2010年7月7日水曜日

【沖縄密約】 有効な抑止力

沖縄の核撤去 抵抗 政府が外交文書公開
米、68年復帰交渉で 外務省幹部 「本土並み」に消極的
2010年7月8日 10時01分

 【東京】1972年の沖縄返還をめぐる交渉で、米側が「核抜き」に強い難色を示していたことが、7日公開された日本側の外交文書で裏付けられた。記録によると1968年5月、当時の三木武夫外相とジョンソン駐日大使の会談で、大使は在沖米軍基地を置く目的を日本のほか韓国、台湾、フィリピン地域での「抑止」であると説明し、「核を含む豊富な対応措置をとりうる」ことが抑止力だと強調していた。

 三木外相は、会談前に別の極秘文書で「核抜き・本土並みをぶつけたい」と外務省幹部に漏らした記録があるが、幹部は「慎重な再検討」を求め消極姿勢を示した。

 しかし、外相は大使との会談で、国内世論が「圧倒的に『核抜き・本土並み』に固まりつつあるようだ」と言及。日本としては世論などを踏まえ対応を決める必要があるとし、核撤去を求める意向を示唆した上で、核撤去が「極東の安全保障にどれほどの支障があるのか軍事技術的な観点から説明を聞きたい」としていた。

 これに対し、大使は北朝鮮が「米国の反撃力を常に注視している」とし、核能力を備えた現状戦力の維持が必要だとの考えを示した。さらに「日米間の明確な合意で沖縄に核がないと共産側に知られれば、戦争抑止力を低下させる」とけん制し、日本側に再考を促した。

 その上で、軍事技術の進歩で沖縄の核は撤去しうるとの当時の日本国内世論に対し「(そうなれば)戦略核使用に至らない対応措置はとれなくなり、抑止力の有効性を損なう」が、日本はそれでよいかと厳しい表現で三木外相に迫っていた。

 日米両政府は翌年11月に「核抜き」返還で合意。一方で有事には核兵器を沖縄に再持ち込みする秘密合意を両国首脳間で交わしたことが明らかになっている。

 7日に公開されたのはこれら沖縄返還交渉のほか、沖縄の軍用地接収・返還や補償について収集した日本側資料など29冊と、日米安全保障条約改定交渉関係の文書8冊、計約8000ページ。外務省は30年以上経過した文書は原則自動的に公開する制度を5月にスタートさせており、今回はその第1号となる。同省は残り約2万2000冊についても順次公開していくとしている。

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日本の安全「沖縄犠牲も」 外交文書公開
2010年7月8日

 【東京】沖縄返還交渉当時の1968年、外務省の情報分析部局が日本の安全保障をめぐり、「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかった」との見解をまとめていたことが、7日に公開された外交文書で明らかになった。併せて返還後の沖縄の米軍基地の在り方には「沖縄の返還は基地の自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」と指摘していた。

 文書は、返還交渉が進む68年5月23日付で、外務省国際資料部調査課(現在の国際情報統制官組織)が「わが国の安全保障について」と題して作成した。本土の「捨て石」にされた沖縄戦の論理が戦後も生き続けていた実態を示すものだ。

 同文書では、前年に佐藤栄作首相が表明した非核三原則についても「三原則を守って核攻撃を受けない保証はゼロだ。純粋に抑止力という見地から言えば、独(西)の如(ごと)く自国に核を持ち込ませることが有効だというのがむしろ論理的結論だろう」と指摘し、沖縄への核搬入容認論も展開した。

 併せて公開された文書では、沖縄の基地の使用について米側が日本側に対し、軍事的必要性ではなく政治判断の必要性を指摘していたことも明らかになった。

 68年5月27日に外務省内で行われた「沖縄の地位に関する第一回日米継続協議」の場で、ジョンソン駐日米大使が三木武夫外相に対し、沖縄の核基地の是非をめぐり「軍事技術の問題ではなく、高度の政治判断の問題であり、政治的決定がなされた後、はじめて軍事技術的にそれをどう実施するかという問題が生ずるものだ」と指摘した。

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非核三原則に異論 核持ち込みは抑止力として「有効」 外務省が外交文書を公開
2010.7.7 23:50

 佐藤栄作首相(当時)が昭和42年に表明した「非核三原則」をめぐり、外務省が翌年、三原則を守った場合でも日本が核攻撃を受ける可能性があることを指摘し、米軍の核兵器持ち込みは抑止に有効であるとの内部文書を作成していたことが7日分かった。外務省が公開した外交文書で明らかになった。三原則の表明直後、冷戦下の日本を取り巻く安全保障環境を踏まえ、政府内に異論があったことが浮き彫りになった。

 当時の外務省国際資料部が作成した43年5月23日付の「極秘」指定文書は、三原則に関し「守る理由は主として、それが国内の不安定要素を生み、日米の摩擦の種となるということにつきる」として、国民感情などから見直しは得策ではないと認めながらも、三原則を守った場合に「日本が核攻撃を受けない、あるいは紛争に巻き込まれないという保証はゼロである」と疑問を示した。

 その上で、米軍による日本への核持ち込みがあった場合、「ソ連、中共(中国)を刺激することは疑いないが、といって著しい緊張増大をもたらすとは考えられない」と指摘。抑止力維持の観点から「自国に核を持ち込ませることが有効であるというのが論理的結論であろう」と主張した。

 さらに47年の沖縄返還について「沖縄の返還は米軍による基地の自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」と記している。

 7日に外交史料館(東京都港区)で一般公開されたのは、30年7月~35年1月に作成された日米安保条約改定に関する関連文書のファイル8冊と、27年4月~47年8月作成の沖縄返還に関連する交渉記録関連ファイル29冊で計約8100ページ。外交史料館でCD-ROMに記録したファイルをコンピューター画面上で閲覧できる。

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米、「核抜き」に難色=抑止力低下を懸念-外交文書
(2010/07/07-19:51)

 1972年の沖縄返還をめぐり、日本側が求めていた「核抜き」返還米側が交渉の最終局面まで難色を示していたことが、外務省が7日に公表した外交文書で裏付けられた。68年6月に当時の三木武夫外相とジョンソン駐日米大使の会談録では、沖縄からの核兵器撤去を求めた三木氏に対し、米側は「基地の有効性を減殺する」などと抑止力への悪影響を懸念して強く反論していた。

 ベトナム戦争を背景に、米軍内では沖縄の戦略的重要性から核撤去への抵抗感が強かった。日米は69年の首脳会談で核抜き返還で合意したが、その際も佐藤栄作首相とニクソン大統領が、有事の場合は核再配備を認める内容の合意議事録を秘密裏に交わしていたことが明らかになっている。公開された文書によると、三木氏は会談で「世論は圧倒的に核抜き・本土並み(返還)に固まりつつある」と指摘。しかし大使は「日米間のはっきりした合意により沖縄に核兵器がないということが共産側に知られれば、沖縄の戦争抑止力を低下させることになる」などと切り返している。 

 一方、70年の下田武三駐米大使とマケルロイ米国務省日本部沖縄担当官の会談録では、返還に伴い日本国内で沖縄基地の整理縮小を求める声が高まっていたことについて、マケルロイ氏が「米側の極東戦略はますます沖縄を基点にして考えられることとなる。期待を掛けられたら将来失望することになる」などと否定的見解を示したことが記録されている。

 60年の日米安全保障条約の改定に関しては、日本の憲法問題などを理由に条約対象地域から当時米国の施政下にあった沖縄と小笠原を除外した経緯などが記されている。

 7日に公開されたのは、安保改定と沖縄返還に関する文書ファイル37冊で、計約8000ページ。作成から30年を経過した文書を原則公開するとした外務省の新規則が初めて適用された。東京・麻布台の外交資料館で閲覧できる。

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外務省、非核三原則の変更模索=持ち込み「抑止に有効」-68年文書
(2010/07/07-20:37)

 7日公開された外交文書によると、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則が打ち出されてから約半年後の1968年5月に、外務省は「純粋に抑止力の見地から言えば、西ドイツ(当時)のように自国に核を持ち込ませるほうが有効だ」として、三原則の変更を模索していた。

 記されているのは、同省国際資料部調査課が68年5月23日付で作成した「わが国の安全保障について」と題する極秘文書。中国の核兵器保有などアジアの情勢変化を踏まえ、核政策見直しや自衛力強化といった課題について、47ページにわたりまとめたものだ。

 この中で、当時の佐藤栄作首相が67年12月に表明した非核三原則に関し、「自分で自分の手を拘束した」と暗に批判。当時のソ連や中国が核を保有している状況を踏まえ「非核三原則を守った場合、日本が核攻撃を受けない、あるいは紛争に巻き込まれないという保証はゼロだ」と断じた。

 さらに、米軍による核兵器の持ち込みを認めた場合、「ソ連、中共(中国)を刺激することは疑いないが、著しい緊張増大をもたらすとは考えられない」と分析。核兵器に抵抗感を持つ国民感情を認めながらも、「核について冷静、かつ科学的な検討を行う雰囲気をつくることが重要だ」との認識を示している。

 一方、日本自身の核武装に関しては「取るべき方策とは考えられない」と指摘。その理由として
(1)日本がより安全になる保証がない
(2)米国が歓迎しない
(3)経済的負担が大きい-の3点を挙げた。

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米側、沖縄基地の抑止力強調 返還巡り、三木外相に
2010年7月8日1時46分

 外務省が公表した沖縄返還に関する日米交渉の記録で、1968年当時、米側が沖縄に配備されていた核兵器や米軍基地の「抑止力」を強調し、日本側が求める「核抜き本土並み」返還に強く難色を示していたことがわかった。

 公表された文書は、68年5月の、当時の三木武夫外相とジョンソン米大使による会談の記録など。67年に日米が返還に向けた継続協議に合意したことを受けて行われた。

 会談記録によると、沖縄の核について説明を求めた三木外相に対し、ジョンソン大使は「沖縄に核がないと共産側に知られれば、核による反撃の可能性を除外して行動しうることになり、戦争抑止力を低下させる」と主張。中国や北朝鮮を例に挙げ、「沖縄米軍基地にどの程度の抑止力を期待するか」と質問している。

 一方、会談の直前に外務省国際資料部調査課が行った内部検討の記録には、「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかったことは疑いを容(い)れない」との記述がある。沖縄返還は「基地の自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」とも記されており、省内にも「核抜き返還」に異論があったことを示している。(川端俊一、谷津憲郎)

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核持ち込み「抑止に有効」、外務省文書

 いわゆる「非核三原則」が打ち出された翌年の1968年、外務省が抑止力の観点から、「核を持ち込ませることが有効」と記した内部文書を作成していたことが分かりました。

 この内部文書は、外務省が30年を経過した外交記録は原則、自動的に公開するという新しい制度の第一弾として、7日、公開したものです。

 文書は、1968年5月に外務省の国際資料部調査課が作成し、「非核三原則を守った場合、日本が核攻撃を受けないという保証はゼロである。純粋に抑止力という見地から言えば、西ドイツの如く、自国に核を持ち込ませることが有効である」と記されています。

 佐藤栄作総理が「非核三原則」を打ち出した翌年に、この三原則の変更が模索されていたことを示す内容で、文書ではさらに、「政府は国民の大多数の共感を作り出していくための説得に力を傾けるべき」と、世論形成の必要性も訴えています。(08日01:59)

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外務省「三原則で核攻撃防げず」 抑止力確保に持ち込みを

佐藤栄作首相が非核三原則を表明した翌年の1968年、外務省の情報分析部局が「三原則を守って核攻撃を受けない保証はゼロだ」と指摘、抑止力確保の観点からは日本国土への核持ち込み容認が「有効」とする内部文書を作成していたことが、7日公開の外交文書で明らかになった。文書はまた、返還後の在沖縄米軍基地の在り方について「自由使用(核の持ち込みをも含めて)を前提として考えざるを得ない」と記載していた。

 被爆体験を踏まえ、その後「国是」となる非核三原則をめぐり、表明直後から外務省内に異論があったことを示す内容。沖縄への核搬入についても容認論があった実態を浮き彫りにしている。核艦船寄港を認める核密約などを通じその後、三原則を空洞化させていく日本政府の「核抑止信仰」の根深さが読み取れる。

 文書は68年5月23日付で国際資料部調査課(現在の国際情報統括官組織)が作成した「わが国の安全保障について」。外務省が7日午前、一般公開した60年の日米安全保障条約改定と72年の沖縄返還に関するファイル計37冊の一部。公開は、作成後30年が経過した文書の原則自動公開を定めた新制度で初の取り組み。

2010/07/07 18:43 【共同通信】
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雑感ブログから

 沖縄問題で鳩山内閣から菅内閣へと移行し、所信表明が昨日行われていた。形の上では「政治とカネ」「普天間問題」マスコミは「政治とカネ」の問題を先に持ってくる。ところが、鳩山氏の辞任を発表をした両議院総会では、「普天間問題」を先に持ってきていてその後に「政治とカネ」の問題を話しているのである。

自分は、その話の後先の違いに非常に違和感を覚えていた。その後は普天間の問題を隠すかのように「普天間問題」は表に出ず、「政治とカネ」の話だけになってしまっている。同時に野党である自民党もあんなに「普天間問題」を騒いでいたものが鳴りをひそめたばかりかマスコミでも取り上げず相も変わらず「政治とカネ」である。

そこで、自分なり仮説ではあるが今回の「普天間問題」と「政治とカネ」の問題を整理をして見ようと思う。と言っても、今回は辺野古に何人の海兵隊が残ってローテーション部隊がどうのこうのという心算は一切なく、密約という部分で辺野古と抑止力を考えてみようと思う。

このブログでも何回も書いたのであるが、沖縄密約というものは下記の4つをさす。

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(産経の記事から引用

(1)60年の安保条約改定時の核持ち込みに関する密約-核兵器を搭載した米軍の艦船や航空機の日本通過や寄港について、事前協議の対象とする

(2)60年安保改定時の朝鮮半島有事の際の戦闘行為に関する密約-米軍は事前協議なしに在日米軍基地から出撃できる

(3)72年の沖縄返還時の有事の際の核持ち込みに関する密約

(4)72年の沖縄返還時の現状復帰保障費を日本が肩代わりするとの密約


(1)は、調査で、1968年1月27日付の外務省北米局長の極秘メモが発見されている。結果この文書は歴代の首相や外相に説明をする際に用いられており、首相らが説明を受けたことを示す記載もあるとされた。ゆえに有識者委員会は、これは「密約の証拠とは言えない」ものの、「暗黙の合意による広義の密約があった」とした。(広義の密約)

(2)は、非公開の議事録の写しが発見されたことから、これは「密約」と認定されている。(狭義の密約)

(3)は、佐藤首相とニクソン大統領の署名入り合意議事録が佐藤家から見つかった、1969年11月の日米共同声明の内容を超えるものではないという見解から、「密約とは言えない」とされてしまった。(密約にあたらない)

(4)は西山裁判でもわかるように「肩代わり」はあったと認めていて、「広義の密約」にあたるという結果である。(広義の密約)

そもそも何ゆえに岸・佐藤元首相たちは、密約を結ばなければならなかったのだろうか。それを考えていたら鳩山氏の、「昨年12月に辺野古に決めていればどんなに楽だったか」という言葉がどうしても引っかかるのである。

アメリカ側と旧政権で取り決めた合意文書遂行と国外・最低でも県外とする鳩山氏から沸き起こった国内世論の板ばさみにあった鳩山氏だが、昨年12月というのが非常に重要なポイントだと自分は思っている。

確かに昨年12月に官邸で自民党時代に「辺野古」に取りまとめた岡本行夫氏と会っている。岡本氏とて国外・県外移設を唱え自分の過去の仕事をひっくり返されて面白いわけはない。

岸氏や佐藤氏であればどうしたであろうか。アメリカ側の要求、すなわち辺野古移設を受け入れながら、国民に都合の悪い部分を密約としたであろうと思われる。しかし、鳩山氏はしなかったのであろうと思われる。なぜ言い切れるかというと「密約」とされない部分を出せばいいのである。

ここまで書くと自分が何を言おうとしているのか気づかれた方もおられると思う。

もう一度、密約とされなかった部分、つまり密約にあたらないと岡田外務大臣が会見で語った佐藤家から見つかった「佐藤首相とニクソン大統領の署名入り合意議事録・・・これを利用をしたように思えてならない。

佐藤首相とニクソン大統領の署名入り合意議事録は、下記のようなものである。


一九六九年十一月二十一日発表のニクソン米合衆国大統領と佐藤日本国総理大臣との間の共同声明についての合意議事録

    米合衆国大統領

 われわれが共同声明で述べたとおり、米国政府の意図は、実際に沖縄の施政権が日本に返還されるときまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去することである。そして、それ以降は、共同声明で述べたとおり、日米安全保障条約と関連する諸取決めが沖縄に適用される。

しかしながら、日本を含む極東諸国のため米国が負っている国際的義務を効果的に遂行するために、米国政府は、極めて重大な緊急事態が生じた際、日本政府との事前協議(A)を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと、沖縄を通過させる権利を必要とするであろう。米国政府は、その場合に好意的な回答を期待する(B)。

 米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるように求める。

    日本国総理大臣

 日本政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。

 大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということで合意した。

一九六九年十一月十九日

ワシントンDCにて

リチャード・ニクソン

佐藤栄作


この合意文書が、密約か密約ではないという部分にばかり目が奪われてしまっているのであるが、1969年11月の日米共同声明の内容を超えるものではない。つまり、日米共同声明にヒントが隠されている事になる。

日米共同声明をよく読むと次のような記述が見られる。

http://udonenogure.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-f989.html


米国が、沖繩において両国共通の安全保障上必要な軍事上の施設および区域を日米安保条約に基づいて保持することにつき意見が一致した。

7.総理大臣と大統領は、施政権返還にあたつては、日米安保条約およびこれに関する諸取決めが変更なしに沖繩に適用されることに意見の一致をみた。

これに関連して、総理大臣は、日本の安全は極東における国際の平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがつて極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖繩の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負つている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した。大統領は、総理大臣の見解と同意見である旨を述べた。

8.総理大臣は、核兵器に対する日本国民の特殊な感情およびこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し、大統領は、深い理解を示し、日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく、沖繩の返還を、右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した。


英文での表現が和訳をされたものと同一なのかは、明確には述べられないが、米国政府の立場を害することなくとは、米国政府を怒らせない・不愉快にはさせませんよ。と言う事であろうか。となれば、佐藤首相とニクソン大統領の署名入り合意議事録の中に書かれている、好意的な回答を期待するという部分は、「おい、分かっているだろうな。日本よ」と言う事である。

では、どのように解釈ができるかというと、辺野古の基地にある核兵器貯蔵地を何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるように求め、日本が了解をしたことは1969年11月の日米共同声明の中で明らか(密約ではない)であり、共同声明は現在も生きていると言う事になる。

つまり、緊急事態と米国が言えばいつでも沖縄に核を持ち込めることになる。北朝鮮の騒動を煽ってみせ、辺野古キャンプシュワブに核を持ち込むと米国が鳩山氏に迫ったらどうなるだろう。

鳩山氏は過去の合意文書と共同声明により、「好意的な回答を期待する」米国に対し「米国政府の立場を害することなく」了解をするしかないと言う事になる。

この、いつでも米国が緊急事態だということで核を沖縄に持ち込めることが「抑止力」だとしたならば、鳩山氏が「学ぶと学ぶほど」と言う言葉の意味も理解ができる。ただし、鳩山氏が、この核持込を当初は知らなかったと言う事が前提ではあるのだが。

現実に岡田外務大臣は、早くから国外は無理だとし嘉手納統合案を口にし、北沢防衛大臣は辺野古。国民新党の下地議員は、キャンプ・シュワブ案を口にしている。つまり、みな核兵器貯蔵地なのである。

あくまでも想像であり仮説でしかないのだが、鳩山氏と平野だけが、核兵器貯蔵地であることを教えられなかったのではないだろうかとさえ思えてくる。

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「核持ち込み」など3密約を認定 首相、非核三原則堅持を表明

2010.3.9 19:33

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100309/plc1003091538018-n1.htm

 外務省の「密約」問題に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は9日、日米間の4つの「密約」を検証した報告書を岡田克也外相に提出した。焦点となっていた昭和35(1960)年の日米安保条約改定時に、核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外とする了解の有無について、「暗黙の合意」による「広義の密約」があったと結論付けた。

 注目されていた44年の沖縄返還決定時の有事の際の沖縄への核再配備の「合意」の評価は、政府内で引き継がれていないことなどを理由に、密約と認定しなかった。しかし、岡田氏は同日の記者会見で、「一般的に考えると密約だ」と述べ、報告書と食い違う見解を示した。

 また報告書は、35年の安保条約改定時の、朝鮮半島有事での在日米軍の自由出撃容認は合意文書に基づく「狭義の密約」と認定。47年の沖縄返還時の原状回復費肩代わりは「広義の密約」とした。

 核兵器搭載の米艦船の寄港を容認する事実上の政府方針は、佐藤栄作内閣から海部俊樹内閣までの10内閣で引き継がれていたことが、同日に開示された日米の「核持ち込み密約」の関連文書で示された。

 鳩山由紀夫首相は同日、非核三原則の扱いについて「三原則は従来通り堅持する。何も変える必要はない」と語った。さらに「(米軍の)核を含む抑止力は日米安保やアジア太平洋地域に必要だ。過去の密約が明らかになったことで、日米関係に影響を与えないように対処することが必要だ」と語った。

 岡田氏は記者会見で、米国が艦船からの戦術核兵器撤去を表明した平成3年以前の日本への核持ち込みを「可能性は排除できない」とし、否定してきた歴代政権の見解を修正した。

 報告書は、核搭載艦船寄港による「核持ち込み」に関し、35年の安保改定時、「寄港は持ち込みにあたらない」との米側解釈を日本側が認識しながら「意図的に明確化を回避した」と判断。昭和38年に大平正芳外相がライシャワー駐日米大使から米側解釈を説明されてから「広義の密約」として確定していったとした。

 一方、沖縄への核核再持ち込みは、佐藤栄作元首相が署名した非公表の「合意議事録」が同氏邸から発見されたが、「(日米両首脳の)共同声明を大きく超える負担を約束するものではなく、密約とはいえない」とした。

 日米密約有識者委員会のメンバー

 北岡伸一東大教授(座長)=日本政治外交史▽波多野澄雄筑波大教授=近代日本外交史▽河野康子法政大教授=戦後日本政治史▽坂元一哉大阪大教授=日米関係論▽佐々木卓也立教大教授=米国外交史▽春名幹男名古屋大大学院教授=国際報道論

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【久保田るり子の外交ウオッチ】密約検証が「同盟破壊の爆弾になる」の恐れ

2010.1.30 12:00

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100130/plc1001301202006-n1.htm

 核持ち込みなど日米のいわゆる「密約検証」が2月末に公表される。対象の「4つの密約」は今回、その存在が裏付けられるのがほぼ確実で、有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)が存否の検証に加え、当時の時代背景を踏まえた「歴史的な評価」を表明する。問題はその後の措置、つまり日米同盟の根幹をなる拡大抑止に関する戦略が鳩山政権下でいまだに定まっていないことだ。扱い次第でこの問題は、「普天間」で傷ついた日米の信頼関係を危機に追いつめる「同盟破壊の爆弾」となる恐れが指摘されている。

  (久保田るり子)

■朝鮮半島有事の基地使用問題をどうする?

 昨夏の総選挙前から民主党が公言してきた「4密約の検証」の鳩山政権の狙いは、「日米同盟のレビュー」である。いわく『自民党歴代政権は米国に遠慮し日本からの要求をタブー視してきたのではないか』『「非公開の密約」部分を米国が公表しているにもかかわらず、日本でその存在すら政府が否定してきたのは、対等とはかけ離れた片務性ゆえではなかったか』『国民に対してうそをついてきた結果ではないか』-との責任の所在追及だ。

 このレビューの結果、密約が確認された場合に予想されるのは、第一に60年代から現在までの政府・外務省の秘密事項の引き継ぎの実態検証だろう。外務官僚が時の政治家にどう引き継いだのか改めて問われることになろうが、過度の「真実追究ムード」は、今後の日米戦略対話の足かせにならないか懸念される。

 次に、「密約」の現時点での効力も問題となろう。国際安全保障環境は「密約」当時と大きく変化している。核持ち込み密約(注(1))はブッシュ(父親)政権で米国は1991年末、戦術核撤去宣言ですでに過去の事例だが、では、朝鮮半島有事の基地使用(注(2))はどうなのか。日米両国の協議が必要となってくる。

 専門家は「朝鮮半島有事は即座に日本有事となる可能性もある事態だが、この“密約”を解消し『今後は(有事の事前協議なしの)基地使用は不可とする』となったら、米側から『それでも日米は軍事同盟か』と不信は最高潮になるだろう。実は密約の本質とは同盟の根幹にかかわっている」と指摘する。

■鳩山政権の「同盟観」はいまだ不明

 岡田克也外相は、密約検証が日米関係に及ぼす影響について「必要に応じ米側と協議する」と述べる一方で、検証後の政策については「あえて考えないことにしている。まず事実をしっかり出して、そして検証することが重要で、その上で今後のことを考えればいいと基本的に考えている」(21年11月27日、定例会見)と考えを明示してこなかった。

 また、検証で明らかにすべき事項に関して、「当時の総理がどういう背景でどういった決断をしたのか、そこに苦渋の決断があったか」(同)を有識者委員会に評価させ、今後の外交文書の公開のあり方の提言も受けるとしているが、「一定年限がたてばオープンにするのが基本」(11月24日、定例会見)としてきた。

 こうした検証はもちろん必要である。また歴史の研究として有意義だ。しかし、いま国民が知りたいのは、「では、民主党政権は非核三原則をこれからどうマネージするつもりなのか」との問いへの答えではないのか。

 鳩山由紀夫首相は、昨年の衆院選前、「北朝鮮の脅威がある。将来を見据えて日米間で徹底的に協議していく」と非核三原則の見直しを示唆した。ところが、原爆犠牲者の式典では「法制化の検討」に言及して、原理原則がブレ続けた。

 鳩山氏は「オープンな議論の中で結論を出す」というが、米国は核抑止力について「核の存在を肯定も否定もしない」(NCND)をどう理解しているのか、非核三原則との整合性をどこまで明文化するのかには、全く言及してこなかった。 

 「検証の今後は、日米関係が健全であれば常識的には大きな問題はない。将来的に米軍再配備に関する協議も予想されるが、喫緊のことではないため同盟関係が堅持されていれば協議を進めればよい。しかし現政権は必ずしも常識にとらわれない。核密約検証後に、現政権下で政策的に何が出てくるかが予想できないのだ」という専門家もいる。

 われわれの前には過去より未来、理想より現実が広がっている。5月末に向け普天間問題の時限が迫る。密約の事後処理で日米関係がこれ以上の不協和音を奏しないよう、細心の管理が必要であることを鳩山政権は肝に銘じてほしい。

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 先日(6月8日)、フォーラム神保町で開催をされた、「嵐の中の⇒嵐の中だった小鳩政権!! ~ニッポンは何を守ろうとしているのか!?」の中で、田原総一郎氏が元大臣官房総括審議官・東郷 和彦氏とのやり取りの中で、岡田外相が核持込容認発言をしていると語っているのである。岡田外相は、核密約の結果発表の際には、明言は避けてはいても、佐藤元総理の合意文書は、密約だとしていたのであるが・・・・・・。トーンダウンだけではなく、非核2・5原則となってしまったようである。

沖縄の海兵隊が持つ力が抑止力なのではなく、核兵器を沖縄へ持ち込めると言う事実が「抑止力」なのではないだろうか?と思えてしまう。その中で、国是である非核三原則を堅持しようとした鳩山を笑う事は誰もできないと自分は思う。

駐留なき安保」というと「あほこけ」と言われそうであるが、この言葉を最初に口にしたのは、東西冷戦下での米国であったと記憶をしている。日本も駐留なき安保と非核三原則。そして「自分の国くらい自分で守ろうよ」という気になったら少しは別の方法も見えてくるような気がする。

自分のブログを読まれた方のメールのより毎日新聞の専門編集委員金子秀敏氏が、同様に核施設への再持ち込み疑念記事を書いている事を知った。

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木語:辺野古の核貯蔵施設=金子秀敏

http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20100527ddm003070112000c.html

 

<moku-go>

 鳩山由紀夫首相の言葉を軽く感じるのはなぜだろう。

 むかし「ぶりっこ」という言葉があった。男の気を引くためにわざと女らしい仕草をするのは「かわい子ぶりっこ」。いつもいい子になるのは「いい子ぶりっこ」。

 鳩山首相は、いい子ぶりっこだ。普天間飛行場の移設先は「最低でも県外」だし、オバマ米大統領に会えば「トラスト・ミー」と英語が出る。沖縄の海兵隊は「学べば学ぶほど抑止力」で、沖縄の海を埋め立てるのは「自然への冒〓(ぼうとく)」である。

 それが行き詰まると、沖縄に出向いて「辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った」と「断腸の思い」の謝罪をした。

 首相の言葉はどれをとっても非常に重い。その重い言葉がぺらぺらひらひら飛び交うから、軽く感じるのである。

 あっさり頭を下げるいい子に向かって、沖縄県の知事も市長も振り上げたこぶしのやりばに困る。

 野党自民党谷垣禎一総裁もやりにくいだろう。「職を賭すと言った首相は、辞めるか国民に信を問うべきだ」と語ったものの、本気で解散に追い込む気迫は感じない。

 そもそも普天間飛行場を辺野古に移設するというのは自民党政権下でできた案である。それを鳩山政権が採用するというのだから、これに反対して解散に追い込むのは筋が通らない。

 自民党は発想の転換をしたらどうだろう。民主党を差し置いて辺野古移設で地元沖縄を説得し、日米安保体制を支えるのは自民党という軸を明確にするチャンスだ。これができれば政権奪取に活路が開ける。

 それにつけても、米国はなぜ辺野古にこだわるのか。今年の春、佐藤栄作元首相の机の引き出しの中から発見された「沖縄核密約」にはこのようなやりとりがあった。

 「(米国政府は)沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇、辺野古及びナイキ・ハーキュリーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用できるよう求める」

 「(日本国政府は)そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」

 末尾に最高機密の指定とニクソン大統領、佐藤首相の署名がある。

 辺野古には核貯蔵施設があり、有事には核兵器をまた運びこむ密約である。貯蔵施設が今でもあるなら、沖縄の「抑止力」の正体はこれではないか。それなら米国が辺野古に固執する理由も見える。(専門編集委員)

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後日、岡田外相が現在は持ち込みの密約は生きてはいないと発言をしている。しかし、持込に関しては容認発言を田原総一郎氏にしている。

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