般市民である審査員が、証拠の信用性につき、判断を誤り錯誤に陥ることはあり得ることである」
《指定弁護士は淡々と朗読を続ける》
指定弁護士「検察審査会法には、検察審査会の議決が無効となる場合の定めはない。検察審査会の手続きが違法であった場合は、別途の考慮が必要となるとしても、少なくとも、それ以外の事由で議決が無効になることは予定されているとは到底考えられない」
「検察審査会のよる起訴議決がなされた場合には、裁判所は取り調べに証拠を総合して評価し、その上で事実の証明がないとの判断に達したのであれば、判決で無罪を言い渡すべきであり、それで足りると解すべきである」
《起訴議決は有効と主張する指定弁護士。続いて、採用された証拠をもとにした事件の構図について説明を始める。まずは小沢被告らの経歴からだ》
指定弁護士「被告人は昭和44年12月の衆院選で初当選し、その後現在に至るまで連続して当選している。選挙区は岩手第4区。自民党内のいわゆる派閥である経世会の会長代行を務めた経験を有している」
「(元秘書の)石川知裕(衆院議員)は、早稲田大在学中の平成8年2月に被告の書生となり、住み込みで被告の私邸周辺の道路や小鳥の小屋の掃除、散歩のお供などの書生仕事をするようになった。12年11月以降は、経理の知識はなかったものの、赤坂事務所で経理を担当した」
《続いて政治団体の説明をする》
指定弁護士「(陸山会、誠山会、小沢一郎政経研究会、小沢一郎東京後援会、民主党岩手県第4区総支部の)本件5団体は形式的には別個の政治団体として設立されているが、実態としては一体として活動。陸山会は個人献金、第4区総支部は企業献金、政経研究会は政治資金パーティー収入を受け入れている」
「これら3団体が収入のある団体で、これらの収入を資金が足りない団体に移動していた。支出内容は、陸山会がその多くが不動産関連、政経研究会はパーティー関連、東京後援会と誠山会が主として人件費や経費を負担していた」
「資金を外部に出す場合には被告ないし大久保隆規(元秘書)の指示に基づき行われた。被告個人の資産と5団体の資産とは一応峻別され、5団体の銀行口座に個人資産を預けることはなかった」
《収支の記録については女性秘書らがパソコンに入力。収支報告書の提出期限の3月末までに誤りがないか領収書などと突き合わせを行い、大久保元秘書に報告書の原案を見せて、中身を確認していた、と説明した》
指定弁護士「大久保(元秘書)は『江戸家老』として、東京の秘書らの福利厚生にも目を配りながら、(秘書らの)家族用の寮を建設することを考えており、平成16年夏ごろには被告の賛同を得ていた」
《問題の土地購入に経緯について説明を始める》
指定弁護士「被告は数日後、散歩の折に現地を確認したが、良いところだと思う旨を大久保(元秘書)に伝え、陸山会でその土地を購入することを了承した」
「大久保(元秘書)は『師匠』である被告に気に入ってもらえたことで誉れにも感じ、購入の話を進めるための準備に入った」
「大久保(元秘書)は平成16年9月下旬ごろ、石川(議員)にその資金として4億円を用立てられるか確認。石川(議員)は『5団体の政治資金をかき集めれば4億円をそろえることはできるかもしれませんが、運転資金が心許なくなる』と答えた」
「大久保(元秘書)と石川(議員)は、被告のところに赴き、事情を説明して4億円を借り入れることを申し入れたところ、被告から『戻せよ』といわれて、4億円の貸し付けを受けられるようになった」
《土地購入の手続きは石川議員が担当。16年10月に売買契約を締結したという》
指定弁護士「石川(議員)は10月5日に本件土地の売買契約書を締結し、手付金を支払うとともに、この事実を被告に報告した」
《小沢被告の法廷での証言と異なる部分だ》
指定弁護士「被告は16年10月12日ごろ、石川(議員)に、現金の用意ができたので、元赤坂タワーズに取りに来るように連絡。石川(議員)は同日、自動車で受け取りに行った」
《指定弁護士は、石川議員がその後、4億円から不動産の手付金を引いた額を12回にわたって、5銀行6支店の陸山会名義の口座に分散して入金したと説明する》
指定弁護士「石川(議員)は10月20日すぎまでに、売買契約の決済を翌年に先送りして土地取得の事実の公表を遅らせて、17年分収支報告書に記載したほうが良いと考えた」
《指定弁護士の論告によると、石川議員や大久保元秘書は司法書士に相談し、17年1月7日に所有権の本登記をすることを決定。陸山会の4億円を定期預金にし、それを担保に小沢被告名義で4億円を銀行から借り入れることを計画するが、その手続きが終わる前の、16年10月29日午前10時17分ごろまでに土地代金は支払われ、決済はすべて終了する》
指定弁護士「石川(議員)は、りそな銀行衆院支店の担当者から、借り入れのために必要な融資申込書や約束手形書類を受け取り、(16年12月29日)昼ごろ、被告と面談して被告の署名を受ける」
《指定弁護士が客観証拠としてあげる重要なポイントだが、文言は意外なほどにあっさりしている。その後、石川(議員)は午後1時すぎに定期預金を設定。銀行から借り入れを受けた4億円を小沢被告の口座から引き出した》
指定弁護士「陸山会が設定した4億円の定期預金の利率は0・03%。この定期預金を担保にした4億円の貸し付けは利率1・125%で、利息額は453万6986円だった」
《小沢被告はときおり、指定弁護士側から渡された論告の紙に目を通しながら、じっと押し黙って座っている》
「荒唐無稽な弁解」「弁護人のひとつのアイデア」元秘書説明の不可解さ指摘
2012.3.9 15:44 (1/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
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(11:00~12:00)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、検察官役の指定弁護士による論告が続けられている》
《論告を読み上げる指定弁護士が山本健一氏から、村本道夫氏に代わった。抑揚を付けて読み上げていく》
《指定弁護士側は、まず争点の整理を行う。小沢被告が16年に提供した4億円の収支報告書への不記載。また、その4億円を原資として、平成16年に行った土地代支出を、17年分の収支報告書にずらしたことの2点について、弁護側と食い違うポイントを丁寧に説明していく》
《いずれも小沢被告と、16年担当の元秘書、石川知裕衆院議員=1審有罪、控訴中、17年担当の池田光智元秘書=同=との間に、共謀があったと立証したい狙いだ》
《まずは16年の4億円の不記載について、石川議員の供述についての検討を行う》
《指定弁護士は、16年の収支報告書にある4億円の借り入れの記載について、石川議員が自らの裁判では「小沢被告の4億円」としていたにもかかわらず、今回の公判では小沢被告の4億円と、りそな銀行から借りた4億円は「ひとつ」であり、「どちらを記載したかいうのは困難」と証言を覆したことについて指摘する》
指定弁護士「このような趣旨不明の供述をするのは、自らの罪責を逃れつつ、被告の弁護人の主張にも沿うような、荒唐無稽な弁解をしているにすぎず、検討に値しない」
《続いて池田元秘書の供述について言及する》
指定弁護士「池田(元秘書)は(小沢被告が提供した)本件4億円が無利息で返済期限の定めがなく、契約書面も作成されていないので、保釈後、弁護士の示唆によって『預かり金と思った』と供述する」
「しかし、池田(元秘書)は、りそな銀行の陸山会口座を始め、政治5団体の資金状況を十二分に把握していた。現に動きのある5団体の口座に混同させて、どこにあるか分からない預かり金とすることなどはおよそ考えられない」
「虚偽記入の故意を否定し、自らの罪責を免れようとするものであって、客観的な証拠に符号せず全く信用できない」
《指定弁護士は弁護側の主張の検討も行う。弁護側は石川議員が秘書の立場として小沢被告から4億円を受け取ったのであり、陸山会が借り入れたものではなく、さらに、りそな銀行の定期預金も小沢被告に権利が属すると主張する》
指定弁護士「石川(議員)は、陸山会で本件土地を購入するに当たって、その代金支払いのために被告に本件4億円の借り入れを依頼したものであり、しかも借り入れに当たって、被告から『戻せよ』と言われている」
《さらに指定弁護士は、石川議員が小沢被告から本件4億円の交付を受けた後、陸山会の金庫にしまいこみ、手付け金の一部を補填していることなどを挙げ、断言する》
指定弁護士「本件4億円が被告からの借入金ではなく、本件定期預金になっていて、被告が所有するものであるなどとは到底解することはできない」
《さらに、指定弁護士は小沢被告からの4億円を、池田元秘書が2年間かけて返済していることについて言及したうえで、こう指摘する》
指定弁護士「弁護人の主張は、実際には実行されなかったが、選択可能であったひとつのアイデアにすぎない」
「被告が用立てた4億円を『溶かさない』効果があるわけでもなく、何の実益もない」
《また指定弁護士は、石川議員が土地登記の先送りしたことについて説明した証言の不自然さについても追及する》
指定弁護士「石川(議員)はこれまで民主党代表選うんぬんと供述していたが、当公判では(前任の)樋高(剛議員)から政治状況についての判断を言われたからだと供述を翻した」
「曖昧模糊とした話で、具体性が全くなく、本件売買契約の決済のわずか数日前に、突然、しかも最終的に代金を全額支払い、登記以外のすべての契約条項の履行を完了しながら、登記を翌年送りにして、翌年の収支報告書に記載しなければならない理由があったとは考えにくい」
《こうした上で、指定弁護士は4億円の不記載や虚偽記載について、力を込めた》
指定弁護士「確定的故意が成立したことが明らかである」
《小沢被告はときおり時計を見ながら、指定弁護士の声に耳を傾けている。裁判長が休廷を宣言した。午後1時半から再開される》
「ああ、そうか」は事前了解と指摘
2012.3.9 16:18 (1/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
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(13:30~14:30)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、約1時間半の休廷を挟み、審理が再開された。午後も指定弁護士の論告の読み上げが続けられる》
《大善文男裁判長が小沢被告に入廷を促した。小沢被告は裁判官らに一礼し、疲れた表情も見せず、しっかりした足取りで自分の席に向かった》
《指定弁護士は土地の取得とその購入代金を、平成16年ではなく17年の収支報告書に記載したことの問題点の説明を始めた。小沢被告は隣に座る女性弁護士と小声で会話を少し交わした後、立ち上がって論告を読み上げる指定弁護士のほうに視線を向けた》
《指定弁護士側は、土地の所有権移転登記は16年10月29日に行われる予定になっていたが、陸山会の申し入れで、29日は仮登記にとどまり、本登記は17年1月7日に持ち越されていたと説明。この延期で、17年分の固定資産税が売り主に課税されるが、その分を陸山会が負担することで合意していたと指摘した。購入代金の支払いは29日に完了している》
指定弁護士「本登記を翌年送りにした時点で(元秘書の)石川(知裕衆院議員)は16年の収支報告書には購入代金の支払いなどを記載しないことを決め、17年3月に作成した収支報告書には記載しなかった」
「池田(光智元秘書)は石川から引き継ぎを受けた17年7月までに、17年分収支報告書に記載することを決め、18年3月に作成した17年分収支報告書に購入代金の支払いなどを記載しなかった」
《指定弁護士側は民法の解釈上、16年10月29日が土地の所有権移転の時期であることは明らかとして、16年分収支報告書に取得した土地を資産として記載すべきだったと主張した。また、16年10月29日には3億5261万円が支払われているが、この支出についても16年分に記載すべきだったと述べた》
《続いて、小沢被告が石川議員、池田元秘書と共謀関係にあったことについて話が移る。小沢被告の指示・了解のもとに一連の会計処理などが行われたことを、2人とのやりとりなど、さまざまな間接事実を積み上げ、明らかにするつもりのようだ》
指定弁護士「4億円を収支報告書に記載しなかったことの基本的な目的は、被告が4億円を拠出することが露見することを隠す目的があった」
「10月12日に被告から提供を受けた4億円の大半に当たる3億7492万円を28日までに陸山会の銀行口座に集約したが、その時点での陸山会の残高は4億3千万円を超えており、翌日の決済に必要な額は超えていた。銀行から借り入れしなくても決済は可能だった。決済で運転資金の不足を生じさせることはない。むしろ年間450万円の金利負担が生じる」
「ああ、そうか」は事前了解と指摘
2012.3.9 16:18 (2/3ページ)[小沢被告 第15回]
自宅を出る民主党の小沢元代表=9日午前8時32分、東京都世田谷区
「一連の行動から、4億円を原資として土地を購入したことを隠蔽する方針は16年10月から一貫しており、16年分収支報告書に記載しなかったこともその方針の一環だ」
《また、小沢被告が4億円の存在を秘書にも明らかにしていなかったことも指摘。4億円が保管されていた居室は、秘書にも関与させず、個人資産を隔離しようとする小沢被告の意志が徹底されていたという》
指定弁護士「結局、多額の現金を手元に置く理由は、多額の資金を有していること自体を第三者の目に触れさせることなく、これを隠そうとしていたものと解するほかない」
《借り入れは本来、必要なかったにもかかわらず、4億円を隠すために借りたと主張する指定弁護士。小沢被告は身動きもせず、じっと耳を傾けていた》
指定弁護士「借り入れは、陸山会にとって何ら必要のないもの。その目的は購入資金が被告の本件4億円であることの露見を避けるためであること以外にない」
「4億円を提供したことを知っている被告が、土地購入という同一目的のために多額の金利負担が生じる借り入れを承諾することは、それは被告の指示に基づくか、すでに指示・了解しているものでないかぎり、あり得ない」
「石川(議員)が借り入れの詳しい説明をしなかったことは、あらかじめ被告の指示・了解を得た上での行為でないかぎり、ありえない」
《さらに、指定弁護士は、4億円の趣旨について、メディアから「公私混同」と批判がでることが予想されながら、その趣旨を明らかにする措置を一切とっていないことも、4億円の提供が表に出ないことを、小沢被告自身が十分に理解していた証拠だと述べた》
指定弁護士「被告に相談することなく、代金全額を支払いながら、登記前に不測の事態に巻き込まれた場合、担当者として強く叱責されるだけでなく、責任を免れる余地はなくなる。その責任の重大さはなおさらである」
「石川(議員)はほぼ毎朝、被告と会っており、本登記を先送りし、代金全額を支払う処理をすることを隠す理由などは全くなかった。被告の指示・了解なしに、このような処理をすることは絶対になかったというべきである」
《小沢被告はこの公判で、「報告は受けていなかった」と繰り返している。石川議員も法廷で、登記を翌年に回すことは報告していないという趣旨の証言した。だが、指定弁護士は法廷での証言が不自然であることや、捜査段階で石川議員が「報告しています」と供述していることなどから、「報告があったことは明らか」と述べた》
《指定弁護士はさらに、石川議員から引き継いだ池田元秘書が、16年に支払った土地代金を17年分の支出として計上したことについて報告したときも、小沢被告が「ああ、そうか」といって、特にその処理をした理由について質問しなかったことも、事前に指示・了解していたからだと指摘した》
《陸山会の収支報告書に不記載や虚偽記入をする理由は、元秘書らにはないと説明する指定弁護士。逆に責任者として、処罰をうける可能性があると付け加えた。陸山会は16年以前にも、不動産を多数購入しているが、収支報告書に意図的な不記載や虚偽記載はない》
指定弁護士「取引は、被告が陸山会に対し、4億円の債権がある痕跡を薄くし、土地に関する陸山会の所有権にリスクを生じさせ、無意味に多額の金利負担を強いるなど、通常の処理をしている場合に比べ、被告・陸山会に不利なものがある。しかし、これにより、石川(議員)らは何らかの利益を得るわけではない」
「被告の関心が強い土地の購入に関し、不利益をこうむるリスクを負う被告の指示・了解なしに、独断でこのような操作をする動機が石川(議員)らにはない。いかなる意味でも、石川(議員)らが、被告の指示・了解なしに自らの判断だけで、取引自体を操作し、収支報告書に虚偽記入をする可能性はない」
《続いて、指定弁護士は小沢被告と元秘書の間に共謀共同正犯が成立することを立証しようとする》
指定弁護士「(4億円の分散入金や登記の先送りなどの)平成16年10月になされた一連の工作は、16年分の収支報告書に4億円を記載せず、17年分に土地代の支出などを記載するための外形作り、ないしは操作である」
「これが被告の指示・了解のもとに石川(議員)によって行われたことは明らかであり、被告と石川(議員)との間では16年10月に、共謀が成立していたことがゆうに認められる」
《指定弁護士はその理由について説明を始める》
指定弁護士「16年10月29日、石川(議員)は被告のもとを訪れ、(銀行から4億円を)借り入れるための融資申込書などの書類への署名を求めた。この日は土地取引の決済日であり、被告に隠すべき事情も、報告を制限される事情もないのに、その報告をしないことは到底考えられない」
「しかも、本件土地の本登記は翌年1月7日に先延ばしして、それにもかかわらず代金を支払うという異例の措置をとっていた」
「また、すでに(小沢被告が提供した)本件4億円を利用して土地代金の全額を決済したにもかかわらず、さらに4億円を借り入れるのであるから、なぜ必要なのかについて被告の了解が得られない限り、被告の署名を得ることは不可能である」
「被告と石川(議員)との共謀は16年10月になされ、石川(議員)はこの共謀に基づき収支報告書を作成したのだから、被告に刑事責任があることは明らかだ」
《指定弁護士は、やや早口で小沢被告の関与が共謀にあたるという主張を述べていく》
指定弁護士「被告が石川(議員)らを指揮命令する立場にあり、犯行を止める地位にあることは疑いない。石川(議員)らの犯行が、被告に対する批判を回避するためになされたものであろうことは容易に認められる」
「被告の法廷での供述は、きわめて不自然で、証拠上も明らかに事実と反している部分があり、到底信用できない。責任回避のための虚言だ」
《小沢被告はほとんど身動きすることなく、じっと指定弁護士の読み上げを聞いていた》
「規範意識が鈍磨」「再犯の恐れ大きい」指定弁護士、“剛腕”を追及
2012.3.9 17:24 (1/5ページ)[小沢被告 第15回]
検察官役の指定弁護士による論告を聞く小沢一郎被告(中央)=9日、東京地裁(イラスト・井田智康)
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(14:30~14:50)
《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第15回公判は、検察官役の指定弁護士による論告が続いている》
《指定弁護士は、小沢被告が公判で政治資金収支報告書の作成、提出は秘書に任せていたと証言した点の矛盾をついていく》
《土地購入についても同じで、秘書に任せ、報告を受けていないと主張していた。指定弁護士は、小沢被告が陸山会の代表であり土地購入のために個人資産から4億円もの巨額な資金を提供したことを挙げて追及する》
指定弁護士「(秘書から報告を受けていないとするのは)あまりに不自然な供述である」
《こう主張した上で、指定弁護士は、小沢被告が法廷で証言した言葉を読み上げる》
指定弁護士「『僕は任せた以上は、自分の判断でやれという風な主義の方ですので、たぶんそういう僕の気質とか考え方を知っていますので、事務的な部類の話はする必要はないという意識でいたと思います』」
「『石川も僕の性格を知っておるので、石川も、そういうことは必要ないと思ったのではないかという風に思うということです』」
《引用したのは、この2つで、指定弁護士は続ける》
「しかし、石川(議員)は、これに沿う供述はしていない」
《公判で石川議員は、小沢被告について「方針がおおざっぱであるか、細かいかはケース・バイ・ケースだ。また費用は常々節約を心がけるように指導していた」などとしていた》
指定弁護士「石川(議員)は『事務的な報告をしない』などとは全く供述しておらず、被告が供述するような、被告と秘書との関係は認められない」
《土地の売買契約についても、石川議員は「報告したと思う」と証言していたことなどを挙げ、任せきりにしていたとする小沢被告の証言は「虚偽」であると主張した。さらに、会計処理についても、池田光智元秘書=1審有罪、控訴中=の公判での証言を元に矛盾点を追及し、動機の考察に進む》
《弁護側は、小沢被告に「動機がない」と主張する。指定弁護士は、政治資金規正法違反罪の成立には、動機の有無は必要ないとしながらも、これについて反論していく》
《小沢被告が秘書らに用立てた4億円。その後に4億円を担保にりそな銀行から4億円の融資を受け、土地購入代金を支払いながらも、登記は翌年にずらす…》
指定弁護士「被告の動機は、それまでだれにも、その存在を明らかにしなかった、巨額の資金(秘書らに用立てた4億円)を有していること、およびそれを利用して、本件土地購入したことがあらわになることを避けたいというものであったことは明らかである」
《指定弁護士は、こう主張した後、犯行の悪質さについて言及した》
《政治資金規正法は、政治団体の会計責任者に対し、不実の収支報告書を作成することを刑罰をもって禁止している。代表者に対しては会計責任者が不実の収支報告書を作成することのないように、選任監督にあたり注意を尽くすことを求めている。この点を強調した上で指定弁護士は語気を強める》
指定弁護士「具体的にいかなる注意を払ったかについては、担当者を信じていたというのみで全く説明できていないだけでなく、具体的な指導はしていない旨、居直りともいうべき供述をしている」
「この供述が事実だったとすれば、法の著しい軽視であることは明らかだ。また、これが責任回避のための虚言だったとしても、責任回避のため法の要請を無視している旨、公開の法廷で供述すること自体が、法軽視の意識の反映である」
《指定弁護士は、小沢被告が公判で自らが関与しなかった理由について、「私の関心と仕事は、ちょっと口はばったい言い方をすれば、天家国家の話でありまして、それに集中する日常を送っています」「私にはもっともっと大事な関心を集中して、努力を集中してやらなければならない政治上のことがある」と主張したことを挙げて追及する》
指定弁護士「全国民を代表する選挙された議員として、国権の最高機関にして唯一の立法機関である国会の一員たる衆院議員が天下国家の話に関心を集中し、これに努力を集中することは当然であり、これはひとり、被告に限り要請されていることではない」
《小沢被告はときおり顔をしかめながらも、指定弁護士の主張に耳を傾ける》
《指定弁護士は、政治資金規正法の趣旨を説明する》
指定弁護士「政治団体と公職の候補者が行う政治活動が、国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治資金の収支の公開や授受の規制によって、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的としている」
《指定弁護士は続ける》
指定弁護士「国会議員である資金管理団体の代表者が天下国家の話に関心と努力を集中すべき選挙された議員であることを前提として、そのような資金管理団体の代表者に対して、目的に沿って不実の収支報告書が作成されないよう、会計責任者の選任監督にあたり注意を尽くすように命じている」
「(小沢被告は)その趣旨を十分に知りながら、天下国家の話に関心と努力を集中しているからとの理由で、政治資金規正法の命ずる選任監督責任を具体的には何もしない旨、公言することは政治資金規正法の軽視であることは明らかである」
《さらに、指定弁護士は小沢被告の公判での証言を紹介する》
《小沢被告は「政治資金規正法は収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、その他の政治団体の会計責任者が総務省、あるいは都道府県選管に自主申告して、収支報告書を修正することが大原則」「贈収賄、脱税、横領など実質犯罪を伴わない単純な虚偽記載は、後に修正すれば足り、そもそも刑事責任を問うべきではない」としていた》
指定弁護士「収支報告書の不記載、虚偽記入の罪は、被告がいう実質犯罪を伴うか否かにかかわらず成立し、政治資金規正法は『実質犯罪』を伴い場合であっても刑罰に臨むことを規定している」
「被告の主張が、政治資金規正法についての独自な解釈であることはいうまでもない。政治資金規正法を自らの都合に合わせて解釈している点も、被告の規範意識が著しく鈍磨していることは明らかである」
《また、元秘書らが自らの公判で平成16年分、17年分の収支報告書の虚偽記載で有罪判決を受けたことにも言及する》
指定弁護士「1審とはいえ、同人(元秘書)らが作成した収支報告書が事実と異なることを裁判所によって認定された。被告は、そのような判決を自らの秘書らが受けた後にあっても収支報告書を見ていないなどと強弁した」
「しかるに被告は、この判決を受けた後でも、なおまだ収支報告書を見ていないと供述しているのであり、このような供述をすること自体、その真偽如何にかかわらず、被告として(収支報告書の)修正の要否を検討する意思がないことを示している」
《指定弁護士の追及は止まらない》
指定弁護士「被告は刑事責任を回避するため、不合理な否認を繰り返し、反省の情は全くない。規範意識の鈍磨とあいまって、再犯の恐れは大きいといわざるを得ない。確かに、被告は長年にわたって選挙民に支持され、長く衆議院議員の地位にあり、政治家として重要な地位を占め、大きな影響力を有している」
「しかし、であればこそ被告には、国民のみならず他の国会議員の模範となる行動が求められるというべきであり、それを裏切って本件犯行に及んだ以上、長く国政に尽力したとの事情を被告に有利な情状とすることは妥当ではない」
《こう締めくくった後、指定弁護士は一瞬、間を置いた。いよいよ始まる求刑に廷内に緊張が走る》
指定弁護士「被告人を禁固3年に処するのを相当と思料する」
《小沢被告は、目を閉じて微動だにしない》
裁判長「今日の審理はここまででよろしいですね」
《ここでようやく小沢被告は目を開き、軽くうなづいた。裁判長が今後の審理予定を説明した後、約3時間半にも及ぶ論告求刑公判は終わった》
小沢元代表、法廷:大詰め迎え廷内緊張 書面100ページ超、読み上げ
昨年10月に東京地裁で始まった民主党元代表、小沢一郎被告(69)の公判は9日、大詰めの論告を迎えた。これまでに計14回開かれた法廷で取り調べられた証拠を基に、100ページを超える膨大な書面で政界実力者の有罪を訴える、検察官役の指定弁護士。緊張感が張り詰めた法廷に響く朗読に、元代表、弁護団、裁判官がじっと耳を傾けた。【石川淳一、山本将克】
午前10時、東京地裁104号法廷。大善文男裁判長に促され、指定弁護士が朗読を始めた。「起訴の適法性についての弁護人の(違法との)主張に理由がないことを明らかにした上、収支報告書の記載の虚偽性、被告の共謀について弁護人の(共謀がないとの)主張に理由がないことを論証し、被告に科されるべき刑について意見を述べます」
淡々とした口調ながら、元代表提供の4億円の虚偽記載を「全てが被告の指示、了解の下に行われた不記載に端を発し、その隠蔽(いんぺい)、偽装工作として(元秘書により)実行された」と厳しく指摘。公判で虚偽記載を否定した元秘書の衆院議員、石川知裕被告(38)の証言を「公判に至って趣旨不明の供述をするのは自己の罪を逃れつつ荒唐無稽(むけい)な弁解をしているに過ぎず、検討に値しない」と一蹴した。
小沢元代表は紺のスーツに青色ネクタイ姿で、弁護人に挟まれる形で着席。論告読み上げ前には分厚い書面が弁護人席に配布され、元代表の前にも置かれた。
だが、元代表は書面に手を伸ばさず、読み上げ中は厳しい表情を浮かべたまま。正午過ぎの休廷までほとんど身動きしなかった。
◇強気の指定弁護士 複数の客観事実存在
有罪立証の柱だった元秘書で衆院議員、石川知裕被告(38)の供述調書の証拠採用を却下された検察官役の指定弁護士だが、この日の公判でも強気の構えを崩さず論告を淡々と読み上げた。再構築した立証の柱は、小沢元代表との間の「報告・了承」を認めた元秘書、池田光智被告(34)の一部調書のほか、元代表の関与をうかがわせる複数の客観的事実の存在、それに基づく法廷での証言などだ。
問題となった土地を購入する際、元代表は4億円を提供しながら自分名義の同額の銀行融資の書類に署名・押印。この銀行融資を指定弁護士は「石川議員が4億円提供を隠すために行った偽装工作」と位置付けている。
石川議員は昨秋の証人尋問で「『お預かりした4億円で預金担保を組み、それでお支払いします。預金担保の書類です』と(元代表に)説明した」と証言。だが、元代表は1月の被告人質問で「(石川議員から)サインしろと言われたからサインした」「具体的な説明を受けた記憶がない」「銀行とどうするかとかは担当者の裁量の範囲内」などと説明し、石川議員の証言とのズレが鮮明になった。
また、指定弁護士の冒頭陳述によると、巨額の「事務所費」が問題となった後の07年2月、元代表の事務所は週刊文春から土地問題の取材を受け、池田元秘書が作成した回答書案に目を通した元代表は「購入原資は銀行融資」と修正させた。池田元秘書は証人尋問で修正指示を認めたが、元代表は被告人質問で「池田に何かを指示した記憶はない」と否定。「当時は不動産所有に関しマスコミから多数問い合わせがあり、正確な記憶があるわけではない」と述べた。
指定弁護士は冒頭陳述の約3分の1を客観的事実の提示に費やし、証人尋問や被告人質問でも時間を割いた。地裁がどのように評価するかが注目される。【和田武士】
■小沢元代表の関与をうかがわせると指定弁護士が主張する客観的事実
・陸山会の不動産購入で元代表が自己資金を提供したのは問題の土地だけ
・元秘書らは問題の土地購入の前年までの不動産購入や賃料払いをほぼ正確に収支報告書に記載していた
・元代表は土地購入の際に4億円を提供しているのに、同額の銀行融資の申込書類に署名・押印している
・4億円を提供したのに国会議員の資産報告書に記載しなかった
・元秘書らには、元代表提供の4億円を政治資金収支報告書に記載しなかったり土地登記の延期や銀行融資を受ける動機はない
・問題の土地が元代表名義になっていることについて「政治資金を使った蓄財」と報道され、07年2月の記者会見で自分が土地の所有権を持たないとする偽の「確認書」を公表した
・07年2月に週刊誌から土地問題を質問され、元秘書が作成した回答書に目を通した上で「購入原資は銀行融資」と修正した
・週刊誌報道などの後の07年5月、陸山会など関連政治団体に返済余裕がないのに4億円が返済され、07年分収支報告書に記載されなかった
・05年3月にも陸山会に現金4億円を交付し、同年5月に返済を受けたがいずれも簿外処理された
■証拠採用された池田元秘書の検察官調書の内容
・05年分収支報告書の提出前に「04年に支払った土地代金を05年分収支報告書に記載している」と説明すると、元代表は「ああ、そうか」と了解した(10年1月20日付調書)
毎日新聞 2012年3月9日 東京夕刊
2012年1月27日金曜日
京都の酒蔵
メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府京都市伏見区新町11-337-1
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京都府京都市伏見区新町11丁目337-1
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キンシ正宗
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京都府京都市伏見区南浜町247
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京都府京都市伏見区南浜町247
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月桂冠
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京都府京都市伏見区山崎町343
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京姫 匠
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京都府京都市伏見区京町1-285
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「鷹取」、「千代宝」
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京都府京都市伏見区上油掛町36-1
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「神聖」、「松の翠」
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京都府京都市伏見区下鳥羽長田町135
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月の桂
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京都府京都市伏見区南寝小屋町59
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「豊祝」、「蔵纏」
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京都府京都市伏見区村上町370番地6
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「富翁」、「乾風」
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京都府船井郡京丹波町本庄ノヲテ5
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長老
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京都府宮津市由良949
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「白嶺」、「酒呑童子」
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メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府京都市伏見区横大路畔之内町8
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京都府京都市中京區三条通猪熊西入御供町302
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京都府京都市右京区京北周山町下台20
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初日の出
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京都府京丹後市丹後町中浜643
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旭桜
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京都府京都市伏見区横大路下三栖梶原町53
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黄桜
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京都府福知山市野花1
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京都府綾部市物部町東町筋22
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京都府伏見区島津町26
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京都府亀岡市紺屋町26
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この花桜
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京都府京丹後市弥栄町溝谷1139
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吉野山
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メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府相楽郡山城町大字綺田小字出垣外93
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京都府京都市伏見区下板橋町630-3
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美山
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京都府京都市伏見区東堺町545-2
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玉乃光
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京都府京丹後市久美浜町45-1
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久美の浦
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京都府伏見区下鳥羽北ノ口町78番地
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京都府与謝郡伊根町平田67
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京の春
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京都府京都市伏見区向島橋詰町787-1
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京都府京都市上京区北伊勢屋町727
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「聚楽第」、「古都」
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京都府与謝郡与謝野町加悦奥130
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京自慢
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京都府京都市丹波町富田坪井55
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メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府京都市伏見区下鳥羽小柳町40-1
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京都府綾部市志賀郷町町の下23-1
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京都府綾部市味方町薬師前4
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「綾小町」、「星降る夜の夢」
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京都府京都市伏見区舞台町16
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招德
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京都府京都市左京区吉田河原町1-6
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松治神蔵/富士千歳/京千歳/金瓢
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京都府京都市伏見区東堺町472
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明君
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京都府京都市伏見区横大路三栖大黒町7
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「桃の滴」、「日出盛」
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京都府京都府城陽市奈島久保野34-1
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「城陽」、「建都」
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京都府相楽郡山城町大字綺田小字出垣外33-1
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京都府亀岡市稗田野町佐伯字垣内亦13
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京都府亀岡市稗田野町佐伯13
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「翁鶴」、「酒伝 鬼ころし」
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メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府京丹後市大宮町奥大野226
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梅門若竹
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京都府与謝郡与謝野町与謝70-2
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「芝の井」、「丹後王国」
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京都府舞鶴市字中山32番地
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池雲
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京都府京丹後市弥栄町溝谷3622-1
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弥栄鶴
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京都府京都市伏見区東堺町474
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「鶴正宗」、「京都 五山の四季」
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京都府京都市伏見区御駕篭町151
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都鶴
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京都府京都市伏見区塩屋町223
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東山
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京都府福知山市上野115、116、117番合地
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「福知三萬二千石」、「武勇」
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京都府京都市伏見区今町672-1
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「蒼空」、「万壽長命」
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京都府京丹後市大宮町周枳954
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白木久
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メーカー名
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所在地
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見学施設名
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所在地
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代表銘柄
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京都府京都市伏見区三栖町3-838
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京都府京都市伏見区東組町698
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慶長
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京都府京丹後市峰山町泉15
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「麗峰・米だけの酒」、「天地人力」
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京都府京都市伏見区寝小屋町52番の6
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京都府京丹後市久美浜町甲山1512
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玉川
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京都府与謝郡与謝野町与謝2-2
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与謝娘
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京都府京都市伏見区横大路三栖山城屋敷町105
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英勲
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京都府京都市伏見区丹後町 148-1
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白菊水仕込み伏見銘酒
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